可燃物な日々

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1月31日(月)

 ときどき痛感するのだが「他人というものは、常に自分と同じように物事を考えてくれない」のは、当たり前なのだが「かと言って、まったく違うことをやらかすわけでもない」というのもまた真なりなので、ついつい「言わずともわかってくれるだろう」って方向に傾きがちになって、ときどき痛い目にあうわけだ。

 親会社の支店に新規機械が導入されるので、その説明や試験運用で何回か足を運んだが、その都度「疑問点や要望を各自あげるように」という通達は「普通のこと」であるので、私も自分や支店スタッフが挙げた疑問点や感想などを忌憚なく述べた。
 それを全部集計して、ってゆーか、全部くっつけたものをサポートに関わっている社員全員に見せたのは、「まあいっか」であった。けっこう重複した疑問点などが多かったし、人によっては言葉がきつすぎたり、要望がマニアックだったりしたので「ある程度、整理して、暫定的でも『よくある質問』形式にすればいいのに」と思ったけど、時間的にそういう余裕が無いことは理解していた。

 それに、うちの社員がてんでバラバラに「ここがダメだった」「あれを改善しろ」と文句を連ねているのを読むと「他ではいろいろ大変なところもあったんだな」ということがわかり、それなりに意味はあったと思う。

 しかし、今日になって、そのファイルが親会社の方でも公開された。支店のスタッフも読める場所である。

 「まさかなあ、そのまま公開したりしてないよね?」

 と思ったが、開けてみてびっくり。そのまんまだったのである。

 だったら最初から「親会社の方にも見せます」と言ってくれれば、もう少し違う書き方をしたのに・・・・・
 内部用だとばかり思っていたから「○○のことで神経質になっているスタッフもいたので、これの基準をある程度決めたほうが安心できると思う」なんて、書いてしまったが、その文章を当のスタッフが見ることになったら「神経質ってあたしのこと?」と、あまりいい気分にはならないだろう。
 他の人のレポートだって「変なエラーが立て続けに出たし、サポートも遅かったので、かなり不信感を持たれたようだ」なんて、書いてあるのをそのまま載せてある。

 開発を担当しているうちのスタッフに「こういう問題が起こった」と報告した内容をそのまんま「顧客」に流すっていう神経が理解できない。親子関係であっても・・・・・つーか、親子だからこそ「本音」と「建て前」を使いわけないと・・・うちのオカンが「DVDレコーダ買ってあげようか?」って言い出したときには、娘は友達には(日記も立派な友達です)「うちのオカンがそんなこと言った〜〜〜〜〜〜〜」と大袈裟に騒ぐが、オカンには「気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとう。でも、私、そのくらいのお金は持っているから心配ご無用」と優しく諭すのと同じじゃん。

 「ちょっと、あれをそのまま公開されては困る」と文句言おうかとも思ったが、もうすでに公開されちゃっているので変更するわけにもいかないし、それに、それほど問題発言を書いたわけでもないので、「ただ、支店の人はこういうところに漠然と不安を抱いたようです」って報告しただけで、でも、やっぱし、もし公開されると知っていたなら「支店の人は」じゃなくて「私はこういうところに不安を覚えました」っていう書き方をしただろう。

 たしかに全支店から挙がった「疑問点」などを一挙公開すると「他でもいろいろあったのね」とわかるという利点もあるけど、でも顧客なんだし、「こんだけトラブりました」なリストをそのまんま見せると、ますます不安が広がるという心配もあると思うんだが、そういうことは考えてないのだろうか?

 やはり、どう考えても「現場サポートスタッフからのトラブルリスト」をそのまんま顧客に公開するのはおかしい。

 親会社からの要望もあったからなんだろうけど、でも本運用直前の今であるし、特に問題の起きなかった支店スタッフが、あのトラブルリストを読んだら「他では、こんなことが?ああ心配」とシステムに対する不信感を募らせるだけだろう。

 うちの会社のそのチームの担当者たちは、悪い人でもバカでもないのをよくわかっているだけに「私の常識と彼らの常識は違う常識らしい」ということに気がつくことのこの後ろめたさよ。
 そんで、くどいようだが、私はこんな場所で「ばか!」と叫んでいるのだが、実際にそのチームに文句を言うときには「あたし、親会社に見せるように書いたわけではないので・・・・変なこと書いちゃったかも・・・あれがそのまま公開されてたんでびっくらしたわ」と「私のバカをもう少しフォローしてくださってもよかったのでは?」な湾曲表現で提言いたしますよ。
1月30日(日)

 目が覚めたら、もう1時だった。12時間たっぷり寝たらしい。
 「飲み会」「飲み会」「8時から仕事」という週末だったので、体がくたびれきっている。

 ああ、今週は忙しいのだ。
 また、「7時20分集合」という私が最も苦手とする「早起き」があるし、木金は税務署さんがお見えになる。

 この時期を乗り切ると、また暇になるはずなのだが。

 昨日のMちゃんの電話は「バカーンスの相談」であった。Mちゃんが抱えるマイレージで旅行しようという計画なんである。当初の予定では「友達もファーストくらすに乗れるエール・フランスのキャンペーン」(会員がファーストクラスに乗れるマイルを持っていれば、友達1名分はサービス)を利用して、「欧州へファーストクラスの旅!」の予定であったが、よくよく確認してみたら、今年はキャンペーンから日本人顧客はハブにされてるらしく「該当路線に東京は入ってない」とのこと。がっかり。

 で、他の会社のマイルを検討中なのだが、なにしろ無職のMちゃんは、1月から3週間ほどの短期派遣で仕事しているので(本人はやりたくなかったが派遣会社の押しに負けたらしい)、あまりのんびり情報収集する暇もなく、「でも、アメリカ系航空会社で二人でビジネスで東南アジアは可能」とのことだが、二人とも、つい最近まで「ポルトガルかな?ギリシャかな?」と南欧に気持ちが傾いていたので、「東南アジアって言っても、どこがいいかねー」「うーん」

 せっかくビジネスに乗るのなら、3時間くらいの飛行時間だと有り難味が少ない。
 ハワイにファーストはちょっとマイルが足りなかったようだ。ハワイにビジネスクラスだったら、ハノイにビジネスクラスでもいいし。

 3月までに休暇を取らないといけないので、早めに計画せねば。
 Mちゃんの希望「飯がうまいとこ」
 私の希望「とにかく寒くなくて、ボーっとできるとこ」

1月29日(土)

 昨晩はまた「午前様」だったのだが、目覚ましは非情にも5時半に炸裂。
 まだ酒が完全に抜けてないような心地だったが、前回遅刻したので、今回は絶対に早めに行くのだ、と気合を入れなおして布団を出て、6時38分の電車に乗ることが出来た。

 竹ノ塚に着いたのが、丁度一時間後の7時39分。駅前のスタバでココアを買う。二日酔いで朝食は食べられなかったのだが、いつ昼食をとれるかわからないので、ココアでエネルギーチャージである。
 丁度、最初についた支店職員と同じ電車だったらしく、彼女が支店の鍵を開けてるときに到着した。よしよし。

 「今日はたぶん、かなりドタバタするので、あまり作業(私がサポートする新規導入機械での処理)が出来ないかもしれません」と、今日の予定表を渡されるが、「ちょっと混乱した表でお恥ずかしいんですが」と言っていたが、それがカオスなのは表を作った人の責任ではないのは、実際に進行していくうちにわかった。

 嵐のような午前中が過ぎたあと、私がふと「野戦病院みたいですね」と言ってしまったのだが、すぐに「あ、いい過ぎちゃったかな。あたしは何も手伝ってなくて、ぼんやりと眺めていただけなのに」と思ったが、そう言われたスタッフは、苦笑しながらも「ちゃんとわかってもらえた」と解釈してくれたようで、支店長に「ミヤノさんに野戦病院みたいって言われちゃいました」と嬉しそうに話していたので、よかった。ホっ

 前回は「システムのテスト」であったが、今回は「本番直前のテスト運用」だったので、「なるべく支店スタッフに操作してもらうように」という指令が下っていたのだが、イレギュラーで「説明会」が同時開催されていたので、スタッフに余剰が全くなく、電話は鳴りっぱなしだし、「あのお、これの説明をしてほしいんですが」という客が一人だけ暇そうな私に集中するので、「あ、すいません、私、ここのスタッフではないので・・・・ええと、今、スタッフが他のお客様と話しておりますので、しばらくお待ちください」と交通整理して、話が終ったスタッフに「あのお客様がお待ちです」と声をかけているような状態。

 私は、そういう支店の現状も観察して「今度、どのようにそのシステムの運用していくのか」というレポートを書く役割なので、真面目に観察していたのだが、慣れない接客業の現場ということもあり、とにかくその「野戦病院」な雰囲気にのまれて、なんにもしてないのに、ぐったり疲れてしまった。

 しかし、昼になって気がついたのであるが、午後も私が関わるシステムを操作する「イベント」があるのである。
 他に一件だけ確認したいことがあったので、昼食をとってから午後のイベントが開始され、一段落ついたところで、チーム・リーダーに電話したら「ああ、そこは午後もあるんですよね」と言われ、そこで初めて「午前のみ」という支店もあったことに気がつく。
 くっそー、なんか損した気分。

 でも、私が担当する支店のスタッフは皆、わりと前向きなので、前の「テスト運用」のときに、うちの社員からそれぞれ問題点が上がって、それの集約を読んだのだが、けっこう非協力的な支店も多いようで、「なるべく支店スタッフで操作してください」とお願いしても、「なんで、こっちがそんな余計な仕事を・・・・」と言われてヘコだ人もいたみたい。(ハイジもそれで、かなりナーバスになっていた)

