可燃物な日々

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6月30日(水)

 昨日はまた飲んでしまい(実は一昨日も飲んでいたので、日記の文章が乱れている。「人生は美しい」なんて書いてあるあたりが酔っ払い)、家に帰り水を飲みながら「犬は勘定に入れません」を読んでいた。
 酔っ払いながら頑張った(?)甲斐があって、今日やっと読了しました。

 たしかに、訳者あとがきにも書いてあるとおり「バック・トゥ・ザ・フューチャー」みたいな話なんだけど、私はなぜか萩尾望都の「銀の三角」を思い出した。
 そんで、たぶん、「犬は勘定に入れません」を読んだ人の多くが、途中で「犯人」というか「謎のC氏」が誰だかわかるのだろうけど、それで思い出したのが、中学生のころアガサ・クリスティのミステリーを読みまくり、だんだん本の前半で犯人が誰だかわかるようになってしまったことである。
 「ああ、たぶん、この人が犯人だな」とわかっても、「なぜ、どうやって?」という肝心なことまではわからなかったので、それはそれで「刑事コロンボ」みたいには楽しむことができたが、でも、あまりにも「犯人的中率」が高くなってしまったのと、名作から先に読み始めるので、未読のものは「平凡な作品」である確立も高くなり、クリスティからは足を洗ったのであった。

 でも、そういう、昔楽しんだミステリーって、20年後にはすっかり内容を忘れていたりして、さすがに「オリエント急行殺人事件」や「アクロイド殺し」みたいな、有名すぎる「意外な犯人モノ」だと最初からわかっちゃうけど、もう少しマイナーなやつにをたまに読み返してみると、「おお、そうだ、犯人はこいつだよな・・・・でも、なにが動機だったんだっけ?」と肝心なところをすっかり忘れていたりするので、また昔と同じように楽しめたりするし、「記憶の虫干し」は、いい頭の運動にもなる。
 「刑事コロンボ」も、たまに再放送で見直すと「この話は憶えてるぞ・・・・でも」と、やっぱり忘れていたりするもんな。やったことないけど、「刑事コロンボ」で覚えている話を酒飲み話で語ったら、けっこう人によってまちまちだったりするのかな?
 私が好きだったのは、ドガの絵が出てくるやつとか(指紋が重要な証拠になり、犯人がコロンボに「お前の汚い手が!」と往生際悪く喚くと、コロンボが鑑識用の手袋をはめた手をハイっと見せるラスト)、「バラの蕾」という言葉で人を襲う犬とか(それを観たずっと後に元ネタの「市民ケーン」を観て「これか〜〜」と感激)、アイルランド独立過激派運動に出資していた富豪のバアサンの話とか(やはり、それを観たずっと後に、だんだんとアイルランド問題がわかるようになった)、結局、コロンボをちゃんと観ていたときは、自分があまりにもガキだったので、けっこうわかってないことが多く、その後、わかってきたものなどは、大人になって見直すと別の意味で楽しめるというのは、優れた作品に共通のことなのかもしれない。

 アイルランド問題なんか知らなくても、そもそもアイルランドがどこにあるのか知らなくても、楽しめるわけだし、そういう知恵がついてくれば二度楽しい、という仕組み。
 クリスティの小説も、20歳過ぎてから読み直してみたら、イギリスの階級制度というものが浮き出てきたので興味深かった。中学生の頃は、そういうのがよくわからなかったのである。

 ああ、しかし、小学校高学年から中学校くらいまでは、古典的ミステリーをほんとに読み漁っていたよなあ。今の子供もそういうのを読むのだろうか?エラリー・クイーンとか。「名探偵コナン」が人気なんだから、ああいうのってやっぱ子供は好きなんだよなあ。今でも、コナンの映画をテレビでうっかり観てしまうと、「わあ、こういうの大好きだった!」と、心ときめく。

 そして、「怪盗ルパン」や「少年探偵団」のシリーズの背表紙が昔と全く同じデザインで、本屋に並んでいたりすると「小学校の図書館に並んでいて、端から読んだよなあ。背表紙ボロボロでセロテープで補修してあったなあ」と懐かしく思い出す。

6月28日(月)

●たぶん、あまり上手には出来ないだろうけど、でも、一度やってみたい憧れの職業

 大きな交差点で「緊急車両です!赤信号ですが直進します。ドライバー、歩行者の皆さん、停止してください!」と、拡声器でガシガシ叫ぶこと。
 今日、そういう車に足止めされて、その素敵なガナリっぷりに、ちょっと憧れた。
 環七の交差点だったから、かなりガナらないと間に合わないので、その必死さがよかったです。で、交差点を通り過ぎた後も、すぐに信号があったようで、たぶんあの消防車はず〜っと「オラオラオラオラ!」とガナりながら走ってゆくのだろうなあ〜いいな〜と、その姿を見送った。

 やっぱし火消しは江戸の華よね。あれ?火事が「江戸の華」だったんだっけ?
 わはは「火事と喧嘩」でした。
 なんか「まとい」が花っぽいかな、と一瞬勘違い。

 新宿への散歩コース(渋谷の倍の時間がかかるので、最近あまり歩いていない)の途中に消防学校があり、校庭で訓練しているのが見えるのだが、キビキビと一糸乱れぬ様子で訓練している姿はけっこうカッコいい。軍隊の訓練だって、カッコいいとは思うのだが「でも、やっぱし戦争の訓練」という思いが邪魔をして、様式美として単純に楽しめないのだが、消防士だと、そういうマイナス要因が全くないから、目の保養になります。

 そういえば、うちの近所の消防団は、毎週訓練をしているのだが、あんなにやる必要があるのだろうか?そういう決まりがあるのかどうかわからないが、消防団の場合は職業ではなく「町の有志」がやっているはずなので、毎週集まるのは大変だと思う。しかも、金曜日の夜なんだよね。
 毎回同じメンバーでやっているのかどうかもわからないが、ちゃんと学校の敷地の脇にある格納庫から小さな消防車を出して、ホースを出したり丸めたり、やはりキビキビと本格的に号令をかけて練習している。

 この区域の消防団がどう運営されているのかわからないが、私が育ったところにも消防団はあったけど、団員は別に毎年変わったりしていなかったと思う。町内会の役員とかは、誰もやりたがらないので当番のように回ってきたけど、「消防団を渋々やっている」という話は聞いたことがなかった。
 サラリーマンには勤まらないので、(平日に対応できないなら意味ないし)主に自営業の人たちが担当していたのだと思う。そんで、いつだったか知人の家でボヤが起きたときに、消防団も駆けつけてくれたが、そのときにはちゃんとプロの消防車も来たので、消防団が活躍することはなかったが、無事に火事が消し止められたあと、その人たちが宴会を始めたので、火事に遭ったお宅もそのお世話をしなければならず、「なんか逆に迷惑だった」とこぼしていた。

 なので、なんとなく消防団というのは、お祭りのお神輿担ぎのような運営のされ方をしているのではないかと思っていたのだが、ここに引っ越してきて、毎週ちゃんと訓練しているのを見ると、「けっこう大変なんだな」と自分の思い込みをちょっと改めたのだが、ひょっとすると、毎週の訓練の後に飲み会があって、そっちがメインだという説も否定できない。って、それじゃ、うちの会社みたい(笑)会議そのものよりも、その後の懇親会がメインなことが多い。

 さて、最近はけっこう本を読んでいる。
 私は日本人の平均よりは本を読むほうだとは思うが、でもけっこうムラがあるので、生涯読書数はそれほど多くない。読まないときは、ほんとに1年くらい読まなかったりするしね。
 社員旅行では、本を読みまくる(そうすると、「あたしに話し掛けないでねオーラ」が自ずと放出される)ことにしていたので、読みやすそうな本を何冊か買ったので、その勢いが継続中なのである。

●「インド怪人紀行」(ゲッツ板谷)

 嫌々参加する社員旅行のお供としては、いいセレクトである。こういう本はこういうときのために温存しておきたいので、今まで板谷氏の本をちゃんと読んだことがなかった。筒井康隆の短編に「配分王」という話があったが(題名がそうだったか忘れたが、お弁当のおかずとご飯が同時に食べ終わるなどの「配分」に人生をかけた男の独白)あれを読んだときに「あたしのこと?」と思ったくらいだ。

 しかし、なんかこの間もインド関係の本を買ってしまったような気がするが、もしかしてまた行きたくなっているのか?
 まあねえ、ちょっと仕事が飽きてきたというのは事実であるが、だからってインドのほうがいいとも思わない。あそこもけっこうシンドイところだったし。たしかに癒される部分もあるのだが、大変なことも多いので、差し引きでマイナスなのだ。そりゃ、「いい人」のほうが圧倒的に多いのだが、英語喋れて、しかも観光客に話かけてくる人は圧倒的に「悪い人」というか「そんなに悪人でもないがウザい人」ばかりなので疲れる。
 そんな手ごわいインドを癖のある野郎4人で、しかも取材だから日数も限られた中で、しかもインドの中でも「性悪」なゴアと北インドを中心に回っているわけだから、社員旅行中の身としては、読んでいてかなり癒されました。

 あと、笑ってしまったのは、最初に到着したデリーで泊まった宿が同じで、「ああ、あそこの屋上のカフェはよかったなあ」と懐かしく思い出す。そして、高級寝台特急でムンバイに向かったというのも同じ。私はその後、寄り道してアジャンターの石窟などを観てからゴアに向かったが、彼らはムンバイから恐怖の長距離バスでゴアまでの16時間を耐えたらしい。そんで、悪名高きアンジュナ・ビーチに滞在したらしいが、シーズン外れていたので日本人がほとんどいなかったらしい。
 私はちゃんとオン・シーズンだったので、アンジュナ・ビーチは「日本人ばっか?」な状態でした。「なーんか、妙なとこに来ちゃったなあ」と思ったもん。そんで、そこに先に来ているはずのK子嬢を探すことになったのだが、彼女がどの宿に泊まっているかがわからない。まず、その前の年に行っていた子が泊まったという宿がお勧めだったので、そこで聞いてみたら宿の主が「確かに、その子は来たけど、満室だから、たぶんWという宿に行ったはず」と言う。

 そんなにいちいち旅行者の名前を覚えているもんだろうか?なんか別の子と勘違いしてないか?でも、一人旅の日本人女性はそんなにいないはずだし、まあ、そっちでも聞いてみながら、それほど宿が何十軒もあるわけでもなさそうだし、そのうち遭えるだろう、と思って、Wという宿に行って、とりあえず疲れてたからカフェで飲み物を注文してから「こういう子、泊まってない?」とスタッフに聞いてみると「一人で宿泊している日本人の女の子はいないけど、他の日本人はいるから、彼に聞いてみれば?」

 しばらくそこでくつろいでいたら、日本人の男の子がやってきて「友達を探してるんだって?」と言うので、「うん、K子って言うんだけど」と話してみたら、「ああ、K子ちゃんなら、昨日会ったよ。あっちの宿に泊まってるよ」
 到着して1時間ほどで、あっけなく友達は発見された。
 その宿の女将に「こういう人、泊まってる?」と聞くと、「ああ、いるけど、でも今は外出してるから、そこで待ってれば?」と言われて、共同スペースで待っていたら、K子さんが戻ってきて「あれ?ミヤノちゃん、もう着いたの?よく、ここがわかったねえ?」と向こうも驚いていたが、私も「こんなに、あっさりと発見できると思わなかったよ。ここはいったいどこ?日本のド田舎の集落なのか?」と苦笑していた。ベッドタウン育ちの生半可な都会ッ子の私には、インドの片隅に突如出現した「ニッポンの村社会」が大変興味深かった。

 自分の思い出話になってしまったが、板谷氏は「せっかくインドに行ったけど、カレーがイマイチ」というようなことを書いていたけど、食事が美味しかったのは圧倒的に南インドだったので、そっちを回っていないとそういう感想になるのかもしれない。デリーの食堂はそれなりに美味しかったけど、ゴアはまともなインド料理が食べられなかったし、カルカッタはどうだったか忘れたが(二泊くらいしかしてない)、バラナシっていうところは食事がどうのという前に、あまりの雑踏ぶりに食欲が減退するし、あそこは水が悪いらしく、ほぼ全員がお腹を壊す。私もやられた。

 そういえば、新山さんの日記にはよく「ドサ」(白いフカフカしたナンみたいなのに、それほど辛くないソースをつけて食べる、南インドの定番朝食)が登場するが、あれって東京では遭遇したことがないよなあ。だいたい、チャパティも見かけないし。なんで日本のインド料理屋はナンばかりなのかとても不思議だ。だって、インドではほとんどナンは食べなかったもの。中級以上のレストラン(ドアがあって、エアコン付なので入りにくい)でしか見かけなかった。
 あと、ピックル(ピクルス)も日本ではあまりメジャーではない。超カラいのだが、辛いもの好きはけっこうハマる。前に、インドでホームステイさせていただいた家のご主人が仕事(船員)で横浜に来たときに連絡をくれたので、Mちゃんを誘って行ってみたら、食堂でご飯を食べさせてくれて、それが「ああ、インドの味だ〜」で大変美味しく、Mちゃんと二人で「おいしい、おいしい」とバクバク食っていたのであるが、そのときにもピックルが添えられていて、Mちゃんは「これ初めて食べたけど、おいしい〜〜〜」と大感激していたものだから、周囲のスタッフがわざわざストックしていた瓶をお土産にくれた。マンゴーピックル。まあ、インド人向け食材店に行けば、置いてあるんだろうけど、インド料理店では当たり前のようには出てこないような気がする。

 ああ、インドには行きたくないが、あの料理はまた食べたいなあ。うまかったよな〜。街中のどうってことない食堂でも充分だったし、たまに奮発して中級レストランに入ると、一人だからあんまし数頼んでも食べきれないのはわかっていても3品くらいオーダーしちゃって、半分以上残してしまったが、「日本に持って帰りて〜」と思っていた。

 ええと、だから、自分のインドの思い出を語ろうと思ったわけではないですが、ゲッツ板谷氏の「インドにはまる人は、なんでインドがそんなにいいの?」という考察は、かなり納得したというか、今までそういう自分の意見に近いものを読んだことがなかったので、けっこう感激しました。

●「ボートの三人男」(ジェローム・K・ジェローム 丸谷才一訳)

 この本の副題となっている「犬は勘定に入れません」(コニー・ウィルス)という題名の本が、けっこう評判いいようで、じゃあ、それ読む前に、元ネタのほうを読んでみるか、どうやら「ボートでテムズ河をのんびり旅行するビクトリア朝紳士」の話らしいし、旅のお供としてはナイスなセレクトだろう、ということで、読んでみました。
 「ユーモア小説」の代表作として有名だったようですが、こんなの今までその存在を全然知らなかった。

 多分、絵としてはE.M.フォースター原作の映画「眺めのいい部屋」「ハワーズ・エンド」あたりを思い浮かべればいいのでしょうけど、フォースターが描いた時代はもうちょっと後なのかな?
 そのあたり、よくわかってないのだが、どうやらフォースターの時代はビクトリア朝じゃなくてエドワード朝らしい。なにがなんだかよくわからないが、日本で言うと「江戸時代」と「明治維新」みたいな「古きよき時代」って扱いなのかね?

