可燃物な日々

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2月29日(日)

 都内某所で、親会社の社長がお客様向けに講演会をするので、その見学に行く。もちろん出勤扱いよ。
 しかし、出勤扱いなだけに、ほんとーは午前の回に行ってから、出社すべきであるが、しかし、午後の回もあるもんだから油断してしまい、寝坊してしまったというか、起きたのだが、「ま、いっか」と寝直してしまったので、お昼ごろ到着して、軽く昼食を食べて、イベント会場の近所をブラブラ散歩。

 やっと「丸ビル」に入ることができた。
 実はワタクシ、丸ビルがどこにあるのか知らなかったのです。
 だって、旧・丸ビルに用事なんてなかったし、それがどうやら歴史的建造物であることを知ったのは、建替えが話題になったときで、そのときにも「あの辺りはけっこう古いビル多いから、どれがどれやらわたしにゃわからんよ」と思っていたのでした。

 そんで、東京駅周辺に用事なんてなかったので、丸ビルのリニューアル・オープンが話題になっても、わざわざ行く気にもならないのですが「まあ、そのうち、行くこともあるだろう」と思っていたのですが、たまたま金曜日の飲み会のときに丸ビルの話題になり、(日曜にイベントに来たお客さんたちがイベント後に丸ビルに流れるのだろう、とかそんな話だったかな?)、私が「実は丸ビルがどれだかわかんない」と告白したら、ハイジが「あそこでディナー食べたとこがある」と言ったので、「くっそー。負けてしまったわ」と思ったので、それがなければ今日も行かなかったかもしれない。

 ちなみに、ハイジはクリスマス・イヴには第九に行ったりしていたが、かなりコンサバなデートをしているようで、ほんとーに生真面目なヤツだよな。つーか、あれが普通なのか?

 東京駅のどっち側が「丸の内」と「八重洲」なのかよくわからくなっていたのですが、駅に近づいてみたら、大きなビルが見えたので「これかな?」と思ったら、それって郵便局の向い側だったんですね。あそこの郵便局だったら知ってるよ。だって、その裏の博報堂にはよくお遣いに行ったもん。
 へえ〜、丸ビルってここにあったのか、昔のビルの印象が皆無なのはなぜなんだろうか?地味だった?

 で、丸ビルですが、想像以上に(てゆーか、な〜んにも想像してなかったのだが)よかったです。
 外光がたっぷり入るデザインなので、デパートみたいな閉塞感がないし、そんなに広くないし、ややこしくもないので、六本木ヒルズよりも買い物心が背中を押されそうな感じでした。ヒルズだと、お店とお店の間でいったん外気を吸ってしまうので、その間に頭を冷やしてしまうような気がする。
 昔、デパート勤務の友人と話していたときに、デパートのそういう戦略の話になって、なるほどと思ったのは「時計を置かない」(お客様に時間を忘れてほしいので)、外を見せない(現実を忘れてほしいので)などだったけど、最近の流行はわりと外を見せる方向みたいだな。たぶん。あまり行かないからエラそうに言えないけど、わりと吹き抜けや外光が多用されているように思えるし、それが開放感を感じさせるので「キモチよい気分で買い物できる」のであるが、でも、そういう建物は外に向かって開放されているように見えても、巧みに中に閉じ込めているような気もするのだ。

 だって、デパートの中にいて、「お腹空いたね」とか「お茶でもしよっか」というときには、なんとなくデパートの中で済ますよりも一旦外に出たくなったものだが(中に入っている飲食店が混んでいるし、狭いことが多かったのもある)、イマドキのそういう建物は、逆に中にいたほうが快適であるように思えるし、明るい吹き抜けの真下にあるオープンテラスのカフェだったら入りたくなるじゃん?

 で、ヒルズはたぶん、その結界の張り方がゆるすぎると思うのだが、でも、元々そんな結界を張るつもりもないのかもしれない。

 というわけで、丸ビルで30分ほど時間を潰し、「ほお、コンランショップつうのは、こういうものなのか」などとお勉強してから(コンランショップにも一度も入ったことがなかった)、イベントに向かった。
 夕方開放されたのだが、「今日の私のお仕事は、銀座近辺のリサーチ」と決めて、超久々にプランタンやマリオン内を歩き回りました。
 最近は「全身ピンクハウス」な人を見かけなくなったが(コミケに行くと目撃できると数年前に聞いたけど)、プランタンにはインゲボルグも入っていた。
 あいかわらず、店員の「全身ピンクハウス」ぶりが怖い。でも、あそこの接客マニュアルは昔と変わらないようで、あまりしつこくくっついて来ないので(冷やかし客がすぐに判別できるからな)、安心して作品鑑賞することができる。

 私のような「足首より上は人前で晒したくない」という人にとっては、「いざとなったらピンクハウス」というのが定説である。あそこには中途半端な丈のスカートがほとんど存在しない。
 友人も昔「ピンクハウスで柄無しの買えばいい」と言っていたが、最近は「コム・デ・ギャルソン」を愛用してるらしい。たしかに、あそこにも長いスカートが多い。でも、けっこう妙なデザインが多いのだが、でも全部がそうじゃなくいので、平凡なシルエットのを選べばいいのだが、でも高いんだよな。あと、洗濯できないんだよな。

 やっぱし、洗濯機で洗えるという点では、プリーツ・プリーズに勝るものはないらしい。
 でも、自分があれを着るとどんなことになるのか、全く想像できないので、今だに試着に挑戦したことがない。

 日が傾くまで、デパート・ホッパーしていたので、ぐったり疲れた。また何も買わなかった。
 でも「そろそろ春物買わなきゃ」と、かなり追い詰められてので、この気持ちをじっくりと煮詰めていけば、そのうち炸裂するであろう。
 だって、春物がびっしり並ぶ中を冬物で身を固めてとぼとぼ歩いていると、オフィス街をとぼとぼ歩く浮浪者や、学生街をとぼとぼ歩く浪人生の気分もこんなかんじなのかしら?という気分になるので、「いーんだ、いーんだ、あたしなんてどーせ」という気持ちと「このままではいかん」な気持ちが交互に出現してくるわけだよ。

 しかし、そんな消費の街である「あの辺」であるが、チャンスセンターの前は、相変わらず違う空気に包まれていて微笑ましかった。あそこらでは、その昔はよく赤尾敏先生が街頭演説してたよな。猿回しのタローとジローもよく人垣を作っていたよな。今はどういうパフォーマーが出現しているのか知らないけど、あそこはあそこで結界を張っているのかもしれない。
2月28日(土)

 昨日は、また飲んでしまい、だるい。
 なにもやる気がしなくて、ゴロゴロしていた。
 ここんとこ、なんとなく無気力というか、まあいつもこんなもんだとも言えるけど、それにしても、なんとなく倦怠感というか「倦怠期」ってかんじだ。「メシ、フロ、寝る」な日々。メシには酒も含まれる。

 ごろごろしながら、前にMちゃんに借りて、大爆笑しつつ読んだ「機上の奇人たち」をまた読み返してみた。
 へらへら笑いながら、とうとう全部読んでしまうと、もう夕方になってしまった。

 そーいえば、オウムのショーコー氏の裁判の判決が出たけど、まだ彼は48歳だったのか。
 するってえと、逮捕された9年前は、まだ39歳。今の私と同じくらいだったのか。ふーん。
 彼は公判や弁護士の接見でも、ほとんど会話らしい会話をしなかったそうだが、それが本当に精神的に篭ってしまったのか、わざとやってんだかよくわからなかったのだが(マスコミの人たちもよくわかんないみたいで、そういう事実を述べるだけで、彼の心中をあれこれ推測する報道は少ない)、今日の自分の無気力状態を考えてみると「あと、9年くらい、このままボーっとしていることが可能かもしれない」と思ってみたりした。

 私がなんとか社会生活を営んでいるのは「働かないと生きていけないから」という動機が大きいけど、彼の場合はそういう心配がないし、どっちかっていうと無気力状態で裁判に協力しないほうが長く生きられるのかもしれないので、ああしてたほうがいいのかも。

 でも、たぶん控訴するんだろうし、そうなると、また何年も拘置所暮らしだ。すごい修行だよなあ。最高裁で争われるころには、ほんとーに解脱してたりして。

 宗教関係といえば、オウムが世間を騒がせていたころに、とある友人が「ああいう顔の人についていくキモチがぜんぜん理解できない」と言っていた。まあ、たしかにお世辞にもハンサムではななかったけど、わりとああいう田舎っぽいルックスに心を開く人ってけっこういるような気がした。あまり弁舌も爽やかじゃなかったので、朴訥なかんじがしのかもしれない。それに、側近を美男美女や頭の回転速い人で固めておけばいいわけだし。今のブッシュ政権もそんな印象だ。教祖様は都会のエリートっぽくないほうがいいみたい。(大川隆法はどうなんだろ?)

