可燃物な日々

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11月30日(火)

 T部長がお休みだったので、さっそく出勤してきた同僚K嬢に「もー、聞いてよ〜〜〜」と昨日の顛末を語ると、予想通りに明るく「もー、しょーがないねー。で?全部、ミヤノさんに押し付けたってわけ?」と笑ってくれた。
 総務課のほうでも、部長から各部長へ発信して、各部長から部下にお知らせしてもらいたい案件をいくつか抱えており、そっちも「もー、どーすんのよ?」って感じであきれているのだ。

 もちろん、T部長が「ただの総務部長」ではなく「取締役総務部長」であるため、役員会での案件など、もっと重要な仕事を抱えているのはわかっているが、だからといって、勝手に総務部長をまたいで発信するわけにもいかないので困っているらしい。
 それに、私は気が弱いから、「よろしくね、うふふ」と言われてしまうと、もうそれ以上「うふふ」されたくないという恐怖心から、「あたしがやればそれで済むのね」と、ついついやってしまい、そのため、「私って、きっと拷問されたら、簡単に国家機密だろうが、ダヴィンチ・コードのネタバレだろうが、吐いちゃうだろうなあ」(ちなみに、昨日から、元上司に借りた「ダヴィンチ・コード」に着手)という、自己嫌悪に陥ってしまうのだが、総務課のK嬢やM嬢はシンが強いので、そういうときに絶対に妥協しない。「えー?、なんで私が、えー?、えー?、えー?」と相手が降参するまで攻めるのである。

 長年いっしょに仕事してきたので、私もその「えー?えー?えー?」の技を習得しようとそれなりに努力はしたのだが、もって生まれた性格なのか、長子として育った環境が悪いのか、堂々と文句を明るくはっきりと言えないのである。後で布団の中でシクシク泣いていた子供だったからなあ。

 でも、こうして「やんちゃな妹たち」が姉娘である私の愚痴をちゃんと聞いてくれて、「あら、お姉ちゃんがイジめられているわ」と気がついてくれるだけでもいいのである。誰かがわかってくれれば、さ・・・・

 さて、今日は渋々、クララとハイジの考課面談。って言っても、まあ、なんか仕事の話しをクドクド話すというか、彼らの抱えている悩みを聞いたりってかんじで、これで査定しろっていわれても困るんですが、ある程度、「経理の人間」として完成されちゃった自分とは違って、若い彼らはいろいろやりたいことがあるわけで、でも、それが思うように行かないもどかしさもあり、たぶん、私に求められているのは、そういう「ちゃんとヤル気のある彼ら」をうまく導いて、その能力を最大限に発揮してもらうことなんだろうが、そんな美辞麗句を言うまでもなくってゆーか、そもそも今、一番、ヤル気を失っているのは私なわけで、一番「この先、この会社で何をやっていけばいいんだろう?」と迷える小執事なのも私なのである。

 つーか、はっきし言って、もうこれ以上、何もやりたくないわけよ。

 決算業務も去年はほとんど私がやって、税理士との打ち合わせも私が主導だった。今年は去年ほどややこしい問題もなく、それに、時間が空いたときに、ちゃんと整理しておいたので、決算時にあれこれ慌てることもなかった。ひとつだけ、とある積立金の処理で、上司に教えてもらったけど、あれもパズルだったが(その積立金の意味がわからなかったので、それがわかるのに苦労した)やっとわかったので、来年は問題ない。

 今日の面談でもハイジはほんとはもっと「具体的な決算業務」をやりたかったらしいし、私もほんとは「今年は簡単だから、ハイジにまとめてもらおーか?」と画策していたのだが、たまたま他部署の業務のややこしい手伝いに任命されてしまい、それが1から作り上げるというけっこう大変な仕事だったので、ハイジは連日のように終電まで残業しているありさまだったので、「ま、いいか」と思って自分でやってしまったのである。

 うちの会社程度で、最終的には税理士に渡す資料を作ればいいだけの決算業務なので、私が明日死んでも、ハイジだったら、なんとか残された手がかりを元にあっけなくやってしまうだろう。性格は違うけど、ハイジの頭のレベルは私とほぼ同じくらいか、ハイジのほうが上。

 でも、いろいろ喋っている中で、T部長の話しにもなって、T部長が最近ハイジに要求している仕事の内容を初めてちゃんと聞いて、ちょっと苦笑。要するに「ちゃんと経営判断する材料となる、もっと細かい業績がわかる資料を作れ」ってことらしいけど、私の今までの短い経験からすれば、いつも経理はそういう「表」を作らされるが、それできちんと業績について考えてもらった試しがないのである。

 悲観しすぎかもしれないが、そういう表を苦労して作っても、上司はそれを見ただけで「なんか仕事した」という気になるだけなのだ。
 そして、そういう数字を見慣れている人には、ある程度意味のある表でも、そういうのに関心の無い人には、全然意味がわからなかったり、逆によくあるのだが、過剰に反応して「なんで、こうなるのだ!」とか「こういう数字を出されると、現場はヤル気を失う」などの非難を浴び、雰囲気が悪くなるだけで、あまり意味がないのである。
 大きな会社で、そういうところにメスを入れられるだけの技量のある人物がいれば別だが、小さな会社だと「雰囲気悪い」というのは致命的なことなんである。

 なので、T部長が張り切って、ハイジにやらせようとしていることの意味はわかるのだが、果たしてそれが上手く意味を成すのかは甚だ疑問。
 でも、ハイジは前向きで、O部長にはその力がなかったけど、取締役でもあるT部長を上手く巻き込めば、ある程度機能するのでは、とうい希望をもっていた。

 泣ける話しじゃないですか。

 なので、意地悪な私は、試しにちょっと「でも、今のところ、T部長とO元部長の引継ぎもちゃんとしてないしね」と言ってみたが、ハイジはよくわからなかったようで、「なんかTさんって、Oさんに聞くのが嫌みたいだし、とにかくOさんとは違う路線で行きたいっていうプライドを感じるんだけどさ」って遠まわしに言ってみたのだが、やっぱしハイジは、私やK嬢やM嬢が、そういうことでT部長とたまにぶつかっていることに気が回ってないらしい。

 男の子は単純でいいなあ。

 しかも「自分も、そろそろ主任になりたい」とか言い出すので「主任どころか、早く課長を狙おうよー」と言ったら、「まあ、でも最初は主任じゃないですか」は、いいとしても、その理由が「役職手当がほしい」という非常にシンプルなものだったので、そのシンプルさに心打たれました。

 私も、もっとそういうピュアな気持ち(笑)で仕事できたら、人生ラクだったのになあ。

 これは笑い事でもなく、ほんとに、そういう話しは時々耳にするのですが、「同期なのに、なんであいつのほうが、先に課長になったんだ?」なんて、社員数が100人にも満たない会社でやっているのが、私にはちゃんちゃら可笑しいのですが、ほんとにそういう世界なんだなあ。(なので、私がうっかり課長になる可能性は少ない。まだまだ平社員や主任や課長代理でじっと我慢してる人は大勢いるらしいのである。O部長は人事の責任者だったので、そういうのにかなりうんざりしていたようで、他部署の部長に配属されて、清々した顔をしていた)

 ほんとに他人様が何を考えて仕事しているのか、よくわからない今日このごろですが、今日は親会社の経理部長F氏がひょこひょことやってきて、うちの社長(親会社の専務)と打ち合わせした後に、こっちの経理のほうにやってきたので「これは、なんかお喋りしたいモードなんだな」と即座に理解。

 ひょうひょうとした理系兄さんなので、私は彼の密かなファンなのですが、親会社の財務を取り仕切る(まあ、一応、年商200億くらいある会社)幹部社員ではありますが(噂では東大卒らしい。しかも東工大→東大という学歴が、なんだかねえ)「経理部」というだけで、ちょっと日陰者扱いなのである。
 その憂さをずっと私の上司であった子会社の経理責任者であるO氏にぶつけていたので、O氏は彼のことが苦手みたいだったが、私は自分なりの世界観で「Fさん、すてき」と、それなりに「O氏の子分」として、やっぱしたまにアタられていたのですが、やはり好みのタイプにアタられれば、それなりに我慢できるわけで、「それでも、お慕いしていますわ」という態度を貫いたのが功を奏したのか、それとも、だた単にO氏がいなくなっちゃったので、結果的に私が「唯一の話し相手」として残ったのかわからないが、ともかく、ここんとこ、ときどき妙に擦り寄ってくるのである。

 なにせF氏は、私が知りたい情報満載の人物なので、こういうご機嫌のいいときを私は見逃さない。夫がご機嫌なときを見逃さない妻のような心境である。こういうときのF氏は、こっちが聞いたことをあれこれ楽しそうに喋ってくれるので、ここぞとばかりに、あれこれと質問攻め。
 で、F氏も、さすがに頭のいい人物であるので(性格は最近壊れ気味であるが)、心の奥底から(ほんとーだってば。だってルックスが好みなんだもん)F氏への尊敬の念を隠さない私の質問にもへらへらと気さくに答えてくれるどころか「そこまで言っていいんですかい?」なことまで喋ってくれる。

 いや、ほんとに「同じ苦労をしている」ちゃんと頭のいい人と喋っていると、ほんとに心が洗われます。しかも、F氏は、今度のT部長を苦手に思っており、T部長もF氏のことをかなり警戒しているので(親会社の経理部長と子会社の役員のどっちが偉いのか、勝手に手に汗握る攻防を演じているらすぃ)、どっちも直接話すのをいやがっているので、あたしが間に入っているのですが、あたしは完全にF氏の見方。
 つーか、F氏が「この件はどうしますか?」なんてメールしてくると(内線すりゃ済むのに、いつもメールでお話ししてくるところがオタクっぽくて可愛い)、私も別に自分で判断してもいいんだけど、F氏の同情をかっておこうと「でも、Tさんに相談してからではないと・・・・」なんて言いやがるのだよ。うまいね(笑)

 ああ、残念だな。F氏が女の子だったら、もっと仲良しになれたのに。

 昔勤めていた会社では、他の会社も経理を仕切っているのが「お局様」ばかりだったので、その横のつながりは面白かった。どこも小規模な番組制作会社とかCM制作会社だったので、金庫番のお局さんたちは、最初は警戒し合うのだが、少しこっちが譲歩して話しをすると、相手も「我がままワンマン社長で苦労してます」な身の上だったりするので、すぐに「同じ境遇ね」と打ち解けあい、「すいません、うちの社長がおたくに300万円の請求書を出せって言ってるけど、どういう名目にしたら・・・・」「ああ、こちらこそすいません。社長から聞きました。じゃあ、こういう名目はどうでしょう?」なんて話しあって、わけわからんお金の流れも、なんとか「なーなー」で流していたもんだ。どっちも、税務調査では苦労している身なので、話しも通じ易かったし、たまに迷惑かけている会社の経理担当者をちょっと豪華なランチに誘ってプチ接待したりすると大変喜んでもらえたっけな。

 はあ、なんだか仕事の愚痴で長くなってしまった。

 さて、また「ダヴィンチ・コード」に戻ろうかな。けっこう古典的な探偵小説なつかみで、ベストセラーになるのも頷けますな。
 まだ上巻の3分の1も読んでないけど、読者の「自分は一般教養くらいある」という自尊心を裏切らない、適度な教養の出し方がイカすね。(レオナルド・ダヴィンチのあの円形に囲まれた男性裸体図の絵柄くらい、図版で示してもらわなくてもわかるよ、わしゃってあたり。そんで、並べ替えてもらえば、フィボナッチ数列くらいわかるもん、わしゃっ、てあたり)

 さすが、世界的ベストセラー作家は、こういう「平均よりちょっと教養はあるつもりなのよ」な読者の気持ちをがっしり掴みますなあ、と感心しつつ・・・・・


 また掲示板に行こうとすると、すごく重たいのでレスつけてませんが、ちゃんと読んでますので、軽い時間帯に書いた方は置きになさらずに、テキトーに書き込みしてくださいませ。
11月29日(月)

 おバカなJ君のおかげで、深夜の東京を迷走ドライブできたので、今日の私は「多少のバカには動揺しない」という自信み満ち溢れていたのだが、やっぱり偉大なバカ一人くらいでは、私の狭い心が急に広くなったりしないもんで、今日もT部長にイライラ。

 単に、私が勝手に先に気を回して、勝手に押し付けられて、ムカついてただけなんですけどね。(ああ、また孫じゃなくて損な性格。孫な性格だとどうなってんだろ?お会いしたことがないので、どんな人なのか知らない)

 「そういや、今週中に考課面談しないといけないはずなのに、いつやるのか言ってこないな」と思って、T部長の休みを確認したら、なぜか明日が休みになっている。どうするつもりなんだろ?余計なこと言わずに黙ってようかな、と思ったのだが、今週の日曜日にはまたイベント仕事があり、その翌日の月曜日も後処理で「全員出社」の号令がかかっているので、、社員たちは平日に休みをとることが多くなる。すでにクララは2日を休みの予定にしている。
 私は、二日に税理士と最初の決算打ち合わせをすることになっているので、1日か3日のどちらかを休みにしようと思っていたのだが、考課面談の日程が決まらないと休みを決められないので、ついうっかり「いつやるんですか?」と言ってしまった。

 そしたら「とにかく早くしないといけないから、1日にやろっかな」と言うので、「じゃあ、私がクララとハイジの面談するのは、明日しかないじゃないですか!」というと「そうだね」って早く言ってくれよもー
 人数少ないから、他の部署に比べれば小回りがきくというか、最悪、全てを一日で済ませることもできるんだが、それにしたって平社員にだって予定というものがある。

 「つーことは、会議室も押さえてねーな」と思ったので、ついでにT部長の予定も確認したら、二つも予定が入っていて、忙しそうだ。
 「あのー、1日で大丈夫なんですか?けっこう予定入ってるみたいだけど」
 「そお?でも、大丈夫でしょ。なんとかなるよ」
 「いえ、まあ、でも、予定の時間が大袈裟にとってあるなら構いませんが、13−16時っていう○○への外出と、17時−18時っていう○○会議ってなってんですが・・・・」

 要するに午前中しか空いてないのだ。午前中に全部やる気ならそれでもいいのだが(6人しかいないから、一人20分くらいであれば可能)もし、そういうつもりなら、ちゃんと前もって言っておかないと、午前中に出勤してこない人は多いのだ。

 「あー、そうなんだ。無理そうか。じゃあ、2日だな」

 そう言ったまま、T部長はグループ会社の幹部数人に誘われて、飲みに行こうとしているので、(いつもなら、彼は「まだ、ちょっと」と言って、必ず遅れていくはずなのだが)慌てて、「でも、Tさん、明日休みでしょ?早く日程知らせておかないと、今週はみんな2日か3日くらいに休もうとしますよ!」と言ったら、「そっか、じゃあ、よろしく」

 きーーーーーーーーーーーー
 他の人と比べてもしょうがないけど、前のO部長はちゃんとそのくらい自分でやったわよ。もちろん一次考課者の細かい時間割までは組まなかったが、「じゃあ、一次は何日まで」って指示して、二次面談の時間割をちゃんと作って、会議室の予約もやっていた。
 ああ、横にK嬢がいたなら、きっと一緒にあきれてくれたんだろうけど、残念ながら外出中。ハイジしか在籍してなかったが、ハイジには私の気持ちはわかってくれないだろうと思ったし、そもそも私とT部長のやりとりも耳に入ってないようなので、一人で唇を噛んでくやしがっていたのでありました。

 とりあえず、他の部署も一斉に面談をするので、会議室だけは先に押さえておこうとザックリと押さえておいて「まあ、いいや、あとはT部長に決めてもらおっと」と、それ以上、あれこれ気を回すのはやめた。
 後は明日、他の社員に「2日にやるそうで〜す。何時にやるかは知りませんので、都合の悪い人は、早めにT部長に言っておいてね」と告知すればいいや。

 そんで、クララはすでに帰っちゃったんだけど(いつもは遅い出社の彼女だが、なんか用事があったらしく、私よりも早く来ていて、5時半に帰っちゃった。マイペース)、ハイジに「明日、一次をやるから、A君の査定シートを私に送ってね」と言っておいた。
 しかし、ハイジが送ってきた査定シートを見て、さらにガっくし。
 「そうだろうな」とは思っていたけど、やっぱりそうだったのだ。ハイジの「職能階級」のほうが、私より一つ上だったのです。はははははは

 前に総務課長だった人と、考課面談をしたときに、ちょっとそういう話しになり、彼もこの会社の昇進や昇給制度には疑問を持っていたらしく「給料と職能階級もてんでバラバラだしな」と言っていたけど、ほんとにそうらしい。でも、ハイジは他の部署から転属していたから、私のほうがこの部署では立場が上というのもしょうがないのか。でも、たぶん、給料はそんなに変わんないと思うぞ。(私のほうが役職手当の分だけ多いのかもしれないが)
 あんまし気にしてもしょうがないのかもしれないが、自分より階級の高い部下の査定するっていうのも、なんかなあ。
 ま、世の中の仕組みは、私にはわけわかんないことが多いので、「ま、いっか」で済ませたほうがいいのでしょう。

 「わけわかんねー」と言えば、マスコミが煽る「ヨン様騒動」だろう。

 少し前までは「なんで、あんなに人気があるんだ?」っていう風潮だったが、今回の騒動で、「なんで、あのオバサンたちは、あんなに熱狂してるんだ?」というほうがメインになってきた。

 でも、そんなに異常な光景とも思えないんだけど。
 てゆーか、マスコミが期待するから、ああなっているような気がする。
 「さあ、ヨン様が○ヶ月ぶりに25日に来日です!今度もまた空港に大勢押しかけるんでしょうね」
 って、宣伝するから「じゃあ、ご期待に添わないとな」って頑張ってるだけじゃないの?
 阪神優勝や、W杯のときの「道頓堀に飛び込み」するのと同じようなかんじ。

 それにしても「空港で出待ち」っていう光景も最近のことのような気がする。
 私の勝手な想像だけれども、前までは「そんな情報を流して、空港が混乱したら迷惑がかかるし、空港公団から叱られそう」ということで、マスコミと一部の情報通しか空港に集まらなかった。
 何が突破口になったか、ちゃんと観察してなかったけど、ベッカム様やハリポタご一行様が「空港に集まった記録」を打ち立て「でも、これでもかなり情報統制してるだろう。もっとリークすりゃ、何百人じゃ済まないぞ。招聘する側も、そのあたりのバランスとるのが大変だろうなあ」なんて思っていたのだが、ワイドショーもだんだんと「成田空港史上最高人数」なんかをもてはやすようになったので、人数が集まりそうだという情報そのものが「広告」になってきた。

 それで、トム・クルーズなんかが、そういう群集に上機嫌で対応したりするもんだから、あれでさらに「成田空港へいらっさい」と洗脳されるよなあ。
 考えてみれば、いくら長時間待つことになっても「空港」っていうのは、居心地がいいはずだ。普通の出待ちってたいてい外だもの。宝塚の引退公演なんかが行われてるときの日比谷シャンテ周辺とか、寒いなか皆がんばって待ってたよ。「みゆき座」で映画観てから外でると、いつもびっくりしたもんだ。そんで、スターもお通りになるらしい「花道」というか、ファンがきちんと通行人のために空けた通路を「ただの映画帰りの人たち」が恥かしげに通過する。たまに、ズームレンズがこっちを追いかけていたりして「ああ、ピント合わせる練習をあたしでするなって」とか思いつつ。

