可燃物な日々
ご意見・ご感想・誹謗中傷などございましたら、感情廃棄物再利用所までどうそお気軽に書き込んでください
4月30日(金)
もちろん出勤。
そして、仕事の後は飲み会。
そして、2次会のカラオケで「キュティーハニー」などを歌っているうちに、日付は5月になったのであった。
カラオケといえば、アニメソングばっかり歌っていたが(自分で歌うよりも「ガンダム」とか入れると、部長二名が自動的に歌いだすのがおもろかったので)、急に「♪ ダンダダンダダン ダンダダンダダン ダンガ〜ド 好きさ 好きよ ダンガート エ〜ス〜」という歌を歌いたくなったのであるが、発見できなかった。今度、アニソンが揃ったところで思い出したら挑戦しよう。あの歌は単純で力強くて、歌詞も恥ずかしいほどまっすぐだったので、けっこう好きだった。
でも、肝心のアニメの内容はさっぱり思い出せない。
へえ〜、松本零士原作だったんだ。
ひょっとして「ダンガード」で探したからカラオケで出てこなかったのか?「惑星ロボ」で探せばよかったのかなあ。
それに「好きさ 好きよ」じゃなくて「好きだ 好きよ」だったかな・・・・・
4月29日(木)
いつも愚痴っていますが、年末年始も盆暮れもGWも休みじゃない悲しい我が身であった。
いや、別に、休んでも一向に構わないのですが、ただそんなに有給は無いのであった。(全部使っても、週休二日&「暦どおり」の会社に10日間ほど届かない)親会社は強制的に「定休日」になるので、そっちの社員は強制的に有給を消化しているけど。(もしくは、連休明けに、10日連続出勤などの力技を発揮するか)
まあ、どちらがいいかと言えば、休む日を選べるほうがいいとは思うのだが、電話も来客も無いオフィスで一日中座っているのはけっこう修行である。他に誰もいなければ、読書したり昼寝したりして時間を潰すのだが、けっこう何人か出社してきているので、サボるにサボれない。
さて、昨日の夕方発表された「未納三兄弟にもっと兄弟がワラワラ
いた」事件ですけど、管代表もトホホでしたが、福田官房長官もだったとは、二流の小説家でも思いとどまるような展開に、「国民全員が失笑」ということになったようです。
でも、今朝の新聞やニュースを見て、やっと私の個人的な謎が解けました。「年金未納」と聞いて「健康保険はどうしていたのだろう?」と思っていたのですが、私の想像以上にフクザツな仕組みのようで、保険は公務員の「共済組合」になっていたようです。
そりゃ〜、たしかに、多少知っている人だったら「保険と年金はセットで加入」なわけなので、それが別々に加入ということは思い浮かばなかったに違いない。
でも、いくらヤヤコシイと言っても、ちゃんとやってる人はちゃんとやっていたわけで、それは「秘書なり、奥さんなりが優秀だったか、たまたま確認をとった役所の職員がまともだった」ということだったんだろう。
かなり特殊なケースなので、職員でも正しいカラクリを理解している人は少なかったに違いない。
それに、もし、これが「かなり誤解を生む可能性のある複雑さ」ということに気がついた優秀な職員がいたら、「大臣になられた方へ」という書類の一つも用意してあげただろう。
だから、前にも書いたけど、会社を辞めた人が、自分で速やかに役所に国民年金の手続きに行くわけがないので、退職した人には「退職された方へ」という書類を渡している。そして「とにかく、すぐ役所に行け」と啓蒙しているのだ。
テレビでの街頭インダビューでは、閣僚の「未払い」を「けしからん」と断言する人が多かったが、自分が総務の職についていると、社員たちがいかに年金や保険に疎いかよくわかっているのである。
そもそも、どういう基準で課金(?)されているか、みんなわかってないはずだ。
私が不公平を感じるのは「健康保険」のほうである。「国保」は年収に応じて計算されているけど、「社会保険」はそうじゃない。「見込みの月収」で計算されているのだ。ちょっと前までは賞与に対する計算が低くて、疑問に思っていたのだが、去年あたりから賞与に対する金額も上がってしまったけれど、それでも完璧ではない。あれは、同じ年収でもけっこう違うと思うんだけどな。
税金は年末調整があるけど、サラリーマンの年金や保険は調整が効かないので、けっこう気の毒なことになるケースも多い。病気療養で長期休暇をとった場合など。まあ、それも社会保険である程度保障してくれたりするから、最終的にどうなのかよくわかんないんだけど。
で、私がよくわかんないのは、みんなそれだけ無知のはずなのに、「年金」と「健康保険」はちゃんと区別しているってところだ。
「健康保険」のほうが掛け捨て感が強い。私みたいな滅多なことでは病院に行かなくて、せいぜい年に2回ほどコンタクトレンズの処方のときとか、あとは数年に一回、大風邪ひいたとかでしか保険証を使わないので、年に数十万(そんなに払ってないか、でも月に1万数千円支払っている)の負担は自分的には「マイナス」である。
でも「健康保険」はコマめにご利益を得られるので、自分が損していると思う人はあまりいないようだ。
それに、一回でも大病してみれば、「健康保険」がかなりカバーしてくれることに気がつくみたいだし。
それに比べると「年金」は、現世利益(?)がほとんどない上に、「自分が老人になったときに財源が底をつくのかも」という、「今そこにはない遠い危機」のほうが民衆に恐怖感を与えるのだなあ。ってゆーか、マスコミの影響もあるんだろうけど。
そういえば、羽田空港の暴走車のニュースはすごかったなあ。
リムジンバスを乗っ取って、滑走路をグルグルしたらしいけど、それって映画「スピード」そのまんまじゃん。
犯人は岸壁から海に飛び込んだというので「そのまま逃げ切ったのか?」と思いきや、水死していたらしい。
うーん、まさに「スピード」(隠語のほうね)の香り漂う事件だ。
大きな被害が出なかったのが幸いであった。(GW前だし、けっこう迷惑かけられた人は多かったみたいだけど)
あ、NHKで「生活騒音」について、なんかやってる。
私はわりと鈍感なので、というか上の階が子沢山だったので、足音にはすぐに慣れてしまったし、お子様たちもだんだん大きくなったので、最近はあまりドカドカと音がしなくなった。
ところが、先日、休みの日にゴロゴロしていたら、上の階からサックスの音が聞こえてきたのでびっくり。
「うわ、高校生になったご長男がバンドでもはじめてしまったのか?」
うちの実家の前の家ではバンドはじめてしまった息子がよりにもよってドラムの練習しているので、かなりうるさいと親がこぼしていたが・・・・・
「夕方とはいえ、よりにもよってサックス・・・・・」
ギターやベースだと、アンプに通さなければ、それほどうるさいわけでもないのに・・・・・
しかも、そのサックスはかなり下手っぴで、やっと鳴らしているというかんじだったのだが、どうも「ラジオスターの悲劇」を演奏しているように聴こえたのである。あのサビの「ビデオ キル レディオスタ〜♪」に聴こえるフレーズがよれよれと演奏されていて「なぜに?」と思ったのだが、その後、あの音色は響かないので、たまたまサックスを持った友人が遊びに来ただけだったのだろうか?そう願いたい。
練習したかったら、多摩川に行こう!多摩川に夕暮れにに行くと、みんなトランペットなどを高らかに練習していて、ちょっとした「キカイダー」状態です。(あれ?トランペットはゼロワンだったっけ?)
4月28日(水)
西の空が惑星大集合で豪華だが、今日の金星はすごかったなあ。
「お星さま、キラキラ〜」というよりも「ギンギンギラギラ」というかんじであった。
私の目がおかしいのかもしれないが(強度の乱視である)、ほんとに星☆型に見えたもの。「お前はヒトデか!」って突っ込みを入れたくなるくらいだった。
「あんなにギラギラ光ってたら、すぐに燃え尽きてしまいそう」なんて、うっかり思ってしまったが、あれは惑星であって、恒星じゃないから、自分で萌えて、じゃなくて燃えているわけではない。
反射しているんだよね?(その反疑問系の?マークは何?)
ちゅーわけで、授業中に窓際の席のイタズラっこな男の子が鏡を反射させて、廊下側の席にいる友人を攻撃しているような光景を思い浮かべてしまった。「ちょっと、金星君!眩しいったら、こら!」
今日は仕事でまたポカをやってしまい、ちょっとだけヘコんだ。
久々に「支払サイトのミス」というか、まあ、よくあるんだけど、それで真剣にクレームを入れてくる会社は少ないのだが、でも、前もそうだったけど大企業ほどそういうのが厳しいらしくて「○日のお約束のハズだったのに・・・」とネチネチ言われたので、あっかるく「すいません、うっかりしてました」と答えたのだが、なんか後味悪かった。
そういえば、某派遣会社の取り立ての電話が錯綜していて、それも妙だったな。
そもそも、少し前に辞めた(というかそのチームが解散したので、契約を延長しなかった)派遣社員がいて、その会社から派遣されている人がいなくなったのであるが、最後の一ヶ月分が支払われていないという連絡があった。
そのチームのボスは外出が多い&整理整頓がなってないので、過去にも何回か未払い事件があったので、郵便物を仕分けしてくれる人には、そこからの請求書を直接経理に渡してくれるようお願いしてあったのだが、仕分けしてくれる人が変わって(派遣だったから)、またそのボスに回ってしまったらしい。
そういうわけで、電話してくれた人には「申し訳ないけど再発行して、経理宛に送ってくれ」とお願いしたのだが、しばらく経ったらまた電話がかかってきて、そういやその後、請求書を見た憶えがなかったので「再発行お願いしたんですけど、送っていただいたのでしょうか?」と言ったら、相手は営業担当者ではなく、入金管理をしている部署の人らしく「それでは、営業担当者に確認してみます」と言うので「とにかく、こちらでは金額もわかってない状況なので、請求書さえ頂ければすぐにお支払するんですけど」と言ったのだが、その後、1ヶ月くらい経過しているが、私の手元にはまだ届かない。
どーなってるんだろうか?まあ、たぶん、営業担当者がちょっととっ散らかっているんだろうなあ。
その人からの電話でも「いつお支払いただけますか?」と日にちの確認をせっつくので「とにかく、請求書が届き次第、お支払しますから」と言っているのに、「それは何日でしょうか?」と繰り返すので「請求書が届けば翌日には処理できます」と言ったら「じゃあ、今月末には大丈夫ですね」とか言いやがるので「まだ今日は10日ですから、25日までに請求書が届けば、月末は確実です」とか言っているうちに、非常に疲れたのであった。
で、なんとなく想像してしまうのは、たぶん担当者の彼女は上から「この未収先の入金はいつになるのか書類だせ」とかせっつかれたので、とにかく何日か知りたい一心で電話してきて、その回答が得られた時点で「請求書再発行」という重要事項が抜けてしまったのだろう。
最初に紛失したのはこちらの責任なので、なんとかして、さっさと支払いをしてしまいたいのだが、またあの担当者と話をするのもおっくうだし、そもそも名前忘れちゃったし、そうなると、彼女を飛び越えて他の人に言うと、よけい混乱しそうだしなあ。
というわけで、また連絡してくれるのを待っているのだが、来ないなあ。
自分もパニクると、けっこうアワアワしてしまうほうだから、偉そうなこと言えないけど、でも人に何か頼みごとやクレームを入れるときには、意識して落ち着いて余裕を持った態度でやったほうが、結局、目的を達成できる可能性は高いと思う。
その昔、初めての海外旅行に行ったときに、帰りの飛行機に乗る際、時間がギリギリ(でもなかったんだが、超ビギナーだったんで2時間前を切ったということで焦ってしまった)になってしまい、初めて行く空港で、チェックインカウンターを探してさまよってしまった。
インフォメーションの係員に見えた人に「シンガポール航空のカウンターはどこですか?」って聞いてみたが、「知らない」と言われて愕然。(他の航空会社の職員だったらしい)
それで、アワアワと駈けずりまわり、それっぽい人に次々に声をかけてみたのだが、みんな「知らない」と言う。
