可燃物な日々
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9月15日(水)
あれ?昨日は五行くらい日記を書いているうちに眠くなってきたので寝てしまったのだが、せっかく書いた5行ばかしも消えている。みすてりぃ な〜ぃる♪(古すぎ)
単に保存しないで、無理やり終了しただけだろう。それに、書いたことと言ったら「ウオノメその後」だけだったから、どうでもいい。(目の芯は残ったまま、周囲の皮膚ばかり薄くなってヒリヒリするので戦闘中断中である)
ここんとこ、ぼよ〜ん、と、ややダウナー気味なので、あんまし面白いこともないのだが、ニュース(というか、ワイドショー)もなんかそんなかんじ。ってゆーか、ワイドショーはいつもそんなかんじだけど。
宅間死刑囚が死刑執行になったとか・・・・
生きていても、友達になれそうにもなかったが、もうこの世にいないとなると、なんとなく寂しい気がしなくもない。
結局、なんだったのかよくわかんなかったし。
被害者の手前、こういうことを書くのも申し訳ないが「最終回を観そびれた連続ドラマ」のような気分。
どんな凶悪犯罪でも、ある程度、犯人の心情を勝手に想像することはできるのだが、宅間被告は私にとっては遠い人だった。でも、なにがどう遠かったのか、とうとうわからなかったのだが、ニュースのコメンテイターもあまりいい加減な推測する人がいなかったような気もするので、そういうのを封じ込めるだけの珍しいキャラだったのかもしれない。
よくわかんない、と言えば、今週のトップニュースである、栃木の幼児2名誘拐→殺人事件も、かなり神経を集中させないと、事件の概要がよくわからなかった。
最初のころ「同居人の男を逮捕」というのを聞いて、「幼児の家族宅に転がり込んだ男が犯人?」と思っていたのだが、よくよく聞くと、「転がり込んだ」のは幼児たちの家族の方だった。しかも「先輩・後輩」というのが出てきたので、犯人と被害者父のどっちがどっちなのかよくわからなかったが、「後輩の家に、子供を二人連れた先輩が転がり込んでいた」ということがやっとわかった。
でも、どのニュースでも、アパートで同居するその2家族の家族構成を紹介してくれなかったので(調べようともしなかったが)、今朝になってやっと、そのアパートに住む後輩には子供が二人いて、転がり込んだ先輩も3歳、4歳の幼児連れ・・・・しかも、被害に遭った幼い兄弟は「次男、三男」らしい。
ええと、まず、双方の奥さんはどこに行った?そんで、被害者父の長男は?(もしくは他に女の子の子供がいる可能性も無いわけではない)
今日の時点では、「犯罪」自体の全容のほうが先らしく、まだ子供の遺体も一人しか発見されてないので、ワイドショーもそんなことまで首をつっこんでなかったが、それにしても、変な状況である。
それに、いろいろな状況が小出しにされるのだが、知れば知るほど謎が深まる。
今のところ、私にわかっているのは、小学生くらいの子供が2名いるが、どうやら妻は不在の加害者の男のアパート宅に、数ヶ月前、東京で食い詰めた先輩がやってきて、先輩が言うには(今日の記者会見)「ぜひ、うちで住んでくれ」と後輩が言うので、お言葉に甘えて転がり込んだ。(先輩の妻と他の子は?)
ところが、後輩はその言葉とは裏腹に、先輩家族の同居を快く思っていなかったらしく(私の平凡な想像としては「仕事が見つかって落ち着くまでは」と思ったのだが、先輩は職探しする様子もない)そのイライラを先輩の子供2名にぶつけて暴力をふるっていたのだが、児童相談所が介入してきたので、先輩も慌てて子供らを祖母宅(自分の母)に避難させたが、でもすぐに子供を自分の手元に戻した。そんで、ほどなくして事件発生。
ここで、自分を普通の暮らしをしている一般市民だと思っている私のような人間は首をかしげる。「祖母宅があるのなら、なんで先輩は自分も実家で居候しないの?」
ところが、ワイドショーがマイクを向けた祖母は、そういう疑問には何も答えてくれず(記者もそれは突っ込んでなかったが)、「あの後輩は、うちの息子にずっとよくしてもらってたはずなのに」と、わけわかんないことを言っていた。
その口調は「だから、うちの息子が転がり込んだら、ちゃんと世話してあたりまえ」という雰囲気だった。
なんか、いちいちよくわからないのだが、ふと「仲良しに見えたのに、相手の子供を殺してしまった」という事件が過去にあったことを思い出した。文京区で主婦が起こした事件。お受験がどうのとか、そんな話だったけど、でも、あれはなんとなく追い詰められた主婦の気持ちが想像できた。
そう考えると、栃木の事件も、先輩・後輩が「女性」なら、すごくよくわかるんだよな。
旦那と離婚して、子供二人と細々と生活している後輩のところに、「旦那の会社が倒産しちゃって、子供二人だけなんとか親権を勝ち取って暴力振るう旦那から逃げ出してきた」っていう先輩が実家に帰ってきたっていう噂が入ったので、訪ねていっていろいろ話をしているうちに、「先輩も苦労したのね。うちでよかったら部屋が一つ空いているし、仕事決まるまでよかったら住まない?」というわけ同居したのはいいが、先輩はいっこうに働く気配もなく、仕事から疲れて帰ると、先輩は部屋でゴロゴロしてて、わんぱく盛りの先輩の子供が暴れているので、イライラしたから折檻したら「なんてことするんだ!」と怒鳴られ、先輩が子供を実家に連れていったから「やれやれ」と思ったのもつかのま、しばらくしたら先輩がまた子供を連れ帰ってきたので、「この人、なんにもわかってな〜い」とぶちきれた。
でも、このストーリーを男性で作ろうとすると、どうもなんか納まりが悪い。
まあ、未解決の事件のことをあれこれ推測するのも趣味が悪いけど、加害者が「ここ数ヶ月で激痩せしていた」という報道があったので「ああ、シャ○ね」と思っていたのだが、やっぱり陽性反応が出たようで、男やもめ(?)同士の奇妙な同居の核心はそのあたりにありそうな気がしなくもない。
もしくは、その先輩とやらが、そんなことに気がつきもしなくて、「俺が同居してるから気をつかって痩せちゃって悪いなあ。せめて洗濯くらいは向こうの家族の分もやってやろう」くらいな、超のんき者だった可能性も高い。
神経ピリピリしてお互いを見張りあって牽制しあっていたのか、片方が超鈍感で、過敏な人が追い詰められたのか、どっちなのかとても気になるが、どっちにしろ気の毒なのは何の罪もない子供であろう。
こういう事件を知るにつけ「少子化対策よりも、やることあんじゃないの?」と思う。子供が少ないからこそ、もっとケアしてあげればいいのに。
ワイドショーなニュースで、あれこれ考えているのも虚しいが、もっと虚しかったのは「チェッカーズ、クロベエの葬儀で確執再燃」事件である。
偶然ながら、栃木幼児殺人事件の犯人・被害者の男2名と、元チェッカーズのメンバーは、ほぼ同じ年くらいである。ついでに、私もほぼ同じくらいの年齢なので、だから、こんなに「うーむ」と考えてしまったいう、言い訳も可能。
と言っても、私はチェッカーズにまったく興味がなかったので、なんで解散したのか、とか、その後どうなったのか、なんて全く知らないのだが、それにしても、40歳で亡くなった元メンバーの葬儀の場で「せめて、仲いいフリくらいしとけばいいのに」と思った。
私は「この事件」で、チェッカーズというのが、ずいぶん人数の多いバンドであったことにはじめて気がついた。「クロベエをしのぶ会」には、元メンバーのフミヤ兄弟を含む5名が「発起人」となっていたが、数年前に癌を克服して、その後、癌克服のエッセイ+解散秘話も書いたらしい、タカモクなんちゃらという人と、鶴なんとかという人は、「発起人」に呼んでもらえず、参列者としても、葬式でいえば「喪主」である「発起人」に挨拶もせず、目もあわせずにコソコソと通りすぎ、記者会見も別に行っていた。
ええと、ということは、亡くなったクロベエとやらが1名で発起人5名、仲間外れにされた2名・・・・・8人もいたんだ。
一世を風靡したバンドが、その後、仲違いして、口もきかない、なんて話では欧米でも珍しくなく・・・・・ってゆーか、ほとんどがそうだわさ(笑)
周囲の人間も、公の場で彼らが出くわさないように気を配ったりする。
日本で、そういう「欧米の大物バンドに負けないような、解散後の道」を歩んでいるのは、どうやらXジャパンらしい。たしかに、言えてる。やはり1名くらい死なないとダメだ。ストーンもビートルズもチェッペリンもビーチボーイズもクイーンもカーペンターズも死人を輩出している。ヒデはそのために頑張ったんだ。
チェッカーズも、「これで大物の仲間入りか?」と一瞬思ったんだけど、でも「仲違い」の規模が「5対2」っていうのはねー。せめて「4対1」ならわかるけど、「5対2」には映像的にもかなり締まりが悪くて、悪いけど笑っちゃったもん。フミヤに「デタラメ」と言われた暴露本出したのが確執の一因の一つとされて、他のメンバーに疎まれるというのならわかるけど、それがタカモク氏一人で、敵対するメンバーがフミヤ兄弟+1くらいならいいけど、タカモクの隣に鶴久(だったっけ?)がいると、なんか緩いのってなんのって。
でも、思いだしてみると、チェッカーズというバンド自体が、当時の私にとっては、いまひとつ掴み所のない(早い話が、なんで売れているのかさっぱりわからない)不思議な存在だったのだが(その後のフミヤのカリスマ化を含めて)、今回の「確執再燃騒動」も私には「ゆる〜く」感じるのだが、どうもこの人たちは、そのゆる〜い空気の中が生息地というか、なんて言えばいいのだろう、「ある意味、非常にリアル」なのである。
私を含めて、「平凡な人々の仲違い」といのは、実は「2対1&死人1」(クイーンなんかはこの数式の典型)という図式にはなかなかならない。
だから、チェッカーズの「5対2」っていうのは、「ああ、こういうことあるよな」な平凡な人生の縮図だ。私もそういう図式をたくさん経験したから(笑)
というわけで、以上で説明になっているのかどうかわからないが、「チェッカーズってやっぱすごいわ」と感心していたのであった。で、同じ世代の「栃木の先輩VS後輩」のニュースを観るにつけ、「もうすぐ38歳のあたしの心の闇も、こういうトホホなもんなのね」と、同世代たちの醸し出す、すっぱい空気に・・・・・・
いや、待てよ?
