可燃物な日々

表紙に戻る/過去の日記

ご意見・ご感想・誹謗中傷などございましたら、感情廃棄物再利用所までどうそお気軽に書き込んでください

5月31日(月)

 今日も30度を越す暑さ。
 しかし油断していると、オフィス内は冷蔵庫のように冷えているので、密かに激しい攻防が繰り広げられているのであった。温度設定をめぐる駆け引きって、なんか証券会社のディーラーとか、為替のディーラーとか、よくわかんないけど、ああいう世界っぽい。「売り気配」とか「買い気配」とか(売り買いするわけではないが、なんか誰かが設定を操作しそうな「気配」が漂う)「下げ渋る」とか「下げ止まる」とか、そういう用語がしっくり来るような気がする。
 用語の使い方が正しいかどうかわからないけど、いつも温度を急激に下げてくれて、「う、寒い」と思って確認しに行くと「18度」とかになっていたりするが、たいていは熱がりの「燃える男」H部長の仕業なんだけど、私はそれを「シテ戦」と命名している。
 でも、「急激に下落」なのだから、「ブラック・マンデー」と言ったほうがいいのか?
 H部長には、いつも「デン子ちゃんに殺されますよ」と小言を言っているのだが、「アジア通貨危機になっちゃいますよ」と脅したほうがいいのだろうか?

 イラクも荒れているけど、サウジの事件も、リアルタイムで追っていなかったから昨日の時点ではどういう事件なのかよくわかっていなかったのだが、今朝のニュースで「血みどろの階段」の映像を観て「ぞぞぞぞぞぞ」となってしまった。
 そんな私を慰めてくれたニュースは「韓国で口裂け女が大ブーム」であった。懐かしいな〜
 あたしは中学生でしたけど、やはりマジに怯えてました(笑)
 なんで、あんなに怖かったのか、今だにわけわからん。
 でも、最初に聞いたのは下校途中で、友達がその話を語ったときに、バシっと何か頭の中で映像化したんだよね。
 それから、10数年経って、「リング」が話題になったので、私も読んでみたんだけど、あの貞子が井戸から・・・・ってところで、やはりバシっと何かが映像化して、映画は観てないけど、貞子の見せ場だけはチラホラと宣伝で観たので、「そうそう、こんなかんじで、バンっと・・・・」と感心したというか、「ああ、みんな同じ画を思い浮かべてたんだな」と納得したというか・・・・・そうそう、口裂け女のときにも、クラスメートたちは頼まれもしないのに、みんなで「想像図」を一生懸命描いていたっけ。

 周囲の大人たちは、子供らがなんでそんなに真剣に怖がっているのか不思議だったようだ。小さな子供ならまだしも、中学生まで、夕方一人で買い物に行けないくらい怯えていたのだから、そりゃ変だったよな。あれは何歳くらいまで通用したのだろうか?当時の高校生などはどうだったんだろう。
 もっとも、中学生たちも、すぐにそれが「都市伝説」であることに気がつき(報道でも盛んに取り上げていたから)、でも、だからといって、「全然こわくねーよ」とも言えなかったのである。

 あの体験が多少なりとも役に立ったと思えるのは「デマ」というのを体験できたわけで、その昔、関東大震災のときの話だったっけ?「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが流布して、罪も無い人たちが殺されたとかいう話を聞いたことがあるが、そういう情景というか雰囲気がなんとなく想像できるようになった。「集団ヒステリー」とか言うんだっけ?

 それとは別の話だが、「笑える怪談」として、これは母の娘時代の体験談であるが、たしか女子高の林間学校のようなものに参加して、自由時間に近所の山道を何人かで散策していたらしい。出掛けに先生から「山は暗くなると、あっという間に真っ暗になるから、早めに戻るように」と言われていたのだが、山を知らない都会ッ子たちだったので、薄暗くなってから「じゃあ、宿に戻ろうか」と道を戻りはじめたら、先生の言葉どおりに、日はすぐに山の影に隠れて、あれよあれよという間に「真の闇」に包まれてしまった。
 それでも、林の中の一本道なので、道に迷うはずもないが、ほのかな月明かりを便りに、少女たちは手を繋ぎながら必死に前に進んでいた。そして、狭い山の遊歩道なので、母はその道端にあった草に沢山毛虫がついていたのを思い出して、でも毛虫のついている草を頼りにしなければ前に進めないから、必死にそのことを忘れようとしていたらしい。

 とにかく、ほぼ真っ暗闇だし、怖いから数人で団子になって歩いているわけで、隊列はなかなか進まなかったのであるが、みんなで半べそで励まし合いながら歩いていると、突然、恐ろしい音があたりに響き渡り、さっきまで目を開けているのも怖かったはずの少女たちは、いっせいに我先にと(さっきまでは、先頭を歩くのを全員が嫌がったというのに)ダッシュして、すぐに宿に付き、心配して、そろそろ捜索隊を組もうかと玄関先で待機していた先生が怒る隙も与えぬほど、ギャーギャーと泣き叫んでいた。

 「そんで、その音はいったいなんだったの?」

 道の途中にあった農家の牛が鳴いたのだそうだ。もおおおおおお〜〜って。
 宿で全員のヒステリー状態が少し治まったところで、先生が「いったいどうしたんだ?」と事情を聞くので、そこで冷静になって思い出せば、全員が「あれは牛の鳴き声でした」って、わかっていたそうだ。
 でも、牛なんかいると思ってないところで、突然鳴き声がしたので、パニック状態になってしまったらしい。

 まあ、昼間にピクニックしてても、突然牛が鳴いたら、それなりにギョッとすると思うので、それが暗闇だったら、そうなるのもわかる。
 そして、母たちは「あれは牛だった」と気がついた瞬間、今度は全員でケラケラと笑い出したら今度は笑いが止まらなくなってしまったらしい。さっきまでビービー泣いていた少女たちが、今度はゲラゲラ笑い出したので、傍らにいた先生は相当呆れたことであろう。

 以上が「笑える怪談」であるが、調子に乗って思い出した、他の怪談。
 こっちはあまり笑えない。

 会社のあるオジサンがまだ大学生だったころの話。
 サークル仲間と、千葉の海に行く途中、畑の真中の暗い夜道を通った。車二台に分乗していて、そのオジサン(Kさんとしよう)は後ろの方の車に乗っていた。
 畑の真中の狭い道で、街灯もまばらというか、ヘッドライトだけが頼りである。
 ガードレールもないわけだから、畑に落ちないように、かなり徐行して走っていた・・・・・はずなのだが、途中で、前方を走る車が、突如、猛スピードで走って行ってしまった。

 「なんだ、どーしたんだ?こんな暗い道であんなスピード出して?」

 と後続の車に乗っていた学生たちが、不思議に思いながら、そのまま走っていると、すぐに前の車が突然ダッシュし始めたポイントにつき、そこでその車の運転手も思いっきりアクセルを踏んだそうだ。

 なんと、その畑の中の道の近くに、「血だらけの女の人がボーっと立っていて、こちらを見ていた」のだそうだ。
 前の車がなんで猛スピードで走って逃げたのか、すぐにわかったのだが、とにかく運転手も助手席も後部座席も全員が「それ」をしっかりと目撃したので、無言でただひたすら暗い道を駆け抜けたという。

 しばらくして、明るい街道に出て、ほっとすると、前を走っていた車がそこで待っていて、みんなで車を一旦降りて「見た?」「見た・・・・・」と、顔面蒼白のまま「どうしよう?」と相談。

 「幽霊の正体みたり・・・」とも言うし、あれはきっと「なにか」を見間違えたに違いない。
 しかし、一人が見たのならまだしも、2台の車に分乗していた全員が「それ」を見ていたのである。
 「もしかしたら、轢き逃げされたとか、殺されそうになった人が本当に助けを求めていたのかもしれない」
 という意見もあり、「その可能性もある」ということになったが、でも怖くて「現場」に戻る勇気がない。

 「途中で交番があったら、いちおう話しておくか」ということになったが、結局、交番は見つからなかったのか、それとも「やはり、見間違いだと笑われるだけだろう」ということになったのか、そのまま宿に着いてしまったらしい。翌日、気になったので、ニュースなどを確認したが、あの近辺でこれといった事件が起こったという話もなかったのだそうだ。

 その話を聞いた私は「なんで、翌日の明るいときに、もう一度確認してみなかったの?すっごい意外なものだったかもしれないじゃん」と言ったのだが、Kさんも「たしかに、そうすればよかったんだけど、なんかそうしなかったんだよね」

 今だに、あれがなんだったのか、ときどき思い出して、気になるんだそうだ。たぶん「よくできたカカシ」とか「壊れかけた看板」とか、そういうもんだったのだろうけど。
 不思議な「青春の思い出」である。

 不思議といえば、今日やっと健康診断の結果が郵送されてきたのだが、去年は15あったγ-GTPが、今年は9でした。肝臓がほんとに丈夫なんだな。たぶん、先に脳細胞が破壊されるのだと思う。もう、かなりやられてそうな気がします。

 また、なんか書き止まりませんが、ニュースを見ていると「中近東で仕事している人の家族も心配だろうなあ」と思ったついでに、「そーいや、昔、うちの父ちゃんも紛争地域に行ったことあるじゃん」と思い出しました。
 うちの父が行った「ヤバい地域」とは、イラン革命のときのイランです。ホメイニ師がどうので、パーレビ国王がどうのこうので・・・・・全然覚えてないのだが、当時のニュースはまだNHKがメインだったし、今みたいな派手な報道はされてなかったので、「どの程度ヤバいのか」っていうのもよくわからなかったし、それに今の中東情勢に比べれば、牧歌的な「革命」だったのでしょう。

 父が働いていた会社が、その数年前にイランでなんか共同事業を始めたので、そのときも財務担当として数ヶ月行っていたので、「革命でヤバいから」と一時撤退する際に、その整理で行ったみたいです。
 母はそれなりにピリピリしていたようですが、子供達にそれを悟られてはならないと、気丈に振舞ってたような気がする。今考えると。でも、海外出張直前はいろいろな支度でドタバタするので、家族はあまり深く考えてなかったのでした。深く考えてもしょーがなかったし。

 父がイランに向かって乗った飛行機は、JALの特別機で、それは「退避する日本人ビジネスマンや家族を迎えに行く」ための飛行機でした。「危険だから、みんな帰ってくるっていうのに、その飛行機に乗っていくなんて、まったくも〜」と母がボヤいていたのをよく憶えてます。
 ところがその飛行機、テヘランの空港が閉鎖されちゃって、着陸できず、しょうがないからギリシャまで行って、そこで情勢が好転するまで待機になった。と、新聞に小さく載っていたので「お父さんが乗っている飛行機が新聞に!」と家族で大喜び(笑。てゆーか、笑うしかない)

 呑気な娘は「お父さん、ギリシャとか行けて、観光しまくってんじゃないの?よかったじゃん」と言ってましたが、後で帰国した父が撮った写真にはパルテノン神殿の前に嬉しそうに立つ父の姿が沢山写ってました。
 「おとーさん、よかったじゃん」と言うと、父は憮然として「だって、飛行機いつ飛ぶかわからなかったし、暇だったから他にすることもなくて・・・・」と言ってました。
 あのころ、海外旅行は、かなりリッチな人しか行けなかったので(子供が大きくなって就職したような人がやっと行くようになったくらいの時代)、「ギリシャ旅行」なんて、かなりのステイタスだったんすよ。

 そんで、3週間くらいイランにいて、帰りはなぜかロンドン経由で、やはりビッグベンの前で誇らしげに立っている父の写真が・・・・・あと、当時、ロンドンに留学中(っていうか、ベビーシッターしながら英語学校に通っていた。海外逃亡する若い女性のハシり)の父の従姉妹にも会って来たようです。
 そんなわけで、父がイランに滞在していたときには、それなりに心配して毎日ニュースや新聞をチェックしていたのですが、後になって思い出すのは「最初で最後の欧州旅行もしてきちゃった父」なのでした。あれ以降、欧州には行ってないはず。韓国は母と行ってきたし、アメリカはなんか会社の研修旅行とやらで行ってたけど。

 というわけで、古代遺跡が大好きな父に「パルテノン神殿」を見学させてくれた「イラン革命」とうか「ホメイニ師」には、今だに感謝の念を持っているのでありました。ついでにあの飛行機が西安とかにも寄っちゃって日本のオジサンたちの憧れ「兵馬俑」も見学できていたら、感謝のあまりイスラム教徒になってたかもしれない。

 なんか、私の記憶が「自分に都合のいいこと」ばかりを残しているのか、昔の「国際社会」はもっとのんびりしていたのか、私が能天気なだけなのか、よくわかりませんが、でも家族がそういう「ヤバそうなところ」に行っていても、「まあ、大丈夫だろう。うちの子に限って」と、考えるのが「残された家族」でありましょうから、(いくら心配してたって、こっちもこっちの生活があるし)そんなもんなだろうと思いますが、それでも、ここんとこの血も涙もないテロ事件続発報道を観ると、家族の方々は神経磨り減るだろうなあ、と同情してしまうのでありました。


5月30日(日)

 昨日はワイン飲みながらダラダラ日記を書いているうちに、すっかり酔っ払ってしまい、「ああ、そろそろ冬ソナが始まる」と思って、布団に寝転がっていたら、そのまま寝てしまったらしく、冬ソナが始まって、音楽がチャラチャラ流れているという意識はあったのだが、かなり朦朧としてました。

 そんで、ふと目が覚めたら、テレビも電気もパソコンもつけっぱで、「あ〜、またやっちった」と起き上がって歯を磨いたり、コンタクトレンズを外したりしていたのだが、つけっぱになっていたNHKでは、アフガニスタンの武装解除に関わっている日本人のドキュメンタリーを流していた。

 最近はイラクのニュースばっかりで、アフガニスタンのその後がどうなっているのか全然関心がなかったのであるが、「そっか、こういう段階なんだ」とヨレヨレしながら最後まで観てしまった。
 武装勢力同士が今だに警戒しあっているので、武装解除っていうのも「野球拳」のように、一枚一枚脱いでいかないといけないらしい。でも、今だにやっと1割程度の武器を回収し、兵士を除隊させるにとどまっていて、先は長いようだ。
 でも、そうやって、現実的に「あっちも銃を千丁手放したんだから、こっちも同じだけ」とやっている映像を見ると、なんか核軍縮やっているアメリカとロシアの駆け引きをパロディ化しているような心地がした。

 イラクでもジャーナリストがまた被害に遭い、「それでもジャーナリストが危険を顧みずに中の様子を外に向かって発信する重要性」というのが、また語られているけど、でも、私個人としては、それほど「戦争報道」を信用していない。
 というか、「報道」というものをあまり信用してないのだ。
 と言うと、なんか硬い言い回しになってしまうが、でも、今の日本で暮らして、フツーにテレビ観ていると、「テレビってしょせん娯楽」なわけじゃないですか。そんで、新聞や週刊誌だって、しょせん暇つぶしである。それなりに情報収集しておけば、話題には困らないという程度。

 テレビに関して言えば、すっかり「ニュースショー」と化しているので、それを観る態度は「冬のソナタ」を観る態度と全く同じである。だから、冬ソナを作るために命懸けてます、といわれてもちょっと困るし、冬ソナの制作スタッフが戦場ジャーナリストよりラクしているとも思ってないし、うーん、何を言いたいのだあたしゃ。

 まあよく「知る権利」などというけど、じゃあ、私がイラク情勢をちゃんと知っていても、なんかいいことあるのでしょうか?
 で、「イラク情勢が今一番ホット」なわけだから、連日の報道をちゃんと観ているんだけど、それって「冬ソナや世界の中心で・・・が今一番ホットだから、押さえておかないとな」な気分とあまり違いはなく、だからこそ、イラクのニュースは連日流れるけど、アフガニスタンは無視されている。流行遅れだから。

 だから、昨日の夜中にうっかり観た、「アフガニスタン武装解除」のドキュメンタリーで、アフガニスタンの人が「世界の関心が薄い」とボヤいているのを観て「すんません」と素直に反省した。
 いや、でも、武装解除は別に世界に発信するためにやっているわけでもなく、自分らのためにやっているわけだから、「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ〜」とテレビの前でボヤきたくなったが、でも、これだけ報道が発達した今は、戦後の日本とは全然違うんだ、と改めて思った。

 だから、その「流行遅れのアフガニスタン」に、NHKクルーが乗り込んでいって、ビデオを回すことは、アフガニスタンのことなんてすっかり忘れていた私に説教するという意味よりも、「日本国民はちゃんと関心を持って見守ってます。だからガンバレ」ってゆー意思表示になるのかね?