結局、「落ち着け、落ち着くんだ」と自分をクールダウンして、案内板を探して、なんとかたどり着いたが、その話を旅なれた友達にした。「せめて、インフォメーションの場所くらい教えてくれたっていいじゃん!」と。
そしたらその友人にきっぱりと「余裕の無い人って、そうなっちゃうんだよね」と言われた。
彼女もそういう体験を何度かして、学習したようだが、切羽詰っているときにその勢いで他人に助けを求めてもダメなんだそうだ。
たしかに、助けを求められたのが自分だとしても、相手に時間的精神的な余裕がないとなると、それに対して自分が即座になにかできるかというと、あまり役に立てないと思ったら「他をあたれ」という態度をとってしまうかもしれない。
でも、相手が余裕を持って、なにかお願いしきてくれれば、こっちも余裕を持って「うーん、じゃあ、こうすればいいんじゃないかなあ?」とアドバイスすることくらいはできるかもしれない。
特に西洋人の雇われ人は「自分の仕事ではないこと」に対しては、きっぱりと「知らない」と言うので、こちらが余裕を持って「でも、あなたの知っている限りでいいので助けてください。それが間違っていてもあなたの責任を問うわけでもありませんから」という態度で臨むと、わりとちゃんとやってくれたりする。
ちなみに、インド人などが代表だけれども「知らない」と言うのに疚しさを感じる民族は、デタラメでも何か教えてくれようとするので、それもいいときはいいけど、迷惑を蒙る場合も多い。「わからないなら、わかんないって言ってくれ〜〜〜〜」
そういえば、今日はドルのキャッシュを用意するために、電車に乗って銀行の窓口まで行った。
初めて行ったし、普通の預金の出し入れではないので、「どの窓口なのかな?」と奥へと進んでいたら、整理券発行機の前にいた案内係りがニコヤカに「どのようなご用件でしょうか?」と話し掛けてきたので、「外貨預金から、現金を引き出しに・・・・」と言ったら、整理券を出してくれて「こちらの窓口になります。あと4人待ちなので、お掛けになって少々お待ちください」と言われた。
しばらくそこで、おとなしく座っていたのだが、あたりを見回してみると、私が順番待ちをしている窓口は「相談窓口」で、客一人あたりの処理時間がけっこうかかるようであった。「でも、ここ横浜だし、外国為替と相談窓口は同じなんだろうか?」と思ったので、さらにキョロキョロしてみると、もっと奥のカウンターの上に「ローン・外国為替」と書いてある。
「あっちなんじゃないだろうか?」と思ったのだが、案内係がそう言ったわけだし、でもなあ、私の常識だと、あっちだよなあ。と思って、しばらく我慢していたのだが、「相談窓口」のほうが全然動かないので、我慢しきれなくなって、さっきの案内係りの人に「さっき、こっちの窓口だと言われたのですが、ドルの現金を用意してもらう用件なので、あっちの外貨窓口なのでは?」と言ってみたら、「ドルのキャッシュのお持ち帰りですか?」「そうです」「あ、失礼いたしました。じゃあ、あちらの窓口です・・・・・」
けっこう時間が経っていたので(でも、5分くらいなもんだが)、案内係りの人も、ちょっとビクビクしているのがわかったので、こっちは別に急いでもなかったので(銀行でちょっと昼寝するべ、くらいの気持ちでいた)「いえ、私も説明が足らなくてごめんなさい」とニコやかに「どんまい」を表明して、新たに外為窓口の整理券を貰うと、またおとなしく待った。
誰にだって間違いはあるし、たしかに私も慣れてなかったので説明が足りなかったし、向こうもきちんと恐縮して謝ってくれたわけだから、怒るようなことでもない。
それで、対応してくれた外為窓口の職員が、前日ちゃんと「明日うかがいますから、ドル現金をこれだけ用意してください」と伝えてあったので、私が持参した引出し伝票を見ると、「○○様ですね、おうかがいしております」と気持ちよく対応してくれたので、受付係りのミスも帳消しだ。
あそこの銀行は、あまり担当者が好きじゃないのだが、担当者のわりと営業部でも上の人間は自分のことしか考えてない風情だし、その部下の若造はマニュアル通りにこなすので精一杯というか、クールすぎで型通りなんだけど、女性職員の対応がいつもとてもいいので、救われていると思う。
そういうのを目の当たりにすると、けっこういろいろ勉強になります。
特に銀行などは、数字を抱えてないそういう下っ端社員の対応のほうが、心に響いたりするわけです。
銀行は、案内役の社員には、元行員だったようなOGを使うことが多いみたいだけど、彼女らは、自分の行動が顧客の心象をかなりダイレクトに操ることに気がついている人が多くて(特に高年齢層に対して)、ちゃんと頭を使って最善作をとろうとしている様子もよくわかるので、非常に好感が持てることが多い。
数字抱えている第一線の人たちは、数字とっちゃうとあとは知らん振りですからね。
ええと、また何書いているのかわからなくなりましたが、「心の余裕」って大事だということで、もちろん、余裕だのなんだのって言ってられないことも多いわけですが、そういう時こそ、ちょっとだけ影でふか〜く深呼吸してみて、相手に「せっぱつまっている」ということを悟られないように気をつけて行動するのが成功を生むのではないかと思うわけです。
せっぱつまっている人に、アワアワと何か言われると、こっちまで巻き込まれてしまうので・・・・・
でも、まあ、この世にはアワアワと言わないと、ちゃんとこっちの意思が通じない人もいるので、そのあたりの力加減も難しいのですけれどね。
でも、基本的には、こちらが心にゆとりを持って、きちんと相手に「真っ当な要求」を言えば、相手もきちんと余裕を持って対処してくれるのだと信じたいし、自分もそうしたいと思う。
4月27日(火)
昨晩はウダウダと日記を書いているうちに強烈に眠くなり、パタンと寝てしまった。ので、今日は二日分アップっぷ。
朝起きたら、また「女の子の日到来」で、どうりで眠かったわけだ。
しかし、「一日も狂ってない!」と自らの体の神秘を大絶賛したばかりだというのに、一日早かった。とほほ。
つーわけで、鉄サプリをぶっこんで渋々会社に行ったのでございました。
そーいや、昨日の査定面談で上司が「仕事以外ではなんか言いたいことありませんか?」と言うので「別にないっすねえ」とか応えていたのだが、そしたら上司が「そういや、ミヤノさん、最近早めに帰ってない?」と言うので、「まあ、そうかも。ここんとこ、朝わりと早く出社してるんで、6時半前には帰っちゃうんですよ」
そしたら「そうか、社長がミヤノさんの帰りが早いって、ちょっと気にしていたから・・・・」だってさ(笑)
そーいや、この間飲みに行ったときに、「なんだずいぶんデカい荷物だな」と言われたので、「なんにも用がないときには、プールに行ってるんです」と行ったら「そうか、プールか」と納得していたのだが、そーいや、先週は月曜日は誕生会だったし、金曜日は夜遊びするつもりだったので、6時前にはたったか帰っていたので、目立っていたのかもしれない。
でも、私が早く帰ったからって、どうでもいいじゃんよ〜と思ったのだが、でも気にされていたということは「あら、社長ったら、飲み会に私がいなくて、寂しかったのね。やっぱ、あたしって気に入られているのかしらん」と一瞬思ったが、でも、想像力逞しいので、私がいない飲み会のときの、社長と上司の会話をシミュレーションしてみると・・・・
「最近、ミヤノはとっとと帰っちゃうなあ。」
「そうですね」
「なんか、男でもできたんじゃないか?」
「そ、そうなんでしょうか?そんな感じですか?」
「いやー、よくわからんが、いきなり結婚するとか言い出したら、どーするおまえ」
「う、それは困ります〜〜〜〜〜」
ちょっとムカつく(笑)
・・・・・・って、自分で想像して、自分でムっとしてどうする。
まあ、あの社長、社員の様子をわりと観察しているのである。
ところで、上司から、ハイジとどんな話をしたかも聞き、ハイジが最近煮詰っているのは私もわかっていたが、そのあたりもなんとかモチベーションを上げる手伝いをするように言い付かったので、素直な私は「ハイジとも、もっと密にコミュニケーションとらないとなあ」と考えたのでございますよ。
1年経って、だいたいわかったのだが、ハイジは「人見知り屋さん」である。という表現が正しいかどうかはわからないが、「気の置けない人」への態度とそうじゃない人(主に目上とされている人)への態度が全然違うのだ。
私は後者に分類されているようだ。そして、もっと警戒されているのが上司。
気さくな人柄の上司なので、なんであんなに打ち解けられないのかわからないが、でも上司が在籍しているときのハイジはほとんど無駄話をしないけど、上司が不在だと私以外の「気の置けない」女の子たちに「ねーねーねー」と馴れ馴れしくお喋りを始める。
まあ、誰にでもそういう「癖」はあるのだろうけど、ハイジのはけっこうあからさまなので、それは私にとって、あまりいい関係ではなかった「元同僚のギャル」にも似たところがあって、大変扱い難いのだが、でも、今日の私はちょっとイケイケだったので、体調不良だったんだけど、ニコやかにハイジにあれこれ話し掛けてみたのだが、反応が滅茶苦茶冷たくて、私が「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」くらい話し掛けているのに「はい」とか「そうですね」で終わり。話が膨らまないじゃんかよ〜〜〜〜〜
上司の話だと、ハイジはもっといろいろ仕事をやりたいようだし、経験不足も感じているので、「ミヤノさんから、もっと仕事を教わりたい」と言っていたようだが、こっちだってもっと伝授したい気持ちでいっぱいなのに、もっと「ミヤノさん、僕にもっといろいろお話してください。ミヤノさんのお話を聞くの大好きですっ」って態度を示してくれないと、こっちだってノレないじゃないさ。
あたし、別に仕事を抱え込むつもりもないし、自分で持ってるノウハウはできるだけ公開したいというか、根がオシャベラーなんで、「聞き上手さん」相手なら、延々説明しちゃる性格なのよ。
もっとも、根が「物語体質」なので、私の話は決して簡潔ではない。「そもそも、古代マヤ文明では・・・・」とか言う話をちゃんと聞いてもらえないと、現在のメキシコ経済を説明できないのだ。
てゆーか、マヤ文明の話なんて聞きたくないね、って態度をとられてしまうと、その先に進めないのである。
まあ、そーゆー自分の癖も、なかなか相性がいい人が少なかったりするのだが、こっちも努力しているのだし、そっちだって少しは私の癖も理解しようとしてくれてもいいのではないか・・・・・と、思うことがすでに傲慢なのかなあ。
いろいろ悩みはありますけど、ほんとに世の中って、今現在、親兄弟親友よりも顔をつき合わせている、目の前の席の同僚すら「思った通りに動いてくれない」わけで、ほんとうに難儀なことでございます。
「会社を変えようと思ったら、まず自分が変わらないといけない」という言葉は真摯に受け止めますが、でも、あたし、人としてはけっこうイケてると信じているので、自分のやり方が通用しないと、かなりヘコむざんすよ。
グチグチ書いたら、ちょっとだけスっとした。
まあ、友達っていうのはけっこう淘汰されるというか、ある程度選べるけど、仕事での人間関係って選べないからねえ。だからこそ、面白いともいえる。(必死に前向き)
北朝鮮とかも、「わけわかんない同僚」や「上司」だと思えば、あんなもんかも。
「自分だったら、もっと別のやり方をするのに」と思っても、他人様というものは、決して自分と同じに行動してくれないもんだ。
今日はかなり「春の嵐」
会社でも外出したら「傘が折れた〜」人がいた。
会社帰りに、近所の遊歩道でやっと今年初の「かえる」を目撃。
まだ若いのか、体長5センチくらいの小さなガマがえるだった。
遊歩道の植え込みにいたので、救出する必要もなかったが、応援するつもりで、傘の先でツンツンと突付いてみた。ピョコピョコと逃げてくれた。かえるぴょこぴょこみぴょこぴょこ。
私にとっては「がんばれ〜希少動物」な行為であったが、向こうにしてみれば「なに、この人、なんで突付くの?」ということであったろうことは想像にかたくない。
よし、ハイジも「カエル並」だと思って、明日もまた頑張って突付こうと決意した。(迷惑行為かもね。知るもんか!)
