可燃物な日々

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2月15日(日)

 昨日も、すごく暖かかくて、夜なんて「ぬるい」と感じるくらいの気温でだったが、一昨日の天気予報では、週末は風が強くなって寒さが戻るとかなんとか言っていたような気がしたが、なんのなんの、今日も暑くて目が覚めたくらいだ。

 「さて、洗濯でもすっか」とベランダの戸を開けると、ぼへら〜っとした春の陽気である。
 緊張感の全くないこの陽気に身を任せ、なんにもする気なくなり、ぼへら〜っと昨日会社で暇潰しにやっていたフリーセルまた挑戦。これやっていると、きりがない。
 でも、ずっとやっていると目がシバシバしてくるので、自分の目の悪さにひっそりと感謝する。

 んなわけで、うだうだしながら、ときどき昼寝していたら夜になってしまったわけです。

 ピタゴラスイッチ→サンダーバード→ひょっこりひょうたん島 と、NHK教育テレビをぼーっと観ていると、いつも「日曜美術館」とかいう昔からやっている番組までぼんやり観てしまうのだが、今週は熊谷守一がとりあげられていたので、膝を寄せて真剣に観てしまった。
 私が中学生くらいのころ、母が熊谷守一が特集されてる美術雑誌を買ってきて、「この人、お母さんの絵の先生の先生なの」と言っていた。「母の絵の先生」というのは、今で言う公民館なので市民絵画サークルの講師をやっているような「売れない画家」なんだろうけど、その先生が自分の師匠というか、もしかしたら師匠の師匠なのかもしれないが、それを生徒に紹介したらしい。

 それで初めて熊谷守一の絵を知ったのだが、洋画と日本画の中間のような、そのシンプルな絵はけっこう好きだったので、今日のその番組も真剣に観てしまったのであった。
 最近になって遺族から寄贈された日記などによって、いろいろなことがわかってきたようなのだが、彼は自分の画家としての感性というか視点と、一般的に「こうである」という視点が異なることに違和感というか罪悪感を感じていたようで、例えば自分の母親の死の直前の様子を冷静に観察してしまったりしたようだ。

 でも、それって変なことなのかな?と思った。
 私は子供のころは、ほとんど死に接したことがなかったが、大人になってから友人や親戚のご遺体を拝見すると、悲しい気持ちと同時に「ふーむ」と観察することも多かったし、それを自分だけの特殊な趣味だとも思わなかったし、実際、祖父が亡くなったときに、妹が遺体を見て「肌に透明感があるのはなぜ?なにか特殊メイクしているのか?」と騒ぎ出したので、「やっぱ、みんな悲しいという感情とは別に、非日常なものに触れると好奇心が芽生えてくるのだろうな」と納得していたりした。

 そんで、番組の中で、関東大震災直後の熊谷氏の日記を取り上げ、焼け出されて、一家は野宿するような境遇だったのに、熊谷は日記の中に「トンボがゆうらりと飛んでいた」などと書いていて、それが「画家としての独特の視線」と言われていたのだが、そーかな?あたしは別に天才画家でもないし、これといって特殊な感性の持ち主ではないと思うが、そうやって極限状態というか非日常的なストレスにさらされると、なんかいつもは気にならないような平凡なものが異様に輝いて見えたりするのはフツーだと思っていたのだが・・・・そうじゃないの?

 たぶん、みんなそういう感性は持っているのだが、天才はそれを書きとめることができるし、後でそれを作品に反映することができるけど、凡人はそれをあっさりと忘れちゃうっていう違いなのかもしれない。
 でも、凡人だってそういう気分の記憶はどこかにそっと隠しているわけだから、天才がそれを絵にすると、「はあ、たしかにこんな感じ」と、しまいこんだ気分を思い出させてくれるから、天才というものが評価されるような気がする。
 まったく一般人とかけ離れた感性で作った作品を世に出しても、ウけないわけじゃん?

 もちろん、そういう感性を持っているのと、それをうまく作品に反映できる才能は別モノだと思うけど、熊谷守一がこれだけ評価されるのは、「他人と違う感性を持っていたから」ではなくて、「誰もが持っているけど、あまり意識されていない視点をクローズアップした」ということなんだと思うけど、あの番組ではそういう言い方してなかったから、ちょっと引っかかったのであった。

 テレビ的な物の見方で引っかかるのは、そういうことが多い。「特殊なもの」と「一般的なもの」の間に大きな溝があるという世界観。
 それは「天才」とか「異常者」を紹介する上では必要なテクニックなのかもしれない。
 でも、本当はそうじゃないこと(天才も異常者もそれほど一般人とかけ離れた存在ではないということ)をみんな知っているはずなのに。

 そーいえば、その昔、Xジャパンのヒデが亡くなったときに、ワイドショーでは彼の葬儀に詰め掛けたファンを取材していて、私の友人も「ありゃ、なんなんだ?」と言っていたので、「でもさ、例えば、ロディ・フレーム(アズテック・カメラ)が急に死んで、その葬式が築地本願寺でやってたら、とりあえず有給休暇とって、行っちゃうと思わない?」と言ってみたら、友人は、しばし目を明後日の方向に彷徨わせたあと、「たしかに、築地でやってたら、ちょっと行くかも」

 それで友人はちょっと悔しそうに「そっか〜、行くな〜、そうだよなあ〜」とブツブツ言っていた。テレビに映るXのファンたちの服装や雰囲気が自分と全く関係が無かったので感情移入できなかったらしいけど、いったん自分に理解できるもので置き換えてみれば、それは特殊なものではなくなり、「バカはバカだけど、いつか自分もやるかもしれないバカ」になるのである。

 でも悲しいことに、テレビのニュースで紹介される「バカ」にはある程度「自分もそういうことやる可能性がある」と感情移入するのはたやすいが、「天才」や「すばらしい偉業」については、理解不能だったりするので「すご〜い」で突き放してしまったりするのだ。
 自分の耳では聴くことができない交響曲のスコア書いてたベートーベンの気持ちなんてよくわかんねーもんな。

 さて、また何書いているのかよくわからなくなってきたが、今日はCDにCDクリーナーをかけてみたら、ちゃんとCDを読み込むようになったので、よかったよかった。
2月14日(土)

 今週は、特に意識したわけでもないが、なにげに「ドライ・ウィーク」になっていて、月曜日からずっとアルコール抜きで過ごせて「なんだ、やればできるじゃん」と思っていたのだが、昨日の金曜日にとうとう捕獲されてしまい、蕎麦屋で日本酒を飲んだらベロベロになってしまった。

 私だけじゃなくて、いつもは顔色一つ変わらない酒豪の九州男児Y氏も「目が回る〜、グルグルだ」とか言っていたくらいで、同僚K嬢(日本酒を二合ほどしか飲まない、模範的酒飲み)が「みんな、こんなに酔っ払っちゃって、いいの?」と言っていたくらいで、蕎麦屋の後も、なんか妙なハイテンションなノリで、カラオケ屋になだれ込んだのであった。

 上司が「プライド」の主題歌「I was born to love you」を熱唱していた。それを聴きながら、酔っ払いの私は、こんなことを思っていた。「ああ、この人、新宿2丁目とかに連れていったら大変なことになるだろうな・・・・」
 モテそうだ。
 モテすぎで困りそうだ。

 今もあるのかどうか知らないが、2丁目にテクノ系のクラブがあり、けっこう人気DJが回していたので、私の友人達もちょくちょく行っていたが、私はあまりハッピー・ハードコア(・テクノ)が好きではなかったので行ったことなかったんだけど、あるとき、友人M君がそこに彼女と一緒に行ったら「脂汗かきましたよ」と後であっかるく語っていた。
 M君は、私の周囲では珍しい国立大学卒で(他にはアエラさんくらいしかいない。夜遊び仲間は私大か専門学校が圧倒的多数)、育ちの良さが滲み出る好青年であった。そんで、背が高くて、ぽっちゃり系。そのベビーフェイスで且つ知的という「あったかい」外見に、男女問わず好かれていたが、そのクラブに行くまで「他人から、そういう視線で注目される」なんてことは経験がなかったはずだ。

 女性から熱い視線を浴びることなんて全くなかった平凡な青年が、そのクラブでは、あからさまな「品定め目線」の洗礼を受けて、そうとうびっくりしたらしく、「ノン気です。ただのテクノ小僧です。彼女います」という無言のアピールをずっとしていたそうだ。たぶん、彼女のそばを離れられなかったのであろう。
 ガタイがいいけど、ぽっちゃり系は、あのエリアでは要注意である。
 で、私の上司もガタイがよくて、ぽっちゃりとほどよく固太りで、笑顔がチャーミングなので(前歯に隙間がある)、ぜったいモテるはずだと思ったのであった。しかも、大学がM君と同じだ(笑)

