可燃物な日々

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12月16日(木)

 ずいぶん前に一部で話題になっていた「ワラッテイイトモ」という映像作品であるが、ふと、東京で今週上映していることを知り「どんな内容なのか、気になっていたから観てみよう」と思い立った。今までも、あちこちで上映会があったが、なにしろ「問題作」であるので、あまり大々的に公開できないらしく、「ちょっと観てみたいかも」と思っていても、なかなか機会に恵まれなかったのである。

 場所は江戸川橋のアップリンクのギャラリーだったのだが(ちなみに、明日までやってます)、江戸川橋駅で下車するのは多分、生まれて初めて。
 8時15分からの上映を目指して、8時10分前くらいに着いたので(場所がとってもわかりにくかった)、カフェ風の席に座って本を読んでいたら、「あ、ミヤノさんじゃないですか」と声をかけられたので「ほよ?」と顔を上げたら、yucoさんだった。(笑)
 うれしはずかし・・・・

 「ワラッテイイトモ」は、もっと「笑える」のかと勝手に思っていたのだが、お笑い系ではなかった。

 一言で言ってしまうと「中野貴雄が絶対にボロクソにけなすたぐいの映像作品」である。

 タモリがどうの、「笑っていいとも」がどうのという作品ではなく、「そういうものを通して自分と向き合ってしまいました」というものらしい。(要するに大学の映画研究会ノリ)
 なので、けっこう好き嫌いが分かれると思うなあ。「笑い」を求める人は、ちょっと不満だと思うよ。あと、1時間弱あったので、けっこう長いし、サンプリング映像がチカチカしているので目が疲れます。

 真面目に青春しているのか、そういう「新宿の高層ビルが出てきて、最後に主人公が自殺する」(←中野監督が、昔の自主映画によくあった嫌いなタイプの映画をそう言っていた)のをパロっているのかよくわからないのだが、でも、最後に主人公(つうか、作者?)が公園の原っぱに置いたテレビモニターの前に立ち、その手になんか棒状のものが握られていたので「ゲートボールでもするのかな?」と本気で思いましたが、それがゲートボールの道具ではなく、「ハンマー」であることに気がつき「きゃーーーーー、まさか、そんな陳腐ことはしないよね?」と叫びそうになりましたが、私の願いも虚しく、ハンマーでモニターを一撃したのでした。

 ああ、やっちゃった〜〜〜〜〜〜、としか言いようがない。

 私は、「笑っていいとも」も大好きだし、なによりも熱烈なタモリファンなので、逆に加工された映像よりも「ああ、もっとちゃんと昔の『笑っていいとも』を観たいなあ」と思ってしまった。
 結局、どう切り刻んでも、タモリはタモリだし、「笑っていいとも」という、20年間ずっと同じようなことを週に5日間も垂れ流していることにより巨大な金太郎飴と化した番組(長さが3億光年くらいありそう)は、もはやどうイジっても「笑っていいとも」になるらしい、ということが改めてわかった。

 そんなわけで、「これは絶対に観ておくべき」とは思わないけど、まあ、伝説的な映像を一応チェックしちゃいました、と日記には書いておこう。
12月15日(水)

 ドンキホーテの火災が大ニュースになっていますが、なんか風向きが「消防法違反だったかどうか」というのに傾いてますが、それよりも、放火だってことのほうが怖いんですが、犯人は捕まるのかねえ。
 そういえば、奈良の女児誘拐殺人事件も、今ごろになって、また犯人と思しき人から「次は妹だ」というメールが届いたとかで、なんか、宮部みゆきの「模倣犯」を思い出して、やーな気分になる。

 で、ドンキの話しですが、「圧縮陳列」というのが問題になっていますが、私はドンキが流行はじめたときに、どうもあの「ゴテゴテした店内」が好きになれなかったので「買い物しにくいよ」と、友達んちで鍋を囲いながら言ったことがあります。
 その友達が住むアパートは、某繁華街の裏通りにあり、ドンキの中を通るのが近道だったのですが、入り口は1階なのですが、裏の出口は2階にあったので、ややこしかったし、通り抜けるにしても通路も狭く、いつも混んでいたので、私はいつも遠回りだけど、ちゃんと「道路」を通っていたのでした。

 そしたら、鍋の向こうに座っていた「ドンキ大好き!」な人が「あれはねえ、わざとやってんだって。戦略らしいよ」
 ドンキの魅力とは、うろうろしていると「あまり必要ないが、これって持っていてもいいかも。しかも安いし」という物を発見することらしい。
 なので、客は買い物というよりも「探検」に来ているというのです。

 実際、友達が「ドンキで見つけて、思わず買ってしまった」という品物は、しっぽを持つとユラユラと怪しい動きをするヘビっぽいオモチャとか、「野外パーティーで、こういのあってもいいかも」という、チャチいバドミントンっぽいオモチャとか「なくても困らないけど、これが数百円だったらいっか」な品々でした。
 みんなよく「ドンキで発見」とか「100円ショップで見っけた」などと、そういう「掘り出し物」を自慢していましたっけ。

 私は、「買い物嫌い」というか、買い物恐怖症のケがあるし、私にとっての買い物というのは、「必要なものを買いにいく」というのがメインなので、「なんか、面白そうなもの、あるかなあ」という買い物はめったにしないので、どうもドンキに入っても「わくわく」しません。
 フジロックに行く前に「安いテントが欲しいなあ」と思って、ドンキにならあるかなあと行ってみたら、やっぱしあったのですが、そのときもキャンプ用品が置いてある棚に直行して、他には何も買いませんでした。

 で、何が言いたいかというと、自分があまりドンキが好きではなかったことを勝手に「趣味のいいこと」だと思っていたので、今回の火災で、ニュースやワイドショーでドンキが悪く言われているのを観て、ちょっと「やだなあ」と思ったのでした。
 それに、私がなんとなくドンキにひかれなかった理由が「潜在的にあの店舗の危険性を感じていたから?」ということになりそうなのも気に入らないのでした。

 自称「気難しい風流人」は、やっぱし気難しいようです。
12月14日(火)

●オジサマたちに囲まれて

 税理士との決算最終打ち合わせ。
 去年からやっとこの会議に出席することになったのだが、上司が異動になったので、いつのまにか私が中心になってしまったわい。税理士事務所の担当者とは、よく電話などでも遣り取りするが、税理士先生とお会いするのは、年に一度、このときだけである。

 税理士先生と、その片腕というか先生は二代目なので、たぶん番頭さんみたいなベテランなオジサンと、いつもシャカシャカとせわしなく喋る担当者の3名に、うちの社長、T部長、あたしで、計6名。
 オジサンたちの年齢はよく知らないが、下が45歳から上が50代後半ってところだろう。

 つーわけで、1時間ほど税理士先生の演説を拝聴したので、けっこうクタばれた。
 また、少し数字が変わることになったが、やっと今年は念願の還付だ!

(決算月の半年後に、予定納税があり、空前の利益を出してしまった前期のために、すげえ金額の予定納税を泣く泣く支払ったので、決算では逆に還付される。サラリーマン諸君の「年末調整還付金」と基本的な仕組みは同じである)

 ところで、最近、親会社を含めたグループ各社に立て続けに「税務調査」が入り、うちは決算期だったので、今は来ないみたいだけど、来年の初夏くらいに来るのが確実になってきた。
 その話題も出たんだけど、税理士先生が「もし、なんだったら、断っちゃいましょうか」と言うので、社長も「どーせだったら来てもらえば」と言っているし、私も同感。

 ちゅーか、社長からも、親会社の経理部長からも、税理士事務所からも「そろそろ来ますよ」と脅かされているので、「来るんだったら、早く来てくれないと、気持ちが落ち着かんわい!」という気持ちなのである。

 税理士さんチームが帰ったあとに、また親会社のほうと未払金の変更が起こったので、親会社の経理部長に「さっき、社長が電話でお話しした件ですが、最終的にこうなりました」と報告に行った。
 親会社と不動産の売買をしたのだが、そのときの登記にかかる経費を親が出していたのだが、税理士軍団は「それはうちで負担すべき」と騒ぐので、渋々変更したのだ。
 実は、親会社経理では「これは、いいや。うちで持つから」と言っていたのだが、こういうことになってしまったので、彼も「そんなに、あれこれ負担したいほど、儲かってんの?」と言うので、「いえ、今年は還付です〜〜〜」と言ったら、「それじゃあ、マジに税務署来ちゃうよ」

 「早く来てもらったほうがいいんです。皆が来る来るって、あたしのことを脅かすので、これでなかなか来なかったら、いつ来るのか落ち着かないじゃないですか!生殺し状態ですよ。殺すなら、さっさとヤってくれって、もー」とまくし立てたら、経理部長も笑っていたが、経理部のベテラン女性(ベタランしかいない)にも笑われた。

 そーいえば、昨日だか今朝のニュースで、「保険金殺人の美人ママが罪状認否の席で『さっさと死刑にしてくれ』と意見」とゆーのがあった。
 夫を二人も保険金目当てで殺害して、贅沢三昧の生活を送っていたらしいから、もう、この世に未練は無いのだろう。
 それに、もし裁判で無罪になったとしても、もはや年齢的に「保険金かけて殺せるような夫」が寄ってくる可能性も少ないだろうし、セルフ美人局で関係を持った(この表現ってなんかね)妻子ある男性を恐喝するのも難しそうだ。
 だったら、もういいや、って気持ちは、なんとなく想像できる。

 というか、昔の友人のことを思い出した。
 「昔の」というのが付くのは、最近はまったく疎遠になっているからである。いろいろあってね。

 数年前は、やはり酒豪であった彼女の部屋でよく飲み会をしていた。
 彼女は美人だったし、人当たりもよかったので、派遣先などで知り合った人たちを飲み会に呼んでいたりして、わりと「華やかな人」であったはずなのだが、けっこう屈折していたので、自分のことを美人だとは絶対に認めなかった。

 彼女とサシで深酒していたある夜、彼女がボソリと言った。
 「もう30歳過ぎたし、別に長生きしたいとは思わない。それよりも、お金もなく、年老いていくのが怖い」

 たしかに、事務職派遣をしていると、ボーナスも無いし、生活はカツカツである。旅行に行くお金を溜めるのも昼食代をケチっているのだ。彼女はさらに冬の暖房費をケチって、風邪をこじらせ肺炎で入院したこともあるツワモノでもある。

 そんな生活に不安を感じるのは、皆同じだと思うのだが、さらに彼女はこう言った。
 「もし、寿命が売れて、私が60歳まで生きるところをあと10年でいいや、って言って、残りの寿命を誰か、お金持ちで長生きしたい人が、3千万円で買ってくれるなら、売ってもいいな」

 なんか、落語にそういう話しあったよな。ろうそくが寿命を現しているって話し、と思ったのだが、彼女はシャレでそう言ったのではなく(暖房費をケチって肺炎になるくらいだから、ほんとに生まじめな性格で、冗談のスキルは低かった)、酔っ払っていることを差し引いても、目がマジだった。

 私は、「やーん、その話し怖いよ〜、やめよーよ、そういうこと言うのは〜」と嗜めたが、彼女は私が何を嫌がっていたのか、わからなかっただろう。
 そのときは、「そういうことを真面目に語るのは怖いが、でも、まあ実現不可能だし」と思っていたのだが、「保険金殺人の美人ママ」は、まさにそれを実現したのだ。

 ひゅーーーーーーーー、怖いよおーーーーーーー

 でも、私の友人は、他人に迷惑をかけることを異常に恐れており(片思いの男性に話しかけることすら「私なんかに話し掛けられたら迷惑だろうし」と悲観していた。「美人に話しかけられて迷惑に思う男なんかいない!たとえ、妻子がいようと孫がいようと、女性に話し掛けられて嫌だと思う男なんて、この世に1人もいないんだよ」と私が力説しても、聞いてくれなかった。自分が、男に馴れ馴れしく話しかけられると嫌悪感を持つので(美人なので、クラブでもよく話かけられていた。ちなみに隣にいる私は無視されたこと多数)、「自分が嫌なことは、他人にも迷惑」と決め付けていた。)たとえ、「大金掴めるが、寿命は縮む」とはわかっていても、保険金殺人はしないと確信できるけど。

 なので、凶悪な殺人犯のニュースを観て、友達を思い出すってのも心苦しいものがあるが、でも、どこか根本で共通するものがあるのを感じ、ゾゾゾとしたのであった。

●よくわからない人

 会社の派遣のOさんは、それなりに慣れてきてはくれたが、やはり時々謎の質問をぶつけてくる。

 昨日の朝も「一つ聞いてもいいですか?」と言ってきたので「なんでしょう?」と言ったら、「今日は新聞が休刊日なんですけど、その場合、どうすればいいでしょうか?」

 「はあ・・・・・」
 としか言いようがなかったが、それでは納得してくれないのがわかったので、「うーん、今までどうしていたのか、私にはよくわからないなあ」と、トボけた。

