可燃物な日々

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1月15日(土)

 雪の予報が出ていたので軽快・・・(軽快と警戒が同音つうのも、私が外国人だったら「なんだ?」と思うだろうな)警戒していたのだが、昼頃起きて窓を開けると雨だった。

 ボツボツと部屋の掃除をしつつ、夕方になったら「天国の階段」を観たのだが、なんだかわけわからん展開になっているなあ。
 要するに「継母と継妹にいじめられるシンデレラ」の物語なんだろうけど、王子様も昨年見た前半の総集編だとビービー泣いてばかりだったのに、後半では、すっかり強引な御曹司になってしまった。
 誰にも感情移入できず、取り残されてしまった。

 韓国では記録的視聴率とったドラマらしいが、まあ、日本でも、こういう、わけわかんない話のほうが人気になったりするからな。行間がない話のほうが。
 それはいいとしても、王子様役のグォン様はなんでこのドラマだといつも真っ白な顔をしているのだろう?すげく気色悪いのであるが、インタビュー映像や「韓国で制作されている新しいドラマ」の映像だと、わりとイケてるのにな。

 明日は支店に行くのであるが、数日前に急に「げ、支店に行くときにはスーツ着ないといけないじゃん」と思い出したが、昨年着たスーツは「そのうちクリーニングに出そう」と思ったまま、袋に押し込んで放置されていたので、グシャグシャになっていた。
 他のスーツは、すでにサイズが・・・・・・ウエストが全然ダメなのさ。
 昨日、支店に行くときに「どーしよー」と悩んだのであるが、幸いにも「これは着古しテボロボロだから、もう捨てよう」と思っていた、7年くらい前、再就職を目指して活動していたときに買ったスーツが大きめのパンツスーツだったのでなんとかウエストが入り、「よかった〜、捨てなくて」と、なにごとも後回しにする自分のズボラさに感謝した。
 多少、袖ぐりがボロになっていたが、毛玉を挟みでチョキチョキしたら、なんとかなった。

 で、昨日の朝、慌ててクリーニング屋に寄って「明日の夕方までに仕上げてください」とお願いしていたので、今日の夕方、雨の中とりにいったのである。

 食料の買出しとクリーニングの受取を済ませて部屋に戻り、風呂に入ってゴロゴロしていたら電話が鳴って、KM君だった。相変わらずの「やや躁状態」であったが、派遣でIT系某有名企業の仕事が決まりそうだと言うので「デジハリで勉強するよりも、そこで一年間働いたほうが、どう考えたって将来的にいいだろう」と説教。
 デジハリに通っても、はっきり言ってなんのスキルアップにもならないが、世間的に「ちゃんとした会社」だと認められてる会社で(実状はどうだか知らないけど、そんな「本当のこと」なんてどうでもいいわけだ)たとえ派遣でも1年間ちゃんと仕事すれば「ちゃんとした人」という認定にはなるだけで、数万倍マシである。

 外資系IT企業なんて、派遣のクビをバシバシ切るはずだから(ショボいうちの会社だって、バシバシ切ってるわい)、そこで1年以上勤務すれば、やっと「普通に仕事できる人」と認められるはず。
 もっと特殊な技能とか、天才的な技術や能力を持っているなら別だけど、そうじゃないんなら「普通に仕事できる人」という保証がないと、30歳前後の人がまともな職につくのは難しいはずだ。
 だいたい、普通に求められるのは「天才的クリエーター」ではなく、「普通に仕事できる人」なんである。

 もちろん、高い能力があって越したことはないが、それだけで世の中渡っていけるような「高い能力」っていうのは、なかなか他人にプレゼンすることが難しい。特に職歴の無い人にとっては。

 奇人変人で有名だったピアニストのグレン・グールドは、あるオケとのリハに1時間も遅刻してきた。誇り高い楽団員も指揮者も困惑していたが、グールドはお詫びの一言も言わず、指揮者と握手すると、すぐにピアノの前に座った。指揮者も楽団員も、その時点で「天才ピアニストだかなんだか知らんが・・・」という気持ちだったに違いない。
 しかし、楽団が演奏を始めて、ピアノの演奏がそれに絡んだ瞬間、指揮者も楽団も「お?」という気持ちで、彼の遅刻のことなんて忘れてしまった。

 時間どおりにちゃんと現れなくても、それだけの演奏をすれば、周囲は「まあ、天才なんだし、しゃーねーか」と思うだろう。
 弟のいた会社にも「三年寝太郎」みたいな技術者がいたそうだ。ほとんど会社に来なかったらしい。無断欠勤がかさめば、普通はクビを切ってもいいはずだったが、その人は一年に1回くらい真面目に仕事すると、けっこう成果をあげていたので、クビにできなかったらしい。

 そういう例外的な「天才」は別として、「そこそこ能力はあるんです」っていうのを認めてほしいのだったら、まず、くだらない仕事でもちゃんとこなさないといけないのだ。それができて「こいつは、普通に仕事できるな」って周りに認めてもらってから、「でも、こんな凄いことも出来ますよ」とアピールしないと通用しないのだ。

 ある程度の「高い能力を持つ人」なんて、吐き捨てるほどいるのだ。それが数百億くらいあっという間に稼げるような高い能力だったら別だが、「そこそこ高い能力」だったら、ちゃんと「つまらない普通の仕事」もニコやかにできる人のほうがいいに決まっている。

 つーか、諸外国ではどうだか知らんが、日本では「つらまん普通の仕事」のほうが多いのだ。そんで「つらまん普通の仕事」には、チームで仲良く仕事ができるとか、そういう人間関係のスキルが問われるので、要するに「世渡りスキル」が問われるのである。

 で、あたしが心配しているのは、KM君にその「世渡り」の才能が無いことだ。
 本人は正しいことをしているつもりなのかもしれないが、時給1000円のバイトで雇われた会社で、くらだん作業(DVD化するドラマのノイズ除去)に使われているが、実はもっといろいろ応用できる高価なソフトが気の毒になったので、直属の上司を飛び越えて、そのまた上司に「このソフトは、もっとこんな機能があるんです」ってやったら、そりゃ、一週間後にクビになるわって。

 そんなスタンドプレイをするためには、最低でも6ヶ月は地道に「無遅刻」とかで実績を積んで、「真面目にやってくれるバイト君だねえ」って思われてから、まず上司を洗脳して、それから上司の指令をとりつけてから上にデモして「提案」しないと・・・・・(上司に「提案」させるのがベスト)

 そういう過程を飛び越えて、入社1週間のバイトが「このソフトはもっと使えるんです」って言われても、周囲は「お前は言われた仕事だけやってりゃいいんだ」と思うだけじゃん。そーゆー能力が求められている職場ではないことを理解すべきであった。
 とにかく、「なんか、この会社のやり方、間違ってるなあ」と気がついても、新参者にそれを指摘する権利はないのである。もちろん、その「間違ってる仕組み」を一新するほどの能力があれば別だが(カリスマ性も含む)、普通はそんな天才的な能力を持っていないので、じっと我慢して1年くらい働くしかない。

 そのくらい我慢すれば、やっと発言権が出てくる。3年くらい我慢すれば「これ、おかしいっすよ」と声高に言っても許されるであろう。
 私が言いたいのは「変だよ、これ」と指摘するのは誰にでもできるが、それをちゃんと改良するためには、それなりの人間関係を築かないといけないわけで、それが一番難しいのよ。
 そのことをちゃんと仕事したことがないけど「自分はそこそこ能力はあるはず」って思い込んでいる人に説明するのは難しい。

 別にわかってもらえなくてもいいんだけど、相手にお金を貸しているので、ちゃんと仕事してもらえないと、お金も返してもらえないので・・・・・やっぱし先に返してもらえばよかったなあ。そうすれば、他人ごとで済んだのに。
1月14日(金)

 氷屋さんの前を通るのをやっぱりすっかりわっすれた。

 よりも

 氷屋さんの前を通るのをやっぱりすっかりわすれった。

 のほうがリズムに乗りやすいというか、軽やかな感じである。

 こんなことを真面目に検討してしまうのは、疲れているかだら・・・・・(これも天然です)

 先日、「トリビアの泉」で学習した「ゲシュタルト崩壊」というのか、「疲れているかだら」「疲れているだから」「疲れているからだ」のどれでもいいような気がしてきた。

 覚悟はしていたが、こんなに頭がくたびれるとは思っていなかった。
 で、なんでこーゆーことになっているかというと・・・・

● このたびは ぬさもとりあえず たけのつか もじみのにしき くいかいまにまに

 うーん、この現象は珍しい。「からだ」→「かだら」と同じで、「もみじ」→「もじみ」になってしまった。頭と指がちゃんと連動していないようだ。

 ちんなみに、上の呪文の元ネタは百人一首でありますが、「た」しか、かぶってません。(元ネタは「手向山」たむけやま)

 でも、「竹ノ塚まで飛ばされるのかあ」と知った瞬間から、ずっと「このたびは ぬさもとりあえず たけのづか」(駅に着いてからわかったのだが「たけのづか」ではなく「たけのつか」が正式名称らしい。私は生粋の関東育ちだから、ついつい濁っちゃう)という上の句がリフレイン。教養があるって辛いわね。

 親会社の支店に最新機械を導入することになったのだが、その現場サポートに、ほぼ全社員が駆り出されることになったのである。16日にテスト運用があるのだが、その事前説明に今日うかがうことになったのだ。

 こういう仕事は、慣れている人にはどうってことないことだろうけど、なにしろ私は深窓の経理のお姉さん一筋16年である。自分の机ではない場所の仕事というのに慣れていないし、そもそも、前日にやっつけ研修して操作を憶えた機械の説明を昨日までの自分と同じくらいシロートな支店スタッフに向かって、「私はこれの専門家です」という態度を装って説明するというハラハラドキドキのお仕事であった。