 そういや、北朝鮮拉致家族会の場合も、そういう報道の分量をとても気にしていた。テレビや新聞でバンバン取り上げてくれないと「酒場議論」を維持できないのだ。だからこそ、無理してでも、子供達が馴染んでいく様子を逐一報告しているのだと思う。マスコミを味方にすることがとても重要だとわかっているのだ。

 話はアフガニスタンに戻るが、やっぱ映像の力って凄いなと思ったのは、人々の表情がかつての空爆時代に比べると、格段に美しいのだ。
 今のイラクの「フツーの人々」の映像と、見比べてしまうので、よけいそう思うというか、疑り深い私は、「これもカメラマンの思いがかなり入っているのでは?」と思ってしまうくらい。
 「カメラマンの腕」っていうのは侮れない。同じ、グラビア・ギャルでも、カメラマン次第で美しくもなり醜くもなる。

 でも、昨日観た映像を「単純に映像として」鑑賞する限りにおいては、人々の表情には「平和に向かって歩む気持ち」がひしひしと伝わってきたし、それはスタッフの思い入れもあるだろうけど、実際に現地でカメラを回したスタッフが感じた「前向きな気持ち」がそのまま映像に現れていたと思う。
 単純な私は、テレビドラマで絶妙な演技をした役者を鑑賞するような気持ちで、「14歳のときから、20年間武器を持って戦ってきたが、もうそれも終わりだ。これからは第二の人生を歩む」と淡々と語る元兵士の「演技」に感動してしまいました。カンヌ映画祭主演男優賞どころじゃないよ。あの澄んだ目を演じられる役者はそうそういない。

 でも、やっぱし、そういうドキュメンタリーを観て「くううう」と思っているのと、「くううう、ヨン様」と思っている気持ちには、あまり変わりがないのですけど、そのあたりを自分の中でどう整理していいのか、とても戸惑っています。

 どっちにしろ「国際社会の関心」のバロメータになるのは、「どれだけ報道陣が押し寄せるか」になっているような気もするので、やっぱ、紛争地域においても、当事者たちにかっこつけてもらうためには、戦場カメラマンに命がけで乗り込んでいただかないといけないのかなあ?

 今日はなんか暑いと思っていたら「5月の観測史上最高気温」なんだそうだ。どうりで。
 おかげで洗濯はできたが、夕方風呂に入ったのだけど、その後も大汗をかいてしまった。
 そして、伸びきった髪がとうとう我慢できなくなり、美容院に予約の電話をいれることができた。(美容院嫌いはかなり解消されているが、予約電話が面倒でね)

 さて、昨日から、主にテレビの報道について書いているが、「報道」と言えば「テレビ」のことに自然となってしまうのは、私の生活がテレビを中心に回っているからである。
 だから、テレビからの影響を避けることができずっていうか、好き好んで影響されているのでありました。

 テレビが面白いのは、ときどき「異常にテレビ映えする人」が登場するところです。
 あれも、持って生まれた才能というか、芸能人はその技を日々磨いているわけだけど、それでも才能も大きいし、なによりも、テレビに出るつもりではなかったのに結果的にそうなってしまった、ニュースの登場人物の白黒(才能の)がはっきりするのが観てて興味深い。

 拉致被害者家族会でも、横田さんの「癒し系キャラ」は群を抜いてますし、あの人がいなかったら、もっとバッシングが強かったと思う。
 先週の拉致被害者報道では、地村さんちの「おじいちゃん」がバツグンでした。
 孫たちが想像以上に「いい子たち」だったことに感激したお祖父さんは、「今まで北朝鮮のことを散々悪く言っていたし、これからもそれは変わらないけど、でも孫たちの様子をみて、こんなにちゃんと育ててくれた北朝鮮を見直した」と、笑顔でコメント。
 テレビの前で思わず「まだ行方不明者が多数なのに、こんなあっけらかんとしたコメント出していいのか?」と突っ込みを入れてしまいましたが、そんな視聴者の心配を吹き飛ばすほど、「今の気持ちを素直に自分の言葉で言いました」という態度に圧倒された。

 ああいう「裏表の無い輝き」に視聴者は弱い(笑)
 でも、誰でもああいうふうに輝けるわけでもないので、「ああ、才能だな」と思った。
 まあ、老人と子供は「実力以上にテレビ映えする」人が多いので(あと、動物)、「カメの甲より年の功」とか「無垢は強し」ということなんでしょう。

 あと、立場は全く逆ですが、イラクで襲撃された橋田さんの奥さんも凄かったなあ。
 お顔を観た瞬間、「この人、何者?シロートじゃないでしょ?」と思いました。
 調べてみたら、元々やはり報道関係の人だったらしいけど、でも、あの後光が差しているような神々しさは、タダモノではなかった。
 私は橋田信介氏については、よく知らないのだが、あの奥さんをテレビで観て「さぞかし、立派なジャーナリストだったに違いない」と勝手に判断しちゃったもん。

 というような、短い映像だけで「わかった」ような気になってしまうのが、いいのか悪いのかよくわからないけど、そういう「オーラ」みたいな不確かなものを視聴者に伝えてしまうのが、テレビの恐ろしくも面白いところだ。

 で、想像力たくましい私は、その後のイラク襲撃事件の報道を観て「大使館員などが現地調査してるっていうけど・・・」と、経験豊富なジャーナリストでも襲撃されてしまったような治安の悪いことろで、その事後処理をしている日本人がいるということは、そのご家族も今ごろ気が気ではないだろうなあ、なんて想像しているのですが、ニュースではそういう部分まではフォローしてくれないようです。

5月29日(土)

 出勤。久々に会社しもべ妖精となり、上司ご主人様から箱ごと渡された「いちおー、中身確認して整理して〜」な箱を開けて、不要書類をガシガシしゅれっだーしました。99.99パーセントが「不要書類」であった。10年以上前の銀行の利息計算書とか、旅行積立金の返金の領収書とか、いらねー、いらねー。

 でも、会社しもべ妖精ミヤニーは、昔の書類を整理するのけっこう好きです。
 だって、10年前の「定期預金利息」って3%くらいついてて、会社の2000万円の定期預金でも利息の手取り(税金が引かれてるから)が50万円くらになってた。
 そうだよ、私が大学生の頃は「宝くじで一億円当たったら、定期預金にしておけば年収500万円くらいになるので充分」と言われていたのだ。そんな大金じゃなくても、就職したばかりの私が少ないボーナスを定期預金にしたら(30万円)、一年後に利息がついて、それが数千円あったので「ブラウスくらい買えるな。よし、もっと貯金して、スカートも買えるようにしよう」と投資じゃなくて闘志を燃やしたのも、今は昔の物語である。

 思わず、その高金利時代の書類をハイジに見せて、「10年前はこんなに利息ついてたんだよ〜。今だと、そのために伝票打つ手間が面倒な小額だもんね」
 預金利息は20%源泉徴収されるのだが、15%は国税で、5%が地方税なので、計算書が来ない場合は、それをこっちで計算しないといけないのだが、通帳に記入されている「利息 11円」などというのの源泉金額を算出する作業は本当に虚しいし、面倒だし、割り切れない(気持ちじゃなくて数字がね)ので、困っているのであった。

●免罪符

 情報提供ありがとうございます。
 「世界〜」については「顔見て納得」というか「ゆるせる」御仁が多いようです。
 とのことでしたので、さっそくお顔を拝見しに行って、「うわ〜〜〜〜〜〜」と大喜び。
 「典型的な中間管理職顔のおっさん」って、ほんとにそうですね。

 てっきり、私が大学生だったときに量産されていた、ポロシャツの襟を立て、「わたせせいぞうが好き。音楽だと最近はフージョンかな?」(とても時代を感じるなあ)と堂々と言っちゃうようなヤツが45歳になった姿を想像していたのです。
 学生時代に、よく友人と「わたせせいぞうが好きだって言える神経がよーわからん」と「世の中には理解不能な人が多い」と語り合っていたのでありました。まあ、うちらが少数派だっていうのはわかっていたのでありますが。

 ん?でも待てよ?そういう「悪いヤツじゃないんだけど、趣味が合わない」と私から評価されてた、「育ちの良いマジメな大学生」って、もしかしたら、今だとこういうルックスになっているのかもしれない。
 他の写真も探してみました。
 いたわ、いたわ、こーゆー友達!

 多少バカにしていたのは否定しないが、でも「彼ら」とはけっこう仲良しだったのよ。
 なぜって、「彼ら」はロマンチストでフェミニスト(間違った用法であるが)だったので、「女の子の相談事」には辛抱強く付き合ってくれたのです。
 相談事って言っても、たとえばサークル内のゴタゴタとかあって、ちょっと愚痴りたいときとか、喫茶店でちゃんと延々と話しを聞いてくれたりした。あいつら、じゃなくて「彼ら」は女子に対しては「紳士であるべき」って思っていたので、女子の「くだらん話」を聴くのが上手かった。そして、女子から色々相談を持ちかけられる自分に誇りを持っており、そんなだから、女子からよく愚痴を聞かされることが「自慢」になっていた。

 そんで、女の子達からは頼りにされてて「いい人だ」と評価されてるんだけど、なぜか彼女はいない(笑)
 でも、卒業後、一流企業に就職して、順当に出世コースを歩んだりして、20代後半でちゃんと結婚していたりしたような気がする。

 そーだよ、そーだよ、「彼ら」が思い描く「女の子」が「世界の中心で・・・・」のアキだ。
 ちょっと可愛くて、そこそこ勉強ができて、アボリジニに憧れてる女の子・・・・それじゃん!
 で、「アボリジニは、アル中が多いんだよ」と本当のことを言うと、ちょっと拗ねるような「女の子」
 賢い女の子であるが、「オレよりは賢くない」というのが重要なんだよね。
 「女の子は、僕が守ってあげなきゃ」と本気で思っている。

 で、女の子の方が実際本当は何を考えてるかなんて、想像もしないような、下手すりゃ「ストーカー」になりそうだけど、根が善良だから、よっぽどのことがないとそうならない。(私の友人ではそれの一歩手前に行ったヤツもいたが、私や周囲の人間の尽力で一歩手前で納まったと思う)

 ああ、なんか、スッキリした。
 だから、繰り返すけど、「あれでいい」と言う人を「気の合わない人」と言ってしまうが、そういう人のことを嫌いではない。「趣味が違う」のと「嫌い」なのとは、また別の問題なのである。

 このテーマは私にとっては重要で、なぜかというと世間では「趣味が合わない」ということが即ち「嫌い」ということになりがちだからである。「趣味が合わない」と言うと漠然としているが「意見が合わない」と言い換えたほうが適切かな。
 ネットなんかではよくそれで争いになるが、「その意見、ちょっと違いませんか?」と反論すると、その相手を「全部否定している」と思われがちなので、それは、ときどき、友人のきょうみさんとも話すけど「部分否定がなぜ、全部否定と思われてしまうのか?」
 もちろん、誰だって自分の意見にケチつけられると、ムっとするけど、でも「あなたのことが大好きです。だから、あなたの意見は全て素晴らしい」と言われるほうが気持ち悪い。というのが私の「常識」なのだが、その常識がときどき通用しないのでときどき困る。

●世論って何?

 さて、さっきまで書いていたことと、多少連動するのか、書いてみないことにはわからないが(話ながら自分の意見を形成していく典型的女性脳所持者なので)、こことんとこちょっとだけ気になっていることがある。

 イラクで誘拐された3人組について、「自己責任論」が展開されたときに、「ああ、なんか時代が変わったんだな」と思った。
 ああいう話って、それまでは新聞などの「世論調査」で「イエス・ノー」形式でしか集計できなかったもんだが、私のようなものまですなるインターネット時代では、一緒にテレビを観ていた家族や友達と「これはねえ〜」と無責任に意見していたようなコメントが、そのまま「公の場」に流出してしまうことになったらしい。

 で、私自身は、あまりそういう掲示板とかを真剣に閲覧してなかったので、数少ない「ちゃんと巡回している、わりと世相に対する意見を率直に述べている日記サイト」を読んで「ほ〜、いろいろな意見があるものね」と高みの見物というか、イラク誘拐3人組のときには、私の感想としては「ギャー、うちの親がこんなコメント出してたら、帰ってきてから寝込んじゃうよ。どーしよー」と、「紛争地帯に行く前には親とはちゃんと、もしもの事態をシミュレーションしておいたほうがいいな。って言う前に、親の実力は信用できんから、やっぱ渡航自粛地域は避けよう」という、はなはだ自己中心的な意見というか「感想」しか抱けなかったわけである。

 そんなだから、彼らに向けられた「誹謗中傷」というのが、どんなもんだかもよくわからなかったが、マスコミや中傷された本人たちは、私よりも情報収集しちゃったみたいで、ビール片手にテレビを観ながら「でも、これさ〜」な意見っていうか、「監督の采配が悪いから、今日も巨人が負けた」レベルの「ご意見」に真剣に耳を傾けてしまったらしい。

 そういう「お茶の間雑談」が、そのままネットに乗ると、なんか「世論」という扱いになる時代になったらしいというのに気がついたのが「イラク誘拐3人組事件」であった。まあ、キャラが立っていたので、そういうのを「お茶の間」は見逃さないからなあ。その前に、外交官が殺された事件では、お茶の間の立ち入る隙がなかったもん。

 というわけで、「世論調査」よりも「お茶の間雑談」が重視されているような変な気分だったのだが、今度は北朝鮮拉致被害者家族の帰国で、また同じようなかんじになったみたいだ。

 二家族の子供たちが帰国しても、「被害者の会」は小泉首相に「毅然とした態度」を表明したらしい、というのは、ぼんやりテレビを観ていたので知っていた。
 その報道を観て「まあ、大した成果は上げなかったとしても、ここは最初に『ごくろーさまです』と言っておく場面じゃないかな?と思っていた。

 前も「拉致被害者の会」は同じような局面にあって、それは、5人が帰国したときに、帰国した家族と、「死にました」と宣告された家族の間に、なんか溝があって・・・・・という話ではなかったかな?蓮池兄が、家族会の中心人物であったので、自分の弟が帰国しても、大っぴらに喜べないという立場になって、どうのこうの。

 ま、そんなこともすっかり忘れてしまった「一般人」の視点全開なのでありますが、で、拉致被害者の家族が帰ってきたといのに、「家族会」は首相に文句ばっか言っていたという報道をうけて、「まあ、ここは日本なんだから、たとえ成果をあげてないにせよ、礼くらい言っておけば?」と思っていたら、その後の報道では、「家族会」にクレームの電話が殺到したとか。

 まあ、私も「礼くらい言っておけば?」とテレビに向かって呟いたのですが、世の中にはいろいろな人がいますから、その気持ちを「声に出して言わないと気がすまない」という人が数百人いるということは、なんとなく想像できます。仕事でときどきクレーム電話を受けますが、とになくなんか文句言いたい人っていうのはけっこういますよね。

 今までだと、そういう「クレーム電話が殺到」ってくらいのもんで、「あたしがテレビの前で呟いたようなことをわざわざ電話番号を調べて、当事者に向けて発信しているゴクロー様な人がけっこういるもんなんだな」で済みましたが、テレビの報道や「被害者の会」のその後のコメントによると、ネットでの「そういう反対意見」が多かったみたいで、報道各社も「被害者の会が首相を責めたところだけクローズアップしてすんません」だったし、被害者の会も「いや、家族が帰ってきたことについては感謝してます」みたいなフォローを入れていた。