 しかし「こんな名作の存在を今まで知らなかったとは!」と悔しいくらい面白い。全然、古さを感じない。主人公の考察の中に「骨董品っていうのは、昔はどうってことなかったもんが有難がられているだけのような気がする。するってえと、今だと単なる江ノ島のみやげ物みたいなダサいものでも、100年後には日本人が有難がって高値で買いあさるのかもしれない」っていうのがあって、「え?これって、いつ書かれたもの?ひょっとして、最近なの?」と思って、解説を読むと、本当にビクトリア朝(1889年初版)に書かれたものらしい。

 その当時、洋行していた日本人なんてほとんどいなかったはずだけど(明治時代?)、まあ「ありえねー」という意味で、100年後に日本人が英国骨董を買いあさるかも、って書いたつもりなんだろうけど、あまりに的確に未来を予想しているので、恐ろしくなる。
 それ以外にも、ほんとうに現代に置き換えても全く遜色のない「どたばたロード・ムービー」みたいな小説で、それこそゲッツ板谷あたりがやりたいことは100年前にすでにカンカン帽かぶったキザな英国紳士に全部やられてました。脱帽です。という感じであった。

 ひとつ文句を言わせてもらえれば「ロック(水門→門の中に申って字が出てこねーぞ。だいたいなんて読むんですか?)」っていう河下りだか登りに重要で、よく出てくる場所の光景が絵として想像できなくて、どうも、そこでは舟を曳いたりするみたいだし(小ぶりのスエズ運河みたいなもん?)、曳舟所というのも出てくるのだが、それもよくわからないので、テムズ河の河下りの様子も、ジェイムズ・アイボリーに映画化してもらわないと充分に堪能できない現代人の悲しさよ。

●「ふたりジャネット」(テリー・ビッスン 河出書房新社 奇想コレクション)

 本邦初短編集らしいけど、やはりこんな作家のことなんて全然知りませんでした。
 どうもこの「奇想コレクション」ってシリーズは「買い」のようだ。
 この短編集では、最初の「熊が火を発見する」は、「へ?なんなのこれ?SFなの?」と思ったが、次の「アンを押してください」あたりで、「なるほど」と思い、その後はどっぷりと漬かれた。
 訳のせいなのか、原文がそうなのか、誰のセリフだかわかり難いということがあるのだが、表題にもなっている「ふたりジャネット」は、ゲラゲラと笑いながら読めました。田舎町に次々と有名作家が引っ越してくるという話なのだが、アメリカ文学をちゅびっとでも齧ったことのある人だったら、有名作家の名前が全部わからなくても充分楽しめます。

 てゆーか、「都会でバリバリ仕事するのを夢見て、田舎を飛び出した女の子が、このままでいいのかな、と感じる瞬間」をこんな設定で描くなんて!
 で、好感が持てるのは、この作家の短編って、終わったあとに「ま、いっか」という一言を付け加えたくなるところです。なんか、そういう抜けた感じがある。けっこう物凄いなにかが起こっているのですが、なんかどれも「でも、ま、いっか」って感じで終わるのです。
 で、それが「奇想コレクション」というよりも、こういう事件ってわりとあるわけじゃないですか、全然「奇想」でも「幻想」でもないけど、卑近な例で申し訳ないけど、部長が「明日の会議にお弁当用意してね」という「へ?」なことって、けっこうあるわけで、そういう身近な奇想な出来事に対しても、この作家の描く世界のように「ま、いっか」で済ませられれば、人生は美しいのです。(おおげさ)
 本人的には「けっこう大変なこと」でも、他人にとってはどうでもよかったりする・・・・・という、事実を軽妙なタッチ且つ、意外な設定で描いているというあたりに「やられた」と思いました。

 超インテリのスーパー中国系が活躍する本格的ユーモアSF三部作も堪能させていただきました。

●「不思議のひと触れ」(シオドア・スタージョン 河出書房新社 奇想コレクション)

 「ふたりジャネット」があまりにも面白かったので、勢いで買った一冊。こっちのほうが翻訳としては読みやすい。
 スタージョンの名前はなんとなく知っていたのですが、ちゃんと読んだのは多分初めてだったんだけど、これもSFファンだけに読ませるのはもったいないくらいのいい短編集です。Oヘンリーとか好きな人は絶対はまる。

 私が一番気に入ったのは「タンディの物語」
 子供が急に変化する瞬間ってのがあるようで、そういや昔、友人Aが姪っ子の話をメールしてくれたっけ。なんか輝くものが心の中に入ったので、それがあると、いつもお母さんにガミガミ言われながらやっていることが自発的にできるようになったという話だった。

 親としては、そういう変化がどうして起こるのかよくわからないので、それをSFチックに短編にしてみました、ってかんじの秀作。Oヘンリーの短編集の中でも「赤い酋長の身代金」が好きな人にはお勧め。ちょっとジャンルは違うけど「ああ、子供って」というのが好きな人(あたしです)は、どっちも好きだと思う。

●「犬は勘定に入れません」(コニー・ウィルス)

 というわけで、やっとこれを今読んでいるわけです。まだ3分の1しか読んでないが、かなりクドい小説で、最初しばらくは「時間旅行疲れ」しちゃった主人公が、かなりヘロヘロのまま周囲の会話を聞いているのに付き合っているため、やっと話が動いてきたら、遡ってまた最初のほうを読み直していたりして、なかなか進みません。
 でも「ボートの3人男」も読んだし、なにせジェームズ・アイボリーの映画はほとんど観ているわけですから、けっこう入りやすい。でも、コニー・ウィルスってアメリカ人なんですね。なんか、やっぱしアメリカ人のアイボリー監督が「古きよき英国」を映画化したように、アメリカ人のほうが、「あの時代」に対する思い入れが深いのかなあ。

 なんか、そう考えると、私みたいな極東島国在住の人間が「くわ〜、しびれる」と堪能している「ビクトリア朝、エドワード朝」の英国って、現代の英国人はあまり有難がってないのかもしれない。不思議の国のアリスって、英国ではどういう受け止められ方をしているのでしょう?
 「犬は勘定に入れません」の前半でも、少女シシーに夢中になる若い男性のことが、飽きれた感じに描写されてますが、それてって「源氏物語」で「紫の上」の少女時代で「キープ」を決めた源氏に対して「おいおい、ただのロリコンじゃん」と突っ込みを入れているのと似たような態度だと思いました。
 まあ、英国のロリコン文化はけっこう有名ですからねえ。
 熟女を好むフランス人にとっては(女優も30歳過ぎないと売れないらしい。ほんと。シャルロット・ゲーンズブールは例外ゆえに尊重された)永遠の謎らしいですね。

 この小説もまだ半分も読んでないですが、映画化することになったら、アイボリー監督にお願いしたいなあ。
 日本の金魚に夢中な大佐は、ヒュー・グラントですよね、ね、ね。ペディック教授は、アンソニー・ホプキンスが演じますから〜〜〜〜〜。私がそう決めました。だから、それでやってください。
6月27日(日)

 土曜日に、久々に映画でも観たい気分になっていたのだが、いつも会社の帰りに寄る港北のシネコンはすっかりハリポタに占領されてしまい、「キューティー・ハニー」も「ビッグ・フィッシュ」も上映が終わっていた。
 そんなわけで、今日は渋谷まで映画を観に行くことにした。
 渋谷のシネマライズは日曜の最終回は1000円均一なのである。

 お天気は、曇りだったので、渋谷までお散歩。池尻まで抜ける遊歩道を通って行ったのだが、下水を再利用しているという人口の川には水鳥がいたし、植えられた草花もいいかんじに鬱蒼としてきた。かなり手間のかかった遊歩道なので、あそこを歩いていると「区民税の払い甲斐がある」と満足できるのである。

 ただ、その遊歩道が目黒区に入り、池尻大橋の自転車駐輪場の近くの数百メートルは、少し前までは、目黒川の上にコンクリで蓋をしただけの殺風景なところで、遊歩道の整備のためか、その上に土砂が積まれていた。「この土砂どうするんだろう?」と思っていたのだが、そのうち、勝手に雑草が生えてきて、それなりにの風景になったのだが(自然って偉大ね)、今日、久々に歩いてみて驚いた。
 その殺風景なフェンスに囲まれた「丘」が、可憐な草花で覆われていたのである。
 最初は「この花々も勝手に咲いたのだろうか?」と思ったが、でも、ただの草原に勝手にあんなに花が咲くはずがないということは、空き地の草原に囲まれて育ったので、よく知っている。たぶん、あの土砂の山が殺風景なのをなんとかしようとした役人の仕事なのか、住民から要望があったのか(よく知らないけど、遊歩道沿いの花壇は、ボランティアも関わっているようだ。じゃないと、あの維持には膨大な金がかかると思うし。時々、沿道の住民らしき人が花を植えていたりするのを見かける)とにかく、花の種を大量にバラまいたようだ。

 でも、あれだけ、「誰もが心に思い描く、天然のお花畑」にするためには、やはりプロが関わっていると考えたほうがいいだろう。その昔、ドイツのどっかの田舎で(ノイシュバン・シュタイン城のあたり)、あんな雑然としたお花畑みたいな草原を見て、「わー、ハイジが駆け回ってそう」と感激したのを思い出した。
 あれは犯罪防止にも効果的だと思う。ただ土砂が積まれているだけだと、なんか荒れたかんじだけど、そこに花が散りばめられていると手入れされている雰囲気になるし、花が咲き乱れるところで、引ったくりや痴漢行為はやり難くなるのではないか?

 映画「グリーン・カード」では、アンディ・マクダウェル扮する主人公は、スラム街に木を植える活動をしていて、そんな活動をジェラール・ド・パルデュー扮する、フランスの労働者階級の無骨な男は鼻で笑っていたし、私も「いかにも、お嬢様らしい自己満足的な活動」だと思っていたが、けっこうそれって馬鹿にできないのかもしれない。と、ちょっと反省した。

 さて、映画の話に戻る。
 シネマライズでは今だに「ロスト・イン・トランスレーション」を上映しているが、私が観たかったのは、「スイミング・プール」
 でも、「ロスト・イン・トランスレーション」の予告編を観たら、流れた曲が、ジザメリの「ジャスト・ライク・ハニー」で、「そうだ、この映画、話はつまんなそうだけど、曲だけ聴きたいんだよなあ」と、ちょっと観たくなってきた。「はっぴいえんど」に「ジーザス&メリー チェイン」に、あと何故かマイブラのケヴィンの書き下ろしってゆーのもねえ。

 で、「シャーロット・ランプリングの全裸?」っていう触れ込みにつられて観てしまった「スイミング・プール」であるが、私は「ヤブにらみの役者」というか、三白眼や斜視の役者が大好きなので、シャーロット・ランプリングが大好きなのであるが、最近の出演作は全然チェックしていなかった。あまり、そういう映画に足を運ばなくなってしまったし。六本木で働いていたころは、会社の帰りに銀座や渋谷に寄りやすかったのだが、今だと、休みの日にわざわざ出かけないといけないので、ついつい足が遠のいてしまう。

 さて、粗筋は「気分がピリピリしている人気女性ミステリー作家が、どんよりしたロンドンを離れて、編集者所有の南仏の別荘に滞在することになり、そこでなにやらサスペンスな出来事が・・・・・で、最後はドンデン返し」ということらしかったが、オゾン監督の他の作品を観たことがなかったのだが、これは「こういうのが好きな人はいいだろうけど、一般の人はなんだかよーわからん」ことになるらしい。

 つーか、ミステリーの落ちがよくわかんなかったもん。たぶん、「妄想オチ」なんだろうけど、そりゃないぜ。
 あたし、そういう「夢オチ」が嫌いなのよ〜。
 「シックス・センス」くらい、エンターテイメントに徹してやってくれれば、(あれは夢オチではなかったが)「おお、その手があったか!」と拍手できたが(それに、あたしは途中で仕掛けがわかったし。もっとも友達が「ファイト・クラブ」と似てる仕掛け」と教えてくれたからだけど、そういうのって、後ではっきりくっきり「そういう仕掛けだったのか!」って説明してくれないと、「え〜、結局、あれだけの思わせぶりな伏線はなんだったの?」と、すっかり取り残されてしまいました。

 自分の解釈がそれでよかったのか、不安になって、ネットで調べちゃったもん(笑)