 空港のロビーは清潔だし、エアコンも効いているし、トイレにも不自由しないし、コンビニもあるし、あの環境で数時間張るのもけっこう楽しいかもしれない。友達と喋っていたりすれば、あっと言う間だろうし、お隣に陣取ったグループと交流するのも楽しいだろう。

 あと、前から日本のアイドルが台湾や香港に行くと、「現地でもこんなに人気です」って映像が「空港で大勢のファンが大歓迎」っていうのだったりしたので、あのあたりでは、そういうのが「人気のバロメータ」になっているらしく、そのせいか、香港の人気俳優なんかがやって来ると、向こうサイドがわざと到着日時をリークしているような気がした。

 だから、なんとなく、香港アイドルマニアたちが「香港では空港で歓迎するのが礼儀。だから日本でもそれをやらなくちゃ」と張り切る気持ちはよくわかったけど、韓国ではどうなのか、よく知らないが、すでにヨン様ファンのおバサマたちは、そういう風習が確率してから乗ったわけで、今後気になるのは「ファッションの流行は、まず若者から始まるが、それがオバサンたちにも流行したころには急速にダサくなる」(その昔流行した「レースト」こと、「レースのストッキング」がその道をきっぱりと辿ったのが一部では有名。最近の網タイツは、オバサン受けが難しいらしく、流行の寿命が長い)という定説が、「○○様、フィーバー」にも当てはまるだろうか?ということである。

 たしかに、まともな神経を持ったギャルだったら、今はちょっと成田で出待ちをしたくないし、ホテルを巻くのもちょっとなあ。

 そんで、ヨン様ファンがホテルでの出待ちで怪我したっていうのも「サクラ疑惑」なども絡んで、いろいろ言われているが、でも、その前にヨン様が「ファンの皆様が怪我をするかもしれないので、保険をかけました」なんて言っていたという報道もあり、「ファンのための保険」っていう意味がよくわからなかったが、私だったら、そんなこと言われたら「ここは、腕の一本くらいヒビいれてもいいかも」って思いそうだったので(だって、ちょっと怪我したら、絶対に見舞いに来てくれそうな雰囲気だったもん)「そんなこと公表すると、逆にヤバいぞ」と思ったので、「あー、やっぱ、そうなった」

 というわけで、ヨン様のスタッフと、報道とファン心理が奏でるデキレースというか三重奏をそれなりに楽しんでいるのでありますが、私だって出待ちくらいしたことありますわよ。

 でも、大学のときに、他の大学の学園祭で「島田雅彦講演会」があったので、当時けっこう読んでいたから、軽い気持ちで行ってみたら、意外にも席が満席で、開演30分前に着いたのに会場に入れなかった。
 「そ、そんなに人気があったのか・・・」とびっくりしたが、他にも入れない女子がたくさんいて、会場のドアに張り付いて「中の声が聴こえる」なんてやっていたので、真似してみたのだが「そこまでして、聴きたいわけでもないし」と、しばらく周囲をうろうろしていた。初めて入る大学で、たしか東京女子大だったので古い建物も多く、女子大なんてめったに足を踏み入れなかったから、、ものめずらしかったのである。

 そんで、なんとなく終了時刻くらいに戻ってみたら、制服を着た女子高生数人が「あっちが出口よ!」と駆け出したので、なんとなく後を追いかけてダッシュしてしまった。
 疲れた。
 ってゆーか、すでに女子高生と同じには走れない自分に気がついて、がっかりしたし、それに、ゼーゼーいいながら我に帰ると「別に、猛ダッシュしてまで見たいもんでもないよな」

 それに懲りたので「そんなに大ファンじゃなくても、前売りチケットはちゃんととっておこう」ということにした。
 実際、それから何年かして、渋谷ロフトの上のほうのカフェで島田氏のトークショーというのがあったから、ちゃんと早めに整理券を貰いにいって、ちゃんと座ることができたし、サインも貰った。

 あと、渋谷クワトロでアズテック・カメラがライブしたときには、友達や知り合い(そういうライブに来るひとが限られているので、なぜか「知ってる人」が異常に多かった)と、なんとなく出待ち。1時間も経たずに、ロディが出てきて、30人くらいでキャーキャーと取り巻いて、一緒に写真とか撮ったはずなのだが、デジカメも無い時代、誰が撮ってくれたのやら、手元に残っていないのが残念。

 渋谷の円山町にあった、大きめのライブハウス(なんとかEASTとかWEST)で、ジャミロクワイが公演したときには、一緒に行った友人が「今日はルーム(渋谷にあったジャズ系クラブ)で、大沢さん(モンド・グロッソ)の日だから、メンバーが顔を出すような気がする」と言うので、木曜日だったが、大沢さんの日にはよく行っていたので、「来なかったら、まあそれはそれで」という軽い気持ちで行ってみたら「大当たり〜〜〜〜」
 でも、ボーカルのジェイ・ケイがトレードマークの帽子かぶってなかったから「こいつなのか?」と心配になったが(だって、長い金髪の、よくいそうな兄ちゃんだったんだもん。あの帽子の中身が金髪だと想像してなかったのだ)、みんながワイワイとサインもらっているので、その中の一人に「この人、誰?」と聞いてみたら「ジャミロクワイのジェイ・ケイですよ」と丁寧に教えてくれたので、「わーい」とサイン貰った。私は面倒だから貰わなかったけど握手だけしてもらった。

 そういや、東京女子大での島田雅彦公演では「学内の配置がよくわかってないから、これは追っかけるのが不利だ」ということを学習したのだが、逆に自分が通っている大学で花田裕之が学園祭ライブをやったときには「土地勘」を生かして勝利を収めた。
 だって、企画している音楽サークルの部室が、私のサークルと同じ部室棟内にあり、そこが控え室になってるのを知ってたんだもん(笑)
 しかも、その部室棟は、よその人が見たら幽霊が出そうなほどボロくて入りにくいし、だいたい、その中では学祭中に、バリケード張っている「学生運動サークル」もいるしで、普通の人が入っていい場所には思えない。

 つーわけで、他にも追っかけてきた一般客はいたが、みんな建物の外にいたのだが、私らは中のエレベーターホールで通路を抑えていたのだった。
 「どう考えても、ここしか通るところないよね」とわかっていたし、もしもの時の裏口の位置も完璧に押さえてある。

 でも1時間ほど頑張っていたら、やっと着替えも済んで、花田さんが歩いてきた。
 ワーーーっと寄っていったのだが、彼は大変無愛想な人で、私ら(私を含めて4人)をチロンと横目で眺めるだけ。
 「こういう人だから、しゃーねーな」と思ったのだが、スタッフの手際が悪く、その建物の出口のところで、「すいません、今、タクシーを用意してますから、ここでお待ちください」

 ラッキー!!!!というわけで、気の毒な花田さんは、私たちに囲まれて写真撮影を強要されてしまったのでありました。めんどくさそう、といか、どこにも逃げ場がないので、快く一緒に写ってくれたのですが(それも、一人づつ)、さすが、ボーっとしていても、しっかりシャッターを押す瞬間には顔を作っていた。

 なので、今でもアルバムには「ロッキンオン・ジャパン」のグラビア用みたいな顔をした花田さんと、すっかり目がいっちゃっている私のツーショット写真が大事に貼ってあります。

 写真を撮り終わっても、すっかりボーっとなった私らは、その場をなかなか離れられないでいたのですが、タクシーもなかなか来なかったので、花田さんも所在なげに壁に身を寄せていましたが、なにせそこは出入り口ですから、中のサークルに所属している人たちは頻繁に通るのです。
 当然のことながら、私のサークル仲間も通りがかって「あれ?こんなとこで何してんの?」と、私らに声をかけていきましたが(4人中、3人は同じサークルだったので)、私らがトローンとした目をして「べつにぃ?」という様子にビビったのか、「なんか変だな」と思いつつも、足早に立ち去ってくれました。

 その後、やっとタクシーが来て、花田さんもあっけなく去ってしまったので、「おつかれさま〜」と見送ったのですが、その後がもう大変、みんな過度の興奮状態に陥ってしまい、部室に戻って「さっき、さっき、花田さんと写真撮った〜〜〜」と大騒ぎするのですが、他の人にはなんだかよくわかんないので「ああ、さっき、入り口にいた背の高いギター持った人?あれがなにか・・・・」とか、中にはルースターズくらいは知ってるので「ああ、よかったですね」くらい言ってくれる人もいましたが、私たちだけが「マイ・ワールド」からしばらく出てこれなかったのでありました。

 あと、思い出に残る出待ちといえば(なんだ、けっこうやっとるね)、ロイド・コール&エモーションズが初来日(たぶん)したときに、なぜか中野サンプラザで2日間やっていて「そんなに客が入るのか?」と心配しましたが、やはり行ってみたら客席は三分の一も埋まってなかった。
 あんなに空いているコンサートホールも初めてだったのですが、演奏が始まってみると、そんなこと忘れるくらい素晴らしいライブで、数少ないお客さんも熱狂していました。
 終わったあと「すっげーよかった」と感激しつつ外に出たのですが、ふと「あれだけ客が少ないということは、出待ちする人も少ないに違いない」と思って、いつも出待ちの人がひしめく裏口エリアに行ってみると、やっぱり人が少ない。
 しょーがないから、ずっと待ってましたよ。周りの人も「なんか人数少なくて寂しいね」なんて言ってたので「でも、いいライブだったよねえ」なんてポツリポツリと喋りながら。

 そんで、やっとロイド・コールが出てきて、残って待ってた数十人(20人くらいだったかな?)一人一人としっかり握手してくれたので、とても嬉しかった。別に握手したいほどのファンでもなかったんだけど、とにかく「素晴らしかったです」って言いたかっただけだ。向こうも客が少ないのには、それなりにガッカりしていただろうし。

 というわけで、出待ちにはけっこういい思い出が多いので、ヨン様ファンのおばちゃんたちの気持ちも、なんとなくわかるような気がするだけです。

 そういえば、出待ちじゃないけど「追っかけ、恐るべし」と実感したのは、番組制作会社に勤めていたころ、近藤マッチが主演のドラマを作っていたことがあります。もちろん「たのきんトリオ」の全盛期のマッチではなく、トシちゃんがドラマで人気を博していたころの話しです。なので、ドラマもそんな視聴率は上がらなかった。

 しかし、その撮影中によく女性から「スタイリストのアシスタントも者なんですが、今日のロケ現場がわからなくて」なんて電話が入りました。
 と、言われても、事務所スタッフはロケのスケジュールなんて知らないのです。逆に「今日はロケだったんだ?そーいえば制作スタッフは誰もいないけど、スタジオかと思ってた」なんて思うくらい。昔はどうだったのか知りませんが、そのころは会社所有の携帯電話が当たり前になったので、事務所がスケジュールを把握する必要もなかったのでした。

 で、こちらとしても「よくわからないのですが、そちらもスケジュールもらってないんですか?」なんて聞くと「じゃあ、けっこうです」と電話を切るので「変だなあ」と思っていたのですが、その撮影が進むうちに、プロデューサーから事務所スタッフに「いろんな手で撮影場所探ってくるから、絶対に教えないでくれ。ほんとの用件だったら、こっちから折り返し電話する」との指示。
 どうも、ジャニーズ系の追っかけは「スタッフを装ってスケジュールを探ろうとする」という技をよく使うようなんです。

 もっとも、こっちもスケジュールを知らないので、うっかり教えようもないんですが、事務所の女性たちと「やっぱし、クサってもマッチなんだねえ」と感心していました。(光ゲンジの撮影のときには大変だったらしいが、マッチには誰も警戒してなかったのだ)

 あと、黒木瞳が出演したドラマを作ったときに、番組宣伝と視聴者プレゼントを兼ねて、当時流行りだった「テレホン・カード」を作ったのですが、やはり熱烈な女性ファンが電話してきて「抽選には外れたけど、どうしても、どうしてもカードが欲しい」と粘りました。
 しょうがないから、プロデューサーが出て「この会社にも、ほんとに一枚も残ってません。私も持ってません」と断言してやっと諦めてもらいましたが、私はうっかり「なんで、黒木瞳にそんな熱烈な女性ファンがいるの?」と聞いてしまったのですが「だって、宝塚出身だもん」と言われて、「あー、なるへそ」と納得したりした。

11月28日(日)

 昨日は久々に夜遊び。
 ほんとは、金曜日にエレクトラグライドに行こうかな、と思っていたのだが、カミちゃんが「チモマース行こうよ」と誘ってくれたんので「なんでもいいや、とにかく夜遊びしたいだけ」と思って、誘いを受けた。しばらく会ってないMYちゃんも来るようなので、MYちゃんにも会いたかったし。

 待ち合わせの相談をしたら、車が出るらしいので新宿集合だという。アゲハは新木場の駅からすぐだし、私は電車で行ったほうがラクなのだが、その車がJ(日本語がちょっと怪しい在日アジア系)の車だというので「こりゃ、私が一緒に行かないと、たどりつかないぞ」と思ったので、同乗させていただくことにした。

 11時半に新宿集合だったのだが、私も乗り継ぎが悪く10分ほど遅れたが、MYちゃんもさらに5分後くらいに到着したので、12時少し前くらいにやっと新宿駅前を出発。車は走り出したが、なんかグルっと回っていただけらしく、気がついたらまだ新宿駅周辺だった。
 「なんだ、まだここなの?」と思ったが、どうやら待ち合わせは東口のアルタ付近だったのだが、首都高に乗るために西口のほうに回ったようだ。あの付近は道が込んでいるので、すでに20分くらい経過(笑)
 自分も高速道路には疎いので、なんとも言えないが、あそこからだったら信濃町のほうまで行って高速に乗ったほうが早かったのでは・・・・

 しかし、J君はカミちゃん並に「道を知らない」ということがわかってきた。だって、新宿の入り口も横にいたタクシーに聞いてたんだもん。不安的中である。
 前にもカミちゃんと二人で車でアゲハに行ったときにも苦労したが、首都高の案内板って道を知らない人にはとてもわかりにくいのである。
 とにかく「B」っていう路線に行けばいいと指示したのだが、道が渋滞していたので、「どっちに行けばいんだ?」なんて時にもゆっくり考える時間はあったので「迷うわけがない」と思っていたのだが、わかり難い分岐点で罠にはまったらしく、気がついたら「向島」を目指して走っていて、案内板から「B」という路線の表示が消えてしまった。方角的には北に逸れている。ああ、箱崎インターのばかぁ

 とにかく、「今はまだそんなに離れてないけど、これからどんどん遠ざかっちゃうんだから!」と怒鳴り散らし、なんとか高速を下りた。浅草の近辺の駒形出口。
 Jがなにやら携帯で電話しはじめて、道を聞いているのでなんだ?と思ったら、助手席に座っているカミちゃんが「道路公団にかけてるんだよ。この人、好きでさあ」

 「今ですねえ、新木場に行こうとしたら道を間違えてしまい、駒形で降りてしまいました。どうすればいいでしょう?」
 (こういう形式的な話しだと流暢に話すのが不思議。どうも感情的な表現をするのが苦手らしい)

 道路公団も民営化の圧力を受けて、こんな電話でもちゃんと対応しないといけないんだろうなあ。すいません。
 しかし、全然わかってないJは「じゃあ、ここから一般道ではどう行けばいいのでしょう?」なんて聞いても、なにしろ運転中だし(あ、そういや、あいつ運転しながら電話してたぞ!バカ!)、カミちゃんに電話を変わってもらったが、カミちゃんは「すいませんでした。ありがとうございました」と言って切ってしまったので、怒るJ君。

 しょーがないから後ろの席で「道路公団は高速道路を作っているところだから、一般道のことまでは教えてくれないの!」と怒鳴る。だって、道路公団に「駒形から新木場まで一般道で行くと何分かかりますか?」なんて聞いてんだもん。カーナビじゃないんだからさあ。

 結局、アゲハのホームページに載っていた簡単な地図では新木場駅は明治通りと交差していることがわかり、道路の案内に「明治通り」というのが出てきたので「じゃあ、これで行こう」ということにして、私も「ここから新木場までは、そう遠くないはずだ」と言って、その計画を支持した。

 大人しく成り行きを見守っていたMYちゃんが「みやのちゃんがいなかったら、どうなってたの?」と笑うので、「いや、あたしだって車運転しないから道がわからないんだけど、でも東京の大体の構造はわかっているから、このくらいの指示はできるが・・・・・それにしても、この人たちは道を知らなすぎ!」

 1時半ごろ、やっと新木場に到着。アゲハの前を通ったが、相変わらずびっちりと路上駐車している。前にカミちゃんと行ったときにもそうだったので、そのとき係員に指示された「このあたりはもう一杯だから、あっちの道だったら大丈夫。でも、絶対に出入り口の前には駐車しないでくださいね」という経験を元に、車をUターンさせて、駐車できそうなところを探していたが、やはり無いので、「じゃあ、あの交差点を左に曲がって」と言うと、Jが「アゲハに電話する」と言い出す。
 「電話したからって、どこが空いてるなんて教えてくれないよ?」と言ったのだが、電話すると言ってきかないので、あれこれ言い合っていたら、隣にいたタクシーに向かって「すいません、アゲハはどこでしょう?」と聞いたので、やっと彼が「自分たちは、アゲハの場所がわからなくてウロウロしている」と誤解していることに気がついた。(キョトンとなさっていたタクシーの運転手の人に「すいません、気にしないでください、ごめんなさい」と平謝り)

 あー、もー、ほんとにバカなんだから・・・・・疲れる。
 そんで、またデカい声で「アゲハの前はさっき通ったの。みんな場所は知ってるから大丈夫!今、場所を探しているのは、この車を駐車させる場所なの!アゲハのそばは一杯だったら、少し遠くに行くの!」と説得すると、やっと意味がわかったようで、カミちゃんが「みやのちゃん、すまないねえ」
 カミちゃん、それは言わない約束でしょ(涙)

 まあ、この程度の珍道中は予想範囲内だったので、なんとかたどりつけてよかった。
 それに、こういうのが楽しいともいえるし(笑)

 車で来る人が多いので、2時近くなっても入り口には長い行列ができていた。まず入念なIDチェックを通ってから、入場料を払い、クロークに荷物を預けてから、また名物のボディチェック。女子プロレス選手のタマゴみたいな女性が、女性の体も触ってチェックする。

 中はけっこう混んでいたが、場内が広いので、それほどギューギューでもない。ドリンクを飲みつつ、「もう、ティモマースやってるのかな?」とフロアをチェックしたが、まだ日本人DJだった。
 それでも、2時半近くなると、DJブースに外人の姿が見え、「そろそろかな」と思ったが、3時近くなってやっと始まった。

 ティモマースが誰なのかよくわかってなかったのだが、カミちゃんが「どっちかというとトランス系。少し早いかも」と言っていたんだけど、始まってみるとけっこう緩いテクノだった。でも、リズムは「ズンズン」と思く、カミちゃん曰く「この人、ドイツ人らしいから重工業系なんだよ」

