可燃物な日々

表紙に戻る/過去の日記

ご意見・ご感想・誹謗中傷などございましたら、感情廃棄物再利用所までどうそお気軽に書き込んでください

5月15日(土)

 出勤。総務部は全員出勤していた。「今月、休み少ないもんね」と互いにエールを送りあった。そんなエール交換やだ。

●「負け猫」

 ふと、「こんなのもう、他の人が提案してるだろうな」と思って検索してみると、かなり多くの言及があった。
 ただ、「負け犬」と同じで、猫の飼い主にとっては一般的な言葉で、どっちかというと「繋がれている犬」よりは、放し飼いの猫のほうが現実的に「負け猫」になることが多いので、フツーに使っていることは知っていた。

 だとしたら、オリジナリティーを出すために、「負け○○猫」とアレンジする必要がある。
 (別に、そんなんで「検索しても1個だけしか出てこないぞ!」にこだわる必要もないが)

 「負けイリオモテオオヤマ猫」

 うん、いいかんじだ。とても言いにくいし、希少価値も高そう。でも、それを名乗るのはちょっとおこがましいかも。
 と、いろいろ考えたあげく、いいのを発見した。

 「負け招き猫」

 これの発音の難しさは、かなりイケてるだろう。「まけまねきねこ まけまねきねこ まけまねきねこ」
 発音するのも難しいが、こうして書いていても、指が噛むほどだ。(♪あなたの噛んだ 小指が 痛い)

 これを名乗るのは大変そうだ。「わたし、まけまねきねこ だから・・・・・」と言い切れる自信が全く無い。

 うーん、こうなったら「負け犬の遠吠え」のパロディとして(「エビボクサー」のパロディ映画「イカレスラー」ってのもあるらしいし)「負け招き猫の爪研ぎ」という本を執筆して、「負け犬・・・・」の半分くらい売れたら、世間を別の意味で困惑させられると思うが、いかんせん書く内容が全く思い浮かばないので、どなたか挑戦したい人がいたら、勝手に使ってください。

 でも、これキャラクターにしたら、「たれパンダ」くらい売れないか?(トラタヌってます)
 招き猫の、あのおいでおいでの手のムキを上向きにして、要するに、ブリッコというか、今だとカバちゃんみたいなオカマタレントが「いや〜ん」というときみたいにして、それを西洋人が手のひらを上にして首をすくめる「お手上げでぃ!」なニュアンスにしたら、カワユクないか?

 「負け招き猫」を画像化するセンスに恵まれなかったので、大金を逃したのかもしれない。画像化してくれる人がいたら、どうぞ勝手に使ってください。
 あと、ついでに「カモネギ君」もキャラ商品にしませんか?ヌイグルミにしたら、そこそこ売れそうだと思うんだけどなあ。

 なんか自分の才能が怖くなってきた。おもちゃ会社とかに勤めていれば、「経理課出身のヒットメーカー」とかになって、朝日新聞の土曜版だか日曜版を飾れたのかもしれない。惜しいことをした。(トラタヌ度が熱烈上昇中)

●昔通った変な歯医者

 うちの弟は下の歯のほうが前に出て噛んでいるという「ふせいこうごう」だった。母方の叔父もそうだったらしい。
 それで、たまたま近所に同じ噛み合せのお嬢さんがいて、「うちが通っているところでよければ紹介しますよ」と言ってくれたので、当時はまだ珍しかった「歯の矯正」に通うことになったのである。

 弟は男の子だったので「美容的にはどうなんだろう?何十万か、かかるらしいし」と親も悩んでいたが、「大人になってから、『なんであの時!』と言われても手遅れだから、親の責任として投資しておこう」と決断したのであった。
 なので、母も頻繁に一緒に行っていたが、「なんか、けっこう飄々とした、いいかんじの先生」という評価を受け、そして、ついでに治してくれていた弟の虫歯の治療もけっこう丁寧で腕がよかったし、値段も安かったようなので、私が高校生のころ「虫歯がぁ」と言ったら「じゃあ、あの先生のとこ行ってみれば?」と母が電話して「姉娘の虫歯もよろしく」と予約をとってくれた。

 今だと「矯正」だけで経営するもんだろうけど(10年前くらいに知人が矯正したときに、歯を抜くことになって、矯正歯科医は提携している普通歯科医を紹介してそこで抜くように支持していた。資格的には抜いてもいいんだけど、血を見るのが苦手で「矯正歯科」になったらしい)、当時の千葉の船橋である。そこの医者も矯正がメインであるが、その他の治療もしないと経営が成り立たなかったのだろう。

 大した虫歯でもなかったので、最初に行ったときに削ってから、なんか型を取られて、空いた穴に仮詰のゴムみたいなののを入れて、初回は終了。「次回は1週間後」

 そして、予約の日にまた行くと、出来上がっていた「詰め物」をまず入れて、「はーい、噛んでみて。どう?」で、また外して、ちょこちょこっと削って、また噛んでみて・・・・・と普通の「大したことない奥歯の虫歯の治療法」であった。

 ところが、詰め物がしっかりはまって固定したあとに、また「はーい、口をあけて」と何か噛まされた。
 「あれ?もう詰め物は入っているのに・・・・」と思ったが「もしかして、まだ虫歯があって、これだけじゃ済まないのかな?」と思って、何も問わずに口をあけて素直に噛んだ。

 かなりそのまま放っておかれた。その歯科はいつも演歌が流れていて、ぼーっと待ちながら、けっこういいスピーカーで流れる演歌は異様だった。そのときの印象で、その歯科医師は当時60歳くらいに感じたのだが、後で弟とその話をしたら(弟は、矯正がだいたい済んだあとにも、「身長が伸びているうちは」と言われて年に一回程度定期点検に行っていたし、就職したあと、その歯科医の側の独身寮に入っていたので、あるとき虫歯が痛んだので、その医者に「昔、矯正でお世話になりました」という素性を明かさずに行ってみたら、医者は思っていたよりジジイになっていなかったらしい)たぶん、そのころ40歳前後だったのだろう。

 今だと「説明責任がどうの」だからわからないが、昔の歯医者っていうのは、無口な人が多かった。
 その医者も、かなり無口な人で、しばらくしてから戻ってきて「はい、口をあけて」と噛んでいた何かを取り出した。
 そして、私を放ったまま、別室に行ってしまった。
 そして、別室からは、「カンカンカン」とか「キューーーーン」とか、なにかその型を加工していると思しき機械音が鳴っていた。
 「なんか、微調整してるんだなあ」
 と思ったが、でも、いったい何を調整しているの?

 37歳の今の私だったら「センセー、なにやってんですか?」と聞けるけど、17歳の私には、その一言が言えなかった。思春期でっすからね〜。

 先生がまた戻ってきて、またその型を噛まされた。
 そんで、また別室に行って「ぎゅーーーーん」

 「あたし、なんか、いきなり入れ歯になっちゃうのかしら」とだんだん不安になってきた。

 先生はまた戻ってきて、またその型を噛まされた。
 そして、「じゃあ、これでけっこうです」

 いきなり治療終了を告げられた。
 さすがに「さっきまでのは、なんなんじゃい?」と思って「あの、これで終わりですか?次回は・・・・」と奥ゆかしく聞いたら「ああ、なんか具合悪くなければ、もう来なくていいです」

 家に帰って、母にもその話をしたが「なんだったんだろーね?あの先生、けっこうオタクだから(という表現は当時も今も母はしないが、そんな意味のことを言った)なんかやってたんだろうね」

 あとで思いついたのだが、私の歯並びの「先天的異常」を歯型にとっていたような気がする。
 下の前歯が一本足らないのだ。学校の歯科検診でも、検診医がいっつも「あれ?」と言っていたので、ミラーを突っ込まれた不自由な口で「いっほん はりまへん」と訴えていた。
 昔、祖父母宅の近所にあった(鰻の老舗「野田岩」の並び)「名医」と評判高い歯科医に、母が何を思ったか、子供3人の歯を看てもらったら、全員「下の歯が一本足らない」ということが判明した。遺伝的ななんからしい。

 オチャメな母は「そうか、そうやって、100万年後には、人類は退化して、歯が無くなるのねえ」と笑っていた。(でも、歯欠け兄弟は3人いるのに、まだ1人しか子孫を作ってないので、この遺伝は存亡の危機でっせ)

 その矯正歯科の先生は、弟の歯が一本足らないということにはすでに気がついていたはずだ。
 そして、その姉がたまたま虫歯の治療に来て、診察したら「このコも同じ歯列」であることにすぐに気がついたのかもしれない。

 学会で発表するつもりで標本をとったのか、個人的な「歯列コレクター」だったのかわからないが、それ以外に「治療後に歯型をとる」ということの説明がつかないのだが、もし、この日記を歯科医の方が読んでらして、理由がすぐにわかったら、ぜひ教えてほしいものである。

 それで思い出したが、私が子供のころ、母が教えてくれた「今日のどうでもいいニュース」に、ある街医者の眼科医のところに治療だか検眼だかでやってきた若い女性がいて、検査してみたら「片目だけしき盲(・・・・・この単語も差別用語扱いなの?IMEだと変換されない。色覚異常とか言うのが正しいのか?)」で、医者は思わず「これは大変珍しい症例です。世界でもまだ数例しか報告がない!」と本人に告げてしまったら、患者さんはびっくりして、逃げてしまったらしい。

 と、書いてみると、「でも、普通は診察前に住所氏名を記入するし、保険証も出すだろう」と思ったが、とにかく母が伝えたところでは、その医者は「驚かしてしまってすいません。でも、本当に珍しい症例なんで、ぜひ、名乗り出てください」と呼びかけていたそうな。
 私は自分の「歯が一本足りない」というのがどの程度珍しい症例なのか知らないけど、もしちゃんと「学会で発表したいから」とか「論文を医学雑誌に載せたいから」と言われれば、「掲載されたら、その雑誌、私にも送ってください」と言ってよろこんで「特殊症例」になるけどなあ〜(医学の発展に役に立つなら・・・・でははく、単なる目立ちたがり屋)

 でも、せっかく送ってもらっても「げ、こういう論文誌って、もしかして全部英語?」という事態も、それなりに知恵のついた(「動物のお医者さん」で)今だと想像できてしまうけど。でも、自分の歯型が掲載されてたら、けっこう嬉しいと思うけどな。
 自分の尿道とか肛門だと、さすがに、ちょっと躊躇するけどさ。
5月14日(金)

●みゃーのちゃん&にゃおちゃん 負け猫二人組み フジロックへの道!

 ↑という題名にしました。すまんTさん、これはフィクションだから(笑)。
 でも、「このニックネームでは、犬っぽくないな」と思って「負けネコ」にしてみましたが、なんか語感が「化け猫」みたいなので、こっちのほうがいいね。

 さて、フジロックは今年は「3日間通し券」しか販売しないというのに、「最悪、金曜日だけの超大人参加!」と豪語していたにゃおちゃんであるが(彼女は私より稼ぎもいいし、自宅にいるのでかなりリッチ。なので、「大人○○」を得意技とする)、少し冷静になってみたら、「大人げ」を失ってきたようで、「よく考えたら、もう一泊してもいいんだよね・・・」と電話してきた。

 金曜日は休まないといけないが、土日はどうせ休みなんだから、土曜の夜も宿泊して、日曜日のヘッドライナー次第でその日は朝までいるという作戦もとれる。
 もし「キュアー」とかが決まったら、そうすることにしよう!
 私はどっちにしろ、彼女が土曜で帰っても、テントで宿泊して、日曜まではいるつもりだったので「テント券とっておいてね。そうすりゃ、日曜夜くらいはテントでもいいじゃん」

 などと作戦を練っていたのだが、にゃおちゃんは「フジロックの前の週のザ・フーもちょっとねえ、行くかも」
 「あれって、どこでやるんだっけ?」
 「新横浜の国際競技場」
 「げ、会社の近所じゃん。出勤にして中抜けできるよ。フーだけ」
 「フーの次がエアロスミスになったみたい。間にビーズとか挟まってたら、どうすりゃいいのだと思っていたんだけど」

 あれって、ビーズも出るんだったっけ?と思って、今日確認してみた。
 THE ROCK ODESSAY・・・・じゃありませんでした。日本語だと「おでっせぇ」と発音するが、昔、同名のクラブイベントがあり、知人の英国人が「ライシュー あでぃすぃ イク?」と言っていたのだが、一瞬誰もそれが何を言っているのかわからなかった。

 「え?なに?」「あでぃすぃ」「へ?」「ああ、来週なら、おでっせーのことだよ!」「そうか、おでっせーか」「???おでっせー?」
 そういう外人君たちも、日本人の彼女ができたころには「おでっせぇ いくぅ?」と流暢な日本語をあやつることになるので、その変遷を観察するのが楽しかったなあ。
 とか言ってないで、
 THE ROCK ODYSSEY

 ビーズなんで出てないじゃん・・・・あ、「稲葉」っていうのがビーズか、たしかもう一人は松本だったな。私だって、そのくらいの一般常識はあるわい。(と断言して間違っていたらどうしよう)

 そんで、たしかに、ザ・フーの後がエアロスミスになっている。
 しかし、よくよく眺めてみると、ザ・フーの前が「稲葉」で、その前がボール・ウェラーではないか!