 それ以前に「仕事中に移動する」ということが滅多にないので、朝出社してから自分の仕事して、早い昼ご飯をかっ込んでから、現場に向かって1時間くらい説明してから、また戻る、というだけでドっと(ドットをつけて間もない本田美奈子.が白血病になったとかで、縁起悪いっすね)疲れが出るのである。

 時間的にはこんなスケジュールであった。
 9:30新横浜に出勤→12:00出発→13:30竹ノ塚着→15:30竹ノ塚出発→17:00新横浜着

 営業マンや客先のサポートをするシステム担当者なら、こういう一日は「普通」なんだろうけど、「自分の席に座ってナンボ」の私には、自分を見失うには充分な「電車ばっかり乗っていた一日」であった。

 しかも、支店に足を踏み入れることも初めてだったので、慣れない雰囲気に緊張しっぱなし。
 また、支店のスタッフの多くは、「真面目な若い女の子」であるので、私の一言一句を全員でノートにメモしている様子を見るだけで、「すんません、すんません、私も昨日、そうやってメモとって研修受けてました」と申し訳ないキモチになり、余計に疲れた。

 しかし、必死に女優魂を鼓舞して「こんなの、ほんとに簡単なんですよ〜」と、まず相手にリラックスしてもらうことが大事だし、私自身が「なにもトラブルさえなければ操作は簡単だし、なんかトラブルがあったら、私では対応できないのだが、もー、しょーがねーよな」な気持ちで望んでいるわけで、トラぶったらトラぶったときに騒げばいいだけで、ほとんどの場合、なにごともなく進行するわけだから、事前に心配させたってしゃーねーわけだし、それにまだ試験運用中というか、16日にテスト運用してから、またいろいろバグを確認するわけだから、楽観的にやるしかない。

 幸いにも、私が派遣された先の支店長氏は、わりと楽観的な人で「まあ、なんとかなるでしょう。やってみないとわからないしね」と率先して気持ちを緩めてくれたので、私も「そうなんです。今度のテストで不具合を発見して、またそれから色々調整するわけですから」と言うことができた。

 そんなわけで、思っていたほど大変じゃなかったけど、なにしろ「接客」に慣れていないので、自分で感じていたよりも消耗したらしく、帰りの電車では本も読めないほど「ぼーーーーーーー」っとなり、会社に着くと猛烈に眠くなってきた。でも、他の支店に派遣されて、先に帰っていたハイジも「なんか、ねみー」と騒いでいたので、消耗していたのは私だけではないようだ。

 支店に2時間も滞在していなかったのに、この疲労では、日曜日は朝から夕方まで、その運用試験の立会いというか、運用をほとんど私一人でやらないといけないので、慣れない場所で仕事するストレスにどこまで耐えられるかどうか。
 慣れればそんなに大変じゃないんだろうけど、ともかく、しばらく週に1回くらい行かないといけないのだ。

 そんで、何かトラブルが起こったら、真っ先に「どうしましょうか?」と聞かれるのは私なのだが、私にしたって表面的な操作方法しかレクチャーされてないわけで、そういう場合はチームリーダーに報告して、本部からのサポートを待つしかない。支店が一斉に本部に問い合わせるとパニクるので、その緩衝材になる仕事なのである。

 それにしても、本当に疲れた。
 眠い。
 でも、疲れすぎでちょっとテンションあがっているので、沈静のために日記を書いているが、全然沈静しないよ。

 この仕事のおかげさまで本業がおろそかになっているが、今日も職場に戻ってから一仕事しようと思っていたんだけど、全然手につかなかった。「もーいーや、最優先の仕事だけ並にこなしておこう」と決意。
 今日も、なにやらコ難しい集計を頼まれたのだが「それ、手作業集計になるんで、けっこう大変ですねえ。で、いつまでにやればいいんですか?」と聞いたら「できれば今月中」と言われたのだが、「うーーーーん」と虚ろな目を空中に漂わせ、できるともできないとも返事をしなかった。

 これも、「いい経験」といえばそうなのだが、38歳にもなって「外回りの仕事の苦労」を経験したくもないんですけど・・・・・経理課のお局社員として、ヌクヌクとしていたかった。

 朝のワイドショーのトップニュースは杉田かおるの電撃結婚であった。
 サーヤの婚約よりも大騒ぎである。相手は御曹司らしいし。
 タイミングの勝利だな。津波のニュースが一段落したときだったし。

 それにつけても眠い。
 背後霊でもくっつけて帰ってきたのであろうか?

1月13日(木)

●絶滅危惧リスト目前?

 それはカーボン紙。
 私が社会人になった頃(16年くらい前?)でも、すでにほとんど使用されてなかった。
 でも、たまに使うことがあったので、小引出しに大事にしまってあったような気がする。

 たぶん、多くの人が、実際にカーボン紙を使ったことが無いに違いない。

 私も今の会社に入ってから、3年くらいは、カーボン紙を必要としたことがなかった。
 それが突然、使うことになったのである。

 それは「源泉徴収票」を作成するためである。
 いまどきの「源泉徴収票」だって、普通はプリンター印字だろうし、私みたいに「せいぜい30枚くらいしか発行しない」場合には、複写式の用紙に手書きする。

 しかし、給与や報酬(税理士報酬とか、原稿料や講演料)の複写式用紙は購入しているけど、年に2枚くらいしか発行しない「家賃支払の支払調書」とか「不動産の譲り受けの支払調書」の専用用紙の最低枚数が100枚だとしたら、全部使い終るのに何十年もかかってしまうので、そういうのだけは、今だに税務署に行けば無料でもらえるインディアンペーパーっぽい用紙を使用している。多分、何年も前に貰ってきたのを今だに使いきれてないのだと思う。

 当然のことながら、複写式ではない。
 別に複写しなくても、同じものを2枚(税務署に2枚提出する場合には、控えを含めて3枚)書けばいいのだが、それも面倒なので、その仕事を親会社の超ベテラン社員(定年で昨年退職)から引き継いだときに、「うちの会社って、カーボン紙なんてある?」と、私より古株だが、ずっと年下の社員に念のため聞いてみた。

 「えーーー?なにそれ?」と言われるのを覚悟していたが、なんと、「あ、私、持ってると思う」と探してくれて、もう使い古されてヨレヨレになっているのを一枚貸してくれた。彼女も、数年に1回くらい使うことがあるので、大事にとってあるそうだ。

 というわけで、ここ数年、この時期になると「○○ちゃーん、カーボン貸して」と彼女の机を訪ねるのである。
 彼女も、ほとんど使用していないので、今年は御開帳に時間がかかった。「あれ?どこにしまったっけ?」
 毎年の神聖な儀式である。
 私は「うん、いいよ、急ぎじゃないから、ゆっくり探して」と言って、お茶を飲んでいるうちに「あった〜〜〜。そんでね、いつのまにか2枚になったの」

 ?????

 「カーボン紙が増殖したの?」
 「うーん、たしかOさんがくれたんだよ。どっかから出てきたらしくて」

 経理を10年勤めたO部長は、去年の秋に他部署に移動して、臭い飯から解放されたが、虫の知らせだったのか、その数ヶ月前に「お前、身辺整理か?」と通り過ぎる人全員に言われるような机の大掃除をしたのである。そこから放出された不要書類をシュレッダーするのに3日間かかったのも伝説になった。

 「ああ、あんときにきっと発掘されたんだな」

 古代の樹木が石炭になるように、O部長の机の中でも、死んだ書類が他の書類に埋もれ、上の地層から圧迫を受けて炭化して、カーボン紙になったに違いない。

 とにかく、同僚の机の中で、ひっそりと眠り、一年に一度だけ日の目を見て、借り上げ社宅の家賃の年間支払金額を大家(個人のみ。法人が貸主の場合には税務署に提出不要。だから、オフィス家賃には使用することは、ほとんど無い)の住所氏名と共に記入されるカーボン紙にも、共に眠る仲間ができたわけである。

 同僚は「私もめったに使わないし、2枚あるから、一つはミヤノさんにあげようか?」と言ってくれたが、私は「でも、自分で保管してるとなくしそうだから・・・」と言って断ったんだけど、本当は、寂しいカーボン紙のカップルを引き離しては可哀想だと思ったんだ。

 今日、ちょっと塹壕・・・・じゃなくて、残業して(天然モノだが、「塹壕手当」って、ちょっといいね)、というのも慣れないカーボン紙への写経であるから、集中しないとだめなのよ。いや、集中してやっているつもりでも、なにせ、カーボン紙を挟むのも頼りない半透明の扱い難い紙だし、そこにチマチマと文字や金額を記入するわけだから、「ごわっ」とか叫んでしまって、私のそういう独り言には滅多に反応しないハイジが「なんだ?」と反応してきたくらいでした。

 「いや、その、カーボン紙が扱いにくくて・・・・」と弁明したが、彼はその意味をわかっていただろうか?
 来年から、カーボン紙担当は奴にしてやろうか?ふぉふぉふぉふぉふぉふぉ

 でも、彼はこの業務の神聖さを理解しないだろうから、この仕事は私が辞めるまで譲らないわよ(笑)
 聖なるカーボン紙儀式が今年も無事に終了したので、また同僚に返還しようと思ったのだが、「ご開帳がわずか1時間だけというのも寂しい」と思って、今日は私の机の上に放置しておきました。

 蛍光灯の光をたくさん浴びておくれ。(あんまし嬉しくないかも)

●同じことをしていても

 駅からの通り道にある「氷屋さん」(三茶に詳しい方は、例の「つり堀」(有名人気スポット)の隣の店です)が、通りに氷の塊(高さ50センチくらい)をズラリと並べていた。
 ときどき見かけるのだが、どうも売れ残りか傷物だかの、「商品にならない氷」を外で溶かしているらしい。

 夏だと、あんなにズラリと並ぶこともない。すぐに溶けるからである。
 だが、その光景は、それほど美しくもないが、その横を通ると気分だけでも「ひやっ」っとするので、いいんだけど、冬にやると、嫌がらせにしか見えない。
 しかも、その店は南に面していて、お向かいは自転車置き場の塀があるので、その壁の北壁に氷を並べても、なかなか溶けないような気がしなくもない。先日降った雪も、北側に積むと、けっこう残っていたし。