栃木の先輩・後輩も、チェッカーズも全員、男じゃないか。
そんでもって、宅間死刑囚(故人)も40歳。
同世代(まあ、2学年先輩くらい?フミヤは確か、もうちょっと上)がこうだと、私が今だに独身なのも、しょーがないわよねー。
自分で納得のいく結論を導き出せて、大変満足である。
9月13日(月)
「13日の月曜日」のほうが、「13日の金曜日」よりも陰惨なかんじがするようなしないようなどうでもいいような要するに月曜日が憂鬱なだけじゃん。
ためしに「13日の花の金曜日」にしてみると、ルンルン気分になるが(死語)、「13日の花の月曜日」にしても「だまされねーぞ」とよけいに身を固くしてしまうような気もするが、だからなんだ。
今日は早番だったので、早めに会社を出て映画でも観にいこうとはりきっていたのだが、前から観たかった映画が渋谷でやっていたので、つい敬遠していたのだが、やっと足を運んでみたら・・・・・・すでに、レイトショーに時間が変更になっていた。うーん、いくらなんでも3時間も時間を潰すのは難しい。でも、30分待てば、他の映画が始まるが、それが「アフガン零年」というタイトルで、全く観る気の起きない映画でもなかったが、でもちょっと今の「離陸5分後。ぐんぐん上昇して、目指せ水平飛行」な魔の時間帯な気分のときにアフガンものはちょっとキツいかも。
ちなみに、私が観たかったのは「カンヌSHORT5」という、短編映画集でした。
他の映画館に行こうかとも思ったが、なんだか面倒くさくなり、HMVでCDを試聴してみたが、これといって心打たれるものがなかったので、さらにテンションが下がり、「今日はもういいや」と思って、徒歩で帰宅したら、ストッキングが足の親指に引き裂かれていた。足の爪ちゃんと切らないと、パンストが気の毒らしい。
重症ではないが、それなりに「巻き爪」なので、切るタイミングが難しいんだよなあ。
ふと気がついたのが「週末は全然テレビを観なかった」ということである。いつも「つけっ放し」にしているのに。暇さえあれば「沈まぬ太陽」を読んでいたせいもあるけど、どうも深層心理が「9.11報道」を避けたようだ。
テレビさえつけなければ、周囲は平穏そのものである。ただ部屋が散らかっているだけ。目下の「未解決課題」は「うおのめ」だけになる。あと「虫歯」
「沈まぬ太陽」を読み終えてしまったので、「さて、次は何を読むかなあ」とストックしてある本を眺めたら、50頁目くらいで放置してある「フリーカルチャー」と、65頁くらいで放置してある「俺も女を泣かせてみたい」があった。「俺も女を・・・・」は、表題のエッセイが気になったのだが、どうも「7人から同時に求愛された」という話は、哲学者中島なんちゃら先生の若かりしころウィーン留学中に、という話だったらしくてがっかり。
その当時だと(中島義道は1946年生まれ。うちの母ちゃんとほぼ同じ年)、日本人留学生がまだ珍しくて、沢山群がってきただけじゃん。たぶん。なんか想像ついちゃうんだもん。サバけたウィーン娘が、「東洋人とはまだヤったことないから、ちょっと試してみたいな」なんて思って、粉をかけているだけなのに、それをマジに受け止めて思い悩んでいる真面目な留学生の姿が・・・・
それで、前に買った文庫本が一冊発見されたので、それを持ち歩くことにした。題名は「世界の中心で愛を叫んだけもの」である。「世界の中心で愛を叫ぶ」がベストセラーになったが、その題名の「元ネタ」らしく、そのことについて、なにやら「ふっ」と斜に構えるのが、正しいSFファンなのかどうか知らんが、「世界の中心で・・・・といえば、エリスンでしょう」というのをよく見かけたので、「じゃあ、元ネタとやらも読んでみるか」と思って軽い気持ちで購入したのだった。「蹴りたい背中」は未読でも、ついうっかり「蹴りたい田中」を買ってしまったのと同じ気持ちである。
しかし、ヒューゴー賞を受賞したという、表題作「世界の中心で愛を叫んだけもの」は、とってもとっても読み難いいんですけどお。
いや、理解不能ってわけでもないが、なんか努力しないと、その「世界観」にシンクロできない。これは決して万人に受けるようにはできていない。「キル・ビル1」を見て「まあ、こーゆーの好きな人はいるだろうなあ」と思ったのと同じような感じである。
まだ短編集の3つ目くらいしか読んでないが、どうも「やんちゃな困ったちゃん」が己のヤンチャぶりを正当化するというか、その湧き出してくる闇の部分をSFチックに弁明しているような気がしたのだが、ふと先に解説を読んでみると、エリスン君自身が、かなりの無頼派だったようで・・・・・
ふーむ、なるほど、この人のお作の題名が「白血病で死んじゃうお涙ちょうだい昼メロ・ラブロマンス」に使われたら、嫌味の一つも言いたくなる気持ちがよくわかったわさ。ブコウスキーの小説の題名が、フジテレビの月9で使われちゃいました、っていう感じなのね。
今年のエレクトラグライドのラインナップが発表された。
PRODIGYがメインで、ダレン・エマーソンはまあどうでもいいが、フジロックで時間が合わずにとうとう見逃した「!!!」が出るようだ。(このバンド名「ちっく ちっく ちっく」と読むらしいが、なんか映画「マッハ!!!!!!!」の蹴りの余韻のような・・・・・)あと「 2MANY DJS 」か・・・・・
8500円で、このメンツだと「お買い得」であろう。ただ、相変わらず東京では金曜日開催なので、社会人には金曜深夜のPRODIGYというのは、徹夜空けの焼き肉くらい「どしん」と来るような。(そもそも、金曜の夜に幕張に向かうこと自体が、かなり腹にもたれる行為なのだよ)またダレンがPRODIGYと同じ時間にプレイすることになり(前はエイフェックスと同じ時間でそっちに客が流れた)、ふてくされる姿を観るのも一興ともいえるけどね。なにせ、PRODIGYには、かのゴールディーも客を奪われ、失笑しながらやっていたという伝説も残っているから。
9月12日(日)
8日発売のヤングユー(「ハチクロ」絶賛連載中。「自分探しの旅」は今月で終了した模様)を読んでいたら、マンガエッセイ(ヤングユーには何本かそういう「なんとかに挑戦!」みたな漫画家が取材したことをエッセイ風に綴るコーナーがある)で、「愛されてお金持ちになる魔法の言葉」という本の著者に取材した話が載っていた。
著者は「自分の容姿への強い自信」が絶対条件と謳っており、自律神経を「あたしは魅力的!」と洗脳することを薦めていた。それが例えウソでも、自律神経は現実を見つめて生きていないので、ウソでもなんでも語り聞かせてしまえばいいらしい。
でも、「あたしって魅力的!」と言うのにも抵抗のある漫画家に、「じゃあ、他人を誉めればいい!」
筆者によると「自律神経は、自分と他人の区別がついてない」そうで、要するにヤクザ映画観たあとの客が風切って歩いてしまう「人間の心の仕組み」を使って、イケイケパワーを充満すれば、愛も金も手に入れられるっていうことらしい。
ふーん・・・・・・・
まあ、「誉め上手」は私も、そうなってみたいものの一つである。ただ、どうも私が「誉める」と、それが他人には「誉め言葉」に聞こえないようなので、困っているのだが。でも、職場や友人関係でも、さらりと他人を持ち上げられる人っていうのは、魅力的な人が多いし、特に仕事では、さりげなく誉めて、きちんとありがとうと言っておくと、相手も張り切って次回も頑張ってくれるので、周囲がちゃんと仕事してくれる人=優秀 ということになるわけで、なるべく口に出して誉めるよう努力しているのだが、どうも苦手なので、他人がそれをうまくやっていると「なるほど、ああ言えばいいのか」と心の中でメモするが、ああいうのってちゃんと練習して口に出さないと、すぐに忘れちゃうんだよね。
ええと、話が逸れてしまったが、本題(というのが、この日記にあるのか?)は、その取材をした漫画家「あいかわももこ」が、その本とは逸れて「ゲットの法則!」を打ち出し、「恋も買い物も同じ!」とまくしたてていた。「買い物力を高めて、恋愛力もアップしよう」という屁理屈である。
たしかに恋人も買い物も「ゲット」と言うとおりに、「狩り」の要素が高く、ろくに商品(男)も選ばず「あ、これ!」と直感で買ってしまい、すぐ飽きる、なんて人はいそうな気もする。
そう考えると、「そもそも買い物嫌い」というあたしの立場は・・・・・
いや、わかってるんだよ。たしかに買い物してると、なんか脳内麻薬物質が分泌されるのがわかって、脇の下に変な汗出るし、あの状態を「きもちいい」と思う人は多いということは。でも、なんか、私には気持ち悪いのだ。まあ、酒飲めない人がちょっと酔っ払うと気持ち悪いのと似ているのかもしれない。その壁を越えると、それが快感になるのだろう。
同じように、たまに恋愛状態に入ると陥る、ラリラリ状態が、やはり苦手だったりする。うまくドライブできないのだ。
なので、普通の女子の2大ラリラリ・アイテムである「買い物」「男」が性に合わなくて、「やっぱり、最強のドラッグはこれだろう」と酒ばっかり飲んでる自分もなんだが。
話は変わるが、また算数っぽい話。
「数学苦手なくせに、変なところで計算して、誰にも理解されない」ということを思い出していたら、記憶の底引き網にひっかかったエピソードである。
高校のあった街は、街の中心街が駅からは離れたところにあり、駅前の開発が遅れていたので、当時の駅前はほんとに何にもなかった。小さい本屋が一件あったくらい。
高校周辺にもコンビニなどなく、飲み物は構内の自販機か、正門脇にあった小さな駄菓子屋のような店でジュースやお菓子を買い、パンも正門前のパン屋が購買部に入っていたので、平日はそこで買い、土曜日は正門から一旦出て買いに行った。
そんなある日、駅前に「ベーカリー」が開店したのだ。
けっこう大々的に宣伝していて、高校の生徒だけでなく、地元住民も注目していたようだが、でも、その店はチェーン店で、実は私のホームタウンには10年くらい前からあって、あまり人気店でもなかったのだ。私が住んでいる町は、早くから大規模商業施設が競争を繰り広げていたので、「焼きたてパン屋」も珍しくもなかったのだ。
なので、私はそのパン屋の開店に心を動かされなかったのだが、そのパン屋の「開店セール」の売りが「半額!」であった。その宣伝チラシが功を奏したのか、開店時には客が殺到していた。私の級友たちも「半額だって!」と、買いに行っていた。
だが、賢い私はふと「それって半額なの?」と気がついてしまったのだ。
パンが半額になっているわけではなかったのである。例えば、その開店セール中に1000円買うと、500円の買い物券がもらえるのだ。
直感的に「なんか変だ」と思った私は、級友に「キャッシュバックされないのなら、半額じゃないのでは?」と言ってみたのだが「でも、次回で500円ぴったり買えば、同じじゃん?」と言われ、「うーーーーん、そうなのか?」と考え始め、その日は授業中にそのことばかり考えていたのである。
1000円を出して、1000円のパンを買う。500円券がバックされるので、次回はその券を持って500円分だけパンを買う。たしかに、一瞬「半額セール」の気がしなくもない。
でも、よーく考えると、1000円払って、1500円分のパンが手に入るだけである。「半額」なら、1500円のパンを750円で買えるはずなのに。
「半額の券をバックするというのは、半額セールではない!」
という結論に達したので、その研究成果を級友にも見せたのだが、誰も真面目にとりあってくれなかった。
まあ、たしかに、どうでもいいことなんでしょうけど・・・・・でも、パン屋は商売が上手いよな。「500円券」を手にした客はそれを使わないと割引にならないから、また買いに行くんだもん。それも「なんかすごい得してる」って思い込んで。逆にその券を使わないと「損」なのだ。
それから10年くらいして、「ポイント還元」というのは、大手電器販売店でも採用されるようになり、ポイント還元の魔力に気がついた人は増えただろうか?