 なんか、けっこう評判いいんですね。ってゆーか、ああいう「消化不良の思わせぶりなサスペンス」でもいいと思えるような、どっちかというとハリウッド映画の明快さを嫌うような人がわざわざ観に行くような映画なんだろうなあ。
 しかし、この「いったい、結局、なんだったの?」感は、その昔「結局、犯人が誰だかわからない」ということで話題になった、グリーナウェイの「英国庭園殺人事件」みたいでした。

 中盤は特に冗長で、でも、編集者の娘役の若い女優が美乳を惜しみなく披露してくれるので「おっぱいで誤魔化すなよなあ」と思いながらも、「こんだけ脱ぎっぷりがよければ、1000円だし、ペイするか・・・・」と、無理やり納得していました。
 あと、シャーロットが着ている服はどれも素晴らしかったし、全裸も堪能させていただきました。あの年であの体型は羨ましい。
 シャーロット演じる女性ミステリー作家は、アル中でニコチン中毒で、料理もできないし、とにかく気難しいのですが、それをキッチリと上品に演じていた。上品なだけに悲しい役である。特にマリファナ吸ってラリっている演技は絶妙であった。かなりバカッスカ吸っちゃって、ボーっと目線が固まっているところとか、その後「踊りましょうよ」と誘われて、渋々踊るのだが、そのダサさが凄かった。
 でも髪型がちょっと土井たか子っぽかったな。

 まあ、1000円だったから、いっか、っていう映画でした。これは「どんでん返し」を楽しむ映画ではなくて、おねーちゃんとオバチャンの裸を鑑賞する映画だったようです。あと、出てくる男性が皆、黒いビキニパンツでモッコリだったので、ゲイの人も楽しめること請け合い。(かなりゲイ好みのキャスティングだった。フケ専にもやや対応。ジジイは脱がなかったが)

 帰りもまた「私もナイスバディを目指すんだ!」とばかりに、テクテク歩いて家に帰りました。
6月26日(土)

 昨日は久々に会社の人たち(社長=親会社の専務、副社長=親会社の役員、親会社の役員、うちの総務部長を含む最強メンツ)と飲みに行ってしまい、2次会はカラオケで「あたし〜を燃やすヒ〜〜〜〜〜〜〜」などと絶唱していました。

 私は相変わらず、会社で暇を持て余していますが、また大きなお仕事が迫っているので、その担当者たちは日増しに壊れているようです。私の上司は、その仕事に加えて、他の大事な取引先に提出する「提案書」を「押し付けられた」そうで、やっぱし壊れ気味。声のトーンが裏返ってきたのも不気味ですが(ハイテンションの現れらしい)、担当者同士で電話でがなりあっているのですが、そのやりとりがだんだん「笑える体育会系」というか「育ち過ぎた男子校の会話」になってきて、「なんだと〜そんなの言い訳だろ?ってゆーか、それ、あいつが勝手にそうしちゃったんだろ?!オレは認めねーぞ、ぜってー」などと、みんな笑顔で怒鳴りあっているので、傍で観察しているのは楽しいです。

 今日の土曜日も、そのお仕事の全体会議が開かれて、そのチームの「いじめられ役」である、一番下っ端社員のアイドルぶりを堪能させていただきました。(みんなでそいつをいじって憂さを晴らしている)
 また、元総務課長だった人が、異動になって、今年からそのチームのリーダーになったのですが、総務にいたときには「クールな日活系」だったというのに(ルックスも裕次郎に負けないくらい男前)、すっかりキャラが変貌してしまいました。

 総務にいたときには、あまり私に積極的に話し掛けてくる人ではなかったというのに、最近はなにかと話し掛けてくるのです。「この1ヶ月で総務にいた10年分より仕事しちゃってるよ。給料あげてくれよなっ」「それは、私に言われても・・・・財形の積み立て金額を上げることならできますが(笑)」(私は社員の給与金額を知らないが、財形の積み立て額は知っている)
 そして、その元総務課長K氏が、総務部長O氏に「はい、あげる」と漫画雑誌を渡してました。
 そして一言「いや〜、島耕作のを買うつもりが、間違って、サラリーマン金太郎を買っちゃったよ」

 横でそれを聞いていた私が思わず「そんなの間違えるわけないじゃないですか〜〜〜」と突っ込みを入れたら、「いや〜、マジにそんだけ壊れてるんだよ〜」
 「課長」じゃなくて、今はなんだったっけ?たしか「取締役・島耕作」と「サラリーマン金太郎」を間違えるなんて、少女漫画でいえば「なかよし」と「りぼん」を間違えるとか、「別マ」と「別コミ」を間違えるとか、そのくらい「ありえね〜」話だと思いましたので、そのチームの今後が心配です。

 ちなみに、今日の新横浜は、横浜マリノスの優勝が決まるかもしれない試合があって、昼過ぎにはかなり人が歩いていました。近所のコンビニも大繁盛していたらしい。「試合何時からなんだっけ?」とか「マリノスが勝てば優勝決定で、でも引き分けでも、ジュビロが負ければ決まるらしい」なんて、喋っていたときに「いじめられ役」若手社員のT君も混じっていたのに、3時ごろ、私が窓際に行って外を眺め「まだ、けっこう歩いている人がいるね〜」と呟くと、他の人が「まだ始まってないの?」と言うので「3時からですって」なんて会話していたら、T君が「今日って、なんかあるんすか?」

 その付近にいた全員で「さっきその話してただろ?お前も話に参加してたじゃないか!」と激しい突っ込み。
 私が「T君も相当壊れているらしいとの噂だったけど、今の一言でよっくわかったよ。もうメモリがいっぱいいっぱいで、右から左に抜けているんだね」と言ったら「そんなことないっすよ。まだ余裕なんです!」と、ムキになっていたのが微笑ましかった。

 忙しくて、わけわかんなくなっているときに、周囲に笑いを与えることのできる人は好きだし、こっちも突っ込み易いということもあるが、そうなるとわりと気ラクに、なんか手伝ってあげたり、手伝うというほどでもなくても自分にできるかぎり融通を利かせてあげたり(仮払いを即効で用意してあげるとか、宅配便を替わりに送ってあげるとか)しやすくなるので、そういう人のほうが得をすると思う。
 忙しいときに、ピリピリして近寄り難くなってしまうと、結果的に損なのだ。

 仕事の話といえば、先日書いた「ただの社内の部長会議に昼食用意しろだと?」の件であるが、昨日の金曜日の朝、昼食用意しろと私に命じたT部長のすぐ側に、H部長がいるのを確認してから、T部長に「あの、お弁当の用意なんですが、4名分で変更ないですよね?」と大きな声で確認した。

 そしたら、T部長は「あ?・・・・そっか、うんと、えーと」と、なんか歯切れが悪い。
 これは私の勝手な「行間読み行為」であるが、あのときは、なんかそーゆー気分だったので「お弁当用意してね」と言ってみたが、よくよく冷静になってみれば、そんな必要もないことに自分で気がついたらしい。
 その雰囲気を察知したけど、こっちもきちんと「では、11時50分くらいにお持ちすればいいでしょうか?」とお伺いしてたら、すぐ側にいたH部長が「え?お弁当?ぼく、買ってきちゃったよ」とコンビニ袋を指差した。
 「昨日、また飲みすぎちゃったからさ〜、なんか食欲ないから、こんなんでいいと思ってさ〜」

 しめしめ、天は我に味方してるね。つーか、これは「OL生活15年」のキャリアを生かした「お局様の謀略」なのであるわけよ。へへへへへへ。
 なので、お局なワタクシは平然と「じゃあ、Hさんはお弁当はいらないということで、3つ用意すればいいんでしょうか?」
 「ああ、えっと、そうだね、でも・・・」
 と、はっきりしないT部長に、さらに「あとで数に変更があったら、内線で指示していただければいいので・・・・」と言っていたら、H部長が「お弁当いらないんじゃないの?12時半には終わるでしょ。終わらせようよ」

 この時点で、私の心象風景では、私はH部長の膝の上に腰掛け、そのほっぺたに「Hさん、す・て・き」とブッチューとキスしているわけである。
 他人が勝手に自分の策謀通りに動いてくれることの快感よ。
 ほっぺたにチューしても、H氏は嬉しくもないと思うので、今後3ヶ月くらいH氏には親切にしちゃります。経理のおねーさんの親切というのは、「仮払や支払を急に申請してきても嫌な顔ひとつせず、逆に『お忙しそうで大変ですね』とニッコリと処理する。あまりニッコリし過ぎると、逆に嫌味っぽくなってしまうが、私は演技派なので、大丈夫)

 完全に劣勢に回ったT部長はそれでも「でも、みんなその後も会議があるからと思って・・・」と、「自分は気を回しただけ」という発言をしたが、H部長は「オレは大丈夫だよ。1時に終われば、次は2時だし。それも社内の会議っていうか、部内ミーティングだし」

T部長 「でも、他の人は大丈夫かな?」
H部長 「大丈夫じゃないの?えっと(予定表を確認している)Yは、その後は3時みたいだし、Mは・・・・2時だから、大丈夫だろ?で、Tさんは?」
T部長 「ああ、オレはその後、関西に出張なんで、1時には会社を出るんだ」
ミヤノ課長代理 「じゃあ、Tさんの分だけご用意しましょうか?お昼食べる時間、ないでしょ?」(い・じ・わ・る〜)
T部長 (無言)
H部長 「だったら、やっぱし12時半には終わらせなきゃ。それだったら他の人は、お昼の心配なんてしなくてもいいじゃん」
ミヤノ課長代理 「でも、Tさんのお昼が・・・・・」(い・じ・わ・る〜加速中)
T部長 「いや、最悪、新幹線の中で食べるから、ボクは大丈夫なんだけど・・・・」
ミヤノ課長代理 「そうですか?もしお弁当が必要だったら、すぐに言ってくださいね。ご用意しますから」(わはは、たのし〜〜〜〜〜たのしすぎ〜〜〜〜〜)


 そういや、H部長には前にも助けてもらってるんだよな。H部長は全く自覚していないだろうが、あるとき、帰りがT部長と一緒になってしまったことがあり「はあ、やだな」と思っていたら、駅のホームで偶然H部長と出会い、大変感謝したのである。
 その前にT部長と一緒に電車で帰ることになったときに、「げ、これはちょっと」と思ったのは、彼はこっちの目を見て話すのが半分で、あとの半分はつり革につかまった私の手に視線がいっていたのである。胸のあたりならわかるのだが(それも嫌だけど、でも私の顔よりもそっちのほうが見るべき場所であるような気もするので、しょーがないと思っているし、それに、30歳過ぎてからあまりそういう視線は集めなくなったので、たまにそういう視線の人がいると「ふ、私もまだまだイケるわね」と、前向きに考えることができるようになった。大人というか、オバサンだし)指に視線が来るのって、「ちょーキモい!」

 話は変わるが、その昔、大学生のころ、総武線(そのころは千葉の自宅から通学)に乗っていたら、なんか皆が私をチラチラと見るような気がして「なんで、なんで、やっぱし、あたしが美人だから?って、そんなわけないしな〜」と、心の中でボケとツッコミをしていたのだが、すぐに原因が判明した。
 その当時、資生堂で大々的に宣伝していた「パーキージーン」(「フラッシュダンス」でブレイクした、ジェニファー・ビールズが広告塔だった)のエスノカラーが大好きで、ビビットでマットなマニキュアを揃えていたのである。それは、黄色だったり、水色だったりした。
 今でこそ、そういう「ドドメ色」のマニキュアも珍しくないが、当時は水色などは大変珍しく、人目を引いたらしいのである。

 その後、ずいぶん経ってから、30歳を過ぎて、やはり電車に乗っていたら「なんか、みんなが私を見る?」ということがあって、「なんでだろう?」と原因を究明していたところ、ふと気がついた。「喪服を着ているからだ!」
 なんか、喪服とか礼服を着ている人を電車内で見ると「ああ、葬式なんだな」とか「ああ、結婚式に行くだな」と視線がそこで一瞬止まるじゃないですか。それだったみたいですね。でも、「今日の私が美しいから?それとも、顔に米粒でもついているのか?・・・・・・後者の可能性が濃い」と思ってドキマギしてしまいました。
6月24日(木)

 なんかまた、やーなニュースばっかでやーねー。
 個人的に一番やーだったのは、やはり「渋谷駅発砲事件」であります。通勤で通るわけでもないが、けっこうよく通る場所だったので、なんかやーねー。そしたら今日は田園調布駅で刃物振り回してたというのもあって、そっちは滅多に通らないんだけど、やはり東急線沿線なわけで、(田園調布は東急東横線で、私が住む三茶は東急田園都市線)なんだかねー。

 イラクも相変わらずだし、だんだんひどくなってるみたいで、せっかく久々の大物芸能人離婚発表があったっちゅうのに、ワイドショーでは3番目の扱い。ああいうのが、朝のワイドショーでトップで扱われるような世の中じゃないと、安心して暮らせないじゃないの。保坂尚輝が離婚会見するときには、なんとかトップ扱いになるように心から祈る。イラクでお仕事している日本人の皆様、気をつけてください。あと、お子様方も、うっかり人を殺したりしないようお願いいたします。女子高生も、夜間外出は控えよう。

 やっと参議院選挙のポスターが貼られていたが、それ見てびっくり。青島幸男がぁぁぁ
 今回は「タレント候補は少ない」という報道であったが、東京都の候補には、なぜか「蓮舫」の名前も・・・・・ビミョーである。だいたい、立候補するタレントっていうのは、ビミョーとしか言いようのない人が多いけど、「蓮舫」っていうのもなあ。
 で、念のため「東京都の立候補者一覧」を眺めてみたのだが、各候補の肩書きに目を通してみたら「拉致家族会員」ってのがあったので「へ?」と思って、よくよく名前を見てみると増元さんって、増元ルミ子のさんの家族なのね・・・・・
 6月初旬には出馬表明していたようですが、全然知りませんでした。