 なので、今回は支店スタッフが操作できる暇がないのはしょーがなかったのだが、彼らも「すいません、今日は特別で」と平謝りなので「いえ、今日はしょうがないですよ。それに、こういう支店の状況をリサーチするのも私の役目だし」と「大変なのはわかってるんですよ」という態度を見せることも大切。
 午後になったら、余裕もできたので、バイトの男の子が一人手が空いて、スタッフが「せっかくだから、彼に操作を教えてください」と言うので、学生バイト君に操作させたら、さすが若い男の子なので飲み込みも早いし、好奇心旺盛であれこれ聞いてくるので、こっちも暇だから、かなり丁寧に説明してあげたら、横で別の仕事していたスタッフが「ミヤノさんと、T君の会話を聞いてると、こっちも勉強になります」と言ってくれた。

 その支店では「T君がいないと、この支店は潰れる」とまで言われているような優秀なバイト君のようだったので、私も張り切って職員に説明するより丁寧に説明してあげた。若い男の子が真剣な目で私の演説を聞いてくれたので、私も気分がよかったし、質問も的確だったので「それは、なんでそうなっていたかというと、今までは、こういう必要があったので、そうしなければいけなかったんだけど、この機械が導入されたので、それをやる必要がなくなったんだけど、逆に支店のやり方で後のことを考えればいいわけで・・・・」なんて、くどくど説明しても、ちゃんと聴いてくれて「そっか、それが利点なんすね?」と、相槌も完璧。君は就職しても、そこそこ仕事できるであろう。おねーさんが保証する。

 5時過ぎにやっと全ての作業が終了して、もうクタクタ。

 2月にも2回くらい行かなきゃなんないのよ。次回は「本運用」なので緊張するわー
 でも、機械の操作自体には慣れてきたので「なんのトラブルもなけりゃ、簡単な操作だから、支店スタッフもすぐに慣れるさ」という自信はついた。

 昨日、留守電にメッセージが残っていたMちゃんに電話して、長電話したあと、がんばってビョン様のドラマを観たが、終ったら、ドスンと眠りについた。
1月28日(金)

 2月になると、しばらく休みがとれなくなるので、「今のうちに有給を使っておこう」と休みにしたつもりだが、よく確認してみたら、「定休」がまだ一日残っていたのであった。
 久々にAさんちに遊びに行くつもりでいたが、飲み会の誘いがあったので「夜だから大丈夫か。どうせ、Aさんちは9時就寝だからね」と午後の早い時間に訪問して、6時頃においとますれば大丈夫だと思って、飲み会参加にOKを出していたのだが、昨晩メールをチェックしたら「どうせ、来るのは夕方だと思って予定を入れてしまったので、5時以降に来てください」あちゃー

 よくある話だが「相手は専業主婦なので、いつでも暇だから、いつでも遊びに行ける」と思っていると、ついつい後回しになってしまい、なかなか会えないんだよね。
 あと、イベントなことだったら(コンサートとか、10年来の友達が集まる飲み会とか)雨でも雪でも出かけるが、「いつでもいいわけだし」ということになると、天気が悪いとパスしてしまったりする。

 年末も「今日、遊びに行こうと思うんだけど」と電話したら「残念、これから外出するんだ」ということがあったので、そういう「タイミングの悪さが続く」というのも、長い人生の中ではよくある話で、そういうときには、なかなかタイミングを修正するのが難しく、例えるなら「ハウルの動く城」のあの「どこでもドア」の接触が悪くなってしまったようなもんなので、萩尾望都作品で言うなら「時空のゆがみ」が修正されるまで、じっと待つことにしている。

 前にも「Aさんちに行くなら一緒に連れてって」と言うアエラ嬢を頻繁に誘ったが、「ギックリ腰になった」とか「急な仕事が入って」とか、なかなかタイミングが合わなかったので、しばらく放置していたのだが、結局ちゃんと合流できたのは2年後くらいであった。
 人間はそうして気が長くなっていく。

 というわけで、昼間の予定がなくなったので、また夜までゴロ寝してそうだったのだが、目が覚めるとまだ11時だったが、布団の外が意外に暖かいように感じたので、思い切って起き上がった。
 ピーカンではなかったが、

 (そういえば、宮崎出身の美容師に「ピーカンでどうの」という話をしたら、「はあ?」と言わた人がいて、「宮崎ではピーカンという言葉は通じないらしい」という話題になり、ちょうどその場に宮崎県人がいたので「ピーカンって言わないの?」と言ってみたら、やはり「なんすか、それ?」と変な顔をされた。ピーカンというのは東京弁だったのだろうか?そもそも語源のわからない言葉である)

 ピーカンではなかったが、薄曇で時々日が差すので暖かいようだった。
 無理やり布団を干し、やっとシーツを洗濯。
 その間に部屋もザっと掃除して、まあまあの仕上がり。

 なんか、久々に「普通の休日」ってかんじだ。いつもこうできればいいのに。
 そんで、洗濯が終っても、まだ2時くらいだったので「そうだ、平日が休みのときに観たい映画があったのだ」と思い出し、時間を調べたら4時半からやっていたので丁度いい。軽い昼食をとりつつ、渋谷までお散歩することにした。

 池尻の裏を抜けて246に抜ける遊歩道をちんたら歩いていたのだが、あの遊歩道は、最近になって下北の桜並木遊歩道にも伸びた。世田谷区になんでそんな予算があるのかわからないが、「下水を再利用した水」を使って、小川を作ったのである。
 最初のころは「人工的だなあ」と思っていたのだが、しばらくたつと、ほどよく雑草も生え、けっこう気に入っていた。カモ系の水鳥の夫婦(かどうだか知らんが、どにかく2匹いたのです。鳥だから二羽か)、が泳いでたりして「莫大な予算をつぎ込んだだけのことはあるな」と嫌味っぽいことを考えていたのである。

 あのカモ夫妻が、勝手に飛来したものなのか、それとも不忍池あたりから無理やり引越しさせたのかよくわらかんが、とにかく、「今日もいるかなあ?」と水路を眺めつつ歩いていた。

 そしたら、確かに鳥の姿を目撃したのだが、それはカモ系の鳥ではなく、「これはきっと、水辺のオブジェなんだろう」と確信した。
 世田谷の他の遊歩道でも、陶器の犬の置物がこっそり置いてあったりして、ドキっとしたもんだけど、あれはきっと近隣住民が置いたもんだろうけど、(近隣住民でボランティア的に花壇を管理している地域もあるようだ)その鳥の置物はそんじょそこらに売ってるようなもんではない。
 それは、真っ白な「白鷺」の置物だったのである。

 あまりにも真っ白だったので「こんな、ありえねーもん置くなよ」と思った。悪趣味である。
 しかし、その5メートル先には、ちゃんとまたカモ夫妻が水辺の草に嘴を差し込んで、昆虫採集に余念がなかった。人工的な水路なので、魚はいないが、虫やコケを食べる鳥には、けっこう穴場なのだろう。

 「こっちも、実はロボットじゃないのか?」と猜疑心がもたげてきたが、どう考えても不忍池で捕獲したほうが安いだろう。いなくなったら、すぐ補充できるし。(あんまり数が増えても、近隣住民から苦情が来るだろうし)

 しばらく、ぼんやりとカモ夫妻を眺めていたのだが、目の端になにか動くものがあった。
 反射的に目を動かすと、それはさっきの「白鷺のオブジェ」で、「あれ?もしかして動いた?」と思ったが、別にポーズは変わってないようだ。
 でも、なんか動いたような気がしたので、じっと観察していたら・・・・・・ほんとに動いた!
 やはり、水辺の草のあたりを嘴でつついている!
 本物だ、本物!

 高校に向かう途中は印旛沼周辺の田園地帯があり、通学途中には、田んぼに飛来する白鷺の姿がよく見えたけど、こんな世田谷の遊歩道で十数年ぶりにその姿を目撃するとは!
 いったい、何を間違って、こんなところにいるのだろう?
 それとも、やはり区の職員がどっかから拉致してきたのか?

 それとも、鳥に詳しくない私には白鷺にしか見えなかったが、実は東南アジアかなんかの鳥で、マニアが飼っていたのが脱走したとかなのかなあ?そのうち、ワニも泳いでいたりしたら笑える。
 とにかく、なんだかとってもシュールでした。

●「ベルリンフィルと子供たち」

 ユーロスペースで上映しているし、平日の4時半の回だったので、「ガラスキ」を予想していたのだが、けっこうお客さんが集まっていた。それも、けっこう年齢層が高い。さすが、先日も来日して5万円のチケットを完売させたベルリンフィルである。
 どういう経緯かよくわからないが、250人の「あらゆる階層」の10歳から20歳くらいまでの子供を集めて、「春の祭典」のダンスをさせるという企画のドキュメンタリー映画である。
 たぶん「教育的な試み」だったんだろう。

 お約束通り、「わけあり」な若者たちを中心にインタビューしたり、練習風景を延々と見せて、「彼らがどう変わっていくか」が主題なのだが、指揮者や振り付けする演出家のインタビューもけっこうクドくて、わりと説教くさいのは覚悟の上だったのだが、でも、そんな凡庸な作りのドキュメンタリーでも、「プロの仕事」っていうのは凡庸さを気にしないんだね。

 まず、ベルリン・フィルのリハーサルというのが、私にとっては収穫だった。ラフな服装で、リラックスしている人種も年齢もバラバラな楽団員からは「チケット代5万円」というが想像できないのであるが、音が出た瞬間にノックアウトされた。「こりゃ、5万円するわ」と、いきなり納得。「5万円」を連呼してしまうが、私にとってはそれしか「基準」がないのである。
 芸術監督というか指揮者は、インタビューでもわかるとおりに「かなり雄弁で知的で魅力的な人物」なのだが(えげれす人なのに、とーってもわかりやすい英語を話すということからも、その人柄が伺える)、彼が表情豊かに「この音はこうしてほしい」と、端的に説明して、また音が鳴ると「ひえええ、たったあれだけの指示で音がこんだけ違う!」

 私は疑り深いので「ドキュメンタリーと言っても、どーせフィクション」と割り切っているので、あの「あ・うんの呼吸」がいつもそう簡単に上手く行くとも思えないのだが、でも、ああいうのの積み重ねで指揮者がオケの音を構築していくということはなんとなく想像はしていても、実際に音と映像で見せられると「本当に、こういうふうにやっているんだ」と感激もひとしおである。