 うわあ、これはキツいなあ。
 ある意味、見物とも言えるけど。
 しかし、チケット代1万4千円ですか。稲葉がいなければ1万円とかになるなら、そうして欲しい人は多いと思う。

 夏のロック・イベントも、こうしてウドーまで進出してますが、テクノ系もまた「WIRE04」をやるらしい。(動く絵がうざいので、リンクは携帯版にしました)
 こっちも、新横浜。去年は埼玉でやっていたけど、また横浜アリーナに戻ったのね。しかも「初の2DAYS」ですって。で、解散を発表したオービタルのラスト・ツアーが目玉らしいが、「オービタル解散ツアー」って、いったいどう反応していいのかわからない。
 何年か前のエレクトラグライドにも来てたよな。あれは初回だったか。幕張メッセの会場についたら、すでにもう終わるところだった。
 友人のマガラっちが「今だにあの眼鏡かけてんのかね?やつらも、あれはもう止めたいんだろうけど、でもトレードマークになっちゃったらかやめられないんだろうなあ」と事前に言っていたのだが、やっぱりあの眼鏡というか、懐中電灯付きゴーグル姿だったので、「ぎゃはははは」と笑っているうちにライブは終わってしまった。

 うーん、あれが見納めとなると、ちょっと観てみたい気もする。こちらは一日だけだと1万500円。
 でも、エレクトラグライドに比べると、WIREはけっこうボってると思うよ。

 というわけで、夏の音楽イベント・ブームに乗って、いろいろありますね。
 でも、あたし、グラストンベリーもラブパレも行ったしね(一生、ごく限られた人たちには自慢できる)

●愚痴りながらもちゃんと仕事しているあたし

 今日は他部署の会議に乗り込んで、「このお仕事がどう会計処理しているのか、みなさまも簡単に把握しておいてください」な説明会をした。
 そこの部署の方々は皆さん低姿勢で、説明前後に「よろしくお願いします」「ありがとう」の応酬を受け、気分わりーのであった。

 礼の言葉や労いの言葉なんて、いらないから、「おめーら、ちゃんと金稼いでこい!」とホントは言いたい。
 でも、言えないので、こんなとこで、ブツブツ愚痴ってます。人間が小さくて非常に好感が持てる。

●人間は小さいが小さいながらもそれなりに志はある

 あ、なんかノって来たじゃん。
 そう、私の仕事は、直接、会社の利益を動かさない。「総務」で「経理」なんですが、でも、個人的な趣味として、やはり職場は「明るくて活気がある」ほうがいいと思うので、それは実は性格的には辛いのだが、でも頑張って「明るい挨拶」などを心がけている。てゆーか、うちの会社「変なフレックス」なので、昼頃出社する人って、いつのまにか来てるんですよね。最初のころ、それが気に入らなくてさ。挨拶くらいしろよ、と言いたかった。

 でも、だんだん「中途採用」の人が増えてきて、「挨拶は基本」というか、それが全てでもこまったちゃんだが、とにかく、「フツー挨拶くらいするだろう」と思う人が増えてきたのはいい傾向だ。

 で、話は飛ぶけど、先日の査定面談で上司に「ミヤノさんは課長代理ですけど、経理課長はいないわけだから、実質、経理課長なわけだから、経理課をもっと盛り上げるように」と言われたが「あの〜、課長の給料もらってないのに、そーゆー要求だけ、するんですか?」と真っ当に思ったけど、でも別に課長になりたいわけでもないし、とにかく今はキャッシュが苦しいので、「オラオラ、みんなちゃんと稼げよ」と言いたいキモチは、役職がどうのではなく「人として」言いたいのであるからして、「上司がそう言うなら、ちょっと無理して、なるべく暴れるようにしよう」と思ったので、ハイジやクララがやっていることにもビシバシ首をつっこんで、あれこれ言っていると、不思議とそうやると向こうもなんか言いたくなるらしく、特にわかりやすいハイジは、あれこれの質問をすぐに私に確認するようになったので、わたくし的にはやりやすくなった。

 「これはどうしたらいいのでしょう?」とすぐに聞いてもらえれば、わたくしはかなり無理をしてでも、ベランメー調で「おお、君はいいところに気がついたね。これはそもそも・・・・・(歴史的経緯を語る。長い)・・・・で、多分、部長のTさんもこれの問題点については今はすっかり忘れてる。私も気がついていたが、面倒だらか見て見ぬふりをしていた。よっし、ここでいっちょ、気がついてしまった君がなんとかしてくれ!」
 「まじっすか?」
 「君ならやれる!」

 と部下を盛り上げているのでございます。
 わかっていたけど、こっちがハイテンションで、ギャースカ言うと、相手もテンションがあがるんですね。

 でも、とても疲れるので、あと1ヶ月くらいこの調子でやったら、またダウナー状態に戻りそうです。

 ところで、会社勤めをしている人にお聞きしたいのですが、他人の机のそばに言って、なにやら話をするときって、その相手が「自分より上」だった場合が多いようですが、すぐ脇にしゃがみ込んでコソコソと話す人って多いのですか?
 前に、日経のネット版で「上司操縦法」みたいな記事でも「そうすべき」と書いてあったので、「世間では、これがマナーになっているの?」と首をかしげた。

 私自信は、上司だろうが同僚だろうが、席についている人に話す場合は、真正面から向かっていく。
 特に、偉い人は、壁を背にした机に座っているので、回り込んで、横にしゃがむのはOUTだと思っていた。だって、他から画面見えてない人はもしかしたら、麻雀ゲームとかしてるかもしれないじゃん(笑)

 だから、私は、壁を背にしている人が「ちょっとこの画面見てくれる?」と言うまでは、周りこまないようにしていたのだが、最近、入社してきた新規業務の人たちは特に「客商売」であるから、なんか話すときに、その相手が私であっても、片膝ついてしゃがむのである。真横に。

 「それって、なんかホストじゃん」と思うのだが、まあ、たまに、「この請求書、しまいこんじゃって、催促が来たので、すいませんけど、すぐに払ってもらえます?」というような「大きな声ではいえないが、切実なお願い」を持ってくる社員が私の真横で「おねがいプリーズ」な片膝をつくということはあるんだけど、それほど切迫した用事じゃなくても、横で片膝つかれると「なに?なんか大変なことなの?」とこちらがビビるので、やめてほしい。

 私はエバりんボのオジサンではないので、あまりヘリクダられても嬉しくないということをどうやって表現すればいいのだろうか?

 たしかに、他人の目線より低い位置にいるというのは、ひとつの戦略なのかもしれないが、なんか大したことないことでもそれをやられると、とても不愉快なのである。

 だって、真っ当な依頼だったら、ちゃんと同じ目線で話すでしょ?
 だから、真横で片膝つかれると、なんか逆に「そうすれば、あの人は思い通りにやってくれる」という、傲慢な感じがして、すごく嫌なので、いつも不愉快な表情で応戦するのだが、それに気がついてくれないのだ。

 こっちも同じやり方で対応すりゃいいのか。私が彼らの真横にへたり込んで「あの〜、申し訳ないんですけど〜」なんて言ったら、かなりビビるだろうな。
 でも、なんかあの体勢ってかっこ悪いから、私にはできない。
 それをやると、相手がなんか勘違いして喜ぶんだったら、やるけどさ。

 こっちがちっとも嬉しそうじゃないのに、あの体勢で挑んでくるひとは、なんか邪悪な気配を漂わせているのだ。
 単なる癖なのかもしれないけど、でも相手の反応をちゃんとわからない人は社会人として、というか会社員として2流だと思う。

 一流のホストだったら、「この客は・・・・」と分析して、片膝ついてチヤホヤするか、それとも「びっち」呼ばわりしてビシバシやったほうが効果的が、ちゃんと読むと思うので、「それができないこいつらは、やはり金を稼いでくる見込みは薄いのかも・・・・」と経理的には暗澹とした気分になるので、なんとかしてほしい。
5月13日(木)

 がーーー、また仕事の愚痴が溜まってきたな。
 それも「バカモノ!」と喝を入れたくなるような明快な問題でなくて、なんだかビミョーなのが多いんだよな。

 いつも思うのだが、なんで多くの人は「この仕事は何のためにやっていのか」という理由とか「どうしてそんなヤヤこしいことになったのか」という歴史的経緯を全然考えてくれないのだろう?

 うちの会社は、たくさんバイトを抱えているのだが、その管理者が支払い処理をしているクララと話をしていて、「なんで、こういう源泉方法なの?」と話しているのを小耳にして、びっくりした。クララがわかってないのは最近気がついたので、「今度、それについて時間とってレクチャーするから」と話していたのだが、2年前にバイトへの支払を集計するシステムを作ったので、もはや誰もその集計方法がなんでこんなに複雑怪奇なのか忘れてしまったらしい。もしくは、元々全然興味なかったのか。

 だいたい、みんな「源泉徴収」に興味ないんだよな。まあ、自分が経理だから少しばかり詳しいだけだけど、みんな年末調整ってのは「わーい、臨時こづかいだ〜」って喜んでるだけで、その昔やはり不況な会社で経理をしていた父が苦々しく「みんな年末調整が多いってよろこんでいたが、ボーナスが少なかっただけなのに・・・」と言っていたのを思い出す。あのころ私は中学生だったので、その意味がよくわからなかったけど、後になって社員に年末調整還付金を用意する仕事に就いたときに、父の言葉を記憶の底から再発見したのであった。

 もー、全員、確定申告にすりゃあいいのに。
 でも、サラリーマンを無知なままにしておいたほうが都合がいいんだろうけどさ。
 説明しても、みんな「自分には関係ない」って顔するのがムカつく。でも、住宅ローン減税とかはちゃんと勉強していたりするので、そのアンバランスさもよくわからんのであった。

 ところで、議員さんたちの「年金未納問題」はなんだか、ユダヤ人狩とか赤狩りのようになってきましたね。
 でも、今のタイミングだと「年金の未納があると、犯罪者扱い」という気分が蔓延していると思うので、20年くらい遡って払えることにしたら、けっこうな金額集まりそうです。今払えば「未納だったという証拠は消します」って宣伝すりゃあいいのに。議員さんじゃなくても、ふだん「エラソーなことを言っている」人たち(評論家とか、平和を支持するミュージシャンとか、ワイドショーのコメンテイターとか)も、「なんだかんだ言ってても未納」と言われるのは怖いので、慌てて支払うような気がする。

 また仕事の愚痴に戻る。
 「去年の秋から今まで、○○の関連でいくら支払って、お客さんからいくらもらったか教えてください」と言ってきた社員がいた。(クララが応対したのでほっといたけど。実はそのプロジェクトの収支は密かにハイジに監視させてる)

 いや、ちゃんと収支表を作ろうとしてんだろうけど、そのプロジェクトが開始してから半年以上経過してんのに?
 理解不能。
 それよりも、そこのリーダーが支払いとかをちゃんと監視していないのか?
 私がそのリーダーの「マネージャーとしての資質」を疑っているので、ハイジに監視させているのだが、今日確認してきた社員は、そのリーダーにまず確認すべきであろう。

 それで担当者が作った収支表がきちんと合っているか、細部で何か訂正がなかったか、確認するのならまだわかるけど、ひょっとして、あそこのチーム、誰も収支を把握してないの?

 なんだかよーわからん。
 私が昔勤めていた会社で、CM部のアシスタントをしていたときには、ちゃんと担当者は経理に支払を回した請求書のコピーを持っていて、それで収支表をきちんと作っていた。それが当たり前だと思っていたので、今の会社では、「支払依頼書」というものが存在しないので、みんな請求書をそのまま持ってきて、何も控えてない人が多い。中には、内容の確認もしないまま、封も開けずに経理に持ってくる人もいる。

 要するに「社員が数人だったころの名残」をひきずっているのだが、でも、支払先に「請求書は経理宛に送って」と指示する人が今だに多くて、「これは誰が担当したのか?そもそも、内容は何?」と、心当たりをあちこち当たらないといけなかったので、それに関してはハッキリと文句を言いつづけて、少しは改善したのだが、世の中には「オレオレ詐欺」よりもずっと前から、会社に嘘の請求書を送りつけ、「気がつかないで振り込んでくれたらラッキー」という詐欺が多いということを全然想像してくれないんだもん。

 詐欺っていうか、よくある手口は、まず雑誌を送りつけてくる。「税務協会」「○○研究会」とかもっともらしい名前で。そんで、しばらくすると、請求書が届く。だから、厳密に言うと詐欺ではない。でも、年間購読料は数万円〜20万円くらいだったりするので、普通は「おかしい」と思うが、でも、そういうのを平気で経理に持ってくる人もいるのだよ。

 「○○協会」ってなっていると、何の疑いも持たないみたい。
 もちろん、お役人の天下り先になっているらしい、由緒正しいボッタクリをする「○○協会」も多いんですけどね。なんにもしないくせに協会費だけは毎年請求してくる。

 ムカつく話はこれくらいにして、この季節、私が控えめに愛しているのは「神社とかから漂う、木のなんかの香り」である。樟脳臭いというか、あれこそが樟脳なんだろうけど、プールの塩素臭とも似ていて、なんだか好きなのである。プールの塩素臭が好きなのって、変かな?
 どうも、ああいう「消毒系」の匂いが好きみたいで、前にもアロマオイルに凝ったときにはユーカリを愛用していて、うちに遊びに来た友達に評判悪かった。
 だから、湿布の匂いも好きだし、メンソレータムも大好き。
 「匂わない湿布」なんて、つまんないというか、効き目が半減してしまいそうだ。あれはアロマ効果もあると思っている。

 ええと、また話題は変わりますが、昨晩、某友人からメールが届いた。「誕生日なので、メールくらいくれてもいいのに・・・・」

 というわけで、この場を借りて「おめでとうございます」と言っておくけど、でも、私が他人の誕生日なんてさっぱり覚えてないことにいいかげん気がついてくれてもいいと思うけど・・・・・

 はっきり言うと、私は自分の誕生日以外は、イエス様の誕生日しか憶えてない!
 あと、なぜか、4月8日になると「お釈迦様の誕生日だ」とふと思い出すという、変なバランス感覚を持っているが(笑)
 それ以外は、親兄弟の誕生日も正確には憶えていない。ただ、さすがに「何月か」くらいはだいたい憶えている。
 あ、あと、知り合いに「みどりちゃん」がいるんだけど、彼女の誕生日は「みどりの日」だから忘れない。彼女が生まれたときには単なる「天皇誕生日」だったのだが、人生の半ばに「その日はまさに私の日」になってしまったという超ラッキーな人である。

 あと、学生時代の友人に「12月12日生まれ」がいて、「いっちに、いっちに・・・・か」と思ったので、憶えている。昔、「ああ、今日はいっちに、いっちにの日かあ」と思ったら、その友人のことを思い出したので「おめでと」とメールを送ったら「よく憶えてましたね」と返事が返ってきたっけな。

 そのくらいかな、ちゃんと憶えているのは。
 前にも職場で喋っていたら「こいつは自分の子供の誕生日をちゃんと憶えてない」と笑われている人がいて「うーむ、うちの父ちゃんもそれっぽいぞ」と思ったし、自分は父の誕生日を憶えてないのでお互い様なのだが、家族の誕生日を憶えてないというのは珍しいことなんだろうか?

