可燃物な日々

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3月31日(水)

 もう5、6年くらい前になるが、今の仕事に就く前に、なかなか仕事が決まらず、派遣会社に登録していても、面談で落とされやはりなかなか仕事に就けず、貯金を崩しながら生活していたときがあった。
 その貯金も、当然のことながら底なしにあるわけでもなく、前の会社で賞与が出るたびに地道に定期預金にしていたものを一つ一つ崩していったのである。30万円の定期預金を解約しても、それで生活できるのはせいぜい2ヶ月ちょっと。家賃と光熱費だけでも月に10万円は必要で、それに食費などを加えると、どう節約しても月に15万円くらいは使ってしまう。

 そんな状況に焦っていたころ、同じような境遇だった友人が「日雇いのバイトしてみれば?」と勧めてくれた。日雇いだからそれほどの収入にはならないけど、家計の足しになるし、なによりも「仕事している」という満足感が得られるので心の安定にもいいという説には納得したので、さっそく私も登録してみることにした。
 就職がなかなか決まらなくて悩んでいたときに「派遣で登録してみれば?」とアドバイスしてくれたのも、そのときすでに派遣で仕事していた彼女であった。人生を半歩先に歩んでいる友達にはいつも助けてもらっている。

 その「日雇いのバイト」の仕事はいわゆる「マネキン」というやつである。スーパーマーケットなどでビールの試飲販売をするのがメイン。
 最近も、また熱い「ビール戦争」がマスコミでも話題になっているが、ビール会社の営業マンたちは自社製品の「置き場確保」が重大な仕事である。とにかく店に置いてもらえなければ、売れるわけがない。そして、客の目につくいい場所に置いてもらえるかどうかも重要なのだ。
 だが、ライバル他社だって虎視眈々と「場所」を狙っているわけで、売り場担当者に「新製品出たんで、ここに置いてください」と言ったら「どうぞ」と言ってもらえるわけでもない。だから「商品と一緒に女の子置きますんで」と言って無理やり場所を確保するらしいのである。
 そう書くと、売り場担当者が「でへへ、じゃあ、可愛い子お願いしますよ」などという会話が展開されているようであるが、そういうわけでもなく、なぜかというと、大きな店ではそうやって毎週毎週マネキンが派遣されてくるので、店員たちも慣れっこになっているのである。
 店側にとっては「今日もマネキンが立つのか」という程度のことだが、派遣されるこっちは毎回「初めての場所でドキドキ」なので、その温度差が辛いときもあったが、私が数ヶ月間で10回程度仕事した限りでは、これといった嫌な思いをしたことはなかった。

 今思い出してみると、ビール以外にもいろいろやったな。
 まず最初にやったのが、大井町のデパート地下食品売り場で「松茸」。
 これは、松茸ご飯を裏で炊いて、試食してもらうものであった。ご飯炊く準備に手間がかかるから二人でやったので、けっこう楽しかった。
 あと、ワインブームのころだったので、ワインの試飲も多かった。ヴァルポリッチェラとか、カベルネ ソーヴィニヨンとかいう用語は、あのバイトのときに覚えた。
 あとは、ピンクグレープフルーツとか、甘栗もやった。

   もちろん、事前に簡単な商品説明を受けるのだが、いったい何を売らされるのかわからないので、そういう楽しみもあったのだが、普段は絶対に行かないような場所に行くことも多くて、それもけっこう面白かった。郊外のディスカウント酒屋、都心のデパート地下、有名商店街の酒屋、ただの住宅街にぽつねんとある酒屋など、その舞台裏を覗けるのも楽しみの一つだった。
 事務職ばかりしていた自分には、小売業は新鮮に思えたのである。でも、皆さんとても忙しそうで、百貨店で働いていた友達もよく言っていたが「体力勝負」の仕事なので、大変そうだと思った。

 そうして、何回か仕事をこなして、だんだん慣れてきたころだったと記憶しているが、たしか京急線の○○横丁という駅にあるお店に派遣されたときの話である。
 伏字にしているのは、あまりいい印象の場所ではなかったし、それに、本当にその駅だったか記憶が曖昧だからである。でも、たしか「駅名は聞いたことあるけど、どこだっけ?」と思って調べたら、新馬場のすぐ先で、昔勤めていた会社の仕事で新馬場にあったビデオ編集室に何回か行ったことがあったので「そんなに遠くないな」と思ったし、以前1回行ってとても印象がよかった大井町と近かったので、「客層もいいかも」と期待していたのである。
 商品が売れなくても、自分の給料には響かないけど、どうせやるなら売れたほうが楽しいし、それに過去の経験から「品のいい老夫婦」の多い場所だと、話しかけてくれる人が多く、それでいろいろお喋りしたあとに、「じゃあ、せっかくだから」と買ってくださるお客さんが多かったので、わりと遣り甲斐があったのである。

 そして、大井町では、松茸を売ったのだが、私が想像していた「あの辺」の印象を裏切り、中流層の客が多く、数千円する松茸が飛ぶように売れて驚いたのだ。松茸ご飯を試食する家族連れの客たちも概ね品が良く、私の中ではそれまで「下町」だった大井町がいきなり「山の手」にランクインしたのである。
 あとで、あの近辺に住んでいた友人にその話をすると「大井町はちょっと違うんだよね。東急線が入っているからさ」と言われたのだが、たしかに直線距離で1キロ程度しか離れていない○○横丁の客層は大井町とは全く異なっていた。

 今ではあの辺も海側の再開発でずいぶん印象が違うのかもしれないが、あの当時は、駅前の通りに商店が並ぶだけの住宅街という感じだった。
 派遣されたのは、コンビニよりはかなり大きな「町のスーパー」という感じの、中規模小売店。その中に酒類が並んだ一角があったが、私が試飲キャンペーンをするのは店先だった。季節はいつごろだったのか忘れたが、初夏のころで、やや暑い日だったと思う。外に立つことはそれほど辛い気候ではなかったし、店内だと、ビールなどが置いてある棚のそばは冷気でかなり冷えるのである。

 その日は初めて「試飲用の缶ビール」を扱った。一番小さい缶ビールである。100ml入りなのかな?
 それまでのビールやワインの仕事ではは、紙コップに注いだものを通りがかりの客に勧めていたのだが、缶入りのものを客に渡すほうが絶対ラクであると、その時は思った。
 店の担当者というか店長さんも「余ってもしょうがないんだから、どんどん配っちゃって」と言っていた。
 この店長は、あまりマネキンを構わないタイプのようで「邪魔にならない程度に、テキトーにやってて」という態度であった。このタイプの人が一番多かった。必要以上には声をかけてこないし、誰に対しても無口であるが、なにか質問すればきちんと答えてくれるから「いい人」の部類である。

 でも、こちらも「11−6時」などと時間が決められており、時給で働いているので、予定時間よりも早くに試飲缶を配り終えてしまっても困るのである。いつもの紙コップ方式だと、「品切れ」の心配をすることはなかったのだが、「そうか試飲缶だとそういう問題があるな」と、試飲用にストックしてある箱の数から中身の数を計算して、だいたいのペースを考えていた。
 しかし、なにせ初めて訪れる町であるから、日曜日のその通りに、どの程度人が通るのかよくわからない。午前中は、駅に向かう家族連れなどがパラパラと通りがかった。「新発売の○○ビールで〜す」と声を出して、興味を示したお父さんなどにお渡ししていた。
 午前中に観察した限りでは、この町は商業地域ではないので、駅のそばとはいえ、日曜日だからそれほど人通りが多いわけでもないようだった。でも、天気がまあまあだったので、午後から夕方にかけては駅に向かう人や、夕飯の買い物客が現れるだろう。だから、試飲缶は3時〜5時くらいをピークに配ることにして、それまではケチケチしようと作戦を立てたのだった。

 午後になると、人通りも増えてきた。
 試飲だと、「押し付けられかも」と警戒されるけど、試飲缶を配っているので、「ちょうだい」と寄ってくる人もけっこういて、そういう人にはニッコリとお渡ししていたのだが、だんだん遅い時間になってくると、「ちょうだい」と言ってくる人が増えてきた。
 しかも、「家に家族がいてね、たぶん新製品だから試したいと思うのよ」と理屈をこねて、数個ほしがる中年女性もいた。それがただの言い訳だと思ったが、「まあ、いいや」と思って3個ほど渡すと、それを見た他の通行人も群がってきて、「くれくれ」とねだる。

 みんな目が真剣だ。

 そのうちに、私が在庫を出しに中に入っている隙に、表に置きっぱなしになっている試飲缶がごっそり無くなっていたりした。ビールくらい大した値段でもないわけだし、そんなに飲みたきゃ買えばいいと思ったのだが、この地域には数百円をケチる人が多いということを知った。金はないが、アルコールは欲しい。あそこでタダで配っている。ゲットゲットぉ!という雰囲気に心底ビビッた。

 そして、それは、私の未来の姿かもしれないと思って、悲しくなってきた。
 年金生活で、生活はギリギリたとしたら、こんな小さな缶ビールにも目を血走らせて向かっていくのかもしれない。

 前にも、とある大きな商店街の店先でクラッカーにチーズをのせて試食販売していたら(チーズの販売)、私がお客さんと喋っている隙を見て、浮浪者がお皿に乗っているチーズを全部ごっそり持って行ったことがあり、ちょっと悲しい気持ちになったが(ちゃんと言ってくれれば、もっと大きな塊であげたのに・・・・)、この町ではもっと普通の身なりの人が同じことをするのだ。どよ〜〜〜ん。

 アル中の貧乏人に、試飲缶を大判振る舞いするのも悔しかったので、在庫補充をこまめにすることにした。
 前日に搬入された試飲缶は、全て店長が冷蔵庫というか冷蔵室に運び込んでくれていた。
 よく知らないけど、たぶんコンビニもそうなっているのかもしれないが、飲み物の棚の後ろが冷蔵室になっているタイプであった。冷蔵室からは棚の飲み物越しに店内が見渡せるので、「へえ、こうなってるんだ」と思った。

 試飲販売の際に、冷蔵庫を往復することはあったが、冷蔵庫を使わせてもらえない場合のほうが多くて、その際にはお店で氷を貰ったり(生鮮食品を扱う店だと、氷製造機があった)、ロックアイスを購入したり(レシートを貰って後で派遣先で清算)していた。
 前に派遣されたスーパーは、納戸みたいな冷蔵室があり、そこは真っ暗で「閉じ込められたら怖いなあ」と慎重になって、ドアストッパーをきちんとかけて中に入っていた。ドアを開けておかないと中が暗くて見えなかったからである。

 さて、その店の冷凍室は4畳くらいの広さがあり、仕切りはガラスだったのでそれほど閉鎖感がなかったのか、ちゃんとドアに何か挟んで中に入ったはずなのだが、その挟み方が甘かったらしく、箱をごそごそと出そうとしていたら、「バタン」と音がしてドアが閉まってしまった。

 「あ・・・・・」と思った。

 そして、ドアノブを回してみたが、ドアは開かなかった。

 「あ・・・・本当に開かないんだ」

 信じなかったわけでもないけど、そういう業務用の冷蔵室を使用する際には、毎回担当者からドアストッパーの説明を受けていたので「閉じ込められて恥かかないようにしないとな」と思っていたのだが、ほんとうに閉まってしまったのは初めてだった。

 う〜〜〜む、どうしよう。
 安全対策として、どっかに呼び出し装置はないのかと、きょろきょろしたが発見できなかった。
 う〜〜〜ん、どうしよう。
 日曜日だし、けっこう品出しは頻繁なようだから、そのうち店員が誰か来るに違いない。それまで待ってようか?
 でも、それが30分後なのか1時間後なのか、さっぱりわからない。
 冷蔵室だから、それほど命の危険のある温度でもなく、ちょっと肌寒いくらいだし、少し我慢していようか?
 どうせ、外に出てもアル中に囲まれるだけだし、ここでサボっているのもいいかもしれない。涼しいし。

 5分ほど、そこでしゃがみ込んで「休憩しちゃお」と思ったのだが、やはりだんだん冷えてきた。
 そのまま30分もそこにいたら、けっこうヤバいかも、と不安になってきた。

 それに、助けを呼んでも、すぐに誰かが気がついてくれるという保証もない。だから、まだ元気なうちに助けを呼んでおいたほうがいいのではないか?

