可燃物な日々

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4月15日(木)

 「冬のソナタ」も、まだそれほど話が進んでないわけだし、これからなんだろうけど、でも、2度観ても「うーむ」と思った理由として「あまり脚本が作りこまれてない」というのと「中途半端な純愛モノは好きではない」というのが考えられるが、先の「ヨン様来日フィーバー」をテレビで観ているうちにわかったことがある。

 他の人はどうだか知らないが、私はとにかく「自分で発見する」ということが重要らしい。
 だから、「冬のソナタは大評判」とか「ヨン様かっこいい!」とすでに他人によって発見されて、高い評価を受けているものに対して、非常に敷居が高くなるようだ。
 単なる捻くれモノというか天邪鬼とも言えるけど。

 それに「すでに発見されているもの」に対して、すごく構えるということもなく、「そこそこ評判」なものでも、例えば「人気のある深夜番組」みたいに、評判はちょこちょこと耳にするが、ちゃんと観たことなくて、でも、うっかり夜更かししてテレビをつけっ放しにしたら面白い番組であることに気がつき、「なるほど、これが例の番組か」と思うときなどは、多少なりとも「自分で発見した」という要素があるので、易々と受け入れるようだ。

 それは音楽でも同じで、「オリコン1位!」という宣伝文句に全く反応しないのは、「どうせ、オリコン1位なんてクズに決まっている」という経験値で判断しているのかと思っていたが、そうではなく(一部というか8部くらいはそうなのだが)、「自分で発見し、育てました」という楽しみがないから、とてもつまらないものに思えるらしい。

 小説でも「今年のミステリーbP」の宣伝文句に何度騙されたか・・・・・
 でも、SFだとわりと大丈夫なんだけど、それは分母が圧倒的に小さいからだろう。

 こういうマインドなので、「なんとか賞受賞」とかにも距離を置いてしまうので、なかなか人気作家の本を読めない。
 たまに、「ハリポタ」みたいに、ずいぶん後になってボソリと読んでみて、「こりゃあ、あれだけ売れるのわかるなあ」と感心することもあるけど、でも、多くは「なぜ、コムロの曲があんなに売れるのか、わけわからん」と同じような感想になるわけである。

 こういう趣味だと「良いものが売れるわけでもない」という、この世の法則が相対性理論や進化論よりも身にしみているので、たまに自分が「良い」と思っていたものが大ブレイクすると、えらく不機嫌になってしまったりする。(キアヌとかね)
 だから、オリコンやMTVアワードで「くそつまらん」ものが跋扈していると、なんだかホっとするのである。

 前から思っていたんだけど、「爆発的に売れるものがなぜつまらないか」というと、人ってそれぞれ趣味は違うわけで、それは鍵穴みたいにフクザツなわけで、どの鍵を入れても心が開くわけではない。
 だから、大ヒットしたものっていうのは、鍵は鍵でも「銭湯の靴箱の鍵」みたいに、細工が粗いというか、「最大多数にある程度フィットする」ような形状をしているのではないか?だから、それで感動したとしても、ハマっている部分はかなり浅いのである。

 私が求めるのは「もっと深くフィットして」というものであり、それはかなり形状が複雑なので、たまたまそれにある程度合う「くぼみ」を持つ人にしか合わないのであるが、合えばディープ・スロート(あ、これはちょっと違うか)な感じになるわけで、「ああ、なんで、そこがわかるの?」というくらい感動するような気がする。

 で、この説もずいぶん前から唱えているが、「多様な趣味を吸収する世界的大都市東京」であっても、「ああ、そこよ、そこ」と同じところに感動できる「お友達」は、多く見積もって数千人(同じ趣味の人がいないのが嫌になって、田舎から飛び出てくるからね)、その中でも、その感動のために多少の銭を支払うだけに見合う快感を共有できる人数は、数百から千人程度なんだよね。多くて、って話し。

 だから、自分にしかわからないだろーな「ピンポイントな趣味」というか、富めるものが天国に入れる確立を表現する「ラクダが針の穴を」に匹敵するような狭い穴を通り抜けてしまった人たちは、「ああ、また、あの人がいる」という、どこに行っても遭遇する「友達じゃないけど、友達よりも同じ時間を過ごしているかも」な人に出会うわけである。

 話しは変わるが、私が三軒茶屋に引っ越して、すでに10年以上経過しているが、最初に目撃した有名人が「UFOのラファエロ」であった。彼の存在自体が、かなりマニアックなのだが、まあ、日本在住のフランス人で、その昔はソニーのCMで「ミスター・ウィークマン」だったりしたが、あとは桑原茂一とかの子分だったりして、その後「U.F.O」を結成して、日本の「アシッド・ジャズ」界では大物というか、ずいぶん昔にオリジナル・ラブのコンサートに行ったら、ラファエロがロビーにいて、フリッパーズ解散直後のオザケンが、ラファを後ろから羽交い絞めハグハグして「ラファ〜〜〜」と嬉しそうだったと、と言えば、彼がどんな存在だったのかわかるかもしれないが、まあ、YMOの英語歌詞担当だった、ピーター・バラカンくらいは「セレブな人」(笑)である。

 最初に目撃したときは、うちの近所の通りでタクシー拾っているところで、傍らにはデカいレコードケースもあって「ああ、そうか今日は金曜日だ。イエローでプレイだな」とか思っていたのであるが、その後も、何回か姿を見かけ、日曜日の昼下がりにレコードを積んだカートを引きずっているのも観たし、彼女らしき女性と、お揃いのTシャツ&お揃いのスーパー袋姿で歩いているときには、笑いを堪えるのが大変だった。

 どう考えてもご近所さんなので、ちょくちょくすれ違うのはいいのだが、でもあまりにも頻繁なので「これって、外人さんだから目立つけど、日本人だと顔なんて覚えてないだけ?」と思ったのだが、その後、彼女が妊娠しているときも見かけて、しばらくしてから、ラファが赤ん坊背負っているところを見かけ・・・・・
 近所の肉屋で買い物しているのを見かけ、駅の改札ではすれ違い、ラーメン屋に入ったら赤ん坊が泣いているから「うるせーな」と思ったら、ラファの子供で・・・・・・

 でも、そう考えると、月に一回くらいじゃなくて、数ヶ月に一回くらいの出会いなので、他人のお子様の大きくなるのの早いこと。ラーメン屋でビービー鳴いてた赤ん坊も、今じゃ、スタスタ歩いて、なんか喋ってるもんな。
 というわけで、なんだか目立つので、ラファ一家のこの10年をリアルタイムで観察してるのであった。こっちも引っ越さないが、向こうも動かないな。

 子供で思い出したが、今日、確信したあること。

 女三界に家無し。とか言うが、今だと、ちゃんとフルネームで認識してもられるけど、その昔(百人一首の時代)には、女性には名前がなかった。いや、近親者でのみ使われる名前くらいあったのかもしれないけど、公には、「田中元外務大臣の娘」としか書かれなかった時代が長かった。
 と、古文の授業で教わった。

 そして、現代でも女性というものは、結婚すると姓名が変わることになっている。
 そして、そうなると「田中さんの奥さん」とか「ミヤノちゃんのお母さん」とか言う、平安時代の古式にのっとった名称で呼ばれることになる。

 現代の女性にとって、それは許すまじことな場合も多いわけで、「あたしは、奥さんでもお母さんでもない!」と主張する人たちもいる。まあ、私なんかは、主張するとかしないとか以前の状態なのですが、ともかく、それを嫌がる人がいても、多くの男性には「なんで?」という受け取られ方をしていたように思う。

 私には「なんで?」という気持ちがよくわからなかったのだが、IT時代の到来(あたくしごときでもインターネットやるような時代という意味)によって、その謎の片鱗が解けた。

 「なんじゃ、この、掲示板に氾濫する、○○パパってハンドルネームは!」

 会社では、「鈴木課長」とか呼ばれているはずの彼らが、ネット上では、娘の名前をとって「あやパパ」とか「ゆみパパ」などで登場するのである。
 もちろん、「翔ママ」とか名乗っているママもいるけど、でも「○○パパ」のほうが明らかに目立った。

 「ああ、女には生まれたときから名前が無いらしいが、男は娘が産まれると、名前を失うのだなあ〜」
 と大いに脱力した。
 嬉々として「○○パパ」を名乗るのを見て、「ああ、こりゃ、『あたしは、奥さんでもお母さんでもない!』って気持ちは、この人たちには永遠にわかんないだろうな」と思った。

 そして、まさに今日、妹が「母の日だし、そろそろお母さんの還暦祝いの席をやろう」というメールを送ってくれたので、返事書いたりしていたのだが、弟のレスの出だしが「Nパパで〜す」になっていたので、「ブルータス、おまえモナ」な気分になったのである。

 でも、あたしは悪魔でも、コンサバ道を突っ走る「ミヤノ三きょうだいの中で一番フツーな」この弟のことをこよなく愛している。
 結婚するそぶりも見せない、「変わり者」の姉妹(37歳&31歳)の間に挟まって、必要以上にコンサバだ。そうしないと、バランスがとれないのだろう。

 ああ、この宇宙は弟S君が「Nパパ」名乗ることで、バランスをとり、今だに崩壊しないで済んでいるのだ。
 弟S君が、こうして必死にバランスをとってくれているので、姉はこうして、今だにヤンチャしてられるので、感謝、感謝、感謝なのですよ。(早く二人目も産んでほすぃ。姉妹が繁殖しないので、君は5人くらい子供をもうけてもいいはずだ)

 ああ、その昔、私が6歳、弟が3歳だったころ、弟は天然パーマもくりくりでぽっちゃりした愛らしい人形のようだったが、急に言葉を覚えだし、「くそばばあ」とか「ぶす!」とか「ばか!」とか言い始めたときに、「こいつ、死ね」とか思ったことはもう水に流しますから・・・・・・そんで、急に「汚い言葉」ばかり連発するようになった弟を「こいつとはもう遊んでやらん」と思って、さんざん苛めたことも、もう水に流していただきたいというか、向こうはあんまし覚えてないだろうけど(あたしは、なぜか幼少時の記憶が細かい)・・・・・・・

 まあ、なんだかんだいっても、愛する弟が「Nパパ」と堂々と名乗ることに衝撃を受けているわけだから、私もそれなりにフェミニストなのかもしれんけど、でも、そういう問題でもないような気がするあたりが、この問題の根深さをあらわしていると言えなくもないような気がするとか言っちゃってる自分がちょっとね。  
4月14日(水)

 雨。
 期待しつつ、暗い夜道をキョロキョロしながら歩いていたが、カエルには遭遇できず。
 今年はまだ一匹も目撃していない。

 イチョウの葉っぱはスクスクと育っている。ほんとにかわいい。この間、やっと手が届く枝があったのだが、あまりの可愛さに摘むことができなかった。

 ところで、我が家の唯一の「ペット」である「アンダーソン君」であるが、ずっと体長1センチくらいだったのが、春めいてきてからなんとなく大きくなっているような気がする。一回りくらい。このまま順調に成長すれば、大人になるのだろうか?
 しかし、去年の夏前に捕獲したまま、ずっと小さいままだったのに・・・・・なんだか「ブリキの太鼓」を思い出した。