 それでも、けっこう楽しくひゃらひゃら踊っていた。フロアもほどよく空いていて、居心地がいいし、音もいいし、たまに気分転換に外のスペースで新鮮な空気が吸える。月が輝いていた。どうやら満月らしいとの噂。

 Jは着いてからずっと、今度は帰りの心配をしている。ときどきほったらかされて、先に帰られちゃったことがあったみたいで「帰りはどうしましょう。わたし、送っていきます。電話します」とうるさい。私の携帯の番号を知りたがったが、「だめー、おしえなーい」

 だって、夜中に電話かかってきて「今、練馬インターなんですが、どうやったら横浜に行けますか?」なんて聞かれたら、やだもーん。

 結局、4時半ごろには皆くたびれてしまったので「そろそろ帰ろう」ということになり、車に戻った。
 Jは、どうもカミちゃんに猛烈アタック中のようで、この間もクラブから帰ったあとに、他の女の子とカミちゃんちで寝ていたのだが、カミちゃんに手を出そうとしたら「今は友達がいるからダメ。また後でね」と言われたと、うれしそうに語っていた。「彼女とボクは年も同じですし。ぐふふふふ」

 うーん、カミちゃんの性格からすると「今は友達がいるからダメ。また後でね」というセリフはその場をなんとか丸めようとする下手な回避策のような気もするが、まあ、友達が誰とお付き合いしようと知ったことではないが、でもこいつは私が今まで会った中でも最高レベルのバカなんだけどなあ。

 MYちゃんもアゲハに着いたときに「ところで、あの二人はカップルなの?」と聞いてきたから、「そういう話しは聞いてないし、カミちゃんもJのこと友達と紹介するから、違うと思うけどねえ。でも、Jはカミちゃんのこと好きみたい」なんて話しをしていたのである。

 ところで、カミちゃんもまとわりつくJがうざいみたいで、「ほら、MYちゃんと英語で話しをすれば?」とけしかけていた。MYちゃんはイギリス帰国子女なので、英語は流暢。Jもバカ全開の日本語よりも、英語のほうが得意なのではないか?と思ったのだが、MYちゃんの判定によると「英語でもちょっと・・・・何言ってんだかよくわからない」
 要するに語学力の問題じゃないんだろうな、きっと。(クラブで会うような、日本語で喋っていると頭悪そうに見える白人にいちゃんたちも、英語で喋っているとキリリとしているから、そういこともあるかもしれないと思ったんだけど)

 そんで、Jの英語力にも疑問を持ったのは「ティモマースってドイツ人らしい」という話しをしていたら、Jが「ジャーマニッシュ」と言ったので、「ええ?そんな言い方するか?」
 MYちゃんも笑っていたが、英語もろくに喋れない私もカミちゃんも「J、ほんとに英語大丈夫なの?」と疑いの目。

 でも、本人は「ハワイの英語ではそう言う」と譲らなかったのですが、ほんとうなんでしょうか?

 さて、車に戻ったが、また高速の入り口がわからない。私は「たぶん、あっちのほう」とわかっていたのだが、Jはコンビニに道を聞いて(とにかく他人に聞くのが好きらしい)、ちゃんと地図まで書いてもらっていた。
 それを見てたから大丈夫かと思ったのだが、思いっきり反対方向に乗りやがった!

 すごいぞJ。最後まで期待を裏切らない。
 車は仕方なく浦安方向に進むしかない。「東京ディズニー・シー」の看板が悲しい。そしてJの「じゃあ、これからディズニーランドに行きましょうか?」という、冗談も真っ暗。

 とりあえず、また後部座席で「このままだと、どんどん千葉に入ってしまう。とにかく高速を降りろ」と暴れて、なんとか浦安で降りるが、反対方面に入るには道路をUターンしないといけないのだが、なかなかターンできるところがない。そうこうしているうちに「あ、入り口だ」とまた緑の看板に吸い寄せられていくので「あれに入ったら、ますます逆方向なの、とにかく東京は反対側だから、道をUターンするのだ!」と叫んでいるうちに、やっとターンできた。

 MYちゃんがまた「みやのちゃんいなかったら、どうなってたんだろ?」と言うので、「私がいなかったら、まだアゲハに着いてなかったかもね」

 やっと東京方面の入り口を発見して、「銀座だ、銀座方面だ!」と言いながら、やっと新宿について、Jはすこし寂しくなってきたようで「お腹がすいたかも」とか「カラオケがしたい」だの「お茶でも飲んで帰りませんかね」とか「みんなでカミちゃんちに行きませんか?」と言ってきたが、私がきっぱり「大人はサクっと帰るの!」

 新宿でMYちゃんはJR、私は小田急だったので、そこで別れた。「また、今度は飲み会でもしよう」

 MYちゃんに会うのは、ほんとに久しぶりで、2年は会ってないような気がするが、私と同じ年のはずだが、長谷川京子風の美貌に落ち着いた色気が加わっていて、前よりも美しくなったような気がしてうらやますぃ。
 仕事は転々としているようだが、彼女のスキルだと英語関連の仕事には不自由しないのだが、本人はデザイン関係の仕事がしたいけど、そういうのはやっぱり若いほうが有利だから、職探しにはなかなか苦労するらしい。

 MYちゃんに「そういや、Aちゃんちの子供も、もう1歳になったよ」なんて話したら「もう、そんなかあ」で「あ、そういえば、Nっていたじゃん?」
 N嬢は私と同じ名前で、イギリスでアートの勉強をして帰国した子。K嬢が派遣先で友達になり、同じイギリス帰国組としてMYちゃんとも仲良しになっていた。
 「Nも、結婚したんだよ」
 「へえ?誰と?」
 「フランス人と」

 なんで私のクラブ仲間は、外人と結婚する率が異常に高いのだ?3/4だよ。

 「それが、10年前まで付き合ってた人らしいんだけど、Nが出張したときにパリで再会したんだってさ」
 「わー、昔の恋人とパリで再会って、ろまんちっく〜〜〜〜〜、トレデンィ・ドラマかよ。そりゃ、結婚するしかないよね。私だって、うっかり結婚しちゃうかも(爆)」

 というわけで、久々に朝帰りしました。
 アゲハを出たときに、東の空を眺めてみたら、やはり惑星が輝いていましたが、満月も輝いていたので、ギラギラ感が少なかった。

 でも、下北沢について、三茶までとぼとぼ歩いていると、西の空が薄墨色としか言いようのない色に染まり、その中に、アイボリーに輝く月がポツネンと浮かんでいて、たいへん美しゅうございました。あの月を鑑賞できただけでも、夜遊びした価値がありました。
 家に帰ると、バタンと寝て、目が覚めたらもう昼過ぎだった。

 あー、腰がいてえ。銭湯にでも行くかね。
11月27日(土)

 近所の西友の中にある本屋は、西武グループの没落を反映させているのか、年々品揃えが悪くなっているし、レジにも活気が無いから、あまり売れてないんだろうなあ。
 駅と自宅の間での唯一の本屋なのだが、最近はあまり足を運ばなくなってしまった。ちょっとした雑誌なら、コンビニで充分。でも、昔は本屋ってそれなりに集客力があったのか、デパートなどでもたいてい上の方の階にあるのだが、今だとあまりいい位置とはいえないかもしれない。
 特に西友みたいなスーパーはほんとに厳しいだろうなあ。今だと「地下食品売り場」というのも不利だし。

 そんなわけで、最近は、駅の向こうの地上階にある本屋に行くことが多い。そっちは、いつも雑誌立ち読み客で賑わっているし、それなりに売れているようで、レジにも活気がある。本が売れないと言われているが、文庫本を5冊くらいまとめ買いする人は、けっこういるようだ。
 本屋が賑わっていると、なんとなくホっとするし、最近は小金には苦労していないので、図書館を利用せず、本をバカスカ買って「買い物=狩猟本能」を満足させると同時に「出版業界を私が支えちゃるのよ」という無意味な自尊心も満足させられるので一挙両得である。

 とは言っても、私の書籍購入代は、多くてもせいぜい月に1万円程度だ。(本の平均的価格が2千円くらいだとしても、月に5冊も読まないことは多い)
 酒代に比べたら微々たるもんである。

 先日も、その本屋に寄って、ぼんやりと海外文学の棚を眺めていた。西友の本屋の海外文学コーナーは、すでに絶滅寸前のトキのような惨状だが、こっちの本屋の棚も、ワシントン条約にリストアップされる寸前である。「ダヴィンチ・コード」は海外文学棚ではなく、レジ前平積みという別格扱いだし。

 こういう中途半端な場所(都心でもなく、郊外とも言えず)の住宅街の本屋では、マニアックな本は住民が通勤通学で通る都心で簡単に手に入るので、逆に品揃えが薄くなる。でも、ベストセラーだけを置いていても味気ないし、本屋も飾りで「ここじゃ売れそうにもないけど」なんて本も置いてあるような気がする。

 お飾り度が高い海外文学コーナーは、自分が国内モノよりも海外モノが好きなので、こんな住宅街の本屋でも「百年の孤独」がポツネンと棚に刺さっていると、「ああ、この棚の担当者の意地だなあ」と勝手な深読みができて楽しい。
 ちなみに、西友の本屋は、以前は科学書コーナーに担当者の意地を感じて(サイモン・シンの新刊は必ず置いていたり)密かに応援していたのだが、あそこが「自己啓発本」(隣のエセ心理学&ニューエイジコーナー所属)に半分乗っ取られたころ、本屋全体のバランスが崩れたので、見放したのだ。たぶん「本屋の意地」を張る店員が皆やめたのであろう。

 前置きが長くなりましたが、その三茶ではたぶん一番大きな本屋というか、唯一の「まともな本屋」(他はもう、雑誌スタンドになっていて「書籍」は置いてない)の海外文学コーナーを眺めていたら、「あー、こんなの置いちゃって」というのを発見したので、思わず買うことにしました。

 だいたい、あそこの本屋で「国書刊行会」の本が置いてあるなんて、それだけで「買い」というか、「泣き」でしょう。
 そーいや、その昔、大学の後輩が国書刊行会に就職して、その後の飲み会で会うたびに、私を含めた数人のマニアに「重力の虹は、いつ出るのぉ?」と挨拶替わりにイジめられてました。
 彼女はその担当ではなかったので「まあ、いろいろ大変そうです」などと弁明していたのだが、結局、「重力の虹」が目出度く出版される前に退職して、なぜか代官山のテディベア・ショップで働いていたっけな。

 いや、「国書刊行会」→「テディ・ベア」というのが、わかるような、わかんないような、だったので印象深かっただけですが・・・・

 つーわけで、また話しが逸れましたが、三茶の本屋の片隅にひっそり咲いた国書刊行会の本を「ナンバーワンじゃなくても、オンリーワンなのよね」と思って、買って帰ったのでありました。(あの棚の担当者に、勘違いさせやる気を出させようと思ってさ)
 山形浩生訳というのも背中を押しましたですし。

 つーわけで、イアン・ワトソンって誰だか知りませんが「未来の文学シリーズ」だってさ。わー、こういのって、読んでから「なんじゃこりゃ?」と思っても「未来だからしょうがないのか」と納得しないといけない危険をはらんでいるのよね。過去にも何度か「実験的小説」で「ごめんなさい。私が古い人間だから、わっかりませんでした」と懲りたんだけどな。

 そんで、帯にも「異色の言語学SF」とか「言語と世界認識の変革をめぐるサイケデリック・ビジョン」とか書いてあるし。読む前からトホホ感全開である。
 しかし、幸いなことに、私はわりとサイケデリック文学に寛容というか、はっきり言って愛好家である。

 つーわけで、あまり期待しないで読んでみました。イアン・ワトソンの「エンベンディング」じゃなくて「エンベディング」これからうっかりアメリカに移住しても一生使わなそうな単語だ(笑)。

 二日で読んじゃいました。(厳密に言うと、昨日の会社帰りの電車の中と、夜中のミッチーのドラマが始まる前と、今日起きてうだうだしてるとき)

 だって、けっこう面白かったんだもん。
 だって「未来の文学」で「国書刊行会」で「山形浩生」だったから、けっこう身構えてたんだけど、読んでみたら「わー、ハリウッド超大作みたい」

 英国にある秘密の研究所で、非公開の研究をしている(公開されたら倫理的にひっかかる)言語学者と、そのかつてのアフリカ原住民のフィールドワークの盟友であり、実は言語学者の子供の本当の父親であるフランス人文化人類学者の現在のテーマであるアマゾン原住民。アメリカ主導のダム計画により、その原住民の住む地域は水没することになっている。
 原住民たちは、自分たちなりの呪術でその危機を切り抜けようとしているのだが・・・・

 文明社会ではバカにされてる原住民の呪術的行為であるが、どうやらそれがなんかを動かすらしいというあたりで、サスペンス映画を見ているような感じになり、「そんで、どうなるの?どうなるの?」と思って、ついつい読み進んでしまいました。
 そしたらさー、すげー展開になるんだよ。
 それは本の帯でもほのめかしてあったが、「異星人とのコンタクト」になって、それが滅び行くアマゾンの原住民とどういう関係が?

 ね?ハリウッド映画にしたら、けっこう面白そうな予告編が作れそうでしょ?

 でも、読み終わった後に訳者あとがきを読んだら、これはこの作家の「ワンパターン」らしい。
 それでも、この「ワンパターン」はけっこう皆、好きだと思うんだけどなあ。
 そもそも、「ダムで水没するアマゾン原住民の村」っていう設定が、大衆好みだ。

 この小説、小難しい言語学がどうちゃらっていうのをもう少しわかり易く表現できたら、立派なハリウッド映画になりますよ。いや、映画的には、このまま「わけわからん」でいいのかも。

 しかも、後半でまた「えー?なんで?」っていう裏切りをしてくれて、なんだかよくわからんままに事態は収束してしまったのである。
 そして、けっこう丁寧に描いていたはずのアメリカ人のダム工事技術者の存在が、尻切れトンボに終わっていたり、それも小説としては「あれれ?」って感じだが、ハリウッド映画だと「きっと、編集で切られたんだな」と納得することができる。

 記述も非常に映画的で、主人公は一応、心になんか傷を負っているようだが、中盤になるとそういうのはどうでもよくなり、彼が気にするのは、自分の問題よりも、目の前で喋っている人の「人心を掌握するために無意識に工夫している仕草」であったりして、上手い映画監督は、主人公の心の描写よりも、こういう映像的な「あれ?」をよく使いますよね。
 で、それは話しの筋にはなんの影響もなかったりして(笑)

 とにかく人物描写(異星人も含む)が非常に映像的で、それが逆に新鮮だったな。
 ほんとに、映画を観るような気分で読んだ。小難しいセリフが出てきても「これは、単に小難しいということを表現しているだけで、観客が理解する必要はない。というか、ちゃんと理解できると理論が成り立ってないことに気がついてしまうようなもんなんだろう」(「ジュラシック・パーク」の遺伝操作がどうのとかいうのと同じ)

 だから、言語学がどうのこうのっていうのは、あまり重要ではない。(ハリウッド映画的には)
 私が面白いと思ったのは、それぞれ次元の違うはずのトラブル---英国の秘密研究所、アマゾンの巨大ダム計画、異星人とのコンタクト----が、それぞれの倫理問題を抱えているが、他人が犯す「バッかみたい」な行為を「バカ」だとちゃんと認識できるのに、自分も同じようなバカをやっているということ。

 アマゾンの原住民のサイケな呪術行為の顛末をアメリカ人スタッフは「なんじゃこりゃ?予言だなんだって言っても、こいつら、後になってとってつけたような理屈つけてるだけじゃん?」とバカにしますが、やっと本国と連絡がとれるようになったら、アメリカ帝国がやった「やっつけ行為」のほうが、よっぽどバカっぽかった。
 同じく、その呪術的な行為の非人道的な様子を観察した言語学者は、自分のやっている秘密研究の非人道的なことにやっと気がつくし、脇役に甘んじたアメリカ人ダム工事技師はベトナム戦争で罪無き村人を殺したというトラウマを抱えていますが、ダム工事に反対するテロリストが自分を殺害しようとしていたのに、地元警察がそのテロリストを拷問にかけていると、過去の忌まわしき記憶から、過剰に反応してしまう。

 自分のやったバカな行為には疚しさを感じているのだが、他人が同じようなバカをやっているのを見て、その他人が全く疚しさを感じていないことにショックを受けている、というのか・・・・ううむ、なんと言えばいいのだろうか、結局、外の世界のことなんて気にしてなくて、最後まで「わが道」を歩んだアマゾン原住民が一番潔かったということなのか。

 また日常の生活に戻るアマゾン原住民の村の風景がラストに流れて映画はおしまい。
 「えーと、結局、アマゾンの呪術師の思い通りになったって・・・・こと?」と劇場を後にする人たちが「なにがなんだったんだ?」と話し会いながら歩いている光景が目に浮かびました。
11月26日(金)

 はあ・・・昨日はT部長と私の間の微妙な緊張感を勝手に合理化(なのかな?)して気をまぎらわしていましたが、今日のT部長はなぜか妙にご機嫌で、朝一番に、こっちがまだ挨拶しかしてないというのに、「ふふふ、考課面談がんばってね」だってさ。

 むっかーーーーーーときたが、怒るのがすごく下手な私は、「全然自信がありません・・・はあ、なんか憂鬱」と暗く答えただけにしたけど、向こうは「ふふふふ」と、とても嬉しそうなのがムカつくんだよっ。

 しょーがないから、さらに合理化作業に勤しむことにして「こいつは、きっとサイコパスに違いない」と勝手に判断することによって気をまぎらわしました。(ピンカーの「人間の本性を考える」の悪影響、というか自分に都合のいいところだけ拾っているだけだ。)

 うわーん、こんな上司の下で、この先もずっと大人しく働ける自信が無くなってきた。鉄アレイで殴り殺しそう。と、ゼツボー的な気分になってきましたが、ゼツボーと書くと、なんかスケボーの仲間みたいで、いいかな、と思ったりしたわけです。(人生を明るく前向きに生きるテクニック満載)
 ゼツボー、スケボー、テツボー、ヨクボー、ウマカボーほら、なんだか楽しくなってきました。(強引)

 朝からそんなグチャグチャな気分だったのだが、気分転換と週末の軍資金の補充に銀行に行ったのだが、そういう気分のときって、変なものを引き寄せるというか、変なものに気がつくのだが、今日見つけたのもかなり変だった。

 給料日後の金曜日であるので、ATMコーナーには行列ができていたのだが、私の少し前に並んでいた男性の耳に異物が・・・・
 ピアスの金具だった。
 いまどき、ピアスした男性など、珍しくもないが、男性のピアスって輪ッかっぽいのが圧倒的に多いと思う。耳たぶの裏に、金具がついているタイプをしているのは珍しいので目をひいたのだ。

 しかも、後姿だったから年齢はわからないが、その人は坊主頭で、眼鏡をかけていて、背広姿だった。背は170センチくらいで、ややぽっちゃりした感じだが、小太りというほどでもない。
 そして、ピアスは片方だけしかつけていなかった。