 今週のワイドショーで話題になった「教祖様」と言えば、十数歳年下の女優さんと結婚していたことが明らかになった人がいた。その教祖様が、泥沼離婚裁判中の渡辺謙の奥さんにお金を貸してたということで、ワイドショー的には、今後も期待を寄せられる話題だったし、記者会見した女優さんが、まるで皇室に入ったかのような口調で答えたので、(僧侶の妻としての責務がどうちゃらとか)「ひゃー、すげえな」と思ったのだが、でも、ワイドショーもかなり言葉を選んでいたが、その教祖というか僧侶様のルックルがこれまた・・・・・かなりスター・ウォーズの登場人物チック。

 しかも、私の観た番組では、なぜか突然アントニオ古賀氏が「教祖と友人」ということでコメントを寄せており、それだけならいいんだけど、わざわざ自慢げに電話をかけて「せんせー、オメデトウございます」なんていうやりとりを公開していたのだが、アントニオ古賀というだけで「なんか酸っぱい」と思うのに、いったい彼はなにをしたかったのか?ちなみに電話をかけられた教祖様のほうは「はあ・・・まあ・・・・ええ・・・・」と適当にあしらってました。

 渡辺謙周辺は今後も見逃せないことになっているらしい。その間にも「バットマンの悪役に抜擢」なんてニュースが絡むので、仕事が絶好調のときに私生活絶不調というストレスで病気が再発するのではと他人事ながら心配になってしまう。

 話は変わりますが、ずいぶん前に某友人が「ブロッグっていうのを始めた」と言ったときに「なにそれ?」と聞いたら、「今はこれが最新なんだ。すごいんだ。流行なんだ。日記みたいだけど、ただの日記ではないのだ」というような説明をされて、結局それがなんだかよくわからないままに、世間でも話題になったので「そーいえば、あれか・・・」と思ったのですが、先日また同じ友人が「おーくっとだ!」と言い出したので、またちゃんと説明してくれないのはわかっていたのですが、「なにそれ?」としか言いようがなかったので、そう聞いてみますと・・・・・

 googleの人が作ったシステムで、なにやら出会い系みたいなもんらしい。
 そんで、それをやっていると、大物と呼ばれる人が、誰と友達なのかがわかるらしい。
 でも、その「大物」っていうのは「IT業界の大物」という意味らしい。

 パソコンを主にフリーセルで費やしている人間には、あまりノれる話題ではありません。まあ、でも、たしかに、そういうのがちょっと話題になっていることには思い当たったので、「はあ、なるほど」と思っていました。

 でも想像力が貧困なので、「それって、昔の女性週刊誌によく載っていた『芸能界相関図』を思い出すね?」としか言いようがなかったのですが、どうも説明を聞いていると、そのサイトではさらに「知人を評価」したりできるらしい。

 ええと、それはヤフオクで評価つけるようなもんなんでしょーか?
 でも、「出会い系」で「評価」っていうのも、ずいぶんあからさまな・・・・どう評価するのだろう?「すぐにヤラせてくれました」とか「フグを奢ってくれた気前のいい人でした」とかかな?

 まあしかし、それは会員制でいまのとこ「セレブ向け」みたいになっているようなので、ブログみたいに、「きゃあ、きょうみちゃんまで始めてしまったわ」(彼女の自分用メモ帳な使い方が一番納得できるのであるが)というような事態になることもないだろう。

 というのは前フリでありまして、先日、ネットでその「おーくっと」に言及しているところがあったので、「ああ、これかあ」と思ってぼんやりと読んでいたところ、その「Orkut」っていうのが開発者の名前であることがわかった。
 わー、Orkutなんてファーストネーム初めて見た。いったい、どこの国の人なんだろう、と思ったが、なんと苗字が「ブユコッテンBuyukkokten」

 北欧系の名前なんだろうか?えらく濃いぞ。なんだか豚の背脂が浮いてそうな・・・・・
 そういう意味では「おいしそうな名前」だとも言える。「とんこつラーメン ぶゆこってん」なんて店があったら、ちょっとチェックしちゃいそうじゃないですか。「創作料理 ぶゆこってん」でも「和風居酒屋ぶゆこってん」でも「炭火焼 ぶゆこってん」でもいけそうだ。

 世界には、まだまだ私が一度も聞いたこともない名前が沢山あるんだろうなあ、と思ったら、ちょっとだけ生きる希望が上昇したので、ぶゆこってんさん、ありがとう。でも、結婚してくれって言われたら、ちょっと考えちゃうかもしれないけど・・・・(とりあえず、会社では旧姓を使うな。電話で名前を何回も言い直す手間を考えると・・・・)もし、北欧系ハンサムさんだったりしたら・・・・ちゅうか、男名前なのか女名前なのかも判別できない。
2月26日(木)

 朝起きたら、ちょっとゲリピー気味で、たいしたことはなかったのだが、「今週はヒマだし、有給も残ってるから、やっすんじゃおっ」
 お天気がいいから、布団干したり、洗濯したりしています。
 そんなもん、ちゃんとした休みの日にいくらでもできるでしょーに、と自分でも思いますが、「たいしたことない体調不良で会社を休んでしまったヤマしさ」が家事へと向かわせるようです。


 さて、暇だから、昨日とうとう買ってしまった「負け犬の遠吠え」の感想文でも書きやしょう。

 なんだかんだ言っても、自分も「未婚、子なし」であるので、無関心ではいられません。
 しかも、この「負け犬」という言葉が一人歩きしているようで、なんとなく不愉快だったし、そのままこの言葉が一般に普及してしまうと、会社の飲み会などでも出てきて、怒りのあまりにまた飲みすぎてしまう危険もあったので(怒らなくても飲みすぎるのだが)、その前になんとかしておこうと思ったわけです。なんとかしておこう、というのは「潰してやる!」という意気込みではもちろんなく「自分の中で、ちゃんと整理しておこう」ということであります。

 ちょうど、今週発売の「アエラ」と、そのライバル(なのか?)の「ヨミウリ ウィークリー」が揃ってそのあたりの記事を巻頭に持ってきていたので、久々に買って読んでみました。
 アエラは「負け犬」というよりは、「負け犬男」の特集ですけど(「負け犬」特集はもう済んでしまったらひい)、女性が結婚しないのは、負け犬男が増えたせい?という着目で、結局は「どっちもどっち」というような結び方でした。
 まあ、こういう記事って、なんとなく実例を挙げていくと、なんとなく何かがわかったような気になるけど、全然わかんないという暇つぶしであって、「そういう人もいるだろう」ということがわかるだけなので、それ以上のもんでもない。

 そしてヨミウリのほうは「シングル女性 40歳の仕事、カネ、男」というお題なので、こっちはアンケート調査したらしく、そのグラフを多用してますが、「仕事に満足してるか」とか「貯金額」とか持ち家を持っているかとか・・・・ありきたり。
 でも、仕事、カネ、家ということだけなら、私ってほんとに「フツーの30代後半独身女性なんだな」ということがわかりました。仕事→まあまあ満足、カネ→平均並貯金額で全然運用してない、家→賃貸アパート。
 なので、このアンケート集計はちっとも面白くなかったのですが、たぶん「40代独身女性以外」が観ても、特に意外なもんでもなく「こんなもんなんだろうな」って思うだけでしょう。

 そんなんで、ヨミウリのほうは「読み物」としての体を成してないように感じましたが、その中で、ご本尊の酒井順子氏が「負け犬必須アイテム」を挙げている囲み記事が載ってました。
 家、ペット、負け犬の先輩、崇拝者、ゲイの友達・・・・・・なんだって。
 そうなんですか・・・・・

 家はまだ購入する気分にならないのですが、このままマジメに働いてると、けっこう貯金が溜まりそうな気がしてきたので、気分次第では買ってしまうかもしれないが、買うリスクというのもあるので、用心深い私はなかなかその気にならないかもしれません。
 ペットはゴキブリでもいいんでしょうか?
 先輩かあ、あんまし身近に先輩はいないなあ。そりゃ、会社にも40歳以上独身は何人かいるが、なんか趣味が合わないというか、あまり交流する気になれません。
 崇拝者・・・・この日記を読んでいる人を崇拝者ってことにしておこう。あ、でも男性じゃないとダメみたい。会いたいときに会ってくれる茶飲み男友達ってことらしい。で、常時複数は確保しておきたいが、多すぎても面倒なんですと。
 ゲイの友達・・・・いますけど、なにか?