 そう考えて、ちょっと恥ずかしかったけど、ガラス越しに店内を覗きこんで、誰かがドリンク棚に近づいてくれるのを待った。ちょうど、店員がそばに来たので、冷蔵室の中から手を懸命に振ったが、全然気がついてくれなかった。

 ヤバイ。こっちからはよく見えるのだが、こっちのほうが薄暗いので、向こうからはあまりよく見えないらしい。
 こりゃ、真剣にやらないと死ぬかも、あたし。

 というわけで、やっと己の生命の危険に気がついて、ドリンク棚に近寄る客たちにも懸命に手を振ったが、誰も気がついてくれない・・・・・・マジでヤバい。
 そうなると、それほど冷えてないと思っていた冷蔵室の温度がだんだん下がってきたように感じた。体の表面が適度に冷えてきたので、体の芯に冷えが届き始めたのである。

 10分くらい経過してから、やっと一人のお客さんが、ジュースを買おうと棚に手を伸ばしたら、その奥で必死に愛想を振り撒いている私に気がついた。
 でも、その客もいったい何が起こったのか、わからないようだった。そりゃそーだよな。私がコンビニでドリンクを買おうと冷蔵庫を開けて、その奥で店員が手を振っていたら「は?」と思うよな。

 「この人、なにやってんだろ?」という表情を浮かべている客に向かって、声は届かないから、パントマイムで「あたし、寒いの」と自分で肩を抱いて、ブルブルブルという演技をして、眉毛を思いっきり八の字にして「困っているの」という表現をした。そして、レジのほうを指さして「あっちにいる店員に知らせて」というメッセージを送った。

 お客さんは、あまり事情が飲み込めないようだったが、とにかく、私がなんか訴えたいのはわかってくれたようで、店員を呼びに行ってくれて(ご足労おかけしました。命の恩人です)、店員がすぐにやってきて、私の姿を見てくれたので、私は冷蔵室の入り口を指差して、バッテンして拝むのパントマイム。店員はわかってくれたのか、なんなのかわからないまま、すぐにドアに回って開けてくれた。

 「なにやってんすか?」
 「ドアが閉まっちゃって、開かなかったんです〜〜〜」
 「気をつけてくださいよ〜」

 愛想の無い若い店員は、私が死にそうな思いをしたことなんて想像してくれなかったようで、私の顔も見ずに立ち去った。
 ちっとは心配してくれたっていいじゃん!

   ドリンク・コーナーでは私を救助してくれたお客さんがいたので、「すいません、ありがとうございました。おかげで助かりました」とペコリと頭を下げてお礼を言うと「いやあ、飲みものとろうとしたら、顔が見えて、なんか訴えてるみたいだけど、なんだろう?と思いましたよ〜〜〜」と笑っていた。
 すいません、すいません、もう、今夜の夕食のときに「スーパーの冷蔵庫に閉じ込められてた女の子を助けたよ〜」と家族に言いふらしていただいてもいっこうに構いません。ありがとうございました。と、心をこめて再度頭を下げた。

 さて、外の暖気に触れて、すぐに温まったので「いかん、店長にはサボっていたと思われているかも、仕事せねば」と、またビールの試飲缶を抱えて外に出ると、待ち構えたアル中たちにあっという間に持っていかれてしまった。
 「人が死にそうになっていたことなど、この人たちにはわかるまい」

 しかし、あの冷蔵室が外に助けを請えるような作りになっていたからよかったけど、そうじゃなかったらマジでやばかったと後でゲッソリした。
 そして、冷蔵庫っていうのはなぜ、中から開かない構造になっているのか、今だに不思議だ。
 設計ミスとしか思えない。
 どう考えたって危険じゃない?

 なんか、いろいろ思い出していたので冗長な文章になってしまった。

3月30日(火)

● ♪ばるでり〜 ♪ばるでら〜 

 今日は会社主催のセミナーに皆行ってしまって、土曜日のように静かで眠くて眠くて死にそうだった。
 留守番はラクチンだけど、つまらないけど、会場仕事嫌いだからいいんだけど、でもやっぱしつまらない。

 そして、6時には会社を出て、地下鉄に乗ると、どこからか朗らかな歌声が聞えてきた。

 ♪ゆかいにあるけば うたもはずむ
 ♪おひさまキラキラ かぜもあおい
 ♪バルデリー バルデラー バルデロー

 子供が歌っているのかと思ったのだが、でもちょっと声質がお子様ではないし、その車両内は微妙な緊張感に包まれていたし、「これはもしや」と思ったら、やはりけっこう大きな女の子が歌っていたのであった。
 知的障害を持った人って、羨ましいくらい若く見えたりするので、あの子も中学生くらいにしか見えなかったけど、もっと上だったのかもしれないが、とにかく、その歌をずっとずっとずっとリピートしていたのである。

 しかも、ちゃんとフルコーラスで2番まで唄うのだ。♪きみたちどこまで あるくのかね〜
 って。そうそう、そういう歌詞だったよ。懐かしいなあ。私もこの歌大好き!

 まあ、別に危害を加えるわけでもないし、多少騒々しいだけなので、周囲の人もじっと聴いていたというか、聴いてないフリをしているようだった。前にも「山田君、座布団持ってきなさい」を連呼する、シュールなギャグセンスがタダモノではなかった天才少年がいたけど、あれは笑いを堪えるのが大変だったので、「もう、こうなったら車内全員で彼のギャグに身を任せて皆で大爆笑しませんか?」と叫びたくなったが、最近見かけない。「女性専用車両」が嫌いらしく、ずっと文句を大声で言っていたオジサンもここんとこ見かけないしなあ。

 中には下を向いて、クッククと笑っている男性もいたけど。
 そう、華麗なる歌声を披露してくれている彼女は、♪バルデリー バルデラー バルデロー のところで、いいかんじに音を外すのである。♪バルデリー で上がりきらなくて、そのまま平坦になってしまい、思わず一緒に歌って「もっと、音程が上がるのだ!」と指導したくなったが、私も人に指導できるほどのもんでもないし、たしかに、この♪バルデリ〜のとこでだんだん上がっていくのはけっこう難しいところなのだ。
 私も高音が出ないので苦手な箇所だが、しかし、彼女はそこは平坦に流すのに、最後の♪バルデロッホッホッホ の「ロ」ではちゃんとキレイな高音で突き抜ける。「なんだ、声は出るじゃん」

 せっかく、♪バルデロッホッホッホ を完璧に唄いあげても、その次の♪バルデリ〜行こう〜 でまた外すので、聴く人の心の三半規管を大きく揺らし、笑ってしまうのだ。

 いや、しかし、15分間くらいずっとリピートされたもんだから、すっかり耳に残ってしまい、「ああ、私も大声で唄いたい」と悶絶してしまったことよ。

 それで、歌詞を検索してみたら、「バルデリーってなんだろう?」というページを見つけ、「そうか、英語歌詞もあるんだ」と知った。
 でも、作曲はドイツ人らしいので、ドイツ語風の掛け声なのかなあ?

3月29日(月)

 4月バカの日に九州に引っ越す新井君が「もう生きて帰ってこれないかもしれないから、最後に下北に行きたい」と言うので付き合う。
 待ち合わせ時間に余裕を持たせて、近所の桜並木(通称、シモキタの「緑道」)を見学したのだが、桜はまだ5分咲にもなってなくて見応えがなかったが遊歩道びっしりに人がいて、宴会真っ盛りだった。折った桜の枝を誇らしそうに持っている酔っ払いの白人がいたので「強制送還しろ」と思った。あと、酔っ払ってゲラゲラ笑いながらヒューヒュー言ってる白人のニーチャンたちがいたので、なんだろうと思ってすれ違うと、仲間の一人が人の家のガレージの中で立ちションベン中で、ジャカジャカと音がしていた。あいつらも強制送還だな。

 その昔、ロッキンオンのロンドン特派員だった(今も?)児島ユキコさんが、渋谷陽一のラジオで電話で喋っていて「ロンドンにも桜はありますが、この間、その並木の下で、日本人の家族がお花見してたんです。はずかし〜」と言っていて、渋谷氏が「いいじゃないですか、別に」と言ったら「だって、通りがかる人が皆、ジロジロ見てるんですよ〜、日本の恥です〜」というようなことを言っていたが、日本在住の西洋人も日本人に負けじとハジけている光景を目撃して「大丈夫。外人も日本で恥かいてます」と言ってあげたくなった。
 まあ、そんなだから日本にいるという説明もできるが・・・・

 そんで、レコファンに寄ったら、例の「UKニューウェーブ ルネサンス」企画ものが並んでいて、ヘアカット100やウェディング・プレゼンツのジャケットを眺めて、へらへらしていた。でも、もうすでに持ってるから要らない。
 そんで、まだ時間が余ったので、駅を越えて反対側の本屋で漫画を眺めていたら「雲の上のキスケさん」が全部揃っていたので買ってしまった。あと、萩尾望都の「バルバラ異界」と山下和美「天才柳沢教授」も。

 「キスケさん」はヤングユーの連載で全部読んでいたので、単行本では持っていなかった。
 そのうち買おうと思っていたけど、近所の本屋は漫画が揃ってないので、ついつい買ってなかったのだが、最近、なんかの飲み会に行くと、なぜか皆さん「ハチクロ」は知っていて、「ハグちゃん萌え〜」などと言いやがるので、「君たち、ハチクロ読んでるバヤイじゃないよ、キスケさんを読め」と主張していたので、自分でもおさらいしないとな。

 「バルバラ異界」は、「残酷な神が支配する」がどーにもこーにもキツくて「早く終わらないかなあ」と思っていた私にとっては嬉しい「へんちくりんSFもの」であるが、2巻目になっても全然話しが見えてこない。「マージナル」っぽい、もったいぶった作りとも言えるけど、まあ、相変わらずの萩尾節で、「父と子の確執」を中心にしているのだが、今回はそれに人肉食いのエピソードが絡むというかなり難解な構造。それに火星や怪しげな宗教や夢の共有など、もうわけわからんから、もうちょっとまとまるまで、単行本買うのやめとこうかとも思う。

 下北の駅前広場で漫画読みながら新井君を待っていたら、時間通りにすぐ来たが、どうやら昨日は朝までネットラジオに出演していたようで、少しオネムのようであったが、「とぶさかな」に行って、美味しいキンキなどを食し、そのあと、お茶の専門店に言って、だらだら漫画読みながらお茶した。

 ずっと「雲の上のキスケさん」を読んでいたのだが、読みながら「むふふ」と笑ってしまうほど、時々超エロい。
 いや、連載中も「これ、ヤングユーなのに、ここまでやっていいのか?」と思ったが、ほんとによく描いたよな。
 一時期流行した、レディース・コミックスに比べれば、全然おとなしいのだが、でも、別冊マーガレットの「お姉さん版」として登場した「ぶーけ」の香りを今だに濃く伝える正統派少女漫画雑誌だというのに、放尿シーンが出たときには驚いたね。
 一応、「大人の女性向け」の雑誌であるから、槙村さとるなんかも、懸命に性的なエピソードを入れてはいるけど、あれはやはり昔のマーガレットのままで、「お堅い」のであるが、鴨居まさねはそういうのをひらりと越えて「どっからどう見ても少女漫画なんだけど、でもエロい」という境地に達した稀有な作家である。決して、切れるような才能をもった人ではないと思うが(かなりムラがあるし)、でも、少女漫画には珍しく「ブサイクなキャラ」を多用するセンスが大好きなのだ。漫画家であるキスケさんの担当者など、どこかにモデルがいるのだろうか?

