可燃物な日々

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3月15日(月)

 日記と現実の間に、きついディレイがかかってフーガしちょるようだが(音楽用語をよく意味がわかっていないのに使用すると、よけいわけわからなくなる)、土曜日は飲み会に行って、しっかり3次会まで残ってしまい、さらに家の近所でダメ押しで2杯飲んでしまい(70年代歌謡曲のかかっている店だった)、最後まで付き合ってくれた人が始発で帰ったので、日曜の明け方やっと家にたどり着き、買い込んだCDのどれかを聴きながら寝てしまったのだが、ふと気がつくと、まだ9時で、「まだ、3時間くらいしか寝てないやん」と思ったのだが、悲しいことに二度寝できず、でも頭はボーっとしているのだが、でも眠れなくて、しょーがないから起き上がって布団を干し(布団を上げてしまえば、もうほんとうに眠れないだろーが、このやろ〜、という自虐的行為)、洗濯して、掃除して、フリーセルしているうちに、やっと眠くなったのが午後1時くらいだったのだが、「これから寝たら、また夜中だよ」と思ったので、がんばって日記を書いているうちに、何かいてるのかよーわからんようになり、それでもふんばって夕方5時くらいまで起きていたのだが、もう何も手につなかったし、「これから寝れば、明日の朝までなんとかななるかも」と思い切って床についた。

 そういうときに限って、最近は静かな上の階の大家さん一家のお子様たち(5人きょうだい)が大運動会。
 天気がいいんだから、子供は外で遊べ〜〜〜〜〜と思った自分は早朝5時に、ジェフ・ミルズをガシガシ鳴らしていたのでお互い様である。

 それでもいつのまにか寝入っていたようで、ふと気がつくと真っ暗で「3時くらいかな?」と思って時計を見たら、まだ12時だった。目が覚めないように気をつけながらトイレに行って、水も飲んで、また寝た。ちゃんと寝られて、いつもより早く起きて風呂に入ってから出社。

 女子マラソンの代表選出が気になったので、夕方ニュースサイトをチェックしたら、やはり高橋尚子は落選かあ。
 別に高橋尚子のファンでもないのだが、先日、入院した長島監督のアテネ出場はほぼ不可能だろうし、高橋もダメとなると小出監督もアテネに行けないということで(他に小出門下生がいなければ)、我が母校関連が壊滅ということになる。(ミスターは雲の上の大先輩だが、小出監督は私が在校していたときの教師。彼の授業を受けたことないのだが・・・)
 数少ない母校出身の有名人が、立て続けにそういうことになっていると、なんとなく自分の運勢にも影響を与えそうな気がするのであった。朝のテレビの「今日の星占い」程度の影響だけど。最近、母校出身だということが判明した藤木直人君の次の月9(「プライド」の次らしい)の視聴率が気になるところである。

 ちゅうわけで、低迷する自分の運気に自信がなくなってきた今日このごろであるが、「たまには、こういうのも買わないと」とやっと買ったイマドキのCDである、ステレオラブの新譜を聴いて泣いてます。だって全然、イマドキの音じゃないんだもん。暗黒の80年代っぽいんだもん。
 そーなんです。私の青春時代だった80年代は、ロック的には「空白の80年代」と呼ばれていたのであった。
 だから、ほんとうは、80年代の廃盤音源を「ルネッサンス」などと銘打って再発するのは正しくない。
 「やっぱ、暗黒のキリスト教時代も、あれはあれでけっこうよかったじゃん」という試みなのだ。ゴスとか流行ったしな。ミッションとかいうバンドもいたしな。昔、英国の、どっかの音楽雑誌で音楽用語辞典みたいな企画があり、「ゴス(ゴシック ロック」の説明は「Mission,Mission,more Mission」とかいうものだっという微かな記憶がある。

 どーして、そういうどーでもいい些細なことばっかり覚えているんだろう?

 そーいえば、話は戻るけど、その昔というか、6年前くらいに、ある友人らと飲んでいたら、そこに元音楽ライターがいて(友達の彼氏だった)、彼がごっそりとCDを買っていたのを紐解きはじめたので、「へえ、また、ずいぶん沢山買ったね」と言ったら、「オレの人生には音楽が必要なんだ!」と睨まれたので、ビビった。
 別に怒ることないじゃん、と思ったが、彼が「元」音楽ライターであったことが問題であったのだろうと、後になって気がついた。あたしは全然そんなつもりで言ったわけじゃないのだが、向こうにしてみれば「へえ、ずいぶん沢山買ったね。それで金になるわけでもないのに」というふうに聴こえたのであろう。(考えすぎかもしれないけど)

 自分が必死にCDを買って「ふーむ、やはりたまには新譜も買わないとな」などと必死に自分を鼓舞している今、(調子に乗ってステレオラブのライブのチケットもゲット。こうなったら、勢いにまかせてスクエア・プッシャーもNINJA TUNEも行ってやろうかってんだ。実は「こうなったらプライマルも10年ぶりに行っちゃおうかな」と思ったのだが、その気になるのが遅すぎた。単独公演は明日。当然チケットは完売。20日のオールナイト公演はちょっとな。大江慎也が観たかったんだけど)、「オレの人生には音楽が必要なんだ!」と、わざわざ声に出していっていた彼の気持ちがちょっとだけわかったような気がしたのであった。

 買いたいレコードが沢山あって、お財布と相談しつつ、選び抜いて買って、行きたいライブも沢山あって、スケジュールとお財布と相談しつつ選び抜いて行って・・・・というようなときには、決してそんなセリフは出てこない。音楽が必要という前に、金と暇が必要だった。
 その昔、職場の上司(当時45歳くらい)が「金があっても欲しいものが無いんだよなあ」とこぼしていた。自分にも、そういう時が来るだろうな、と20代半ばだった自分は思った。
 レイブ・パーティーのブームが起きたときに、知り合いの当時30代後半だった独身男性は初めて車を買ってしまったらしい。私も一度乗せてもらったが、彼もたぶん、それまでちょっとクサっていたのに、いきなり人生が明るくなったようだった。車持ってると、女の子が「乗せて〜」と寄ってくるし、それよりも、毎週末、今度はどこそこのパーティーだ!という生活が嬉しくてたまんなかったらしい。

 まあ、そういう生活も、それは別の男性の体験談だが、とあるパーティーに車で行ったら、外人モデル軍団とお友達になり、いつのまにか彼女らを東京まで乗せていく流れになり、ふと気がつくと、自分の部屋にモデルさんたちが大勢いて、モデルさんたちに囲まれてるオレがいたわけで、そのときに「おれ・・・なにやってるんだろう。こいつら、いつ帰るんだ?」と落ちた時点で終わりだったようだが・・・・

 いかん、またしんみりしてきた(笑)。(←笑える余裕があるということの表明)

 あ、そうそう、楽しいこともあったよ。
 土曜日の飲み会も、また人数が多くて、ちょっと戸惑ったが、どーせ私は酒が入ると、どーてもよくなっちゃうので、楽しく過ごせましたが、そのまま2次会に行って(場所が渋谷だったので、いつでも歩いて帰れるという余裕。どうせ行きも歩いたし)終電間近にどんどん人数が減っていったのだが、2次会の後に、S君が「カラオケしよう」と言い出したので、ちょうど彼は「圭子の夢は夜ひらく」を知らないと言っていたので、「そりゃ、いかん。私は宇多田ヒカルがオートマティックでブレイクした当時、若い友達とカラオケに行くと、必ず誰かがオートマティックを唄うので、その後に『じゃあ、お母さんの歌を唄ってバランスをとりま〜す』と言ってよく歌ったのだよ」

 つーわけで、「わかった、私が歌って教えてあげよう」という気になっていたのだが、そしたら他にも「カラオケする〜」という人たちがいたので「どーぞ、どーぞ」と快くお誘いしたのだが、げげげ、山形さんじゃんけ〜。
 とうわけで、今から考えると、「ホワイト・デーに山形さんと一緒にカラオケしちゃったわ」だったのである。

 うーん、よくわからないけど、私も出世したもんだ。
 思い起こせば10数年前、初めて生山形を拝見したときに「キャーすてき」と思ったかどうだか忘れたが、それから長い年月を経て、山形氏が目の前で「アナーキー・イン・ザ・UK」を唄うのを観ることができた。
 このまま順当に出世すれば、10年後には嫁の座も夢ではないだろう。

 しかし、そう考えると、10年前に、大江慎也と(池畑と)偶然居酒屋で隣合わせしたときにも、カラオケに誘えばよかったかなあ。(「実はファンで〜す」と話かけたら、ビール奢らされたのも、懐かしい思い出である。友達と「最後のカリスマ(?)にビール奢ったよ」と喜んだ)
 大江慎也を横にして「ロージー」を熱唱してみたかったかも。「CMC」も唄えます。そんなことしたらまた入院してたかも・・・・

 そう考えると、10数年前に、今考えると最後の来日公演になったマイブラに、川崎の「いろはにほへと」で遭遇したときには、気が動転して(な、なんでよりにもよって「いろはにほへと」?もっといい店ないのかよ〜〜〜〜。うちらはただ、ビール飲めればなんでもよかったので、チッタの目の前のこの店に飛び込んだんだけどさ)サイン貰うだけしかできなかったが(たまたま同行していたT嬢がCD持っていたので)2次会に誘えばついてきたかもしれないなあ・・・・「もー、あたしらがフグ食べに連れて行きます」って。川崎のディープな韓国焼肉屋とかに連れていってあげればもっと喜んだかもしれないぞ。