 ビビビビビビビビと来ました。もう「絵に描いたようなホモ」って感じに見えたのだ。

 でも、ひょっとしたら、正面から見れば、平凡な背広(スーツというより「背広」だった)や平凡な銀縁眼鏡や平凡な坊主頭も、なにか「おしゃれ」という着地点があるのかもしれない、と思ったのだが、横顔がちらりと見えたが、そういうラジカルなファッションをするようなタイプにも思えない。眉毛もしっかり太くて、朴訥そうである。

 これは、なんとしても正面から、それがどんなピアスなのか見極めないと、と、彼がATMを使い終わるのをじっと目で追ったていたら、やっと正面の姿を観ることができた。
 やはり、どう見ても、ピアスをしそうにもない風貌であった。しかし、そのピアスは、トルコ石を脱色したような、淡い水色をした石だったのである。小豆くらいの大きさ。

 男性が、色付の石のピアスをするなんて、ほんとに珍しい。
 それに、なんかこの人、背広着てるけど、なんとなく僧侶っぽいぞ。

 うーん、なんかどっかの宗教関係なんだろうか?
 きっと、ファッションでピアスしているのではなく、石のパワーがどうのこうのってやつなんだろうな。トルマリンでできているのかもしれない(笑)


 今日は日が暮れたら急に風が強くなった。
 でも、それほど寒くもなく、ザワワ、ザワワという風の音が楽しい。
 枯葉が路上に散っているので、つむじ風が視覚化されてさらに楽しい。

 自分の足元で、つむじ風が枯葉をクルクルと回しているのを見ると、ついつい気分が、超能力少女とか、謎の転校生とかになってしまうことに気がついた。

 それにしても、こんな風の日には「ソフト・コンタクトでよかった〜」と思う。ハード・レンズだと、超能力少女を気取っている場合ではなく、目つぶしを喰らったニンジャの敵のように、「ぐ、ぐおおおおお」と路上でうずくまったまましばらく動けなくなっちゃうから。
11月25日(木)

 朝一番にT部長に「なんで私が考課することになってるんですか?」と「なにかのお間違えでは」という笑顔付で突撃したのだが、「ふふふ」という向こうの「してやったり」という満足そうな笑顔で玉砕。
 「そういうことになったんだよ、ふふふ」ですってさ。

 相手に聴こえるような小さな声でブツブツ文句は言ったが、「これ以上、逆らっても無駄」とあきらめました。あなたのことは、もう、電話もかけない〜〜〜〜カモメは、カモメぇぇぇぇぇ♪
 メエぇ、メエぇ、森の子やぎ、森の子やぎ♪

 そう、私は哀れな子やぎ。

 ♪ カモメは、カモメぇぇぇぇぇ♪ 孔雀や 鳩や〜〜〜〜〜

 「ましてや、女にはなれない」と続くのだが、このシチュエーションでは、「私は鳩派なの」というところに落としておこう。

 ↑ 以上、かなりムカっとしたので、その怒りを静めるために、わけわかんない連想ゲームごっこをしておりました様子の断片です。

 結局、最後には「アブグレイブ刑務所で、アホそうなアメリカ女に鞭で打たれて裸踊りさせられるよりは、かなりマシな状況だ」というところで、なんとか気持ちを沈める・・・・こんなことで、沈没してはいけません・・・・静めることができたのでありました。

 あー、ヤダヤダ。

 なんか、「育てゲー」のキャラになったような心地だわ。


 もう「考課」はいいんだけど、なんかあの謎の微笑みを見たら、「これって、もしかして、私を我が社初の女性課長にしようという計画もあるのだろうか?」と不安になっちゃってさあ。
 それはないと思うんだけどね。
 ただ、T部長はひえらるきぃには敏感なので、人数の少ない総務部でも、平社員が3名、主任が1名、課長代理が1名という、あんまし意味のない役職名にも、できるだけ実質的な意味を持たせようとしているらしい。

 でも、なんかねー、町工場のご主人が社長で奥さんが副社長で、息子が専務みたいな(笑)、と思うのだが、そういう「ごっこ遊び」を真面目にやりたがる人もいるので、そういう趣味もある程度尊重してあげないとなあ。

 しっかし、どうして自分はこんなに「役職アレルギー」なのかね?

 とにかく「長」のつくものは、嫌なのである。「いかりや長介」とか「織田信長」は別にいいんだけど・・・・

 たぶん、それは学校時代に散々「長」のつくものをやらされ「いやだ、いやだ」と嘆き悲しんでいたのを今だに引きずっているのだと思う。

 私は小学校の3年生までは地味な生徒だった。はず。たぶん。
 これと言って、目立つ存在ではなかったはずである。だって、勉強できなかったもん。
 今でも、あの当時のモヤモヤ感はよく覚えているが、なにをどうすれば先生に誉められたり、標準レベルのことなのかっていうのがさっぱりわからなかったのだ。
 それに、「朝顔の観察日記」などをつけるのも苦手だった。朝顔なんて、どれも同じに成長するとしか思えず、それを毎日見ても、なにがどう違うのかよくわからず、そこに何の面白さも感じられなかったので、ただ「今日は1センチ延びました」とか「花が3つ咲きました」と書くのが精一杯。
 絵を書いても、肌の色は肌色に、空の色は空色に塗ることしか考えられず、目の前にあるものを正確に描写できないことをただ嘆いていた。ってゆーか、「写真に撮ればいいじゃん」と思っていた。

 世界が変わったのが4年生の時である。
 いきなり、なにもかもが「わかる」ようになった。
 なんでだかわかんないけど、今までよくわかんなかった教科書の意味がわかるようになったのである。

 後で考えると「大人は子供に何を求めているか」が、あのころやっとわかったのだ。そういう基準がクリアになったので、テスト問題もラクにできるようになった。そしたら急に成績がよくなってしまったのである。

 学校という場所は残酷なところで「勉強ができる」=「リーダー」にされてしまう。
 それまで級長の選出とは無縁の場所にいたのに、いつのまにか「副級長」候補(当時はジェンダー教育なんていう概念がなかったので、級長は男子、副級長が女子というのが普通だった)になってしまったのである。

 そんで、詳細は忘れたが、何回かそういう役職をやらされることになる。

 あれは確か、6年生のとき、その小学校では級長や生徒会(児童会って言ったような気がする)とは別に、「○○委員」というのがあった。子供の自主性を育てるためか、学校行事の運営をお手伝いするような係りだった。学校放送を司る委員とか、図書委員とか、保健委員(クラスで具合の悪い子がいたら、保健委員が保健室に連れていく)
 まず、クラスで各委員を自薦、他薦で選出し、選ばれた委員が委員会に出席することになる。(保健委員になった場合、養護教員から応急処置の仕方などを習う)

 私はそのとき、学級委員(級長、副級長、書記)ではなかったため、町内会に無理やり参加させられたサラリーマン家庭の人みたいに「なるべくラクそうな委員をやってやろう」とズルいことを考えて、「美化委員」に立候補して、まんまとその閑職っぽい委員の地位をゲットして、委員会に望んだ。

 美化委員とは、校内の美化を司る委員会で、「最近、ゴミの出し方がよくないと思います」などとやっていればいいのかと思っていた。

 しかし、美化委員会に出席して、委員長を選出することになり、なぜか私が委員長に推薦されてしまったのである。それは、前年に「クラスから児童会役員候補を選ぶ」ということになったときに、私が副会長候補に推されてしまい、渋々「選挙運動」という茶番劇を演じたからである。

 私を美化委員長に推薦してくれた人は「ミヤノさんは、この間の児童会選挙に立候補していました。だから、そういう責任感のある人だと思います」と言ってくれた・・・・児童会選挙だって好きでやったわけではない。たまたま選挙参謀になってくれた友達が「せっかくやるんだから、マジに狙おうよ」と言ってくれたので「そうだね、こういうのは楽しまないと」とけっこう積極的に選挙運動したのだが、結局、落選したので、ホっと胸を撫で下ろしたのであった。

 「これでまた地味な自分に戻れる」と思っていたのに、そんなところで持ち上げられるとは。
 結局、他の人は「自分以外が委員長になれば、それでいい」わけで、(私だって自分が候補にあがらなければそう思う)、黒板に「正」の字を書く緊迫した開票の後、私が美化委員長になってしまったのである。

 そうなると、「美化委員、ラクそうだし」ということが成り立たなくなる。
 なぜなら、月に一度、全校朝礼の後に「全校の掃除」という行事があり、その指揮を美化委員長がやるのである。

 「指揮」というのは、校長が全校生徒に訓示を垂れるのと同じ台に上って「これから全校清掃をはじめます」と宣言するのだ。
 そして、手をキっと左に伸ばして放送室に合図すると放送委員がそれをキューにして、掃除の音楽を流すのである。

 それだけだったら、なんとなるが、掃除を開始する前に、美化委員長としては、なんか「今月の掃除の目標」を言わないといけないのだ。「秋になり、落ち葉も目立つようになりました。校庭の掃除をする人は、落ち葉を一つも残さないように、がんばりましょう」とかなんとか・・・・・

 もー、あれが毎回苦痛でさー
 あんときに、深層心理に書き込まれたね。「ああ、私は将来、舞台に立つ人にはならないなあ」って。
 とにかく、嫌で嫌で嫌だったのである。
 ベッドタウンの大規模小学校だったから、校庭も広かったけど、生徒数も多かった。舞台にあがって、ワイヤレスマイクを持つ手がいつも冷や汗でじっとりとした。そして、高いところで、整列した生徒達を眺めて、マイクで指令を下しても、全く快感を感じなかった。

 その後、中学校に上がったとき、自分の「長」人生は終わると楽観した。
 その中学校には、3つの小学校の卒業生がひしめき、私が出た小学校は「第二派閥」だったからである。「西小」出身者が圧倒的に多く、中1のときのクラス委員も自然と西小出身者が占めた。私は東小出身だった。

 「はー、やっとパンピー(一般ピープル。当時はそんな用語はなかったが)の生活に戻れた」と安心していたのだが、中学では、さらに成績が上がってしまい「優等生」の烙印を押されてしまったのが災いして、また副級長になってしまった。

 その苦い思い出は、前にも書いたと思うが、修学旅行に行ったときに、級長の男子は「学年でも最も人気のあるバスケ部の主力選手かつ、ギターも弾ける」というボヘミア〜ん気質であったため、実質的な「修学旅行の添乗員」は全部私がやったのである。
 とにかく、集合場所やバスに乗るたびに「点呼」をとって、中央執行部に「全員揃いました」と報告しないといけないのである。クラスの皆が、好き勝手に旅を楽しんでいるというのに、「なんで同じ参加費を払って(親が払ったのだが)、あたしだけが、仕事しないといけないのよ」と、その理不尽な扱いに苦悩した。

 でも、今から考えると、私は「嫌だ、嫌だ」と言ってるわりには、けっこう楽しそうに「リーダー」をやっているように思われたと思う。
 てゆーか、「嫌だ、嫌だ」な当時でも、そう思われていることをうっすら感じて「私からは修学旅行費とらないで、代わりにギャラをくれ」と嘆いていたのだが・・・・

 ほんとに、中学のころは「優等生」のレッテルとずいぶん戦ったように思う。それで思い出すのは、卒業文集に出す文章を練っていたころ、なぜか父親の本棚から「悪魔の辞典」を手にとってしまった私は、それにインスパイアされちゃって(「パタリロ」の愛読者でもあったし)、中学校内で理不尽だと思っていた事柄を「悪魔の辞典」チックにまとめてしまったのである。
 今考えても、すげえ稚拙なことしか書いてなかったと思うが、いきなりそういう屈折したことを書いたので、担任の先生がびっくりして「こういう、皮肉の意味もわからなくはないけど、でも、これをそのまま文集に載せてしまうと、あなたの中学校時代はなんだったのかって、後で思うかもしれない」と言われて、そこでやっぱし優等生だったから、担任の先生を悲しませてまで書きたいことでもなかったので、それは大人しく引っ込めて、もっと無難なものに書き換えたが、今にして思えば「そんな文集、どこにしまったのかもわからなくなっているんだから、あの当時は、怒りをブツけてもよかったのでは?」と思うのだが、その当時は「たしかに、もし私が世間に衝撃を与えるような犯罪者になった場合にはねえ」なんて思ったので、無難なのにしておいたのだ。

 さて、そうして、ちょっと屈折した中学生は、高校生になった。
 小学校→中学校 よりも、中学校→高校 という同じルートをたどった子が圧倒的に少なく、同じ学年で十数人しか「過去の私」を知っている人はいなかった。

 なので、同じ中学出身はクラスでも1名くらい。「おお、これでもう、役員はやらなくても済む。おとなしくしてよう」と思ったし、成績も相対的に下がったので(中学では常に10/360人くらいだったので、それについては少しプライドが傷ついたが、高校では中の上くらいになってしまった)安心していたのだが、意外な落とし穴が「クラブ活動」だったのである。
 2年生になってすぐに、3年生の先輩は「役員から引退」するので、「じゃあ、誰が新部長?」ということになり、なぜか私になってしまった。
 たぶん、あの当時は、なんで私がそんなに「部長」を嫌がったのか、わからなかった人もいたと思うが、思春期まっただ中の自分としては「屋上から飛び降りて自殺したろか」ぐらい嫌だったのである。

 それでも、あきらめて責務を果たしたと思うのだが、大学に入学したら、ほんとに誰も私の過去なんか知らないはずなのに、やっぱしサークル活動のトップにされてしまったのである。
 あんときもショックだったけど、必死に「ほら、私の学年って丙午だから」と思って自分を慰めましたよ。(丙午は人数が少ないので、「長」にされる確立は高くなる)

 何が言いたいかといういと、小学校や高校のときの「長」っていうのに、ほんとうに成りたかった人もいたのかもしれないけど、でも、たいていの人にとっては「町内会役員」と同じで、面倒なだけであまりやりたくない仕事だし、その仕事をしてもメリットがほとんどない。役員手当てなんて無いんだもん。ほんとに、無償奉仕。

 で、そういう無償奉仕を押し付けられてきた人は、たぶん、私と同じような「役職あれるぎー」になっていると思うので、うれしそうに「部長」とか「課長」と呼ばれている人たちは、たぶん、学校時代に望んでいても候補にもならなかったような奴らに違いない。
 あいつらは「長」のつく役職に自分が候補にならないのをずっと我慢していたのだろう。
 で、あたしが「えー、私なの?嫌だ、嫌だ、ぜってーやだ」と言っていたのを「本当はうれしいくせに」と思っていたのであろう。

 大変長くなりましたが、これは私の勝手な確信ですが、T部長は小学校や中学校で、候補者リストにも上がらん児童だったのではないかと思われます。
 なので、私のような「優等生タイプ」を見ると、ついつい40年前のトラウマが!!!!!!!(「ええ?あたしが、なんで副委員長なのぉ?ってほざいてる女子を見ると炎が燃えるらしい)


11月24日(水)

 昨日は祝日だったが、出勤したので、朝からせっせと書類箱の整理をした。フロアにある倉庫がもういっぱいだったのである。決算だから、まだ外の棚に納まっている書類も、決算業務が完了すれば箱に詰めて倉庫に入れることになるので、その前に、フロアの倉庫にある前期の書類を階下にある大きな倉庫部屋に移しておこうと思ったのである。

 祝日は来客も電話もほとんどないので、そういう作業をやるには好都合なのである。
 そして、フロアの倉庫から、階下の倉庫に移す書類をえり分けて、せっせとエレベータの前のスペースに運んだ。ほんとは、そういう仕事は、男のハイジにやってもらえば私よりもずっと楽々とやってくれるはずだが、自分で持てない重さでもないので、そこまでは自分でやって、ハイジが来てから台車で階下の倉庫に運んでもらおうという作戦。

 ハイジだって「力仕事は男が全部やれ」と投げられるよりも「ここまでは私がやったので、後はお願いね」と言われたほうがいいだろうという、私の勝手な心遣いである。

 祝日なので、みんななかなか出勤してこなくて、ハイジが出社してきたのも12時近かった。
 さっそく「積んである箱、下の倉庫に移動してくれる?」とお願いしたら、「はーい」という暗い声が返ってきた。

 少々ご機嫌が悪いらしい。

 しかし、だんだんとハイジのご機嫌は「少々」どころか「最悪」であることがわかった。私にはいつも無愛想がデフォルトで、超機嫌がいいときだけはポンポンと喋ってくれるが、それは一ヶ月に一日くらいだ。
 でも、ハイジが気楽に話せる人には、けっこう愉快そうに喋っていたりするのだが、昨日は、いつもだとタメ口で話せるような人が、なにやらからかっても憮然と無視していた。

 そして、仕事が忙しそうなわけでもなく、本を読んだり(どうも、中小企業診断士の勉強をしちょるらしい)しているのだが、「オレに話し掛けるな」オーラが半径1メートルくらいに充満。
 そして、やはりいつもなら姉弟っぽくポンポンと会話しあうK嬢が、「この支払の内容なんだけど」と最初は私に聞いてきたのだが、それはハイジが管理している件だったので、私が「ああ、それはA君じゃないとわからないなあ」と大きな声で言っても無反応だったので、「おーい、A君」と呼びかけて「Kさんが、この件を調べたいらしいんだけど」と言ったら、ハイジはやっと顔を上げ、そしてK嬢が「○○への支払の件なんだけど」と言ったら、

 「アレを見れば?」

 とハイジの後ろにある請求書つづりを顎でしゃくって示した。
 ほんとにほんとに機嫌が悪いようだ。
 そして、K嬢がそこから請求書を探したのだが、どうも伝票と支払金額が異なっていたようで「それって、なんで?」と聞いても「そんなの、どうでもいい」と低い声で回答拒否。

 あのさー、機嫌の悪い息子がお母さんとかお姉さんと喋っているんじゃないんだから、もっと仕事モードでやってよ〜〜〜〜、と思ったが、それよりも「げ、こんなにご機嫌が悪いということは、私が頼んだこともやってくれそうにもねーぞ」
 こんなことなら、最初から自分で全部やっておけば、苦労もなかったのだが、お願いしてしまった以上、自分で勝手にやるのも嫌味な行為である。ああ、他人の気持ちを勝手に考えてしまう小心モノの自分が憎い。
 それに、積んである書類がしばらく放ってあっても、別に誰も死なないんだけど、でも、その場所は会社の「受付」にもなっているので、明日まで積んであると見栄えが悪いし、通る人にも邪魔である。
 だから、わざわざ休日にやったのに・・・・

 それでも、4時くらいまでは様子を見ていたのだが、ハイジが行動を起こす気配も見えなかったし、私も昨日やる予定の仕事は終了したので「ま、いっか、自分でやれば」と思って、でも、念のためハイジに「書類、動かしてくれないの?」と聞いてみた。
 そしたら、奴は読んでいる本に目を落としたまま「今日じゃないとダメっすか?」
 「なんで?忙しいの?」と私が言うと(それはそれで嫌味っぽいセリフだね)、「うーん」と難しい顔をしてから、
 「いや、なんか面倒だから」