 まあ、私は「ハチクロ」も好きですけど、あれも美男美女しか登場しない青春コメディというか、登場人物の誰が主人公なのか今だにわからないという、かなり画期的な作品ではありますが(少女漫画としてはかなり実験的ともいえる。「鬼面組」とか「稲中」の少女漫画版というと褒めすぎか)、でもやっぱ、荒削りだけど「キスケさん」のほうを「エポックメイキングな作品」として評価したいと思っているわけです。
 最近のヤングユーは、「キスケさん」も「SWEETデリバリー」も終了した鴨居まさねが次に何を描くか?も注目ですが、なにせあの「ハチクロ」が看板になってしまったので、「自分探しの旅(笑)」が続いているし、大御所の岩館真理子は「ホラー好きの花屋の美人店員」を主人公にした奇妙な味わいのコメディを嬉々として描いているしで、何を目指しているのかさっぱりわかりませんが、でも王道の槙村さとると、谷地恵美子が頑張っているから妙にバランスはとれているのが凄い。
 個人的には昔の人気絶頂だったころの少年ジャンプくらいのパワーを感じるのだが、発行部数が二桁くらい違うかも(笑)

 で、昨日はお茶したあとに、またバーでちょこっと飲んで、その後帰ろうと思ったが、私は小腹が空いてしまったので「山頭火」でラーメン食べてから解散。
 家に帰ったら、12時前だったが、シャワー浴びてから頭乾かしつつキスケさんの続きを読んでいたら、ずっと読んでしまい、結局床に着いたのが2時ごろになってしまった。

 さて、今日も早く帰れたので、三茶で夕飯食べようと思ったのだが、また吉野家っていうのもなんだから、ずっと前は通りがかっていたが一度も入ったことのない小さな中華屋に入ってみた。いつも、そこそこ客は入っている店。
 焼きそばを頼んだのだが、これが思ったよりも不味いというか、味が薄い。でも量だけはたっぷり。しょーがないから、お酢とコショウと塩をバカスカ振って自分で味付けした。
 しかも、作っているのは腰の曲がったお爺さんで、給仕はおばあさんというシャレた店だ。
 なんというか、久々にチェーン店では味わえない中途半端な味に出会ってうれしかった。それも、ヤル気なくて不味いのではなく、お爺さんはちゃんと作っているようなのだが、なんかが足りないのだ。
 普通だったら、もっと化学調味料をブチこんで、そこそこの味にするはずなのに、それをしないあたりに感動した。
 でも、他の客は皆「たんめん」を食べていたので、それならイケるのかもしれない。今度また気が向いたら入ってみよう。

 天気も良いし、気分も良いので、今日こそ早く帰宅して掃除でもしようと張り切っていたのだが、なんだか眠くて、結局4巻まとめて買った「柳沢教授」をだらだら読んで過ごしてしまった。
3月27日(土)

 私は別に吉野家の牛丼のファンでもなくて、年に一度くらいムショウに食べたくなることがあるくらいだったが、先日やっと「カレー丼」を食し、この間の平日のお休みのときには「豚丼」を食べてみた。
 吉野家の業績悪化を心配して応援しているわけでもなく、ただ単に「これって今だけのメニューかも」と思っているからだ。牛丼が復活したら、「幻のメニュー」になりそうでしょ?

 なので、今日は「マーボ丼」に挑戦した。これも、まあまあ。会社近所のお弁当屋さんで売っているマーボ丼もたまに食べるけど、あっちは450円で、あまり熱々じゃないので、吉野家の勝ちだな。

 そんで、先日はマクドナルドのフィッシュ・フライも食べてみた。そっちは、イマイチ。あれを食べるんだったら、フィッシュ・バーガーのほうがいい。

 というわけで、なぜかそういう「急場しのぎメニュー」の味比べに走っているのであった。
 なんか、ああいうメニューのほうが実力が出そうな気がしちゃって(笑)。


3月26日(金)

 六本木ヒルズの回転ドアに挟まれて、お子様が亡くなったというニュースにとてもびっくりした。
 というのも、私は自分がトロいことを知っているので、ああいう「自動的に動くもの」にはいつもかなり警戒して挑んでいるのだが、その中でも「自動回転ドア」はあまり頻繁には乗らない(?)ので、ついつい子供のころよくやった「お嬢さん、おはいんなさい」の縄跳びゲームのように真剣になってしまう。

 この間は、あまりにも真剣に間合いを計ったために、周りが見えてなかったらしく、前を歩いていた友達と同じ隙間に入ってしまい、「あのさあ、これ一人づつなんだよ」と叱られた。たしかにちょっと狭くて、友達の後頭部に鼻を押し付けながらニジリニジリと歩いた。ああいうときの自動回転ドアの回転は遅い。
 それでも、「もしもの時」には、あれは自動で止まるもんだと思っていたのだ。だって、イマドキのハイテクなエレベータはドアの間にセンサーがあって、閉まらないようになってるじゃない?うちの会社の古いエレベータは思いっきり人を挟んでくれるけどさ。

 というわけで、いくらハイテクそうに見えても、絶対に信用してはいけないということをまた痛感した。
 そういえば、先日、会社帰りに見た不思議な光景を思い出した。
 三軒茶屋で降りて、階段へと歩いていると、階段のすぐ下のドアに若い男の子が思いっきりドアに挟まれていた。閉まりかけのドアに無理やり体をねじこんだらしい。それはいいんだけど(電車遅れるから迷惑行為だが、私が降りた電車なのでどうでもいい)、彼は慌てている様子もなく、平然と携帯で電話しているのである。そんで、優雅に会話しながら、ドアの外に手を振って車掌さんに「開けてよ」と合図していた。

 私が車掌なら、あのまま走り出したい衝動を押さえるのに苦労したと思うね。一駅くらいあのまま走っても死なないだろうし。

 でも、ああして「俺が挟まれている間は、絶対に発車しない」という妙な自信はなんなのだろう?
 ああいう「肩さえ入れてしまえばこっちのもの」という態度の人は、けっこういる。

 でも、車掌さんだって人間だから、たまにうっかりするかもしれないじゃん?
 夕方の空いている時間だったから見通しもよかったけど、前に朝のラッシュで、飛び込もうとした女性が、ちょっと躊躇したので、カバンと腕だけ挟まれてしまったことがあった。本人はホームに立っている。彼女も周りの人も、ドアがもう一度開くと思っていたのだが、ドアが開く気配がなく、そのまま走りだしそうな雰囲気だったので、彼女も思わず悲鳴を上げ、周囲にいる人たちも「人が挟まれてるぞ〜〜〜」と騒いだので、すぐに開いたけど、けっこうドキドキした。

 それに、日本の鉄道乗務員は優秀だけれども、昔ロンドンに初めて行ったときに、地下鉄に乗ったら、車両の片隅に囚人服みたいな服を着た、ふてくされた感じの女の子がいて、彼女と客席の間は小学校の鉄棒のようなバーで仕切られていた。
 見慣れない光景だったので、じっと観察していたら、駅について、彼女がドアの脇にある機械を操作すると、ドアが開いた。
 「うわ〜、少年院で更生する実習で地下鉄に乗っているわけではなく(ほんとにそんな感じだったのよ)、この子が日本だと車掌さん役なんだ!」
 と驚いた。日本だと、車掌さんっていうのは、最後尾のブースにいるが、当時の(今もそうだか知らない)ロンドン地下鉄の車掌というか「ドアの開閉係」は、真中辺にいたのである。

 とてもじゃないけど、鉄道少年が憧れる類の仕事ではない。ただ車両の一区画に立って、ドアの開閉をするだけである。
 その、いかにもヤル気なさげな、ファーストフードの店員よりもヤル気なさげな彼女を見て、「ロンドンの地下鉄では、ぜったいに飛び込み乗車するまい」と心に誓った。

 だからというわけでもないが、私だって日本ではたまに飛込み(って連呼しているけど、駆け込み乗車が一般的だな。でもドアにダイブする行為のことを言いたいわけで・・・)したりするけど、十分なタイミングは計っている。先日も、あと一歩だったが、ドアまで1メートルのところで閉まり始めたので「ぜったいに挟まれる」と思って諦めた。
 別に挟まったまま発車するとも思ってないけど、そんなことで怪我したくないじゃん。
 怪我しなくても、挟まれてジタバタするのも嫌だし、平然とドアを開くのを待つはもっと嫌だ。ドアに挟まれているのに「ふ、俺ってクールだから、こんなことじゃ慌てないんだぜ」って態度しているほうが、カッコ悪いじゃん?