   うーむ、あんときはねえ、たまたま私がトイレに行ったときにとおりかかった個室に外人が何人かいたので、「え?もしや?」と思ったけど、なにせあんまし顔が立ってるバンドじゃないんで自信がなくて、でも、川崎にあんなまとまった人数の外人がいるわけないので、どう考えたったさっきまでチッタでライブやってた彼らに違いないと思って、自分の席に戻ってから「トイレの手前にある個室に外人がたくさん・・・・あれはマイブラではないかと・・・・」と言ったら、TさんかMちゃんも視察に行って「あれは、たしかにマイブラだ」というわけで、3人でひょろろ〜っと個室をアタックして、そこにいた日本人の呼び屋さんに「サインとか貰ってもいいでしょーか?」と聴いてみたら、「さあ、彼らも今はプライベートですから。それは自分らには判断できません」とか冷たく言い放たれて、「そんな〜」と思ったんだけど、でもそれじゃ引っ込みがつかないので、私がケヴィンに向かって、タモリ倶楽部の「夜の英会話」で習得した「サインいただけますでしょーか」の英語(シグネチャーじゃなくて、オートグラフなのよね)を使ってみたら、快く承諾してくれたので、ちゃんと全員と握手してもらって、サインも貰ったのであった。

 こんなことをわざわざ書いているのは、土曜日の飲み会で隣になった人と「外タレってけっこう居酒屋にいたりしますよね」なんて話をしたから思い出したのであった。
 大物だと、一流ホテルに宿泊したりするが、エイフェックス・ツインことリチャード・ジェイムズが新宿リキッドに登場したときに、追っかけした友人(部屋まで入ったわけでもないが、ソニー主催の打ち上げにはソニーの知人を脅して潜入していた)から「新宿のサンルートだった」と、後で聴いたときにも「せめて、新宿プリンスだろ?」と思って泣けました。あまり違いは無いのかもしれないけど、サンルートってビジネス・ホテルな印象。私の、ただのしがないサラリーマンな友達だって、新宿に宿泊するときには京王プラザに泊まっていたのに・・・・・

 また、何を書いているのかよくわからなくなってきた。

 お、友達からまた飲みの誘いが来た。今度こそ実現するかしら。(彼女はドタキャン女王。今年になってからも、何度か「飲もう」とメールのやりとりをしているが、結局、一度も会ってない。今回も期待せずに挑む。下北かな?←一句詠んだらすぃ) 

 以上は、昨日の月曜日に書いたのだが、すっかりアップするのを忘れて寝てしまったので、今現在は火曜の夜ですが、今ごろアップしておきます。会社から一旦帰宅して着替えて、これからシモキタで友達と飲み。明日、お休みなんで。(その替わり土曜日出社。今月は土曜日出社、水曜休みが多い)
 サッカーのアテネ予選も気になるが・・・・

 今日も暖かかったので、気分はかなり上昇し、「こうなったら、デヴィッド・シルビアンのライブも行こうかな。スティーブ・ジャンセン観たいし」と、けっこうイケイケになっていたのであった。
3月14日(日)

 昨日はちゃんと午前中に起床したのだが、ゴロゴロしながらまたCDかけていて、ベルベッツのCDをついうっかりかけてしまったら、予想通りゴロゴコにさらに身が入り、かなり真剣にゴロゴロしていたのであった。ニコの唄は、まさに「聴くヘロイン」なので危険。
 夜は渋谷で飲み会があったので、5時過ぎに家を出て、池尻までの遊歩道をテクテク歩いた。
 なんだか完璧なお散歩日よりであった。

 ちょうど日が傾き始める頃だったのだが、遊歩道を歩く人たちは、なぜか「老人と犬」が多かった。若い人もいたけど、なぜか本当に犬連ればかりだった。
 風も全く吹かず、気温は気持ち悪いほどの「適温」で、暑くもなく寒くもなく、そして、夕暮れの遊歩道のベンチで犬を傍らに座って休む老人、あっちにはもうちょっと大きな犬を連れて、やはりベンチに座って動かないおばあさん、そっちには猫を散歩させている中年男性、しばらく歩くと、また猫を散歩させている中年女性がいて、その猫はガードレールの上を歩いていて、飼い主は「ほら、もう疲れたんじゃない?もう降りたら?」と話かけているが、長毛種のその猫は黙々とガードレールの上を歩きつづけていた。
 そしてまたしばらく歩くと、やはりベンチに座っている私くらいの年齢の女性と、その前できちんとお座りしていて、女性の顔をじっと見つめている黒いリトレバー。まるでその女性に恋をしているように、じっと見つめている。
 近づいてみると、彼女の手が口元にあったので、「飼い主がなんか食べているから、それが欲しくてじっと見つめているのだろう」と思いつつ、通過しようと思ったら、なんとその女性はゆったりとタバコをふかしていた。

 飼い主が一服しているのをじっと見つめている黒い犬。
 それらの「犬と人間」の映像が立て続けに現れたので、なんだかトワイライトな世界に迷い込んだような気がした。
 そんな気がしたのは、なんだか遊歩道が妙に静かだったせいもあった。人の話し声は聞こえるんだけど、囁き声だったりするので、「去年マリエンバートで」みたいな妙な感じだったのだ。

 気を緩めると、吸い込まれそうな気がするほど静かだったので、少しだけ緊張しつつ、池尻で246に出ると、そこでやっと自動車の騒音に包まれるが、自分の気分がトワイライトになっていたので、なんだか異国の地を歩いているような心地よい違和感を感じた。

 そんなこんなで、トリップしたまま渋谷に突入して、ボーっとしながらなんとなくHMVに寄ってしまった。
 大きなレコード屋は、店に置いてあるスピーカーがいいので、流れている曲を聴いているだけで、テンションがあがる。
 飲み会まで30分ほど時間があったので、暇つぶしに視聴していたのだが、久々にガツンとCDを買いたくなり、あれこれ視聴しつつ、5枚買ってしまった。でも、結局テクノ系ばかり(笑)。ロック売り場にも行ったのだが、時間切れだった。

 スクエア・プッシャーの新譜を買ったけど、彼は来日公演もするんだよな。昔、イギリスのフェスで観たけど、なにやらブツクサ文句言いながら、ガガガガガっとベースをかきむしっていたような記憶がある。もう一回観たときには、グラストンのダンス・テントの昼間だったが、ビール飲みながら登場してなにやら録音したものを流し、裾に引っ込んでからまた出てきて「グラストンだから、これくらいの音かな?」と意地悪く呟きながら、音量を大きくして、ふむふむと頷きながらまたビールをグイっと飲んでから、裾に引っ込んでしまった。謎だった。

 あれから7年くらい経過しているので、少しは性格が丸くなったかもしれないが、でも、自分の顔写真をジャケにしてるからなあ。これは、もしかすると、エイフェックスに対してのイヤミというか、対抗意識(よく比較されるから)なのかもしれない、と思う人は私だけではないだろう。

 そんで、あとはジェフ・ミルズの新譜というかDJプレイをパッケージしたのを買ったんだけど、前から持っているのとほとんど同じ(笑)。いや、いいんです。それでいいのです。たしかに、去年の暮れごろに来日したときにも、友達と「どうする?行く?」などと相談していたのですが「まあ、また同じだろう」ということでパスしちゃったのでした。
 いつも同じようなプレイだということは、個性的で且つ印象的であるということでもある。
 その昔、DJ志望の男の子たちは、みんな真似をしたもんだ。フロアを一瞥してから、ガっとツマミ動かすとかさ。ギター少年が憧れのギタリストと同じように腕を振ってみたりするように、テクノ少年はジェフの動きを真似したもんだ。

 そんで、あとは噂の「2many DJs」を買ってみた。ロックの名曲を切り刻むという、昔のバレアリックの21世紀版ってかんじでなかなか楽しい。でも音源のほとんどは、クイーンとかストゥージズとかベルベッツなどのクラシックなんだけど。
 で、そのそばに、「DJ H***が、声に出しては言えないが、誰もが知っているあの名曲をリミックス」という、「そ、それって無断使用なのか?」という、変なブートっぽい作りの「DJs are not rockstars」CDがあったので、視聴しながら曲名を確認していたのだが、「LIKE A BIG VIRGIN」っていう題名がツボに入り、試聴ブースのところで一人でプスっと笑っていたのだが、「When The Last Time You Heard Green Velvet With Chaka Khan And Salt 'n Pepa?」つーのも、なんか俳句みたいでおかしい。 「Spiderman Is In The Shadow With Billy Idol」つーのも、一発ネタってかんじだな。あまりにもバカバカしいので、買ってみた。

 というわけで、短時間にあれこれ試聴してから、「じゃあ、あれとあれと・・・」と慌てて買ったら、「やっぱし、Masters at workはいいのぉ」と本命だったルイ・ヴェガのを買い忘れてた。あれは、また次の機会。余談であるが、私はMasters at workの曲を聴くたびに、「坂○龍○がいくら憧れようとも決してこれは作れまい」と思ってしまうのです。

 久々にCDをまとめ買いしたので(実は、その前日にはステレオ・ラブも買ったし)、かなり気分がすっきりした。 
3月12日(金)

 昨日はまた焼酎が一本空いた。しかも、一升瓶だったりするのがコワい。
 先週も同じ店で一本空けてしまったのだが、「いったい誰がそんなに飲んだんだ?」という戦犯探しになり、たまたま遅れて来た親会社の幹部I氏(酒で手なずけているらしいので、私も協力しちょるのよ。ほら、OEだし。OLじゃなくて、OEを名乗ることにしたの。Office-Elfだから)が槍玉に上がり、社長も「きっとあいつに違いない」ということになったのだが、昨日は彼が登場したときに、すでに半分くらい空いていて、社長は「オレが飲んでいたのか?」と気がつき、その言い訳として「いや〜、どうもミヤノが横にいると飲んじゃうみたいだなあ」とか言いやがるので、「ああ、すべて私が美しすぎるのが悪いのですね。美しさは罪〜♪」とか言っちゃおうかと思ったが、それでシラけるとヘコむと思って、「人のせいにしないでくださいって」と普通に叱りました。

 それに、私はなるべく社長のグラスに注がないようにしていたんだけど、横にいた上司が、社長のグラスが3分の1くらいになると、私に催促するんだもん。
 まあ、それはいいとしても、なんだか人生が焼酎一升瓶と焼酎一升瓶の間にささやかに展開しているような心地がして、その甲斐あって、今日のニュースでは焼酎の販売量が日本酒を抜いたりしたらしいので、それなりに社会に影響を与えているのかもしれないが、でも、そんなので貢献しててもよー。

 と、「あたしの人生・・・・」と、うっかり「圭子の夢は夜ひらく」を唄いそうになってしまう今日このごろなのですが、みなさまも人それぞれの「人生のどん底」を味わった経験がおありになるようで、かの英国では「人生を救ってくれた曲」アンケートが催され、その結果が発表されたました。

 まず、友人T嬢からメールが来ていて、「マンチェスター・ユナイテッドのチャンピオンズリーグ敗退のショックで昨日、一日中「I Know it's Over」と「Love Will Tear us apart」(それと「Suffer Littele Children」)を繰り返して聴いていた私のためにあるようなリスト」とのこと。
 うわー、そりゃブルーなのねえ。だって、スミスとジョイ・ディヴィジョンといえば、マンチェスター出身の「負け犬ソングの大御所」であるのに、その中でもかなり「負け」が濃いこの選曲!(勝ったときには、オアシスとかをかけるのだろうか?)

