可燃物な日々

表紙に戻る/過去の日記

ご意見・ご感想・誹謗中傷などございましたら、感情廃棄物再利用所までどうそお気軽に書き込んでください

1月31日(土)

 昨日はまた酒飲んで深夜帰宅。
 さて、おとといは「代理母出産」について書いているうちに、電話がかかってきたので中断してしまい、結局何が言いたかったのか忘れてしまったのだが、そうそう「人助け」について考えていたのだった。

 私はあまりボランティア精神の教育を受けていないので、そのへんにはかなり疎いと思っている。寄付もほとんどしたことないし、たまに寄付でもしようかなと思うこともあるが、やり慣れないのでついつい機会を逃してしまう。そもそも寄付=胡散臭いという思想が底流にあるみたい。なんでだかよくわからないけど。

 それに、なんとなく「人の役に立ちたい」という気持ちも薄い。
 もちろん、人並みに「役に立っていると思われたい」という気持ちはあるので、仕事しているのも生活のためというのが大きいが、たとえ莫大な遺産を相続しても、自分がそこそこ有能である証をたてるために、なんか仕事していると思う。

 テレビで「飢餓に苦しむ子供達」なんかが紹介されていると「ああ、かわいそ〜」と心を痛めるけど、だからって、結局なんにもしない。ましてや「じゃあ、私もボランティア・スタッフとして働こう」なんて思ったことが全くない。もっとも、そういう人々を助けるための技術を何も持ち合わせてないんだけど、でも、その気になればそういう支援団体の事務職員になるという手もあるわけだし、なんかできることは探せばあるのでしょう。

 そんなことを考えていたのだが、先日、香港から帰ってきたら、トイレットペーパーのストックがあと一巻になってしまったので、「忘れないように買わねば」と思っていた。けっこうよく忘れて困る。
 駅から家までの商店街には、過剰なほどドラッグ・ストアが建ち並び、最近はマツキヨまで進出してきたので、どこも店頭にはトイレットペーパーを目玉商品として並べている。
 たしかに、どこも安いのだが、ここんとこ私が贔屓しているのは、自宅に最も近い、昔ながらの雑貨屋さんである。「昔ながら」なので、イマドキの雑貨屋さんではなくて、自宅の一部が店舗になっており、奥が居間になっていて、おばあさんがコタツに入ってテレビを観ながら店番しているというレトロな店である。

 当然のことながら、値段もあまり安くないのだが、トイレットペーパーを買うのをよく忘れ、慌てて買いに行く場合には、コンビニよりも手前にあるし、どうせコンビニと値段はあまり変わらないので、そっちのレトロな店を愛用しているのだ。あと、トイレットペーパーはかさばるので、他に買い物を沢山したときには、持って歩くのだ大変なので、そういうこときには、わざとその店で買ったりするのだ。歩く距離が300メートル節約できるのなら、200円くらい多く支払ってもいいと割り切っている。

 そういう実利的なことも大きいのだが、それよりも、なによりも、その店の存在が好きなのである。
 たいして売れてないだろうから、たいした儲けも出ないだろうし、細々と日用品を売っている「やる気の全く無い店」である。おばあさんはかなりの高齢で、腰も曲がっているから、商品の仕入れや陳列などは、他の家族も手伝っているのであろう。

 先日もトイレットペーパーを買おうとしたら、奥の居間におばあさんの姿がなかったので「すいませ〜ん」と声をかけたが、どうもその奥の台所に立っているところで、姿は見えたのだが、耳が遠いらしく私の声が届かない。
 やっと居間のほうに戻ってきたので「すいませ〜ん、これください」と言ったら「はいはい」と店のほうにヨロヨロと降りてきてくれた。店と居間はけっこうな段差なので、見ていてハラハラするのだが、たまたま小銭を持っていなかったので、レジを開ける必要があったのだ。

 ノロノロと接客するおばあさんを眺めながら、「このスロー感がたまらん」と思った。
 イマドキの店では、決して味わうことができない。他の店がファースト・ショップなら、こっちはスロー・ショップだ。スロー・フード並に評価されてもいいと思う。

 でも、こういう店って、どんどん減っているんだよね。たしかに、大型店舗に押されて、商店街の衰退が問題になっているので、そういう議論の中でも「もう減価償却もとっくに終わった、老夫婦がちんまり経営するヤル気のない店ばかりになっているのが問題」とか言われていて、たしかに、そういう店にはとっとと撤退してもらって、新しい店が開けば商店街の活性化になるとは思うが、でもなあ。
 三茶も表通りにあった、そういう店はどんどん撤退しているが(売るとかなりの値段になると思われ)、裏通りにはけっこう残っていて、小学校のそばには駄菓子屋さんも2軒ほど細々と経営している。

 そういうお店は、もはや経営者の趣味でやっているとしか思えない。
 で、そういうお店でわざわざ買い物する行為が、私にとっては「社会貢献」に思えるのです。遠い国に住む人や、会ったこともない「不自由な人」に寄付するよりも、他よりも100円〜200円高いトイレットペーパーを買って、おばあさんに「ありがとうございました」と言ってもらったほうが、なんか「やったぜ」という感じがするし、おばあさんの社会参加を助けているような気がするし。

 もっとも50歳くらいの人が経営している「ヤル気のない店」は、まだ若いんだからなんとかしてほしいと思うが、あんな70歳を越した人がやっている店にそういうのを求めるのも無理な話だし、「絶滅危惧種」として多少寄付するつもりで近隣の人で支えていくしかないだろう。なくなっちゃうと寂しいじゃん。

 そんで、その程度の「支援」なら身近にいくらでもやれることはある。
 この間も、朝、駅に向かっていたら駅前(というか地下鉄だから駅上?)で道を尋ねられ、その人が地図を持っていたので、見てあげたら反対方向に行こうとしていたので「こっちの道ですよ」と教えてあげたら「あら、よかった、全然反対に行こうとしてたのね」と感謝されて、朝からちょっと気分がよかった。電車を一本逃したけど。