 うーん、なんだかしっくり来ない。
 やはり、ちゃんと本を読んでみないとダメかあ、と観念して、とうとう読んでみました。

 しっくり来ないわけが、なんとなくわかりました。
 こういう「人類の中で、ちょっとした分類をしてみて、その種族について語る」際には、「これはギャグである」という態度をとっておくのが鉄則です。昔流行った「マル金、マルビ」などの「人間を金持ちと貧乏に分けて対比」というのも、それがあらかじめ「無理な分類だけど、ちょっとありそう」なところをつついているから面白いのであって、それを作者がマジメに信じていては(そんなわけないけど)面白くない。ってゆーか、金持ち父さんみたいな別の意味のものになってしまう。

 たしかに、女性を「ちゃんと家庭を持っている人」と「独身貴族な人」で分類すると、なんかそれっぽくなりますが、それはあまりにも大雑把な分け方なので、「負け犬」の範囲が広すぎるのです。ご本人も書いていて、ときどき無理を感じるらしいのですが、思い切ってもっと狭い括りにするか、「まる金、まるビ」みたいな両極端で笑いをとるとかにすればよかったのに、と思いました。
 でも、そうする気はないようで、ハナコ族が30代後半になっちまった人たちを主題に進めていくので、ちょっと辛い。ってゆーか、共感する部分よりも「こんな人たち、あたしの周りにはいない」という部分のほうが強いのです。

 いまひとつよくわからないのが、「負けた」と思っていたほうが人生ラクだという発想で「負け犬」「勝ち犬」というネーミングをしているようなのですが、やはり「勝ち犬」には下手に出るフリをしても絶対に負けているとは実は思っていないらしいあたり。要するに、この本で描かれている「負け犬」とは、異常にプライドが高いのです。
 もちろん高学歴、高収入で、服の趣味もいいし、食事にもうるさいらしい。

 たぶん、作者自身がマスコミ人なので、そういう独身女性はその世界ではかなり多いのでしょう。
 私もかつてはマスコミ業界に属していたので、フリーで活躍する独身女性が多いのは知っています。
 でも、他の業界には、実はほとんどいないんですよ。たぶん・・・・
 いや、もしかしたら、「平凡な人生を送っている」と信じている私の周囲が特殊なだけかもしれませんけど。

 でも、アリーとかブリッジット・ジョーンズの日記を観て、「ああ、私も同じだ!」って共感すんのかなあ。
 しねーよな・・・・

 ただ、わかったことは、この酒井氏の世界観の中では、私がトレンディ・ドラマを観て「こんなキャリア・ウーマン観たことねーよ」と思うようなキャラが沢山実在しているらしいということです。
 うーん、たしかに高学歴、高収入で美人なのに、「でも負け犬なの」っていうことなのか・・・・・やはり全然共感できない。結局、エリート自慢なんだもん。

 そういう「卑下」と「自慢」が妙に雑然と交錯しているので、やーな感じがするんだな。
 それで、そういう「エリート女性の嘆き」を「未婚女性全般」に摩り替えるから、しっくり来ないんだよなあ。

 うーん、あえて何かに置き換えてみるとしたら、アメリカの金持ちが書いた「アメリカ人は負けている」って本ってかんじかな。
 自分はなにもかも持っているがアメリカ人というだけで、世界から敵視されてる。
 それが悲しいのだが、アメリカ人に生まれてしまったからしょーがない。
 他の国に移籍するって手もあるが、なんか他の国もちょっとなあ。
 それに、イラクみたいな自由じゃない国とか、アフリカみたいに満足に食事もできないとことか、日本みたいにデカい車で思いっきり走れないところは嫌だしなあ。といろいろ悩む。
 それに、みんなアメリカを悪く言うけど、アメリカこそが世界の経済を動かしているのだし、いろいろと援助活動もやっているので、けっこう役に立っているのだ、それなのにアメリカ人が諸悪の根源だと思われてて悲しい。
 そういうストレスを和らげるために、ペットを飼ったり、歌舞伎観に行くアメリカ人は多い。
 この間「アルマゲドン」を見て、「そうよ、私も同じなの。これぞアメリカ映画」と感激して友達にも勧めてしまった。
 尊敬されたいと思うから、疲れるのであって、最初から「アメリカ人は負けてる」って思えば、けっこう幸せに生きられると思うの。
 アメリカは世界一だなんて思わないで、みんなもっと気楽にやりましょう。

 ええと、たぶん、そういう本でした。




 さて、今日はまた20度近くまで気温が上昇したようで、布団も充分干せて大満足。掃除も捗りましたが、つい本棚に突っ込んである細かいものを全部床に撒いてみたら、けっこうな分量で、それらをちまちま整理しているうちに、ふとテレビをつけてみたら、「窪塚君だしなあ」と思って2回くらいは観たけど、その後全然観なかった「漂流教室」の再放送を放送していて、たまたま最終回だったので、しっかり観てしまった。
 なんだ、常盤貴子は死んじゃったんだ。なんか、キムタクと共演した車椅子ドラマみたい。

 さて、さっきまで自分の書いたものを読み返してみて、「うーん、なんかすっきりしないなあ」と思いましたが、考えてる過程を残すのも、この日記の目的の一つでありますし、それに私はいつも考え出すと止まらないけど、考えてる途中で飽きてしまったりするので、これはこれでいいのかもしれない。

 「負け犬の遠吠え」については、先ほど書いたように、私のように「ぼけらっ」と生きているうちにこういう風になった人にはあまりアピールしないけど、「自分こそ負け犬!」と思う、歌舞伎鑑賞や着付け教室に精を出して、マンション購入が具体的なことで、ペットOKマンションのパンフを真剣に眺めている人には、そこそこアピールするだろうし、なによりも「モテない30代男性=男の負け犬」には、「やっぱ、あいつらタカピーじゃん」と納得されると思うし、不倫願望のあるオジサマたちにとっては「そうか、彼女らは、同世代のつまらん男よりも、遊び方を知っている大人の男が好きなんだな」と「大人の週末」などを読んで勉強する際のモチベーションを高めることができると思うので、「さすが、話題の本だわ」ということでいいのではないかと思いました。


 「エースを狙え」実写版を観ていたのですが、宗方コーチの浴衣がやっぱし「蜘蛛の巣」柄だ〜〜〜〜〜
 やっぱ、そういう重要なポイントをわかって作っているようなので、なかなか面白いじゃん。
 このドラマ、あんましチェックしてなかったのですが、宗方コーチ役の内野聖陽の演技がクサくていいですね。
 宝力さんがベッキーだというのも妙に納得のキャスティング。

2月25日(水)

 足腰の調子はそう悪くないようだったが、「スポーツクラブはやめとくか」と思って、替わりに映画に行った。水曜日だし(女性1000円)
 映画の開演が8時45分だったので、それまで港北SC内のユニクロとかGAPとかMUJIなどをブラブラ散策して、「もう、お洋服の世界は完全に春なのだわ」と、パステルカラーが花咲くお洋服屋さんで時間を潰していて、気に入ったものを何点か試着してみたりしたが、デザインは良いけど着心地がいまいちだったりして、(スリットが浅くて足がちゃんと開かないとか)結局、春物服を全く買うことができなかったので、別に買い物に行ったわけでもないのだが、そうなるとなんか買わないと気がすまなくなり、本屋に行ってみた。

 雑誌でも買えば「なんか買いたいキモチ」は収まるのではないかと思ったのだが、ふと魔が差して「負け犬の遠吠え」を買ってしまった。その他2冊買ったのだが、レジの兄ちゃんは、ぼけらっとした若者で「ありがとうございました。またお越しくださいませ」というマニュアル通りの接客を実に心がこもらない調子でロボットのようにこなす、というかアシモのほうがもっと心がこもっているような気もするという、実にイマドキの店員であったが、なぜか「負け犬・・・」にカバーをかけながら、私のほうをチラリと見たので、

 「うーむ、この本を買う年代が決まっているので、やっぱし、とか思っているのだろうか?店員の休憩時の話題になってたらヤダな」

 と思ったが、まあ熱心な店員なら、いまどきハードカバーをまとめて3冊買う客の傾向は把握しておかないといけないだろうし、売れ筋の本と一緒に何を買うのか、興味を持ってしかるべきであろう。

 そこでハタと気がついた。しまったセレクトを間違えた!
 彼がカバーをかけてくれた次の本は高橋源一郎の「私生活」だったのである。最近は高橋源一郎の小説も読んでいないのだが、昔はけっこう好きだったし、まあ実際は小説よりも、彼の世界を映画化した「ビリー・ザ・キッドの新しい夜明け」という映画が大好きで、友達と一緒にハマって何回も観たりしていたのであった。(三上博主演だが、そのほかも室井滋など豪華キャストてんこもりのB級映画)