 例えば、まず楽団が普通に演奏した音に、指揮者が「今度の企画は、いつものようにプロのバレリーナが踊るわけじゃないんだ。普通の子供達が踊るので、トウ・シューズで華麗にステップするわけではない。だから、もっと地面に近い音が欲しい。2オクターブくらい深い音でやってみてくれ」とか言う。

 「2オクターブくらい深い音」っていう意味が全然わからないけど、「では、せーの」でそのパートを繰り返すと、たちかに、そっちの音のほうが「ドスドスした踊りしかできましぇん」の体に響く音だった。

 それにしても、羨ましい話だ。世界最高峰のオケに合わせて踊れるなんて!
 指揮者もこう言っていた。「絵の授業だと、『さあ、描いてみましょう』だし、体育の授業だと『さあ、体を動かしてみましょう』なのに、なんでクラシックの授業だと『じっと座って聞きましょう』なんだい?」
 あたしもそう思う。ベートーベンあたりは例外だが、古典クラシックの多くは「舞踏会のダンス用」だったりするし、近代のものは「バレー用」だったりするので、それだけをじっと鑑賞する用で作られてないのだ。

 昔、DJの友達に「みんながくたびれきった朝方でいいからさあ、クラシックかけてみよーよ」と提案したことがあった。なんとなく「クラブのフロアで聴く、クラシック」がどんなだか試してみたかったのだ。けっこう踊れる曲があると思うし。ボレロくらいだったら、誰かがサンプリングしてそうだが。マスターズ・アット・ワークが、バッハをサンプリングした曲ってなかったっけ?
 でも、あんまし真面目にとりあってもらえなかった。

 若者たちのそれぞれの事情や、このイベントにかける意欲もバラバラだったが、やはりリハでオケに絡んでみると、さすが「チケット代5万円」の楽団である(くどい)、「なんか変な曲」という評判だった「春の祭典」も、スカしたハイ・ティーンの若者が煙草すいながら「けっこうクールなフレーズもあるんだよな。サンプリングねたに使えるかも」と言い出す。
 最初はよくわからなかった振り付けも、合わせていくうちに音との繋がりがわかってきたし、それにだんだんやっているうちに気持ちよくなってくる。
 振付チームのダンサー達も、そのことは知り尽くしており、「リハ段階ではこんなもんだろう。でも、客の前に出れば、アドレナリンが噴出して、もっと力を発揮するのさ」と笑っていた。

 本番は映画ではあっさりと流されたが、会場が「ARENA」という、たぶん私がラブパレの夜にカール・コックスを聴きにいった、あの「運河沿いの巨大工場跡地」である。
 スタンディングで1万5千人収容の場所だから、椅子席を作っても数千人入るだろう。
 そして、そんな大会場で、舞台に立つのは「シロートの子供たち」であり、オケは舞台下の「オーケストラピット」にいるわけで、そりゃもう、アドレナリン出まくりでしょう。

 もう最初のころは、ちゃんと腕も挙げられなかった悪ガキどもが、華麗な演出の元に、「個人の技量」というよりは、物量作戦みたいな振付で、ワーーーーっと動くあたりは「啓蟄の祭典」とも言うべきか、地中から虫がたくさん湧き出てきたかのようで、もっと本番の舞台の映像が観たかったな。

 練習風景は主にティーンエージャーの二つのグループを取材していたが、舞台の映像を観たら、小学生くらいのチビッ子も沢山出ていて、そっちは「クラッシック?だっさー」な自意識も芽生えてないので、実に生きいきと音楽に合わせてちょこまか動き回っていて「いーよなー、あたしだって、小学校のフォークダンスのBGMが生ベルリン・フィルだったら、もっと真面目にやったわよ」と思った。

 というわけで、映画の出来としては「まあまあ」なのだが、お約束のツボがきちんと押さえられており、ハンケチ片手にボロボロ感激の涙を流していたのでありました。
 これが、ベルリン・フィル来日前だったら、あたしもうっかり「5万円のチケット」を買っていたかもしれない。
 そんで、通路に飛び出てクルクル踊り、係員に退場させられていたかも(笑)

 そんで「だって芸術監督のサイモンさんが、こうしていいって言ったもん!」と暴れる。

 さて、けっこう感激したので、映画館の外に出ると「あれ?ここはなんでベルリンじゃないのお?」とまた軽い離脱感を感じながら、飲み会の会場に移動。

 初めてお会いする方がほとんどだった飲み会でしたが、ギネスのパイントをバカスカ飲みながら、楽しく過ごせました。お誘いいただいて、ありがとうございました。
 居心地のいいお店だったので、皆さん時間を忘れて熱く語っていたので、あっという間に終電時刻は過ぎ、1時過ぎに解散。タクシーで帰ったのだが、1800円だった。やはりこの部屋からはなかなか引っ越せない。
1月27日(木)

 某会議の後に懇親会をするから来ないか?と誘われ、「9時くらいまでホテルの会議室にいるから」と言うので8時頃に着いたのだが、そもそも何の会議なのかもよくわかってなかったので、しばらく「いったい、何を話し合っているのだろうか?」とボヤーっと見ていた。
 皆さんが、かわるがわるにホワイトボードをデジカメで撮影している姿が物珍しかった。
 ホワイトボードさんの記者会見って感じで。

 その後、新宿のヒューガルデンに移動して、ベルギービールを飲んだ。もう10時になっていたので、全員とてもお腹が空いていたのか、皿に山盛りになったポテトフライをバクバク食べていたのが可愛らしかった。あっという間に2皿が空になり、さらに追加で一皿頼んだのだが、またあっという間になくなっていた。

 帰りに下北で一杯じゃなくて二杯ひっかけ(ビターを2パイント)、家に帰ったら2時頃だった。
1月26日(水)

 私の育った郊外の住宅地には、当時まだ周囲に臓器林・・・・いやーん(かわいこぶってみました)・・・・雑木林が沢山残っていた。
 学校の校庭に続く雑木林は、「山」とか「森」と呼ばれていたくらい広かった。
 時々、なんの時間だったか、先生が生徒を引き連れて森を探索したが、往復すると丁度一コマ(50分だったのかね?忘れた)使ったくらいだ。

 当時はまだ「不審者」にそれほど神経質になっている時代でもなかったが、親たちは「女の子だけで森に入らないように」と子供を指導していた。でも、注意されなくても一人で入る気になるような森ではなかった。男の子だって一人じゃ怖かっただろう。
 うちの弟は、近所のお兄ちゃんと、その森を探検して遊んでいるときに、首吊り死体を発見してしまい、以降、我が家で一番の臆病者になったが、「不審者」や「変質者」の噂よりも、子供の間で流行したのは「あの森ではよく自殺する人がいる」という話であった。弟が体験してしまったように、実際に時々あったらしい。

 あるとき、友達が(誰だか忘れた)、森を眺めながらこんな話をした。たぶん、森の近くにあった公園にいたときだったと思う。
 「あそこの森は呪われているんだよ。だから、森に一人で入った人は気が狂って自殺しちゃうんだ」

 森は鳥たちの楽園になっており、カラスのねぐらにもなっていたようで、夕方になるとねぐらに戻る鳥たちの声が遠くまで聞こえた。
 「だから、『死ぬ』って言葉を言うと、鳥の鳴き声がピタっと止まるんだよ」
 と、その女の子は真顔で語った。

 ためしに「死ぬ」と言ってみたが、鳥の鳴き声は止まらなかった。
 「おかしいな。この間は、そうだったんだけどな」
 女の子は首を傾げた。
 そして「死って言葉に反応しているんだと思うの。だから「シ」だけでも止まるんだよ」と言ったので、私が小声で「シ」と呟いてみると、森は一瞬シーンとなった。
 「ね?」
 「うん・・・・」

 しばらく沈黙したあと、また森は鳥の声で満たされた。
 私はおそるおそるまた「シ」と声に出してみた。
 森はシーンと静まった。

 二人の少女は満足して、「暗くならないうちに帰らないと、おかーさんに叱られる」と、それぞれの家路を急いだ。



 という、小学生の頃の記憶がよみがえったのは、今朝、駅に向かう途中にある小学校の前を通ったら、やたらと鳥の鳴き声がビチバチうるさかったのである。
 雨が降っているし、大きな木に鳥が集まって雨宿りしているのであろう、と木を見上げたのだが、冬でも葉っぱを沢山つけている木だったので、声はすれども鳥の姿が全く見えない。

 木の真下を通り過ぎるときに、立ち止まって目を凝らしてみたのだが、そしたら鳥の鳴き声がピタっととまったので、鳴き声がするのがその木だかどうだかもわからなくなった。

 「この木じゃないのかなあ?」と思いつつ、歩きはじめると、10メートルくらい過ぎたところでまたビチバチと鳴き声が響き渡った。

 「なんじゃい?私が狐の匂いでも振りまいていたのか?しつれーな!」(フォクシーレディだから?)

