可燃物な日々

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8月31日(火)

 月末だったが、今日は部下(ぷっ)のクララ&ハイジが別の仕事で、別事務所に詰めているので、支払関係は全て昨日済ませておいたのだが、やっぱし「今日中にお願いしま〜す」なんてのが出てきて、ドタバタ。
 営業の社員が一人「社長がこの仕事に難色を示していたのだが、先方が先走ってお金を先に振り込んできちゃったんで・・・・その相談したいんだけど」と言ってきたが、社長は昨日の続きなのか、また社長室に幹部を集めてしまっているので、中に入れるような雰囲気ではない。

 しょうがないから、隙を見て、私が簡単に説明してみるからと、書類を預かったり、銀行に振込みに行ったりしていて(そういうときに限って、窓口用の振込用紙の在庫がなくて、ハイジかクララか知らんが「あいつら〜〜〜〜」と心の中で叫んでいた。最後の1枚を使ったら補充しておいてほしい。普通はファームバンキングで振込みしているので、窓口に行くときは急いでいるのだよ)なんか、他にもいろいろあって、やっとお昼を食べられたのは1時半ごろだった。

 そんなかんじで一日中、なんだか落ち着かなかったが夕方になって、「そういや明日支払うのでは?」という件がまだ滞っていることがわかり、ほんとは今日付けで払うことになっていたんだけど、担当者が出張中で、しかも、そこへの支払は、一部キャンセルになっていたり、過去のキャンセル分を差し引いたり、と複雑怪奇になっていたので、担当者が全て確認するしかなくて、明日の1日支払ということにしてあったはずなのだが、先方の経理から「お支払担当者は?」なーんて電話がかかってきたので、「どーなんてんすか?」と担当者に言ったら「すいません、すいません」

 で、それから双方の未収、未払いの最終確認が始まったらしいのだが、夕方6時になっても結論が出ないので「パソコン振込みは夜になるとできないから、最悪、明日の窓口振込みなんですけど〜」
 なかなか金額が出そうにもなかったので、「だったら、だいたいの確定金額より少なめに払って、あとで差額を払えばいんじゃない?」と言ってみたのだが・・・・・

 私が気にしているのは、その支払先は、うちの本業とはちょっと別なジャンルの会社なので、うちの会社の「事件」のことを知らないような気もするが、でも、もしかしたら知ってるかもしれないので、うちがなんだかんだ言って支払を遅らせると不信感を抱くかもしれない、ということである。
 前もうちの得意先が倒産したことがあって、親会社の経理から「○○が倒産したけど、大丈夫なの?」と教えてもらってから、調べてみたら未収金もなく、事なきを得たが、担当者が知らなくても、別のルートからそういう情報って入ってくるもんなので、油断できない。

 だから、いつも以上に「支払約束日」には神経つかっているんだけど、うちの担当者はそんなこと全く念頭にないような様子がちょっとなあ。
 いつもだと「あ、支払忘れてました」(経理に回してない)とか「請求書が無い」(紛失)とか「金額を確認してからなので、もう少し待ってください」っていうセリフは普通に通用するが、相手が「あそこは大丈夫なのかな?」と警戒しているときに、そういうことすると、ほんとに警戒されるので、気をつけようよ〜。

 昨日は前日にうっかりマラソン中継を観てしまったために寝不足で、それは「自己責任」なのでしょうがないけど、昨日の夜は「さあ、寝るぞ」と12時には床についたというのに、夜中から明け方にかけて、何度も目が覚めてしまった。台風の影響で、東京も、ものすごい暴風だった。眠りが浅くなった瞬間にゴオオオオオという音で目が覚めてしまうのである。
 「はあ、2時か」「はあ、今度は4時か」と時計を確認しつつ、浅い眠りをむさぼった。
 朝起きても、まだ風の音が恐ろしく「外に出ると、飛んできた何かに当たりそう」と思っていたのだが、家を出た8時半ごろには風もかなりおさまっていたのでよかったが、駅に向かう途中の道の歩道の真中に横たわっていた、どこぞの商店のペンキ文字も薄れて読めないような古いトタンの看板は・・・・・・どこから落ちたの?いつ落ちたの?こんなの直撃したら、大変じゃん!・・・・・なシロモノであった。

 私は「人間の作ったもの」をあまり信用していないのだが、でも、あれだけの強風でも、私の目に付いた「ぶっとんじゃいました」は、その看板だけで、出勤途中の街を観察してみても、ボロ屋の付属物たちは、ちゃんとボロ屋に張り付いているようだし、あれだけ張り巡らされた重そうな電線もちゃんとくっついてるし、人間の作ったものってけっこうちゃんとしてるんだなあ。

 逆に「神様の作ったもの」なのか判定は微妙だが、街路樹の枝なんかがビシバシ折れていたりして・・・・

 ともかく、「自然の脅威」のおかげさまで、今日も寝不足だったのだが、今日は7時で上がれたので、家に帰ってからせっせと洗濯した。(のは洗濯機で、私は干しただけ)

 台風のおかげで湿度が高く蒸し暑い。

 ああ、そっか、今日で8月は終わりなんだ。結局、フジロックで1日だけ使った有給休暇も返上してしまった。(先週、土曜日出勤予定が出勤になったので・・・友達の友達とやらの奥多摩の別荘に行くつもりだったのだが、どうせ寒かったのでよかったんだけど)9月は、もちょっと休めるかしらん。
8月30日(月)

 昨日の日曜日は昼過ぎまでグッタリと寝た後、夕方から韓国帰りのA氏と下北の「とぶさかな」で飲んで、その後、イギリスパブな店でビターを1パイント飲んでから、山頭火でラーメン食べて〆たのだが、家に帰ると12時半で、うっかりテレビをつけたら(癖)マラソンやってたんで、ぼーーーーーーーーーーっと見ているうちに最後まで観てしまった。

 トップ選手に変なオッサンがタックルした「大惨事」が起きたのだが、その後、そのオッサンが何者なのかフォローしてくれず、今朝のワイドショーでやっと紹介してくれたのでホっとした。どうやらF1とかウィンブルドンにも「飛び入り」している「お騒がせオジサン」らしい。
 テロリストではないようだけど、でも、そんな要注意人物をアテネ入りさせちゃあねえ。

 ブラジルの選手はほんとに可哀想だった。トップを走っていたら、誰でも狙われる可能性があったわけで、妨害されたのが日本人だったら大騒ぎだったろうに。(室伏のドーピング繰り上げ金メダルどころの騒ぎではなかったであろう)

 さて、そんなわけで、寝不足のまま、いつもの時間(10時)に出勤したのだが、週末も休めなかった上司はすでに「魂擦り切れました」な顔をしているし、やはり連続出勤記録更新中で、今日も自分の大事な仕事があるので休めず、明日休みの予定の同僚K嬢もさすがにお疲れ気味。

 対策本部というか顧客対応部隊のほうは一段落したので、受付時間も短くしたため、6時にはそっちのお手伝いは終了したので「今日は早く帰れるかな」と思ったのだが、7時過ぎに幹部職員が集合してしまったので、「お茶くみOL」な私らも帰るに帰れず、「どうしよう?」とうろうろしていたら、9時ごろやっと会議室から上司が出てきて「もう、帰っていいよ・・・・・てゆーか、早急に帰ってください」

 なーんだ、いないほうがいいのなら、早く言ってよ〜〜〜〜と思ったけど、上司がそんなことまで気が回らない状態なのはよくわかるので、おとなしくさっさと帰ってきた。
 上司が休みをとれるのは、いったいいつになるのだろう?

 私はそういう精神論的なやり方はあまり好きではないので(とにかく社員全員が死ぬ気でがんばりますってやつ)、休みをとってない幹部社員たちも、うまくやりくりして少しは休めばいいと思うし、それができる人のほうが優秀だと思っているんだけど、そうもいかない雰囲気らしい。
 誰か一人でも「正気」の人がいればいいんだけど、みんないっぱいいっぱいだからなあ。

 末端社員(私を含め)は、責任が軽いだけに「正気」なので、なんとか休みをやりくりしています

 私も忙しかったときには、12日間ブチ抜き出勤とかしてたけど、なんとか仕事ができるのは7日目くらいまでで、9日目になると、自分で自分が「使えないヤツ」になっているのがよくわかるというか、集中力が鈍るので、能率も悪いし、まともな判断ができなくなるし、自分でも不思議なくらい感情的になってきて、ちょっとのことがズシンと応えたりするので、やはり「一週間を7日間にした神様はエラい」と思いました。週休1日なら、学校のときはそうだったし、なんとかなるのだ。自分のことが何もできないだけで、仕事だけしていればいいのなら(家のことは全て妻任せ)週休1日で大丈夫。

 なーんか、自分はそんなに大変じゃないんだけど、周りがそんなかんじでくたびれきっているので、そういう中に身を置いていると、意外に消耗するんだよなあ。
 なーんか、今週も長くなりそう。

8月28日(土)

 長い一週間であった。
 まあ、私は補助的な仕事ばかりというか、総務部社員が補助的な仕事に駆り出されてしまったので、その留守番役でこっちの雑用をいろいろやっていただけなのだが、でも、長時間会社にいるとやっぱし疲れる。