 あーあ、なんか選挙もつまんなそう。
 だいたい、参議院って、あんまし必要だと思ってないので・・・・・税金の無駄のような気がするので、プロ野球を1リーグにするよりも、国会を一院制にしたほうがいいんでねーの?その代わりに、衆議院の人数を3割くらい増やしてあげればいいじゃん。

 ほんとに梅雨が明けて、もう真夏なのではないかというお天気が続いてますが、去年とうとう一度も部屋で冷房をかけなかった私としては、このくらいの暑さでエアコンを使用することはできない。今年は暑い夏になるらしいので、どこまで我慢できるかが勝負である。でも、朝、目が覚めてから、水を飲むと、ガーーーっと汗が出るのが嬉しい。汗かくのが好きなのである。なんか「生きてる!」って実感湧くじゃん(笑)

 話は変わるが、洞爺湖一周サイクリングがあまりにも素晴らしかったので「またサイクリングがしたい」という気分になり、ネットで検索しまくっている。諏訪湖は一周コースが整備されているらしい。でも一周16キロはちょっと物足りないかな。2周すりゃいいだけか。琵琶湖は一周すると200キロもあるらしい。
 洞爺湖は30キロちょっとで、それを3時間半かけて走った。40キロくらは、なんとか走れそうな気がする。道が平坦であればの話だが・・・・

 そんなわけで、スポーツクラブの自転車を1時間も漕いでしまいました。
 テレビチャンピオンが美容院対決で、アキバ系の男子を爽やか青年に変身させる企画で、笑いをこらえることができず、エアロバイク漕ぎながらニヤニヤしている不気味な人になってしまいました。
6月23日(水)

 出勤。
 さっそく、みんなに「大変だったね〜」と言われたが、わたくし的には湖一周できたし、温泉にもたっぷり漬かれたし、昨日は自分の部屋でゆっくりできたし(むちゃ暑かったけど)、別に不満はない。

 今日はまた、グループ各社の担当者が集合して一日中会議を開いていた。
 そのため、昼はお弁当を用意していたのだが、昼過ぎに私の天敵T部長が、なんだか知らんが私になにか話し掛けたい様子なので、なにかと思ったら「3時にはお茶を出してあげないとね。なんか頼まれてる?」

 T部長はその会議のメンバーではないので、なんか手持ち無沙汰な心地らしい。お願いだから、この人もメンバーに加えてほしい。でも、本人、なんかしら参加したいという意思があるようで、それが「お茶出しの心配」という形で噴出するようだ。
 でも、メンバーの中には、私の上司である総務部長と、同僚K嬢もいるので、昼食やお茶はK嬢が仕切っていることなんて、わかりきったことじゃん。彼女がいるんだから、私の出る幕は全く無い。そもそも、その会議室に何人いるのかさえ、私は知らん。
 当然のことながら、お茶の手配などは、K嬢が同僚のM嬢(彼女が仕出弁当を手配していた)や、総務部アシスタント(派遣社員ってこと)のT嬢に依頼しているのであろう。手は足りているから、経理課が手伝うこともないし、そもそも、あたしゃ、社員旅行明けなので、なにがなんだかわかんない、というのを察してくれないのかね?

 というわけで、「はあ・・・・たぶん、Kさんがいるから、大丈夫でしょう」と言ってみたのだが、T部長はそれでも納得しなかったようで、「そうだ、明日、昼を跨いで会議があるんだけど、お弁当用意してくれるかな?」

 「はあ・・・・・えっと、今日のお弁当は、Mさんが用意しているはずなんですが・・・・」
 総務部は、6人しかいないけど、いちおう、経理課と総務課に別れており、フツーはそういうことは「総務課」の仕事なんである。そもそも、お弁当を用意するような会議もあんましないし。

 まあ、でも、別に私に依頼してもらっても一向に構わないのだが、「じゃあ、手配しておきますけど、何人ですか?」「4人なんだけど、みんな忙しいからお昼食べる暇もないからね」
 「はあ・・・・じゃあ、4人分だったら、別に仕出でとるほどでもないから、その辺の弁当屋(付近は昼時になると屋台の弁当屋が沢山出没する)で用意しておきますね」

 それで、「いったい何の会議なんだろう?」とT部長の予定を調べてみたら、あれ?明日は会議の予定は入ってないじゃん?
 まあ、いいや、明日の午前中に確認してみよう、と思っていたら「ごめん、ごめん、会議は明後日だった」
 明後日の11時から午後2時までの会議は思いっきり「社内会議」であった。部長4人の会議である。そんなもん、昼飯くらい自分らで用意しろっちゅうの!各自でちょっと外に買いにいけば済むではないか!
 だいたい、社内会議で弁当用意した前例なんてないぞ?
 今日だって、地方から来た客がいたから用意したのであって・・・・

 要するに、たぶん、T部長は、「女の子が昼食を手配してくれている」という光景を眺めて、それをやってみたくなっただけである。要するに「自分だって、昼食を用意してもらえるような会議を仕切っているのだ」ということをその場でアピールしたかったのだ。
 も〜〜〜〜〜、ほんとに世話がやける。
 そういう無意味なマウント行為はやめてほしいのだが、本人はその無意味さに気がついてないんだからしょうがない。50歳近いおじさんをこれから教育することは無理だということは長いOL生活でよ〜〜〜くわかっている(そういうのに逆らって何度も痛い目に遭った。)彼を育てたお母さんを恨むしかないのだ。

 まあ、せめてもの抵抗として、明後日の午前中、その会議の他のメンバーに「お弁当用意してくれって言われたんですけどぉ」とチクってみよっと。それで「え?そんな必要ないでしょ?Tさん、弁当くらい自分たちで買おうよ」と言った人が、こそこそと経理に気まずそうに持ってくる交際費やタクシー代の伝票や「すまん、急ぎで振り込んで」な依頼は今後半年くらい、ニッコリと受け付けてあげようじゃないか。

 こういうのって、「お母さんの教育」のせいか、「持って生まれた性質」なのか、とっても微妙なのだが、同じことを依頼されても、こっちが全然ムっとしない人もいるし(逆に、その人が大きな会議を仕切っていると「お昼の用意は大丈夫ですか?」とこっちから御用聞きしちゃうような人もいる)それがいったい「なにがどう違うのか?」ということを明文化することは難しい。同じことをやっても「セクハラ」になる人と、ならない人の違いみたいなもんだ。
 その違いをちゃんと説明するのはとても難しい。

 でも、そういうのを気にされている男性諸君に念のため書いておくと、女性にとって「なんか、やーな感じ」を与える男性はわりと少ないのである。
 9割くらいは、いや、30人に一人くらいしか「やーな奴」はいない。ほとんどの人が大丈夫なのである。会社ではね。プライベートではどうだか知らない。

 だから、会社に一人くらい、女性に評判の悪いオッサンがいれば、確立的に、あなたは多分セーフです。
 そのオッサンが何で評判悪いのかわかっていれば、女性の「あなたは、ちゃんとわかってくれているのね」という信頼を集めるので、かなりセーフです。がんばってください。
6月22日(火)

 ちかれ旅〜

 3年ほど前に一度参加して、すっかり懲りた社員旅行であるが、また渋々参加することになった。
 うちの会社では、月3000円を旅行積立金として給与から天引きされる。そして、社員旅行に行かなければ、そのお金は現金で還付されるので、参加しない人が多い。その昔、会社の規模があまり大きくなく、もっと「家族的」な雰囲気があったころには、参加率が高かったらしいが、いまどき社員旅行など流行らないのである。

 旅行はだいたい10万〜15万円くらいの予算で組まれているので、それを3万6千円の自己負担で行けるから、お得といえばお得なのだが、「他のツアー客は社員」というのと「ツアーは当然のことながら休暇扱い」というのがマイナス要因なのだ。年々参加率が低くなり、ご存知の方も多いと思うが、そういう「福利厚生の旅行」というのは、全社員の半数以上くらい(あれ?三分の2以上だったかな?)が参加しないと「福利厚生費」にならないのである。参加率が低い旅行に会社が補助すると、それは「手当て」という扱いになり「給与」に含まないといけない。(所得税や保険料が高くなり、社員にとっては負担)もしくは「交際費」だ。(損金計上できず、会社にとって負担)

 というわけで、今年は私の上司である総務部長が「なるべく参加するように」という御触れを出した。もちろん強制するわけにはいかないのだが、総務部長の大プッシュにより、かなり参加人数が増えたのだが、総務部社員としては、ブっちすることができなくなってしまったのである。
 かといって、海外に行くのもメンドくさい。国内で一泊温泉旅行などがあれば気軽に参加できるが、最低でも2泊3日の旅行しかないのだ。伊豆の高級旅館で2泊3日というのがあり、今回の目玉であったが、残念ながらスケジュールが合わなかった。私が仕事で最も忙しい時期(支払日前日)にあたってしまったのである。
 あと、残されたのは、関西の有名温泉地&USJツアーであったが、宿泊場所が移動するので、のんびりできない。
 というわけで、消去法的に「北海道・洞爺湖」にしたのである。2泊3日で、ずっと洞爺湖の宿だし、到着した日はバスで移動して簡単に観光するが、中日はフリー。乗馬やトレッキングなどのオプション(本人負担)も用意されていたが、無視して宿でゴロゴロしてりゃいいわけである。

 ただ、そのツアーにはひとつ問題があった。親会社の社長がそれに同行するというのだ。
 親会社の社長にいつも苦労させれている子会社であるうちの社員は当然そんなツアーには参加しない。そして、親会社の社員だって、ほとんど参加しない。なので、参加者はたぶん、その社長のお気に入りの若い社員ばかりだと想像できる。(たとえお気に入りでも、ある程度の役職者は休日を社長と過ごすのは嫌であろう)

 それでちょっと躊躇したが、その社長は私のことなんて知らないし、たぶんいつも社長のお膝元にいる、私もよく顔を合わせる「本社付き社員」は絶対に来ないし、そうなると「知っている人」が皆無なわけで、それはそれで普通のツアーに参加しているようなものだから、放っておいてもらえるだろうと思って、それに参加することにしたのである。

 参加人数は17人。社長と秘書と添乗員で3名。残り12名が親会社の若手社員たち。子会社からは私ともう一人だけ。彼もなんで参加しているのかわからないが、「なるべく参加してください」という号令に「行ったほうがいいらしい」と判断したのだろう。私よりも後に入社した中途入社の人で、物静かな青年である。ちなみに既婚者である(笑)。

 さて、前置きが長くなったが(うちの会社の社員旅行のシステムや雰囲気を説明するのはとても難しい)、日曜日早朝に羽田で集合。
 今回、ちょっと楽しみにしていたのは、私にとっては「初めての国内線」だったのである。
 国内旅行することがほとんどなく、帰省も都内なので、今まで国内線に乗る機会がなかったのだ。
 3年前、それでわざわざ「たまには羽田から飛行機に乗りたい」と思って、台湾旅行を羽田発の中華航空にしたのだが、羽田発の国際線は、別ターミナルで、空港内バスで10分ほど行ったところにあり、そこはどっかの田舎の国内線ターミナルみたいな風情で「ああ、私がビッグバードから旅立てるのはいつになるのやら」と嘆いていた。

 というわけで、集合場所で搭乗券が配られたときに「ミヤノです」と名前を言ってしまいました。
 だって、今まで名前が書いてない搭乗券など見たことなかったんだもん。
 「そっか、国内線の搭乗券って、新幹線の切符みたいなもんなんだ」と照れ笑い。

 というわけで、手荷物検査のあとに、出国手続きが無いというのもなんだか新鮮。
 梅雨の時期の北海道は人気があるとは聞いていたが、747はほぼ満席であった。ほとんど中高年。うちの両親と同じくらいの人たちばかりである。
 「こんな混んでる飛行機乗るのも久々だなあ」と思った。

 昼前には千歳空港についたが、到着ロビーはツアーの出迎えで大混雑。


 こういう光景も初めて観るような気がして新鮮だった。そりゃ、海外の空港でも出迎えは多いが、こんな熟年層ばっかりが大集合ってことはなかったし。
 到着ロビーにあった水槽にデカい魚がいたので、しばし見惚れる。

 あまり美味しそうな魚ではなかったが、唇のあたりがコラーゲンたっぷりそうだ(笑)

 さて、そこからバスに案内されたのだが、なにせ全国からの旅行者がこの時間に集中しているので、バスの発着所も順番待ちらしい。修学旅行の学生たちが、わらわらと乗り込んでから、やっと私たちの乗るバスがやってきた。
 それがかなりゴージャスなバスで、みんなで笑ってしまった。17人しかいないので、「一人4席は使用できる」ような状態。おかげでポツネンと離れた席に座って、ぼんやりと車外を眺めていた。

 まず支笏湖に寄って、そこで昼食。
 支笏湖名物の「ひめます」の御膳である。刺身は美味しかったけど、焼き魚は焼いてから時間がたっているので、風味がイマイチ。でも、こういう団体旅行の食事って、こんなもんなんだよな。と修学旅行のことを思い出してみた。

 湖には欠かせない「スワンのボート」は暇そうに溜まっていた。
 それをバカにするかのように、カラスが止まっていて、その奥ではショボい鯉のぼりが、ささやかに風向きを示していた。
 遊覧船乗り場に流れるビートルズの曲がなんだか妙にマッチしていて切なかった。

 食事のあと、すぐに洞爺湖に向かう。雨がパラついてきて、昭和新山は時折姿を見せるだけだったが、社長が途中で原生林見学に行くというので、そこに随行する数名を降ろした。そこはどうやらインテリ系エコエコでたぶん元ラリラリ系の人たちが管理している森らしく(私の勝手な思い込みなので実際はどうだかわかりません)、入り口には「人智学協会」とか「レインボーカフェ」とかの看板もかかっていて、とても怪しい雰囲気だった。