●うおの目 その後
うわ、うおの目周辺の皮がベロンと・・・・・・
怖いので、見て見ぬふりをしてパッチだけ交換した。
そーいえば、その昔「蛸の吸出し」っていうクスリもあったな。パッケージもモロ「蛸」で、「クレクレタコラ」っぽいキュートな怪しさをふりまいていた。
私はお世話になったことなかったんだけど、幼なじみのSちゃんは、傷口が膿みやすい体質で、ちょっと転んだ擦り傷でも、バンドエイドを貼っておくと膿んでしまって、治癒が長引いていた。だから、蚊に刺されて、かきむしった後の傷も膿みをもってしまい、パンパンに腫れていたので、そういうときには「蛸の吸出し」が登場し、堅い粘りのある濃い緑色の軟膏を患部に塗っておくと、翌日には噴火のように、ドバドバと景気よく膿みが噴出して、膿を出し切った患部をなるべく空気にさらしておくと、そのうち乾燥して完治するのであった。
楽しかったなあ、膿出し。なんか、達成感があったよ。
あのころ、傷口の処置用をいろいろ研究してたんだけどなあ。やたらと消毒するのはよくないとか、体質によってはSちゃんみたいに膿んだり、うちの母親みたいにバンドエードでカブれちゃったりするので、そういうのはどう治療すれば早く治るか、なんていうのを考えていたもんだが、でも、ついオキシドールで消毒するとアワがぶくぶく出るのが面白くて、よけいに傷跡を残してしまった、なんて失敗もあったな。
9月11日(土)
出勤。
今週は、遅番、早番、平日休みで土曜日は出勤・・・と、サービス業っぽい勤務だったけど、来週からは通常の規則正しい勤務時間に戻れるようだ。ただ、秋から冬にかけては、ときどき休日のイベント仕事が入るので、平日休むことが多くなる。
今日はそれなりに仕事していたんだけど、静かにサクサク捗ったので、4時ごろには「もう、後は月曜にしよう」と思って、その後はずっと「沈まぬ太陽」を読みふけっていた。号泣させていただいた「御巣鷹山編」から、「会長編」に入ると、いきなり「悪い奴ら」がゾロゾロ登場してきたので、食傷気味になったが、半分くらい我慢して読んだら、なんとか慣れてきた。
ドラマの「白い巨塔」もそうだったけど、「悪い奴はとことん悪く、いい奴はとことん善良」というキャラ設定をするので、けっこう疲れるのだ。現実にはそういうステレオタイプはあまりいない。というか会ったことがないので、頭の中でそういうキャラを作るのに苦労するが「まあ、こういうのはショッカーVS仮面ライダーだと思って・・・」と割り切ればいいのだが、そういうヒーロー物でもないので、頭の中の劇場でどういう演出をしていいのか戸惑うばかり。
バックマージンのキックバックの話などが出てくるが、私が昔働いていたCM業界でも、そんな風習が残っていて、露骨に現金は動かなかったが、CM制作費なんて、ほんとに「どんぶり勘定」なわけで、「じゃあ、大女優つかったイタリアロケで3億円」なんて世界なわけで、D通とかがクライアントにどんな見積もり出していたのか、あたしゃ存じませんが、広告代理店の下請けである制作会社に「余分にお金を支払う」ということはよくあった。
そーんで、うちの会社の下っ端が、海外ロケの経費清算を出してくると、その中に「アルマーニのネクタイ30本:衣装費」なんてゆーのが混じってて、「あのさ、衣装費のわけないじゃん」と担当者を問い詰めると、「それはクライアントがお土産で買っていっただけ。制作費に含まれている」と言うのだけれど、それを税務署が入ったときに突かれるのは、こういう孫請け会社なわけで、税務署も海外ロケの経費が滅茶苦茶なのをよく知っており、集中的に突かれるのよ〜〜〜。
だから、担当者たちには、「これを経費じゃなくて交際費とされた場合には、損金にならんのだから、その分、税金が加算されるから、こういう微妙な経費には、50%以上、上乗せしないと、うちの利益にならんのだ」と教育したが、でもクライアントの大企業も、広告代理店も「交際費」には厳しいわけで、そうなると零細企業に上乗せして支払って、遊ぶしかないわけで、交際費のしわ寄せが全部押し寄せてくるので、やんなっちゃったわよ。
で、会社の担当者も、経理がそういうのに文句つけてくるんで「今度の仕事では儲かったからご馳走するよ」なんて、接待されちゃったりして(笑)、こっちも人の子だから、そうやって経理に配慮してくれる社員にはついつい甘くなってしまったりして・・・・・ダメじゃん!
そういうのに慣れてしまう、というか、そういうのを仕事だと思って社会人として育ってしまうと、だんだん「会社の経費と自分の経費」の区別がつかなくなってくるようで、あの当時、記憶に残る「なんじゃこれ?」は、制作部社員の「革靴購入費」だった。
ちゃんと摘要欄に「急に関西のクライアントのところに出張することになったため」と書いてあったが、でも、それは普段、スニーカーで出勤している自分の自己責任であって、てめーの革靴代を経費として申請してくるのにも驚いたが、経理としても、いつも税務調査で「公務員から見れば非常識」な経費をあれこれ説明するのにうんざりしていたので「これは、税務署が見たら納得しないでしょう?」とやんわりと言ったのだが「でも、急に関西に行けって言われて、いったん自宅に戻ってちゃんとした靴を履く時間がなかった。それに、いつもは革靴なんて履かないので、これは自分の私用では必要ないものだった。だから経費だ!」って言われてもね・・・・・・ま、結局、「わかりました。税務署にチェックされたら、また同じことを税務署の職員に説明してくださいねっ」としか言いようがなかったんだけど。
公私混同している奴らって、ほんと、悪気はないんだよね。彼らなりに。
テレビ番組制作もCM製作も、歴史が浅かったので、黎明期の社員が好き勝手してしまって、その後輩たちは「こういうもんなんだ」と仕事を覚えてしまったから、「黎明期も終わり、みんな相場がわかってきた」という当時も、ハチャメチャやった先輩に仕事を教わった後輩たちは時代の変化についていけなかったようだ。
いろんな逸話を聞いたもんな。昔は一流企業の社員だって海外旅行なんて滅多に行けなかったから、「海外ロケなので、これだけかかりました」って言われても「そんなもんなのかも」と思って、支払ってくれたようだが、私が就職したころは、「大学生でも卒業旅行で海外」っていう時代になったので、「宿泊費が○名で、この金額って、高くない?」って指摘できるようになっちゃったんだよ。海外ロケがあると、制作費によってたかって、新しいゴルフクラブを皆で買って帰った、って時代は終わったんだよ。
でも、そういう「公私混同」の時代が終わったときに、バブルになってしまったので、その後の時代の変換期がわからなかった人たちはかなり脱落してた。でも、私が働いていたときは、まだ残党が細々と残っていて「制作費を好き勝手使っていた黄金時代」の話を披露してくれたりして・・・・・地方ロケに行くとADに数万円渡して「ソープに行ってこい。なんでもいいから領収書は持って帰ってこい」なーんてやってたから、彼は絶大な信頼を集めていたらしい。
そうそう、私があの当時、気がついたのは、ある程度の地位を築いた人たちは、たしかにそれなりの現金を自由にできたが、それで私腹を肥やしていたわけでもなく、けっこうバラまいていたのだ。金をバラまく人のところには人が集まるが、自分でキープしてしまうような人は、すぐ「ケチ」という本性がバレ、スタッフにそっぽを向かれてしまう。
だから、裏金というのは潤滑油なわけで、だからこそ誰にも悪意がなかったのでタチが悪かったように思う。
そんなことを考えつつ、「沈まぬ太陽」を読み終えたのが午前2時であった。
9月10日(金)
今日は遅番シフトだったので、昼過ぎに出社したら、同僚K嬢が「あ、やっぱ家でメールチェックしてなかった?」「してないよ?」「残念でした」と言うので、なんだろうと思ったら、昨日で「早遅シフトは解除」とのメールが入っていたのだった。
非常事態宣言のレベルが下がったらしく、上司はさっそく沈没して今日は休んでいた。連続出勤記録は24日でストップしたらしい。まだ更新中の人が2名ほどいるけど。
だから、通勤途中の「朝の電車」ではなく、「昼」の電車だったが、お向かいの席に座った学生らしい男の子がローリング・ストーンズのあの「あっかんべー」マークのTシャツを着ていたので、「久しぶりに見たような気がする」と思っていたのだが、彼がカバーもつけずに堂々と読んでいたのが「ハリー・ポッター最新刊」(「不死鳥の騎士団」だったっけ?)だったことに、さらに意表をつかれた。
そういや、ついこの間も、少し混んだ電車の中で前に立っていた中年サラリーマンが洋書を読んでいたので、ふと目をやると、上部の見出しが「DOBBY'S なんちゃら」になっていたので「あ、ドビーのとこ読んでる・・・・たぶん、これは2巻目だな」とわかった。地道に読み進めているらしい姿に、思わず後ろから無言で応援の電波「がんばれ、おとうさん」を送ってしまった。
やっぱし、あれだけ売れていると、これだけ読んでいる人を目撃するってことだよな。
話は変わるが、前にも九段下のフレンチ料理屋で食べたあと、武道館でのライブが終わった客と合流してしまい、そのときには客の様子から「これは、洋楽の中堅女性ボーカル系かな?」という勘が働き、道で配っているチラシのラインナップから(その後、来日予定のやはり大物女性ボーカルのチラシだったが、誰だったか忘れた)から「アラニス・モリセットあたりか?」と思って家に帰って調べたらビンゴ!で「ほほほ、あたくしの観察力ったら」と喜んでいた。
そーいや、武道館からもほど近いオフィスで働いている友人T嬢の職場では、「今日の客は、まっくろ黒だ、なんだ?」なんて話題になるそうだが(Xとかの全盛期はゴス系が多かったからね)、T嬢がまだ新米だった当時、やはりそんな話になって、先輩が「そーいや、昔、タータンチェックの女の子たちがゾロゾロ歩いてて、『なんだこりゃ?』と思ったことがあったなあ」と言うので、Tさんが思わず「あ・・・・あたしもその中の一人でした・・・・・」と告白すると、先輩は「そうか・・・・あのときの女の子が、もう大学出て就職してんだ」と遠い目になったという。
ちなみに「タータンチェックの少女集団」を生み出したのは、かのベイ・シティ・ローラーズであった。
話が逸れたが、昨日、やはり帰りに群集に巻き込まれ、Uターンして半蔵門から地下鉄に乗ることにしたのだが、いったいなんのライブだったのか気になり、客層をチェックしたけど「これといって特徴がない」のである。20代前半の女性が多かったようだが、男性もほどよく混じっており、中には一人で歩いている男性もいて、つかみどころがなかった。そして、客たちがぶら下げている「グッズが入った袋」には「en」というロゴが入っていたのだが、そんなアーチスト知らないし、アーチストの写真も刷り込まれているのだが、それが男なのか女なのかもよくわからない。でも、どうやらグループではないようだ。
検索にはけっこう時間がかかった。「en」で検索すると全くヒットしないのだ。そりゃそうだ。
武道館とか9月9日とか、いろいろキーワードを足して、やっと見つかった。
とほほ、これでしたのよ〜ん。
そうだったのか。ハリポタと同じくらい「売れている」にも関わらず、「いったい誰が買ってるんだ?」と謎の多いビーズであるが、ああいう人たちが客だったのか・・・・そりゃ、私の目に触れないはずだわ。だって異様なほど「色」がないんだもん。渋谷の交差点で「特に特徴のない若者」をかき集めてきたような「善良な一般市民(の若手部門)」だった。
なんか、ニッポンの底力を垣間見たような気がしたよ。なんとなく。
また話は変わるが、いつもニッセイのお姉さん(オバチャンと呼ぶには、私とほとんど年齢が変わらない。前でどこに出しても恥かしくない「生保のオバチャン」が担当だったのだが、今年から担当が替わってしまって残念)が配りに来る「テレビガイドの短縮版」をパラパラと読んでいたら、ふと目にとまった記述があり、「でも、テレビガイドがこういうセリフを勝手に書くはずがないので、これは局のほうで流した記述をそのまま書いているだけだろう」と確信したので、大モトを探してみたら、やっぱし〜〜〜〜〜〜
「イギリスロック界の巨匠・ポール・ウェラーも登場」
「巨匠」はねーだろー。つーか、「ロック界」では「永遠の不良少年」という誉め言葉は存在しても「巨匠」という言葉はあまり使わないと思うのだが。巨匠っつうと、やっぱクラシックの指揮者(カラヤンとか小沢征二とか・・・・小沢はすでに「巨匠」といより「妖怪」と呼びたい)とかさ、せいぜい映画音楽の「巨匠」くらいかなあ。