 そういえば、そろそろ映画「パッション」が日本でも公開になるようで、試写会が催されているらしく、ちらほらと感想を見かけたりするが、誰もマグダラのマリア役のモニカ・ベルッチについて語っていないので、「私が観に行きたい映画かどうか?」が全然わからない。(モニカは「観る美容液」なのである)公開されても、このまんまだったらたぶん観に行かないな。なんだか血みどろっぽいみたいだし。

 今まで半年に一回(決算時と半期)にしかやってなかった仕事を「余裕が出てきたから、毎月やらない?」と暇そうだったハイジに命令したのだが、あまり私の言ったことを理解できなかったようで、変なことやりはじめたから、横に立って腰に手をあてながら(厳しい女教師スタイルを意識。「ロッカーのハナコさん」とも言える)「だから〜、ここがああなって、これをあっちから引いて、その数字を計上するわけ」などと偉そうに指導していた。
 久々に一瞬だけ「ロッテンマイヤーみやの」が顕れたのであった。すぐに消えたけど。

 仕事の話しといえば、最近ちょっとキャッシュが足りなくて、ヒーヒー言っているのだが、社長にも「なんでだ?」と聞かれたときには、自分でも原因究明していたので、思い当たる理由をいくつかスラスラと述べて「はあ、やっぱりあたしって仕事できるわ〜」と思ったのだが、でも、本当はもっと鋭いことに気がついてしまったのであるが、それを言うのはちょっと勇気がいるので、「今はやめておこう。そのうち社長が酔っ払っているときにこっそり愚痴ろう」と思ったのだが、数年前にかけたデリバティブっぽいのが上手く機能してないのよ〜裏目に出てるわけ。
 税金の繰り延べみたいなことになってたんだけど、それが今になると、黒字になるけどキャッシュがないという事態を作っていて、しかも、それと同じころやった大規模投資も減価償却で落ちないわりには、そのための返済は10倍っていうのが辛い。もっとも、その投資ではかなり利益を生んではいるのだが、キャッシュフロー的にはトントンだと思うのだが、そのあたりをきっぱりと評価できるスキルが私にはないので、暇を持て余している今日このごろであるから、そのあたりを上手くまとめて表現できないかなあ〜とあれこれやっているのだが、でも、その辺をちゃんと指摘することは、「経営判断に物申す」ことにもなってしまうのであるが、せめて上司には把握してもらわないとなあ。

 利益は出ているわけだから、会計の書類が読めない他部署の部長はんたちは「もっと投資してもいいだろう」とチャレンジ精神活発なんですけど、新規事業で収益をあげるのはほんとうに大変で、その間ずっと耐えないといけないのだが、まあ、自転車操業中とはいえ、現在はまあなんとなかなっているが、これ以上「チャレンジ」すると抱えきれなくなるような不安があるのですが、イケイケムードを壊してもあかんだろうし、悩ましいわあ。

 で、こういうのってどんな職種でも一緒だと思うんだけど、自分では「財務諸表」を見て「ふむふむ」とすぐにわかることをそれに馴染んでない人に説明するのはとても難しいのだ。
 「そんなの私の世界ではジョーシキ」と思っていても、それを軽い気持ちで喋っても、なかなか真意が伝わらなかったりするので、もどかしい。
 で、なによりも「相手がどこまで理解しているか」を見極めるのも至難の業だ。
 わかっている人には「まあ、こういう数字が出てますけど、でも、これとこれがね?」とポイントを指せば済むけど、でも、そういう話しができる人は本当に少ないんだよね。

 で、怖いのは、自分では「この程度、数字を出せばわかってくれるだろう」と思っていても、全然違う解釈されていることに後で気がついたりすることだ。
 だから、それは最近わかってきたのだけれども、自分が「あれ?」と思ったら、わりと大声で叫ばないといけないらしい、ということだ。

 それは、もっと現実的なことでも、たとえば通りがかりの民家から煙が出ているとしたら、「まあ、これだけ煙が出ているんだから、皆気がつくだろう」と思って通り過ぎたりしたらもうアウトだし、たまたま他にも通行人がいたので「なんか煙出てますよね?」と言ってみたら、向こうも「そうですねえ?」で終わりかもしれない。
 とにかくそういうときには大声で「火事です〜〜〜〜」と叫ばないと、世間では通用しないらしいのだ。

 それがなかなか難しい。
 誰だって、大声で叫ぶのには勇気がいる。
 その昔、朝帰りで渋谷から歩いて帰ったら、途中で若い男の子に「時間、何時ですか?」と話し掛けられ、親切に応対してあげたら、なんか向こうが「今、受験勉強中なんだけど、煮詰まっちゃって」とか話しかけてきたので「それは、ゴクロー様です」などと、さらに親切に応対してあげていたら(自分は30歳くらいの「オバサン」なので、19歳の彼が私に対してどーのこーの思うとか想像もしなかった)、いきなり裏道に引っ張られて、羽交い絞めにされてしまったことがある。
 時刻は朝の5時くらいで、246沿いといえども、一歩中に入ると閑静な住宅街だから、人通りなどない。
 それに、レイプされそうというならともかく、彼はなんと「自分はマスかくから、それを見ていてください。見るだけでいいですから」という微妙な要求。
 そのヘナチョコな要求に思わず「ぷすっ」と笑ってしまったので、とっさに悲鳴を上げられなかったのと、悲鳴を上げれば退散しそうな弱っちい青年であったが、でも私が悲鳴をあげたら、閑静な住宅街の善良な市民が起きてしまうのではないか?と思って、ちょっと躊躇してしまい、必死で羽交い絞めを振りほどこうとしたのだが、(「い、いえ、そんなもん、見たくありません!それに、あたしオバサンなんだけど・・・・」とかブツブツ言いながら)、やはりどうやっても19歳男子に力では適わない。

 「うーん、どうしよう。殺されそうというわけでもないが、なんとか逃げたい。でも大声出すのもなあ」と半分必死で半分冷静にやっていたら、ふと、50m先くらいに家から出てきた人影が見えたので、その人に向かって「助けて〜チカンなんです〜」と叫んだら、すぐにこっちに向かって走ってきてくれたので、青年もすぐに逃走した。

 この話し、前にも書いたかもしれないけど、私を助けてくれた「早起きな善良な市民」は、近くで見てみると外人さんで、ラテン系の二人組みだった。どうも、自家用車でどっかに釣に行くところだったらしい。
 「大丈夫?」っと、けっこう日本在住長いようで流暢な日本語で心配してくれて、私が「もう、大丈夫です。ありがとうございました」と言ったあと「でも、ちょっともう歩くの怖いので、タクシー拾うから、ついててもらえますか?」と言ったら快く246の通りまで一緒に行ってくれた。

 道を渡らないと自分ち方面ではなかったのだが、とにかく、そこでタクシーに乗るって、外人さんにお礼を言ってから発車して、行き先を告げると、運転手さんに「逆方向じゃない?」と言われ、「それはわかっていたのですが、さっきチカンに遭ってしまったので、道を渡る余裕なくて」と言ったら、「え?じゃあ、さっきの外人の男?」

 あたし、チカンにお礼言ったりしないわよ(笑)
 タクシーに乗るのを見送ってくれるチカンなんているわけないじゃん!
 「いえ、さっきの外人さんに助けてもらって、タクシー乗るまで見送っていただいたのです。彼がいなかったらどーなっていたことか!」
 と、親切な外人さんの名誉は守りました。

 運転手さんも心配してくれて、「ちゃんと家の真ん前につけるから」と言ってくれたのですが、うちの前の道ってタクシーが入れないので、「ここで大丈夫です。ここから10メートルくらいですから」と言って降りたのですが、ちゃんと私の姿が見えなくなるまで、止まっていてくれました。

 というわけで、話しが長くなりましたが「なんか微妙にヤバい」ときって、どこで「キャーーーーーー!」と叫ぶべきか、タイミングがなかなか難しいということが言いたかったのでございます。
 悲鳴あげなくても、誰か他の人が察してくれればいいのですが。それがなかなか難しいということ。

4月13日(火)

 あたくし、別に植草(容疑者)ファンじゃなくてよ(笑)
 たまたま、朝観る番組に出ていたから、けっこうチェックしてたわけなんだけどさ。

 最初に存在を知ったのは土曜日朝の「ウェーク・アップ」だったと思うんだけど、ああいう経済アナリストって、よくニュースにも出てくるけど、スタジオに呼び出すほどのもんでもないらしく、たいてい別撮りという扱いで、ちょこっとコメントを述べるだけ。そんなキャラの立たない人が多いらしい中ではかなり顔が整っていて(オバサマに人気出そう)、喋りもちょっと癖はあるが(アナリスト特有のなんか突き放したような喋りと、変な声質)、でも不思議なほど嫌味は感じなく、「これは他の番組が見逃さないだろう」と思っていたら、「トクだね」がゲストコメンテーターにしちゃったから「きた〜〜〜」と喜んでいたのであった。

 それで、一生懸命ベタなワイドショーネタにもコメントを振っていたのを暖かく見守っていたというのに・・・・(おねーさん、昨日と言ってることが違くありませんか?)
 でも多分、一般試聴者的にも(あたしも一般視聴者なんですが)、植草(容疑者)氏は「トクだね」の看板になっているんだな、と思ったのは、ネットでキャスターの小倉氏の「ズラが外れた創作画像」(良くできてた)が出回ったときに、それを受けて茫然とする役柄として植草(容疑者)氏が登場したときだった。
 おズラのズラが落ちても、それを無かったかのように平静を装う植草氏という絵柄が、むちゃくちゃ笑えたけど、もしアレが本当に起こったとしても、植草氏はああいう態度を貫いただろうと想像できるので、あれは説得力があったな。

 さて、そういうわけで「あたし、別に植草ファンじゃいわよ」と断言しているのにも関わらず、今日はふと、「こういうときに、『あの曲』を聴かせてあげると、グっとくるのかもしれない」と変なことを思いついてしまった。
 あの曲とは、「人生を救った曲」アンケート1位を獲得した「I Know It's Over 」である。

 私はあの曲がそれほど好きでもなかったので、「人生を救った曲1位」に選ばれたときには「ええと、どういう曲だったっけ?」と思ったくらいだったが、自分自身、それほど「終わった」と思ったことが今までになかったからかもしれない。
 スミスの曲は、わりと癖があるというか、万人に受け入れられるものではないと思うのだが、実際、私は10代のころはあまり好きなバンドではなかった。でも、学校を出て社会に出てから、なんか落ち込んだときに「あ、これは」と思うことが多くなって、だんだん好きになっていったのである。

 だから今まで「はあ、終わったな。母さん、オレ、今、汚物まみれだよ〜」という歌詞にあまり反応しなかったのだが、今の植草(容疑者)氏の心境を想像しつつ、この曲を聴くと、なんだかドンピシャすぎて怖いくらい。
 あまりのドンピシャぶりに、一瞬だけど「助命嘆願署名運動してもいいかも」と思ったくらいだ(笑)。

 やはりスミスの「負け犬応援ソング」はタダ者ではないと思った。
 スミス家信者を増やすために、植草氏に贈ってあげたいくらいだが、どこに送ればいいのだろうか?