 社長がいなくなったので、車内は一気に緩んだ雰囲気になる。悪い人ではないのだが、けっこうかき回すタイプだし、いつもなんだか張り切っているので、ずっと一緒にいると疲れるのである。
 添乗員が「この後、洞爺湖についたら遊覧船に乗る予定なのですが、雨も降ってきましたし、すぐ宿に入りたいというご希望が多ければ・・・・・」圧倒的多数(と言っても、残ったのは10名)の希望により、宿に直行。

 そこで部屋割りが発表されたが、私は社長秘書と同じ部屋であった。秘書嬢は、いつも社長に張り付いているので、ほとんど部屋にいることはないらしく、私は悠悠自適のほぼ一人部屋になるわけだ。それも想定内。

 お部屋は湖の見渡せる、なかなかいい部屋であった。

 早起きしていたので、そこで昼寝していた。7時の食事まで時間があったが、なにせあまり入浴に適さない体になってしまったので、あまり混んでいる時間に大浴場に行きたくない。いざとなれば、部屋にもユニットバスはついていた。ほんとにワンルームのアパートについているようなユニットバスだけど、体洗うだけだったらこれでも構わない。

 昼寝したり、本を読んだりしながらゴロゴロしていたら、6時半に秘書嬢が帰ってきた。彼女は気さくないい人である。
 7時にロビーで集合して、宴会場に案内された。嫌な予感がしたが、やはり・・・・・本当に宴会場だ。大宴会場が仕切りで仕切られているが、それでもかなり広い。そこに17名の席が中央に作られていた。久々に見る「旅館の御膳」である。カニがたくさん使われていたが、やはり作ってから時間が経っているので、カニ道楽のほうが断然美味しいと思った。

 他の若い社員が「カニだ〜、ウニだ〜」とそんな旅館料理でも喜んでいるのは、嘘か本当かわからないが、社長はそれなりに「美味しいもの」を食べているはずなので、わりとそういう人の場合、こういう旅館料理にケチをつける人が多いのだが、その社長は若い人と同じように喜んで食べていたので、好感が持てた。飲み放題のワインも「甘くて美味しいね。でも、さっき僕が買ってきたやつのほうが多分、もうちょっと美味しいと思うけど・・・」と言っていた。

 しかし、広々とした宴会場で、ポツネンとご飯を食べるのもなんだか辛気臭かったし、会話も弾まない。
 しかも、私たちが食べ始めると、隣の部屋ではすぐにカラオケ大会が始まってしまった。演歌ばかりだが、皆すごく上手い。カラオケ同好会の慰安旅行なのか、それとも今の熟年層は皆ああなのか、それとも上手い人だけしか壇上に上がらないのか?
 隣にいた20代前半の女の子がポツネンと「これだけ次々とやってても、一つも知っている歌がないって、逆にすごいね」と呟いていた。
 というわけで、隣の宴会の盛り上がりをBGMに私は黙々と食べて、黙々とビールを飲んでいた。
 あまりにも淡々と食べていたし、旅館料理の常として量が異常に多かったのだが、食べる以外やることがないので、ほとんど食べてしまった。

 私はそれほど食べ物にうるさくない。普段の食事はコンビニや吉野家やマクドナルドでも全然構わない。
 そして、友達とご飯を食べに行ったところが大したことなくても、全然構わない。もちろん、高くて不味かったりすると二度といかないけど、友達と食事する際に大事なのは「ちゃんと話しができる空間か?」ということである。
 でも、接待の席などの「自分ではあまり気が進まないところ」に行った場合には、ご飯がちゃんと美味しくないと、すごくタダ働きした気がして不愉快になる。
 そんで、今回の場合にも、あまり共通の話題の無い人たちと一緒なので、会話も弾まないというのに、食材はいいみたいだけど冷え切った料理が出てくると、なんかとっても苦痛なのだ。それで値段はそこそこするのだろうから、よけいにやるせない。だって3万6千円あったら、東京でも相当豪華な食事ができるよ?

 隣の宴会が終了すると、ほんとにシーンとなってしまったが、こっちの食事も終わり、その後、社長の部屋で2次会が開かれるらしいが、私はさっさと立ち去った。
 ホテルのロビーからすぐに湖畔の遊歩道に出られるので、腹ごなしに散歩しながら、9時15分から毎日やっているという花火を待った。遊歩道沿いはズラリとホテルが並んでいるので、夕飯を終えた客たちがゾロゾロと歩いている。

 驚いたことに、客の大半は中国語を話している。北海道は中国人に人気があるとは聞いていたが、ほんとに多いんだな。たぶん、香港とか台湾とかの、南国の人たちが北の大地を求めてやって来るんだろうけど、彼らは家族連れで、それもジイサン、バアサン、息子娘夫婦に孫という10名くらいのグループで、大声で喋るので、存在感が大きい。最近は各旅行会社も中国に支店を作って日本旅行への誘致合戦が繰り広げられているらしいが、たしかに、有望なマーケットなんだろう。

 夜風に吹かれながら歩いているうちに、各ホテルのロビーの照明が次々に落とされて、花火大会の開始。
 船の上から打ち上げているが、ときどき船から外れた湖面から扇状に噴出す仕掛けもあった。これを毎日やっているらしいが、いったい湖面にどうやって仕掛けているのだろう?
 花火を水上から鑑賞する遊覧船も出ているが、モーターボートも走りまわっていて、ときおりモーターボートのすぐ側で地雷のように花火が吹き上げるので「あれは、事故とかないのだろうか?それとも水上からだと、どこに仕掛けがあるのか、すぐにわかるんだろうか?」と思った。

 湖沿いのどのホテルの前でも楽しめるようにと、船は1セット5分くらい打ち上げると、場所を移動して、結局、4箇所くらいでやっていて、計20分。酔っ払いが「たまや〜」と叫んでいたが、「けっこう、ちゃんとやるんだね。もっとナメてたよ」と話している客もいた。たしかに、けっこう近い距離でやるので迫力があった。
 でも、自然豊かな場所で、わざわざあんな出し物やる必要あるんだろうか?それに、環境問題は?という疑問も湧いたが、数年前の噴火で、かなり打撃を受けた洞爺湖温泉であるからして、客を呼び戻すのに必死なのであろう。

 花火が終わると、少しおなかの状態もマシになってきたので、すぐに大浴場に行った。ちょうど空いている時間だったらしく、客も数人しかいなかった。でも、せっかくの「湖が見渡せる露天風呂」であるのだが、夜だと湖が見えないから、あまり価値はないのに気がつく。
 体調が充分ではないので、サっと入り、すぐに部屋に戻って、汗がひくまで読書してから12時前には寝てしまった。

 翌朝、目が覚めたら5時半だった。「よし、朝風呂だ〜」と張り切って露天風呂。けっこう人がいて混んでいた。今日、チェックアウトする人たちは食事前に最後の一風呂なんだろう。
 湖が見えるお風呂はやはり気持ちがいい。風が涼しいし、お湯もぬるめなので、いつまでも漬かってられるかんじだ。次回は本を持って来ようと思った。

 部屋に戻って、寝なおしていたら秘書嬢が帰ってきた。昨晩は遅くなったので、社長の部屋の続き部屋で寝ていたらしい。別にあの人たちがデキているわけでもないのはわかっているので(でも、なんか不思議な関係。強いて例えるなら、やんちゃ坊主とそれを見守る親子3代にわたって仕えているような忠実な乳母やみたいなのである。昔、芸能界で働いていたときも、某大物タレントの付き人が美人だったので愛人と噂されていたが、その付き人も豪快さんな女性で、知り合っているとやはりデキているという感じはなく----私は勘が鈍いのでアテにならないが、そういうのに勘が働く人もそう判断していた-----ただ「あたししかあのワガママ坊主を世話できない」という使命感が生きがいになっているようだった。それととても同じ雰囲気だ。)、ただ「明日もそうしてくれればいいな」と思っただけである。

 社長様ご一行は、近所の牧場の知人を訪ねるようで、その後もいろいろ予定があり(そもそも、このツアーを企画したのも、自分がここに来たかったからなのである)、でも昼頃一旦戻ってくるかもしれないとのことだったので「じゃあ、外出するときは鍵をフロントに預けておきますよ」と言ったのだが、「でも、ご迷惑だろうし」と言って、荷物を全部持って行ってしまったので、「もう、この部屋に戻ってこないな。しめしめ」

 そして、私は、朝食前にまた風呂に行ってしまったのであった。貧乏性なので、温泉に行くと、ふやけるまでお湯に入ってしまう。一回の入浴時間を短くして、何度も入るのがコツである(笑)
 先に朝食をとっていた秘書嬢に「朝食どうでした?」と聴いてみたら(我ながら無難な話題である)、「うーん、いまいちかな。和洋折衷のバイキングなんだけど・・・・」と、言っていたので、期待はしていなかったが、それでも期待以下だった。
 今までに出会った、「朝食バイキング」の中で一番ひどかったかも。ロンドンのユースホステルの朝食を見習ってほしい。

 まあ、でも、湖が見渡せるテラスで飲むコーヒーは美味しかった。せめて、パンがもうちょっとマシだったらなあ。


 さて、せっかくの北海道だったが、台風の影響もあるのか、ずっと雨の予報が出ていた。他のメンバーは、電車で札幌に行ったり、函館に行ったりする人が多かったが、近所にウィンザーホテルという高級ホテルがあり、そこのエステに行くという女性チームもいた。
 私は、雨さえ降らなかったら自転車に乗りたかったのだが、途中で雨が降っても悲惨だからどうしようか考えつつ、ぶらぶらと歩いていたが、なんとなく午前中は曇りで持ちそうな気がしたし、「雨が降ったら、戻ってこれるようなところくらいをうろうろしててもいいじゃん」と思って、貸し自転車屋に入った。

 店内は無人で、ドアのところに「御用の方はベルを鳴らしてください」という張り紙があったので、ピンポーンと鳴らすと、おじさんが出てきたので「自転車お借りしたいんですけど」と言うと「どうぞ、ぜひ、借りてください」と笑顔。
 「じゃあ、これ、まだ降ろしたての新しい自転車」とピカピカの新品を用意してくれた。
 「天気がよければ、湖一周したいと思ったんですが、どうも雨みたいですねえ」と私が言うと、「じゃあ、2時間にしておきましょう」というわけで、2時間で900円。もし超過したら1時間ごとに300円だった。

 湖周辺の簡単な地図ももらい、いざ出発。時刻は9時50分だった。
 ホテルが立ち並ぶあたりは遊歩道になっていて、そこは自転車も通行可能だったのだが、すぐに遊歩道から出て、一般道の国道になる。2車線で道幅も充分にあるが、けっこう車が通るので、久々に自転車に乗る私は、ちょっと緊張した。でも、東京の道に比べれば断然走りやすいはずだ。路上駐車の車も皆無だし。歩行者も皆無。

 そのまま2キロくらい走っていると、道が分かれて、自動車は湖を逸れた国道に流れていき、湖沿いの道は、ほとんど無人(車)になった。たまに入ってくる車は湖を眺めたい観光客の乗用車らしい。
 そこから数キロは、まさに「私のためにだけ存在する道」となった。左側通行を無視して、右側の湖沿いを走る。

 新品の自転車は驚くほどペダルも軽く、緩やかな下り坂だとかなりスピードが出るが、ブレーキをかけるのがもったいないくらい気持ちいい。でも、あまり調子に乗ると、カーブを曲がりそこねて湖にダイブしそうだったから(ガードレールが無いのだ)慎重にブレーキを握りながら走った。
 湖畔の緑は美しく輝き、ウグイスがホーホケキョとさえずり、風は爽快。
 こんなに気持ちいいサイクリングは初めてである。うれしくなって、「きゃっほーーー」と一人叫びながら暴走する。

 気がつくと、5キロくらい走っていた。空は薄曇で、まだ雨が降りそうな感じてもない。「ええい、このまま行けるだけ行ってしまおう。雨が降ったら、そのときに考えればいい」と、すっかりイケイケになってしまい、快調に飛ばしていた。湖の周囲は36キロらしく、「約3時間」と地図にも書いてあった。それほど起伏の無いコースであるが、一周する気になったら、いきなり足のストレッチを入念に行った。そして、すぐに戻るつもりだったので飲み物の用意をしてこなかったのだが、湖周辺はいろいろ観光スポットもあるだろうから自動販売機くらいあるだろう、と思ったのだが、走っても走っても、自動販売機などなかった。田舎をなめてはいけないのだなあ。

 10キロを過ぎた地点で、やっと湖畔のキャンプ場が現れて、そこに自動販売機があったので、トイレもそこで使うことができた。掃除の行き届いた水洗トイレがちゃんとあったので、生理中の身だから大変助かる。その周辺は、けっこう街になっていて、住宅も多いし、村役場もあった。でも、道を歩いている人はほとんどいない。田舎はどこもそうだけど、車社会なのだ。なので、歩道があると、歩道を突っ走れるのでストレスが少ない。

 そこからしばらく行ったところが、たぶん「中間地点」になるのだろうけど、地図を見ても湖は当然のことながら円形ではないし、道も蛇行しているので、どこが中間点なのかよくわからないが、湖のそっち側はわりと交通量が多かった。
 ちゃんとそっちは左側を走っていたのだが、私を追い抜く車がみんなとても大袈裟に私を避けていき、ほとんど反対車線を走っていくので、「すいませんね〜、ふらふら走っていて」と申し訳なくなる。
 たまに、後ろから車の音が聞こえて「そろそろ追い抜かれるな」と思っていると、前から対向車も来たりすると、けっこう緊張した。追い抜かれるときに、スピードを緩めるとヨロヨロとなるので、スピードを上げたほうが運転手にとっては安心かと思ったが、けっこうケースバイケースなのだ。