 ピシピシピシと脳みそがひび割れるような心地がしたが、私は精一杯「我がまま姉さん」を演じて「えー?なにそれ?じゃあいいよ、自分でやるから」と立ち上がって、台車を他のフロアに借りに行った。
 台車を持ってきて、書類箱を積んだが、私だと4つ積むのが精一杯。でも時間はたっぷりあるから、のんびりやろうと思っていた。「いい運動じゃん」

 さすがのハイジも、私がどうしても今日中にやりたいと思っていた気持ちがわかったのか、「台車ってそれしかないんすか?」と声をかけてきたが、「上のフロアにはこれしかなかった」と言って、さっさかとエレベータに載せて、階下に行って、荷物を降ろした。

 そしたら、もっと大きな台車を他のフロアで見つけたハイジが残りの書類箱10箱くらいを載せて登場。
 しかも、K嬢に手伝わしてるし。

 ハイジは元々、物流部門の社員だったので、箱を台車に沢山積む技を持っている。だから、私だったら5往復必要な量でも、2往復で運べるのだ。なので、自分でやるよりも効率がいいからハイジにお願いしたんだけど、それにしても、私が少し運んだとはいえ、あの量を一度で運ぶとは・・・・

 しかも、ハイジの機関車ぶりにいつも驚くのは、彼は「最も効率よくやる」ためだったら、気軽に他人を使うのである。一人だと一度では運べないが、K嬢がアシストしてエレベータのボタンを押したり、不安定な荷物を支えたりしてくれれば一度で行けると思ったのであろう。

 「面倒だから」と言ったくせに、その仕事はあっという間に済んでしまった。

 ハイジが自分とは全く性格の異なる人間であることは、こういうことでも明らかになる。私は自分の手が空いているときにやる、そういう仕事は、「残り時間」に合わせてのんびりやるのだが、ハイジは常に最短でやろうとする。そして暇なときには思いっきり暇そうにする。
 だから、いつも失敗するのだが、ハイジが暇そうなときに「じゃあ、暇つぶしに、これ手伝って」と言うと、彼は周囲の人間に手伝ってもらって、さっさと終わらせてしまうのである。

 まあ、これは性格の違いもあるけれど、ハイジの元の部署が、いつも時間に追われていたり、いつ仕事の発注が来るかわからないという環境だったせいもあるだろう。

 まあ、些細な行き違いではあったが、その後、体を動かしたので少し気分転換になったのか、ハイジはなぜか機嫌が普通になり、K嬢に仕事のことであれこれ質問していた。
 まあ、さっき邪険にしたので、その照れ隠しもあったのかもしれない。

 そんなわけで、「あーあ、他人って何考えてるか、さっぱりわからないなあ」と思いつつ、帰宅したのだが、そういうときに「人間の本性を考える」なんて本を読んでいたので、頭の中がグチャグチャになってしまった。

 自分が「他人の気持ちを考えて行動している」と思っていることは、実はとても利己的な行為であると説教されてる気分になっちゃってさ(笑)。
 後でよく考えてみれば、私は「今日中にやってくれ」とは言ってなかったし、ただ「あそこに箱が積んであると見映えが悪い」と思っていただけだし、ハイジも別に忙しそうじゃなかったから、当然、今日中にやってくれると思い込んでいただけだ。
 で、ハイジはそんなこと知ったことではなかったわけで、ただ「今日は気分が乗らない」と言っただけである。いったい、私が何を拗ねているのかわからなかっただろう。


 そして、今日のハイジはなぜか妙に機嫌がよく、私とも喋ってくれたので、私も「そうだ、今期から外貨の処理は引き継ごうと思ってたんだけど、やりたい?」と言ったら、明るく「いいっすよ。やります、やります」と言ってくれたので、いつもこうだと、スムーズなのになあ。

 まあ、人間関係はいろいろ難しいっちゅうことですな。

 ところで、以上は昨日の話しであるが、今日はT部長がお休みをとっていた。昨日は出勤していたんだけど、また考課があるのだが、考課用のシートを昨日の夜、総務部社員にメールで送っていた。
 今朝、それを開けて、「考課面談は以下のスケジュールで行います」という文章を読んで、びっくら。

 あたしが、ハイジとクララの一次考課をすることになっている!

 他の部署では、課長が課の社員の一次考課をしてから、部長が二次考課をするのだが、総務部は人数も少ないし、なにしろ課長が存在しないので、今まではずっと部長が一次も二次もやっていた。前には総務課長というのがいたこともあったので、その時には経理課の一次考課も総務課長がやっていたが・・・・

 私の勝手な理解では、私が「課長代理」なのは、私にまだ考課を任せるつもりがないということだと思っていた。
 まあ、女性課長が今だかつて存在しない会社なので、順番からしても私をいきなり課長にできないということもあるだろうけど「代理」がついているのにはそれなりの意味があるはずだ。

 T部長がそういう事情を全くわかっていないのか、それとも、前から「ミヤノは課長代理だけど、事実上は課長みたいなもんなんだから」と言っていたが、それを本当に目指しているのかもしれない。

 それにしても事前に何の打診もなく、いきなり考課させんのか?


 それに、私は人数の少ない部署で、最も年長だし、この会社での勤務年数は短いが(だいたい、順番に振られる社員番号だって、私よりハイジのほうが若い。私が契約社員だったころ、ハイジが入社してきたから)経理経験は長いから、私が経理課のチーフになるのは当然だが、全社的に見ると、私はかなりの「下っ端」なのである。(だから、今のところ「課長代理」が限界)

 それに、社員の個々の給与は知らないけど、合計金額は知っているので、平均を計算してみると、私の給与はたぶん「中の下」か、もしかしたら「下の上」なんである。半端な役職はついているが「職能階級」もやっぱし「中の下」である。
 そういう立場の私に部下を考課させるなんて、何考えてんだか・・・・・

 T部長の勘違いであればいいのだが、確信犯だとすると、逆らっても無駄だし、また「事実上は課長みたいなもんなんだから」と言われておしまいだろう。くすん。役職手当も代理では少ないというのに。

 あー、もー、なんだかだんだん嫌になってきたから、ま〜た転職しちゃおっかなあ(笑)

 でも、この会社に入るまでに散々苦労したから、また同じような苦労・・・・というか、年齢が上がった分だけ、苦労は累乗されるのはわかっているし、我慢するしかないのはわかっているので、こうしてまた日記さんに愚痴を聞いてもらっているだけです。

 あー、でも、やっぱ、また年末ジャンボに挑戦しちゃいそうだなあ。
11月22日(月)

 日曜の夜は「新撰組」を観たあとに、なんとなく眠くなってきたので、思い切って早寝したのだが、明け方まだ暗いうちに薄っすらと目が覚めてしまった。すっかり老人ってかんじ(笑)
 そのまま、うつらうつらしていたら、新聞屋さんの音が聞えたので「まだ5時前なんだなあ」と思っていたりしたが、トイレに行きたくなったので、「うう、けっこう冷える」と思いつつ用を足すと、「そっか、そんな時期か・・・・」
 どうも、そのせいで眠りが浅くなっていたということもあるようだ。

 そんなわけで、対処してからまた寝なおそうとしたら、外から「ぶぶぶ」という微かな振動音が聴こえる。冷蔵庫のモーターの音でもないし・・・・なんだろう?もしかしたら、少し離れたところで、誰かが車のエンジンをかけているのかもしれない、と思ったので、確認のためベランダの窓を開けてみた。

 ひんやりした冬の冷気が室内の空気と混ざり「これじゃ、すっかり目が覚めちゃうよ」と思った瞬間、「それは有り得ない」と自らに突っ込む。二度寝、三度寝は当たり前。
 しかし、ふと、窓から見えるキャロットタワーの脇に、ギラギラ光る物体が!二つも!

 コンタクトを外したときにしか使用しない、度の弱い(それでもかなり強いが、矯正視力はほとんどでない)眼鏡なので、強度の乱視もサポートして、ほんとに「なにこれ?」ってくらい明るい星が輝いていたが、あれがきっと、この前ニュースでもやっていた「早朝に惑星大集合」なんだろう。
 前にも夕暮れに惑星が大集合したときもあって、あのときにも「あっかるいなあ」と感動したが、初冬の早朝だと、もっと明るい。

 それにしても、数年前までは、明け方の星空もよく観察したもんだが、ここんとこ、こんな偶然でもないと、明け方の空を見ることもなくなったんだなあ。
 でも、12月にまた早朝集合のイベント仕事に狩り出されるので、その頃まで、あの惑星ギラギラは楽しめるのだろうか?

●予想外に長くなった同棲生活もそろそろ終わりが見えてきたようだ

 いやー、今日はもちろん出勤したんだけど、家に帰って、ふと「マトリックス」の中にいる「アンダーソン君」を観察したら、びっくりしましたよ。

 まさか、こんなドンデン返しが待っていたとは・・・・・・

 映画「マトリックス」の登場人物と同じように、私のペットも「黒くてツヤツヤの衣装着てるし」ってことで、最初は二匹いたから「スミス君とアンダーソン君」と命名したのであった。
 「ネオとトリニティ」にしなかったのは、単に私が、偏屈なキアヌ・ファンだからである。

 でも、さすがの私も、彼らの性別までは見分けがつかないので、「もしかしたら、メスかも」とは思っていたのだが、いつのまにかスミス君が死んじゃって、アンダーソン君だけになってしまったので、一匹だけだと、さらに性別が確認できるチャンスは減ると思っていた。

 しかし、私が間違っていました。というか不勉強でした。

 アンダーソン君ったら、いつのまにか卵を産んでやがったのよ〜〜〜〜〜〜

 どうやら、メスだったらしい。しかし、うかつであった。たしかに、鳥などは無精卵を生むが、虫もそうかもしれないって考えもしなかった。

 しかし、久々にガツンと来たね。だってさあ、自分で言うのもなんだけど「どーせ負け犬よ。でも、負け犬って言われたくないから、自分では自分を負け猫呼ばわりしてんの」という、変な意地を張っている38歳独身女性が飼っていたゴ●ブリが、一人さみしく「孵化する望みもない卵」を産み落としていたのです。

 なんか、毎月、規則正しく排卵しているらしい己の姿の、なんじゃか、嫌なメタファーちゅうか、そもそもメタファーにもなり得ないほど「これって、自分の姿なのか?」そのものではありませんか。

 というわけで、ゴ●ブリの卵を眺めつつ、シクシク泣いてやろうかと思ったのですが、でも、あたしは大変疑り深いので、ふと、別の考えも浮上してきました。

 「あのクララだって、身ごもったんだぜ。も、もしかしたら、アンダーソン君だって・・・・・?」

 ごめんなさい、クララ、一緒に考えちゃって・・・・・でも、最近、居眠りが前の3倍くらい激しくなったのを暖かくみ守ってますから。

 そういうわけで、「この卵、もしかしたら無精卵じゃないかも・・・・」という恐怖を感じて、遊んでいるのでした。

 まあでも、冷静になって考えてみれば、卵を産んだってことは、アンダーソン君の残りの人生もそう長くはないでしょう。でも、彼らは「シャーロットのおくりもの」のクモのシャーロットみたいに「出産」→「人生終了」というわけでもなく、何度も卵産んだりするらしいから、どうなることやら。

11月21日(日)

 お昼ご飯を食べていた店で、かかっていた有線放送だかが「70年代歌謡曲」というのかニューミュージックというのか、ともかく「君の瞳は一万ボルト」などがかかっていたのだが、ふと「あ、このイントロ」と思った曲があり、それは原田真二の「キャンディ」だった。

 しかし、久々に聴いたもんだから、唄の出だしで「ぼふっ」と噴飯してしそうになった。「うわー、すげえ声だな」

 だって、あれって、原田真二を全く知らない人に聴かせたら、半分くらいの人は「女性ボーカル?」と悩むと思うよ。えらく中性的な声だったんだな。
 でも、あの当時は、ああいう「か細く唄う男性歌手」が多かったはずなので(「オフコース」がその代表か)、違和感を感じた記憶もない。

 今だと女性ボーカルのほうが、けっこう野太く唄っているのかもしれないなあ。

 原田真二は私も大好きだったけど、それで思い出すのは、あの当時が一番、歌謡曲を聞いていた時期だということだ。
 あのころ、なぜか病弱で、でも大病して入退院を繰り返すという深刻なものでもなく、ただ風邪をひくと、扁桃腺が腫れやすく、それで発熱しやすかったのだ。月に一回くらいは、それで寝込んでいた。そして、学校を休むほど熱が高いときには、とにかくグったりと寝ていたが、そのまま週末になると、熱は下がっても、「まだおとなしく寝てなさい」と言われても、弟や妹や近所の友達が外でワイワイと遊んでいる声を聴いていると、おとなしく床についているのが苦痛になり、親の目から見ても気の毒な雰囲気だったのだろう。
 だから、そういうときには、寂しくないよう、枕元にラジオを置いてくれたのだ。
 日曜日のラジオ(AMしか入らないし、FMというものは、まだマイナーで高尚なものだった)は、ずっと「今週のヒット・チャート」を流していた。ヒット・チャートというか、ええと、ほら「電話リクエスト」略して「電リク」ってやつ。

 なにもすることがないので、じっとそういうのばっかり聴いていたので、「クイズ ドレミファドン」に出ようかと思うくらい、歌謡曲に強くなっていた。
 そんで、そうやって聴き込んで、ヒットチャートに精通してくると、新曲が出ても「ああ、これはヒットするな」と大体わかるようになる。原田真二も、あの斬新な曲調(今だに元ネタがなんなのかわからないが、当時はもっとわけわからんかった)、とキャッチーなメロディラインがすごくインパクトがあったけど、同じようなインパクトを受けた曲は、久保田早紀の「異邦人」とかかなあ。

 今思い返してみても、幸せな時代だったんだよね。なんか「仕掛け」が通用した時代というか、「実験的なこと」という挑戦が成り立った時代。沢田研二が次はどういうことをするのか、みんなで期待していたような。
 今だと、せいぜい「今年の紅白で小林幸子はどうすんのか?」ってくらいになってしまったが、70年代後半は「ベストテン」で毎週、どんな演出をするかっていうのが、小中学生の話題だったかならあ。

 あんまし細かい時系列は憶えてないんだけど、中学校になったころくらいから、クラスは「歌謡曲派」と「洋楽派」になんとなく分かれてきた。ちょうど、モンキーズが再流行した時期でもあったし、海外ポップスは「高校生や大学生のおねえさん、おにいさんが聴くもの」というイメージもあり、兄や姉のいる子は、「ビリー・ジョエルが好き」なんて言っていた。
 そんで、私もいつのまにか「ベストヒットUSA」を観るようになり、あの当時は「プロモーションビデオ」という概念がなかったので、「日本の歌謡番組だと、スタジオで歌うのが普通なのに、なんでアメリカの歌番組は、こういう変なシチュエーションでやるのだ?」と思っているうちに、なんとなく時代は「MTV時代」に移行し、プロモ・ビデオのほうが普通になってきた。
 学校での話題は「マイケル・ジャクソンの新しいビデオ観た?」になったわけだ。

 新しいビデオ・クリップをチェックするために睡眠時間削ったからなあ。ビデオが普及しはじめたころだったが、まだまだ普及率は低く、深夜の番組を録画することができなかったのである。
 ソニーがベータの普及を狙って、深夜に「名画ノーカット上映」なんかをシリーズでやったのは、私が高校3年生くらいのときだったかなあ。ビスコンティの映画が観たくて頑張ったが、気がつくとコタツで意識を失っていて、テレビは砂の嵐だったりしたことも何度かあった。

 今だと、たまにMTVも観ますけど、あの当時のトキメキが自分にないせいか、それとも「もう出尽くしちゃった」のか、ちっとも面白くありません。
 記憶に残る最後のビデオ・クリップといえば、宇多田ヒカルの「オートマティック」かな?あれは、みんなで腰かがめるモノマネをしてたから(笑)

 自分の子供時代に、そういう「革命的な変化」に遭遇すると、後々までずっと印象に残る。うちの親の世代だと「ピンク・レディ旋風」はわかっていても、「MTV時代」はなんだかわかってないと思う。
 私も「インベーダーゲーム」のブームはわかっていても、「ドラクエ」はわかってないし、「パソコン通信」→「インターネット」をリアルに経験した人も、「MTV時代」のドキドキ感と同じものを体験したかもしれないなあ、と想像する程度だ。

 別の話しになってしまうが、なにかモヤモヤとなんとなく流行しているものが、ブレイクする瞬間というものは、いつもとても面白いというか、大変興味深い。
 よくそういうものにも「仕掛け人」という影の存在が噂されたりするが、でもそれは結果論だったりして、「後から考えればあの人が重要だった」と言えるけど、仕掛けようとする人がなんか導火線に火をつければ必ず爆発するものでもない。

 私が自分の狭い世界で遊んでいて、いつも「面白いなあ」と思っていたのは、なんか突然交流しだす瞬間である。
 ネオアコ系とか、アシッドジャズ系とか、テクノ系とか、あまり人数の多くない「趣味の世界」にいたのであるが、ライブやクラブにも最初は自分の友人の中で趣味の合う人同士で連れ立っていくので、「友達と一緒に行って、友達と一緒にご飯でも食べてから帰る」というのが普通であるのだが、あるときそれが突然崩れるのである。

 残念ながら、テクノ系とうかトランス系に足を踏み入れたときには、すでに「ビッグバン後」だったので、私を他の人に紹介してくれた「顔の広い友達」に「知り合い多いんだね」と言ったら、彼女は「今年の4月くらいまでは、こうじゃなかった。なんか突然、みんなヤーヤーするようになって、そうなると知り合いの知り合いとも挨拶するようになったら、こういうことになった」
 彼女の親友で、いつも一緒に行動していた子も「なんか、あれは不思議だったよ〜」と言っていた。

 たぶん、その原因を本気で究明すれば、たとえばグループAとグループBという集団がいたとして、その二つは交流がなかったのだが、たまたまAに所属していた子とBに所属していた子が「なーんだ、高校のとき、同じクラスだったじゃない?」ということになると、集団Aの構成員と集団Bの構成員もなんとなく喋るようになり、その境目が不明瞭になってくる。

 人間の本性がなんちゃら、じゃないけど、なんか人類の中にはけっこう「知り合いを増やす」ことを普通にやろうとする人がいるので、そういう人が、どんどん集団の間を繋いでいくようだった。
 私みたいに、どっちかというと内向的でも、集団Aに所属していれば、自動的に集団Bも「仲間」ということになってしまうのである。そんで、集団Bが集団Cとも交流していれば、集団Cも私のことを仲間扱いしてくれるので、結果的にどうなるかというと「挨拶しないといけない人が大勢いて、ちょっとウザい」ということになる。

 前に人から聞いて笑ってしまったのだが、よく野外パーティーに来る集団がいて、元々は某有名大学出身者の仲良しチーム数人だったのだが、彼らがけっこう「気のいいおぼっちゃんチーム」だったので、自家用車所有率が高かったり、遊び上手さんたちだったので、キャンプ用品や食材の買出しも充実していたので、何回か野外パーティーに顔を出すうちに、「友達」がとても増えてしまったらしい。
 そうなると、小回りが効かなくなってきたので、そのチームの元々の構成員たちは「少し、寄ってくる人を選ぶできではないか?」という話し合いが行われたとか。でも、「いいじゃん、広く浅く付き合っていこうよ。知り合い多くて楽しいじゃん」という意見の人と、「このままでは、どっかに出かけるにしても、車の手配とか、人員調整でけっこう大変。昔みたいに、気軽に出かけられたほうがよかった」という意見の人に分かれ、どっちが正解というわけでもないから、内部の意見調整で大変だったらしい。

 すごく小さな「世界」だったけど、その中で起こることは「国際社会でもよくあること」の縮図みたいで、傍で観察しているといろいろ面白かった。

 その「おぼっちゃまチーム」とか、ほんとにEUみたいだったもん。
 構成員が平均よりリッチだったので、私も「友達の友達」ということで、たまに疲れると、そのチームのとこに寄っていけば、キャンプ用の椅子があったのでゆったり座れたし、誰かが気を利かせて「クーラーボックスにビールがあるよ」なんて言ってくれたので、そこで優雅にビールを飲むことができた。

 でも、あたしはそこの「地球上」ではヨーロッパ人ではなく、アジアの小国から来ていたので、そのチームの車で送り迎えしてもらおうという気もなく、自力でそこに到達して、自力で帰っていた。
 だが、私の知り合い(気分的には、ベトナム人?)は、そのヨーロピアンなチームの一員として振舞っていたが、さて、帰り支度をするという朝になって、ヨーロピアンチームが撤収作業にドタバタしているというのに、知らん顔しているような輩も出てくる。そこに、やはり貧乏アジア系だけど、ヨーロピアンに張り付いてた女の子が「あんた、ちゃんと後片付け手伝いなさいよ!」と叱る。

 金持ち国にタカっていることを自覚している国は「ちゃんとやらないと」と思っているが、そういう自覚が少ない国は知らん顔なのである。そんで、そういう国の怠惰を叱るのがヨーロピアンさんじゃなくて、近隣アジア国である、という図式も大変興味深かった。

 えーと、なんの話しを書いていたんでしたっけ。また見失っちゃったよ。

 おかしいな、原田真二の話しを書いていたはずだったになあ。
 そーいや、前に松田聖子と原田真二がぁ、なんて芸能ニュースもあったが、あれはどうなったのかな?