 そんで、そういう「ボランティア行為」とは言えないくらいの、小さな負担で小さな親切で大きな満足(「あたしって、やっぱり役に立っているわ」)を得てしまうので、あまり大きな親切をしようという気にならないようである。
 もちろん、だからって「大きなボランティア」をする人たちが「小さな親切」をないがしろにして大物狙いしていると言いたいわけではないんだけど、自分にそういう「自分を犠牲にしてでも」という気持ちが全然無いので、そういう人たちの心境がよくわかんないだけである。

 さて、明日は日曜日だが出勤だ。
 来週は、うちの親会社にとって今後の命運を分ける大事な時期なのだ。
 子会社の社員も全員出勤体制でアシストするのだが、私は個人的には特に関わりがないので、ただ、外仕事(早朝1時間くらい外で立ちんぼ)を2回くらいお手伝いする。
 明日は、さっそく朝7時半から1時間その仕事。あんまし寒くないといいんだけどなあ。まあ、雪の予報は出てないので助かるけど。

 そーいや、昨日、酔っ払って帰り、酔いざましに水を飲みながらテレビを観ていたら、ついつい「ちょっと待って神様」を観てしまったのだが、やっぱり好きくないなあ。
 泉ピン子の出演は、まあ仕方ないし、最初のころに比べると(途中全然観てないが)やや押さえた演技をしていたので「このくらいならいっか」と思ったのだが、やはり脚本家の浅野妙子が苦手なんだよなあ。
 前にも金城武が日本の連続ドラマ初主演で話題になり、共演がフカキョンだったドラマ・・・・あれも「神様」がどうのという題名だったような・・・・・えっと・・・・・・「神様 もう少しだけ」だ。なんだ、ほとんど同じようなタイトルじゃん(笑)

 もーあんときも、金城君観たさに何回か我慢して観ていたが、浅野妙子ってシリアスな話を笑いで緩めることが全くできないんだよね。真面目すぎで息苦しいのだ。息抜きキャラ全然入れてくれないし。
 それでテーマが「死」だと、ほんとうに重い。重いなら重いで、もっと重厚にやってくれれば、それはそれでいいと思うのだが(「北の国から」くらい徹底してくれればね)シリアスを表現するのにセリフに頼りすぎなのだ。もっと役者を信用しろよと思う。

 「ミセス・シンデレラ」のときには、主人公の不幸が大したことなかったので(平凡な日常に追い詰められていた主婦が偶然の出会いから有名音楽家に言い寄られ、そのことによってさらに自分を追い詰めるという「自分の無い人」を描いた秀作)、その大したことない不幸でシリアスになっている様子がけっこう面白かったので好きだったんだけど、そういや、あれにも薬師丸ひろ子をジワジワと追い詰める姑が江波杏子だったな。
 「百年の恋」でも、主人公の母親が江波杏子で、主人公をジワジワと追い詰めていて、あれが効いていた。
 江波杏子が出ていると、多少つまらないドラマでも、けっこう楽しめてしまうようだ。なんか、あの人が主人公にプレッシャーかけると、主人公のとる行動に説得力を与えるんだろうな。

 江波杏子、あなどれん。モーガン・フリーマン並の「☆を一つか半分増やす」力があるようだ。でも、いっつも同じようなキャラで(着物姿で書道や華道をたしなむような古風で厳格な母親)同じような演技なのだが。
1月29日(木)

 友達と長電話していると、あまりの長時間に及ぶ会話のために、だんだんトランス状態になり、なんか不思議な会話になったりするのだが、先日も、深夜2時くらいにふと「人助け」の話になった。
 友人は生まれつき体が弱く、自分が30歳過ぎまで生きているとは思ってなかったので「30半ばになって、けっこう体調よくなって、びっくり」するのと同時に「もう、昔想定していた人生は充分生きたし、好き勝手やったし、いつ死んでもいいかなと思うんだよね」

 でも、「まあ、せっかくここまで生きたんだから、なんか人のためになることもやりたいよ」と言うので、「でも、それって具体的に何をするのかが難しいよね」なんて、深夜にしみじみと話していた。なんか妙に真面目な話題であったが、こういうのは深夜のダジャレ合戦で死にそうになるまで笑いが止まらないのと同じで、深夜の魔力が生む「昼間は絶対にありえない会話」なのだろう。

 それでふと、思い出したのだが、先日ワイドショーでも話題になった、向井亜紀(思わず、チアキと言ってしまい「それは、宇宙飛行士でしょ〜」と突っ込まれた)の代理母出産であるが、フジテレビが独占取材したという映像を少しだけ観たんだけど、代理母ってああいう人がやるんだ、と驚いたのだ。
 私は勝手に「あれは、貧困層の人が金のためにやるのかな」と思っていたのだが、テレビで紹介されてた代理母一家は、そこそこの暮らしをしているようだった。もちろん、報酬はあるが、それも私が考えていたよりも、ずっと安かった。10ヶ月の24時間労働を考えたら、日本円で200万だか300万の報酬では割に合わない。(それが本当だとしたら。私は疑り深いから公称と裏は違うのかも、と思ったけど)

 でも、アジア人よりも欧米人のほうが心情的に馴染みやすいという友人の説では「アメリカってそういう人がいるんだよ。まあ、両極端な国なんだけどさ」
 たしかに、子供が出来ない人の助けになるというボランティア精神と、命をかけて状況の良くない国で活躍する医師などは、同じような心境なのかもしれないけど、でも同じじゃないよな〜。少なくとも私の中では。
 基本的に神経質な人のやる仕事ではないと思うので、出産のリスクなどはあまり深く考えない大らかさが必要だと思うが、でも、テレビの映像観て思ったのだが「これって、ダンナもこれでOKなのか?」
 想像するしかないが、もし私が男だったら、自分の奥さんが他人の子供を孕んでいるのって、やっぱし面白くないと思うし、元気な妊婦だと言っても、いろいろ不自由はあると思うし、日本で解禁になっても、代理母になろうという人はすごく少ないと思う。家族が真っ先に反対しそうだ。

 祖父母が一応元気で、弟に子供が生まれる前、虚しい暇をもてあましていたうちの母が「里親になろうかな」と言い出し、「まあ、いいけど、でも、犬猫飼うのだって苦労なのに、人間の子供はもっと大変だと思うよ。生半可な気持ちじゃできないでしょ」と諭したことがある。
 欧米と違って、そういう養子制度も雰囲気違うと思うし、欧米と同じような「ボランティア精神」が根付いていないので、私自身が気軽にボランティアできるような心境に馴染みがないので、慎重になってしまうようだ。