 サイクリングもけっこう頭脳を使う。しかも、けっこう体力的には疲れてきたので、頭がぼんやりしてきて、集中力が途切れそうになる。なので、後半はマメに休みをとることにした。
 湖畔に降りられるポイントも多かったので、水際で休憩してから、また道に戻って自転車を動かそうとしていたら、向こうから歩いて来る人影が見えた。「わあ、歩いている人もいるんだなあ」と思ったら、なんとそれは、同じ会社でもう一人参加しているH氏であった。

 私も驚いていたが、向こうも多分、驚いていたのだろう。でも、私以上に感情の起伏が表面に現れないH氏は淡々としていた。今から考えると、もうかなり歩いていたので、私よりも頭がボーっとしていたのかもしれない。
 でも、ニコニコしながら「ああ、自転車に乗ろうと僕も思ってたんですけど、でも、道路がこんなだから走りにくいかと思って・・・・」と言うので「でも、思ったより、交通量多くないし、けっこう順調だよ。それに、向こう側の道なんて、ほとんど貸しきり状態だったし」と情報交換。
 確か、時刻は11時半くらいだった。「ここら辺が多分、真中なんだよね」と私が言うと「いえ、たぶん、もう真中過ぎてますよ」とH氏が言うので「じゃあ、あと2時間くらいかかるかなあ」と言うと、彼は「ミヤノさんのほうが、もう半分過ぎているはず」と言い直した。「そっか、じゃあ、12時半くらいには着けるかなあ」と私が言うと、「僕のほうは、たぶん、3時過ぎると思います」

 そこで互いにエールを送って、また別の方向に向かってお別れ。
 私も、事前に一周することにしていたら、彼と同じ「時計と反対周り」にしたのだろうけど、「うっかり一周することになった」ので、あっちから回ったので、こんな面白いことになったようだ。後で聞いたら、彼は8時には出発していたらしい。だから、その時点でもうすでに3時間半も歩いていたのだ。
 結局、予定通り3時には戻ってきたらしいので、7時間も歩いたというのも凄いね。
 さすがの健脚の私でも、歩いて一周というのは考えもしなかった。
 その昔、山手線一周ハイクはしたことがあるが、終わったあと、膝がガタガタになっていたので、もう懲り懲りだ。

 さて、走っているうちに、「ウーーーーーーー」とサイレンが鳴ったので「あれ?火山が噴火するのか?」と一瞬マジにそう思ったが、なんのことはない単なる「正午のお知らせ」であった。
 けっこう足が張ってきたし、それよりもお尻が痛くなるので、休憩を頻繁に入れるようになった。それに、早く帰っても、することがないし。部屋には戻れるが、大浴場が開くのは2時なのである。

 ♪ 静かな湖畔の選挙運動 選挙いかなくちゃっとカッコーが鳴く〜

 静かな湖畔の周辺では「民主党」のポスターが優勢であった。あと、共産党のも見かけたけど、自民党のは全然目撃しなかった。そういう地盤なのか?それとも、保守王国だから、自民・公明はポスター貼る必要もないのか・・・・

 昭和新山が見えてきた。洞爺湖温泉街も近くなり、いよいよ交通量は激しくなってくる。と言っても、やはり東京の比ではない。そのあたりは、ややアップダウンがあり、漕いで登れなくて、自転車をひいて歩いていたりしたので、かなり時間がかかった。
 温泉街の外れに湖畔の公園があり、そこでしばらくサボって、水鳥が水面から飛び上がり低空飛行するカッコいい光景を飽きずに眺めていたり、カルガモみたいな親子がいて、子カルガモがドタバタをお母さんの後について泳いで行くのをぼんやり眺めながら「そういや、東京では、カルガモのお母さんが自動車事故に遭って亡くなったっていうニュースがあったなあ」なんて思い出したりしていた。

 そんなこんなで、やっと温泉街に戻り、貸自転車屋に戻ったのは1時半だった。またピンポンを押すと、隣の中華屋からご主人が出てきた。兼業だったんすか(笑)
 私がなんか言うよりも早く、ご主人が「一周しちゃったの?」と笑っていた。

 そして、超過料金の精算をしていたら「この後、どうするの?」と、おっしゃるので「なに?ナンパすんの?」と身がまがえつつ、「たぶん、温泉に入って・・・・夕飯までダラダラしてます」と本当のことを答えたら、「いや、あなたの後に、なんか火山の調査だかで来てる学生さんが来て、『もしかしたら、他の学生も借りに来るかもしれません』って言ってたんでね。同じグループなのかと・・・・」

 学生さん呼ばわりされたのは、5年ぶりくらいだ。嬉しさがこみ上げる。だって、こんな真昼間なんだよ。30歳過ぎてから学生さん呼ばわりされたときは、いつもクラブの薄暗い店内だったから。
 「いや〜、そう言ってもらえると嬉しいのですが、私、学校卒業してからもうだいぶ経つんで、学生じゃないんです」

 というわけで、高柳商店だか商会というお店でした。洞爺湖にお寄りの際は、ぜひご利用ください。洞爺湖一周サイクリングは本当にお勧めです。

 結局、温泉街に入ったときに雨がパラついた程度で、ほとんど曇りで天候は最高でした。逆に途中で日が差してきたりしたので、慌てて日焼け止めを塗りなおしたくらいでした。

 湖畔に、「どうぞご自由にお入りください」な「足湯」の施設があったので、そこで足を20分くらい漬けて、疲れを癒す。
 もう、昼はとっくに過ぎていたが、食欲がなく、並びの豪華な「湖が見渡せるカフェテラス」のあるホテルで、ケーキセットでエネルギーチャージした。

 温泉街は、噴火のときからまだ完全に立ち直ってないのか、シーズンにはまだ早いのかわからないが、シャッターを下ろしたままの店が多かった。
 この店もそうだったのだが、でも、ペットホテルらしいのだが、「幻のキノコ」って何?

 宿に戻ると、即効で風呂に向かう。他に客は一人しかおらず、露天風呂は貸切状態。本を読みながら、下半身だけお湯につけていた。ずっと自転車に乗っていたので、腕を直角に曲げていたから、肘の裏に汗もができていたので、そこも充分にお湯に浸した。

 7時の夕飯まで、まだたっぷり時間があるので、外の酒屋で買ってきたビール片手に本を読んでいた。「そういや、台風は大丈夫かな」とテレビもつけてみたが、北海道上陸は明日の午前中らしい。帰りの飛行機は7時くらいなので、支障はないだろうけど、この宿を午前中にチェックアウトすることになるので、夕方までどこで時間を潰せばいいだろう?まあ、最悪、ロビーで本を読んでてもいいわけだし・・・・・

 などと思っていたら、4時ごろ部屋の電話が鳴った。
 秘書嬢が帰ってきたのかな?と思いきや、添乗員からだった。「今夜、帰ることにしました」

 経過がよくわからないのだが、明日の飛行機がちゃんと飛ぶという保障ができないので、最悪の場合は飛行機が欠航し、明日中に帰ることができなくなるので、今日の最終便がとれたから、それに乗ることになったということらしい。
 それで、6時にロビー集合だというので、慌てて荷物をまとめる。
 もう一回くらいお湯に入りたかったが、でも、今夜もどうせ、あの宴会夕食だし、明日はどうせ何の予定もないので、個人的には、今日帰ったほうがいい。

 しかし、4時の時点で部屋に帰っていた人たちはよかったが、札幌に行っていた人たちは携帯電話で指令を受けたものの、一旦宿に戻る時間が無いので、千歳空港直行になったらしい。宿にいた人が部屋に入って彼らの荷物をまとめたらしいが、女性も2人いたので「うわー、やだったろうな」と同情。

 しかも、急遽バスを手配したので、6時半になってもバスが到着しない。
 携帯で連絡をとると、まだ時間がかかるというので、社長が借りていたレンタカーで途中の高速道路入り口までみんなを送ってくれることになった。社長たちは、今夜もそこに宿泊するらしい。明日、どうしてもやりたいことがあるようで・・・・
 要するに、社長は最悪、明後日に帰ることになってもいいが、社員はそうはいかないので安全策ということらしい。
 私も、別に急いで帰る必要もないし、せっかく親会社の社長もいるのだから「飛行機が欠航になって、明後日帰ることになったら、明後日は全員出勤扱い」にしてくれればいいだけである。
 でも、他の親会社社員はほとんど「支店勤務」であるから、厳密なシフト制で動いており、予定が狂うと、他の社員に迷惑がかかるのだ。

 ちゅーわけで、なんだかよーわからんのですが、とにかくドタバタと帰ってきました。
 他の社員は「せっかく来たのに、一泊だけだなんて」と嘆いてましたが、あたしはどーでもよかった。

 千歳には8時半ころ着き、途中でけっこう風が強くなってきたので心配でしたが、9時50分の最終便は無事に定刻に飛び立ちました。そのころは千歳も風がなかった。帰りの飛行機は767だった。離陸と発着のときに、「きゅいーーーん」とまるでアパートの上の部屋がリフォーム中という音がしたのは、飛行機の仕様なんですかね?747だと、あんな音は聴いたことがない。

 けっこう本州の大気が不安定だったようで、ほとんどシートベルト着用サインで、機内サービスも割愛されていました。
 羽田に着いたらもう11時半。ほぼ終電時刻。わりかし近い私ですら、電車で帰れない。(羽田に11時でギリギリ)
 タクシー代は会社で持つので、方向別にタクシーに分乗ことになった。みんなくたびれていて、方向別分けがサクサクいかなくてイライラしたが、なんとか同じ方面の人を見つけて、タクシーに乗り、12時ちょっとには三軒茶屋に到着。

 なんか、帰りハドタバタして、すっかり疲れたが、でも「あれで懲りたので、しばらく社員旅行には・・・・」という言い訳が、あと2年くらい持ちそうだ。よかったよかった。

 そんで「ほら、やっぱし私が思ったとおりだ」と言うわけで、明けて今日の「千歳→羽田」便は、朝から通常運行しておりました。ああ、バカバカしい。自分で判断していたら、絶対にちゃんともう一泊してたよ。だから、団体旅行って嫌いよ〜〜〜〜〜

 今日は、台風一過でメチャ暑かったので、日が陰るまでずっと部屋でウダウダしていた。夕方になって、散歩がてら近所の中華屋でラーメン+半チャーハンを食べたが、やはり作りたてはウマいね。

 まあ、国内線飛行機には乗れたし(アルコールが有料だということを知った)、洞爺湖を自転車で一周できたし、風呂は合計で4回入ったし、3万6千円の元はとったかな。

 でも、でも、でも、くどいようだが、またしばらく参加しねーぞ。
6月19日(土)

 さて、明日から社員旅行に行くので、今日は荷物の準備。でも、北海道2泊3日なので、着替えもそれほど必要なわけではない。それに天気予報では思いっきり「雨か曇り」になっているので、あまり外出もしないであろう。元々、私はオプション・ツアー(乗馬とかトレッキングとかカヌーとか)に参加する気もなく、「本でも読んでダラダラしてよう」という計画であった。

 でも「旅行中、もしものことがあるといけないから、部屋の掃除はしておかないと」という、いつもの思い込みを精一杯活用して、部屋の掃除はかなり進行した。大きな袋にブチこんだまま放置されていた「そのうち、クリーニング屋に持って行かなきゃ」な冬服も、やっと今日、持っていきました。旅行様のおかげです。暖房器具もやっとしまったしな。

 どうも、こういう区切りがないと、ダラダラとなんでも放置してしまう悪い癖だ。

 クリーニング屋に行ったついでに、昼食も外で食べたのだが、先日は「平日だというのに、どこの食べ物屋も混んでいるなあ」と景気回復を実感したが、天気のいい土曜日の今日は、もっと繁盛していた。もっとも、「遠出はしいけど、せめて近所でちょっといい昼飯でも」ということなのかもしれないが。
 でも、それって、バブルの始まりのときもそうだったんだよね。「家は高くて買えないが、車でちょっと贅沢」なんていう風潮になり、「高級品志向」が一気に高まった雰囲気をよく憶えている。

 マスコミで紹介されてから、連日大盛況の近所の「高級ハンバーガー屋」の「ベイカー・バウンス」だって、ハンバーガーが1200円くらいするので、客単価は2000円くらいの設定なのだ。マクドナルドやファミレスに比べると、かなり高価である。でも「たまには、美味しい手作りハンバーガーを食べてみたい」って気分がなんかあるんだろうね。
 ファースト・フード・チェーンでも、400円くらいするハンバーガーを売出すみたいだし。
 飲食業界ではデフレの底が見えてきたというか、「付加価値があれば、それなりにお金を出しても・・・・」という方向に行きそうな気配である。

 近所といえば、三軒茶屋のまさに「中心」に位置していた二つの銀行が撤退した。どちらも地下鉄の出口のすぐ脇にあったのだが、合併のため、駅から少し離れたところの支店に統合してしまったのである。
 246から、茶沢通りの角にあった旧第一勧銀は、その並びにあった旧富士銀行の支店に統合され(どっちも、みずほ銀行になった)、その旧第一勧銀が入っていたビルは取り壊されて、現在、新しい建物が建設中。噂では(今通っている、スポーツクラブの)そのビルにティップネスが入るそうだ。

 そして、246と世田谷通りの分岐点の三角地帯(その一帯は謎の商店街密集地域というか旧闇市の面影を残すナイスなところである)の頂点に長年鎮座していた旧あさひ銀行(さらに古くは協和銀行)も、もっと奥にある旧大和銀行の支店に統合されたので、そっちのビルも取り壊しかと思ったが、どうやらビルごと改装しているのはわかったが、少し前にその覆いがとれて、その全貌が明らかになり、「どひゃ〜〜〜〜」