 話しは変わるが、少し落ちていたときにはそんなことなかったのに、少し気持ちが上向きになってくると、なぜか周囲の他人の会話が耳に入る。

 電車内で、OL二人組みの会話

 「でも、まあ、したくないわけじゃないけど、なんかもー今更面倒っていう気持ちもあるんだよね」
 「そんな〜、まだまだじゃん」
 「でも、なんか気持ちがパーっと盛り上がらないっていうか、会社でも、男の子なんかと喋ってると、すっかり姉と弟ってかんじになっちゃう」
 「あ、でも、○○ちゃんって、そーゆーのいいかも。年下が合うじゃない?」
 「えー、でも、そんな気になれないよ。ほんとに弟ってかんじだもん」
 「そうかなあ、アネゴってかんじでいいと思うけどなあ」

 そこに、その「年下の男」のほうは、どう思っているのだろうかについての議論はなかった。
 普通は「でも〜、あっちだって相手にしてないよ」というセリフが出てくるものである。
 ちょっと気になったので、ちらりと顔を盗み見してしまったのだが「え〜いいじゃん、いいじゃん」と言っている子は、まあ普通だったが、「そんな気になれないよ。もー面倒で」という、どうやらそこそこ年増らしい彼女は・・・・・(伏字)。  ありがちな光景だった(笑)。

 スポーツクラブのサウナで、20代前半のけっこうカワイイ女の子二人組みの会話

 でかい声でずっと喋っているので、聞きたくなくても全部聞えるのである。
 長い話なので端折ると、片方の子が、今の彼氏にプロポーズされているのだが、ちょっと悩んでいるようだった。
 彼氏はまだ20代半ばらしい。それで、結婚を前提にして、機会があったら彼の実家にも連れて行って親にも紹介したいと言われている段階らしいのだが、彼にもそんなに稼ぎがないので、たとえ結婚式しても、フツーは男のほうの親が資金援助するのだろうけど、そんな金はないご家庭らしく、まともな結婚式ができるわけがない。
 それなのに、結婚式にこだわる彼の態度にちょっと疑問を持ったらしいのである。

 話しを聞いていたもう一人の子も「だったら別に結婚式挙げなくたっていいじゃん。入籍だけするっていう手もあるわけだし」と真っ当な答え。さらに、
 「彼も自信ないんじゃん?」
 「まあねえ。たしかに、結婚式にこだわるのは、逃げなのかもしれない」
 「とにかく、ちょっとでも迷いがあるなら、やめたほうがいいよ。それが40歳や50歳ならともかく(グサっ:と私の心に届いたんですが)、まだまだなんだからさあ。あんたが25になったら、彼が29?そんくらいになるまで待てば?」

 まあ、ここまでは、多少理解に苦しむことはあっても、なんとかついていけた。
 そしたら、

 「まあねえ。でもさ、ダメになるのはいいんだけど、ダメになるなら、先に別のがいないとなんかね、不安じゃない?」
 「ああ、わかるわかる。そうだよねえ〜」

 ええと、待って、おいていかないで!
 ええと、結婚話が出てくるくらいなんですよね?そんで、結婚がダメになったら、他の探すかってことなんですか?
 「このまま付き合っても、結婚までいかなそうだし」っていうのならわかるんですが・・・・
 「まだ結婚はちょっと早いし、今のままでいいよ」という発想はないのですか?若いのに?

 プールサイドで、男性数人組(20代後半〜40代後半)の会話

 「あ、そうだ、今日、ニュースステーション、最後なんだよ」
 「そうなんだ?そうか、久米宏が最後なんだよね」
 「ビデオ撮っておけばよかった」
 「まだ9時だろ?おれ、家に帰れば間に合うから、撮っておこうか?」
 「あ、それ、俺にも貸してよ。」

 うーん、ビデオに撮ってまで観たいものなんだろうか?
 と思って、さっき家に帰ってきたら「まだ、やってるな」と思って、思わずテレ朝にしてしまったのですが、メール開けたり、この日記書いているうちに、いつのまにか終わってた。

 というわけで、普通の人々の普通の会話が普通に思えないときは、自分が元気な証拠なのです。
3月25日(木)

 今日は少し寒さがぬるんだみたい。

 そういえば、その昔、友達と喋っていて、なんか話しが食い違うと思ったら、友達は「大滝詠一」のことを話していたのに、私は「太田蛍一」のことだと思っていたのである。
 だって、どちらも声に出して読むと「おーたけーいち」なんだもん。
 でも、「ナイアガラ・トライアングル」と「人外大魔境」じゃ懸け離れすぎだった。

 仕事の話。
 年度末なので、営業部はけっこうドタバタしている。うちのお客さんはお役所みたいな予算管理で動いている組織が多いので、予算消化や書類整備であれこれ依頼が多いらしい。
 それはいいのだが、一般企業ではないところでずっと仕事している人って、ときどきこっちが理解不能な要求を言ってくるが、ある営業部社員が「今月末に振り込む金額の領収書を先に欲しいっていってるんだけど・・・・なんか、監査があるんだって」と言ってきたのには驚いた。

 「あの〜、一般常識として、お金貰う前に領収書は切れないんですけど・・・・」
 「そうだよねえ?」
 「監査が入金前に入ったのなら、領収書がなくて当たり前だし、入金さえしてくれればすぐに領収書発行するから、それまで待ってもらうよう、説明してくれる?だって、入金されてないのに領収書なんて発行したら、公文書偽造っていうか、詐欺行為だよ?」

 も〜〜、ただ決められた書類をきちんと揃えたいだけなんだろうけど、非常識だよなあ。
 と思っていたら、その後に別の営業社員がやってきて、「年度末なんで領収書揃えたいというので・・・・」と領収書を切ってもらいたい伝票を持ってきたのだが、「これとこれはもう入金されているので問題ないんですが・・・・」

 「もしや、まだ入金されてないやつの領収書も欲しいとか?」
 「え?ああ、そうなんです。可能ですか?」
 「あの、さっきはMさんから同じような確認が入ったんだけど、別の得意先だよね?」
 「あ、そうなんですか?ははは、別の件です」
 「も〜〜〜〜、なんでうちの客ってこうなの!」
 「すいません」

 今までそんな依頼なかったんだけど、今年はたまたま「政府からの助成金」に関わるような大型案件が年度末に集中したので、そういうことになったらしい。

 今日は久々に、憎めないいいヤツなのだが、仕事の進め方が「これでいいのか?」というほどまだるっこしいが、うちでも最もお得意様である組織のサーバ管理しているシステムの社員もやって来た。
 「あの〜、いつもの認証のやつの更新をお願いしたいんですが」
 「ああ、ベリサイン?」(彼がいつもくどくど説明して手間取らせてくれるので、名前だけは覚えている)
 「いや、今度からベリサインじゃなくて、他のになったんです」

 そんなこと私に言われても、全然わかんないし、意味ないということを早くわかってほしいのだが・・・・得意先でどんな認証システム使用しようが、私の知ったこっちゃない。

 「なんでもいいから、とにかく、ここにいくら振り込めってう書類持ってきてくれれば、そこに振り込むから」
 「ああ、じゃあ、ちょっと画面立ち上げていいですか?ネットでできるんで」
 「だから、毎年言っているけど、インターネットでの申し込みはそっちで済ませて、画面だけプリントアウトして、振込先と金額を指定してくれればいいんだけど・・・・」

 ベリサインは、更新申請してから振込みして、その振込内容(どこそこの銀行から、何月何日にいくら振り込んで、申し込み番号はこれですよっていう、先方の入金処理の都合)をメールで送ればいいだけなのである。

 「いや、だから、今回はちょっと違うんですよ」

 と言い張るので、私の席を貸して、その画面にアクセスさせた。
 「えーと、これなんです、それで、この申し込みのところで・・・・・・あ・・・・・」
 「どうしたの?」
 「あ、そうだ。今度は事前振込ではなくて、請求書が届くんだった」
 「だったら、請求書が届いてから、持って来てよ」
 「そうですね、失礼しました」

 ふー。昔、超忙しかったときに、こういうこと何回かやられて、そのたびに血管切れそうになっていたが、今日はそんなに忙しくなかったので「彼も相変わらすだなあ、あんなんでちゃんと仕事できているのだろうか」と思っただけだった。

 ふー、そんな感じで、今日は久々にちゃんと仕事したような気がした。

3月24日(水)

 今週はまた水曜日休み、土曜日出勤なので、今日はお休み。
 天気が良ければ、Aさんちに遊びに行こうと思っていたが、やはり雨だったので、近所の映画館に行くことにした。

クジラの島の少女

 少し前に、けっこう話題になった映画。
 先日はアフリカでのびのびと成長するユダヤ人少女の映画を観にいったが、私はどうも「少女&大自然」の組み合わせに弱いらしい。それに、少女が登場する映画だと、たとえあんまし面白くなくても、少女が可愛ければOKだし(笑)、動物モノと同じ扱いである。

 さて、「ニュージーランド」「クジラ」「少女」「マオリ族」という程度の前知識で、「ニュージーランド版 ナウシカ」だと思っていたのだが(クジラに乗ったりするらしいので)、さすがわオールブラックスの国である。オールブラックスが試合前に、「うほっほ」と勇壮に踊るのがマオリ戦士の踊りらしいが、あのイメージそのままで、どうやら男文化らしい。ナウシカみたいな「姫」という概念は無いのようなのである。「巫女」というのも思いつかないらしくて、族長はダレきった村の再建のために伝統教室を開くのだが、自分の孫である少女の立ち入りを許さないのだ。

 というわけで、「少女とクジラの触れ合い」という予想は裏切られて、「女性の起用を認めないガンコじじいをなんとか更生させる」というのが主題であった。
 そもそも、この村、誰も働いてないんですが、アボリジニみたいに保護されてんですか?

 族長は長男に期待して伝統芸能などを徹底的に叩き込んだが、それがアダになり、長男はヨーロッパで芸術家として生活するようになってしまうし、次男はマリファナ吸って昼寝ばっかりしている大食漢。後継ぎは孫である主人公の少女しかいないし、観客には彼女にその才能があるのはわかるのだが、祖父さんは「女はダメ」の一点張り。
 じゃあ、村の子供集めて後継ぎになる男を養成しようと思ったのだが、そもそも若者世代が西洋的生活というか、「西洋の田舎の不良的な生活」に堕落しているので、子供だって似たようなもの。それでも、族長の真剣な指導で、子供たちもだんだんと伝統の良さに目覚めていくんだが・・・・でも、結果としてはボツ。

 結局、伝統だ、先祖だ預言者だ指導者だと言ってても、もう、しょーがないわけで、こうなったら不良でも女でも子供でも外人でも(長男の嫁はドイツ人)、みんなで参加できる楽しいお祭りでも開いて、マオリ族の伝統と誇りを継続していきましょっい。というお話しのようであった。

 まあ、しかし、子役ではなくシロートのマオリ族少女を起用し、そのナチュラルな演技がどうのこうのと評判だったが、その子は本当に素晴らしかった。

氷海の伝説

 二本立てのもう一本がこれだったのだが、この映画については何も知らなかったのだが、タイムテーブルを見ると上映時間が3時間近い大作だったので、いちおう事前に調べてみたら「イヌイット初の長編映画」ということだったが、たしかに長編だ。

 現在のイヌイットは、もうかなり現代的な生活をしていると思うので、この映画に描かれるような生活をテレビでも観ることはできないわけで、「ちょっと観てもいいかも」と思ったのだが、昔はエスキモーと呼ばれた彼らの外見が日本人クリソツだということが、気楽に観ることへの壁となった。

 女性たちは、おさげ髪とかにしていて、顔もこぎれいなので、「化粧っけの無い素朴な田舎の日本人」みたいで好感が持てるし、個体識別が可能なのだが(老婆の識別が難しいのは日本映画でも同じ)、男は長髪にヒゲで、顔の見分けもつかないが、年齢もよくわからない。それで全員わかりにくい名前なので、とても困る。

 しかも、長髪の若者たちらしき男性たちは、たいへん見た目が小汚く、それで顔が日本人なものだから「異文化」というよりは、「小汚い若者がたむろする夜の繁華街」とか、もっとはっきり言ってしまえば「浮浪者が集まる西新宿の公園」に迷い込んだような心地がしてしまうのである。