4月26日(月)
昨日も大河ドラマの新撰組を観てしまいました。
やはり、今のところセリフは少ないが、筒井道隆君は凄いなあ。あの棒読み。
それに、どの役をやってもセリフ回しが同じだと思うのだが、でもそれでOKなところが凄い。(誉めているつもりです)
少し前に、三茶の劇場で筒井君が主演で「ファウスト」を上演していたので、「ふーん」と思っていたのだが、行っておけばよかったよ。舞台だと、どうなるんだろ、あれ?
検索してみたら、けちょんけちょんに言われていたけど(笑)
で、大河ドラマの新撰組も、新撰組に馴染みのある方々には評判悪いようですが、私は前にも何度か書いていますが、新撰組について全くのドシロートなので、「ふーん」と思いながらけっこう楽しく観ています。
どの程度、シロートかというと、坂本竜馬も新撰組の一員だと思っていたとか、池田屋と言えば「階段落ち」で蒲田行進曲なだけで、いったい誰がなんのために落ちたのか知らないとか(ええと、風間杜夫ではなかったな)、たしか誰かは結核で死んだような・・・・(沖田総司?)
そもそも、何のために組織された集団なのかさっぱり知らなかったので、大河ドラマを観ていても「尊皇攘夷」という概念はわかるが、香取君が「上様」と言うのは、将軍なのかね?天皇が「天子様」?
イマイチ、幕末の時代背景がよくわからんので、派閥の関わりもよくわからんままに、「オダギリジョーは、いい役もらったなあ」なんて思いながら観ています。
でも、今回とかも香取君演じる近藤勇が江戸にいる家族にあてた手紙を軸に展開していて、脚本家の三谷氏があれこれ工夫しながら、なんとか「自分色」を出そうとしているのが滲み出ていて、そっちで涙ちょちょぎれます。
せっかくだから、ネットでいろいろ新撰組について調べてみると、けっこうエグイ逸話が多いので、それを今後どうするのかなあ。
今のところ、サラリーマンの派閥争いみたいな軽いノリにしているけど、サラリーマン社会は「首切り」とは言うけど、実際なかなか殺さないからなあ。(まあ、でも、けっこう死んでるか)
今日は会社で上司と査定面談。
経理課としては、いろいろ想うことはあっても、現在ちょっと目標を見失っているような「停滞期」である。
そのことを上司にもブツけてみた。「数字は押さえているんだけど、それをどう発信していいのかわからない」
上司もそれは長年やってきたことだったが「なかなか、その意思は通じなくて、イケイケ・ムードで行っているかんじなんだよね」
たしかに、まあ、それでいいといえばいいのだが、経理が多少「ワルモノ」になって足を引っ張るという形も必要だと想うが、上司にもそれが出来ないとなると、私やハイジ、クララにはとても難しいことなんだけど・・・・
でも、ある意味、引導を渡されたのだと解釈しよう。
結局、誰かがやらなければいけないことだし、前の会社では散々やってきたことだから、その気になればできるのよ。でも、消耗するからあまりやりたくないんだけどね。
少しだけ頑張ってみるか。
あんまし、頑張りたくないんだけど。
でも、結局は他人任せにはできないってことで、自分で「おかしい」と思ったら、それをちゃんと伝える技を持たないと、ただ影で愚痴を言っているだけになっちゃうわけで、そういうのはあまり好きくないし・・・・・
でも、自分で自分をよくわかっているので、自分にはそういう「カリスマ性」が無い。
なので、私の人生はそういう「カリスマ性」のある人物に付着して、あれこれと知恵(データ)を吹き込んで、結果的に自分の思い通りにするという手段をとってきたのだが、上司はあまり私の出すデータで踊ってくれないので、こうなったらハイジを踊り子さんに仕立てあげるかねえ。ふふふふふ。でも、ハイジもあんまり踊ってくれなさそうだ。
というわけで、踊り子さん募集中である。(だ〜れがいいかな〜フォフォッフォ)
組織を動かすのは、難しいねえ。
みんな、てんでバラバラだしさ。
ちゃんと、わかっててバラバラだったらまだしも、理解度もバラバラなので、本当に手ごわい。
イラクの誘拐での「世論のてんでバラバラさ」を見ても、「ああ、こういうかんじ」と思う。
インターネットの普及で「日本国民のてんでバラバラさ」が明らかになっているけど、これでイラク国民も同じようなネット環境を持っていたら、もっとわけわからんぞ。
日本国民としては、自衛隊がイラクでどういう受け取られ方をしているのか気になるところだが、イラク国民が「日本の自衛隊どうよ?」なんてスレを立てたら、かなり混沌とするだろう。
だいたい、日本のメディアが調査した「日本の自衛隊に何を求めるか」っていうようなアンケートでも、トップは「失業対策」みたいなことになっており、要するに日本に期待されていることは「企業の進出」であることは想像に難くないが、でもあんな治安の悪いところで工場なんて建てられっか?と、思うのだが、でも現地の善良な市民が求めているのは「仕事」なんだろうなあ、やっぱ。
私も失業中のときには、かなり心が荒れたので、ちゃんと稼げれば、ある程度のストレスは解消できるってことは身に染みてわかるしなあ。
そういえば、「年金国会」を揺るがしている閣僚の年金未払い問題であるが、江角マキコの汚名がこんなことで挽回されてますが、(あ、「汚名挽回」は間違った日本語だった。汚名は返上されてはいないが、少し薄まったと言いたい)総務部社員としては「ありそ〜」なことである。
社員が退職するときには、「すぐに役所に行って、国民年金への切り替えしてね」と啓蒙しているが、それをすぐにやらないと、あのまんまなのは想像がつく。
自分の友達で、そういうこと(国民の義務)について、それなりに意識のある子でも、会社を辞めた後にその手続きを怠り、「うーん、どうしよう」なんて言っている人も多かった。月々ちゃんと支払っていれば、それほどの金額にも感じないが、半年くらい経過してしまうと、けっこうまとまった金額になってしまうので、支払を躊躇してしまうらしい。
でも、そういう「国民年金未納者」のネックになるのが「年金」と「保険」の申し込みが一括りになっているところで、「保険証」を使おうと思った途端に「年金も」ということになるようだった。
「国民年金未納」だった先生たちは、「国保」も使う機会なかったのかな?
たしかに、港区あたりで営業している「セレブ向け」の医者の多くは「保険きかない」のが当たり前だった。特に歯医者!
芸能界御用達の歯医者の多くは「保険きかない」らしかった。
そういう歯医者の前にはよく「外交官ナンバーの車」が運転手付きで路駐してたもんなあ。
セレブじゃない人たちは、たとえ国民年金への加入を怠っていたとして、「保険証欲しいし」と思ったとたん、「年金」への加入も思い出さないといけないわけだけど、20年も年金を払わなかった閣僚さんは、保険証も不要だったんだろうなあ。
たしかに、制度としては変なことになっているようだ。
外人と結婚したAは、自分は「サラリーマンの妻」という気持ちでいたようだが、ダンナが「国保」なので、自分も「国保」を負担しないといけなくて、自分が働けていない今、それは家計にダメージを与えているようだ。
なのに、例えばうちの社員でも「弟がフリーターなんで」と私と同じような収入で、同じような保険負担料なのに、母親と弟を「扶養家族」にしている人もいる。
「不公平だな」とは思うが、でも、完全な公平なんてありえないわけだし、難しいねえ。
4月25日(日)
土曜日の朝帰ってきて、ビール飲みながら日記を書いて、寝たのが8時くらいだったようだが、ふと目がさめたら、まだ昼間のようで、まだ眠かったので寝直して、ふと目がさめたら、もう夕方のようで、水分補給してからまた寝て、次に目がさめたら、もうすっかり夜で「どうしよう」と思ったが、そこで起きてしまうと、また時差ボケになってしまうから、がんばって寝てみたら、眠ることができて、でも、何回か夜中に目がさめてしまったのだが、そのたびに気合入れて寝なおし、それを何回か繰り返していたら、やっと朝になった。それでもしばらくゴロゴロしていて(寝すぎでダルかった)、ちゃんと起き上がったのは9時だった。
すごいなあ。結局、24時間寝ていたよ。
なんだか久々に達成感を感じる。
こんなんで「達成感」と言っていていいのだろうか?という疑問もあるが、でも本人がいいなら、いいじゃない(笑)
そんで、30時間近く何も食べてないので、布団干してから、午前中に外に出かけてドトールで軽く食事してから(老人がワラワラと集合していて、常連さん同士で挨拶。店員さんも彼らに挨拶していたので、毎日だか毎週そこで集合しているようだった)、スーパーで買い物してから家に戻り、掃除洗濯。
1時には2度目の洗濯。
ああ、早起き(本人比)すると、家事が捗るわあ。
その勢いに乗って、靴磨きとアイロンがけまでしてしまった。ついでに、やっと、しまってあった春夏物の服も出し、冬物をまとめる。残念ながら現金があまり残っていなかったので、クリーニング屋には行けなかった。
まあ、しかし、久々に「正しい週末の過ごし方」だったと言えよう。遊ぶ、寝る、掃除洗濯。
締めとして、銭湯に行ってリフレッシュ。
完璧だ。
4月23日(金)
ほんとは明日の土曜日は出勤の予定になっていたのだが、かみちゃんが「ドック・マーティン行かない?」とメールしてきたので、クララと休みを替わってもらったのである。
まさかクららも「ごめん、土曜日に用事ができちゃって」という意味が「金曜深夜にクラブに行ってしまうので・・・・」ということだとは夢にも思わないだろう。はははははは(それがなんだか楽しいらしい)
つーわけで、金曜日はとっとと家に帰り、少しだけ昼寝しつつ、「薔薇と牡丹」の総集編もちらちらと観てしまったが、ほんとに「真珠夫人」にも負けないような凄いストーリー。自分は父が多額の負債を残した会社を救い、妹を幸せにしたいからといって、自分の婚約者と妹を結婚させて、自分は会社を再建してくれるであろう実業界の大物の女になります・・・・・って、こんな話、私には絶対に書けないわあ。感動。
で、11時に家を出て、久々に六本木の青山ブックセンターで待ち合わせて、かみちゃん出掛けに「10年くらい会ってなかった大学時代の友達から電話があったりして、遅くなったごめん」