 新聞を3紙とっているけど、それは社長室にある新聞ラックにぶら下げてある。
 そこに、なんにもぶら下がってないと、見た目が寂しいから、打開策としては「日曜日の新聞を置いておく」か、もしくは潔く撤去して「今日は休刊日ですよ」をアピールしてもいいだろう。
 新聞が必要なときもあるが、主に社長の暇つぶしとして機能しているのである。

 だから、はっきり言って「どーでもいー」ことなので、たぶん、今までその業務をしていた人たちは、それぞれ「テキトーに」やっていたのであろう。

 しかし「わからないなあ」とトボけても、Oさんは口を半開きにして(若者らしく、いつも半開き)じっと私の「決裁」を待っている。
 私も負けじと、「うーん、わからないなあ、どうしてたんだろ?」を繰り返した。(いぢわる)
 そしたらやっと「日曜日の新聞を下げておけばいいんですかねえ?」と言ったので、「うーん、それでいいのかわからないけど、そうしておけば?」と言ったら、真面目な顔で「はい」と返事をして、去っていった。

 どうも、すでに日曜日の新聞はセット済みだったらしい。

 だったら、「今日は新聞の休刊日だったので、しょうがないから日曜日の新聞をセットしておいたんですけど、それでいいですよね?」って言ってもらえれば「いいんじゃな〜い?」と言ってあげられたのに。

 そういう「とにかく細かいことも確認せずにはいられない」というのが、彼女の性格なのか、それとも前の職場であった某一流ホテルの流儀であったのかは未だによくわからないのだが、他にも妙に在庫管理に神経を尖らせることがあり、それはもしかしたら「ホテル流のお仕事術」なのかもしれない。

 たぶん、ああいう「備品のストック」に気を使う業種では、「この備品の残りがこれだけになったら、次を発注」というマニュアルがあったのだろう。
 うちの会社は接客業ではないので、たとえコーヒー豆が切れても、客にお茶を出せば済むし、新聞だって、休刊日の朝は客室に配る新聞をどうするのかなんてマニュアルは無い。

 もう少し脳みそにシワがよっていれば「うちの会社は社内のそういうサービスで稼いでいるわけでもない」ということがわかるはずで、サービス業と、総務が仕切る「福利厚生」は違うなんてことは、考えなくてもわかりそうなもんだけど・・・・・わからないんだな。

 先日、領収書を発行するときに貼る200円の収入印紙のストックが残り10枚を切ったとOさんに言われたので、その翌日、たまたま彼女が郵便局にお遣いに行ったので、収入印紙も買ってきてもらった。
 今日になって、私が営業部に頼まれて領収書を作ったので、「200円の印紙ください」とOさんに言って出してもらったら「そういえば、これって、どのタイミングで補充すればいいんですか?」

 「さあ・・・・・・?」

 ってゆーか、すでに先日「残りが10枚を切ってしまいました」と言ってくれたので「じゃあ、ついでのときに買っておくよ」というやりとりがあったので、そこで私が「もっと早くに知らせてもらえないと困る」と言ったんなら別だけど、収入印紙なんて、いつでもすぐに郵便局に行けば買えるものだし、それにたぶん、月にどんなに多くても10枚くらいしか出ないのだ。(普通は月に2、3枚程度)

 そして、切手や収入印紙の管理は、彼女の仕事だから、数年分の「使用履歴」(現金に近い性質のものなので、月々ちゃんと棚卸をしてもらっている)は残っているというか、引き継いでいるはずなので、どれがどのくらいの頻度で使用されているのか、調べればすぐにわかる。

 私がもし小学生だったとして、「切手の在庫管理をお願いね」と言われたら、まずそれが平均して月にどれくらい使用されているのか調べればいいだけだ。月に50も出るものだったら、100を切ったら補充したいし、月に2くらいしか出ないものだったら、10を切ったら補充するとか・・・・・
 前任者たちは、さらに複雑な計算をしており「あれこれバラバラに補充を申し出ると、ミヤノさんに負担をかけるから」と考えて、「よく出るものが補充が必要になったときのついでに、まだ残高はあるけど、数ヵ月後に残高が心配になるものの補充を申し出る」ということをやっていた。

 「80円切手が50枚を切ってしまったので補充したいのですが、収入印紙も、残りが20枚なんです」

 そう言われると「じゃあ、収入印紙も、どうせ使うものだから買っておきましょう」と判断できる。
 そんで、たとえば、速達用の切手みたいに、頻繁に出ないものの補充を相談されると、こっちが聞かなくても向こうが「これは、月に○枚くらい出てます」と言ってくれるので「だったら、そんなに沢山補充することないよね」なんて、逆にこっちが相談できるのだ。

 と、ちまちま書くのもアホらしいことの「当たり前」のことである。
 主婦が台所の調味料を買い足すのと同じ行為だ。毎日、料理していれば、調味料の減り方もだいたい把握しているので、マヨネーズはあっという間になくなっても、みりんは最後の1センチになったところでいいとか、そいうのと同じでしょ?
 そんで、マヨネーズは他に替わりがないかもしれないが、みりんが切れても「料理酒が余っているから、先にこっちを使おうかな」とか。そういうのは「頭の良し悪し」の問題でもなく、普通の人は自然にやっているはずだ。もちろん、マヨネーズが切れそうなことをわかっていながら、買い物に行くたびに買うのを忘れるというのは、また別の話しだ。

 なので、私の心境は、「お母様、ちょっとお伺いしてよろしいですか?お酢があと半分しか残っていないので、これはいつ、買いに行けばいいのでしょう?」と言われた姑の心境(バカ嫁がああああああああ)と、たぶん同じである。
 そして「○子さんのお好きになさったら」と言ったら、ある日、台所の棚を開けると、お酢が3本も置いてあって、茫然っていうような。

 私にはよくわからないレベルで「不安症」らしいが、ミヤノ家は両親とも「ま、いっか」な育ちだったこともあり(ソースが切れていたら、「ま、いっか。新しい味覚を開発できるかも」とコロッケに醤油をかけて食べる一家だった。マヨネーズが切れていたら「たしか、タマゴとお酢で作ったほうが本当のマヨネーズらしい」ということになり、急遽作ってみたのだが、明らかにQPのほうが美味かったけど「でも、これが本当のマヨネーズなんだよね。無添加じゃん!」と無残に分離したマヨもどきを賛美した)、不安症」が一番苦手である。

 いろいろな本を読んでわかったのだが、どうもうちの一族は「不安を感じる」という能力が著しく欠けており、みなさん、かなり能天気である。
 そのせいかどうか知らないが、みんなあまり出世しない。「自分がこれでいいなら、いっか」という気質が遺伝しているようである。でも、ご先祖様の努力かどうかわからんが、それなりの知能は与えられており「ま、いっか」というレベルがそこそこ世間に通用するらしいので大変感謝しております。
(実は、あんまし通用していないかもしれないが、そういうのも「ま、いっか」と適度に無視できるのは、やはりご先祖様のおかげなのかな、たまには墓参りに行かないといけないのだろうか・・・・・ま、いっか。死んだ人は死んだ人だし)
12月13日(月)

 また韓国スターが来日したらしい。今度はフジテレビで放映されているらしい「天国の階段」の主役であるグオンなんちゃらって人。(また、名前おぼえられないよお)

 そのドラマを観ていないので(「美しき日々」と平行して観ると、なにがなんだかわからなくなってくると、会社の同僚は言っていたけど。どっちもチェ・ジウが主演)なんとも言えないが、でも、今まで来日した韓国俳優の中でも、ひときわ「顔が地味」だ。
 ユースケ・サンタマリアのほうがイケてないか?

 韓国では、四天王を上回る人気らしいが、四天王はそれなりにルックスはいいと思ったけど、こいつは「地味な顔だけど、ナイスバディ」が売りらしい。
 私は、韓国映画をほとんど観たことがないので、四天王の中でもウォンビンやチャン・ドンゴンの演技を観たことないので、「ハンサムだ」とは思うけど、そんなに興味はない。
 ヨン様は、冬ソナのキャラが人気があるのはわかるけど、他の役をやるとどうなのか疑問。CMで、見飽きてきたしな「チュンサンなヨン様」

 そーいえば、昨日、ぼんやりNHKを観ていたら(なにしろNHK教信者だから、なるべく洗脳を維持しないとね)、ニュースを読んでた比留木アナがヨン様っぽくなってて笑えた。

 話しは戻るが、というか戻ってもどこに行くのかわかってないが、そうそう、その中でも「美しき日々」の・・・・イ・ビョンホン(どうしても、イ・ミョンボンって言いたくなる。ホン・ミョンボの仕業らしい)は、かなり気に入っている。
 でもね、本当は「ああ、この役、若いころの加藤雅也がやったら、もっと凄かったのになあ」と思っているのでした。
 クサい二枚目やらせたら、加藤雅也は最高だったよなあ。ジェットコースタードラマが流行ったときに「ジュニア」ってゆう、政治家ジュニアのドラマがあったんだけど(加藤雅也のライバルは高嶋弟でした)、もー、そのクサさに、ヒーヒー言いながら悶え苦しんでいたのだが、中でも最高だったのは田中美奈子との絡み。濃すぎました。

 もう少し上の世代だけど、私の心の琴線の「同じあたり」を鳴らすのは、岸部一徳。

 ああいう、なんか影があるというか、数ミリずれるとキモいスレスレというか、爬虫類系というのか、なんと表現していいのかわからないが、トヨエツも出だしのころはそういう雰囲気があったんだけど、最近はちょっとパっとしないような気がするので残念。
 逆に、ノーチェックだった、哀川翔なんかのほうが、「それ系」っぽくなってきてしまったが、個人的には趣味ではない。
 三上博史が、ときどきちょびっとだけその片鱗を見せることがあって、そういうときのドラマは面白いけど、彼の悪いところは悪ノリしすぎるところで、岸部一徳の悪ノリは見応えがあるが、三上博史がやると引いてしまう。

 そういえば、昨日、NHKをボーっと観ていたら、「新撰組」が始まって、なんと最終回だった。
 年の瀬なのねえ。
 評判があまり良くなかった新撰組であるが、私は時々しか観てなかったけど、それなりに楽しめた。新撰組に全然思い入れがなかったのもよかったのだろう。
 でも、最終回はなかなかの出来だったと思う。大河ドラマはあまり観ないのだけれども、何度か最終回だけは観ているのだが、たいてい主人公の最後が描かれるので、その重厚さが問われることが多いようだが、「悲劇的な結末の青春ドラマ」の最終回としては、十分に重厚であったと思う。

 てゆーか、ボロボロ泣きながら観てました(笑)
 だって、斬首目前なのに、池でカエルが泳いでたりするんだもん。

 でも、香取慎吾はなかなか頑張ったと思う。

 さっきの話しに戻るが、スマップの中で「それ系」ができるのは、香取君だけなんだよね。
 でも、本人も周囲のスタッフもそれをわかってないのか、わかっているのにあえてやってるのか、「ニンニン」とかやらせるんだもんなあ。
 深読みすれば、香取慎吾に「3の線」を張らせて中和させているのは、香取慎吾としての戦略というよりは、キムタクとのバランスなのかもしれない。

 キムタクは、頭がいいので、明らかに「それ系」(連呼しているが、簡潔に表現できる力量がないので)をやろうとしているが、なぜかそうならない。
 某パソコンのCMで、岸部一徳と共演しているのを観たときには、「ああ、私以外にも、キムタクに『あんたには無理だよ。早く気がつけ』と言いたい心ある人がいるのだなあ」と思ったもんだ。
 その後、岸部一徳に替わって、哀川翔があのCMの相手役になったときには、「企画スタッフ、わかりすぎ〜〜〜」と爆笑した。
 ああやって、隣に置いちゃうと、キムタクにヌメりがないのが際立っちゃうじゃん。かわいそうじゃん。

 中国製の高価な墨で描いた文字の横に、小学生が使う汎用墨汁で書いた文字を並べるような気の毒なことである。

 でも、「2046」では逆に邪魔にならなくてよかったんだけどね。(ああ、私ってほんとに口が悪いなあ。これでも誉めてるつもりなのに)

 というわけで、香取慎吾はいつも「いい線」までは行くのだが、ここら辺が限界なのかもしれない。
 グループのしがらみがない分(そういえば、岡本健一も、一瞬輝いたが、最近観ないなあ)、若手で一番「それ系」に近くなってきたのはオダギリジョーかもしれない。
 前にも書いたけど、最近フォトジェニックぶりが凄い。あれはカメラ回す人も楽しいだろう。ああいうのをウォン・カーウェに売り込んでおいたほうがいいぞ。(つーか、私がカーウェイ組のお耽美映像に収まったオダギリ君を鑑賞してみたいだけ)

 なんか、また「イケ面」について熱く語ってしまったようですが、こういうことを喋り捲っていると、よく男友達に「だっから、いつまでたっても結婚できねーんだよ」と失礼なことを言われてしまいますが、そういうときには「これは、ミーハーなことを言っているのではなく、美術評論の一種なのだ」と反論しています。

 それに、あんましアイドルとは縁がなかったけど、昔は芸能界で働いていたので、芸能人を間近で拝見する機会も多く、「あ、画面で見るのと全然違う」っていうガッカリ体験も、普通の人より多く体験しているので、映像と実物は別モノというのもよくわかっているつもりです。
 モネの描く風景画のほうが、実際の風景より美しかったりするように、「映画やテレビドラマの中」というのも、「本物」とは別のものだし、もちろん、パリ郊外にあるモネの家で「本物の睡蓮の池」を観たくなるように、冬ソナの並木道を歩いてみたくなることもあるでしょう。(私はパリの公園で「わーい」と「ディーバごっこ」しました)

 それは、それで楽しいことだし、いいんじゃないでしょうか?