 で、その、スミス家ファンの人たちの間で、今、もっともホットな話題となった「songs that saved your life」でありますが、うーん、知らない曲もけっこう入っているけど、でも、その「I Know it's Over」とか「Love Will Tear us apart」って、どん底の人を暖かく包んで癒してくれる曲っていうよりは、背中押しちゃいそうな曲だと思ったんだけど(英国版「いのちの電話」で流したら自殺率あがらないか?)、だって、こんな歌詞なんですよ?

 「かあさん、もうおしまいだ〜♪」というかんじの曲なので、ある意味「ボヘミアン・ラプソディ」みたいな曲ではあるんですが・・・・・まあ、他人がこんなに落ち込んでいる様子をひょうひょうと唄われると「自分はこれほどじゃないかも」と思えるかもしいけど・・・・・
 今思いついたけど、「王様」や「女王様」みたいに、「スミス家」っていう企画版作ったら面白いかもしれないな。「This Charming Man」を「このぉ、魅力的な漢(おとこ)〜♪」などと唄ったら、スミス家ファンには受けるかもしれない。誰かやってみてください。

 わたくし的には、人生のどん底で一番すがったスミスの曲は「Heaven knows I'm miserable now」で、あれはもっと「あっかるい」曲でした。

 ベスト20には、ルー・リードの「Pale Blue Eyes 」も入っているが、これってルー・リードというよりは、ベルベッツの曲なのでは?まあ、いいか、でも、わたくし的には「Pale Blue Eyes 」って、落ち込んだときよりも、陽だまりの中でゴロゴロしているときに聴きたい曲だけどな。

 というわけで、じゃあ、ワタクシだったら「songs that saved your life」と言われたら、どう答えるかというと、もちろん、スミスだったら「Heaven knows・・・」で、ビーチ・ボーイズだったら「God Only Knows」で、と、さりげなく韻を踏んでみたりして・・・・・
 昔だったら、というか、高校生のときだったら、やっぱJAPANかな。「GHOST」とか聴いてウジウジしていた女子高生だった。
 今はもっと明るい曲のほうが、励まされるみたい。
 落ち込んだときに、優しく慰めてくれる曲を考えてみたら、やっぱしこれが一番かな。
 Jim Jiminee 「Welcome to Hawaii」

 Town and Country Blues って曲がいい曲なんですよ。どうもホーンが入る曲が好きなもんで。
 マッドネスとか昔のシカゴとか・・・・スカパラとか・・・・オリジナル・ラブもそうだな。
 あと、ホーンは関係ないけど、YMOの初期のアルバムは、落ち込んだときに聴くと「ほわわーん」となる曲が多くて、一時期はよく聴いていたな。

 話は戻るが、この「songs that saved your life」の集計結果を見ると、これって「野郎が失恋したときに聴きたい曲」ですよね?
 だから、「I Know it's Over」なんて聴いてみて、「くー、終わっちゃったよ。わかるわかる。汚物まみれだよ、おれも今」と癒されるのかもしれませんが、あたしにはそういう経験ないなー。
 いや、失恋したことはあるけど、そういうときには、アズテックとかコステロとかスタカンなどを聴いていたような気がする。どっちかというと「明日があるさ」系。

 そう考えると、自分はわりとフラれたときの諦めがよかったような気がする。
 そーいや、相談した友達に「あきらめよすぎ」と叱られたこともあったような気がする。(前世紀のことなので記憶が曖昧)
 「自分が他人の考えをどうこうできるものでもない」と素早く諦めちゃう癖は、仕事でも発揮してしまって、「この人はこの程度だから仕方ないか」と相手のペースにすぐに合わせてしまうので、それがいいときもあるんだけど、その仕事を引き継いだ人が努力して、相手の理解度を上げていたりすると「えらいなあ〜」と感心するが、でも多分、そういう人はフラれても納得せずに食い下がるんだろうなあ、なんて思ってみたりして。

 Jim Jimineeのメロウな曲をBGMにしていると、ついつい反省モードになってしまうな(笑)

 つーか、Jim Jimineeは、ほとんどオリジナル・ラブと同じだな(笑)
 なんか、自分の「しゅみ」が明確になると、こっぱずかしいね。

 つーわけで、「しゅみ」を全開していると、やっぱりなかなか「21世紀の夜明け」を迎えられないようだ。
 「♪20世紀のおわりに、恋をするなら」のヒカシューのデビュー曲(カラオケに入っていてびっくら)から抜けられないでいる。 
3月10日(水)

 UK NEW WAVE RENAISSANCE 2004という企画があって、入手困難だったニュー・ウェーブのアルバムが、一挙に再発されるようですが、現在発表されている発売予定を眺めてると「私が欲しかったものは既に持ってるんだなあ」ということがわかった。

 でも、「なんか欲しかったものないかなあ」とじっと目を凝らしてみたら・・・・・「おお、ローマン・ホリデイが!」
 けっこう当時は評価の高かったバンドなんだが、私の知る限りではCD化されていなかった。とくに熱心に探していたわけでもないが、ときどきレコ屋に行くと「R」の棚をぼんやりとチェックしていたのだ。
 でも、最近、レコ屋にもあまり行かなくなったし、そういう情報などを雑誌等でチェックすることもほとんどなかったので、「私が知らなかっただけかもしれない」と思って、検索してみたのだが・・・・

 この名前で検索しても、私の望むものが出てくるわけがないことに気がついた。世界的にも、「ローマの休日」といえば、あれに決まっている。しかも、あのアルバムの邦題は「ローマの休日」だったのだ。使えねー。
 そーいや、前に「小学校時代にお世話になった名前書き用マジックはなんて名前だったっけ?たしか・・・サクラだったような・・・・」と思って「サクラ」で検索したってヒットしないことに気がつき、「サクラ マジック」と入れたら、全然違う世界に飛ばされて、気が動転し、「サクラ 絵の具」にすればいいことに気がつくまでにずいぶん時間がかかってしまった。

 ローマン・ホリディも、やっと原題がわかったので(Cookin' On The Roof)やっと検索できたが、やはり世界初CD化なのか。
 しかし、今さらながら「オレのバイクは世界一」などの邦題が素晴らしいね。
 ローマン・ホリデイは確か、このアルバムの数年後に、ホーン部隊が全員脱退してしまい、ただのスカしたポップ・バンドへと華麗なる変身を遂げたのだが、全然ぱっとしなかったところまでは覚えている。
 「ローマの休日」には、宿題をやるときのBGMとしてずいぶんお世話になったので(けっこうヘビメタなども活用した。レインボーとか。あと、ハノイ・ロックスとか)、あれから20年経ち、今度はお掃除のBGMとして活躍してもらおう。

 レコード買いたい心がちょっと首をもたげてきたので、今日は帰りに近所のCDショップに寄ってみた。ステレオ・ラブの新譜が出たみたいだし、来日も決定したみたいなので、「一度もライブ見たことないから、行ってみようかな」と思ったのだ。ステレオ・ラブこそ、今だに「ニュー・ウェイブ」なバンドである。最初に聴いたときには、YOUNG MARBLE GIANTSかと思ったもん。いや、どっちかというとWEEKENDかな?

 ついでに、へいへいへい(という名前の歌番組)に小山田を従えて出演していたという噂(A嬢がわざわざメールしてきた)の坂本龍一の新譜も試聴してみた。
 なんだか、B2-UNITみたいだった。
 いかん、なんか違うような気がして、CD棚を漁ったら、B-2 UNIT だった。ひつれいいたしました。
 と、なんとなく謝ってみた。

 眠くなってきたから寝よう。外では猫が、愛の唄を熱唱中。楽譜化が困難そうな、ちょっと歪んだ不協和音に、にゅーうぇーぶ魂を感じてみたりした。
 ラウンジ・リザーズの1stを重ねてみよう。よいご趣味ですこと。

 こりゃ、永遠に21世紀の夜明けが来ないな。
3月9日(火)

 私のとこに回ってくる支払の仕事が、その前で止まっちゃってて、今日「どうなってますかあ?」と担当者にお伺いに言ったら、「こ、ここに、たくさん溜まっているの」と、未開封の請求書を指差された。「明日までには必ず・・・・」というわけで、今日もとっても暇だった。

 なーんか、この会社に入りたてのころも、こういう暇なときが長かったな。
 あんときゃ、あたしは何してたんだっけな?
 そーだ、インターネット閲覧ばっかしてたのがバレて、叱られたんだっけ。
 そんで、暇だったから毎日のようにスポーツクラブに行ってたんだっけ。

 歴史は繰り返すというが、人生にも同じような状況が何度もやってくるんだなあ。人に歴史ありというし。

 そんなわけで、暇だったので、国税庁のページなどを閲覧してお勉強。申告書などのフォームを眺めていると飽きない。勤めていた会社が給与の支払調書を出さなかった場合に出す書類なんて、コワイわあ。そこに至る経緯の記入欄もある。ぷち告発書だなこりゃ。