で、せっかくだからヒルズでなんかオシャレに食事しよっか〜でも、やってる店あるかなあ?と思って突っ切ってみると、(金曜の深夜は人通りも少なく、怪しげな雰囲気だった)、ヴァージン・シネマのすぐ下にある香港飲茶屋が開いていたので、「ここでいっか」と入る。
「ナイト・メニュー」というのが出てきて、深夜割増になっているようだった。メニュー数も少ない。
でも、パラパラ客はいる。かみちゃんは「なんかみんなオシャレだよねえ」と言うが、たしかに、ヒルズで働いているような人が夜食に選ぶ店でもないし、まあ、給料日の金曜日だしね。
というわけで、「どーせ、この値段でも、量なんてちょびっとなんだよ」とタカをくくっていたのだが、料理が来てみるとちゃんとしたボリュームで最後に来たご飯ものは全部食べられないくらいだった。
で、1時ごろ店を出て(2人で軽く食べて、っていててもかみちゃんは酒をお代わりしたし、食事は4品目)7500円くらい。まあ「深夜のヒルズでご飯食べちゃった〜」とうい気分を買ったといういことで。そして、とぼとぼ歩いてイエロー。
あのクラブはいつも1時ごろに行列ができるのだが、やはり20人くらい並んでいて、なかなか列が進まないと思ったら、並んでいたのは「ゲスト}(招待客。無料もしくはドリンク代だけ負担)のほうで、金払うひとはさっさといれてもらえて、中も空いているとは言えないが、混んでるってほどでもなかった。
で、30分くらいしたら、ドッグ・マーティンがプレイしはじめたが、これがなんとなく中途半端というかエレクトロっぽいマッタリさに、ちょこっとハウスというかんじ。
踊れなかったので、ラウンジで座っていたら、隣に座っていた男の子に話かけられた。一ヶ月前に大阪から出てきたばかりで、東京のクラブめぐり中らしく、話を聞くにつけ「そっか、今一番楽しい時期だね」
彼が私に話しかけたのは、私がラウンジで座りながらストレッチをしていたので「こういう人は、大御所だ」と勘違いされたようである。たしかに、年季的には大御所なんだけど(笑)
しばし、「おのぼりさん」と「最近はどこかいいとこありますか?」「う〜ん、私も全然遊びに行ってないからなあ」などと「あげは」はフロアも広いし音もいいよね、なんていう普通のクラバーの会話を交わしたので、けっこうゴキゲンになった。ありがとう、東村山在住のイズミ君。
で、またフロアに戻ると、かみちゃんは黙々と踊っており「でも、(BPM)ゆるいね」「ずっとこんなかんじのかね」とか言ってたのだが、ドックが回し始めたのが丁度2時くらいだったのだが、3時半過ぎてからやっと音がヤバくなった。「できるんなら、最初からやれ〜〜〜〜〜」
前にヴァスケス(GWにまた来るみたい。飛行機嫌いだって言ってたくせに〜、日本で小銭が稼げることを学習しちゃったみない)のDJ聴いたときにも1時間くらい「こんなもん?」と思っていたのに、その後、突然すごくなった。テクノ系
DJだと「出だしから一発」というノリだけど、ハウス系はやっぱり立ち上がり遅いんだなあ。
そんで、5時くらいまでいたんだけど、私ら「かなり老年チーム」は4時半には座ってお喋りをしていたのであった。
まあ、けっこう行ってよかったパーティだった。適度に空いていたし、踊り易かったので、1時間くらい夢中で踊れたし。まあ、これに懲りず、クラブには行くつもりです。来月はガルニエ様よ〜〜〜〜〜
●突然変異
前にも「ジュゲム・ゲノムがあ」とか書いたことがあるが、「じゅげむ じゅげむ」を小学生のころ完璧に覚えていたのにも関わらず、今更思い出そうとすると、「遺伝子組み替え」というかHMVのレトロ・ウィルスのように、私の体内で微妙に変化してしまうのである。
最近、私の「電車内での淡い片思い」である、「バルデラーの君」に歌ってほしいリストとして「ああ、あれがあった。あれも大好き。」
●クイカイマニマニマニマニマニ
あれもぜひ歌ってほしいと、一生懸命電波でリクエストかけているのですが、私の出力がイマイチなのかなかなか通じません。
でも「クイカイマニマニ」って、全部意味不明なだけに「じゅげむ」よりも遺伝子が組み変わっているかもしれない。
恥を承知で、組替えられたと思しき配列を晒しておきます。
クイカイマニマニマニマニ ダスキン!(じゃないと思うのだけど、自分の中ではこうなっている)
クイカイーホー
クイカイ ●● (遺伝子が欠落している!)
オニコディーモ
ウーマニマニ ウンパ
オニコディーモ
ウーマニマニ ウンパ ウンパ ウンパ ウンパ
ああ、何パーセントくらい保存されているのだろうか?
もっと、歌詞のはっきりした曲のほうがいいのなか。
さらば 地球よ 旅発つ船は 宇宙戦艦ヤマト
銀河を離れ イスカンダルへ (あれ、銀河でよかったんだっけ?イスダルって遠かったのね)
運命背負い 今 飛び立つ
必ず ここへ 帰ってくると 手を振る人に笑顔で応え〜〜〜〜〜〜
(ええと・・・・・ちょっと検索中です、なにしろこのファイルを最後に開いたのは20年くらい前なんで)
銀河を離れ イスカンダルへ はるばる ●●む (のぞむ?)
宇宙戦艦 ヤマト〜〜〜〜〜
ピンクレディだとどうかな
ペッパー警部 邪魔をしないで
ペッパー警部 わたしたちこれからいいところ
あなたの言葉が●●のよおおに
私の心に●●てくる ああ、かんじてる
そのときなの もしもし君たち帰りなさいと
二人を引き裂く声がしったのよ ああん ああん ああん あん
うーむ、やはり一部欠落しているようだ。
では、中学校のことに暗唱を強要された、これはどうだ!
はるはあけぼのよーよーしろくなりゆくやまぎわすこしあかりてむらさきだちたるくもの・・・・・・・げっ、最後までいえない。なんちゃら、たなびきたる、だったと思うが。
なつはよる、つきのころはさらなり ほたるが・・・・・なんか飛んでいるのがいいんですよね。そうそう、覚えてなくても「心」は残ってますよ。「心」は。大事でしょ?
あきはゆうぐれ ゆうひのさして ・・・・・・・・からすがねどころへいくとて・・・・みつよつ・・・・とか、カラズが小グループで飛んでいるのが、いいんですよね。わかりますとも。日本人ですからっ
ふゆは・・・・・・全然思い出せない。なんか火鉢の火がどうのこうの言ってたような気がしますが、うちにには火鉢ないので、その灰がどうもといわれても・・・・・・・・
ひー、けっこう覚えてないもんだな。
ぎおんしょーじゃのかねのこえ しょぎょうむじょうのひびきあり シャラソウジュのはなのいろ じょしゃひっすいのことわりをあわらず
ええと、おごれるものはひさしからずや 春の日の陽だまりみたいに・・・・・なんちゃらなものは、なんちゃらかんちゃらで、なんとかがなんかのごとし。
ひいい〜〜〜〜〜河野せんせ〜(もう孫がいそうだな。先生の息子は当時小学生だった)、せっかく暗記させられたのに、ほとんど覚えてません!
話は戻りますが、かみちゃんちに久々に電話してくれた友達は「もう結婚した?」という不躾な質問を投げてきたようで(10年前と電話番号変わらんのだから察してほしい)かみちゃんが「まだだよ」というと相手は「ぎゃははははは〜」と大受けしていたのがショックだったそうだ。
出かけなくちゃいけないので、早々に切ったそうだが、「なんか、やっぱみんな結婚してるんだよね」と言うので、「でも、その友達は男?女?」「男の子」
親しい女の友人だった「まーだ結婚してなかったんだ」と冗談っぽく笑うこともあるけど、同じ年の男の子で「10年ぶりに電話かけてきた」というのが、給料日の金曜日だってことは、向こうのほうが寂しいじゃん(笑)
まじめな男の子だったら「ちょっと昔の友達に電話してみよう。まだ番号生きているかな?」と思ってかけたら、ちゃんと出てくれて「結婚とかした?」と言うのはアリだとしても、「いんや、まだ。ぜんぜん」と応えたら、笑うよりも先に「へんなこと聴いちゃってゴメン」と言ってくるだろう。
かみ 「はあ、なるほど、そうかもしんない」
みやの「だいたい、金曜日のそんな時間に電話してくれるヤツが幸福なわけないじゃん!」
かみ 「そうか、そうだよね」
みやの「だから、そいつが高笑いしたのは、結婚してないのをバカにしたんじゃなくて、自分がなんか話し聴いてもらいたいんだけど、なかなか、聴いてくれる人がいなくて、36独身女性だった、自分の気持ちがわかるかもしれないという、ヨロコビの笑いだったと思うよ」
実際、私の男友達でも「彼氏できたか?」「いねーよそんなもん」「ぎゃっはっはっはっはっは」と必要以上に笑うやつは、その後深刻な話(自分の離婚相談とか)を話はじめ「なんで、結婚経験の無い私にそんな話」と、とても迷惑だった。
だから、かみちゅにも「そんなことでブルーになっている場合ではない!」と説教した。
「そっか、そっか、たしかにそうだよね」と言っていた。
かみ「みやのちゃんは、結婚しないの?」
みやの「するもしないも、相手がいねーべ」
かみ「そうだよね。別に無理してするもんでもないし。私も結局、現状で満足しちゃってるしなあ」
今日のイエローは、テクニーク協賛というか、テクニークの店員がドックを呼んだので、「あそこの社長のK君来てないかなあ(K君はずっとAの憧れの人であった)とか、「シスコ ハウス店のYちゃんは来てないかなあ」(Aの大親友であ)った)とキョロキョロしたが、見つけられなかった残念。
あーでも、やっぱ、久々に大音量で音楽聴くと気持ちいいわな。
かみちゃんと「来月はじゃあ、ガルニエね」と誓いあって、家にとぼとぼ帰った。朝はけっこう寒かった。
4月22日(木)
「ベッカムの平和」は昨日だけで終わってしまったようだ。でも、今日は鈴木あみが登場。
すっかり、かつての輝きは失っていたが、まだ22歳だったとは。なんだか今更ながら、かわいそうだと思ってしまった。
そういえば、全然関係ないけど、あややが宣伝している、午後ティーのパジャマがとても気になる。超かわいい。欲しい。欲しいけど、あれはどこまでが「プレゼント」というか「パジャマ」なのだろうか?羽根やかぶりものも付いているのだろうか?