 なので、明日の朝、覚えていたら観察してみよう。(帰りは時々通る道だが、朝は通らないので)
1月12日(水)

 とうとう税務調査が入ることになった。

 やった!ファーストクラスで欧州に行けるかも!(まだキャンペーンの詳細は未定なので、トラタヌにならないよう自制中)

 というわけで、ひこもぎ(天然モノ)・・・ひきもごもご(遺伝子操作モノ)・・・・ひきこも・・・り?(強引)・・・・「ひきこもごも」な1日でありました。ひきこもごも みこもごも あわせて もごもご・・・・(しつこい)
1月11日(火)

 久々にちょこっとだけ残業したので、チャーンスとばかりに、やっと「マイ・ボディ・ガード」を観にいった。
 なんで残業すると映画鑑賞になるのかというと、1200円のレイトショー料金目当てのため、定時で会社を出ると暇を潰すのが面倒なのである。「服を買わないと明日着るものにも困る」くらい追い詰められると、わざと映画を観に行くこともあるけど。

 先日、会社でリュックを床を落としたときに、バシャンと派手な音がしたので「?」と思っていたのだが、翌朝、化粧しようとしたら、化粧ポーチの中に入れてある鏡が、まさに「鏡餅」のようにひび割れていて、朝から絶望の淵に突き落とされたが、被害はそれだけではなく、頬紅の蓋もほんとに「玉砕」していたのでショックだった。
 なので、今日は映画が始まるまで、鏡を買おうと思ったのだが、いつも立ち寄る「ファンシーショップ」(は死語だと思うんだけど、まだ通用するのだろうか?)に行ったら、あったあったありましたよ「象柄」
 うれしくなって2個も買っちゃったが、値段も見ずにレジに持っていってしまったので「あ・・・」と思ったのだが、二つで800円くらいでした。思ったよりも安かったので、さらにご機嫌になる。

●「マイ・ボディ・ガード」

 この邦題だと(原題は「炎の上の男」とかそんなだったぞ)、なんだかホイットニー・ヒューストンとケビン・コスナーのアレみたいですが、アレは観てないからなんとも言えないけど、そういう映画ではないという前評判でした。でも、幼女が出てきて「レオン」っぽいらしい(「ニキータ」とペアの方ではありません)ので、閑散とした場内の9割がカップルなのも、そういうことなんでしょう。

 私は純粋に(?)デンゼル・ワシントン主演で、クリストファー・ウォーケンも出てるからという目的でしたので、映画が始まってから「へえ、トニー・スコット監督だったんだ」ということに気がつきました。
 トニー・スコット作品なんて「トゥルー・ロマンス」以来かも。いや、「クリムゾン・タイド」はその後らしい。

 というわけで、私の純粋な目的は冒頭でデンゼルたんとウォーケン様のツーショットを拝見した時点でほぼ達成されたのでした。ウォーケン様の灰色の瞳は相変わらずス・テ・キ。
 なので、映画の出来はどうてもよかったのですが、今回はそういう憎まれ口叩くのも申し訳ないほど、いい映画だった。ってゆーか、久々に観たよ「ツッコミどころの全くない映画」

 脚本も演出もカメラワークも音楽も役者の演技も、とにかく一流であった。とにかくテンポがいいので、いつもは途中で時計を確認して「あと30分、そろそろ山場か」と思ってしまう余裕があるのですが、この映画に関しては一度も時計を確認しませんでした。かなりの山を越えたところで「まだ、山があんの?」と思って、時計見ようとしたんだけど、やめました。

   かなり残酷な復讐劇が繰り広げられるので、いつもの私だったら「ちょっとなあ」と思ってしまいそうなのに、そう思わせないどころか、「もっとやれ〜〜〜」と次はどうするのか楽しみになっていたのでした。
 タランティーノっぽくハズす場面もあることにはあるのですが(指切ってる最中にラジオからは「ミッキー」(ネズミではなく、ゴリエの曲のほう)が軽快に流れていたりして)、でも後半はほぼ笑えるところ無し。

 クラブのシーンも実によくできてた。「マトリックス」のダサいパーティーシーンといったい何が違うのか、考えてしまいました。
 デンゼルたんは、潜入する場所に合わせて、お洋服をとっかえひっかえするのですが、やっぱりスーツ姿が一番ステキ。もう、立っているだけで美しい。

 というわけで、すっかり「男泣き」してしまいました。バカヤロー、かっこいいじゃんかよ!ってかんじ。

 こういう映画を観てしまうと、また帰りの電車の中で「周りがジャガイモだらけ」になってしまい、しばらく現実に着地できないのですが、よかったのか悪かったのかわからんが、いつもはそんなもん絶対に乗ってない横浜市営地下鉄に、身長185センチくらいのハーフだと思われる超美形にいちゃんが乗っていて、「うわあ、さっき観た映画の中では、『オレはプロだぜ』っていうセリフが連呼されてたが、この人もシロートではないだろう」と感動。

 デンゼル・ワシントンのおかげさまで、うかれて木の高いところまで登ってしまい、「おりられません」と困っていたのに、偶然、足が届きそうなところに、美形のお兄さんが立っていたので、その人を踏み台にして、「どっこらしょ」と現実に戻ってこられました。断食の後のおかゆみたいなもんか?美形なにいさんも自分が「おかゆ」にされてるとは思ってなかったでしょう。「おかず」ならまだしも・・・・・(我ながら下品な駄洒落である)

 さて、明日も仕事が忙しいのだ、早く寝なければ。(日記書かずに寝ようと思ったのだけど、興奮のあまりつい書いてしまいました)
 
1月10日(月)

 毎日、日記は書いていたのだが、なんとなく更新するタイミングを逸していました。
 Aさんからは年が明けてからも熱心に「遊びにおいでよ〜」というメールが来ていたので、土曜日は出勤だったけど、日、月曜日は休みだったので、遊びに行こうかと思っていたのですが、金曜日の夜に旧友と会ってハシャイでしまったのが悪かったのか、土曜の夜に吐いてしまったので、「こりゃ、きっと風邪だな」と思って、Aさんにも「風邪だから今週は無理そう」とメールして、早寝しようとしたのですが、なにせ「美しき日々」があるもので、なかなか寝られなかった。

 疲れと風邪気味が重なったのか、日曜日は昼過ぎまでずっと寝ていた。
 でも、おかげで体調はやや復活したようだが、日記書きながら洗濯物をして干そうとしたら、外が物凄く寒い。
 「うーん、風邪は治ったようだが、こんなに寒いとAさんち行くのも難儀だな。明日はどうなんだろ?」と思っていたのだが、そうしたら、新井君から電話があり、「友達と下北沢で飲むんだけど、よかったら来ない?」

 「飲み会の誘いは断らない」というポリシーと、「まだ今日は何も食べていないが、家には食料がない。外出するのも面倒だし寒いし、どうしよう」と思っていたので、「じゃ、行く」と言ったのはいいが、電話があったのが4時半で、下北集合が6時だというので、慌ててシャワーを浴びて、支度して飛び出した。外は「零下なんじゃないの?」と思うくらい寒い。集合場所に着いたときには、頭の芯まで冷え切っていて、ちゃんと挨拶も言えないくらいだった。

 また「とぶさかな」だったんだけど、4人いたからいろいろ食べられてよかった。
 隣の席では、業界人っぽい人たちが「町山さんの日記が!」とか、「えーと、青山真治じゃなくって、ほら、あの死んだ人!」(青山正明氏のことでした)などと熱く語っていましたが、私らは東浩紀の話してたりして(笑)
 新井君がグローコムのなんかに行ったみたいで、東浩紀の講演だかの資料を見せてくれたんだけど「酔っ払ってるときに、こんなの見ても、さっぱりわけわからん」だったのでした。私はシラフでもわけわかんなかったと思うけど。

 その後、彼らのお気に入りである「お茶の専門店」に行こうとしたのだが、なんで誰も場所をちゃんと把握していないんだ?
 たしかに、とてもわかり難いところにあるんだけど、私の世代だとその横の「ラパン・アジル」(アンティーク雑貨店)とかお向かいの「T」(喫茶店)はけっこう有名なお店なんだけどね。

 そこでダラダラとお茶を飲み、11時くらいに店を出て、また線路を越えて、最近発掘した「立ち飲み」の店(2階は椅子席があるが、1階が立ち飲み。というか、狭いから、そうするしかなかったという雰囲気)で飲みなおしているうちに、一人帰って(他の3人は近所だが、その人だけ東京東部だった)、その後もダラダラ立って飲んでいたのだが、立ち疲れてきたので、カフェに移動して、お茶してから帰宅。

 家に着いたら2時過ぎだった。
 眠かったけど、部屋を暖房で暖めているうちに、ふと「天使と悪魔」を手にとってしまった。まだ上巻の半分くらいだったのに、ついうっかり、最後まで読んでしまった。
 外はもう明るかった。7時過ぎてた。こんなハリウッド映画みたいなエンターテイメント小説を朝まで読んでしまうなんて、バカバカバカである。(関西だとアホアホアホ)

 「天使と悪魔」は前にも書いたが「ダヴィンチ・コード」とほぼ同じ構成なので、片方読むと、もう片方の犯人も先にわかってしまうという弊害があるが、シリーズものってそういうもんなのかもしれない。
 バチカン市国が舞台になるのだが、「エロイカより愛をこめて」でバチカンに潜入したエピソードを思い出してしまった。あんときに「スイス衛兵」(おとぼけな衣装を着ているが、中身はエリート軍人)という存在も知っていたので、そのピエロな衣装が調べるまでもなくイメージできて、また少女漫画に助けられました。

 これでやっと、途中になっていた「万物理論」(グレッグ・イーガン)に戻れるわい。

 さて、寝たのが今朝だったので、昼頃に電話の音で目が覚めたけど、無視して寝つづけて、やっと起きたのは夕方だった。あーあ、また時差ぼけになっちゃうよ。自業自得ですが。
 というわけで、また飲んだくれた週末だったので、年末に「人並み程度」にやっと片付けた部屋がまた大荒れになっとります。
 
1月9日(日)

 昨日は日記を書いているうちに「美しき日々」が始まったので、「ビョン様、あけましておめでとーございます」というキモチで観ていました。
 昨年の最後の放送に引続き、ビョン様はひたすら拗ねているだけなので、じれったくてステキです。テレビに向かって「くーーー、このわからず屋さんったら、もー」とブツブツ言うのが楽しいです。
 そんで、ためて、ためて、ためてから、ラスト5分でチェ・ジウの待つ、桜並木に向かってダッシュ。
 トレンディドラマとしては王道の演出ですが、捻くれ者の私は「ここですれ違うと、さらに盛り上がるのだが」と思っていましたが、そこまでジラしてくれませんでした。満開の桜の下で、地味に抱き合っていた。きゃーーーーーー(←すごく喜んでいた)

 というわけで、その後「爆笑オンエアバトル」「ER」とNHK信者としての正しい土曜日深夜の過ごし方をしていたので、日記は途中になっていましたが、ええと、昨日はどこまで書いたのかな?