 でも、なんでこう数字を憶えるのが苦手なんだろうな。歴史の年号だって「いい国作ろう鎌倉幕府」くらいしか憶えられなかった。あと、「226事件」が「2月26日」だということもわかる。何度も書いているが、電話番号も今だと自宅と会社しかわからなくて、実家のは今だにうるおぼえである。でも、世の中のほうが私に追いついてきて、携帯の普及でみんな電話番号など覚えなくなったが、昔はけっこう何個も記憶している人が多かったと思う。
 そういう人は会社で「短縮ダイヤルをつかうと番号覚えなくて、外に出たときに不便だから」とか言っていたが、私は短縮番号を憶えるだけでも大変だった。

 なんか今日は異常に眠いので、早く寝よう。でも、こういうときって、スルっと眠れなかったりするんだよなあ。
 でも、今週も恐怖の6日間出勤である。まだあと2日あるからして、寝られるときに寝ておかないと、週末は遠い。  
5月12日(水)

 先日、TさんやMちゃんと会ったときに「フジロックどうよ」と話していたのだが、Tさんが、やはりルースターズの出演に心穏やかではいられなくなったらしく「一日だけかもしれないけど、行く」と「大人」参加表明した(今年のフジロックは3日間通し券のみ発売)ので、「じゃあ、私も行く!」

 なんかいきなり行くことになった。

 人生ってこういうもん(まだチケットとってないけど)
5月11日(火)

 世間ではWINNY事件が話題ですけど、少し前から私のような下々の「ITな人」でもその名前を知っているくらいになりましたが(「クローズアップ現代」でも取り上げてたし。スポーツクラブで自転車漕ぎながら観た)、でも、どうしても、どうしても「ウィニー」って言われると「ウィニー・キング」を思い出して、「パーム・ビーチ・ストーリー」をまた映画館で鑑賞したいなあ、なんて呟いている自分が小憎らしいことこの上ない。

 そんな、スノッブな私が今ハマって読んでいるのが、蓮實重彦の「スポーツ批評宣言」なのでありますが、これ、本当に笑えます。私は夜中に酔っ払うと「笑える本」か「泣ける本」を読んで、泣いたり笑ったりするのが大好きなのですが、この本も「笑える本」に追加しておこう。
 ちなみに、その他の「笑える本」はマイケル・ムーアの「バカでまぬけなアメリカ白人」や、中野貴雄の「国際シネマ獄門帖」や斎藤美奈子の「あほらし屋の金が鳴る」などです。
 「泣ける本」は、大島弓子「秋日子かく語りき」「つるばら つるばら」と、伊藤愛子「ネコの街角物語」(←たぶん、入手困難本)と漫画が占めています。

 「スポーツ批評宣言」というか、蓮實重彦のスポーツ漫談は、この本の中でもご本人達が言っているように、一部ではかなり評判悪いみたいですけど、オジサン達、敵がいると燃えるみたいで、自分らに関心の無い人たちの悪口も言い放題ですが、自分らを攻撃した人の悪口にはさらに磨きがかかっていて、そのあたりの「芸」は、ちょっとだけ「渋松対談」を思い出させます。

 そうなんだよね、蓮實センセーのスポーツ談義は、(「渋松」+「ナンシー関」+「自分の友人達のスポーツ放談」)÷3 なんで、私にとっては面白いのです。
 「高みの見物」とか「知識人のお遊び」と言う批判もあるようですが、でも、この人たち、「渋松」がロックを聴いて、「ナンシー」がテレビを観て、「自分の友達」がプレミア・リーグやW杯を観戦したと同じくらいの現場感覚がちゃんとあると思います。

 蓮實重彦は、野球・・・・じゃなくて、ベースボールはちゃんと球場で観戦したという自信に満ちておりましたので、サッカー・・・・じゃなくて、フットボールに関しても留学中や出張中にけっこう観てるんだけど、それ書くと自慢話になるので、なるべく避けているように構えていても、ついつい自慢しちゃうみたいです。

 で、その昔、蓮實重彦の映画批評はそれなりに読んだのですが、その内容についてはさっぱり忘れましたが、一つだけ心に残ったのは「面白いもんは面白いが、つまらんものはつまらん」ということです。って、それじゃ、当たり前ですけど、要するに、結局最後に残るのは「うわぁ〜」と思ったキモチだけである、ということかな。

 それは、大学のときのある講師にも教わりました。たとえ、クラシックや古典芸能に精通してなくても、公演を観て「うわぁ〜」っと思ったら、それは優れたものであって、たとえ世間で高い評価を得ているものであってもそれを感じなかったら「たまたま」なのか「いつも」なのか知らないけど、そいつはダメってこと。

 そういう、「うわぁ〜」(を連呼しているとバカっぽいが、これしか言いようがない)なことを蓮實重彦は「運動」と呼んでいるようだ。そして、そういう「うわぁ〜」を全く顧みない今の日本のスポーツ・ジャーナリズムはダメだと言いたいらしい。

 この本でもとにかく面白いのは、前にも「ユリイカ」に掲載しているときに思わず買ってしまった「W杯直前!ボロクソ対談」で、私はボンクラだから気がつかなかったが、この本には「W杯後」の対談(渡辺直己との)も載っていて「ほーら、おれらの言ったこと全部あたっただろう」と調子に乗ったセンセーは、書き下ろしで「ほーら、だからカーンは最後にはポカするんだっちゅうに」と気炎上げてます。爆笑ものです。すいません、私もカーンがそんなトラウマ抱えているなんて全然知らなくて、ただ見かけの面白さで注目してました。髪の毛の色が趣味だったし(笑)

 さて、この本を読んでいて、私もスポーツに対して何か語りたくなったのである。
 草野進の本が出た当時は、けっこうプロ野球にも興味があったので、あのときも大爆笑したが、でも、そこそこの野球好きだったので、「野球の醍醐味は三塁打」なんて記述には激しく納得したりした。私も、小学校高学年のときに野球が好きで、中学校のときはソフトボール部に所属していたりしていたのである。だから、女子には珍しく「タッチアップ」などの基本的ルールを知っているのである。

 残念ながら、サッカーに関してはドシロートのままで、最初に「サッカーってけっこう面白いんだな」と思ったのが、W杯だったので、その後に「W杯はサッカーとしては特殊な場である」ということに気がついたのだが、でも、あれがサッカーだと思ってしまったので、その趣味は10数年たった今でも引きずっている。
 でもちゃんと「自分が好きなのは、フットボールじゃなくて、W杯」だということに気がついているだけ偉い・・・・はず(笑)

 では、プロ野球の話を始めましょう。また、前置きが長くなっちゃったよ。

 初めてプロ野球を観戦したのは、小学校6年だか、中1だか忘れたけど、とにかく、巨人阪神戦で、しかもGWで、阪神のピッチャーは小林繁だった。もちろん、東京ドームではなく「後楽園球場」である。

 なんで、観にいったかということを説明すると話は長くなるが、昭和史を語る上で重要かもしれないから書いておくと、当時はまだ、GW=家族旅行 というところまでは皆さんリッチでもなく、でも安月給のサラリーマン家庭でも「子供を連れてどっかに行かないといけない」という強迫観念が浸透しはじめたころだったと思う。

 うちの母親が、これといった「家族サービス計画」を建てられない父をなじった。
 父は東京下町生まれの一人っ子であったので、それなりに可愛がられて育ったようだけど、その両親はちょっと変わった人たちで、父の父のことはよく知らないが(母が私の妊娠に気がつかないときに癌で他界)、今だに健在な祖母は、世が世なら立派なヒッキーになったであろう「生まれつきの出不精」であったので、一人息子をあちこち連れて出かける才覚には欠けていたのだろう。
 逆に、2年前に亡くなった母方の祖父は「田舎から出てきた奉公人」であったが、新しもの好きで、私が子供のころも8ミリとか抱えていたけど、休日ともなれば、妻や子を引き連れて、「東京の新名所」に出かける人であった。
 祖父が立派なジジイになっても「筑波の科学博」や「横浜ランドマークタワー」などに行っていたのである。
 祖父の自宅から徒歩で行けた六本木ヒルズが祖父の没後にオープンしたのが悔やまれる。

 そういうわけで「GWの連休」はゴロ寝&読書でいいや、とマイペースに考えていた父に向かって、母が「うちのお父さんなんて、休みの日にはいろいろ連れてってくれたんだから!」と文句を言った。
 そう言われても、父はいったい家族がどこに行けば嬉しいのか全然わからないので「じゃあ、たとえば、どんなところ?」と質問すると、「うちのお父さんは、よく巨人戦にも連れていってくれた!」と言うので、「わかった、野球が観たいんだな」というわけで、連休のある日、父は昼過ぎに本を持って後楽園球場の外野自由席の行列に並んだのである。

 父の葬式のときは、この話しようかな?

 まあ、たぶん、おっとりした父のことであるから、妻がギャースカ言うのを聴いているよりも、列に並んで本を読んでいたほうが落ち着いたのであろう。
 そして、夕方になると、母が3人の子供(私が12歳くらいだったから、弟9歳、妹6歳)を連れて、後楽園に向い、列に並んでいた父と合流して、「連休の巨人阪神戦」の外野席を確保したのであった。

 私はそれなりにプロ野球好きだったし、弟も当時、リトルリーグに参加していたかもしれない。
 言い出しっぺの母は巨人ファンというよりは「プロ野球はそこそこ見るけど、とにかく巨人の選手しかよく知らない」という、巨人軍黄金時代しかわからない人であった。

 さて、生まれて初めて体験する「生プロ野球」は不思議な空間であった。
 私はそこで初めて「いつもテレビで観ているあの映像は嘘」ということに気がついた。テレビのプロ野球中継だと望遠レンズでピッチャーの後ろからとらえるので、距離感があまりわからないのだが、ピッチャーとバッターの間は思っていたよりも長かった。

 そして、球場に足を運んだことのある人だったらわかると思うけど、けっこう静かなのだ。当時は、広島カープの応援団が「トランペット隊」を導入しはじめたころだったので、よけい静かに感じたのかもしれないけど、観客席のざわめきは、屋根の無いスタジアムだと天空に向かって抜けてしまい、なにかげームが動くと、「おおおおおー」というドヨメキが溜まるだけだった。

 「ここは大人の空間だ」と瞬時に理解した。具体的にどこが大人かというと、まず解説者の声がない。だから、外野から眺めていると、遠いところでゲームが展開していて、投手が投げているのがどんな球種なのかもわからないが、ストライクだかボールだかも瞬時にわからないのである。

 たぶん、どんなスポーツでも「現場」に行った人は、このアナウンサーも解説者もいない空間に最初は戸惑うと思う。ダメな客はイヤホンでラジオを聴いていたりするが。

 マウンドは遥かかなたにあったが、小林のあの投球フォームは遠くてもよくわかった。変だった。
 でも、その十数年後、東京ドームでローリング・ストーンズの公演を観たときに、キース・リチャーズがガシャガシャと派手にギターをかき鳴らす様子を観たときに「ああ、なんか小林っぽい」とか思った。

 そして、思春期以前だった私がオペラグラスを持って、釘付けになったのは、巨人の2塁手であった「シピンのお尻」であった。テレビじゃそんなもん、あまりちゃんと映さないのだが、シピンのお尻と長い足は12歳の私をなぜか釘付けにした。あの美しさはずっと忘れない。シピンの名と共に・・・・

 ええと、そんなことを書きたかったわけでもないんだよな、実は。
 あのときの巨人阪神戦は、「空白の一日の後」の出来事であって、小林がまんまと「江川を獲るかわりに自分を追い出した」巨人をピシャリと押さえたので、その後、しばらく「小林繁ファン」になってしまったということもあるけど、その後も、けっこう野球は観に行ったのだ。

 今でも、「プロ野球はちょっとね」と言う人には「でも、騙されたと思って、一度球場に行ってみれば?」と薦めている。やはり球場で観ると、それなりに面白いのだ。少なくともビールのつまみとしては上等である。

 だから、今でもときどき「プロ野球」を観たくなるのだが、私には、野球場に足を運ぶのを思いとどまらせる、大きな精神的欠陥があり、それが邪魔をしている。

●野球は観たいけど

 私はカミナリが嫌いです。
 だから、カミナリが鳴っている間は絶対に外に出ません。
 だから、雷鳴轟く中、平気で外を歩いている人たちは私にとって「あんびりーばぼー」なわけです。

 どんな高層ビルに囲まれていようとも、たとえ真横に東京タワーが立っていても、たとえ自分が東京タワーの真下に立っていたとしても、「ぜったい、カミナリは私に向かって落ちる」という確信を拭い去ることができないのです。

 そんな私が「野球場」で恐れるのは、ファール・ボールやホームラン・ボールです。
 ぜったいにアレは私に当たる。

 私は初めてプロ野球を観るまで、「硬球」を手にしたことがありませんでした。弟が持っていたのは、軟式ボールでした。試合が始まる直前に「ホームラン合戦」が始まりました。
 そのときに、あ〜んなに遠くのバッターボックスから、がんがんと打球が飛んでくるのです。
 それは凄い勢いでした。
 よくテレビで、ホームラン打球を奪い合う光景は見てましたが、「奪い合う前に、これに当たったら死ぬだろう」と確信しました。

 それでもなんとか冷静を保ち、「これだけ人がいるのだから当たる確立は低いだろう」と思って、すっかり油断したときでした、目の前に座っていた人が、さっと体を浮かして椅子から離れたのです。
 その人は、「打球を見る目」があったのでしょう。その人が座っていた席にホームラン・ボールが鈍い音をたててゴーンとあたり、真上に向かって跳ね返って、それを誰かがキャッチしました。

 あの打球が、あと20センチ上を飛んでいたら、私が直撃されてました。

 幸いにも試合中はそんなに外野には飛んでこないんですよ(笑)
 それに、きわどい飛球だと、場内が「うおぉぉ」となるので「来るか?」と構えることができます。

 それで、すっかり打球の勢いの恐ろしさを知ったのですが、その後、奮発して内野席に座ってみると、内野だとけっこうファールが飛んでくるのです。
 ある程度、球の見える人だったら、そんな心配しなくてもいいんだろうけど、野球のボールは思ったより、たか〜く飛びますので、内野フライと、観客席に飛び込むようなフライなファールの区別がつかなくて、高く舞い上がるたびに「ぜったい私の脳天を直撃する」と怯えてました。

 あの緊張感が野球観戦の醍醐味と言われれば、それはそうなんですけど、私みたいに気の小さい人はねえ。

 プロ野球観戦で「ここが一番いい席かも」と思ったのは、業界勤めのときに回ってきた「今日なんだけどさ〜」な内野席チケットでした。ヤクルト戦でしたが、一塁の上くらい。投手の投球の早さと、打球が真横に見えるので、ライトへのヒットとか本当に美しかった。
 一緒に行った会社の同僚は野球に興味もなく、外野で緑の傘を振っているヤクルトの応援を観て「あっちのほうが楽しそう」と言ってましたが、あの東京音頭に合わせて傘をふるのもテレビではよく観てましたが、生で観るとかなり美しくて「ここから観てたほうが楽しいよ」と思いました。

 そんなバブル当時の年間予約席のおこぼれでいい思いしたのですが、でも場所が場所だけに、ライナー性のファール・ボールがガンガン飛んできて、「すごくいい席だけど、ファールこええ」と、ビビリまくりました。
 その後、「バックネット席」も回ってきて、当日だったから当時四谷だったMちゃんの職場に電話して「神宮だけど、ネット裏。こんなの二度と回ってこないかも」と誘ったのですが、あの日は残念ながら雨天で、そのため試合後半になったら席を立つ人が多かったので、ほんとにテレビに映るネット裏まで進出してみました。その夜、帰ってからプロ野球ニュースいで自分の姿をチェックできたくらい。

 ボールが観客席に飛び込んでくるスポーツって他には無いですよね?
 サッカーだと、観客席に蹴りを入れるとイエローカードだし(故意のゲーム遅延)

 大学生のとき、何度かラクビーの試合を観にいったけど、あれも観客席にボールが飛び込んでくることなんてなかったので、安心して酒が飲めた。
 なんで野球だけが、あんなに危険なんでしょうかね?
 たまに、子供に当たって重体だとかいうニュースが出ますから、私が心配性なだけではないと思います。

 だいたい、その後、硬球も手にとってみたけど、あれは石ですよ。超硬い物体。

 うちの、父ちゃんが、巨人のピッチャーだった角の投球をテレビで見ながら、「左であの、真横から投げられたら、オレだったらバッターボックスに背を向けて逃げるな」と、ボソっとつぶやいたことがありましたが、球場でプロの投手が練習で投げてういるのを金網越しに眺めていても「こわい」としか言いようがありませんでした。
 右投げだろうが左だろうが、あの重い球が自分の体の脇を通過していくのにジッとしていられるわけがありません。