おお、「変身キット付き」となっている。やっぱり欲しい!というか一度着てみたいので、どなたか当選したら、私にもその幸運をわけてください。試着させて〜
●女子高生の会話に体中が痒くなる
「でもさ〜、Aは大学入ったらサッカーやらないんだって」(注釈:Aとはこの子の彼氏)
「へえ〜、もうやめちゃうんだ」
「やめちゃうってゆーかー、ほら、今までずっとサッカー中心の生活だったじゃない?でも、大学ではそうするつもりないんだって。」
「そうなんだ〜。でも、それってサッカーしないってわけでもないんだね?」
「ほら、え〜と、平山ソウタっているじゃん」
「・・・・・・・ああ、知ってる、わかるよ。あの人でしょ?ええと、とにかく、わかるよ」
「平山ソータも筑波なんだけど、筑波大学?なんだけど、そこに行ってサッカーするんだって。」
(注釈:平山ソウタもという表現から、「この、お化粧女子高生の彼氏も筑波なのか?」と戸惑う)
「へえ、そうなんだ」
「で、Aは、大学に行っても、平山みたくはサッカーやらないってことなんだよ」
「ええと、とにかく、趣味ではやるかもしれないってこと?」
「まあ、そういうことかな」
なんだか、英作文の「変な問題」みたいな会話だったな(笑)
「私の彼氏は、平山ソウタが筑波大学でサッカーをやるようには、大学に入ってもサッカーをしないと言っていた」
もし、これが、私と友達の会話であったら、
「Aは大学に入っても体育会系のサッカー部には入るつもりないんだって」
「まあでも、サークルとか同好会とかもあるしねえ」
「サークルでもけっこうハードにやっているとこもあるだろうしねえ」
とか、そんな言い回しになるだろう。体育会系部活を「平山が筑波に行ってサッカーをするみたいなこと」と言い換え、「サークルのりで」というのを「趣味で」と言い換えるのは、彼女らが「大学生活」というのに全く興味を持っていないことの表れなのかもしれないなあ。
まあしかし、「同好会」とか「サークル」とかの単語が思い浮かばないらしい彼女たちの会話は、なんとなく「まだ名詞が確立されてない原始人同士の会話」ってかんじがして、興味深かった。
女子高生といえば、先日発見した「スカートの下に膝丈に切ったジャージを履いてる」子を見かけ「おもしろい流行だ」と思ったが、それは「ハニワ・ルック」と呼ぶそうで、ほんとにハニワだと大笑いしてしまったのだが、その後も同じような格好の子を見かけ、彼女のスカートはもはや、「ハニワ・ルック」に適した短さになっており、要するに「下にジャージを履く」ことでバランスがとれる短さなので、ジャージ脱いだら本当に外を歩けないくらい短かった。
「わー、なんだかパタリロの服みたいだ〜」
と、感激してしまった。
●「受け攻め度チェック」
あまり関心がなかったのだが、どうやら「前世」も教えてくれるらしいので、戯れにやってみたら。
私の前世は「トリケラトプス」だったらしい。あわわわわ。(趣味が反映されてしまったので慌ててしまう)
でも、「みやの」でやってみたら、「クロマニオン人」になった。
よしよし。それでいいのだ。ちなみに、本名だと「野良猫」になって一番つまらなかった。よしよし、それでいいのだ。
●「浩生」連呼
今日は、昨日から地方に出張していた人から昼間に電話があり「明日直行する取引先に契約書を持って行きたいんですが、今日の帰りが遅くなってしまうので・・・・」
契約書に押す社印は、基本的には社長が捺印しているのだが、私の上司である総務部長もそれを押す権限がある。
しかし、私には、その権限は一応無いことになっているのだが、緊急を要するときには、「まあ、あたしも、いちおう、ヒラでもないし・・・・」ということで、それほど重要ではない書類に限って、捺印しちゃうときもあるけど、それはあまり大っぴらにしたくないことなのである。じゃないと、誰だって、社長や部長よりも、私に「ハンコちょーだい」っていうほうがラクじゃん?そうなったら、「モラル・ハザード」(おおげさ)になるわけだし、それ以上に「あたし自信がメンドーだから」ということである。
とにかく、しょーがないから、7時半までその人のことを待っていた。
ほんとは、クララが今日はパスポートの申請のために午後出社していたので、彼女の今日の勤務時間は「1時〜9時」だから、「よろしく〜」と言うことも現実的には可能なのだが、「契約書の印鑑は、いざというときにはクララでもOK」ってことを学習されちゃうと、水は低いほうに流れるに決まっているので、今日はこれといった用事もなかったので、私に無意味な残業させた社員に「ひえええ、ミヤノさんムスっとしてるよ。オレがちゃんと出張前に書類を揃えておかなかったのが悪いんだよな〜、次回から気をつけよう」と、真っ当に反省していただこうと思って、じっと新聞を読んで時間を潰していた。
会社でとっている日経新聞にはときどき「産業新聞」というのがついてくる。
それが、たまに読むと、けっこう面白いのである。
今日読んだのには、「六本木ヒルズが一周年だったのだが、回転ドアでの死亡事故もあったので、盛大な祝賀会が出来ず、森稔社長から、社員全員にお手紙が郵送された」とかいう記事が載っていた。
そっか〜、もう一年になるんだ〜、まあこれを読むと天下の森ビルもいろいろ大変そうね。。と思いつつ、単なる暇つぶしであるから、ぼんやりと読んでいたのだが、目の端になにやら見慣れた名前の漢字がチラチラする。
なんだろう、と思ってちゃんと読むと、どうやら森稔の娘婿で、今のとこbQな人は「森 浩生」って言うんですね。知りませんでした。
で、こういう記事だと、「森」は省略されてしまい「稔は・・・」「浩生が・・・・」という書き方になるのですが、けっこう「浩生」「浩生」と連呼されていたので、山形浩生ファンとしては、微妙に吸い寄せられてしまいました。
あんまし、いない名前じゃない?(とりあえず、IMEでは出てこない)
関係ないけど、某知人がIT環境の整備のために、「森ビルのご子息のお部屋に入って、いろいろ設定したのが、もう、そのお部屋がゴージャスで・・・・」と、言っていたのは、こっちの「浩生」の話だったんすかね?
「いいなあ〜、こんどそういう本当にセレブな人のご自宅のLAN設定に行くときには、私も呼んで〜〜〜〜」とか言っていたのでありました。
話は飛ぶが、私は母方の祖父母が港区に住んでいたので、幼少のころから「森ビル21」とか書いてあるビルには馴染みがあって、「森さんっていっぱいビル持ってるんだなあ」と思っていました。「森ビル」の存在が「港区ローカル」であると知ったのはずいぶん後でした。
自分が大学生のころには、「どっかの大学に森さんちの孫とかいねーのかよ」と、酒飲み話で盛り上がっていたら、同級生が「あ、うちの妹が青学なんだけけど、いるらしいよ、森さん」と言うので、「わー、お友達になりたい!」と言ったら「でも、女の子だよ」
バブルな頃の「青学」は、かなりバブルなノリというか、「女子学生は全員毛皮を持っていて、男子学生は全員、大江千里」という都市伝説がまかり通ってましたが(全員、大江千里はけっこう本当だった)、友達の妹さんのご学友だった「森さん」は毛皮を着て登校してこない「フツーで地味な学生」だったそうです。
そういえば、インドに行ったときに、インド有数の「学園都市」であったプーナ(アーシュラムでも有名)では、道行く学生の男子が(女子はほとんどいない。インドだから)8割くらい「大江千里」だったので、すれ違うたびに笑いこらえるのが大変でした。
今の日本では「大江千里な大学生」なんて探すの難しいですよね。そーいや最近、茶パツで眼鏡の「なんちゃってヨン様」を電車内でよく見かけるような気がする。
4月21日(水)
朝のワイドショーは「ベッカム不倫騒動」だった。わーい。平和が戻ってきたぞ。
テレビの中だけの平和だけど、所詮、そういうもんじゃない?
洗濯物が溜まっていたので、今日はさっさと帰宅しようとしたが、途中で猛烈にお腹が空いたので、どこかで外食することにして「さて、何食べようかな」と考えて、「そうだ、まだアレを食べてなかった」と、松屋で豚メシを食べてみた。
やっぱり吉野家のほうが美味しいような気がするけど、でもサラダも味噌汁もついているので、どっちがいいかと言われると悩む。悩むもんでもないのか。
でも、その昔、牛肉といえば「すき焼き」や「ステーキ」で、高級品だった時代に、学校の給食で、時々牛肉が出るようになったが「こんな薄っぺらくてボソボソした牛肉だったら、ちょっといい豚肉のほうがいいな」と思ったのだが、時代は流れ、牛肉も豚肉も同じよううな値段だと、薄くてボソボソした肉ということになったらしい。
そういや、「クジラのベーコンが今はトロくらいの値段」と聞いたのをスーパーでふと思い出し、確認してみたら、本当に高かった。あれは、私が幼少時は我が家の「動物性たんぱく質」としては豚肉なみに登場頻度が高かったと思うのだが、「物の値段」というのが、いろいろな事情で劇的に変化するということの代表例であろう。
そういえば、ニコタマの駅で急行を待っていたら、正面に何か薄っすらと光るものがあったので、目を凝らすと、「爪のような」というよりは深爪ギリギリの、ほんとに蚊の鳴くような細さのお月様であった。もののあはれ度 99あは〜 って感じ。
話は前後するが、「さて、何か外で食べよう」と思ったときに「そういや、今日は本を持って来なかった」と思ったので、なにか雑誌でも買おうと思ったのだが、普段あまり雑誌を買わないので、面倒だからつい週刊文春を買ってしまった。結局、入ったのが松屋だったから読む暇もなかったのだが。23あは〜
で、せっかく買ったのだが、どこを読んでいいのか迷い、パラパラまくっていたのだが、「淑女の雑誌から」ってコーナーはかなり昔からあったような気がするなあ、なんて思いつつ、「相変わらず、林真理子はコラムを書いているのか」と思って、週刊文春での林真理子のコラムを読んで「そうよね〜」という気分になったことなど今まで一度もなかったというか、そもそも、「誰の趣味なんだ?」と思うんだけど、今回は「イラク3人組」の話題で、やはり「う〜ん?」となってしまった。
まあ、私もそうなので他人のことをとやかく言うのも気が引けるけど「いったい、何が言いたいのじゃあ」
いや、わかるんですよ、多少は。
今日もね。会社で同僚達が「森山直太郎のCDを誰か買ってないか?」なんて話をしていて、「ああ、アルバムだったらもってるよ?」「え?アルバムなんて出してたっけ?」「たぶん、アルバムっていうか、何曲か入ってるやつなんだけど・・・」「アルバムは6月に出るらしいよ」などと会話しているのをボーっと横で聞いていて「何曲か入っているやつ=マキシ・シングルっていうのか?」と心をちょっとだけ別の方向に向けていたのですが、そういうときの自分は、なんとなく虐待されている少数民族であることを隠して社会に必死に溶け込んでいるような心地がして心細くなります。
で、林真理子が何を書いていたかというと、「イラク拉致3人組」の事件で、一般市民からも誹謗中傷が多かったことに、がっかりしたと、「こんな世の中間違っていると思う。私はこの頃つくづく思うのであるが、世の中というのは、善良でまっすぐで、かつ単純な人、そういう発想しか出来ない人たちで成り立っている」「国民というのは、もっと単純で善良な人々で構成されている方がいいと思う。すれっからしの物書きが持つようない意地悪な意見を、ふつうの人が普通に言う世の中って、あまりいいとは思わない」
??????ってかんじですが、まあ林真理子はバカですが、そんなにバカでもないので、これが本人としては、3回くらい捻ったシャレのつもりなんでしょうけど、わかりにく〜
まあ、自分のバカも承知で解釈すると「こういうときには、国民の声というのは『かわいそ〜!人命第一!自衛隊撤退してあげなさいよ〜』になるはずで、そういうときにこそ、自分のような人間が、もっと意地悪な『自己責任じゃあ』という意見を言って日銭を稼いでいるというのに、今回は、逆にフォローに回るハメになってしまったじゃないか!」ということなのでしょう。
たしかに、こうして週刊誌読むよりも、ネットであちこち見てたほうが、面白い意見を沢山拝見できました。
「自作自演だ!」っていう意味すら、皆違うのです。
「ほーら、自作自演だっただろ?」って言われても、犯人に脅されて、演技したというのを「自作自演」というのか、そのあたりの解釈も説明もバラバラで面白かった。
昔はよく「インターネット時代の到来によって、真の民主主義が!」なんていう意見も見かけましたが、「民意」というのはこういうものか、と、素材がわかりやすかっただけに考えさせられました。
だから、私も調子に乗って書いちゃおっと。
今回で、ちょっと不思議だったのは「被害者の家族」の露出の仕方です。
あれって今から考えると、「北朝鮮拉致被害者の会」っていうお手本があったから「なんか、ああしないといけない」という思い込みがどこかで働いたような気がします。
だって、今まで、政府に要求を突きつけた誘拐事件っていうのは数少ないとは思いますが、それこそダッカ事件とか私は全然記憶にないので、よくわかりませんが、誘拐事件での被害者家族が、事件の最中にきちんと「記者会見」するっていうことが目新しかったのですが、でも「北朝鮮」のほうで慣れていたので、それには一瞬、なんの疑問も持たなかった。
後で考えてみると、こういう事件の場合には家族のコメントなんてせいぜい電話コメントで「無事に帰ってきてほしいです」と涙ぐむ奥様の音声くらいだったように思う。もしくは、家族から出されたコメントをアナウンサーが読みあげる程度。
「北朝鮮拉致被害者家族会」も、あそこまで出るためには、数十年の月日を要したわけだけど、あれがマスコミに注目されて、政治的にも力を持つようになったので、時代はなんか変わったらしい。
でも、そういう過程を経ていない(じわじわと人気を上げていったわけではない)、ぽっと出の新人「被害者家族」があれだけ露出しちゃえば、世間は(っていうか、その代弁者だと思っているマスコミは)見慣れないものは叩く、というか散々イジってみて、「これだけの露出に耐えられるのだろうか?」と試す。
今後もこういう流れになると、マスコミ対応慣れしてない人たちが「きちんと記者会見」という「常識」が確立していくのだろう。
まだ、今なら「そっとしておいてください」という、かつての状態を取り戻すことができるが(実際、その後に誘拐されたジャーナリスト二人組みの家族は記者会見とかしてないような)、どっちがいいのかは、私にもなんとも言えない。
でも、いったん「こうあるべき」っていうことになっちゃうと、なかなか後戻りはできないのようなのだ。
「正しいこと」っていうのは、いったいなんなのか?