●「作者を出せ」の続き

 オスカー・ワイルド以外にも、ジェローム・K・ジェローム(「ボートの三人男」の作者。「犬は勘定に入れません」の元ネタである)の名前もちらほら出てきて、私の中ではいろいろ繋がっていくので、それも楽しかったのですが、この小説の中でヘンリーの親友である、デュ・モーリエという「パンチ」の挿絵画家のことなんて、全く知らなかったのですが、日本語でも「ポンチ画」なんて言葉がありましたし、当時の人気漫画家みたいなもんだったんでしょうね。
 で、そのデュ・モーリエが書いた小説「トリルビー」がアメリカで大ヒットしたようなのですが、そんな小説のことも全く知らなかった。

 英米文学の歴史に疎いのですが、このころは「大衆文学」というのが花開いた時代だったようで、そういえば、レッシグ先生の著作などで「著作権の成り立ち」を知ると、この当時は、今と違って出版社が著作権を押さえていたようで、その独占を阻止するために、現代のような著作権が成立したとかいう話でしたが、たしかにこの小説を読んでいると、デュ・モーリエが持っていたのは「出版の著作権」だけで(それも、最初は「およげタイヤキくん」みたいに、前金で売ってしまったのだが、後で大ヒットしたらハーパースがちゃんと印税を払ってくれたとか)、それが芝居になったときには権利がなかったようなのですが、それじゃなんなので、ちゃんと著作権料もらったとか、当時の人気作家をとりまく著作権の話が、かなり細かく描かれているので、大変勉強になりました。

 どの程度、史実に基づいているのかわかりませんが、ロッジ先生は英文学教授なので、信用してもいいでしょう。

 とりあえず、この当時の「作家達の生活」はかなり詳細に描かれているので「みんな、なぜかイタリアが好き」っていうあたりも、EMフォースターのファンとしては、「視点の複雑化」というとなんだかご立派そうですが、視点が増えると、イメージが立体化するので、ワクワクしてくるのでございますよ。
(ミュージシャンのインタビュー記事を読むのも、そういうのを求めているんだろうね)

 あと、タイムリーというか、そのうち、ジョニー・デップ主演のピーターパンの作者を描いた映画が日本でも公開されるようですが、「ピーターパン」の話も最後のほうでちらりと絡んでくる。

 さて、散漫な感想になっていますが、「トリルビー」が空前の大ヒットになり、「トリルビー帽」というのが、一般名詞になったと、小説の中に描かれていたので、「どういう帽子なんだろうか?」とネットで調べたら、アメリカ英語では「トリルビー」という名称にほんとになっていた。

 そのときに「デュ・モーリエ」というキーワードを入れてみると、なぜか「ヒッチコック」という名前が出てきたので「ん?」と思って、辿っていったら、なんと、「トリルビー」の作者の息子は有名な舞台俳優になったのですが、その娘が、「レベッカ」や「鳥」の原作者だったんですね。

 「へええええええええ」と唸ってしまいました。

 まあそのうちヘンリー・ジェイムスの本も読んでみるかなあ。かなりジレったそうな小説みたいなんですが(笑)

 それにしても、「英文学論文」みたいな話なのに、それをエンターテイメント小説にまとめあげたロッジ先生の腕前には脱帽です。本当にこの人は読者を絶対に裏切らない。

1月8日(土)

 昨日は、10年ぶりくらいに会う人たちと新年会。
 場所は三宿の隠れ家っぽいお店。おシャレだ(笑)
 Iさんは池尻在住のようだが、前にもあの辺に住んでた子と軽く飲んだことのある店だった。駅からは遠いが、ちょうど我が家と池尻の中間点くらいにあるので、帰りの心配をしなくてもいいのでラクチン。

 年末にIさんとMZちゃんが偶然遭遇して盛り上がって開催してくれた会なのだが、MZちゃんにすら2年以上会ってなかったので、他の人の消息なんて全く知らなかった。
 みなさんの「その後」はこんなだった。

 Iさん→前はメーカーに勤める普通のリーマンだったが、1年前に退職して、音楽活動に専念。2年前くらいに結婚した妻が生活を支えているという「男の夢」を実現せたというのは羨ましい。

 MZちゃん→前に会ったときにも、けっこういろいろやっていたが、またグラフィック・デザインに戻ったらしい。友達がやっているレーベルの手伝いをしているそうで、そこのアーチストと一緒に活動していたIさんと偶然あったというのが今回の始まり。

 ユキヨちゃん→私は彼女とはあまり直接交流したことがなく、彼女も私を覚えていなかったが、某雑誌の編集者だったことは知っていた。昨年の暮れくらいに、どっかでリンクされた記事を読んでいたら、書いているのが彼女だったので、HPも発見し「いつのまにか、フリーでやってたんだ」と知ったのだが、それから一ヶ月くらいで会えたというのも「♪神様にあり〜がとお〜」(「今夜はブギーバック」)な話である。

 アッコちゃん→朝日新聞の書評欄やAERAで同姓同名の「中沢明子」というライターさんが書いているのを見かけ「アッコちゃんなんだろうか?」とずっと思っていたが、本人であることが確認できてよかった。

 S君→彼もけっこう転々としていたようだが、やはりずっと編集系の仕事をしており、なぜか環境問題の専門家(?)になってしまったらしい。相変わらず三つボタンスーツで決めてました。

 Oさん→ずっとハードロック雑誌の編集者だったが、副編集長になったあたりまでは「風の噂」で知っていたが、その後、編集長になったが、別の出版社を経てから、現在は某音楽専門チャンネル勤務。

 そんで、夜中になってすっかり酔っ払ったIさんが奥さんを「迎えに来い〜」と呼んだので(私も何度かお会いしたことあるし、アッコちゃんとも仲良し)「某有名出版社勤務」の奥さんも揃った。

 なんだか、期せずして「業界っぽい」集団に囲まれたのでありました(笑)

 「で?ミヤノさんは?」と聞かれても「まあ、いろいろあったが、ずっと経理」としか言いようがない。

 いろいろ面白い話を拝聴できました。
 中でも凄かったのは「I夫妻の結婚までの経緯」だった。
 「それまで付き合ってたの?」と誰かが聞くと「いや、全然。ずっと飲み友達だった」そうで、15年くらいの付き合いだったそうだが、一度も付き合おうと思ったこともなかったそうだ。
 「で、何がきっかけだったの?」
 「それが、年末のリキッドの年越しに行ってさあ」
 「わー若いねえ。もう、年越しイベントなんて普通行かないよ」
 「ほら、それが最後だったからさあ」

 新宿のリキッドルームが閉店するときの話である。
 その時に、会場の壁に「過去のフライヤー」がびっしり貼ってあったそうだ。それを二人で眺めていて、ふと「俺たち、付き合ってもいいかも」ということになったらしい。
 「はあ?それ、意味がよくわからない」と、その場にいた全員が首を傾げるが、まあ、男女の仲など、そんなもんであろう。
 「で、なんで結婚することになったの?」

 「じゃあ、付き合うか」と決めてからは、スピード結婚だったらしい。たしかに、15年も知り合いだったので、「じゃあ、結婚するか」までは早かったようだ。そういうもんなんだねえ。

 で、その後、Iさんは仕事を辞めてしまい、「専業主婦兼レーベル運営」の日々らしい。いいよなあ、奥さんは美人だし、稼ぎはいいし(Iさん曰く「いつも午後出社なのに、あんなに給料もらえるなんて・・・・」彼はずっと9時出勤のサラリーマンだったので、出版業界の「午後出社」が生理的に馴染まないらしい)、マンションはリーマン時代にIさんが買っちゃったらしいので(口の悪い私は「独身男性が家を買うと、なかなか嫁が来ないはずなのに〜」と叫んだ)なんだか、ほんとにぶん殴ってやりたいほど幸せそうである。

 他にも、アッコちゃんの旦那が「セカチューを知らなかった」とか、ユキヨちゃんとアッコちゃんが、そのうち、ロフトでフリッパーズ関連イベントに呼ばれていて「お宝映像上映会をやる予定」だとか、その二人が昔作った、フリッパーズの同人誌がヤフオクで8000円くらいで売られていたとか(みんなで「在庫を小出しに売るか?」と盛り上がる)、アッコちゃんが、昔と同じようにIさんに説教されてて「お前はもう音楽の現場がわからなくなっているのか!」とイジめられていたり、そのアッコちゃんが「アエラで最初に冬ソナ記事書いたのは私だったんだけど、あのころNHKに取材に行ったら、取材してくれてありがとうという態度だった」とか、その後、韓流ドラマの話で盛り上がっていたら、MZちゃんが「全然チェックしてないから、何の話をしているのかよくわからない」と引いていたとか、なんかダラダラ喋っているうちに午前1時を過ぎ、そこでやっと解散。