 今日は、ふたご座流星群がピークだというので、張り切っていたのですが、東京は曇りでダメみたい。
12月12日(日)

 12月だというのに、夏日になったりするし、近所の朝顔はまだ咲いているしで、ついつい師走であることを忘れてしまいそうになるが、確実にだんだん寒くなっている。
 友人A嬢から「また、子供見に来てね〜」と熱烈歓迎メールが届いたので「仕事も一段落したし、そろそろ行ってみるか」と思っていたのだが、自分の部屋の惨状を目の当たりにするにつけ、「まず、片付けて掃除しないと、暖房器具が出せないじゃん」というわけで、今日は「掃除の日」に確定。

 しかし、昨日は、ちびちびと焼酎のお湯割(梅干入り)をやりながら「美しき日々」を観ていたのだが、「冬ソナ」もそうだったんだけどラブシーンの歯がゆさというかジレったさに、「くぅぅぅぅぅ」などと言いながら観ていると、ついうっかり飲みすぎてしまう。
 でも、「美しき日々」は冬ソナよりも、キスシーンはある。でも、やっぱ、最初はおでこにチュっとかやるので、金属バットを振り回したくなっているのは私だけなんでしょうか。ヨン様が、おでこにチュッだと、「まあ、しゃーねーな」と思えたのですが、ええと、まだ名前覚えられないんだよな(笑)・・・・あの原田タイゾー(ダイソーとは関係ないです)の役柄(レコード会社のギラギラ御曹司)が、おでこにチュっしてると、鳥肌が立つのですが、「ぎゃー、キモい!」と言いながら、腕をボリボリとかきむしっている私は、なんだかんだ言っても、すっかり相手の術中にはまっているというのは、わかってますってば。

 ところで、「韓流ブーム」と言われますが、会社での女子社員同士の会話でも、韓国スターの名前がボロボロと出てくると「ああ、ほんとうだなあ」と思います。
 私は記憶力が悪いので、やっと最近になって「チェ・ジウ」と言えるようになりました。前までは「冬ソナの人」とか、「コイちゃんが済州島と発音が似てるって言って、困らせていた人」とかいうわかりにくい説明をしていました。
 そんで、「イ・ビョンホン」の名前は未だに憶えてないし。(「原田タイゾー似」で済んでしまうのが、ちゃんと憶えない原因の一つ)

 先日も会社で「韓国ドラマ」の話題をしている人たちがいて、「出てくるのが、同じ俳優ばっかりだから、いったいどれがどれだかわからなくなってきた」と言う人がいて、彼女の母親が、録画して後で観ていたりするらしく、それで「いったいチェ・ジウが誰と付き合っているのか、わけわからなくなった」そうです。それを聞いていた相手も、韓国人俳優の名前を何名か挙げられて「○○と付き合ってるのは○○っていうドラマでしょ?」「でも、今やってる美しき日々でも、同じ組み合わせっぽいんだよ」

 やっぱしテレビで放送されて人気があるものって、違うよなあ。
 その昔、香港ブームになったときもあったけど、結局、マニア向けっていうか、「2046」もプロモで、トニー・レオンがやってきたって、ワイドショーも簡単に取り上げただけというか、ほとんどキムタクしか写ってなかったし、アンディ・ラウが来日したときにも、ファンが空港に大勢詰め掛けたことは紹介されたが、あんときにも「一部の熱狂的な香港スターマニアが」というような視線だった。要するに取材する側も、アンディ・ラウがどの程度のスターなのか、よくわかってないのだ。

 だから、普通の人たちが、「チェ・ジウがね」と普通に話しているのを耳にすると、すでに韓流スターは、レオ様やトム・クルーズなどと同じくらいの知名度で、「早く、ハウルも観たいなあ」って人たちにも充分に浸透しているようだ。

 さて、話しは戻るが、「美しき日々」で飲みすぎてしまったので、なんとかその後の「爆笑オンエアバトル」までは憶えているのだが、いつのまにか寝ていたらしく、朝目覚めてから、「あーん、ERまでたどり着けなかった。NHKのばかあああああ」と嘆いていたのであった。

 ところで、NHKの不祥事で、受信料未払いを宣言した市民が多いと、民放のニュース特集でやっていた。
 私は、わりと「不祥事」に寛容で、つーか鈍感と言うのか?元々、あんまし他人を信用していないので、「ある程度の不祥事はあるだろう」と思っているので、NHKの事件もそれほど関心がない。
 てゆーか、多少、ムダ遣いしてくれても横領してくれてもいいから、ERをせめて12時半くらいから放送してほしいものである。
 それに、NHKに支払っている金額なんて、年間1万5千円くらいなのかな?(口座引き落としなので、あまり意識していない)
 そのくらいの金額だと、年末の紅白歌合戦で小林幸子の衣装のことを考えれば、「あれのために払っている税金だと思えば安いものだ」と思えるし、毎日観ているわけでもないが、「クローズアップ現代」の国谷キャスターの不思議な無表情・無感動ぶりなんだけど、ちゃんと感情こもっているようにも見える技を堪能するのに、3000円くらい払ってもいいと思っているし、これでちゃんとERを放映してもらって、「ホワイト・ハウス」も地上波で放送してくれるなら、安いものである。

 要するに、年間2万円くらいっていうのは、「雑誌代」みたいなもんで、雑誌だと考えればNHKはけっこう「いい暇つぶし」にはなって、コストパフォーマンスがよい。
 そりゃ、強制的に料金を徴収するシステムがどうなのかっていう議論もあるだろうけど、でも、民放がスポンサーで成り立っていることを考えると、気分的には、私が歯ブラシや洗剤やシャンプーや化粧水を買うたびに、そこにたぶん、いくばくかの「テレビの制作費」がのっているわけで「私はお昼のメロドラマを観ていないので、そのぶん、石鹸を安くしろ」とは言えないわけで、だったらNHKの料金だって同じようなもんだ。

 というわけで、私個人的にはNHKの料金は「新聞代」程度のことだったので、新聞社が不祥事を起こしても、すぐに新聞を替えたりしないと思うが、「大手新聞社」よりも、NHKのほうが「神聖度」が高かったということなのかなあ。
 宗教に入っている家が購読している「○○新聞」みたいに、私は自分ちが「NHK教」だったので、その購読料を月々支払うのは「当たり前のこと」だとずっと思っていたというか、そのことに何の疑問も抱いていなかったようである。

 さて、そんなこんなで、今朝、目が覚めたのはすでに昼くらいだったのだが、「さーて、掃除すんぞ」と思ったが、悲しき曇天よ。
 つーか、雨降ってるし。
 それでも、昼過ぎには雨もやんでいたので、洗濯しつつ、掃除機をかけつつ、でも、ちょっとメールチェックしようかとパソコンを立ち上げて、メールに返事を書いていたら、「ぶっしゅ」と私はアメリカ人だったら民主党指示していたと思うが、まあクシャミは共和党ということで、派手にクシャミしてしまったのだが、そしたら、腰にビビビ。

 うう、プチぎっくり腰。
 寒かったので、体が固くなっていたらしい。
 そんなに重大な事態でもなかったが、初期手当てが大事なので、腰に湿布を当てて、しばらく安静にしていた。
 ああ、今日もファンヒータが出せない。

 とりあえず、洗濯中であったので、へっぴり腰のままで、なんとか洗濯を干して、また横になっていた。
 夕方、お腹が空いたので、近所のチャンポン屋で皿うどんを食し、洗剤がもうなくなりそうだったので、いつも愛用している「おばーさんがやっているレトロな雑貨屋」で洗剤を買って帰った。
 ちゃんぽん屋さんでも、雑貨屋さんでも「今日は寒いですねえ」という時候のご挨拶交換した。こういう近所付き合いは好き。

 グローバル・スタンダードがどうのよりも、ちゃんと近所で挨拶できる人を増やしたい、と思うのだが、なかなか独身者には難易度高いんですよねえ。
 でもね、さすがに10年以上住んでいるので、隣の一軒家の老夫婦とはちゃんと挨拶を交わしています。朝のゴミ捨てなので顔を合わせるので。

 たぶん、私がなんかの犯罪に巻き込まれても、隣のご夫妻は「きちんと挨拶してくれたし、感じのいい人でしたよ」とワイドショーのカメラの前で言ってくれると思います。ついでに、たぶん「服装は地味でしたけど、きれいな方でした」とも言ってくれるであろう。だって、いまどき、ちゃんと挨拶するアパート住民なんて珍しいはずだから、あの年齢の人は、「きちんと挨拶する若い人」の容姿を8割増しくらいで認識するであろうという、こすい計算しているのである。
 たまに、よろよろと朝帰りしているのを目撃しても、見逃してね・・・・

 あ、明日の夜がふたご座流星群のピークなんだ。明日の天気はどうなんだろう。流れ星みたいなあ。

12月11日(土)

 昨日は寿司屋で寒ブリの刺身を食べた。

 寒ブリア期。

 (それが言いたかっただけらしい)

 会社で、とある人が私の顔を見て「あ、そういえば・・・・」と言うので、「なんでしょう?」と振り向いたら、「いや、仕事の話しじゃないんだけど、ははは」とか言うので、ますます「なんでしょう?」と言うが、向こうはニヤニヤしているだけなので「なになに、なんなんですか?」と詰め寄ったら、
 「いや、別にたいしたことじゃないんだけど、この間、テレビ観てたら、平原綾香が出てて、なんかミヤノさんと似てるなあ、と思って」

 と言われても、平原綾香の顔を思い出させない。(ってゆーか興味無しってことなんだが。「ジュピター」が、被災地の新潟でヒットしているらしいことを知っているくらい)
 「でも、たしか、そんなブスじゃなかったっすよね?」と私が言うと、「うーん、顔立ちがどうのっていうより、雰囲気なのかも」と言われた。
 気になったので、写真を調べてみたが、全然似てませんでした(笑)
 たぶん、平原綾香も、ときどき「まぶたが重いとき」があるようで、そのあたりが似てるんでしょう。

●朝の密かな愉しみ

 出勤途中に通りかかるビルで時々見かける、廃棄物回収車があるのだが、その作業をいつも一人でやっている兄ちゃんの髪型が、なんとなく竹宮恵子が描く美青年風というか(ジルベール風?)、耳にかかるくらいの長髪で、顔が半分くらい隠れている。
 そんで、180センチくらいの長身でスラっとしてんの。
 少女漫画な髪型の長身の青年が、作業着に身を包んでいて、しかもゴム長靴を履いていて、さらに、ズボンの裾は長靴の中に入れているというのは、かなりの高得点である。

 毎朝、「ああ、今日も素敵」と胸をときめかせているので、なるべく顔を観ないようにしている。(斜め後ろ10メートルからが、ベスト鑑賞ポイント)

 そういえば、以前やはり毎朝観察するのを楽しみにしていた「冬の朝顔」だが、ここんとこ、妙に暖かい日があるので、また勘違いしちゃったらしく、今朝は小ぶりの花を二つ咲かせていた。「師走の朝顔」というのも、なかなか趣があってよろしい。

●悪夢

 ここんとこ、頻繁に「人が死ぬ夢」を見る。死ぬのはほとんど見知らぬ他人のようだ。
 前にも日記に書いた「昔の友達の婚約者が目の前で轢死」というのもそのシリーズだったようだが、その後も記憶に新しいのは、久々にクラブに行くことが決まった数日前に「大型クラブに行ってみたが、なんか怪人というか、エイリアンみたいな怪物が中で暴れた直後で、クラブ内は血みどろ」という夢も見た。でも、そんときには「こりゃ、もうDJどころじゃないよなあ」と思ったのだが、「どうも怪物はもう、どっかに行ったみたい」ということになり「せっかく来たんだし、遊んでいくか」と死体を踏まないように、フロアに降りて行ったのであった。

 昨日の夢は、「部屋に帰ったら、透明ビニル袋に入ったバラバラ死体が置いてあった」という、これまたスプラッタなもので、夢の中の自分は、その犯人が誰かわかっていた。最近、ずっと会ってない友達だった。
 なので、かばおうかどうか、しばらく迷っていたが、でも死体の処理をするのも嫌だったし、渋々、110番に電話してみたのだが、「鳴るけど出ない」状態。

 20コールくらいしてからやっと出てくれたので、状況を説明したのだが、なにせ、友達の仕業であるので、どうしても表現がソフトになってしまったようで、警察も重大事件だと思ってくれなかったらしく、
 「担当者はただ今、会議中でございますので、30分くらいしたらご連絡いたします」
 という謎の対応をされてしまった。

 それにしても、いつもなんとなく「スプラッタな、お笑い映画」のような夢になりがちなのだが、こんなに猟奇的な夢ばかり見ることも生まれて初めてだ。
 潜在的になんかあんのかね?