 代理母に関しては、最近、間近で観察した妊婦が「切迫流産」と「重いつわり」と「逆子で帝王切開」と踏んだり蹴ったりだったA嬢だったので、彼女はどんなに金を積まれてもやらないと思ったが、でも、ほんとに「すっぽん!」と生んだ人だったら、それほどの重労働とも思ってないのかもな。出産直前まで元気に働いている女性も多いし、無痛分娩もあるし、出産経験の多いひとだったら難産のリスクも低いだろうし。

 でも、最近の日本では、あまり沢山出産しないので、周囲の人のほとんどが初産で、けっこう緊張しているので、「出産って大変だ」といういイメージが強くなっているのかもしれない。中学のときのクラスメートが出産で亡くなったということもあって「今だにそういうことってあるんだな」と思ったし。

 話が散漫だが「内戦や飢餓で治安の悪い国」で医師として働く人が「自分がいなければ死んでしまう人たちをなんとか救いたい」という気持ちだとしたら、最低限の医療や食料を得る権利があの人たちにもある、という気持ちでやっているのだとしたら、代理母として身を捧げる行為はもっと贅沢品の供給というか、例えば「アフガニスタンの人にもテレビを観たり、温泉旅行する権利がある」と言って、そういう活動をするために自分を犠牲にして働く人というのは想像し難い。

 まあでも、子供ができないというのは、当事者にとっては大きな不幸だろうから、それを手助けしてあげたいという気持ちはわかるが、でも、よーやるよなあ。あれって途中で「やーめた」と降りられないのがきついよなあ。自分だったらだけど。アフガニスタンに医療活動に行ったりしても、もし、どーしても嫌だったら辞めるという手段があるわけじゃん。もちろん、お休みもあるだろうし。でも、代理母になっちゃったら、自分の命の危険がある場合にはそれなりの対処してくれるんだろうけど「げげ、思ったよりもツワリが酷かった」と思っても、辞めることができないだろうし、けっこう勇気いるよな。

 代理母にもいろいろいるだろうから、数百万の報酬があれば、家に居ながらにしてできる「仕事」だし、下手な在宅仕事よりはずっと確実に稼げるだろうし、そもそもちゃんと仕事できる可能性が低いけど「体だけは丈夫」という自信のある人にはいい仕事なのかもしれない。
1月28日(水)

 月曜日に、日記を書き上げる寸前に電話が鳴り、Mちゃんからで、「もう香港行っちゃった?」
 「金曜日に戻ってきたとこ」と言うと、「そっかー」

 なんだと思ったら、どうも某航空会社のマイルが溜まったのだが、仕事以外で飛行機に乗ることもないうちに、マイルの期限が迫ったので、それをクーポン券というものに換え、仕事でその航空会社を利用すれば機内免税品が買えるらしいのだが、そうこうしているうちに、その航空会社を利用する仕事が入らず、「今月でクーポンの期限も切れてしまう」とのこと。

 それで、人に譲れるものかどうかわからないが、私がその航空会社を利用して香港に行くことを知っていたので、私が使えるのなら何か買い物を頼もうと思ったらしい。

 「その系列のホテルでも使えるんだよね」
 「じゃあ、仕事で成田を利用するときに、前泊すればいいじゃん」
 「それも、なんか面倒だし」
 「じゃあ、あとは、都内にあるホテルで食事かあ」

 金額は2万円で、ホテルで夕飯を食べるには半端な金額だったので、平日ヒマな友達にランチのお誘いをかけてみたのだが、予定が合わなかったらしく、「でも、まだ日にちあるじゃん」と言うと、「でも、明後日からヘルシンキに行く予定なので、帰って来たら2月なんだよ」
 要するに、火曜日しかそのクーポンを利用するチャンスが無いということだ。

 「ミヤノが明日の夜、ヒマだったらリッチにディナーしない?」
 と言うので、「いいよ〜」というわけで、昨日は会社を定時に飛び出し、お台場にはせ参じました。

 前に研修でそのホテルに行ったときには、朝夕の通勤ラッシュのころでしたが、7時ごろ「ゆりかもめ」に乗ったら、憧れの「一番前の席」に座れて感激。(私は女性平均より、やや「鉄ちゃん」度が高いようである)
 一人で一番前に乗るのは、ちょっと勇気がいりましたが、人目を気にしている場合ではありません。運転手席に陣取ってしまいました。

 さて、予算もあるので、フレンチは予算大幅オーバーだし、ビュッフェじゃ安すぎるしで、Mちゃんは「めったに外で食べないから天麩羅がいいかも」と予約してみたそうですが、満席だったそうで、寿司屋にしました。ホテル内の寿司屋なんて入ったことないよ。

 寿司屋もカウンターが10席くらいしかなかったのですが、けっこう混んでました。「平日なのに混んでるなあ。さすが」と思いつつ「おまかせ1万円コース」に舌鼓を打っていたのですが、隣で普通にネタを注文していた30歳そこそこカップルの男性が職人さんと喋っていて、やはり「平日なのに、混んでますね」と言ったら、

 「1月は混むんですよ。今月はずっとこの調子です。関連航空会社のクーポンの期限なんで・・・・・皆さん、けっこう飛行機にお乗りになるんですね。週末はレストランの前に行列ができますよ」

 カップルの男性も、照れくさそうに「ははは、ぼくらもそうなんですよ。なんだ〜、そうだったのか〜」
 そして、私らも思わず「そうだったんだ〜」と相槌を打つと「はは、そちらもお仲間ですか、はははは」

 しばらく打ち解けて雑談し、「東南アジア往復が、このマグロくらいかな」「いったい、どのくらい乗れば、あのトロの塊が全部食べられるんでしょうね」「なんか、次に飛行機乗るときに、寿司ネタで頭がいっぱいになりそう(笑)」「ああ、ロンドンかあ、これでウニとイクラはいただき!とか(笑)」