 私の記憶に間違いがなければ、生まれて初めて「社長出せ!」な電話を受けてしまった。

 私が留守番していた電話のほうにはセールス電話が少しかかるくらいだったので、すっかり油断していたときに受けてしまったのだが、9時を過ぎていたし、長島ジャパンとやらが負けた直後だったので、10分くらい話を聞いていたら、どうやらただの「酔っ払ってムシャクシャしている」お客様のようで、しょーがないから反則技だけど、「すいません、シクシク」と泣き落としで応対していたら、上司2名がこっちに帰ってきたので、ちょうど相手も「社長いないんなら、上司を出せ!」と言ったので、保留にして「上司出せっていい始めましたが、どうします?いないで通していいですよね?」って確認すると、「それでいい。そうしてください」と言うので、また20分くらい「くすん、くすん、申し訳ございません」で、なんとか向こうから電話を切らせた。(「あんたのこと苛めてたってしょうがねーしな。あんたも可哀想だしな。またかけるから、今度こそ社長が出るよう、あんたから言っておいてくれよ!」)

 傍で見守っていた上司2名は、私が「うそ泣き」で通したことをわかっていたが、翌日には「ミヤノさんが、一番怖い電話をとってしまって泣いちゃったらしい」という話になっており、「いや、ちゃんと話してわかる相手じゃなかったので、女の武器で対処してしまいました。お恥ずかしい」

 どうやら、その客は最初は問い合わせ専用電話にかけてきたのだが、「社長出せ!」が納まらないので、しょうがないから「そちらの番号のほうで・・・」と教えてから、上司らが「それっ」とこっちに走ってきたのだが、留守番していた何も知らない私が出てしまったということらしく、「対策本部で、もてあました」のを私がなんとか応対したので、私としてはポイントをあげたことになったらしい。

 まあ、私としてはもっとひどい電話がかかってくる可能性があると思っていたので、「一番ひどいのであのくらいか・・・・つーことは、やっぱうちって客筋いいですよね?」、と私があっけらかんとしていたので、上司たちはホっとしていたようだが、そういう電話を受ける可能性のある同僚女子社員の中には「そんなのかかってきたら、どうしよう」と不安がる子もいたので「とにかく、普通は30分も怒鳴れば相手もトーンダウンしてくるから大丈夫だよ」と言ったが、翌日からは対応電話のほうも、かなり落ち着いたようだ。やっぱ長島ジャパンのせいで、酒の入った男性からの電話が集中したときが一番きつかったらしい。


 というわけで、オリンピックの動向も無視できないような状況になったが、この間はやっとボート競技を観ることができた。4人乗りのカヌーとか、やっぱ素晴らしいね。屈強な男性が、一糸乱れずオールを操る姿にボーっとなった。

 「はあ、なんか舟遊びしているクレオパトラな気分・・・・・」

 なんかほんとに、「奴隷度」が高いので「あたしのために、舟をこいでいるのだわ」とうっとり。
 「ボートの三人男」じゃないけど、テムズ河をあんな奴隷(?)に舟をこがせて、河下りしてみたい。選手を一人借りてきて、井の頭公園の池のボートでブイブイいわせるのもいいかもしれない。

 それと、シンクロの団体もやはり動きが揃っていて、どうやら私はああいう「動きが揃った演技」に弱いらしく、しばらく魅入っていたのだが、でもやっぱし「揃えるための演技」よりも、ボートみたいに「スピードをあげるために必然的に動きを揃える」ので、結果的にシンクロしている動きのほうが美しいなあ、と思った。

 新体操の団体も面白かった。もはやあれは「サーカス」というか、シルク・ド・ソレイユの舞台みたいだ。あんなの生で観てみたいなあ。

 ふと思ったが、湖には必ずいる「白鳥ボート」であるが、あれをオリンピック種目にしたらどうだろう?屈強なアスリートたちが、必死に漕ぐスワンボート、見て〜!
 この間、社員旅行で行った洞爺湖でも、若者グループが白鳥ボートのマジ漕ぎ競争をしており、爆走するスワンの姿はほんとに面白く、漕いでいる子も、岸で見守る人たちも大盛り上がりしていたし、面白いと思うんだけどなあ。  
8月25日(水)

 今日は残業3時間で済んだ。
 と言っても、私は留守番しているだけで、なにもしてなんだけど、留守している人たちのフォローをしているうちに、いつのまにか時間が経ってしまう。
 幸いなことに、自分の仕事が暇な時期だったのでよかった。

 今週土日に別の仕事で出勤する予定の人がいるので、その人たちがその前にちゃんと休みをとれるかどうか気を配ったりする程度。こういう雰囲気になるので、仕事に支障がなくても、休みを取りそこなう人がいるので、少しおせっかいなくらい言わないとね。 
8月24日(火)

 久々に4時間も残業しちゃったよ。
 あー、まったく参ったなあ、という感じだが、なにに参っているのかわからない人は、そのまま「?」でいいですし、なんで参っているのかわかっている方はそっとしておいてください。(社内はかなりピリピリしてるんで)

 だったらこんなとこに書かなきゃいいじゃんよ〜、とも思いますが、こんな修羅場を見る機会も滅多にないので、個人的には、それなりに楽しんでいるので、「あんなときにも、前向きだった自分」を書き残すのも日記の役目だと思うので、自分が数年後に「あんなこともあったっけ」と思い出すために書いているだけです。

 それにしても、長島ジャパンとやらが負けてしまったのが逆風だわさ。

 明日はもっと大変そうだから、もう寝なきゃ。
8月23日(月)

●体内時計恐るべし

 昨晩は10時くらいには寝てしまい、目覚ましは通常通りの7時にセットした。(厳密に言うと、7時15分と、7時半の時間差攻撃にしている)

 マラソンも気になったが、それよりも100メートルが観てみたかったのだけれども、今日は社外研修だったので、寝坊できなかったし、それに、高い金払って参加するので(自腹ではないにせよ)、寝不足で挑んでも、もったいないと思ったから、「早寝して、もし明け方目が覚めたら、オリンピックを観よう」という、自分の潜在意識に任せるという選択をした。

 ところで、よく「フジロックの3万6千円は高い!」という意見を見たけど、社外研修なんて、1日だけで、講師なんて別にスターじゃなくて、ただの公認会計士だったりするのに、同じくらいの値段なんだよ。まあ、客の人数は少ないが、でも、そんなにキャパがないブルーノート東京だって、せいぜい1万円くらいでしょ?
 なーんか、コンサートに比べると、ものすごーくボラれているような気がするのだが、UDOは夏フェスに参入するよりも、こっち方面に色気を出してみたらどうだろうか?価格破壊の余地ありありだと思うのだが。

 話が逸れましたが、とにかくそういうわけで、昨晩は早寝したのですが、ふと夜中に睡眠が浅くなったときに、意識が「あ、オリンピック」と思い出して、でも、眠かったので、しばらく躊躇していたのだが、何時だかわからなかったので、「時間を確認してから、起きるか、また睡眠に戻るか考えよう」と思って、時計を見たら「げ、2時半?」

 半分寝ぼけていたが、マラソンのスタートが日本時間で0時だったはずで、2時半といったら、ちょうどゴールしているときではないか。
 マラソンが観たかったというよりも、「こんなジャストな時間に意識が戻った自分」に感心して、テレビをつけてみたら、野口が走っていた。ライブ映像なのかもよくわかんなかったので、ボーっと眺めていたら、どうやら彼女がトップを走っていて、でもすぐ後ろにヌデレバの姿も見えたが、実況アナが「あと1キロを切りました」と言い、すぐにゴールの競技場が見えてきた。

 「ひゃー、経過がわからないが、かなりの接戦だったんだ」

 というわけで、野口がなんとかヌデレバを振り切ってゴールするのを観てしまいました。

 でも、別にそれはライブで観なくてもよかったんだけど(どうせ、後で何度もリプレイされるだろうから)、その後、すぐに男子100メートルの準決勝が始まったので、ずっと観ていた。

 なんか「私のオリンピック」がやっと始まったような気がする。やっぱ、オリンピックの華はトラック競技よね。
 しかし、準決勝で続々と9秒台が出る激戦であったが、今回の100メートル王者の物語は日本では影が薄いんだろうなあ。

 それに、わかっていたことだが、準決勝に出場した選手は全員「黒人」だ。白い人も、黄色い人もいない。
 日本人も(ヒロスエって人だったっけ)、決勝進出に向けて期待されていたが、総アフリカ系な光景を見ると、それがいかに無謀な挑戦だったかがわかる。
 他にこんなに人種的に偏りのある競技があるだろうか?
 400メートルくらいになると、白人も出ているようなのだが・・・・

 100メートルの準決勝と同じ時間には、走り高跳びもやっていて、そっちには「ヘミングウェイの孫」という選手が出ていた。
 それは、日本で言えば、川端康成や夏目漱石の孫が「オリンピック選手」ってわけで、数年前にはヘミングウェイの息子が「女子刑務所で死亡」なんていうニュースもあったが、あの息子と、走り高跳びしている孫の関係は?
 「愉快なヘミングウェイ一家」のサイドストーリーが知りたくなったが、日本のテレビは「この選手はヘミングウェイの孫だそうです」で終わり。もっと、掘り下げんかい!