 酒の飲みすぎや老化によって、脳細胞がどんどん死んでいくことの悲鳴なのかもしれないが、でも、タロット占い的には(笑)「死神」は「再生」も意味していたはず。やっぱし、「仕事辞めて、また1からやり直したい」ということの表明なのかも(笑笑笑)

 でも、最近、仕事しているときに、妙に楽しくなることがあるんだよね。
 一度「がぴょーん」と思って、落ちるだけ落ちたので、反動で開き直ったというか「あっかるく」なってしまったらしい。そういうのはコントロールできるものでもなく、先週もカタカタと伝票を打っていたら、急にヒャララんと目の前が明るくなったので、しばらく「ああ、今、なんだか無意味に楽しい」と、突然放出されてしまった脳内麻薬物質だかをゆっくりと味わった。吉野家に入ったら、極上の牛しゃぶが出てきたような、嬉しいような困ったような状況。

   せっかくだから、周囲にも笑顔を振り撒いていたのだが、そんなときに、他部署のK部長がうちのフロアにタバコを吸いに来ていて、ハイジがビシバシと仕事している鬼気迫る様子を見て「あ〜、某プロジェクトの仕事かあ、大変そうだねえ。顔が暗くなってんよ?」
 K部長は、そういうお調子トークがとても上手いので、ハイジが無視していてもマイペースで「なんか某プロジェクトに関わってる人、みんな、最近、顔が真剣じゃない?ってゆーか、オレみたいなオチャラケ系は、元々、こういう仕事には召集されないんだけどさ」
 ハイジは「ほんと、大変っすよ。先が見えないし」と普通にあしらっていたが、私は思わず、

 「ということは、某プロジェクトって顔の暗い人しか選ばれなかったのですか?」

 と言ってしまったのだが(また他人の会話に口挟んじゃったよ)、それを聞いたハイジはボソリと、
 「口、悪すぎですよ」

 ほー、なるほど。いつもだと、私の軽口はハイジに完全無視されるのだが、私のテンションが「天然」だと、リアクションしてくれるんだ。カンドー。

 というわけで、今週は天然を生かして、またかなり毒舌振りまいてしまったようだ。たぶん、周囲も「普通、そういう言い方するか?」と暖かく見守ってくれたようです。ありがとうございました。(感謝の気持ちも大切よね)

 そういう精神状態のときに、ちょっと気がついたのだが、私が「苦手」だと思う人って、「幸せオーラ」の少ない人みたいだ。
 というのを言葉で説明するのはとても難しいんだけど、赤ちゃんとか子供を見ていると、なんか幸せな心地がするし、ちょっと突付いてみたいくなったりするが、大人になってもそういう魅力を保持している人もたまにいる。なんとなく、その人のオーラが届く範囲にいたくなるのだ。

 で、そういう輝きは持ってなくても、普通の人は多少そういうものを持っており、だからこそ、基本的には「敵」にするよりも、「味方」というか、ちょこっとお喋りするようなグルーミング行為が苦になることは少ない。
 でも、どうやら50人に1人か100人に1人くらい、そういうのが全然ダメな人がいる。

 どうも、そういう人たちは「感情を表現する会話」が下手なようだ。要するに会話能力が低い。うちの会社のビルに、1フロアだけ親会社の某部署が入っているのだが、そこに1人、私の苦手な人がいる。彼女はいつも表情が思いつめているので、ちょっと怖いのだが、ときどき会議室の予約をお願いされるときがある。
 彼女は、ちょっとしたことをお願いするときにも、本人としては笑顔を作っているつもりのようだが、一般に通用する笑顔ではないので、「すいません」と声をかけられた時点で、こっちは本能的に「なんか、クレーム言いに来たのか?」と、怯えてしまうのだ。

 本人が意識しているのかどうか、わからないのだが、何をやっていても「怒っている」ようにしか思えないのである。
 でも、あの人は、ほんとに「ビョーキ」なんだろう。一時間に1回くらい化粧直ししているし、会社で3回(出勤直後、昼休み、帰り際)歯を磨いている。

 私がその次に苦手な、派遣のOさんは、そこまでは「ビョーキ」ではないが、やはり会話がちょっと変。
 私とはほとんど雑談しないが、彼女としてはわりと心を許して会話しているはずの、隣の席のMちゃんとの会話を聞いてそう思った。

 Mちゃんが、お客さんからいただいた洋菓子を食べていたとき、
O「それ、タルトなんですか?」
M「うん」
O「ブルーベリーのタルトなんですね」
M「うん」
O「けっこう、おっきいブルーベリーが入ってるんですね」
M「うん」

 会話になっているようで、なってない。
 Mちゃんは、「誰でも思わず話しかけたくなるような」という意味では我が社でもトップクラスの魅力的な女の子である。彼女の横に立って、ついつい長話してしまう人は多い。聞き上手なんである。私も、暇なときには、Mちゃんと喋っていると、あっという間に30分くらいたってしまう。
 なので、普通の人が、「おいしそうなお菓子を食べているMちゃん」を見かけたら、普通はこういう会話になる。

私「なにそれ、タルト?わあ、おいしそう」
M「へへへ、おいしいよ〜。食べたい?まだ、あるよ?ほら、これ」
私「へえ、どこからいただいたの?」
M「○○印刷から」
私「ええと、Mちゃんが食べてるのは、これか。ブルーベリーだねえ。でも、こっちのカシューナッツも美味しそう」
M「ふふふ、二つとも食べちゃう?」
私「うーーーーーん、太るなあ」
M「さっき、Tちゃんも、太る太るといいながら、二つ持ってちゃったよ」

 で、その後「Tさんのダイエット宣言は、続いた試しがない」という話で20分くらい喋ってしまうのである。

 とにかくOさんの会話は、なぜか「膨らまない」のだが、それは本人が「自分の気持ち」をまず表現することができていないので、なんか会話が、中学1年生の英語のテキストみたいになってしまうらしいのだ。「これは○○ですね」と言われたら、「そうです」としか返しようがなくなる。

 前に自分の友達であるMちゃんに、派遣のOさんのことを愚痴ったら、「それはきっとメモリが大きい人なんだろうね」と言ったので、「え?メモリ?」と思ったが、よくよく聞いてみたら「目盛り」のことであった。
 普通の人だと、心の中に持っている「定規」はミリ単位まで刻まれているので、「これは1.3センチ」という言い方が通用する、というのか、仕事でも「これが1.7センチを超えたら、2センチにしちゃっていいし、1.3センチだったら、1センチにしておけばいいけど、1.5センチの場合はどーしよー」なんて相談をすることは多い。

 でも、そういう話しを目盛りが1センチ刻みの人に言っても、話しが通じないのである。

 例えば、電話を受けることの多いOL同士で「最近、○○さん宛てによくかけてくる○○社の○○さんって、なんかちょっとウザくない?」なんて話しをすると、相手も「そうそう、けっこうしつこいっていうか、外出中だって言っても、何時に戻るのかって詰め寄ってくるから困るんだよねえ」「そうそう、会議中だから1時間くらいって言うと『じゃあ、2時には終わりますねっ』ってきつい口調で言ってくるけど、会議が何時に終わるかなんて正確にわかるわけないじゃんねえ」と、まあ、単なる愚痴であるが、自分だけでなく、他の人も「ちょっとウザい」と思っていることがわかっただけで、少し心が軽くなり、また同じ人から電話があり「何時にお戻りですか?」って詰め寄られても、平然と「さあ?正確な時間はわかりかねます」なんてビシっと言えるようになるわけである。

 Oさんが、はやり同じ人からの電話で困っていたので、「ああ、その人、けっこう粘着質でしょう(笑)」と言ったら、意味がよくわからなかったらしく、私に向かって「それで、Kさんは何時に戻るのか?」と詰め寄るので、私がほのめかした「適当にあしらっておいてよ」というメッセージは伝わらなかったらしい。

 たぶん「目盛りが大きい」という人は、「行間が読めない」らしいなあ。
 それよりも興味深いのは、たぶん皆が普通にやっていることだと思うのだが、職場で他の社員に声をかけるとき、深刻度がゼロのことだったら(「FAXでーす」とか「郵便でーす」とか「電話でーす」など)、わりと明るい声で簡潔に言うし、「うーん、これなんだかわからないから、ミヤノさんに聞いてみよう」ってときには、ちょっと暗めの声で「ミヤノさーん」と言ってくるし(「この郵便物って、どこの部署に持ってけばいいのかなあ?」「社長宛てに、ややこしい電話があったんだけど、これって親しい取引先?」、もっと長々と相談したい件だと、「ミヤノさーん、ちょっとすいません、今、大丈夫?」と言って、案件の重要度は「表情」で表現していたりする。(眉の八の字の傾斜がキツイほど、ややこしさを現している)

 目盛りの大い人は、それがどうも苦手みたいだ。
 とにかく、なんでもかんでも「深刻そう」なのだ。
 この間も、深刻そうに話し掛けられたので「なんだ、なんだ」と身構えたら、経理課宛てにお歳暮のお菓子が届いたが、どうしますか?ってことだった。

 親会社の「苦手ちゃん」も、「すいません」と言ってやってくると、その後に「お宅の部長にさっきお尻触られました。訴えます」とでも言いそうな勢いなのだが、用件はただ「会議室の予約をお願いします」だったりする。
 そーいや、前にも営業部にいた派遣社員で、ときどき総務に「契約書の捺印をお願いします」と持ってくるのだが、顔が怒っているので、それは単に緊張しているだけだということはわかるんだけど、でも半年くらいいたけど、とうとう最後まで顔が怒っていたので怖かった。
 普通の人だと、笑顔で「お願いします」とか、あと「すいません、急ぎなんで今すぐいただけますか?」とか、「置いていきますんで、お手すきのときにお願いします」と言うので、そういう普通の会話ができると、全然ストレスにならないのに、ほんと世の中には、相手に変にストレスを与える損な人がいるよなあ。

 よくわかんない話で長くなってしまったが、私の言いたいのは「口下手さん」のことではない。
 口下手な人が捺印の必要な契約書を持ってくると「あの〜〜〜、これ〜〜〜〜」とかブツブツ言っているので、何を要求しているのかよくわからなかったりするので「なんですか?契約書?捺印してほしいの?」と、こっちが喋ってあげないといけないのだが、でもこっちもそれで不愉快とは思わない。何を言っているのかわからないけど「怖い」とは思わないからだ。
 口下手さん達は、それなりに「これってどうしていいのかわかりましぇん」という気持ちを表現しているので、それは構わないのだ。「怖い人」というのは「すいません。これを経理に持っていけば処理してくださると伺いました」と流暢に喋り、私の横で仁王立ちになる人だ。「実は流れがよくわかってない」という不安を固い態度で表現するために、相手にその不安が伝染しちゃうのだ。「あなたに出せば、あなたがなんとかしてくれるんでしょ」という態度。
 それは別に構わないのだが、「すいません」といいながら、顔が笑ってないのが嫌なのよ。

 口下手さんに多いが、無愛想をキャラとして昇華させちゃっている人というのもいて、それはそれでこっちも慣れるから大丈夫なんだけど、「無愛想」と「怒ってるみたい」は別のものなんだよね。
 あと、ちょっと不安症気味の人に「ああ、これは、こうすれば大丈夫」と指示すると、すごく不安そうなリアクションを受けることがあるが、でも、「え?よくわからない、えへ?」と笑顔で「困りました」を表現されると、こっちも「いや、そんな重大なことじゃないんだけど。これは、あーだから、こーなるわけ」と言えるけど、「え?なんですかそれ?私にはわからない。わからない。わからない」っていう負のオーラを噴出されると、どう説明すれば向こうが安心してくれるのか、こっちがわからなくなって心細くなる。結局「それ、ややこしいから、その都度、私に確認してください」ときっぱり言うと、それでも向こうは不安そうだが「とにかく、私がいろいろ気を回さなくてもいいんですね」という顔をするから、なんだかムカつく。

 なーんか、また、どうでもいいことで長々と書いてしまったが(「美しき日々」が始まるまで暇だったもんで)、「幸せオーラ」を振りまいている人のそばにいると、こっちもなんだか幸せになってきて心地いいし、普通程度というか「超幸せというほどでもないが、今日はまあまあ」って人とも普通に会話して、お互いに少しでも心地よく過ごせるようにするのだが、「不安のオーラ」を振りまいている人と話していると、なんかすっごく引きずり込まれるので、あんまし積極的に係わり合いたくなくなるらしい。

 普段、あまりそういうことに敏感ではないはずなのだが(だから機嫌悪い人に軽口を言って玉砕多数)、自分がハイテンションのときには、妙にクリアに見えたのですが、それを文章化すると、ずいぶんクドいわりに、こういう感覚的なものをきちんと文章で表現するのは難しいなあ。
12月9日(木)