 それを受けて、家族会に遠慮していた、地村さんや蓮池さん周辺も、素直に「うれしい」の表明ができるようになったみたいで(テレビ的には)、ま、それはどーでもいいのですが、そうなる圧力をかけたのは「ネット」ということにいつのまにかなっていた。

 そんで、ネットのニュースサイトでも「イラク誘拐事件以降、ネットでの世論が無視できない」などと書いていたような。

 話は前後するが、北朝鮮問題では、家族帰国後に「首相の支持率があがった」とういのは、報道的には「不思議」だったような報道のされ方(あたし、文章下手ね)でした。
 でもさ、私もあの子供達が帰ってきた映像を見たけど、あれは単純に「よかったね」なわけじゃん。しょせん、他人事だし。だから、直後に「世論調査です」と電話がかかってきて「どう思いますか?」って言われたら「よかったね」としか言いようがないじゃん。

 家族の帰国は予定内の成果と言われても、その直前の報道では「確信」とはされていなかったので、それでもなんとか子供は帰ってこれたし、ジェンキンス氏が難しいのも最初からわかっていたので、まあ「予定を最低限実行できた」というのは、社会人としては「及第」なのでは?
 ほとんど話が詰められた契約で、最後に契約書を交わしに言った社員が「契約成立です」と上司に言ったら、「よくやった」と言うしかないでしょ。

 だから、世間のあの反応っていうのも「フツー」だと思ったのだが、メディアや家族会にとっては意外だったらしい。
 世間はそんなに真剣に物事を考えてません。
 そんで、たぶん、ネットであーだこーだ言っている人の多くは選挙のとき投票してません。
 投票に行くのは、ワイドショーを観て「北朝鮮から帰って来た子供達は、おじいちゃんに日本語で挨拶するようになったんだって」と喜ぶような人たちです。

 それはいいとして、私なんかが、テレビでの「世論」に納得できなくて、友達に電話して「でもさ〜」なんて酔っ払いながら言っていたようなことが、最近は「世論」として重視されてきているような気がするので「世の中、変わったなあ」と思ったのでありました。
 まあ、それ以前も、テレビのニュース番組では「新橋のサラリーマン」などにマイクを向けて「どう思いますか?」と「街のご意見」を収集していたが、あれだってそのままタレ流しではなく、それなりに編集しているはずなので、ある程度の調和があったが、「ネット世論」は編集する人がいないので・・・・いや、いるか、でも編集している人の数も膨大なので、新聞みたく「主要何紙か押さえておけば」ということも不可能だし、誰の編集が「主要」なのかも歴史が浅いからよくわからない。

 でも、この「ネット世論」って、今だとかなり少数派だと思うんだけど、この先、テレビの前でボソリと呟いているだけの人が、どんどん参入してきたら、どんなことになるのかな?
 まあ、これって、要するに「酒場談義」なんだと思うし、イギリスのパブでの「政治談義」なんかは映画にもよく登場したが(「日の名残」でも、箱入り執事だったアンソニー・ホプキンスが、パブで労働者たちが生き生きと議論しているのを見てショックを受けてました)、「酒場談義」はログも残らないし、他の酒場にいる人たちがそれを知ることもないんだろうけど(隣町に飲みに行った人が「おれんちの近所では」と伝えることはあるかもしれないけど)、ネット上の酒場談義は本当に「公の場」というか、誰でもその気になれば参加できるわけだし。そっか、パブっていうのも、パブリックだから「公の場」なわけだし、日本にも遅まきながら「パブ文化」が花咲いたのでしょうか。
5月27日(金)

 昨日は、とあるプロジェクトの立ち上げ会議があり、グループ各社と関係各社の担当者が揃ったので、その後、ホテルのバンケット・ルームで懇親会の予定だった。
 私は、そのプロジェクトに参加しないので、当然のことながら懇親会にも参加するはずではなかったのだが、ドタキャンが数名出てしまったので、上司が会場から「ミヤノさん、もし暇だったら来ない?」と誘われたので、「余った食べ物を食する係り」として参加したのであった。

 でも、タダ飯食った分だけ、ちゃんと初対面の皆様に気を使って話題をフリましたので、けっこうくたびれた。
 その懇親会のあと、ホテルのラウンジバーで二次会になり、親会社の社員もいたけど、「いつものメンツ」であったので、けっこうお気ラクに喋っていたのであるが、そこでなぜか突然「世界の中心で愛をさけぶ」の話になった。

 なんで、そんな話題になったんだっけ?
 そうそう、うちの会社、というか親会社が、今ちょっとチョサッケンで揉めていて(ケーソー中)、その担当者がグッタリしていたので、「印税」のお話になって、「そーいや、あれが売れてるんだって?」な流れになったのだと思われ。
 で、酔っ払いの私が「ああ、あれ、読んでみたいけど、買うのもちょっと」と言ったら、同僚K嬢が「あたし、持ってるよ」「おお!さすが、ベストセラー!きっと誰かが買っていると思ったよ」と騒いでいたら、なぜか上司が「オレも読む!」と言い出し、「どっちが先に借りるか」で揉めていたのであった。

 そんで、またいつものようにベロンベロンで帰宅して、朝起きるのが大変辛かったのだが、またイラクで日本人ジャーナリストが襲われたらしいというニュースを見つつ、なんとか会社に行ってみると、同僚K嬢が、
 「昨日言ってた本、持ってきたけど、ほんとに読みたい?」

 さすがK嬢、なんてテキパキと有能な人なのだろう。感激。
 「ああ、ありがと。まさか、こんなにすぐ持ってきてくれるとは思わなかったよ」と感謝しつつ手にとりながら、ふと気がついた。
 まだ安否は不明だが、今朝のニュースで「イラクで死傷?」となっていたジャーナリストは、「イラクの中心でバカとさけぶ」でお馴染みの人であった。あまり他にちゃんとした著書がないのか、ニュースでも「イラクの中心でバカとさけぶ」の著者であると紹介されていた。たしか、西原理恵子の元ダンナ、カモシダ君の師匠なんじゃなかったっけ?だから、たぶん、サイバラ本には登場していた人なんだと思うが(サイバラ本をほぼ読破しているMちゃんも、彼のことについてなんか語っていたような気がするし)、ニュースではそこまで言及していなかった。

 でもまあ、不肖宮嶋と並ぶ、私でも知っているような有名「紛争地帯」ジャーナリストなんだと思う。

 だから、なんだって話だが、私が「世界の中心で愛をさけぶ」を入手した朝に「イラクの中心でバカとさけぶ」の著者が亡くなったかも?というニュースが流れているというのも、なんだか感慨深い。

 というわけで、会社帰りの電車の中でさっそく読んでみましたよ、記録的ベストセラー本。わくわく。

 しかし、ついうっかり期待しすぎてしまったようだ。
 すっげー、つまらん。
 てゆーか、やはりこの世は「いいものは売れない」という真理を再認識してしまいました。

 「世の中、まちがっている!」と叫ぶべきか(田園都市線の中心で)、「まちがってるのが世の中なんだ!」と叫ぶべきか、ちょっと悩みましたが、とりあえず、「これじゃ、泣けねーよ!」と叫んでみたい。

 しかし、これだけ感情移入できないとは逆に驚いた。私の五感を全く刺激してくれない。無味無臭なかんじ。
 でも、風景描写などはそれなりに書き込まれているのだが、なんか全体的に「どっかから借りてきた猫のような」かんじがするのだ。
 なんか、これって、ある意味、バロウズより、カットアップなかんじがするのだが、これは誉め言葉ではありません(笑)。

 で、マジメな純愛小説という風評なのだが、でも、なんか「へなちょこなフレーズの出現頻度」が妙に高いのである。これもバロウズを連想してしまった一因で、読みながら、「そういや、山形浩生は、バロウズの小説で『カットアップの中での面白いフレーズの出現率』を集計していたけど、『世界の・・・』での『へなちょこなフレーズ出現率』も誰か集計ひてほすぃ」と思ってしまった。

 とりあえず、私がわりと得意なはずの「小説への没頭」を妨げた箇所を羅列しておこう。

 「仮におまえが大木金之助だったとするよな。そしたらおまえは学校中の笑いものだ」

 大木君は後にも出てくる重要キャラであるが、わりと薄い描写をされている。(つーか、主人公も薄いのだが)
 で、それはいいとしても、作者は実際に「金之助」という名前の人がこの世に存在するという可能性を考えてないんだろうか?
 てゆーか、「金之助」って名前、そんなに変?よっくわっからない。

 主人公の恋人となるアキのセリフ。
 「部活で剣道やっている人が、家ではロック聴いてるなんて、イメージ全然違うんだもん」

 ??????意味不明。
 作者は私よりもかなり年上なのか?いや、1959年生まれだって。7歳上。
 彼の云わんとしている「ロック」ってなんなんだろう?世代的にはクイーンとかだよな。剣道部のコが聴くのがミスマッチな時代があったのだろうか?よっくわっからない。

 長いから端折るけど(・・・・が中略)、「ぼくの家は・・・・市の文化財で・・・・・居住者は勝手に改修工事をしてはならないことになっている。・・・・・住んでる方としては有難くもなんともない。祖父は年寄りには住み難いからと・・・・中古マンションに移ってしまった。・・・・・こういう酔狂は父の宿病みたいなもので・・・・」っていう記述は、何度読み返してみても、意味がわからず。

 うーん、文化財に指定されるほどレトロな家に住んでいるが、それは祖父から譲り受けたものでもないという意味か?それで両親の酔狂でそんな住み難い家に住んでいるので、祖父はとっとと逃げ出したという意味?

 その後に、「この家にまつわる忌まわしい過去など知りたくもないので、わざわざたずねてみたこともない」と書かれていると、余計に混乱する。なんなの?「忌まわしい過去」って?古い家だから、猟奇殺人事件の舞台になったとかいう噂があるんだけど、そんなの知るもんかという態度なのか、なんなのか。

 なんだか、「ヘタクソ」としか言いようがないのだが、主人公の独白はこんなかんじで続くので、こいつが「中途半端に語彙はあるが、ちゃんと興味を持った対象と向かい合えない程度にバカ」であることが初っ端から判明してしまい、「でも、こーゆーヤツ、たしかにいる!」と会社の会議とかで、エラソーな意見を言うだけで(ガバナンスがどうのとか、コンプライアンスがどうのとか、用語だけを振り回す)、行動が伴わない困ったちゃんを連想してしまい、益々小説に入り込めない。

 というわけで、最初の10ページくらいで挫折しそうになったのだが、「いや、もう少し頑張ろう」と思った健気な私を学芸会の「ロミオとジュリエット」が、グイグイ足を引っ張ります。
 別の意味で「泣きそう」になりましたが、「でも、文化祭でロミジュリな少女漫画はけっこうあったし、それには耐えてきたではないか」と歯をくいしばりました。

 しかし、この「つまんないシャレ」と「つまんないトリビア」しか披露しない主人公と、少女アキは、私が細部にこだわっている間に、いつのまにか恋に落ちています。
 でも、このアキ自体が、どんな魅力の持ち主なのか、私にはよくわかりません。「そこそこ可愛くて性格が良く、勉強もできる彼女のファンはクラスの男子のなかにもたくさんいた」んですって。
 結婚式の仲人みたいな紹介されたってさ・・・・・
 いや、披露宴の新婦紹介だったら、これでもいいんだけどさ・・・・・・実物が目の前に立っているから、ある程度自分の目で確認できるし・・・・・

 「そのころには、アキに対する恋愛感情は偽りのないものになっていた」

 あ、そーですか。よかったですね。(脱落寸前)
 そういうの、ダイレクトに説明しちゃうと、すっごくつまんないんですが、まあ、本人がそれでいいんなら、いいんです。でも、イマドキの若者が「偽りのない」なんてセリフ回しに感銘を受けてしまう仕組みもなんとなく想像できるんですが・・・・「ありえない!」の流行と同じで、こういう古めかしい言い回しがナウいらしいですね。

 その後、主人公は祖父の頼みを聞いてあげて祖父の初恋の人の遺骨をあさりに行きます。
 「祖父と初恋の人の遺骨」のエピソードは、後々、クライマックスで生きてくるんだろーなーという想像はできましたが、あまりにも出来が悪すぎ。
 てゆーか、主人公が「ボランティア気分で」たまに祖父の話し相手になっているのはいいとしても、ほんとにずっと「ボランティア気分」なんですよ。そういうのは思春期特有の「照れ隠し」であって、「ボランティア」と言いつつも、自分もけっこう楽しんでいるという描写がないといけないのですが、なんかこの主人公の描写だと祖父に対する愛が感じられない。あたし、捻くれた愛情には厳しいのです。自分がそうだから。(私の愛はいつも他人にはダイレクトに伝わらない)

 それでも、懸命に行間を自分で埋めて、なんとかやり過ごしました。なんで、読んでる人が頑張らないといけないのですか?

 主人公はいつもは祖父のところで夕食はいただきません。なぜなら祖父はいつも缶詰で夕飯を済ませるからです。
 なので、その日も夕飯時になったら、とっとと退散しようとしたのですが、その日に限って、祖父が「鰻とるから」と引きとめたので、まんまと罠にはまり、「祖父の遺言」を任命されてしまいます。

 イマドキ、鰻で騙されるかよ〜
 なんか、ミステリー小説で、ほんとに「カツ丼」で落ちる犯人みたいだぞ。
 恥かしくないのか?

 いや、作者は恥かしくないんだろうな。ただ単に「鰻で落ちる孫」という設定に対して、私が一人で赤面しているだけです。いや〜、記号論がまだこんなとこでご存命だったとは!わははははは

 我慢して読んでいるうちに、3分の1の60ページまでたどりつきました。もう遭難しそうです。北壁ってかんじ。険しいやこりゃ。というわけで、またしても別の意味で泣きそうになってきました。それはこんなセリフのやりとりです。

 「僕とアキが新婚だなんて」
 「笑ってしまうよね」
 「マドンナがじつはバージンでしたって言っているみたいだ」
 「なによ、それ」
 「わかんないけど」

 ・・・・・・あたしも「わかんないけど」と言いたい。

 本当に3分くらい考え込んでしまいました。ウルトラマンだったら、カラータイマーがピコピコ点滅してそうです。
 マドンナが出てくるということは、作者は私よりも7歳上だが、「ライク・ア・ヴァージン」がヒットした時期を考えると、この小説の主人公は私とほぼ同じ年くらいの設定なんですかねえ?