 それで、ついつい選曲モードに突入し(なんだか自分に才能があるように勘違い)、イラク誘拐邦人の家族に捧げる曲としては、アズテックの「Somewhere in my heart」がいいかも、と思った瞬間、自分の才能に眩暈がした。(どういう才能?)
 これも、家で聴こうとしたのだが、どうしても見つからない。そうだ、たしか友達に貸しっ放しで、もう10年以上経つのだ。「LOVE」ってタイトルのアルバム。

 ♪Somewhere in my heart There is a star that shines for you

 この曲、たしか、アズテック・カメラの出したシングルでは一番売れたような記憶があるが、サビはほんとに前向きで、そういえば、「世界に一つだけの花」に曲調というか構成が似ているような気がする。
 でも、「星」がいくら集まったからって、「太陽」には勝てないんだよね。
 英語歌詞のニュアンスはよくわからないのだけど、この曲に心惹かれたのは、そういう皮肉が影にあるような気がしたからだ。ニュースを見て「かわいそう」とか「なんとかならんのか」と思う気持ちは「星の輝き」なわけである。

 だってさ、「僕の中のどこかにお星さまがあって、いつだって君に向かって輝いているよ」って言われたら、「あ、フラれたな」と思うじゃん(笑)
 「ゆーあー まい さんしゃいん〜♪」って言われたいわよね、やっぱ。

 さて、話しは変わるが、昨日は久々に我がママンから電話があって、久々に長電話してました。
 なんと、うちの「明るい老後」の両親は、とうとうスポーツクラブに入会したらしい。
 昼間会員なので、7000円だそうだ。老人ばかり優遇されてて羨ましい限りである。

●ミヤノ家の老人は皆元気

 スポーツクラブのロビーには新聞も各誌置いてあるらしく、ずっと日経を駅売りで買っていた父はそこで新聞を読むようになったそうだ。それだけでも、かなりペイしている。

 母の「スポーツクラブ楽しいの」話しを1時間くらい拝聴したあとに、「そーいや、祖母さんズはどう?」と話しを振ると、胆石の手術をした父方の祖母も、正月に見舞いに行ったときにはかなりボケボケだったというのに、今はまた元に戻ったそうだ。足は不自由のままなので、文句たらたらで「もう死にたい」を連発しているらしいが、母の見立てによる「前と同じに戻った」とのことなので、かなり元気らしい。
 たしかに、30年くらい前から「もう死にたい」を連発しているが、全然願いが適わない人なので、あのまま、やはり100歳になるのだろうか?

 で、やはりかなりボケボケだった母方の祖母も、最近かなり復活しているようで、なんと、お気に入りの介護士を「うちの孫と結婚しないか?」と口説いているらしい。

私「えーーーー、ほんと? あたし、もうおばあちゃんから結婚攻撃されることは二度とないと諦めてたのに!」
母「その介護士のおニーチャンにしきりに独身の孫の存在をアピールしてたわよ」
私「ひえええ〜〜〜〜〜〜〜」

母「でも、そのおばあさんのお気に入りの人、28歳らしいのよね〜〜〜」
私「わあ、申し訳ないっす」(祖母は正月に行ったときには私の年齢を正確に把握していた)

 つうわけで、「もう聴けないだろうなあ」と持っていた、祖母の「あんたにぴったりの人がいるんだけどねえ」リフレインがまた聴けることになったらしいけど、嬉しいのやら、悲しいのやら。
 母の話しによると、祖母はホームで「海外旅行自慢」(孝行息子の叔父がハワイやエジプトに連れていってあげた)なども披露しているらしく、ほんとにかなり回復しているんだなあ。一時はほんとに、「ボーっっっ」としていたのだが、やはり周囲に人がいると生来の「見栄っ張り」体質が復活したか?

 でも、やはり、自分が今どこにいるかは見失っているらしく、母が見舞いに行ったときにも「○○さんが、うちに来た」などと言い張っているらしいけど・・・・・・
 でも、その祖母の話しと介護スタッフの話しを統合すると、けっこうパラパラと知人が見舞いに来てくれているらしい。祖母が「ねーや」だった資産家(駒場のお屋敷在住)の坊ちゃんも来てくれたようだし、たしかに、あんな誰が見ても「いいとこのお坊ちゃま(60歳くらいだけど)」が見舞いに来てくれたら「これは自慢せねばらならない」と思って、必死にそれをアピールする気持ちが、リハビリになるのであることはわかる。

 私だって、ボケボケで老人ホームで車椅子だとしても、ブラピが見舞いに来たら周囲の人に「あれは本当にブラピだった。あたし、実は友達だったの」というとても大事なことを伝えねばならないと、必死で脳細胞を修復するだろう。
 
 というわけで、うちの祖母ズは、あと10年くらいはピンピンしてそうです。
 今は、両親が暇で健康だからいいけど、10年後にはどうなってんでしょうね?
 あまり想像したくありません。

 私のできることと言ったら、文句も言わず、黙々と年金払うだけです。(ほんとに払い甲斐があるので、なんで皆が素直に年金納めないのかが不思議でしょーがない)
4月12日(月)

 昨日は昼間ずっと寝てしまったので、夜になったらさっぱり眠れなくなってしまった。ありがち。
 風邪が大したことなかったという証明でもあるので、よろこばしい限りだが、日曜日の夜の睡眠導入剤として活用している「NHKアーカイブ」も「桑田VS清原」(19年前なんだって〜〜〜〜。それどころか、あたしゃ、江川の空白の一日事件もはっきりくっきり覚えているんだけど)の次のマラソンランナーが走っているときにどういうことを考えているかっていうのまでしっかり観て(画面あまり観てないんだけど、タイマーかけて床に入っているから)しまい、まあ、けっこう面白かったからいいんだけど、(いい企画だけど、あれで番組一本作れてしまうNHKはやはり凄いというか、羨ましいメディアだと思った)その後、ニュースが始まっても、拉致家族じゃなくて、誘拐された邦人3人組は開放されてないようなので、しょーがないからチャンネルを替えると、海外映画みたいなのがやっていたので、ふと立ち止まってみると、「あ、これが噂の24時間ってやつか〜」

 木曜日あたりから、毎晩やっていたのは知っていたが、とてもじゃないけどお付き合いできなかったのであるが、日曜深夜の今更観ても、さっぱりわけがわからず。
 あきらめて、テレビを消してちゃんと寝たが、やはりなかなか寝付けず、今日は早番だったので、いつもより1時間早い出勤で、午前中は死にそうに眠かった。

 早く出社したので、5時にはさっさと帰宅。
 やっと部屋の掃除にとりかかる。なにせ、またスポーツクラブの会員カードを紛失してしまったのだ。「どこかにあるに違いない」とムキになって、あちこち発掘しながら捜索するが、見つからず。これで紛失は2回目だ。どうしてなのだ〜〜〜〜フロントで提示して、すぐに財布にしまっているのに!

 また再発行か、525円(消費税込)だから、いいんだけど、なんだか悔しい。

 さて、ニュースはイラク方面に集中しているけど、そういうときって他に興味のあるニュースがあってもテレビではほとんど取り上げられなかったりする。日本画家の加山又造氏の訃報は個人的にはニュースだったけど、思いっきりイラク方面に埋没した。まあ、イラク方面が盛り上がってなくても、それほどテレビで取り上げる話題でもないかもしれないけど。

 ところで、今日電車に乗っていたら、アエラの広告の下(ダジャレコーナー)が真っ白だったんですけど、どうしてなんでしょうか?
 すごく、気になった。
 てゆーか、いつも会う人が花粉症でマスクしているみたいに、一瞬誰だかわからなかったくらいだ。
 サブラやプレイボーイの中吊り広告に、水着姿のねーちゃんの写真がないくらい、変だった。

 そういえば、確か先週の一行ダジャレの、「2年めジャー、ジンクスなんて知ンねんど」が「ジャージャービンクス」になにか掛けてあると思いこんで(スター・ウォーズ展とかあるらしいし)、5分くらい考え込んでしまったのだった。


 そういえば、このニュースもこのご時世でどう扱われるのかわからないが、「早大大学院の植草一秀教授を現行犯逮捕 」ってのには驚いた。
 彼をコメンテーターとして起用していた「とくだね」の対応も気になるところだ。しかし、スカートの中を鏡で覗くなよな〜(失笑)
 「この人は、そのうち絶対になにかにバケる(悪い方向に)」と確信して、けっこうマジメに観察していたのに、こんなんであっさり降りてしまわれるとは思わなかった。やはり、私にはナンシーの真似は無理だなあ。まあ、ナンシーだって数打って当てていたんだろうけど。
 私が目をかけていたというのに、なかなか「無難なコメント道」を崩さず、数年経過していたが、でも最近はちょっとだけその無難の壁が少しだけ崩壊しつつある片鱗を見せていたのに、別の方向に壊れてしまったらしい。残念である。

 それで思い出すのもなんですが、先日、駅について歩いていたら、前方にすごく足の長い女子高生が歩いていた。私と彼女の間に人がいなかったので、「はあ、すごく細くて長い足。うらやましい」と思っていた。そして、彼女はその美脚を見せびらかすかのように、ってゆーか、皆と同じように超ミニのプリーツスカートをはいており、「まあ、あんだけ足がきれいだと、引き立つわよねえ」と思っていたのだが、私がエスカレーターに乗ってからふと見上げると、彼女は丁度、エスカレーターを降りるところだった。

 彼女と私の間には誰もいなくて、「わ、見えそう」と思った。
 あんな真下から見上げたことは今までなかった。いつもだと、階段を上がる自分の目線の先に、ちらちらとスカートが揺れ、あいつら手で押さえてたりするので、よけい気になり「そんなに気になるなら、もっと長いの履くか、思い切って見せパンツ履くかどっちかにしろ!」と思っていたが、このとき私の前を歩いていた女子高生は後方すぐに人がいないのをチラリと確認していたので、それで確認できたのが私だけだったので、後ろを押さえることもなく、そのまま上がっていったのだ。

 しかし、残念ながら、パンツは見えませんでした。
 「へえ、あのスカートってギリギリに計算されてるんだ」と設計の妙に感心してしまいました。
 あの角度で見えないのなら、風でも吹かないかぎり、どこだって大丈夫でしょう。

 しかし、見えないからっていいもんでもなく、そのスカートの深部が暗い闇のように見えて「ブラックホールのように吸い込まれそうだ」と思いました。私は別に女子高生のパンツには興味ありませんが(ほんとーですってば)、あの闇にはちょっとだけ引き寄せられたので、「ああ、よかった、オバサンで。これがオジサンだったら通報されちゃうよ」と思いました。ぼけらっと見上げているだけで「このスケベじじい」とか言われそうだもんね(笑)
 オバサンだと、同じように口開けて凝視してても「もう、イマドキの子はこんな短いの履いて、冷えると体に悪いのよ!赤ちゃん産めなくなっても知らないわよ」と思っているようにしか見えないと思います。