ポール・マッカートニーだって、あまり「巨匠」とは呼ばれないと思うんだけどなあ。せいぜい、プログレ系だよね、使うとしたら、でもロバート・フリップ「御大」とはよく言うけど、「巨匠」とまではなかなか言いにくい。
つーわけで、なんでポールが「巨匠」呼ばわりされているのか、なにか英語の誤訳なのか・・・・・謎だ。
でも、Tさんのパンクスの妹さんが「ジョー兄貴は早死にしたが、ポールはきっと嫌味なジジイになる!」と八つ当たりしたいたそうだが、なんか「巨匠」呼ばわりされていると、早くも「嫌味なジジイ」が現実味をおびてくるよね。
でも、ソロ・コンサートはいつも「生真面目一本槍」でサービス精神に欠けていたポールだが、先日の「ロック・オデッセイ」に出演したときには、けっこうJAMの曲もやっていたそうで、「やっと年とって、サバけてきたかねえ」と、Tさんと話していたのだが、どうやら今のツアーではバックはミック・タルボットだそうで、私は思わず「だったら、JAMはいいから、スタカンやれよ!だったら行くよ!」と騒いだのだが、Tさん曰く「まあ、別れた嫁のこともあるから、それはちょっと・・・・」
●「九九の話」続編
たしかに、「7の段」は発音自体がアナウンサーの発声練習並に難しいのであるが、よくよく考えると、私の「九九」はけっこう変な操作をしている。「77しじゅうく」くらいは楽勝だが、「76・・・・・」が苦手で、かと言って「67・・・」もけっこう危ない。その「九九の危機」をどう乗り越えているかというと、「77しじゅうく」から7を引くか、「66さんじゅうろく」に6を足すのである。頭が悪いと、いろいろ苦労するが、工夫でなんとか乗り切っているのだ。
「89」も、素直に「しちじゅうに」と出てこないときがあって、でも、「99はちじゅういち」から9を引くのはエネルギー効率が悪いので、そっちはおおむね「88ろくじゅうし+8」が主流である。
「74」も「47」も苦手だなあ。それは「73にじゅういち+7」が近道。十の位を繰り上がらないほうが、負担が少ないのである。
そういえば、そういう「単純計算問題」を昔からうっかりミスで間違っていたので、ドリルの問題がダーーーっと並んでいるのは一番苦手だった。解き方はわかっているが、とにかく単純ミスをするし、なんか解いてても面白くなかったのだ。
小4のときのクラスメートに才色兼備な優等生がいて、彼女は当時、ほんとにキビキビと勉強ができた。小3の時の担任に「この子は伸びるから、塾に入れなさい」と親が面談のときに言われたらしく、当時はまだ個人塾が主流だった黎明期の「学習塾」に通っていた。けっこう性格がキツい子だったけど、その自信満々でハキハキした性格の彼女と「小学校低学年のときにはボンヤリしてて目立たなかったけど、小4になったらテストで高得点をはじき出し、『成績がいいから』という理由だけでクラス副委員にされてしまい、自分の境遇の変化にとまどっていた」私は、なんとなく仲良くなり、よく一緒に勉強、というか宿題をやっていた。
勝ち気な彼女は、そういう「単純計算」で絶対にミスをしない性格で、バリバリとこなしていたが、私はスピードも正解率も圧倒的に劣っていたのだが、逆に「A子さんが1000円を持って買い物に行きました。リンゴが1個50円で・・・・」という文章問題を数式に落として、ルルルと計算するのは好きだった。
「ミヤノちゃん、文章問題好きだよね」
「うん、でも、計算ミスばっかり。でも、ゆっくりやれば大丈夫。それに文章問題は、計算まちがうと答えが割り切れなくなって、間違いがわかるから好き」
「あたし、そういの苦手なんだよ・・・・・」
というわけで、夏休みの宿題のドリルを「計算問題」と「文章問題」を手分けして解くことにした。
すげえ、はかどったので、とても楽しかった。
私は、その彼女を「とても頭のいい人」として尊敬していたのだが、中学生になると「文章問題に強い」私のほうが成績よくなっちゃって、結局、偏差値的には私のほうが断然、上の学校に行ったということが、納得できなかったのだが、高校生のときに駅でバッタリ出くわし、久しぶりにおしゃべりしたのだが、彼女が高校で「新体操部」で活躍していることを知り、「やはり彼女はすごい。相変わらず美人だし」とホっとしたのであった。
私は、算数苦手だったわりには(九九も満足にできないわけだから)文章問題が得意なようであったが、社会人になって、一般人の「文章問題苦手」を確信したのは「出演料の源泉問題」である。
今では法人には免除されているが、当時は法人でも「出演料」などの報酬は「10%源泉徴収」であった。
それだけだったら、90万円振り込まれていたら「元は100万円」とすぐわかるが、消費税が導入されてからややこしいことになった。
100万円の報酬+消費税(当時)3%で3万円−源泉10万円=93万円
なのである。100万とか50万だと、元の数字がすぐにわかるようになるが、元の金額が「111,111」とかだとややこしいし、「54万円」などの場合も、すぐに元に金額が暗算できない。
私の仕事は、源泉を引いて出演料を支払う方であったから、別に問題はなかったが、関連で「芸能事務所」も持っており、そこのマネージャーはタレントの出演料が支払われる個人口座を管理していたので、いつも「この金額振り込まれたんですが、元の金額は?」と質問に来たのだ。
けっこう「出演料は相手におまかせ」の場合も多く、振り込まれてみないと金額がわからなかったりしたのである。
何度も説明したよ。「元の数字が100だと、それに3を足して10を引くから、振り込まれた金額は93になる。だから、どんな金額でも93で割って、100をかけると、元の数字になる」
そう言うと、マネージャーは、「はあ、なるほど」と言うのだが、またしばらくすると、「この金額の元の数字は?」と聞いてくるので、「ああ、基本的なことが頭に入ってないからだろうな」と思った。応用が全く効かないのだ。
もう少し賢い人は、私が教えた「とにかく93で割って、100をかける」という数式はメモってあるので、その通りに計算していたようだ。
社会人になってから、思ったことは「2次方程式くらいは、けっこう現実社会でも使う」ということである。
その源泉の計算でも
y=x3/100-x10/100
y=x93/100
100y=93x
100y/93=x
なので、元の数字xを導くにはy(振り込み金額)を93で割って100かければいいのである。
もっと数学的センスのある人だったら、こんな計算しなくてもいいようなことであるが(直感的にわかるよね)、私はそこまでやらないと確信できなかったので、他の人にも、その数式で説明したのだが、逆に「x、y」を出した時点で混乱させてしまったらしく「とにかく、なんだか、難しい計算しないといけないのね」と言う印象を植え付けてしまったらしい。
「消費税は内税計算」って時点で、頭の中が真っ白になる社会人が多いとう惨状にもよく出会った。
数学であれほど苦労したはずの自分が、「だから消費税込みで10万だったら、まずその数字を103で割って・・・」と一生懸命教えているのが、なんだかおかしかった。
そういうわけで、社会人になってやっと「自分はそれほど数学嫌いでもなかったんだな」と気がついたのである。
自分にわかる範囲で、いじくり回すのはけっこう好きだったのだ。
パソコン時代になって、他人から引きついたエクセルに面白い設定がされていると「あ、こりゃなんだ?」と一生懸命解明したもん。
エクセルに数式入れるときには、その人の「文章問題をいかに数式にするか?」という能力が試されるので、けっこう面白い。
中には引き継いだ書類の数式が途中まで間違っていたのを必死で修正して、最終的に辻褄が合うような「逸品」というか「珍品」に出くわすと喜びもひとしおだす。それを解読するのに3時間くらい、かかったりするのだが(笑)
でも最終的に「あ、ここで間違っていたから、ここのセルは手打ちになっていて(なぜ、計算式が入ってないのか、すごく悩んだ)後で無理やり直したんだ!」っていうのがわかると、まるで世界の七不思議の謎を解いたような「ゴッドな気分」になり、「そっか、最初、誰かが間違えてたんだね。わかった、気がつかなかったふりして、そのまま続けておいてあげるよ」と、辻褄合わせの謀略に荷担すると、ヨロコビも大きいのだが、九九も満足にそらんじれない私に「そっとしておいてあげよう」って言われてもね。
9月9日(木)
今日は「九九の日」だったりするのかな。ちなみに私は「7の段」を大変苦手としていていました。
掲示板にも思わず書いてしまったが、昨日は日記を書いたあと「沈まぬ太陽」の続きを読んでいて、とうとう「御巣鷹山編」に突入し、「わー、こりゃ、その昔、新聞記事で涙したエピソードの総集編だわ」と、気持ちよく泣いていたのだが、友達から電話が入り、「サッカーが、インドが、停電だ!」と騒ぐのでテレビをつけてみたら、「わー、ほんとだー」
もうインドったら、ほんとに期待以上のことやってくれるんだから(笑)
しばらく後半の試合を観ていたのだが、「心はもう御巣鷹山」だったので、ワインをチビチビ飲みながら、オンオンと泣き、涙と鼻水をティッシュで拭いながら御巣鷹山編を読み終えたのは、午前2時だった。
久々にいっぱい泣けて感激。
あの事故のときには、高校生だったので、かなり記憶も鮮明である。
お盆のときだったから夏休みだったわけだが、ちょうど夕飯時で家族でテレビ観ていたら、ニュース速報が入り「日航機が消息を絶った」ということで、「ありゃりゃ、事故かな」と心配していたら、やはりどうも墜落したらしいということになり、翌日から報道はそれ一色になったのをよく憶えている。
あと、「犠牲者520人」というのが、どれだけ多いということか・・・・・というのを実感したのが、うちの家族の関係者にも犠牲者がいたということである。
父の会社の同僚の妹さんがお子さんと共に犠牲者に含まれていたのだ。その妹さんは、元関取の奥様だったので、うちの父もそのツテで何回か桝席をとっていただいて、相撲を観にいっていた。(その度に、「お父さんテレビに映らないかな」と家族で相撲を観ていたが、一度も目撃できなかった)だから、それなりに親しい同僚だったのだろう、その葬儀には父も参列していた。
まあ、私にはあまり関係がなかったが、いつもけっこういい席をとってもらっていたらしく、うちの家族は父のいないときに「もう、お父さん、桝席とってもらえないんだね」と話していた。
数年後、私がテレビ番組制作会社で勤め始めたとき、私の上司とも仲良しで、CMの仕事でスタイリストをお願いしていた女性の旦那さんも、犠牲者の一人だったことを知り(九ちゃんのマネージャーさんだったそうだ)、「やっぱ、500人もいると・・・」と再び実感した。
ちなみにその会社は、その昔、向田邦子さんのマネージメントをしており、向田さんが台湾の航空機事故で亡くなったときに記者会見したらしい。そのときまだ若かったプロデューサーは、急なことで平服というかTシャツ姿で会見することになり、あとで「あの服装はちょっと・・・・」と各方面から言われてしまったので「あれからオレは、スーツで出勤するようにしたんだ・・・・いつ、なにが起こるかわかんないからな」と言っていた。
ま、そんなわけで、「御巣鷹山編」で夜中に号泣していたので、朝起きたら、しっかり目が腫れあがっていたのだが、それが泣いたせいなのか、読書のお供だったワインの飲みすぎだったのかは、よくわからない。
9月8日(水)
「おねげーだから、あんたら早く休みとってくれよ〜ん」な上司達に囲まれ、精神的に疲れるオフィスライフを楽しんでおりますが、直属の上司O部長は連続23日間を達成した今日、さらに変になっていて、全然おもしろくないところで「ぎゃはははは」と大声で笑うようになっていた。
他の部署の人が、O部長にちょっとした相談をしたら、O氏がそういう反応をしたので、相手はちょっとひるんでいたが、優秀な部下のアタクシは「Oさん、過労で壊れてますから、気にしないでください」と明るくフォロー。
でも、O部長は正しいよ。だからやっぱり好き。
人間、とことんまで追い詰められると、最後には笑っちゃうのだ。本人も「もう、なんか、どーでもよくなってきたな」と、あっかるく笑っていたが、傍から見ても「その疲労困憊状態で、あれこれ考えても時間の無駄だろう」と思えるので、そういうときには、変に真面目にやるよりも笑っちゃうほういいと思う。
「沈まぬ太陽」の主人公も見習ってほしい。人生に必要なのは「笑っちゃうこと」なんだよ。なぜ、それがわからん!