 なーんてやってて、定時で帰り、スポーツクラブで汗を流して、家に帰ってパソコン立ち上げたら、ネットに接続できなかった。「ありゃ、なんだこりゃ?」と、しばし茫然とするが、「そーいや、NTTからメンテナンスのお知らせ来てたな」と思って、そのメールを読むと、なにやら接続ツールをなんとかしろとかなんとか・・・・でも、私はルータを使っているので接続ツールはもう使ってない・・・・まあいいや、ルータとADSLアダプタの電源を切ってみよう。
 しかし、やっぱしダメ。
 「も〜、あたし、運動後だから頭に回る血液が不足してんのよっ」と思ったが、たしかこういうときには、パソコンを再起動するのが基本だったような気がしたし、たしか、会社でも最近、NTTのメンテナンスでネットがダメになったときに、システム部から「いったん、ログオフせよ」というお知らせ来たしな、あれと同じかも、と思って再起動したら直った。

 さて、日曜日から継続中の「前世紀の音楽を虫干ししようプロジェクト」ですが、現在、「HEAVEN 17」を聴きながら泣いてます。やっぱしエレ・ポップ魂は100まで持ってくね、きっと。

 さて、昨日は外貨預金の気持ち悪さについて書いていたが、今日はさらに考察を深めた。(嘘)
 「じゃあ、もし、世界統一通貨ができたとして、それがドルでも円でもなんでもいいが、そうしたら、メートル法のように、基準が固定するであろうか?」
 そうなれば、自然に増えるとしたら利息分くらいだろうが、でもインフレになったら、通貨の価値はやっぱり変わっちゃうということは知っている。
 今日も「踊るさんま御殿」(スポーツクラブで観た)で、坂東英二が、自分が高校卒業したときに貰った契約金2000万円ってのは、今の価値だと数億円だと言っていた。たまたま、彼の父親がその莫大な契約金を株でスってしまったので残らなかったが、私が坂東英二だったら大事に預金していたかもしれない。そんで、今ごろ遣おうと思って「なんじゃ、マンションも買えんじゃないか」と愚痴っていたかも。(定額貯金にしておけば、倍以上に増えていたはずなので、そこそこのマンション買えるかもしれないが)

 でも、やっぱし、お金というのは信用できないな。昔、NHKでやっていた「36歌仙」(あれ?24歌仙だったっけ?)の絵巻がどう分断されてしまったかというドキュメンタリーでも、小野小町なんかは、人目に触れない貸し金庫の奥底に保存されていて、それを所有していた資産家が「お金なんて、いつ紙切れになるかわからないけど、これは永遠に価値を持つ」と言っていたような記憶がある。

 そーだよな。通貨なんか信用できないよな。最後にモノを言うのは、そういう資産だよな。と思ったが、でも、貧乏人には、そういう「永遠に価値を持つ物」を持つことも難しい。いや、たまたま、金を貸した友人がピカソだったりしたら、ありえるかもしれないけど、それは宝くじに当たるよりも難しいし。お金を貸した友人がケン・ドーンだったりしたら、一瞬だけ価値が上がるけど、50年後にはねえ?

 「ものの価値」っていうのも、けっこう難しいよな。
 昔、祖母の家に古い足踏みミシンがあって、ミシン・メーカーがその当時の顧客名簿かなんかを元に祖母を探し当てたらしく「残ってませんか?」な連絡があったらしい。でも残念ながら、物置台と化していたそのミシンは数年前に廃棄されていた。

 多くの人が「価値がない」と思って捨ててしまったからこそ、それに価値が生じるわけだ。
 私が昔、死ぬほど所持していた、手塚治キャラを起用した銀行の粗品の貯金箱も、今になってシモキタの骨董品おもちゃ屋で見ると高額で売られているのだが、そんなもんフツーは30年前に捨ててるだろうから、残っているものに価値が出るのだ。
 うちの母親も「なんでも鑑定団」を観るにつけ、自ら捨ててしまった弟所有の「超合金シリーズ」を「ガラクタだと思って、全部捨てたわよ」と涙ながらに語っていたっけ。ロボコン人形など、今だに残っていれば、けっこうなお宝だった。でも、みんなが捨てたからお宝なんだよね〜。

 いったい何が後世で価値を持つのか、さっぱり予測できないもんな。なんでも保存しておけるスペースないのが貧乏人の悲しいところだ。
 前に、ナイキのシューズが高騰したときに、親に買ってもらった古い靴を高校の体育履きにした子が、同級生に「おまえ、それ、今、スゲー高いぞ」といわれて、びっくりして鑑定してもらったら、その当時の市場価格で2万円くらいついていたらしい。
 小学生のときに買ってもらったのだが、サイズが合わず放置してあっただけだったらしい。

 ええと、また何を書きたかったのか忘れてしまったが、とにかく「価値」というのは移ろうものだということ。
 レアなレコードだって、CDで再発されちゃえば、市場価格は暴落する。
 まあ、でも「HEAVEN 17」が自分の中でどういう価値を持つかは、ある意味、不変なのであるなあ、たとえそれが中古で100円で売られていたとしても。

 結局、「モノより思い出」ってことかよ。

 それも、なんだかな〜、であるが、「思い出」を沢山抱えている自分はけっこうバリューな人であるということで・・・・なんか一生、金儲けができないような気がしてきたので、今日はもう寝る。フテ寝する。
3月8日(月)

●ドル預金にちょっとだけ夢中

 あまり私は乗り気ではなかったドル預金口座であるが、世話してみるとけっこうカワイイ。
 2月は普通預金利息がつくので、あちこちの預金口座に、ちまちました金額がかわいい芽を出す。超低金利時代なので、メインで動かしてる、残高が多いときで2億円くらいになる口座でも、「243円」とかいう「なめとんのかゴラ」な利息しかつかないのだが、ドル預金口座についた利息は「1.57」という一瞬「は?」と首を傾げる数字だった。

 ドル預金だと、「小数点以下アリ」なことに気がついた。超低金利なので、日本円預金にも見習ってもらいたい。だって、今日「そっか、この通帳眠っているけど、利息がついてるはずだから記帳しないと」と某信用金庫の通帳を記帳機に通したら、「ジジジ」と印字されたので、「いくらついたかねえ」と思って確認すると、

 利息 0円

 と、わざわざご丁寧に印字してあった。なんだかゴクロー様である。
 でも、残高10万超えてたんだけどなあ。このくらいだと利息つかんのか。でも、小数点以下2桁とかにしてくれれば、0ではなかったはずだ。

 というわけで、いろいろお勉強になるドル預金なのであるが、最近は円安になっているので、不思議なことに、この口座の残高は毎日変化しているのだ。(別に毎日残高を変えているわけではないが)
 そんなの当たり前のことなのだが、例えば1万ドル残高があるとすると、ちょっと前までは105万円くらいだったのに、今日は112万円である。
 なんにもしてないのに、自然に増えている。

 でも、それは私が日本にいて、この通帳を眺めているからそうなのであって、アメリカ人がこの通帳を眺めても、利息分の「$1.57」しか増えていないんだ。
 なんだろう、この奇妙な感覚は・・・・そうだ、相対性理論だか特殊相対性理論だか(区別ついてません)と同じような話だ。すれ違う電車がいて、はじめて自分が動いていることに気がつくみたいな。
 うわー、為替ってキモい。なんか考えれば考えるほど、ぐにょぐにょになってくる。

 それに、今は円安傾向なので、なにもしなくても増えているけど、これが円高に転じたら、なにもしなくてもどんどん減っていくわけで、得体の知れない怪しい物体のようではないか。
 と、ドル預金の通帳を眺めて、しばし、ヘラヘラしていたのであった。

 私の部屋ですくすくと育っている「みっつのしもべ」を眺めて10分くらい、へらへらしているときがあるのだが、それと同じ「勝手に育つが、いつ枯れるともしれない植物」な扱いである。ドル預金にも自分で肥料あげられれば楽しいのだが、それには1兆円くらい資金が必要なようなので、ちょっと無理だ。

 1兆円くらい資産を持っていたら、ごそっと運用してみて、為替やダウ平均などに影響を与えてみて、毎日新聞(ええと、日経新聞でも可です)を眺めつつ「むふふ」と、ほくそ笑むのも楽しいのかもしれないと思ったが・・・・3日で飽きそうだ。1兆円持ってようがなんだろうが、暇つぶしというものは、やはりたかが暇潰しであることに、先に気がついてしまう自分がカワユクない。

●暇だったのでCDの虫干し

 昨日も、なにもヤル気がしなかったので「こういうときは、音楽でも聴いてカツをいれよう」と画策したのであるが、その甲斐あって、歌の練習ができた。ビーチボーイズの「God only knows」がカラオケに入ったので、もう2回ほど挑戦してみたのだが、けっこう難しくて、いつも上手に歌えなくて悔しかったので、リピート再生して10回くらい歌った。

 そんで、ふと、昔さんざんカラオケでも歌ったオリジナル・ラブも久々に歌ってみようと、「結晶」をかけてみたのだが、久々に聴いた「月の裏で会いましょう」はやはりいい曲だ。この曲が人気深夜ドラマの主題歌になったときには、カラオケで歌っても、「ああ、この曲いいよね」と会社の同僚たちがわかってくれたので、本当に嬉しかったっけなあ。

 木原龍太郎の詞はけっこうキザっちいのだが、田島貴男が唄うと、わりと鼻につかないのが不思議。

 ♪ そして 晴れた日に 一億年後の 夏の話をしよう

 なんて一緒に唄いながら「ああ、誰かと一億年後の夏の話がしたいなあ」と、しんみりとしてしまったのであった。
 私には珍しく、ちょっと寂しくなっちゃったらしい(笑)。

 しかし、すぐにもっと「さびしーこと」に気がついてしまった。
 300枚以上あるCDコレクションのほとんどが「前世紀に購入したもの」である。21世紀になってから、CDをほとんど買っていないと思う。買ってても、歌の無いテクノ系ばっかだ。
 そして、私がカラオケで歌うのも、ふだん鼻歌で歌うのも、前世紀の楽曲ばかりだ。

 それは、とても寂しいことだが、最近ほんとに、ラジオやテレビで「お?」という曲に出会うことがなくなった。
 自分が年とったせいなのか、イマドキの楽曲がクズなのか、よくわからないけど、昔好きだったアーティストの新譜を買っても、結局、数えるほどしか聴かなくて、ついつい昔のばっかり聴いてしまう。

 ま、たとえ前世紀の楽曲だとしても、今だに聴いても感動できる楽曲がたくさんあるのだから、それはそれで、しあわせっちゅうことなんだろう、と無理やり自分を納得させておく。
 その気になれば、オリジナル・ラブとフリッパーズ・ギターだけで、朝までカラオケできるしよ。
3月7日(日)

 今朝、一回目が覚めたときに(午前9時ごろ)、頭の中に浮かんだ替え歌。

 ♪インドの山奥で、寝坊して〜

 うーん、それはかなり大変な事態だ。山奥なだけに、遅刻は必須だろう。バスや電車の便もきっと劣悪に違いない。
 しかも、その歌の続きを思い出してみたら、寝坊した人の今日の行き先は、

 ♪お台場だったの?