 そうこうしているうちに、室伏のハンマー投げが始まってしまい、ヘミングウェイの孫はいつのまにか姿を消し、スウェーデン人の華奢な兄ちゃんが走り高跳びで優勝していた。

 まあねー、日本人選手の活躍を追うのもしょうがないけど、でも、絵としては、「100m選手」や「ハンマー投げ選手」に比べると、みんなヒョロっとしている高跳びの選手も同じアスリートであるのに、あれだけ体格に違いがあるというのが面白いと思ったし、私が陸上が好きな理由も「その競技に特化した肉体にはこれだけ差が出る」という絵としての面白さがあるし、同じ「走る」にしても100メートルの選手とマラソンの選手は、あんなに違うわけじゃない。両極端の美をもっと鑑賞したいし、いろんな競技が一度に上映されてる陸上は、そういう意味で面白いと思うんだけどなあ。

 がんばって起きてて「100メートルの決勝も観たい」と思ったのだが、4時くらいにまた眠くなってきたので諦めて寝た。

 朝起きたら、やっぱしマラソンとハンマー投げしかやってなくて「100メートルはどうなったんすか?」と、悲しくなった。
 「私のオリンピック」は柔道とかレスリングとかの、個人的にちょっと苦手な格闘技系に邪魔されている。
 体操も昔は好きだったのだが、ここんとこ採点基準の複雑さについていけないし、年とってから気が短くなってきたので「採点競技」は全般的に興味がなくなってしまった。昔はフィギア・スケートが好きだったんだけどなあ。(ロビン・カズンズにうっとりしていた)



 「100メートル決勝は放送してくれないんですか?」と思って、7時のNHKのニュースをぼんやり観ていたのだが、やっぱりやってくれない。くすん、私って少数派なのね・・・・・
 と悲しみを倍増させていたら、「ムンクの叫びが白昼に盗難!」
 その絵は・・・・・あまりにも有名すぎないか?なんで、そんな大物狙うんじゃ。
 盗賊金メダルあげるから返してくれ。あたしはまだ本物見たことないんだから。独り占めしようとして、ずるい!

 (でも、どんな大富豪になっても、あの絵を居間に飾る気はしないと思うけど・・・・・・)

 絵画といえば、土曜日にNHKのドキュメンタリーで光琳の「紅梅・白梅」が金箔を使ってなかったっていうのをやっていて、ちょっと興奮した。
 でも、そういえば、学生時代に合宿で熱海に行ったときに、MOA美術館に行ってみたが、「秀吉の金の茶室の再現」はゴージャスだったけど、メインの国宝「紅梅・白梅」の屏風が発見できず、コンパニオンのおねーさんに「光琳の屏風は?」と聞いたら、「国宝は法律で年間何十日間は公開するという決まりがありまして・・・・」と、わけわからんこと言うので、最初はよく意味がわからなかったのが、おねーさんを数人で囲んでで問い詰めること数分後に「要するに、今は公開されていない」ということがわかり、そこでコンパニオンを責めてもしょうがなかったので、大人だった私らは「とても長くて有名らしいエスカレーター」を無意味に往復して憂さを晴らした。

 だから、あの屏風も実物を観たことがない。
 まあ、あそこの美術館は、金の茶室はどうでもよかったが、茶器や陶器のいいのが揃っていて、「光琳の屏風がない?金返せ」と暴れたくなるようなもんでもなかったが、でも、やっぱし実物を拝見したかったなあ。あれから20年、その後、熱海に行くこともなかった。

 前にはやりNHKでやっていた「源氏物語絵巻の科学分析&再現」も面白かったもんな。
 今の技術だと、どういう技法で描いていたのかが、ある程度解析できるので、当時の職人の技がよくわかって面白い。

 私が小中学生のころは「絵画のX線解析」だかが流行って、「その絵が描かれたという証拠はあるのに、その絵は行方不明だった」なんて絵が、実は画家がその上に別の絵を描いていた、なんてことがわかったりして「わー、もったいなー」と感激したもんだ。

 私も一時は油絵を描いていたりしたが、キャンバス代がけっこうするので、「この絵、気に入らないから、いいや、上から描いちゃえ」ってことは、やったことがあるので、私のそんな行為は全く後世に影響を与えないけど(まだまだ、これからだと言い切れない悲しさよ)、後に数億円で取引されるような大画家のそういう「だって、キャンパス代がなかったんだもん」な行為は、大発見になったりする。

 あ、やっと昨日の陸上の結果を放送してくれた。
 三段跳びもスェーデンの兄ちゃんが制したんだ。三段跳びも、時々しかやってくれなかったんだもん。
 そんで、走り高跳びの2位がヘミングウェイの孫だったらしい。
 それって、ハンマー投げの室伏が川端康成の孫でしたっていうくらいの出来事だと思うのにぃ。

 「邪魔くせーから、日本人なんてさっさと敗退しろ」という私の個人的な呪いが効いたのか、レスリングの浜口が負けてしまった。それはちょっと残念。浜口父のはしゃぎぶりは、けっこう好きだったのに。

 でも、これで大本命だった柔道の井上に次いでってことになったのかな?
 今のところ、そういう雰囲気でもないが、人生経験が長い私は覚えているのだが「メダル確実!」っていう報道の盛り上がりが逆に選手にプレッシャーを与えるから、よくないんじゃないか?なんて話になったときが過去にあったんだよ。

 でも、今回はプレッシャーをバネにした選手が多かったので、そういう論調にはならないと思うけど。もし、そういうこと言うコメンテーターが出てきたら、鼻で笑ってやりましょう。

8月22日(日)

 休みとなれば部屋に篭ってテレビばっかり観てることが多いのだが、ダラダラとテレビをつけっ放しにしていて「別に観たくもないけど、なんとなく観てしまう映画」が、けっこう楽しかったりする。
 「スターシップ・トゥルーパーズ」は番組欄で見つけて、観ようと思って観たのだが、その後も「マイティー・ジョー」(途中から観たからよくわかんなかったけど、心優しい巨大ゴリラのお話だったらしい)を観ながら「テレビだと、こういう緩い映画がいいね」と思ってみたり、「ホームアローン」が始まると「この、子供を置いていくまでの騒動が、説得力あるんだか無いんだか微妙だと、いつもそう思うのだが、それにしても、大して面白くもないが、ツッコミどころの無い無難さが侮れない映画だ」と文句言いながら、結局最後まで観てしまったりしていた。

 平日休みのときに、チャンネルを回してたら、グイネスがチョイ役で出てたので「この映画はなんだろう?」と思っていたら、「冷たい月を抱く女」で、題名は知っていたが、ストーリーを全く知らなかったので、「このキャスティングだと、アレック・ボールドウィンとニコール・キッドマンが実はデキてたっていうオチなんだろうな」と思っていたのだが、そーいえば、あの頃のハリウッド映画って、こういう「ドンデン返しに次ぐ、ドンデン返し」が流行ってて、どれも、あまりにもクドいので、お腹いっぱいになってしまうのだが、この映画もそんなかんじで、メインの事件だったはずのレイプ殺人がただのスカシだったり、「本性を現した女」が、理解不能なほど凶暴になって、それを懲らしめて終わり、というお決まりのパターンだった。

 マドンナの「ボディ」(不朽の名作「情婦」をセンスの無い人間が作り直すと、ああいうことになるらしい)とか、「愛という名の疑惑」(ユマ・サーマンとエリック・ロバーツ目当てで仕方なく観たが、ヒッチコック映画を悪趣味に料理すると、こんなどうしようもないものができるのか、と唖然とした)も、そんな感じだったもんね。

 「冷たい月を抱く女」を見終わり、「まあでも、テレビで観たから腹も立たんわい。いい暇つぶしにはなった」と満足して、チャンネルをかえたら、「白い巨塔」が放映されてた。

 先日、唐沢&江口でリメイクされて、高視聴率だったやつじゃなくて、田宮二郎主演の昔のやつだ。
 1978年のドラマなので、私は小学6年生?
 とにかく「大人向けドラマ」だったので、私は放映当時に観ることはなかった。観たいとも思わなかったけど、それなりに人気があったようだし、それよりも後に田宮二郎が自殺したことのほうをよく憶えている。(猟銃自殺ってのも衝撃的だった)
 ふと、「いつ自殺したんだっけ?」と思って調べたら、なんと「白い巨塔」最終回放送直前に猟銃自殺だったなんて全然憶えてない。

 それで、今日の午後も総集編を一挙放送していたので、ついつい全部観てしまったのだが、最終回は田宮演じる財前医師が癌で亡くなる壮絶なドラマで、印象的だったのは、遺体となって深夜の病院の廊下を運ばれるシーンが延々と続き、うすらとんかちな演出家だったらその廊下を総回診で先頭を切って颯爽と歩いていた「在りし日」のショットを挟みたくなるところだろうけど、そういうダサいことはやらずに、入院病棟を出て、たぶん剖検のため(本人の遺言)研究棟に運ばれていくのを淡々と流していて、「これ、本人が亡くなった直後に観たら、かなりクるよなあ」と思った。いいラストだった。

 それにしても、画面がとてもキレいで、今でも時々、「昔の名ドラマ」で登場する作品だけど、あのころのドラマってもっと画面がクスんでなかったっけ?デジタル処理を施したのだろうか?イマドキのトレンディドラマと並べても、全く違和感のない映像だった。
 でも、出てくる役者が皆、超若くて、芝居も雰囲気も今と全く変わらない中村玉緒ですら「わか〜い」ので驚くけど、亡くなった人も多そうだよな。渡辺文雄も最近亡くなったから、それより年長の俳優さんはほとんど残ってなさそう。金子信夫も、中村伸郎も、10年前くらいに故人になっているようだ。
 今でもよく観る役者さんは河原崎長一郎くらいか。

 あと、島田陽子も現役バリバリだが、でも女優としてはどうなのかってかんじだが(笑)、でも、このころ、ほんとに輝くばかりにキレイだったよなあ。夏目雅子と並び称される「透明感あふれる気品ある美人女優」だと思うんだけど、最近は「大女優」って看板だけが先行しているようで残念である。