 私も後半かなり酔っ払っていたので、記憶が断片的である。でも、「ウォン・カーウェイの映画なんて観てる男はダメだ」とか、勝手に斬っていた。
 S君が弱々しく「でも、僕も大好きです〜」というので「ダメだ、ダメだ。そんなだからダメなんだ」とイジめていたら(酒の席での暴言ですので、許してください)、「でも、なんかああいう男の情けなさが」とか言いやがるので、「そーゆーのをわかってほしい、っていう態度がダメなんだ」とか、まくし立てていたような気がしなくもない。

 つーわけで、しょーもない酔っ払いでしたが(Iさんのほうがもっと酔っ払ってたので安心しちゃったの----単なるいい訳)楽しゅうございました。

 S君が到着する前に「彼はアッコちゃんのことを『一万円以下のTシャツは着ないの私』っていう人だと思ってんぞ」という話で盛り上がっていたのだが、やはりS君が「あのころ、アッコちゃんは・・・・」とそのことを蒸し返したので大ウケした。そういう時代でした。みんな、アニエスのTシャツとか着てたもんな。

 ファッションと言えば、Iさんも、「パンクが流行するたびに波に乗っていたが・・・」
 最近、23歳くらいの若者と話していたら、若者がファッション誌を見ながら「ラバーソウルがどうのこうの」と熱く語っているのを見て「あーあ。オレもこのくらいの年の頃は・・・・」と思ったそうです。

 「パンクも人生で3巡目になったら、もういいかなと思った」

 I氏とS氏が共に「去年、ライブエイドのDVDで泣いた」と熱く語ってました。「だって、スパンダー・バレーとかが出てくるんだぞ!」「スタカンも出てるしねえ?」

 カート・コパーンは、今も若者にとってカリスマで、「今の若い子、カートが生きてた時代を知らないから」「それって、うちらが20歳のころのシド・ヴィシャスと同じってこと?」なんて、話したり。

 アッコちゃんやユキヨちゃんはミクシィやっているようで、ユキヨちゃんの自慢は「マイ・ミクシィにモーマスがいる」ってことで、私も去年、ミクシィに入れてもらいましたが、あんまし活用しないままになっているので、モーマスをマイミクシィにするべく頑張ろうかと。
 で、「えーーー、モーマス?」と騒いでいると、誰かが「ひぼぽたもーます?」とボツリと言ってくれるような友達に囲まれて、くどいようですが、とても嬉しかったのでありました。

●「天使と悪魔」

 「ダヴィンチ・コード」を貸してくれた元上司がやっと年明けに持ってきてくれた。(「天使と悪魔」のほうが先に書かれたが日本では前後逆になったようだ)
 今朝の通勤電車から読み始めたのだが、「なんだ、ダヴィンチ・コードと同じじゃん?」
 まだ、導入部だけなんですが、構成が全く同じ。学術会で著名な人物が殺されて、その娘が美人で、娘と主人公の宗教象徴学者がなにやら大冒険で、秘密結社が絡んでいるようで、実は・・・・・って話みたいだな。

 でも、元上司とハイジによると、「天使と悪魔」のほうが面白いらしい。
 ハイジは「ダヴィンチ・コード」を読んで「キリスト教の別の側面がわかって面白かった」という私には「え?」と思える「素直な若者」(でも、知的レベルとしてはそれでもかなり上のほうなんだけど)な感想を述べていたので、「天使と悪魔」の反物質がどうのっていう設定のほうが、馴染みやすかったのかもしれない。

 うーん、でも、この作家、やっぱ上手いなあ。
 思わせぶりなことをたくさん振りまくので、ついつい「で、それって?」と読み進んでしまうし、「ボストンから1時間でスイス」っていうゴージャスな移動手段といい、「ダヴィンチ・コード」でもそうだったんだけど、庶民が「でも、本当にこういうゴージャスなことができる金も権力もある奴はいるんだろ?」というあたりのツボをぐいぐいと押す技が素晴らしい。
 これではっきりしたのだが、私がどうしても森博嗣が苦手だったのは「貧乏臭かったからだ!」

 お嬢様女子大生が、ポルシェ乗っているだけでは、庶民は夢を観られないのよ。
 ダン・ブラウンみたく、「ルーブルだ」「CERNだ」ってブランドでかましてもらえないと。
 しかも「ヴィトンだ」「グッチだ」と言っている貧乏くさいギャルには「ルーブルだ」「CERNだ」っていう、私みたいな「ふふん、あたしって、ちょっとみんなとは違うのよ」っていう人が愛する「ブランド」は「わっかんねーだろうな」という優越感を巻き起こすというのが凄い。

 海外ではどうなのか知らないが、日本では確実に「流行をバカにするが、でも結局ブランド好きである自分を認めようとしても認める機会があまりにも少なすぎる」という「ニッチ」を掘り起こしていると思う。NHKの「シルクロード」が極上のブランド物だと思っている人は(私だ)全員引っかかると思います。

●「作者を出せ」(ロッジ先生の最新作)

 ロッジ先生のお作にしては、読むのにやたらと時間がかかった小説でありました。
 なので、去年の年末はずっとこれをちんたらと読んでいた。

 そもそも「ヘンリー・ジェイムス」っていう作家の作品なんて、一つも読んだことがない。名前をなんとなく知っている程度。
 心理小説の元祖ということなんだが、オスカー・ワイルドと同時代なのか。

 「作者を出せ」は、本当に面白くて、自分にもうちょっと予備知識があればもっと楽しかったかもしれないが、出てくる「実在の登場人物」で知っているのが、オスカー・ワイルドだけでも充分楽しめました。
1月6日(木)

 昨日も寒かったが、今日はさらに寒かった。

 寒いのは嫌いだが、「寒いですね」とだけ連呼していれば「まともに時候の挨拶ができる人」になれるので、会社での会話に困らないのがラクである。

 仕事が忙しいというのに、新プロジェクトの仕事が割り振られてしまい、今日もそのチームリーダーから勝手に予定を決められたメールが届いたので「事前に私に確認してくれないと」と文句を言いおうと思ったら、リーダーが休みだったので、ヌカに釘であった。ぶすぶすぶっすー(ヌカに釘を打ち込む音)

 でも、他の人だって、自分の仕事を割いてやっているので、あまり大きな声で文句も言えない。

 夜はまた社長と飲みに行ったのだが、そこで、そのプロジェクトの総リーダーである、私の元部長の悪口というか「あいつは、いまいち、段取りがなってない」ということが語られていたので、「でも、彼は根回しが苦手だしな」と密かに納得。
 統括する人たちも混乱しているので、この先どうなることやら。
 とりあえず、日曜出勤が数日あることだけは決まっている。経理は人数が少ないから、シフトを組むだけで一苦労なのだが、ハイジはそんなことも気にせずに、自分の予定をガシガシ入れているので、それを眺めつつ「あたしは、いつ休めるのだろうか?」と真剣に悩んだ。

 でも、よく考えてみれば、3人しかいない経理の社員を全員プロジェクトに関わらせた会社が悪いのであって、そのせいで、たとえ平日に経理課が誰もいなくたって、私の責任ではない。急に現金が必要になった人が困ればいいだけだ。
 しーらないっと。
 (社会人はこういう図太さも必要である。完璧にやろうとすると、ノイローゼになるので、自分を守るのがまず第一。誰も、私のことなんて心配してないんだから、倒れるまで頑張るのはダメで----倒れても誰も面倒を見てくれない----、倒れないように上手くやらないといけないのよね)
1月5日(水)

 昨日は、向田邦子ドラマ「冬の運動会」を観てしまいました。(くどいですが岡田君目当て)

 一昨日の大化の改新ドラマでは、鎌足役だったので「衣装とヒゲに負けてんな」と思いましたが、やはり岡田君はコスプレだとクドすぎるようで(顔が濃いから)、イマドキの若者やっていたほうがいいようです。
 「ちげーよ!」というセリフもナチュラルでよーござんした。

 しかし、つい先日、CMで岡田君を観てビビビと私の触覚が動いたのでありますが、それまであんまし興味なかったのに、突然、新春ドラマの主役に連投というのも嬉しいことです。
 たぶん、今が旬なのでしょう。

 でも、一応「向田邦子作」ということで内容にも期待していたのですが、原作(っていうのか?)を観たことないのでわかりませんが、この話を現代に置き換えてやるのは、やっぱ無理があったなあ。
 携帯電話がけっこう効果的に(効果があったとは思わないが、製作者はなにか考えていたのだろう。スポンサーがNTTだったのかしらん?そーいや、長谷川京子が相手役だったしな)使われていたのも「向田邦子作」という気分をそいでいましたし、なによりも、「なんだか家族としっくりこねーよ」とモガいている若者が22歳ちゅうのもねえ?