 「見逃しの三振」
 が、できるだけで凄いことなんだ。と思いましたもん。

 草野進&蓮實重彦の野球漫談で、私が超個人的に不足を感じたのは「球場に足を運べ」っていうアジに「たとえ、ファールチップが頭蓋骨を陥没されても!」っていう危惧が抜け落ちていた点かな。まあ、彼らは安い外野席の立ち見を愛用していたので、ファールの心配少なかったんでしょ。

 草野進&蓮實重彦の論評が気に入らなかったら、そのあたりが突っ込みどころだと思ったんだけ、私の「いつかファールボールに当たって死ぬ」症候群が特殊だったのか、私以外の人は全然そんなの気にしてなかったのか、そんな話題になったの聴いたこともないのが淋しい。

 映画もサッカーも観客が死ぬことはないんだけど(「パッション」で心臓発作ってのはまた別の話)、野球はけっこうヤバいんです。私も一度だけ「担架」を見ましたし。で、繰り返すけど、そんなスポーツは他には無いんです。
 強いていうなら、審判に槍が刺さってしまった槍投げくらい。(あれもゾっとした)

 そのあたりをもっときちっと書いてくれればね。

 でも、ファール・ボールにあんなに怯えているのは、もしかして、わたしだけ?って説も自分的にはあるのですが
5月10日(月)

●お詫びと訂正

 昨日の日記の中で「ジェイムス・テーラー・カルテット」と書きましたが、正しくは「コーデュロイ」(CORDUROY)でした。

 と、たぶん誰も永遠に突っ込んでくれそうもないであろう、マイナーな間違いなのが悲しさ倍増である。

●また案内の人に騙された

 また電車に乗って銀行に行った。前回行ったときには「外貨預金から外貨を下ろす」と言ったのに、整理券発行機の前で待ち構えていた案内の人が「ご相談窓口」の整理券とってくれたから素直に10数分待ったところで「あり?私の用件だと、外為窓口じゃないのかな?」と自力で気がついて、あと10数分無駄にするのを防いだ。

 今回は「残高証明書」の発行依頼である。某超大国のVISA発行に必要なのだが、VISAを取る本人に残高がないというので、「実際に金を支払う会社のものでも可」ということになったらしい。
 そんなドタバタした状況なので・・・・・そうだ、ついでだからこの件も愚痴っておこう。

 先週の水曜日は子供の日だが、出勤していたら、東京の事務所から電話が入った。
 「實は(昨日の名残でこの変換)、たいへん申し訳ないんですけど・・・・・」で始まったので、ま〜た面倒なこと頼まれるのかなあ、と覚悟して耳を傾けていた。「○○の件で、某超大国の○○ビザを取得していて、それが何日までに手続きを済ませないといけないのでとても急いでいるのですけど、その手続きに残高証明書がいるんですけど、それが200万円の残高がないといけないのです。でも、まだ口座にそのお金が用意できないらしくて、でも○日までにそれを出さないといけないので、困っていたのですが、その業務を委託している○○○(会社名)の残高証明でも可能だということで、そこにお願いしたんですけど、そこも残高がないらしくて、どうしようということになりまして・・・・」

 と書いてみると簡潔に思えてきたが、なんだかもっとダラダラと長く感じたので、私は「ああ、そういや昔はパスポート取るのにも残高証明いりましたねえ」なんて相槌を打って「實は私はけっこうそういうことわりと慣れているのよ」という表明をしたつもりである。もちろん観光ビザしかとったことないから、そういう観光以外のことはわからないんけど、でも「一般常識は持っているんだから、もっとサクっと話せ」という意思表示をしたのだが、通じなかったので、話はダラダラと続いた。

 で、「本人に残高がない」「委託した会社にも残高がない」というあたりで、先が見えたので(誰だって見えるだろう)、イライラしてきたのでインターセプトして「で?うちの会社でとりゃいいわけ?」と言ったら、「そうなんです、そうなんです、可能ですか?」

 あたしには全く理解できない。
 それが他所の社員なら、まだそういう言い方をするのはわかるけど、うちの会社の社員で、しかも、そのVISA取得に関する業務をずっとやってる人なんだよ?
 しかも、「残高が1億円ないとダメなんです」と泣き声で話してくるのならまだしも「200万円」の残高が無いはずないじゃん。
 それに、個人に「銀行に行って英文の残高証明とってください」ってお願いする立場の人が「企業だって、そんなもん簡単にとれる」ということが想像できないのだろうか?

 まあ、そういう意味でクドクド説明していたのもないのだろうけど、私に何か嫌味言われると警戒しているのか、それとも人に何かお願いするときに、必要以上にビビりモードで挑む人なのか(そーいえば、そーかも。彼がなんか依頼してくると、いっつも私のほうがビビルんだけど、たいてい大したことはもなかったりした)、でも、もっと簡潔に言えないもんかね?
 最初に「實は残高証明書をとってほしいのですが、しかも英文で」と言ってもらえれば、こっちは「なんで?」と言うけど、それで理由を説明してくれれば、こっち向こうの要求が「簡単なこと」だとわかっているから、ただ理由を確認したいだけだし、そもそも何を申請したいか先に話してくれれば、「理由」なんて必要ない場合も多いんだけど、でも、こういうふうにまず延々と「これまでの経緯」を説明して、こちらを必要以上にビビらせてくれる人は多い。

 前にも「實は、うちで働いていたバイト君が、今年の春警察官になったんだけど、その入社書類に以前勤めていた会社の・・・・」と言われると「いったい、どんな書類を作らされるの?」と警戒してしまうが、要するに「勤務証明書」が欲しいというだけだった。「可能ですか?」って、可能に決まってるじゃん。いや、ほんとは在籍してなかった人の嘘の書類作れっていうのなら別ですけど、「バイトのコの勤務証明書作ってくれますか?」って言われれば「そんなの作ったことないけど、なんで?」「警察官になるんで、いろいろ厳しいらしいよ」で終わりじゃん。

 まあ、自分でもそういうことあるかもしれないから、「大したことない依頼だったら、最初に大したことないことを表明しておく。要するに大まかに用件を言う。そんで、相手がなんか質問してきたら理由を語る」と、あたり前のことをわざわざ書いておいて、自分の胸の中にも刻んでおこう。

 結局、彼らは實は「残高証明」とか「勤務証明」がどの程度のレベル(困難度と重要度)のものか、わかってないというか、想像もしてないので、ただ「証明書というものは、なんだか大変なもの」という印象だけで話しているので、先にクドクドと状況を説明しないと、ちゃんと発行してもらえないと思っているのかな?
 でもさ、ちょっと想像すれば、たとえちょっと面倒なお願いでも、深刻な顔や声色で「お願いがあるのですが・・・」と言われると、相手が警戒するでしょ。想像っていうよりも、そういう場面は日常でも多い。
 私も上司に「ちょっとお話があるんですが、ここじゃなんなんで別室で」と言ったら、上司の顔がサっと強張ったので「いえ、いえ、大したことじゃないです、そんな顔しないでくださいってば。ただ、あんまり言いふらすようなことでもないんで」と笑顔で言ったんだけど、向こうは話を聞くまで不審そうだった。ほんとに大した話じゃなかったんだけどな。もうなんの話だか忘れたくらい。たしか、ずっとパートで働いていた人が、かなりフルに仕事していたので「この人、社会保険とかに加入させないとホントはいけないと思うんだけど、最初は短期の話だったから、そのままで2年経過してますが・・・・」という相談だったので、あまり他の社員の前で話したくなかっただけだ。

 あんときも、上司は一瞬、私自信の進退(笑)のことだと思ったような感じがしたので、「パートの○○さんの給与のことで」と軽く言っておけば、あんなに警戒させなくて済んだだろう。

 さて、話がまたどっかに行ってしまいましたが、その「英文残高証明書」が今週末には欲しいというので、先週の木曜日に銀行に電話して「依頼書を郵送してほしい」ことと、「すぐに発行してもらえるのか?」ということを確認した。そしたら、中一日くらい必要だというので、依頼書をまた郵送すると時間がかかるから、今日、窓口まで行ったのである。

 どの窓口に出していいのかわからなかったので、また案内の人をつかまえて「英文の残高証明書をお願いしたいのですが」と言うと、「じゃあ、あちらの窓口です」と普通の預金や振込の窓口を指すので、整理券を取ると、10人待ちで「20分待ち」という表示が出ていた。

 しばらくまた蓮實先生の「スポーツ批評宣言」をニヤニヤしながら読んでいたら、たっぷり15分は待って、私の番号が呼ばれたので窓口に出して「先日電話で確認したら、すぐには発行されないとのことでしたので、出来たら郵送していただきたいのですが」と自分の名刺も添えて出すと、「しばらくお待ちください」とのことで、また座って待っていたら、名前を呼ばれて窓口に行くと「英文ですと、あちらの外貨窓口ですので、あちらでまた整理券をとってお待ちください」

 ここでキレて、窓口で怒鳴りちらしておいたほうがいいのだろうか?

 と、真剣に考えたが、あまりキレるのが得意ではないので、「はあ・・・・」と歯切れの悪い返事をして、すごすごと外貨窓口に行った。幸いなことに、そこではほとんど待たされなかったのだが、いちおう、私なりに嫌味の一つも言っておこうと思ったのだが「あの案内係使えん!」と言うに言えなくて(損な性格)、「よくわからなくて、あっちの窓口でずっと待ってしまいました」と、外貨窓口のネーチャンにニッコリと微笑んでしまいました。

 いや、私が怒鳴らなくても、今日の反省会(?)とかで「違う窓口に並んでしまったケース」として発表してくれたら、それでいいのです、と思ったのですが、世の中そう上手くいかないだろうけど、でも、ズルい性格なので、あまり他人の向上のために労力(あれこれクレームをつける)を遣うのが面倒だ。
 で、前回も案内係りのミスを外貨窓口のスタッフがテキパキと対応してくれて救ってくれたのですが、今回もきちんと処理してくれたので、怒りは収まったのですけどね。

 でも、他人の些細なミスでいろいろ勉強にはなる。あの場合、普通窓口の人は、私に向かって「あっちです」と言うだけでなく、案内係りを呼びつけるべきであった。そりゃ、窓口の人は私が勝手に間違えたのか、案内係りが間違えたのか知らないだろうけど、でも、15分も待たされて「窓口違います」と言われると、すげーがっかりするわけさ。

 いや、それが、共産主義国の銀行だったり、バブルなときのタカピーな銀行だったら、全然構わないのだが、最近の経済ニュースによると、どこの銀行も何を勘違いしているのか「顧客サービスの質をあげる」ために、「窓口待ち時間短縮」に精をあげているではないか。だから、その銀行だって、わざわざ「何分待ち」なんて表示を出しているのだ。

 10日は納税日だし、連休明けの月曜日だから窓口が混んでいるのは当たり前なので、腹も立たないし、イライラもしてない。でも、間違って15分も待った客には、一言謝ってもいいと思うし、それに別の窓口に行けというのなら、ポーズだけでもいいから、普通窓口から外貨窓口に「お待たせしてしまったので」と申し送りくらいしてやれや。
 できれば、客に案内係をつけて、事情を説明して、もし外貨窓口のほうも待ち時間が長かったら、横入りさせてあげれば、こっちも納得がいくだろう。

 そう考えてみると、やはり怒鳴り散らしてあげるべきだったが、その気力がないので、会社としては顧客となっているが、個人的にはあの銀行に口座は作らない。
 逆に、昔やはり行員の対応が最低だったので、嫌いだった大手銀行があり、そこも今では別の名前になったが、今はかなりちゃんとした対応をしてくれているので、嫌な思いをしたことがなく、好印象を持っている。そこも最近は待ち時間短縮のために、いろいろ努力しているようだが、それがちゃんと機能してる。案内係りも自分ではよくわからないことだと、ちゃんと窓口で確認してから案内してくれるし。それが普通だよな。なんで、あっちの銀行にはそんな簡単なことができないのだろう?まあ、支店の規模も違うんだけど、でもねえ。
5月9日(日)

 う〜〜〜ちかれたびぃ〜(古い!)

 Mちゃんが数年前からハマっている毎年恒例の代々木での「タイ・フード・フェスティバル」に誘われたので、参加することにした。Mちゃんは昨日は別のメンツと行ったらしい。でも、夕方だったので、人気があるメニューは売り切れていたブースも多かったとか。

 とにかく、屋台が沢山あるので、どれを食べるか選ぶだけでも一苦労だし、あれも食べたい、これも食べたいと思っても、全部食べらるわけでもなく、タイに行ったときに「どうして食べられる量には限界があるのだ!早くお腹空け!」と、同じ地球上に住んでいても満足に食事できない人が大勢いることなんて全く顧みない贅沢な不満を噴出していたが、昨日今日の代々木でも同じ悩みに悶絶していた人は多かったと思う。

 まあ、それでも3人でいろいろ買って、ちょこちょこ食べては、物産系ブースに行って、主に私が「象グッズ」に散財し、それで小腹をすかしてから、また食い物を漁っていた。例年、かなりの人出らしいが、今年も幸いにも雨が小雨で途切れ途切れだったので、みなさん食べまくってました。
 あれ、一日で相当な現金が動いてますね。
 Mちゃんは「年に一度だけじゃ足りない。半年に一度やってほしい」と言ってました。

 さて、1時半に集合して、5時くらいまで歩き回ってたのでもうクタクタでした。その後、ライブに行く予定だったので、私だけ先に退散。クワトロに行く前に、HMVに寄ってみたのですが、「ローマン・ホリデイ」のアルバムを発見できず。三茶で見つからなかったので、渋谷なら、と思ったのですが、やはりマイナーだったか?(例の「UKルネッサンス」の企画再発)

 それから、カフェでお茶しながら少し足を休めて、6時半ごろクワトロに向かう途中で、レコファンがあったのでフラリと入ってみたら、そこでやっと発見。さすが渋谷ですわ。こーじゃないと意味ないじゃん!

 さて、最後に行ったのがいつなのかさっぱり思い出せないほど足が遠のいていたクワトロですが、Tさんに「もしかしたら、最後に行ったの、ラブロケのときかも(笑)」と言ったら「私はもうちょっと最近行ってる・・・はず・・・・だと思うよ」とか言ってましたが、それがなんのライブなのか明言していなかったので、私よりもライブ現役な彼女(ミッシェルとか行ってるし)ですら、そう頻繁に行かなくなっているのでしょう。

 そういや、TさんはGWにキューバに行っていたらしく「キューバの名物は3つしかない。ラム酒と、葉巻と、チェ・ゲバラ(笑)」
 まあ、名物が3つあるというのは、けっこうイケてるほうだと思いますけど、ゲバラは日本でも一時期「渋谷系アイテム」になりましたもんね。Tシャツとか売れてたし、映画もやってなかったか?