 と、ちと不愉快になったのだが、人間の足音くらいで鳥の囁きがピタリととまるもんかね?
 しかも、通り過ぎた木をもう一度じっと眺めたのだが、近視のせいもあるだろうけど、あれだけビチバチうるさいのに、動いている姿が全く確認できなかった。

 小石のひとつも投げてやれば姿が確認できたのかもしれないが・・・・・

 というわけで、狐につままれたような気分で駅へ向かったのだが、それでふと「呪いの森」のエピソードを思い出しただけです。

 あの森も、20年後には見る影もなくなってしまった。永遠にある森だと信じていたのだが、あっけなく宅地開発されたのである。
 でも、ほんとはこういうこと書くの嫌いなんだけど、「呪いの森」は今でも私の心の中で鬱蒼としているのだ・・・・と気がついたので、ちょっと嬉しかっただけ。こんな幼児体験を持つ自分は、「富士の樹海」を観光気分で見学することはぜったいに無いだろう。
1月25日(火)

 昨日の昼前に、銀行に行く途中の交差点で信号待ちをしていたら、カワユイものを目撃。

 それは、レッカー移動される市営バスであった。

 もちろん、駐禁でドナドナされたわけでもなく(私の知人は、自分の車がドナドナされるところに戻ったとき、「それはオレの車だーーーー、どこに持ってくつもりだーーー」と叫びながら必死に後を追ったという。泣ける光景である。お財布もたっぷり泣いたらしい)、たぶん故障なんだろう。

 でも、大型バスがレッカー車に引きずられていく光景なんて、滅多に目撃できるものでもないので「わー、いいものを観た」と感激してました。
 それにですね、普通の乗用車でもレッカー移動されるときには、前輪だか光琳・・・・(これがトップに来たのをちょっと自慢したくなったので残す)・・・・後輪だかを持ち上げられるので、ナナメになりますが、バスがあの状態になると、それなりに迫力がありました。離陸寸前の飛行機ってかんじ。

 そして、それはなんとなく「銀河鉄道999」の車両の一つを切り取ったような絵柄なので、「おお、今、まさに飛び立つバス!」という躍動感を感じたのでありました。
 さらに嬉しいことに、乗用車と違い、大きなブツを運ぶので、それには特別なマニュアルがあるのか、それともスタッフの兄さんが私と同類なのかわかりませんが、とにかく一人がバスの中に乗っていて、真中にある出口を開けて、半身を乗り出していたのです。

 空に向かって飛び立とうとするかのようなバスから身を乗り出した青年・・・・・(か、どうか実はよく見えなかった。でも、オジサンでもなかったと思う)、向かい風になびく髪・・・・・・哲郎!

 思わず手を振りたくなってしまいましたが、でもやっぱ恥かしかったからやめた。それに、あっという間に通過しちゃったし。
 ドアから身を乗り出していた青年も、周囲が「あ、バスが牽引されてる」と注目するのはわかっているはずで、けっこうかっこつけてたと思います。かなり大掛かりな「ハコ乗り」と言えなくもないしな(笑)

 あれは日本では「危険だから絶対にやってはいけないこと」になっていますので、だいたい走行中にバスのドアが開くことなどないのですが、タイではよく若い男の子の車掌が無意味にドアを開けて、ああして気持ちよさそうに風を切っていたっけ。そんで通過する小さなお寺の前できちんと合掌していたのが微笑ましかった。

 昨日の夜は、フジテレビ月9ドラマの「不機嫌なジーン」を観てみたが、竹内結子は前にやってたアイホドラマ(キムタクが相手)よりも、いいと思うんだけど、相手役の内野聖陽がテンション高すぎでちょっと疲れた。二人ともセリフが多いし。どっちか片方は寡黙な設定にしたほうが落ち着くと思うんだが。

 「動物行動学者」が主人公なので、色々な動物や虫が出てくるのだが、その雰囲気はドラマ版「動物のお医者さん」を彷彿とさせた。あれもあんまし面白くなかったけど、「不機嫌なジーン」もイマイチっぽいな。人の行動を動物の行動に例えるときには、登場人物の語りではなく、いっそのこと「BBCの動物ドキュメンタリー」みたいに、アナウンサーのナレーションにしてしまったほうが、内容をちゃんと聞けたかもしれない。

 ふと思ったのだが、例えば昨日の放送で、内野が演じる教授が女友達と世間話しているところに、元彼女の竹内がやってきたので、内野が勝ち誇ったように「それは、なんちゃらカモと同じで、メスは自分が気に入ったオスが他のメスに近づくと、突付きに来るんだ。だからお前はオレのことがまだ好きなんだ」なんてシーンがあったけど(もう少し専門家っぽいセリフでしたけど、そんな意味のことを言っていた)、その程度の「科学知識をベースにした男女の会話」っていうのは、アメリカのドラマだと普通に交わされている。
 「アリー」とか「ER」とかで、よくそういう会話があるでしょ?

 もちろん、「アリー」や「ER」や「ホワイトハウス」は登場人物の多くが高学歴のエリート揃いなわけで、日本の大学生と同じようにドタバタ恋愛劇をやっていても、会話の端々にそういう「知的な要素」を入れるのが味なわけだろうけど。
 何が言いたいのかよくわからなくなったが、とにかく「不機嫌なジーン」で、わりと専門的なことをネタに会話を展開しているシーンが立て続いたので、「こういうのは、ボソっと入れるのが面白いのであって、全部をこうしてしまうとクドいだけだし、もしそうしたかったら、もっと上手くやってほしい」と思った。「もっと上手くやったもの」と言えば、漫画の「動物のお医者さん」であったりするんだけどね。

 あまりドンピシャな例えではないと思うが、「不機嫌なジーン」は、なんとなく「英語はなんとか喋れるようになりました」っていう状態のような気がした。
 ほら、よく「英語さえ出来れば・・・・」って言う人に「英語だけ出来たってダメだよ」って説教するじゃん?
 結局、いくら英語が出来ようと、事務アシスタントの仕事しか出来ない人は、単に外資系企業で事務アシスタントができるだけである。そりゃ、日本では普通のOLより、いくらか給料いいかもしれないが、それだけだ。

 だからこのドラマも「普通の恋愛ドラマだけど、登場人物が英語が堪能」なだけみたいな感じがしたのでした。英語じゃなくて、生物学の話をするんだけどね。その先を行かないと、私のハートは掴めなくってよ。
 せめて、人間の恋愛行動を全て動物行動に例える教授のライバルが、人間の行動を全て量子力学に例える物理学教授(グレッグ・イーガンを希釈したようなキャラね)で、二人の間に挟まれたヒロインは文学者で尾崎放哉が専門だったりしたら笑えるが・・・・・

 いや、「尾崎放哉とヒロシのコラボ」が、かなりツボに入ったのでちょっと思い出しただけです。
1月24日(月)

 やっと12月の伝票を全部入力したのだが、あちこち合わないところがあったので、クララに修正させたのだが、「あれ?れ?」と、なかなかドンピシャにならない。
 横でハイジが「ひょっとして、オレ?」と騒ぐ。
 期首仕分け(決算処理したものを戻す)をいろいろやったのだが、そのことを心配しているらしい。

 「うーん、うーん、あれ?れ?」とマイペースに考えるクララと、横で「やっぱ、オレ?オレ?」と妙にハイテンションで騒ぐハイジ。私は思わず「別に犯人探してるわけじゃなくて、合えばいいのよ、合えば!」と声を荒げる。
 それでも、クララのエンジンがなかなかかからないので「たぶん、これが売上に入っちゃってるから、こっちとそっちの売掛金が合ってないと思うわけ。だから、これとこれをそれから引けば・・・・・ん?・・・・足せばいいんだっけ?ああああ、私もなにがなんだかわかんなくなった。ともかく、ハイジが入れたこの数字が誤差になればOK」とか言ったら、ハイジは「やっぱ、オレ?オレ?」

 「いや、A君が入れた伝票はそれでいいんだけど、これとこれの差がその数字になるはずなので、それ以前に何かが違っているらしいけど、それが発見できなかったから調べてもらってるんだからさあ」
 「でも、なんかオレっぽいなあ」

 あいつ、100回くらい「オレオレ」を連発してたぞ。
 「オレオレ詐欺」か「マツケン・サンバ」(♪おれーおれー)か?と思ったが、口に出さないだけの理性をなんとか保った。
 午後になっても、3人でギャーギャーやっていたので、K嬢に「今日の経理課はおもろい」と誉められた

 夕方になって、ハイジも「オレオレ」言わなくなったころ、クララがポツネンと「あ!やっとわかった!そっか・・・・」と一人でひっそりと「超時間差ユリイカ攻撃」をしていた。
 それを受けてハイジがひっそりと「やっぱオレ?」と言ったのが、おかしかった。
 「いえ、私がよくわかってなかっただけです」とクララがきっぱり言って、今日の仕事はおしまい。

 いつも、こんなふうに仕事が楽しいといいな。

 鈴木クニエさんも「ハウルの動く城」をやっと観たようで、その感想が「キムタク、アニメの声だけこれからやっていってくれまいか」ので、「ははは、私もそう思った」と感激。

 だいたい、ハウルの声をキムタクがやっていることなんて、すっかり忘れていたのだが、ハウルが登場したとたんに「なんだ?この超絶王子様声は?」とびっくりして、「そういえば、キムタクがやるって言ってたよな?」と思い出したのだ。

 キムタクの器用さは認めていたが、悪ノリすると、こんなこともできるんだ。
 演技だと、どうしても型にはまってしまうし(あの「型」も最初は新鮮だったけど、そのうちあれしかできないことが露呈してしまった)、松田優作を意識したような低音の地声で喋るのが好きみたいだけど、あれを一切排除すると、こんなふうになるんだ、と感心した。

 彼をキャスティングした人は偉いなあ。王子様になることを否定して、自分に必死に泥を塗っているタレントに(でも「泥パック」程度だけど)、王子様をやらせたんだから偉い。しかも、あれだけの王子様をやらせたんだから・・・・
 そりゃ、ミッチー王子にやらせりゃ、そのまんまだったかもしれないが(荒地の魔女の三輪明宏みたく)、でも、あえて「オレってけっこう泥臭いんだぜ」っていうキムタクにやらせたことに意義があったと思う。

 キムタクが声をあてる「機関車トーマス」をちょっと試しに観てみたいと思った。

 そういえば、今日の新聞に、ルーブル美術館が「ダヴィンチ・コード」のロケを許可したというニュースが載っていた。それを読んで知ったのだが、監督がロン・ハワードで、教授役はトム・ハンクスなのね。
 ううう〜〜〜〜〜ん。まあ、金のかかりそうな作品だから、しょうがないか。
 でも、最近、トム・ハンクスが出てくる映画がよかったことがないのよ。あんまし観ないんだけど。「フォレスト・ガンプ」でかなり挫けて、「グリーン・マイル」で「もう、トムの映画は観るのやめよう」と決意したのであった。
 私の中ではディカプリオと同じくらい「予告編観た瞬間に、観に行きたい気持ちが消滅」するという稀有な役者である。二人とも「ドル箱」なことが、複雑な心境なんだけど、まあ、私がただ変わり者なだけなんだろう。
 「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(なんかちゃんと邦題つけろよ)なんて、「二大苦手」が勢ぞろいしてしまったので、クリストファー・ウォーケンが出ていても、どうしても足が向かなかったもんな。