 ひょっとして、そういう人材を多く輩出している大学なのかと、ふと考えてしまったが、だって、上司の先輩にあたる人も、うちの会社のオカマのオジサンが「いい男よね〜」と賞賛してたしな。
 実はうちの父も彼らの先輩なのだが、うちの父はどーかなー。ハイジも同じ大学なのだが、ハイジはその世界ではイマイチだと思うね。神経質そうなのは、あまりモテないと思う。やっぱ大学は関係ないか・・・(当たり前の結論に達したが、ちょっと残念である)

 そんなわけで、昨日は家に帰ったのが2時過ぎで、ダーマ&グレッグの再放送を観ながら水分補給して床につき、今日はなんとか10時半に会社に着いたが、もーヘロヘロで仕事にならないので、フリーセルで遊んでいたりしたが、夕方になってやっと具合が良くなってきても、仕事する気ゼロで、なんかボンヤリしているうちに、6時過ぎたので帰りにプールに寄って軽く歩いたりサウナに入ったりして体調を整えていた。

 コンビニに寄ったら「そっか、バレンタインだしな」と思って、「バレンタイン記念特別企画」として、明治のブラック・チョコとロッテのガーナ・ブラックを食べ比べてみることにした。多少、味は違うようだが、どっちがどっちとも言えず「うーむ」と考えながら試食しているうちに、完食してしまった。

 板チョコ2枚を一気食い・・・・・・ああ、バレンタインの罠にはまったわ・・・・・と他人のせいにしておく。
2月12日(木)

 今日も運動した。
 運動すると、あまり日記にダラダラと書く気分ではなくなる。脂肪よりも思考を燃焼しているのだろうか?

 それに、ここんとこ仕事ものんびりしているので、会社でもけっこう心穏やかなのであった。
 でも、今日はハイジとクララが、部長会議に毎回提出している表(売上がどの業務で伸びてるとかがわかるやつ)の元になるカテゴリー分けを勝手に変更してしまったので、そのことで、他の社員も交え、喧喧諤諤した。(喧喧諤諤って自分では書けない文字だけど、こうしてワープロで出すとなんか達成感があるな)

 ハイジの言い分だと「その業務はそのカテゴリに含めるのはおかしい」ということだったので、私は「それは、その表を作っている人に確認したほうが・・・・」というわけで、みんなで相談していたのだが、その表を作っているKさんの言い分が正論で「この業務をどのカテゴリに入れるかどうかは、私たちが決めることではないでしょ?」

 で、ハイジとクララは自分達の判断で、新しいカテゴリを作ってしまったので、そのことで揉めていたのであった。私の解釈では「その業務は小さいので、たしかにカテゴリで分けると、どこに入れていいのか悩むが、一度どっかに入れたんだから、それを変更するのには、上の判断も仰がないといけないのでは?」と言ったのだが、ハイジは「でも、これ、明らかに違うじゃないですか!」

 別に数学の問題ではないので、正解は無いということに気が付いてほしいんだけどな(笑)
 ま、でもハイジが騒ぐので、上司も交えて「じゃー、今後、どーすんのよ!」とワイワイガヤガヤと話合って、結局収まることろに収まったので、めでたしめでたし。

 ハイジもかなり仕事がわかってきたので、最近はそのように「あれが違う、これも違う」と言い出すのだが、「自分の意見の通し方」がわかっていないようで、(いわゆる「根回し」というのか)揉めることがあるのだが、でも、彼みたいな「かき回すキャラ」も組織には必要なので、暖かく見守っております。

 でも、他人と一緒に仕事していて、面白いと思うのはこういうときで、それぞれの性格というか、物事の捉え方が一挙に噴出して、それをやんわりと上手くとりまとめられる才能を持った人と、そーではない人がはっきりくっきりするから楽しいのである。
 で、そんなことを面白がってしまう私は、会議でも「ほお、そう出るか」とかいうことに専心してしまい、肝心の内容はどうでもよかったりするので、仕事人としてはイマイチ出世しそうもないようであった。

 そういえば、今年のバレンタインは、「お父さんに林檎をあげよう」とか「友達同士で交換」などの商品広告が目に付いたので「イマドキは義理チョコ流行らないのかな」な〜んて思っていたのだが、単にバレンタインデーが土曜日なだけだった。(自分では義理チョコ配らないから関心が薄かった)
 土曜日は急に出勤になりそうなんで(忙しいのではなくて、シフトの変更)、他に出勤してきた社員とチョコでも食べて、マッタリするかね。

 13日の金曜日の翌日がバレンタインデーというのも、なんとなく映画館の看板が並んでいるかのようである。
2月11日(水)

 出勤なので、いったい何の祝日なのか考えるキモチは限りなくゼロに近い。
 私に祝ってほしければ、「今日は日本国民ホントーに全員休みにしないと、経営者は禁固3日間の刑」という法律を作ってくれたまえ。

 ちんたら仕事して、早めに帰り、また大きくなってしまった「三つのしもべ」をもうちょっと大きな鉢に植え替えるために、土と鉢を買って、風呂場でせこせこと植え替え。会社に置いてある、サンデリアーナの「エムボマ」も、ずいぶん成長したので、あれもそろそろ植え替えかね。

 なにげに「園芸力」が上がっているようである。職場の鉢植えに水遣りなどをしていると、いい気晴らしになるので好きなのである。

 そんで、今日は冷凍しておいたタイカレーを解凍して食事。いちおー「自炊」と言えよう。
 酒浸りな我が身を多少反省して、たまには運動したり自炊したりしないとな。
 一時は体重増加で必死になっていたが、最近は体重の上昇も落ち着いたので(減りもしないが。固定されたようだ。年輪みたい)油断しがち。

 また掲示板の調子が悪いみたいで、今日の昼間はずっとアクセス不能だったが、夜になってもちょっと重い。
2月10日(火)

 今週は「体感曜日」と「本当の曜日」が一致しているので、とてもラクだ。
 そう前向きに思って、明日も出勤な我が身をなぐさめているところでござんす。

 そんで、今日は久々にスポーツクラブに行ったのだが、自転車やステップマシーンに液晶テレビがくっついていたのでビックラした。まるで飛行機みたい。飛行機の液晶テレビよりも大きいし。でも、テレビしか映らない。天井からぶら下がっている大きなモニタでは、ケーブルテレビが映っているので、あっちのほうがいいのになあ。

 さて、話は変わるが、大手銀行の支店統合も一段落して、一時はUFJ銀行が三店舗もあった三軒茶屋も、いつのまにか銀行の店舗の数が激減していた。そして、どの銀行も駅から遠いほうの支店に統合するので、銀行の空洞化現象が起きている。
 その中でも目立つのが、どちらも駅の出口(地下鉄出口)のすぐ横にあった「旧あさひ銀行」と「旧第一勧銀」である。あさひ銀行は、246と世田谷通りの分岐点にあり、高速からもその看板が見えて、三軒茶屋の目印でもあったので「あれが消えた」と思っていた人も多いだろう。

 どちらも、ちょっと昔のタイプのビルで、ベージュ色のレンガっぽい壁で、4階建てくらいの中途半端なビルだった。昭和50年代初期風ってかんじ。建った当時はモダンな造りだったのでは、と思うときもあったが、特に印象に残るほどデキのいいビルでもなかった。
 しかし、「旧第一勧銀」のビルは、現みずほ銀行が撤退してから、地下にあった居酒屋ワタミまで閉店したので「ありり?」と思う間もなく、現在、工事用の鉄塀に囲まれている。ビルを改装するのかと思ったが、テナントを全部出したということは、壊して建替える可能性が高い。

 今だと法律も変わったし、街の雰囲気も変わったので、もっと高いビルを建てるもかもしれない。なにせ駅前一等地だし。
 そうなると、別にどーってことなかったボロビルがなんだか「いい建築」のように思えてきたが、「でも、無理して残すようなもんでもないしな」と思うけど、そうなると、道路の向こう側の「旧あさひ銀行」のほうも、そうなる可能性高いぞ、と思うと、なんだかボンヤリと残念だ。