 というわけで、Mちゃんに「今年もたくさん飛んで、また来年の1月にお大尽しよう。来年はフレンチかな?」と、お願いしておきました。

 今日は会計事務所の人が来て「源泉徴収表の合計表」を渡し、減価償却資産の申告書にも捺印したし、地方自治体に送る源泉徴収表は親会社で作ってもらったが、発送を任されたので(来年あたりは、全部やらされそう。あまり他人の給料金額を見たくないのだが)郵送して、これで1月末期限の経理の大仕事は終了したので、月曜日はMちゃんと朝4時まで長電話してたし、昨日も帰ってきたら12時で、それから風呂に入って寝たのが1時すぎで、睡眠不足で眠たくなってきたので、会計事務所が帰ったあとの夕方は、ずっとシュレッダーの紙詰まり(静電気で紙くずがからまる)を直してた。

 さて、今日こそ早寝しよう。

 そーいや、「目指せ!屋敷しもべ妖精!」計画であるが、やはり屋敷しもべ妖精語を習得せねばならないだろう。日本語訳だと、ヘンチクリンな丁寧語になっているのだ。なので、英語版でそれがどういう原文なのか調べなくてはならない。wouldとかshallとかcouldが濫用されているのだろうか?

 うまく習得できたら、英語圏に行ったときに私も乱用しよーっと。
 ほら、なんかカワイイから親切にしてもらえそうじゃん?自分の趣味が他人にも通用すると思いこむのはイカンとは思うけどさ。  
1月26日(月)

 香港も寒かったが、土曜日の東京も寒かった。
 とりあえず、なんとか洗濯だけ済ませてから、炎の・・・・お父ちゃんお粥ができたわよ。いつもすまないねえ、こんなとき、おっかさんが生きていてくれたら、ごふごふっ・・・ゴブレットを読んでました。おとっつあん!それは言わない約束でしょ?

 あ、それで思い出しましたが、その昔、芸能界でお仕事していたときに、ある芸能人のご親族が亡くなり、うちの社長が葬儀を取り仕切ったので、社員も全員スタッフとして仕事しましたが、私は経理だったので当然のことながら「香典開け」がお仕事でした。香典を開けてお金を確認し、最終的には「香典リスト」を作成するのです。そのときには、お花の代金の徴収もやって、請求書をお送りして口座に振り込んでいただいたのですが、入金管理の仕事をなさったことのある方はご存知でしょうけど、請求書の宛名とは違う名前で振込があると、確認が一苦労なのです。

 なにしろ、お花を出してくださった方の多くは芸能人だったので、振込名義が事務所だったり、本名だったり・・・・、8割がた振込があった時点で「不明な振込名義」の追求作業にとりかかりました。プロデューサーに手伝ってもらうと、「ああ、そりゃ、誰それの本名だ確か」と言うので「芸能人名鑑」で調べているうちに、残るは数人になったのですが、どうしても「ノノヤマ サダオ」というのが誰なのかわかりません。

 プロデューサーも交えて、「うーん、わからないねえ」「会社名義の人が個人名で振り込んできたのだろうか?」などと考えていたら、プロデューサーが「でも、なんかその名前って聞き覚えがあるんだよな、なんだったっけ?」と考え始めました。
 私たちは彼が「うーん、うーん」と考えている横で「がんばれ、思い出せ」と応援するしかありません。そのうち、彼は「あれ?それって?・・・・でもな」とかブツブツ言いはじめたので、「なんなのよ〜」(上司だがタメ口きいてた)と急かしたところ、「いやあ、ほら、昔、こういうのあっただろう。ごほごほっ、すまないね〜ってやつ」
 他の若い女の子は「はあ?」と何言ってんのこの人という顔をしていましたが、「パタリロ」を読み込んでいた私は「それって、『それは言わない約束でしょ』ってやつ?」と言ったところ、彼の目がキラリと光り、「ミヤノ!なんで、そんなの知ってるんだ?」

 いや、元ネタはあんましよく知らないっすけど、漫画のネタでよく出てきたから・・・・とか言い訳してたら、彼は「そうだ、そうだ、あの『いつもすまないね〜』のあの人が確か『野々山定夫』だ!」「ええ!つーことは!」「ハナ肇だよ」慌てて、芸能人名鑑を調べると「本名、野々山定夫」!

 プロデューサーも「そうか、あれがハナさんの本名だったのか・・・・」
 未収リストを見ると、たしかにハナ肇さんの名前がありました。よかった〜ちゃんと事前に確認できて・・・・入金の無い人には再請求をかける予定だったので、「ノノヤマ サダオ」が誰だかわからなかったなんて知れたら大事でしたよ。(もう、時効だと思うのでお許しください。故人だし)

 話が逸れまくりましたが、そういうわけで、土曜日はずっと引き篭もって「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」を読んでいたのでありました。
 なにしろ、香港で「賢者の石」も「秘密の部屋」もDVDで鑑賞いたしましたから、もう頭の中の配役もバッチリです。でも、マルフォイ父はやっぱりジュリアン・サンズでもよかったのでは?(未練たらしい)

 それで、すっかり「屋敷しもべ妖精」ドビーのファンになってしまったわけでございます。
 私が「秘密の部屋」を観ながら、「ドビー、かわいい」「ドビー、かわいそう」とブツブツ言っているのを聞いて、上のご子息が「ドビーは炎のゴブレットにも出てくるよ」と教えてくれたので、さっそく読んでみたわけでございます。

 ちなみに、みんなでピーク登山したときに、ゴミ箱の横に箒が数本放置されていて、きょうみさんと「これは置いてあるのだろうか?それとも捨ててあるのか?」と喋ってましたが、私が思わず、「これが、ニンバスだったら拾って持って帰るんだけどねえ」と呟くと、ご子息に「ハリポタの世界にずっぽりなんだね」と鼻で笑われてしまったのですが、「屋敷しもべ妖精」のドビーやウィンキーの見せ場の多い「炎のゴブレット」を読んで、「私が本当に欲しいのは、ニンバスやファイヤボルトではない!屋敷しもべ妖精だ!」と気が付いたのです。

 ちなみに、日本語訳では「屋敷しもべ妖精」になっていますが、英語では「House-elf」ですので、「専業主婦妖精」ってかんじ(笑)
 私は世帯主の「ご主人様」でもありますが、同時に「兼業主婦」でもあります。でも、主婦としてはかなり出来の悪い主婦でございます。バシバシバシっ、ミヤノは悪い子、悪い子、悪い主婦!(壁に頭を打ち付けて自らにお仕置きよ!←きょうみさんのご子息にまた鼻で笑われそうだ)