 今日の午前中は友達から何度も電話があり、朝は眠かったので留守電対応させていたのだが、何度も電話が鳴るので「しょーがねーな」と、電話をとったのであるが、なんかねえ。
 その子に数十万円のお金を貸しているので、あんまし楽しく喋れないのである。
 でも、向こうは私のそういう心境をわかってないらしい。
 だって、「ジムに通うことにしました」なんて明るく言うんだもん。

 前にもこういう話しは何度も書いたと思うが、ダメな人って、人からお金を借りているのに、その金の下らない使い道まで喋っちゃうんだよね。
 前にお金を貸した友達も、「新しいカメラ買っちゃった」と見せびらかしたので、「あのー、そういうお金があるんだったら、私に返せばいいのでは・・・・つーか、せめてデジカメ買ったことを私には言うな」と思ったんだけど、元々そういう知能のある人は、友達からお金なんて借りないんだということに、ずっと前から気がついていたのだが、今日電話してきた友達も「歯を治療した」とか普通に話すので、聴いてるこっちが「おまえ、ほんとーにバカだな」と悲しくなってくるので、そういう報告はしないでほしい。

 で、彼は今はクスリの処方がうまくいっているので、なんとなく幸せそうだが、そうなると「なんでもOK」っていうおきラクな気分になっているので、彼の話しが私を傷つけていることにも気がついてくれない。

 こっちも、変に知恵があるので「クスリが効いててよかったね」ということをわかっているので、そういう人に何を言っても無駄だと思っているので、「ふーん」と聴いているしかないわけよ。
 で、またクスリが効かなくなったら、賃仕事もできなくなって、なんか深刻そうに言ってくるに違いないということに、勝手に怯えているのです。

 そもそも、向こうがお金を借りる言い訳に使ったのが「政府からの助成金が入るまで」ってことだったのですが、けっこうまとまった金額が下りることになったときに、クスリが効いていたので「それは自己投資にあてたい」ということで、来春からデジハリ(号泣)に通いたいので、私への返済はちょっと待ってほしいって・・・・
 私も彼に貸したお金がないと生活できないっていうわけでもなく、それよりも「デジハリに通いますから」という提案に脱力しちゃったので、とっさに「今すぐ金返せ!」って言えなくなっちゃったのよ。

 もし彼が将来有望な世渡りセンスを持っている人だったら、全額じゃなくても半額くらいは返済して「返済実績」を作っておこうとするでしょう。
 だから、「デジハリに行くので、返済はちょっと待っていただけますか?」って言った時点で「こいつに、いくら才能があっても、そういう現実的な世渡り才能は皆無」ということがわかったので、たぶん、どう考えても出世しません。
 で、本人にいくら暗に「求められているのは、画像作成の才能だけじゃないよ」と言っても、私の言わんとする「世渡りの才能」とうのをさっぱりわかってないので、もうダメです。

 どっちかっていうと、世の中は「才能がなくても、世渡りの才覚があればなんとなる」ものです。私だって、たいした能力ないけど、世渡りの能力だけでなんとか稼いでます。
 それがわかんない人に、そういうのを説明するのはとても難しい。

11月20日(土)

 昨日はダラダラと日記を書いているうちに、テレ朝でミッチー主演のドラマが始まったので、安ワインを飲みながら観ていたのだが、すっかり酔っ払ってしまい、タモリ倶楽部が始まる前に潰れて寝てしまいましたとさ。

 そんなわけで、更新しなかった日記を読み直してみたが、いったい何を言わんとしているのかが、自分でもさっぱりわからないのだが、まあいっか。
 それに日本が、なんであんなにあっさりと占領統治されたのかって疑問はずっと持っているし、時々その疑問が噴出するが、正しい答えが出るわけでもないしな。ちゃんと資料を漁って研究してみようって気も無いし(笑)。

 「人間の本性を考える」は、やっと中巻まで読み進んだ。前に出た「心の仕組み」は上巻で挫折してしまったのであるが、どうもピンカーさんの本は、最初の100ページくらいが厚い壁になっているらしい。
 普通、こういう一般向けの本って、最初の方で下世話でインパクトのあるエピソードなどで「つかみはOK」にしておいてから、「じゃあ、なんでそういうことになるかというと」と、専門的な話しに進むと思うのだが、そういうことやってくれないんだもん。

 それにしても、前にも「黒人アスリートはなぜ強いのか?」という本を読んだときにも、欧米では、というか欧米の知識人の間では、「生まれつきの差」についての嫌悪感が激しいらしい、ということを知ったが、植民地支配とか、ナチスとか、黒人差別問題などがあったかららしいけど、日本のサラリーマン家庭で育った自分には、もちろん「環境が人を作る」ということも重要だけど「どうも、持って生まれた性格ってあるよな」っていうのも馴染みやすい。

 それは、同じ学校に通い、同じような家に住み、家庭環境も似たようなもんだけど「皆、同じにはならない」ということを実際に体験していたからであろう。
 それでも環境要因のせいか、どの子も「高校行って、できたら大学に行って、それから会社に就職する」というのが普通だと思っていたしので「だいたい似たような社会性を持った人間になる」とも言えたと思うけど、個々の能力はそれぞれ異なっていた。

 でも「持って生まれた優劣」というのは、実はそれほど大きくもないのである。
 記憶力に優れた子もいれば、集中力に優れた子もいる、という程度。それぞれの能力がそこそこのレベルに到達していてバランスがとれていると「優等生」になれるが、車の車種を瞬時に言えるのに、植物の種類を覚えようとしない子は「成績が悪い」とされるだけ。

 そういう差は社会に出てからも感じることは多くて、たとえば私は会社で一日中座って、伝票処理をしていても大丈夫なのだが、世の中にはそういうのが嫌いな人も多い。逆に私は、営業周りが多分苦手なので、そういう外回りの仕事に就きたいと思ったことはない。書店でバイトしたときに「あ、接客苦手というか才能が無い」と自覚したのであるが、その後、「苦手を克服しよう」と思って、喫茶店でバイトしてみたら、なんとか上手くできるようになったので、苦手なことでも頑張れば克服できると思うが、そりゃ、うちの会社でも営業の社員が経理の仕事はできるだろうし、ひょっとしたら私よりもずっと優秀かもしれないが、でも私にしても営業社員にしても、職種を替えたいとは思わないのである。

 そんで、「人間の本性を考える」では、そういうことを論じているだけでもないのだが、私みたいに「気質ってあるよね。それで、そういうのは多分、遺伝」と思っている人には、この本で批判されている「心は空白の石版(ブランク・スレート)」っていう概念のほうがわかりにくいので、その概念を理解するのが大変。

 そういえば、「人間の本性」とはちょっと違う話だが、最近、気がついたことがある。

 私は会社でも、他人が電話で話している内容ななんとなく聞いてしまうし、「○○さん、○○社の○○さんからお電話です」なんていう遣り取りもなんとなく耳に入る。
 そんで、社員達が、あれこれ喋っている話しもなんとなく聴いてしまう。

 なんとなくやっているが、そういう「なんとなく聴こえてきた話し」というのは、職務上役に立つことが多い。たとえば、誰かが社内のA氏にB社からの電話を取り次いで、A氏がなにやら仕事の話しをしていると「B社」の名前を憶えられるので、B社の人が会社に来たときにスムーズに応対できる。
 また、他の社員が休みで「これは、どうしたらいいのかな?」なんてときに、前日にその社員が別のフロアのCさんと話していたことを憶えていれば、「もしかしたら、Cさんならわかるかも」っていうことが推測できたりする。

 でも、こういうのって「聞き耳をたてている」と思われるかもしれないと思って、実は他人の電話のやりとりでなんとなくわかっていることでも、あとで「この件のことなんだけど」と言われたら、聞いてないフリをするのがマナーだと思うし、向こうが「なんか気がついてた?」と言えば、「なんか、その件でいろいろ電話なさっているのは知ってました」くらいは言う。

 こういうのは普通のことなんだとずっと思っていたけど、最近わかったのだが、けっこうな割合で「そういうことを本当に一切やらない人たち」がいるようだ。
 例えば、狭いオフィスで、A氏の席のすぐ隣に座っているB氏と仕事の相談を延々としていたりする。
 私の勝手な感覚だと、A氏とは話していないが、内容はだいたい把握しているものだと思っているのだが、後日、B氏が不在のときに、A氏に「この間、B氏とも相談していたんですが」と言うと、全然わかってなかったりする。

 私の部下(という言い方はあまりしたくないのだが便宜上)であるハイジとクララも席をくっつけて座っているが、クララに説明したことをハイジは知らなかったりするし、クララはいつもボーっとしているので、ハイジに説明したことを聞いちゃいない。
 なので、それに気がついてからは、二人にちゃんと伝えたいことは、二人に声をかけて言うようにしている。

 でも、なんで、みんな、あんなに「すぐそばで喋っている話し」に無関心なんだろう。
 音量的には絶対に耳に入っていると思うんだけど、聞いてないんだよねえ。クララはそういう性格だからいいとしても、ハイジはけっこう神経質なのに・・・・具体的に言うと、クララが主に支払処理のソフトを操作しているので、「20日まで残高が無いから、支払が回ってきたら私に確認してね」と大きな声で言ったのに、ハイジはクララが休みのときに勝手に支払い処理しており、おかげで銀行預金残高が100万円を切っていて、びっくりしたよ。もう少しで「残高がありません」と銀行から連絡があり、ドタバタするところだった。

 友達のMちゃんに「みんな、思ったよりも、人の話を傍受してないんだね」と言ったら、彼女も自分では自然にそうしていたので、周囲がそれを完全に遮断していることに驚いたことがあったらしい。
 ほんとに、多くの人(私の観察によると、半々くらいか、傍受派が3割くらいのようだ)が、「○○さん」ときちんと話しかけられないと周囲の話しが頭に入らないらしいのだが、仕事する上では、というか、私みたいなアシスタント的な仕事だと、電話番をするにしても、たとえばAさんという人から電話がかかってきて、指名されたB氏が外出していたとする。

 だが、たまたま前日、そのB氏は、社内のC氏に「Aさんと連絡がなかなかとれなくってさあ。あの件がそれで滞っているんだよ。ごめんね」と話しているのを小耳にしていたりすると、Aさんに対する対応が違ってくる。折り返し連絡できる電話番号を伺ったり、Aさんのスケジュールをうかがったりしないといけない。
 それで、B氏の帰社を待って連絡するのではなく、すぐに携帯でつかまえて「Aさんから電話がありましたが、4時から外出されてしまうそうですので、それまでに連絡すればいらっしゃるはずです」と伝える。

 こういう能力はあまり評価されるわけでもないが、でもそれが仕事の助けになるのなら、それでいいのである。
 直接、私の評価にならなくても、他の社員の負担を少しでも減らせば、その分、稼いでくれるかもしれないし、そうなれば自然と全社員の給料が上がるので、私の給料も上がればいいのだ。

 という大義名分の元、私は耳に入ってくる会話を自然と収集しているのだが、それがあんまし「当たり前の行為」ではないことが判明してくると「これって、実は、よくないこと?」という不安ももたげてくるので、どうなんでしょうねえ?
 私としては電車内や喫茶店で、隣の会話が勝手に耳に入るというのと同じ感覚でやっているのだが・・・

 Mちゃんとそのことで話していたときに「みんな、そんなに仕事に集中しているのだろうか?」と言っていたが、私もMちゃんも集中しているに関わらず、周囲の音が耳に入るようだ。
 それって、試験勉強中に音楽やラジオを流すと集中できない、っていうことと同じなのだろうか?
 私もMちゃんも「聴きながら派」であった。
 逆にあまりにもシーンとしていると集中できない。

 「聞こうとしているわけではないが、なんとなく耳に入る」っていうのも、なんとなく「生まれつき」の能力なのかね?
 もちろん、私にしてもMちゃんにしても、平均よりOLとしては優秀なので「仕事上役に立つから」という無意識の意図でそれをやっている可能性も高いんだけど。

 この日記を読んでいる方にも聞いてみたいが、隣の席に座っている同僚の電話の内容をなんとなく把握して「あの仕事で揉めてんな」とか「あの得意先にはいっつもイジめられてるな」とか、同僚がわざわざ話してくれなくても、なんとなくわかっているつもりになっている方はいらっしゃいますか?
 もしくは、自分が集中して仕事をしているときには、周囲の会話なんて全く耳に入らないとか・・・・

 そんで、もし、あなたの部下や同僚に「あの件でさあ」と愚痴ろうとしたら、「ああ、なんか揉めてるみたいですね」って相手がすでにけっこう情報収集しているのって、「いいこと」なのか「なんか、いつのまにか知ってて、不気味」なのか、ちょっと気になるので、ご意見があったら、教えてください。

11月19日(金)

 ワイドショーは「奈良の女児殺害事件」がだんだん猟奇的な色を帯びてきたので、それで持ちきりだが、隅っこに寄せられたイラクも、米兵の負傷者銃殺映像もすごいが、イラク人と結婚してイスラム教徒になって数十年というイギリス人女性が、人質になって結局、射殺されたという事件も衝撃的だった。

 私は香田君が人質になったときに、「ザルカウイの上層部も、香田君を解放するように動けば、日本の世論は、やっぱしイラク人は悪い人たちじゃないんだ!ザルカウイだって単なる犯罪者じゃないんだ!話せばちゃんとわかるんだよ。だから、彼らを攻撃するアメリカに荷担すべきじゃない!って方向に傾く可能性も高いし、後々まで効果的だと思うんだけどなあ」と友達に言っていたのだが、今回のイギリス女性の件では、さすがのザルカウイ一派も「これはシャレになんねえ」とおおもったようで「♪よーく考えよう」という声明を流したようだけど、効果なかったみたい。

 前にも何回か書いていると思うが、こういう泥沼状態になった国のニュースなどを観るにつけ、「日本はなんで、あんなに大人しく降伏できたのだろう?」ということが逆に不思議になってくる。
 そりゃ、あの当時はいろいろあったのかもしれないけど、「鬼畜米英」と「ギブミーチョッコレート」の間がどうなっていたのか、戦後生まれの私にはよくわからない。

 逆らう体力も無いほど飢えていたということもあるのかな?
 そう考えると、私にも「とりあえず餌をくれる人には逆らっちゃいかん」という遺伝子が受け継がれているのか(そういう遺伝子はありません)、なんか心の根底にそういう思想が流れているような気がする。
 だから、日本人は盆暮れになると食品を風呂敷に包んでお世話になっている方に「もっとお世話してね」とご挨拶に行くのだろうか?。
 「接待」というのも有効で、ご馳走になってしまうと、やっぱ弱い。

 これが人類に共通の気質なのか、「日本文化」なのかはわからないが、東京を空襲で焼け野原にし、広島・長崎にピカドンを落としたアメリカの兵隊さんが、ハーシーのチョコレート(あの当時は、エルメスのバーキンよりも貴重だったはず)をバラまいていたら、とりあえず、キャーキャー言って追いかけていたという恥かしい過去は、変なパラダイムシフトを起こしたのかもしれない。

 まず、国土を焦土とされた恨みはあるが、それと食料配給は別であるという割り切り方。占領軍が保健対策や食糧援助をしたので、日本が早く立ち直れたということにはお礼を言っておこうという、そんな論旨の文章はよく目にしたような気がする。なので、私の世代だと「アメリカのおかげで日本はこんなに早く復興できた」という教えを素直に受けた。

 それを「食い物に屈服した」というのはさすがに「恥」だと思ったらしく、「元々、日本が始めた侵略戦争でしたから、それをビシっと叱られて反省したので、それ以降はいい子になって西洋諸国にも認められるよう頑張りました」という話しに摩り替えたので、ずっとそういうイメージを持っていた。

 まあ、それはそれでいいのだが、そのトラウマが悪い形で残っているのは、たとえば今現在、北朝鮮の民も飢えているらしいので、「人道支援」という名の元で、早い話しが「日本もハーシーのチョコでいい子になったので、北朝鮮だって、食い物をバラ撒けば、資本主義万歳に転向するだろう」という「自分がそうだったから、きっと他人も」と思っているあたりである。

 私の勝手な「日本での国際ニュース」を観た印象だが、どうも他の国は、日本ほど食い意地が張っていない。
 ずいぶん前だが、アジアのどっかの国(カンボジアだかどっかの難民キャンプ)に日本から食料品を援助したのだが、彼らはイワシの缶詰は苦手だったらしいという報道があった。(期限切れのカンパンも物議を呼んだけど、それよか古い話しだったと思う)
 あの当時、日本は食料支援に慣れておらず、支援国の味覚まで考える配慮にかけていたのは否めないけど、でも、その報道を読んで、私も「ふーん」と思った。