 たぶん、「昭和50年代風」の、中途半端なビルであった。でも、三角系が基礎なので、わりと変なデザインであったので、それが真っ白に塗られている様子は「なるほど、こうすると、イマドキのオシャレなカフェっぽいのかもしれない」と思ったのだ。黄土色のレンガっぽい外壁も真っ白に塗り替えられたが、格子状のはめ込みガラスなどは、わりとオシャレな形状であったことが判明したのである。

 しかし、そのリニューアルした古いビルが、いったい何に使われるのか最後までわからなかったのだが、先月くらいにやっとそれが判明し、「うわ〜〜〜〜」
 あのビルは、くどいようだが、三茶の中心にあり、キャロットタワーよりも中心なのである。なにせ、駅のすぐ上なのだから。そして、大きな道路の分岐点だし、その脇には首都高の高架もあるので、「あさひ銀行」の看板は、高速を走る車にも「ここが三軒茶屋」というアピールをしていたのだと思う。
 前に、友達の車に乗せてもらったときに、渋谷で高速を降りそびれ(ありがち)、「じゃあ、次の出口で」と言われても、次の出口がどの辺にあるのかよくわからなかったので、そのまま高速を走りながら、「あさひ銀行」の看板を見て「ああ、ここで降りられれば、すぐなのに〜〜〜」と一人で叫んでいた。

 というわけで、三茶のランドマークはこんなんなってしまいました(泣)


 まあ、すぐに見慣れるとは思うけど、今までが「地味な銀行」だったので、この派手さが強烈すぎます。
 早く風雨に打たれて、すすけてしまえ!
 そうすれば、もうちょっと渋みが出ると思いますが・・・・
 でも、イマドキ、三茶でこんな一等地にデカデカとカラオケ屋を作っても、ペイするんすかね?
 もし、カラオケが撤退しちゃうと、この先どういう運命をたどるビルなのか・・・・お姉さん、心配よ!
 でも、たぶん、第一興商はここでの営業利益よりも「ビルボード」としての宣伝効果を重視していると思います。

 さて、調子に乗って、「ご近所の写真」を他にも撮ろうと思って、カメラ片手にブラブラしていました。前にも日記に書いた「尻尾が試験管洗う黒いブラシみたいに立派な犬」を撮影しようと思って、そのお宅のお庭を塀越しに覗き込んだら「クロ」(そこのうちの子供がそう呼んでいたのをすでに確認済み)に思いっきり吠えられてしまい、すぐに逃走。クロはどうやら番犬らしいです。撮影困難。

 桜の木が連なる遊歩道の中でも、かなり古い桜の木がありまして、最近、その木が植わっていた土地の「古いアパート」がいきなり取り壊されていることに気がつきました。
 その桜はさすがに切れなかったようで(保護樹木になっているのかも)、土が剥き出しになった土地の隅で、桜が寂しそうに立ってます。でも、アパートがなくなってから初めて気がついたのですが、桜の木と寄り添うように、シダというかシュロというか、ソテツ?よく小学校にも植わっているあの木の大きいのが立っていたのです。ツタがびっしり絡まっていたし、私がその道を通るのは主に夜なんで、よくわかんなかったよ。

 なんか芸風が違うけど、たぶん、あのアパート(昭和40年台風。私ガ小学生のころには、アパートといえば、あんなだった。その後、プレハブ型が流行)を建てる前からあった木なのかもしれない。
 桜は遊歩道にしな垂れていますが、ソテツはまっすぐに育ちました。
 その芸風の違う木が、寄り添っている光景は、昔読んだ(そんな昔じゃないか。たしか山形さんも書評でとりあげていたような)「柳の木と電信柱の交流」を描いた短編小説を思い出させます。

 それで、ちょっと心配なのは、桜は保存すると思うのですが、ソテツはどうなんだろう?あれはどう考えても「保存樹木」になりそうもないので、もしかしたら・・・・・・ああ、そんな・・・・・二人の長年の友情の行方やいかに!
 でも、もしソテツが切られちゃっても、桜の木はそんな地味な相棒のことなんてすぐに忘れるに決まっているし・・・・・・

 というわけで、感性豊かなわたくしとしては、「この風景も写真に収めておこう」と思ったのですが・・・・・桜の木がでかすぎで、フレームに納まらない・・・・・・しょうがないから、かなり引いてみたが、そうすると、いったい何を撮りたいのかわからない画になる・・・・・
 あちこち移動してみたのですが、どうしてもダメだった。
 言葉でクドクド書くよりも、写真のほうがダイレクトに伝わると思っていたのですが、世の中には「文章でクドクド説明するしかない」こともあるのですね。無理すれば撮れないこともなかったのですが、どうしても私の意図する画にならなかったので、潔く諦めました。

 桜の木も、ソテツの木も、傍らにいたアパートが無くなってしまい、今ちょっと淋しい気持ちでいっぱいだと思うのです。それで次にどんな建物が建つのか、ワクワクしていると思います。でも、桜は「自分が切られる」ってことを全く想定していないと思いますが、ソテツはちょっと不安を感じているはず。働いている会社がいきなり外資系に吸収されたときの、「自分は有能だから、そのまま雇ってもらえるはず。年に一回はヒット出してるし」という傲慢な社員と、その彼を長年支えてきたけど、自分自身はこれといった業績をあげていないので「ひょっとしたら、リストラされるかな」と不安を抱えている社員みたいなんだけど、それを写真で表現するのはなんと難しいのでしょう。(というか、君の妄想に写真が追いつかないだけです)

 というわけで、きっぱりあきらめて、もっと撮り易い被写体のところへ向かいました。
 最近、ちょっとお気に入りの犬です。
 近所に新築された家で飼われているのですが、ここんとこ引き篭もりで、犬小屋の中で寝てばかりです。


 今日も、犬小屋の中で昼寝してましたが、私がデジカメのスイッチをオンにすると「♪ひゃらら〜ん」と電子音が鳴ったので、目を覚ましてカメラ目線になってくれました。暑くてグッタリのところ、邪魔してすまん。
 でも、なんか不思議な雑種でしょ?
 耳はパピヨンみたいに三角でフサフサです。
 そんで、この子はいつもこんな優しい顔つきをしているのです。
 ひょっとしたら、かなり年寄りなのかもしれない。いつも、ボーっとしています。(目もちょっと濁っているので、白内障なのかもしれない)

 でも、顔の薄いブチがとてもかわいいし、珍しい。この写真ではよくわかりませんが、足先も同じように薄いブチです。ダルメシアンの血でも入っているのでしょうか?
 そして、顔を斜めに横切る黒い筋と、頭から背中に抜ける白い毛が、「ブラックジャック」を思い出させるので(ブチブチは縫い目みたい?)、私は密かに「クロオ」と呼んでいます。
 けっこう味のある顔です。寺尾聡(とうよりも、私の趣味としては若いころの宇野重吉)が実写版ブラックジャックを演じたら、こんな雰囲気になるのではないでしょうか?

 さて、ご近所撮影旅行はこれくらいにして、もっと身近な室内の撮影もついでにやっちゃいました。


 久々の登場である「みっつのしもべ」です。
 株分けしたので、鉢は4つに増えていています。もう高さが50センチくらいあります。どれがロプロスで、どれがポセイドンだか、もはやよくわからないし、はっきり言って、けっこう邪魔です。(うちは狭いのである)
 でも、順調にぐんぐんと伸びています。これを分けてくださったお宅では、私の肩くらいの高さにまで育てていましたから、このまま順当に成長すると、これのあと3倍くらいの高さになるらしい。うーん、置き場がないぞ(笑)
 別にこれがちゃんと育っても、サイケデリック作用のある植物になるわけでもなく、なんの効用もないのですが、「生きてるものはとりあえず世話をしてしまう」ということらしいです。アンダーソン君もしかり。ちゃんと毎日、水をやってます。
 ちょっと留守にするが留守番よろしく!(アンダーソン君を部屋の中央に置いておけば、空き巣撃退に効果的かもしれない)
6月18日(金)

 あちこちでも話題になっていますが、読冊日記の「ぱど厨観察記」は面白すぎ。
 そこでも紹介されている、P氏=愛奈の調査記録を昼休みにお弁当食べながら読んでいたら、ゴフっとまさに噴飯しそうになりましたわよ。

 でもねー、私は自分の子供時代の記憶がわりと残っているので、自分が今、小中学生だったら、似たようなことを嬉々としてやってたような気がするんだよね。
 子供って他人の気持ちなんて全然考えてないじゃないですか。
 自分もそうだった。自分にも責任があるのはなんとなくわかっていても、被害者意識のほうが断然強かった。
 そんで、「こうすると、ああなるから・・・・」と先を読んで行動するという能力に著しく欠けていて、とにかく目先の欲求だけで行動してしまい、あとで後悔するのだが、でも、全然学習しない。(長期的には、なにか学習していたと思うが)

 母親に「テレビ観る前に宿題を済ませなさい!」「散らかしたものを片付けるまで外出しちゃだめ!」なんて説教されると、むちゃくちゃムカついてたもんな。ほんとに、死ね!と思ったもん。
 そういう凶暴な気持ちの感覚だけはなんとなく覚えている。

 で、たとえば自分が友達を苛めて、その子がビーーーーっと泣いて家に帰ってしまっても、不思議と後悔する気持ちは起きなかった。なんで泣いて帰ってしまったのか理解不能だけど、でも、そんなことばかりやっていると、遊んでくれる友達がいなくなる、という甚だ利己的な理由で、翌日にちゃんと謝って、また平然と一緒に遊んだりしていた。
 逆に自分が苛められて、ビーーーーーっと泣いて家に帰ったときには、とにかくムカムカするだけで、ほんとにただ原始的に泣いており、泣くだけ泣いたあとは、なんで泣いていたのか忘れていたりした。そんで、翌日、その友達と顔を合わせても、特に気まずいとか、根にもっているということでもなく、また平然と一緒に遊んでいたりした。

 そういう野蛮な精神状態に変化が起きたのが、たぶん思春期のころだったんだろう。
 何をしたら相手が傷ついたのか?とか、自分はどうしてこんなに泣いているのか?という理由を理論的に考えるようになったのである。
 それができれば、遊び相手の人形をいきなり略奪したり、抵抗する相手を見境なく殴って応戦したりという野蛮な行動はとらなくなってきたが、そうなると、人間関係は複雑になっていき、「悩み事」という観念が生まれてくる。そして、なまじ賢くなってしまったばかりに、自分の些細な行動が相手を傷つけるのもショックだし、「いったい、わたしがなんか悪いことをした?」と数日間イジイジしていたりして、その関係を修復するのにまた時間がかかったりして、けっこう辛かった。

 なので「ぱど厨」のやりとりを読んでいると、なんか恥かしいほど野蛮だった小学生のときの自分を懐かしく思い出す。子供が伸び伸びと遊べる環境だったが、近所の空き地や公園で繰り広げられていた「謎のローカル・ルール」って、いろいろあったよな。敷石の色の違うところは踏んではいけないとか、このトンネルは一方通行でしか抜けることはできなくて、逆行すると総スカンくうことになり、全員で「あーーー、反対側から通った!」と執拗に糾弾され、ルールを侵した子は泣いて家に帰ることになる。
 そんで、そういうルールですら、目まぐるしく変化するので(ルール変更を宣言できる立場の人間も目まぐるしく変わる)そのこと自体が「スリル」だったのだ。そうしないと、毎日同じルールで同じようなメンツで遊んでいると飽きちゃうのである。

 そういや、そういう「ルール作り」自体が遊びだったような気もするなあ。
 でも、私の子供時代には「それを明文化する」ということはなかったので、みんなそれをすぐ忘れるので、だいたいの記憶を頼りに「前日のルールを継続」ということにして、それでまた「昨日はこうだった」「ちがうよ」などと話し合って、また「今日の気分に合った今日のルール」を構築していたような気もする。

 ネットでそういう雰囲気で遊ぼうとすると、昨日のやりとりがちゃんと残っているというのが、よくないところなのかもしれない。
 リアルで遊んでいると「ここは、あたしの陣地。ここに入るのには、○○の葉っぱ(季節モノ)を5枚持って来ないと入れてあげない!」と宣言しても、翌日には無効であったが(ってゆーか、前日にはあれほど楽しかったのに、翌日その続きをやろうとすると、えらくつまらないのだ)、ネットで同じことをすると、そういう天然の(子供の性質に組み込まれているはずの)リセットが効かない。

 それはなんか楽しくなさそうな気がする。
 子供時代の特権って、「○○ちゃんが、いじめた〜〜〜〜」とビービー泣いて帰り、いちおう母親にはその顛末を説明するが、母親がそれを理解しているかなんてどうでもよく(たいてい親にとっては意味不明だったりするし)、とにかく全部喋って、誰かが自分の味方についてくれればいいわけで、それは「まあ、とにかくおやつでも食べなさい」という母親の言葉で「おかあさんは、わかってくれている」ということになり、お菓子食べたあとに、再放送のバイオニック・ジェミーとか観ているうちに、そもそもさっき泣いていたことなんか忘れ、夕飯を食べるころには、今日一日、なんかあったことなんか忘れ、お風呂に入るころには眠くなり、夢の中でいちおう今日のおさらいをして「そんなのダメだよ!」と、寝言などを言うが、自分では憶えてなくて、朝になると昨日のことはすっかり整理がついている。というか、子供にとっては一日が長いので(本当にそうだった)、カサブランカのボギーのセリフではないが「そんな昔のことは忘れたな」なのである。

 大人みたいには「根にもてない」のである。
 「ぜったい許さん!」と思っていても、ケロっと忘れる。

 本当にちゃんと「いつまでも根にもつ」ことができるようになったのは、高校生以上になってからのような気がする。
 というのも、記憶が老朽化しているからかもしれないが、私は記憶力がいいので(くだらないことばかりだが)、けっこう子供時代の諍いも覚えているのだが、それがなんでそうなったのか、さっぱりわからない。で、中学校のころの揉め事もかなり覚えているのだが、それもやっぱしあんまし理由というか仕組みがよくわからない場合が多い。
 だから、どういう因果関係でそうなり、それをどう対処したか、と、ある程度、ちゃんとした経過を理屈で説明できるのは、高校生以降なのである。