 あまり高橋源一郎のエッセイは面白くないと思っているので、買うわけないのだが、ついつい、表紙の半分を占めている帯に吸い寄せられてしまったのである。
 「これを書いている間、二度結婚し、二度離婚した。死ぬかと思った。」

 あまり詳しくは知らないが、けっこう私生活でゴタゴタしていたのはなんとなく知っていたんだけど、先日Mちゃんと話していたときに、そのゴタゴタにも荷担した元奥さんの本の話になり、そのとき初めて「え?室井佑月だったんだ?」と知ったのであった。朝のワイドショーにコメンテイターとして出演しているので、たまたま知ってた。そんで、Mちゃんによると、高橋源一郎は4度結婚して4度離婚しているらしい。

 「はあ、そうなんですか」としか言いようがないが、そんな前フリもあったので、なんとなく買ってしまったのであった。

 しかし、話は戻るが「負け犬」に合わせて「二度結婚して二度離婚した」という文字がデカデカと書かれている本というのは、店員にどういう印象を与えているのか、心配になる。「えっと、あともう一冊は・・・」と慌てて自分のセレクトを振り返ると、それは「甘美なる来世へ」という邦題も小さいフォントの海外文学。翻訳者の柴田センセー買いである。

 この本にカバーをかけながら、アシモ未満でアイボ以上の頭脳を持っていると推測される店員君の目がちょっと虚ろになったような気がしたのは自意識過剰なのかもしれない。わりぃね、判断が難しい本を添えちゃって。

 そんなわけで、本屋の後は軽く食事をしてから、「ラブ・アクチュアリー」を観た。
 「ブリジット・ジョーンズの日記」や「フォー・ウェディングス」の制作チームの映画であるからして、期待していたのであるが、期待通りの映画だった。
 でも、登場人物やエピソードがとても多いので、一つ一つのストーリーの掘り下げ方が足りないような気がしたが、これは昔流行した吉本新喜劇の「ギャグ100連発」ビデオと同じで、とにかく5分に一回は「胸キュン」という荒業を目指しているらしい。

 日本のトレンディドラマ10本分(1クール11話×10という意味)を2時間に凝縮したようなかんじだった。
 鼻息の荒かったころの野島伸司がやろうとしていたようなことをもっと煮詰めて洗練させてユーモアも加えると、こんな感じになるのかもしれない。

 とにかく、このチームはキャスティングがいいと思うのだが、今回はやや美男美女の割合が多かったので「手抜き」だと思ったが、まあ人数多いからしょーがないか。

 とにかくエピソードが次から次へと展開するので、「これだけあれば、誰でもどっかで感動するだろう」と思った。
 しょっぱなの結婚式なんて素晴らしかったなあ。
 この監督というか脚本家は冠婚葬祭が好きらしく、結婚式にダブらせて葬式も出てくるのだが、出棺のときのBGMがッベイ・シティ・ローラーズってだけで私は泣いた。
 あと、英国首相役のヒュー様が、「そもそも、なんでこいつが首相なんだ?」という描写は一切抜かれている潔さで、フツーのダメ男ぶりを披露していた。ディスコ音楽にのって首相官邸の中で腰をふりふり踊りまくるシーンが笑えた。

 核となるエピソードが無いというのもすごいけど、往年のロックスターはキース・リチャーズやデヴィッド・ボウイなどの大物を何人か集約したようなキャラになっており、彼が発表するビデオ・クリップは、ロバート・パーマーが無表情なデルモ系美女をバンドとして侍らせた、当時有名だったビデオをモジっているのかな?なんて思ったりして、そんで、彼と「クリスマス・シーズン1位」を競うライバルが「BLUE」っていう人気若モンバンドで、「それは、BLUR?」

 こういう、細かいところに妙にこだわるのに弱いんだな〜、あたし、と再確認してしまった。
 ヒュー首相がクリスマス・イブに民家を訪ねると、お子様たちが「聖歌隊なんでしょ?歌ってよ!」と迫るので、しょーがないから、聖歌隊ナンバーを歌いだすと、後ろで眼光を光らせているSPが、ハリのあるバリトンで朗々とハモって絶妙のアシストをしたりとか・・・・、小学校で行われるクリスマス劇の中になぜかエビが出演するのも謎だが、タコもクジラも出演しているとか・・・・

 まあ、なんだかんだ言っても、笑いあり、涙ありのドタバタ映画で、それに極上のラブソングが絡み、そんで、なんだかんだ言っても、わたくし的にはラストでビーチボーイズの「God Only Knows」が流れた時点で「いい映画だ」としか言いようがなかったのでありました。
 ラストで「グッド・バイブレーション」が流れて、2回見て、2回とも号泣してしまった「テルミン」と同じ場所にしまっておこうと思いました。

 映画館にはカップルも多かったのですが、彼氏チームも楽しそうに笑っていたので、カップル向けとしても上出来だったのではないでしょうか?ミスター・ビーンも出てくるし。
2月24日(火)

 スポーツクラブに行ったのだが、膝から腰の調子がよくなくて、「これは無理しないでおこう」とすぐに引き上げて、「これはきっと、ソージ君の呪いだな」などと思いながらシャワーを浴びて帰ってきたが、なんと、超久々にギュウちゃんに遭遇!

 冬前にいつも「地縛」していた場所から2メートルほどの地点にうずくまっていた。そこは、遊歩道なので、灯りも暗く、ほんとーに牛糞っぽかったが、でも、彼なのか彼女だか知らないが、「春なので」状態らしく、ちょっとだけ「ぶにゃ〜」と凄みのある声で鳴いていた。

 「動物のお医者さん」によるとH大学獣医学部近辺には春になると牛糞が撒かれるというエピソードを(ほんとなのか?)、ギュウちゃんの出現に本格的な春の音連れを感じつつ思い出してみたりした。

 ここんとこ、頭の調子がいまひとつで、「やはり花粉脳症か?」と花粉症に苦しむ人たちに飛び蹴りされそうなことをほざいているのであるが、読書も遅々として捗らないし・・・・でも、それは「ハリポタ」の原書にチャレンジしているからで、とうとう「炎のゴブレット」の洋書に手をつけて「これで、屋敷しもべ妖精の研究をしよう」と思って、ドビーが登場するあたりを拾い読みしようとしたのだが、なにせ全然英文に馴染んでないので、「あわわ、知らない単語がいっぱい」というありがちな状態になり、日本のポッタリアンの解説によると「わからない単語があっても飛ばして読んでいるうちに、話にどんどん引き込まれる」そうだし、たしかに、別に宿題でもなんでもないので、その通りだし、英文読書にそれなりに馴染んでいる人たちは決まって「多少わからない単語があっても」発言をするのもよく知っているが、なにせ英文に慣れ親しんでいたのが20年前の受験生時代であったので、ついつい「知らない英単語」に吸い寄せられてしまう悲しいサーガよなわけでありました。

 ちゅうわけで「知らない単語が出てきても、知らん振りしてとにかく前へ前へと前進あるのみ」という技を身に付けるために、しょーがないから、最初から読んでいるわけです。小説中の過去形が過去完了形になるのがウザいよ。ついつい、受験勉強の傷跡がぶり返し「ええと、これを普通の過去形に直すと・・・・」な〜んて時勢変換問題を考えてしまうので、なかなか前に進まないのであった。しかも、情けないことに、「過去完了形」になる動詞の活用をかなり忘れているので、出てくる動詞を見つめて「ええと、君は現世では、なんていう単語だったのかな?」などと首をかしげていたりするのでした。

 そんなわけで、ハリポタはときどき置いておいて、斎藤美奈子の「男性誌探訪」を読んで、ゲラゲラ笑っていたのでありますが、先日本屋に寄ったら、もう新刊が出ていて「文学的商品学」って本でしたが、こっちはイマイチだったかな。いや、内容がどうのといか、笑える頻度がって話なんですが。「文学的商品学」はちょっと内容的に昔書いてた流行作家論などの焼き直しが多かったし、その集大成としてはちょっと弱かった「そういや、片岡義男っていたなあ」と懐かしく思い出しましたが。

 そーいや、会社の近所のそこそこ大きい本屋に、銀行に行ったついでに覗いてみたら、「蹴りたい背中」と「なんちゃらにピアス」がもちろんドーンと平積みされてましたが、それよりも、その芥川賞受賞作がまとめて読めちゃうらしい、「文芸春秋」があちこちに平積みされ、レジ前にもかつての少年ジャンプのように(あたしが本屋でバイトしていたころの)崩れ落ちんばかりに積まれていて、「わー、こんな光景初めてみた」と感動した。