 暮れも押し迫る前に、絶対に美容院に行きたかったので、休みをとった。(って言っても、日曜出勤したし、今週は土曜日出勤だし)
 いつも同じ美容師さんがやってくれるのだが、話題はいつも「いくら祝日が増えたって、私らみたいな仕事だと全然関係ないので、ムカつきますよね」である。美容師さんに比べれば、私は休みを自由にとれるのだが・・・・でも、ハッピーマンデーが全然ハッピーでもなんでもないのは同じ。

 というわけで、半年ぶりにやっとストレートパーマをかけた。
 そういえば、美容師さんと「結婚式」の話題になり、私も来月はクララの結婚式に出席するので、服装とかどうしようって考えているのだが、美容師さんによると、最近は出席者が派手なドレスを着ることも少なくなったらしく、髪をアップにする人も減ったらしい。
 「前は、秋の週末といえば、朝イチに結婚式に出席する人の髪をアップで、一日が始まったもんですけど、最近はほんとに、めったにそういうお客さんいませんよ」
 へえ〜、そうなんだ。

●借金の話

 私は自分では借金をしたことがないし、今後も不動産や車を買う予定がなさそうなので、自分がお金を借りるとしたら、銀行はいくらくらい貸してくれるものなのか、さっぱりわからない。

 時々、ニュースでも話題になるのは「国の借金」のことらしい「国債」のことである。どうやら我が国は、700兆近い借金をしているようで、そう言われても一般市民には、それがどんな金額かよくわからないので、わかりやすく説明するために「国民一人あたり500万円くらい」というセリフをよく耳にする。
 そのセリフの後に「これは、赤ん坊もいれてですよ!」というダメ押しが加わるのが普通らしい。

 で、そう説明されると、ワイドショーなどでも経済に疎そうな文化人が「ええ、そんな大金!とんでもないですよねえ」などと言うのだが、ベストセラー作家や人気タレントにそう言われてもねえ。

 一般市民がその数字をどう考えているのかわからないのだが、私は逆に「500万円」と言われると「ふーん、そんなもんか」と思ってしまうのだ。
 もちろん、その600兆だか700兆だかの借金は、いずれ国民一人一人の血税から返済していくことになるわけだろうし、そう考えると「今後、私はそんな重税を背負わされるのか?」とお先真っ暗になりそうというか、「不可能だよ」と思うのだが、でも、ちょっと待てよ。税金払っているのは「国民一人一人」だけじゃないじゃん。

 個人も税金を払っているが、法人っていう存在を忘れているのでは?

 たしかに、私が支払っている所得税は、せいぜい年に20万円程度である。(もっと少ないと思う)
 消費税を加算して、やっと20数万円ってとこかな?

 でもさー、あたしが働いている会社は、去年、「社員一人あたり」100万円近い法人所得税支払ったんだぜ?
 もー、あたしゃ、あれを納付に行くときには涙がちょちょ切れましたよ。自分が個人で支払っている税金なんて小額だから、その使い道にも関心が薄いが、数千万円を納税するとなると「役人さんたちは、ちゃんと仕事してちょうだいよ」と思ったもん。

 そう考えると、「一人当たり500万円」っていうのは、たかだか5年分だ。(もちろん、税収を全部、借金返済に充てるわけでもないけど)

 あと、普通のサラリーマンでも、家を買うときには平気で数千万の借金するじゃない?
 たとえば、3000万円借りたとして、5人家族だったら「家族一人当たり600万円」になり、だいたい国の借金と同じくらいだ。

 そっか、サラリーマンが住宅購入で借金をする場合にも「給料の3ヶ月分」じゃないけど、「年収何年分」が妥当とか、そいう目安ってあったような気がする。

 なので、国債発行残高が国家予算の何倍かって言ってもらったほうが、数字が身近になるのではないか?
 ええと・・・・・日本の国家予算は、80兆円くらいらしい。で、借金が700兆か。それは年収800万円のサラリーマンが7000万円借金して家を建てたってことだな。

 うーん・・・・これだけだと「それはちょっと無謀だろ」と思うけど、年収800万っていうのは、額面なのか?手取りなのか?税金や社会保険を差し引くと、かなり金額違うからなあ。扶養家族の数なんかも影響するし。
 なかなか「国の財政」を一般庶民のそろばんに落とすのは難しいのだなあ。

 そ、それに、よく考えてみると、うちの会社なんて、納税額も中小企業としては立派なもんだが、借金だって、「社員一人あたり」1000万円くらいあんぞ、もしかして・・・・
 がーーーーん、日本国もヤバいらしいが、うちの会社のほうがもっとヤバい・・・のか?。

 さらにややこすぃことに、国の「年収」である80兆円の内の30兆円は「国債発行」でまかなわれているらしい。

 ええと、年収800万円だけど、銀行がホイホイと300万円貸してくれる人がいて、その人の抱えている借金が7000千万円?なんだか、状況がよくわらかない。こりゃ、返済額も確認しないとな。

 あ、わかりやすい記事を発見!
 「国の予算を家計に例えると

 でも、これ「国家予算」を「月々の家計」に置き換えているので、わかりやすいようで、わかりにくい。ってゆーか、意味のない置き換え。
 でも、どうやら、10兆くらいは返済しているらしいなあ。

 するってえと、問題は借金の総額よりも「返済額よりも、新たな借金額のほうが多い」ってことだよなあ。

 手取り年収800万円とすると、もっと額面はいいわけで、1000万円くらいになるのかもしれない。(独身や共働きだと、そのくらいになりそう)
 その人が、7000万円の住宅ローンを30年で組むとしたら、元金だけでも年間250万くらいなのだが、それが「無理」なのか「普通」なのか「まあ、なんとかなるでしょう。リストラされなければ」なのか、さっぱりわからないが、でも私の勘では、頑張ればなんとかなりそうだ。
 しかし、その人が返済は年間300万円くらいしているが、毎年、さらに1000万円借金を増やしているとしたら、そりゃ「なんじゃそりゃ?」である。

 ニュース・ショーも、そういう説明してくれればわかりやすいのだが、「国民一人あたり(赤ちゃんも、寝たきり老人も加算して)500万円」を連呼されてもねえ。

 そーいや、前に「世界がもし100人の村だったら」なんていうのも流行したけど、そういうのって人気あるのね。
 たしかに、国家予算を家計に置き換えてみると、なんとなくわかったような気になるけど、でも、それで国家予算に対する理解が深まるわけでもない。組織としての性質が全然違うからだ。クジラの生態を蟻の生態に例えているようなもんだ。

 それにしても兆を超える数字になると、たしかに「意味はないけどわかりやすい数字に置き換えたい」という気持ちもわかるんだけどね。
 でも、トヨタ自動車の株式時価総額が10兆円を超えているとなると、日本国の借金総額は「トヨタ70個分」となり、それが「とんでもない金額」なのか「そんなもんか」なのかもよーわからん。まあ、トヨタに匹敵する企業を70社あげろと言われても、すぐには挙げられないけど、この際だからいろいろ調べてみたら、一時はソフトバンクの時価総額も20兆くらいあったらしい。(今はもっとも〜っと暴落しちょります)
 するってえと、日本国の借金総額はソフトバンク30.5個分となり、余計なんだかわからなくなってくる。

 ところで、ソフトバンクと言えば、経済トーシローな私でも知ってるくらい、たくさん社債を発行した会社で、(他と比べて特別多いのかどうなんだか知らないが)2000億円くらい残っているらしい。
 ソフトバンクの財務諸表と日本国の予算を比較してみたら、もっとわけわかんなくなって楽しそうだが、そこまでやる気力は私にはありませんのでした。

 ああ、今日も日本の未来を憂いちゃったわ(笑)

 オヤジくさ〜〜〜〜

●中年太り

 「グスコーブドリ」と「中年太り」はもしかしたら遠い親戚かなんか?(賢治ファンの皆さん、座布団投げないでください)

 美容院で結婚式出席の話しをしていて、私が「3年くらい前に、弟の結婚式に出るので、派手な色のシルクのスーツ(でも、安物だったんだけどね)を買ったんだけど、あれはもはや、とうてい無理だから」と言ったら、美容師も、そのアシスタントも口をそろえて「それは、いいダイエットの目標じゃないですか!」

 アシスタントは若いのでわからんだろうし、担当美容師は私と同じ年くらいだが、スレンダーな人なので、やっぱしわかってくれないんだろうなあ。
 ここ数年の体型の変化はもはや「ああ、食べ過ぎで太っちゃったぁ」なレベルではないのだ。

 同じ年の友達とも、いつも負のエールを交換しあっているが「今までも太った太ったと騒いでいたが、今直面しているのは、そういうものとは別モノだ」
 そう。自分だけではないのだ。たしかに、しばらく会ってなかった友達と数ヶ月ぶりに会ったりすると、そいつのシルエットが今までとは違うものであることに気がつき愕然とすることが多い。

 なんちゅーのか、けっこう華奢だったはずの子でも、下半身に重みを増しているのがわかるのだ。

 皆が口を揃えて言うのは「体重はそんなに増えていない」ということである。私もそう。
 でも、顔がふっくらと「オバサンなフェイスライン」になり、体全体が「引力に負け負け」になってくるのだ。

 そして、数年前までは「なんとかダイエットできる。自分の努力が足らないのがいけないのだ」と思えたのだが、もはや本能的に「これは、何をやっても無理」というご神託がどこかから聴こえるのである。たぶん、30代のどこかで、多くの人が経験していると思うが(男性の場合、結婚直後にこうなることが多い)、もう「ビッグバン」としかいいようがないほど膨張していくのをただ悲しく見守るしかないのだ。

 私個人で言えば、ときどき妙な鬱状態に陥り始めたときから、体型もアウト・オブ・コントロールというか、「体型なんてどうでもいい気分=鬱」→太る→余計に落ち込み、なにもかもどうでもよくなる→太る という悪循環を繰り返したような気がする。

 やはり感情が乱高下した思春期のころは、自分にどういう変化がおきているのか、冷静に観察できなかったが、「オバサンへの変化の時期」は、けっこうしっかり観察できたな。この重要な時期に「○○期」という名称が無いのも残念であるが、そのうち「更年期」になるんだろうさ。ふんっ

 この先、どのくらいまで太るのか、さっぱり見当がつかないので、1月の結婚式用衣装も「これっきり」を想定して安いのを買おう。ほんとは、今だに大事にしまってある昔のピンクハウスとか着たいんだけどなあ。ぜってー無理。
 あーあ、20代後半に1回、なんでかわからんが激ヤセして(7キロくらい落ちた。「なんでかわからん」と公言しているが、実は「夜遊びのしすぎ」というのが原因である。踊りすぎで、弁慶の泣き所にまで筋肉がついたもん。スポーツクラブでエアロビのインストラクターが「脛の前の筋肉は小さいので、なかなか鍛えられませんが、がんばりましょう」と言っていたので、「そうか、そうなのか、けっこうプロ仕様の筋肉を知らずに鍛えていたのか」と遠い目になった)そのまま7年くらいなんとか維持してきたが、もうダメです。
12月8日(水)

●ちょびっと気持ちいい

 今年の流行語大賞は「超きもちいい」になったそうですが、それって、流行したんですか?

 通勤途中の乗換駅には、地下3階ブチ抜きの長いエスカレーターがあるのですが、そこを下りているときに、あくびがしたくなったのですが、「あ、どうせ誰も見てないや」と思って、口を手で隠すこともせず大あくび。
 眼下には人の姿が沢山見えるけど、自分の目の前は「ただの空虚な空間」であり、そこで「ふわあああああ」と大あくびをしたら、ちょびっと気持ちよかったです。
 なーんか、せかせかとエスカレーターを歩いて下りている人たちを見下したみたいでさ。

 今度はいっちょ「ぶっしゅっっ!」とクシャミでもかましてみたら、せかせかしている人たちに、しぶきを振りまけて楽しいかも、と思ったのですが、物理学的に「しぶき」は前方に飛ばないような気がするが・・・・ええと・・・・そうだよね?(移動する電車の中だと可能だが、エスカレータだと歩いてたり、走っているのと同じだよな。ブツブツ←自分の推論に自信がないらしい)

●学力低下?