6月17日(木)

 朝のワイドショーを観ていたら、また韓国スターが来日していたが、テレビでも盛んに宣伝している(おすぎ推奨CM。おすぎがCMで絶賛している映画は、ほぼハズれで間違いがないというのが一部の定説である)「ブラザー・フッド」の主演二名は、片方が「韓国のトム・クルーズ」でもう片方が「韓国のキムタク」なんだそうだ。

 「わあ、なんてトキメかないキャッチ・フレーズ」と苦笑したが、(個人的に、トムもキムタクもアウトオブ趣味)空港にはまた2000人も押しかけたようで、最近、「空港にファンが何人押し寄せたか」が人気のバロメータというか、ワイドショーネタになるので、呼ぶほうも「来日情報を適度にリーク」するのはもちろん(あまり大々的にやって、空港出入り禁止になっても困るし、加減が難しいと思う)、たぶん警備員も配置しないといけないので、大変そうです。今回も警備員が100人近く配置されて、それ自体がニュースになっていた。
 日本は平和である。

 そんで、映画スター二名に加えて、同じ便で「冬ソナのサンヒョク君」までやってきたらしい。そっちはCD出すのでその宣伝。彼のファンも空港に来ていたみたい。もちろん「韓国のトム」や「韓国のキムタク」目当ての人たちだって、サンヒョク君のことは知っているわけだから「ラッキー」ってとこだろう。
 そういや、友人のMちゃんが成田空港でクリントン元大統領来日に出くわし、間近で観られて感激したようだが、「ちょうど、ディカプリオも来るときらしくてギャルが沢山いたんだけど、その人たちもついでに歓声をあげていたので、クリントンはもしかしたら誤解したかも(笑)」と言っていたっけな。(もちろん、スタッフが説明しただろうけど、ついでというか「練習」とはいえ、女性軍団に歓迎の声をあげられれば悪い気はしなかったと思う)

 まあ、どうでもいい話であるが、でも、「素で歩くサンヒョク君」の映像を観て気がついた。「顔はこっちのほうがヨン様よりも好き」
 オザケン系なのである(笑)
 くどいほど売り物の笑顔で通したヨン様よりも、無表情でスタスタ歩いて行ったサンヒョク君(それは役名なのだが・・・・)のほうが、かわいかったぞ。ただ、「冬ソナ」の中での役柄が、あまり好きではないのが残念。誰か、サンヒョク君を日本のラブコメかなんかで「お坊ちゃんな韓国人留学生役」で遣ってくれないかなあ。篠原涼子あたりが出るようなドラマで・・・・・

 篠原涼子といえば、その昔は「コムロ・ファミリー」って感じでだったけど、しばらく見かけないと思っていたら、いつのまにかドラマ女優としての地位を築いていた。
 最初は脇役が多かったけど、私もそんなに観ているわけではないが、彼女が出てくるとなぜか安心して観ていられたので、「けっこう名脇役になれるかも」と思ったのだが、やはりそう思った人が多かったのか、いつのまにか主演扱いに昇格していた。
 でも、悪く言えば「華の無い人」なので、主演なのに、主演っぽくないかんじがするのだが、逆に「女性のファッション・リーダー」とも言われることなく(私が知らないだけかもしれないが)、コンスタントにドラマに出ている雰囲気は「堅実」ともいえるよな。

 話がまた逸れてしまった、韓国スターのニュースは前フリで、あ、でも、「韓国のキムタク」は来年から兵役に就くらしい。台湾もそうなんだけど、兵役が義務付けられている国だと、芸能人は兵役のタイミングを間違えると、「売れてきたいいとき」に2年くらい姿を消すことになるので、プロダクションも苦労するだろうなあ。
 だって、日本でも2年の兵役があったら、ジャニーズ事務所とか大変でしょ?(今だとスマップあたりは順繰りに兵役で出したほうが効果的だと思うが・・・・)

 さて、やっと話が本題になるが、朝の芸能ニュースをそうやってちんたら観ていたら、「ボーイズ2メン」(だったと思う)がなんと「♪おおきなノッポの古時計」をリリースするというのだ。
 あの曲は日本以外ではあまり有名ではないはずなので「え?」と思っていたら、どうも来日したときに、平井堅が大ヒットさせたときで、街中でもよく流れていたので「いい曲だね」というのがきっかけだったそうだ。そんなこったろうと思った。

 それで、彼らの歌もちらりと流れたのだが・・・・・
 コーヒーカップ持ってる手が止まってしまった。久々に「ぽか〜ん」となった。素晴らしい楽曲に突如出会うと、私は口が半開きのまま固まる。
 いや〜、平井堅は「歌唱力」が売りなんだろうけどさ、ああいうの聴いてしまうと、日本で一般的に「うまい」ってされているものが、単なる少年少女合唱団の「うまさ」にしか思えなくなる。

 なんかもう「うまい」とかそういうレベルではないのだ。もちろん、ボーイズ2なんとかは、世界でも最高レベルの歌唱力を持った人たちなんだろうけど、なんか吉野家の牛丼の「うまい」と、松坂牛の霜降り肉ステーキの「うまい」を比較しているようなかんじ。

 そんで、私は「ポピュラー音楽」に関しては、あまり「歌唱力」を重視しないほうである。だから、あまりブラック系のポップスは好きではない。ローリン・ヒルは「うまい」とは思ったが、お金出して聴く気にもなからなかった。ソウル系もあまり好きではない。アカペラ・グループの曲も、テレビやラジオで耳にすると「いいねえ〜」とは思うけど、一枚も持ってない。
 どっちかというと「UKギター系」で「ネオアコ系」なので、歌唱力は「へたうま」でも、コード進行やバンドの音とのバランス重視である。
 食べ物で例えると、肉の素材そのものを生かしたステーキよりは、ごった煮のシチューの味わいを好むともいえる。
 クラシックだったら、バイオリン・ソロよりも、交響曲のオーケストラの響きが好き。でも、実際には、オケだけじゃ飽きちゃうので「協奏曲」が一番好きである。その中でもピアノ協奏曲が好き。ピアノの音色のあとに、ジャジャジャジャーと弦の音が聴こえるのがたまらんのである。フレディーが高音で抜けたあとに、ブライアン・メイのギター・ソロが絡んだときと同じような高揚感を感じるのである。

 とにかく、そんな趣味なので、最近のJポップの主流でもある「歌唱力バツグンの歌姫ブーム」も、まあ音程あってるだけ耳障りではないが、金出して買う気には全然ならない。そもそも女性ボーカルものは、ついつい「歌が上手い」ものが多いので、ほとんど持ってない。ビヨークもシュガーキューブスの来日公演で観たっきりである(笑)
 「歌」が迫ってくるようなのは、あんまし家では聴かないのである。ライブだったら、けっこう楽しいかもしれないけど。だから、ポップスに関しては完全に「男好き」なのである。

 なんの話しているのかわからなくなってきたが、とにかく、あまり「歌い上げ系」が好きではないので、「クイーン」は歌い上げ系+合唱+ハードなサウンドが絶妙に合体した稀有な楽団であったし、「ホール&オーツ」も歌唱力がどうのというよりは、その圧倒的な楽曲のよさと、ダリル・ホールの中途半端なソウル能力が絶妙のギリギリ感をかもしだした奇跡のポップ・デュオであったし(あと、やはりオーツ氏の顔がよかったよね)、私が堪能できる「歌が上手い」はビリー・ジョエルが限界かな。ビリー・ジョエルも「歌手」というより「世界最高峰の歌えるピアノ弾き」である。

 だから、先日亡くなったレイ・チャールズが「愛しのエリー」を歌ったときにも「ふーん、まあ、こういうのって売れるんだろうね」と思っていたのであったが、「古時計」の歌は、私の大のお気に入りであったので、それをああいう唄い方されると「わーーーー、こんな曲だったんだ!」と新たな魅力発見である。

 なんで、外人さんのほうが、ああやって「古典を自分のものにしてしまう」という人が多いんでしょうね。
 古典やスタンダードじゃなくても、私はクラバーだったので、それなりに沢山の「DJプレイ」を聴いていますが、DJなんて「借り物商売」の極北なわけですが、それでもやはり「自分の音」を作ってしまう人が外人には多い。
 歌と違って、「生まれつきの才能」がそれほど大きくないDJで、あれだけの違いが出るのがとても不思議です。
 もちろん、日本人でもそれができる人は沢山います。
 でも、外人のほうが、その底辺が圧倒的に広い。
 たいして売れてないような、マイナーなミュージシャンが狭いライブハウスを「自分の音」で充填するのを目の当たりにすると「日本の教育はやはり間違っているのではないか?自己主張の方法が欧米のほうが成熟している」と思わずにはいられません。

 そんなことをボーイス2なんとかの「古時計」を聴いて考えてしまったのでありました。
 まあ、単なる「あいつら、うますぎ!」でありますが。
 久々に「超うまい」と「超感激」が結びついたので、個人的にはちょっとうれしかった。あのくらい上手ければ、それなりに感動するのですね。やっぱ、その辺にあふれている「歌唱力バツグン」は、世界的にみれば大したことないというのがよっくわかりました。別に世界に通用しなくたって構いませんが、リスナーは世界レベルのものが簡単に手に入るので、やっぱ比べちゃうわな。
6月16日(水)

 先日、Aさん宅で外国人ダンナ2名を交えて歓談していたとき、イギリス人C君が現在熱心に学習している日本語は「つるつる」とか「ふわふわ」などの・・・・そういう言葉ってなにか一般名詞があるのだろうか?ともかく、C君はけっこう気に入っているようであり、アエラさんと一緒に歩いているときに小声で「つるつる」などというときには、すぐ目の前を頭が「つるつる」のオジサンが歩いていたりして「しっ、聴こえちゃうじゃん」ということになるらしい。

 それで、みんなで急に「ぴかぴか」とか「ぶよぶよ」とか言い始めたんだけど、これって外人に教えるにしては、「正解」があるわけじゃないので、「じゃあ、こういう場合は?」と言うと、日本人3人とも別のことを言ったりする。
 なるほど、と思ったのは、「ふわふわ」を説明するのに、誰かが「クラゲ」を例に出したけど、私にとっては「クラゲ」は「ぶよぶよ」である。水槽の中を優雅に泳いでいる様子はたしかに「ふわふわ」だけど、私がクラゲといわれて真っ先に思い出したのは、海岸に打ち寄せられている謎の半透明物体を指でつついたときの感触である。「ぷにぷに」でも「プルプル」でもいんだけど、それを言い始めるとキリがない。

 そーいや、昔、「連想ゲーム」で、そういう繰り返し言葉をあてるコーナーあったな。

 今週末は社員旅行に出かけるので、旅行前には部屋をキレいにしておかないと、と思って、また頑張って掃除した。やっと暖房器具をしまったよ。
 そんで、久々に「トリビアの泉」をちゃんと最初から最後まで観たが「エメラルドグリーンのゴキブリ」に心ときめいていた。でも、やはり色が美しくても、形がアレなので、「うぇ〜〜〜〜」という反応だった。

 先日、アパートの廊下の白い天井(去年塗り替えたばかりなので、かなり純白)に、薄緑色のものがとまっていたので「なんだろう?」と目を凝らしてみたら、どうやら「ウスバカゲロウ」だったみたい。千葉の家に住んでいたころは、よく網戸にとまっていたが、久々に目撃した。白い壁にとまっていると、その透明な緑色が映えて、まさに「はかない美しさ」であったので、「これは写真に撮ろう」としたのだが、天井まで距離があるので、ズームで撮るとブレちゃうし、マクロで撮るには手が届かなくて、あの美しさを写真に収めることができなくて残念。

 もっとも、やはり今日のトリビアで、カタツムリを撮影していた加納典明の様子を観ると、やはりあのくらいの設備を整えないとダメかな〜(広告の商品撮りのような大袈裟さを強調していたんだろうけど)

 写真といえば、最近やっと撮影に成功した近所のプチ紫陽花寺。
 狭い参道の両側に張り出しているので、やっと通り抜けられるくらいの隙間しかないのである。
 そんで、毎年、紫陽花の時期になると、いつも「扁桃腺」を思い出してしまうのだ。
 私は子供のころ、扁桃腺肥大でいつもそこが腫れて高熱を出していたのだが、医者にも「立派な扁桃腺だねえ」といつも誉められて(?)いたので、扁桃腺が腫れたときなどは自分で懐中電灯で喉の奥を照らして観察していた。
 なんか、あれと似てるんだよね〜。ブツブツした感じとか。

 ちなみに、扁桃腺肥大に似た紫陽花の植え込みの奥には、ご丁寧にも「のどちんこ」みたいな巨大なイチョウの木がそびえており、ここのイチョウのビッグバー度現象はそりゃ素晴らしいのですよ。

 しかし、やっぱし私は写真が下手だな。実は、もうそろそろ解放しようと思っているアンダーソン君の勇姿も記録しておこうと頑張っているのだが、小さいし、動き回るので、なかなか撮影に成功しない。うまく撮れたら「みてみて、うちの子、かわいーでしょ」と自慢しまくりたいところだが・・・・ちゃんと撮影できなほうがいいのかもしれない。

 と思っていたが、悔しいのでもう一度挑戦してみた。
 でも、やっぱし、「マトリックス」が霍乱するので、上手に撮れないんだけど、まあなんとなく姿がわかるものが撮れました。
 こんなもん、頼まれても観たくないという人も多いと思いますので、ずっと下にスクロールしないと見えないようにしておきます。

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