 ですから、もう専業主婦を目指すのはやめて「屋敷しもべ妖精」を目指すことにしようかと・・・・

 さて、土曜日は夜更けまで読みふけり、日曜日起きてから最後まで読んだのですが、なんだか具合が悪かったので、ダラダラしていましたが、だんだん本当に具合が悪くなってきて、なんだか胃がキリキリと痛んだのですが、がんばって銭湯で熱い湯につかり、風邪薬を飲んで早く寝ようとしたのですが、やっぱし熱がありそうだったので計ってみたら、7度5分の「やや熱」でした。

 今朝、目が覚めたら、しっかり汗をかいていて、熱も下がっていたし、大丈夫のようでした。よかった気管支系の風邪じゃなくて。香港帰りでケホケホしてたら大変です。

 そんで、仕事がけっこう溜まっていたので、ちょこっと残業して帰ってきました。
 帰り道に、自分を分離させることにしました。ご主人様はミヤノで、屋敷しもべ妖精はミヤニーです。
 ミヤニーはきっと、ご主人様が香港から帰ってきてから、ゴロゴロしまくって、瞬く間に散らかってしまった部屋を見てびっくりして「ミヤニーは、いい屋敷しもべ妖精ですから、ご主人様のために一生懸命、お掃除してさしあげます」と、せっせと働いてくださるでしょう。

 さっそく取り掛かりましたが、ミヤニーはご主人様に似て、ちょっと怠け者の「ダメな屋敷しもべ妖精」のようで、あまりピカピカにはしてくれませんでしたが、ご主人はそれでも満足してくださいました。

 あーん、本当に屋敷しもべ妖精がうちに居てくれたらいいのに!
 でも、ハリポタの本の中でも、マルフォイ家やクラウチ家などの「魔法界の名門一家」にしかいないみたいなんですよね。無料の奴隷なんだから、貧乏なウィーズリー家のほうが必要としているだろうに。

 ところで、ウィーズリー家がなんであんなに貧乏なのか、よくわからないのだが、その謎もそのうち明かされるのだろうか?先祖の代から借金があるとか。だって、たしかに子沢山で大変だろうけど、お父さんは役人だし、上の子供たちもちゃんとした仕事に就いているのに、パーティー用のローブくらい買ってやれよ、と思った。でゆーか、ロンの上に3人も兄貴がいて、皆卒業しちゃったんだから、古着屋で古めかしいの買うよりも、兄弟のお古を利用したほうがいいと思うぞ。 
1月23日(金)

 先ほど、香港から戻ってきました。
 成田に着いたのが8時ちょっと前で、エアポートリムジンで渋谷まで行って、もー面倒だったから渋谷のホテルからそのままタクシーに飛び乗ってしまった。
 私の小さな夢は、成田空港から「もー面倒だからタクシーで帰っちゃえ」とお大尽することである。
 今回は、「早起きしたくない」の一心で、ホテル前泊という贅沢をしたが、それでも6000円+消費税だったので、たぶんタクシーで成田から帰るより、かなり安いのだと思う。

 さて、香港には去年の同じ時期に行っていたので、「もう、だいたいの観光スポットは押さえた」と思っていたので、今回は特に予定もなく、ダラダラと滞在させていただいた。

 やったことと言えば、きょうみさんと「ラスト・サムライ」を観たとか、子供たちとハリポタのDVDを何回かに分けて「賢者の石」も「秘密の部屋」も観たし、それで恥ずかしながら、「秘密の部屋」の原題がRoomではなくChamberだと知り、「そっか、そんな英単語あるんだ・・・・フランス語で部屋はシャンブルだってことは知ってたんだけど・・・さ」とかブツブツ言っていた。

 あとは、「アルゴリズム体操」のCDをお土産に持っていったのだが、お子様たちがちゃんと踊ってくれたので満足したり、ビクトリア・ピークを徒歩で登り、下りはトラムに乗ろうという計画だったのだが、旧正月の元旦だったので、トラムが大行列で、さっさと諦めて下山も徒歩でやったら、足腰がボロボロになったり・・・・

 そうそう、今回の旅行での一番のハイライトは実は行きの飛行機だった。
 世田谷の空の上も、ときどきジェット機が飛んでいて、見事な飛行機雲を作っていたりするが、私はなぜか東京上空を飛んだことがなかった。アジア方面に行くときには、成田を飛び立つと、そのまま九十九里から海に出ていたような気がするし、もしかしたら東京上空を飛んだことがあるのかもしれないが、雲の上だったり、晴天でも夜だったりしたのだろう。

 窓際で、ぼんやり外の景色を眺めていて、飛行機が上昇すると、すぐに霞ヶ浦が見えて、その先に筑波山も見えたので、「今日は視界がいいな」と思っていたが、飛行機は北へ向かって上昇すると、途中で旋回して、また空港の真上を通過した。真下に空港が見えて、離陸する飛行機の姿がわかったので、わーいわーいと喜んでいたが、その後、たぶん私の育った八千代市あたりも通過していったので、「これは、東京湾のほうに行くのか?」と観察していたら、ほどなくお台場を眼下にして、「おお!あれはフジテレビ社屋!」「あっちが東京タワー!」と喜んでいたら、そのうち皇居が見え、あんな上空から都心を見下ろしたことがなかったので、最初はスケール感がよくわからなかったのだが、よく観察してみると、山手線内が真下でこじんまりと展開していることに気が付き、「つーことは、うちの上も通るじゃん?」と思って、心の中の地図帳と照合すると、「皇居があって、あの辺が新宿ってことは、渋谷があれで、あ、あれがきっと246で、環七で、ってゆーことは、あのオレンジ色の微かな点が、三軒茶屋のキャロットタワーだ!」とわかり、もう釘付け。(おしぼりを貰いそこねたくらい)

 ほんとに感激しました。私は地図を見るのが大好きなんですが、地図そのまんまの景色が目の前に広がっていると「ああ、地図と同じ」と感激します。伊能忠敬に見せてあげたかったよ、この景色。
 そんで、「あのあたりが自分ちだ、くそー、双眼鏡持ってくればよかったよ」と思っているうちに、二子玉川もわかり、いつも電車から見ている中州も確認できて、またまた感激しているうちに、富士山がどんどん近づいてきて、また感激。