 あれだけ大量に出回ると、なんか読まなくてはいけないのではないかと、小心物の人間を不安に陥れますが、私は小心者ではないので、かつて村上龍先生の「限りなく透明に近いブルー」が芥川賞を受賞したときのことを懐かしく思い出したのでありました。

 あのころも、今みたいな感じで世間の話題をかっさらったようで、うちの母親も「読まなくちゃ」な体勢でしたが、当時は今と違って娯楽も少なかったのか、近所の主婦さんたちもけっこう読んでいたみたいで「○○さんが文芸春秋を買ったので、貸してくれるっていってたんだけど、お父さん、もう買った?」などと会話していて、その後結局、ご近所でちゃんtの単行本を買った人が出現して「こっちのほうが読みやすいわよ」と玄関で立ち話していたな。

 この話もすでに書いているかもしれないが、とにかくうちの母や近所の主婦が「もう読んだ?」「まだなの、これから」などと会話して盛り上がっていたので、興味を持ったのですが、母が得た事前情報では「どうも、すごい話らしい」
 「なんか、すごいのよね」「ほんと、すごいわ」
 という会話が玄関先や電話で交わされていたので、当時たぶん小学生(1976年だから小学校4年生?)だけど、そこそこ本は読めた私は「私も読みたい」という意思表示をしたのですが、

 「これは子供が読む本じゃないから、だめ〜」

 と言われてしまったのでした。
 賢い私はこう考えました。「難しい本だというだけだったら、親は『読めるもんなら読んでみろ』という態度をとるだろう」。それに、芥川賞というのは芥川龍之介の名前からとった「由緒正しい」賞らしいではいか。
 それなのに「お子様禁止」ということは、それは、それは、「18禁」な描写が含まれているってことだわね?

 つーか、うちの母は映画が好きだったので、映画館に連れていってくれたり、テレビで放映する映画もたまに見せてくれましたが、そのためには夫婦会議(というよりも一方的に母が喋っていて父が聴くだけだったが)が開催されて「子供に見せても大丈夫かしら?」ということが主に話し合われていたので、それが「濃厚なラブシーンを含むか否か?」という意味なことは早くから学習していたのでありました。

 つーわけで、「どうもエッチな描写があるらしい」と決め付けた私は、母が不在のときに、こっそりと「限りなく透明に近いブルー」を盗み読みしてみたのです。
 全部読む時間が無いので、パラパラと捲ってみました。なんでか知らんが「エッチなシーンはきっと会話が多用されているはずだ」と決め付けていたので、会話が多く存在するページを拾っていきました。てゆーか、きっと「ああ、だめ、そんなこと」とか書いてあるところを探せばいいんだな、と思ったのであろう。

 ふと、それっぽいところを探し当て、ちらりと読んでみたところ、そこはなぜか「ウサギを殺して鍋にして食べた」という下りでした。本当にそういう話だったのか、今だにちゃんと読んでないので不明なのですが、とにかく「ウサギはあんまし肉がないんで食べでがなかった」とかいう会話が繋がっていたような・・・・・

 そこを読んでしまったので「しまった!これはエッチだからお子様禁止ではなくて、残酷すぎるから禁止なのだ!」と思って、それ以上探索するのをやめてしまったのです。いや、ほんと、奔放な若者たちが、貧乏にあかして可愛い小動物を次々と鍋にぶちこむという「すごい話」なのかと思ったのです。ほら、筒井康隆の「ねこじる」の話みたいな・・・・

 おかげで、かなり大きくなるまで村上龍の小説には手をつけられませんでした。トラウマってやつですね。
 そんで、今だにデビュー作を読めないでいるので、ほんとうはどう「すごい」のか今だにわかんないのですが、せっかくの貴重な幼児体験ですからこのまんまにしておこうかなと思って、今に至ります。

 というようなことを「文芸春秋」の平積みを見て、在りし日の自分を思い出していたりしたのでした。
 思えば、あのころが自分の「思春期」の始まりだったのかもしれないなあ。

 まあ、そのトラウマが尾をひいているのか、その後も龍先生とは悪い出会いしかしていなくて(最初に読んじゃったのが「テニスボーイの憂鬱」だったってーのも最悪な出会いらしい。たしかに10頁で挫折。あと、私がテニスに夢中だったころによくゲスト解説者として呼ばれていて、自分の話しかしないオレオレ解説ぶりに激怒していたりとか。君の草テニスの話なんて聞きたくねーって)、大変残念です。まだ人生は長いので、そのうち「龍せんせー!すごいわ!こんなことなら、10歳のあのときにちゃんと読んでおくんだったわ!」と懺悔する日が訪れるかもしれませんが、あまり訪れてほしくないかも。
2月23日(月)

 土曜日はタニセさんの「飛ぶ劇場」のお芝居「生態系カズクン」を観に青山に行ってから、そのあとフレンチで食事して(S君が春から九州の大学に行くので、最後に行きたいというリクエスト)そのあと、バーで焼酎を飲んで、その後また河岸を替えて飲んで、家に帰ったのが2時過ぎで、翌日曜日は起きたら昼過ぎで、「なんか風がつえーなー」と思ってダラダラしているうちに二日酔いが解消したので、気持ちよく昼寝してたら暗くなり、「さー、日記でも書くかなあ」と思ってパソコンを立ち上げたが、フリーセルをやっているうちに目が疲れ、そのままゴロゴロしつつ寝てしまったのであった。

 だから、今日こそはちゃんと日記を書こうと思ったというよりも「月曜日は月9のプライドを見ながらお掃除するのよ」と決意して、会社でまた「頭中劇」を一生懸命制作していた。
 そう「お掃除アルゴリズム」を確立すれば、もっとお掃除するのではないかと、いろいろ考えていたのである。
 しかし、悲しいかな、あまりアルゴリズムについてよくわかっていないので、「お掃除アルゴリズム」と言っても「まず、家に帰ってもすぐに寝転ばない」という、それはアルゴリズムというよりも「ルール」だろう、なことしか思い浮かばず、「でも、ルールとアルゴリズムはそんなに遠縁でもないはずだ」とか自分に言い訳していたのだが、そうやっているうちに本題(?)からだんだん遠ざかっていき、ほんとうに「頭中劇」が始まってしまった。

 総司君「みやのさんは、オレのこと、そんなに嫌いなんだ!」

 みやの「ああ、総司君でも、宗二君でも、爽治君でもなんでもいいんだけど、あなたのことが嫌いなわけではないの!」

 嫌いじゃないんだけど、ソージ君ってなんか「いい人なんだけどねえ」という感じがするのは否めない。
 そーいや、全然関係ないけど、キョンキョン離婚が今日のワイドショーのトップニュースでしたね。キョンキョンは38歳だそうで、結婚9年目だったとか。
 「なんだ、9年後にやっと一緒のラインに立ったか。いらっしゃ〜い」と思った「負け犬」の皆様、お元気でお過ごしですか?私は元気じゃありませんようでございます。

 話は前後しますが、土曜日に観たお芝居は「青山円形劇場」でしたので、「あそこ行くの十年以上ぶり」と思ったのですが、最後に行ったのが「谷山浩子リサイタル」で客にちょっとコワい人が混じっていたのも記憶に新しいのですが、自分でチケットとったわけでもなく、友達の友達が友達を誘ったのですが断られ・・・・・って書くとなんだかよくわかりませんが、要するに私の友達T嬢(美人)に断られた某氏に、Tが「ミヤノさんだったら、そういうの好きかも」と言って私に引導を渡し、たまたまそのリサイタルのバックが窪田晴男とバカボン鈴木だったので、「それだったら行くよ」と私が行ったのでありました。(要するに狭いツボにヒットしたってわけ)

 で、そんときには気がつかなかったが、土曜の昼間に青山円形劇場に行くと、「ガキンチョがうじゃうじゃいる」たのでした。「子供の城」の一部分が「円形劇場」だったのでした。トイレも子供仕様が充実しているし、中でオシメ替えしているお母さんにも遭遇した。
 「そっかー、夜に来たときには子供の城は閉店していたのだな」とわかりました。

 というわけで「円形劇場」でお芝居を観るのは初めてだったのですが、いわゆる「上手、下手」と呼ばれる役者さんが出入りする場所が3箇所あり、その通路というか、いわゆる「花道」も三方向に伸びているので、舞台と客席との一体感があり、なかなか面白い空間になっていました。
 そして、演目はホームドラマチックにチャブ台を囲む家族(そのチャブ台は棺だったりするのだが)という図になっていたのですが、舞台が円形なので、役者さんたちはチャブ台を囲んで座ってもサマになるわけです。普通の舞台だと、「家族ゲーム」の食事シーンのように、向こう一列にならないといけないんですけど、舞台を囲むように客席があるので、あっちの客には顔が見えても、こっちの客には背中しか見えないという演出もアリ。