 少し前のニュースで、日本の子供の学力が世界と比べて順位を落としていて、特に読解力かなんかの低下が著しいとかなんとか・・・・っていうのがあったので、「数学とか理科だったらわかるけど、日本でいう国語の問題みたいなもんだと、その国によって求めていることが違うだろうなあ。いったいどういう問題を出しているのだろう?」と思っていたのだが、極東ブログで紹介されてた

 これは過去問題らしいのだが、これを日本で無作為に選ばれた15歳が挑戦するとなると、みんな困るだろうなあ。
 これを「テスト」だと思うと、まず、こういう設問を経験したことがないので「どーすりゃいいんだ」と頭が真っ白になるだろう。
 私が学生だった頃の「日本の学生の読解力」がどの程度だか知らないが、ともかく皆、国語のテストでも「記述問題」を非常に苦手にしていた。作文や読書感想文も「嫌い」という人が8割近かったと思う。
 大学受験のときには、「小論文」なんて科目があったが、あれもほとんどの人が苦手と思っていたようだ。

 私自信も「テスト」で文章を書くのは、あまり好きではなかったし、小論文でもテーマが「よくわからん」ものだと困ったりしたけど、それでも、この日記が続いていることからも明白であるが「思ったことをダラダラと書く」のは苦にならなかったし「人と違ったことを書いたほうが読む人も『お?』と思ってくれるであろう」と思っていたので、わざと変な視点で書いてみたりしたもんだ。あと、どうせ他の学生はガチガチに固い文章で「・・・である」なんて書くと思ったので、わざとエッセイ風にやわらかくしてみたり(笑)

 でもねえ「自分の意見を書け」って言われてもねえ。困るよねえ。
 そりゃ、自分が興味を持ったことについてだったら、いくらでも書けるけど、でも、自分の日記のことを考えると、それはいつも「感想」であって「意見」ではなかったりする。

 ふと、先日入った地元のカレー屋で流れていたラジオ番組のことを思い出した。
 ベラベラとよく喋るオバサンが気炎を吐いていた。どうも、討論番組みたいで、途中でおっとりとした口調のアナウンサーが間を繋ぐので、たぶんNHKのラジオだったのだろう。
 そのオバサンの突っ走り方が凄かったので「この人はきっと、人気辛口コメンテーターなんだろう」と思っていたのだが、司会が「オーストラリアではどうなんですか?」と言うと、日本語がちょっとたどたどしい男性が喋り始めたので、それでやっと、そのオバサンも外人で、スペイン人であることがわかった。

 そのときの話題は「少年犯罪」のようで、スペイン人のオバサンは「サカキバラをこんなに短期間で仮出所させるのは絶対反対」という明確な「意見」を持っていて、まあ、たしかに日本の街角で主婦の人たちにインタビューしたら「やっぱし、ちょっと心配よねえ」くらいは言うだろうけど、この人の「意見」はそんな「感想」ではなかった。
 話は日本の教育への警告に変わり、そのオバサンの息子は幼稚園に通っていているのだが、そこに「お殿様として育てられたんでしょ」な我がままなお子様がいるらしく、息子のことをいじめるので、幼稚園に苦情を言ったのだが、さっぱり改善されないし、相手の親も「○○ちゃんがイヤがっているからね」という教育の仕方で「あんたんちの中で、どう甘やかそうと勝手だが、そんな小さいうちからそんなでは、社会に出たらもっと迷惑をかけるじゃないか!」

 だんだん内容がエスカレートしてきて(司会者も遮れない)、「そんな親ばっかりだと、日本は犯罪者ばかりになるぞ!」というようなことをまくしたて、だいたい少年犯罪者の名前を隠すのがいかん、スペインでは、犯罪者の家族はマスコミに厳しく追いまわされ、徹底的に叩かれるので、みんな子供の教育には厳しい。私は自分の子供は「ぜったいに正しいこと」をするようにしつけている!とか・・・・

 「すげえな、このオバサン」と感心したが、なによりもその「私は絶対に正しい」というスタンスに感銘を受けた。さすが、カソリックの国出身(笑)
 日本だと、こういう発言を堂々とできる人は少ない。宗教的な違いもあるだろうが、「これが絶対に正しい」という自信を植え付ける教育はあまりしていないのではないだろうか?
 なので「私はこうすべきだと思う」とか「それは間違っています」などと堂々と言えないし、逆にそういのは「あまりよくないこと」だと思っていたりする。

 話しは逸れるが、その昔、NHKのドキュメンタリーで、NATOに空爆されてたベオグラードで、インターネット日記を公開していた少女を追っていた。日記を読んだ人の賛否両論が興味深かった。中でも「ベオグラード市民は間違った政権を支持しているので、空爆されても当然」という意見の人がいたのがショックだった。
 「そうか、日本が原爆を落とされたのも、こういう世論の後押しもあるんだ」と思った。

 そして、そういう意見だった人の中でも過激だった人の意見は「もし自分が、今のユーゴ国民だったら命を懸けてでも、間違った政権に反対するだろう」というものだった。
 コソボの虐殺などをきちんと阻止しないユーゴ国民が悪いというのか?
 でも、そういう「自分中心」というか「自分はいつも絶対に正しい」という信念を持てない「生まれも育ちも日本でーす」な私としては、「でも、この人はきっと、自分の住んでいる国(ちなみにアメリカ人でしたけど)が、世界的には『間違ってるよー』なことをやっても、絶対にそれを認めないに違いない」と確信した。

 アメリカを例にすれば、コソボの虐殺は悪で、それの制裁は「正しい」わけだし、イラクのフセイン政権は悪なので、その制裁も「正しい」わけで、いつまでたっても「オレだったら、間違った政権には命を張ってでも歯向かう!」という事態にはならないのだ。

 何を書いているのかわからなくなってきたが(この文言、辞書登録しよっかな。「なにわか」とか入力すればパっと出るように)、とにかく、私が平均的日本人なのかどうかもよくわからないが、例えば「イラク問題」についても、「うーん、なんかヤダな」という「感想」しか言えないし、自衛隊派遣延長についても「まあ、せっかく行ったんだから、ここで徹底というわけにもいかんだろうけど、私が派遣された隊員の家族だったら、早く帰ってきてほしいなあ。それに、イラクの地元の人だって、求めているのは経済復興なわけで、軍隊より企業に乗り込んでほしいんだろうけど、でも、あんなに治安が悪いと、企業なんて入れないしねえ」というのも、ただの「感想」であって、「意見」ではない。

 で、会社での会議もそうなんだけど、そういう場ではちゃんと意見らしきものを言おうとするときもあるが、たいてい失敗する。「意見」の言い方がよくわかってないので、こっちが下手なのと、相手も「意見」を受け止めて、「でも、自分の意見は・・・・」とやることができないので、次第に「感想合戦」になってしまい「うーん、なかなか難しいねえ」なんて一言に集約されてしまうのだ。

 ふむ、でも、私はわりと「意見」っぽいことを書いているほうなのかね?
 でも、結局、「自分の限界」をちゃんと知っているだけだ。
 友達と議論っぽいことをしていても、私は「自分はそれについては疎いけど、でもこう思う」というようなことを言うので、頭のいい人は、私が単なる感想を述べているのがわかるので、テキトーに聞いてくれるけど、頭が悪い人だと「あなたはちゃんと自分の考えを持っている」とか言いやがる。

 そうなんだよねえ。日本だと、頭がそこそこの人のほうが「意見」を言わないような気がする。
 「あんな犯罪者、即刻死刑だ!少年犯罪者?一生刑務所に閉じ込めておけ!」などという意見をはっきりくっきり言う人は、概ねバカである。

 もちろん、本当に頭のいい人で、きちんと意見を言う人もいるだろうが、その数はあまりにも少ない。
 そこそこの頭の人が「落書きについて」の討論会に参加したら、「ケース・バイ・ケースですね」と言うだろう。

 話しは途中に戻るが、そのラジオでまくし立てていたスペイン人オバサンは、ネイティブ日本人よりも日本語が達者だったが、その喋り方はずっと聞いていると、なんとかく「メラメラ」という感触で、「そーいや、スペインの映画を観ていると、みんなメラメラ喋っていたなあ」と思った。
 メラメラしているのはスペイン語の特徴なのかと思っていたが、日本語でも、ああなるんだ、とちょっと感心した。
 喋っている内容に共感できるかは別として、聴いているうちに、なんか向こうのメラメラと燃える意見にヤケドしそうだったもん。

 日本が国際社会でそれなりの地位を維持するためには、ああいう言葉を操る人たちと対等に対決してく必要があるのだとしたら、50年後だか100年後、もし日本が「勝ち組み」として生き残っていたら、今みたいな「・・・・だしぃ」とか「・・・・かな?」な日本語会話ではないものが存在しているのかなあ。

 そんなことは絶対に起こらないと断言しちゃうけど、学力の格差はどんどん広がると思うので、一部のエリート階級が英語で意見をビシバシ言うことになるだけだと思うなあ。だって、私だって、日本語だと「・・・・・って感じぃ?」と言うところを英語だと「I think・・・・・」と言うしかないわけで(笑)

●重なるときは、ほんとにいろいろと・・・

 部下というか、ワタクシ的には同僚であるクララは、「できちゃった婚」で1月初旬に挙式予定だというのに、同居している祖母が肺炎で「いつ、どうなるか・・・・」という状態になってしまった。
 もともと、十数年前からボケたバアサンをずっと家で介護していたので、大変だったようだが、たぶん二人姉妹の長女であるクララのことをお母さんも頼りにしていたに違いない。

 それが、急に「結婚します〜」っていうだけでも家族的には晴天の霹靂だったのは想像に難くないが(なにしろ、イマドキ珍しい「門限のある家」だったのだ。10時だったらすぃ)、その結婚式の準備でもドタバタなのに、祖母さんがいつ死ぬかわからないという状況。
 クララも、そろそろ「つわり」で辛い時期らしく、一日中スナック菓子をパリポリしているかと思えば、今日はずっと「うー」と唸りながらタオルで口を押さえていて、気持ち悪いらしくて可哀想なのだが、それに加えて「祖母さんの葬式と自分の結婚式、どっちが先か?」なチキン・レース状態というのも、ほんとうに気の毒だ。

 私も2年前に決算の時期に「祖父が危篤」になり、上司に「いつ死ぬかわかりませんっ」と正直に報告したら、「その前に決算業務なんとか片付けてください」と言われ、ヒーヒー言いながら頑張ったが、あんときの私の場合は「たかが決算」(いざとなったらそんなもん知らんわ。一部上場企業でもないし。「決算ちょっと遅れちゃった、えへ?」ってやっても、せいぜい法人税の延滞金をとられる程度)と思っていたので「会社はいざとなったら私のことなんてあっさり見捨てるものだから、身内のことを優先しよう」と開き直ったのだが、「妊娠初期」っていうのは、開き直れないからなあ。

 仕事のことは、いろいろ、影でフォローはしているが、(今日もダルそうに急ぎの仕事をこなしていたので「手伝えることあったら言ってね」とはっきり言ったら、やっと頼ってくれた。奥ゆかしいので、こっちが気をつかってあげないと、ギリギリまで頑張っちゃう損な性格だよ、クララ。でも、あたしもそういう長女気質だから、一応理解しているつもり)家庭内のことまでは、手伝えないし、体調が悪いのも私ではなにもできないので、歯がゆいんだけどね。

 でも、クララも「つわり」で具合悪いことには負い目を感じているようだが、今度はっきり言ってやんないとな。「あんたが産んだ子が、あたしが貰う年金を払ってくれるはずなので、いいのよ、今はちょっとくらい負担になっても。あとで、がっぽり、取り戻すから!」

 たとえ、私がクララのフォローで月10時間くらい余計に働いたとしても、それは金額に換算すると、高めに見積もっても月3万円くらいなもんだ。生まれた子が、ちゃんとサラリーマンになって、1年くらい働けば余裕で回収できるさ。
 というわけで、計算高い私は、「これはクララを助けているのではなく、私の将来設計のため」と思っているのだが、それをクララにプレゼンしても通じるのかなあ?