わけわかんなくなって、世の中楽しいです。
それはきっと、オイルショックのときの重工業会社勤務の若いサラリーマン家庭(子供3人)の食卓にもよく登場した、「クジラのベーコン」が30年後には高級食材という「よくわかんない世の中」と同じことなんでしょう。
で、世の中なにが「よくわかんない」かというと、なぜみんな、森山直太郎のCD買ったりするのか、とかいうとことに戻ってしまい、「会社で隣の席に座っている同僚の趣味もよくわかんないというのに、『世の中』とか『みんな』とかが、わかるわけねーじゃん!」と「あーはっはっはっは」と、心の中で黄金バットのように高笑いしてしまいます。
なんか、林真理子よりも、もっと何言いたいのかわかりませんが、私が心配しているのは、弟や妹が誘拐されたとして、そういう場合どうすりゃいいのだろうか?と、ちゃんと考えるのも「危機管理」であり、「自己責任」だったりするのかなあ。どうしよう。ってことだったり、自分がインド旅行中にイスラムゲリラに誘拐されたとして、無事帰ってきてホっとしていたら、うちのママンが私の知らない間に記者会見とかで好き勝手喋っている映像を見せられたら・・・・・寝込むわ、そりゃ・・・・・(別に世間に向けて発信されてないのに、うちのママンの言動には時々1時間くらいフリーズされられる)
というわけで、私にとっては、犯人がどうのよりも、家族の言動のほうがよっぽど「心的外傷」の原因になりそうなので、私の家族を「被害者家族」にしないように気を引き締めようと思っただけでございます。
4月20日(火)
会社をいつもよりちょっと遅く出て、6時半ちょっとの電車に乗ったら、また「バルデラ〜の君」と遭遇。
ほんとに、かなり帰宅時間の幅が重なっているのだな。
そんで、またドキドキしながら「今日の歌声」を楽しみにしていたのだが、今日は唄わない日だった。
学校で習ったりすると、電車の中で復習したくなるのかな?
でも、今日は、ときどきケタケタっと笑って、同じ車両の客たちをソフトに脅かしていたのだが、やはりいつもこの時間に乗る人は、何回か遭遇しているので慣れているのか、平然としているけど、慣れない人はその声の主を探してしまうようだ。
そして、今日のリフレインは「出ていけぇぇぇぇぇ」であった。
それも地声じゃないくて、なんとなく「日本昔ばなし」の市原悦子みたいな作り声なのだ。
これもなにか出典があるのだろうけど、それだけしか言ってくれないので、よくわからない。
しかし、今日は彼女の帰宅経路が一部だけ判明した。
あざみ野で地下鉄を降りて、地上に出て、東急線の改札を入ろうとすると、すぐ横の自動改札で、彼女が前を行くオバサンを思いっきり押しのけて、入っていったのだ。
「ああ、やっぱり、他人が見えていない」と思ったのだが、改札の中に入った彼女は飛び跳ねながら走って行くサバンナの草食動物のように、ピョンピョンと下りのホームへと走って行ってしまった。
「ああ、逆方面だったか・・・・・残念」
この片思いは長引きそうです。
4月19日(月)
友達が「誕生日だから食事しよう」とメールしてきたのだが、「じゃあ、行くよ」と言ったら「とりあえず、うちに来てね。ケーキ買って待ってる」と言うので、仕事帰りに直行したら、すでに先客が2名おり、すでに酔っ払っていた。
こりゃ、とても食事に出られる状態じゃないな・・・・と思ったので、私もケーキをつまみに、酒を飲むことにした。ケーキは1ホールで、30度くらいに切ったので、途中で休憩するくらいボリュームがあった。「やはり、もう食事など入らない」
そうこうしているうちに、さらに2名ほど来た。どうやら、あちこちに「誕生日だから〜」と声をかけまくったらしい。
そして、肝心の誕生日の主は、「おなかすいたなら、シチューがあるよ?」「もっとお酒飲む?」「ケーキのお代わりは?」と気を使いまくっているという、不思議な「誕生会」であった。
そして、後から来た女の子が(客同士はあまり面識がない)、「みなさん、30歳過ぎなんですか?」と言うと、部屋の中は一瞬シーンとなって、皆(女性3名、男性1名)は、無言のままうなずくと、「ああ、よかった」と言うので、ケンカでも売ってんのかと思ったら、その子は29歳で、「あと3ヶ月で30歳」だそうで、こうして30代が月曜から友達の部屋でトグロを巻いているのを見て、なんとなく嬉しかったらしい。
まあ、たしかに「負け犬にすらなれない面々」であった。
男性1名がかなり酒癖が悪く、半分何言ってんだからわからなかったのだが、慣れてきたら「シモネタ全開」であることが判明したので、テキトーに無視していたのだが、新たに来た女の子は、それがわからないのでちゃんと応対していたのだが、だんだん「これは、ちょっと」とわかってきて、テキトーに無視するようになり、そうすると次の女の子が来て、またニコニコ話を聞いてあげていたら、「今日は美人がたくさんいて、オレのハーレムだ」とか言い出すので、「ちげーよ」と言いたくなったが、テキトーに無視していた。
久々に「こっちがムっとするくらい酒癖の悪い人」を間近で見て、酒飲み人生をちょっと反省できたので、少しだけ感謝したことで、「ムっ」とした気持ちは相殺しておいてあげましょう。あたしって、なんて優しいのかしら。
4月18日(日)
金曜日深酒→土曜日二日酔い という、平凡な週末を過ごしていますが、昨日はいつものように「ああ、ダル〜」とゴロゴロしているうちに日が傾き、な〜んにもしていなかったのですが、夜になって少し元気が出てきたので、フジテレビで放映していた「少林サッカー」を観てみました。
なんとなく観そびれていたのですが、観る人を選ばない楽しい映画であるという評判が高かったので、楽しみにしてました。
そんで、やっぱり「ああ、おもろかった」です。
やっぱし、こういうスポーツ物って、競技シーンがちゃんと面白くないとねえ。(「プライド」に対する嫌味です)
そんで、テンポがいいから、全然飽きないというか、家でテレビで観ていると、CMも入るし、ついつい気が散って他のことを始めてしまったりするのですが、ちゃんと最初から最後までしっかり観たということは凄いことです。ちなみに、10時半くらいに電話が鳴ったのですが「緊急の用事だったら留守電になにか入れるだろう」と思って見送っちゃいました。
また、女性の使い方が凄いですねえ。噂には聞いていたけど、あの女の子の顔があまりにもグチャグチャに見えたので「これは怪我で傷だらけとか?」(月影先生みたく)と思ったのですが、よく見ると、だだの「にきび面」らしく、それにしても、ひどいなあ、と思っていたら、いきなりニキビが消えるので、よ〜わからなかったのですが、それよりも、その恋愛ストーリーが派手ではないのだが、「これは日本のトレンディ脚本家には絶対にできないよ」というヒネりが効いていたというか、いや、全然なにも捻ってないんだけど、なんだか驚いた。
普通、あの流れだと、主人公が女の子にちょっかい出していたとしたら、そのままハッピーエンドか、もしくは有名になった主人公がもっとハクい女に惑わされていたんだけど、「やっぱりお前のことが好きだった」というか、そういう「お決まり」に流れるはずなのに、いきなり中盤で女の子が主人公に告白すると「え?友達として好きってことでしょ?」と、ハズしたので、かなり「ズコっ」と心がコケました。たしかにこのセンスは、中野貴雄が書いていたように、ダウンタウン松本に似ている。
そんで、最後に大活躍して「片思いの相手にアピール」するのは、主人公じゃなくて、そっちの彼女だという話の運びも別にそれほどブっとんだことでもないのですが、微妙に「こういうのって他の人じゃ考えつかないよなあ」と感心。
私は捻くれ物なので、こういう「ズコっ」っとなる話は大好きです。
で、主題のサッカーのほうは王道の話で、勝ち進んでいくのに、横で同時進行するラブ・ストーリーのほうで微妙にひねるあたりが、上手いなあと思いました。いや、繰り返すけど、それほど「凄い!」っていうわけでもないのですが、どうもこういう「ストーリーを立体裁断する」というか、奥行きを出そうとする脚本家って、あまりいないじゃないですか。
さて、「香港映画」の次は、「韓国ドラマ」!