 そして、顔は日本人なんだけど、表情や口調は「異文化」なので、「どーしてこいつら、すぐヘラヘラと卑屈に笑うんだ?」としか思えないけど、たぶん、そういう表現ではないと思うのだが(神話的な叙事詩っぽい話しらしいし)、どうも長髪にヒゲの小汚い男たちが、すぐにヘラヘラするのを見ていると、生理的にムカついてくるので、なかなか話しに入り込めなかった。

 それに、不肖宮嶋が南極を取材したときに「周りが真っ白なので、どこにカメラを向けてもまっしろ」と嘆いていたが、この映画も冒頭は冬だったので、どのシーンも背景が純白なんである。雪の中で、若者たちが鬼ごっこに興じるシーンなど、「これは白ホリに違いない、あとでちゃんと背景が入るのだ」と思ったくらい退屈。

 1時間くらいじっと我慢していたが「これで3時間は無理」と諦めて途中退場した。
 「名も無いアフリカの地で」のアフリカの村の描き方(西洋人に都合のいい未開の地)に疑問を持ったりしたが、やはりあれはあれで正しいのだと思った。
 結局、自分に理解できる視点が無いと、「異文化」に入りこめないのだ。
 だから、未開の地のドキュメンタリー番組なんかを見て、面白いのは取材している人の視点があるからで、それをつきつめたのが「世界うるるん」みたいな、若手芸能人を「異文化」に放り込み、一生懸命コミュニケーションをとっている様子や、だんだん馴染んでいく様子を楽しんでいるわけで、「ラスト・サムライ」なんかはそういう映画だし、日本人にとっては双方の視点を楽しめたのでヒットしたのだと思う。

 まあ、この映画も、まったく自分とは異質なものだったら、逆に楽しめたのかもしれないが、先ほども述べたように「顔が身近」というのがネックだったし、あと「神話的スケールの話」ということだが、たしかに長髪&白いモコモコの毛皮の服を着ている彼らは、「起き抜けのクサナギノミコト」みたいな、まさに日本神話的ルックスだった。
 日本神話も神様たちが、不倫しただの兄弟喧嘩しただの引き篭もっただの、けっこう人間くさいので、そういうのをマジメに映像化すると、かなりトホホなコスプレものの出来になるが、この映画もそうなんじゃないかなあ。(インド神話くらい話がブっとんでると、おバカ映画として評価されたりするけど)

 でも、なんだか絶賛されてるんだよねえ〜
 みんなほんとに、あれをずっと3時間も観ていたのだろうか?
 1時間半くらい我慢すれば、もっと話しが動いて、だんだん登場人物の見分けもついて、感情表現にも慣れてくるので、もう少し面白かったのかもしれない。

 てゆーか、やっぱし私は「人間の素朴さ」とかを描いた映画があまり好きではないのだ。
 あと、流れる音楽が、「世界の民族音楽こんにちわ」になっており、レコ屋のニューエイジ&エスニック コーナーに飛び込んだかのようで、そのあたりの作為もちょっとダメでした。
 そもそも、寒いのが嫌いなんだよな(笑)
 「こんなに寒くてカワイソウだから、せっせと地球温暖化に努めて、緑の大地に変えてあげたい」とか思っちゃったもん。

 エコエコ・マインドの低い人にこういう映画を見せると、そういう感想を抱いてしまうと思うので、「すばらしい映画だから」と言って、中高生とかに無理やり見せないほうがいいと思います。 
3月23日(火)

 寒い日が続いてます。花冷えというよりも、「今年、最高の(最低の?)寒さなんじゃないか?」と思うくらい寒かったりする。お空の神様(天候を司る神という意味)が、2月と3月合算で帳尻を合わせようとしているのではないかと思ったりする。
 さらに、雨まで降るので、仕事でも銀行に行くときに、「おっし、銀行いくぜ」と気合入れないと外に出られない。先週の土曜日も、口座を持っている銀行よりも、コンビニのほうが近かったから「100円の損だが、ま、いっか」とそっちで現金を下ろしたくらいだ。

 しかし、桜は早まったね。
 しばらく暖かかったので「暖冬だし、こんなかんじで本格的に春かな」と思って、内部的にも「開花宣言」を出したのに、今ごろ「失敗した」とか「お空の神様ったら、ひどい」と文句言ってるだろう。ちゅーか、和平会議で和平宣言だか休戦条約を結んだのに、「わーい」と防空壕から出たとたんに空爆されたような裏切られた気持ちで一杯だろう。

 という、物騒というか、世界情勢を反映したような例えよりも、花というのは、植物の生殖行為が目的なわけだから、風俗店の店長が「暖かくなって、ミツバチ諸君も、きっとムラムラしているだろう。君たち、表通りに立ってチラシ配りしてきなさい」と、店の女の子を思いっきり薄着させて、ミニスカに胸元がしっかり開いたシースルーのブラウスで胸の谷間を 強調させて、生足&ミュールで外に出したとたんに、雪が降り始め、通りに出てしまった店の女の子たちはケータイで「てんちょぉ〜〜〜〜、超サムイんですけどぉ、戻っていいですか?」と電話しても、店長は「一度、外に出た子は中に戻れないんだよ〜」

 ちゅーわけで、ミニスカ巨乳ギャルたちは、あわれ雪の中、雨の中、凍えながら震えているのであった。
 なんか、気の毒だから、枝折って家に持ち帰ってあげたいくらいだ。
 店長も、あと一週間がまんすればよかったのに。

 話しは変わるが、在籍確認というのだろうか、「○○さんという方はお宅の会社に在籍してますか?/在籍してましたか?」という問い合わせをする会社があるということは噂では聞いていたが、総務生活10数年になるが、今までカード会社からの問い合わせ以外に出会ったことがないのだが(カード会社も全部が問い合わせてくるわけでもないみたいだ)、最近というか、半年くらいの間に2件もあった。

 それも、電話を受けた社員が知らない名前だったので「田淵さん(仮名)なんて、いたっけ?」と私に聞いてきたので、私もとっさに思いつかなかったが「そうか、たぶん、恵比寿事務所にいた派遣社員じゃないかな?」と気がついた。派遣社員にかかっている経費を私が集計しているので、本社の社員が名前を知らない支店付の派遣社員の名前を私が一番把握しているのである。

 それで電話に出てみると、その田淵さんを採用しようとしている会社からの問い合わせであった。
 「田淵さんは、確かに当社に在籍してましたけれど・・・・」(派遣で、と言っていいのかどうかわからないから言葉を濁す)
 「派遣社員として勤務なさっていたようですね?今回、こちらの社員募集に応募されたので、その確認なんですが」
 「そうです、派遣でした」
 「在籍された期間は、一昨年の12月から去年の11月で確かですよね?」
 「ええと、確かに、しばらく前に辞められたと記憶してますが、正確なところは資料を探さないとわからないですけど・・・・」

 派遣社員じゃなくとも、社員の在籍期間だって即答できるわけないだろう。フツー、と思っていたのだが、相手の中年っぽい男性はたたみ掛けるように、

 「それで、お仕事内容なんですが、ライターというかHPの記事の取材や原稿作成やWeb作成ですよね?」
 「あの、私は総務の所属なので、社員の詳しい業務内容を全て把握しているわけではないのはお察しいただけたらと・・・・確かに田淵さんは、普通の事務職という契約ではなかったと記憶してますが・・・・それに、彼女が所属していた部署はそういう部署でしたので、そうだったんだろうと思います」
 「そうですか、それと、差し支えなければ、お仕事ぶりというか、どういう感じだったか教えていただければと」
 「事務所が離れていたし、一年も前に退職した方のことですし、こちらの本社のほうではわかりませんので、もしどうしても詳しい勤務状況がお知りになりたければ、私から恵比寿の事務所に確認してからお答えするということはできますが・・・・」

 しかし、たまたま、彼女が所属していた部署の役職者がそのころ外出と出張でほとんど事務所にいないことが判明したので、「すぐにはお答えできないかもしれません」と言って、いちおう先方の電話番号を聞いて、私から連絡しますから、と伝えた。

 あーめんどくせー、だいたい派遣社員の在籍確認なんてフツーするか?派遣会社に聞けよ!と思ったが、たぶん田淵さん本人が経歴書にうちの会社の名前と住所かなんかを書いたので、それでうちに問い合わせが来たのだろう。
 いちおう、総務部長に「こういう電話あったんですけどねえ?」とお伺いを立てたのだが、部長も「なんでうちに?派遣会社に確認すりゃいいのに」と言っていた。

 でも、まあ、知りませんじゃ済まないので、データを探して、彼女の勤務期間を調べたら、確認してきた人が言ったのと同じだったので、勤務態度などは、適当に答えておけばいいんだよな、と思ったが、一応、所属部署の役職者にも確認しておこうと思って携帯に電話したが繋がらず、「こんな確認が来たんですけど」というメールをいれておいた。

 そしたら、夕方になって、また電話があり、「すいません、まだ実際に一緒に働いていた者と連絡がとれませんので・・・」と言ったのだが、

 「でも、勤務期間はいかがでしたか?」
 「あ、それは田淵さんがお書きになっていた通りでした」
 「ええと、一昨年の12月から去年の11月ですね?」
 「そうです」
 「それで、退職された理由はご存知ないでしょうか?」
 (知るか、そんなもん!)「さあ、一年くらい勤務されたわけだし、普通の契約満了だと思いますけど・・・・」
 「じゃあ、なにかトラブルがあったということではないのですね?」
 (だから、知らんって言ってるだろう!)「ええ、そういう話しは耳にしたことないですねえ」
 「そうですか、わかりました」
 「え?それでいいんですか?いちおう、今、担当者と連絡をとっている最中なんですけど」
 「いえ、けっこうです。ありがとうございました」

 うーん、なんか細かいこと聞いてきたのは、単に、そっちのが事務的な書類を埋めればいいだけって話だったのか?
 それって、なんだか私に責任を押し付けただけのような気もするが・・・・
 でも、例えば会社の金に手をつけたとか、上司を殴ったとかで退職した元社員について問い合わせがあった場合、こちらはどこまで正直に報告する義務があるのだろうか?