 けっこう山脈の上を飛んでいたので、たぶん山に詳しい人だったら「あれは、なんちゃら山脈」とか「なんちゃらアルプス」とかわかったのではないでしょうか?あのあたりは、私のお散歩のテリトリーから外れているので、よくわかんなかったけど、山の間の真っ白の平野にも道がきっちりと刻まれている様子は、「ああ、人間って・・・・」と反省するとともに、大地にまるで集積回路のような道を刻んでいる様子は、「ああ、人間って・・・・」と誇りに思う気持ちも半分。

 そんで、朝日に照らされた道が角度によってキラキラと光る様子は、ほんとに「美しい」としか言いようがなかった。
 そのまま、西に飛んでいって、和歌山上空を通り、大阪湾に浮かぶ四角い島はたぶん関西空港で、淡路島の全貌を見渡すことができて、四国を横切り、「もー、ほんとに、日本地図だわ」と感激しているうちに、九州を横切って、いつのまにか雲の上になってしまいました。

 日本列島の狭さを空の上から実感しました。
 あれだけ、クリアだったのはほんとに久しぶり。初めて飛行機に乗ったときには、南周りのヨーロッパ行きだったので、途中で東南アジア上空を通ったときがとってもクリアで、眼下にジャングルと三日月湖を観たときには「ほんとーに三日月湖だ!」と感激したっけな。

 こんな平凡なOLが、偉大なる先人達が望んでも観ることができなかった景色を眺めることができるというのも、なかなか感慨深いものがあります。文明社会万歳!

 話は変わりまずが、香港で観た「ラスト・サムライ」ですけど、字幕は中国語だったので、英語セリフはちゃんとヒヤリングできませんでしたが、思ったよりも日本語セリフが多かったので助かった。
 しかし、チャンチャンバラバラが多かったので、「なんか、キル・ビルみたい」と思ってしまいました。首チョンパ多かったし。トム・クルーズのほうが、ユマ・サーマンよりも、やや腰がちゃんと入っていたけどね。ギャラの違いに比例ってかんじ。

 あまりトム・クルーズが趣味ではないのですが、それにしても、あんましカッコよくなかったような気がする。一番きれいに撮ってもらっていたのは小雪だったような気がする。それなのに、ラブシーンが極力押さえられていて、そういう「押さえた愛情表現」が最近苦手な気の短い私はまた「さっさとヤっちゃいなよ〜」と思っていたので、「なんだよ〜、キスだけかよ〜」と座布団投げたくなりましたが、まあ、トムに着付けをするキーンが「押さえたエロ」で並のベッド・シーンよりもエロかったので、「ふーむ、なるへそ」と、また実生活に役に立たないお勉強させていただきましたが、こういう「滅びの美学」ってアメリカ人にはよくわからんだろーなあ。私にもよくわからなかったもん。

 で、せっかくの「滅びの美学」なのに、トムだけが生き残るってゆーのも、なんだかなあ。あのあたりが日本を舞台にしていたても、ハリウッド映画だなあ、と思った。ブルース・ウィルス主演だったら、死んだのかなあ。
 
1月19日(月)

 う、やべー。
 昨晩、風呂上りに、ずっと本を読んでいて、とうとう「晴子情歌」は読み終えて、「これで安心して香港にいける」と思ったのだが、朝起きたらちょっと風邪気味である。けほけほ。
 風邪薬を投与。

 結局、ろくに荷作りもしていないので、ただ今準備中なのであった。

 さって、荷物もまとまったし(パスポートとチケットとコンタクトレンズ洗浄セットとコンタクト外した時用の眼鏡と財布があればいいのである)、昼飯でも食ってから、ホテルに向かうかね。ホテルでダラダラと読書でもするつもり。風邪薬が効いたのか、咳はとまった。風邪気味だと、香港に入れてもらえないかもしれないから(笑)、風邪薬も持って行こう。

 金曜日には帰ってくるので、心配なのは「みっつのしもべ」なのだが、暖房が入らない部屋で寒い思いをさせてしまうのだろうけど、正月に実家に帰ったときは暖かかったので元気だったけど、今回は大丈夫だろうか。たっぷり水だけやっておいた。あと、ペットのミスタ・アンダーソンは相変わらず紙の中に潜っているので安否不明だが、一度安否の確認しようとして逃げられたので、もう放っておく。水と食料はたっぷり入れておいた。

 それじゃあ、行ってきます。また香港から掲示板に書き込みくらいはすると思いますけど、日記はしばらくお休みいたします。
1月18日(日)

 昨晩は、さっそく借りてきた「晴子情歌」の下巻を貪るやうに読んでいたのだが、電話が鳴り、S君からで、また恋愛相談を受ける。相談ってゆーか、お説教になつてしまつたのだけれど、私の物言ひがキツいとこぼすので、「でも、それを わかつて電話してきてるんだから文句言わないでちやうだい」と開き直ると、「だって他の友達は海外だったり国内でも遠方なんだもん」と、私の眉間にピシっと筋が入るやうなこと言う。

 電話しながらワインをグビグビ飲んでいたので、だんだん酔っ払ってきて、「女心は複雑すぎてよくわからない」と嘆くS君に、ふと口から出まかせでまくし立てたことが、自分でもなかなかうがっていたように思ったので、S君にも「私はとっても凄いことを言ったので、これはメモをとっておけ!」と命令していたのだが、朝起きたら自分でもちゃんと覚えていたので書き残しておこう。

 さて、高村薫も「晴子情歌」が出版された当時のインタビューで繰り返していたが、「女性をまともに書こうとすると、余計なものを全部そぎ落としてもこれだけの分量になった、ということです。
 比較するのもおこがましいけど、高村氏にそう言われると、「じゃあ、私がいつも長文日記をダラダラと書きつらねてしまうのも、そういうことなのね」と納得してしまった。

 あまり性差論を述べたくはないのだが(個人差も大きいと思うし)、でも、例えば旅行から帰ってきた友達に会って、「どうだった?」というと、男性の多くは「楽しかったよ」とだけ言い、女性の多くは「楽しかったよ。それでね・・・・」と言う話が延々と続くのだ。