 そーいや、今朝みかけた沿線の女子高生は、下半身がジャージの裾をバッサリと7分くらいに切ったのを履いていて「ヒップホップというか、スケボースタイルのアレンジなのか?」と思っていたのですが、彼女が下車しようと立ち上がったときに初めて、「その上にスカートもはいていた!」ということに気がつきました。
 前にもあのスタイルは観たことあるような気もするけど、いくらジャージが流行りっていってもなあ(笑)
 まあ、去年くらいから、スカートの下にスパッツ履くという「おまえは銭湯に行くオバチャンか?」な格好が流行しちょりましたが、制服の下にジャージのパンツっていうのは、どう考えてもカッコよくないんだけど、でも、チェックのスカートの下にパンツっていうのは、その昔の英国パンクス・ファッションでもあるよな。神田のダブル・デッカーでだけ不滅のファッション(笑。笑が多いね今日は)

 あれもっと大流行すれば、女子高生のスカートの下に鏡やケータイを入れたりする人が減るというか、ゼロになるはずなので、そうなればいいよね。
 それはそうとして、私が女子高生のころは、「長いスカート全盛期」で、逆に「床下何センチまで」と長さを規制されてたくらいだった。今の女子高生は学校ではそれなりの長さにして、下校時にウエストで巻いて短くしていたりするようだが、私らのころは逆で、下校時に駅のトイレでウエストでたくし上げていた部分を下ろしていた。(私はやりませんでしたけど)

 ああいうのは、いろいろ言われるけど、やっぱし「ただのシルエットの流行」としか言いようがなく、例えば私の母の時代にはウエストを絞った体にフィットしたジャケットが「流行のシルエット」だったが、私のころは「マニッシュ」と呼ばれたタップリとしたスーツが流行り、その後またウエスト強調ラインが流行り・・・・と、変化するので、女子高生のスカートもそのうち「長いほうがいい」という時代が来るに違いないと、じっと観察しているのだが、あれから10数年、ちっとも長くなりませんね。

 昔から足が太かった私としては「超ミニは大根足の子には辛かろう」と同情しているのですが、みんなヘーキで太い足を晒しているし、長いスカートのような「平等の思想」はもう廃れたのでしょうか?社会主義的発想だったのか、あれは?

 でも、あたしが死ぬ前に一度くらい長いスカートになってくれないかなあ?と、密かに願っているのでした。
 まあ、同じ値段なのに(制服の値段はそう上下しないはず)、布の量が少なくて済むんだから、制服業界は短いほうがいいに決まってると思うけどさ。私らのころの3分の1くらいだと思うぞ。

 そーいや、私も、その昔、制服のスカートの下にジャージ履いてたな。
 だって、寒かったから、モモヒキ替わり。男子もズボンの下にジャージ履いてたりしたよな。
 でも、スカート丈が長かったから、膝くらいまでクルクルとたくしあげておけば大丈夫だった。
 ときどき、裾がチラリと見えてしまい「ほら、ジャージが見えてるよ!」と後ろから歩いて来た友達に注意されていたりした。色気なかったなあ。

 少しだけ色気のある話しとしては、小学生のころ、総合プール(スライダーとかある豊島園みたいなやつ)に友達と行ったときに、着替え易いように中に水着を着ていったのだが、帰りにパンツを持って来なかったことに気がついて茫然。
 そういうときに限ってスカートで来ていたので、なんとか腰にバスタオルを巻いてゴマかしたが、電車に乗る帰り道、とても悲しかったです。なんかすごく気になって。よく「パンツを履いたサル」と言われますけど、やはりパンツがないと人間にはなれないんだということに気がついた10歳の夏でした。

 いや、別に大して色気のある話しでもありませんが、これから先の季節、プール帰りの幼女を見かけたら「このワラワラいる10数人のうち、もしかしたら一人くらいノーパンが混じっているかも」と思ったら、ドキドキしてしまう方もいるかもしれないと思って、サービスのために辛い幼児体験を告白をさせていただきました。
 (実は、大人になってからも一度やったことがあるのだが、そのときはジーパン履いてたので、「アメリカ人はジーパンの下はノーパンだっていうし」と思って頑張りました。でも、やはり悲しかった)
4月11日(日)

 昨日は出勤していたのだが、どうも眠くてダルくて、書きあげるつもりだった査定書類も書けず、そういうときって一歩会社を出ると急に元気になったりするのだが、家に帰ってもやはり眠くて、それでもダラダラとテレビを観ていたのだが、「冬のソナタ」の途中で猛烈に眠くなってきたので、バタンと寝てしまい、おかげで今朝は珍しく9時に目が覚めたのだが、なんだかダルくて、「昨日、テレビ観ながら酒飲みすぎだかな?」と思ったので、水分補給して寝直して、12時になったので「さて、家事でもするべ」と思ったが、どうも背中が重く、そのままウダウダ横になりながら「これは、もしかして?」と思って熱をはかってみたら、37度5分だった。そういえば、喉もちょっと腫れてるみたい。軽い風邪だ。というわけで、大人しく寝てました。
 けっこう汗かいたので、夜になってからやっと風呂に入って、食事して、また薬飲んだ。

 まだちょっとボーっとしているが、明日は会社に行けるかな?
4月9日(金)

 思いが通じたのか、また帰りは「バルデラ〜の君」と同じ電車だった。
 しかし、これは一種のシンクロ現象なのかもしれない。
 なぜなら、少し会社を早めに出た木曜日も同じ電車だったのだ。6時10分前くらい。そのときには、歌を練習するウグイスのような拙いかんじで「森に丘に〜」という何の歌かよくわからない一小節だけをときどき繰り返していたのであった。

 今日は、6時20分くらいに電車に乗ったのに、また遭遇。引き寄せているんだか、引き寄せられているのだか・・・とにかく、少し離れたところにいたのだが(てゆーか、彼女はいつも同じ位置に立っているのだが、私が少しズレていた)、なにやら歌っているようだ。けっこう混んでいたので姿はちゃんと見えないし、歌声もはっきり聞えなかったのだが、またドキドキしながら耳を集中させると・・・・・

 おおおおお!「おおブレネリ」ではないか!
 でも、それだとわかるのに時間がかかったのは、節回しがちょっと平坦だったのである。お、ぶれ〜ねり、あ、なーたの、というスタッカートがかかっていなくて、サビの「ホートランランラン」でやっとそれだとわかったのである。
 しかし、あの歌をあのように変拍子で唄うほうが難易度高いよ。
 なんだか「死刑台のエレベーター」のマイルスの演奏を思い出してしまった。(褒めすぎであるが、すっかりホレこんでいるのである。これって、もしかしたら恋?)

 というのも、先日、見事な「バルデリ〜♪」を聴いたときに、「おおブレネリもこの調子で歌ってくれないかなあ」と心の中で密かにリクエストかけていたのだが、それが通じたらしいので滅茶苦茶感激しちょるのです。好きなタレントがDJしているラジオ番組(「オールナイトにっぽん」とか)でリクエストが採用されたときのような嬉しさよ。

 しかし、これが欧米だったら・・・・というか、映画だったら、みんなで大合唱したりしてくれるのだろうけど、なんだかシーンとしているから悲しいわ。
 という私も、「羞恥心」の壁は越えられず、彼女と一緒に唄う勇気がない。
 ああ、お友達になって、一緒にどっかの公園かなんかで合唱したい。
 たぶん、毎日同じ時間帯に電車に乗っているということは、どっかの学校に通っているのだろう。でも、それがどこなのか調べるすべがないし、本人に聞いてもなあ・・・・・
 どうも、周囲が全く目に入ってないようなのである。
 私も木曜日にキアヌの映画を観たあとは、「全てジャガイモ」になっていたが、彼女の場合は常にそういう状態なんだろう。

 と、ますます親しみが・・・・・
 なんか、あの雰囲気って、その昔、六本木の俳優座で「アナザー・カントリー」上映後に、映画館からワラワラと出てきた女性たちの約9割は、あんな目つきになっていた。
 外に出てみれば、そこは六本木交差点なのであるが、でも心はまだ「イートン校のクリケット場」にいるのである。
 で、この世はさっきまで、パブリック・スクールの制服や体操着に身を包んだハンサムな英国人しかいないはずだったのに、「ここはどこ?私は誰?」と思って、隣を見ると、そこには同じようにボーーーーっと目線が泳いでいる女友達がおり、「と、とりあえず、お茶しよう」と喫茶店に入っても、お互い別の方向を見ながら(女という存在が目に入らない)「はあ〜〜〜」とか溜息をついていたのであった。

 ガイもジャドもここにはいないという現実を受け入れられるまで1時間くらいかかった。

 というわけで、自分勝手に「バルデリ〜の君」の観ている世界を想像してしまうので、声をかける勇気もない。

 すっかり片思い状態なのであるが、終点のあざみ野で彼女も降りるのだが、いつも途中で立ち止まっていたりするので、その先どうしているのかは不明なのだが、私がエスカレーターで上へと登っていると、吹き抜けを反響する素晴らしい歌声が・・・・

 いきなり、「チムチムニー」を唄いだした!
 なんで、こう私の心を鷲づかみにする選曲なんだろう。「バルデリ〜♪」「ヤーホー、ホートランランラン♪」の次は「チムチムニー♪」ですかい?
 この次に「フニクリフニクラ♪」なんて唄われた日には、思わず抱きついてしまいそうでコワイわ〜

 というわけで、春満開なこの季節を間違った方向に燃焼させているのでした。

 そういえば、会社の前の謎の街路樹(なんていう木なのか今だに同定できない)も、ワキワキと芽吹いていますが、駅前の銀行に行ったらそっちも新芽が眩いばかり。
 「これって何の木だったっけ?」と思って近寄ったが、「そうか、これはイチョウだ」とわかった。

 だって、だって・・・・ぐふふふふ(変態っぽい笑い)・・・・・小さな芽はやっぱり小さなイチョウの葉なのです。すっげーかわいいんだよ、小さなイチョウの葉。皆さんも近所のイチョウの木を観察してみてください。私が「ぐふふふ、かっわゆーい」と言っている意味がわかると思います。小指の先くらいの目が出ているのですが、それが小さなイチョウの葉の集合体なのです。ぐふふふふ。

 こんなキュートなものに、今までろくに注意を払わなかったのが不思議でしょうがない。
 桜の時期とかぶるので、イチョウの新芽なんて観察しなかったんだろうな。

 あまりにカワユイので、ちょっと手折ろうとしたのですが、イチョウの枝は私の身長では届かないので、「うーむ、ジャンプすれば届きそうな枝もあるが、この時期、イチョウの木の下でピョンピョンするのもちょっと勇気が・・・・」とまた「羞恥心」の壁が。

 柳の木だったらねえ。花札っぽくて、風流なのかもしれないけど、って、そーゆー問題か?