 よくわからんが、わざわざそういう確認の電話を入れて、なんかメリットあるのだろうか?
 そりゃ、うちが大企業だったら「履歴書にこう書いているけど、本当にそこで、こんな立派な職歴があるんだろうか?」と確認する気持ちもわかるが・・・・

 なんとなく釈然としなかったが、それから数ヶ月経って、また他の社員が「田淵さんって派遣の人いた?」と聞いてきたので、ピンときて「その人が在籍してましたか?っていう電話でしょ」と言ったら、「そうなんだけど・・・・」

 前回のときに、田淵さんの直属上司に「別に問題のある人じゃなかったですよね?」と確認していたので、今度は堂々と「そうです、その期間在籍していました。そうです、そういう職務内容でした。いえ、問題があって退職されたわけではなくて、単なる契約期間満了です。一年間っていうのは派遣としては普通ですよね?」
 と即答したら、相手も「ありがとうございました」と言って納得していた。

 別にいいんだけど、なんでこんな短い期間に2回も在籍確認があったのか謎だ。
 たぶん、あちこち就職活動しているんだろうけど・・・・
 もしかしたら、普通は履歴書や職務経歴書に、過去に勤めていた会社名しか書かないのに、田淵さんはご丁寧に住所や電話番号まで明記しているので、それを見た担当者が「せっかくだから」と思って電話してきてるのかもしれないなあ。

 まあ、でも、面接のときに「この○○という会社はどこにあったんですか?」なんて質問されて、地名を言えば、インターネットでけっこう調べがつくしなあ。(会社名だと同名会社は沢山あるが)

 それにしても、派遣社員の入れ替わりは激しいし、その中で正社員に応募する人だっているはずだし、そもそも正社員だって沢山転職しているのに、一度もそんな確認電話受けたことなかったのに、謎だ。なんかよっぽど身上調査が必要な会社に応募しているのだろうか?アルバイトの学生が教師や警察官になったときに「勤務してました証明書」を発行することはあったので「へえ、けっこうシビアなんだな。」と思っていたけど。
3月22日(月)

 日記はチマチマ書いていたのですが、「自分って本当につまんないことしか書けないな病」に罹っていたので、書いても「こんなもの人前に出せない」と思って、更新せずにいたのですが、今日になって、いきなり復調。
 すっかり回復するというのが、どの程度のことを指すのかわからないが、とりあえず書いたものを更新できそーな感じだ。(書いているうちに気が変わる可能性もあるが)

 いかりや長介の訃報がショック療法になったという説もあるが、それよりも決定的だったのは、会社でボンヤリしているときに、ふと「AAA一歩手前」というフレーズがリフレインして、「あー、もー、今日こそ飲まねーぞ」などと、「月曜日のOL」に似つかわしくない陰鬱な決心をしていて、どうにかそれを「月9の最終回だから観なくちゃ〜」に変換できるのか真剣に考えていたのだが、ふと、

 AAAって、トリプルAって読むのか?

 ということを思いついたトタン屋根の上の猫・・・・・おお、いい傾向だよミヤノ君。君の頭にもやっと春が来たようだ、外は真冬だというのに!・・・・・だから、思いついた途端に、なんか頭の中の霧がパーーーーーっと晴れたような心地がしたのでございます。
 そんで、さらに、

 トリプルAだったらいいけど、スリーAだと、ちょっと嫌かも・・・・・

 と続いたので、とても嬉しかった。
 どうやら、頭の中で、くだらないことをブツブツと呟けないと調子を崩すようです。
 まあ、どっちにしろ、この程度ではありますが、どーせこの程度だったら自分が楽しいほうがいいに決まっている。
 しかし、落ち込んだ原因も全く不明だが、立ち直った原因もあまり素直に納得できるものではないというあたりが、「人間ってフクザツ」の一言につきる。

 さて、るんるん気分で、いかりや長介さんのお話しでも。
 年代的に「ドリフ世代」ですし、「8時だよ、全員集合」の収録を観に行く夢を見たくらい夢中になっていましたが、長さんは、かなり前からよく体調を崩していたので(ドリフやってたときにも、長らく不在だったことなかった?)、あまり長くないかもしれないなと思っていたので、ここまで活躍できてよかったよな、と思うので、ジョー・ストラマーさんが急死なさったときみたいに「がちょーん」とかショックを受けなかったのですが、でも、今朝のワイドショーを観てて、急に思い出した。

 「とくだね」の小倉某が、かつて、長さんが関わったアフリカのドキュメンタリーのナレーションに指名された栄誉を自慢していて、「そっか、長さんはアフリカ通だったんだ!」ということを思い出したのです。
 昔勤めていたテレビ番組制作会社には、盆暮れには大量のお歳暮・お中元が舞い込みました。その大半がビールだったので、皆でせっせと家に持って帰ったのですが、あるとき、缶ビールのケースとは形状の違う箱が届きました。

 開けてみると、「うわあ、なにこれ?象のビールだ!」
 TUSKER というケニアのビールでした。ラベルのデザインが当時のとちょっと違いますが、こんなラベル。そんで、王冠はこれですよ!象マニアなら、誰もが「ぱおーん」と叫ぶであろう。

 「こ、こんな素敵なものを贈ってくれた方は誰なんだろう?いつもだとワープロ印刷のお礼状を出しているのだが、手書きでお礼状書いちゃおう」と思って、送り主をチェックすると「いかりや長介事務所」でした。
 今でこそ、タスカーも、珍しいビールに力を入れている大きな酒屋や、アフリカ料理店などで見かけますが、当時はまだやっとコロナビールがトレンデーな人たちの間で「ライムを入れるんだよねえ」と話題になってたような時代でしたので、アフリカのビールの存在なんて知っている人はほとんどいなかったでしょう。

 感激のあまり、本当にお礼状の端っこに「素敵なビールありがとうございます。象のラベルがおしゃれですね」などと手書きで書き添えたと記憶しております。
 そして、会社の人たちはビールに関しては保守的で、「バドワイザーだけ持ってかえる」とか「スーパードライだけ」などという嗜好だったから、私が箱ごと全部ゲットして、小分けにして家に持って帰り、空き瓶を部屋に飾ってうっとりしてました。

 その後も、何年か、その事務所は律儀にタスカーを贈ってくださったので、毎年とても楽しみにしてました。「長さんの象のビールまだかなあ〜」と、お会いしたこともないのに(そもそも、会社で制作したドラマに出演していただいたので、贈答リストに載っていたのだろう。まあ、そりゃ、あたしが出演料振込ましたから、あたしの金からじゃないにしても、多少の権利はあるんだろうけどな。支払調書も書いたしよ)すっかりお友達になった気分でいました。

 その長さんがお亡くなりになったのだから、ここはいっちょ、個人的な追悼行為として、タスカーでも一杯ひっかけたい気分ではありますが、最近、うちの近所では見かけないんだよなあ。(てゆーか、君、トリプルAでしょ?)

 というわけで、「長さんて言えば、あたしにとって、ドリフでも、踊る大走査線でもなくって、象のビールなのよねえ〜。ぷは〜」という自慢話でした。終わり。

 そーいや、お中元といえば、よく「噂の真相」などでも悪く書かれていた某バー○ングという芸能事務所の周○社長は、なんだか知らんが毎年、千葉の高級スイカを贈ってくださり、それが超ウマくて、スイカ好きのプロデューサー氏といつも「周○さんのスイカまだかなあ〜」と楽しみにしてました。
 しかも、その社長は、うちの社員が仕事でお会いしたときに「スイカ大人気ですよ」と言ったら、もう一回送ってくれたのです。たぶん、友人だか親戚だかがスイカ農家だったんでしょうけど、週刊誌などで、周○社長が芸能界の黒幕として書かれているのを目にするたびに、「あたしにとっては、スイカのオジサンなんだけどなあ」と悲しんでいました。


 さて、これで「プライド」の最終回を観れば完璧だな。

 すごいよ、ノジマ君!
 カンドーした。ほんとにツマんないよ!
 まあ、ノジマ君の責任だけでもないとは思うが・・・
 ダサいセリフでも役者次第ってこともあるしな。
 せめてホッケー・シーンはもうちょっと迫力ある撮り方できのかねえ。

 というわけで、こんなツマんなくても全国放送で流していいのなら、私がツマんない文章をひっそりと垂れ流してても、いいと思えてくるからよかった。
 とテレビから目を離して、喜んでいたら、いきなり「ボヘミアン・ラプソディ」が流れたので、「およ?」と思って振り向くと、キムタクが車に轢かれたカエルみたいな格好してたので、「いきなり死んだのか?さすがノジマ君だ!」と思ったのですが、死んでなかったみたいです。残念。

 そういえば、今日は他にも嬉しいことがありました。
 やっと、吉野家に入ることができたのです。
 三軒茶屋の吉野家は、あまり広くないうえに、人件費節約のためか2階を使用しなくなってしまったので、吉野家最後の牛丼騒動の嵐が過ぎ去ったあとの「売上ダウン」が報道されていても、いつもなぜか混んでいたので、入りにくかった。
 混んでいると言っても、満席というわけでもなかったようだが、でも、U字カウンターが1個しかないので、そこが9割くらい埋まっているのを外から眺めると、若者から中年までの男性たちが、みんなカウンター中央に向かって、背中を丸め、頭を垂れていて、その中心部向かって変な重力場ができているような気がして、近づけなかったのです。

 今日、通りかかったら、珍しく3割くらいの入りだったので、迷わず入って、念願の「カレー丼」を食べました。B級カレー好きなので、一度食べてみたかった。けっこう美味しかったです。カレーうどんみたいで。ちょっとカレーが少なかったので、残ったご飯を福神漬けでカッコみましたけど。
 そのうち、豚丼にも挑戦してみたいです。
3月21日(日)

 さて、昨日は会社であまりにも暇だったので、ついうっかり四川省にはまってしまい、ずっとやっていたのでありますが、(出勤といっても、ほとんど鳴らない電話番&荷物の受け取りなどのささやかな受付業務が最重要任務)「これじゃ、自宅での生活と同じやんけ」と反省して、必死に日記の文章を書いていたのですけど、どーも書いてると暗くなっていかんなあ。

 自分ではそれなりに落ち込んでいるようだが、外からはあまりわからないだろう。
 ちゅーわけで、昨日は4月から九州の学校に行く新井君の送別会だったので、新横浜から新宿に移動。飲み会は6時には開始していたようだが、私がついたのは8時だったので、食べ物はもう終わっていたけど、昨日も焼酎飲みすぎで二日酔い気味だったので(やっぱ、ぷち鬱の原因は過度の飲酒かも)あまり食欲はなかったが、しっかり酒は飲んでしまうあたり、ダメ人間まっしぐりとぐらである。

 結局、2次会、3次会までしっかり飲んでいて、さすがに3時過ぎたくらいから、泥酔状態になってしまった。最後はシモキタで飲んでいたので、歩いて帰宅したのだが、もうヨレヨレでした。
 そして、目が覚めたら昼だったが、水分補給してまた寝ていたら、電話が鳴ったので「マンション買いませんか、かな?」と覚悟しつつ電話に出ると、KM君だった。

 「メールしようと思っていたのですが、その前に電話でお話ししておいたほうがいいと思いまして」と昼間なのになにやら深刻な口調。
 うわ〜、どうしよう、私も今、かなりダメなのに、「一家心中しようと思います。今までお世話になりました」なんて話しされても困るなあ、と覚悟しつつ聴いていたのだが、でも、そこまで切羽詰まった話でもなく、相変わらずの窮状というか、数年前の悪夢の状態にまた舞い戻ったというか、それよりも酷くなったと本人は言っているけど、それはまあ、彼がもう学生ではなく、ちゃんとした大人としての責任があるから、もはや他人のせいにはできないということで・・・・・と、こうして日記に書いているのも無意味だけど、でも家族の問題って深刻だしね。

 ほんとに、この間Mちゃんも「普通の家庭に生まれた人が羨ましいよ」と嘆いていたが、私なんかが落ち込んでいる場合ではないよな。うちの家族、私に迷惑あんましかけないもんな。母親も最近は孫に夢中で、私にどーのこーの(結婚しないとか、結婚しないとか、結婚しないとか)言ってこないし、ほんとにラクなもんだ。

 というわけで、KM君を助けることはできないが、話しを聴くだけだったらできるので、向こうの電話の電池が切れるまで喋っていた。彼も「こーいうのは、命の電話にすべきですが、ミヤノさんなら話しを聴いてくれると思って」という泣けるセリフを言っていた。「ああ、やはり私も捨てたもんではない」と、私の気分も少しだけ上昇しました。

 さて、洗濯でもするべ、と思って、四川省をやりながら(笑)洗濯してたら、また電話が鳴ったので「今度こそ、マンションか?」と覚悟しつつ電話に出ると、今度は別の男の子。さっきまで話していたKM君は躁鬱病だが、次のお客さんは不安症だ。「命の電話」は大忙しだ(笑)。しかも、日曜日の昼下がりっていうのが泣けるというか笑える。

 もー、君らが話しを聴いてもらっているお姉さん自身が「AAAまであと一歩」の状態なのだが、まあ心に病を抱えているモノ同士で助け合わないとな。

 ああ、あたしって、ほんとに慈悲深い優しい人間だなあ。と、自分を過剰に持ち上げてハゲましてみる。

 さて、そんな話しばかりでもなんなので、世間の話題っぽい話しも書こう。

 先日、サッカー五輪代表の平山のことにちょっと触れたけど、平山ってまだブサイクだ。
 なので、私が密かに注目しているのは、このまま平山が活躍して話題になっていく中で、いつか突然「いい男」にランクインする日が来るだろうということだ。中田だって、昔はイモっぽかったのに、突然「いい男」になってしまった。あれは力技だと感心したのだが、平山もそうなるのだろうか?