 話は飛ぶが、ミッチー王子と言えば、役者としては大好きだけど、どうも歌がダメで・・・・・曲も気色悪いし、歌も気色悪くて、だから最初のころは「面白い」とは思ったけど、あんまし好きになれなかったのだが、演技観たらイチコロでした。
 しかし、先週、フカキョン主演の「富豪刑事」を観たら(出来の悪い「トリック」みたいだった)、最後に流れた曲がミッチーが唄う「愛のメロディ」で、これはツボにはまった。これもけっこう気色悪い唄い方しているのだが、でも曲の良さがそれを支えていているので、ミッチーの歌手としての才能をやっと評価することができた。
 私が知らないだけで、こういうカバーをよくやっているのかもしれないが、あのテの曲を歌わせると気色の悪い歌い方が映えるのがわかったので、「ルビーの指輪」とか「時には娼婦のように」にも挑戦してみてほしい。あと、郷ひろみの曲は全部イケると思う。ミッチーが唄う「ハリウッド・スキャンダル」とか聴きてー(すでにやってそうだけど)
1月23日(日)

 酒で全てを台無しにした話。

 関係ないが、CMも放送している「ダイナシティ」という不動産会社があるけど、あの社名を見聞きするたびに「だいなし?」と思うのは私だけなのか?なんかシムシティで街づくりに失敗したような感じがする。
 あそこの社員が、営業電話をかけると、取り次いだ人が「だいなし?っていう会社からなんですけどぉ」なんて言ってそうな気がしなくもない。

 と、くだらない脱線を最初からカマしたので、ちょっと元気になってきた。
 で、何があったのかというと、昨日は出勤だったのだが、真っ直ぐ帰宅したので、わりと早い時間から家で酒を飲んでいた。しばらく酒を控えていたのであるが、「週末だし、たまにはパーーーっと」という気分だったのである。

 日記書いているときには、すでにかなり酔っ払っていたのだが、その後、本を読みつつゴロゴロしていたら眠くなってきた。でも、まだ11時だったし、もうすぐ「美しき日々」が始まるので眠いのを我慢していたのだが、「そうだ、寝ながら観よう」と思って、洗面を済ませ、部屋の電気も消して、布団に潜り込んで、ドラマが始まるのを待っていた。

 気がついたら、何時だったのかわからないが、すでにERも終っていて(2時過ぎってこと)、ドキュメンタリーの再放送みたいのが流れていた。

 テレビだけが灯りを放つ暗い部屋で一人横たわりながら、激しい絶望感に襲われた。
 どんよりしちゃって、何も考えられなかった。
 酔っ払って、楽しみにしていたビョン様のドラマを見逃すとは・・・・・なんたる失態。

 これはやはり酒をやめるか、DVDレコーダを買うしか選択肢が無い。
 そう決意して、今日はさっそく電器屋に行こうとしたのだが、真夜中の絶望感からなかなか気分が戻らず、「どーせ、あたしなんて・・・・」とイジイジしているうちに、天候も悪くなり、結局外出できなかった。

 「ハウルの動く城」を観にいったときに、本を持ってなかったので、本屋に寄ってみたら先日観た「マイ・ボディガード」の原作である「燃える男」の文庫本を発見したので、それを買ったのだが、昨日からずっとそれを読んでいた。
 主人公クリーシィもアル中でダメダメになっているのが冒頭の設定なのだが、なにせハードボイルド小説なので、登場人物がみんなバカスカ酒を飲むため、ついついご相伴してしまったのがよくなかったのであろう。

 今日の午後も、続きを読んですぐに読み終わった。

 映画を先に見てしまったので、小説の中のクリーシィが白人だということに慣れなかったけど、でも映画では触れなかった女関係がみっちり描かれていたので「映画でも、少女の母親とは一発やってほしかったなあ」と思った。映画でも、クリーシィに惹かれる母親の心境は仄めかされていたけど、その辺を掘り下げちゃうと映画が3時間超えちゃうからな。

 「燃える男」で、私が「万物理論」で感じたストレスはかなり一掃された。やっぱり、いい男にいい女がすぐに寄ってこないとな。

 それにしても「マイ・ボディガード」の脚本は原作を大胆に料理したもんだ。小説はマフィアが跋扈するイタリアが舞台だったが、映画ではメキシコになっていたのも良かったと思うけど(現代の設定だとイタリアよりも、南米の治安の悪さの方が効果バツグン)、それだけではなく、かなり話の筋をばっさりと変えていた。

 主人公に協力する人物も、小説では大勢出てきたが、映画ではウォーケン様が一人でその役を担っていたし、映画では病院を出た主人公がいきなり復讐劇に突入するが、小説だと田舎で鍛えなおしていたのだった。その田舎がかなり魅力的なところで、小説でもかなりの核になっているのだが、映画はバッサリとそれを切り落としていた。

 それほど長い原作でもないのだが、1時間半の映画にまとめるのって大変な作業だよなあ。
 こういう仕事の過程って、どうなってんのか興味がある。まあ、あらすじだけ頂戴して、あとは脚本家の腕ってこともあるだろうけど、あまり原作に入れ込むと映画にならないし、原作の味を消し去ってしまうと、映画も別物になってしまう。

 この映画に関しては、主人公の周りから女を排除して、中盤の田舎でのエピソードも切ったことがよかったのだろう。主人公と少女の繋がりに絞って、母親の感情を仄めかすだけにしたことで、原作とは違うラストに引っ張ったのがよかった。
 少女との交流は、小説よりも映画のほうがよくできてたと思う。小説だと、少女がけっこう計画的に彼の心を開こうとした過程が描かれているのだが、映画だとそれが映像とセリフで語られるだけなので、そっちのほうがよかった。
 小説では、二人の距離を決定的に縮めたエピソードとして「運動会の100メートル走の練習」になっていたが、映画では水泳の大会になっていた。小説としてはどっちでもいいが、映像的には水泳のほうが迫力があったので、映画スタッフの技に感心。
 また、映画では軍隊の訓練のように少女を指導する様子で、主人公が優れた軍人であるという前フリがなされたので、そういう演出も秀逸だったな。

 小説だと、復讐を始める主人公はすでにターゲットを決めていたが、映画だと、まず下っ端を拷問してから、だんだん核心に近づいていくという設定になっており、そのあたりの展開は映画のほうに軍配があがった。

 まあ、要するに「映画」も「小説」もそれぞれ味わいがあり、どっちもけっこう楽しめましたということである。最初に小説を読んでいたら、どうだったのかなあ?小説はかなりのんびりと進む話だったし、後半の復讐劇もわりとあっさりとしていたから、そこに半分をつぎ込んだ映画は小説の方のファンにはどぎつかったかもしれない。

 「ハウルの動く城」も原作があり、映画はやはり独自のエピソードをくわえられているらしいので、あっちも原作に挑戦してみよっかなあ。

 そーいえば、映画館にはやっと「無間道3」のポスターが貼ってあった。「1」は観たけど「2」は結局観なかったが、「3」はレオン・ライが出ているらしいので、駄作だとわかっていても、観ないとね。

 結局、「燃える男」の原作を読んじゃったのも、ただ単に「デンゼルたん萌え」が行き過ぎただけだ。
 好きな役者が出ていると、駄作だとわかっていても金を惜しまないので、それがたまたま「けっこうよくできてる映画」だと、すっげく得した気になって「すばらしい」と評価してしまうだけなのかもしれない。

 えーと、あと、今やっている「東京タワー」をどうするかが、ちょっと悩みでもある。「岡田君目当て」で新春から立て続けにテレビドラマは観たが、映画に1200円(レイトショーしか観ないから)払えるかどうか、ケチな私は精一杯逡巡しているのであった。
1月22日(土)

 日記書いてませんでしたが、忙しかったのです。私なりに・・・・

 一昨日は、「トリビアの泉」を観たあとに、いよいよ「万物理論」の残り3分の1に取り掛かり、読み終わったら、ぐったり疲れたので風呂入って寝た。

 しっかし、疲れる小説であった。「なかなか読み進まないけど、面白い小説」というのは多いけど、最近私が読んだのだと、高村薫の「晴子情歌」とか、ロッジの「作者を出せ」なんかがそうだったけど、なんで「なかなか読み進まない」かというと、文字数が多いのもあるが、ついついじっくり噛みしめてしまうからだったんだけど(あと、途中で「あれ?これはあれと関連するのか?」と思って、前の方を読み直したりするもんだから)イーガンの長編は初めて読んだが、この人の長編が読み難いのは、私の頭では理解できないような記述が多く、フツーそういう場合「こういうのは雰囲気だけざっくり掴んで、飛ばせばいいわけよ」とナナメに突っ切るのだが、イーガンさんは意地悪だから、それがとても困難なように書いているのだ。

 短編だと、例え登場するテクノロジーの記述が小難しくても、「とにかく、なんだか凄いんだな、エイ!」と気合で済んだのだが、長編だと、どの辺りが気合で乗り切れるものなのか、考えながら読んでいても、どこをザッパリと切ればいいのかわけがわからず、「ま、いっか」と思って先に進むと、さっき放置したことがまた念入りに蒸し返されたりするので「あれ?あそこはけっこう重要なの?」と思って、もう一回挑戦するのだが、やっぱしさっぱしわからず、それでも、そういうことを何回か繰り返していると「基地外のたわごとにしか思えんわい」なことも、なんとなくアウトラインが漠然とわかってきたようになって、「お、だんだんノレてきたぞ」と期待していると、またサっと梯子を外してきたりするので「こんのヤロー」とムキになっているうちに、読み終わってしまった。

 あとからよーく考えてみると、これは「長編」であるが、短編の継ぎ合わせのようなもので、無理やり関連させているだけだったのだ。なので、その「継ぎ目」がわかり難いので、苦労したようである。
 ダン・ブラウンの「秘密結社の陰謀が!?」なベストセラー2作と似ているつくりになっていたので、ついついそういう「普通のミステリーを読んでいるような気分」になってしまったのが、よくなかった。でも、人並みにドンデン返しとかやってくれるんだもん。それも、2重に。本人、エンターテイメントなミステリー仕立てのSF書いているつもりだったのかね?