 原作がどうなっていたのかわかりませんが、現代だったら22歳でグレるのは遅すぎでしょう。
 そして、主人公の青年が「冷たい上流っぽい家庭」を憎み、偶然逃げ込んだ先が、昔ながらの靴屋さんなのですが、その「昔のお茶の間ぶり」はもう絶滅したような気がしなくもない。
 70年代の「ニューファミリー」VS「四畳半一間で暮らす家族」だったらリアルですが、今だとその設定に現実感が沸かない。

 長谷川京子はけっこうよかったです。初めてちゃんと演技しているのを観た。たぶん、この人は、もっと喜怒哀楽表現の強い役は無理だと思うのですが、この役はほとんど無表情で済んだし、演出がよかったのか、彼女も無理に演技しようとしてなくて、それが逆に「押さえた演技」に見えなくもなかった。これが、若い頃の横山めぐみだったら、もっと頑張っちゃっただろう。

 たぶん、このドラマの核となるのは母親役だと思うんだけど、せっかく樋口可南子を使ったのに、「美人で優しい母親の本当の怖さ」が浮き出てこなかったのが残念。

 そういえば、1月半ばにはまた岡田君主演のドラマがあり、それはなんと友達の母親である黒木瞳と!って話のようで、予告編もやってましたが、「ふへへへへ」とスケベ笑いをしてしまいました。
 それで、ふと思い出したが、その昔、樋口可南子と稲垣吾郎が!ってドラマがあったよな。
 あれは、私が大好きな小説&映画「ぼくの美しい人だから」(←ジェイムズ・スペイダー君目当てで観にいって、見事にドツボにはまり、英語の原作まで買っちまったよ)が原案で、稲垣君が一回り以上年上の樋口可南子と偶然知り合って、お付き合いを始めるのですが、周囲からなかなか理解を得られないので、ぐちゃぐちゃしている話でした。

 元の映画だと、年増女はスーザン・サランドンが演じており、「ウエイトレスをしている中年女」を生き生きとスレっからしにやってましたが、樋口可南子だと上品すぎて、「なんでこんな女と?」という説得力がなかったので、逆に滑稽でした。

 だって、稲垣君が、勇気を出してカミングアウトしようと、友達が集まる場所に彼女を連れていくのですが、男友達も女友達も「お前、なに考えてんだよ?」という態度だったんですけど、でも、どう見ても、その場にいるハナタレ20代女性よりも樋口可南子のほうがいいでしょう。
 前にもラーメン屋で隣に座っていた若いサラリーマンが「おれ、黒木瞳だったら、ぜんぜんオッケーっすよ」とまくしたててましたが、10年前の樋口可南子だって、超オッケーでしょう。
 あんまし男受けする人じゃないのかもしれないけど、昨日のドラマを観ていても、「樋口可南子、あいかわらずキレ〜〜〜」とうっとりしてしまいました。

 私の同級生があんな彼女連れてきたら「いったい、どこでゲットしたのだ!」と騒ぎまくるよ。
 というか、その彼女に向かって、「なんで、あんなのと付き合ってんですか?」と言っちゃうなあ。

 なので、あのドラマの樋口可南子はミスキャストでしたが、まあ、ドラマとはいえ、稲垣吾郎をブサイクな年増と突き合わすわけにもいかない、という制限があったんだろうなあ。

 さて、その「冬の運動会」を見始めたのは9時半ごろだったのですが、てっきり2時間ドラマかと思ったら、結局12時近くまでやっていた。長かった。
 途中で電話がかかってきたのですが、「ミヤノさん?」と聴き憶えがあるけど、誰だったっけ?という女性の声。

 「MZです!」
 「おおおおおお!MZちゃん、ひさしぶり〜〜〜〜〜」

 10年前は、毎週のように一緒に夜遊びしていたMZちゃんであるが、最近はなんとなく疎遠になっていた。最後に会ったのは2年前くらいかねえ?
 カミちゃんにも、いつも「MZちゃんとは会ってる?」と言われ「全然」と言っていたのだが、どうもここ数年の私は、「自分から積極的に友達と連絡をとる」ということを全くしなくなり「来るものは拒まず、去るものは追わず」になっているので、そういうことになってしまう。

 そんで、用件というのは、MZちゃんはどういう経緯かわからないが、元カレS君が立ち上げたレーベルを手伝っているようで、そのクラブイベントが昨年末にあったらしい。そこに客として来ていたのが、
 「フラッグメンツのIさんだったんですよ!」
 「うわーーーーー、なつかひい!」

 フラッグメンツというアマチュアバンドがいて、私らは彼らの応援団だったのだ。あれで、いろいろ友達も増えた。
 MZちゃんも久々の再会に喜んで、大盛り上がりしたので「同窓会というか、新年会をすることにしました」

 しかし、そのバンドのメンバーも田舎に帰ってしまった人がいるらしい。
 ベースのYちゃん、ドラムのヘーロー君(こいつがアム○ェイにはまったことも今となっては懐かしい思い出だ)は東京にはいないらしい。

 今週の金曜日に飲み会をするそうなので、とても楽しみだが、後で布団に入ったときに、ふと思った。
 「あたし、あの人たちと一時はすっごく仲良かったけど、そもそも何で知り合ったんだっけ?」

 無駄な記憶力に優れている私にしては珍しく、全然思い出せない。
 たしか、そのバンドのメンバーの何人かが、私と同じ大学だったのだ。だから、ボーカル君の親族で所有していた長野の別荘に「合宿」に行ったときには、いつも「大学前で集合」していたような気がする。(中央道にアクセスがよかったからなんだけど)
 だとすると、たぶん大学で同じサークルの後輩だったが、音楽系サークル活動のほうを熱心になっていたO君の知り合いだったんだろうな。
 そんで、ライブに行くようになったら、そこにはMZちゃんとAKちゃんもいたのだ。
 AKちゃんは、その頃、フリッパーズの同人誌を作っており、マイナーバンドの発掘にも熱心だった。
 AKちゃんと一緒に同人誌を作っていたYちゃんも、後にライターになって、ときどき名前を見かけることもある。

 MZちゃんとは、その後、一緒にテクノに転び、O君とも時々クラブで遭うようになったが、他の「ギター系」の人たちとは会うこともなくなってしまった。
 私が年をとったのだから、他のみんなも、同じようなもんだ。会ったころはまだ学生だったMZちゃんだって、もう30歳をとうに過ぎている。

 なんだかゴチャゴチャと書いているが、あの頃はほんとに芋づる式に「友達」や「知人」ができたので、誰とどう知り合ったのかなんて、わけわかんなくなっている。Aと知り合ったのもあの頃。彼女は別のグループだった。
 でも、フラッグメンツの連中とは、2年連続で別荘で夏合宿したので、その思い出はかなり「青春」なのである。湖でスワンボートとか漕いだしな。すでに社会人になっていた人も多かったのだが、大学のサークル合宿のノリで大騒ぎしていたのであった。
 そんで、ライブの後には飲み会というのがお約束で・・・・
 ベースが脱退しちゃったので、ロッキンオンで募集したら、ついこの間まで「イカ天」に出てた人が2人も応募してきたりして(笑)

 結局、そのバンドは、みんな社会人になってしまったので解散してしまったし、一度もメジャーになることはなかったけど・・・・
 でも、夏の合宿で、みんなで佐野元春をずーーーーーーっと歌っていたので、うんざりして、先に寝てしまったりしたのは(酔っ払ってたし)、ほんとに「青春の思い出」です。


 調子に乗って、当時の写真をデジカメで接写してみました。(画像いじらなくても顔がわからなくてよし)
 ほどよくセピア色になって、なんだか「セント・エルモス・ファイヤー」みたいですが、これが92年。今から12年前ってことね。きゃー(としか言いようのないときってありますのお)
 ちなみに前列左端にいるのが私ですが、あのころは、あの眼鏡かけてたんだな。このころ、すごく太ってました。その後痩せて、最近また元に戻ったようだ。

 ちなみに、女子4人と男子大勢の合宿ですが、カップルは元々カップルだった1組だけで、あとは、私の知る限り(私はそういうのに超うといから、ホントはどうだったか知らない)、このグループの内部でくっついたりしなかったあたりも、私好みの集団でした。
 いや、その後、テクノに転んだときには、カップル人事異動が激しかったので、ぼんやりした私は「現在の情勢」についていくのにけっこう疲れたので・・・・
1月4日(火)

 昨晩はNHKで大化の改新ドラマを観てから寝てしまった。(岡田君目当て)
 朝起きたら「あれ?ここはどこ?今日はいつ?」と思ったが、会社を今日まで休みにしたことを思い出し(なにせ、定休日が無い会社なもんで。さすがに元日は全員休みになっているらしい)、安心してまた寝なおした。

 昼になって「映画でも観に行こうかな」と思ったが、面倒になったというより、昼寝しちゃったのでパス。寝てばっか。

 というわけで特に日記に書くようなことは何も無い。

 でも、暇だから思いつくままにダラダラと・・・・

 大晦日に実家に帰り、テーブルに置いてあった新聞を開いてみたら、奈良の幼女誘拐殺人事件の犯人逮捕の記事がトップだった。ネットのニュースでも観ていたが、改めて新聞に載った写真を観てみたら「やっぱ、ブサイクだなあ」と思った。私より2歳年下だが、そう考えたくないほど老けて見える。
 罪も無い幼い子どもを殺したのであるから、容貌も8割引きに見えるのかもしれない。同じような容貌の人がノーベル賞を受賞したら、誰もわざわざ「ぶっさいく」と声に出して言ったりしないだろう。

 それはいいとしても、その記事のすぐ横には、サーヤとクロちゃんのツーショット写真が載っていた。
 思わず「クロちゃん、すごくステキに見える!」と唸る。
 オッサン臭い殺人犯の写真が横にあると、容貌が8割増に引き立っていた。クロちゃんのほうが年上なのに、若々しく見えた。

 同じように「報道陣に囲まれて、フラッシュ浴びました」という状況の、半年前まではどっちも同じ「30代後半、独身男です」だったはずなのに、こうして大晦日の1面を全く違う境遇で飾るというのも、なんだかね。


 津波のニュース、すごいですね。
 だんだん新たな映像も出てきて、「ひーーー、怖い」と呟いてますが、でも、海岸近くの家も瓦礫の山と化しているし、椰子の木も根こそぎ倒れたのが多かったようだが、でも、けっこう平然と立っている椰子も多く「自然は恐ろしいが、自然って強いなあ」と感心する。

 タイ政府がインターネットで遺体確認ちゅうのも、すごいよなあ。
 母親がそれも「どうなんだろ?」と不思議がっていたので、たしかに日本じゃ考えられないけど、「タイって死体写真雑誌が平気で売ってる国なんだよ。どうも死体に対する考え方が違うらしい」と私が言ったら、妹も「事故とかの残酷映像が出るのも、タイが多いからねえ」と納得していた。