 うーん、インドの山奥で寝坊したら、お台場での打ち合わせには絶対に間に合わないだろうなあ。たいへんだ。

 などと、半分寝ながら、「でも、これ、起きたら忘れてるんだろうな」と思いつつ、二度寝に突入して、昼頃起きたのだが、なんとまだちゃんと覚えていたのであった。

 そんなかんじで始まった今日も、これと言って何もしなかった。
 そして、夕方になってやっと買い物に出かけたら、思ってたよりも寒かった。

 さて、明日は早番出勤なので、今日は早く寝よう。寝てばっか。
3月6日(土)

 昨日も、焼酎をいっぱい飲んじゃったなあ。
 で、今日は出勤。

 他にも何人か出勤していたが、全員暇そうだった。
 当然のことながら、私も仕事する気ゼロ。
 午前中は、また会社しもべ妖精 House-elf になって(そうか・・・・小学1年生のときに「ようせい」と宣告された心の傷がこんなことに・・・・・)フロアに掃除機がけ。

 そういえば、掲示板に書いてくれた方がいたが「種痘は既に廃止されていて種痘の痕があるかないかで世代がわかるとの話を聞いたことがあります」、というのはけっこう一時は話題になった。1976年に全員に接種するのは廃止になったし、天然痘は絶滅して、今では研究所の中で大事に保存されているだけになったらしいので、当然のことながら、その後、わざわざ自主的に接種する人なんていないくて、今の若い人には種痘の跡は無い。

 私は1966年生まれなので、「アフター種痘世代」よりも10歳上だったから、あまり影響は無かったけど、うちの6歳下の妹にしてみれば「あと、4年!」だったわけで、「一生、年齢を4歳以上サバよめない」という大問題が生じていた。ええと、妹は今、33歳であるが、28歳だと詐称しても腕の種痘跡ですぐにバレてしまうのである。
 最近はあまり聞かなくなったが、昔はアイドルが年齢詐称することが多かった。だから、種痘が廃止されたときに、年齢詐称ができないということが話題になったのだが、その後、あまりサバ読みが暴露された話を聞かないのは、種痘のせいだったのかも?

 そうか、今ちょうど30歳くらいの人たちは、永遠にサバがよめないのであるな。
 そういや、昔、同僚の女性も「もー、こんな醜い跡があるから、ノースリーブ着られないじゃん」と種痘跡を気にしていた。私らが20代半ばだったとき、10代半ばのグラビアアイドルたちは、きれいな二の腕を見せびらかしていたのである。
 あれから10年以上経ち、もはや水着姿を披露するようなタレントにはその痕跡は全く見られない。
 もはや、彼らは「種痘跡」がなんであるかも知らないのかもしれない。
 観察眼の鋭い人だけが、プールなどで「30代以上っぽい人たちの腕には、なんか跡があるけど、なんだあれ?」と気がついているかもしれないが、でも、たぶん、自分の親とお風呂に入ったときなんかに説明されてたりするんだろうな。

 さて、話はまた「妖精」に戻るが、ハリー・ポッターの原書も順調に読み進み、やっとWinkyが登場したぞ。このまま順調に読み進めば、死ぬまでには読み終わるであろう。(我が家はわりかし長寿の家系)

 それでやっとこさっとこ、「屋敷しもべ妖精英語」の研究にとりかかれるわけであります。

 翻訳版では「変な敬語づかい」な感じになっていた屋敷しもべ妖精語だったので、「この英語を習得して、英語圏に旅行したときに活用しよう」と思っていたのですが、原文読んでみたら、その目論見は見事に外されました。

 Winkyのべしゃりはこんな感じ。

 I knows Dobby,sir!
 I is not sure you did Dobby a favour,sir,when you is setting him free.
 Winky is wishing she is back in master's tent.

 うーむ、どうやら自分を三人称で表現するのが正しいようだ。こりゃ、けっこう難易度高いぞ。
 というよりも、このヘンテコな話し方はすでに萩尾望都が「一角獣シリーズ」で採用していたぞ。さすが萩尾望都と言うべきなのか(ハリポタよりも10年以上早い)、それとも元ネタがあるのだろうか?

 それよりも、「うーむ、わざわざ屋敷しもべ妖精語習得する以前に、あたしの英語もこのレベルじゃん」ということに気がついてしまった悲しさよ。

 というわけで、久々に英作文に挑戦だ。

 題名 Miyanny the Office-elf

  Today,Miyanny found a poster at the 1st floor, display space ええと・・・すでにダメだな、ええと、とにかくポスターが壁に立てかけてあったのが、歪んじゃったらしく、傾いでいたのでありました。

 When Miyanny set it straight she found my hand so dirty.
 Miyanny is good offise-elf,she clean displey all clean.

 泣きたくなってきたのでやめる。

 要するに、ポスターがちょっと曲がっていたので、まっすぐにしようと思ったのだが、でも歪んじゃってたので、元通りにならず「どうしよっかな」と考えていたときに、ふと手を見たら「ぎええ、真っ黒じゃんけ!」と気がついてしまったのであった。
 そこには、うちの会社の制作物がきれいに展示されていたのであるが、厳しいお姑さんのように、棚に指をすっと通すと、指先も真っ黒!しかし、そこには「ミヤノさん、これは何?」と苛める嫁はどこにもいない。このスペースの管理はかなり曖昧になっているが、会社としての広報スペースであるから、そこの維持管理の責任は「ソーム部」にあるといえよう。

 「ひい、これではせっかくの広報が台無し」と思って、自分のフロアに戻り、埃取りのモップを手にして、せっせと埃退治に勤しんだ。「ああ、気がついてしまった自分が憎いが、これも、すべて、私が『いい会社しもべ妖精』だからこそ」なわけだし、どうせ暇だったので、よかったのだが、ふと、その展示スペースの真中に置いてある、テーブルと椅子にも目がいってしまった。

 あの家具が納入されたときには、「なんで、こんなイデー・カフェみたいな家具?」と苦笑したのだが、それはまるで「マックのPC」のような、真っ白でマットだけど透明な質感なテーブルや椅子だったのである。
 納入された当初も「これって汚れるのでは?」と危惧していたのだが、自分ではそのミーティング・スペースを使用しないので、気がつかなかったのだが、今日あらためて間近で観察してみると、手垢で真っ黒!

 私はあまり神経質ではないけど、この手垢まみれの椅子を触りたくないと思う人はこの世にはけっこう存在するのでは?と思う。こんな椅子で営業しているカフェに入ったら、「ダメな店だ」と即座に判断するだろう。
 もー、なんで皆、これで平気だったの?
 汚いなと思ったら、言ってくれればよかったのに、自分で使用しないから全然気がつかなかった。
 もー、せっかく超おしゃれな家具でキメてても、掃除がなってなかったら帰って印象悪いじゃん。それに、掃除がなってないってレベルをすでに超えている。

 というわけで、ミヤニーは家具用洗剤と雑巾をとりに戻ってから、展示スペースに戻り、せっせと家具磨き。
 磨くっていうか、すぐに雑巾がドロドロになった。
 「えーと、このスペースをこういうふうにリニューアルしてから、すでに1年くらい経過しているのかも・・・・その間、もしかしたら、一度も掃除されてない?」
 ぐーたらの極みを極めている私の部屋ですら、もうちょっとマメに埃除去してますよ。

 というわけで、展示スペースの掃除に一時間以上かかってしまったのでありました、sir。

 House-elves does what they is told.

 と、Winky said なのですが、Office-elves does what they is told or not told.な、わけでございます。

 うーむ、なんか違うな。この場合には、with or without を使用したいところだ、sir。(なにげに元U2ファン。渋谷公会堂での初来日公演に行ったのが自慢)

 ですから、with or without my master でも、sir、しっかり掃除しちゃったのですが、ちょっと悔しかったので、sir、掃除が終わった後に、上司に「下の展示スペースのポスターの位置を直したら、手が真っ黒になっちゃったので、思わず掃除してしまいました」とお手柄(?)を報告してしまったのでした、sir。会社しもべ妖精失格な所業。

3月4日(木)

 心を入れ替えて、今日はスポーツクラブに行った。
 しかし、なんだか常に心を入れ替えているような気がするので、換気のいいお部屋のように新鮮な心を保っているという、自分に都合のいい言い方もできるが、どちらかというと、起き上がりコボシの「寝てるのがデフォルト版」というか、下に重りが入っていないので、すぐに倒れてしまうというか、とにかく寝転ぶのが大好きなんである。

 バネ計りのバネみたいとも言える。仕事しているときには、ちゃんと背伸びしているのだが、仕事が終わると、すぐに元に戻ってしまう。
 ま、しかし、自分のことをバネだと思うと、あまりしょっちゅう背伸びしていないので、バネがあまり緩んでいないのかもしれない、とも言える。働き者のバネは、伸びすぎで逆にたるんじゃったりするじゃありませんか。(小学校の理科室にあったバネ計りは、酷使されててけっこう伸びていた)

 と、また自分に都合のいいことをあれこれ思い浮かべながら、ジムで自転車漕いでいました。

 昨日の夜、布団の中で、ふと考えた。
 こことんとこ、鳥インフルエンザの話題でマスコミは盛り上がっているが、狂牛病のときとはちょっと雰囲気が違い、とにかくインフルエンザで死んじゃうニワトリさんの数が半端ではないようだ。