 全然関係ないけど、ゲバラTシャツの流行も「?」なかんじですが、まあビジュアル的にかっこよかったし、マオちゃんとかレーニンとかも時々思い出したように流行ますが、その昔、誰かが「若いかわいい女の子が、マンソンTシャツ着てた・・・」と言ってました。いや、別に、なんの絵のTシャツ着ようと自由なんですが、そのコが果たして「チャールズ・マンソンがどういう人物か」ということを知っていたのかはわかりません。

 さて、久々のライブ。去年のフジロック以来かも。
 新譜を出したばかりのステレオラブです。CDは何枚か持っているのですが、ライブに行くのは初めてです。
 でも、少し前に主要メンバーが交通事故で亡くなっているので、そのあたりはどう影響しているのかはわかりません。

 特に好きなバンドというわけでもないのですが、CDを聴くかぎりでは、私が昔、死ぬほど愛していた「80年代ニューウェーブ」の色合いが濃いというか、その色を今に伝えて、しかもけっこう売れているという不思議なバンドです。こんなもんがなぜアメリカでそこそこ売れているのか、とっても不思議。

 日本でも、こういうバンドこそ、渋谷のレコ屋が持ち上げるべきものですし、昔のWAVEだったら大プッシュしていたでしょうけど、でも逆に、渋谷以外のレコ屋などでもきちんと新譜コーナーに並ぶので、もはや「中堅どころ」の扱いですけど、こういうのを買って、ライブに来る客っていうのが、今の私にはよくわからなかったのですが、会場に一歩踏み込んでみたら、そこはフツーの20代の若者と、外人1割でした。昔と変わんないな。

 しかし、メンバーが地味。
 なんか全員「他に本職を持っている」という風情なのが、イギリス風です。
 ボーカルの女性はそこそこ美人だが、デカかった。他は全員男性だったのですが、まさに肩を並べてました。フランスの大女。いいかんじです。
 その横には、「本職はグラフィック・デザイナー」という風情&「君、ジェイムス・テーラー・カルテットにいなかった?」なルックスと電音いかれたハモンドオルガンちっくな演奏もそれっぽい。
 で、ドラムの太ったおじさんは消防士みたいだったし、その横にいるセカンド・キーボードはサイモン・シンでした。(私が心に描く、アメリカの一流大学で理系なインド系学生)

 ギターとベースは、ほんとにフツーの人。私が西洋人だとして、彼らのどっちかを両親に合わせて「結婚するの」と言っても、両親は特になにもコメントしないでしょう。「よさそうな人じゃない」としか言いようがない。

 で、ボーカルの彼女と、その横にいる男性は、二人ともホーンを演奏します。彼女はトロンボーン。彼氏はトランペットとホルン。なんだか「君はもしかして808に在籍してなかった?」という風情。でも、このバンドってライブではホーン多用するのでした。知らなかった。

 ネオアコっぽいけど、アバンギャルドで、打ち込みテクノを挟んだかと思えば、変拍子で腰砕け、ホーンと変態オルガンの音が絡み・・・・・という、かなり実験的なことをやるんだけど、でもそれが美しくまとまっていて、久々に音を聞きながらボーっと意識が飛びました。
 かなり音色は違うけど、この人たちのやりたいことって、その昔のマイブラに通じるものがあるかもしれない。

 でも見かけのフツーさを裏切らず、「あったかい」感じのメンバーで、途中、機材トラブルがあって修復に数分間かかったんだけど、その間「誰か音だせよ」というかんじで、パラパラとなんか演奏してくれて、それがまた「いいじゃん、いいじゃん」と客もメンバーも喜んでいて、「音はアバンギャルドだが、ぜんぜんトンガってないんだな。こーゆー、大人なバンド、最近みかけなくなったな」と思った。

 というわけで、大変満足したのでございました。お客さんの雰囲気も混み具合も丁度よかったし。
 ライブ自体もよかったんだけど、やはりクワトロっていい箱だよな。大きさも音響も。
 あそこで、ハズしたことないような気がする。

 さて、ライブも終わり、外に出たら、まだブック・ファーストが開いていたので、昼間に待ち合わせしたときに発見した蓮實重彦の「サッカー談義」がまとまった本を買って行きました。「スポーツ批評宣言」
 帰りの電車で読んでみると、前書きが「オマーン選直後」に書かれていて、私はあの試合観てなかったのですが、会社で「なんかね」と語られていたので、「観なくてよかった」と思っていたのですが、そういう普通の人々が「なんかね、ちょっとアレはねーよな」と短い言葉で済ましていたことが、延々と蓮實節で愚痴られているので、笑えます。

 中田もこの本読んでくれたらいいのに。
 私が取り巻きだったら、ぜったいに薦めるんだけどなあ。まだ、ちょっとしか読んでないけど「トルシエがやろうとしてのは受験勉強だ!」なんて、めちゃくちゃ納得しちゃって、電車の中で「ぐふふ」とか笑っちゃったもん。

 というわけで、今日は昼から夜までずっと立ちッパで足がパンパンですが、趣味で疲れるのは気分がいいので、ぐっすり眠れそうだ。
5月8日(土)

●瞬間芸

 これを観た瞬間「え?」と凍りつき、思わず手を伸ばしている最中に「キアヌ」ではなくて「キヌア」だということに気がついた。
 「アンデスのスーパー穀物」なんですと。
 せっかくだから、購入してみました。アワだかヒエのどっちだかわからないけど、「鳥のえさ」と同じみたいです。雑穀米大好きだから、今度これいれて炊いてみよっと。

 「ふふふ・・・・キアヌを食べちゃった・・・・」とか一人で呟きながらモソモソと食べるの。暗い。CRY。暗い〜

●エミネム

 ヒット商品のことばかり書いていますが、先日のワイドショーでやはり「売れてます」と取り上げられていた。輸入版があるから、その分差し引いても、今年の海外アーティストとしては、クイーンの例のテレビドラマ連動・企画版に次ぐ売れ行きらしいです。

 私はあんましヒップホップ聴かないし、映画「8マイル」だかも観てないので、エミネムについてもよく知らないのですが、出始めのころ、ロッキンオンが大々的にプッシュしていて、それがかなり大げさで「これこそ新世紀のなんちゃら」な扱いだったので「ふーん」とか思ってました。
 で、音楽自体よりも、「女を殴った」とかいう話題のほうが先行していたし、白人のワルってことのようだったので、「マドンナみたいな売り方かね」と高みの見物していたのでした。

 そんなある日、友達のかみちゃんちに遊びに行って、音楽聴きながらダラダラしてたら、かみちゃんが「最近、エミネムにはまっててさぁ〜」と言うので「ああ、なんか評判いいね。ちゃんと聴いたことないんだけど」と言うと、「じゃあ、聴いてみてよ。ミヤノさんの感想も聴きたい」と言うので、かけてみました。

 「まあ、悪くはないけど、歌詞わかんないしなあ・・・・・でも、聴きやすいし、どっちかというとオシャレな部類じゃないの?」
 私が印象に残っている「ラップ」って、「にが〜〜〜〜にが〜〜〜〜」とか叫んでるやつだったりしたので、エミネムはわりと軽い印象でした。「ヒップホップもすっかり大衆化したな」と思った。

 そしたら、かみちゃんが「この曲がさ、なんかイヤ〜〜〜な感じの曲なんだよ」と曲をスキップして、なんて題名だかも覚えてませんが、その曲を真剣に拝聴してみました。

 「ふむふむ」と聴いている横で、かみちゃんが「この前、遊びに来た友達にこの曲聴かせたら、『こんな曲を聴いてはいけない。暗いよ。暴力的だ』って言われちゃったんだよ」と言ってますが、暗黒の80年代の最中に暗黒度の高いノイズ系とか、「S.P.K」とか「サイキックTV」を聴いていた私ですから、多少の暗黒には驚かない自信がありますので、「ふむふむ」と、その暗黒度を冷静に判定していました。

 どうも、かみちゃんが「嫌な感じ」と言うのは、バックに「バスっ ボスっ」と人を殴る音が聴こえ、ラップもなんだか「ひ〜〜〜〜〜」と裏声で窮地を訴えているようなのです。
 たしかに「暴力的」と言うのはわかりますが、でも歌詞が全然わかんないし、どういう状況なのかさっぱりわかりません。でも、その「バスっ ボスっ」という効果音がなんとなくスチャダラパーの「ついてる男」で、缶蹴ったらヤーサンに当たっちゃって「バスっ ボスっ」っていうのと似た感じがしましたし、そうなると、窮状を訴えているようなラップの歌声(?)も、わざと大げさにやっているように聴こえます。そんで、じっと集中して歌詞を聴いてると、なんか、これ、彼女と痴話喧嘩してんじゃねーか?

 「どうどう?」と聴いてくるので「うーん、私にはこれ、ギャグに聴こえるなあ」
 マイケル・ジャクソンのスリラーも「ホラー映画なかんじ」でしたが、こっちはなんかタランティーノの暴力シーンのような雰囲気です。歌詞わからないんだけど(くどい)

 かみちゃんにそう説明すると、「そっか、たしかにそう考えると、そうなのかもしれない」
 私も自分で「マイケルっぽい」と思ったら、もうそうとしか思えなくなり、「マイケルもソウル・ミュージックを日本の小学生でも聴けるポピュラーなものにしたけど、エミネムはヒップホップのマイケルなんじゃないの?だから売れてんでしょ」と、テキトーな分析をしていました。

 あれから数年経った今、「マイケルのネバーランドが売りに出るらしく、エミネムが購入者と目されている」という、ゴシップ週刊誌の本領発揮なニュースが出ましたけど(エミネムは「ありえねー」と否定してました)、「ああ、こういう噂が出回るということは、数年前の私の勘は正しかった」と、また自分にしかわからない「私はいつだって世界で一番正しい」という確信に満ち満ちて、大変満足いたしました。

 まだエミネムはマイケルより20年くらい遅れていると思うので、この先、どうなるのかとても楽しみです。でも、マイケルよりは、かなりまともそうというか、マドンナくらい頭いいみたいだけどね。

 でも、日本でもこんなに売れるとは思ってなかったなあ。
 クラブで喋った若い男の子が「最近、またハウスが盛り返してるみたいですね」と言うので「そうなの?でも、若い人はヒップホップなんじゃないの?」って切り替えしたら「みんな、まずヒップホップから入って、そっからハウスに来るみたいです」と言うので、「それは逆なのでは?」と思った。
 「黒人音楽」をオシャレに料理したのが「ハウス」であったはずだったが、もはやどちらも「おしゃれブラック」として流通しているのかもしれない。そんで、もはや「ハウス」のほうが古株扱いなのかね。
5月7日(金)

 「世界の中心で愛を叫ぶ」が251万部突破というのがニュースになっていたので「なんでこれがニュースなの?」と思ってよくよく読んでみたら、「ノルウェーの森」を抜いて国内小説トップなんだそうだ。へえ〜
 でも「ノルウェーの森」の記録は「上巻」とのことなので、ビミョーだな。

 ハリポタとか何万部売れたのかよー知らんけど、国内小説だとそんなもんなのかね。
 たしかに、最近はレコードでも100万超えるとニュースになるが、その昔(そんなに昔でもないか)、ユーミンのアルバムなどは軽く100万枚超えていたりしたので、そういうのをすぐに買う客はそのくらい人数いるんだろうな、と漠然と思っていたので、ユーミンやサザンを買っていた人と、ビーズとラルクを買う人が「本でも読もうか」と思ったら、300万くらい軽く行くだろうけど、その客層はダブっているのだろうか。アマゾンでは解析してそうだな。

 でも、また昔の話で恐縮だが、その昔、渋谷陽一が「ユーミンが200万枚とか騒いでいたが、ドラクエなんて・・・・」数字はよく覚えていないが、初回出荷の数で、数倍とかだったと思う、そのくらい音楽ソフトのマーケットとゲームのマーケットは規模が違うということを力説していました。

 まあ、しかし、たぶん、日本国民の多くが「251万部かあ」と思って、思わず「印税がたとえ1冊100円だとしても・・・2億・・・・か?」と荒っぽく計算して「ふー、小説書ける才能があればなあ」と皮算用しちゃったと思いますが、宝くじ買ったほうが確立高いと思います。

 それはいいのですが、「世界の中心で・・・」の映画化も着々と撮影は進んでいるようで、その話題もテレビで見ましたけど、そこで粗筋を教わったのですが、映画だと現在から過去を回想という構成になっているようで、粗筋を聞くにつけ「これって、冬のソナタとひょっとして同じ?」
 死んだ恋人のことが気になって・・・・って話なのかな?(冬ソナの死んだ恋人は実は死んでないと思うのだが)

 ちゅーわけで、ベタベタ恋愛モノにはうるさい私としては、ちょっと研究してみたくなったりしました。

 話は変わりますが、今日の景気のいいニュースとしては「251万部」よりも、ピカソの絵が「1億416万ドルで落札」という、円換算すると「100億円突破」なのでありますが、そのニュースをテレビで観ていて、「サザビーズ」というのが「SAZABY」ではなくて「Sotheby」であることに気がついて、己のバカさ加減にまた軽い自己嫌悪に陥りました。サザビーズのスペルなんて、今までの人生で全く必要がなかっただけなんですけどね。でも、発音する際には「th」を噛まないといかんのだな。でも、数少ない英語を喋る機会でもSotheby'sなんて発音することなかったからね。

 あと、今朝のワイドショーでも、マイケル・ムーアの新作がアメリカで配給されないという話題が上がってましたが、そんときには、その新作の題名は「なんちゃらなんちゃら911」と言っていて、「まあ、反ブッシュ映画らしいから」と思っていたのですが、ウェイン町山の日記を読んで、それが邦題にすると「華氏911」であることを知ってびっくら。
 町山氏も「SFファンとトリュフォー・ファンにしかわからないこと」と書いているが、ブラッドベリの本を沢山読んだはずの私ですら、「華氏451」のストーリーをすっかり忘れてまっす。(笑)

 しかも、なんとメル・ギブソンが「華氏451」を映画化しているらしく、「ぎょええ」と思ったのだが、その後に続いた文を読んで「へ?」と思った。「ブラッドベリはメルギブはとても本を読むような人間に見えないと拒否していたが。」

 ブラッドベリなんて、100年くらい前に死んでんのかとばかり思ってたよ。
 「わー、またやっちゃった」(小説化や俳優やミュージシャンの訃報が新聞に載ってはじめて「まだ生きていたんだ」ということに気がつく)と思って、調べてみたら、1920年生まれだそうで、84歳か。

 ふーん。(としか、言いようがない)

 世の中、私が知らないことがまだまだいっぱいあるわね。
 まあ、しかし、ムーアがそんな題名の映画作らなければ、存命なことに一生気がつかなかったかもしれない。私のほうが早く死ぬ可能性はけっこう高いから。

 また話は逸れるけど、「平均寿命」というのをよくわかってない人が多いのだなあ、と思った話なのだが、会社で誰かが「江戸時代は35歳くらいでみんな死んだらしい」とか話していて、「じゃあ、その時代だったら、オレなんてもうすぐ死ぬな」などと盛り上がっていた。

 そりゃ確かに、今よりも医療技術は低かっただろうけど、いわゆる「平均寿命35歳」とかいう話は乳児死亡率の高さが影響していると思うので、「すぐ死ぬ人は死んだけど、大病しない人はけっこう長生きしたのでは?」と思うのだが、けっこうそういうドキュメンタリー番組で「このころの平均寿命は」なんて語られると、それと現在の「80何歳」というのをあっさり比較してしまう人は多いようだ。
 でも、実際のところ、落語に登場する「ご隠居さん」という人たちは何歳くらいだったんだろうね?