 そんで、役者さんも、わざとちゃんと発声しなくてブツブツと小声というか地声で喋っているのも、こっちの客には聴こえても、あっちの客には多分聞き取れないだろう、な演出をしていて、なかなか実験的なかんじで面白かったです。

 それで、芝居が終了してから、「子供の城」の中をちょっと彷徨ってから外に出ると、なにやら拡声器でガナっていて、人が大勢いるから「なんだろう?」と思ったら、お隣の青山劇場では、なんと「ゴマキのミュージカル」をやっているようで、その開場時でした。
 ピンクや黄色のイマドキの「小学生なファッション」に身をつつみ、父兄同伴の「小さいお友達」が続々と中に入って行く脇の広場で、全然ビビッドではない衣服に身を包んだ「大きなお友達」がトグロを巻いていました。

 「わー、噂には聞いていたが、モー娘系のライブってやっぱこーゆー雰囲気なんだ」と妙に感激。
 同行したS君は、その光景が気に入らなかったようで、「青山も軍隊を雇って、境界線を警備するべきだ」とかなんとかブツクサ言っていました。たしかに、アキバ族がアオヤマに乱入ってかんじでした。

 しかも、私の勝手な想像では「そーゆー大きなお友達」っていうのは孤独を愛する人たちなのかと思いきや、車座になって固まって、床にべったりと座り、タバコふかしてたりして「なーんか、マニアックなロックバンドのファンと同じじゃん」と見直しました。
 私もよく、旧新宿ロフトの外で、あんなふーに座ってタバコふかしてましたっけ。
 そんで、名前も知らないけど、いつも遭遇する顔見知りに「やあやあ」と挨拶してたりして。

 そんで、そのあと、まだ時間が余ったので、表参道の交差点のあたりをブラブラしてたら、おされなオープン・カフェがありまして、そこにはビッチリとおされな人たちが座っていて、みんなこっち向いて座っていて、私は「こっちの人たちよりも、さっきの兄さんたちのほうがお友達になれると思う」と言ったのだが、S君は「ぜったいに、こっちのほうがいい」と言っていたので、「居心地がいいと感じる場所」とは、人それぞれなんだな、と当たり前のことをまた確認してしまったのでありました。

 そんなわけで、今日はちゃんと帰って総司君とやり直そうと思ったのに、うっかり飲みに行ってしまい、今なんとか洗濯機だけ回しているところでございました。
 酔っ払っているので、あまりまとまりがございません。

 総司君は多分、いじけているはずです。「今日は早く帰るって言ったじゃんかよ」「だって、だって、副社長が『おー、じゃ、いっちょ爽やかに飲みに行くか?』って誘うんですもの」
 ちっとも「爽やか」ではなかったです。何度も言いました。「今日は爽やかに飲むはずぢゃあ・・・・」

 でもでも、なんか「爽やかな飲み会」というのが「ありえない」とわかっていたのに、なんかそのありえないものを目指すあたりのセンスに負けてしまったのです。弱いあたし・・・・・ごめんね、総司君。

 ふーベランダは寒かったが、仙太君終了。これで今週のパンストは確保!(って月曜日に遠吠えしている自分が悲しい。土日に何してたんじゃこら)
 あ〜ん、ごめん総司君、次回はちゃんと相手するから!

 と、新たな脳内お友達に加わった「総司君、仙太君」に頭下げながら今日も元気に生きています。

 あと、たぶん良二君(料理のことか?)も加えると「家事三兄弟」なんだろうなあ・・・・・

2月20日(金)

 昨日は寿司屋でサワラのシャブシャブを食べた。おいしかった。
 今日はスポーツクラブに行った。また体重が増えていた。悲しかった。

 おわり

 ほんとに、この2日間で書くべきことはそれだけなのだが、それだけだとなんだか悲しいので、穴埋め記事で水増ししてみよう。

 最近、海外での仕事が増えたというか、「海外での仕事の売上を増やすために投資中」なので、その手始めとして、先日はとうとう外貨オプションの契約もしちゃった。馬券買ったもんだから、毎日のようにドル相場をチェックして「そうかー、輸出業者のドル売りがどうのこうので、利益確定のドル売りがどうのこうので、政府の介入がG7がどうので、なんだかユーロがどうのこうのってゆーのもからんどるわけだね」などと、競馬新聞片手にG1馬の馬体重などをチェックしているような気分を満喫しちょるわけですが、それよりも、私が練習しないといけないのは「ドル預金の帳簿のつけ方」なのでした。

 誰も教えてくれないので、教科書片手になんとか帳簿つけてますが、今のところそんなに金額も多くないので、税理士も「そんなの期末でドーンと円に換算すりゃいいじゃないですか」と言っていたが、でも、教科書には「取引毎に円換算」という「時価会計」と書いてあるので、「よくわからんが、こういうふうにすればいいのだろうか?」とかなりいい加減にやってます。
 こういうときには自分の大雑把な性格が役に立つ。神経質な人がこれをやったら「いったい、どうすればいいの?」と大騒ぎするところですが、私は「まーいーや。決算時に税理士に確認してもらって、それで直そう。そもそも、税理士もあまりよくわかってない可能性が高いし」とドーンと構えているのでありました。

 ところが、その海外事業を担当している部署の部長が昨日急に「1億くらいドル買いを予約したほうがいいのでは?」と言い出した。
 1億ドルのわけがないので、1億円のことなのはわかったけど、ほんとにそんなにドルいるの?百万ドルでっせ?
 香港の夜景と同じなんですぜ?

 よくよく話を聞くと、そのH部長が社長に「数千万円」と言ったのに、社長は大雑把に「じゃ、1億もあればいいのか」と言ったので、私のとこに「ドルを1億円」っていう話として伝わったようで、「あの〜、だんだん話が大きくなる癖は是正していただけませんでしょうか?」と小さい声で言ってみた。

 まあ、それでH部長と昨日の寿司屋でも話をしたのだが、彼はイケイケな性格なので、「ドルでの取引が多くなるので、相場に翻弄されると売上の目処が立たないし、それに、うまく運用すれば売上が大きく変わってくるではないか!為替利益でずいぶん儲けられる!」という趣旨のことをまくしたてていた。
 たしかに夏頃に数千万円のドル買い(ドルでアメリカに送金)をする必要はあるようだが、でも為替ってバクチだから、予約しておいたからってボロ儲けできるとは限らない。大損する可能性も大きいのである。

 なので「確かに、その可能性もあるけど、今の状況だと、この先どうなるのかさっぱりわからないじゃないですか?」と言ってみたら、H部長と社長で「秋の大統領選でブッシュが負けたら、どうのこうの」と話始めたのだが、私にゃーブッシュが負けるとドルが上がるのか下がるのかもよーわかりまへんです。

 そもそも為替で利益を得ようという魂胆が気に入らん。
 私もそういう方面はシロートなので、うまく説明できなかったが、まず先にドルで買った商品をいったい、いくらで売るつもりなのか?商品の円建ての金額を確定すれば、ドル買い予約して利益確定することができるので、それはそれでいいのだが、今の時点でいったい、いくら輸入して、いくら売るのかそれすらも決まっていないのに、為替うんぬん言ってる場合なのだろうか?