 いや、「つまんなかった」と文句を言っているわけでもなく、私は生半可なSF読者であるが、それでも、この人の描く「人類が到達する未来の姿」というイメージ自体は嫌いではない。ちょっとラリラリ系ではあるが・・・・(端々にラリラリ系を肯定するようなエピソードが出てくるのが可愛いといえばかわいい。ビート系の詩がどうのとか、マジックマッシュルームがどうのとか、ひたすらMDMAっぽい「酒の代用ドラッグ」とか)

 彼の紡ぎ出す世界から感じるのは、ちょうど私が携帯電話の普及を受け入れつつも戸惑っているような、そんな視点なので、そういう雰囲気はとても好きだ。
 ふと想像してみれば、100年前に「ケータイ文化」な世界を描いたとしたら、イーガンっぽくなっていたかもしれない。

 これはいつも私が夢想することだが、1000年前の人たちに、今の自分の生活を語って聞かせたら、それだけで立派なSFになる。蛇口を捻ればお湯が出て、夏でも冷たい飲み物が飲み放題、遠くの友達にもあっという間に「文」を送ることができて、地球の裏側までも一日で行くことができるし、頼朝が義経に、じゃなくて逆か、とにかく「腰越状を出しました」なんてニュースはその日のうちに商人や農民でも観ることができる。

 それに比べれば「万能医療システム」とか(短編にも出てきたのでお気に入りみたい)、遺伝子操作の行き着くところなんていうのは、今の私らが「そのうち本当にそうなるかもな」と想像できる範囲である。
 でも「性の放棄」っていうのはどうなんだろう?

 「万物理論」では物語の大筋に不要だとも言える「性」にまつわる話がけっこう出てくるので、それに振り回されると、「ん?で?どーなわけ?」と路頭に迷う。

 うーん、よくわからんが、ああいう話にするのなら、いっそのこと主人公のジャーナリストを「汎性」(人工的に性を排除)にしちゃったほうが、物語にのめりこめたかもしれない。
 そんで、汎性のジャーナリストが、なぜか「男性」(女性でもいいけどよ)にのめりこむ、という話にしたほうが、SF的に面白かったと思うなあ。

 そう思うのも、中盤は主人公の「男性」がちゃんと描かれてなかったからだ。「汎性」にひかれていく過程も飛ばして、いきなり好きになっていたので、まあ、そういう「ダメな男」という説明は前半で彼女にフラれるあたりでやっていたので、やろうとしていることはわかったが、「でも、もっと上手い作家なら緻密にできたのにぃ」と思った。

 とにかく、魅力的な話ではあるが、登場人物が誰一人として魅力的に描かれていないことに驚く。

 ある意味、イーガンという作家は天才なのかもしれない。普通は作者が気に入ったキャラは、もう少し書き込んでしまうはずだ。

 SFファンでもなく「物語好き」の自分としては、イーガンのキャラ描写は衝撃的とも言える。
 魅力の無い主人公は、普通の作家なら「女にはフラれるが、でもけっこう仕事が出来るやつ」と描くだろうし、アフリカ系で20代でノーベル賞を受賞した女性物理学者に、普通だったらジャーナリストの主人公が多少なりとも「ムラっ」と来ないといけないだろうし、ジャーナリストが遭遇する「汎性」はは、彼が「ひとめぼれ」したことを匂わせておかないと、後の話が繋がらない。

 そーゆーのを全部すっとばしやがって・・・・・・・

 しかも、そういう「お約束」をすっとばして、どうするかっていうと「主流と反主流と穏健派は何がどう違うのだ?」というのをネチネチを書くので、先日も書いたけど「だから、おめーは女にフラれるんじゃ!」と、世界の中心で「イーガンのばかあ!」と叫んでいる私をイーガン君は「だから女なんてきらーい」と冷たく無視しているかのようである。

 何を言いたいのかよくわかりませんが、非モテ連(・・・・・?そんな学生運動みたいな名前じゃなかったな?非モテ・オルグだったかね?そっちのほうが学生運動っぽいか。笑)のメンバーから「イーガンは間違いなく現代指折りのフラレ小説家です。保証します」との励ましの言葉をいただきました。

 やっぱし、そーなんですよね?

 この人のビジョンって、結局「モテなくても幸せになれる世界」を豊かな想像力で、いきつくところまでいちゃった世界なんですよね。
 短編では、華麗なる未来のイメージで霍乱されてましたが、長編でやっと気がついたよ私は。

 よく「女の業」と言いますが、イーガンには「男の業」があるよな。てゆーか、それを消し去ることで、逆に浮き出てくる「業」というのかね。
 誉め言葉としては、それがあまりに深いというか深さを通り越して、もはや「チャイナ・シンドローム」というべきか、そういう悲しさが、イーガンの小説を彩っていると思うので、人類的な文化遺産としてはいいんだけど、この人、これでいんだろうか?という、なんでも「等身大」で考えないと気がすまない私は心配なんですが、でもたぶん「ダメな人」でも、これだけ華麗にダメ人間ができるというのも才能の賜物なのでしょう。羨ましいような、全然羨ましくないような。

 以上は、それなりに「絶賛」しているつもりなのですが、とてもそうは思えないあたりが私の「癖」でして、そういう屈折した自分には、イーガンの屈折ぶりもなんとなく想像できるので、それがわかるからこそ、彼の屈折した部分には目をつぶってあげたいと思ったのでありました。

 で、イーガンの件は他の長編読んでませんから、しばらく寝かせておくとして、「万物理論」を真面目に読んでくたびれてしまったので「もっと、単純にエンターテイメントな作品を鑑賞したいなあ」と思って、昨日は会社帰りにやっと「ハウルの動く城」を観にいったのでありました。

●「ハウルの動く城」

 他人の感想に乗っかるのもプライドがなかなか許さないのですが、今回ばかりは、m@sterevison氏の映画評を思い出して、「その通りだ」とゲラゲラ笑ってしまったのでありました。

 うん、でも、面白かったよ。ストーリーの無さも好きだった。でも、
話に教訓があるわけでもなく、反戦平和を声高に主張するのでもない。
 というのには、ひっそりと反論しておこう。

 「ハウルの動く城」の教訓。

 掃除が好きな女の子には、王子様や美形の魔術師がプロポーズしてくれる!

 今まで観たジブリ作品の中で、私にとっては一番「性差別的」だったわよー
 訴えてやる〜〜〜〜(号泣)

 キムタクの声で喋る池田理代子キャラと「いがらしゆみこ」キャラが合体したような、要するに「スパッツにシャツをたくし込んだ美形おにーさん且つ甘い声」な「ハウル」は「片付けられない症候群」らしいが、彼の気を引くのには掃除ができないとダメなんですね。

 映画はレイトショーで観たので、家に帰ったらもう12過ぎ。ハウルの城にはやや及ばなかったが、ソフィが観たら「あらあら、まあまあ」と言いそうな部屋に帰って、シクシク泣いてました。

 どーせ、どーせ、女の子なんて家事ができれば地味でもブスでも、いいんですよね?

 くっそー、私はハウルよりももっと偉大な魔法使いになって、家事できる男しか城にいれてあーげないっ!

1月19日(水)

 やはり疲れていたようで、昨日はわりかし早く寝たのだが、今朝10時前に目が覚めても、全然起き上がれず(会社は元々休みの予定)また寝なおして、12時頃には起きようと思ったが、なんだかうつらうつらと浅い眠りが途切れない。
 α波に漬かったような状態だが、このパターンだと「ついうっかり夜まで寝てしまう」と確信したので、なんとか1時には布団を這い出したものの、「なーんもしたくない」という気分。

 そういうときは映画でも観にいくのがいいと思って、ちょうど観たい映画が三茶でやっていたので、遅い昼食をとってから映画館に入った。

●ぼくセザール 10歳半 1m39cm

 去年の夏くらいに公開されて、わりと評判よかった映画。ロードショーで観れなかったので「そのうち三茶でやるだろう」と期待していたのだ。
 フランスの普通の子供が主役の、「ほのぼのモノ」
 まあ、評判どおりにそこそこ面白かったが、わざわざ電車に乗ってまで観にいくほどのもんでもなかったので、三茶のレトロなロードショー落ち映画館で観るくらいでちょうどよかった。

 わりと描写があっさりした映画で、親たちの描写は特にあっさりしていて、そのあたりは不満だったけど、通っている小学校の先生が変な先生ばかりで(お色気過剰の国語の先生とか、タカコト英語で生徒を鼓舞するイケイケ体育教師とか)それがギャグなのか、現実もそんなもんかのかよくわからない。「アメリ」くらい、おとぎ話に徹してくれれば、あれはあれで面白かったけど、あそこまでデフォルトしてくれなかった。

 アンナ・カリーナも出演者に名前を連ねていたので「どいつだ?」と思っていたが、ロンドンでフレンチ・カフェを営む豪快というか、アン・ルイスみたいなゴス系というか、ストロベリー・スウィッチブレッドが55歳になりましたなオバサンを演じていて、後半はその人が救世主のように、なんでもやってくれたので、それもちょっと拍子抜け。

●17歳の処方箋

 こっちは17歳が主人公なので、「おフランスといえども、10歳だと男女が同じベッドで寝てても何も起こらない」というさっきの映画とは違い、ベッドシーンもある。
 主演はキーラン・カルキン君。マコーレ・カルキンの弟なのかな?(2歳下らしい)
 カルキン兄弟に詳しくないのだが、どうも他にも兄弟がいるらしいと気がついたのは、キーラン君演じる主人公の子供時代を演じている子役が「ホーム・アローンの頃のマコーレにクリソツ!」だったのである。その子役はロリー・カルキンというらしい。