なんか、ここんとこ日記も愚痴愚痴しているので、もっと楽しいことを書きたいな。
別に、それほど苦悩しているわけでもないが・・・・・・
ええと、最近あった楽しいことと言えば・・・・・・考え中・・・・・・
あ、そうそう、お金の管理が苦手な社員がいて、以前は私が彼をネチネチ責めていたのだが、今年からその部署に「お金にわりと細かい課長」が配属されて、さっそく彼の「いいかげんさ」を責めはじめたので、「その分野では高い能力を持っているが、金勘定が非常に苦手」なK氏が、かなりナーバスになっていたので、私は急遽「フォロー役」にまわることになった。
なので、なるべくK氏と雑談して、気分よく仕事してもらえるよう配慮しているのだが(まあ、私が「カツ丼刑事」の役を勝手にやっているだけですが)、K氏が先日、健康診断の結果が出たらしく、
「おネエ(彼は私より10歳くらい年上だが、なぜかアネさん呼ばわり)、オレさあ、健康診断の尿検査でひっかかっちゃったんだけど、それってどこが悪いのかなあ?」
と話し掛けてきたので、
「・・・・・・頭?・・・じゃない?」
ベタベタな定番ギャグだが、K氏はしばし沈黙したあと、ゲラゲラ笑い出し「あんた、うまいね〜〜〜」と、ウケてくれたので、とてもうれしかったです。
なんか、そんなことで喜んでいる自分が悲しくなってきた。
ええと、他に楽しかったことと言えば・・・・
「楽しい」というとちょっと違うが、今日、昼前にトイレに行こうとしたら、「あ、生理用品を家に置いてきちゃった」ことに気がつき、あわてて近所のドラッグストアに買いに行った。そしたら、遅めの出社をしてきたハイジと会社の玄関で出くわし、彼は私の持っているスーパー袋に目をやると、
「あ、昼飯っすか?」
「・・・・・・・ちがいます」
レジのバイト経験があれば、スーパー袋の中に紙袋が入っているのを見ただけで察しがつきそうなものであるが(意味のわからない男性諸君のために解説しておくと、どういう業態の小売店であっても「生理用品」は紙袋に入れてからビニル袋に入れるというのがマニュアルになっている。外から「それ」とわからないためらしい。避妊具とかもそうしてるはず)どうやら、そこまで観察眼が鋭くなかったらしい。やんちゃなハイジらしい、エピソードである。でも、彼は、先日、外向けの仕事のチーフを任され、目下「ブチブチ文句言いながら邁進中」なので機嫌がよいので助かる。
人のことをあれこれ言うのもなんだが、ハイジは今週末やっと引越しをするのだが、その手伝いにクララや他部署の「気の置けない後輩」を配置したらしい。私は、会社の人に引越しの手伝いさせるなんて、ぜったいにゴメンだと思うが、そういう意味でも、ハイジは「メンタル的に遠い人」であるので、観察してるとオモろいなあ。彼は、それなりに神経質な人だと思うのだが、私とは神経使う部位が全く異なるようだ。たぶん、向こうから私を見れば、やはりそうなんだろう。
●ウオノメぱっち、その後
「2、3日貼ったほうが効果が高い」と書いてあったので、我慢して貼りつづけていたが、ときどき患部に「じわり」となにか気配を感じたので「いったい、どうなっているのだろう?」と興味しんしんだったのだが、とうとうさっき剥がしてみた。
わーーーー、なんか目玉焼きみたいになってるぅ〜〜〜〜〜
ウオノメの「目」が核になって、周囲が真っ白く変色し、固くなっている。
益々、立派な「ウオノメ」に成長したような気がするが、これは今後、どうなっていくのであろうか。ボロっととれたりするのかなあ?ぐふふふふ(嬉しいらしい)
「ウオノメ」が出来たのも初めてであるので、なんだか嬉しい。
昔、友達が飼育していた「ウオノメ」を見せてもらったときに、その立派な姿に感動したものだ。
「わーーー、ウオノメって、ほんとに魚の目なんだ!」
その昔、小学生のころ、朝の出席をとるときに「体育見学」などの「体調不良」を持った生徒は「風邪です」などと先生に申告したのだが、クラスにオチャメな男子生徒がいて、先生が名前を呼ぶと「ウオノメです」とハキハキ返事して、毎回笑いを誘っていた。彼は2週間くらいずっと、「ウオノメです」で通したのであった。
そんなわけで、やっと憧れの「うおのめ」を持つことができて、大変よろこんでいるのでありました。
9月7日(火)
いつもは10時に規則正しく出勤しているのであるが、(いくらフレックスと言っても、いつ来るのかわからない総務や経理ってちょっとなあ、と思うし、実際、少し寝坊したときに限って、他の経理社員も来ておらず、「早く仮払いくださ〜い」と涙目の他部署の社員が待っていたりすることもあるし)、今週は「早番・遅番」のシフトが一週間ぶりに組まれたので、久々に午後出社。
いつもだと万年「自主遅番」(てゆーか、総務には遅番は不要なのだが・・・・)のMさんが、そういうときに限って「今日は用事があるから」というので、私が名乗りをあげたのである。
前に、午後1時〜夜9時という事務仕事(怪しい健康グッズの販売会社だった)をしていた友人が「朝ゆっくりできるし、その気になれば買い物とかも午前中に済ませられるかと思ったけど・・・・」
結局、毎日、朝11時ごろ起きて、ブランチをとってから出勤し、夜は結局残業で終電になり、「平日はなんにもできないことに気がついた」そうで、1年も勤めずに、「やっぱ9時5時がいいや」と派遣社員に登録して、普通のオフィスで働いていた。
たまにだと、午後出社も「朝、ゆっくり寝られる」のでいいのだが、出社すると、周りは全員「きっぱり目が覚めている」のであるが、一人だけ「これからエンジンかけます」ってかんじになるので、慣れればマイペースでいいんだろうけど、いつもは9時半〜契約の派遣社員の次に出勤するのが私で、後からバラバラと出勤してくる人たちに「○○から電話があったよ」とか「○○の件、午前中に処理しておいてね」と、まだエンジンかかってない人たちに指令を出したりしている方なので、反対の立場になると、なんか調子が出ない。
それに、いつもだと「もう3時か、あと3時間だ」と思うのに、「もう3時か・・・・そりゃそうだ」と、ソフトな時差ぼけになってしまうので、ほんとに調子が狂う。
逆に明日は9時出社の早番なので、時間の経つのが早く感じられるだろう。
そんで、せっかく遅番を張ったが、(最近は「番をハる」って言葉は死語かね?)予想というか恐れられていた苦情電話等は皆無で、と言っても、総務の電話番任務マニュアルは「待機しているYさんに電話を回す」ということだけで、いったいどのような電話がなぜかかってくるのか全くわかっていないのだが、でも大変なのは今週一杯「対応よろしく」を任命されてしまった隣の部の課長のYさんで、今日もちょっとその件での話になったら、Yさんもちょっとビビっていたが、「でも、たぶん、こっちには電話ないですよ。対策本部の電話が鳴り止まなかったあの最中でも、こっちには1件しかなかったもん」(私がとっちゃった「社長出せ」電話。通称「ダセダセ電話」である)と、なぐさめた。んだけど、ついでに「でも、総務はとにかくYさんに電話回すようにしか言われてないんで(笑)」と言うと、
Y 「まあ、あと、T部長やO部長も応対してくれるはずだから・・・・」
私 「でも、いないじゃないですか、二人とも(笑←あたしは、し〜らない、っていう極上の笑顔を添付)」
部長クラスが、こっちに詰めていられないから、Yさんが指名されているのである。お気の毒様としかいいようがない。
ま、そんな、サラリーマン社会の厳しさ、なのかどうなのかよーわからんが、どうやら、今週乗り切れれば、やっと部長連中も通常業務に戻れそうな雰囲気なのであるが、そんな中で、地道に読み進んでいるのが「沈まぬ太陽」である。
文庫だと5巻もあるのだが、そんなに密度は濃くないので(でも濃そうに見えるのが、山崎豊子の技なんだと感心)通勤電車で読んでるだけで、あっというまに2巻突入。
1巻の途中(今朝の電車)で、やっとこういう「企業小説」の読み方がわかってきた。
要するに、「小公女」や「キャンディ・キャンディ」と同じなのである。
うちの堅物の父が、ウルウルしながら「キャンディ・キャンディ」を読みふけっていたわけがやっとわかったよ。オジサンも、こういう話は大好きなんだ。
それにしても「キャンディ・キャンディ」も、その手の王道だったから、主人公に次から次へと試練が待ち受けていたが、「沈まぬ太陽」もすごいね。カラチの次はテヘランかよ。(ちなみにキャンディはメキシコ送りになるところだった)
でも、ひょっとして、パーレビ国王が戻ってきた直後のイランに行ったからには「イラン革命」も出てくるのかなあ。ひょっとして、うちの父ちゃんが乗った「帰国者を迎えに行ったナショナル・フラッグ航空機」も出てくるのかなあ。と、乞うご期待である。
うん、私はよく憶えているよ。あの頃、海外で紛争があったとき、ヨーロッパ各国のナショナル・フラッグ航空はそそくさと自国民を乗せて引き上げていくのに、日本はそういうの用意するのが滅茶苦茶遅くて、朝日新聞とかに叩かれていたのを。
あと、ご婦人たちの「・・・・ですわ」なんて会話口調も最初はとっつきにくかったが、「薔薇と牡丹」だと思えば、どうってことないようだ。
ま、要するに「企業小説」って、「お父さんのための昼メロ」なわけね。とにかく根が「少女小説」らしいので、こういうものは、「ああ、せっかくバレエの主役に選ばれたのに・・・・骨折しちゃって、松葉杖・・・・くすん」という世界観にのっとって、うっとりとその「ウソくさい世界」の美学に身を任せられるかが勝負なわけで、物語に身を任せるのは得意なので、たぶん最後まで読めると思う。