 あと、やっぱし、普通は「体調が悪い」と言うと、本人の健康管理が悪いという言い方もできるのだが、「妊娠」の場合には、ほんとに人それぞれで、本人がどんなに気合で乗り切ろうとしても、つわりが重い場合はしょうがないと思う。
 私も生理が重いときには、「眠い、だるい、痛い」の三拍子揃ってダルダルになるが、友達が妊娠したときに「生理の2日目が2週間も続いてるみたい」と言っていて「そりゃ、辛いわ」と同情した。

 余計なお世話ではあるが、隣に座っているハイジだって、将来、こういう状態の妻と対峙することになる可能性は大きいわけで、「私だったら、後学のために、ちゃんと観察しておくけどな」と思うのだが、奴はけっこう無関心というか、自分の仕事が忙しくてそれどころじゃないらしい。男ってダメねえ。

 でも、ずっと気持ち悪そうだったクララも、夕方ちょっと会計システムの謎のエラーで、5時までに振込みデータを送信しなきゃいけないのに、間に合うかどうかの瀬戸際だったときに、私も「ああすれば、こうすれば」といろいろ指導したが、本人も「きゃー、間に合わない!」とパニクったようで、その間は「つわり」を忘れたようだった。
 そのドタバタが一段落したら、またタオル片手に「ふー」と気分悪そうに溜息をついていた。

 仕事しているほうが気が紛れていいこともあるし、辛いときもあるんだろう。

 ほんとに大変そうだけど、できるだけフォローするから、がんばれ、クララ!
12月7日(火)

 だんだん本格的に寒くなってきたし、そろそろ部屋にも暖房が必要かなあ。

 でも、まだそんなに寒いわけでもなく、会社に行ったり(朝の布団脱出や着替えがちょっと辛い)、風呂に入らなければ、大丈夫なんだけどなあ。(ダメってことじゃん)

 毎年の悩みなのだが、暖房器具を仕舞うのが梅雨も明けたころで、つい先日のことのように感じるのだが、その場所はすでに魑魅魍魎に占領されているので、その退治をしてからじゃないと暖房器具(ガスファンヒータ)が置けないのだ。

 はあ〜、朝、出勤したり、風呂に入らなければこれでもいいんだけどなあ。(くどい)

 冬の到来と言えば、先日の台風に匹敵するような強風により、街路樹の葉っぱが強制的にクリアされてしまったことが、ひたすら残念である。
 猛暑や台風の当たり年だったので、元々、木々は葉振りが悪かったのだが、それでも近所の寺にある神木(?)みたいなイチョウの大木は、例年どおりにタワワに葉っぱをつけていて、他がさっさと黄色信号を出して、さよならしているときにも、ビッグバー度85%くらいを悠然と維持していたのだ。

 昔、隣に引っ越してきた一家が飼っていたニワトリは、まだ中学生くらいの文字通り「ひよっこ」だったが、うっすらとピンク色を羽に残していた。
 そこのうちの奥さんの話しによると「縁日上がりだから」

 縁日で売られているヒヨコはピンクや緑に着色されていたりした。
 ほとんどが育たないので、私も隣家のニワトリを見るまで気がつかなかったが、あの色はけっこう大きくなるまで残るらしいのだ。

 なので、私がいつも観察していた大きなイチョウの木も「昔、緑色に着色されてました」という風情を残していたのである。上のほうの外側の葉っぱだけ、緑色を残していた。
 それが、月曜日に見たら、すっかり黄色になっていて、下のほうの葉はほとんど落ちてしまったのだ。

 あーん、ビッグバー度100%になる過程をしみじみと観察していたのにぃ。

 恵まれた環境にいる、あの木ですらそんなだから、他の街路樹なんてもー、まるっはげよぉ

 さよーなら、今年の「私の晩秋」

●レベッカ・ブラウン

 前に新井君と飲んでいたときに、新井君の友達の話しを聞いて、どうも失恋ばっかりしているというよりは「片思いばっかりらしい」ということで、それは私だって主にそういうことのほうが多いから「普通そうでしょ」と言っていたのだが、どうもその彼は、ミルハウザーとかレベッカ・ブラウンを愛読しているらしい。

 ミルハウザーなんて読んでる男子が「モテる」わけがないので、「その読書傾向はちょっと」と思ったのであるが、ふと、レベッカ・ブラウンの名前は知っていたが、読んだことないような気がしたので「レベッカ・ブラウンって、どういうの書いてたっけ?」と確認したら「喪失文学」というお答え・・・・・・

 それで、またついうっかり、ずいぶん前に買ってしまったのだが、「若かった日々」とかいう短編集。

 これが、読んでると泣けてきて、なかなか読み進まないのだが、でも、この作家の「昔のことを妙によく憶えている」という感覚は「ああ、やっぱ、こういう人いるよね。私もそうなんだ」と共感を覚えるので、涙ぐみながらも「はて?もしかしたら、私も頑張ればこのくらい書けるのでは?」と、思ったのだが・・・・・

 おめーの、父ちゃんも母ちゃんも、健在だから無理!

 という結論に至り、「わーん、レベッカ・ブラウン並みの繊細な幻視力を潜在的に持っているような気がしなくもないが、両親が健在なので(しかも、離婚すらしていない)、その能力を未だ発揮する機会に恵まれていない」という、負け惜しみをほざいてしまいました。宝クジを買ってないのに「買えば当たったかも」と思っているのと同じく程度のたわごとです。

 うーん、酔っ払った勢いで、変なことを書いてしまった。レベッカ・ブラウンのファンの皆様、すいません。

●韓国では好意的なヨン様フィーバー

 週末のニュースショーでは、この話題の総括が多かった。
 私がかねてから言っていたとおりに、韓国の人も、日本のヨン様フィーバーの報道を観て、反日感情をずいぶん和らげてくれたようである。

 どっちにしろ、ヨン様に殺到した人も、たかだか数千人であるし、その映像を観て「日本への考えを改めた」という韓国人もそんなもんであろう。って話し。(テレビ報道を全然信用していないので)

 私が注目したのは、繰り返し流される映像で、ヨン様のスタッフなのか警備スタッフなのかわからないが、いつも背後に、わりかし若い人が立っており、その人たちが、ファンの熱烈歓迎を見て、妙に嬉しそうな表情をしていることである。
 ヨン様スマイルよりも、そっちのお付の人たちの笑顔のほうが際立っていた。
 あんたらにキャーキャー言っているわけじゃないのに。

 で、もし、何かを動かすとしたら、それはヨン様ではなく、ああしてヨン様の背後を押さえているようなスタッフなんだろうな、と思っただけである。

 世の中は、ああいう中途半端な立場の人々が動かしているのだ、と私はずっと信じている。
 実際、カリスマ自身の動きよりも、カリスマの側近がなにかやらかすわけでしょ?

 さて、今日は久々の会社の飲み会で、かなり酔っ払っているので、この辺で。
 名古屋コーチンの鍋を食べてきたのですが「コラーゲンですよ、コラーゲン」と、なんだかガツガツしちゃいました(笑)
 
12月6日(月)

 昨日も早起きしたが、(朝はやっぱりNHKの「日本の話芸」で落語。「鼠の穴」という初めて聴く噺でした)今日も早番。と言っても、私はいつも10時出社なので、早番だと8時半頃出社というだけで、これでやっと「普通の勤め人」っぽい時間。クロちゃん(サーヤの婚約内定者)はもっと早く出勤しているらしいぞお。

 しかし、昨日が夏日だったというのに、今日は平年並みで気温が10度くらい違うようで、普通に寒い。
 こう気温が乱高下すると日本にいることを忘れそうだ。
 かと言っても、海外旅行している気分にも全くならないのが悲しい。

 さて、昨日のイベントに引き続き、今日はほとんどの人が別事務所に応援に行ってしまったので、総務は私と派遣のOさんだけ。
 「今日は誰もいないし、たぶんお客さんもほとんど来ないから、コーヒーそんなに落とさなくていいからね」
 と、釘を差しておいた。(藁人形扱いしたわけではございません)

 だって、先日、定期的に消耗品を補充に来るユニ○ットの営業君に「皆さん、コーヒーたくさんお飲みになるんですね」って言われたので、同僚K嬢に「そんなこと言われた」とチクったら、K嬢はあっさりと「ああ、Oさん心配性みたいだから」

 たしかに、夕方遅くなっても、いつもたっぷり残っている。
 どうも「品切れ」ということを恐れているみたいだ。
 もう、ほとんど出す機会のない麦茶も、毎日しっかり作って、毎朝、前日のは全部捨てて作り直しているみたいだ。誰か言ってやってくれ。

 そんなわけで、Oさんからの質問攻めを警戒するくらいで、今日はのんびりと思っていたのだが、突然ハイジが出勤してきたので「あれ、こっちなの?」と言ったら、どうやら仕事が溜まってて他部署の応援どころではなく、免除してもらったらしい。無言でビシバシとパソコンのキーを打っていた。
 その後、隣の部署のH部長もやって来た。どうやら溜まった経費清算をやるつもりだったらしくそっちも大人しかった。部下がいると演説が始まるが、一人だと大人しい。でも、ときどき鼻歌を歌うので、存在を思い出す程度。

 午後になったら、T部長も戻ってきた。
 そしたら、上のフロアのK部長に呼ばれて、T部長と一緒にミーティング。
 どうやら、叔父会社のボン(副社長)に出す見積書の相談。
 ボンは元々、金融系のシンクタンクにいた人なので、数字にうるさいらしい。

 最初は「月々のコストが・・・」という見積もりを持って行ったのだが、「もっと中期的な視点で」と言われたので、K部長も「中期的っていうのを向こうがどういうふうに考えているのかわからなんだけど」(確認しろよ)と、5年計画、10年後は?な試算をした見積書を試行錯誤して作ったらしい。

 その見積りがどの程度、相手にアピールするもんだか、あまりよくわからなかったのだがT部長は「うん、節税になるってことだよね」と納得しているので、私もただ眺めてうなずいているだけだったが、一つ気になったことがあるんだけど、それって言ったほうがよかったのかなあ?

 「金額の数字の中央寄せはやめれ」って・・・・・

 それはK部長の癖で、私に回ってくる書類の場合にはこっそり直しているのだが、エクセルの表で金額中央寄せって、いつも金額と睨めっこしている人にはストレスになるのだが(直感的に桁がわからないのがイヤ)、彼はどうも表の行ごと指定して中寄せしちゃうらしいんだよねえ。

 でも、重箱の隅といえばそうだから黙っていた。

 うちの会社の「交通費清算書」は手書きなのだが、桁をちゃんと揃えて書けない人が多いのに驚く。
 前の会社でも、そんなの気にしない人はいたけど、こんなに多くなかったぞ。
 すごい人になると、数字を頭で揃えるのだ。
 経理一筋10・・・・15年のアタクシとしては、「なんて見苦しい」と嘆いているのだが、さすがに表計算ソフトを使用した場合には、みんな普通は右寄せするのであるが、たま〜に、やっぱし中央寄せする人がいるようだ。

 人によって美意識が違うということなのか、それともやはり「数字は右寄せが常識」と指導したほうがいいのか、よくわからない。

 K部長とT部長はその後、車で外出するようだったが、K部長が「ボクが運転するよ」と言うので、T部長が「なんで?」
 いつもだと、T部長が運転するらしい。そしたらK部長は「さっきの書類、作り直したから、それ見てもらいながら説明すっからさ」

 私はその会話を聞いて(また、聞く気もなく耳に入ってきてしまった)、思わず「まあ、車の中で書類を見ながらご説明って、なんか映画に出てくるエグゼクティブみたい」と言ってしまった。
 K部長は「ははは、たしかにそうかも」と笑ってくれたが、我ながらサムい「おじょうず」だったわ。

 さすがわ、課長の椅子を狙う女!

 ってゆーか、自分なりに「こばか」にしてみたつもりなんだが、いつもと逆でちゃんと「おじょうず」として通用したようなのである。

 そーいや、「今日の星占い」で運勢最高はおとめ座さんで「今日は何を言っても皆にウケます。辛口のことを言っても大丈夫」とかいうことを言っていたので「ふん、そんなわけあるかい。いつも誉めてるつもりがスベってんのよ、あたしゃ」と悪態をついていたのだが、どうやら占いの言う通りだったらしい。

 いつもそうだと、いいのになあ。

●がんばれ三茶の本屋

 先日、そこの本屋で国書刊行会の「エンベディング」を購入したことが、何か影響を与えていないかとチェックしに行ってみた。(その先のカレー屋に行くついで)
 残念ながら国書刊行会の本は増えていなかった。

 しかし、デイヴィッド・ロッジの新刊「作者を出せ!」が、なんと平積みになっていたので、また清き一票を投じてしまいました。
 リアルな本屋の棚を私一人の力でどの程度操れるものなのか・・・・ちょっと研究中なのであった。

 でも、一緒に切り込み隊長の「嗚呼、香ばしき人々」も買ってしまったので、あの本屋にも「この本を買った人は、こんな本も買いました」を解析できるシステムがあるなら、それはどういう影響を及ぼすのでしょうか。と、気になってしまったので、効果を高めるために(売れ筋の翻訳本のほうがメインだということをアピール)、「ペンギンの憂鬱」も買ってしまった。題名買い。


12月5日(日)

●めりはりのあった週末

 おかげで何曜日なのか忘れそうになるが、ともかく、順繰りに思い出すと、金曜日は仕事が終わったあと、銀座で飲み会。

 その前に全然関係ないが、最近「DVDレコーダーがほすぃよ〜」という気持ちが高まっており、それはなぜかというと、日曜日に早朝5時起きのイベント仕事があると、土曜日は夜更かしができないので、NHKの「美しき日々」はともかく、その後のERが観られないのが悲しい。ジュリー・デルピー嬢はいつまで出演してくださるのだろう?
 そんなら買えばいいだけだが、ついうっかり気持ちが「会社の忘年会のクジ引きの景品」に行ってしまうので(現在、総務部の総力をあげて、あれがいい、これがいいと企画中)、景品にDVDレコーダーをなんとか入れることに専心してしまったあげく、実際のクジ引きで外れるとガッカリして、その頃には買う気を失っているような気がしなくもない。(自分のことをよくわかっているのだが、なかなか改善できない)

 で、金曜日は、yomoyomoさんが上京しちょるというので、飲み会に誘われたので、行ってみました。
 女子ばっかだった(笑)。こういうのも珍しい。
 そんで、銀座にいることを忘れるような、イカした居酒屋で8時から飲んでいて、後から1名男子が来たので(店員のオバちゃんが「男が来るの?あたし、男大好き!」と言っていた)11時くらいまでダラダラと飲んで、その後、場所を移動して、今度はちゃんとしたバーに入ったのだが、私はそこで猛烈に眠くなってきて、「そろそろ解散」にしたんだけど、すでに1時過ぎで電車もなく、残った4人で「どーしよー」とさまよったあげく、新橋で発見したジョナサンに入って5時までネバってましたとさ。
 ファミレスで始発待ちっちゅうのも久々だね。

 なんか先週に引き続いて、また朝帰りだよ。

 というわけで、家に帰ったら6時過ぎで、7時には寝た。
 目が覚めたら昼の1時くらいだったが、まだまだ眠かったので、浅い眠りを貪っているうちに夕方になり「うーん、どうしよう。でも、まだ寝られそう」と思っているうちに9時になったので、起きてシャワーを浴びて、おやつを食べてから、また寝た。

 天気が荒れるという予報は知っていたが、ゴーゴーと唸る風の音で意識が戻り、時計を見たら3時くらい。
 「やーん、こんな嵐が朝まで続いたら、どーすんのよ?」
 と思いつつも、また、うつらうつらしていたのだが、外の荒れ具合が気になって、なかなか寝付けない。

 そうこうしているうちに、目覚ましが鳴り、5時。
 起き上がって、パソコンをつけて天気予報を確認してみると、6時くらいにはかなり治まるらしいが、そうなると、今日の最高気温は24度くらいになるらしい。台風一過みたいなもん?