 マコーレ君が1980年生まれで、それでもまだ20代前半だが、ロリー君はまだ10歳くらいのようだ。カルキン家は役者を量産しているなあ。
 兄弟で俳優といえば、ボールドウィン兄弟を思い出すが、あっちは全員育ち過ぎてしまったので、弟が兄貴の若い頃を演じるのには無理があるけど、劇中では17歳の役であるキーランの10歳のときをロリーが演じるのは全く自然で、「キャスティングスタッフがこれで一人失業したな」と思った。(面影が似ている子役を探すのは、腕の見せ所のはず)

 スーザン・サランドンが上流階級の猛烈ママで、兄貴は母の思うままに成長して、コロンビア大学に通っているが、弟は反抗期まっさかりで、高校を放校になり、いろいろヤンチャばっかり、という映画であった。
 父が精神病院に監禁されているので、兄弟の後見人は母の友人である実業家で大金持ちのジェフ・ゴールドブラムなのだが、それに擦り寄っている「自称アーチスト」の美人やその友人たちの「才能も無いけど、プライドだけは高く、結局、ヤクの売人をやって日銭を稼いでます」な描写は陳腐であるが、まあまあ楽しめた。

 まともなはずの兄貴が、実は酒浸りだし、けっこう女たらしなあたりがもっとクローズアップされてれば面白かったのに。てゆーか、兄貴のほうを主人公にして(ルックスは、「アナザー・カントリー系」ですた)、彼の視点で弟を描いたほうが面白かったんじゃないかなあ?

 弟にしたって、すぐにオネーサンが食ってくれるという「うまやらしい」という状況で、いったい何が不足やねん!

 というわけで、38歳のうだつのあがらないネーさんは、「10歳や17歳には戻りたくねーな。あー、やだやだ。今が一番」と、己の年輪を肯定できたので、うだうだした休日のセレクトとしては及第だったようでございます。

 そーいえば、映画の前後に「万物理論」を読んでいて、やっと3分の2くらいまで読み進んだのであるが、このSFも人物描写がかなりそっけないので、話に潜り込むのが難しくて、なかなか読み進まない。
 つーか、コ難しい記述が多いので、どの程度読み飛ばしていいのか、よくわからないのである。
 「ああ、この話をダン・ブラウン(ダヴィンチ・コード)が書き直してくれたらなあ」
 けっこうミステリー仕立てで話が進むので「で?どうなるわけ?」というハラハラ感は多少あるのだが、ダン・ブラウンみたいに、わっかりやすく展開してくれないので「もっとエンターテイメントに徹しろ」と説教したくなるのだが、ハードSFってこういうもんなのか、あんまし数をこなしてないのでわからんが、「近未来のテクノロジー」の描写はとても魅力的なんだけど、人物が全く魅力的に描かれていないし、せめてノーベル賞を27歳で受賞したアフリカ人天才物理学者の女性は、主人公のジャーナリスト(彼女にフラれたので、ヤケクソで取材に来た)の劣情を刺激するような描写をしてくれないと・・・・・

 でも、なぜか主人公が彼女にフラれる序盤の記述は、なかなかのもんだった。
 作者のグレッグ・イーガンもこういう経験が豊富に違いない。
 女性読者に不親切な登場人物設定からも、「こいつ、女心が全くわかてないな」と確信できる。

 頼まれれば、一時間くらい説教してさしあげてもよくってよ。

 でも、そっち方面に全く関心がなさそうなあたりが、この作家の魅力なのかもしれない。まだ読み終ってないが、気が向いたら他の作品も読んで検証してみよう。
1月18日(火)

 今日は普通に出勤。思ってたよりも体の疲れはなかった。体調がいいときでよかった。まあ、たいてい体調はいいんだけど。ついでに頭の調子も。(基本的に能天気のまま水平飛行しているが、ここ数年はたまにエアポケットに入るときもある)

 さて、出勤するとすぐに税理士事務所のガシャガシャと喋る担当者から電話があり「税務調査の準備はできましたか?」っとワシャワシャと元気よくしつこく聞かれたので、「いえ、他部署の応援でそれどころではなく・・・・・」といい訳する暇もなく、「まあ、ミヤノさんはいつもちゃんとしっかりやってらっしゃるでしょうから、事前準備っていっても、ほとんどやることはないでしょうけど、でも、ね?ね?(これが口癖なので、けっこう疲れる)一応、請求書とか領収書も揃えないといけないし、まあでも、ね?向こうがあれこれ要求してから出してもいいんだから、全部揃えておかないといけないものでもありませんし、ね?ね?でも、ミヤノさんは税務調査に立ち会った経験がおありだというから、だいたいわかってらっしゃるでしょう、ね?ね?」というような話を10分くらい聞かされて、朝からぐったりと疲れた。

 用件は、ただ「来週、書類が揃っているか、確認に伺いたい」というのと「源泉徴収の合計表ができていれば、チェックしたい」というのと「償却資産の申告書が届いていたら、それもお願いします」という3点だけだった。

 他部署の手伝仕事明けでボーっとしていたが、その電話のおかげさまで「そーよ、これが本当の私の仕事なのよ」と、目を覚ました、と言いたいところだが、「あああ、そうだ、あの仕事がまだだった。全部溜まってるじゃん」と、がっくりきた。

 年末は決算で手一杯だったし、正月休みと正月ボケが加算され、それを「他部署応援」が累乗して、なにもかも後回しにしていたのだが、税務調査も迫っているし、源泉徴収の合計表も1月末が期限なのである。
 今日はそれらの仕事をちんたらやって(役所の書類は記入欄がわかり難く、しかも毎年微妙にフォーマットが変わるので、昨年度の控えを見つつやっていると罠にはまる)、夕方になったら、仕事にも飽きたので、昨年末から溜まりに溜まった不要書類をドカドカ捨てて、引出しが一つ空いたので気分よかった。

 このペースでやれば、1月中にはなんとか仕事のペースを取り戻せそうだ。そうなると、けっこう暇になってしまうんだけどね(笑)

 話は変わるが、電車に乗っていたら、ふと思い出した子供のころの記憶。

 あれは、房総の東京湾沿いの海岸でのことだと思う。木更津からさらに南下した海岸に、父親の会社の保養所があり、毎年のようにそこに海水浴に行っていたのだ。
 保養所は海岸の外れにあって、すぐ目の前は砂浜ではなく、堤防があって、その先が「磯」だった。
 明るい時間は砂浜で遊ぶが、夕方になると保養所に引き上げるついでに磯で遊んでいたような気がする。潮のひいた磯には、蟹がたくさんいたり、水溜りになったところに取り残された海の生き物も楽しかった。

 あるとき、そこで熱心に岩を金槌のようなもので叩いているオジサンがいたので、母が「何をしているんですか?」と声をかけてみると、「貝をとっているんです」
 「岩の中から?」
 「そうなんですよ。この貝は岩の中に潜っているんです」
 「どうやって、中に入るんでしょう?」
 「さあ(笑)、小さいうちに隙間から入るんでしょうかねえ?」

 家族で、そのオジサンの作業を観察していると、たしかに、オジサンがガツンガツンと崩した磯の岩の中から、化石のように貝が掘り起こされていた。
 「へえ、こんなのなんだ」
 その貝は、細長い形をしていた。大きさは大人の親指くらいあったと思う。

 「これって、どう料理するんですか?」

 しつこく質問を繰り返すうちの母親に、嫌な顔ひとつせず、オジサンは岩を砕きながら淡々と解説してくれた。

 「味噌汁にするんですよ。アサリの味噌汁みたいに。これが、いいダシが出るんで、わたしは民宿をやってるんだけど、毎年来るお客さんに、ぜひあれがまた食べたいって言われてねえ。だから、採るのが、この通り、とても手間がかかるんだけど、頼まれるとこうやって掘りに来るんですよ」
 「へええええ」

 オジサンと会話していたのは母親だったし、私は小学生だったので、あまり憶えていないのだが、たしか、そのオジサンはその貝を「とこぶし」とか「とこぶしみたいなもん」と説明していたと思う。そのときに「とこぶし」という単語を覚えて、語感がいいのでずっと覚えていたが、「これが、とこぶしです」というのをちゃんと食べたこともあまりないような気がする。関東ではあまりメジャーじゃないのかな?

 そんなことをふと思い出したので、ネットで検索してみたのだが、「とこぶし」は「あわび」に似ているらしく、岩の間に生息しているみたいで、「岩を掘る」という記述は見つからなかった。
 どうやら岩の中にもぐって生息する貝は「穿孔貝」という種類らしい。ニオガイ、イシマテという名前も出てきたが「おいしい」という記述は発見できず、どっちかというと学問的な記述ばかり。化石というか、地層の中に生息した跡が出てくるらしい。

 30年くらい前の千葉の海で、あのオジサンが黙々と掘り返していた貝は、いったいなんという貝だったのだろうか?
 もしかしたら、今はもう採れないのかもしれない。
 あのころ、化石みたいに掘り出された貝を見ても「おいしそう」とは全然思わなかったくらい幼かったが(カレーとハンバーグがご馳走だったので)30年近くたった通勤途中の電車の中で、その記憶がフラッシュバックして、「あの貝の味噌汁が今とても食いたい」とヨダレていたのでありましたことよ。
1月17日(月)

 もお、ほんどにづがれだびょ。

 今日はほんとに久しぶりに町田事務所の応援。
 いつもだと、総務は「私以外全員出動」なのだが(経理がいないと急に現金が必要なときに困るため)、今回はなぜか経理が全員出動。お留守番役になるK嬢が「金庫はどうするんだろ?」と心配していたので、「会社が決めたことなんだから、しゃーねーでしょ(笑)」ということで、念のためT部長に金庫の鍵を預けて「なんかあったら対処よろしく」とお願いしておいた。

 ここ2年くらい町田事務所には多分行っていないし、昔は相模大野に住むA嬢宅に遊びに行ったりもしていたが、今は彼女の住まいは中央林間なので、田園都市線で行けるため、小田急線で下北より先に行くことなんてほとんどなかったらしいということに気がついたのは、「あれ?成城学園前って地下になったの?」と驚いたときだった。

 たしか、田園調布駅もいつのまにか地下に潜入していなかったか?
 有名高級住宅街駅は、地下に潜る決まりでもできたのだろうか?