そーいや、その昔、ちょっと関わった仕事で、とある大企業の仕事だったのだが、それが大したことじゃないのに遅々として進まず「いったい、どうなってんの、あれは?」と担当者を問い詰めたら・・・・・
「なんか、副社長派と専務派が・・・」どうのこうので、こっちは単なる孫受けであるのだが、要は今まで紙媒体で作っていたものをデータ化するだけの仕事だったのだが、その仕事を発注したのが専務派で、子受けしたのは専務の親戚の会社らしく、そのデータを持っている部署の責任者が副社長派だったため、データをすんなり渡してくれなかったらしい。
うちの担当者がそんな言い訳をするので、私は思わず「なんじゃそりゃ、高杉良の小説みたいな話じゃん!」と言ってしまったのだが、実は、高杉良の本なんて読んだこともなく、ただ、前に勤めていた会社のワンマン社長がモデルになった小説が出たらしく、そこの幹部社員の間で回し読みされていたので、ちょっと興味を示したのだが「あなたは読まなくていい」と言われてしまったので、そこまで言われると内容が知りたくなり、本屋で立ち読みしてみたら・・・・・
たしかに、「誰がこんな話をもらしたのか?」っていうほど、細部のエピソードは、かなり書き込まれていたのだが(よく取材してるなあ、と感心した。まあ、ある程度、その社長と関わりを持つ人物で、面白い部分だけ語れば、ああいうものになるのかもしれない)、でもなにせ「企業小説」であるから、うちの社長がひたすら「黒幕」に描かれており、「いや、そこまで持ち上げていただいて、その下で働く身としては大変うれしいのですが、そんな大物ではありません」と思った。
そりゃ、政財界とはある程度癒着はあったが、そんなご大層な世界でもなかったのだ。(影で動く金も桁一つか二つ下だった。わりと渋チンなんだってばさ)
あれは「芸能界のドン」のお話だったが、私が実情を知っている数十倍「カッコよく」描かれていたので、他の企業ものでも似たような脚色がなされているだろう。もー、私に取材してもらえれば、黒幕たちの、もっと「とほほ」な一面ばかりのエピソードをたくさん、た〜くさん教えてあげたになあ。
という経験を踏まえているので、企業小説は「だいたい8割引き」で読む癖がついてしまったような気がする。
まあ、普通のサラリーマンでも、ある程度、裏を知ってしまうと「わりと町内会的なトホホで動いているな」ということに気がついているはずで、その町内会レベルのことを「巨悪」として描いてもらえると、けっこううれしいのかもしれない。
日本海を台風が通過しているらしく、また東京が少し「強風」に見舞われている。風がゴーゴーと煩い。
9月6日(月)
眠い。
会社のほうは、ちょっと新展開があったのだが、でもなんかね。
相変わらず、雰囲気が妙なので、疲れる。
今日、自分が行った重大なことは、「うおのめパッチ」を買ったことだ。
ずっと足の指にできた「うおのめ」が気になっていたのだが、命に別状のあるものでもないため、ずっと放置していたんだけど、やっと今日、会社帰りに思い出して、買うことができた。
あと、7月の末くらいから、歯の付け根が痛いところがあって、歯を磨くたびに「ぎゃっ」と思うのだが、それもなんとかしないとなあ。
でも、もう十数年も歯医者に行っていないので、「うーん、どの歯医者にすればいいのだろう」と考えているうちに、機会を逸している。
一番いいのは、会社の近所の歯医者すれば、仕事をちょっと抜けていけるので、予約もとりやすいのだが、前にハイジが「おやひらずがいたい」と騒ぎ出したときに行った近所の歯医者は「ああ、こりゃひどい・・・・じゃあ、1ヶ月で親知らず4本全部抜きましょう」という診断を下したらしく、ハイジはしばらくドップリ落ち込んでいたが、みんなで「一月で全部は大変だし、それに、いまどきの歯医者は、そう簡単には親知らず抜かないよ?セカンド・オピニオンが必要なんじゃない?」と意見していたのだが、結局、親知らずの痛みは、体調不良から起こったらしく(ありがち)、その翌週には歯の痛みがなくなったので、ハイジは慌ててて予約を取り消していたのだった。
それで、私もその歯医者に行く気がしなくなったのだ。
とりあえず、「うおのめパッチ」で、うおのめがキレイに治ったら、次は歯の治療だな。とか、のんびり構えているうちに、痛くて耐えられなくなって、会社の近所の歯医者にかけこむことになるかも。
話は変わるが、読む本がなくて、やっと2年ほど前、部署が異動になった人が机の整理をしてたときに「捨てようと思ったけど、読みたい人がいたらあげる」と言っていたので、もらった「沈まぬ太陽」を今ごろ読みはじめた。
山崎豊子の本をちゃんと読むのもはじめてだが、「沈まぬ太陽」を読んでしまうと、恐ろしくてしばらく飛行機に乗る気がしないとは聞いていたけど、(ということは、ただでさえ医者に行くのを面倒がる私は「白い巨塔」など読んではいけないような気がした)、それよりも、冒頭がいきなり「象ハンティング」で始まったので、「げえええ、象を狩るような人が主人公の小説なんて、読みとおせるかしら」と、ひるんだが、他に読む本なかったので我慢して読み進めるうちに、「日本史上初の航空会社のストライキ」のくだりに入った。
ちょうど、プロ野球のストがどうの、とニュースでやっていたので、「タイムリーだわ」と思っただけです。
「沈まぬ太陽」の労使交渉も、そうとうエゲツないが、ニュースみながら「ああ、古田もこんな駆け引きしているかしら、うるうる」とちょっと同情してしまった。
それに「沈まぬ太陽」は、たしかにサラリーマン受けする本なので、サラリーマン度が高くなっているけど、しょせん「おきラクOL」な自分にとっては「いい娯楽」になる可能性もあったが、「20日以上連続出勤中」の上司達の顔色を心配しつつ仕事している現在、こういうの読んでても、あんまし楽しくないな。(楽しい小説じゃないのは、わかっていたが)
なんか、もはや「時代小説」みたいだしな。登場人物が真面目すぎて、笑いがないし。
それに、中盤で御巣鷹山だしょ?
でも、「女が出てこない島耕作」ともいえるのだが(私はわりと・・・・いや、けっこう島耕作の愛読者である。今でもときどき立ち読みしているくらい)、でも「沈まぬ太陽」もそのうち沢山コマしてくれるのかもしれない。
それにしても、やっぱし「ダヴィンチ・コード」でも買えばよかったかしら。でも書評みると「薔薇の名前」みたいっぽいしな。ああいうのも、それなりに気力がないと読めないのよねえ。読めば絶対に面白いんだけど。
さて、眠くなってきたから早寝しよう。明日からまた、なぜか早番、遅番とりまぜシフトなのら。
どうもまた、「問い合わせの電話」が、かかってくる可能性があるらしいのだが、「そういう電話があったら、対応する担当者に回してください」ってだけで、なぜ、問い合わせが来る可能性があるのかの説明がないのだが・・・・・まあ、いいや。あまり深く考えてもしょうがないし、上司たちも、いっぱいいっぱいなのはわかるので、大人しく従っておいて、あとでほとぼりが冷めたら、たっぷり文句言おうっと。(酒飲んでいるときにね。あたしってやっぱ優しい・・・・・というか、気が弱いな)
9月5日(日)
金曜日の夜は、飲み会に声をかけていただいたので(また残業になるか、ハラハラしたが6時半には帰れた)ノコノコ参上して、結局また2次会まで居残り、始発まで飲んでいたのであった。途中で寝てしまった人多数(というか過半数か、3/5人)で、意識のあった2名でなぜか「ムツゴロウの裏話」をしていたのであった。
なんか久々に正しい「夜明けの酒場な会話」をしたような気がする。
そんなわけで、土曜日は朝寝て、ふと気がつくとお昼で、でも天気わりぃし、また寝て、ふと気がつくとなんかカミナリが光ってて、「ちぇ、買出しにもいけねーな」というわけで、ろくな栄養補給もせずに、わずかに残った(と言ってもボトル1/3はあったが)ショーコー酒を水割りにして飢えをしのぎつつ「ブーンドッグス」と「映画欠席裁判」を交互に読むという、ウェイン町山どっぷりの素敵な週末であったが、9時くらいになったらまた眠くなってきたので、眠ったのだが、なんか肌寒いけど寝汗をかく自分に気がつき「あたし、どっか悪いのか?それとも飲みすぎで蓄えた水分をジャンジャンバリバリ放出しているのか?」と午前3時にシャツを替えたが、また明け方目が覚めると汗でぐっしょり。でも、やはり暑いかっていうと、そうでもなくて、タオルケット掛けなおして、体温をキープ。
んなわけで、結局、浅い睡眠ながらも7時までしっかり寝て、今日は出勤。他の社員はイベントに出かけているのだが、私はいつもの「謎の会社待機」
なにが謎かって、別にいなくても構わないような気がするから。緊急事態でもなければ用はない。そして、今までも沢山「会社待機」を命ぜられているが、一度も「緊急事態」が起きたことはないし、いったいどういう「緊急事態」があると、私に用ができるのか想像もできない。
携帯電話が無かったころは、「本部待機」って意味もあったんだろうけど、今はなんかあると社員同士で連絡とれちゃうからね。
それはいいとしても、今朝は普通に起きたので、普通にテレビつけながら朝の支度をしていたら「うあ、ロシアの学校占拠事件、こうなったんだ」
昨日1日、テレビも新聞も見なかったので、知らなかったのだ。まあ、リアルタイムで知ってたからって、だからなんだ、って話だが、でも予想していた通りの結末っていうか、いつのまにか人質の数が何倍かに増えており、朝からどよ〜んとなる。