 おかげで朝から気温は高いようで、いつもだとこの時期のイベント仕事に挑むために、保温性の高いババシャツやパンツの上にはくソフトガードルみたいなのは欠かせないのだが「今日は要らないなあ」と薄着して、レインコートを羽織って出発。

 まだ暗い6時過ぎ、幸いにも雨はもう小降りになっていたので、傘がさせないような強風でもなんとかなった。コンビニでゼリー飲料を買って、電車の中でエネルギー・チャージして、7時くらいには会場最寄駅に到着。
 JRも強風でかなりの路線が「運転見合わせ」になっており、集合時間の7時半になっても到着できないスタッフがちらほら。

 おかげで、二人分の仕事をこなさないといけなくなって朝から走り回ることに・・・・
 しかも、その会場は「土足禁止」だったため、スリッパに履き替えるのだが、スリッパでドタバタするのって、あんなに疲れるのね。ってゆーか、スリッパが脱げるから小走りもできないし、階段もスタスタと上り下りできない。ちょっと急ぐとスリッパが脱げ、その度に心の中で「ええと、これを拾ってくれる王子様は?」と思うのだが、あたりを見回しても王子様らしき人物はいないので、しょーがないから「ちぇっ」とか舌打ちしつつスリッパを履きなおすということを繰り返していた。

 しかも、私が担当したフロアは4階で、本部は2階で、お客様を迎えに行くのは地下一階。
 他に動ける人がいなかったので、地下一階と4階をドタバタと往復しまくってしまった。
 朝の9時には、もうすでに足がパンパン、腰はガクガク。

 いったい、何往復したんだろうか?
 11時頃には、ムショウにお腹がすいてきたが、なんとか全部終了したのが12時半ごろ。片付けを済ましたら「終わった人は先に帰っていい」という指令が下ったので、さっさと帰って、駅前のドトールで、ケーキを食ってエネルギー・チャージ。すでに空腹の山場を3つくらい越えているので、こういうときはちゃんと食べられなくなるのが悲しい。

 でも、あんだけ動いたから、少しは痩せたかしらん。

 そういえば、ずっと不自由なスリッパでドタバタしてたから、帰りに靴を履いたときに「わー、歩きやすー」と感激したな。今度、ああいう「土足厳禁」な会場に割り振られたら、上履きを用意したほうが腰にはいいかも。

 というわけで、朝帰りして寝潰した土曜日から一転して、朝の7時から午後1時まで、激しく仕事しちゃった日曜日という、たいへんメリハリのある週末でございました。

 ううう、腰が痛いよお。

 洗濯機を回してる間に、テレビをつけたら、ラグビーの早明戦をやっていた。今日の東京は夏日だというのに・・・
 昔、この早明戦を観にいったときには、雪が降っていたときもあったよなあ。

 曜日感覚も狂いまくりの週末だったが、季節感覚も「あれ?まだ9月でしたっけ?」というかんじです。
12月2日(木)

 決算業務も山を越えたし(今年は低い山だった)、気がつけば有給は沢山残っているしで、師走を迎えた景気付けと、最近溜まりに溜まったガス抜きのため、休みをとって友人Mと前から目をつけていた近所の「こんなところで、こんな店?」というイタリア料理店のランチに挑んでみた。

 夜だとコースが6000円くらいで、それはドルチェやワインを足すと、「客単価1万円弱」の設定のようだが、昼のランチも1800円〜3000円くらいで、けっこう強気の価格設定。
 「せっかくだから」と、アミューズ+前菜+パスタ+メインという高いほうのコースにしてみた。
 前菜にはフォアグラが使われていたりして、Mちゃんは「昼は酒飲むと回りが速いから」とワインは飲まなかったが、私は辛抱たまらずグラスワインをチビリチビリと飲んでいた。

 狭い店だが、客は私たちだけで(1時すぎにフランス人カップルが入ってきた)、ゆっくりできたし、料理も美味しかったが、「でも、あの場所であの値段だったら、青山あたりのもっとおシャレな店もあるしねえ?」と思った。近所で気軽にあのレベルの料理を食べられるというのは、よろしいことだけど、あれで全部で2000円くらいなら、たまに行きたくなるが、デザートとワイン1杯をつけると4500円になっちゃうわけで、そのわりには「豪華なランチした」という付加価値が少ない。
 それが一人1万円弱になるディナーだとしたら、絶対にデートでは利用しないだろう。

 住宅街であの値段設定だったら、一軒家で庭付きとかじゃないとなあ。
 というわけで、あの店が今後どういう展開を見せるのか注目なのである。(メニューの質を落として、住宅街価格にするのか、それともあのまま中途半端な高級路線をつっぱしって潰れるか。それとも?)

 結局、2時半くらいまでゆっくりしてから、カフェに移動して喋り捲った。会社の愚痴愚痴愚痴。(またMちゃんの海外話も拝聴したけど)
 そのうち、外は暗くなって、「ああ、もう5時だ。すっかり暗いねえ」なんて言っているうちに、7時になり、二人とも「なんかお腹空いてきたね(笑)」
 「あー食ってばっかじゃん」と言いながら、二人とも行ったことなかったタイ料理屋に行って、スープ+サラダ+炒め物(ピータンが入った炒め物という妙案に感心。これがけっこうイケた)+ビーフンという、これまたフルコースじゃん、をビールで流し込み、9時半ごろ帰宅。

 「ダヴィンチ・コード」の下巻にさしかかったところだったので「まだ時間はあるな」と腹ごなしに(?)続きを読んでいたら、ついうっかり最後まで読んでしまった。午前1時過ぎ。

 うーん、どうなんだろ。引っ張り方が普通に上手いので、ついつい先へと進んでしまうんだけど、ダミーの張り方(「この人がもしかして悪の首謀者?」)っていうのと、真犯人がわかるドンデン返しが、あまりにも鮮やかすぎて、っていうか、なんか「ハリー・ポッター」みたいだな(笑)
 それはほんとは逆で「ハリー・ポッター」がこういうベストセラー・ミステリーなことをやっているだけなんだけど・・・

 でも、ほんとに「上手い」ね。暗号解読だの宗教の象徴だのという小難しいはずのところも、あっさりとわかりやすいし、ダヴィンチの有名な絵は、図版が載っていなくても、普通程度の知識のある人だったら、誰でも大体イメージが湧くし、キリスト教にうとい日本人でも「聖杯」がなんか重要だってことは、インディー・ジョーンズで学習済みであるし、逆にインディー・ジョーンズで学習した程度のほうが楽しめるかも。「へえ、そうなんだ〜、そーいや、死海文書って聞いたことあるぞ?」ってなかんじ。
 物語の中で、そういうのに疎い人物が出てきて、主人公の教授が丁寧に教えてくれるので、私程度の「どれもこれも、なんとなく聞いたことはある」って人にはそういう部分が読み物として楽しいのかもしれない。

 でも、前に新聞記事で、この本のおかげでルーブル美術館に読者が押し寄せているようで、案内係りもこの本読んで備えている、と書いてあったけど、出てくる絵って超有名なのばっかじゃん!しかも、ほとんどモナリザの近辺なので、最小限の案内図があれば見落とすはずもないような。

 でも、ルーブルに関するトリビアは満載なので、そのあたりも一般受けするんだろうけどね。
 なんだかんだ言っても、楽しく読めました。きっとそのうち映画になるんだろうなあ。


 そんなわけで、ちょっと寝不足のまま出勤した今日でしたが、午前中にT部長が「じゃあ、もうやっちゃおう」と言い出したので、考課面談。

 休み明けだったので、頭もぼんやりしていたが、ぼんやりとT部長の話を「はあ、はあ」と聞いていた。

 また「ミヤノは今は課長代理だけど、総務部ではボクの下の役職だし、唯一の管理職だし」が始まったので、心の中で「またその話しかよ」と思っていたが、要するにT部長は、細かい仕事するのは嫌だから、私に一声かければ総務部が動くという、そういう体制を作りたいようだ。

 「そういう体制」って言っても、部長を入れて7人しかいないんだからさ・・・・・
 それでピラミッド作ってみたって、それはマスゲームで地面に三人四つんばいになって、その上に二人四つんばいになって・・・・ってやつ?

 自分の中で作ったイメージに「ぷっ」と笑いそうになったが、まあ、しょーがない、上司のままごと遊びに付き合ってやるのも部下の勤め。「ままごと」だと割り切れば、私は「ままごと遊び」はけっこう得意である。
 好きに言わせておこうと思って、黙ってうなずきながら聞いていたら、
「それで、ミヤノは多分、近々課長になってもらうと思うし・・・・」
「げ、マジっすか?」
「ふふふ、それに、ボクは取締役でもあるから、経理や総務の仕事に専念できるわけもないし、ゆくゆくは総務をまとめるのはミヤノになるだろうし、そうなると、そのうち総務のトップはミヤノに任せて、次長になってもらおうと思っている」
「はあ・・・・?」
「そういう能力も経験もある人物だと見込まれているということだよ。会社としては、そうなってくれることを期待している」

 持ち上げられるのは悪い気はしないが、(「次長」云々はT部長の先走りというか勘違いだと思うけど・・・でも先走るなら「部長」くらい言えよな、っつうか「次長」が出てくるあたりが、もしかしたらリアルさを表現しているのかもしれない)なんかこう「君には出世の道が切り開かれてる」っていうノセ方もねえ?

 なーんか、前から感づいてはいたんだけど、この会社、幹部社員は「総務部長は貧乏くじ」だと思っているのかもしれない。雑用や他人の仕事のフォローばっかりで、おもしろくないのはわかる。私が入社したときに総務部長だったK氏は、課長だったO氏を引き上げて、その座を譲り他部署の部長になったし、今回の異動でもO部長は「長年の重責から解放された」とばかり、嬉しそうに他部署に行った。
 今回、貧乏クジを引いてしまったT部長が、その面倒な役割から足抜けするためには、「後任」を早急に育てる必要があるようだ。

 あちゃー

 あたしも出来ちゃった結婚でもしようかしらん・・・・

 そんで、まあ他にも色々話したのだが、最後にT部長はやはり、私の超訳によると「将来的にミヤノが総務を仕切ってくれれば、ボクはその上司として、あれやれ、これやれって言えば、ミヤノが部下を使って全部やってくれて、ボクに『これでいいでしょうか?』って言ったら、ボクが『うん、ありがとう』と言うだけで、外からは全部、ボクが上手く仕切ったように見えるようになるといいなあ」というようなことをわかり難く言ったので、私は思わず「そーはさせません」(原文まま)と言ってしまいました。

 なんかまるで、旦那から「家庭のことは一切任せる」って言われたようだ(笑)

 たしかに、うちの会社の「総務部長」って会社の「奥さん」っていうか、家計簿つけたり、子供の世話したり、掃除洗濯、そんで、家計が苦しいときには節約してつつ、なんとか子供を育てないといけない。旦那に「飲みすぎよ!」って叱ったり「今月、家計が厳しいから、お小遣い減らすわね」って言ったり、ボーナスが出たら新しい家具を買ったりとか・・・・たしかに男の人が「これこそ我が仕事」と思えないようなことなんだろうなあ。
 なので、各部長も、次長や部長の座を狙っている人たちも「総務部」だけには関わりたくない。だから「ミヤノさんで、いいんじゃない?」という意見がすんなり通りそうだ。それに、私が「総務部長」というのは納まりが悪いが、「実質的にはそうだけど、影にはT取締役がいる」ってことにすれば、なんだか丸く収まってしまうではないか。

 うーむ。考えれば考えるだけ(勝手な想像だし。でもたぶん4割くらい合っていると思う)腹が立ってくるが、そっか、貧乏クジだと諦めれば、なるほど、私はハイジを育てて、ゆくゆくはその地位を・・・・・
 そうして、どーしよーもなく小さい「陰謀」はめぐっていく。

 なんか、すげえショボい「秘密結社」の話みたいなところが泣ける。あたし、聖杯の秘密なんて知りたくもないんですけど・・・・
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