 その島田陽子に負けないくらい光り輝いていたのが太地喜和子というのも泣ける。この人の醸し出していた「女」という虚像は美術館級だと思うよ、ほんとに。事故で亡くなったときには、ほんとにがっかりしたもん。(たしか、車が海に落ちて・・・・っていう、やや不信死だった)
 あんな演技のできる人は他にいない。でも、私は宮沢りえが、ときどきその素質を見せると思うのだが、宮沢りえの欠点は「美形」だってことだ。あれで、もうちょっとファニーフェイスだったらねえ。

 リメイクされた「白い巨塔」は、少ししか観てなかったのだが、キャスティングも若かったし、「イケ面人気俳優」を揃えていたので、本家を観ると「なんか、みんなオジサンだなあ」と思ってしまった。
 財前教授に追い詰められ、偽証する若手医師は、リメイクでは伊藤英明がやっていて、けっこういい演技してたと思うのだが、本家では高橋長英という、なんか「アリとキリギリス」の「アリ」の人(←というと、みんなわかってくれるんだけど・・・・古畑任三郎での刑事役でもお馴染みの石井正則)に似てる青年だったが、その役名に馴染みがなくて調べてみたけど、今でも活動している人らしい。

 この役は裁判の判決に重要な証言をする役なので、新旧とも、かなり重要な役として丁寧に描かれていたのだが、「田舎から出てきた貧乏医学生」という設定で、どちらも冴えないアパートで暮らしている。
 でも、本家の高橋長英の下宿のほうが、リメイクの伊藤英明のボロ・アパートよりも広かった(笑)
 時代を感じるなあ。昔のほうが一間が広かったんだよね。

 それにしても、自分が12歳のときのドラマって、もはや「時代考証が必要」そうなんだよね。
 登場する喫茶店とか、どこも「ナポリタン」がありそうなかんじだし、ここ数年で、ああいう喫茶店は絶滅の危機だ。
 そんで、電話は全部「りりりりりん」と鳴るやつだし、誰も携帯電話を持っていないのが清清しかった。
 そして、謀議謀略が主題だから、やたらと料亭で打ち合わせしているというのも笑えるが、皆が過剰に飲酒、喫煙を繰り返すので、時代を感じた。

 でも、この話って、現代の設定でやっても、それほど違和感が無いのはリメイクを観て思ったんだけど(医療過誤の裁判は今のほうが話題だし)、今やっている「人間の証明」はちょっと辛いんだよなあ。
 「戦後の混乱期」が事件の発端になっているので、70年代に小説が書かれ、映画化されたときには、あの設定には違和感がなかったんだろうけど、それからさらに30年たった現代で、「現代もの」として描くのは苦しそうだ。いろいろ工夫しているようだけれど。

 ドラマといえば、「冬のソナタ」がやっと昨晩、最終回だったのだが、連続ドラマの最終回ほど「つまんない」ものはないのだが、やっぱしつまんなかったなあ。
 でも「失明した後のヨン様」はパーマがかかってなくて、けっこうよかったんだけど、どうせなら茶髪もやめてほしかった。あ・・・・れ?そういや、あんまし真剣に観てなかったけど、「失明してても茶髪かよっ」と思ったが、ひょっとして眼鏡もかけたままだった?
 あと、ユジンが設計した「建てるのが不可能な家」の何が不可能なのか、全くわかんなかったし、それを失明の恐れがあるから身をひいたチュンサンが建てていたっていうのは「美しいエピソード」ではあるが、でも「不可能な家」の何が不可能だかさっぱりわからないまま、そこで二人が再会しても、なんかまた個人的に一生懸命、行間を埋めなくてはいけなくて(最終回の今更になって、ユジンは設計者としては優れた才能を持っているが、チュンサンは建築家の夢の設計図を実現する能力に長けてる人だったらしいのね。だから二人とも、色恋沙汰にうつつを抜かしていても、仕事でも認められていたという設定にしたいのか、どうなのか、よくわかんねーじゃないかよっ)イライラしてしまいました。

 というわけで、テレビばっかり観ているので、今日は久々に「新撰組」を観たのだが、とうとう山南さんが切腹しちゃった。堺雅人という、よく知らない役者が演じていたのだが、いつもニヒルな笑みを浮かべているキャラで、ヨン様スマイルならぬ「山南さんスマイル」として密かに注目していたのだが、世間的な注目度はどうなんだろう?
 その恋人役が鈴木砂羽で、ヤングユーにエッセイ漫画を連載している女優さんなので、時々テレビで観ると「おっ」と思う程度の人であったが、「新撰組」ではかなりいい役を貰っていたし、演技も頑張っていたので、身内が活躍したかのように「よくやった」と思ってしまった。

 しかし、新撰組って、けっこうキツい話なので、三谷幸喜がホノボノ小エピソードで繋いでいるのが逆に悲しさを増す。
 でも、これに出てるオダギリジョーがけっこう好きだったりするので、なんとなく観てしまう。最近のオダギリジョーのフォトジェニックぶりはすごいね。CMでもハっとさせられるもん。

 さーて、今夜は女子マラソンなのだが、噂の「暑い、坂がキツい」というコースがどうなのか、ちょっと観てみたいんだけどなあ。
8月21日(土)

 出勤する人も少なく、のんびりできかなと思っていたのだが、午後になって、さざ波が立ちはじめ、担当者たちの電話のやりとりを傍聴するにつけ「こりゃ、大事だ」とわかってきたが、そのうち外出していた私の上司も呼び戻され、夕方にはすっかり重苦しいムードに包まれていた。
 「まあ、大変なことだし、来週は大騒ぎだろうけど、でも人が死んだわけじゃないし、これは試練だと思って、もっと元気に対処しようよ」と言いたくなったが、長年の経験から自分からそういうこと言うとシラけるというか、カラ周りすることがわかっているので、黙って成り行きを見守っていた。

 うーん、でも、「想定される事態」だったからこそ、それを防ぐためのプロジェクトが動いていたのだが、その最中に足をすくわれたわけで、担当者たちの落胆はよくわかる。それに「社内の人間を疑うことになる」わけで、それもかなり気が重い。傍で話が漏れ聴こえていても、知らんぷりを決め込んでいる私ですら「それができるのは10名くらいしかいないはずなんだ・・・・」というヒソヒソ話に気分が暗くなるもん。
 まだ表に出てないけど、来週には公表されるらしいので、あまり書かないでおこう。(って、すでにどんな事件か、かなりバレバレ)どんな形で公表されるのか、まだわかんないし。(新聞に載るようなものになるのか、それとも、明日の女子マラソンがワンツーフィニッシュで、こんな瑣末な企業のミスを暴くのに割く紙面はないか、どっちだ?)

 さて、オリンピックの最中でも、NHKが放送せざるを得なくて、順当に最終回を今日迎える「冬のソナタ」であるが(それだけでも、朝鮮半島を占領した日本軍の罪の償いがなされたと言ってもいいくらいの出来事だ)、本国ではとっくに放送が終わっているけど、ヨン様は今だに「冬ソナのチュンサン」の役を続行中である。
 ソニーのハンディカムのCMも最近になって放映が始まり、ヨン様スマイルを惜しげもなく披露している。

 私は、なんだかんだ言っても「冬ソナ」にはまっているのは否定しないが、顔の好みだけだったらヨン様よりも、サンヒョウク(役名。役者名が全然覚えられません)のほうが断然好きなので、「ヨン様のどこがいいのかわからない」という人の気持ちはよくわかる。
 だから、CMでニコニコ微笑んでいるだけのヨン様は、イマイチだと思っている。

 それに、日本のお笑い芸人がやっているバラエティー番組でも、少し前までは「ヨン様の扮装」が大流行で、それがまた、けっこうイケてて、「ほお、髪型と眼鏡を真似するだけで、みんなけっこうヨン様になるではないか」と感心していた。
 鬘と眼鏡をそっくりにして、あのニッコリとした口元を模すだけで、けっこうそれなりになるのである。
 それに、西洋人スター表情に比べて「ヨン様スマイル」は、モノマネに長けたお笑い芸人には真似しやすいらしい。どれも、そこそこのレベルだった。

 「誰でもその気になれば、ヨン様になれるのだな」と思っていたのだが、ふと、ソニーのCMを眺めていたら、「なんか、これって、キッチュっぽくねーか?」と思った。
 松尾貴史が、爽やかに(?)ニーっと笑うと、あんな表情になるような気がした。

 そうなるともう、何度観ても、ヨン様が松尾貴史にしか見えなくなってきた。
 全然似てないはずのお笑い芸人がズラと眼鏡かけただけでも、あれだけ似るのである。元々眼鏡ッ子な松尾貴史がやったら、かなり似るはずだ。いたずらっ子な目と、歯をニっと見せる笑顔の構造はほとんど同じである。

 そーいや、ヨン様と松尾貴史がどうのと書いてた人がいたぞ?
 もしかしたら、その記述に引っ張られたのかも、と思って探したら、それは鈴木クニエさんの日記だったんだけど、でも、それは「ヨン様は苦手」の後に「そういえば、松尾貴史は好き」という記述であった。

 これに引っ張られたのであろうか?
 いや、そうじゃないはず。私がヨン様のCMを観て「あ、キッチュみたい」と思ったのは、これに影響されたからではなく、逆に、彼女のほうがヨン様を「苦手な部類」としていたのに、ふと松尾貴史のことを思い出しているということのようが・・・・・・