なんかねー、チェチェン武装勢力のキモチもわからなくはないが、やはり被害者の多くが子供というのが、なんとも悲しい。池田小学校に宅間被告が乱入したときも「ああ、こりゃ、一生トラウマになるだろうなあ」と同情したが、やっぱり学校は襲っちゃいかんよ。
早いとこドクター中松に「永久電池」だか「水力電池」でもなんでもいいけど、「石油なんて要りませんよ〜ん」な技術を開発してもらって、石油利権の絡む土地の紛争を解除してほしいもんだが、そうなると、そうなればで・・・・なのか・・・な。
まあ、とにかく、自分が飲んだくれていたときに、3日間水の飲めずにいたお子様たちが、半裸で抱え込まれている映像を見ると「すいません、すいません」なキモチになるので、今日はちゃんと洗濯します。(全然、反省してないじゃん)
子供といえば、今日の帰りの乗り換え駅で、久々に超音波を発信する子供を見た。
週末の夕方になると「行楽地に出かけたのはいいが、ぐったり疲れている親子」が多くなるが、疲れて不機嫌になった3歳くらいの女の子が「ほら、歩かないなら、置いてくわよ」とお母さんに言われても、ガンとして動こうとせず「じゃあねえ」とお母さんがスタスタと歩きはじめると「きぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」というすごい悲鳴をあげた。
最近、あまりそういう「大声を張り上げる子供」が少なくなったように思う。電車の中でも、泣きっぱなしの赤ん坊を見ることはめったにない。
その子が超音波攻撃を敢行した場所が、地下鉄の切符売り場付近だったので、悲鳴が反響して、通りすがりの人たちも「お?やってるな?」と注目したのだが、子供のああいう超音波攻撃って、ジャングルで猿だったころは、身の危険から守るための技だったのかもしれないけど、現代においては「身の危険」というよりも、「親に恥をかかせて、自分の思い通りにさせる」というのを子供もわかっているような気がしなくもないが(実際、その子のお母さんは、慌てて踵を返して、その子を抱えて退散した)でも、5分前のことは忘れるようになっても、幼少時の記憶はしぶとく忘れない私は、よーく覚えている。
自分も「自分の力では、どうしようもない事態」が起こったときの「最終兵器」として、よくあんな悲鳴をあげた。「こうすれば、誰かがなんとかしてくれる」と信じていたので、実は核ミサイルのボタンを押す大統領と同じくらい冷静だったと思う。(って、どういう例えよ)
記憶に残る超音波攻撃は、近所のスーパーで親とはぐれたときだった。たしか3歳くらい。まだ、一人で家に帰れるほど賢くなかったし、店員を探すような知恵もなかったから、「とにかく、ここは大騒ぎしないと、助けてもらえないだろう」と冷静に判断して、「おがーーーーざーーーーーーーん びいいいいいいいいいいいいい」と泣き叫んだら、すぐに店員が捕獲してくれて、店内放送で呼び出され(実は密かに「迷子のお知らせ」にあこがれていたので、目の前で自分の名前が呼び出されるのを見て大変満足した)、母親が恥かしそうに迎えに来たのを憶えている。
あと、幼稚園のとき、近所の友人らに「いじめ」られたとき。あれは完全にイバった私が悪かったのだが、思ったほど主導権をとれず、みなに「じゃあ、もうミヤノちゃんとは遊ばない」とそっぽを向かれたときに、どう対処していいのかわからなかったので、全身の力を振り絞って泣いたら、大人が皆、私の見方についてくれたので「よーし」と思ったのであった。
何が言いたいかというと「子供がビービー泣いているのは、幸せな光景なのだ」ということだ。
子供はバカだけど、実はけっこう策略家なので、「周りに助けてくれそうな人が誰もいない所」では、転んでも泣かない。「あら、ボク、大丈夫?」と言う人がいて、はじめて「びいいいいい」と泣くのである。
なので、ロシアの学校占拠事件で救出される子供の映像で、泣いている子がほとんどいなくて、皆、硬直して無表情なのがとても悲しかった。
話は変わるが、先週、プロモも公開されたけど、宇多田ヒカルが全米デビューするとかで(前から言われていたけど、やっとね)「Utada」という名前で出すらしい。
ワイドショーでは「アメリカ戦略」と言われてたけど、あれって、ほんとにアメリカで売るつもりなんだろうか?
なーんかアメリカ向けっぽいものを結局、日本で売るようにしか思えないんだけどな。
どう考えても「女子十二楽房」のほうが見込みがありそう。
サトエリがアニメ・コスプレ路線で売ったほうが、まだ売れるのではないだろうか?
そもそも、アメリカ向けの曲、アメリカ向けの大人っぽいプロモ、といわれると、別に宇多田ヒカルを評価してない自分でも「なんだ、そりゃ?」と自分がバカにされたように思うのだが、それでいいんですかね?
外国に行って、ホテルでテレビつけると「どらえもん」とか、そのまんま吹き替えで放送されてて、「ふーん」と思いますが、「どらえもん」くらいならまだしも、私が観てないようなアニメでも放送されてたりすると、「日本アニメ、ほんとーに売れてるんだな」と感心しますが、「どらえもん」がアメコミ仕様になっていたら「なんじゃ、こりゃ?」と戸惑うと思います。(と、いいつつ、アメコミ仕様の「ドラえもん」が想像できないけど、でも、たしか、実際、アメコミちっくなドラえもんというのは、わりとネタになっていたような気がしなくもない。筋肉モリモリのスーパーヒーローなドラえもん)
音楽でも、海外向けにジャケット替えるっていうのはよくあるし(今はあんましないけど、その昔は洋楽も日本国内向けはアイドルちっくなものになっていたりした)、多少、曲順を替えるくらいはわかるけど、外国向けにガラリとイメージ替えるってのは、どーなんだろう?(まあ、そんなに変わっているわけでもないんだけど)
車みたいに、国内向けと海外向けでは仕様が違うというか、ニーズが違うのはわかるけど、音楽だと「国内と海外じゃ、別のもの」っていう戦略は、なんか、そもそも「音楽も所詮、商品です」っていう「本当のこと」を堂々と言っているようで、その開き直りは潔いとも思うが、なんかね。
音楽は商品ではなくて、「ゲイじゅつだ」と思っている自分のほうが古臭いのかしらん、なんてちょっと考えちゃいました。
まあ、くどいようだけど、「宇多田ヒカル」をあれだけ支持している日本国民の感性がなんか知らんが否定されているような気がしなくもないが、否定されているのは、私ではないので、別にどーでもいいのですが、私が支持しているミュージシャンが「外国向けでっす」と全く別なもの出したら、私は怒るんだけどな。でも、今までそういう事態が起きたことがないので、なんとも言いようがないが。
音楽といえば、モグワイが10月に恵比寿リキッドルームでやるが、朝霧ジャムにも出演決定ということで「うーむ、やぱ野外で聴きたいかも」と悩んでいたのだが、どうもやはり、恵比寿リキッドで公演するフェイスレスも朝霧出演決定らしい。うーん、渋いぞ、朝霧。(フジロックと同じ、スマッシュ主催)
うーむ、どっちもお手軽な恵比寿で済ますか、こうなったらまたテント背負って朝霧に行くか、悩んでいるうちに、どっちもチケット売り切れて、「ま、いっか」なことになるほうに100ルピー。(「モグワイ」も「フェイスレス」もどうしても絶対、観たいというわけでもないあたりが微妙)
あと、自分の誕生日のころ、ファット・ボーイ・スリム君も来日するのであるが、そっちも微妙。
と言いつつも、自分の会社の行く末も不明瞭な今日このごろ(今日もまた、私はハイジに一つ、ウソをついた。あの件の正式発表はどうなるのだ?ハイジはウソの発表で納得してたけど、ほんとにそうなのかわからない)、そのあたりが解決して、「くっそ〜〜〜〜〜、大人って汚い、もーやってられっか!」と爆発すると、「行きたいものには全部行って踊り狂ってやる」という無謀な行為をする可能性もまだ残っているが、もはやそんな「理由ある反抗」をする気力も体力もあまりなく、結局「ま、いっか」で済ませそうな自分がファックだが、ファックといえば、今日、三茶を歩いていたら、種類の違う小型犬を3匹(シーズー、パピオン、ミニチュアダックス)散歩させてるご婦人がいて、その後ろ姿といったら、もー、劣情をそそるというか、3匹がもー、モロ、モンローウォークで、お尻の振り方がもーたまらん状態で、後ろで「でへへ」とヨダレたらしながら歩いていたら、前方からトイ・プードルを散歩されてるご婦人がやってきて、それで小型犬が4匹集まってしまったわけで、周囲でその光景を目の当たりにしてしまった人が全員「でへへ」状態になったのが、すばらしかった。
小さき美しいものたちに「でへへ」とだらしない笑顔を向けられる世の中は平和でいいよな。
ロシアの学校占拠でも、救出された半裸の美少年、美少女(なにせ、テニスのシャラポワの産地ですし。全米オープンでシャラポワは負けちゃったけど)は、それなりにソソるもののはずなのに・・・・それに涙していることは、不幸なことだ。やはりロシア系美少女には「あんた、今は光り輝いてるけど、25歳過ぎたら、どーせデブデブおばさんに、なるんでしょ?ほほほほほ〜」と思わせていただかんと。
だから、ロシア系美少女にはトラウマとは無縁の「デブおばさんへの道」と順当に歩んでいただかないと、「一生、美少女とは呼ばれない」私のような人間には・・・・ああ、何が言いたいのかよくわからない!!!!