 それで思い出したのだが、現在、三茶のランドマークであり、飛行機で東京上空を通過したときも、その「キャロット色」が漠然と確認できたキャロット・タワーの裏側に、地元民しか気がつかないような抜け道があった。というか、今もあるんだけど、その抜け道はどう考えても「私道」で、幅が人がやっとすれ違えるくらいしかなかった。
 キャロットタワーの裏側は、東京都が発表した「災害時にヤバいエリア」であり、その地図だと真っ赤になっているのだが、「焼け残り」である世田谷の証明でもある「狭い路地に住宅ひしめきあう」エリアである。道が狭いので、軽自動車しか中に入れないくらい。そんで、たぶん、今の法律だと、建替えたときにセットバックしないといけないから、誰も建替えできないようで、古い家とアパートが多い。

 その抜け道は、まるで花やしきのジェットコースターのように他人の家の軒先の下を通るのだが、その家も、ギリギリまでトタンの目隠し塀を建てていて、でも水道メーターのところや窓のところだけトタン塀がくりぬかれているあたりに「下町風情」を感じてしまう。

 そんな狭い道がなんで残ったかというと、その途中に入り口がある家があるからだと思われる。家が三軒くらい建つ奥行きがある場所なのだ。だから、他人にはあまり通行してもらいたくないとは思うのだが、なぜか駅への最短コースになってしまったので、わりと通る人が多かった。
 しかし、途中でとても狭くなり、そこはほんとにすれ違えないので、向こうから人が来ると、どっちかが待ってなければいけなくて、そのやりとりも「下町風情」を感じるので、あの道の密かなファンは多いと思う。

 ところが、昨年くらいだが、その道の片側の家が壊されて建築中になった。
 どんな家が建つかわからなかったが「たぶん、こっち側ギリギリまで立派な塀を建てるのだろうな」と思っていたのだが、意外や意外、一階が駐車場スペースになったのである。四足ビルみたいになったのだ。(その奥は大きな車が入れないため、そこを駐車場にすると奥ほうの家へのニーズがあるのだろう)一応、道沿いには植え込みを作ったが、前より開放的で通りやすくなってしまった。

 まだ、抜け道の半分だけではあるが、「すれ違うのに苦痛にならないほどの開放感」になって非常に便利になったが、でも明らかに「つまらなくなった」
 家一軒分くらいの細道では、平凡である。あれだけの距離があったから、人をひきつけていたに違いない。だって、あれだけよく人とすれ違っていたのに、広くなってから全然すれ違わなくなったんだもん。

 そう。ドキドキ感が無くなったのである。
 あの道を通ろうと、道に入ると「あ、向こうから人が歩いて来ない。今だ!」と思っていると、向こうから自転車乗った人が現れ、「どのポイントですれ違うか」で緊張感が走る。たまに、自転車に乗った人が、ちょこんと降りて、私が通りすぎるまで自転車を支えたまま立っていてくれたりすると「すいません」なんて言いながら、そそくさと歩く、あの感じがよかったのだ。

 そして、荷物を両手に持った人同士がすれ違うときには、その瞬間互いに背中をひょっと向け、華麗なワルツのステップのように横歩きした、あれがよかったのだ。

 そして、風通しがよくなってしまっただけに、なんかあの「日の当たらない湿っぽさ」というか、「ここって、ほんとに誰でも通っていい道なの?」という疚しさが半減してしまい、「ウェルカム皆様。どうぞ、快適な近道をお楽しみください」という感じになっちゃったので、ほんとーにつまらなくなった。

 そういうのも、無くなってから初めてわかったんだけどね。
 そーゆーもんだ。
 だからきっと、旧第一勧銀の跡に、新しいビルが建つと「あの昔のビルは趣があった」なんて言い出しそうだから、先日もわざわざ眺めて「大したビルじゃないよな」と確認してみたのであった。  
2月9日(月)

●生き別れになった双子の兄弟

 この季節、よく道端に転がっているのは、片方だけの手袋である。
 先日、銀行に行く途中で、前方に何かの死体が見えたので「また、手袋兄弟の兄だか弟が・・・・」と思って近づいてみると、それは「片方だけのブーツ(女性モノのハーフブーツ)」であった。あれも、たしかに双子の兄弟であるが、あの双子はそう簡単に生き別れにならないと思うが・・・・フツー、道に転がってないだろ?(友人は「酔っ払いの落し物じゃない?」と言っていたが、靴を落とすほどの女性酔っ払いが活躍する時代になったのかなあ)

 さて、昨日は朝帰りしたのだが、夕方にやっと起きてコンビニに行こうとして、ふと玄関脇の靴箱の上にある手袋に目がとまった。
 「あり?片方しかない?」

 床に落ちているのかと思ってキョロキョロしたが、見つからなかった。
 両面カラープリンタのCMのセリフ「・・・・・・で?オスギはどこ?」というのを思い出しつつ、「ありゃりゃ、うちもピーコはいるけど、オスギが行方不明だ・・・・朝帰りだったし、どっかに落としちゃったかな?買ったばっかなのによー」と思ったけど、手袋に「オスギとピーコ」という名前をつけてしまうと、

 「もー!なんで、こんなとこに落とすのよ!さっさと迎えに来なさいよっ!」

 と、怒り心頭でわめきたてる手袋兄オスギの姿が脳裏に浮かび、

 「もっと、あきらめのよさそうな大人しい名前にすればよかった」

 と思ったけど、そうなると「探しに行かないといけないかなあ。買ったばっかだし。ちょっと惜しいなあ」と思いつつ、靴を履いてから玄関のドアを開けると・・・・・・オスギはそこでぐったりしていた。

 どうやら鍵を開けるときに手袋を脱いだときに落としたようだ。

 オスギは低体温症になったのか、すっかり冷え切っていたが、私が手にとると「もー、なんでこんな時間まで寝てるのよっ!」と私を責めているようだった。
 「わりぃ、わりぃ」とパスパスっと埃をはたいてから、中にいるピーコの横にそっと置いてあげた。

 「あーら、おすぎったら、いったいどこほっつき歩いてたのよ〜」
 「ちがうわよっ、あの気の利かない女が悪いのよっ」

 と、二人はそれなりに再会をよろこんでいたと思う。

 と、想像して楽しんでいたのであるが、しばらくしてから、「おすぎとピーコよりも、あの手袋は、私のところに99回通ってきたけど、力尽きて透視したキアヌ中将の化身ってこともありうる。そっちのほうが私には都合がよかった」などと、別バージョンも考えてみたりした。

 玄関の外に落とした手袋だけで、あれこれ意味の無いことを考えるのは楽しい。

 昨日のグータラをちょっと反省して、今日は夕飯をちゃんと作った。と言っても、納豆丼と味噌汁だけだけど。
 ときどき作る納豆丼であるが、ご飯は白米+赤米+五穀米にしたので、ベースだけで7品目!(笑)
 それに、納豆+ネギ(今日は“とんぶり”にした)+鶉の卵で、全部で10品目!

 栄養価のバランスのとれた食事をした後は、掃除である。
 センタクモーノの山を前にクッションを置いて正座して「さって、ドラマでも観ながら畳むか」と久々に「プライド」を観てみたのだけれども、なんでこんなにつまらないのだろう?
 でも、おかげで、洗濯モノはちゃんと片付いた。

 そーいや、昨日一緒にカラオケしたTさんは「キムタクが出るドラマを全く観たことがないのが自慢」らしい。
 今度の「プライド」も「クイーンの主題歌ってだけじゃねえ?まあ、わりと坂口憲司は好きなんだけど、それでもね」とか言っていたが、Tさんによると、「プライド」の主題歌である「I was born to love you」のオリジナルのジャケットは「フレディがレイバンなグラサンして、白いタンクトップ姿で、こっちを振り返ってるんだよ」という、とてもプリチーな写真らしく、それにフキダシをつけるとしたら「ホモですけど、なにか?」としか言いようがないらしい。

 だからTさんの読みとしては、「この曲を使ったからには、キムタクは最初は竹内結子とつきあっているが、実は・・・・ってことにならないと」
 私も「あ〜、そういう展開になるんだったら、私も観たいけどねえ、野島シンジじゃ、それは無いな、残念ながら」

 というわけで、世の中が自分の思い通りに動いてくれないもどかしさを感じながら、なんとか床に掃除機をかけることができましたとさ。
2月8日(日)

 朝の5時までカラオケしていたので、家に帰ったらもう6時。なんかあまり眠たくなかったので(テンションが上がっていたので)しばらく日記書いたり、本を読んだりして、布団に入ったときは8時近かった。

 昼過ぎに起きたが、ダルダルで、意識もーろーのまま夕方になり、電話がかかってきたので、喋っているうちに少し意識が戻ってきた。

 そーいや、とうとう掃除しなかったな。
 ま、いっか、死ぬわけじゃないし。
 本人がいいなら、いいんでしょ。

 そーいや、漫画雑誌のヤングユーを読んでゴロゴロしていたら「負け犬」というのを初めて知った。酒井順子という人が「負け犬の遠吠え」という本で普及させているらしい。読んでないので知らないが、要は「結婚してないし、子供も産んでない30代」のことを指しているらしい。