 で「マドンナがじつはバージンでしたって言っているみたいだ」っていうのは、「ありえね〜」と同意語だと考えてもよろしーのでしょうか?
 だったら、「ありえね〜」って言ってもらったほうが、よっぽど感情移入できるんですけど・・・・・

 で、頑張って飛ばし読みしていたのですが、彼女がいつのまにか白血病になっていて、日に日に弱っていって、ついに死んじゃったらしいです。

 いったいどこで泣けばよかったんですか〜〜〜〜〜〜〜〜


 というわけで、世界の中心に思いっきり取り残されたままなんですけど、どーしてくれるんですか?
 ほんとうに、260万人の読者さんたちは、これで「カンドーした」んでしょうか。まだ、小泉首相の「カンドーした」のほうが理解可能だし、今朝のニュースの「いやあ、太っ腹ないい社長でしたよ」発言のほうが面白かったな。

 主人公がアキを連れて、うっかり(?)ラブホのロビーに入ってしまうところでは、
 「昼に食べた弁当を吐いてしまうのではないかというほど緊張したが、腋臭を嗅ぐ低地ゴリラの仕草を思い浮かべてなんとっか耐えた」
 と、主人公の心情をよっくわからない描写してますが、あたしには「腋臭を嗅ぐ低地ゴリラの仕草」がどんななのかよくわからないので、いったい何を思い浮かべれば耐えられたのでしょうか?おしえて〜(♪おじいさん)

5月26日(水)

●中田のハダカ

 資生堂のメンズ化粧品の広告にサッカーの中田が起用され、「司令塔が広告塔に!」ということらしいけど、駅張りのポスターが上半身ハダカのナイスバディ自慢写真なのである。
 最初、なんの広告かわからなくて、遠巻きにしていたのだが、そのたびに「近巻き(?遠巻きの反対語)でじっと眺める男性」の姿を確認したので、ちょっと興味が湧いてしまった。

 まあたしかに、全く無駄のない、鍛え上げられたナイスバディなのであるが、でも、他のサッカー選手だってあんなもんだし、まあそれでも、中田の顔だけを見せびらかしてもらうよりは、こっちのほうが趣味は別として「美しさ」の点ではかなりレベル高いであろう。

 でも、なんか、あれを電車を待っている短い間にせよ、ちょっと足を止めて眺めてしまう男性諸君の気持ちを想像すると、微笑ましいのである。たぶん、私が「sabra」の中吊り広告のグラビア・ギャルの写真を観て「ぼえええ」と思っているのと同じような気持ちなんだろうな。

●リオネルといえば

 欧州で逮捕されたアルカイダ幹部と目される男性が、逮捕前に頻繁に日本に潜入していたというニュースがあるけど、その容疑者の名前が「リオネル・デュモン」というのが、ちょっと気に入らない。
 リオネルといえば、「ベルサイユのバラ」の番外編である「黒衣の伯爵夫人」に登場した超美青年の名前ではないか?
 (あれ?検索してもヒットしない・・・・私の記憶違いかな。あの漫画は実家にあるので確認できず)

 なんか他の少女漫画にも「リオネル」は美少年&美青年キャラの名前として使用されていたような気がするんだけど、そういう漫画チックな名前(極東の漫画少女の思い込みであるが)が、ニュースで連呼されると、なんとなく不愉快なだけです。


 今日はやっとアイロンがけをした。
 少しだけ掃除もした。
 もっと、さっぱりとした部屋にしたいのだが、少し片つけてはまたすぐに元通り、というのを繰り返している。抜本的な改革をしたい。リストラじゃ、リストラじゃ、と呟きながら、45リットルのゴミ袋を一つだけ一杯にした。
 ついでに、まだ生きているアンダーソン君のおうち「マトリックス」の中もカビだらけになったので、ちょっとだけ掃除してあげた。
 そろそろ、この付き合いも一年になる。
 今日のニュースで逃げたイグアナが無事捕獲されて、飼い主の元に戻されたそうだが、うちのペットは逃げたら確実にその命は無いだろう。

 話は散漫だが、カンヌ映画祭で14歳の日本人少年が主演男優賞とってしまったもんだから、せっかく乗り込んで行ったキムタクのことなんて、みんなキレイさっぱり忘れている。

 なんか今日は一日中ずっと眠くて、冴えない日であった。
5月25日(火)

 どうしてどうして、平日だとこんなお天気が良くて、しかも天気予報のネーちゃんが「今日はお洗濯&お布団干し日よりです」って言ってんの?
 どうしてどうして、私が休みの日はいっつも、どんてんどんてんど〜んて〜ん(曇天に向かってこう叫んでも気が晴れないのだが)で、しかもうすらうすらうすら寒く、しかも、小雨がこさこさと降ってやがったりして、むむむむむかむかむかつくのよ。(これでも、いちおう、詩をヨンで・・・・・ヨン様は呼んでないよ、変換の上位で胡座かいているなキサマ・・・・先週はガルニエに負けたヨン様だと言うのに・・・・・・ええと、詠んでいるつもりなのでございます。めざせ、ランボー者)

 と、怒り心頭ながらも、ちょっとだけゴキゲンよろしなのは、お天気がいいからでした。
 帰り道の夜風は素晴らしかったよ。
 なんか、こういうショッカーじゃなくて、初夏の容器に(変換上位に経緯を表すことにした)包まれてみると、なんか頭蓋骨が薄くなったような気がして心地よい。
 いや、別に頭蓋骨は薄くなったり厚くなったりしないのだが、皮下脂肪と違って・・・・皮下脂肪も薄くなったりしないが、それはまた別の理屈であり、ここでその理屈についてあれこれ別の理屈をこねまわす気は無いのだが、ともかく、「はあ、なんだか、素敵な夕暮れ、三日月がほら、ぽっかりと薄墨色の空に浮かんでいるの」な時には、脳神経が外部とダイレクトに繋がってるような気がしません?

 風邪を感じているのは、皮膚ではなくて、脳みそそのもので、脳ミソの中を5月のそよ風が、ひゅーーーーっと駆け抜けているような心地。(それは、ただ、頭がサムイだけでは?という突っ込みはしないように)

 そんな気分で歩いていたら、通り道にの脇にさりげなく、というか、デカくて邪魔だから家に入れておけないんだろうな、という、「月下美人」の鉢が目にとまる。毎年、そこんちの「月下美人」が花咲くのを楽しみにしているのである。
 だって、「月下美人」って、月明かりの中、そっとゴージャスな花を咲かせるもんだと、ずっと信じていたのに、そこんちの道端の月下美人は、花数も10個くらいと多いのだが、とにかく、咲くとなったら、ドワワワっと咲くのだ。

 たぶん、「月下美人」とは別の種類なのではないかとも思うのだが、でも、月下美人っぽい鼻(うう、なぜこの変換)なのだ。
 私は、あの鉢を密かに「月下美人界の叶姉妹」と呼んで、けっこう可愛がって(立ち止まって数秒鑑賞する)いるのである。風流だ。

 で、もう半分くらいの花が半分くらい花開いていた。明日の朝には、かなり満開かも。

 話は戻りますが、今朝はそういうわけで「会社休んで洗濯&布団舗装かな」と思ったのですが、でも、休みは大事にしないと(フジロックもあるし、美容院にも生きたい。ストレートパーマが解除されかかっていて限界に近くなっている)と、ぐっと我慢して、朝起きたのでありますが、トイレに行ったらびっくら。
 ガーーー久々にやってしまった。パンツもパジャマも血みどろである。慌ててシーツを確認したらシーツはそれほどの被害に遭っていなかったが、「今日は洗濯日和」というアナウンサーの鶴の一声(間違った用法)に押されて、全部せんたっきにブッコみ、シャワーあびている間に洗濯機を回し、髪の毛が乾くころには洗濯終了し、「湿度が低いらしい今日の善き日に洗濯できる幸せよ」と、そーいや、ここんとこ週末になると天気悪かったので、服は部屋星 母子 干ししたが、シーツは洗えなかったので、何週間ぶりであろうか?
 なんか、質のよい和紙のようにしんなりしてたよ。
 芭蕉は和紙の布団を持ち歩いてミチノクを旅したというしな。

 私は和紙のようなシーツで寝ていたというわけか。風流なり。(ころんでもタダでは起きぬ絶好調)

 こんな変な精神状態ですが、仕事はけっこう忙しかったです。
 海外出張に行く人が、急に「仮払い6000ドルね」などと言いやがるので、「だから〜、1週間前に言ってくださいってあれだけ口を酸っぱくして言ったのに〜」と朝から怒鳴り散らす。彼も負けじと「だって、昨日の夜、やっと金額が出たんだもん」
 「だって、でも、この前確認したときには2000ドルくらいだって言ったじゃん!」

 いや、わかってたんだ。彼がその仕事でいろいろ苦労していること。だから急にそんな大金の現生ドルが必要になった事情もよくわかってる。わかってるけど、彼も現場仕事では優秀だけれども、事務仕事ではかなりイイカンゲンさんなので、そこを甘やかしてしまうと、後々彼のためにも、経理のためにもならないと思って、必要以上に「うっそ、まじ?」って騒いだのよ。

 で、あたしは暇だったので、またドル・キャッシュ引出しに行ってもよかったのだが、心を鬼にして、ハイジに命令する。そのドル現金管理仕事は、ゆくゆくはハイジに引き継ごうと計画しているからだ。その旨も、すでにハイジに伝えてあるので、「じゃあ、君、午後ちょっくら行ってきて」と指令を出したら「きたな」と言われたが、他人の心を読むのが得意だと思い込んでいる自信過剰のワタクシには、ハイジがその仕事を任されるのを密かに喜んでいることを詩っている。(「ミヤノさんはその仕事をメンドクがって、ドタバタしているが、オレだったらもっと優雅にやるぜ」って思っているだろうけど、それがあたしの作戦なのさ)

 という実に詩的な駆け引きを終え、午後はチンタラ仕事していたら、伝票をチェックしてくれている税理士事務所のアシスタント君から電話が入り、「●●建設の配当金の伝票がちょっと変じゃないですか?」

 ちょっと専門的な話であるが、株式の配当金は、「源泉徴収」されているのだが、その税率が7%の「国税」というかいわゆる「所得税」だけになっており、本当ならプラス3%の「地方税」も引かれているはずだ、とか。
 「私もそう思ったんですけど、でも、向こうから送られてきた資料でもそうなってたんで・・・・」
 と、電話で話していてもなんなので、その資料をFAXで送付した。

 「たしかに、そうなってますねえ」
 と向こうも言うので、「こんな、たかだか1000円ぽっちの配当金のために、電話代の無駄」と思ったが、あちらも「では調べてみます」と言うので、いったん電話を切って、しばらくしてまたかかってきて「わかりました」

 要するに、個人投資家向けの配当金は国税と地方税が源泉されるが、法人向けだと、国税だけなんだそうだ。

 どーでもいー
 すごく、どーでもいー
 だって、1000円の配当金で3%がどうのこうのって、30円の話なんですよ。

 なんだか、自分が今いるのは、100ドルで一ヶ月リッチに暮らせる国のような気がしてきて、なんだかゲンナリした。
 こんな、うっかりドブに落としても振り返りもしない(まあ、ちょっとだけ悔しいかも)ような金額で、あれこれ話しているうちに、ずいぶん時間がかかってしまった。
 要するに個人投資家向けの「特定口座」がどうのこうのを含め、配当金の税制優遇措置がとられたので、そんなややこしいことになったようだが、でも、この配当金がスズメの涙なご時世で「20%が10%になった」などと言われてもねえ。

 まあ、他にも税理士からあれこれ質問され、それに答えているうちに、ぐったり疲れてきたので、今日は6時10分には会社を出て、とっとと帰ってきました。

 帰り道「Igノーベル賞」の本を読んでて、ちょっと癒された。てゆーか、爆笑しそうになる。
 最近わかってきたので、日記にも何度も書いているが、私は「笑い」をとても重視するようなので、マジメな本でも映画でも、多少でも「笑い」のスパイスを効かせてくれないと、評価できないのだ。
 クスっと笑わせてくれてから、ドーーーっと泣かせてくれると、「最高だ!」と思うし、ただの「お笑い」かと思っていたら、実は深遠なメッセージがこめられているとわかると、ジーンときたりする。

 「笑い」もまた、頭蓋骨をちょっとだけ薄くするというか、こっちの構えを砕くので、その後に真のメッセージを送られると、素直に真に受けちゃうんだよねー。
 まあ、わかりやすく説明すると、「太陽に吠えろ」で松田優作が「なんじゃ、こりゃ」と言った瞬間、小学生だったた私たちは「ぎゃはははは」と笑ったが、その後に、彼がタバコを必死でくわえるシーンでは全員泣いていたのであった。そんで、それがなぜ胸を打つのかよくわからないまま「また、今日の再放送は、ジーパンが死ぬよ!」と言うので、何度でも観たのであった。

 「なんじゃこりゃ」で爆笑!(なにせ、そのころには「箸が転がっても」の世代)
 そのあと、全員で号泣・・・・楽しかったな思春期は・・・・・

 でも、わりとあの思春期や思春期以前のキモチって、けっこう継続しているというか、みんな自覚してないだけで、けっこう持ってるんだよね。
 急に思い出したが、ある日、うちの母親とプロ野球観てたときに、うちの母が当時現役投手だった星野を観て「あら、こんなカッコいい人いたのね・・・・・なんか、いい男ねえ」と、呟いた。私も回が終了して、マウンドからベンチに歩いている星野を観て「しぶい」と実は思っていたので、母と一緒にテレビに釘付けになっていたのであった。
 10代後半の娘と、30代後半の母は、同じように、ちょっとだけ当時の星野に「トキメイて」いたのでありました。

 そのトキメキがなんだか互いにわかったので、気難しい年ごろの娘と、気難しい年頃(今のあたしとほぼ同じくらい)の母は、ちょっとだけ顔を見合わせて「ふふふ」と笑いあったのでありました。
 という、個人的な思い入れがあるので、今だに星野に頭が上がりません(笑)

 今だと、40歳母と、18歳娘が、キアヌ・リーブスを観て「あっ」とか顔を見合わせてくれているのかもしれない。
 そんで「お母さんったら、オバサンのくせに!」「何を言う、キアヌは38歳、あたしのほうが射程距離だね、あんたなんかに鼻水もひっかけないよ!」などと、仲良く母娘喧嘩とかしてくれたら、世の中平和でいいですよね。(いったい何を書きたいのかわかんなくなってきたので、今日はこれでおしまい)
5月24日(月)

 さて、昨日は、ビール飲みながら(朝帰りのビールは格別なの)日記を書いたあと、少し横になってしまったら、そのままぐっすり寝てしまい、ふと気がつくと、昼過ぎていた。
 お天気がよければ洗濯でもしたいことろだが、どうもここんとこ、せっかくの休みの日に限って、天気悪くないか?

 掃除も洗濯もする気にならず、でも、これから寝ても、また昼夜大逆転してしまうので、がんばって起きていることにして、久々に「天才 柳沢教授」を一巻から読み出す。
 そしたら、電話が鳴ったので、「マンション買いませんか電話」を警戒しつつとると、ヤナピーだった。「先に帰っちゃったんだ」と言うので、「そっちは何時までいたの?」と聞いたら、「やー、すごいね、ガルニエ。8時くらいまで回してたよ」

 ぎょえー
 6時間も回すガルニエもガルニエだが、最後まで付き合う客もゴクローさんである。まあ、しかし、「そのころには、友達はみんないなくなってた」とのこと。あたりまえだっちゅうに。

 で、ふと思い出したのだが、あのとき朝の4時くらいにくたびれてきたので、一息入れようと、缶ビールを買おうとしたのだが、缶ビールを売っている自販機の前でなにやら苦戦している男の子がいたので、「もしかしたら、売り切れ?」と思って覗き込んだのだが、売り切れランプはついていなかった。
 彼は何度も千円札を押し込んでいるのだが、ボタンを押しても反応無し。
 「どうしたんだろう?」と思っていたら、後ろに立ってた外人さんが、なにやら意見するが、音が煩いし、こちらもくたびれていて頭回らないので、何言ってんだかわからない。

 私が「もしかしたら、釣銭切れかも?」と言ったら、彼が、「おねーさん、じゃあ、400円持ってる?そしたら、1400円で2本買えるよ」
 缶ビールは700円もしやがるのだ。でも、中くらいのコップに注がれた生ビールが500円だから、ガッツリとビール飲みたい人には缶ビールのほうが絶対お得なのである。
 暗い中で、必死に小銭入れを漁って、というか小銭を手のひらに出して、「100円、200円、300円・・・・」と番町皿屋敷かって・・・・・(ビール飲みたい一心で、かなり必死だった)うううう、なんかあとは茶色い小銭ばっかのような・・・・と思ったら、かなり汚れた100円玉発見!
 「お、あった、じゃあ、やってみよう」
 と彼が千円札を投入し、私が同時に100円玉を次々に投入。二人とも目が真剣である(笑)。

 すると、さっきまでランプが点灯しなかったボタンにパっと灯りがともり、彼は「おお!」とボタンを押すと、ガタンと缶ビールが落ちてきた。投入金額表示がぱっと、1400円から700円に変わったので、「ほら、次も押して、私のも!」と言ったのだが、間に合わず、お釣がチャリンチャリンと落ちてきた。
 「ああ、また入れなおしか」とぼやきながら、釣銭をとっていたら、傍らで先にビールを手に入れた彼は「ごちそうさま、お先!」と行ってしまった。

 私も釣を入れなおして、まんまとビールを入れてご満悦であったのだが・・・・・
 後になって思い出してみると、彼は自分の釣を持っていったのだろうか?