 まだまだ「羞恥心の壁」がブ厚くて、羞恥心をもっと薄められるのなら、もっとオバサンになってもいいかも。と、年をとることに前向きになったというのが、ちょっと嬉しい春の一日でございました。  
4月8日(木)

 そういえば、昨日観た「恋愛適齢期」では、薄暗い照明だとはいえ、ダイアン・キートンの全裸シーンがあったのだが、それを観て「あれれ?そーいや、前になんかの映画紹介で、シャーロット・ランプリングが脱いでいるという映画があったような気がするけど、たしかそれも女性作家がどうのこうので・・・・私の勘違いだったか?」と思っていたのだが、調べてみたら、それは「スイミング・プール」という映画だった。

 熟年女優を脱がせるのが流行しているのかしら(笑)
 ま、でも、「シャーロット・ランプリングのベッド・シーンか・・・・・ちょっと観てみたいかも?」と反応してしまったのですが。私は斜視気味の役者さんが大好きで、シャーロットのほんとにどこ向いているのかわからない三白眼が昔から大好きなのでありました。
 そーいや、ジャック・ニコルソンも、けっこう目つきが怪しくて、寄り目になったり、斜視気味になったりしますけど、「ウルフ」でジェームス・スペイダーと対決したときには(スペイダー君目当てで鑑賞しました)新旧斜視気味俳優対決に一人で喜んでました。

 さて、そういうわけで、昨日は20歳も年上の女性に熱をあげるキアヌを鑑賞したので、今日は私も負けじと、年下の男に会いに行ったのでした。
 36歳年下!
 勝ったな。

 また土曜日出勤なので、今日はお休みだったので、久々にAさん宅。
 36歳下の若い男N君と会うのも、2ヶ月弱ぶりだと思うが、かなり成長していて、ときどきグラつくけどお座りができるようになっていた。表情もしっかりしてきて、かなり人間っぽくなった。
 しかし、検診してくれた医者も驚くほどデカいらしく、それに筋力というか、蹴る力もハンパじゃない。医者も「身体能力はとてもすごい」と言っていたとか。

 でも、高いのは筋力だけで、それをコントロールする能力は普通の5ヶ月児なので、まだ寝返りも打てないし、とにかく足を激しくバタつかせたりするだけだ。足を持ってバタバタを止めてみたけど、けっこう固定するのが大変なくらい強い。

 それで、ニヤリと鋭く微笑むので、「こりゃ〜、ハイハイはじまったら、家中破壊しまくる悪戯坊主にぜったいなるね」と確信。あのパワーでドカドカと歩かれてら、いったいどうなることやら。

 Aは「それで、きっとフランス語で悪態とかつく子になるんだよ」と言うので、でも、ダンナが懸命にフランス語で話しかければある程度はフランス語しゃべるかもしれないけど、学校行きはじめたら、罵倒語も絶対に日本語になるでしょ」

 香港在住のきょうみさんのご子息たちは、英語の学校に通っているので、反抗するときにも英語が出てきたりするし、寝言でも英語でなにやら喋るようになったようだ。
 でも、Aさんちの環境だと、フランス語喋るのが唯一父親だけになるはずなので、やはり日本語がメインになるであろうと思ったのだが、Aが「でも、ダンナは相変わらずリセに入れるって言ってるんだよね」
 「リセぇ?そんなもん、どこにあるの?」
 「麹町とか、練馬にあるらしい」
 「遠いじゃん(笑)てゆーか、そういうインターナショナル・スクールって学費がべらぼうに高いんでしょ?日本では助成金貰えないわけだし」
 「でも、入れるって言ってキカないわけよ。あの人、言い出したらガンコもんだから」
 「そんな金ねーじゃん(笑)まあ、ダンナが夜中は工事現場で夜間労働してくれればいいけどさ。そんなことするわけないし」
 「その金は、私が稼ぐことになっているらしい」

 まあ、Aさんちの財政状況としては、ダンナの稼ぎだけでは3人食えるようなものでもないというか、現在でもギリギリなので、この先、あのデカいお子様がモリモリと食べるようになったら絶対に赤字なので、Aがこのまま優雅に専業主婦できないということは明確なのだが、

 「でも、Aさんが働いたからって、大したことないわけじゃん」

 まあ、ちゃんと働けば、20万円くらいは稼げるけど、それでも月10万円とかいう月謝払うのでギリギリだ。二人の稼ぎを合わせて、やっと大企業の30歳っていう収入だろう。そんで、私立の学校って、月謝だけじゃないしな。

 「それよりも、無理してそんな学校に入れても、イジメられちゃうよ。だって、そういう学校って、大使館員とか外資系の社員の子女が行くところなわけじゃん?上流階級だよ。うちみたいな下層階級が行くところじゃないよ」
 「まーねー、昔聞いた話だけど、某KOの幼稚舎では、お手伝いさんが3人いないとバカにされるからって、そのうちは、通いと住み込みで二人お手伝いさんがいたんだけど、そのためにもう一人増やしたらしいよ」
 「だから、そういう世界なんだよ〜」

 「でもまあ、まだ先の話だからねえ(笑)」
 5ヶ月児を前にして心配する話しでもないし・・・・・その前にダンナも自分が貧乏人であることに気がつくかもしれない。と言ったら、
 「そのリセって、3歳から始まるんだって・・・・」

 それまでに、ダンナが気がついてくれるといいですね。

 Aは、「子供にテレビがあまりよくない」というのを真摯に受け止めて、最近あまりテレビを観ていないようだったが、夕飯食べようとしたら息子がグズるので「こういうときには、テレビつけとくと大人しいんだよ」とテレビをつけてみたら、ほんとに急に大人しくなった。
 「まあね、テレビずっと付けてるのは確かによくないだろうけど、それよりも、最近のニュースはまた、子供が怪我しただの親に殺されただの、あそこを切っちゃっただの、子育て中のお母さんの神経に触るようなのばっかだしね」
 とか言っていたら、ニュース速報のテロップが入り、「なんかイラクで日本人が誘拐されたらしい」ということになり、9時のニュース観てたら、「わ〜、19歳の男の子だって・・・・・」

 そんで、繰り返し流される映像とパスポートの大写しがちょっと嫌になって、「やっぱ、テレビはよくないかも」と思った。

 ところで、Aが「最近、9時には寝るようにしてるんで、全然ドラマとか観てないよ」と言うので、「でも、最近、ドラマはちっとも面白くない」と私が急に熱心に喋りだし、キムタクが出てたのなんて最悪だった、とか、「冬のソナタ」を見たのだが、役者の顔が見分けられなかったけど、先日、ヨン様とやらが来日して騒動になっていたので、これでどれがヨン様だかわかるようになったので、少し見分けがつくようになったかもしれない、などとベラベラと喋っていたら、Aに抱かれていた息子のN君も「みゅみゅううううわわわううわわわわほ?」となにやら、議論に参加したいご様子であった。
 「うーん、そうか、君もトレンディ・ドラマについて、なんか言いたいのであるな?まあ、そのうちちゃんと議論しよう。それまでに、もう少し語学力を高めておいてもらわないと」と言っておいた。
4月7日(水)

●恋愛適齢期

 予告通りに水曜レディースデイ狙いで、わざわざ早めに出社して、6時前に会社を出て、なんとか前から4番目の席を確保。混むとは思っていたが、本当に久々にほぼ満席状態だった。と言っても、小さな劇場なんだけどね。
 場内はほぼ100%女性で、二組ほどカップルがいたけど、その6割くらいが6時35分の開演前に、席でご飯食べているので匂いでムンムン。私の隣に座ってた人はマックだし。(映画館のすぐ下の階にマックがある)
 最近、レイトショーばっか観てたので、こういう夕飯時上映は久々で「ああ、私も食事を用意してくばよかった」と悔やんだ。

 さて、私は「マトリックス」と同じく、「しゃーねーな、キアヌが出てるし」と思って観にいったのであるが、「どーせ、あんまし出演シーンは多くないんだろ?」と覚悟していたのだけれども、予想よりちゃんとした役柄だった。
 てゆーか、これって、考えようによっては「マトリックス」よりもSFというか、「現実離れ」している話だ。

 ジャック・ニコルソンとダイアン・キートンが、それぞれ「音楽業界の大物」と「ブロードウェイの売れっ子脚本家」というセレブな中高年で、その二人の恋愛コメディなのはいいんだけど、ジャック・ニコルソンの恋のライバルがキアヌという、あらすじを読んだだけでも「?」と思ったが、でも、ダイアン・キートンが出ている映画なんて最近観たことがなく、思い出せるものと言ったら「アニー・ホール」なわけで、あの映画のダイアンはパンタロンを颯爽とはいてたっけな・・・・でも、ウッディ・アレンが「ザリガニなんて!」とまくし立てるシーンばかりが印象的なんだけど、それはいいとしても、この「恋愛適齢期」でのダイアンもパンタロンにタートルネックというファッションをビシっと披露してくれている。

 でも、ちょっと話しがクドいというか、ダイアン・キートンもジャック・ニコルソンも演技過剰でちょっと重い。
 同じテーマ(娘の彼氏が自分よりも年長で、しかもその男のことが好きになってしまう)で、ウッディ・アレンが作ったら、もっと軽いノリでもっと深いものになったであろう。なんか、そーゆー話、やってなかったか?「夫たち、妻たち」のことを思い出したが、あれはかなり違うストーリーだけど。

 うーん、でも確かその昔、ジャック・ニコルソンがシャーリー・マクレーン宅の隣に越してきた元宇宙飛行士で・・・・っていう映画も「熟年恋愛モノ」だったような気がするし、メインは母と娘の絆だったけど、たしか「愛となんちゃらの・・・」という邦題だった。(当時「愛と・・・」という邦題は量産されていた)
 そんで、そのシャーリー・マクレーンがマルチェロ・マストロヤンニと共演した熟年恋愛モノもなんだか観たことあるぞ。お堅いユダラ系の未亡人が、陽気なイタリア男にだんだんひかれていくという、「グリーン・カード」とほぼ同じような設定の映画。
 なんで、そんなんばっかり、ちゃんと映画館で鑑賞しているかというと、「母の趣味」だからである。(私は親孝行な娘なので、母が観たい映画にはよく付き合ってあげた)

 そんで、そういった過去にも量産されている映画はもっと軽い味わいだったと思うのだが、この映画の主人公二人は、あんましそういう「枯れた味わい」を披露してくれないので、かなり生々しくて困っちゃ〜いました。
 出だしの二人のキャラは、なかなかよかったのだが(しっかり者の女性脚本家と、若い女キラーで有名な実業家というステレオ・タイプ)、わりと二人の裏の人格が早いうちに露呈されるので、もっとジワジワと責めてもよかったのでは?