 どういうポジションで「負け犬」という言葉を選んだのかよくわからいのだが、まあ、私も該当するような気がするんだけど、「負」という字がつくと、なんかヤだなあ、と「夜なべカラオケ」の後でダルダルな身にはキツかったけど、よくよく紹介文を読んでみると「どんなに美人で仕事ができても、30代以上・未婚・子ナシは「女の負け犬」なのです」という著者コメントがあったので、「ああ、なんだ、私、美人じゃないから該当外だわい。よかった」と安心した。

 わたし、これでも自分にはプライドを持っていて、「わたし、怠け者だからこうなっているだけで、犬の勝ち負けの土俵にはそもそも乗ってないの」と思っているというか、「ナマケモノとしてはけっこう、勝ちナマケモノ」というプライドを掲げているので、それを「負け犬」と言い換えられると深く傷ついてしまうのですが(豚としてはイケてると思っているブタさんが「人間のクズみたい」と言われたら、たいそう悲しむだろうという論理)「犬の品評会」には縁が無いのでよかった。

 というわけで、足の踏み場はしっかり確保されている(人はそれを「けものみち」と呼ぶ)、適度に散らかった自室は「ケモノの道をちゃんと確立した」という意味において「勝ちナマケモノ」の証であるので、これでいいのだ。

 と、掃除から逃避するための屁理屈をこねている自分が♪愛しい〜アイラブユー♪(オリジナルラブの「朝日のあたる道」の歌詞より)

 「オリジナル・ラブ ベスト・メドレー」を昨日、というか今日の未明、歌っていたもんですから。

 夜行性のケモノなのに、昼間仕事しなくてはいけないのが辛いのですが、今日はちゃんと夜眠れるかどうかが、「勝ナマケモノ」のならでは勝負です。夜中に目が冴えちゃって明日の仕事に差し障りがあると「負けナマケモノ」になってしまうので、がんばらねば。
2月7日(土)

 Tさんと麻布でホルモン鍋を食べた後、渋谷に移動してお茶してから11時半〜5時までカラオケ。
 二人だけだったので、ずっと歌いっぱなしというわけでもなく、時々雑談しながらだったのだが・・・・それでもけっこう歌ったかも。

●カラオケ新曲状況報告

 なんでなのか全然理由はわからないが、「80年代日本のテクノ」の曲が続々と増えていた。元々そのジャンルは「X2000」の独壇場というか「なぜにハルメンズやゲルニカが?」と一部マニアの間では「謎のセレクト」として名高かったが、どうもDAMもその分野に進出してきたらしい。私の勝手な推測では「仕事と趣味を混同していたX2000の担当者約1名(かなり仕事人としての実力がないと出来ない所業であると思うので密かに尊敬しているが)がDAMに転職?」

 というわけで、なんか知らんが「ムーンライダース」や「ヒカシュー」が知らないうちに増殖していた。ゲルニカの曲も増えていたので、「パノラマ・アワー」とか歌っちゃったじゃないの。そんで、「でも、さすがにプラスティックスは無いね」と呟いたら、Tさんが「さっき、別冊の新曲集見てたら、どっかにあったよ」と言うので探したら「COPY」が入選。しかし、立花ハジメ作曲のこの曲って、「曲」とは言えないようなシロモノ。
 ♪ あっちもこっちもコピーだ〜らけ オリジナリティ なななななな ナイン

 P−MODELの曲も増えていたけど、「私の知っている昔の曲」から選ばれていたのは「美術館で会った人だろ」であった。あれも曲っていうより「つぶやき」だ。「ランドセル」とか「ミサイル」とか「アナザー・デイ」などの、メロディーがある曲も入れてくれませんかね?

 Tさんが発見した「INU」の「メシ食うな」ってのもな〜。そんなもんを発見して「町蔵がこんなことになるなんて、想像もしなかったよね。文学界はアレでいいんかい?」「たしかに、最近の芥川showって言ったら、辻仁成とか・・・・さすがに私もアレは読めない」(Tさんはけっこうエコーズ好きだったはず。ちなみに町蔵のライブに行ったりしていた私も町田康の小説をなんとなく手にとることさえできないでいる)「シンタロー氏が不機嫌になるキモチもわかるよね」

 まあ、あとはお決まりのスミスとかアズテックとか、いろいろ80年代なものも歌ったが、クイーンとかも歌いましたよ。
 ゼルダの曲も何曲か入っていたので、たわむれに歌ってみたが、ここ十数年聴いてなかったので、メロディーラインが難しい。変な転調するんだよな。でも、今現在でアレを発表してみると、けっこうウケるかもしれない。文学少女が頭でっかちのまま小難しく作った正統派とはちょっと異なるコード進行ってかんじ。椎名林檎ファンあたりにはアピールすること必須。
 「王道からちょっと外れた女の子」という商品性は、10年や20年では、なかなか変化しないことに気がついた。

 あと、やっと念願の「ベルベット・アンダーグラウンド」の「サンデー・モーニング」が入っていました。ルー・リードの曲は、相変わらず「ワイルドサイドを歩け」だけで、「もっと歌える曲あるだろ〜、サテライト・オブ・ラブとかさ〜」と誰にも聴こえないツッコミを二人でいれてました。「ワイルドサイド・・・」を歌おうとしても、「♪トゥっ トゥっ トゥっ トゥール♪」のとこだけしか自信持って歌えないもん。

 他にも「不思議な曲」(これって歌う人いるの?)として「Television」の「マーキームーン」などがありますが、Tさんが出してみて「でも、メロディーわかんないな」と言うので「私も、あのテレテレテレレンのギターリフしかわかんねーや」と言いつつ、曲が始まっても、「全然どんな歌だか、わかんない!」と言いつつも、途中で入る「ジャーンジャジャ」という演奏は「ああ、そうそう、これだ、これ。ここはキャッチー」と納得したのですが、あれだけ「演奏は耳にこびりついているのに、歌のメロディーの記憶がすっかり抜け落ちている曲も珍しい」

 この世に「マーキームーン」を鼻歌で歌える人が他にいたとしたら、ちょっと今やってみてください。ギターリフしか出てこないでしょ?
 トム・ヴァーレーンがどんな声質なのかも思い出せないくらい、「あれだけ(一部では)有名曲なのに、歌メロの印象が全く皆無という、世にも珍しい楽曲」ということが判明いたしました。

 他にも「80年代洋楽エレポップ」をいろいろ出してみましたが「全部、つぶやき系というかお経だな」
 JAPANも「クワイエット・ライフ」だけが入っているのですが、あれも歌い難いよ。メロディラインないんだもん。

 しかし、それでも「こんな曲を歌いたい人がいったいぜんたい日本全国でも何人いるのか?」な、ビカシューやムーンライダーズの曲が着々と曲数を増やしているのを目の当たりにすると「やはり組織票が動いているに違いない」と思い、もっとニーズが多いはずのプライマル・スクリームの初期の曲なんかがずっぽり抜けているのをなんとかしなくてはならないのだが(Tさんは「アイビー・アイビー」希望。私は「カム・トゥギャザー」や「ハイヤー・ザン・ザ・サン」希望)、いったいどういう行動をとれば、自分らの清き一票が生きるか、よくわからない。

 カラオケに入る曲リストをじっと眺めると、選挙のときのような不条理を感じる。
 だって、どう考えたって「ヒカシュー」よりも「バウハウス」のほうが支持者が多いと思うのに!なんで、一曲も無いのだ!(でも、「ジギー・スターダスト」と「テレグラム・サム」はあるんだけどさ。あれは、バウハウスがカバーした名曲ってだけだし。でも「シド・ヴィシャスのマイ・ウェイ」はちゃんとあるのに)

 しかし、ふと思った。アマゾンでは「この本を買った人は、他にはこんな本も買ってます」というのが出てくるが、カラオケでもやってほしい。たぶん、デペッシュ・モードを歌う人は、ニュー・オーダーも歌っていて、やはりスミスなんかにも挑戦しているかもしれないが、ユーライアヒープなんかを歌う人は他には何を歌っているのだろう?