 なんか、昔、ああいうドタバタした切符詐欺が流行ったような微かな記憶があって(自分がお金入れたら、横にいた人が自分が先にお金を入れていたと主張して、なんだかよくわからぬままに、切符を持っていってしまうという)「あれ?もしかして、私が損したのかな?」と思ったのだが、でも考えれば考えるほど「あっちが損してたような気がする」

 まあ、向こうも多分、ビールがやっと出てきたので、細かいことは忘れてしまったのだろう。

 なんてことを回想しながら、夜になるまでずっと「柳沢教授」を読みふけり、18巻まで読んだところで9時になったので、寝た。

 そういや、昨日はこんな会話をした。

●負け猫の爪研ぎシリーズ

 (クラブでの負け猫の会話)

 「出掛けにずっと、拉致家族の帰国ニュース観ちゃってさ〜」
 「ああ、今日帰ってきたんだっけ?」
 「もう、テレビは全部それだったよ」
 「で、横田めぐみさんは、帰ってきたの?」

 え・・・・・・・?

 虚を疲れたので、黙ってしまった。というか、もしかしたら「曽我ひとみさんの家族」と間違ったのかもしれないけど、それだったら、そうだったらせめて「横田さんのダンナ」って言うよなあ。

 でも、なんとか、「あの、えっと、横田めぐみさんは、一応、北朝鮮の発表では亡くなったことになっているので・・・・」と言ったら、「ふーん」とか言っていたので、その話は中断してしまった。

 もしかしたら「横田めぐみさんの娘さん」のことを言いたかったのかもしれないが、でも、彼女はけっこうテレビ観る人だし、ワイドショーもよく観ると言っていたし・・・・・謎だ。

 つーか、これって「負け猫」というよりは、ただの「天然ボケ」の友達自慢だよな。やっぱ、天然には勝てないよ。
5月23日(日)

 都心でも早朝5時くらいだと、けっこうマイナスイオンが満ちているような気がするね。

 などとほざいている朝帰りのマジメな経理のお姉さん37歳なのでありますが、イエローでガルニエを堪能してきました。
 絶対いっつも混むので「イエローをガス室にするガルニエ」との評判で、遅い時間(1時くらい)に行くと、入り口で延々と並ぶことになるので、かみちゃんと「12時までに入ろう」と張り切ってました。
 そして、出掛けまで、ダラダラと拉致被害者家族の帰国映像をぼんやり見てて「やっぱ羽田は近くていいよな〜、入国手続きもしないと、30分で赤坂なんだ」遠い成田をボヤいた人は私だけではなかったと思います。

 さて、かみちゃんは、先日彼女の誕生会でベロンベロンでセクハラ発言しまくりのJ君も連れてきましたが、やはりシラフでもちょっと喋りがわかりにくい人であった。10代のほとんとをアメリカで過ごしたので、日本語がいまいち。でも、後で彼が英語話すのもちょっと聞いたんだけど、かなりアジアンな発音だったので、いったい何語が一番得意なのだろうか?(アジア系の人なので、母国語かなあ)
 そして、意外なことに、彼が昔、新宿にあった「C」とうDJバーのマスターC氏の弟であることが判明。
 そういや、C氏もアジア系だが英語名を名乗っていた。そんでそのバーの下で彼のお母さんがお好み焼きやをやっていて、けっこう繁盛していたので、DJバーは彼女が息子の道楽に付き合ってやった店だったのだろう。
 「へえ、Cさん、今どうしてるの?」
 「結婚して、子供もいます。今は、あそこの場所でお好み焼きやってます」

 道楽させてもらってから、ちゃんと跡を継いだのね(笑)
 でも、なんか東京っぽくない一家だ。NYとかだといそうだけど。
 だって、その弟は36歳なのに、働いてなくて、ママからお小遣いもらって生活してるんだって。

 でも、「C」では、友達がずっとDJやってて、かなり世話になったので、ちょっと懐かしい。

 そんで、3人で六本木ヒルズ先の、昔っからある「チャールストン・カフェ」に入った。昔、ここでアジア系の従業員が他殺体で発見という事件もあったよな。
 そんで、会計のときに、かみちゃんがトイレに行ったのでJとレジ前でぼんやり待っていたら、Jが「たくさん、写真、あります」と言うので、「そうそう、ここの店、有名人が多く来店するらしんだよ」などと「あ、ポール・ヤングだ」などと話していたら、ニコニコした好人物の支配人が話し掛けてきて「これがジャネット・ジャクソン、もちろん、おっぽいポロリよりずっと前ですけどね(笑)」
 「たしかに、すっごく可愛かったころのジャネットだ」
 Jが目ざとく「アンディ・フグ」を発見すると、「まだK-1が始まったころ、事務所がこのすぐ裏にありましてね、フグもホーストもよくお茶を飲んでましたよ。それでじゃあ、優勝したらここでパーティーしてくれよって話で盛り上がりましてね。そしたら4度も優勝しちゃった(笑)」
 「ほんとに、ここでパーティーしたんですか?」
 「もちろんですよ、とても楽しいパーティでした」

 「あと、オマー・シャリフって俳優ご存知ですか」?  「ええ、ほんとに名優ですよね」
 「彼に似た人が入って来て、似てるなとは思ったんですが、別人だろうと思っていたら、携帯の無いころですから店に電話がありましてね『そちらにいる、オマー・シャリフ氏を呼び出してくって』わたし、大ファンでしたので、それで彼だとわかったので、ぜひ一緒に写真に写ってくれって、横にいたマネージャーにカメラを渡そうとしたら、マエージャーはオマーの横にぴたりと張り付いて、ポーズするんですよ(笑)、いや、私とオマーで撮ってくれって(笑)」

 なんて、話を延々と聞いてしまった。お話好きの支配人であった。
 さすが、長年(聞いてみたら開店して16年になるらしい。たしかに、私が六本木で働き始めたころに出来たような気がする)「流行の店」を維持しているのは、この人の人柄もあるんだろうな、と思った。有名人大好きなのはともかく、有名人だろうが、私だろうが、同じ態度で接してくれる「一流の接客マン」という感じがしたもん。一回行くと、なんだか常連になったような気にされる技だ。

 さて、そこで軽く食事してから、イエローへ。
 かみちゃんと一緒に行動するとスケジュール通りに行った試しがないのだが、めずらしくちゃんと本当に「12時前」に着いたので、列もそれほどでもなく、中に入れた。

 さすがガルニエで、けっこう知人友人が来ていた。
 真珠のような歯がにっこり眩しかった美少年ハマちゃんは、すっかり大人になっていて、しかも私の顔を忘れていた・・・・とほほ。「ハマちゃんの歯並びをその昔絶賛したんだよ」と言っておいた。

 そして、しばらく椅子に座っていたら、日本語カタコトな外人に話し掛けられ、けっこう若くてハンサムさんだったから、丁寧に応対していたのだが、名前は?と聞くと「デーモン」と言うので、またデーモンかよ(ブラーのボーカルもデーモンだが、私の友人の彼氏もデーモンで、彼女あてのメールが「メーラー・デーモン」に突っ返されてきたときには「なぜ、ここに彼氏がしゃしゃり出てくる?」と冗談を言っていたのであった。

 しかし「デーモン」と聞き返すと「ちょっと、違う、難しい」と何回か繰り返してもらったが、よくわからず、「スペル教えてよ」と言うと「DAYMAR」だった。デイマーる なのね。しかし、ワスプっぽいアメリカ人でジョージア出身とのことだったが(私が、「ああ、ジョージア」と言ったら「ほんとに知ってる?」と言うので「だって、有名じゃん。歌もあるじゃん。ジョージア オン マイ マインド とか、あと缶コーヒーにもジョージアってあるよ」と言ったら「ほんと?」と驚いてた。たしかに、あたしもアメリカの白地図だされて「ジョージアはどこですか?」って言われてた、わかんないけど、でも、東部の下のほうじゃなかったっけ?ミシシッピーとかのそば?←違っていたらすいません。でも西海岸方面ではないと思う)、アメリカでも珍しい名前なのかな?

 たしかに、リマール(カジャグーグーのボーカル)とかラマール(旅先で知り合ったアメリカ人)はいたけど、「デイマール」っつうのも、なんだかとてもアメリカちっくな名前ではないよな。ちなみに検索してみたら「デイマール・カレッジ」とうのが上位を占めていた。なんか偉人の名前なのかね?

 と、珍しい名前好きなので、彼とまた会っても「DAYMAR!」と呼び止めることができるだろう。
 (うろうろしていたら、すれ違ったので「DAYMAR!」と呼び止めたら、通じたらしく振り向いてくれたので、とても嬉しかった。珍しい名前を発音することの嬉しさよ。

 そして、そのあと、うろうろしていたら、かみちゃんが「ヤナピーがいたよ」と言うので、探してみたら、ほんとにいた。
 「おいおい、あんた元気だったの?みんな、あたしのところに、ヤナピーはその後どうなったのかって聞いてきても、全然消息わかんないだもん」

 元気でちゃんと設計の事務所で働いているらしい。やつは長年勤めていた事務所を辞めてから、ずっと落ち着かない生活をしていて、たまにちゃんと働いても、すぐに辞めてしまったりしていたが、大学を卒業してからすぐに就職した事務所が大学の先生で、けっこう有名な先生だったようで、(同じ大学なのだが、理系と文系は別の場所にあるので、理系学部のことはよく知らない)、その後もなぜか就職には困らないようだ。うらやましいね。まあ、ちゃんと一級建築士の資格もとったのであるが。

 そんで、「最近やっているのは、ヨガだけど、ヨガや瞑想だけじゃ、飽きちゃうんで、たまにはクラブに来ようと思ってさ」とまた変な理屈を並べるので、「ああ、この人は、ずっとこの先、このままだな」と思った。
 そんで、前にかみちゃんから聞いたヤナピーの「バリ島から帰ってきて、今成田なんだけど、お金が全然ないから、迎えに来てくれないか」事件を本人の口から聞いた。

 「あれ聞いて、脱力したよ。私とおない年のいい大人がさ、なんで現金はおろか、キャッシュカードもクレジットカードも持ってなかったのよ〜〜〜」
 「いや、あんとき、かみちゃんに電話してみたけど、あっさり断られて、けっこうガッカリしたんだけど、まあ、なんとか帰れました」
 「あたり前じゃん、誰が成田くんだりまで迎えに行くよ」

 そんな立ち話をしているうちに、2時からガルニエになった。
 最初は「あれ、空いてるね、今日は」なんて言っていたのだが、1時半を過ぎたあたりでも、ガンガン客が入ってきていて、いつのまにかやっぱし「ガス室」になっていたのであった。
 これじゃ踊れねーよー、と思いつつ、なんとか隙間を見つけて、こそこそと踊る。

 しかし、はやり、ガルニエは世界屈指のDJだ。
 さっき会った、デイマー君は、友達がフランス人で「行こう」と誘われたので「フランス人のDJ」ということしか知らなかったので「ガルニエは世界でトップ3に入るすごい人気DJなんだよ」と言ったら「ほんと?たのしみ〜」と言っていた。

 しょっぱなからガッシリとキメてくれたので、なんだが無我夢中で踊る。
 ふと、「もう1時間くらい踊りっぱなしかな」と時計を観るとまだ30分しか経過してなかったくらい、濃かった。

 「やっぱ、ガルニエだね、すごいね、カッコいいね」

 とカミちゃんと話つつ。K子さんもガシガシ踊っていた。

 トランス好きだったはずのK子さんは、最近、妙な新境地開発状態になっているらしく「スクエアプッシャーも行っちゃった」と言っていた。ベースソロ炸裂でけっこう面白かったそうだ。

 途中で、ドリンクをとりに行ったらMGR氏も発見。
 わー、こんな友達が沢山いるクラブも久しぶりでうれしい。

 しかし、前半かっとばしてしまった私は、4時すぎたらもう踊れなくなり、しばらく座って聴いていたが、「大人は引き際が肝心」と思って、5時前に「あたしゃ、もー疲れた。充分堪能したからもう帰ります」と店を出て、渋谷までテクテク散歩してしばいました。

 つーわけで、家に帰ってきたが、土曜日起きたのが午後2時ころだったし、夜に備えて昼寝もしていたので、あまり眠くない。
 「クイーン」のCD聴きながら(テクノが明けた朝は、歌ものが聴きたくなる)、日記をしたためております。

 それにしても、同年代の友人知人に久しぶりでクラブで会ったな。
 最近はほんとに大集合すること珍しいので嬉しかった。
 K子さんも相変わらす無職のようで「最近、なにしてんの?」と言ったら「習字!」

 どうも、私の日記の読者の方が、かなり愉快な方で、かみちゃんもその人のことを話していたが、K子さんも最近頻繁に出入りしているらしい。その影響で「書道」なんだそうだ。もし、読んでらしたら、私のお友達をどうぞよろしく。そのうちお会いできるといいですね。

 K子さんは同じ年だし、MGR氏はひとつ上である。
 みんな、なんか知らんが元気だ。
 ヤナピーの元気さは、半疑問系であるが、まあ元気だった。

 ところで、昨日、Aから電話があって、義母と従姉妹を鎌倉観光に連れて行った帰りだとか。
 「ぎゃははは、やっぱ鎌倉か!」
 と、とてもフツーのことだが、なんか可笑しかった。
 外出するにしても、赤ん坊連れなので大変みたい。

 「でも、あんたら夫婦は根が出不精だから、無理やり外に出たほうが、子供にとってはいいんじゃない?」
 とか言っていたのであるが「従姉妹はまだ若者だから、せっかく東京に来たし、なんか遊びたいみたい。そんで、ガルニエっていつ?」と言うので「明日だけど、もし行きたいなら連れてってあげてもいいけど、たぶん、ガス室になってると思うんで、それはちゃんと説明して、納得の上にしてよね」

 結局、「じゃあ、それでも行くって言ったらお願いするよ」「OK」だったのだが、その後電話がなかったので、Aのダンナが「東京のクラブの恐ろしさ」をフランス語で説明したのかもしれないし、それとも今日は浅草見学か?(笑)

 つーわけで、「負け猫連中」はイエローでひゃらひゃら踊っていたが、「勝ち犬」のAは「同じフランスからのお客さんなんだけど」を連れて、観光名所を乳飲み子抱えゼイゼイと移動中のようである。

 ま、「負け猫友の会」は、みんなダメダメなんで、出産した君だけが「真っ当」という希望の星だ。がんばれ!
 (これを読んだAが「ビーーーー、いいな、あたしも遊びたい」と思うかもしれないけど、まあ、人生そういうもん。幸せは人それぞれだし、皆だって好き好んで「負け猫」やっているわけでもないのよ。いや、好き好んでやっているのか。だから「出産」も好きでやっているとみなされているので、みんな「Aちゃんも大変だね〜」と言うが、それがどの程度大変かなんて、みんなどうでもいいわけよ。人間はそれぞれ大変だったり、それでも幸せだったり、不幸だったりする。そういうもん。あたしは、今の自分にできることを精一杯楽しもうとしてるだけなのさっ)
5月22日(土)

 「21世紀のインド人」を読み終えた。
 旅行者の書いたインド本は多いけど、ビジネスマンの視線でのインド本を読んだのは初めてだと思う。

 それに、私がインドに行ったのは97年だから、もう7年前。この本の著者も、97年くらいまでは毎年インドを訪れていたのだが、2002年に4年ぶりに行ってみて、その変貌ぶりに驚いていたようだ。
 昨年だか、一昨年だか、新井君が南インドに行った話をきいて、「ええ?私が行ったときには・・・・」とずいぶん印象が違うなあ、と思っていたのだが、ほんとに変わっているらしい。

 この本の著者によると「インドのネガティブな部分を書いた記事や本はほとんど無い」とのことで、ビジネス話に関しては、「眠れる巨象」と呼ばれて、その潜在的消費力や生産力を賛美する話が多いのだそうだ。たしかに、最近では、アメリカのIT景気を支えるインドという印象があるし、コールセンターのオペレーターになるのが若者の憧れだとか。