なんだかとっても正しい土曜日の過ごし方のような気がしてきた(笑)
いまだにちっとも面白いと思えない「冬のソナタ」ですが、やっと先週、ヨン様が車に轢かれ「これから話が動くんだよな」と頑張って観てみました。
でも、こういう「男女6人がいて、それぞれカップルで」という「生涯グループデートな話」ってどうも好きだったことがないんだよねえ。唯一の例外が「ビバヒル」か。あれも、敬遠していたのだけれども、かなり後半になって見始めたら、うっかりハマってしまった。
あれも、高校時代の同級生が、って話なのだが、全員集合することは滅多になくて、それぞれ個別の話があって同時進行する「ER」と同じ手法で、それぞれの悩みは独立しているので(仕事がどうのとか、親がどうのとか)短期的にもちゃんと楽しめるようにできていたし、長期的にはカップル交換作業が行われたり、脇役がいつのまにか人気が出て出番が多くなっていたり、新キャラが登場したり、降板するときはどうやって消すかが面白かったりという楽しみもあったし、「恋愛モノ」が苦手な人にも楽しめる作りになっていた。
しかし、連続テレビ・ドラマって作るの本当に難しいんだな。と、この「冬のソナタ」を見ていると、連ドラの抱える問題が浮き彫りになるので、それはそれで興味深いかも。
先に「少林サッカー」観ちゃったせいもあるけど、主人公たちが高校生のときに出会い、恋をしたのだが、彼氏が事故で死んでしまい、数年後に彼とそっくりな別人が目の前に現れた、っていう話をドラマだと3週間にわたって描くのですが、これ2時間の映画だったら、前半の20分くらいですよね?手際のいい監督だったら、5分でさばいてしまうだろう。
だから、無理やり話を伸ばすので、昨日の放送でも、ヨン様の姿を目撃して街を彷徨う描写が異常に長い。
そんで、主人公の心情を描写するために、延々とアップで映すし、いかにも「テレビ・ドラマ」な平たい照明で、表情ばかり見せられていると、観ているこっちは酒でも飲まないとやってられないではないか。(それは自己責任・・・・)
まあ、「アリー」でもよく時間延ばしに使ってましたが、あちらは明らかに「休憩時間」という扱いで、CMの入らないNHKで放映していたから丁度よかったんだが、ああ、「冬ソナ」もNHKだったか(笑)、でも、「アリー」みたく場面転換的な意味で使っているわけじゃなくて、「ここがメイン」という扱いなので、イライラすんだよなあ。
そんで、何がイライラするって、これって、日本のかつてのトレンディ・ドラマ全盛期の「悪いところ」ばかりをお手本にしているように思えるからだ。
でもさ〜、私は好きじゃなかったけど、人気あったんだよね〜ああいうの。
先日も「プライド」の最終回で観覧車バックに花火が上がったときには「おめーら、もう、こういうのはやめよーよ」と思って泣きそうになったのだが、それを翌日会社の子に説明したら(その子は観てなかった)、私が「泣きそう」というのを素直にとらえてくれて、「そんなに感動したんですか?」ってマジ受けされたので、大慌てして、「いや、そうじゃなくて、最終回のクライマックスの花火を上げるなんて、そんなベタベタな演出を今だにやっているもんだから、笑いすぎで涙が出てきたので・・・・」とオロオロと説明しちゃったもんな。
だから、そーゆーのが嫌いな人向けのドラマではないことはわかっていたのだが、ずっと土曜夜の海外ドラマを贔屓にしていたので、ついついテレビをつけちゃうんだよね。
だいたい、話の雰囲気が「あすなろ白書」にクリソツじゃん!
みんなそう思っているに違いないと思って検索したら、「私をスキーにあすなろ白書なドラマ」と言っている人を発見したので「お友達がいた」とホっとする。
あれも超つまらなかったんだよな。でも、歴史的な意義から考えると、「あすなろ白書」でヨン様だったのは筒井道隆君で、キムタクが幼馴染のほうだったんだよな。今だと絶対に考えられないキャスティング。キムタクがちょうど人気をグングン上昇させていたときだったと思うが、あの当時はそういう地味な役が多くて、「ジャニーズのくせに、こいつけっこう演技派だな」と思っていたのも、今は昔の話でありました。
そんで、あれを我慢して観ていたのは、「おカマではなく、本当のゲイ」というキャラが出ているのは原作でも知っていたので、「それをテレビはちゃんとやるのだろうか?」ということをチェックしたかったのである。
テレビっていうのは保守的なので、ゲイといえば「おねえ」しか出せなかった。
課長島耕作で、将来の社長候補なのに「本当は島さんが好き」なキャラが出てきたときには、思わずガッツポーズしたが、映画ではその役を確か、トヨエツが演じたんだっけ?
たぶん、あれの影響で、「ニューハーフでも、オカマでもないゲイ」という存在があることに気がついた、製作者たちは多かったようで、しかも、「きらきらひかる」とかもヒットして、ゲイ役の二人(トヨエツと筒井君)がその後ブレイクしたので、天下のナベプロも売り出し中の新人(西島なんちゃら)を「あすなろ白書」で筒井君に切ない恋心を抱く青年に差し出したので、「これで一般にも認知されたな」と確信したのであった。
いや、別に「認知」してもらわなくても結構なんですが、イケ面俳優が、女ばっかり追いかけてるドラマばかりなんてつまらないじゃいですか(笑)。
私の想像以上に芸能界は「同性愛」に敏感なところです。人気俳優にとっては「ホモ役」なんてやるのは、女優が脱ぐくらい勇気のいることです。それで一旦「ホモ役」定着しちゃうと、二度と王道には戻れないからです。
だからこそ「ホモ役」って演技力を試されると思うので、観てても面白いのですけど、なかなかやってくれないんだよなあ。
なんだか違う方面を力説しちょりますが、とにかくそういうわけで「冬ソナ」は、メロウな音楽がバックで流れるたびに、それが山下達郎とか大滝詠一の歌に聴こえてくるし、(なんだかすごく似ている曲もかかっているような気がする)なんだか私の嫌いなものがこれでもか、これでもか、と連発されるので、(いや、山下達郎も大滝詠一も音楽としては、もの凄い好きなんですよ)大変不愉快な気分になるのですが、でも、この先これに耐えれば、もっと「おバカ・ドラマ」になってくれるのかもしれないけど、でも、それって昼ドラの得意ジャンルで、あれは30分づつだから耐えられるのではないのでしょうか?そんで毎日やっているというのもミソ。
冬ソナも、一回を30分に編集して(たぶん、私でも簡単にできると思う)、「ロッカーのハナコさん」の枠で毎日11時からやっていて20回だったら、けっこう面白いと思うんだけどな。そうすりゃ、月曜日から始まって、火曜日の終わりにはヨン様が車に轢かれて、水曜日には「ヨン様クリソツ」が登場して、木曜日にはその人と仕事することになって・・・・・で、金曜日には一週間分一気に再放送!それだったら観る!
で、最初にも述べた「週一回の連ドラの難しさ」ですが、日本だと今では1クールが短くなっていて、この間ヒットしていた「白い巨塔」みたいな長クールは今では橋田ドラマでしか採用されてませんけど。でも、1クール11回と言えども、CMを抜いても10時間近くあるわけで、その長時間、話を埋めるのはけっこう大変になってきたらしい。
基本的なこととしては、「前編を貫く大きな主題」と「毎週起こる小さな事件」を絡ませて構成しないといけないわけです。日本のドラマの場合には後者を描くのが圧倒的に下手。やはりアメリカの連ドラがすげえのは、「毎週起こる小さな事件」がよく練られているからです。
そのためには、脇役の設定をきちんとすることが大切なんですが、そういう多重設計が苦手というか、全然思いついてもいない製作者が多すぎる。みんな、「あらすじ」を考えるだけで終わっているのですね。
てゆーか、私、以前、そういう現場に近いところで仕事していたので、よく知っているのですが、プロデューサーって、キャスティングを一番重視しているのですよ。キムタクを押さえた時点でもう、その先のことまで考えてないのです。
で、以前、ホイチョイプロもネタにしてましたが、その次に重要な仕事って、「名前の順番」なのです。
主役はトップに決まってますが、3番手くらいになるとけっこうフクザツ。それをきちんと政治的に処理できるのが大事なのです。そのために、会社の「課長代理」という発明にも等しい「友情出演」などの言葉が生み出されました。
働いていた会社では「トレンディ・ドラマ」なんて作ったことなかったけど、そういうやり取りを横で聞いていたので、当時絶頂期だったトレンディ・ドラマもどうせ、こういう作られ方しているんだろう、ということは想像できた。
「紫門ふみ原作で、純愛もの。主演は鈴木保奈美。テーマ曲は山下達郎」ってのだけ決めれば、数字とれると思ってんですよね。
たしかに「数字」だけ考えると、結局そういうもんらしいんだけど。
あと、業界話としては、これもけっこう知られた話だけど、プロデューサーの重要任務の一つに「新聞の番組欄に出すキャスト」というのもあります。あの小さな欄には全員入るわけがないので、「名前の順番」よりも繊細な作業です。
だから、製作者たちは「ユースケ・サンタマリア」にはなんとか改名してもらいたいはずです。ユースケが「森祐介」とかいう名前になってくれれば、あと3人くらい名前が入るのですよ。
しかし、なんだか「嫁の悪口言っている姑」みたいなかんじで、エキサイトしている自分もなんですが、でも、それだけ「ドラマ」が好きなんですよ。そりゃ、ドキュメンタリーも好きだけど、やはりテレビの主流は「ドラマ」であって欲しいと思っているのです。
話を戻すと、自分も一時はその業界にいたので、実態をよく知っているつもりですが、連ドラってけっこう予算との戦いなので(まあ、なんでもそうですが)、思ったとおりのことが出来ないという制約も多い。それが「トレンディ・ドラマ」ともなると、役者たちのスケジュールもかなりタイトですから、撮影スケジュールを組むだけで精一杯で、演出家も細かい演出プランを立ててる場合ではないのです。
制作会社に勤務していたときに、隣の席に座っている同僚が「友達が仲居君のファンなんで、今やってるドラマの撮影現場に行きたいっていってるんです」と、うちの会社でも仕事していた演出スタッフにお願いしていたことがあった。
スタッフは「じゃあ、今後の水曜日に緑山(TBSの郊外スタジオ)に来ればいいよ。その日なら、朝6時から、26時までずっと仲居君がいるから。いつ来ても大丈夫だよ〜受付に名前入れておいてあげる」
「ええ、そんな一日中やってんの?」と私が驚くと、「だって、仲居君は他の日はレギュラーの撮影があるから、その日に彼の登場シーンを全部まとめ撮りするわけ」
「彼の登場シーン」って言ったって、主役なわけだから、主役が出てくるシーンは全て一日で撮るのか・・・・そんな強行スケジュールのスタッフになるのも嫌だけど、仲居君にしたって、その日は風邪ひきました、なんて死んでも言えないだろう・・・・・やだ、そんな仕事。
そもそも、一日で撮るのはセット替え(機材は限られえているので、セットは沢山作っておくとしても、カメラや照明をセッティングするのに時間がかかる。その間の時間が役者の休憩時間となる)もあるし、本当に大変だと思います。だから、ドラマの照明は安っぽいのです。ちゃんとじっくり調整する時間などないから。
光と影にこだわるような人は、たとえ才能があっても、テレビドラマの演出家にはなれません。
だから、三谷幸喜もそうだけど、「舞台出身」の脚本家が珍重されるし、けっこう売れっ子になるのは、「限られた空間」を使うのが上手だからなんだと思います。
「王様のレストラン」は、そういう意味でもテレビ史上稀に見る大傑作になったのでしょう。
セットはほとんどレストラン内。ロケはたしかほとんどなかったように記憶しています。
そして、当時はまだ売れていなかった「三谷舞台での役者」を多用することによって、予算も時間もキープ。おかげで、「松本幸四郎」という別世界の大スターを存分に使うことができたのだと思います。それに、山口智子や鈴木京香という当代人気女優を揃えられたのも「他でかなりリストラできた」という証でしょう。