 でも、狂牛病のときにも、発病した牛が出た牧場では、他の牛も処分してたんだっけ?
 すっかり忘れてる。
 でも、あのときも、「牛さん、かわいそう」と呟きそうになり、「でも、どっちにしろ寿命をまっとうできない運命なのか」と気がついたが、鳥インフルエンザでの被害の話をニュースで知っても、ついつい「ニワトリさん、かわいそう」なんて思ってしまうので、人間の身勝手さを反省してしまうというか、それよりも同情すべきは農場主の人間のほうなんだろう。(事態をすばやく通報しなかったとしても)

 しかし、いったん巨大な養鶏場で感染してしまうと、あんなに沢山死んじゃうのね。
 19万羽いて、そのうち6万羽が死んじゃったなんて、すごい数字だ。満員の東京ドームの観客と同じだけのニワトリさんが・・・・・
 で、生き残ったニワトリも処分されちゃうのか、されちゃったのか、それを処理するために大穴を掘っているとか、かなりホロコーストな事態である。ああ、ニワトリさんたちの悲鳴が聞こえる・・・というよりも、罪もないのに殺されて穴に埋められるのと、罪もないのに殺されて、水炊きの鍋に放り込まれたり、特製スパイスをまぶされて煮えたぎった油に放り込まれたりするのって、どっちがいいのやら・・・・・

 なんて、考えていると、大好きな鶏肉(牛肉も豚肉も羊肉も好きだけど)が美味しくなくなるからやめよう。
 そうじゃなくて、やはりブロイラーな環境が免疫力を弱めるので、それだけの猛威を振るっているのか、それとも、鳥インフルエンザが東京でも流行しちゃったら、カラスや不忍池のカモがバッタバッタと死んでしまうような光景が見られるのかなあ、と思ったのである。
 もちろん、感染しない鳥だっているに違いない。感染しても発症しない鳥だっているに違いない。人間様だって、インフルエンザが大流行したって、風邪ひとつひかない元気な人は大勢いる。

 それに、農作物だって、伝染病の被害に遭ったりするけど、あれってそれでも元気だった作物を元に「病気に負けない強い品種」を作っているのではないのだろうか?よく知らないけど。
 もし、そうだとしたら、鳥インフルエンザが蔓延した農場でもピンピンしていたニワトリを元に、インフルエンザに強い品種を作ったほうがいいのではないか?

 と、思ったのだが、「そっか、ウドンコ病は人間には感染しないけど(たぶん)、インフルエンザは人間に感染しちゃうんだよな」
 そんで、インフルエンザは、抗体作るのが難しいというか、すぐニューバージョンができちゃうので、コンピュータ・ウィルスみたいに、ワクチン・ソフトをまめにアップデイトしないといけないから、大変なんですよね、たしか。
 水ぼうそうみたいに、一回罹れば一生OKというものではない。

 そんなかんじで、家畜と病原体と人間の古い歴史に思いをはせつつ、昨晩は眠りに落ちてしまったのですが、今日の昼間に、こんなニュースを発見した。
 ツベルクリン反応全廃、1歳までにBCG全員接種へ

 私は「ツベルクリン反応」という言葉に、いつも過剰に反応してしまう。
 それは、小学校1年生のときの、悲しい思い出があるからだ。
 前にも書いたと思うが、何度思い出しても切なくなるので、また書こう。

 小学校1年生くらいだと、まだ知恵がついてないので、いったい何の予防注射打たれているのかよくわかんないし、「予防」という意味すらよくわかってなかったりする。「免疫」という意味がわからなかったもの。

 そして、親がちゃんと懇切丁寧に説明すればいいというものでもないと思う。
 というのは、もっと昔の話を思い出してしまったが、今はもう亡き「種痘」の予防接種!
 あれは怖かったっすよ。あれは小学校入学前だったので、近所の小児科医で受けたのだが、私は病弱な子供だったので、小児科医に行くことに対しては何の疑問も抱かずにただ「シュトー」をするとだけ聞いたのだが、それがなんなのかさっぱりわからずに、獣医に拉致されるペット犬猫よりは大人しく連れていかれたのだと記憶している。
 しかし、待合室には緊張感があふれていた。いつもより、待合室が暗く感じたのを覚えている。そこで順番を待つのだが、別室からは同年代の子供の悲鳴が・・・・・気分は「ガス室送りを覚悟するユダヤ人」である。私の顔色が緊張でこわばったのを察知した母が、これから何が行われるか説明してくれた。

 テンネントーという恐ろしい病気があって、その病気にかからないようにするためには、テンネントーのバイキンをちょこっとだけ体の中にいれる。そうすると、私は、軽いテンネントーにかかるけど、一度軽くやっておくと、もう一生、テンネントーにはかからない。

 ・・・・・・あたし・・・・・なにされるの?
 と、不安はさらに増した。気分は「ショッカーに誘拐された幼稚園児」である。バイキンを体に入れるって・・・・なんか飲むの?でも、だったら他の子はなんであんなにギャーギャー鳴いてるの?そのバイキンが不味いの?苦いの?
 母はご親切にも、その疑問にちゃんと答えてくれた。
 「飲むんじゃなくて、腕にちょびっとだけ傷をつけて・・・まあ、ハリでちょちょっとね。そこにバイキンを植えるのよ」

 恐怖のあまり、私も泣き叫びたくなったが、あまりにも恐ろしかったので、声も出なかった。頭がパニクったまま、診察室に通され、そこでプラスチック製の爪楊枝みたいのが出てきたときには「もう、いっそのこと殺して」というくらい目が虚ろになっていたと思う。
 おかげで、その夜はしっかり高熱が出た。あれは天然痘と軽い戦いをしたというよりは、知恵熱だったのだと思う。

 というわけで、ちゃんと説明してくれたのは、ちっとも有難くなかったが、後にジェンナーさんの話を読んだときに、別の意味で感動できましたので、ちょっとは有難かったのかも。

 話が膨らんでしまったわい。
 それで、ツベルクリン反応のときには、なにが悲しかったかっていうと、そのときにも「ツベルクリン反応」がなんなのかさっぱしわかっていなかったのだが、あれは、あれ自体が予防接種ではなく、一回打ったら、なにやら検査するという説明は受けた。注射の跡を計測器で測るのである。
 保健室に行列を作って順番を待った。
 すでに済んだ子に「どうだった?」と聞くと「いや、痛くもなんともないよ。ただ、なんか金属のペンチみたいなので計るだけ」と言われても、油断大敵である。(「全然痛くないよ」と言われて、死ぬほど痛かったことがあったから)
 やっと私の番が来た。
 白衣を来た医師が、その「金属のペンチ」を私の腕に当てると、ツベルクリンの注射の跡を計測して、

 「ようせい」

 と、そっけなく言った。傍らには、検査結果を記録している助手と、担任の先生がいた。担任の女の先生が、

 「え?ようせいなんですか?」

 と言った。

 私には何の説明もなかった。

 「なに、なに、ヨウセイってなんなの?それは珍しいの?どっか悪いの私?」
 と不安になったが、どうやら他の子は「いんせい」といわれているのに、私だけが「ようせい」だと言われても、小学1年生には「陽性・陰性」という漢字が我輩の辞書にはないので、誰もそれがどんな意味を持つのかわかってない。

 家に帰ると、さっそく母に質問。「妖精ってなに?」

 「陽性」は知らなくても「妖精」は知っていたので、自分の中ではそういう変換になっていた。気分はもう「お誕生日に魔法学校の入学通知が来て、自分が魔法使いだとわかったハリー・ポッター君」である。

 しかも「あたし、妖精なんだって」という娘の切実な告白を聞いて母は「え?あんた妖精だったの?」と、担任の先生と同じようにちょっとだけ驚いていたが、でもやはりそれほど大事ではないような雰囲気だった。
 それで、いちおう結核という病気の説明を受けたのだが、「ケッカク」というのもどういうものだかよくわからなかったので、とにかく私は以前ちょびっとだけその病気になったらしいが、軽かったので自分で治ってしまったらしい。そして、そういう人を妖精と呼ぶということはわかった。

 で、なんと妖精じゃない人たちは、シュトーと同じように、そのバイキンを体に埋め込まれるらしいのだ!

 ふふふ、なーんだ、なんかよくわからんが、私は注射を一回だけパスしたらしいぞ。
 と、他人の不幸を密かに笑い、妖精であることの優越感を感じてしまい、クラスメートにも「あたしは妖精だから、BCGは受けないの」と自慢して言いふらしていたのだが、ちぇっ、BCGってちっとも痛くないハンコみたいなシロモノだった。あまり、お得感はなく、逆にハンコの跡を見せびらかしている友人たちを羨望の眼差しで遠巻きに眺めていたのであった。

 結核という病気のことがわかるようになったのは、小学校高学年になって、というか、少女漫画を読むようになってからだと思う。オスカル様も結核を患っていました。ゲホゲホっとやって、手の平に血が!っていうのが結核。うっと口を押さえて流しに駆け込むのが妊娠。ということをいつのまにか知っていた。
 でも、トラウマというほどのもんでもないが、無表情な医者に「ようせい」と言い放たれたことが、かなり心に残っていて、今だに「結核」と「妖精」は近い場所にあり、サナトリウム文学などを読んでいると、「サナトリウムのある高原の森には妖精が住んでいる」というイメージを勝手に思い描いてしまうという弊害はある。だからって別に困らないけど。

 余談であるが、それから数年後というか、私が中学生くらいのとき、母が風邪をこじらせて、咳がなかなか治らなかったので、かかりつけの町医者が念のためレントゲンをとってみたら、
 「ああ、影がありますね」
 「え?影?」(一瞬、人生走馬灯状態だったらしい)
 「小さいけど、これ。(ぶっきらぼうな先生だった)結核の跡です」
 「え?結核?」
 「気がつかないうちに治っちゃったんでしょ。たぶん、もう何年も前だな、これ」

 後で、当時、そういう軽い結核が流行したという記事をどこかで読んだが、母も「へえ、私、いつのまにか結核やってたんだ」とか言っていたので、私はふと自分の「妖精事件」を思い出し、「もしかして、それが私に感染していたので、私が妖精になっていたのでは?」と、感染経路を徹底的に追及したくなったのであったが、母は私が陽性だったことなんて、すっかり忘れていたのであった。