 さて、そんなこと語っている場合ではなく、私はなにせ「キアヌ目当て」な不純な動機だったわけで、キアヌが医者役で登場したので「ええ?キアヌがお医者さんなんて、それはヤブ確定なのでは?」と思ったのだが、久々に「完全実写」というかSFX処理が全くなされてないハズのキアヌは「マトリックス」よりも美しかった。
 しかも白衣着用というのが、制服マニアの心をくすぐる。(その昔、トヨエツが駅員さん役のドラマを観たときにも、それだけでトキメキ)

 「いや〜ん、聴診器なんてぶら下げてるわ。それだけで1000円ペイしているかも」

 と、すっかりまたピンポイント攻撃されていたわけです。
 しかも、久々の実写版キアヌは、初心に返り「ほんとにこの人、こういう演技させると右に出るものはいない」というか、まあ「マトリックス」もそうだったんですけど「きょとんとした、ボンクラおぼっちゃま」をやらせると、ほんとうにハマる。

 映画としては、もっとちゃんと「30代後半」に見える俳優をキャスティングしたほうが、ちゃんとニコルソンのライバルとして機能しそうなものですが、わざわざ「どう見ても30歳。28歳って言っても誰も疑わない」ようにしか見えない、お坊ちゃんを登場させたのは、キアヌの横に置いておくと、ジャック・ニコルソンが結局「ただのスケベじじい」にしか見えないという効果を狙ったようですが、その後の展開を考えると、キアヌではあきらかに不足であったけど、てゆーか、キアヌを横に置いてしまうと、魅力たっぷりなはずのダイアン・キートンまでもが「ただのシワシワばばあ」にしか見えないというリスクを犯してまで、キアヌじゃないといけなかったのか?

 私はあらためて「今そこには絶対ないけど、もしかしたらあるかもしれないことを100%否定できない危機」について考えてしまいました。もしも、キアヌと一緒に食事に行ったら、向いの席に座っている自分が相当なブスな年増に見えるはずだとういことを。
 「マトリックス3」でも、トリニティのブスさが目立ちましたが、キアヌのせいだったんだ!ああ、絶対に共演したくない!

 まあ、この作品でのキアヌの役は、ハンサムな医者だし、けっこう自分ではモテることもわかっているし、ダイアン・キートンのこともかなり強引に口説いてましたので、それほどボンクラ役でもなかったのですが、でも、やはり「年増女性100人に聞きました。若いツバメにしてみたいタレントは?」となったら、やっぱりキアヌなんですかねえ?くすん。

 で、当然のことながら、キアヌは最後の最後でフラれます。
 自分の目の前で、ダイアン・キートンとジャック・ニコルソンという二人の芸達者が「やっぱり、この人しかいないかも」という雰囲気になるときのキアヌの演技は、私の涙を誘いました。あの美しい黒曜石の瞳をキョロキョロ横に動かして「あれれ、れえ?」と無言の演技をするのです。

 そして、ひっそりと身を引いて、一人寂しくホテルに帰るキアヌ・・・・・(その場面は割愛されている)

 クライマックス・シーンがどうのこうのよりも、私は「え?じゃあ、今、キアヌはホテルで一人で、寂しく泣いてたりするわけ?」と思い、そっちに駆けつけたくなりました。「チャーンス!」ってかんじです。

 というわけで、まあラブコメとしては中の上といったかんじの映画でしたが、キアヌ・ファンにとっては、「キアヌかわいそ〜、あたしが慰めてあげるのに〜」という別のストーリーが構築できるので、「悲恋モノ」としての楽しみ方ができます。
 ただ、そこに至る前に、ダイアン・キートンとぶっちゅ〜とキスしていたりするのも観ないといけないので、かなり血圧上昇すると思いますので、高血圧気味や心臓に持病にお持ちのキアヌ・ファンの方は、医者と相談の上でご鑑賞ください。
 キアヌ・ファンの健康を心配してくれているのか、キス・シーンだけで、ベッド・シーンはないのでご安心ください。
 しかし、キアヌってほんとに、「記号的」な役者だなあ。ある意味、マリリン・モンローに通じるものがあると思う。
 ブラピとかは、そうなりそうだった自分を懸命に否定しているけど、キアヌはボンクラだからけっこうボケラっとそれをやっちゃうんだよね。なーんて言うコメントは後でとってつけたものです。

 映画館を出た後に、久しぶりに「周囲の人間(特に男性)がジャガイモにしか見えない」という感覚を堪能させていただきました。よかった〜、男と一緒に観にいかなくて。(そもそも、映画はたいてい一人で鑑賞しているのだが)
4月6日(火)

 久々にハイジの話題。
 最近、私もすっかり「夢の左うちわ」状態で、会社に行っても「さあて、今日は何しよっかな」と思いつつ、まずエムボマ(かわいがっている鉢植え植物。サンデリアーナというミリオン・バンブーの元になっている種類。最近、株分けに挑戦した。大きく育てて、ミリオン・バンブーを量産し、会社に富をもたらそうという、経理課的に真っ当な夢を抱いている)に水やりしてから、新聞サイトで今日の円相場をチェックしたりしているうちに午前中が終わったりするような、優雅なサラリマン生活を享受しているのだが、この私ですら暇を持て余しているのだから、「機関車ハイジ」はもっと暇そうだ。

 ヤツは、仕事が溜まっていると、相変わらず、ほんとに機関銃のように入力し、仕事が全て片付くと、簿記の勉強をしていたのだが、まんまと2級は合格したので、最近はもっと小難しそうに見えるブ厚い本を読んでいるようだった。(「環境と経済」とか「税務の仕組」とかそんなかんじ)
 ところが、今週になって、新書版のものを読んでいたのだが、珍しく誰に言うともなく「この本、おもしれ〜」と言うので、私がすかさず「何読んでるの?」と口を挟むと、読みかけの本を見せてくれた。

 「女子大生会計士の事件簿」という、題名だった。
 「はあ、なるほど、女子大生が会計士で、会計ミステリーなわけね」
 「そうなんですけど、けっこう勉強になるし、おもしろいんですよ」
 「じゃあ、読み終わったら貸して」

 読みやすい本らしく、すぐに読み終わったようで、「もう2作目も買いました」と言って、1作目を貸してもらった。
 題名からだいたい想像がついていたが、主人公の女子大生だけど、公認会計士試験にパスして(でも、最終試験に合格して公認会計士を名乗るためには3年の実務経験が必要らしい)、監査事務所で主査をしているのが「萌さん」という名前なのに、のけぞる。
 しかも、この「萌さん」は、喋り方が、滝本竜彦の本に出てきた「脳内彼女」とほとんど同じだ。
 萌さんよりも年長だが、まだ新人の部下の男性に向かって、ビシバシ喝を入れる。

 まあ内容的には「ちょっと薄い森博嗣」というのか、変人の教授とお嬢様女子大生を足して2で割って、炭酸水で薄めたような女子大生会計士が、監査に行った会社での不正を後輩を酷使しながら次々と鮮やかに暴いていくというお話し。

 「ハイジったら、こんなのに夢中になっているのね。かーわい〜〜〜〜」
 としか、海千山千で脱税ギリギリの危ない橋も沢山渡った古株経理のお姉さん(ふと考えると、この仕事でもう15年もメシ食ってるよ。税務調査も4回ほど経験。って言っても「あたしはただの女の子なので、なんにもわかりませ〜ん」ってお茶やお菓子を振舞って邪魔する係担当だったんだけど、でも税務署の人がバカスカ貼った付箋を夜中にそっと10分の1くらい外しちゃったりした。てへ?あれで、税務署がどういうところをチェックするのかとっても勉強になったな)は、そうコメントするしかしようがないが、まあでも、大学卒業してすぐに某大企業に就職したとはいえ、学生時代のバイト先だっうちの会社に半年後に戻ってきたので、あまり「監査法人」に馴染みがないので新鮮に思えるのかなあ?
 それに、経理課に配属されて、すでに3年目くらいの貫禄がついたが、やっと1年経過しただけなので、かなり仕事はこなしているとはいえ、経験はあきらかに不足しているわけで、この程度の内容でも「勉強になる」と思えるのだろう。

 まあ、たしかに、取引先の大企業の決算期になると、監査法人から「残高確認依頼書」が届くので、それがどういう意味で行われているか、私も一応説明したが、この本読めばよくわかるかもね。
 3月決算の会社が多いので、ドカドカ届いて「あ〜めんどくせ〜、なんで他所の会社のために、私がこんなこと〜。たまにはお礼の図書券くらい入れてみやがれ〜」と思いつつも、せっせと処理しちょるのだ。

 ちゅーわけで、あまりオタクっぽくないハイジも(ハイジはオタクというよりも、コンサバだと思っていた)、こういう「オタク仕様なビジネス入門書」はすんなり受け入れるようなので、「ふーん」と思ったのでありました。

4月5日(月)

 たしかにテロも怖いけど、自動回転ドアにいつ噛まれるかわかんないわけだし、今日のニュースでは公園の遊具で指切断と世にも恐ろしい事件が起こったらしく、朝からブルってしまったし、いつ通り魔に出くわすかもわかんないわけだし、町を歩けば看板が落ちてくるかもしれないし、道路が陥没するかもしれないし、ホームで背中を押されちゃうかもしれないし、会社のコーヒーには毒が入ってるかもしれないし・・・・・

 と、今日も暇だったので一日中自分を「この世は危険がいっぱいなの。いつ死ぬかわからないのよ!」とジワジワと追い詰めた結果、なんとか部屋のあちこちに散乱していたCD(ケースと中身が生き別れ状態が多数)を片付けることができました。
 このままのペースでやれば、あと3日くらいで部屋はピカピカになりそうですが、それまで精神が耐えられるかどうか・・・・

 まあでも、こう、「世の中はお子様にとって危険がいっぱい」なニュースが続くと、お子様をお持ちの方は平常心を保つのが大変なのではないか?と、そっちのほうが心配になります。
 それほど心配性ではないはずの、どっちかというとかなり能天気な私ですら、「どっかに手を挟まれるのでは?」とビクビクしちゃいますもの。

 さて、話しは「お掃除問題」に戻りますが、せっかく掃除しはじめても、やはりなんとなく気が乗らないので、「やはり、こんな寝巻きみたいな格好でやっているのがよくないのでは?」という考えが芽生えてしまった。
 「うーん、やっぱメイド・ルックでキメたら、なんか仕事したくなるかなあ?」
 最近、増殖著しいらしい「メイド・カフェ」というのは、ウェイトレスがメイドさんの格好しているらしいので、どんなメイドさんなのか調べてみた。観るだけでもその気になるかもしれない。

 名古屋メイドカフェ「M's Melody」オープン記念イベント
 うーむ。かわいいっちゃ、かわいい服装だけど、なんかこれだと掃除って雰囲気ではないなあ。

 私の趣味だと、もっとあんな感じ・・・・・ええと、あのモジリアニの絵なんだけど、ありました。「小間使いの少女

 あとは、やはり小間使いといえば、ブニュエルの「小間使いの日記」だしょ〜

 ジャンヌ・モローの仏頂面と、小間使いルックの相性がよかったよなあ。
 そうそう、こういうキリリとしたかんじ

 これじゃ、そう簡単には変装できないなあ。どう考えても、私は「小間使い」というよりも「家政婦は見た」だもんなあ。

 というわけで、さんざんあちこち巡回したあげくに、わかりきっていたような結論にたどり着き、やっぱりヤル気は喚起されないまま、夜は更けてゆくのでした。

 そういえば、今日も会社帰りの電車で「バルデリ〜♪」の女の子に遭遇したので、「今日はどんな歌を歌ってくれるのだろう」と期待していたのであるが、何も歌ってくれなかったので残念。「今日こそ我慢できなくて、一緒に歌ってしまうかも」と、けっこうドキドキしていたのに。