 ちなみに、「ヨン様 松尾貴史」で検索してみたら、すでにヨン様ファンの中でも定説だったようです。

 あー、よかった。そう思ったのは私だけではなかったんだ。
 そうなると、すでに松尾貴史が「ヨン様のモノマネ」をやっている可能性も高いのだが、私は観たことがない。観たい!そんで、東ちづる、もしくは藤田朋子がユジン役をやってくれれば最強なんだけど。チュンサンとユジンは、互いのナイスバディを相殺し合っているので、レベルを揃って下げれば大丈夫。

●貢いでしまいそうで、あたし、こわい・・・

 時々途中下車して映画を観にいく港北SCであるが、ユニクロやMUJIなどの「ミヤノさん御用達」が揃っているので、映画が始まるまでの時間潰しにはいいのだが、数ヶ月前にふと時間を持て余し、いつもは入らない店に入ってしまった。

 そこは、昔風の言葉で言うと「ファンシーショップ」ってやつで、今だと「可愛い雑貨店」とでも言うのだろうか?
 「エスニックな雑貨店」にはついつい入ってしまうのであるが、アニマルで可愛いグッズを揃えた雑貨店からは足が遠のいていたのに、暇をもてあましてついつい入ってしまったのが運の尽きであった。

 店頭に積んであった「癒し系フカフカ枕」の象の枕はグっとこらえたのであるが、象をあしらった足拭きマットに心打たれてしまい、今では、トイレと風呂の出入り口と台所のマットは全て象柄にリニューアル。

 まあ、それらは元々、かなり古びていたので「そろそろ新しくしよっかな」と思っていたし、足拭きマットはなにしろ「平面」であるから、それほど場所をとるわけでもないし「象のが見つかってよかった、よかった」という程度のものである。

 しかし「あそこの店って、けっこう象柄があるみたい」と思って、その後も何回か足を運んでいるのであるが、どうも「象の足拭きマット」が売れ行きがよかったらしく、目立つところに展示されるようになっていて、仕入れ担当者も「象モノ、出るじゃん」とわかってしまったらしく、この間「ハリポタ」を観に行ったときに覗いてみると、象マニアをもてあそぶ商品の数々が・・・・・

 象柄のお子様向け食器セットには、スープ皿セットとは別売りで、スプーンやフォークやマグカップもあったし、象柄の「DVD整理箱」を観たときには、DVDなど一枚も所持していないのに「ほすぃ」と涎をたらし、しかも、その柄は象マニアを騙すためか、シリーズ化されており、同じ象柄のショッピングバッグを発見して戦慄し、象柄の時計まであって、「フルフルフルフル」と「震える舌」状態。(「震える舌」って35歳以上じゃないと知らないかも)

 しかも、時計は大小2種類あり、手にとって真剣に悩んだが、うちには粗品でもらった電波時計のパコちゃんと、もひとつやはり粗品出身の「トラベル目覚まし時計」の2個あるので、もうこれ以上、時計は必要ないのだ。

 財政的には、その店にある「象モノ」を全部買えるだけの金はあるのだが、でも置き場所がないのが悲しい。
 置き場所さえあれば、とことん貢いでみたいものである。

 あと、すげー悩んだのが、象の「携帯ホルダーヌイグルミ」
 着信すると、なにやら動きがあるらしい。パオーんとか言われたら、リンダ、困っちゃ〜う。

 ファンシーショップの片隅で「あれも、それも、これも欲しい」と、あちこちで座り込んで「ぱおーん」と眺めておりました。

 しかし、くどいようだが「置き場がない」ので、「勇み足で一軒家を買っちゃったが、まだ嫁さんがいないんだよね」な独身男をゲットするか(嫁よりも先に家を手に入れてしまった独身男性の家はたいてい、羨ましいほどガラ〜ンとしていて、ある意味悲しかったりする)、自力で(?)宝くじを当てて、3LDKのマンションくらい買わないと、私の欲望は満たされないようだ。
8月20日(金)

 今日で、暑さも一山越えるというのはホントかな?
 でも、だんだん夜風が涼しくなっていくような気がする残暑かな。

 家に帰る途中の道で、少し小高くなっているところから、住宅の隙間に怪しい形の光を見つけたので、「なんだろう?」とよく見てみると、それは濃い雲に隠れて変形した月であった。元々、三日月だったのが、雲で縁取られたために、「魚が水面から跳び上がっている」ような形に見えたのである。

 雲が風で流れているので、すぐに元の三日月に戻ったが、西の空にポッカリと浮かんだ「魚に姿を変えた月」の印象は強烈だったらしく「うーん、昔はよく釣り雑誌の表紙があんなだったような・・・・」と思った。
 バス釣がこんなに流行する前の釣ブームのときには、釣雑誌や釣り場の広告も、もっとダサいものが多かったような気がする。でも、あのアナログな雰囲気はけっこう好きだったんだよな。

 そして、ふと思い出した。魚が元気に跳ねているような写真の横に、よく「なんちゃら」っていうキャッチコピーがなかったっけ?
 うーん、それはあまり日常使わない言葉だったけど、でも、なんとなく耳にしていた言葉で、だから「そうか、釣用語なのね」と思ったのだ。でも、その言葉の正確な意味はよくわからないままで「いなたい」と同じような、なんとなくその存在を理解しているという扱いになった。

 なんか、景気のいい言葉だったんだよな。
 「わっしょい」とかそんな感じ。
 しょっぱる、とか、けっぱれ、とか、そんなかんじだったっけな?
 うーん、「しゃちほこ」でもないし・・・・・
 なんだったかなあ?

 こういうのは、どうやって調べればいいのだろう。

 「釣用語辞典」を探して、上から順番に見ていったら、発見しました。

 「のっこみ」だ。
 漢字だと「乗っ込み」と書くらしく、「産卵のため、普段は深場にいる魚の群れがエサが豊富な浅場に移動すること」とあるが、そんな意味を知らなくても、魚がピョコンと威勢よく跳ねる写真の横に「のっこみ!」と書いてあれば、釣に興味がなくても、なんだかワクワクしたのをおぼえている。
 なんだかよくわからなくても「のっこみ」は見逃せないような気がする。
 「サニーサイドアップ」くらい、テンションがあがるかも。

 今日は、ほんとに久々に「バルデラの君」と同じ車両になった。最近見かけなかったので「時間がずれてしまったのか、それとも唄ってくれないのでわからないだけか」と思っていたのだが、今日はたまたま私の真横に立っていたので「いた〜〜〜!」と大喜びしたものの、彼女は無言のまま車窓を眺めるばかりで「歌は?歌は?」と期待していたのだが、途中で少しだけ「くくくく」と笑いながら、なにやらブツブツ言うだけであった。

 15分に満たない短い乗車区間の中、私は必死に「歌は?歌は?」と電波を発信していたのだが、やっと「到着まであと一駅」になったところで「♪ はへっほ はへっほ るんるんうんうん」と小さな声でハミングしてくれた。
 メロディーに聞き覚えはないが、どうやら「かけっこの歌」のようだ。彼女はかなりアバンギャルドに音を外すので、知らない曲だと原曲を想像するのが難しい。エイドリアン・シャーウッドも真っ青な高度な技である。

 でもね。
 なんか、いっつも私の気に障るのは、周囲の人の視線なのだ。
 大人が見て見ぬふりをするのはいいとしても、というか、自分も傍から見ればそうなんだけど、小学校高学年から中学高校生くらいの若者が「なに、この人?」という視線を向けるのがとても悲しい。

 たしかに、成人した男性でそういう人がいると、ちょっと警戒するが(その路線では、最近、駅のホームで泣き叫ぶ男性がいて、害がないのはわかるが、やはり成人男性だとちょっとビビる)、バルデラの君は華奢な女の子だし、いつもヘラヘラと笑っているだけなので、警戒するようなもんでもない。

 昔、千葉に住んでいたころも、乗り換え駅のそばにそういう施設があったようで、母親と一緒の「自分の世界に篭っている少年」によく出会った。信号を渡るときに、いつも「キーキー」と奇声をあげるのだが、たぶん、それは自閉症だと思ったので、そのころPKディックの小説などを読んでいた私は、「なるほど、彼が見ている世界と私の見ている世界はちょっと違うらしい」と興味深く観察していたのだが、中学生くらいの男の子たちが、その子を追い抜いたあと、「狂ってるよなあ?」なんて大声で言ったりしたので、ブン殴ってやろうかと思った。

 その子を連れている母親の気持ちなんて考えてないんだろうなあ。まあ、でも、大人はそういう気持ちを必死で隠しているだけで、思春期の特権を持った健全な少年少女が、そんな振る舞いをするのを責めることもできないのだが、でも、もっと深刻な「思春期の憂鬱」にとりつかれた「選ばれているらしいことはなんとなくわかるが、これ、辛いんで、選ばれなくてもいーです神様」な少年少女は、「自分の見ているものは、果たして他人と同じものなんだろうか?」という悩みを抱えたことがあるはずで、そういう少年少女にとって、いわゆる「知恵遅れ」の子供たちは、「ちょっと絵が上手い子が、ゴッホの絵を見て愕然とする」くらいの敬意を持って、「知恵遅れ」の同朋を見守るのだ。

 私がバルデラの君に惹かれるのも、「自分も時々、頭の中で鳴り止まない音楽があるけど、それを車内で披露する勇気はない」のであるが、そういう「羞恥心」という壁を易々と越えて、朗々と唄う彼女がひたすら羨ましいからである。
 でも、混雑した電車の中で、全員が心の中に浮かんだメロディーを口ずさんだら、とんでもないことになるので、それは「選ばれた人」にしか許されないのだ。