 そんなに昔のことじゃなくても、ちょっと前まで(うちの母の娘時代)は、「会社の女の子」っていうのは、18歳か20歳くらいで就職していたので、それが25歳まで残ってしまうとなると、「7年目のベテラン」になってしまうけど、今だと事務職は4大卒が圧倒的なので、同じような「古株度」を示すようになると30歳になってしまうので、イマドキの女子の「30歳までに結婚した〜い」というのは妥当な数字なのでは?と思ったりする。私も今の職場で5年目になったので、そろそろ飽きてきたし、実際、30歳になったときに、会社を辞めていたりする。

 それがもっと昔だと、12歳くらいから奉公に出て、10代後半で嫁に行くというのは、今とおんなじじゃん。
 学校で勉強するか、奉公先で行儀見習をするかの違いだけだ。

 ふと思ったが、平安時代の貴族階級というのは、男性のほうが長生きしたのではないか?
 だって、男の貴族はけっこうフラフラ出歩いていたし、蹴鞠とか舞の稽古とか適度に運動していたようだが、女性は滅多に外出していない。重い装束を引きずって、屋敷内を移動するだけでもかなりの運動といえなくもないが、気軽に外出できないとストレスも内臓脂肪も溜まりそうだ。

 でも、高橋由香利が描く「トルコの主婦」の生活も、寒いからほとんど外に出ないようで、買い物も管理人がやってくれるらしく、それで脂肪分たっぷりな「世界三大料理」を食べまくると、スレンダーさが売りの日本女性でもあっという間に「トルコの主婦」な体型に早変わりするという。

 話題が散漫ですが、そこそこ人気漫画家だった高橋由香利の「トルコで私も考えた」は、ヤングユーに連載されているので、「異文化エッセイ漫画」として楽しく読んでますけど、最近、「ダーリンは外国人」というエッセイ漫画がとても売れているようです。

 実はその漫画、やはり外人と結婚しちまったA嬢が貸してくれたので「ふーん」と読んでみて、そこそこ面白かったのですが、ある日本屋に行ったら、第二巻が発売されていて、それもレジ前ヒラ積みで「10万部突破!」とかになっていたので、のけぞりました。
 まあ、そこそこ楽しめる漫画でしたが、そんな売れていたとは!

 Aがそれを買ってしまったのは、わかるとしても、そういう立場に無い人が手を伸ばすようなもんでもないと思ったし、それに、「国際結婚って大変ねえ」っていう内容でもないのです。編集の意図で「国際結婚いろいろ」なエピソードも載っているのですが、それはほんとにちょびっとで、著者が描いているのは、「まあ、ちょっと変わった男との結婚生活」なのです。しかも、そんなにブっとんだ話でもなく、語学オタクで、何かを考えはじめると没頭してしまうという、イタリア系のトニーっていうダンナのキャラがそれなりに面白いというだけ。

 鈴木クニエさんが、意外なところでトニーを発見してました

 彼女も「ダーリンは外国人」に関しては「たしかに、面白かったんだけど、そこまで売れるかーという気もちょっとした」と言っていますが、同感です。
 でもまあ、私にはよくわからないけど、結婚している人にしてみれば、「夫婦だけど、趣味も文化もちょっと違う」というのことを面白おかしく描いた作品なのかもしれない。でも、港北ニュータウンにある本屋のレジ前に平積みになっていると「なぜに??」と思います。
 なにが原因だったのかな?と考えずにはいられない。いや、だって、漫画としては、そこそこの出来だとしか言えないんですよ。

 もー、世の中、なにが売れるのか私にはさっぱりわからないので、一攫千金はあきらめて、やはり地道に働こうと決意するのでありました。

   きゃー、なんかダラダラ書いていたら、ひゃっくりが出てしまった。久しぶりだ。

 明日も仕事だ、さっさと寝なさい。
5月6日(木)

 GW中の静けさとうって変わって、休み明けは電話は鳴るは、社員はあれこれ用でやって来るわ、銀行に行く用事もあるわで、経理課も落ち着かなかったが、おかげで夕方になるのが早かった。
 やっぱ職場は活気がないと、やる気しないよな。休日の出勤はいやだいやだ。しかも忙しいから出勤するわけでなく「出勤日数を揃えるため」なのがいやだよね。

 さて、そんなわけで、昨日も死んだようなオフィスでじっと修行していたので「ああ、なんかつまんない一日」と意気消沈したため、景気付けに映画を観にいった。ほら、「黄金週間」とはそもそも映画業界が発信した用語らしいし。
 「とりあえず、キルビルかね」と思って、いつものシネコンに行くと、ロビーはお子様連れでごった返していた。「コナン」はもう満席だった。

 「キルビル」は8時20分から「レイトショー」で、1200円だったのだが、なんと昨日は水曜日で(曜日感覚ゼロになっていた)女性1000円の日だった。200円得をしたが、「混んでたらヤダな」とも思ったけど、杞憂であった。連休最終日の夜に、住宅街でそんな映画観る人少なかった。若いカップルが数組に、孤独な男性1名、孤独な女性2名(そのうち1名が私)、そしてなぜか中年夫婦×2の四人組が仲良く並んでいて、その人たちが私と同じ列だった。

●「キル・ビル Vol.2」

 宣伝では「恋愛話だ」とか「R15指定をクリア」とか言っていたけど、「そんなわけあるかい!」と思っていたが、たしかに1と比べると、かなり「恋愛もの」であった。
 チャンバラで首チョンパとか血がブシューというのが苦手な私には「観やすい」作品であったといえよう。
 というか、「ちゃんとチャンバラしようとしているのに、なぜか・・・・」という、「トイレに行きたいのに、トイレが見つからなかったり、やっと見つけたらドアがなかったり、便器がなかったり・・・・」という夢の定番の変形のような微妙なチャンバラ・シーンばかり。あの微妙さはブニュエルっぽいとも言える。

 でもなー、やっぱねー、1もそうだったけど、なんか私の居場所が無いのよねー。
 友達んちのホームパーティーに行って、つまんなくはないんだけど、なんか話の輪にすっぽり入れなくて、でも聞いてるだけで面白いんだけど、ふとトイレに立ったら、さっきまで私が座ってた場所に他の人が座ってて、しょーがないから、台所で食器洗ってたら、コーヒーが飲みたくなって、煎れてたら、他の人も「飲みたい!」って言うから、人数分のコーヒーを作ってあげました・・・・というような翌日に、その日来れなかった人から「昨日、どうだった?みんな来てた?楽しかった?」と聞かれ、「うーん、けっこう盛り上がってたよ」

 というようなかんじ。

 それはわかってたんだけど、どーしてもダリル・ハンナが活躍するのが観たかったのである。それは大変満足した。
 その昔、友人が「ダリル・ハンナが脱がない映画はつまらない」と断言していた。
 それは「ダリル・ハンナの裸が観たい」という意味ではないというのはわかったが、私はあまりダリル・ハンナが出ている映画をちゃんと観た憶えもないのでよくわからない。「スプラッシュ」もずいぶん後になってテレビで観ただけだ。

 あんまし、ああいう「金髪バービーちゃん美人」は好みではないし。キム・ベイシンガーもあまり好きではなかったな。
 なので女優としての、ダリル・ハンナをよく知らないのだが、「JFKジュニアの元恋人」ってことだけ記憶に残っている。しかも、ジュニアの母のジャッキーが交際に難色を示していたとかいう逸話もつい先日のことのようである。
 あれから、ずいぶんと歳月が経ったんだなあ。と感慨深い。

 しかも、もう40半ばだというのに、あのスタイルの良さはなに?足が細くて、胸はある、という「同じ人間なのになぜ?」としか言いようがない。
 というわけで、ユマ・サーマン対ダリル・ハンナの一騎打ちは、デルモ体型同士のファイト・シーンとして堪能させていただきました。なんかイマイチ重量感がなかったけどさ。(負け惜しみ)

 期待していたほど、「タランティーノ節」というか、変な脱線も控えめだったと思う。妊娠検査キットを挟んでのやりとりは可笑しかったけど。
 そんで、終盤のブライドとビルが対峙するあたりで、なんか「アイズ・ワイド・シャット」を思い出してしまった。
 あっちは、「膨大な予算を使って描いた単なる倦怠期」であったが、こっちは「膨大な予算を使った要するに痴話喧嘩?」って思って、「これで『やっぱりあなたが一番いいわ』『やっと戻ってきれくれたんだな』な展開になったら、どーしよー」と一人で勝手にドキドキしてしまいました。考えすぎました。

 それにしても、なんでタランティーノはあんなにムキになってユマ・サーマンの顔を汚すのか、他人の趣味はよくわかりません。あと、なんでブライドの名前を「ピーっ」と消すのか、とうとうわからなかった。

 というわけで、つまらなくはなかったけど、観たあと、なにか語りだしたくならないという不思議な映画でした。語りたくなる人も多いんだろうけどね。
 ちなみに、映画が終わった後というか、今までの登場人物のおさらい映像が始まったときに、横にいた中年夫婦のダンナさんが、小さく手拍子を打ってました。普通のオジサンに見えましたが、ああ見えても「選ばれた人」だったのかもしれません。

 映画館を出たあと、前を歩いていた20代カップルは「子供・・・・・かわいかったね」と喋ってました。

 帰り道、「ちゃんと二本とも観たけど、これって何かを思い出すなあ」と考えてしまいました。
 私はあの映画の元ネタになっているような映画はあまり観ていないはずなので、なんだろう?、記憶の奥底を一生懸命地引網した結果、いつものことですが布団に入ってからやっと「何か」を手繰り寄せました。

 ピンチョンの「ヴァインランド」でした。

 そう考えると「ヴァインランド」で今だに憶えているというか、印象深かった箇所を繋ぎ合わせると、「キル・ビル」にしかなからないような気がして、なかなか寝付けませんでした。
 「ヴァインランド」のほうが、エピソードのキテレツ度が高かったような気もするなあ。「三年殺し」モドキを違う人(影武者だったソックリさん)にかけちゃって、それを解除するために一緒に旅するとか、また読んでみたくなった。
5月5日(水)

 いきなり寒くなる。
 出勤したのだが、やはり静か過ぎて退屈。

 (と書いている途中で電話が鳴って中断して、そのまま寝てしまいばした) 
5月4日(火)

 ほんとは昭和天皇の命日が誕生日の我がママンであるが、「正月はもう集まったし」というわけで、段取り上手のミヤノ家(の妹ヨコピの提案)で「じゃあ、春になったらお祝いしよう」ということになり、姉娘はそういうのがぶっきらぼーですぐ忘れてしまうのだが、妹が「じゃあ、母の日にやろう」と音頭をとってくれたので(妹がいてよかったと思ったよ)、弟夫妻とも相談の上、GW中に集合&お祝いするとになった。

 弟夫妻はGWの前半は嫁さんの実家で後半はダンナの実家という予定らしく、そちらもグータラな姉にとっては「神業」としか思えない。

 というわけで、実家で集合したのだが、姪っ子Nちゃんはもうしっかりと走り回っていて、まだ日本語は怪しいけど、かなり反応がよくなってきた。一緒にアニメ番組を観られるようになるまであと少しだな。

 で、夕方になると、前泊していた弟夫妻は帰宅し、入れ替わりに自分の実家に帰っていた妹の同居人が羽田から直行してきて、北陸のお土産をいっぱい持ってきてくれた。いつも鱒寿司を持ってきてくれるのだが、「いつもより美味しいはず」と最近地元でも話題の美味しい店で買ってきてくれて、それが超うまかった。あと、黒い塩辛とか、カジキマグロの昆布ジメとか、どれもさっぱりしているけど酒がすすむ味で、ギリギリまで飲んでいたので、家に帰ったらもう11時半だった。

   子供は当たり前だけど、弟や妹のパートナー(笑。でも片方は入籍しているわけではないので)も忙しい中来てくれたので、母はとても感激していて、私が帰るときには駅まで見送ってくれて、帰りの切符を買ってくれたのはいいとしても、お釣の600円少々まで渡してくれた。

 姉が一番ダメじゃん!(笑)

 でも、姉がグータラの極みなので、弟の嫁も気を使わなくていいだろう。(自分本位な解釈)
 ちなみに、この姉の将来の姿であろう、我がパパンは昼間から酒飲んでいたので、ずっと椅子に座ったまま寝てました。
 父よ、酒弱くなったなあ〜
 その分、長女ががんっばって飲みましたから・・・・・  
5月3日(月)

 昨晩はちゃんと1時くらいに就寝できて、今朝は1時くらいに起床した。

 北海道では今ごろ桜が見ごろみたいで、GWの観光客で賑わう五稜郭は「星型ピンク」と表現されていた。(朝日新聞)
 「星型ピンク」か、なんかかわいいじゃん・・・・・・でも、それを堪能できるのは空から?