 てうーか、カラオケ屋に無線LANというか、ホットなんちゃらを装備して、ノートPC持っていけばその場で本部サーバとアクセスできて検索できたらいいのにな。そんで、その曲の「今週の配信数」なんかも出てきたら面白いし(自分の好きな曲でも人気の無いやつを必死で歌うことになる)、「この曲を歌った人は他にはこんな曲も歌っています」なんてリストが出てきたら、ネットサーフ感覚で曲が選べるので便利。

 まあ、そんなことを要望するのも、カラオケ時間が3時間を超すと、だんだん自分が何を歌いたいのかわかんなくなり、検索能力が落ちるので、なんかそういう情報が欲しいと思ったわけで、2時間くらいしかやらないんなら要らない機能ではある。
 あ、そっか、パソコンじゃなくてケータイでやるサービスが一部実施されているような広告見たような気がするけど、そっちのほうが現実的か。

 まあ、昨日は「今現在、金に困っていそうな人の曲に清き一票を投じよう」ということになり(カラオケで曲を出したからって印税入る仕組みになっているのかどうか、よくわかんないのだが)、ついつい「一発屋」が多いジャンルである「80年代エレポップ」大会になってしまったのだが・・・・・
2月6日(金)

 T嬢と「韓国ホルモン鍋食べにいこうぜ」計画が持ち上がったので、Mちゃんにも声をかけてみたら、急に実家に帰ることになるかもしれないので予定が立たないとのことで、その話をいろいろ聞いているうちに、またいつもの「わけわかんないがとにかくなんだか長引く会話」になってしまい、午前3時過ぎまで話し込んでしまったので、今朝はなかなか起きられず、それでもガムバって10時半には会社に着いた。

 今週は、みんな日曜日からフルに働いているし、勤務時間も長かったので、昨日あたりから皆「暇&だるい。一週間なげーよ」」状態に陥っていたのであるが、今日もとてもマッタリしていた。夕方になると、部長会議が始まって、上司達が消えたので、フロアは「だら〜ん」とした雰囲気に包まれた。

 さて、世間では「トリビアの泉」という番組が高視聴率をキープしているし、「へえ〜」という言葉も流行語となったが、「へえ〜」とは「人生に全く必要のないムダな知識…だけど明日人に教えたくなるような雑学・知識(=トリビア)」を評価する「単位」である。(と、いまさら解説するのもなんだが)
 要するに「へえ〜、そうだったんだ」と思わず呟いてしまう度合い。

 しかし、日常生活において、他人を「へえ〜」と感心させられることは少なく、たとえば職場などでは、誰かが妙な理屈をこねたときに、「なに言ってんじゃ?」と思ったときに、「へえ〜」と冷たく評価されることのほうが多い。
 例えば、先日も日記で書いたが、会社の近所で人気ドラマのロケをしていることを知った総務部長が、「会社の近辺のことは把握しておかないといけないから、ちょっと視察してくるわ。ほら、一応、総務だし」と言って、抜け出そうとしたときに、みんなで「へえ〜」と言ってからかったりした。

 そんなわけで、本当の意味(?)で「へえ〜」と言ってもらえる機会はあまりないような気がするのだが、一昨日の日記で「小町算の由来」に触れ、「小町に恋した中将に、小町は『100夜通ってくれたら・・・』と言ったので、中将はがんばって通ったのだが、99夜通い、あと一夜というところで急死してしまった」という話を読んで、「へえ〜」と思ったが、でも「99夜も通うから過労死だったんでは?」と思ったが、「過労死」とは、あからさまに言うと「ヤリ過ぎ」のことであった。

 あたしの解釈がちょっと間違っていました。「通う」といえば、「通い婚」と言うように、ちゃんとヤっていたのかと思ったのだが、たしかに、「通う」には、イタリア男が窓の下で歌を歌ってアピールするような(参考資料:映画「トッツィ」)意味もあるんですよね。イタリア男は歌を歌うが、平安時代の日本男性は歌を詠んだ手紙を書いて、召使に渡し、召使が先方の下女にその手紙を取り次いでもらって(そういうやり取りで、召使同士のほうが早くデキてしまうやうであった)下女が姫に手紙を渡して、とメンドクサイのであった。

 まあ、それで「お会いしてもよくてよ」って言ってもらえればしめたものだが、平安時代の貴族は他にやることなかったので暇だったらしく、かなりじらすのである。それでアポ無し突撃訪問なんてカマしたりしたようだが・・・・。
 しかし、「100回通え」っていうのも、大変だよなあ。
 想像してしまった。キアヌが、うちの玄関の外に毎晩来るの。99回も。ピンポーンって呼び鈴鳴らすわけよ。「ミヤノさん、今日もお訪ねいたしました。わたしのキモチ、わかっていただけてますか?しくしく」

 そんで、朝までそのままネバるわけよ。99回も。
 あたし、気が短いから、たぶん3回目くらいでイヤんなるね。
 「口から出任せで、100回って言ったんだけど、ほんとにやるつもりなのか?」ってね。
 キアヌ中将は、作戦ミスしたと言えよう。
 「100回通ってくだされば」と言われたら、「あっ、そう。でも100回も通うのメンドーなんで、いいです。失礼いたしました」と言ってやれば、ミヤノ小町は大慌てしたのによー

 などということを言いたかったのではなくて、えっと(また自分が何を主張したかったのか忘れている)、だから、そういう「そっか、『通う』ってそういう意味だったのか!」と気がついたときに、私は「エヘ?間違えちゃった」と、ごまかす。

 別に私の実際のキャラがどうだという説明をくどくど書いても意味がないが、私は現実にはあまり「えへ?」と言わない、というか言えない。でも、前に同僚だった若い女性が、上司に凡ミスを指摘されると「えへ?」と言うのを頻繁に目の当たりにして、「いいなあ、『えへ?』って自分もやってみたい」と、大変憧れていたのである。
 なので、現実には今だにあまり使用できないのだが、日記ではわりと多用しているような気がする。

 というわけで、また長ったらしくなってしまいましたが(どうして、簡潔にまとめられないのだろう。すごく不思議。だから長電話女王なんだよな)、そういうわけで、今日、気が付いたのですが、

 「へえ〜」の逆は「えへ?」だ。

 「へえ〜」が他人を感心させたときの評価の単位だとすれば「えへ?」は他人に「あんた、そんなことも知らなかったの?」と小バカにされたときの単位。
 まあ、基準としては「佐藤浩市の父親は三国連太郎だったんだ」というのが「50えへ?」くらいだろうか?
 「え?三国連太郎って、どの人?」というのが、「65えへ?」くらいかも。

 前に同僚ギャルが、他部署の部長に「えもんかけ、貸してもらえる?」と言われて「なんですか、エモン・・・って?」と言ったときは、どのくらいの「えへ?」が出ただろうか?彼女は「なーんだ、ハンガーのことか?あたし、そういうの苦手で、前も『つっかけ』がわからなくて」と言ってたな。ちなみに彼女は現在26歳くらいのはず。

 そういうわけで、今日から「自分がどれだけ一般常識と外れていたか」を計る単位は「えへ?」になりました。

 ふー、やっとここまで話が進んだ。(36えへ?)

 さて、今日、そのマッタリした職場で、なぜか「えへ?」の高得点が連発されていた。

 ハイジが同僚Kに「サムライ?なんで?」と会話していた。
 「ラスト・サムライ」の話でもしてるんかと思ったが、どうやら「大の月と小の月」の話をしていることがわかったので、「サムライって、武士の“士”の字だからだよ」と横から口をはさんでしまった。だって、クララも「なんで、サムライなのかな?」なんて言ってるんだもん。

 みんなに「へえ〜」と言われたが、それは「へえ〜」じゃなくて「えへ?」だろ。76えへ?くらい出ると思うぞ。

 私「でも、なんで、ニシムクサムライの話してんの?」
 K「いや、あたしは、それ知らなくて、コブシでやっていた」

 ああ、たしかに、コブシの突起で「1、2、3・・・」と数える技もあったが、あれはわかりにくいので、私は「ニシムクサムライ派」だった。

 私「で、なんで、そんな話になったの?」
 K「ハイジは、どっちも知らなかったんだって!」
 私「え?それじゃ、今までどうしてたの?」

 ハイジは、その月が30日だか31日なのかを今まであまり意識してなかったそうだ。
 「だいたい、31日でいいじゃないっすか」
 それで、困ることもなかったのだが、最近になって「簿記2級」の勉強をしているときに「利息計算」の問題で「月の日数」がわからないことが壁になったようだ。

 借入金の利息は、「年利÷365日×借りた日数」になるので、設問の期間が「大の月なのか、小の月なのか」を考えないといけないのだが、それがわからなかったようなのである。

 82えへ?ってかんじ。

 私「じゃあ、うるう年とかも、あんまし意識したことがないんだ」
 ハイジ「そうっすね」
 私「じゃあ、うるう年のときにオリンピックが開催されるってこと知ってた?」
 K「あ、私はそれを前回のオリンピックのときに初めて知ったよ」