 そういえば、話は違うけど、最近、会社にかかってくるセールス電話で「日本語がちょっと怪しい」のが多い。あれは、ひょっとして中国の電話委託会社からかけてきているのだろうか?と勘ぐってしまう。
 日本でも、コールセンターは東京ではなく、遠いところに多いらしいが、たしかに人件費も安いし、それに地方の友達に聞くと本当に就職難らしいので、バイトに就くのも大変というところが多いらしいから、東京よりも優秀な人材が集まりそうだ。
 そんで、そのうち、というか、もうすでにそうなっているのかもしれないけど、カード会社に「法人カードの限度額上げてください」なんて電話したら、中国で受けていたりしてね。

 話が逸れたが、私もほんの短い間だったが、インド旅行の経験があるので、「旅行でもいろいろ苦労があったが、あそこでビジネスすると、もっとエゲつないだろうな」とは想像していたが、この本を読んで「ああ、やっぱし」というか、想像以上であった。

 かなり読みやすい本であるので、インドに単なる旅行に行く人でも、この本を読んでおくと、いい予習になるかもしれない。それに「海外経験豊富な豪傑商社マンでも半ベソ」という実例を読むと、短期滞在の旅行者がいくらがんばったって、太刀打ちできるわけがない。と、例え酷い目にあっても、自分を責めるキモチが少しは緩むであろう。

 そして、私としても、少し心が軽くなったのは、「他の国での経験はインドでは全く役に立たない」という記述であった。
 私がインドで遭遇したトラブルはどれも些細なものであったが、でも何回かブチ切れて、相手の前で大騒ぎしたことがあった。そういうとき、相手は困るわけでもなく、ただギャースカ騒ぐ私を気の毒そうに眺めるだけで、その様子にますます腹がたつのだ。

 その話を旅行経験が豊富な友達にしたら、「でも、そういうときに、こっちも激昂していると、結局損でしょ。」と言われた。ちゃんと冷静に、でも、力強く粘り強く交渉するのがコツだということはわかるんだけど、でも、わかっているけど、それができないような状態になっちゃうことがあったんだよ・・・・・

 と、「まあ、私のやり方もマズかったんだけど」と反省していたのだが、でも、他の国ではそうやって交渉に成功していたビジネスマンや旅の達人が、インドでは、ほぼ全員玉砕しているらしいのである。
 まあ、だから、その友人にも一度インドに行って、キレてもらえれば、私の言いたいことがわかってもらえると思うけど、今のところ行く機会がないらしいので残念。

 でも、インドは今だに貧乏旅行者には人気があるんだと思う。
 でも、よく考えてみりゃ、物価が安いというのが大きな要因だろう。あと、非常にヘンチクリンな国だが、そのわりには治安が良く交通網も発達しているので、初心者でも挑戦しやすいのだ。
 そして、「インド」と言っても、州を越えれば言語も違うし、この本を読んで初めてわかったが「州税」というものがあって、州を跨いだ商取引には「関税」のようなものがかかるくらい「州意識」は強い。だから、気分的には、EU統合前の欧州一周旅行のような感じがするのである。ドイツとイタリアが同じ国に属しているというかんじ。

 だから、南インドに商用で来た北インドや西インドのビジネスマンは、ヒンズー語じゃなくて英語で現地人と喋ったりする。ヒンズー語は中国で言えば北京語みたいな「首都周辺の言葉」であって、南の人はそれを積極的に喋らないようなのだ。

 そういう、「国だけど、けっこう地域によってバラバラ」という土地のモザイクというか「平面上」というか、横方向の差異と、「カースト制」という、縦方向の差異がゴッチャになって、旅人を「巨大なルービック・キューブ」の中に投げ込んでくれるので、それが楽しめれば、けっこう面白い場所である。
 だから、あそこが貧乏旅行者に人気があるのは、「日本人とはこうあるべし」みたいな世界で生きていて、それを窮屈に感じている人にとっては「インド人とはこうあるべし」という雰囲気が全く無いという状況を「自由」と思うのかもしれない。

 でも、それは「自由」とは言えないシロモノであることにすぐに気がつくのだが、「不自由」がそれなりに集合すると、なんか知らんが「自由」に近くなるというパラドクスが体験できて、それなりに興味深い。  
5月21日(金)

 その出来事が起こったのは、先週なのだが、「こんなことで、考えすぎる自分もなんだな」と思っていたので、わざわざ日記には書かなかったのだが、(それと、ほんとに大したことでもなかったし)、今日、ふと他の社員と喋っていたら、その話になり、彼もその出来事については快く思っていないことが判明したので、ちょっと嬉しくなったので書いてみます。

 2年ほど前、私が経理を引き継いで大変苦労させられた新規業務ですが、昨年、その会社を吸収して、働き盛りの社員達はうちの社員になり、「もう定年」という人と、「もうそろそろ定年なのかな?」っていう二人は「契約社員」にしました。
 「もう定年」な人は、元々そこの会社の社長で、今はグループ関連の仕事だけ細々とやっています。彼は「経営者」の器ではなく、諸般の事情でそういう地位についてしまったようですが、結局、それなりに給料を貰っていたけれど、それなりの働きはできず、会社を潰すことになってしまいましたが、それは彼だけの責任でもないと思うし、元々現場の人でありましたから、今では昔の半分以下の給料で(推定だけど)、気楽に仕事しているようです。もうそろそろ年金貰える年なので(63歳くらいだったかな)、仕事ができるだけでいいのでしょう。

 困ったのは、その業務が抱えていた「店舗」の問題です。それなりに外部に顧客がいるのですが、なにせ、全然利益があがらない。でも、店を開けている以上は、誰かが店番しないといけないわけです。それで、「もうそろそろ定年なのでは?」な女性社員がそこに残ることになったのです。

 そして、いくら儲からない暇な店だと言っても、やはり一人で店番は辛いので、派遣社員を雇っています。最初に来た派遣社員が、私の予想通りにすぐに辞めてしまって、その理由が「あの人と二人っきりであの店に篭っているのは精神的につらい」というものでした。
 たぶん、その派遣社員を選んだ私の上司は「せっかくこの業務をうちでやるんだから、あの店ももっと売上を伸ばしてもらいたい。だから美人を置いておこう」と思ったらしいのですが、裏目に出ました。私は、少しだけその人と関わって苦労していたので、「あんなプライドの高そうな美人が来たって、ダメに決まっているじゃないですか」と、影でこっそり意見していたのですが、幸いなことに、次に来た派遣社員は、けっこう「ぼや〜ん」とした不思議ちゃん系で、「ヤル気満々だけど、なんか空回りしている年配女性社員」とも上手くやっているようです。

 うちの会社で派遣で働くのって、けっこう厳しい環境だと思うのですが、立地の悪さもあって、そういう「まあ、いっか、ここでお金貰えるんなら」という人が回されてきて、そういう人ほど定着して、ちゃんと仕事してくれるので、「派遣運のいい会社」だと思います。

 というわけで、狭い店舗に、年配女性と若い女性が二人で店番しているのです。

 で、派遣社員はともかくとして、年配女性はどういう気持ちでいるのか、私には謎です。
 普通の神経を持っていたら、「このまま自分はここで仕事できるのか?」という危機感を持つと思うのです。だって、店舗なんて構える必要全くないんだもん。ただ「なんでもそのまま継続する」という癖がある会社なので惰性で続けているだけです。

 まあ、彼女はいつも必要以上に張り切っている様子をアピールするので、あれで頑張っているつもりなのかもしれないし、それなりに忙しいらしいので、それで満足しているのかもしれません。彼女が抱える仕事の利益では、ギリギリ彼女の給料が払えるくらいで、派遣社員のギャラまではとても賄えない現状など、知る由もないのかもしれないけど、ちょっと考えればすぐにわかりそうなもんです。

 さて、説明が長くなりましたが、とにかく、会社のビルの1階にその店があるわけです。
 そして、その店の横に、ビルの入り口があるのですが、駅から歩いていくと、最初にその店舗が目につくので、初めて来たお客さんは、そちらに入ってしまうことも多いようなのです。

 さて、そんなある日、私が外出から帰ってきたら、珍しくその店舗の入り口に客が立ってました。なにやら中の年配社員と喋ってましたので、そのまま通り過ぎて、私はビルの入り口から入ろうとしました。

 ビルの入り口は、「オートロックのマンション」のようにインターホンが設置されていて、用件のあるフロアの番号を押すか、自分が用のあるフロアがどこだかわからないとか、飛び込みの営業は、私がいる総務のフロアの番号を押してロックを開けてもらわないと中に入れません。

 私が暗証番号を入れて入ろうとしていたら、後ろに気配を感じて振り向くと、さっき店舗にいた男性が立ってました。

 初老の品のいい紳士という風情の人でした。「ああ、さっき、あっちにいたのは、間違えたからなんだな。店舗の年配女性が入り口はあっちですと言ったのだろう」とすぐにわかりました。

 しかし、その紳士は取引先の営業マンという雰囲気ではなく、初めて訪れる場所でキョロキョロと不安そうでした。私が先にインターホンを操作していたので「ええと、あれをやるのか」と戸惑っているようでした。

 そして、私の目にとまったのは、彼がぶら下げていた「洋菓子屋の紙袋」でした。菓子折りを持ってきた客なわけです。
 菓子折り&世慣れてない雰囲気で、私は彼が「うちが仕事をお願いしている取引先」ではなく、うちが「お仕事をいただいているお得意先」である、と判断しました。(うちの得意先は、企業じゃない組織が多いのだ!)これは丁重にお迎えしないといけません。なにしろ、相手は菓子折りをお持ちなのですから!

 私は自分のためにオートロックのドアを開けてから、振り返り、「どちらに御用ですか?」と問い掛けました。
 紳士は「ええと、あの、Hさんとお約束で・・・・」

 H部長は東京の事務所にいることが多い人ですが、今日は確かに午前中からこちらにいました。そして、優秀なOLであるワタクシは、彼の予定に夕方から「これから金を取ろうと思っている大事なお得意様候補」と、「勉強会」と称した打ち合わせをすることを知っていたので、ニコニコ笑顔で、

 「では、ご案内します」と一緒にエレベータに乗って、降りたらすぐH部長に声をかけて、「お客様がお見えですよ〜」と声をかけたら、H部長は「お待ちしておりましたっ」とパタパタと駆けてきました。


 という出来事があったのでございます。
 私はそのとき、ちょっと不安になりました。
 あの店舗にいる年配社員は、果たして「彼が大事なお客様」だといいう判断ができていなのか、それとも全然気がつかなかったのか?
 そして、いつもあのように、会社を訪問した客が間違って店舗に入ると「入り口はあっちですよ」と杓子定規に応対していたのか?

 もし、私が店舗に座っていて、暇だったとしたら、客が間違って入ってきたら、客に用件を聞いて、それを内線で伝えます。それで、その客が「約束していた客」だとわかったら、一緒についていって、ドアを開けてあげて「5階までお上がりください」ってやりますけどねえ。
 もしくは、その店舗の奥のドアを入れば、オートロックの自動ドアの内側に出ますから、「あちらからお回りください」と言って、自分が回りこんで中に立てば、ドアが開きますので、やはりエレベータまでご案内する。

 そのくらいの仕事がなんでできないというか、そういう頭が無いのでしょう?
 自分の仕事だけ一生懸命やってりゃそれでいいというご身分ではないことになんで気がついてくれないのでしょうか?

 と思ったのですが、私は「菓子折り」に目がくらんで、彼が「大事な得意先だ」と判断できましたが、そういうのに鈍感な人はこの世に多いと思いますし、まあ、そんなもんなのかも、あの人にそういうことを要求することが間違っているのかも、と反省して、自分の心の中で「でも、それが出来ない人を私は決して評価はしない」と思っていただけでした。

 ところが、今日になって、H部長の下で働く「次長」の役割の人と喋っていて、今日も東京事務所にその紳士がやってくるという話を聞いて、「そういや、先週、あそこのお客さんが持ってきてくれたお菓子が超うまかった。お会いしたらお礼言っておいてね〜、また持ってきてくれないかな〜」と、雑談していたので、ふと、「あの人、こっちの事務所ははじめてだったから、最初は店舗のほうに入っちゃたんだよね」と話をしてみました。

 そしたら、その紳士が「いやあ、迷ってしまって」と話していたらしく、その次長は親指を出して「あっちだ」のジェスチャーをしながら、「ああ、下でこうされたらしね」と不機嫌そうに言ったのです。

 「あ、やっぱ、知れわたってるんだ(笑)」
 「まったくもーって、感じだよ」
 「いや、実は私、それに気がついて、たまたま通りかかったんで、上までご案内したんすよ。だって、菓子折り持ってたから、これは普通の客じゃないなって思ったし(笑)」
 「ははは、そうだったんだ。まあね、菓子折りはそういう意味でもやっぱ重要だよね。」

 やはり、そういうことって、黙っててもわかるものなんですね。
 それで「あの人が、あそこにいるだけで、会社としてはマイナス要因」と言われたら、ヤバいと思うのですが、彼女はそんなことに気がつきもしないだろうなあ。

 前にも「え?」と思ったことがあった。
 インターホンを鳴らしたのが、かのヤ○ーBBのアルバイトで「お宅の敷地の前でキャンペーンしてもいいか」と聞いてきたので、とりあえずインターホン越しでもなんだから、上がってもらった。
 向こうは、ほんとに学生バイトだか、世慣れないフリーターな若いニーチャンであり、私のほうも「こんなとこでキャンペーンすんの?」と思ったが、向こうは「先に、お店のほうでお話したのですが、わからないので、総務さんに確認してくれとおっしゃるので・・・・」

 総務が判断するような微妙な状況なのだろうか?たしかに、うちの敷地ではない場所だとしたら、判断は難しいし・・・と思ったので「とりあえず、そっちが言っている場所はどこなの?」と、一緒に降りていって、「ここです」

 たしかに「お宅と隣の隙間」であるが、もう敷石が完全にうちの色。
 それに、向こうが出店料をそれなりに支払うとか言う話をしてくれれば別だが、金の話は一切向こうからはしてこないし、たとえ支払ったとしても微額であろう。沢山支払う気があるのなら、最初から「お金は存分に払いますから、使わせてください」と言うだろう。

 なので、あんな会社の目の前で、ジャンパー着たバイトさんたちにウロウロされたら、見栄えが悪いに決まっているので「うちの敷地じゃないんなら、文句の言いようがないけど、ここは完全にうちの敷地だからダメですね」とキッパリ言ったら、向こうも「そうですか」とあっさり引き下がった。

 てゆーか、もし彼らがキャンペーンをするとなると、迷惑蒙るかどうかを判断するのは、まずそのすぐ脇にある店舗ではないか!
 まあ、ヤ○ーが街頭で、どんなキャンペーンしているのか、想像もできなかったのかもしれないけど、でも、そっちで詳しい状況や条件(金銭的なこと)をヒヤリングしてもいいんでは?
 ただ「そういうことは、こちらではわからないので」と、総務に丸投げして、私の貴重な時間を10分ほど無駄にしたんですぜ?