 顔といえば、アテネ予選の試合をちゃんと観ていたら、キーパーがブサイクなのが気になった。
 A代表ではないといえ、代表選手だということで、顔はどうでもいいわけだし、「ブサイク」と言っても、まあフツーの顔なんだけど、どうも近年、サッカー日本代表のキーパーと言えば、川口→楢崎だったので「日本代表は、キーパーのルックスでは世界レベルだろう」と本気で思っていたので、久々に「フツー顔」のキーパーを観ると「あれえ?」と違和感を持ってしまったのである。
 「日本代表キーパーは顔が命」と勝手に思い込んでいたので、あのキーパー君の顔が大写しになるたびに、代表試合を観ているという感覚が裏切られるのだ。
 ごめんなさい。他人の顔にケチつけるのはあまりよくないですよね。大丈夫、そのうち見慣れますから。

 しかし、これでアテネに出場らしいが、考えてみれば、前回のシドニーも時差があまりなかったし(季節は逆でしたが)、W杯も日本開催だったので、時差の心配よりも「いかに仕事をサボって観戦するか」が問題だったから、しばらくサッカー観るために深夜がんばるという状況がなかったよなあ。
 W杯のフランス大会のときには、夜早く寝て、目覚ましかけて3時に起きるという生活を繰り返していたが、アテネもドイツもそんなかんじになるのだろうか?

 そういえば、土曜日の朝に、日テレの「WAKE UP」を観ていたら、司会の女性が「サッカーの五輪代表と、W杯代表は別なんですか?」というお馬鹿コメントをしていて、ゲストの植草さんが苦笑している姿が映されたので、「なんで、カメラはこの人を追うのだ?」と思ったら、いきなり、コメントを出し始めたので驚いた。
 それも、なぜか年代が正確なのが可笑しい。誰かが「メキシコ五輪ではメダルだったんですよ。ほら、釜本の時代」なんて言ったら「1968年ですね」などと口を挟む。
 フジテレビの朝のワイドショーでは、そんなにサッカー話しに絡んでこなかったような気がするけど、あれは司会の小倉に遠慮していたんだろうな。「WAKE UP」では、サッカーのコメントが言える人が他にいないと判断して、急にベラベラ喋りはじめたみたいなかんじだった。
 うーん、さすが売れっ子。と感心した。植草氏の「毒にも薬にもならない無難なコメント」にはいつも感心しているのだが、やはりタダモノではないようだ。(ほめてるんですってば)

 そういえば、土曜日に朝日新聞の論説欄(?)を読んでいたら、矢作俊彦がゴジラ映画について熱く語っていた。
 どうやら、ゴジラ映画の新作がボツになったので、「ざまあみろ」と言いたいらしかったが、要するに「くだらないゴジラ映画ばっか作りやがって、だから日本映画はダメだんだ、オレなんて、それでも全部観ちゃったのに、もう作らないと知ってせいせいした」ということを言いたいらしいが、字数制限の限られた中で、めいっぱい「おれってこんなにゴジラ通」という情報が詰め込まれていて「矢作先生は、怒っているのか、自慢したいのか、イマイチわからん」と思った。

 矢作俊彦といえば、わたくし的には大友克彦の「気分はもう戦争」の原作者として有名で、あの当時、「ふーん、ハードボイルド作家なんだ」と思っただけだったのだが、知人の読書家の男性にその話しをしたら「矢作俊彦だいすき!ぜひ、ぜひ読んで」とお勧めされたので、何冊か読んだのだが、もったいぶった修辞が多く、今だに忘れないが、登場する女性の瞳がどの程度美しく印象的かを表現するために、「せんびき(変換されない。字忘れた)屋の店員が、その夜デートする彼女にプレゼントするために、思わずポケットに忍ばせてしまった黒スグリのような・・・・」とか書いてあったので、読みながら「こういう、ウザい表現を全部、黒マジックで潰したら、この本は半分になるな」と思ってしまったのであった。

 唯一、最後まで読めたのが「仕事が俺を呼んでいる」だったかな?あれは、ハードボイルドじゃないから(笑)

 うわあ、いかりや長介がとうとうお亡くなりに!
 私らの世代にとっては、ジョン・レノンが亡くなったとき以上のニュースだろう。
3月20日(土)

 さて、ここんとこ全然文章書く気がしなくて日記書いていませんでした。
 過去にも何回かそういうことがありましたけど、今回のは今までのとちょっと違うようです。
 最近、休日になると引きこもって「何もしない休日」を謳歌しているうちに、だんだん気分が下がり、いや、気分が上がらないからゴロゴロしていたのか・・・・まあとにかく原因不明の「ぷち鬱」になっていたわけです。

 いや、実はこの文章は会社で書いているのですが、「家だと何にもする気にならないが、会社だと寝転がれないので日記くらい書けるだろう」と思って挑戦しているのですが、見事に書き進まない。
 ああ、私の才能も、もうこれでお終いか?と、スランプに陥った締切り前の作家のように叫びたくなりますが、でも、締切りも原稿料も無いわけで、日記は単なる趣味なわけで、編物が趣味の人が「編み針を持っても、手が進まない」とコボしているようなもんなんざんすけど、そんな状態ですので、なんだか自分で書いてても離脱感というのか、「キーボードが手につかない」というか、「指と頭の間が3万光年くらい離れてしまって、その間には小惑星群がフラフラとたくさんさまよっている」ような状態なので、やはりこうして書いていても、著しく集中力を欠いているのがわかるので、文章もかなり乱雑ですが、まあ、これも「人生の一つの記録である」なのでしょう。

 しかし、最初は恒例の「季節の変わり目」だと思っていたんだけど、どうもそうでもないらしい。  自分のことをよく知っている、というよりも、いつもわりと自分を客観視して、テキトーな診断を下しているのだが、今回はどうも原因不明だ。
 「こりゃあ、やっぱ鬱なのかな」とも思ったが、でも会社休んだりしてないし、飲み会のお誘いなどにもホイホイ出ていくし、自宅内では立派な「生ける屍」として生活しているけど、外に出るとゾンビ程度には元気みたいだ。
 でも、鬱になって病院に通った人の話や、自分の過去の「ほんとーに身動きできないくらいの精神的ショック状態」の経験からも、「他人と接しているときには普通だけど、一人きりになるとガクンと落ちる」ということもあるのはわかっている。でも、それともちょっと違うような気もする。
 とにかくなんだか「つまんな〜い」という気分なのである。
 それも、「なんか面白いことない?」って意味ではなく、「自分がつまらない」のである。

 前にも「自分自身に倦怠期のようだ」と書いたけど、ほんとーにそんな感じになってきた。考えてみれば、「自分」と一緒になって40年近いわけで、金婚式はまだ先だけど、ルビー婚式にはあと一歩!
 そりゃー、こんな女と40年も連れ添っていたら、ちょっとは浮気とかしたくなるわなあ。
 しかし、これが妻だったら、捨てるなり殺すなりすれば済むが、自分を捨てるのも殺すのもちょっと嫌だし、浮気するったってどうすればいいのだ?

 そうか、こういうときに「自分を変える」とかいう発想になるんだろうな。
 でも、つまんない奴がいくら自分を変えようとしたって、結局「つまんない奴の別バージョン」になるだけだろうな。絵の下手な人が、画風を変えたってやっぱり下手なのと一緒。
 だから、世の中には「自分を変えた」という人はほとんどいないはずで、でも「人が変わっちゃった」という人は多いんだろうな。

 ああ、やっぱ、自分の書いていることがつまらない。
 おかしいなあ、自分こそ自分の一番の読者だと思っていたし、だからこそ日記もつらつら書いていたし、そりゃ、しょっちゅう「こんなクソつまらんこと書きやがって」と思ったことはあるが、でも今の「つまんない」という気持ちは、もっと平坦というか、暇潰しに買った雑誌が、思ったよりも読むところがなかったんだけど、暇だから無理やり読んでいるときの「つまんない」と似ているかもしれない。

 さて、そういうわけで、こうして文章を書くと「つまんない自分」の輪郭がもっとはっきりするのではないかと思って頑張って書いてみましたが、やっぱイマイチだなあ。(って、さっきからループしてない?)
 まあ、この調子が続くと、ほんとうに鬱になってしまうかもしれないけど、でも、もしかしたら原因は「過度の飲酒」かも(笑・・・・・いごとではない)

 あと、なんでもいろいろ勝手に理由を考えるのが好きなので、でも、他人ことをあれこれ勝手に推測すると、あまり喜ばれないので、自分の精神的低調などはテキトーな理由を捏造できる絶好のチャンスではないか、と自分を無理やりハゲまして、いろいろ考えてみました。
 これって、もしかしたら、精神的更年期障害みたいなもんなのかも?
 いや、普通の更年期障害でも、いいんですけどね。年齢的にもありえなくないし。(←あまり正しくなさそうな日本語)  うつ病っていうのは、脳内分泌物質が多いだの少ないだのっていう話じゃないですか。(よくわかってないので、非常にアバウトな記述)
 それで、更年期っていうのも、女性ホルモンがどうのこうのっていうわけでしょ?(すごく頭悪そうな記述)

 脳や体がどんどん発達していく幼児期や思春期にも、人はかなり不安定になるようですが、成長のピークを過ぎると、肉体的な代謝も悪くなるので、だから中年太りするんだろうけど、「別に今までと同じような物食べて、同じような生活しているのに、なんでこんなに贅肉が・・・・」と嘆くくらい、自分の体がエネルギーを消費しない様子に驚きます。
 消費低迷と同じです。
 貯蓄率だけあがる。
 「ほらほら、もっと無駄遣いしようよ」と呼びかけても、年々財布の紐がきつくなっているようです。

 私の場合、そういう変化は今まではそんなに急激ではなかった。
 それほど自分の衰えをはっきり感じたことはない。
 でも、とうとうその日がやってきたようだ。脳内分泌物の量がいきなり少なくなって、感情の起伏がとても少なくなったような心地がする。

 だから、戸惑っているのだと思うけど、でも、この先もきっと何度かこういうことが起きるのだろうし、この「つまんなさ」にも慣れてしまえば、これで普通だと思えるだろう。
 
3月17日(水)

 というわけで、ギリギリまで実現するかどうかわからなかったが、昨日は友達と10時にシモキタで集合して、お店がカンバンになるまで飲んでいた。12時過ぎには解散。
 メールではときどきやりとりしていたが、彼女のメールは「世界一短い友達同士の手紙」を目指しているのかどうか知らないが「今日暇?飲む?」「やっぱダメだ、ゴメン」というようなものが多いので、「生きているらしい」ということしかわからなかったので、じっくり会話するのは数ヶ月ぶりなのであった。

 そんな友人の近況は「食器洗い機を安く(ヤフオクだろうな)買ったので、自炊しているので、最近は全然外食していない」
 一人暮らしでも食器洗い機が必要なんだろうか?
 私も、わりと使った食器をシンクに溜めてしまうほうであるが、気が向いたときにガガガーっと洗うのが好きなので、機械まかせにしたくない。どっちかというと食器洗いが好きなのだが、みんななんでそんなに食器洗い機を欲しがるのだろうか?