 そんで、多摩急行というのに乗ったのだが、ずいぶん前だが千代田線で下北方面の電車に乗ろうとしたら「唐木田」行きという謎の電車がやってきて「そ、それは、埼玉方面なのか神奈川方面なのか、どっちなんだ?」と、とっさにわからなくて、飛び乗ることができなかった。そのときに、いつのまにか百合丘あたりで分岐する線があることを知った。

 座れなかったので、ぼんやりと窓の外を眺めていたら、いきなり普通電車を追い越し出したので「な、なぜ、こんな山手線と京浜東北線のようなデッドヒート?」と戸惑ったが、小田急線は生意気にも「複々線」になってたのである。(全部じゃないとは思うけど)
 普通だったら、急行が追い越す駅で普通電車が先に待っているものだが、その駅では普通と急行が同時にプラットホームに入っていたのであった。

 そんなわけで、昔から「ややこしいから嫌い」と思っていた小田急だが、しばらく乗らないうちに、さらにややこしく進化していたのであった。

 小田急線の町田の駅も、いったいどこから出ればいいんだかよくわからなくて、めったに行かないから、いつも反対方向の出口から地上に出てしまうので嫌いなのよ。今日もやっぱし反対側に出てしまった。

 早めに事務所に到着したのだが、すでに着いた応援社員や、昨日からずっと仕事しているらしきその部署の社員たちが、ガシガシと作業していた。
 いつも、この時期にはバイトが足りないし、処理する仕事が多いので、応援が要請されるのだが、それでもたいてい6時くらいには終るのだが、今日はほんとに「各部署の留守番担当者」を残して、ほぼ全員が応援に借り出されているようなので、かなり緊急事態なのはわかったが、「でもこんだけ人数いるんだし」と楽観していたのだが、甘かった。

 8時までたっぷり仕事してしまいました。作業自体は「バイトの仕事」なので、たいして難しくもないのだが、慣れない作業なんで神経使う。バイトのチーフ嬢に「これはどうするんですか?」って社員があれこれお伺いをたてて「ああ、これはこうしてください」なんて指示を受けて進めるのだ。
 バイトのチーフはかなり優秀な人が多く、そのまま社員になる人も多い。私の同僚であるハイジもクララも「バイトあがり」であるし、我が社の管理職のほとんどがやはりそうなので、みんな現場に行くと実に生きいきと「書類の数をチェック」なんてやっている。

 私はお札を数えるのも苦手なナマクラ経理であるが、書類カウントはさらに苦手なので「何回数えても数が合わない〜、この書類は呪われてる」などとボヤきながらやってました。あと腱鞘炎になりそうなほど、ホチ止めしたりとか・・・・・、あとやはり超苦手な「番号順に並べ替え」とか・・・・・欠番が多いので、どういう手順でやったらいいのか、慣れないと戸惑う。

 学生時代に信託銀行で「証券の名義書換」のバイトをやったことがあるが、あんときも「ソート」が苦手でさ。そういう方面の知能指数が低いらしく、数字を見てテキパキと判断できないのである。
 ゆっくりやっても間違えるが、スピードを要求されると、もうボロボロである。

 前にも応援の仕事でヒーコラしてしまったので、今日は開き直って「自分のペースでゆっくりやろう」と、隣の人が例え私の倍のスピードでさばいていても、焦らずにゆっくりやっていた。

 もう年とると、慣れない仕事に慣れるのにも時間がかかるし、やっと慣れたと思ったらすでに終わりだったりして、そんで、1年に1回くらいしか手伝わないので、次回にはすっかり忘れてしまうのだ。

 というわけで、「バイト部屋」に閉じ込められて、みっちり仕事10時間も仕事したので、肩こった。
 昨日みたいに、慣れない場所での仕事に比べれば、周囲も気心の知れたうちの社員ばかりだったので、仕事というよりは「合宿」という雰囲気だったが、でもやっぱ疲れたよお。

 やっぱし、ああいう次から次へと、わっしょいわっしょい仕事するのって苦手。ほんとにグータラだから、自分のペースでゆっくりお茶でも飲みながら優雅に仕事するのが好きなのよ。少し暇なくらいで丁度いい。

 明日はやっと自分の机で仕事できるが、なんか違う仕事を立て続けにやっていたので、自分の仕事を忘れてそうで怖い。
1月16日(日)

 ああ、づがれだ。

 早起きだったので(6時50分の電車に乗る予定)、昨日は「美しき日々」を観てから速攻で寝るつもりで、張り切っていたのだが、せっかく睡眠時間を削ってまで観たのに、ビョン様の出番が少なくてムカついた。

 さて、今朝も寒いという予報だったので、厚着して外出したが、思ったより寒くなかった。でも竹ノ塚に着いたら、駅の周辺には強風で破壊された傘の死体があちこちに散らばっていて、なむあみだぶつ器物破損ってかんじだった。

 しかし、不覚にも遅刻してしまったぜ。
 昨年秋の「不祥事」の影響で、親会社は子会社である我が社に不信感を持っているので、こういう機会に意気込みを見せて「支店の社員よりも早く現場に到着すべし」という体育会系な指令が下っていて、私はそういう「がんばってまっす」をひたすらアピールする精神論的仕事術が好きではないので、8時の集合時間の5分前に着けばいいや、とマイペースな計画を立てていたのだが、それが裏目に出た。

 先日、訪問したときには、日比谷線で向かったのだが、今日は自宅から直行だったので千代田線を利用した。北千住で乗り換えなのだが、ぼーーーーーっとしていたので、ふと「あれ?北千住?」と思ったときにはドアが閉まっていた。綾瀬まで行ってしまい、Uターンして北千住に戻り(そこで電車をタッチの差で逃す)、そこから東武線に乗り換え(また、タッチの差で各駅電車を逃し、次の準急を恨めしげに見送った)、やっと竹ノ塚に着いたのは8時10分であった。

 支店の社員たちは、すでに開店準備に忙しく「乗り越して遅刻してしまいました」といい訳する暇もなく、なんだか気まずいというとよりも、カッコがつかなかったのであるが、支店長がお喋り好きの気さくな人だし、うちの会社の幹部たちのバイト時代をよく知っている古株さんだったので、いろいろ話し掛けてくださったので、「いや〜、うっかり乗り換え間違いまして」とやっといい訳をすることができた。

 しっかし、皆さん忙しそうで、支店はほんとに最低人数でよくやっているよな。
 手伝いたくても、業務内容が全くわかっていない私には手を出す資格もないので、邪魔にならないようにひたすら座っていた。疲れるよ、この状況。

 私の任務である新規機械のテスト運用は順調に進み、午前中に機械を操作してくれた人は、かなり優秀な人のようで、他の仕事をこなしながらもテキパキと機械を操作する様子は「私がいなくても大丈夫そう」と頼もしかった。やはり彼女がチーフ的な存在のようだ。
 彼女の「マルチタスク」な仕事ぶりに感心することしきり。私はそういうのが苦手なので、こういうドタバタした職場というか職種は敬遠してきたのだが、私は一度に一つのことをやるのが精一杯で、いっぺんに3つくらいこなしたりすると、オーバーヒートしてなにがなにやらわからなくなるのである。

 「この調子だと、何も問題なさそうだぞ」と思っていたのだが、午後は別の人が操作して、彼女もクルクルとよく働くが、でも「この人は、けっこう混乱してそう」とわかったので、少し警戒したけど、今日はテスト運用だったし、処理量も少なかったので、なんとかなりそうと思っていた「あと、2回で終わり」なときに、やらかしてくれた。
 ちゃんと、蓋を閉めずに操作したので、ジャムったのだ。

 それで、エラーのダイアログが出てきたので、それをOKして、再度処理するればいいのかと思ったら、OKを押した瞬間に、ドーンとシステムが落ちた。あぎゃあああああ

 まあ、こうやってノウハウが蓄積されていくのだろうから、テスト運用のときにやらかしてもらうのは大歓迎である。

 まず、チームリーダーに電話して「落ちました」と告げると「じゃあ、本部から連絡行くまで待ってて」とのことで、じっと待っていたが、本部も全支店のサポートを同時にやっているので、なかなか連絡が来ない。
 じっと待つこと40分。やっと電話が来て、リモートで復旧してもらって、残りを処理して、「やっと終了」というときには、すでに5時だった。

 慣れない現場にずっといたので、まるで新入社員のような気分だった。でも、支店がどんな仕事しているのか観察できて勉強にはなったけど。あれじゃ、定着率が悪いのもわかるよなあ。少ない人数でいっぱいいっぱいだし、支店長以外は若い女性ばかりなので、人間関係がこじれたらガタガタになる。そんで、そんな人数だから、もっと和気あいあいとやっているのかと想像していたのだが、けっこう互いに変な気を使いあっているようだった。

 そんなわけで、微妙に気疲れしたが、まあ私は部外者というか、機械になんかあったら本部に連絡して確認する役割だったので、なるべくボーーーーっとして気を紛らわしていた。テスト運用だったので、運用の細かい時間経過を記録するのが主な仕事。

 初回のような「強烈な眠気」はなかったが、帰りはやはり本も読めないほどボーーーーっとしていたというか、頭が重くなり肩が張っていたので、電車の中で全くリラックスできなかった。この感覚は海外旅行で到着した空港から街へ向かう電車の中での緊張感に似ている。
 でも、今日の自分は、見慣れた我が町に向かって帰ったので、三茶に着いてからスーパーで買い物していたら、肩から上の緊張感は少しほぐれた。

 はあ、明日は、その業務の本部に行って、そっちの手伝いなのだ。
 自分の机で仕事できない日々が続くと、マイペースが保てないので、悲しいわ。
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