 しかも、去年もちょっとだけ扱ったその商品は、品物を売るものではないので、お客様にはドル建てで提示してて、その間に円が10円くらいドドドっと下がってしまったので、客の一人が「円でこの金額だと言われたが、そのレートは悪い」と言い出し、その部署の担当者と「ドル建てで提示すると、こういうことがあるから難しいねえ」と悩んでいたのであった。
 要するに旅行を扱うようなもんで、たとえば「このホテルは一泊1万五千円です」と提示しても、客がその気になれば、そのホテルが直接提示しているドル建ての金額を調べられるので、「一泊100ドルのはずなのに、高いのでは?」と言われてしまうようなことが起こるのである。
 もちろん、うちの会社が金額を提示した時点よりも、円が安くなれば客は文句を言わないが、でもそうなると会社が損をする。

 そういう為替のややこしさをなんとかするノウハウを誰も持っていないので、けっこう大変。
 とりあえず、ドル預金を作ってはみたが、それだけでOKな話でもなく、いつの時点でドルをキープしておくかが難しいよなー。

 まあ、輸入出業者はそれで苦労しているんだろうけど。
 前にも派遣で輸出業に関わったときに、ちょうどアジア通貨ショックだかなんかのときで、外貨で持っていたシンガポール・ドルだかのアジア通貨がどんどん下落していくので、担当者が部長に「どうしましょうか?」と相談してて、その下落ぶりを見せていたが、部長も「うーん、困ったねえ。まあ、このまま持っててもしょうがないから、少しレートがよくなったら売るしかないよなあ」と歯切れ悪かった。
 日本有数の大企業の子会社である輸出会社でも、そんなもんだったもんな。

 それでも、そういう仕事を長年やっていれば、ある程度の判断力っていうか、勘というか、「このあたりで妥協しとこ」という感覚が育つとは思うのだが、うちの会社の場合にはほんとに誰もちゃんとわかってない状態なので、「為替」のことを語るだけでも大変。
 だって新聞で「今日のドルは107円」って書いてあっても、実際にドルを買う金額はその金額じゃないということをわかってる人がいないんだもん。

 というわけで、手探り状態がしばらくは続きそう。あーあ。

 手探りといえば、今度また会社の「主任クラス」を集めて業務報告会を開くことになって、それはまた部長クラスの発案なのだが、そのために総務部もなにかプレゼンすることになった。で、「パワーポイントで作ってね」ということになって、「げ、それは苦手というか、やったことがない」と思ったのだが、同僚K主任が「エクセルで作ってもらえば、パワーポイントに貼るだけだから」と言ってくれたので、今日はチマチマとエクセルの表を作っていたのだが、どーせ他の部署の主任および課長代理クラスは、あまり数字の詰まった表を見るのに慣れてないはずなので、「グラフとか作ってみるか」とチマチマやってたら、けっこうあからさまなグラフができたので、ついでにそれをパワーポイントに貼ってみた。いちおーできた。やればできるんだけど、なんか「プレゼン・ツール」って好きくないんだよな。

 その気になれば、慣れなくても、それなりに見栄えのいいのができるんだけど、でもそのためにけっこう時間がかかるし、「見栄えがいい」っていうのは「見栄え」だけでそこそこ見せることができるわけで、たしかに「なんかやりました!」っていうのは伝わるんだけど、本質的なことはなかなか伝わらないわけじゃん。
 で、本質的かどうかはわからないけど、やっぱり「NHK特集」みたいのが、プレゼンの頂点というか、ああいう風に伝えられると、もうあれ以上はないというか、よくわかんないけど、「やっぱり編集よね」と思ってしまう。

 なので「うまい編集」の威力を生半可に知っているので(野沢尚の小説「破線のマリス」もそんなテーマだったな)、パワーポイントみたな紙芝居で伝えられることの限界っていうか、「しょせん、プレゼンしている自分に酔っているだけ」なことに思いを馳せてしまうと、チマチマとフォント設定とかしている作業が虚しくなってくる。

 でも、やらないといけないので、作っていたのだが、今日、その会議に出席する他部署の主任が「会議後の懇親会のために仮払い申請しますんで、よろしく」と言ってきたので、「そっか、懇親会(という便利な日本語だが、単なる飲み会)もあるんだよね」と言ったら、

 「あの会議は、懇親会のほうがメインらしいっすよ」

 「・・・・・・わたし・・・・今、一生懸命、パワーポイントと格闘してたんだけど・・・・・それ聴いてヤル気なくした」

 プレゼン資料は刺身のツマ以下の扱いであることが判明したので、テキトーにやろうと思う。
 まあ、どうせ、暇だし。

 暇だったので、倉庫会社に預けていた会計資料が入っている箱の中で中身が不明の古い箱を請け出したのだが、それは15年前の領収書とか伝票で、伝票が手書きなあたりで「わああ、アーカイブ」と思ったが、紐でつづられた伝票をパっと開いてみたら、そこに上司の名前を発見!

 バイト代の支払で、筆頭が上司だったのである。
 さっそく上司に見せると「これ何年前?17年前?」
 「懐かしいでしょ?」と言うと、上司は「オレ、何歳だったんだっけ?・・・・・・24歳だったんだ・・・・」

 ありがちなことだが、ろくに大学に行かず、バイトに精を出しているうちに、留年しまくり、卒業しそびれ、そのままバイト先の会社で社員になってしまい、15数年後には総務部長にまで上りつめたのであった。
 タイムリーなことに、今日は昔のバイト仲間から連絡があって飲み会だという。
 バイト仲間も「おまえ、今はあの会社でブチョーなのか?」と大笑いしていることであろう。

 他にも10数年前の書類を見ていると、いろいろと懐かしいというか、会社の歴史を語る伝票が出てきたので(最近になって出戻ってきた社員が、その当時は激しく海外出張に出かけていたとか・・・・台湾出張って何しに行ってたんだろ?)「こうなったら、社史でも編纂しちゃおっかな」と思ったのであった。「社史編纂室」ってちょっと憧れる。
2月18日(水)

 会社お休みしたので、目覚ましかけずに寝たのだが、目が覚めたらもう11時過ぎだった。
 先日「子どもの脳はこんなにたいへん!」という本を読んで、それは「思春期の脳はこんなに変化しているのだ」という内容であったが、自分の思春期のことを思い出しつつ、ヘラヘラと読んでいた。
 その本の中に「思春期の子はどうして夜更かし&朝寝坊なのか?」ということが書かれており、それも脳が成長するために必要な睡眠だとかいう、「まあ、そう思っていたけどさ」な結論になっていたのだけれども、さてさて、するってーと、確かに10代のときも「わー、16時間も寝ちゃったよ」なこともあったが、思春期をとうに過ぎて、さらに20年近く経過しちょるというのに、私が今でも「わー、16時間も寝ちゃったよ」は滅多に無いとはいえ、「週に一度くらいは10時間寝ないとダメ」なのは、実はまだ脳が成長しているからなのだろうか?

 まあ、単に昔から眠りが浅いためだとも言えるが・・・・・
 でも、最近はさすがに、長時間ダラダラ眠れることが少なくなり、「私もやっと大人になったな」と思う。それに、夜更かしがだんだん苦手になってきたし。

 布団を干しつつ洗濯を済ませて、A嬢宅へ。
 お子様も、ずいぶん成長して、ニヘラっと笑うようになった。
 それにしても、デカい子なので、まだ4ヶ月目に入ったばかりだが、「3〜6ヶ月用のオムツでは小さい」らしい。お隣に一ヶ月下の赤ん坊がいるので、その子にあげてしまったそうなのだが、その時拝見したお隣の子の小ささにびっくりしたらしい。

 「まー、そりゃ、小学校でも一番前の子と一番後ろの子を比べるとずいぶん違うからね〜」

 そんなわけで、抱えていると大変で、Aはとうとう腱鞘炎になってしまった。筋力がないので、関節に負担がかかっているようだ。たしかに、私もムズがるご子息を抱えていたら、二の腕がしびれてきた。お母さんになった人たちが口を揃えて「腕が太くなった」というのを体感できました。
 それでなくとも、昨日、久々に筋トレクラスに参加して、ガシガシやっちゃったので、かなり筋肉痛だったので、ダメ押しされた。

 「こうなったら、子どもをウェートとして筋トレしてやる」とばかりに、お子様を抱えながらスクワットとかやってみました。
 Aも出産でかなりデブってしまったので、ダンナにも母親にも「少しダイエットしないと」と言われているみたいで、母上は「私が預かってあげるから、運動しなさい。そうじゃないと、健康が心配」とまで言われているそうで、「そう言ってくれてるから週一回でもスポーツクラブ行こうかな」とか言っていたが、「でも、Aちゃん、子どももダンナもいない気楽な独身時代にもそう言ってスポーツクラブに入会したけど、ろくに行かなかったじゃん」と、女友達のご意見は厳しいのであった。

 お子様が眠たそうだけど、なかなかムズがって寝てくれなくて、しばらく私が抱いていたが、誰かに抱かれるとニヘラっと不敵な笑みを浮かべて悠然と抱かれているので「ふっ、今だけだよ、女が君の言いなりになるのは」と言ってやったが、ついでに今のうちに洗脳しておこうと「大きくなったら、ママにダイアモンドを買ってあげたくな〜る」などと囁きかけていたら、Aは「家も欲しい」と言うので、「わかった。大きくなったら、ママにプール付の豪邸を買ってあげたくな〜る。そんでママは太り気味だから、ジムもついてたほうがいいとおも〜う。」

 意味わかってないんだろうけど、私がそんな怪しい呪文を唱えるとコクンと頷いたように見えたので、「おっし、じゃあ、さらに、ママがもっと綺麗になるように、エステの年間チケットも買ってあげたくな〜る」などと、好き勝手言っていたのであった。
 そんなことしながら、しばらく抱っこしていたのだが、そのうちなんか落ち着きがなくなり、「あれ?どーしたのかな?」と顔を寄せてみると、私の胸に鼻を押し付けると、なにやらクンクンと匂いをかいでいたので「あたし、なんか臭い?」と言っている間もなく、ビーーーーーーーーーーーーーー!