 サイバラの元旦那のカモちゃんが、カンボジアの村では戦闘に巻き込まれた死体が村外れに転がっていると、村人が毎日見学に来ると書いていた。カモちゃんはそれを「戦乱が続いて死体慣れしているのかな?」という解釈をしていたが、どうもあのあたりの文化のような気もする。
 確かに、日本だと人間の死体慣れしてないけど、鼠の死体は小学生の頃、けっこう人気だったしな。グリーナウェイが動物の死体が腐乱していく様子を早送りで見せていたけど、たしかに、ある瞬間、ブワっとなるので、私は怖がりだったけど、その変化は充分に堪能した。

 でも、親族の遺体捜しって、できればやりたくないなあ。
 「沈まぬ太陽」でも、遺体探しする遺族の描写のあたりは一番泣けたもんなあ。

 津波の被害にあった日本人女性の旦那がオーストラリア人だったので、女性の両親もやりづらいだろうな、とか思ってしまった。生き残った旦那が日本人だったら「なんで、こんなところに来たんだ!」とか、「なんで、あんただけ生き残っているんだ!」って八つ当たりの一つも言いたくなるだろうが、言葉通じないからね。

 はあ、明日は会社か。目覚ましセットしておかないとな。
1月3日(月曜日らしい)

 謹賀新年。

 はあ〜やっと自宅に帰還。
 毎年同じようなことを書いているが、たとえ誰も待っていなくても(ペットのアンダーソン君は勘定にいれません)、おうちが一番だわい。
 落ち着く〜〜〜〜

 さて、実家での年末年始であるが、雪が降っていた大晦日の午後4時前に出動したときには、雪は雨に変わっていたけど、大事をとって長靴を履いて、スニーカーを持っていった。
 それはやはり正解で、道はシャーベット状の雪でグズグズだったし、車が脇を通り抜けるたびに、氷しぶき(美味しそう)があがるしで、下北沢までけっこう時間がかかった。
 よくよく考えてみれば、無理して下北まで(下北半島ではありません)歩かなくても、バスを使うなり、電車で渋谷に出るなりすればいいのだが、どっちにしても、実家のある国分寺も雪が積もっているだろうから、どうせ重装備するなら、下北まで歩いちゃったほうが気楽なのである。渋谷や新宿はなるべく避けたい。

 6時前には実家に到着したが、すでに妹が「雪が降るっていうから、あたしは昨日着いた」とのさばっていた。
 実家の「妹の部屋」は電気ストーブしかない寒い部屋なので、夜中は寒くて眠れずに、「ASH」を読んでいたら朝になり、さっき起きたばかりだと言う。

 「うー、さみいよ。ねーちゃんは長靴履いてきたぜ」
 「ごくろーさん。でも、長靴なんて持ってるんだ」
 「フジロック用」
 「なるほど〜」

 妹が先日観たテレビによると、なんとニューヨークでは長靴が「おしゃれ」になっているとか。
 「そ、それは本当か?だとしたら、日本でも流行らないかな」
 「無理じゃない?そのテレビでも、司会者が『これは日本ではダメでしょう』って言ってたよ」
 「でも、リーボックが流行ったときも、最初は『ニューヨークのキャリア・ウーマンはみんなスニーカーで通勤してます』っていう報道があって、しばらくしたら日本でも大流行したんだよ」
 「でも、長靴はダサダサだったよ。変な柄モノとか出ちゃってさあ、サイケ柄とか、超ヘンだったよお?あれは日本じゃちょっとねえ?」
 「ねーちゃんは、長靴が大好きなんだが、大人用はロクなデザインが無いのが悲しいのだ。NYで流行れば、日本でも、もっとマシなデザインの長靴が出回るかもしれない。だって、こういう天気のときには絶対に長靴がラクだも〜ん」
 「でも、ダサかったよお?」

 その後、「でも、スケーターのズボンずり下げファッションだって、あんなにダサいのに今だに流行っておる」という議論になった。
 がんばれ、NYの長靴ファッション!

 私が到着してすぐに、弟夫妻が車で到着。
 弟の奥さんであるMさんは「あちこちで、怖い光景を見てしまいました」と言っていた。チェーンをつけてない車が、あちこちでクルクルと華麗な舞いを披露していて、高速道路なのに反対側を向いてしまった車がたくさんいたそうだ。

 姪っ子Nちゃんは、2歳の誕生日を迎えたばかりだが、まだ人間語は喋らないけど、「ヤッター」とか「じょうず〜」とか「おいしー」くらいの単語は喋るようになった。
 普段はお母さんと二人きりの「静かな生活」を営んでいるので、弟も「この喋くりまくる一族の中で三日間過ごすと、一気に喋るようになるかも」と期待していたが(言葉が遅いのは弟似であると、姉は断言している)、確かに、大人がベラベラ喋っていると、タモリのインチキ中国語のように、なにやらまくしたてる。

 それが「インチキ中国語」というよりは、「インチキ韓国語」っぽくて、「なんか、北朝鮮のアナウンサーっぽい」ということになり、私や妹が、北朝鮮ニュースっぽく怒ったような口調でNちゃんに話し掛けると、なんだか話しが通じているような気がしておもろかったが、なんでも吸収する年頃の子供に向かってインチキ言語で話し掛けて盛り上がっている無責任な小姑たちを嫁のMさんは「みなさんが構ってくれるから、Nも嬉しそう」と暖かく見守ってくれました。(内心はどうだか知らん)

 でも、おっとりしたMさんが、それなりに厳しく躾ているのか、それともMさん似の性格なのか、去年はあちこち引っ張り出していたNちゃんは、驚くほど「いい子」になっていて、大人が「危ない」と思うところには手を出さなくなった。女の子は育てやすいと言うが、あれだとホントに手がかからない。それなりにヤンチャだったけど、酔っ払った私のほうが、よっぽどヤンチャだ(笑)。

 プライドが始まるころ、食事が始まり、弟が今年一番注目しているのは「ボビー」だというので「それ誰?」と聴いたら、「からくりTV」でセイン・カミュと組んでいた、天才的におもろかった黒人が、なぜか格闘技デビューしていたそうで・・・・

 ボビーは頑張っていた。
 それ以外は、あんまし面白い試合も無くて、妹は「紅白での若手お笑い芸人が」と気にしていたが、9時過ぎに紅白を観ても、すでにお笑い系は、他の局に移動してしまったようで「残念!」

 一つ気がついたのだが、親も「ギター侍」くらいは知っていたが、父も母も波田陽区のことを「ニューヨーク」と呼んでいた。「波田ニューヨーク」と言うときもあった。「よーく」という名前が「ニューヨーク」を経由しないと出てこないらしい。

 年末年始にテレビばかり観ていた人は皆思っただろうけど、今年の正月番組にはもれなく波田陽区が登場したような気がする。

 大晦日は、私は一時くらいには寝てしまった。弟がシラフのくせに母にやたらと絡んでいて(兄弟の中で一番母親似は弟)、それが母と祖母のバトルを彷彿させて「ごくろーさん」であった。父似の私は、眠くなるとさっさと寝る。

●元旦

 午前中に起きて、おせち料理を食べてから、近所の神社に初詣。
 まだ道には雪がたくさん残っていたので、母がNちゃんをおぶっていたが(やりたくてしょうがない)、「おぶい紐を忘れた」というので、急に「あんたのマフラー貸して」と言われたが、「あたしのマフラーは、カシミヤなんだ。けっこう高いんだ」と抵抗したが、奪われてしまった。そしたら妹がボソっと「あたしのマフラーだったら、安物だったのに」と言い出したので、「もう、遅いよ。そういうのは早く言え」

 私の高価な(9800円だったけど)カシミアのマフラーで支えられたNちゃんは、すやすやと眠ってしまったが、まだ時間は3時くらいだったので、嫁のMさんが「じゃあ、今日中にお祖母さんのところに・・・・」

 弟夫妻が帰った後でも、母がくどくど話していたが「普段いったい何やっているのかさっぱりわからないし、めったに帰ってこないし、帰ってくればゴロゴロしてばかりの娘達」に比べると、嫁のMさんは光り輝く存在で、国分寺に来るたびに、ちゃんと祖母たちの老人ホームにも寄って曾孫を見せてくれるのである。
 ほんとーに、うちの弟はいい人と結婚した。小姑たちも引き立て役に徹し甲斐がある。(天然ですが)

 母方の祖母は母が自転車で行けるくらいの距離だが、父方の祖母がいるホームはけっこう遠いし、その途中に「ヤボテン」こと「谷保天神」があるので、いつも渋滞するので、「じゃあ、遠いほうだけでも今日中に行ってしまおう」と弟の車に私も妹も乗せてもらって出発したが、やはりヤボテン渋滞で時間がかかった。

 ホームに着いたのは5時過ぎ。
 元々、目が悪い祖母は、2年前の胆石の手術で寝たきりになっているのだが、「おばーちゃーん、みんなで来たよ〜」と言うと、相変わらず頭だけは妙にクリア。
 「目も見えないし、あたしはもうダメだ」と嘆くが、喋っていても何のストレスも感じないほど会話はしっかりしている。
 逆にあの状況でボケてないのが気の毒になるくらいだ。

 しかし、Nちゃんは多少知恵がついてしまったので、老人ホームの雰囲気から「病院に連れてこられた」と思ったのか、ビービー鳴いてしまった。たしかに、寝たきり老人は見た目が怖いけどね。

 祖母さんは「お正月の食事がとても美味しかった」と喜んでいた。でも、お赤飯がお粥だったらしい。

 それにしても毎回思うが、老人ホームは暖房が行き届いていて、部屋が寒くて眠れないと嘆く妹に「あんたも、ここなら熟睡できるんじゃない?」
 祖母も「寒くないから、ここはいい」と言っていた。しかも、もはや寝たきりなので、おムツがあてられているので、トイレに行く手間もないのでラクだと満足そうだった。
 でも、あんなに頭がはっきりしているのに、「寝てばっかじゃ辛くない?」と言ってみたが、「でも、なんにもしなくてもいいからラクよ〜」