 たしかに、自分が生まれたときからあった洗濯機のことを考えれば、もはや手洗いなんてしたくないわけで、たまに面倒だから手洗い表示のついている服もネットに入れて洗濯機で洗ってしまうくらいだし、洗濯機に放り込めばボタン一つで洗える便利さを考えたら、一度食器洗い機を使ってしまうと、二度と手洗いなんてしたくなくなるんだろうなあ。
 今の老人たちが、「昔は洗濯桶で洗っていた」なんて昔話をするように、食器をいちいち手で洗っていたことを孫に話す時代が来るかもしれない。

 さて、久々に会った友人とどんな話をしていたのかというと、やっぱし「最近、なんか面白い音楽ないかねえ?」で、友人も「最近は、テレビばっか観てて、音楽聴いてないよ」と言うので「私も、なんかワイドショーだけはちゃんと観てる自分がヤダ」と言ったら、「ああ、私もずっとワイドショーばかり観てる」
 「はあ・・・・」と居酒屋で並んで溜息をつく、30代後半女性二人組みであった。

 そんで、いつもの話題である「みんな、なにしてるんだろ〜?」他の友人達の噂話コーナーである。
 私は最近は、Aくらいにしか会ってないのだが、Aにも「他の人はなにしてるんだろう?」と聞かれて「さあ?」と言ったら、Aの知っている情報を教えてくれて「出産で引き篭もってた君のほうが情報通だ」と笑ってしまった。
 情報っていっても、友人の某氏が彼女と別れたのだが、やっぱりヨリが戻ったとか、そういうどーでもいー噂話だった。あと、看護士学校に行っていて、去年卒業して総合病院に就職したEちゃんが、「もう辞めたい」と言っていたという噂は前から聞いていたが、本人に全然会ってないので真相(?)が不明だったけど、最近になって、ほんとに辞めると言い出したとか。

 という話しを昨日の友人にも話したら、「ああ、Eちゃんは辞めたのかどうか知らないけど、今はインドだよ?」「え、じゃあ、やっぱしもう辞めたんだ」「さあ?でも、2ヶ月行くって言ってたからなあ」「そりゃ、辞めないとムリじゃん」

 あと、MちゃんとN君カップルが破綻していたというのも驚いたが、そのN君がN森さんの事務所で働いているっていうのにもっと驚いた。
 「N森さんは、N君が私らの友達だって知ってるのかねえ?」
 「さあ、知らないかもね」
 「しっかし、世の中狭いよね、友達の友達は友達なんだもんな、ほんとーに」

 前も、ある知人がデザイン事務所に就職したら、そこには知人がいた、ということがあった。別に紹介されたわけじゃなくて、全くの偶然だったそうだ。

 ま、結局、そんなかんじで、噂話と音楽話(暖かくなったから遊びに行こうよ〜、え?でもイクイノのアフターってものなあ・・・・ま、いっか)を短時間に凝縮して喋りまくっていたのだが、ふと「ミヤノちゃんは結婚しないのぉ?」と言われたので「全く予定無し」と憮然として答えると、「ミヤノさんも、K子さんも結婚しないし、私もその二人が結婚してから焦ろう」とか言われたのだが、それでいいのか?

 話題転換。
 掲示板にてダバディblogを紹介していただきましたが、以前別の方にも教えてもらってましたが、本人の御真影以外はあまり面白くなかったのでチェックしてないのですけど、前にMちゃんと「いったい、ダバディは何を狙ってんだろーね」という話しになり、Mちゃんも「あれはどう展開するつもりなのかさっぱりわからない」と言っていた。

 でも、Mちゃんがたまたま観たサッカー番組があって、けっこう前だけど、「ワールド・サッカーをご当地出身者を集めて語る」という座談会だったようで、司会はカビラ兄。イタリア代表が次郎ラモで(太郎ラモの弟ではない。そんな人いないし。雑誌レオンの「いかすオヤジ」の人だったっけ?)あとは、名前忘れたがドイツ人とか、イギリス人の外人テレビタレントがいたらしい。
 それぞれが、母国リーグについて語る企画だったので、たぶんダバディはフランス代表で呼ばれたようだったらしいのだが、「おめーらシロートにサッカーについて語らせてはなるものか」の気合あふれるダバディ君は、座談会のほとんどの時間を語り倒したらしい。

 他の出演者たちも、それなりに口達者なはずだし、司会のカビラ兄もなんとかダバダバを封じようとしたようなのだが、どうにも押さえられなかったようで、他の出演者たちもそのうちヤル気をなくしてしまったようだ。Mちゃんいわく「しかたなくフォローに徹していた次郎ラモが、すげえいいやつに見えて、思わず好きになりそうになった(笑)」
 そんで「あれは絶対に、サッカー界でのそこそこのポジション狙ってるね。たぶん、W杯に向けて、サッカー関連の自分の番組を持ちたいんだと思う」
 というわけで、その場では「今後も要注目」と納得したのだが、あまりマジメにチェックする気もしないのであった。

 サッカーで注目といえば、これもちょっと前の話になるが、平山相太が五輪メンバーに選ばれたときの雰囲気が、世間の注目を集めはじめた当初の中田みたいだったので、成り行きを見守りたいところだ。
 でも、筑波大卒のフォワードっていうのも、なんかケモノ感が希薄だよな(笑)。
 代表選手というよりは、未来のサッカー協会幹部として期待されているのだろうか?

 さて、今日はお休みだったので、またサンポでもしつつ、映画でも観にいこうかと思ったのだが、天気はいいが、すごい強風。
 「風が凪いだら、外出しよう」と思っていたのに、結局ずっと強風だったので、夕方になってやっと買い物に出かけたのだが、近所の神社の木々は唸っているし、電線もビュンビュン言ってるし、目にホコリが飛び込んでくるし、もー大変。
 というわけで、今日も引き篭もってしまった。
 いかんなあ。

3月16日(火)

 さて、暇だから実況中継。
 友達と「シモキタで9時」に待ち合わせしたので、会社から一旦家に帰り、サッカーの予選見ながら、着替えして、昨日の分の日記を更新していたりしたのだが、ふと、「もしや?」と思ってメール・チェックしたら「10時でもいい?」

 いーよ、もう、1時でもいーよ、明日休みだし。
 ちゅうわけで、電話してみたら「ゴメンゴメン、これからフロ入っていい?」

 さすがわ、私の友達である。前にも誰かと話したが、こういう友達に恵まれていると、「負け犬の遠吠え」とかが別世界のことであるように思えるのだ。結婚してないとか、子供がいるとかいないとか以前に、「夜の9時に待ち合わせしているのに、なんで今からフロに入るの?」ということである。たぶん、暗くなってから起きたんだろうな。

 前に、別の友人に、こういうとんでもない友人がいるという話しをしたら「なんで、そういうのを甘やかすの?」と叱られたが、でも、私が制裁しなくても、誰かが制裁しているだろうし、それに向こうはこういうことで私が絶対に怒らないことをわかってやっているはずなので、こういうのは「相互依存」とでも言うのだろうか?
 私は私で「ま、いっか。これでサッカーの試合が最後まで観られるし」と達観している自分が「とても、いいヤツ」であるという変な悦にいっているわけだし。サッカーの試合がなければ、掃除したり仮眠したりして時間を潰せばよい。

 まあ、もっと大風呂敷を広げると、こういう友達と接していると、もっと文化の違う民族の奇行も「ま、そういうもんかも」と受け入れられるのではないかと思うので、そういう異文化コミュニケーションの練習だと思えば、そう腹がたつもんでもないし、そもそも、腹がたつ人は彼女とはとっくの昔に絶交しているわけで、「ま、しょーがないか」と思える人だけが友達でいるだけでいーわけじゃん。

 もちろん、そんな彼女とは絶対に一緒に仕事しないけどな(笑)
 一緒に仕事したい人と、飲みに行きたい人は別でもいいと思うし、友達ならいいけど、絶対恋人はやだなと思う人もいるし、前にも職場ですっごく嫌いな人がいたけど、「でも友達だったらうまくやれたかも」と思ったりした。
 実際、他の同僚もその人には仕事でいつも迷惑かけられていて怒っていたけど、「でも、ああいうのって友達なら許せるよね」と言っていた。実際、彼は友達が多かった。職場が六本木だったのだが、夜中に残業していた人が「昨日、F君の友達だっていう外人が夜中に訪ねてきたんだけどさ〜、Fはもう帰ったって言ったんだけど、なんだったんだアレ?」
 そんで、F君のおかげで有名オカマバーでチヤホヤしてもらったこともあった。(テレビにもよく出てた店長ママがうちらのテーブルにずっと張り付いていた)どういう人脈の中で生きているのか、よくわからなかった。

 彼が非常にいいかげんな性格だったので、一緒に仕事している人たちは代わりに得意先に頭を下げることが多かったので、会社では評判悪かったが、友達だったらそういう必要がないので、人気あったみたいだ。

 それにしても、自分がわりと時間に正確なので、遅刻常習犯に、なんとなく憧れてしまう、というのも複雑な心境である。
 先日の飲み会でも、HMVでの試聴にはまってしまい「わあ、もうこんな時間。遅刻してしまうわ」と思ったのであるが、結局遅れたのは3分くらいだった。小者だ。

 そして、段取り上手の私というか「先を読む力があるらしい」私は、友人が「やっぱ、面倒になったので、今日はやめるよ」などと言い出すことも、密かに覚悟していたりする。

 きゃあ、同点になっちゃった、と思って、トイレに行ってたら、その間にまた逆転してた。

 さて、勝ったけど、最終戦に持ち込みらしいので、なんとなくシュンとした終わり方。

 さて、出かけるか。

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