 K嬢は30歳である。
 53えへ?ってかんじ。

 私「もー、部長達が会議中でよかったよ。オジサンたちがこの会話を聞いたら、うちの会社の若者たち大丈夫かって大騒ぎになってたよ」

 大騒ぎというか、会議中の部長たちの中には「他人のそういうエピソードを広めたくてたまらないタイプ」と「他人のそういう常識の欠如を知ると、延々と説教&講義が30分は続くタイプ」と濃いキャラが揃っていたのである。ちなみにフォローしているわけではないが、私は両方ともあっかるいオジサンなのでけっこう好きですけど。

 そんなんで盛り上がっていたのだが、それも一段落ついたときに、地方に出張に行く人Y氏が「出張で行く得意先のそばには宿泊施設がなくて、JRで二駅手前に、キノサキがあって、そこで宿をとろうとしたんだけど、ビジネスで行くような土地じゃないから、なかなかいい宿がない」と喋っていた。

 私「え?キノサキってどこ?」
 K「兵庫県。キノサキにてっていう有名な小説があるでしょ」

 ああ、「城之崎にて」か。

 私「あれって、誰の小説だったっけ?なんか、トーソンとかあのあたりだったよね」
 K「えっと、そうそう、藤村とか、そんなかんじ」

 すると、横でやはり暇そうだったK氏と同じ部署のペーター(久々の登場)が、すかさずサーチして、

 ペーター「志賀直哉ですよ」

 私「キャーーーーーーー! さっきは、大の月と小の月がわからない人がいたけど、もう、うちの会社、ダメじゃん!部長たちがいなくてよかった!」
 島崎藤村と志賀直哉の代表作を混同するのは、37えへ?くらいだろうか?

 そばにいた、Kやハイジは、その会話を完全無視したので、「藤村」が出てきた時点で、まだマシだったのかもしれないから、28えへ?くらいだったのかもしれない。

 それで思い出したが、私の好きなデイヴィッド・ロッジの小説「交換教授」には、そういう「自分の恥を晒すゲーム」が登場していた。
 ルールは単純。何人かで集まり、たとえばメンバーが5人だとして、「今まで読んだことがない本」を一冊づつ挙げていく。その本を他の人が読んだことがあれば、その人数に応じて点数がつく。

 例えば、私が「動物のお医者さん」と言ったら、他の4人のうち、1人が「読んだことある」と言って、他の3人が「それは読んだことがない」と言えば、私の得点は1点である。

 という説明を読んでも、あまりピンと来ないのだが、小説の登場人物たちも最初はあまりそのゲームの面白さを理解しないのだが、だんだんと「これは自分の恥を晒すゲームなのだ」と理解してきて、パーティーのたびに熱中しだすのである。
 「交換教授」はイギリスの大学とアメリカの大学で教授を一時的にトレードするという設定で、「教授の交換留学」を描いた小説だ。いろいろと読みどころの多い小説であったが、登場人物は「英文科の教授たち」であり、パーティーに集まるのも、そういう「平均以上の英文学読書量」を誇るエリートたちである。

 得点を稼ぐためには、「たまたま自分は読んでいたなかったが、他の人が当然読んでしかるべき本」を挙げないといけないのだ。その描写を読みながら「日本でこのゲームをするのは難しそう」と思ったが、たとえば「我輩は猫である」を挙げてもどれだけ点数かせげるものか・・・・
 この小説では、そのゲームに熱中するあまりに、英文学の権威と呼ばれるような教授が「実はシェークスピアの超有名脚本で読んだことないのがある」と言い出し(「ハムレット」とか「12夜」とかの超メジャー作品だったけど、なんだったか忘れた)、他の人たちは「そんなはずない!」と反論するが、本人はゲームの得点欲しさに「いや、ほんとーに読んでないんだ」と言い張り、結局それが問題になって、その教授が失脚してしまうというストーリーだったような。(読んだのが10数年前だから細部失念)

 日本の国文学の教授たちが集まって同じゲームをしたら、何を読んでなかったら問題になっただろうな。
 そのあたりに、日本の「キョーヨー」の曖昧さがあるような気がした。

 私が「島崎藤村」と「志賀直哉」の区別がつかなかったということも、私の「キョーヨー」を傷つけるほどの行為ではなかったはずだ。逆に「トーソンかな?」と言ったあたりで、「キョーヨーひけらかし事件」なのだ。「城崎にて」なんて知らないのがフツー。

 だからこそ、「へえ〜」も「えへ?」も成り立つのだろう。
 「役に立たない雑学」と「一般常識も知らない」の間の層が薄いよーな気がする。

2月4日(水)

 朝8時前に出先に到着したが、お客が一人も来ない予定であることが判明し、そのまますぐ職場に向かった。
 おかげで朝から、がっかり&ぐったり。

 3時ごろにはすっかり眠くなり、眠気覚ましに保険のオバチャンが持ってくるテレビガイド雑誌の巻末に載っている、升目を塗りつぶすパズルを塗り塗りしてた。ロジック・パズルというらしい。
 昔もよく、たしか雑誌「ぴあ」に載ってたので、ときどきやってハマってたんだよな、これ。今では、ゲーム・ソフトもあるようだし、たしかに、今日久々にやったら「これ、パソコンでやりたい」と思ったが、でも、あのパズルの醍醐味は、「ぬりぬりする」ことなのである。今日も久々に鉛筆つかっちゃったもんな。しかも、鉛筆削りがたしかフロアのどこかにあったのだが、最近誰も使わないので見つからず、「いいも〜ん、あたし、そんなのなくても大丈夫だも〜ん」と久々にカッターで鉛筆削ったよ。

 うちの母は、勉強にはうるさくなかったが(まあ、私が成績で親を悩ませたことがなかったのもあるが)、自分が手先が器用であることに、とても誇りを持っており(勉強は得意ではなかったが、美術系科目の成績はずっと最高だったらしい。描いた絵がほとんど「入選」してしまったので、手元に残ってないのが自慢)、子供にも(特に長子の私には)そのスキルを身に付けさせるべく、ボンナイフ(懐かひい)で鉛筆を削る練習をさせた。あと、リンゴの皮を切らずに剥くとかも、さんざん練習した。

 そういう手作業を指導しているときの母はとても嫌味な教師で、「ほら、あたしなんか、こんなに綺麗に削れるのに〜、あんた不器用ね」とバカにされたのだが、大人になってみると、才能以前にそういう訓練をしていない人が多く、けっこう意外なところで優位にたてるので、それなりに感謝しております。
 A嬢に「リンゴの皮の剥き方教えて」と言われてびっくりしたが、自分が母に指導されたことを思い出して「ほら、こうやって、包丁を持ってないほうの親指で包丁を手繰り寄せれば絶対に手を切らないわけさ。包丁持っている手は添え物」と偉そうに指導した。

 A嬢の母上は大変なお料理上手で、その昔、時々自宅に遊びに行ったときには、いつも美味しい定食屋さんのような食事を出してくれて感激したのだが、その母上はなぜかその技術を娘に伝えていなかった。まあ、人の家庭のことなので、母上の努力が足りなかったのか、教えようとしてもAが聞く耳を持たなかったのかわからないけど、うちの母親の場合は、結婚するまで全く料理をしたことがなかったので、苦労して覚えたらしく、「自分の母親は何にも教えてくれなかったので、自分の娘にはちゃんと指導しよう」と思ったみたいで、さやえんどうの芯とりとか、ゴマの炒り方とか、なにかやるたびに見習させられた。

 でも、イマドキは親に教わらなくても、料理番組が沢山あるので、興味があれば観ているだけでいろいろ勉強になるけどね。前に、とある友人宅に遊びに行ったら、夕飯を作ってくれたのだが「あれ?ゴボウってアク抜きするんだよね・・・・でも、どうやるんだっけ?」と言われ、「タマネギだと水に漬けるけど、ゴボウもそうだったっけ?」「お湯に通すんじゃないよね、たしか?」「ササガキにして、水に漬けとくと思ったけど・・・・自分でゴボウなんて料理したことないから忘れたなあ」なんて会話していたが、それも双方にそこそこ料理に対する興味があったから成り立った会話で、興味の無い人は「アク抜き」という概念すらなかったりするので、たまに驚く。