 だから「女性の長電話や喫茶店で長いして何時間も喋っていられるのが謎」というか「女ってよくわからん」と嘆く多くの男性には、女性の持つ「物語性」がよくわからないに違いないと推測している。
 「お喋り」とは女性たちの「物語の交換」であり、それは経済活動による金銭的、物理的交換作業と同じくらい・・・・というより、それ以上に重要なことなんである。

 と思ったので、それをS君に説明するために、こういう例えを採用した。

 女性が心の中に、1時間半の映画を持っているとする。例えるなら「となりのトトロ」というアニメ映画を一本抱えているとすると、女性はその物語を全部持っていることになるが、それを男性に説明すると、彼らはそれを「ああ、あのバケモノが出てくる映画ね」の一言で済ましてしまう。

 しかし、男性の中にも、それに少しだけ気がついている人たちがいて、試行錯誤の上なのか天然なのかは知らないが、ときどきそういう女性に向かって、「猫バスを飛ばす」のである。心に「となりのトトロ」を抱えている女性に向かって「猫バス」を飛ばすと、女性はびっくりすると同時に「ああ、この人は私のことわかってくれるんだ」と喜び、たぶん猫バスを飛ばせる男は「モテる」んだろう。

S君「だったら、トトロを出せばいいじゃん」
私 「それが出来たら誰も苦労はしないでしょ?ほとんどの人はトトロなんか出せないわけだから、猫バスで頑張れっていう、ありがたい話をしてあげてんじゃない」

 それでふと思った。先週から月9で野島伸司脚本、キムタク主演のドラマが始まったが、私はどうも野島伸司があまり好きではない。でも、なんであんまし好きではないのか、うまく説明できなかったのだが、「猫バス」の話でいきなりわかったのだ。
 野島伸司には、「となりのトトロ」は描けない。でも、彼は「猫バス」の使い方だけはわかっている。で、やつは、とにかく「猫バス」を飛ばして飛ばして飛ばしまくっているのだ。

私 「そうか、野島伸司のドラマは猫バスだらけだったのだ。だから、なんかズルい気がしていたのだ!」
S君「・・・・・・・」(何を言っているのか、さっぱりわかりませんという沈黙)

 すいません。自分的には大発見だったのですが、他人にはよくわかりませんよね。
 まあ、ただ単に私がとっても「猫バス好き」なだけだと思います。ハリポタに「Knight Bus」(ロンドン名物、ナイト・バスのもじりで「騎士バス」)が登場したときにも「わーい、猫バスみたい」と喜んでおりました。

 というわけで、S君は「女心の緻密さは難易度高いけど、ミヤノさんも別の意味で相当謎だ」と言っていましたが、せっかく長々と有難いお話をしてあげたのですが、あまりわかってもらえなかったかなあ。

 さて、自分の物語があまり他人様に通用しないのは、いつものことと諦め、また晴子さんの物語に戻って、架空の女性の物語を鮮やかに紡ぎ出す高村氏の執念にしばし身を任せてホッとするのでありました。
 やっと下巻の半分まで読み進みましたが、火曜日には香港に出発するし、早起きするのが嫌だったので、月曜日は成田空港近辺のホテルに宿泊することにいたしましたので(こういうところで無駄金を使う快感よ)、日記もしばしお休みです。

 現在、荷造りをしながら、本を読むというよりも、本、時々荷造りというかんじでございます。

1月17日(土)

 雪だという予報だったので覚悟はしていたが、出勤する電車の中で、すでにチラホラと雪が降り始め、「こりゃ、少し積もるかもしれないな」と思っていたが、予報通りに「小雪」であり、チラホラと細かい雪が降ったり止んだりだったので、外を歩く人たちも傘をさす数は少なかった。

 10時前には出勤して、まずフロアに掃除機をかけてから、仕事を片付けて昼食をとり、午後には仕事を抜け出してビックカメラでデジカメを買った。どれにしようと悩んだが、結局、今流行りの「超薄型」は電池の持ちが短いようなので、店員さんと相談した末に、以前使っていたソニーのスタミナ電池のやつの、小さいやつ(今持っているのの半分くらいの大きさ)にした。3万円弱。

 6時前には、クララに「じゃあ、来週はよっろしくね」と挨拶して会社を出たが、改札に入ったところで「あれ?わたし・・・・手ぶら?」と気が付き、慌てて会社に戻った。せっかく買ったデジカメを持って帰るのをすっかり忘れていたのであった。いかん、いかん。どうも私は普段はわりと落ち着いているのだが、旅行前は頭が舞い上がりやすく、そわそわしてしまうので、こういうときこそもっと冷静にならないといかん。

 しかし、一旦会社に戻った時間をロスしてしまたったので、せっかく図書館に寄ろうと返却する本を持っていたのに、ただでさえ7時の閉館にギリギリの予定だったから、こりゃ無理だな、と思ったが、「もしかして、乗り換えがスムーズですぐに急行が来れば間に合うかも・・・」と、まだ諦めていなかった。

 図書館など明日の日曜日でもよかったのだけれども、昨日の夜、とうとう「晴子情歌」の上巻を読了してしまったので、早く下巻を拝みたかったのである。
 さて、そうこうしているうちに三茶の駅に到着し、時計を見ると6時40分。ううむ、駅から図書館までは徒歩10分くらいだと思うが、いつもはそんなに時間を意識することもないので、いったい何分で着くのかよくわからない。でも、とりあえず走れば10分以内には着くし、そうすれば6時50分で、本を返却して下巻のある2階に行って戻るのには充分な時間がある。最近は図書館も民間企業並にサービス向上に努めているので、昔のお役所みたいに時間ギリギリだと邪険な対応をされるということもなかろう、と思いつつ、改札を出て、地上に出てからダッシュ。

 走りながら考えた。
 こうして、路上を走ることなんて、なんて久しぶりなんだろう。
 高校生のころは、毎朝のように駅までダッシュしたもんで、「ここの角でこの時間だったらOK」と時間を確認するポイントを何箇所か決めており、そのためにわざわざ腕時計はデジタルにしていたのであった。