 そういえば、桜もきれいだけれども、会社の前の道路の街路樹が今だになんていう木なのか知らないんだけど、たぶんケヤキなのかなあ?まあ、とにかく、夏には涼しげな緑色で、秋になると茶色になって落葉するので、冬の間はスカスカだったのだが、桜が開花しはじめたころに、ポコポコポコと小さく芽吹いていたのは気がついていたのだが、その葉がみるみるうちにデカくなっていくそのスピードに驚いた。
 桜の場合は、つぼみができて、それがだんだん開くので、その過程にそれほどの飛躍はないのだが、あの葉っぱの成長の速さのほうが劇的でおもしろいんだけど、しばらく冷えたし天気が悪かったので、日が差し始めたら突貫工事しはじめたので、私の目にとまったのか、それとも毎年こんなだったのに、なにしろ地味な街路樹だから全然気がつかなかっただけかもしれない。もし、そうだとしたら、自分が年とったなあ、ってことかも(笑)

 それよりも、たぶん、前に恵比寿で映画を観たら、そうそう「がんばれリアム」という、かなり悲しい結末の映画で、映画館出たあと、かなりショボ〜ンとなったときに、あそこの広場に植わっていた木々を眺めて「ああ、なんて美しい街路樹なんだろう」と感動したのだが、翌日、会社に行ってみると、「なんだ、ここのも同じ木じゃん」と笑ってしまったのであった。それから、なんとなくその木が美しい木であることに気がつき、それ以来、けっこうちゃんと観察しているらしい。

 今までは、なんの変哲も感じなかったのに、心が動揺したときに観たら美しく感じ、それ以来、やたらと目につくということはけっこうあるのかもしれない。ああ、そんな話しは前にも書いたな。「だから、好きな人が入院したら、見舞いに行っておけ」ってね(笑)

4月4日(日)

 昨日は飲み会に行って、それが終わったあとも、残った4人で川沿いのオープン・カフェで満開の桜を眺めつつ、ワインを飲んでいたのだが、かなり寒かったけど、かなり酔っ払っていたので、なんだかマジメな話しもしていたような気がするが、4人中二人が中国人というか一人は正確には中国系東南アジア某国人であったが、とにかくなんだか「アジアの未来」について語っていたような気もするが、朝というか昼起きたら、全然覚えていませんでした。

 そうそう、話題の韓国トレンディドラマ「冬のソナタ」が地上波でも始まったので、観てみたのだが、まだ高校生という設定なので、髪型とか服装が似たりよったりなので、顔の見分けがつきにくく(酔っ払ってたせいもあるんだろうけど)、でもだんだんそのうちわかるようになるんだろうな、とも思ったが、でもやはりアメリカ製の連続ドラマに比べると、かなり甘い恋愛モノみたいだし、あんまし趣味じゃないかもしれないなあ、と思った。

 今日はお昼ごろ起きて、「さあ、今日こそ、こそ、こそ、こそ、掃除するぞ!」と思ったのだが、起きだしてみるとなんだか寒く、昨日夜風に吹かれていたので風邪でもひいたかと思ったが、リクエストしていた本が図書館に届いたので(リクエストしたことをすっかり忘れていたくらい数ヶ月前に予約を入れたピンカーの「心のしくみ」であった)外出すると、手袋とマフラーが必要なくらい寒いことに気がついた。
 お花見の予定を立てていた人はがっかりだったにちがいない。冷たい雨。

 そんで、本を借りてから、カフェで遅い昼食をとりつつ、やっとピアソンの「甘美なる来世へ」を読み終わった。80年代にデビューしてた作家らしいけど、翻訳者の柴田元幸氏も「ピアソンを今まで紹介できなかったことは、己の怠慢を恥じるしか・・・・」とあとがきで書いているけど、たしかに、私はポール・オースターよりこっちのほうが好きかも。
 いや、オースターも好きなんだが、読み終わったあとにいつも本をブンと壁に投げつけたくなったりするので。
 なんかいつも「え?これで終わり?ちょっと、ちょっと、それは酷いんじゃない?」と怒ってしまうのである。

 私は自分がそうだからなのかわからないが、アーヴィングみたいに、あまり話しの筋にとっては重要じゃないことをあれこれと徹底的に丁寧に描く作家が好きで、まあアーヴィングはそんなに脱線しないほうだが、このピアソンは、通行人程度の人物の過去を延々と語りはじめて、読者を別の世界に引っ張るだけ引っ張ってから、ひょいっと元の話しに戻すので、雰囲気としては「アラビアン・ナイト」みたいな感じ。
 「アラビアン・ナイト」は、物語の中で別の物語が語られて、その物語の中でもまた別の・・・・と、読む人をマトリョーシカの中に閉じ込めるようなことをするのであるが、ピアソンはそこまではしないというか、この作品はわりと脱線度では中庸らしいので、読みやすいらしい。

 「ツイン・ピークス」や「バグダッド・カフェ」のような、アメリカのなんにもない片田舎の感じが、エキゾチックに思えて好きだという人にはお勧めの作品である。
 裏庭にこっそり埋めておきたくなるような小説だ。他のも読みたいなあ。柴田センセーがんばってください。何もお手伝いできませんが、肩くらいは揉んであげてもいい。あと、パワーズもね。(翻訳が大変そうなのばっかだ)
 エーゴの本が全然読めない我が身が悲しいが(ハリポタすら途中放棄したまんまという情けなさ)、そう嘆くだけで、何の努力もしちゃいないので、まあこのまま静かな一生を終えることだろうと思うよ。

 そういや、昨日は久々に地下鉄で都心に出たのだが、駅に「特別警戒中ですので、ゴミ箱ありませ〜ん」のお知らせポスターは、私が毎日通勤で利用する「こんなとこ、絶対に狙われねーよ」な場所でもそうなのであるが、自分がいざ都心というか永田町などの「首都圏でもかなり中枢」を通るとなると、「この辺だったらヤバいかも」と思い、少し心配になったが、でも、自分が一番心配しているのは、自分がテロに巻き込まれて命を落とすことよりも、「あたしが死んだら、うちの親が私が不在というか永遠に不在中に、あの部屋の後始末をするのだ!」ということであることに気がつき、「だったらちゃんと掃除しろよ」と思ったのであった。

 なので、今日はテロの脅威を引き合いにして、せっせと掃除したのであります。
 でも、ついうっかり「ハルウララの馬券でも勝っておけば、あたらないかな?」などと逃避してしまったので、なかなかキレイにならないのでございます。

 話しが飛びますが、話題はすでにかなり古いけど「ハルウララに武豊騎乗」のニュースは超バカバカしい&ホノボノ系で、けっこう好きだったのですが、ハルウララの厩舎員(って言うのかな?調教師じゃなくて、日ごろの世話をする人)が、ジャニーズ系で、かなり可愛かったのでありますが、ハルウララが注目されて、取材が増えたので、なんとなく垢抜けてしまったのか、元からこんなだったのかがとても気になった。
 私が彼の奥さんだか彼女だったら、とても心配だろうなあ。

 ええと、また掃除から逃避しているので、ダラダラ書いていますが、そうこうしているうちに、NHKで「火の鳥」をやっていたので、ボーっと観ていたのですが、まだいいとも悪いとも言えないなあ。でも、そっか「黎明編」ではヒミコ様が出てくるんだよなあ。と、遠い昔(20年前くらい?)に読んだきりの原作のことをぼんやりと思い出してみた。

 そうこうしているうちに、大河ドラマが始まり、今まであまりちゃんと観ていないし、そもそも新撰組にも疎いので、「ふーん」と思いながら観ていたのだが、次回予告で筒井道隆君が登場するようだったので、「三谷ドラマに筒井君が出てくということは・・・・」と、ついつい「今日は3つのSについてお話します」などと並み居る侍を前にして訓示を言ってくれるのではないかと期待してみたりして。あと、やはり例の「頭の上に洗面器を載せた人が」っていう話しも誰かがしてくれるのですかね?

 来週は、鈴木京香も登場するようで、そうなると「竜馬とその妻」と混同しそうですが、江口洋介は出てこないのかな?どーしましょ?
4月2日(金)

 港北のシネコンでは、ずっと「イノセンス」を昼間にしか上映していなかったのだが、4月になってやっと夜の回もレイトショーも始まったので「1200円だから観てみっか」と一念発起して行ってみました。
 ほんとーは、キアヌがカメオ出演(じゃないのか?でも、そんな扱いのような気がする。ナマクラだけど女の勘ってやつ)しているらしい「恋愛適齢期」を観たかったのだが、そっちは終了する時間が終電ギリギリなので、水曜日の女性1000円の日狙いにした。

 9時までは時間があるので、いつものようにブラブラと服屋を巡回。前回寄ったときには、何着か試着もしたが、結局、服は買わずに本を買ってしまったが、今回はなんと、いい感じのスカートとめぐり合い。いや、正確に言うと「いい感じのスカーツ」になるのか、とにかく複数形で、と言っても同時に2着「これは」というのがあって、両方試着したのだが、どっちも腹周り&腰周りという難関をクリアし、おまけに、あたくしご自慢のふくらはぎをちゃんと隠す丈もあり、そういう条件をクリアする物件にはなかなか出会えないわけで、迷わず2着とも購入。これで、春・夏・秋のローテーションはなんとか埋まりそうだ。これで実際着てみて、着心地をさらに確認したら、色違いでもう一つづつくらい買ってもいいかも。そうすれば、ローテーションはさらに余裕を持って組めるので、優勝間違いなし。

 というわけで、満足のいく買い物ができたので「もう帰ろうかな」と思ったが、せっかくだから、やはり映画も観ることにした。花の金曜日に今さら「イノセンス」など観る人がいるだろうか?いても、たぶん、お兄さんばっかなんだろうな・・・・でもお兄さんばっかでも人数がそれなりにいればいいけど、二人くらいしかいなかったら寂しいな・・・・・と心配していたのだが、劇場に足を踏み入れると、前から3番目くらいに、中学生の女の子も混じっている家族連れの姿を確認してホッとする。たぶん、そこんちの高校生の兄ちゃんの趣味なのかな?春休みだけど、これってお母さんも一緒に観たいような映画なんだろうか?ジブリが絡んでいるのでダマされたか?