「王様のレストラン」は本当に、才能あるスタッフがちゃんと能力を発揮できた数少ない名作であったと言えましょう。もちろん、脚本も素晴らしかったのですが・・・・
今だにいろんなエピソードが心に残ってるもんな(笑)、「総支配人」が「中国人のソウさん」だったり(その「ソウさん」が西村雅彦だっていうんだから、ビジュアル的にも納得がいく)、休日に全員集合しているのは「合唱大会で橋ゆきおの歌を披露するので、その練習」だったり・・・・・私は三谷幸喜の舞台を見たことがなかったのですが、友達が毎回通うような熱烈ファンだったので「なるほど〜」と思ったもん。
ああ、ずいぶん、ダラダラと書いてますね。
とにかく、「物語好き」なので、小説でも映画でも、「はあ、やられたわ」と降参するような作品に出会いたいわけです。
でも、世間一般で評価される「感動作」と私が絶賛するものは、ちょっとズレがあるようなのが悲しいわけです。
まあ「ER」があれだけ回を重ねているわけだから、アメリカでも人気があるようなので「なんだ、こういうのが面白いというのは世間一般と同じじゃん」と思うのですが、なかなか日本ではああいう「脚本の勝利」みたいな作品が少ないのは悲しい。
また「トレンディ・ドラマ批判」に戻ってしまいますが、ああいうのって、それこそ小谷野氏が批判しているような「恋愛至上主義」が前提になっているのですが、でもちゃんとした脚本家は「なぜ、この主人公はこの登場人物に惹かれたのか」というのをちゃんと描くんですけど、それをわかってない脚本家は「身近にいる男女はくっついてあたりまえ」とうい描き方をするので、そのあたりで私のような人間は取り残されてしまうのです。
「冬ソナ」で言えば、主人公がヨン様に惹かれる理由の描写はありますが、いきなり数年後に、幼馴染と婚約しているのは何故か?という描写は一切なし。そのあたりは「まあ、幼馴染もいいやつだし、こうなるのは当然」という制作側の思い込みがあると思いますが、でも、そういうところにこそ、ちゃんと神経使わないとダメなんだっちゅうに。
わりとその辺をきちんと「エピソードで処理」できる人がいないんですよね。
話は変わるけど、ここんとこCMでよく観る「缶コーヒー」のクサナギ君が出てるやつが良く出来ている。
若いサラリーマンたちがバスケやっている「仕事中」ってやつです。
あれも、バスケ・シーンがきちんと撮れているから、見応えがあります。ボールを仕事に見立て、中堅どころが「パスっ!」しちゃって、じゃあ新人が「おれが決めちゃいますよ」っと張り切ってダンクしたら、モロ外れで、あっとう間にボールが敵に奪われ「フォローぐらいしろ〜〜〜〜」と叫ぶクサナギ君のセリフが生きてきます。
はあ、なんだかテレビドラマごときへの愚痴で長々と書いてしまったなあ。
こんなに文句たらたらだと「だったら自分でやれば?」と思いますが、でも、あんましやろうと思ったことはない。やろうと思えば、やれた環境にいたのに、ぜんぜんヤル気にならなかったし。
自分にとって、ドラマや映画の制作というものは、「メカニックの仕事」なわけで、芸術ではなくて、技術だと思うんですよね。もちろん、アーチストも必要ですが。
それで、韓国で人気の「冬ソナ」が日本車を上回る人気がどうので、期待していたのですが「日本車のバッタもんじゃん!」だったので怒っているのであります。韓国の関係者には、このあたくしを「もう、このままでは日本は韓国に負ける」と脅かしていただくことを切に希望したします。
台湾や香港のほうが映画では「トレンディ系」では、ずっと上をいってると思うけど、ドラマは観たことないからな。
まくし立てて疲れたから、もう寝よう。
4月17日(土)
金曜日は久々に会社の飲み会に拉致されて、また焼酎をしこたま飲んでしまったのでありますが、最近「私の飲酒が市場にも影響を与えているのでは?」という考えにとりつかれ(焼酎が日本酒を抜いてしまったらしいので)、「サッポロがサントリーに負けただとぉ?」というのがショックだったので、家でビール買うときにはサッポロばかりになった。
別に仙台人みたいにサントリーに恨みがあるわけでもないが、サントリーがビールに参入しても、なかなかシェアを伸ばせず、ヘンテコなビールを次々と繰り出す(ペンギンのラベルなど)という「イロモノ」路線をとっていたのも記憶に新しく、でも最近はあまりヤンチャしないなあ、マグナム・ドライもモルツも古典的な雰囲気を持ち出したし・・・・・と思っていたら、いつのまにかシェアを伸ばしていたらしい。
しかし、こうなってくると、ビールも「どいつが大御所で、どいつがイロモノか?」という区別がつきにくくなり、ちょっと寂しいので、なんだか昔を懐かしんで、サッポロを応援していたりするわけです。
我ながら、よくわからない理由。
昨日の日記はそういうわけで、かなりの泥酔状態で書いていたのですが、「なんか変なこと書いてたらやだなあ」と今日になって読み直してみると、それほど酔っ払いが書いたようにも見えないな・・・・・てゆーか、自分の文章はいつも酔っ払いが書いたようなかんじなのか?
でも、書いた本人にはちょっとだけ「泥酔度」がわかる。
「グローバル」とか言い出すときには酔っ払っているらしいのだ。新橋ガード下で飲んでいる、サラリマンのオジサマたちと同じで、「酒が入ると、話が大きくなる」らしい。
というわけで、酔っ払いのたわごとを公開するのも、みっともはずかしいものですが、「新撰組」についての無知自慢は外せないところなので、(時代劇音痴を自慢するのが趣味。そんな自分がかつて「時代劇が飯のたね」であった番組制作会社で仕事していたので「ああ、人生ってこういうもんだなあ」と納得していたのであった)アップしておきましょう。
4月16日(金)
昨日の夜、イラクで誘拐されていた3人は、いつのまにか解放されてた。
誘拐されたときの映像も「ぼや〜ん」と嫌な感じだったが、解放が確認された映像もなんだか「ぼや〜ん」としていた。
個人的には、この事件に対して、これといった「意見」を持てなかったのであるが、ただ「これでもし仲介役で活躍するイラク人指導者が出てくれば、日本国内的には脚光を浴びるだろうから、誰か頑張ってくれないかなあ〜。で、もし、そういう、ここぞとばかりに名前を売る指導者が出てこなかったら、イラク情勢は私が想像するよりもかなり悪いのだろう」と漠然と思っていたのだが、なんちゃら氏という宗教指導者が出てきたので、ちょっとホっとした。
しかし、国内でのこういう事件でも「報道」って重要らしいが、それが海外になると、さらにヤヤこしい。
でも、今後はそういう意味でも「グローバル」な時代になるんだろうなあ、と思った。
まあ、あらゆる意味で、エポックな事件であったと思うが、私が心底ビビったのは、自分では「あたしはあたし」と確固たるアイデンティティを持っているつもりで生きているのに、それがいったん、ああいうふうに誘拐されたとすると、「あたし」という個人ではないものがドワワワと放出するらしいということである。
要するに「別にニッポン・ちゃちゃちゃな人じゃないし〜」と思っている自分の立場が、かなり崩壊したということである。
さらに、簡潔に言うと、「日本政府」とは無縁の存在だと思っていた自分という存在が、ああいうふうに利用されると、いきなり政治的な最重要事項としての価値を持ってしまう、という恐ろしさに、心底「や〜だな〜」と思ったのであった。
それは「中国人は皆、盗賊」とか「イラン人は皆、違法グッズ(テレカとかシャブ)の売人」だとか、「イタリア人は全員色男」などの、日常抱えている「思い込み」とも通じるので、そういうのが嫌いだと主張しても、そういうのから完全に自由になることはできないということでもあり・・・・・
話しは変わるが、今朝のワイドショーで「ナイキの最新、サッカー・オールスターCM」を放送していた。
ロエカルやロナウドが、場外乱闘(?)を繰り広げるという設定であった。
私服姿のトッティが、こぼれ出たボールをスコンと蹴り上げるのに大笑いした。
でもナイキのCMで一番面白かったのはやはり「ブラジル代表が空港でボール蹴り」ですよね。
あと、私がとても好きだったのは、NYの中心街の交差点でいきなりサンプラスとアガシがネット貼ってプレイしはじめるやつだったのですが、ともかく、ナイキのあの「現役バリバリ選手を起用して、ありえない設定で」という長尺CMは、まとめて観るとかなり見応えあると思う。
そして、CMっていうのも権利がフクザツなので、後世に残らない場合が多い。
映画やテレビドラマと違って「2次使用」が難しいのだ。
だから、もしかしたら、このIT時代に、ファイル交換で最もニーズがあるのはCMなのかもしれない。
そうなっているのかは、よくわからないが、報道などで問題になっているのは「新作映画もすぐにファイル交換で世界に広まってしまって、著作権の侵害」ということばかりだが、でも音楽ソフトでも同じだけど、CMみたいに「じゃあ、今ちゃんと正規の手段で入手できるか?」っていうと、なかなかそうはいかないようなものも、出回っている可能性も高い。
「ナイキのCMアーカイブ集」なんて、ほんとに観たいですよねえ?
話しは全然変わりますが、最近私が気がついた「己のぼんくらさ」といえば、「三谷脚本だから」と思って、時々大河ドラマを観ちゃったりしていて気がついたのだが、「があ、私、新鮮組が何した人たちだったのかさっぱり知らない!」ということでした。
泉岳寺に入っても、それが「忠臣蔵」だとは思わなかったくらいいの時代劇音痴なのは自覚してましたが、そーいや、なんで「新撰組」はあんなに人気があるのだろう?
「階段オチ」くらいしか思い浮かばない。
その前の大河ドラマだった「武蔵」に関しては吉川英二の小説が大ヒットしたということは知っていて、なぜそれを知っているかというと、うちの母が娘時代にそれに夢中になり、家の2階で没頭していたあまりに、母(私の祖母)が「ご飯よ〜」と召集をかけたのにも気がつかず、読み込んでいたという逸話を聴いていたからである。
そんな話しを先に聞いていたので、母が「嫁入り道具」の一環として、その全集が我が家にもあったのだけれど「これは危険」と思って、とうとう手をつけなかったくらい恐れていたからだ。(あの、食いしんぼうの母が食事を忘れるくらい没頭したということは、その本のヤバさが想像されたので)
しかし、新撰組に関しては、人気があるのは知っているが、なんで人気があるのかよくわからない。
そう考えると、なんで上野で西郷さんの銅像がハバをきかせているのかも、実はその力学がよくわかってなかたりする。
でも、そういのは私だけじゃなくて、「西南戦争」が歴史的にどういう意味を持つのか、良くわかってない人は多いと思う。「南北戦争」の意義のほうがまだわかってたりして(笑)
イラクの「外人拉致ブーム」もそんな感じで、フランス人記者も拉致誘拐されてちょっと困っただろう。
「えっと、うちの国はけっこう反アメリカだったんですけどぉ」としか言いようがない。
でも、そのあたりの「誘拐する組織はちゃんと世界情勢把握してんですかね?」と、テレビの司会者に言われても、すいませ〜ん、あたしもよくわかってないです〜なんでイタリア人は殺されちゃったんですか?
「戦後」であるイラクのこの混沌ぶりを目の当たり(テレビでね)にするにつけ、「米軍の日本占領は、よくもあれだけスムーズに行ったものだ」と感心する。
あれだけ、戦時中に「鬼畜」とプロパガンダしていたらしいのに、終戦してみたら、キーワードは「ぎぶみ〜チョコレート」だったのは何故なんだろう?
今だからわかるのだが、あの時代の日本の態度のほうが謎だ。
逆にアメリカが「日本では上手くいったし」という誤解を基準として、他の「ならずもん国家」でもやってみたら、ことごとく失敗しました。というのがベトナム以降ってかんじでもある。
第二次世界大戦のころと、明らかに何かが違ちゃったんだろうね。
なにが、どう違うのか、私にはよくわからんのだけど。
表紙に戻る / 過去の日記を読む