 ちゅうわけで、今日の午後はパズルで真剣になっていまいした。けっこう巨大クロスワードも好きだったんだよな。なんか升目をちまちまと埋める行為が好きだ。
 昔勤めていた会社で、暇なときに当時20歳くらいだったギャルな社員がクロスードに夢中になっていたのだが、ギャルなだけに一般常識に欠けていて、たまに、やはり暇なオジサン社員が手伝っていたのだが、その会話が無茶苦茶おもしろかった。。どうしても文字が合わないので、ギャルが先に入れていた答えを洗い直していたのだが

 「だって、ここはケイカだから、頭がケなんだよ」
 「ケのはずは無いなあ。そのケイカの問いはなんなんだ?」
 「えっと、16は、産後の○○○」
 「おまえ、そりゃ、ケイカじゃなくて、ヒダチだろ!ボケっ!」
 「ええ?ヒダチ〜?なにそれ〜」
 「ほら、そこがヒだったら、縦がヒノヨウジンになるじゃないか!」

 彼女にクロスワードの才能が無いのは明らかだったが、面白かったので皆で協力して彼女を教育していた。

 私も、中学生くらいのころは、クロスワードを親に手伝ってもらったりした。だって「大久保清が着ていたのは○○○○」なんて、全然わかんなかったもん。母親に聞いたら「ああ、ルパシカよ」って、なんじゃそりゃ?「なんか、ロシア風の服よ」って、その当時はそもそも「大久保清」が誰かもわかんなかったしな。

 今日は、ロジック・パズルの後に、「小町算」にも挑戦してしまった。全然できなかった。でも、なにやら真剣な目つきになっていたので、外からみると仕事しているように見えたであろう。
 そんなことばっかしてても、お給料いただいちゃって、「会社しもべ妖精」失格だった。もー、眠くて、眠くて、なにやっても眠いんだもん。

 そんで、まだ今日が水曜日だっていうのが辛いね。
 今日はハイジも「今週、長いな」とボヤいていた。
 全員同じキモチ。

 ところで、「小町算」であるが、その名前の由来はけっこう面白い。
 「100回通え」ということは、「100回ヤったら、マジメに考える」ということか?

 100回は多いぞー、と思った。
2月3日(火)

 なんだ、まだ火曜日なのか。日曜日から出勤してると曜日感覚狂うからヤダ。
 でも、早起きも3日連続になると、さすがに慣れてくる。でも、9時出勤なのは昨日と今日だけで、明日はまた7時半出勤なのであった。いやだ。いやだ。っていう絵本あったな。あった

 あたしは気弱な子供だったので、あまり「いやだ」と強情を張ることができなくて、この絵本の登場人物にちょっと憧れていたような記憶があるが、それは勝手な思い込みで、ほんとうは「いやだ、いやだ」を連発していたのかもしれないけど、でも、大人になってからもあんまし「いやだ」と拒絶することができなくて、なにかを否定するときには、あれこれ理屈を並べてしまう小心者であるので、やっぱし子供のころからそうだったのかもしれない。

 そういえば、もう2月になったが、うちの会社では残酷な月は4月ではなく2月であるというのが定説である。
 だって、「23日出勤」なので、2月は5日しかお休みが無いのだ。それってほぼ「週休1日」である。
 だから毎年「いったい、どーしてこんなことになってしまったのだ?」と嘆くのだ。いや、会社の勤務規定ではなくて、なんで2月だけ無意味に短いのか担当者に説明してもらいたい。

 ま、年間出勤日はそれでも変わらないんだけどね。

 「いやだ」の話に戻るが、昔、とあるフランス人女性で、仏文学の教授と結婚して日本でフランス語講師をしていた人だったが、「なんとか子供にはフランス語も話してほしいけど、なかなかねえ」とこぼしていたが、ダンナの協力もあってなんとか家庭内での標準語はフランス語にしているようだが、それでも「いや!」とか「やだ!」いうのは日本語で言うそうで「たしかに、フランス語でそれに該当する言葉がないので便利なのかも」と分析していた。

 ふーん、そうなのかと思ったけど、フランス語だったら「ノン!」と言うのだろうか?よくわかんないんだけど、先日、香港に行ったら、英語での学校生活も1年になり、日常会話はかなり上達したらしい11歳のお子様が、お母さんに「ほら、○○しなさい!」と叱られていたら、「I don't like it!」と英語で口答えしてて、ふーんと思った。

 そっか、きっとそのフランス人家庭の子も、短くて言い易いから「やだ!」と言うわけでもなくて、親にとっての異国語を使って反抗すると、生意気さが倍増するし、たんに駄々をこねてるだけなのに、なんとなくちゃんと立派に反抗しているような気分になるかもしれないので、わざとそういう使い方をするのかもしれないな。
 まあ、学校とかではよく使う言葉なので、そっちのほうが言い易いということも大きいだろうけど。

 そういえば、キムタク主演の月9ドラマに使われている効果で、クイーンのアルバムが「27年ぶりに一位」になったそうだ。
 そのドラマはうちの会社の近所のスケートリンクでもロケしているようで、先月は屋外ロケをしていたので会社でも何人か見学に行っていたが、私の上司も「一応、会社の周辺の状況は把握しておかないといけないから。総務だし」という、わけのわかんない理屈を言いながら会社を抜け出して行ったが、キムタクは拝見できなかったようである。

 それはいいとしても「27年ぶり」って言われると、また遠い目になっちゃうよな。
 クイーンが最後に来日したのは、私が17歳くらいのときだったと思うが、一番レコードが売れていた時期って「27年前」つまり、私が10歳のときで、小4か小5くらいのとき。友人の家に遊びに行くと、よく中高生の兄や姉の部屋にはキッスと並んでクイーンのポスターが貼ってあり、どっちも小学生には「気味悪い」ものであった。

 キッスは仮装みたいなもんなので、まだ理解できたが、クイーンのメンバーの顔はちょっと理解できず、でも漠然と「自分が高校生くらいになると、これの美しさがわかるようになるのだろうか?」なんて考えたのだけれども、今となってはちゃんとわかるが、あれは別に「顔が好きだから」ということではなかったんだよね。でも、当時は「アイドル」というものは姿形がメインだとしか考えられなかったので、大人が塩辛などの珍味をおいしそうに食べるのと同じで、「大人になると、この顔の良さもわかるようになるにちがいない」と思っていたのでした。(まあ、ほんとーに顔が好きだという人も多かったとは思うが)

 まあしかし、なんだかよくわからん「癒し系音楽」が跋扈する現代社会において、クイーンこそが「本当の癒し系音楽」であるということに、多くの人が気が付いてくれるといいんだが。
 そーいや、香港のバスではテレビで音楽番組とかを流しているのだが、きょうみさんとバスに乗っていたら、日本のドラマ主題歌を演奏する「女子12楽坊」が流れていて「あ、女子十二なんちゃらだ」と私が言うと、きょうみさんが「これって、けっこう流行ってるみたいだけど、そんなに上手い楽団でもないよね。これくらいの演奏だったら、いくらだって・・・」と言うので、「もー、日本じゃ大変よ。この間、来日公演してたけど、武道館でやってたんだよ!」と言ったら「へえ〜、変なの」とか言っていたが、あれもいったいどういう層が客なんでしょうね?

 坂本龍一の「エナジー・フロー」のCD買うような人たちなのかな。やっぱ。
 ピアノ教えていた友人が、社会人の生徒たちに「何か弾きたい曲があったら楽譜持ってきてください」と言ってみたら、「みんな、あの曲持ってきやがる」と怒ってたな。クラシック弾く人には非常に弾き難い曲なんだそうだ。たしかに、まともなピアニストで坂本龍一の曲弾く人を私は知らない。(いたら教えてください)

 昔はけっこう坂本龍一がそれなりに好きだったのであるが、彼の作曲するピアノ曲を彼自身が演奏していると「演奏のレベルが低いので、曲がどの程度の出来なのかよくわからないから、まともなピアニストに弾いてみてもらいたい」と思ったのだが、せめて、矢野顕子が弾いてくれれば、もう少し冷静に判断することができるのだが、と思ったが、やっぱし矢野顕子もバカじゃないからそんなことしないよね。(してたら、スイマセン) 
2月2日(月)

 あー、ねむいったら眠い。
 昨日は6時起床だったが、今日は単なる「早番」だったので、9時前に出社すればよいだけで、それって「フツーの勤務時間」とも言えるが、通常10時出勤なので1時間早くなるだけでけっこう辛い。
 それに、その時間だと、下り方面でも、そこそこ混んでいるので、座れないのが辛い。けど、ラッシュではないので贅沢なブーブーである。