 そして、大学生くらいのカップルも一組いた。
 残り10数名は全員、「男一人」である。女性は、家族連れのお母さんと中学生の妹と私だけだったと思う。

 さて、私は押井守作品は、家のパソコンにDVDを入れたときに、記念試写会を開いたときに観た、ええと、たぶん「パトレイバー」っていうのしか観たことありません。レインボーブリッジだかベイブリッジだか忘れたが、とにかく大きな橋の真中が爆撃されちゃうやつ。
 あんましよく覚えてないし、17インチ液晶モニターでスピーカーもモニター内臓のかなりヘナチョコな環境で観たけど、風景描写がとてもきれいだったのと、お話し自体はわりと硬派で、そこそこ楽しめたので、「映画館でちゃんと観れば、もっと面白いのかもなあ」と思っていたので、今回は映画館で押井作品初挑戦なのであった。

 なので、当然のことながら、この「イノセンス」の前作らしい、コーカクなんちゃらについては全く何も知らない。「甲殻」じゃなくて「攻殻」らしいが、どっちにしても私には「エビ」とか「カニ」しか頭に思い浮かばない。

 という、ほんとうにイノセンスな状態で挑んだのでありました。
 「たぶん、これって、一作目観てないのに『マトリックス リローデッド』を観にいっちゃったようなもんなんだろーなー」と思ったけど、まず、出てくる警察みたいな組織が、いったいどういう組織なのかよくわからなかった。
 まあ、所轄に冷たくされるということは、FBIみたいなもんなんだろう。で、所轄よりはハイテクらしく、主人公のどう見ても、「ダメージ」で息子の彼女と不倫して落ちぶれた後のジェレミー・アイアンズにしか見えない「罵倒さん」という人は、かなり軟派な「ロボコップ」らしく、軟派と言う意味は「ロボコップ」のような「甲殻類」には見えないという意味である。

 さて、事前情報としては「四谷シモンの人形みたいのが出てくる」というのと「セリフに引用が多くてうんざりするらしい」というのしかなかったのだが、「引用」どころか、全員がマトリックスのオラクルさんみたいなわけわかんないこと喋るので、全体的にさっぱりわからなかったのだが、でもまあ、主人公とその相棒の刑事な会話はハリウッド映画スタイルで、そういう普通の演出は上出来であったと思う。

 でもまあ、一言で言ってしまうと、と言っても一言じゃ済まないけど、「男の子のうちに遊びに行ったら、片っ端から宝モノを見せていただきました」というかんじの映画であった。

 日記調にすると、こんなかんじ。

 4月2日
 今日は、友達の押井君のおうちに遊びに行きました。
 押井君は、おもちゃを沢山持っていて、いろいろ見せてくれました。ミニカーというかミニチュアの車は、ピッカピカでかっこよかった。サンダーバードのレディ・ペネロープが乗っているような車ばかりでした。「へえ、カッコいいね」と私が言うと、押井君はいろいろ説明してくれましたが(「これは、○○っていう車の何年モデルで・・・」とか?)、よくわかりませんでした。
 他には、飛行機の模型もありました。羽根が鳥みたいでした。でも、なんだか羽根がスカスカしていたので「これで、ちゃんと飛べるの?」と言ったら不機嫌になってしまいました。あとは、お魚みたいな潜水艦もありました。それは可愛かったです。
 押井君は、美術にも興味があるようで、「世界の美術」という百科事典みたいなシリーズを全部揃えていて、ガウディやイスラム建築について説明してくれましたが、どれもキレイでした。

 いや、ほんとに、「世界の美術」だったなあ。
 主人公のホームタウンは「ブレードランナー」だったけど、極悪企業の本拠地があるロシアの町は、「わあ、聖家族教会が勝手に増殖しちゃったみたい」と思っていたら、極悪企業本社はモロ、聖家族教会で、「わははは〜」と喜んでいたのだが、そしたらなんか罵倒さんのお知り合いのハッカーに会いに行ったのだが、そこんちの外見はヨーロッパ風(「去年マリエンバートで」のお城みたいな)で、しかもドアが開いたら「わー、ハリポタのホグワーツ校みた〜い」であったのだが、どうやらルーブルだったらしく、エントランスの意趣を凝らした吹き抜けの天井からは、サモトラケのニケみたいのがぶら下がっており、廊下も西洋の美術館にみたいで、ステンドグラスがこれでもか、これでもかと並んでおり、シャルトル大聖堂もまっさなほどだった。
 海外旅行に行くと必ず有名美術館に行ってしまうような人の夢をかなえたようなお屋敷でブラボー。

 そんな感じで、ほんとに細部まで徹底して作りこまれているので、観ているとかなり疲れるのだが、でもストーリーとしては結局「JMと同じじゃん!」だったわけで、極悪大企業がジャパニーズ・ヤクザとつるんで、あくどい商売しちょりました、というお話だったらしい。

 そんで、私は前作を観てないので、話しの端々に出てくる、罵倒さんの元相棒で失踪中の「少佐」という人が誰なのかわからなかったので、最後にその人が出てきたときに「女性だったんだ?」と思った。

 これはネタバレなのかもしれないので、これから観るつもりの方には警告しておきますけど(いねーか)、その少佐という人が、四谷シモンな人形型アンドロイドをハッキングして出現して、出来たてのアンドロイドだからお洋服も着てないわけで、それはそれでよかったんだけど、罵倒さんが裸の彼女に上着をかけてあげると「おいおい、そっちのほうがなぜかエロいんだが・・・・・」

 美少女人形で裸なんだけど上半身にハンパに衣服を纏った姿のまま、少佐がなにやらサイバースペースにアクセスしている光景を見て「人形がどうの、アンドロイドがどうのっていう前に、これをやりたかっただけでは?」という疑念が湧いてきました。
 生身の人間だとアニメだとはいえ、下半身スッポンポンは許されませんが、アンドロイドだったらアリですよね。
 みんな、いろいろ工夫して頑張っているなあ(何を?)と、お姉さん感激いたしました。

 で、あれってセクサロイドなんですよね?
 だったら、わざわざ、所有者を殺すように仕向けなくても、ヤクザに誘拐されたいたいけな少女の脳の情報を読み込んでいるのであれば、それだけで暴走すると思うのですが・・・・・

 けっこう全般的に「キノコのり」というか、サイケな感じと(バッドトリップ系だけど)、サイバーパンクなあたりは楽しませていただきましたので、1200円の価値はあったと言えましょう。
 終了した後、前を歩いていたカップルは「どうだった?」と首を横に振り合ってお互いの結束を固めてました。
 家族連れのお母さんはどうだったのだろうか?

4月1日(木)

 朝起きて、トイレに行ったら、ちょうど出血開始だった。

 そういえば、よく「日記によく出血の話書きますよね」と珍しがられるけど、でも、毎月のこととはいえ、これはけっこう避けて通れない重要なことなので、ついつい書いてしまうけど、あまり女性からは「なんで出血のことを書くの?」と言われたことないので、それほど「よくもまあ」ということでもないようだ。(あきれられているだけかもしれんが)

 で、出血出血とついつい書いてしまう私の心情を少しでも理解したいという男性の方がいらしたら、こう説明することにしよう。

 貴兄も日記を書いているとしよう。朝起きて、顔を洗っていたら、鼻血が出てしまい、どうしても止まらず、でも外出する用事もあったので、鼻の穴に脱脂綿をつめて、マスクして隠して外出したけど、やはり鼻血は止まらず、途中でトイレに行って脱脂綿を替えて「あ〜あ」と思い、鼻血のせいでちょっと貧血気味でフラフラしていたので、無理して行った打ち合わせもあまり身に入らず・・・・・・ということがあったら、日記に書くよね?

 「出産の痛み」と「ぎっくり腰」はどちらが辛いか?という問題に関しては、片方を経験していないのでなんとも言えないけど、「鼻血」だったらかなり自信があるので、きっぱり断言できるが、「鼻血」と「月経」は、ほぼ同じくらい辛い。鼻血出てるときも、このくらい集中力鈍るしな。

 で、その鼻血がなぜか周期を置いて出現するともなれば、「たぶん、今月はこのあたりで鼻血だな」とカレンダーを眺めて「このあたりに予定を入れるときには気をつけないと」と思うだろう。
 ちなみに、私は6月の予定のことがふと心配になって、今日会社で自分の周期表をエクセルで作ってみた。
 そしたら、1月から、きっちり27日周期になっていることに気がついた。一日も狂っていなかった。
 人間の体ってすごい!
 銀行の借入金返済の引き落としくらい正確!

 しかし、このまま順調にいくと、6月に予定入れたころはドンピシャ大当たりなのだ!が〜〜〜〜ん、しまった。
 予定というのは、別にキアヌとデートするとかではなくて、なんとまた嫌々社員旅行に参加することになったのだが、「まあ、温泉入れるからいいかあ」と思っていたのだが、このままでは温泉に入れないじゃんかよ〜
 なんで温泉に入れないか、とお悩みの諸兄には「君は3日間鼻血が止まらないときに、優雅に露天風呂に漬かりたいと思うかね?」と言っておこう。

 ああ、なんか頭の中がユラユラするので、またわけわかんないこと書いてそうでこわいわあ。
 どのくらい頭がユラユラするかというと、「たんと栄養つけんとな」と思って、会社帰りに時々行くラーメン屋に寄った。ゴマがたっぷり入った味噌ラーメンにワカメをトッピングすると「鉄分などのミネラルたっぷり」な気がするのである。
 食券方式の店なのだが、一万円札しか持っていなかったので「両替が必要かな?」と思ったのだが、札を入れるところにはちゃんと「千円、2千円、5千円、1万円」と書いてあったので、一万円札を入れてから「ええと、ワカメ入りはどれだっけ?」とオロオロしつつやっとボタンを押して(辛さやトッピングの種類が多いので、いつも手間取る)、チャリーンと音がした方向に手を伸ばし、つり銭を受け取ってから、席に向かって、カウンターに食券を置こうとしたら、カウンター内にいた店員が「つり銭とってください?」と言うので、左手に握っている小銭の感触を確かめ、「つり銭?取ったよ?」と思いつつも、食券販売機がそう言えばピーピー鳴っているので、そっちを向くと、千円札の束が半分飛び出ていたので「ああ、今の私、いっぺんにいろいろなことが出来なくなっているのよ」と思いつつも、戻って釣銭というか釣札を抜き取り、そしてカウンターのほうにまた近づくと「食券いただきま〜す」と言うので、カウンターの上に置くと「あの〜、食券ください」と店員が不審そうな目であたしを見るので、「なによ」と睨み返す前にカウンターの上を見たら、そこにはさっきまで握っていた釣銭の200円が置いてあり、「あっ」と思って、左手を開くと、さっきまで釣銭を握っていたはずの左手は今は食券を持っており、慌てて200円を引っ込めて食券に替えると、店員は「なんか妙な客だな」と言わんばかりに、さっと奪うように食券を持って行った。

 なんだか自分が錯乱したのか、アルツハイマーを発症したかのような衝撃を覚えて、しばらくドギマギと落ち着きがなくなってしまったが「落ち着け、ただの出血多量なんだから」と自分を励まして、ちゃんと繋がっていない頭と両手の距離感を感じつつ、というか中枢神経が子宮に移ってしまったらしく(「女は子宮で考える」ってこういうこと)、でも子宮は手足をちゃんとコントロールしてくれないわけですよ。まったくも〜

 というわけで、久々にヨレヨレなので、今日は早寝しよう。

 昨日やっと買った、マスターズ・アット・ワークのルイ・ヴェガのミックスCD「MAW&Cutting Edge」を掛けているのだが、これを流していると、汚い部屋もコジャれたクラブに大変身である。J-WAVEのオシャレな部分を濃縮したかのようだ。車をお持ちの男性には、車内に常備することをお勧めする。イマドキのギャルはこんなアーバンな音ではオチないかもしれないけどさ(笑)。でも、一応、avexなんだけどさ(自嘲)  
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