 野坂昭如の短編に「アメリカひじき」というのがあって、地方の町にも米軍が食料の包みを投下していたらしいのだが、なにしろ誰も英語が読めないので、その中に入っているもので、「これは何?」というものもあったようだ。
 主人公の家族も、巻に詰められた乾燥したものを見て「なんだろう?」と思ったが、誰かが「それはきっと、アメリカのひじきなんだろう。水に戻して煮るんだ」と言い出したので、水に戻してみたら、なんか葉っぱみたいになったけど、それを頑張って煮てみたが、どうにもモソモソして美味しくもない。「アメリカ人って、まずいものを食べてるんだね」ということになったが、後になってそれが「紅茶」だとわかったそうだ。

 その当時に、欧米からのNGOなどが日本に入っていれば「この、ひじき不味いよ」と文句も言ったかもしれないが、私が印象に残ったのは「なんだかわからない缶入りの謎の食品でも、とにかく食おうとした」ということである。
 そして、「困っている人」は多少、実際には使えないものでも、とりあえず「ありがたや」と言わないといけない、という教育を私も受けていたので、その短編を読んで「紅茶なんて送ってくんなよ。気がきかねーなあ。タンパク質や脂質や糖分が不足してんだよ、こっちは」と思ったが、アメリカ人が「生活必需品」として「紅茶」を選んだということ自体は「ありがたい」ことである。少なくとも「同じ文明人」として扱ってくれたわけだし、もっと勝手に「いいほう」に考えるなら、「紅茶」も元々は中国やインドからの産物であり、日本も「茶の湯」の文化圏であり、戦争でボロボロになった人たちに「お茶」を配るのはそれなりに気の効いたことであろう。

 話しがまた、まとまらなくなったが、日本というか仏教圏には「誇り高き乞食」という概念があり、「施し」で生きるのは最も高尚な人生なので、漫画の「おいしんぼ」にも人気キャラとして、グルメなホームレスが出てきたけど「ホームレスは実はけっこう美味いものを食べている」という前提は私ももっていた。うちの親がそんな話しをしてくれたような気がする。道端にいる乞食(私が幼少のころはホームレスという単語は無かった)に子供が嫌悪感を持つのを諌めるために、「あの人たちはね、けっこう老舗料亭なんかの残りものを頂いているから、けっこういいもの食べているのよ」と教えてくれた。
 他にもそういう教育はよく受けたぞ。ゴミ収集の人を子供が「わーい、屑屋」とからかうと、うちの親は、「あの人たちは、普通のサラリーマンより、いいお給料を貰っているから、うちよりもずっと豪邸に住んでいるのよ」という説教をした。私はずっとそれを信じていた。たしかに産業廃棄物を扱う業者はけっこう儲けていたりするが・・・

 何が言いたいかというと、日本人はけっこう「ごまかすのが上手い」ということだ。
 世界的レベルで考えれば「だたの集合住宅」に「マンション」という豪華な名前をつけちゃったのも「ごまかし」の技。
 そういえば、学生時代に友達が住んでいたアパートは、最初は「コーポ○○」という名前だったのだが、その翌年に名簿作成のために住所を確認したら「○○マンション」という名前になっていたので「あれ?引っ越したっけ?」と確認したら、「同じアパートなんだけど、どうも住民の一人がOLで、コーポだと貧乏くさいって大家に文句言ったんで、マンションになっちゃった(笑)」
 「わー、すげえ貧乏くさい話しだねえ」と爆笑したが、だって何度か泊めてもらったけど、本当に隣の音が筒抜けなただの安アパートだったんだもん。「名簿にコーポって書きたくない」って発想が、ほんとに○ビだった。

 そういうのを重要に思う人は多いみたいで、さすがにバブル以降は減ったが「カーサ○○」とか「メゾン○○」とか大家さんたちも変なネーミングを競っていた時代があったよね。さすがに「キャッスル○○」は当時でも「ラブホみたい」と評判悪かったが・・・・

 でも、大家さんにしても物件名のネーミングはけっこう楽しいのかもしれない。私は偶然だが、前の大家も、今の大家も「鈴木さん」なので、どっちの物件も「ベル○○」とうい名前がついている。考えることは皆同じなのか、斡旋する不動産屋にマニュアルが出回っているのかわからないが、散歩していても「ベルなんちゃら」というアパートを見かけると「大家は鈴木さんなんだな」と想像できて楽しい。
 「WOOD VILLAGE 世田谷」なんてアパートがあったら「木村さん所有」とすぐわかる。

 ときどき「バウハウス」なんていうボロアパートも見つけたりしてニヤリと笑うが、今だと逆に「○○荘」って名前のほうがおシャレっぽいよね。

 あれ?なんの話しをしていたんですっけ(笑)

 そうそう、国家レべルでもさあ、「よかれ」と思ってやったことが、ぜんぜん歓迎されてなかったりして、がっかりするが、同じに考えていいのかわからなくても、個人レベルでの行き違いも相当のもんですよね。

 ほんと。人種間の差異は確かに存在するようだが、同じ人種間ではもっとバラバラなんだって、そういう考え方は本当だと思いますが、昨日もね、T部長が何の脈絡もなく、こつ然と言い出したのよ。(ほんとに、「こつ然」って言葉がぴったり)
 「で、鍵のかかるキャビネットがいるんだっけ?」

 私も同僚K嬢も、おもいっきりフリーズしたよ。
 一ヶ月半前、最初に私が「鍵付の棚がほしいんですぅ」と言ってなぜか玉砕したので「あたしの言い方が悪かったかなあ」と反省してK嬢に愚痴ったので、K嬢も試しにT部長に進言してくれたのだが「なんだか知らんが、やっぱダメみたい」ということで、二人で「この件は、しばらく様子を見よう」と示し合わせていたのだが、こっちがなんもつついてない約50日後にこつ然と「了承」が出たのだ。

 「なんで、人によって情報処理能力にこうも差が出るのだ?」と茫然として、「まっしろ」になってしまった私の様子を察してくれて、K嬢がテキパキと「そうなんです、ここの棚をあっちに持っていけば・・・・ね?ミヤノちゃん?」という呼びかけで、なんとか「あの世」から生還して「あ、そう。そうなんです。経理専用の鍵のかかる棚がとにかく欲しいんです」

 いや、別にいいんですけど、もし私がイラクの武装勢力で、アメリカの指揮官がT部長だったら、わけわかんないから、とにかく外人の人質は全員殺しておいたほうがいいかと・・・・

 実は後から考えれば、突然「棚がいるんでしょ」と言い出したわけでもなく、その前に、もっとわけわかんねーことを言い出したのです。それを語るとまた長くなるんですが、社長が出張中だったので、契約書の捺印をT部長にお願いしました。それが、そんなに重要な書類でもなくて、あるベンダーに対する「うちの会社で発注権限があるのは、以下の数名です」っていう形式的な書類。
 でも、こっちの捺印欄に「代表者氏名」となっていたので、営業部では契約書印を貰いに来ただけです。

 そしたらT部長は私に向かってブツブツと「こういうのは、なにも社長印じゃなくてもいいんじゃない?」
 といわれても、私は「はあ・・・・」
 「うちも、けっこう組織が大きくなったんだから、なんでもかんでも社長じゃなくて、各部署で責任者をたてればいい」とか言い出す。
 あたしは「常識」があるから、言いたいことはわかります。大企業だと、なんでも代表印ではなく、たとえば「営業部長」なんて印鑑で契約したりする。

 でもさー、うち、社員数100名にも満たない零細企業なんすよ。社長だって、たまに出張したりするけど、いつもはちゃんとお席にいて、そういうどうでもいい書類の捺印をめんどくさがったりしてない。
 だいたい、うちみたいな規模の会社で「代表印」以外を使用するほうが珍しい。

 まあ、私にはどっちでもいいことなので「そういうお考えがあるのなら、Tさんにお任せします」と言ったら、彼もなにやら考えた後に、その取引の契約書に「取締役総務部長」として自分の署名と印鑑押してきた。

 ・・・・・・あたしは、とても個人的な、ただの「文学少女的センス」からの浅はかな感性だが「取締役総務部長」という役職名を「かっちょわるい」と思っていたので、それを公にするのは避けていたのに・・・・・・
 結局、自分の役職名を言いふらしたいだけのこと?

 よくわからない、ぜんぜんわからない。
 イラクの武装勢力がどんなマインドで活動しているのか全く謎だが、頼まれてもいないのに「取締役総務部長」で署名捺印するマインドも全くの理解不能だ。

 という時点で、私はすでに「まっしろ」になって「もう、何も自ら思考したくない」という状態になっていたのですが、その私の様子を見て、なんか一手打ってやろうと思ったのかどうかもわからないのですが「そういえば、棚がいるんだよね」と50日も放っておいた案件を持ち出すT部長が何を考えているのか、さっぱりわからなくて「まっしろ」を通り越して「灰」になっていたのですが、同じ日本で生まれ育って、年齢も10しか違わなくても、こんだけ違うのですから、「イラク」や「北朝鮮」なんて、もっとわけわかんないでしょうね。
 いや、ほんとに、外務省職員のストレスの1/10000くらいを実感させていただきました。

 たしかに北朝鮮を甘やかしてはいかんのでしょうが、でもT部長の10000倍くらい北朝鮮が、わけわかんないとすれば、思わず「甘やかせてそれで済めば、徹底的に甘やかしたい」という気持ちもわからなくもないんですよ。結果的にこっちの思い描くものができればそれでいいんですから。
 そのためだったら、不本意でも媚態の一つも演じますって。

 時々思うのだが、日本国内にはこういう「わけわかんない、わがままオヤジ」を扱うことに関しては、すごい才能を持った社員が30人に一人くらいの割合でいる。そういう戦力を海外で生かせたら、日本も外交上手になれるような気がするのだが、オヤジらは、そういうのわかってないからなあ。
 まあ、あたしも、よくわかっているわけではないのですけどね。(技の凄さはわかっているが、自分では同じ技をつかえない悲しさよ)
11月18日(木)

 昨日、近所の西友の地下食品売り場に寄ったら、レジの女の子が頭になにかつけていた。
 緑色のカチューシャだったが、なにやら大きなやはり緑色の飾りがついている。
 「なんだろう」と思ったので、彼女が商品をレジに通している間(昔だと「レジを打つ」って言ったと思うが・・・)じっと観察していたら、その飾りはどうもなにかの「耳」を表現しているらしかった。
 ということは、「妙なオシャレ」なわけではなく、「なにかのキャンペーン」であることがわかったので、周囲を見回してみると、全員ではないが、他にも2名だけ同じものをつけていた。

 うーん、なんだこれ?
 新しい西友のマスコットでも現しているのだろうか?「♪お買い物」のクマちゃんキャラは可愛かったけど、年末商戦に向けて、新キャラ?
 それとも、食品メーカが売り場にキャンペーンで配布したのだろうか?うーん、でも豚肉組合が配ったとしたら、「緑の豚の耳」っていうこともあるかもしれないが、でも「緑の豚」は食欲をそそらないので、広告戦略としては考えにくい。他にこんな「緑の豚みたいな耳」がキャラになる商品があるだろうか?うーん、それとも「緑のロバの耳」?そういう食品も考え難い。もしかしたら「緑の鰻の耳」?(鰻の頭の横についているのは耳じゃないと思うけど)

 いろいろ考えてみたが、わからなかったので、「こんなことで夜眠れなくなっても困るし」と、勇気を出して、レジ係りの彼女に「それって、なんでみんなつけてるの?」と聞いてみた。

 ほんとうは、「あら、なんかそれ可愛いいわね」の一言も「話し掛け上手なオバサン」を目指しているのであるから、付け加えようと思っていたのだが、丁度、釣銭補給係りがやってきたので、あまり時間をとってもいかんと思って、必要最低限の聞き方にしたのだ。

 彼女は特に、はにかむわけでもなく、そっけなく最低限の情報を与えてくれた。

 「あ、これですか?シュレック ツー です」
 「ああ!なるほど。ありがとう」

 終わり。




 あーよがっだ。
 その彼女はけっこう、ふっくらとした無愛想系で、でも、そんなに不機嫌そうでもないというか、「ニッコリ」とは笑わないが、私が「それって・・・」と聞くと、とても普通に、「ちょっと愉快そうな真顔」ってゆーのか、要するに「そんなこと聞きやがって」という顔ではなく「あ、やっぱわからない人にはわかりませんよね。よく聞かれます。クスっ」って表情だったのだが、その謎の緑の耳がなんだかわからなかったときにも実は、私の潜在意識は「この子が一番似合っているな」とわかっていたのである。

 だから実は、「可愛いわね」という替わりに「よくお似合いね」という誉め言葉も用意していたのだが、私の潜在意識がそれを阻止していたらしいということが「シュレック2です」という答えで判明し、「よかった余計なこと言わなくて」と胸を撫で下ろしたのであった。

 でも、なんで今ごろシュレック2なんだろう?そのカチューシャは映画公開時に配給会社が配ったものらしい
 DVDで発売されるので、その宣伝なのかな?
 でも、食品売り場でそれをつけられても、なんだかわかんないよ!

11月17日(水)

 日に日に寒くなってくるようだ。
 今朝は思わずマフラーしちゃったもん。

 さて、今日も張り切って派遣社員や上司の悪口書いてやるぞと勇ましく、じっと観察していましたが、今日はこれと言った出来事なし。つまらん。
 なんか、ゴキブリ大量発生の改善策として「マーフィーの法則を利用してゴキブリを大事に飼う作戦」をとったら、ゴキブリがあまり出てこなくなり、いつのまにか全然みかけなくなったのと同じことをやっているのかもしれない。
 「ほーら、ほーら、私にネタを提供してちゃぶだい」と待ち構えていると、けっこうやってくれないものである。

 しかし、なんだかんだいっても派遣のOさん、だんだん肩から力が抜けてきた。
 誰でもそうだけど、最初のころはどんな簡単な仕事でも、素早くこなせないので、あれこれ忙しく感じるが、だんだん慣れてくると1時間くらいせっせとやっていたことが、10分でできるようになってしまう。

 私も新規業務ができるたびに「え?これ、あたしがやんの?そんな聞いてないっすよ〜〜〜〜」と叫びながら、残業の嵐になったりするが、3ヶ月もすれば日常の仕事になり、だんだん工夫もできるので、残業してやるほどのものでもなくなる。

 Oさんも、初めてのオフィス仕事に最初は舞い上がっていたようだが、半月たってみて、やっと「こりゃ、暇なときは暇だな」と気がついたのか、それとも「こんなんでいいのだろうか?」と思っているのかわからないが、私が朝出勤すると、ボーっと虚ろな目をして机に座っていたので、「今日も寒いね」と声をかけてみたのだが、私が話し掛けると緊張するようなので、「そうですね」で会話が終わってしまったので、私も放っておくことにしたが、お行儀よくボーッと座っている姿はちょっと気の毒である。

 前任者たちは、そういうときに、こまめに拭き掃除などして気を紛らわしていたが、そういうOLの知恵もないようなので、ほんと、こういうタイプの人は「総務のアシスタント」よりも、営業部などで、怖い先輩に「オラオラ〜〜〜」って煽られるとけっこう楽しく働けるのではないかと思った。
 派遣会社はそんな素質まで汲んでくれないからねえ。

 前にも友人が派遣で仕事していたときに、派遣された先は大企業だったが、営業部だったらしく社員はほとんど外出してしまい、部長と二人で取り残されていたそうだ。電話番が主な仕事だが、それもそんなに忙しいわけでもないようで、「たぶん、私の一番重要な仕事は、部長にお茶を出すことなんだと思う」と達観していた。
 今だと、そういう「電話番」を外注してしまったり、部署ごとに電話番を置くのではなく、まとめて受けるようにして、人件費を削減していると思うが、その当時はまだ、昔のお茶くみOLという存在の名残が「予算」としてついていたようで、派遣された本人が「私、要らないんじゃない?」と思っても、他の社員にしてみれば、いないよりいたほうがいいに決まっているし、予算があるのだから既得権は手放したくないわけで、私も彼女の疑問に「それは、年度末になると道路工事をやり出すお役所と同じ仕組みなんだよ、きっと」と答えていました。

 今はいらないかもしれないけど、来年は必要になるかもしれないが、いったん放棄してしまった予算を数年後に「必要だからください」っていうよりも、無駄でもずっと消化し続けたほうがラクなのだ。
 うちのお客さんでも、厳しい予算で運営されている組織があるのだが、大きな声では言えないが、年度末になると空請求書を切っている。消耗品の予算が消化できなかった場合、今年度の実績を作るために、先に書類だけで納品しちゃうのだ。
 それで、翌年度の2ヶ月くらいは前年度予算で購入したもので間に合ってしまう。でも、そんなことをやっていると、翌年度はもっと予算が余ったりするが、その場合は、消耗品の名目で、「予算オーバーしちゃった費用品目」のものを納入したりしているみたい。

 アホらしいことをやっているが、こういうことやっている組織はけっこう多いのではないかと思われる。予算オーバーは嫌だから、大めに予算を立てるはずだし(それが許されるならば)、たとえば50万円という予算を立てて、実績を47万くらいにしておけば、来期も50万の予算を申請できるが、うっかり37万しか消化しないと、「こんなにいらないんじゃない?」と、予算を40万にされてしまう恐れがある。で、もしそれで42万使ってしまったら、面倒なことになる。

 なので、予算をたてて経費を管理するのは、いい場合もあるが、こういう弊害もある。もちろん、管理部門がきちんと監査して、現実に見合った予算を立てるというのが理想だろうけど、「ほんとうにそれだけ必要か?」ってことは外部からはなかなかわからない。

 「必要最低限」ということだけでも、人によって考え方は違う。
 そういえば「沈まぬ太陽」で印象に残ったのは、海外支社の総務担当になった主人公が、会社の「社宅規約」に悩むところである。たぶん、必要以上に華美にならないよう、なるべく公平になるように、海外での住居は家具の数やサイズまで事細かに決められていたようだが、家具を揃えるのも総務の仕事だったが、国によっては「家具は大きければ大きいほどいい」なんてところもあるわけで、社宅規定に沿った家具を探すのが不可能に近いという事態もあったようだ。
 かと言って、特注で注文するほどの予算があるわけでもない。その国で、標準的な家具を揃えれば、安価に済むし、それに時間をとられることもないのに、本社の総務が石頭だから、規定違反を許してくれないわけで、現地のスタッフは大変だったのだろう。

 今だと、その国ごとに家賃や広さは規定があるだろうけど、家具は自分で揃えてるみたいだし、もしかしたら家具代も補助で出るのかもしれないけど、家具の数までは決まってることは少ないだろう。

 全然話しは違うが、先日、駅前の銀行に通帳記入に出かけたら、帰りにお子様の集団と合流してしまった。
 あきらかにアメリカン・スクールの子供達。中学生くらいに見えたが、数少なかったけど東洋系の子供たちの幼さから、せいぜい中1、もしかしたら小5くらいだった。

 50人くらいの集団だったし、日本と違ってわりと野放しだから、もう五月蝿いのなんのって。ほんとに「五月蝿」という文字がしっくりくる集団だったが、変にお行儀よくない外人のお子様たちは、「若いエキス」も無自覚に振りまいており、オバサンはちょっと深呼吸してみて「ああ、なんか小じわが伸びそう」と空中に漂うコラーゲンだかヒルアロン酸を体内にとりこもうと必死でした(笑)
 それに、キャピキャピ元気のいい金髪の女子とか男子も多くて、目の栄養にもなりました。