 「おいおい、さっきからずっと私が抱いていたのに、やっと私がママじゃないってことに気がついたのか?」

 まだ「人見知り」というのには遠い状態にあるようでした。

 そういえば、「もうミルク以外もあげてるの?」と聞いてみたら、「まだ早いし、それに便秘気味だから、便秘な子に離乳食与えると、ちょっと苦しむっていうんで、もう少ししたら」と言っていたけど、もう体格は離乳食児くらいなので「それって、便秘気味なのってもしかしたら、ミルクだけだと消化しきっちゃって便が出ないんじゃ・・・・」
 「うーん、そうなのかな?」
 「いや、私も全然わからないけど、死ぬわけじゃないし、ためしに繊維質なものも与えてみたら?意外といけちゃうのかもよ?」

 なかなか育児も手探りで大変どすね。

 赤ちゃんをあやす鳴り物が、どれも「レロンレロンレロン」と言う音がして、バリのガムランみたいだった。Aと二人で演奏していると、大人までトリップしそうだった。「これって、ガムランのCDかけてても効果あんのかな?」
 でも、昔から、あんな鳴り物だったっけ?あたしが子供のころは、そうじゃなかったような気がする。あの、レロンレロンと怪しく反響する鳴り物は、ずいぶん前にエスニック雑貨屋などで出回って「癒し系の音」として、ニューエイジな方たちに人気があったような気がするが、子供向けが最初だったのか、それとも大人向けを子供に聴かせてみたら効果があったので、あれが普及したのか、どっちなんだろう?

 どっちにしろ、お子様はあの音を聴かせると、遠い目になって気持ちよさそうにトリップなさるので、Aと二人で、「この、ナチュラル・ジャンキーめ!」と羨ましがっていたのでありました。 
2月17日(火)

 だんだんと春めいてくるので、私もちょっと春な気分になっているのか、駅張りのポスターの写真に「こひ」してたりする。最初に観たときから「こ、この人(じゃないんだけど)は誰?」と気になって気になってしょうがなかったのだが、今日は少ない手がかりを元に、彼(と便宜上呼んでおくが、性別不明なのだ。「IT」「それ」としたほうがいいのかも)の同定調査を開始。

 「それ」は人間ではないが、並の人間よりもずっと気高く美しい。こういう王族がいたら、「王様の誕生日」に宮殿で国旗振っちゃうな。もうベッカムやイルハンを王子様呼ばわりしているバヤイでない。私の王子様をピッチで全力疾走させたら、ギャルもみんな釘付けだろう。

 で、検索の甲斐があって、「それ」はどうやら「やまねこ」の類らしいことがわかった。英語だとLynxですって。お名前もその美貌にふさわしい。
 そのポスターは「伊太利屋」というオバハン向けのアニマル柄を得意とする洋服屋のポスターなのだが、残念ながらそのブランドはホームページを持っていないらしい。そのかわりに、そのブティックの店舗の写真を発見した。どーやら、その店舗には彼の大きな写真が飾られているらしい。でも、これじゃよくわかんないよー。ちゃんとした写真が欲しい。壁紙にしたいよー

 というわけで、似たようなお写真を探して、さまよっていたのであった。

 たいへんフォトジェニックな方なので、美麗写真を探すに不自由しない。

 シベリアオオヤマネコ

 googleの写真検索をすると、酒池肉林の快感である。siberian lynx

 Eurasian Lynxという別名もあるらしいので、そっちでも写真検索。あああ〜〜〜インターネットって素晴らしい。

 canadian Lynxってゆーのもあるんですよ。もう幸せ。

 イチバンのお気に入りはこれ

 なんで、耳にアンテナが立っているのだ!
 ぜったい、なんか受信してるな!

 飼いたいというよりも「抱かれたい」ってかんじだ。ムクムクの冬毛で覆われた前足がたまらん。
 でも、検索していると、どうも毛皮の写真も多く出てくるので「毛皮にしちゃダメよ。保護するのよ!」ということになっているような気もするが、こうなったら毛皮でもいいから欲しくなる。

 その昔、オオカミにホレたときにも、とち狂って雑誌の切り抜きを部屋に貼ったりしたが(トヨエツの隣に貼った記憶あり)、そのときには「やはり犬顔に弱いらしい」と思ったのだが、どうも「むくむく」に弱いということが判明した。

 人間に生まれたが、繁殖には失敗したようなので、次に生まれ変わるときには「むくむく系」にしてくれるよう神様にお願いしようと思う。でも、いくらムクムクでも毛虫はヤダ。蝶とか蛾みたいな粉ふき系は嫌いだし。ずっとムクムクがいいの。(わがままばかり言ってるから・・・・)  
2月16日(月)

 人は「自分にとって都合の悪いこと」に気が付かなかったり、気が付いてもすぐに忘れてしまう、自分にとって、たいへん都合のいい「こころの仕組み」を持っているらしい。防御機能でもあるんだろうけど、それが悪く働くことも多いだろう。で、気が付いても気が付かなくても「どーでもいー」ことも多いだろうけど、先日Tさんとカラオケしているときに、Tさんがボソっと言った「言われてみれば明らかにそうであること」に、今まで全く気が付かなかった自分に驚いたが、Tさんも、その事実に長年気がつかないふりをしていた自分に気がついて衝撃を受けたと言っていた。

 そんなわけで、自分の心の「逃避の仕組み」に感心したので、「これは日記に書いておこう」と思ったのに、そのことをすっかり忘れてしまったことが、「逃避の仕組み」に翻弄されている証拠に他ならないが、今日になってやっと思い出したので、「逃避」はやめて、もっと現実を真摯に受け止めることにしよう。

 で、いったいどんな「事実」かというと、「イギー・ポップ江頭2:50は、芸風(?)がほぼ同じ」

 いったいなんで今まで、こんな誰が見ても明らかな相似に、気がつかないでいられたのか不思議で不思議でしょうがない。

 さて、今日は定時で帰宅できたので、さっさと帰ってきたので「さーて、掃除でもすっかな」と思ったが、あまり気が乗らず、まず洗濯物の山に手をつけたが、あまり捗らなかったので、お呪いとして「プライド」を観てみたら、あっという間に洗濯物は片付き、ついでにボタンが緩んでいたのを2箇所も修繕し、シャツとハンカチにアイロンまでかけてから、シャワーを浴びて、マニキュアまで塗っちゃったよ。
 うーむ、最近の月9はパっとしないのが多いなあと思っていたが、こういうニーズがあったのか!
 土日に遊びに行ってしまったOLが家事をしながら観るのには、ほどよいつまらなさだ。

 しかし、2週続けて「プライド」で我が家の床面積を増やしているので、お台場に足向けて寝られないわ(笑)

 そーいや、ここんとこ、ぼんやりと暇なので、「映画でも観にいこっかな」と思っているが「ラブ・アクチュアリー」はやはり外せないな。なんたって、ヒュー・グラントが英国首相役という、自分では絶対に思いつかない設定だから、それに敬意を表さないといけない。あとは、「グッバイ・レーニン」かな。なんとなく。
 そーいや、「レジェンド・オブ・メキシコ」の予告編を見たときには、「ひーーーー、アントニオ・バンデラスとジョニー・デップ競演!濃すぎ!」と鼻血出そうになったが、ほんとに鼻血出そうなので、よっぽど鬱気味にでもならないかぎり観ないだろうな。

 あんましラテン系美男子が好きではないので、ジョニー・デップの出てる映画もとんと観てないな。なんだっけ?クリスティーナ・リッチがユダヤ少女を演じた、そうそう「耳に残るは君の声」っていうのが最後かな。
 あれに出てたジョニー・デップはわけわかんなかったが、そういえば私の知る限り、ジョニー・デップは「まともな普通の青年」をやったことがないような・・・・逆にそういうの観てみたいような・・・・・

 捻くれ物なので、「逆のキャスティング」がけっこう好きだ。だから、この間「及川ミッチーが出てんなら、しゃーねーなー」と思って「白い巨塔」を観てみたが、悪玉弁護士がミッチーで、善玉弁護士が上川隆也だったので、「これじゃ、面白くないじゃん、逆にしろー」とテレビに向かってブツクサ言っていた。
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