 というわけで、いろいろな苦労を乗り越え、私は「免疫」だか「抗体」だかを強化していったのであるが、ニワトリさんたちは、免疫があろうが抗体があろうが、穴に埋められてしまうんだな〜、でも、どっちにしろ水炊きだか焼き鳥。というループに戻る。

 うーん、それにしてもやはり、他人の不幸はあっさり忘れてしまうが、自分の不幸はいつまでも根に持っているもんだなあ。と感心してどうする。
3月3日(水)

 昨日は中堅社員ミーティングの後、そっちがメインという噂だった飲み会があったので、普段と違うメンツでの飲み会にちょびっとだけ疲れた。忘年会程度に。
 しかし、ひとつだけ成果があった。
 この日記でも、ときどき愚痴っていた、私の元同僚ギャルC嬢は、今の部署でも、営業部の社員にときどき不機嫌な態度をとるようで、昨日出席していたO氏が一番被害に遭っているらしく、C嬢の上司が「Cの電話での話し方がぶっきらぼうだと、相手がOさんだってわかりますよ」と笑っていた。

 C嬢は現在、制作系の仕事をしているので、客からのオーダーを営業が伺って、C嬢に指示を出すのだが、ある営業部社員は、彼女のところに話にきても、遠巻きに観察してから「ご機嫌悪そうだから、また出直す」と帰ってしまったりするらしい。
 でも、その話を聞いていた、同じく営業部のI嬢は「私は、いっつもちゃんと素直にやってもらってるよ?」と言ったら、C嬢の上司は「ああ、Iちゃんは大丈夫だね。気分次第というよりも、人によって違うみたい。で、O氏が一番、やられてるのは、難しい客ばかり抱えてるからじゃない?」

 というわけで、C嬢に冷たくあたられて、悲しい思いをしているのは私だけではないことがはっきりしたので、少しだけ心が軽くなった。

 さて、今週は土曜日出勤なので、今日はお休み。
 いつものように、昼頃起きて、コーヒー飲みながらうだうだしていて「掃除でもしよっかな」と思ったが、部屋の中でもけっこう寒くて、あまり気持ちがノらないので、うだうだとフリーセルをしているうちに、3時になってしまい、「ああ、今日もこのままなんにもしなくていいのだろうか?」と人生に疑問を持ってしまったのであるが、かと言ってこれといって「やりたいこと」もなく、そのままダラダラとしていてもよかったのだが、「そうだ、映画でも観に行こう」と思って、三茶の映画館に行くことにした。

 「名もなきアフリカの地で」という映画が観たかったのだ。

 なんで、それを観たいと思ったのか忘れてしまったが、どうやら昨年度くらいの「アカデミー賞 外国映画部門」を受賞しているらしく、それでけっこう話題になっていたようだ。で、「アフリカに亡命した家族と、地元の人たちとのふれあい」な話らしく、ユダヤ人少女のお話みたいなんで「アフリカ」「少女」というキーワードに心惹かれたらしい。

 ドイツ映画なので、ちょっと最初は話の流れがわかりづらかったのだが、なんでドイツ映画っていつもそうなんだろう?と、いうほどドイツ映画観てないんだけど、たぶんハリウッド映画ともフランス映画とも違う「お約束事」がそこには存在するような気がする。
 そして、ユダヤ人受難モノでもあるのだが、主人公の家族は、弁護士のお父さんに先見の明があり、「まあ、ナチなんてそう長く続かないさ」と呑気に構える家族を説得しつつ、ケニアに移住して仕事を探して、やっと妻と娘を呼び寄せるので、その後、ドイツに残された家族からの手紙で事態がのっぴきならない状況になっていくのを知るのであるが、もはや誰も脱出できずに、収容所に入れられていくのを嘆くしかない。

 そういうけっこう重苦しい話なのだが、そんな中で、感受性が強すぎてドイツでは人見知りだった幼い娘は、アフリカの雰囲気にすっかり馴染んでしって、のびのびと育っていく。
 はっきり言って、その娘の話にしぼったほうが「観たい映画」になったと思うのだが、父母のほうにも重点が置かれていて、たぶん主人公は母親なのかも?という話になっているのだが、3人がアフリカでどうなるのか、けっこう分散しているので話が薄くなってしまったのが残念。

 せめて、母娘の視点の違いに絞ったほうがよかったのではないかと思った。父は母娘の視点から描けばよかった。

 期待していた「アフリカの大地」の映像は少なかったが、アフリカ人たちがとても好意的に描かれていて、特に少女の馴染み方がハンパじゃなかったのであるが、でも、ふと思ったのだが「これって、結局『ラスト・サムライ』と同じような描き方?」
 要するに、外国人には最初ちょっと、とっつき難かったけど、仲良くなってみると、「なーんだ、みんないい人じゃん」という世界なのである。悪人が全く存在しないユートピアとしての「田舎の村」っていうのもなんだかなー。
 特に、一家に仕えていた料理人のアフリカ人が地味ながらも、じわわと来る存在感で、あの映画を観た誰もが「わー、こんな使用人がいたらなあ」と思うであろう人物で、「そっかー、アメリカ人が奴隷にした気持ちよくわかるなあ」と奴隷制度を肯定したくなりました。

 さて、併映が「永遠のマリア・カラス」で、そっちはあまり興味なかったのだが、ついでだから観てみた。そしたら、ジェレミー・アイアンズが出てた。ゲイの役なんだが、ラブ・シーンは無し。残念。でも、ジェレミーが登場するシーンで蝶々夫人のアリアが流れると、気分はもう「M・バタフライ」だった。(ちなみに私はたぶん、クローネンバーグの映画は、その「Mバタフライ」と「裸のランチ」しか観たことがないよーな気がする)
 そーいえば、この映画のこと、ファッション誌で観たような気がする。映画に出てくるカラスはいつもシャネルでばっちしキメているのだ。

 しっかし、あまり話題にならなかった映画のような気がするけど、こりゃつまんないわ。
 なんか、テレビの伝記番組の再現映像みたいなダサさ。
 マリア・カラスは、自分を捨てたオナシスの写真見ながら、ビービー泣いてるし・・・・・。

 私は、それほどマリア・カラスについて知っているわけでもないが、伝説の歌姫としてのミステリアスなイメージは持っていたのだが、この映画で描かれているカラスはちょっと俗っぽすぎなので、ファンが怒るのではないかと心配になったくらいだ。
 ただ、さすがに挿入される音楽は素晴らしく、鳥肌がたったけど、だったらレコード聴いてるだけでいいじゃん。

 全然関係ないけど、私は何年か前、巨人の元木が結婚したときに、「私だったら、大石恵の元カレと結婚するのは嫌だなあ」と思った。なんとなく。そんで、逆に自分が付き合っていたけど、フッたり、フラれたりした男が大石恵と結婚しちゃったら、やっぱり不愉快だろうと思った。だから、なんとなく。

 で、この映画で「オナシス氏、ジャッキーと結婚」っていう新聞記事を自分とオナシスが仲むつまじく写っているアルバムに挟んでいるのを眺めるカラスのシーンを観て、「自分の元カレがジャッキーと結婚しちゃうっていうのも、そうとうヤだな」と思った。

 うーむ、つーことは、ジャッキーと大石恵には何か自分なりの共通点があるのだろうか?と気がついたのだが、それはなんなんだろう。うーむ、と他に、そういう人がいないかどうか、考えてみたら、「あ、そうかダイアナ妃だ!」
 プリンセス系というか、成り上がりプリンセス系が苦手らしい。

 という、かなりどうでもいいことに気がついた、ひな祭りの日であった。
 しかし、映画の中で、引き篭もっているマリア・カラスが、昼になっても起きなくて、酒ばっか飲んでいて、使用人とトランプして暇つぶししてたりする落ちぶれぶりを見て、「なんか、あたしみたい」と思ってしまい、ちょっと反省してしまったのであるが・・・・別に、マリア・カラスを身近に感じたくねーよな。
3月1日(月)

 昨日は、「冬物を着ている自分」にウジウジしていたというのに、今日は、その思いが通じたのか(誰に?)、すっかり真冬に逆戻りどころか、みぞれが降った。

 熱さ寒さも気分次第というべきか、こうなると「わーい、寒いぞー」と嬉しくなり、今日は経理的には月末であったので(月末が土日になると、月末が月曜日にずれる。納税期日とか、借入金の返済とか)、通帳を全部もって、ララランと銀行巡りしてしまった。「わーい、手がチベたいよ。こりゃ、手袋がいるなあ」と、我が手袋「おすぎとピーコ」の引退が先延ばしになったことを素直に喜んでしまった。

 今日もサクサクと帰れたのであるが、帰りにふと、ニコタマに寄りたくなった。昨日の有楽町デパートめぐりの余韻が残っていたのかもしれない。「たまにはデパチカで夕飯というのもいいかも」と急に思い立ち、「そういや、高島屋の地下に糖朝があったんだよな。お粥でも食べるか」と思って行ってみたら、休日はさすがに混んでいたけど、平日の夕方はガラガラで店頭で係員が呼び込みしているくらいだった。8時閉店なので、7時半までになんとか客をかき集めたいらしい。

 豚とピータンのお粥&豆腐花にしてみた。
 前に青山店にも入ったのだが、そのときのお粥はいまいちダシが弱かったし、豆腐花も温かいほうを選んでみたら「微妙な味の湯豆腐」みたいで、あまり美味しくなかったんだけど、ちゃんと味が濃そうなお粥にしたら、大丈夫だった。
 ま、香港の本店もこんなもんだったしな。それにやはり豆腐花は冷たいほうが美味しいように思う。「にがりの苦味が漂う杏仁豆腐」ってかんじの味が好き。

 しっかし、やっぱり見事に女性客しかいないなあ。いくら、ニコタマ高島屋とはいえ、すぐ隣の韓国定食屋には男性客もいたのだが。
 そんで、若いアルバイト店員たちのマニュアル接待ぶりが苦手なのだが、でも最近、本屋でもスーパーでも、ああいう接客が多いような気がする。スーパーのレジが済んだあとに、手をちゃんと前に揃えて「ありがとうございました。またお越しくださいませ」と言われても、あんましうれしくないのだが。そもそも、接客態度が丁寧だからって、そのスーパーに行くわけじゃないし。