 そう考えると、バルデラの君に嫌悪感いっぱいの表情を向ける、「健康な少年少女」たちは、自分では意識せずに「嫉妬心」を露にしてるのかもしれない。と、無理やり自分を納得させておこう。

 柔道の井上コーセーが負けちゃって大騒ぎだが、性格の悪い私は、実は「なーんか、快進撃すぎて、ちょっと困るわねえ。ここらで本命が大コケしてくれたほうが、あとの総集編に華を添えるのかも」と思っていたのだが、まさか、そのシナリオ通りにやってくれるとは思いもしなかった。
 井上コーセーは自分の中の変なバランス感覚に負けたのかもしれない。オリンピックってやっぱ面白いな。毎回、こういう「絶妙のブレイク」をとる人が現れる。

 それに気をよくして、ミヤノさん的な今後のシナリオを書いておくと「水泳の北島はアイドルと付き合う!」
 今では、すっかり解説も板についた「水泳金メダリスト」の鈴木大地は、なんかブスい一般人と結婚して、あっという間に離婚してしまったが、北島はそーゆー罠を抜けそうな気がするな。てゆーか、そーゆー地雷をかわさないと一流だと私は認めない。あややクラスのアイドル(私が知っている人って意味)をゲットしたら「北島、やっぱすげえわ」と認めてあげようじゃないの。
8月19日(木)

 土曜日出勤当番なので、今日はお休み。でも、どーせ「あぢぃ」とゴロゴロしているだけなので、真夏は会社で過ごすほうがいいかもしれないが、会社ではゴロゴロできないので、難しいところだ。

 オリンピック放送というか報道も、メダル・ラッシュに少し倦怠期のようで、少しトーンが緩くなってきたような気がする。体操が個人では全く振るわなかったというのもあるけど、水泳の北島の金メダル2個目が、かわいげなさすぎたような気がする。1個目のときは、一瞬だけ「やっぱ、普通の男の子なんだな」というのを表に出したけど、2個目のときには「ヒーロー」というよりも「ヒール」だったもんな。

 やはり柔道の「勝って当然」と水泳の「当然勝つだろう」は随分違う性質のものらしい。
 柔道の後ろにはやっぱし「お国」を感じるけど、北島の背後に「お国」は全く存在していない。しかも一人で金メダルを2個もとっちゃったおかげで、「日本の金メダル」という感じが見事に薄まった。

 ところで、前から不思議に思っていたのだが、「体操の団体競技」って、いったい何のためにあるのだろう?どう考えても個人競技なので、なぜ団体集計する必要があるのかよくわからない。

 そーいえば、卓球の「愛ちゃん」も、とうとう負けちゃったけど、彼女もけっこう「ニュータイプ」だよな。
 今大会で一番「大人」だったような気がする。
 最年少出場選手っぽくない、落ち着いた受け答えを見るにつけ、「ちょっと前までは卓球台にやっと頭が届くくらいの子供だったのに・・・・・よそんちのお子様は大きくなるのがほんとに早いわ」と、つくづく思った。

 子供といえば、昨日の夜、一気に「流れる星は生きている」を読んでしまった。
 昭和24年に刊行された本らしいのだが、ということは戦後5年くらい?いや、4年後か、戦争の記憶も生々しいころに書かれたんだろうけど、それにしては、ずいぶんとあっさりしている。
 仮名遣いや漢字などは、今風に改定されているのだろうけど、それにしてえも文章が今風であるのに驚いた。「満州引き上げの記録」というよりは、身辺雑記の積み重ねという気構えで書いたということが伺える。

 だから、内容的には重いけど、文章的にはWeb日記を読むような気楽さで読むことができた。
 もちろん、内容が内容だから、けっこう泣けたので、満足したのだが、そういう「泣き」よりも、なんて言ったらいいのか、「勝ち犬の歯軋り」というのか、そんな視点でも楽しめる。

 なにしろ、6歳を頭に3歳児と乳児を抱えての引き上げ苦労談であるからして、赤ちゃんが一人いただけでも外出が億劫になっている人は、この本を読むと「ほんと、大変なんだから!」と癒されそう。
 子供の世話に追われ、睡眠もまともにとれない状況なのに、なぜか「団長」に推薦されてしまい、怒り狂う下りは「他人事ではない」というか、そんな話、今でもよく聞くぞ。

 著者は、けっこう気性が激しい性格のようだが、「でも、子供のために」と、必死に自分を押さえて、なんとか周囲に溶け込むよう努力していたのだが、それを上手くやりすぎちゃったみたいで「団長」にされちゃうのである。他に独り身(男達はシベリアに連れていかれちゃったので)で、身軽な女性が沢山いるというのに・・・・・
 独身女性は仕事を持っているので「町内会活動はできないわ」というわけで、子育てに追われる「専業主婦」が町内会の役員になるハメになって、「あいつら共働きで、夏休みともなれば毎年、豪華海外旅行に行ってやがるくせして!それに、子供の世話でも手一杯だし、外出するのだって大変なのに、なんで町内会の会合に、あたしが出ないといけないわけ?」というような話である。

 しかも、子供のいる人からは、余分な「子供会費」も徴収されてしまうし、「子供が公園を汚すから」と、掃除当番も多く参加しないといけない。なんのための町内会?
 平時なら、そんなもんブッチするのだが、敗戦後の朝鮮半島を渡るためには集団で行動していても、「女子供だけだと心細い」状況であるから、なんとか耐えないといけないのだ。

 ご近所付き合いとか、主婦同士の付き合いにうんざりしている子持ち主婦の人には是非お勧めしたい一冊であった。
 ラッキーなことに、なんとか子供3人を連れて無事帰国できているし、シベリアに拘留されていた夫も数ヵ月後に無事帰ってきたので、いちおう「ハッピーエンド」になっているため、読後感も悪くない。

 というわけで、私が書店の店員だったら、「負け犬の遠吠え」の隣に置いて、「負け犬だかなんだか知らないが、こっちは子供3人抱えて満州から逃げてきたんだ!文句あっか!」という手書きポップの一つも貼っておきたいところである。

 あと、この本を読んでいて思ったのは「おしめ洗うのって大変だったよなあ」ってことである。水も飲めないような状況で、おしめを洗うのは本当に大変だったことがわかる。
 自分も布オムツで育ったし、弟や妹もそうだったので、その洗濯がけっこう苦労だったことをなんとなく憶えている。

 この間、プロジェクトXの再放送で「サンヨーの洗濯機」の話を見て「このローラー式の脱水機、バアサンちにあったよ!懐かしいなあ」と思ったけど、洗濯機の登場で、女性の家事労働時間が圧倒的に減ったようだが、「紙おむつ」の普及も大きかったろうなあ。

8月18日(水)

 原爆投下の日も、終戦記念日も、特にこれと言った感慨も無い「いつもの1日」であり、でもまあ、キリスト様の誕生日前日も、ほぼ平常心で過ごし、自分の誕生日すらここ数年は「女友達と居酒屋で飲食」しているだけで、それも友人が「誕生日でしょ?」と言ってくれるから、かろうじてそうなっているだけで、そういう有難い友達がいなければ、一人で酒飲んでるだけであろう、という「記念日に興味がない」私であるから、そんなもんなんだろうけど、そんなわけで、8月になると戦争関連の文章やテレビ番組を目にする機会は多くなるけど、そういうのを12月のデパートの「クリスマス商戦」みたいな「風物詩」として捉えているようである。

 それに、今はどうなのかよく知らないが、私が子供のころは反戦教育が盛んというか、「ガラスの兎」や「はだしのゲン」が「子供に見せる必須アイテム」として人気を博し、中学の合唱部は「木琴」を唄うのが定番となっていたし、今よりも「子供に教えよう、あの悲惨な戦争を」という風潮が強かったような気がする。
 学校では、そんなにクドくなかったと思うが、うちの母がそういうのに熱心で、というか根っからの「ドキュメンタリー好き」であるからして、8時には就寝を強要される小学生であったのに、NHKで「戦争ドキュメンタリー」のよさそうなのがあると、「これは子供に見せなきゃ」と見せてもらえたし、原爆関連本なども、かなり読ませていただいて、繊細な私は(ほんとに小学生のときは病弱だった)、しばらく吐き気で食事ができないくらいゲンナリしていたのであった。

 漫画だって、「ベルバラ全盛期」だったというのに、無理やり「はだしのゲン」を読まされ、けっこうトラウマになっていると思います。
 私が長じて、金払って「辛かった現実」を観るよりも、「美しい妄想」のほうに金を払うほうが好きになったのは、そんな幼児体験からなのかもしれない。

 そんなわけで、あんまし戦争が絡む作品は好きではなく、まあでも、やはりドラマとして成り立ちやすいので、観る気がなくてもなんとなく観てしまうものだが、(朝の連続テレビ小説も、少し前までは必ず戦争が絡んできたし)、テレビドラマはしょうがないにしても、本で読むことはほとんどなかった。

 でも、なぜか、極東ブログで紹介されてた、「流れる星は生きている」という、満州引き上げ体験談小説を買ってしまったのである。

 なんでかっていうと「これは泣けそうだ」というアンテナが働いたのも大きいが、「新田次郎」という名前にピピピときてしまったのであった。

 私が小学生くらいのころのベストセラー作家であるが、最近あんまし聞かなくなった名前だ。
 当然のことながら、妻がこんな小説で有名になり、そのご子息も有名だとは全く知らなかった。