 しかし、悲しいかな、ダッシュしたい気持ちはあるが、体がついていかないので、少しパタパタと小走りしては、呼吸を整えるために早足で歩くということを何回か繰り返していた。
 そして、たった一冊の本のために、ゼイゼイ言いながら走っている自分が、まるで出征する恋人を見送るために息を切らす少女のやうで(晴子憑依中)、そんな自分が愛しくもあり、愚かしくもあったが、でもそんな「いたいけな少女のような自分」に「37歳独身会社員」である本当の自分が、厳しいつっこみをいれていた。

 「あんた、それくらいの小金持ってるんだから、図書館に向かって疾走してる自分に酔ってないで、その本買えば?」

 ほんとに、そのとーりだと思ったが、でも、今はちょっとだけ見逃してくれ。今は「金で買えない何か」を楽しんでいるのだから・・・・後でちゃんと買うからさあ。(最後まで読んだら、もう一回ゆっくりと読んでみたいから)

 駆け足の甲斐あって、図書館に到着したのは6時46分くらいであった。
 閉館間近の図書館はそれなりに人がいたけれど、ドアを入った瞬間に、もう誰もいないのではいか、もう受け付けは終了してしまったのではないかという不思議な静けさに満ちていたのだが、それは私だけが、ゼーゼーと息を切らしていて、自分の呼吸の音があたりに鳴り響いているような、照れくさい気持ちだったからなのかもしれない。

 持って行った本を返却カウンターに置くと、呼吸を整えながら二階に上がって、まんまと下巻を手にすると、またすぐに下に降りてそれを貸し出しカウンターに出して、入り口のそばにあるソファに座って借りたばかりの本をリュックに押し込んでいたら、ゆっくりと静かに音楽が流れ「閉館10分前です」というテープのアナウンスが流れた。
 しかし、周囲にいた新聞や雑誌を閲覧している人たちは、そのアナウンスを聞いて、帰り支度を始めるわけでもなく、ゆったりと座っていて、まだ呼吸が整いきらずに、肩を上下させている自分だけが異質なものに感じられたが、「だから、もっと落ち着かないとな」と、また自分を戒めてから、図書館を出ると、外は変わらずに寒かったし、まだ雪がときどきちらついていたが、あれだけ走ったので、かなり汗をかいていて、「風邪ひきそーだから早く帰ろう」と足早に帰宅したのであった。
1月16日(金)

 ふと目覚めたら布団の中だった。ちゃんと寝巻き姿だった。
 でも、部屋の電気はこうこうと灯り、テレビは高らかに鳴り響き、ガスファンヒーターはボーボーと唸っていた。
 「あー、やってしもた」
 と思って目をしばしばさせると、「あー、やってしもた」
 コンタクトつけっぱなしであった。

 ゆっくりと起き上がって時計を見ると、まだ5時だった。
 台所に行って、冷蔵庫から飲み物を取り出し、水分補給してからコンタクトを外して、洗顔歯磨きしてから、また寝た。

 目覚ましで起きて、かなり手がむくんでいたけど、「昨日、派遣のTさんが発熱で早退しから、今日もきっと休みだろうな」と、ガムバっていつもよりやや早く家を出た。顔もムクんでいたので、電車の中でさらに水分チャージ。
 やはり派遣の人はお休みで、ドタバタとミーティング・ルームのテーブルを拭いたり、給湯室のセットをしたり、電話を受けたり、電話を受けたり、廃棄物処理業者が持ってきた伝票に認印を押したり、電話を受けたり、伝言をきいてメモしていたら親会社の社員が来て「○○さんと10時から打ち合わせなんだけど・・・・」と言うので、予定を確認したらちゃんtの入っていたので「ちょっと遅れてるみたいですね」「じゃあ、座って待ってるよ」と言うので、出来たばかりのコーヒーをお出ししたら、今日の午前中に来ると聞いていた「防災機器の点検業者」が来たので、鍵のかかっている部屋の鍵を渡したり・・・・と、一人でやっていたら、やっと同僚が一人出社してきたので、私もやっとコーヒー飲むことができた。

 二日酔いの朝なのに、「二日酔っている場合ではない」ことが最近多いな。

 さて、来週は香港に行くので、ご当地の天気が気になり、朝日新聞のサイトにある天気予報の「世界の天気」を眺めてみたら、「ええ?最低気温4℃で最高が12℃?」(私が香港に到着する20日の予報)

 それでは「最低3℃最高10℃」くらいの今の東京と変わらない。東京がちょびっと暖かいときと同じくらいだ。
 そんなに寒いときもあるのかと、きょうみさんに確認すると、「10℃を切るときもあるけど、5℃以下っていうのはあまり無い」と訝っているし、きょうみさんが教えてくれた香港の天気予報は、20日は「12−16」でも「寒冷マーク」がでているけど、でも「12−16℃」だったら、今の私にとっては天国である。

 いったい、なんでこんなに差がでるのだろう?さっきも確認してみたら、「7−12℃」になっていて、多少マシになったが、それでも最低気温の予報は平気で10℃を切っている。

 日本国内の予報は、気象庁発表に準じているだろうから、メディア毎にそれほど格差は出ないと思うのだが、なぜ海外の天気予報だと、朝のテレビで各局が競い合っている「今日の星占い」みたいなことになるのだろうか?

 でも、朝日新聞のサイトがデタラメかましているだけかもしれないので、他も調べてみた。
 香港の20日の予報。
 Yahoo 16/14
 JAL 18/15
 MSN 13/7
 毎日新聞 13/7
 WNI 18/15
 AT&T 61/46・・・・って摂氏何度?

 「世界 天気予報」で検索して、上位のページを拾ってみただけだが、かなりバラつきがあるというか、MSNと毎日新聞と朝日新聞はたぶん、同じソースから持ってきているのであろう。
 これが例えば「東京の天気予報」だったら、大手町と八王子ではかなり気温が違うので、「観測点の違いかな」とも思えるけど、狭い香港でもそういうことがあるのだろうか?

 いったい、なんでこんなに違うのか、片や最低気温が15℃で、片や最高気温が13℃って、ちょっと変すぎるので、原因を究明したい気もするが、明日も出勤だし、その気力が無いので、「暖かい国に行くのでウキウキ気分の旅行者を恐怖のズンドコに突き落とすデタラメ予報をバラまいているのは誰だ!」と怒っているということだけ書いておこう。


表紙に戻る / 過去の日記を読む