 私も多分、あの人の血が濃いから、寝たきりでも幸せになれるかもしれない。
 なにせ、その祖母は私が物心ついたときから「ヒッキー」で、一日中テレビやラジオに耳を傾けつつ、じっと座っている人だったのだ。

 また車で戻ったが、帰りは「ヤボテン」の道を避けたので(ヤボテンはそれでも関東3大天神らしい。湯島、亀戸と並ぶ・・・・でも、ヤボテンに合格祈願をするというのもね)スムーズに帰れた。
 家に帰ると、豚肉とほうれん草の鍋。
 母が豚肉もほうれん草も死ぬほど用意しており、みんなでゼーゼーいいながら消化した。

●1月2日

 また午前中起きて、お雑煮を食べてから、今度は母方の祖母さんの見舞い。
 小平霊園の隣なのだが、先に霊園に寄って祖父の墓参り。
 ほどよく雪が残っているし、Nちゃんは大喜びで庭駆け回る。まだ人間というよりは犬猫に近い。
 私は積もっている雪を掴んではNちゃんの周囲に投げて「スノー、ボンバーーーー」とやると、キャッキャと喜んでくれれるので、Nちゃんと二人で雪合戦して遊んでいた。乱暴な遊びは私が最も得意とするものである。

 「ああ、Nちゃん怪獣が来た〜〜〜〜、スノーボンバーで攻撃〜〜〜〜」バスバスバス(連射)

 「あ、Nちゃん怪獣、よそんちの墓を荒らしています!えーい、のんちゃんも荒しちゃえ〜」どすどすどす(バージンスノーな墓所を足跡で蹂躙!)

 Nちゃんはすっかりハイになってしまい、パパ(弟)が祖父の墓に残っていたゴミを片そうとごみ収集所に行くときにも走ってついていって・・・・・・ぬかるみでコケて泥だらけになっちまった。よーし、子供はそうじゃなきゃいかん!

 Nちゃんのズボンを履き替えてから、祖母のホームに。
 こっちの祖母は頭がピヨピヨだ。
 でも、母と一緒に行くと、それなりに祖母モードになり、初孫の私の名前くらいは思い出すのだが、今回は孫だけで襲撃したので「この人たち、誰かしら?」

 弟のことは「浅草に住んでいる、うちがいろいろ世話したなんとかさん」に変換されていた。
 私が「おばーちゃん、じゃあ、私は誰でしょう?」と言っても「さあ?だって、自分の名前もわからないんだもん」と開き直る
 「ええ?じゃあ、おばあちゃんの名前は?」
 「ええと、ミツ・・・・・」
 「わかってんじゃん。私らは、M子の子供だってば。M子とタクヤの子だってば」
 「ああ、M子は今日は来てないねえ」

 孫の存在は忘れていても、お気に入りの婿殿(うちの父)の名前はなぜか忘れない。「タクちゃんはね、将棋が強いのよ」

 老人性虚言症に絶対に付き合わない弟が「タクヤさんは、俺より弱い」とつぶやいても、そんなの聴いてない。
 「タクちゃんは、将棋の試合をするのに海外にもよく行くの」

 「すげえ、お父さん、超持ち上げられてるじゃん!」

 たしかに、印刷屋だった祖父やその周辺に比べれば、大企業のサラリーマンだった父はそれなりに海外出張にも行ったが、ボケてもそれが自慢だったらしく、それと「囲碁将棋が趣味」というのがほどよくブレンドされて、そういうことになっているらしい。

 結局、私らが誰だかわからないけど、Nちゃんは可愛いのはわかるので、喜んでいた。
 Nちゃんも最初はまた「病院ぽい」雰囲気でビービー鳴いていたが、車椅子に座った祖母を食堂まで連れていったら、そこは病院っぽくなかったので落ち着いたみたい。

 30分くらい滞在して、また実家に戻ってから、弟と嫁さんをお餅で腹ごしらえさせてから、送り出した。渋滞するから、船橋の家まではけっこう時間がかかるのだ。

 Nちゃんがいなくなって、残されたジジババ小姑はちょっと寂しくなったが、「笑点」のスペシャルで、母が大爆笑していた。やはり、若手よりもベテランだよね。
 その後、そのまま「行列のできる法律相談所」でも、またギター侍を堪能し、(波田陽区、過労死寸前ってかんじ)、「今日中に帰る」と言っていた妹はまた母に「こんな遅くに出歩いてはいけない」と言われて渋々居残り。

 げげ、妹が残ると、姉は楽しみにしていた「ビョン様の2時間ドラマ」がちゃんと観られるか心配になる。

 母は冬ソナは観ていたそうだが「その次の(美しき日々)は可愛げがないの」と斬っていたので、「あっちのほうが、面白いんだよ!」と力説していたのだが、妹は韓国ドラマを全然観てないみたい。

 でも、他に観たい番組もないようなので、うまいこと二人を「じゃあ、韓国ドラマを観てみよう」と誘導。

 意外な展開であったが、その2時間ドラマは設定が貧乏くさくて、「ちゃんとオンドル部屋で胡座かいている韓国庶民の生活」が描かれていたので、母は「トレンディドラマは、やたらソファに座ってるけど、韓国の普通の田舎はこれなのよ!」と、なぜか喜んでいた。

 妹も「こいつ、顔は、かわいいよね」と、ビョン様OK。

 「ケータイの料金もったいないから長電話できないわ」なんていうセリフに母は感激していたので、母と娘二人で仲良くビョン様主演の2時間ドラマを観ることができました。

 でも、それを観ながら妹とお正月用に用意してあった一升瓶の残りを全部あけちゃったので(母がテレビのレシピで漬けたカブの浅漬けを「これ日本酒にあうよ」とバクバク食っていたので、母も満足そうだった)翌朝、父がその空き瓶を見つけて寂しそうにしてました。

 よかった。母妹もビョン様ドラマを楽しんでくれて。
 これで、来年の正月に私がビョン様を連れて帰っても大丈夫そうです。(バシっとノり突っ込み)

 その後、妹が実家で眠っていた、昔私が録画していたらしい「エルビス・コステロ特集」を発掘して見せてくれたので、二人で「コステロ最高!」と喜んでいた。

 6歳年下の妹は、当時、普通にジャイケル・マクソンとかが好きだったのに、大学生だった私がそんなのばかり録画していたので、なにげなく観ているうちに王道を踏み外したと告白していた。すまんね。でもヴェロニカとか、やっぱ名曲だし、ビデオもいい出来だった。
 実家にはイカ天の録画も多数眠っていたらしい。ああいうのをP2Pで配布したいよね。

 弟がいなくなったので、母の話しに逆らう人もいなくなり、私が主に「うんうん」と聞き役に徹した。
 母はもう、喋りたくて喋りたくて仕方がないらしく、私らが「もう帰る」と言い出しても寂しそうだったから、国分寺の駅の向こうの喫茶店に付き合って、ケーキをつつきながら「目黒にあるクルクル寿司が」なんて話をたっぷり拝聴して、6時ごろやっと帰路についた。

 妹の同居人は、年末年始には福井の実家に帰っているのだが、その飛行機の切符は実家が持っているそうで・・・・
 同居人の実家から、うちの実家に年賀状が届いていて、同居人の弟の結婚式に妹も参列したそうだが「Y子さんは、相変わらずお美しくて」というお上手が年賀状には書いてあったが、妹曰く「久々に行ったら『こえた、こえた』って言われたのにさっ」
 たしかに、数年前に比べたら妹も寄る年波には勝てず、立派に中年太りしているので「肥えた」と評されるのはわかります。

 皇室の新年参拝の映像がニュースで流れたときに、母が「アヤノ宮もなんか太ってない?」と言うので「あれは中年太りなんだよ。ほら、Y子だってこのアリサマ」
 妹Y子は、「でも太ると、お腹が冷えないことに気がついた」と、エバってました。

 繰り返しますが、母は「ほんとにMさんは、しつけがいき届いたいいお嫁さんで、文句のつけようがないっていうか、友達にも自慢話になっちゃうから、Mさんの話しはしてないの」と言っていた。友達には、ダメな姉や妹を自慢しているらしい。

 母のご学友は、なぜか「子供が男ばっかり」の人が多いので、集まると「嫁の愚痴大会」になるようだが、ダメダメ娘を二人抱えている母曰く「あの人たちは、娘がいないから、嫁の良さがわかんないのよ」
 たしかに、そうなんだろう。
 実家にほとんど寄り付かない娘に比べれば、なにかと遊びに来てくれるだけで両親は感激するが、「ダメ娘」の基準が無いと「うちの息子たちは年に二回しか来ない」と文句を言うだろうなあ。

 というわけで、姉娘は自分のダメっぷりを確かなものにするために、父ちゃんがストックしていた酒を片っ端から空にする作業に勤しんでいたのでありました。
 でも、母ちゃんが作ったツマミをバクバクと「うまい、うまい、こんなのあったら、いっくらでもお酒飲めちゃうよ」と持ち上げるのも忘れませんでしたけど、母が作ったつまみは、どれも「ためしてガッテン」か「伊藤家の食卓」のレシピなので、そのレシピの話しを全部聴くのは大変なんすよ。

 あと、なぜか両親は遅まきながら「不肖・宮嶋」に夢中だった。
 図書館で借りてきた南極の本を見せてもらった。どうも、あのころ南極に行っていたコック役の人のエッセイを先に読んで「宮嶋の書いた南極本はヤラせだ!」と書いてあったので、そっちに流れたらしい。「不肖・宮嶋の本、他のもすっげく面白いから図書館で借りて読んでね」と「宮嶋上級者」を暗にほのめかしたのだが、それでも父と母に「南極では!」と一から講義されたのでありました。とっくの昔に読んで知っているのですが・・・・・「へえ、そうなんだ」と聴くのも親孝行ですからね。

 とにかく、自分にとっては当たり前のことでも、親が話し始めたら、それを初めて聴くように「うん、うん、へえ」と聴かないといけないので、やはり3日間が限界らしい。
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