 私と同世代の方なら、覚えていると思うが、新田次郎といえば「この子たちは、私の命だ〜〜〜」とか「天は我々を見放した」とかの「小説が映画化されて、そのCMの決めゼリフ」が印象に残っている。平たく言えば「八つ墓村のたたりじゃあ〜〜〜」と全く同じ扱い。

 そういうイメージが先行しちゃったので、私が横溝正史を冷静に読めるようになったのは高校生のときだったけど、新田次郎の「聖職の碑」(この子たちは、私の命だ〜〜〜)は、中学生のときの課題図書になったので、無理やり読まされた。けっこう面白かったんだけど、裏磐梯での林間学校に合わせて読まされたので、教師側の作為がちらついてしまい、素直な気持ちで読めなかったのが残念である。捻くれモノだったので「これ読ませて、どーしよーっちゅうのよ?」という気持ちが先になってしまった。

 それ以前の、小学校高学年のころにも、すでに「人気作家」として有名だったけど、当時の私はまだ「人気作家」という概念を受け入れられるだけの知恵はなかった。
 でも、とても印象に残っているのは、遠い親戚(たしか父の従姉妹だったと思う)が、(後から考えれば、あの)高島平のマンションに新居を構えてたので、親族が集合したことがある。その若夫婦の父(うちの父の叔父さんだったのか?)が某大手ゼネコンの現場の偉い人で、彼が作った「巨大マンション郡」であるということらしかった。たぶん、当時、人気の物件だったのだろうけど、なにせ「オレが作った」わけだから、可愛い娘も、その中のいい部屋に押し込んだらしいのである。(当時の状況と、うちの母が聞かせるわけでもなくひとりごちた話を総合して、少し知恵のついた3年後くらいに、そう演繹した)

 70年代半ばであるから、マンションというもが珍しく、集まった親戚のガキどもは大喜びで駆け回り、「オレが作った」という大叔父は、ガキどもを階下の喫茶店に連れていけば、喫茶店店主はその大叔父に頭が上がらないようで、なんだか妙にペコペコと歓待してくれたのを今だに覚えている。(そこに店を構えるのは相当の倍率だったらしいので、ゼネコン現場監督の大叔父に頭が上がらなかったらしい)

 なんかVIPな雰囲気に舞い上がった私は、そこで生まれて初めて「アイス・フロート」という「大人の飲み物」をオーダーしてしまい、それ以降「アイス・コーヒーって美味しい」と目覚めたまま、今に至る。(それまでは、コーヒーは禁断の味としては美味しかったけど、本当に美味しいと思ったことはなかった。ただ苦いだけの「大人の飲み物」という扱い)
 大叔父は、「現場からの成り上がり」であったのだと思う。うちのそっちの家系は、他にも「現場成り上がり」を生んでいて、そっちは都内の主要駅近辺で駅売りの新聞運びの小僧から出世して、駅周辺のキオスクみたいなお店を独占するようになり、そこそこの金持ちになった人がいたようだ。たまに、インテリも出てくるのだが、そっちは、放浪生活の末に野たれ死にしたりしていて、「有名大学を出た人材で、出世した人がいない」という家系なのである。

 そーいや、あのときも、父の従兄弟だかの私と同じくらいの賢そうな息子は「武蔵に入った」などと言っていたが、その後どうなったのか聞いたことないな?フリーターになってるかも(笑)

 ええと、思わず、昔の「変な記憶」を発掘してしまって迷走してますが、とにかく、その「当時は珍しかった大型マンションに新居を構えた若夫婦」には、まだ子供もいなかったので、気合を入れて部屋を作っていた。
 もう細部は憶えていないのだが、今から考えると「インテリア雑誌も、インテリア・デザインもなかったあの頃」であるから、大したことなかったけど、でも一つだけ鮮明に覚えているのは、夫婦のダンナが自分の書斎に気合を入れていたことである。

 現場成り上がりの大叔父の娘は、ありがちなことであるが、けっこう教養系の人であり、どこで見つけたのか、そのダンナもインテリ系のヤサ男であった。彼は、うちの父も「読書好きのわりとインテリ」であることを知っていたのか、自慢の「ボクの書斎」を父に見せびらかしていたので、そこに私も同席していたのであった。

 4畳半くらいの窓際の洋間に、作りつけの本棚が天上まであり、立派なライティング机が鎮座していて、子供心にも「うちのお父さんだって、子供が3人もいなければ、こんな書斎が欲しかっただろうな」という部屋だった。
 父と、その婿殿が話している間、私は彼の自慢の蔵書をじっと眺めていた。「本棚には人柄が表れる」ということなんて知らなかったわりには、本能的にそうしていたらしい自分がかわいい、というかカワユクない小学生(笑)

 人目に一番つきやすい位置に、びっしりと並んでいたのが「新田次郎」の著作であった。
 個人の蔵書で、同じ作家の本が、びっしり並んでいるという光景は、あのとき初めて見たような気がする。
 で、その旦那の苗字が「新田さん」だったのだ。

 子供心にも、「好きな本をビッチリ並べている新田さん」と、その奥さんの父上である「ゼネコンの現場監督」が上手くいくわけないと思ったが、まあ、それはまた別の話。(いろいろあったようでございましたが、私はその話の端々を聞く程度で・・・・・)

 小学6年だったか、やっと中学にあがったころだった私は、その「新田次郎」がズラリと並んだ光景を見て「この新田さんはきっと、新田次郎のご親戚なんだ」と思った。
 あとで、親にそう言ったら「あんた、変なとこ観察してるわね」と笑われながら「そういうことじゃないと思う」と否定されたのだが、今だからわかるけど、「新田」って、そんなにありふれた苗字でもないので、インテリ風な20代後半の男性が、「同じ苗字」に惹かれて、当時の流行作家の著作を読み漁ったということは理解できる。

 という、体験から、私は「新田次郎」といえば、あのときの「新田さん」を思い出してしまうのだ。あれから30年近く経つが、あれ依頼、新田さんとちゃんと会った記憶がない。新田さんの奥さんである、父の従姉妹には、弟の結婚式で久々に会って、そのまんまの「インテリおばさん」になっていたのが可笑しかったが、向こうにしてみれば、あの当時の「ちょっと気難しそうな女の子」が「まだ独身で〜す」とヘラヘラ笑いながら、父親譲りの酒豪の腕を披露していたことに驚いたであろう。

 そして、新田次郎の作品も、結局「聖職の碑」しか読んだことがないのだ。
 読書感想文という重圧から解放された今、新田次郎の他の作品も、今更ながら読んでみてもいいんじゃないか?

 と、思ったので、試しに、というか、自分にしかわからない「外堀を埋める」作業として「流れる星は生きている」を読んでみることにしました。
 ついでに、その息子である藤原正彦の本も買ってみた。

 「天は我々を見放した!」という映画の宣伝から抜け出るには、これだけの儀式が必要なわけだ。

 同じ頃なのかどうかわからないが、「かあさん、ボクのあの麦藁帽子・・・・」で有名な「人間の証明」は、最近、ドラマで復活しているが、あのCMが有名すぎて、実はストーリーを全く知らなかったことに驚く。
 森村誠一は超有名だが、彼の本を一冊も読んだことがないのだ。
 そう考えると、五木寛之の小説だって、読んだことないけど、とにかく「角川映画的な何か。プライスレス」に圧倒されて、実は「キャッチコピー」だけで、なんかわかったような気にさせられているものは、けっこう多いのではないかと思った。

 そういうものが、本当に評価できるものかどうか、じっくり考える暇は幸いなことにたっぷりあるような気がしていたのだが、チェッカーズのドラムのクロベーが40歳で亡くなったなんてニュースがあるとねえ・・・・

 チェッカーズのメンバーが死ぬ日なんて、全く想定しなかったので虚をつかれた。

 個人的にはチェッカーズに全く思い入れはないというか、フミヤがなんで、今だにあんなに人気があるのか、全然、まったく、さっぱりわけわかんない。

 そういえば、フジロックに行ってたとき、Tさんが、「うちの妹が」と言った話で(Tさんの妹さんは、スポーツ新聞記者で、且つパンクス。ジョー・ストラマーの訃報が流れたときに「くそー、ポール(ウェラー)は、きっと嫌味なジジイになるんだろう」とパンクスの名に恥じない、意味不明の嫌味というか「八つ当たり」を言い放った人である)

 「Xジャパンって、現役時代は別に興味もなかったけど、解散後の動向からすると、欧米の大メジャー・バンドの『その後』にけっこう近い」

 たしかに、謎の死を遂げたり、新興宗教にハマったり、政治活動に傾いたり・・・・・・・と、「Xジャパン」を無視した洋楽ファンにも馴染みが深い「その後」である。時の首相に無意味に持ち上げられたりするあたりも・・・・(クリントンも変なバンド持ち上げてましたよね)

 そんな洗礼を経て、「でも、これはやはり作品自体はすばらしかった」と言えるのかどうか?

 そんな検証を今更してみたくなってきたようなきがしなくもない、37歳の夏であった。(要するに、ちょっと暇ってこと)
8月17日(火)

 先のW杯のときにも、911騒動(?とは言わないか・・・)のときにも、あんだけノリノリだった私ですが、今回のオリンピックにはすっかり乗りそびれてるなあ。まあ、元々、オリンピックにはあまりノレたことがないのですが、なーんか、この間の長野の冬季オリンピックよりもウザく感じるのは何故だろう?