 しかし、そういう時に限って、乗換駅に着いたら「たった今、○○駅で人身事故が発生し・・・・」というアナウンスが流れ、運転再開予定不明でげっそり。そこで待っているのも嫌だったし、人身事故の経過のアナウンスが苦手なので(普通の鉄道ではあまりリアルに報告しないが、中央線だと「ただいま、現場検証中です」なんて言いやがるので、想像力逞しい人には辛いのさ)駅前のファーストフード屋でコーヒー飲んで時間を潰し、15分くらいして戻ったら運転再開してた。(途中駅で折り返しだったが、私には支障無し)

 そんで、なんだかグッタリしてしまったのだが、もうすぐ9時になる電車はすでに空いていて、余裕で座れたのだが、ぼんやりと乗っていたら、途中駅で品のよい中年女性(北朝鮮関連のなんとか惨事を8掛けという風情。コートが上等なところが似ていた)が降りようとしたら、20代後半〜30代前半の女性が「すいません!」と彼女に声をかけた。
 なんだろうと、私や他の乗客もハっとすると、「傘忘れてませんか?」

 中年女性は一番奥の席に座っていて、彼女が立った後に、手すりにビニル傘がぶら下がったままだったのだ。
 若い女性がその傘を指差すのをおっとりと確認した彼女は、「それ、私のではないんですよ」と、おっとりと返答した。
 よくある「気まずい瞬間」である。私もケータイ電話が取り残されているのに気が付いて、立ち上がった人を呼び止めたら、「それ、わたしのじゃありません」と冷たく言い放たれてガッカリしたことがあった。
 そう言った相手も悪気があったわけでもなく、降りる最中に声をかけられたので、必要最低限のことしか言う余裕がなかったんだろうけど、でも、ちょっと寂しいよな。

 と思っていたら、その中年女性は「それ、私のではないんですよ」と言った後に、「ありがとうございました」と若い女性に向かって小さく微笑んでから電車を降りて行った。ささいなことでしたが、あの女性が「上品に見える」のは姿形ではなく、あのゆとりのある態度がかもし出しているのだと再確認して、「ほお、勉強になるなあ」と感心いたしました。

 なんか疲れているときって、そういう些細なことで感激する癖があるのだが、それとはまた別の話だが、昨日、お昼ご飯を買いに出ていたら、ファーストフード店の天外で食事している人たちがいて、その足元には白い犬が寝そべっていて、お皿に入ったドッグフードを与えれらていた。
 ちょっと秋田犬が混じった雑種みたいで、中型犬よりやや大きめで、中毛だったんだけど、見たこともないくらい「真っ白」な犬だった。

 「きゃー、真っ白〜、ふかふか〜、かわいい〜」と思って、そばに寄って行ってしまったのだが、普段だったら「かわいいですね」なんて言いながらしゃがんでナデナデしていただろうと思うけど、昨日は早朝外仕事で脳みそが一回凍ってから解凍された状態でヨレヨレだったので、いわゆる覚醒状態というのか、頭の回転が無意味に速くなっていて、自分が行動を起こす前に「この後どうなるか」をシュルシュルシュルッと頭の中で上映してしまっていた。
 その未来の映像の中で、私はこんなセリフを喋っていた。

 「わあ、真っ白でかわいいですね。でも、本当に真っ白。ひょっとして、漂白剤に漬けてみたとか?」

 うーん、白さを誉めるのはいいとしても「漂白剤」はちょっと難しいというか、そのジョークが通じなさそうな気がしたので、結局、なでなでするのも諦めたのだが、何歩か歩いてから「そっか、漂白剤云々のセリフだけ削除すればよかったじゃん」と、よくわからない反省をしていたのだが、あのときは、自分が「漂白剤」と言ってしまうのを阻止できるとは思えなかったのだ。

 うーん、なんと説明しようか、自分が可愛い犬を目の前にして平常心を失い、「漂白剤」をベースキャンプに次々と妙なことの北アルプス連峰がその背後に連なり、そのまま雪山で遭難したり北壁で転落したりアイスピックで自分の太ももをブッ刺したりするような変な心地がしたので、それを回避できた自分は偉いと思ったり、ヘボいと思ったり、なかなか複雑怪奇骨折だったのだが、おかげで一瞬だけ北極をその白い犬と犬橇で疾走するイメージも心に湧いたので、なかなか楽しい幻想でありました。

 まあ、要するに、疲れてたので、あの「真っ白さ」にそれだけ動揺してしまったということなんでしょう。
 なんか、風景から飛び出して見えたもんな。ヤバい状態である。

 というわけで、なんか神経がピリピリしているので、今日は早く帰ってきたが、雑誌を買いに西友の最上階の本屋に寄ったら、以前から「やる気のなさ」というか「やる気出そうといろいろやってるけど、全て逆効果」な様子が気になっていたのだが、さらに荒んだ雰囲気をかもし出していて、そういう雰囲気の中で「世界の中心で・・・」とか「背中を蹴るのがどうの」などの「売れ筋の本」ばかりが、見栄えよく平積みにされていると、余計に悲しくなってくるのだが、その様子が「斜陽華族」と似ているからって、「まるでヴィスコンティの映画のよう」と言うのだけは絶対にごめんだとか考え始めるとまた止まらなくなり、なんだか倍疲れた。

 西友みたいな総合スーパーは子供のころお世話になったこともあり、けっこう好きなので、頑張って欲しいのだが、なかなか没落が止まらないよなあ。でも、けっこう頑張っているし、いい商品も置いてあるし、値段も安いし、急な買い物のときには便利なのだが、なかなか雰囲気が上向きにならないので、「今はこういうスーパーの時代じゃないんだなあ」と客の私が勝手にあきらめているのであった。
 でも、今日は手袋買ったし。なぜか今まで使っていた手袋が行方不明になってしまったのだ。どこかで落としたのか?
 そんで西友に行くと、やっぱりもうバーゲン価格で1000円ちょっとでいいのが買えた。そういうのをちょっと買うのにはいい店なんだけどなあ。 
2月1日(日)

 いい屋敷しもべ妖精、ミヤニーを目指そうと思いましたが、やはり「屋敷」ではあまり才能を発揮できないようなので(要するに屋敷しもべ妖精としてはレベル低いということ)

 会社しもべ妖精ミヤニー

 という初心に帰ることにいたしました。これなら「いい会社しもべ妖精」になれるはずです。たぶん。自分的には。
 屋敷しもべ妖精が英語でHouse-elfなら、会社しもべ妖精はOffice-elfかな。
 誰もいないフロアで、一人でせっせと掃除機をかけたり、ミーティング・ルームのイデーの机をマイペットで磨いている私には、こっちのほうがしっくりくるでしょう。

 ちゅーわけで、「働くのが大好き。お休みなんて、とんでもない。お給料?そんなもの頂いたら、会社しもべ妖精のプライドが・・・・・」というミヤニーは、日曜日も出勤です。朝、6時に起床して、7時半には仕事先に到着して、1時間ほどみっちりと屋外でお仕事してから、会社に戻り、夕方6時までお仕事してました。

 ずいぶん時間外労働しているようですが、実は、この時期、多少ですが「特別手当」が出ているので、申し訳ないです。
 ほんとうはお手当てなんて要らないんです。会社しもべ妖精ですから。
 まあ、でも、くれるっていうんだから、貰っちゃいましたけど。どーせ酒代に消えます。
 ああ、ミヤニーは悪い子、悪い子、悪い子。

 明日と明後日は早番出勤で、明々後日はまた外で早朝お仕事です。でも、ミヤニーは「いい会社しもべ妖精」なんで早起きなんて朝飯前です。(たしかに、文字通り朝飯食う暇なし。今日も外で1時間立ちっぱしたら、足先が凍えて、マックでお茶して解凍した)

 こんな「月月火水木金金」なミヤニーなので、朝マックしているときに「ここは九段下で、けっこうオフィス街のはずなのに、なんでこんなに空いているんだろう」と思ってしまいました。そんで、すぐそばの席に座っていた荒んだ雰囲気の中年女性(ミヤニーよりも10歳くらい年上のネーサマ)が競馬新聞&赤鉛筆でなにやら考え込んでいる様子を観察して「こんな朝っぱらから、競馬とは。嘆かわしい」と思ってしまったのですが、よくよく考えると、今日は日曜日だったのでした。

 どーりで、九段下付近はひっそりしているはずだ。

   ミヤニーは、いい会社しもべ妖精なので、ご主人様の悪口言ったりしません。
 たとえ、ご主人様が闇の魔法使いでも、素直に一生懸命仕えます。
 ミヤニーは、ミヤニーは、ミヤニーは・・・・・



 ほんとは、早起きがほんとに苦手なので、けっこう参っているのですが、ミヤニーは「いい会社しもべ妖精」なので、がんばります。
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