 それで思い出したのだが、この話は何度も繰り返して書いていると思うけど、その昔の勤め先に出入りしていた印刷屋さんの担当者が定年間近になったので、その印刷会社の関連会社に出向になった。でも、我が社の仕事だけは引き続き担当するので、こちらとしては何も変わることがなかったのだが、彼は一応所属先の名刺をくれた。

 「○○ペンタ」という会社名であった。
 「ペンタって、なんですか?」と聴いたら、「それはうちの社長の趣味で・・・・ほら、あれだよ、あれ」とか言うので、「もー、とっしょりはすぐアレ、アレなんだからあ」とチャカしたら、「ええと、ほら、ペッタンコだ、ペッタンコ」

 「ペッタンコって、なんか印刷用語なんですか?」
 「いや、違うよ、ほら、社長は5角形が好きなんだよ」

 5角形でペッタンコ?
 と、しばらく数人で顔を見合わせて考えているうちに、勘と一般常識を兼ね揃えた人が、ふと「もしかして、ペンタゴンのこと?」
 「そうそう、そのペッタンコ!」
 「ちがうじゃん!」

 そのとき初めて、「ペンタゴン」というのが「五角形」の意味だということを知った。
 「へえ、じゃあ、五稜郭もペンタゴンなんだ」と思ったのである。
 そして、以降、ニュースなどで「ペンタゴンでは・・・・」などと連呼すると、心の中で「ぺったんこ、ぺったんこ」という言葉の亡霊がジャンプするという深い心の傷を私に残した。

 なので「星型ピンク」というのは「ピンクのぺったんこ」と変換できるので、個人的にはさらに味わい深い。


 さて、昨日、貨物列車について書いたら、掲示板にて反響を頂きましたが、それでさらに追加させていただきたいと思います。

●大垣行き今昔

 たしかに、今の大垣行きは、昔みたいな「普通の東海道線車両」ではなく、ちゃんとリクライニングする新幹線と同じような特急電車仕様になってしまったようです。
 大学のとき以来、そんなもんに乗ることもなくなり、そもそもほとんど国内旅行してないので、関西方面に行くこともなかったのですが、しかし、私が学生時代に「大垣行き」の存在を親に教えてしまったら、貧乏性の母親はそれがとても気に入り、以来、けっこう利用していたのでありました。

 ところが、数年前から予約制というか指定席になってしまったので、「ふらりと乗ることができなくなっちゃった」と嘆いていました。自由席だったときは、1時間か2時間前から並んでいればよかったのですが、指定になってしまうと、前日に予約しても満席だったりしたみたいです。

 というわけで、貧乏旅行好き&行列好きのうちのママンに見捨てられた「大垣行き」だったのでありました。
 たしかに、「指定席」になると、大垣行きの魅力は無くなります。
 何回か乗りましたが、あれの魅力は「通勤客と一緒」ということだったと思います。
 東海道線を利用するサラリーマン(終電間近なので酔っ払い率高い)と、青春18きっぷな貧乏学生が同じ電車で混在する様子は不思議な雰囲気をかもし出しておりました。

 私が乗ったころは、それほどメジャーでもなかったし、それに私が利用したのは京都旅行がオフシーズンだった冬休みだったので、それほど18きっぷ利用者は多くなかったので、ぎりぎりに乗って、座席がなくても、先に座席に座っていた通勤客が小田原あたりで姿を消すので、そのあたりまで我慢すれば座席は確保できました。

 それに、「酔っ払った通勤客が、そのまま熟睡してしまい、気がついたら大垣だった」という伝説も、もう実現することがないと思うと淋しいかぎりです。ちなみに、とある鉄道マニアとその話をしていたら「大垣まで行ってしまうと、絶対に会社に間に合わない」とのことでした。たしかに、新幹線に乗るにしても、そこからかなり時間がかかるので、その日は絶対に遅刻になってしまいます。

 そういえば、学生時代に九州に帰省する人がいて「18きっぷだと、一日で帰れないんだよ」と言っていました。
 京都に着くのは午前中ですが、そのまま山陽線を乗り継いで、福岡あたりまでは行けるようなのですが、そこで電車が終わってしまうのだそうです。元々、金が無いのでそんな方法をとっているのだから、宿泊代なんて無いわけで、しょうがないから駅で一晩始発待ちをするらしい。
 「それが嫌でさあ」と言うので、「たしかに駅で野宿ってやだよね」と言ったら、それは覚悟の上だから構わないらしいのですが、そのシーズンになると、そういう「青春18きっぷな若者が駅で夜明かし」する姿がちらほらと確認できるので、それを狙った人が登場するのだそうです。
 「ホモおやじが声をかけてくんのが嫌なんだよ〜〜〜」と嘆いていました。

 それが嫌なら競馬三昧から足を洗って、帰省の飛行機代くらいバイトすれば?と思いましたが、遠方から東京に出ている人は大変だなあ、と思いました。

 話は逸れましたが、私は「大垣行きがデラックスになった」というのには、あまりいい印象を持っていません。
 あれに何回か乗ると「そりゃ、2000円で京都に行けるのはいいけど、ちょっと稼げば新幹線に乗れるわけじゃん?」と心に焼きつきます。貧乏暇無しとはいいますが、我慢して2日間くらい働けば、新幹線代くらいはなんとかなります。
 「金が無いから時間を費やす」のか「その時間を労働にあてる」のか、どっちを選択するかは本人次第。
 そういや、私の学生時代は海外旅行でヨーロッパに行く場合「高いけど直行便」「安いけどアエロフロート」「もっと安いけど、南回りで時間が倍」という、「リッチ」「やや貧乏」「ド貧乏」(まあ、ド貧乏は旅行などに行けないと思うが)という選択肢があり、私も「暇と金」を計りにかけ、南回りを選択したのですが、も〜こりごりでした。まあ、けっこう面白い経験だったけど。

 でも、たしかにあの頃は旅行が移動で2,3日潰れても構わなかったので、だったら安いほうがよかったけど、金を稼げるようになると(就職しちゃうと)、その移動時間が取れなくなるので、必然的に高くて速い移動方法をとるしかないわけで、世の中の仕組みってそうやって自然とバランスをとっていくんだなあ、と「経済学への第一歩」を学ぶことができたような気がする。(そこから一歩も進んでないけど)

 そんな、考えれば考えるほど「深い」大垣行きだったので中途半端にデラックスにするのもなあ。あの電車の存在自体が「貧乏人は麦を食え」だったような気がするので、せっかくの麦飯を豪華な茶碗に盛ってしまっては、教育的効果が薄れると思うのだけど、でも、べつにJRが若い客を教育するために走らせているわけもないから、「サービスの質」をあげているだけか?

●ゴジラがやって来た!

 貨物がビュンビュン通る沿線に住んでいると、夜中に目が覚めたりしてしまうようですが、これはそういう「お悩み」とはまったく逆の「お悩み」と格闘したうちの両親の話です。

 今は線路から離れたところに住んでいますが、その前までは両親は中央線の線路の脇にあった親戚所有の空家(うちの父の伯母と従兄弟が住んでいたのだが、従兄弟が事故で亡くなり、伯母は自分の姉妹が住む田舎に戻ってしまった)に1年くらい住んでいました。
 私も何度か遊びに行きましたが、中央線の騒音はけっこううるさかったです。
 前にも吉祥寺の線路脇に住んでいた友達の部屋に泊めてもらうと、始発の音で目が覚めてしまいましたが、家主は平然と寝てましたので「慣れってすごいな」と思いましたが、うちの両親も「どこでもすぐ寝られる」のが特技なので、騒音も振動も思ったより気にならなくて快適に過ごしていたようです。

 あるとき、沿線住民にJRからお知らせが届きました。ちらしや回覧版だったのかな。
 それは「保線工事」のお知らせで、どうやら線路というものは定期的に敷石を固めないといけないようなのです。
 それは電車が通らない時間しかできないので、深夜3時くらいに行われて、かなりの騒音になるので、そのお知らせが回ってくるようなのです。

 新米住民だったうちの両親は、そのお知らせを台所に貼っておき、「そうか、今夜やるのだな」と思って就寝しました。
 朝、いつものように爽やかに目が覚めました。「あれ?お父さん、なんか夜中に来たの気がついた?」「さあ?」
 二人とも熟睡していたようです。気になった母はちょくちょく立ち話をしていた近所の人に確認してみると「そうなの、昨日もが覚めちゃってねえ」と、たしかに騒音がしたようです。

 いったいどんな工事をしていて、どんな騒音がするのだろう、と母は気になったらしく、「次回こそ!」と闘志を燃やしていました。
 またしばらくして、そのお知らせが届きました。「おとうさん、今後こそ!」
 しかし、また起きたら朝でした。

 その話を聞いて、私は「それほどの騒音でもなくて、普通の貨物が通過するようなもんだから、目が覚めないんじゃないの?」と言ったら、「それがね・・・・」

 さて、3回目のお知らせが来ました。母はついに「真夜中の天体ショー」(しし座流星群とか)に挑むような決意で臨みました。「寝てしまったら起きないから、寝ないで待っていよう」
 でも、いったい何時ごろ来るのかよくわかりませんので、その日はたっぷり昼寝しておいて、深夜テレビを観ながら来るのを待ちました。

 草木も眠る牛密(こーゆー変換かよ?)時がやってきて、遠くから微かにその音が・・・・・

 ずしーん ずしーん と何かが近づいてくる音がします。

 「ゴジラよ、ゴジラが近づいてくるの!」
 「そっか、ジュラシック・パークでティラノ登場シーンみたいに振動があるんだね」
 「そうそう」

 敷石というか基礎を固める作業なので、ビルの基礎工事みたいに何か重いものをドシンと落として固めているようで、その音がほんとうに巨大怪獣の足音のようだったそうです。だんだん近づいてくるし。まさに線路をゴジラの足だけが歩いているのです。

 「ゴジラがこっちに向かって歩いてくる!」というわけで、母たちはじっと耳を澄ませていると、足音はだんだん間近に近づいてきて、ついには家から数十メートルのすぐ脇の線路を通過しました。怪獣映画をボディソニックで体験して、かなり満足したそうです。

 さて、その後、しばらくして「そういや、その後もゴジラは来るの?」(保線作業はコードネーム「ゴジラ」で定着していた)と、世間話のついでに聞いてみたら、

 「ああ、あれは定期的にやるみたいだからね。やってんじゃないのぉ?」

 ゴジラもたまにコースをそれて、うちの両親の家でも踏み潰してみれば、ちゃんと歩いていることを確認してもらえるのでしょうけど・・・・・
5月2日(日)

 私にも、やっとささやかにGWがやってきたので、「わーい明日から3連休だ」と喜んでいたのであるが、そのせいか、昨日帰宅してからちょっと昼寝してしまい、10時半くらいに目が覚めて、久々に「冬のソナタ」を鑑賞。

 久々に、と言っても先週飛ばしただけか。
 でも、やっと面白くなってきました。
 松田聖子みたいな性悪の友達がやっと具体的に意地悪してくれるようになったのです。
 それも、かなりしょーもない作戦なんだけど、まんまと罠にはまるヨン様!
 やっと、ヨン様の魅力がわかってきような気がします。

 それと、最初のころは「韓国のトレンディドラマ」だと思って観ていたので「つまんねーじゃん」と思ったのですが、「真珠夫人」や「薔薇と牡丹」などの「人気昼メロ」だと思って観ると、けっこう楽しめるようです。ってゆーか、やっとあのテンポに慣れてきたよ。

 人間ってけっこう「自分にとって都合の悪いこと」を無視できるようになるという機能を持っているようですが、昨日の放映でも、友達が酔っ払ってクドクドと「なんで仕事やめないの〜〜〜」とやっているシーンは「くどいよ」と思って心の中で早送りしてました。

 だいたい、普通に考えたら、「初恋の人にそっくりな人と仕事することになったら婚約者に悪いから」というのは、仕事を辞める理由になってないと思うのですが、韓国は日本と違って「就職難」ではなんですかね?
 だいたい「初恋」というのがそんなに重要なのか?と思ってしまいますが、このドラマで学んだのは、韓国では「初雪」というのが縁起物らしく、その日にデートするとなんかいいらしいので「初なんとか」に対する思い入れが違うようです。

 「近くて遠い国」とは言いますが、そういう文化の違い(とうほどでもないが)と、日本ドラマの悪影響が上手く絡むと、こりゃたしかに面白いわさ。
 まず「日本のトレンディドラマの悪影響」の例なのか、「人類っていうのはそもそもバカ」という例なのかよくわかりませんが、主人公はバリバリ仕事しているらしいけど、具体的にどんな仕事しているかさっぱりわかりません。たぶん、設計関係なんだろうけど、「スキー場の仕事」っていう言葉だけで表現しています。
 「小さいオフィスだけど、けっこう若手でもバリバリ仕事されてくれる、それなりに遣り甲斐のある、カッコいい仕事」なんだって言いたいんだろうな、っと観ているこっちが一生懸命、行間を埋めないといけないらしいです。

 あと吹き替えのもどかしさもある。
 ヨン様は「理事」らしいけど、よくよく考えると「なんだそりゃ?」
 日本だと「取締役」ってくらいの意味なのかね?

 で、ヨン様の現恋人である、主人公のライバルな松田聖子は、恋人を「ミニョンさん」と呼ぶのだが、主人公も「ミニョンさん」と彼を呼んでいるので、てっきり苗字なのかと思っていたのだが、あれはファーストネームなんですね。
 それがわかったので、恋人が「ミニョンさん」って呼ぶのは、うちの母親が父親を「タクヤさん」と呼ぶようなもんなのか・・・・・でも、イマドキの日本の若者は恋人を「さん」呼ばわりしないからなあ・・・・・せいぜい「君」だろう。

 アメリカのドラマの吹き替えでは「ボブさん」などというセリフはありえないので、「ミニョンさん」な韓国流儀に馴染みが無いないため、違和感が生じるけど、それもそのうち慣れるのでしょう。
 こういう「お約束事」が多い構成って、慣れるまでがけっこうキツけど、慣れるとどうってことないからね。(歌舞伎やミュージカルと同じ。死ぬ直前に唄いだすとか、ミエを切るっていう流儀が受け入れられれば楽しいけど、ダメだと本当にダメ)

 別の番組の話に飛ぶ。
 古館伊知郎の「報道ステーション」が数字的に苦戦しているようだが、何回か観てみたんだけど、あれは古館がどうのという問題ではないのではないかと思った。
 「ニュースステーション」はもちろん久米宏がメインだったけど、でも話題になったというか人気を支えていたのは、相方だった小宮悦子だったり、コメンテーターみたいな役割の解説者(朝日新聞論説委員とか)だったような気がする。
 「報道ステーション」では、まだそういう魅力的な脇役を揃えていない、というか揃える気があるのかな?という気がした。
 それに、ああいう「ニュースショー」はメイン・キャスターがアップになる時間はわりと短いのである。重要なのは、挿入される「ドキュメント」というか、編集された問題定義や特集である。野沢尚の「破線のマリス」でも、そういうのの編集者であった女性が主人公で、それこそが「ニュースショー」のメインであるという描かれ方をしていて、読者もそれには賛同するので、所詮メイン・キャスターというのは、「特集」が終わった後に、神妙な顔をして「では、コマーシャルの後はスポーツです」っていう表情で「特集」を盛り上げるだけのもんだ。

 久米宏なんかはそれが上手くて、数秒の切り替えのときに「ふーっ」と溜息をついてみたりすることで「これは今は小さな問題だけれども、実はあなたの身近にある大問題です」ということを伝えて盛り上げていたと思う。

 久米宏も、ずっとそのスタイルでやっていたわけでなく、「ニュースステーション」の初期にはもっと彼のメッセージを押し出していたと記憶しているが、あれは多分、当時、アメリカで流行していたスタイルの翻訳だった。
 その後、だんだん「語るキャスター」というより、番組でのボケ役として機能していたと思う。小宮悦子を追い出してから(?)、渡辺真理になって、わりとシリアスなニュースほど、サブの女性キャスターに読ませるようになった。

 ええと、結局、「ニュースショー」も出始めは新鮮だったけど(NHKのニュースがキャスター主導になったときのこととか、けっこう記憶に残っているもの)、そのスタイルも成熟してしまい、今では、けっこうわけわからん混沌期だ。
 フジだって、その昔は「木村太郎」だったのに、そのうちただのご意見番に成り下がって、今やっている夜のニュースは、キャラの立たないキャスターが淡々とニュースをまとめるだけだし、TBSも筑紫哲也はご意見番扱いになってしまったような気がする。

 要するにメイン・キャスターが「オレはオレは」と主張するのは流行おくれで、そういう主張は「コーナー枠」で扱われるようになったようだ。
 だから、重要なのは、それなりにキャラのあるアナウンサーを揃えて分業していき、メイン・キャスターが総合司会するだけというほうが「ウケる」のである。
 「報道ステーション」はまだ、その体制が整っていない。

 私が「あちゃー」と思ったのは、先週、古館が小野ヨーコにインタビューしたときである。
 まず、メイン・キャスターが外の別撮りでインタビューに行くという風景が「10年前」ってかんじがした。
 そして、カメラ・ワークも小野が語るのを「うんうん」と真剣に聞く、古館の顔を大写しで、「これって、なんか映画でやってたじゃん?」

 なんて映画だか忘れちゃったけど、ニュースショーが舞台で、メイン・キャスターがインタビューしたときの映像を「偽造」して、自分が涙を流すシーンを挟んだとかで、あとで揉めるやつ。

 ああいう、インタビュアーの表情もしっかり映すスタイルって、今でもCNNとかが、映画俳優なんかにインタビューするときにはよく使うし、日本でもあの手法は流行ったことがあったが、あまり日本ではウケないんだよね。
 と思ったのは私だけでもないようで、たしかに今でもインタビュアーが頷くとこは映すけど、NHKの「クローズアップ現代」でも、国谷アナが英語でインタビューしているときとか、「うんうん」している顔を映しているけど、あれは彼女が通訳無しで直接やっているってことを強調するだけの役割。

 だから、何が言いたいかというと、「小野ヨーコ」のインタビューをわざわざメイン・キャスターがやる必要が無いし、、やるんだったら、スタジオで生でやらないと意味がない。
 別撮りでやるんだったら、他のアナウンサーに任せて、古館はスタジオで軽く流す発言をすればいい。

 とういのが、最近の流行なのに、なんかわかってないみたいなので、古館がどうのこうのというよりも「古臭い」印象があった。
 たしかに「ニュースショー」自体の存在意義は微妙だし、ワイドショーのほうが、「格式」を重んじないので軽やかに「ニュースショー」スタイルを模倣して、とうか両者は互いに影響を与え合っていると思うし、(コメンテイターを重視するスタイルはワイドショーが先だったような気がする。「ニュースステーション」がその模倣)
 「報道ステーション」が今後、どういうアイディアを出してくるのか、出せるのか?