 と思っていたのだが、今朝、その謎(というほどでもない)が解けた。
 中継が真夜中なので、始まる前に寝てしまうのだが、朝目が覚めて、いつものようにテレビをつけると、テレビが「また、金メダル!」と、やたらハイテンションなのが辛いのです。あっちは試合が終わった後の興奮もさめやらずなんだろうけど、こっちは起き抜けなので、「28年ぶりの金メダル!」と言われても、

 「そっか・・・・なんか、あたし、男子体操がメダルばっかとっていたころを憶えているような・・・・・あれは、そんなに昔のことなのか?・・・・・だよな、そっか、あたしが10歳だったのって、28年も前なのか・・・・」

 と、後ろ向きになってしまうので、思わずまた寝なおしたくなります。
 コマネチは元気かなあ〜
 ぐうZZZZZZZZZZZZZZ

 長野冬季五輪のときに「まるで大本営発表みたい」と言われたけど、今回のほうがそれっぽいような気がする。サッカーが予選敗退したニュースなんて、新聞の片隅でしか知ることができなかった。日本チームの敗退ですら、その扱いであるから、バスケのアメリカ・チームが負けたなんてニュースも詳細を知るのが難しいし、日本でも人気のあるはずのイアン・ソープの泳ぎもほとんど観ることができない。
 コマネチってすごかったんだね。

 そんな私は「谷亮子の金メダル」にも、「ふん」という態度だったのであるが、一昨日また、前にお金を貸した友人から、更なる借金のお願い電話が入り「ええ?もうこれ以上はちょっと」と言ったのだが、ダラダラと食い下がられて根負けし、結局また数万円貸すことになってしまった。
 一度に振込むと危ないので、まず3万円振り込んであげた。

 数年前に20数万円貸した友人に「他の友達が貸してくれって言っているので、そちらに余裕があったら少しでもいいから返してください」と勇気を出してメールしたら、ちゃんと5万円づつくらい返してくれるようになって経済的なことよりも、精神的に非常に救われたのだが、「過去の借金をうまくスライドできたら」と思っていたのに、あっという間に予算オーバーだ。

 そんなに稼ぎもよくない私が、「でも年に一度は旅行に行きたいし」「もし、なんかあっても3ヶ月間くらいは食いつなぐ貯金はないと不安だし」と、みみっちく貯金しているといのに、自分で楽しむ前に、他人を助けるために使っているのも悲しくなり、まあポジティブに考えれば「フジロックに行くと10万円くらい散財するが、いいもん、あたし、そんくらいの金持ってるもん。他人に貸すくらいなら自分で遣ってやるぅぅぅぅぅ」と開き直るための起爆剤にもなるのだが、でも、やっぱし友達にお金を貸すのは悲しい行為だ。

 まあ、それはいいとして(自己責任だし)、何が言いたいかというと、そんな最悪な気分で迎えた昨日の朝、テレビをつけると、そこには、これ以上の幸せはないという笑顔の谷亮子がいて、ダンナも応援してくれただの、ダンナにもメダルをとってもらいたいだのの「おのろけ話」を披露していて、いつもの私だったら、「どよ〜ん」となりそうというか、「ああ、ナンシー関はなんで死んでしまったの?」と嘆き悲しむ場面であるが、自分が「ぷち不幸」だったので(別に自分の食費を削って友達を援助しているわけでもない。老後の蓄えを崩しているだけ)、なんか、あの「幸せ100%光線」というか「幸せ放射能、もはや臨界」に妙に心が洗われてしまったのである。

 「君が私から小金をシボり取るおかげで、私はついうっかりヤワラちゃんに感動してしまったよ」

 と言うと、友達はとても嫌がると思うので、このことはしっかりと書き残しておこうと思った。

 それに比べると、大したことではないが、「人に貸せるくらいの、中途半端な貯金があるからいけないのだ。こうなったらギャンブルに溺れてやる!」と思って、また「パンダーZ」の食玩に挑戦してしまった。
 また「ゾウタンク」ではなかった。

 そんなわけで、昨日は「ちょっと夢の世界にダイブしよう」と決意して映画観に行っちゃったわけです。

 ところで、最近、掲示板がまた重いので、書き込みしようとするとエラーが出るというのに、なぜか時々覗くと書き込みがあったりするので、「なんで、あたしはダメなんだ?」と思いますが、「スターシップ・トゥルーパーズ」に原作にあったモビル・スーツが出てこないという書き込みに、「ぐふふ。お待ちしておりました」と微笑んでいたのでありました。

 だって、中野貴雄の映画評には、「SFオタクの間では『原作に登場するモビルスーツが出てこない』と不評らしいけど、そんなケツの穴の小さいやつは、ブレイン・バグ(通称、アナル虫さん)がファック!」って書いてあるんだもん(笑。あたしが言ったんじゃないですよ。「国際シネマ獄門帖」の最初の映画評がこれなんです)
 そんなわけで、あの映画を一度も観たことなかった私は「ブレイン・バグ(通称、アナル虫さん)」がどんなのだかわかったので、「ほお、これは醜い」と満足していたのでありました。

 ゴールデン・タイムの放送だったし、かなりカットされていたと思うけど、(バーホーベン映画にしては、血糊の量が少なかったような気が・・・・そういうシーンはカットされてたのかも、と思った)、あの映画だと、「歩兵」はあくまでも「歩兵」でよかったような気がします。
 「マトリックス3」では、攻撃力はまあまあだが、防御力が弱い、中途半端な戦闘スーツ部隊が出てきましたが、あれに比べると「スターシップ・トゥルーパーズ」のほうが、(映画監督として)やりたいことがハッキリしてて潔いと思った。

 久々に映画館に映画を観にいったのだが、あまり予告編を上映してくれなくて、「LOVERS」の予告編だけだったのだが、「HERO」のときは「トニー・レオンとマギー・チャンが出るなら、しゃーねーな」と思って観たけど、今度のは、アンディ・ラウ、金城武、チャン・ツィイーという、ワタクシ的には非常に微妙なラインナップだ。
 それにしても、予告編だとやたら映像が荒れていたのだが、本編もそうなんだろうか?盲目の舞姫チャン・ツィイーが美麗衣装で舞うシーンはけっこう美しかったけど、男優二人はなんか肌がガサついたかんじに観えたし、映像的にもくすんでいた。「HERO」の予告編のほうが、ずっとクリアな映像で「まあ、キレいそうだからいっか」と思ったんだけどなあ。

 でも「HERO」でも、結局一番美しかったのは女同士の闘いで、「この監督、イマドキめずらしい人ね」と思った。最近の(と言われて数十年経つが)映画監督は、「女優を美しく撮ろう」という気持ちに著しく欠けている人が多い。「映画監督なんて全員ホモだから」、と言い放った人がいたが、それもあながち的外れでもないような気がしていた。
 元々「美しい」とされる「女優」のいかに醜いショットを撮るかが「力量」とされた時代があったような気がしなくもないが、その次の世代は、それをお手本としてしまったようで、今ではヒッチコックみたいな変態的超絶技巧で女優を撮る監督は皆無である。まあ、あれで極めちゃったから、もう、やりようが無いし、ああいう視点に耐えられるだけの女優がいないということなのかもしれないけど。

 そんな中では、チャン・イーモーは「女って怖い」をメインにしながら「でも、だからこそ美しい」といのをやろうとしている数少ない人材だと思うのだが、でも、男に対しては手を抜きすぎではないか、とも思う。「男」で絵を作る気なんてさらさらないので「イケ面キャスティングしておけばOK」という、西洋人モホ疑惑監督が「セクシー女優が脱げばいんだろう?」という投げやりな態度をとるのに似たようなものを感じるのだが・・・・・

 その中間を行くのは、なかなか難しいようで、東京都教育委員会が「ジェンダー・フリー」を投げた気持ちが、なんとなくわかるような、それとこれとは全然違うことのような・・・・
8月16日(月)

 やっと、今更、「ハリー・ポッター」を観に行った。
 「これぞ、スローライフ」と思ったのだが、意外に客が入っていて、シネコン内でも一番大きな劇場でかかってた。

 ハリポタ映画を劇場で観るのは初めてで、今年の冬に香港のきょうみさんちに遊びに行ったときに、旧作をDVDで鑑賞したのだが、長いから途切れ途切れで観たので、一本ちゃんと通してゆっくり観たのはこれが初めて。
 しかし、あの長い話をあれだけの長さにまとめる技に感心した。原作読んでないと、細部がよくわからないだろうけど、原作読んだ人にとっては「絵で観るダイジェスト版」になって楽しめると思った。

 てゆーか、「騎士バス」がビュンビュン走るところで、もう大感激。三階建てで、中が吹き抜けというゴージャスな造り。乗り心地は「猫バス」に負けているようだったが(笑)、でも「騎士バス」と「猫バス」は私の中では「二大バス」に決定した。
 あとやはり、ヒッポグリフが活躍するので、「わー、飛んでるよ、カッコいい」と大喜びでした。

 エマ・トンプソン演じる占い学の先生は、ちょっとクドすぎたかな。あと、ゲーリー・オールドマンもせっかくの出演なのに、あまり見せ場がないような気がして、ルーピン先生のほうが目立っていた。
 しかし、亡き父の親友二人が、それぞれ犬と狼に変身して、目の前でガオーっと争っている光景って、ちょっと情けなくないか?ハリーの心情を想像して、クスっと笑ってしまいました。

 エンド・クレジットの「足跡ピョコピョコ」がなんだか可愛くて、最後までずっと観てしまった。曲調が変わると、ダンスのステップ踏む足跡とか出てきて、かなり凝っていた。
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