 私は自分では、そういう「受付っぽい仕事」も自分の仕事のうちだと思っているので、必死に飛び込み客や営業電話が、直接上司や社長のところに行かないように、頑張ってますよ。
 で、そういうのは、わりと上の人間に対して「あいつはただのOLだが、役に立つな」というか「居留守使わせていつも悪いね」とわりとダイレクトにアピールするのである、と信じている。

 そんで、彼女に少しでも考える能力があれば、内線一本かけて「こういう客が来ているが、どうしましょう?」と確認してから、「ああ、いないって言って」と指示を受け、そういう飛び込み営業を押さえてくれれば、その存在が重要であると、まず下っぱに浸透するはずなのだ。

 大事な得意先には「あっちに回ってください」で、どーてもいい飛込みには「こっちではわからないので総務に言ってください」だけでは、いないほうがマシではないか。

 それで、見るからにヤル気ない社員だったら「そういうもんか」と諦めますが、本人はたぶん「ちゃんと仕事している」と思っているようなので、悲しくなります。

 ま、インドだったら、それでもOKなんですけどね。
 と、今「21世紀のインド人」という本を読んでいるので、そんなことを思ってしまったのでありました。
5月20日(木)

 やっちゃった・・・・

 メールの送信が数日前から調子が悪く、どうもプロバイダからお知らせが来ているのに気がつき「暗号機能がどうのこうのなので、設定をしてください」とのことだったので、今日、やっと会社で「設定の仕方」をプリントアウトして、それを読みながら挑戦したのだが、なんだかうまくいかず、「そんなはずは、ない」とまたブツブツ言いながら、やっとちゃんと送信できるようになったのだが、ついうっかり「きぃーーーーーーーー」とヒートアップしてしまったために、メールアカウントを一旦クリアしてから、再設定に挑戦してしまったので、ふと気がついたら、今まで溜め込んでいたメールもどこかに姿を消していた。

 ま、いっか。アドレス帳は残っているようだし。
 でも、ちゃんと全部アドレス帳に登録しているわけではないので、「メールの返事が来ないな」と思った方は、再度送ってください。

 しかし、年賀葉書や昔やりとりした封書などは、なかなか捨てられずに箱にしまってあるけど、電子メールっちゅうのは、捨てるつもりなくても、ときどきこうして「わー、消えちゃった」(「消しちゃった」が正しいのか)ということになるので、実に潔くていいね。最初にメールを始めたころは、けっこうショックだったけど、だんだんと「消えるもの」として認識するようになったようだ。

 メールといえば、今朝出勤したら、同僚K嬢が私よりも先に出社していて(彼女はいつもだと私より15分ほど遅く来る)、なにやら電話していた。
 そして、喫煙所で、うちの事務什器関係をお願いしている会社の担当者が所在なげにタバコを吸っていたので、「そういや、スケジュールに入ってたな」と思い出す。

 二人は10時から打ち合わせするはずだったのだが、Kの電話がなにやらたてこんでいて、どうもクレームの電話をとってしまったらしい。ぼんやり待っている人に、「なんか、変な電話とっちゃったみたいですねえ(笑)。もうしばらくお待ちください」と声をかけたら、彼も笑いながら「いえ、ここでサボってますから」とコーヒーをススっていた。

 10時10分くらいにやっと電話が切れたので「なんだったの?」と聞いたら、K嬢も「はーーーー」と溜息をつきつつ説明してくれた。

 相手が年寄りっぽいので、詳しいことはよくわからなかったそうだが、どうも最近よく来る、「メールアドレス変更になりました」っていうスパムが来て、それがスパムだとわからなかったらしく、まじめに「あなたのことを存じ上げないのだが、どこかでお会いしましたか?」という返事を書いたところ、「詳しくは○○○って会社に問い合わせてください」というような意味の返事が返ってきたらしい。

 しかし、その会社の連絡先も何も書いてなかったので、ネットで検索してみたら、うちの会社のHPが引っかかったらしく「そのようなメールを出しましたか?」っていう確認だったらしい。
 K嬢も、その事情がわかるまでに10分くらいかかったらしく(うちのアドレスが載ったメールが送られたのかと思ったので)、「いえ、弊社では、一般のお客様にそのようなメールを出しておりませんので、同名の会社なんだと思います」と丁寧に応対したのだが、相手は世間知らずなのかなんなのか「でも、インターネットではその名前でお宅のページが出てくる!」と言い張り、なかなか電話が切れなかったらしい。

 それで、辛抱強いK嬢は、そのメールはたぶん、単なる「不特定多数に送った広告メール」であることを相手に納得してもらい、うちの会社は同じ名前であるが、たぶん同じ名前の会社は国内に多数あるということを納得してもらい、ついでに「そのようなメールにちゃんと返事する必要はないと思います」ということも言ってあげた。

 「なーんか、年配の男の人っぽい声で、そう言ったら『若い女性からのメールのような気がしてしまって、うっかり騙されるところでした。ご親切にありがとうございました』って感謝しはじめたんで、よけい長電話になっちまったよ。朝から、疲れた〜〜〜〜」

 とケラケラと笑うK嬢は、頼りになる有能な同僚である。この人だったら、どんなクレーマーにも対処できるであろう。クレーマーに絡まれたら、K嬢に援護してもらおうっと。
 でも、不思議だったのは、前にも会社名で検索してみたことあったが、あんまし上位じゃないんだよね。そんなにありふれてもいないけど、珍しい名前でもないから。だから、「ネットで検索したら、お宅のしか出てこなかった」という発言はどのような環境でそうなったのだろうか?しかも、「地図と住所と電話番号しか載ってない」と言っていたそうだが、てゆーことはトップページじゃないから、いったい何をどうするとそういうページにたどり着けたのだろう?

 とか言ってる私も、メール全部消しちゃうんだから、あまり偉そうなこと言えないけどね。

●今日の「オリジナリティの欠如」

 「腸内革命だ!」と思ったのだが、検索したらいっぱい出てきた。

 「肝死」っていうのはどうだ!と思ったら、やはりマジメなのが出てきた。

 なんだか、とっても、がっかりしてしまった。やはり自分は「天才」ではなく「凡人」だなって、当たり前のことがわかっただけですが、もう少しだけ調子に乗っていたかった。

5月19日(水)

 にんとす はっかかー ひじりき ほっきょっきょー
 負けるな 負けるな ガッチャマンに負けるな 

 今日の夜、腹に放射性物質(なのかどうだかよく知らないが「バリウム」とうのは、かのキュリー夫人が発見した「ラジウム」のご親戚だとしか思えない)を抱え、その上にアルコールを大量に注ぎ込み、ラリラリラーんのコニャニャチワで、雨の中を必死で歩いている自分を鼓舞するために思い出した、「昔のナンネンス・ギャグ」ですが、「ガッチャマンに負けるな」とハゲまされているのは、もしかしたら、今現在トキメイておられるキャシャーンさんなのかもしれない、と深い洞察も交えつつ、「胃の検査した後のアメリカ大統領にはブラックボックス握らせてないよな」と、マジめなことも考えてみたりしました。(あたしだったら、今日一日、どこに核爆弾落ちようと知ったことではないわ)

 というわけで、「君はもう、ひょっとして年金生活でもいいんじゃないの?そのために、あたし、一生懸命年金支払ってるのよ」というようなジジイに「婦人科検診」されて、乳にシコリがあるが、今は検査できないので、後日「超音波竜巻」じゃなくて、「超音波検査」してください、と言われたような気がするが、去年、別の医者に指摘された「子宮筋腫の疑い」はどこに消えたのだ?(子宮はOKだと宣言された)

 という、私の疑問は社長の「あそこの健康診断の再検査で何かが発見されたことは今だかつて一度もない!」という実体験に基づく力強いお言葉によって、見事に中和されたのであった。

 健康診断に行くと病気になる、とはよく言うが、ほんとにそうだな。

 で、私の知人で「健康診断で発見された病気」のトップ1というか、それしかランクインしてないのが「リンパ腫」なんだけど(聴診器持った医師が首のあたりを触って発見する)、今回行った病院では、それをやってくれなかった。聴診器で「心音は大丈夫ですね」ってだけ。他はあまり役に立たなくても、あれだけは、もしかしたら、役に立つのかと思ってたんだけどさ。

 で、朝だからボンヤリしていたら、採血のときに左腕をブッサされ、見事に3滴くらいしか血が出なくて、「あ、そういえば、いつも右から採ってました」と言ったら「下手ですいません。ベテランだったら見ればすぐわかるんですけどねえ」と言っていたが、血圧低い私が、反射的に右腕を出したのをしっかり無視したろうが!

 おかげ様で、そのあと、一回針を刺した左で血圧を測ったので、直径2センチの醜い青痣ができました。ありがとよ。
 というわけで、来年はまた別のところで健康診断を受けようかと、考えております。あそこの病院、健康診断でボロ儲けしているのがわかりすぎ!場所は便利なんだけどさ。でもさ。あまりにも、ひどすぎました。

 だいたい、健康診断ってもの自体が「自分が家畜以下になったような心地がする」ものですが、それをあまり意識させないのが、「いい病院」なわけで、あこその病院にいる間、ずっと頭の中で「ドナドナ〜」で、夜になって、冷静になったら「にんとすはっかかかー」っていうのは、異常な事態です。

 だって、20年以上封印してたものが、飛び出すなんて、パンドラーじゃないですか(泣)

 また、病院嫌いに磨きがかかってしまいました。
 病院が嫌いなだけで、お医者さまは大好きですので、「医者が参加する合コン」のお誘いは大歓迎でございますが・・・・とか、言ってる自分が嫌いよ〜〜〜
5月18日(火)

 こんばんわ。ベトナム系フランス人の、トラン・タヌン・ミヤノです。

 というわけで、今日も頭の中は絶好調に飛ばしていたのであった。
 いつもながら、なんで、時々エンジンがかかるのか全然わからない。
 そんで、上のようなギャグを考えても、それが他の人にとっても面白いだろう、とも思わないのであるが、自分でツボにはまったので、それでいいみたい。会社でふと、思いつき、「あたしって天才」とまた自己愛を深めておりました。(ちなみに、元ネタは「シクロ」や「夏至」のベトナム系監督の名前です)

 「今年初めて蚊にかまれた」というのを読んで、私も昨日、蚊に刺されたことを思い出した。
 ニコタマのデパチカにある「糖朝」でお粥と豆腐花で優雅に夕食を食べていたのだが、顔に蚊がまとわりつくので、手で追い払っていたのだが、会計を済ますと、急に足が痒くなり、両足のふくらはぎが被害にあっていた。何匹かでチームを組んでいた可能性が高い。
 昨日は「蚊の解禁日」というか「蚊の世界での、人間の解禁日」だったのかもしれない。

 さて、なんだかムショウにゴキゲンがよかったのだが、昼にメールをチェックしたら、ニャオちゃんからメールが来ていた。
 にゃおちゃんは、テキパキと宿を手配してくれたようで、その連絡と「金曜はルー・リードがトリだね。今回の金曜日は確実に出演者の平均年齢が我々より高い気がする。」

 おお、ルー・リードが決まったんだ!
 と、さっそく公式サイトを見に行った。

 元々、私らは「ルースターズだって、どうする?」ということで、それだけのために3万6千円払う気であり、まあ、そそれだけじゃ高いけど「ピクシーズも観れるしね」くらいなもんで、私はそれに「ベースメント・ジャックス」や「ケミカル・ブラザーズ」を観れば、充分ペイすると思っていたのだが、これで、星空の下でルー・リードが聴けたら、かなり元がとれるね。
 後は、お目当ての出演時間が重ならないように祈るだけだ。

 しかし、ただでさえゴキゲンがいいというのに、さらに盛り上がってきたので、チケット代3万6千円に評価益をくっつけて、圧縮の反対(資産の圧縮という表現はよく耳にするが、反対は何ていうんだろう。膨張?)をしようと思って、私が知る中では最もルー・リードのファンと思える人(わざわざ飛行機に乗って東京公演にも来てたし、著作にもルー様の歌詞を引用してたみたいだし)のサイトに行って「わーい、ルーリードを星空の下で見ちゃいますよ〜。夜空に響くサテライト・オブ・ラブかな?練習しておこっと。」と自慢し、まんまと「きーーーーっ」と羨ましがっていただければ、高い切符の持つ価値が個人的に上昇する(含み益ってやつ?)と思って、電脳空間をこんな格好で、手にする足にする小道具はこんなかんじという、変な姿(頭の中でミキシングできる人はそうしてください。かなり人を小バカにした姿)で「へ、へ、へ〜」と軽やかに走っていったのでありますが、そこにたどり着いてみたら、ちょっとそういう雰囲気ではなかったので(私が行く前に、別件ですでに踏んだのか踏まれてたかしてたみたい)、「寓者はおよびじゃなかったみたい。くすん」と、スゴスゴと帰ってきました。

 気が向いたら、嫉妬しに来てください。

 でも、まあ、もしかすると「夜空に響く、サテライト・オヴ・ラブ」ではなく、「雨天で、サテライトなんて見えません」という心配もあるのだが、でも、同行者はなにせ、私の友人の中でも「強運」で知られるT嬢である。心配ないと思う。その昔、飲料水のキャンペーンで車当てた人だし、昔、彼女と一緒にニューヨークに行ったら、ビジネスクラスにアップグレードになったし。それに、プレミア・リーグ観戦に行って、ベッカムの凄いシュートも目撃して帰ってきた人だ。(ベッカムなんて興味なかったのに、その瞬間だけ惚れたらしい。「日本に帰ってきて、エステの広告のニヤけたベッカムの顔みたら憑き物がとれた」とのこと)

●恥かしがりやさんなんだから、も〜

 明日は健康診断なのだが、毎回苦戦しているのは「白い稲妻」ことバリウムの後処置(飲むのはそれほど苦ではない)だけではなく、「健康診断に持っていくお土産」も大変なのである。
 それも、2本もとらないといけないので、日曜日から待ち構えていたのだが、そうなると、ちっとも姿を見せてくれないのだ。

 ウンチョス君!恥かしがらずに出てきてよ。そりゃ、ちょっとだけ棒でツンツン突付くけどさあ・・・・・

 (使用説明書には「徹底的に突付いてイジめろ」って書いてあるけど、メンドーだからそんなに苛めないってば)

 ウンチョス君の出現を今か今かと待っているため、常に「採取容器」を持ち歩いているのだが、そういう私の「過度の意識」が、あまり人にジロジロ観られなくない(こっちだって、見たくもないが)ウンチョス君を自意識過剰にするらしく、昨日も全く音沙汰がなかったし、今日も全然、ほんとに、ウンともスンとも言ってくれない。

 こんなに苦戦するのも久しぶりだ。もともと、規則正しくないので、小学生のころとか、ぜったいに朝は出なくて、半べそかいたが、その後は「多少早めでも出たら採っちゃえ」という作戦でなんとかこなしていたのに・・・・・
 これは監督の作戦ミスともいえる。つい、「効果絶大」という評判の「にがり」を買ってしまい、水に溶かしてガブガブ飲んでみたのである。
 私は、自分に似た、天邪鬼な腸を持っているらしく、「これは効く!」っていうのを試すと、逆効果だったりすることがあるのだが、今回は失敗したようだ。

 こうなったら、最後の作戦「とにかく、いっぱい食べる」に切り替え、今日の夜はワカメたっぷりの大盛りラーメンにニンニク入れて平らげてみたら、胃腸がさすがにギブアップしたみたいで、やっとウンチョス君とご対面できた。やれやれ。後で郵送とかになったら、や〜だな〜とげんなりしていたのである。

 さあ、これで心配ごとは無くなった(他に悩みないのか?)ので、心おきなく「白い稲妻」と戦うことができる。
5月17日(月)

 今日は蒸し暑かった。
 今年の夏はどんな夏になるんだろう。去年は「長い梅雨」「冷夏」「厳しい残暑」であった。

●「負け猫の爪研ぎ」

 また、この企画がなぜか再燃しました。
 友人A嬢とメールのやりとりをしてて、ふと思ったのだ。
 手のかかる乳児(しかも、かなり重量級。あれはきっと小学校低学年でAの身長を抜くね)を抱えて、外出も難儀なAであるが、今週はついに、おフランスから、ダンナのお母さんとその姪(ダンナの従姉妹)が初来日するらしい。お母さんはたぶんほとんど英語がダメで、従姉妹は通訳係らしい。
 お姑さんが泊まりに来るというだけで、妻としてはナーバスになる状況だが、その上、言葉も文化も違うとなると、そりゃあ、大変だろう。

 それとは関係ないが、一日をほとんど乳児と過ごしているAは「会話不足」でストレスが溜まるらしく、メールのたびに「また、遊びに来てね」の一文が添えられている。
 しかし、私の返事は「とうとう、フジロックに行くことになりました。そんで、有給温存中なので、しばらく休みないっすよ」である。