9月2日(木)
ブチ抜き出勤が2週間以上続いている上司は、だんだん頭の動きが鈍くなっているようで、昨日あたりから「あの書類しまってもらったっけ?」「オレ、机の引出しに鍵かけたっけ?」と頻繁に外から電話をしてくるようになり、今日は別件で外出していたのに、気がつくと机の上に名刺入れが置いてあり「ごあいさつに行ったのに、名刺忘れてるわ〜」
帰ってきてから「名刺忘れて大丈夫だったんですか?」と聞いたら、笑いながら「ダメ。慌てたよ」
もう、いいかげんに休ませないとヤバいと思うのだが、なんとか土曜日に休める予定にはなったようだ。
他の幹部社員も同じような状況で、私の上司はわかりやすい性格なので、「明らかにダメダメ」になっているけど、他の部長もそれぞれダメっぽい。
昨日の夕方、とあるお客さんから電話があって、私もよく知っているお客さんだったのだが、「あの〜、ゴルフコンペ、どうしましょう?」
会社がゴタゴタする直前にも電話があって、「コンペにどなたが参加するか、まだお返事いただいてないのですが」と言われたので、それも私が上司に伝えて、すぐ返事出すように伝えていたので、T部長とK部長が参加することになっていたそうなのだが、先方も、こっちがゴタゴタしているのをご存知なので「そろそろ、組み合わせを作るのですが、ご出席のほう・・・・いかがでしょうか?一応、ご確認いただきたいのですが・・・」と私に確認してきたのだ。
コンペは来週なので、どう考えたって、今ドタバタしている部長2名が行けるわけもないし、そんなもんに行っている暇があったら休んだほうがいいに決まっているので、
「たぶん、欠席させていただくことになるとは思いますが、念のためTに確認してからご連絡いたします」
と、その場は返事して、T部長が戻ってきたときに「お忙しいところすいませんが、別件で・・・・・」と、コンペの出欠確認が入った旨を伝えると、
「ああ、そうか、来週か、ははははは」
「たぶん、無理ではないか、とはお伝えしましたが・・・・」
「じゃあ、Kとも相談してみるよ」
「向こうも日にちが迫っているので、お急ぎのようですが、こちらの事情もわかっているので、言いにくそうでした」
で、今日の午前中、「昨日の件は?」と確認すると、ちょうど私の上司(総務部長)も目の前にいたので「どうしようか、ねえ?」なんて話していて、総務部長のほうは「いっそのこと、行っちゃえば?」なんて言っていたが、すでに総務部長の頭が「正常ではない」ことを私はわかっているので、その様子を見て少しだけハラハラしていた。
午後になると、またお客さんから「まだ、お返事いただいてないのですが」
げ、また忘れてやがるな、もー、どいつもこいつも、頭がボーっとしてるからよ〜〜〜、向こうだって急いでいるのに、どうせ欠席に決まってるんだから、早く返事してあげよーよー、と思いつつ、またT部長が席に戻ってきたときに、「また、電話があったんですけどぉ」と言うと「うーん」と笑っているので、「先方もこちらの事情はよくご存知なので、欠席でかまわないんじゃないですか?」と言ったのだが、「うーん、でも、外とのお付き合いは通常通りこなしたいしなあ」とわけわかんないことを言う。
向こうはT部長が忙しいのをよくわかっていて、でも確認しないといけないから、申し訳なさそうに何度も電話をかけてきているのだ。その時点ですでに「通常通りのお付き合い」をしていない。
それに、私はわかっているけど、そのお客さんが定期的に開催しているコンペは、そりゃ多少は「異業種交流会」にはなっているので大事なお付き合いだが、でも、それほど大事な得意先が入っているわけでもないし、「近所付き合い」程度のもんだ。ご近所だけに、他のメンバーもうちの会社がドタバタしていることを知っているはずで、逆にこんな最中に幹部社員がのこのことゴルフに出かけるほうが変である。
夕方6時前になって、また電話がかかってきたので、私も「ご迷惑おかけしてすいません」と平謝りだったのだが、先方が6時で帰りたいのだなとわかったので、すぐにT部長の携帯に電話したのだが、また「うーん、明日でいいかな?」とか言っているので、心の中で「昨日の夕方確認してきて、すでに24時間以上経過してんじゃ!それも重要な決済ならともかく、結論がわかりきっているのに、なにを躊躇しとるんじゃ?」と叫んだが、なるべく柔らかい口調で、
「Tさんも、Kさんも、来週の予定を確認したけど、とても1日外出できるような状態ではないじゃないですか、先方も申し訳なさそうに何度も電話入れてくるので、もうわかっていると思いますよ。早く連絡してあげましょうよ」
と、言ってみたのだが、「うーん、そしたら社長に確認しないとなあ」
ぶちぶちぶちぶち(ミヤノさんの血管が切れる音)
社長決済がいるような案件ではない。社長に話せば「好きにしろ」か「出なくてもいいじゃない?」と言うに決まっている。社長にしたって、その客との「お付き合い」はどうでもいいのだ。
ぜいぜい、事後報告で充分な話だ。
しかも「社長はいま、いらっしゃるかな?」と言うので、「いらっしゃるので、電話かわりましょうか?」と言ったのだが「いいや、じゃあ、ミヤノからちょっと話しておいてくれない?」
なんで、私が社長に確認すんのよ〜〜〜〜〜
だから、そんな大事じゃないわけだし、だから私が最初に電話受けたときに「じゃあ、キャンセルしておいて」と言ってくれればそれで済んで、向こうだってこんなに何度も電話しなくたって済んだのに〜〜〜〜〜先方と私の両方に「嫌な思い」をさんざんさせたのをわかってんのか?
でも、怒ってもしょうがない。部長は今、正気ではないのだ。と自分自身の怒りをなんとか静め、社長に確認しようとすると、他の社員が社長室でなにやら重たい話をしているようだったので、とても割ってはいれず、そうこうしているうちに、T部長が帰ってきたのだが、またすぐ社長室に入ってしまったので、「もうだめだ」と思って、私のほうから先方に電話を入れて「Tが戻ってきたのですが、また会議に入ってしまったので、明日でもよろしいですか?」と言ったら「じゃあ、私の方も今日はもう帰りますので、明日の10時に電話します」とおっしゃってくださったので「明日、必ずお返事しますから」と再度電話越しに頭を下げた。
30分くらいして、やっと社長室から出てきたT部長に「先方には明日電話することにしておきました」と言うと、「ああ、やっぱり欠席にしておいて」
そうだろう。最初から欠席なんだよ。なんで、こんなことでこんなに引っ張らなければいけないんだ。しかも、その一言で最初っから自分で連絡して急に欠席する無礼をお詫びする気もなかったことがわかり、激しく脱力。
こんなくだらないことで、しっかりくたびれてしまった。
今日は別のことで、私が知らなくてもよかったはずのことを知ってしまい、上司に「あの、この書類って・・・・」と、そっと渡すと、サっと表情が曇り「誰か他に見た?」って、私だって見たくなかったっすよ。でも、偶然、私のところに置いてあったので(派遣の人が受け取って、なんだかわからないから私のところに置いたようだ)、騒ぎにならずに済んだので、上司も安心したようで、ニっと笑ったが、でも、もう少し気を配ってくれれば私だって見ないで済んだのに〜〜〜〜〜
(でも、それで、上司がただ疲労のためだけでなく、「短期記憶」能力を失うほどの精神的ショックを受けていることがわかり、涙が出そうになった。私も過去にプライベートのくだらないことだったが、精神的にショックを受けたときに、5分前のことが思い出せなくなり「心の仕組みってすごいなあ」と思ったことがあったから。深く考えないように、ブレーキかけるみたいなんだよね)
おかげで、ショックのあまり2時間ばかし仕事に手がつかなくて、しょうがないから、自分の仕事は放棄して、また昨日の続きの「アンケート用紙の単純入力」をやって夕方までしのいだ。
なんか、そんなかんじで、「フツーじゃない上司達」のフォローが多くて、自分は前線に立っていないけど、妙に疲れた一週間であった。いつもだったら「もー、ちゃんとやってくださいよ」と言えるようなことも、「今、この人たちに説教しても無駄だし、彼らがそんな状態になっている理由もわかるので、グっと耐えて、今はなるべく過剰に優しく接してあげよう。そう、私はお母さんなの!」と、会社では頑張っているのだが、それなりにストレス溜まっているので、家に帰ると、ついつい酒飲んじゃうんだよなあ。
会社では「優しいお母さん」、家では「飲んだくれのお父さん」を演じており、「本当の自分」(ぷっ)を見失いそうな今日このごろである。
小じわが増えそうなので、コラーゲンサプリをガブ飲みして心のバランスを維持しております。(基本的にナルシストなので、お肌の調子がいいと、心の平安が保たれる)
9月1日(水)
9月です。
残暑です。
蒸し暑いです。
騒動とは別の仕事だが、親会社のほうで社内プレゼンがあって、その感想をプレゼン後に書いて集めているらしいのだが、それをエクセルに打つ仕事をしている。
他人が手書きした文章をあれだけ大量に読むのも珍しいのだが、けっこう大変。
悪筆の人はそれほど多くないが、シャーペンで細かく書かれていたりすると、読みにくいし、他人の文章って入力しにくいのね。語尾に癖があるし、読みながら「こうだろう」と入力していると、全然違う言葉使いだったりして。
限られた時間で、さっと書いた文章だから、けっこう個性が出てて、全く修正無しに、達筆ですらすらと一気に書いたようなのもあれば、ワープロ、携帯メールで文章を書くことに慣れた世代は、後でちまちま修正をしているので「えーと、どこがどう修正されてんじゃ?」と判読に時間がかかる。
でも100人分くらいざっと打っていると、その「文章力」や「表現力」には驚くほど差があって、ねちねちと批判めいたことを書いているのに、文章がヘタクソだと「批判する前に、自分の表現力を反省しろよ!」と思わず添削したくなってしまう。逆に自分の意見を簡潔にまとめてあると「花マル」をつけたくなってしまう。
それだけの数を読んでいて気がついたのは、「言っている意味がよくわかりませんでした」と、プレゼンターを批判するようなことを書く人の文章は、「てめーの言いたいこともよくわからんよ」なものが多いということだ。ある程度、プレゼンの意図をくめて、そこから具体的な問題点も「これを読んだ人が、そのことも考えてくださりますように」という願いをこめて書いてあるのがわかるものは、かなりクレバーな印象を受けた。
「リテラシー」についての、いい研究材料なので、もっと掘り下げてみたかったが、それは私の仕事ではないので自制したけど、手書きの文章っていろいろわかって面白いなあ。
でも、大学の先生とか、いつもこんな苦労をしてるんだろうな、ということも、ちょっとだけわかった。読むのに疲れてくると、だんだんどうでもよくなるし、「優等生的な切り口」は沢山出てくるので、多少、内容が乱暴でも、目新しい視点のものが出てくると「お?」と思ったり、すごく拙い文章でも、自分の気持ちを素直に述べていると好印象を持ってしまう。
あと、思ったのは「やはりワープロのせいで、みんな漢字がとっさに出てこない」ということである。字が若い人ほど、わりと漢字が書けているようだが、おもしろいのは「その様に」という「様」を漢字で書く人が多かったということ。「そのように」と書く人の方が圧倒的に少ない。「様」は郵便の宛名では使うので、つい使いたくなるんだろうか?
けっこう、漢字を間違って書いていたり、とっさに思い出せないので平仮名で書いてあると「データではどうしよう」と悩むが、パンチャーをしているだけなので、なるべく平文に忠実に打つしかない。明らかな間違いは修正してあげたけど・・・・
パソコンを使えば、出てこない個性が露になるのでやっぱ手書きはおもろいわ。
手書きの小論文とか、もっと激しく個性が出るだろうなあ。
「記名」のアンケートなのに、ビシバシと厳しいことを書いている人もいるので「勇気あるなあ」と感心するが、でも「思ったことを全部ぶちまける」ことがいいかというと、そういうことでもないのがよくわかった。やはり文章ってテクニックが必要なので、本当に「ここんとこ、なんとかしてほしい」と思っていたら、そういう書き方はあるのだ、という勉強になった。
まず相手の真意をけっこう理解しているようなコメントを決めてから「でも、ここはどうなんでしょう?」と書けば、読んだ相手も「ぎくっ」とするわけで、まず「理解」そんで「意見」というのが効くのだな。
自分の言ったことをきちんと理解している人に「でも・・・・」と、きちんと反論されれば、ちゃんと読んでもらえるだろうけど、その過程を飛ばすと「自分のことしか考えてないやつ」としか思われないだろう。
というわけで、いろいろ勉強になる「アンケートのベタ打ち」作業なのであった。
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