 でも、中には日本語もちゃんと話せる東洋人も何人かいて、そいつらは、日本人同士は日本語で、外人とは英語で、と見事なバイリンガルでしたが、そんな子供を横目で見ながら「誘拐するなら、金髪よりもこっちだよなあ」なんて、思っていたことは内緒です。
 実際どうなのか、よくわかっているわけではないのですが、アメリカン・スクールっちゅうのは、日本政府からは補助金がほとんどないはずなので、日本の名門私立なんかより学費が高いのが普通です。
 で、明らかに「外人」の子達の親は、日本駐在員がほとんどのはずで、駐在員の場合、家賃も支給されますが、子供の学費も企業が負担するはず。

 前に派遣で働いていたときには、総務が直接、現地の学校に授業料を振り込んでいました。たぶん、日本だと、そういうのが普通なんでしょう。もしくは学費の書類をきちんと揃えて会社に経費申請するとか。
 だから、日本から家族連れの社員を送り込むと、えっれえ経費がかかるはずです。
 でも、しょうがないですよね。日本国内だったら「公立に入れればいいじゃん」で済むけど、外国に行くと「日本人学校に入れる」というのを標準として考えてあげないといけないわけですから。

 なので、たぶん、日本にあるアメリカン・スクールだって、親の多くは自分で学費を負担してないと想像できます。
 でも、「子供の教育のため」と、日本在住の日本人が、わざわざアメリカン・スクールに入れることもけっこう多い。
 その場合、全額自腹だし、ほとんど控除もされないと思う。
 だから、日本のお嬢様学校に通っている子女よりも、アメリカン・スクールの子女の親のほうが成金率が高いと、誰かに教わったような気がするが、嘘だったらごめんなしゃい。

 そういえば、うちの親戚でも、大学受験に失敗した男の子をアメリカの大学に放り込んだことがあったな。
 当時、千葉の我が家はほとんど空家になっていたのだが、田舎の妹のところに転がり込んでいた祖母がその子(祖母の妹の孫)の面倒を頼まれて、一時帰宅していたらしい。
 高校出たての子をいきなりアメリカに送り込んでもなんだから、しばらく東京の語学学校に通わせていたのだ。
 だから、うちの祖母というお目付け役付の上京であった。

 たまたま、うちの母も年末年始だったので、家の掃除に帰っており、私も正月休みを利用してタイに行っていたので、成田から実家に寄った。その、噂の又従姉妹君も拝見してみたかったし(笑)
 ほんとに標準的な「ボーっとした高校生」で、一緒に食事してもロクに喋らないし、標準程度に人見知りで、全然うちとけなかったが、私も母もそういうのは弟で慣れていたので「Sちゃんも高校生のときは、あんなだったよね」と懐かしがっていた。

 そんで、母からいろいろ聞いたのだが、そのマタ従兄弟君が送り込まれるアメリカの大学っていうのは、その当時流行した、日本人のために日本人が作った「留学用」大学で、とにかく辺鄙なところにあり、そこで全員寮生活したって、みんなで日本語喋ってるだけで終わりそうなことは明らかである。
 しかも、そのマタ従兄弟君は、ボーっとしてても、やることはちゃんとやっており、祖母の告げ口から発覚したのだが、こっそり田舎から呼び出した彼女を我が家に宿泊させていたらしい。

 祖母も直接本人にはいえなかったので、母が帰ってきたら愚痴り放題だったらしく「まったく、長男に比べて、あの次男はそういうズルいところがある」とか私の前でも愚痴っていた。
 でも、私は「そういうズーズーしさがあるなら、アメリカに行っても英語は身につかないかもしれないが、寮生活で、女子寮全員モノにするとかいう偉業を成し遂げてくれるといいな」と思っていました。

 もうとっくに帰国しているはずですが、親戚関係がよくわかっていないので、たしか、弟の結婚式に出席してくれた、祖母の姪が、彼の母親だったような。そんで、たしか「Kちゃんは、その後、どうしてます?東京に来てたとき、お会いしたんですよ」とお話ししたら、なんか就職したとか言っていたが、どんな仕事しているとか詳しく話してもらった記憶がないので、「こっちも、あまり根堀葉堀聞いちゃいかんな」と自制したような記憶がある。(大企業や官庁に入った場合には、こっちが聞かなくても話してくれるはずなので「就職したの」で話しが終わった場合には、それ以上詮索してはいけない)

 英語、喋れるようになったのかな?
 親はけっこうなお金かけたと思うのだが。あの当時は英語どころか、日本語もろくに喋れなかった印象が強かったんで(笑)ほんとに、一日中「起き抜け」って感じだったもん。

 でも、Kちゃんはわりと小柄で華奢だったので、あんまし邪魔じゃなかった。うちの弟は背丈だけは無意味にあったので、テレビの前でよくナナメに横たわっていた。四畳半の広さだったからナナメに寝ないと落ち着かなかったのだろう。
 でも、「部屋の半分が弟」になってしまい、非常に邪魔だったので、通りがかりによく、わざと踏んづけた。
 「ぎゃーーー、ねえちゃん、なにすんだよぉ」と文句は言われたが「あ、ごめん、ちょうど歩幅が合っちゃって」

 畳の縁を踏んではいけないと、一応の礼儀作法は教わったが、その作法が身についてないと、歩幅が狂って、つい踏んづけちゃうでしょ?畳の上を歩く練習をしたことのある人は縁を優雅に跨ぐことの難しさをご存知だと思います。

 なんか、今日も脈絡もなく書きましたが、ほんとにどこにも鉱脈はないが、まあしょうがない、この辺でやめとくか。
11月16日(火)

 「世界の平和」を考える前に、自分が周囲の人たちと本当に平和に暮らしているかどうかを考えよう。

 ってゆー気分に時々なりますが、今がそういう時期のようです。つーか、周りに火種多すぎで、北朝鮮は大嘘つきだし、中国はエバってるし、韓国はスケコマシばかり送り込んでくるし、アメリカは「お友達よね」って笑顔でいいながら飯奢らせようとするし、ほんとにもーって感じ。(外務省の皆さんをバカにしているわけではありません。私が「狭い世間」でこんなに苦労しているのだから、「大きな世界」でご活躍の皆さんの苦労が想像もつかない!)

 さて、今日は八景島シーパラダイスのイルカの水槽よりも小さな「私の水槽」の中で、お魚さんたちがどんな様子だったかというと・・・・

 午前11時に、お客様Yさんがやってきた。T部長の予定表に載っていたので、「すいません、まだ来ていないので、少々お待ちください」とミーティングルームで待っていただいた。
 なにせ「お忙しい」T部長であるから、客を待たせる常習犯というか、けっこう確信犯的にやっていると思えるときもある。(私には理解不能なマウント行為)
 でも、5分経っても、10分経っても現れない。
 でも、Yさんはそれほど時間に追われている人でもなく(定年後の名誉職の人)、ここんとこ頻繁にお見えになるのは、彼が活躍すべきプランが立ち上がったので、張り切ってちょくちょく打ち合わせに来るだけである。たぶん。

 だから、T部長のほうも気が緩んで、遅れているに違いない、と思ったので、すぐに携帯に連絡をとらなかったのだが、さすがに15分過ぎても放っておかれたY氏が気の毒だったので「お待たせして申し訳ありません」などと声をかけていたのだが、Yさんも「もしかして、また前の会議が長引いてるの?」なんて、健気におっしゃるので、「ええ・・・・まあ・・・でも・・・・」などと誤魔化していたのだが、20分待っても来ないので、携帯に電話してみたが、鳴るけど出ない。

 「ちょっと取り込み中みたいで、電話に出ないんですが、折り返し電話してくると思います」
 なんて言ってるうちに、電話が鳴ったので「これだな」と、と即座にとったら、

T「Yさんをお待たせしてる件でしょ?」
私「ええ、ずっと待っていただいているので・・・」
T「うーん、ちょっと急な用事が入っちゃってねえ・・・・そんで、まだそっちに行けそうにもないんだ」
私「そしたら、電話代わりますから、Yさんと直接お話ししてください」

 結局、1時にもう一度来ていただくことになったようだ。
 Yさんは、うちの近所の事務所に溜まり場を持っているようで「ちょっと昼寝してくるよ」
 私も恐縮しながら「ほんとにお時間無駄にして申し訳ありません」と言ったら、「じゃあ、アイ シャル リタ〜ン」と言うので、「Yさん、それを言うなら、今だと アイル ビー バック ですよ」などと、愉快なジイサンと和やかに会話して見送ったのであった。

 それにしても、もー、わかっているなら一本電話入れてくれればいいのに。社長だって時々、外出先から約束の時間に戻れそうもないと「少し遅れるけど、10分くらい」と連絡いれてくれるのに。お客さんだって、そう伝えてもらえれば、そこで座って待つか、「じゃあ、近所をブラブラしてから戻ってきます」とか判断できるし、客を迎える私たちだって、ハラハラしなくて済む。

 なんで、そんな簡単なことができないのか、まったくいやんなっちゃうが、やっと12時過ぎにT部長が出社してきた。「急な用事ができちゃって」と言っていたが、あの様子で「急な用事」だったとしたら、自宅の前で妻と娘が自動車に轢き逃げされたんだろうな、きっと。
 他の人だったら「ひでえ二日酔いで」っていう風情だが、なにせゲコゲコさんなので、深夜というか明け方近くまで他の社員に引きずり回されたのであろう。とにかく、立派な「生ける屍状態」であった。

 うちの会社はフレックスだし、何時に来ようが本人の勝手である。それに、客を待たせたといっても、T氏の客だし、他の人が口出しするようなことではない。ただ、せめて11時5分くらいまでに電話を一本入れておけばよかっただけ。
 なので、私もT部長の姿を見て、これといって何も言わなかったのであるが、なんだか向こうはとても機嫌が悪い。

 そして、机の上にあった総務部長決済が必要な現金出金依頼書を一瞥すると、「なんで、この仮払申請は出金済みなんだ」とブツブツ言いはじめた。
 前にも、部長印をいただく前に出金して「出金済」のハンコを押したことがあって、そんときにも文句言っていたのだが、でも、うちの会社の場合、10〜6時まできっちり総務部長がいることも少ないし、休みも不規則だから1日不在のときも多いし、こっちだって「部長印が無いと金出せん!」って言え、っていうならそうするけど、そうなると社員にも負担だし、総務部長だって大変じゃない。

 それに、その仮払いは、離れた事務所の社員が、昨日ちゃんと電話してきて「急な出張なので、申し訳ないけど明日の午前中に現金を用意してくれ」って言っていたし、でも、部長が朝いなかったから、私はギリギリまで待ったんだけど、彼が11時45分に会社を出ないと間に合わないというので、渋々出金したのよ。

 だから「もう、さっき羽田に向かっちゃったので」と言ったら「ふん」と鼻を鳴らしたので、そっとしておいたのだが、でも、あたしにはよくわからんなー。
 なんで、自分に甘くて他人に厳しいかね?

 いや、思わず笑いそうになってしまったのだが、今までOさんが総務部長だったとき、Oさんが不在のときに「でも、これ急ぐんだよねえ」なんて、しょっちゅう急な仮払い申請をしてたのは君じゃん?
 「急な出張で」とか「急な接待で」ってT氏もよく言っていたが、みんなそう言って持ってくるのよ、急な仮払申請。

 まあいいや、「周辺諸国はみんな自分に甘くて敵対国には辛い」ってことは、国際情勢ニュースでお勉強してますもんね。

 しかし、寝坊して遅刻してカッコがつかないという心境はお察ししますが、そんなとこにヤツあたりしなくても〜〜〜
 「女性は気分屋で困る」なんてよく言われますが、私は女性なのでわりと女性の機嫌悪いのは慣れてますけど、男の機嫌悪いのは苦手。
 女性がムッツりしているときには、「なんか具合悪そうじゃない?大丈夫?」とか言っておけば「風邪でさあ」とか「アレでさあ」と、たいてい理由を明確にしてくれるので、「ああ、わかるわかる」とフォローしやすいのですが、気分屋の男性に同じことをするとジロリと睨まれてしまう。

 もちろん対人スキルに優れている優秀な人(ほんとに仕事もできる人)は、「なんか調子悪そうですね。大丈夫ですか?」と言うと、「ああ、やっぱわかる?心配かけてすまんね〜」なんて明るく答えてくれるので、場が和みますが、そういう当たり前の会話ができない人も多いのです。

 前の会社にも二日酔いで遅刻してくると、ほんとに機嫌の悪い人がいて、周囲の社員も「こっちだって二日酔いだってわかってるんだから、あんなにガード固めなくたっていいのにね」と困っていました。もう半日くらいは「オレに話し掛けるな。オレは今、全地球の悩みを一身に背負っているんだ」な雰囲気で、で、午後3時くらいになると酒が抜けて急に元気になるので「ああ、もー、一生酒は飲まねーぞー」と明るく騒ぎはじめるので、周囲もあきれてました。

 二日酔いになろうが、超寝不足だろうが、風邪で最悪だろうが、それぞれ事情はあるでしょうけど、そういう調子の悪いときこそ「本性」が出るような気がしちゃうので、せめて「かわいい二日酔いさん」になれるよう努力くらいすべきでしょう。

 で、さらに「お前は幼稚園児以下だな」と思ったんですが、T部長はとうとう机に置かれた伝票にハンコを押しませんでした。夕方になって現金〆るときに、クララが休みだったので、ハイジにやらせたのですが「あれ?金が合わない?」と言い出したので「あ、そうだ、あの伝票が・・・・」とT部長の机を見たら、まだあった。
 そんで「これ、もう出金しちゃったので・・・・」と言うと、「別に急ぎのものだと思わなかったから」ですって。

 はあ、なんか、子育てしているような気分になってきましたが、私が育てている「大きな大人」はもう、これ以上、育ってくれないのですよ。くすん。
 でも、この間も書いたけど、T部長のやり方にはだんだん慣れてきたので、それほど気にならなくなってきたんだけど、というか、なんだかんだ言っても、概ね優秀な人であるし、ときどき見せる幼児プレイくらい見逃してやろうって気になってきただけだ。あれが彼のストレス発散法なんだろう。

 今日は、けっこう人の出入りが激しくて、うちの会社はちゃんと陶器のカップでお茶を出すので、派遣社員のOさんも食器洗いに忙しそうだった。
 でも、やっぱしインターホンが鳴るとダッシュで駆けてこようとするので、最初は無視して私が出たが、その1分後にまた鳴ったので、また私が出たのだが、Oさんが背後で「すいません」と謝るので、「だから〜、給湯室で作業してるときには、走ってこないでって・・・・こっちに人がいるときは、出るからね」と、なるべく笑顔で言ったのだが、どうして、こんなことを何度も言わないといけないのだろう。

 たぶん、こう言ったほうがいいのかな。
 「ドタバタ走ると、みっともないからやめてください!」

 でも、そういう言い方も「お母さん」っぽいからあんましそう言いたくない。走るなという意味は「危ない」のと「みっともない」のと「別に何がなんでも、あなたが出なくても、他の人が出られるんだから、そっちのほうが効率がいい」(インターホンには実は私が一番近い位置なのだが、いちいち出ていると仕事にならないから、アシスタントを置いていんだけど、アシスタントが他の仕事しているなら、別に私が出たっていいわけ)っていう理由があるのだが、一応「走ると危ないから」とは言ったつもりだったのだが(インターホンの前は通路なので、トイレや給湯室に行く人とか、エレベータから降りた人が交差する場所)なんでわからん!

 つーわけで、ロールプレイに疲れた私は、さらなる「心のロールプレイ」をして、気持ちを静めました。

 自分がスカーレット・オハラになったつもりになり、「まったく、クロンボの子はほんとに気が利かないったらありゃしない」と、心の中でボヤくのです。
 「人の顔色ばっかりうかがって、でもまともな仕事ひとつできなくて、叱られると亀のように首を縮めて『お嬢様、すいませんですだあ』っていうしか能がないの」

 実際、Oさんは、私と目が合うと、とてもおどおどするようになりました。

 うーん、こういう展開を望んでいたわけでもないのだが、私の心の安定のために、こうなったら「ロッテンマイヤーみやの」以来、久々に自分にニックネームつけちゃおうかなあ。スカーレット・みやの!

 いや、ほんとに、ただ「対等な立場」で仕事したいだけなのですが、今まではそんなことなかったのに、なんでこんなことになってしまったのでしょうか?ほんとに「女中扱い」したいわけじゃないのに、やっぱしこれは向こうが「生まれもったダメ女中の気質」を持っているからなんでしょうか?
 あたし、生まれたときから女中を使っている育ちではないので、「我がままお嬢様VS気の利かない女中」のシチュエーションを押し付けられても、あんまし上手くできないんですけど・・・・

 もうOさんには今後一切、何も言うまい。と今日も誓うのですが、なんかこの状況って、女性週刊誌の嫁姑のなんちゃらっぽくて、なんかヤだなあ。

 昔、知人から聞いた話をちょっと思い出した。(前にも書いたと思うが)
 そのオジサンの長男が結婚して、ときどき嫁を連れて実家に泊まるようだが、その家は朝はパン食で、イギリスパンを切って焼くんだそうだ。
 嫁はパンを切るのに慣れていなかったようで、舅であるそのオジサンが「ツルツルの頭のほうからだと切りにくいから、下のほうから切ったほうがいいんだよ」と教えてあげた。
 嫁は、「朝食の手伝いも満足にできない自分」を恥じていたのか、緊張したおももちで、必死にパンを切っていたそうだ。
 そして、しばらくして、また息子が嫁を連れて泊まりに来た。
 朝になって、また朝食の準備が始まり、嫁はまたパン切りに挑戦していた。でも、包丁を持ちながら、「お父様、パンはどっちから切ればいいんでしたっけ?」と思いつめた顔で聞くので、そのオジサンも気の毒になってしまったそうだ。

 「そんなもん、作法があるわけでもないし、オレだってどっちだっていい。でも、慣れない人は、わからなくてやりくいだろうからって、後ろからって教えてやっただけなので、そんときは『別にどっちからだっていいんだよ。切れれば・・・』と、オレなりに優しく言ったつもりだった」

 結局、息子はすぐにその女性と離婚してしまい、すぐにまた他の女性と再婚してしまったらしい。

 他人の話しだから、離婚した詳しい事情はわからないが、その嫁が「私、パン切るの苦手なんですよね。何度聞いても忘れちゃうわ(笑)、お義父様のほうがお上手だから、やっていただけません?」って言える人だったら、ちょっとは違ったかもね、とその話しを聴いたときに思った。

 だって、そういうふうに明るく言われたら、義父のほうだって「この間もちゃんと教えただろう。まったく、全然おぼえないんだなあ(笑)」と楽しく会話できるはずだ。
 私もどっちかというと「生まじめな長女気質」だったので、大人になってからそういうエピソードや実体験を収集して、「えへ?」って言っちゃうほうが世の中うまく回るということを学習させてもらった。でも、なかなか上手くできないんだけどね。

 なので、Oさんのことが気になってしょうがないのは一種の近親憎悪なんだと思うと、よけいどよ〜んとしちゃいます。
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