 という、まあ出産した女性と、未婚の女性の平凡な会話(メール)のやりとりであるが、でも、自分が実際に「勝ち犬」と会話してみて、わかったよ。
 なんか「負け犬」って発想は、こういう今現在気の毒な(まあ不幸とは言えないが、いろいろ不自由が多い)友達に対して「まあ、大変ね。でも、私なんて負け犬なんだし、対・世間では不自由な身の上なのよ。」と「自由に遊びまくっている」ことを言い訳するためにあるのだな。

 まあ、たしかに、Aと会話していると、
 「いいなあ、ミヤノさんは、あちこち遊びに行けて、私なんて、あと数年は無理なんだ〜〜〜(泣)」
 「ほほほほほ、いいじゃん、そっちは母になるヨロコビを知ったのであるから、遊ぶのはしばらく我慢しんしゃい(笑)」
 という展開になることはある。

 「負け犬の遠吠え」でも、そんな会話がとりあげられていた。と思ったが、確認したらちょっと違った。
 あの作者には、こうして腹を晒す「負け勝ち犬」の知り合いがあまり多くなかったらしい。
 「負け犬理論」によると、A嬢は私にこう言わなくてはならない。

 「ああ、もう、外出するのも大変だし、どっか遊びに行きたいよ。でもねー、やっぱり子供かわいいしね。産んでよかったと思うよ。ミヤノさんも挑戦してみなよ」

 と言ってもらえれば、私はムっとして、立派に遠吠えできることであろう。
 しかし、Aもそうだけど、他の「出産経験アリ」の友人知人から、私は一度も「子供産まないの?」と言われたことがない。唯一の例外がうちの母である。(あと今だに絶交中というか連絡の無いB君)
 他の人たちは「まあ、産みたければ産んでもいいんじゃない?」という程度である。
 そんで、多くの人は「確かに、犬猫飼うよりは大変。だから、生半可なキモチで産まないほうがいいとだけは言っておこう。でも、それなりに楽しいけどね」くらいのことは言う。

 だから、前も書いたけど、「負け犬の遠吠え」には全く共感できなかったし、「この作者って周囲の人間に恵まれてなかったのかな?それとも、私がそういう周囲の圧力に鈍感なだけ?」と思っていた。

 話が長くなったが、そういうわけで、気に入らない「負け犬」なのだが、それなのに、うっかり、Aに対して「悪いねー、でも、あたしは負け犬だから」と言いそうになった自分に対して、かなりムっとしてしまったのである。

 同じように「未婚・出産経験無し・30代」であろうとも「私は負け犬ではない」と思った人はわりといると信じています。でも、だからと言って何かに「勝って」いるとも思ってないのですが、でも、自分はあれに書かれているものとは別の世界で生きていると私は思うのです。

 つーわけで、「負け犬の遠吠え」がなぜしっくり来ないかといったら、「そっか、私、犬じゃなくて猫だから、犬の世界とは無縁だった」という結論に偶然たどりついたのです。(単に語感がよかったからってだけ)
 まあ、そこで「負け猫・・・・いいじゃん、いいじゃん」で終わらせていたのですが、やはり、せっかく思いついたのですから、もう少し「負け猫とは何か?」ということを掘り下げてもいいのではないか?と、急に思いつきました。

 「思いつき」を連発していますが、これも「負け猫」の特徴の一つなのかもしれませんが、その理屈はまた後でゆっくり考えましょう。

●「負け犬」と「負け猫」の違い

 負け犬  一人でも入れる行き着けのレストランや飲み屋がある

 負け猫  ヨシ牛に一人で入る勇気がなく、テイクアウト専門である(卵はスーパーで買う)

-------------------------------------------------------------------------------------------
 負け犬  海外旅行に行ったときに、ブランド物のカバンを買う

 負け猫  海外旅行に行ったときに、日本では入手困難なブランド物を買えば、ヤフオクで高く売れるのではないかと思って、人気ブランド物情報を研究中

-------------------------------------------------------------------------------------------
 負け犬  心を割って話せるゲイの友人がいる

 負け猫  ゲイの友人が生活費に困っていたので、5万円貸した。いつ返して貰えるかわからんが、寄付したと思ってさ・・・・・

-------------------------------------------------------------------------------------------
 負け犬  「最近、なんか面白い映画観た?」
      「ええと、アメリは面白かったよ」
      「でも、あれすごく評判いいでしょ?混んでなかった?」

 負け猫  「最近、なんか面白い映画観た?」
      「ええと、アメリは面白かったよ」
      「それ、どういう映画?」
      「なんか、引き篭もりの女の子がいてね、」
      「あ、わかった、そのコが超能力者で、ホラーなんでしょ!」

      「・・・・・・それは、もしかして『キャリー』のこと?」

-------------------------------------------------------------------------------------------
 負け犬  ペットを飼いたいので、ペット可の物件を探している。いいマンションがあったら、買っちゃおうかな。

 負け猫  ペット厳禁のアパートなのに、内緒で猫を飼っていたら、大家に叱られたので、「あれは野良猫を餌付けしているだけです」と言い逃れたが「でも、この間、抱いて部屋に入るのを見ました」と言われたので「あれは、ヌイグルミです」と言い張って、大家を言い負かし、その後も平然と猫を飼っていた。(さすがに外出させるのはやめたらしいが)

-------------------------------------------------------------------------------------------
 負け犬  たまには、いいワインを飲みたいと思う。自分にご褒美。

 負け猫  給料日だから、発泡酒じゃなくて、ほんとのビールを買う。自分にご褒美。

-------------------------------------------------------------------------------------------
 負け犬  時々、いいワインと食事をご馳走してくれる男友達(崇拝者)がいる。

 負け猫  自宅で飲み会してたら、後から来る男友達(崇拝者ではないような・・・)が電話してきて「なんか飲み物買ってく?」と言うので「ビール!発泡酒買ってくんな」と言ったのだが、区別が付かなかったのか、故意による悪意の間違いかわからなかったが、しっかり発泡酒を抱えてやって来た。しかも、ムカツクことに、そいつはカバンの中にビンテージ・ワインを隠し持っており、「あ、こっちがいい」と言ったら「それは、今週結婚する友達に贈るんだ」だってさ。

 うーん、やはりこれじゃあ、本にならないなあ。(トラタヌ度がなかなか下がらない今日このごろ。こういうとき、なぜか人生は妙に楽しい。宝くじもまた買おうかな。今日やっと年末ジャンボの当選金1万円を手にしたし)

●週刊 金鳥

 思わず、金鳥のHPを探してしまったが、CMは載せてるけど、中吊り広告は載ってなかった。
 週刊誌の中吊り広告をもじったパロディ広告なのだが、見出しが最高。「誰も知らない、知りたくない ゴ〇〇リの隠れ家レストラン」とか「親の黒光り 覆面対談」とか、久々に「剥がして持って帰っちゃおうか」と心から思った中吊り広告であった。

 話題沸騰かと思ったが、一件しか反応した人を発見できなかった

 それはそれで、とても「負け猫」っぽいエピソードである。

5月16日(日)

 蓮實先生の「スポーツ批評宣言」を読んでしまってから、スポーツクラブの自転車漕ぎのときに、「巨人・ヤクルト戦」などを久々に観てしまうと、「どーして、今の巨人の選手はあれだけお金を使っても、ちっとも華がないのじゃー」と思いますが、でも巨人の監督が堀内で、ヤクルト監督が若松って画を観ると、「ああ、あたしも、年とったなー」と感慨深いが、そんな「負」の感慨だけでいいのかプロ野球!

 歴史は繰り返すというが、私が中学高校生のころ、うちの母は「おかーさんの知ってる選手が、みんな監督になっちゃった」とガッカリしてましたが、その20年後に娘もそのセリフを反芻しちょります。胃袋7つある牛くらい反芻しちょります。だって、解説者が江川と掛布なんですよ?胃袋が7つ以上ないと、咀嚼できまっせん。

 でも、工藤が42歳でも、今だに先発だということには心が洗われました。てゆーか、もうそんな年だったんだ。
 工藤もドラフトのときに騒動を起こしたのをなんとなく憶えているし、高校生のころからあの顔つきで、その後もあの「ふてぶてしい」と「愛らしい」をマーブル模様に混ぜ合わせたような(中間色に混ざらないということ)顔つきをずっと維持しているのを時々確認したりしていたのですが、その彼も42歳か・・・・・私も年をとったもんだ。

 で、なんで、久々に「プロ野球」を観てしまったかというと、他にロクな番組やってなかったからです。他は「女子バレー韓国戦」でした。

 朝のワイドショーはフジテレビで定点観測しているので、「ああ、最近のバレーボールはフジテレビにかなりやられてるなあ」と思ってはいたのですが、本当にバレーが好きな人は怒らないのかな?
 そういや、会社でハイジが「バレーが始まるとうるさくてやだ」とまるで代々木体育館のそばに住んでいるようなことを言ってましたが、言いたいことはわかる。でも、なんだかんだ言って、試合を観ているようで、先日も他の社員とバレー話に華が咲いていて、その社員にも「なんだかんだいって、かなり好きなんじゃないっすか」と笑われていました。

 それで、私もスポーツクラブで自転車を漕いでいるときに、ふと「そっか、韓国戦か、それは盛り上がるのだろうか?」と思って観てみたのですが、試合がどうのというよりも、選手のニックネーム(パワフル○○とか、プリンセス○○とか)が連呼され、選手のダンナさんが応援している姿が頻繁にクローズアップされて、全然落ち着いて試合が観られないのです。
 しかも、バレーといえば「ニッポン ちゃちゃちゃ」だということはわかっていたし、それには免疫ができているので「そーれ」という掛け声と共に、あまり気にならなくなっていますが、いつのまにか野球のメガホンみたいなものをパンパンと鳴らすようになっていて、あれが耳障りで耐えられなかった。
 そんで、もっとマッタリしたものを求めて、プロ野球にしてみたら、そっちも「パンパン」叩いているわけで、バカな客どもを全員ウィンブルドンに送り込んで反省してもらいたいと願いました。

 もっとも、テニスの大きな大会で、あんなに静かなのはウィンブルドンだけなのですが、あの大会はあれが名物なので、観客もその名物を堪能するのに喜びを感じるらしい。そして、水を打ったような緊迫した中で、誰かが「かも〜ん、ジョン!」などと発すると、場内が和んで、その掛け声は「ぼわ〜ん」と反響するクスクス笑いによって支持されますが、そのあと、日本の大会にマッケンローが来たときに(セイコーの大会だったかな)、あれにインスパイアされちゃった日本人が、「かもーん、ジョン!」を連呼するので、「ああ、全然わかってないんだな」と思いました。

 テニスの試合を生で観たことないので、あまり偉そうなこと言えないのですが(ウィンブルドンに行ったら雨で中止だったし)、日本のテニス・ファンは逆に「ウィンブルドンの真似しすぎ」で、有明あたりにあるテニスコートを静寂で包んでも、薄ら寒いだけではないですか。
 自他共に認める歴史と伝統を誇るウィンブルドンだからこそ、「あの雰囲気」が可能なのであって、東京の埋立地でそれをやっても無意味だということに何故気がつかないのか不思議だ。
 テニスの他の国の大会(全米とか全仏とか)をテレビで観ていると、不思議とその大会ごとの「音」がある。

 だから、バレーの「ニッポン ちゃちゃちゃ」は、「そういう音」だと思っていたのですが、叩き物はちょっとねえ。
 でも、プロ野球もテレビで観てみると、蓮實先生がおっしゃっていたように、「内野席やネット裏の客まで全員メガホン?」なわけで、その昔、私が足を運んでいたときには、内野での鳴り物はダサかったというか「鳴らしたい奴は外野に行けば?」という雰囲気でした、すっかり変わってしまったのですね。
 外野席にいると、内野のほうの音(投手の投球が、バシっとミットに納まる音とか)がちゃんと聴こえませんし、なにしろ遠くてよく見えないわけだから、ドンチャカやって「こっちにもボールよこせ」と主張するのはわかるのですけど、内野席にいると、打球や投球の音がちゃんと聴こえますから、せっかく高い金払って現場に行っているというのに、それがメガホンばしばしの音でかき消されてしまったら、意味ないじゃないですか。
 そして、内野席に座っている人だけに権利があった「ヤジ」(けっこう選手に聴こえているらしかった)も、あの騒音の中ではどうなっているのでしょう?

 で、話は長くなりましたが、最近はプロ野球にも、バレーボールにも興味ないんで、どーでもいーのですが、そんなわけで「他に観るものないから」と思って「まあ、韓国戦だし、盛り上がっているのかな」と思って観てみたんですが、私をブロックしたのは、フジテレビ的スポーツ中継とはまた別のものでした。

 「日本生命」がオフィシャル・スポンサーなので、CMごとに、「長谷川京子のニッセイのCM」になるのに耐えられなかったのです。
 長谷川京子については、特に好きも嫌いもなかったのですが、なぜかあのニッセイのCMには耐えられない。
 バレー中継じゃなくても、けっこうオンエアされてますが、たまに観る分には我慢できても、毎CMごとにあれだと、ほんとにうんざりする。

 シロートさんが保険について語って、それをハセキョーが「うんうん」と聞いてるだけなんですが、シロートさんたちが、ほんとに「そのまんま」な風情で(綿密に作られていると思うが)喋っているのに、聞き手のハセキョーがすげえ不自然なので、気持ち悪いのです。
 メークも濃すぎるし、髪形も変だし、服装もラフっぽいんだけど、なんか変で、しかも立ち姿だけが妙に自然体というか姿勢が悪く見えるのだ。モデルのくせに猫背に見えるのはなぜ?あの立ち襟が悪いとも言えるけど・・・・・(あまりにキモいので原因究明のため細かく観察してしまったのである)
 藤原紀香なんかは、存在自体が不自然の極みなので、ドラマでの演技は最低だけど、CMだと、なんに出てもハマるのだが、長谷川京子はちょっとなあ。

 ああいう濃い顔の美人は、もっと押し出しのいい性格設定しないとダメだと思うんだけど。それのいい例が柴崎コウ。あのくらい野蛮な雰囲気で攻めたほうがバランスがとれると思う。昔だと葉月りおな(漢字わかりません)かな。
 長谷川京子がファッション誌のモデルから、どのような経緯で全国区になったのか知らないのだが、女優として売るつもりだったら、もうちょっと考えないと、長谷川理恵の二の舞だと思うぞ。(最初、区別がつかなくて混乱した)

 まあ、私が世間とはちょっと趣味がずれているので、あのままでも伸びるのかもしれないけど。

 そういえば、なんだかんだ言っても、ここんとこちゃんと観ている「冬のソナタ」ですが、先週は素晴らしかった。
 もう、クサい伏線が全部バシっと決まっていて、タロットカードが出てきた瞬間に「くううう」と悶絶してしまいました。

 で「このまま、この調子で突っ走るか?」と期待に胸を膨らませて昨晩も見たのですが、昨日の回はつまんなかった。かなり波があるようだ。その不安定さが癖になるのかもしれない。阪神ファンのキモチみたい。


 さーて、またダラダラ書いているのは天気が悪いからである。
 今日しか休みがないので、昨日帰宅してから沢山洗濯して干して「明日の午前中には乾くだろうから、午後にもう一回洗濯しよう」と計画してたのに、小雨だよ。
 昨日の洗濯も全然乾いてない。悲しすぎ。

 なので、掃除も身に入らないのだ。
 だから、ついついパソコンに向かってしまうのであった。
 でも、午後に近所のスーパーに買い物に行ったのだが、住宅街は通行人も少なく、雨も霧のようで、そしてまた樟脳臭が漂っていて、「住宅街で森林浴!」と、少しだけ気分が上昇した。

 夕方のNHKニュースをぼんやり見ていたら、イラク捕虜虐待やチェチェンの大統領暗殺など、「あんまし楽しくないニュースばっか」とどんよりしていたら、最後のほうの穴埋めニュースで、
 「オランダのアムステルダムで環境省の塀が草で覆われました」

 え、え、え、草って「あの草」のこと?
 と、身を乗り出してしまったのであるが、残念ながら環境保護団体が抗議のために、「単なる草」で環境省を緑で覆っただけでした。なーんだ、がっかり(笑)


表紙に戻る / 過去の日記を読む