 最近、あまり接客業をしたことがないので、よく現場の事情がわからないのだが、あれはやっぱりあのくらいきちんとマニュアル化しないと、若者がちゃんと接客できないという前提の上でやっていることなんだろうか?
 たしかに、昨日も都心の地下鉄に乗っていたら、そばに立っていたギャル二人の会話が耳に飛び込んできた。

 ひとりが、ドアのガラスで自分の顔を眺めて、
 「うわー、なにこの髪型、ちょっとマジ?」
 「うはは、ほら」(携帯カメラで写して見せてあげる)「でも、これだとなんか、カワイイっぽい」
 「やだ、マジマジマジ?」(髪の毛をなにやら手櫛で直しているが、どこをどう直したのか私には不明)
 「そーいや、クラブにさ、あたしみたいコがいてさ。たしかに似てるってゆーか、背とか同じくらいなんだけど、でも、そいつ、マンバでさっ」
 「・・・・・マンバ?・・・・・ああ、最近、また復活してんでしょ?」

 うーむ、「マンバ」とは「ヤマンバギャル」のことなんだろうか?おばさんにはよくわからなかったが、でも、彼女達が接客業のバイトにやってきたら店長はマニュアルを暗記させないと不安でしょうがないであろう。

 でも、自分が喫茶店でバイトしていたときもそうだったけど、若いコはわりと店に立たせると一生懸命敬語を駆使するもんだ。もっとも、最近では若者の「変な敬語」が話題になっていたりするけど、具体的にどんなのだったか忘れたが、私にはそんなに目くじら立てるようなことにも思えなかった。
 だって、ファミレスの店員が一流ホテルの店員と同じようなこと言うほうが、なんか不気味じゃん。

 どういうのが「変な敬語」と称されているのか、ためしに調べてみたら「〜からお預かりします」「〜でよろしかったでしょうか?」というのが挙げられていたけど、でも、その言葉になんの疑問も抱かずに馴染んでしまっていたので「それのどこが悪いのだろう」と考えてしまった。

 まあ、単に私もちゃんと「正しい敬語」がわかっていないだけですが・・・・・
 これは私の個人的な「マニュアル」であるが、会社にかかってきた電話などに、あまり丁寧に応対するのは逆に冷たい印象を与えるように思ってしまうので、私はどっちかというと敬語を敬遠するほうである。
 敬語以前の問題だが、電話で指名された人が会議中や外出中で、いつ戻るのかはっきりしない場合、どう答えるのが「正しい」のか?
 前の同僚ギャルはそういうときに「それは、こちらでは読めないのですが」と言っていたので「なんだそりゃ?」と最初思ったが、どうも男性上司がそう言っていたので、それを真似したものらしい。
 今の後輩である、クララはそういうときに「それは、わたくしにはわかりかねますが」と言う。
 まあ、丁寧さでいえば、そっちのほうがまだましだが、なんか私には「わかりません」と言うことじたいが、丁寧ではないような気がするので、それもちょっと好きくない。

 よく、インドなんかでは、道を尋ねると全然違う道を教えられて困った、なんてことがあるが、道を聞かれて「わかりません」と言うのを嫌がる民族というか文化はあちこちに存在するようで、他の国の旅行者のエッセイでもそんな記述があったような気がするけど、それを読んだときには「ああ、私もきっと、そっちの文化圏なんだな」と思った。

 では、そういう文化に属している私が「いつ終わるか全然わかんない会議」とか「いつ帰ってくるのかわからない人」宛ての電話がかかってきて、「いつごろお戻りになりますかね?」と言われたときに、どう答えるかというと・・・・

 「10分前に始まった会議に出ておりますので、早くてあと30分、遅くてあと2時間ほどかかると思います」
 「片道、1時間ほどかかるところに出かけておりますので・・・・まっすぐ帰ってくれば、あと2時間ほどかかると思いますが、途中何か他の用事があるかもしれませんので、はっきりしたことは・・・・」

 要するに「わかんない」と同じことなのだが、「わかなんない」と言えないので、あれこれテキトーなこと言っているうちに、相手が「うーん」とか言い始めたら「戻りましたら、こちらから電話するよう伝えますが?」と言えば、相手が自分の用件と自分自身の重要度を判断してくれるであろう、ということである。

 ええと、また何が言いたいのかわからなくなってきたが、「正しくない敬語」なんて、ずっと前からあったのに、それが急にあれこれ言われるようになったのは、マニュアル定員がそれを棒読みするようになったからではないかと推測しているわけです。にっこり笑顔で「1万からお預かりしますね?」と言われたら、そこに敬語が云々って言う余地はないはずじゃないですか、役者が棒読みだから脚本の悪さが目立つのでしょう。だって、ちゃんと正しい敬語を使われても「なんか変だなあ」と思っちゃうから。若者よ、もっと演技を磨くように。(わたしもな〜)

 そういえば、日曜の夜は朝寝坊のせいか寝付きが悪いときが多く、そういうときにはついついNHKアーカイブを観ながらというか、スリープ機能にして、寝る体制を整えながら流してます。なんか、あれって眠れます。
 でも、けっこう目が覚めてしまうような番組も多くて困ります。昨日の夜も第五福流丸に乗っていた船員さんのドキュメンタリーだったので、全然眠れませんでした。

 「第五福流丸」については、ビキニ諸島での水爆実験で被爆したという基礎知識くらいしかなかったことに気がつきました。結局、アメリカは、あれの非を認めなかったんですね。そんで、あの事件そのものが、日米の政治駆け引きの題材にしかならなかったわけで、又七さんの朴訥とした表現からも「オレたちゃ、いったいなんなのよ」という苛立ちが伝わってきました。今の北朝鮮拉致家族にも通じるジレンマというか、「誘拐っていうのは、それだけで犯罪のはずなのに、普通の犯罪のように話が進まないもどかしさ」を痛感しました。

 ずっと思ってきたけど、個人が犯罪を犯せば「罪」となりますが、国家の「罪」っていうのは判断が難しい。「罪と罰」って国家単位のルールなので、その枠を超えるとなんだかよーわからんものになってしまらしい。で、それの中間を彷徨っているのがオウム事件だと思うのですが・・・・・

 なーんて考えながら、結局最後まで観て(布団の中で半分寝てたけど)しまったのですが、次に放送したのが、私が生まれる前の番組で海外に禅を広めた鈴木大ゼン先生の死ぬ2年前の映像。すでに耳も悪いようで、ちょっと何言ってるのかよくわからなくて、フツーだったら「宗教というのもは無限がどうのでむにゃむにゃむにゃ」な語りで眠りにつけそうだったのですが、インタビュアーが犬養道子さんで、彼女の喋りで目が覚めてしまった。

 前にもNHKアーカイブで「226事件の時の電話盗聴記録」が放映されて、あの番組は私が少女のころ(中学だったか、高校だったか)にも放映されて、うちのNHKドキュメンタリー好きの母が「これは必見!」と気合入っていたので、放送されたときのことをぼんやりと覚えていたのですが、先日、再放送されたときに、あれに登場する「将校の奥様」の日本語が妙に訛っているのが気になったのです。

 昔の「奥様ことば」ですから「・・・・・ございます」なかんじだったのですが、なんかイントネーションが今の奥様よりも平たいけど、でも、昔のテレビドラマの奥様も、こんなイントネーションだったかも・・・・と思っていたのですが、犬養道子のイントネーションがまさに「それ」でした。

 今の私が聞くと、ほんとに変なイントネーション。関西っぽいかんじと言えなくもないんだけど、いわゆる京都弁とも違う。どっちかというと、やや関西なまりな鈴木先生の喋りのほうが標準語アクセントに近かったと思えたくらい。
 で、全体のアクセントの置き方も、ちょっと尻上りなのだが、単語で分解してみると、「イマドキの若者は尻上りイントネーションというか平坦な発音」というのに近い。それって、要するに「方言っぽい」印象なのだ。

 ちょっと前の東京ってのは、いわゆる「NHKのアナウンサーみたいなアクセント」を獲得してはおらず、犬養道子みたいな超お嬢様でも、あんな田舎っぽい喋りだったんだ。だって「鈴木先生には、うちの父も学習院で英語を習いました」っていう人があんな喋りなんですよ?

 あのアクセントを文章で表現するのは難しいが、「226事件」での奥様も、______ / なアクセントだった。私は方言に明るくないが、ちょっとトウホグ弁に近い感じだ。

 たぶん、今の東京弁だと、「すごいですね」と言うときに、               _^^ヽ / (ひゃー、苦しい発音表記)
 昔の東京弁は       ____ / となっているようなかんじだった。

 奥様お嬢様言葉は、昔はずいぶん、平坦というか、田舎っぽかったのかもしれない。
 でも、たまたま「246事件」(違うよ君・・・・でも、自分のツボにはまったので残しておく)の奥様と犬養道子がそういうイントネーションだっただけかもしれない。でも、かなり興味がわいたし、私が言語学だかなんだかを研究している人だったら、NHKに乗り込んで「保存してある昔の番組全部見せろ」と言いたくなるような面白さであった。

 要するに言いたかったのは、たかだか40年前の会話でも、「ええ?こんな喋り方?」なシロモノだったのである。
 あの当時の犬養道子が今、ファミレスのバイト店員として蘇ったら「正しい日本語」を危惧する人々は「だーから、いまどきの若者は」と憤ったことであろう。言葉は刻々と移り変わっているし、だから、今更、源氏物語の原本を見ても、さっぱりわけわかんないし、あの当時にその言葉がどういうニュアンスで使われていたのか、研究するのが楽しいのではないか。

 夫と妻も入れ替わっちゃってるんでしょ?
 「気の置けない人」や「転がる石は苔蒸さない」の評価が為替相場よりも乱高下している事実を嘆くよりも、そうして言葉の意味が移り変わっていく面白さや恐ろしさを楽しむほうがいいと思うんだけどな。
 だって、そういう変化は昔だと、とっても時間がかかったのに、今ではテレビの影響でマッハの速度なんだもん。
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