 でも、「娯楽としてのニュース」はもう極まってしまったと思うので、そこに楔を打てるのは古館ではないような気がするなあ。こうなったら、タモリとかを起用しないと。

 タモリと言えば、ちょっと前に「タモリ倶楽部」で「貨物時刻表」を取り上げていて(別にタモリが企画したわけでもないと思うが)、私も「そんなの実際にあるのか?」と面白く拝見したが、そのマイナーなマニア向けの時刻表が「売り切れ御免」の状況らしいというニュースがどこかに載っていた。

 「貨物列車」は確かにそそりますよね〜(ちょっとだけ鉄ちゃん)
 私がぱっと思い出すのは、スピルバーグ監督デビュー作だかなんだか知らんが「激突」である。
 あの映画でも、謎のディーゼル車にツンツンされてしまった主人公の車が、貨物列車通過中の踏み切りでケツから押されてしまい、「アメリカの貨物列車はなんて長いの?」とドキドキしましたでございます。

 あんな映画を観たあと、大学生(というか、大学生もどきだったのだけど、学費払ってなかったから)のときに、サークルで京都に旅行して、金のある学生は新幹線だったが、金の無い&旅のロマンを求める学生は「青春18きっぷ」で、かの「大垣行き」で京都を目指した。

 こう書いても「なんのことなのかわからない」という、鉄ちゃん4級な方々に説明しよう。
 「青春18きっぷ」は実は何歳でも利用して構わないのだが、あの当時は5枚綴りで10000円くらい。とにかく、それが1枚あれば、一日JRが乗り放題という「旅する無謀な若者を応援する」という企画であった。
 原則として「鈍行のみ」なので、急行や特急、ましてや新幹線には乗れない。
 それに、各駅電車というのは基本的にそんなに長距離をぶち抜きで走らないので、たとえば各駅停車だけで名古屋に行こうとすると、途中の乗り換えなどで異常に時間をロスするので「暇はあるけど金はない」という学生向けの切符だった。

 でも、「青春18きっぷ」が最も有効に使える電車として「大垣行き」があったのである。
 東京駅を11時半ごろ発車する「快速電車」であった。12時になるまでは、普通乗車券で乗る。たしか、平塚だか小田原だかが「シンデレラ駅」
 車掌が来たときに、そこまでは清算する。(その電車に乗っている人の9割は「18きっぷ」だったので車掌さんも清算なれしてた)そこをクリアすれば、深夜12時から一日中、JRの普通電車はその切符で乗れるのだ。
 でも、かなり過酷だった。
 たしか、早朝に大垣に付き、そこで京都大阪方面の在来線に乗り換えるのだが、それは通勤通学列車でけっこう混んでいたりした。そして、京都に着くのが朝の8時だか9時ごろ。宿に向かって荷物をおき、夕方まで観光して時間を潰した。

 なんかまた話が逸れたが、その深夜の「大垣行き」に乗っていたときに、名古屋あたりで「通過列車待ち合わせ」になった。「大垣行き」は寝台車でもないので、ただのボックス席の「東海道線車両」であるので、神経太い人はゴーゴーと寝ていたが、私のような繊細な神経の持ち主は熟睡できることはない。
 数分間停車する際には、車両の外に出て、手足を伸ばし、外の空気を吸っていた。
 なにしろ、深夜1時以降を走る電車だから、どこの駅もシーンとしている。それは、かなり旅情でもあった。

 さて、その駅で「けっこう長く停車している」というので、私はホームに出て、缶コーヒーを買って飲んでいたりした。
 しばらくすると、「通過列車」がやってきた。
 てっきり、名のある(笑)寝台車に追い越されると思っていたのだが、やって来たのは貨物列車であった。
 「そっかあ、貨物なんて最近みかけないけど、まだ走っているのね」と思った。

 あのころ、バブル黎明期だったので、「JR貨物」よりも「トラック」のほうが活躍しているという社会情勢ニュースは把握していたのである。

 想像してみてください。
 シーンと静まった駅。停車中の電車の乗客もほとんど寝ているが、ホームにはチラホラと「神経細くて眠れない客」が深呼吸。駅の周囲も真っ暗。ほとんど人もいないホームが蛍光灯で照らされている。

 ゴーーーーーーーーーーっと、貨物電車が通過しました。
 缶コーヒー片手にホームでぼーっとしている女子大生が「♪しゃしょうさんっは いつも い・ち・ばん あと〜から」と、轟音にかき消されるような声で歌っております。

 ♪だ だだん だ だだん だだだん っと は〜し〜る〜

 と、唄い終わっても、まだ貨物電車はすぐ横を「だだだん」と走ってました。
 長い!

 普通の車両だと11両編成くらいですが、貨物はもっと長いようです。
 でも、社会情勢調査のフィールドワークに恵まれた女子大生の目の前を通過していったのは、「斜陽なJR貨物」の風評にふさわしく「けっこう空席が目だつ貨物列車」でした。
 貨物列車も時刻表があるくらいだから、定期的に運行しており、何両で動かすかは決まっているのに、それに見合うだけの荷物がないと、「空席」のまま走るらしいのです。

 コンテナも何も積んでいない、空の貨物車両は、ただの平らな車両を剥き出しにしていて、ボーっと通過を眺めている者にとっては「あこそに飛び乗ったら、どこに連れていってもらえるのだろうか?」という旅情を刺激するものでした。大きいな駅を通過しているので、かなりスピードは押さえていたようなので、なおさら飛び乗れそうだった。

 ゆっくりと通過していく貨物電車はほんとに永遠を刻むように長かったですよ
。   永遠に続くかと思ったくらい。
 でも、じっと見ていたら、最後の車両が通過して、あたりはまた静寂に包まれました。
 「あ、そろそろ、自分の乗ってる列車も発車するな」と思って、そろそろと車内に戻りました。

 深夜の2時とか3時とかに、あれだけの荷物を運んで運行している貨物電車という存在がなんだか切なくて、しばらくの間「ああ、あたしってまだ思春期」と思って、真っ暗な夜景を眺めていました。

 ええと、何の話を書いていたんでしたっけ?
 まあ、それだけ深夜の貨物電車は見応えああったということです。昔は、千葉の奥地では昼間も通過してましたけど、今ではなかなかみかけないからねえ。
 だから「貨物時刻表」を入手して「目の前を貨物に通過してもらいたい」という趣味はよくわかります、ということがいいたいだけけでした。

 今日はニコタマまで買い物に行った。
 そして、6時ごろ、歩いて帰ることにした。
 だんだん暗くなっていく中、7時くらいには世田谷通りを闊歩していた。
 ニコタマもかなり混雑していたが、連休中ってこともあり、世田谷通り沿いの飲食店もどこも混んでいた。
 家族連れの姿が多く、孤独に「長いお散歩」をしていると、なんだか「まっち売りの少女」になったような気分になる。
 店の中では、家族連れが外食を楽しんでいるというのに、こっちはひたすらテクテク歩いているのだ。
 1時間半かけて、ニコタマから三茶の自宅までたどり着いた。足がパンパン。

 しかも、なんだか淋しくなっちゃったな〜
 ああ、私も大きな犬飼いたい〜〜〜〜〜〜〜
 6-7時くらいって、犬のオサンパーな人が多くて、なんかムラムラするのよねっ。(ムカムカじゃなくて、なんかブサイクな女がキアヌ並の男連れているような心地がするわけよ)

 しかも、馬事公園あたりの高級住宅街だと、小型犬を連れたシャネラーな老婦人とすれ違っていたりして「くそ〜、あたしもそのうち」と闘志が燃えるのはいいとして、そういう上品な老婦人が連れたミニチュアダックスとかシーズーとか観ると、蹴飛ばしたくなってさあ(嫉妬心って怖いわ)

 お散歩は好きですが、けっこうストレスも溜まります。
 特に最近はナデナデできる犬がいないので、よけいイライラするようです。

 欲求不満状態らしいので、近所でいい犬(なでなでさせてくれる)を探さないと!なかなかいないのよね〜
5月1日(土)

 今日も出勤。
 これでなんとか明日から3連休だけ確保。5日は大人だから働くさっ。(大人の日も作ってほしいが、うちの会社はいくら祝日が増えようとも関係ないのが悲しい。祝日が増えれば増えるだけ悲しみが増すし、そういう仕事の人はけっこう多いと思うので、労働基準法のほうをなんとかしてほしい)

 しかし、昨日、カラオケで盛り上がりすぎ、すげー二日酔いだ。
 しかし、なんとか出勤しないといけない。
 それに、会議で出すお弁当代を出すようお願いされていたのだ・・・・・

 布団の中で「がんばれ自分」と悪戦苦闘していたのだが、二度寝防止のためにいつも目覚ましを消して布団に戻る前にテレビのスイッチを入れるのだが、二日酔いの朝に観るのには強烈なものを観てしまった。
 いや、実は「観て」はいない。
 私は超ド近眼なので、コンタクトレンズ無しにはちゃんとテレビが見えないのだ。だから主に音声だけだったのである。

 朝のワイドショーで、イラクで誘拐された3人組のうちの2人の記者会見をやっていた。
 そーいや、昨日、深夜にタクシー帰宅して、水飲みながらテレビつけたのだが、久々に「朝まで生テレビ」観ちゃったような気がする。あまりにも久々だったので「田原総一郎、なんかフケたな」とか思っていた。他人の子供は時々しか合わないので成長が早く感じるけど、老人もそうなんだよね。

 話は飛ぶが、その昔、私は「田原総一郎」と「俵孝太郎」をごっちゃにしていた時期があった。
 いつその間違いに気がついたか忘れたが、誰にもその間違いを指摘されることもなく(別に何も不自由はしなかった)、いつのまにか修正していた。
 たしか、「こんばんわ、俵孝太郎です」のモノマネをしようとしたら、「俵総一郎です」と言ってしまい、「あれ?」と気がついたのだと思う。
  検索してみると、けっこう同士がいたみたい

 ええと、話が逸れてしまったが、たしか昨日の「朝まで・・・」は、イラク誘拐事件がテーマで、途中から見て、15分くらいしか観てなかったのだが、誘拐された二人組みジャーナリストの片方が席に座っていたけど、私が観ているときには、他の人の気勢に押されて、ろくに発言できてなかった。あの番組は格闘技番組なので、シロートが出演しても、なかなか技を繰り出すことができないのは、相変わらずだなあ、と思った。

 まあ、しかし、酔っ払っていたので、ちゃんと観てなかったのだが(歯磨きなどの寝支度のBGMだったわけだし)、今朝は一応シラフだったので、「わあ、こっちもとうとう記者会見かあ」と思ったのである。

 しかし、よく観えてなかったのであるけど、なんだこの喋り方は!
でも、夜の番組でもう一度ちらりと観てみたら、かなり突き放したような雰囲気で喋ってはいるけど、18歳今井君はなぜかずっと現在形で喋っており(「そこで食事が出ます」「移動します」)、そういう喋り方の人なのか、それともやはり会場の雰囲気や激しいストロボ攻撃であがっていたのかもしれない。

 まあ、ああいうかんじになってしまう芸能人もよくいるし、サッカーの中田なんかも、ああいうかんじだよなあ。中田は別に悪い意味で世間を騒がせていたわけでもないので挑戦的な態度が逆にウケていたりしたけど、天才サッカー選手と誘拐被害者が同じような態度というのもちょっと受け入れがたい。

 18歳今井君については「若気のいたり」という納得の仕方もあるが、横にいた32歳郡山君も、なんだか離婚会見でヘラヘラしている2流タレントみたいだったぞ。
 自分が浮気したのが原因だったのに「皆さんだって、そうでしょ?」と開き直っているような・・・・

 そうだ、私があれを観て、ちょっと思い出してしまったのは、友達の夫婦関係が悪くなったときに、こっちも親身になって愚痴をきいているつもりだったし、それで何か意見を言うと、「こういうのは結婚した人じゃないとわからない」とか言われたときの感じだ。
 記者会見した二人は別に「あなた方は自分と同じ立場にいないから、わかりっこない」ということを言ったわけでもないが、なんかそういう感じがしただけだ。

 ちゃんと自分の気持ちを相手に伝えるのって難しいよなあ。
 きちんと話せばいいというわけでもないということをまた再確認してしまった。彼らは彼らなりに「ちゃんと話そう。伝えたい」と思っているだろうことはわかるけど「それが私の使命」みたいに言われちゃうと、ちょっとなあ。
 たぶん、そのあたりの「自分がそうしたいから」という気持ちがちゃんと表現できていないから、なんか傲慢な印象を与えてしまうのだと思う。

 とりあえず、あの二人は、あの会見でお茶の間を敵に回してしまったような気がするので、挽回作としては「踊るさんま御殿」か「さんまのまんま」に出演することを提案しておこう。
 さんまがイジっても「実はおチャメ」なところが出なかったら、もう打つ手はない。

 でも、朝日新聞のインタビューだと、ちゃんと「海外旅行も不慣れで、英語もろくに喋れない少年が巻き込まれた災難と不安」の様子が描写されてて、「こっちの路線で会見すればよかったのに」と思った。「会見では堂々といえた」なんて、言っちゃってるあたりが、「若気のいたり」よね〜誰も「毅然とした態度」なんて求めてないのに・・・・

 でも、若い男の子の変なミエのはり方というのはこういうもんなんだ、と心の片隅にメモしておこう。仕事上役立たせるためです。(ハイジとかも多分、こういうメンタリティーらしい。オバサン連中には泣きで攻めたほうが有効なのに、それがわかってないんだよね)  
表紙に戻る / 過去の日記を読む