可燃物な日々

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11月30日(日)

●失われた土曜日

 金曜日に、社長にも決算概況を報告し、あとは木曜日に査定面談をしたのだが、その中に書いたことで「もっと具体的に」と言われたところを直して、「はあ、これで、仕事も一区切りだな」と思ったとたんに、どっと眠気と肩こりが襲ってきた。

 会社帰りに久々にプールで軽く泳いで、入念にストレッチした。
 家に帰り、早寝しようと思ったのだが、まだ精神的なストレス発散が済んでなかったので、Mちゃんに電話したら、また長電話になってしまい、結局、明け方まで7時間くらい電話していた。

 電話が終わると、倒れるように眠り、眠り、眠り、目が覚めたら午後3時だったが、天気も悪いし、体もダルくて、水を飲んでからまた眠り、また目がさめたら午後8時だったが、まだまだ眠くて、寝なおして、結局、3時間おきに目は覚めたが、ふと気がついたら、もう朝の9時で、まだ眠かった。

 すごい。24時間以上眠りっぱなしだ。
 こんなに昏睡状態なのも久しぶりだ。よっぽど疲れが溜まっていたのだな。
 途中で、一回、コンビにで買ったプリンを食べたくらいで、あとは水分補給だけだったので、かなりダルい。これは多分、昔何回かやったことがある「塩分欠乏」であろう。ラーメン食べるとすっぱりと直るのだが、ラーメン食べる気もしないので、11時ごろやっと起き上がり、砂糖たっぷりのコーヒーを飲んでから、着替えて、まず図書館にリクエストしていた本をとりに行った。(昨日の3時に目が覚めたのは、そのお知らせ電話のため)

 図書館に行ってから、ドトールでベーグルサンドを食べたら、「塩分欠乏症」はかなり解除された。
 でも、まさに丸一日寝つづけたために、頭がボーーーっとなっている。
 なんにもしたくない気分だったので、映画を観に行くことにした。

●「トゥー ウィークス ノーティス」

 ヒュー・グラントとサンドラ・ブロックス主演のラブコメである。
 まあ、そんなに上出来の映画でもなかったのだが、とにかくなんだか「はっぴいえんど もの」が観たかったのである。
 最近、そういうの観てなかったので、ハッピーエンドに飢えていたのだ。

 でも、他に特に期待していなかったのであるが、思ったよりもよく出来ていた。サンドラ・ブロックスがびーびー泣きながら友達を夜中に尋ねると、「あんたが、そんなに泣いてるのを見るのは、ブッシュが勝ったとき以来よ」「どっちのブッシュ?」「両方よ」「今日は、そのジョージじゃなくて、他のジョージのことなの」(ジョージはヒューの役名)
 あたしは、ギャハハハハと笑ってしまいましたが、映画館はシーンとしていたので悲しかった。

●「トーク トゥー ハー」

 こっちが観たくて行ったのである。「トゥー ウィークス・・・」はついでだった。
 しかし、アルバトロスじゃなくて、アルモドバル映画は、やっぱり客を突き放すよなあ。

 「キル・ビル」の青葉屋のチャンバラシーンで、黒いスーツ来た男たちがゾロゾロ現れてユマ・サーマンと対決するシーンでは「なんだか、マトリックスのエージェント・スミスみたいだ・・・・」と思っていたのだが、「トーク トゥー ハー」で、昏睡状態というか植物人間状態の女の子に献身的な介護をするという設定では、逆に「キル・ビル」で、4年間昏睡状態だったユマ・サーマンを思い出してしまった。どっちも同じ4年だったし、どっちも介護してくれる人材に恵まれなかったという話。

 「トーク トゥー ハー」では、患者は泣き寝入りのようだったが、「キル・ビル」ではちゃんと反撃していただけました。ざまーみろ。

 教訓。昏睡状態に陥ると、なにされるかわかったもんじゃないから、なるべくあっさり死ぬようにしよう。

 というわけで、せっかくの久々の2連休(?)だったのに、30時間くらい昏睡状態だったので、あっという間だった。
 まあ、たくさん寝られるのは元気な証拠ということで。 
11月27日(木)

 ほんとは昨日の「水曜日 女性1000円」の日に行きたかったのだが、昨日は眠くて眠くて、さっさと帰ってしまい、日記を書いたあと「さあ、ねるべ」と思って歯を磨いていたら、電話が鳴り、我がママンからで、弟の嫁さんが先日訪問したときに私が渡したお祝いの額にビビっていたので相談されたとか・・・・「いや、だからあれは、Nちゃんの誕生祝+引越し祝い だったので、それほど高額だと思ってなかったんだが・・・・」

 3万円って、そんなに高額なんだろうか?
 最近、その程度の金には不自由していないので、気軽に渡してしまったのだが、そんなに騒ぎになるのなら次回からはもっと額を下げたほうがいいらしい。
 で、弟が嫁と娘を連れて、「祖母ズ見舞いツアー」をしたらしく、どっちの祖母さんも大喜びだったらしいが、「そういや、入院している祖母さんの具合は?」と気になっていたので尋ねると、どうやら手術の跡は無事ふさがったらしい。すごい生命力だ。このまま退院できちゃうかもね。やっぱ100までイケるかも。

 そんなわけで、やっと木曜日には決算のメドもつき、明日は社長向けの説明資料を用意すればいいだけだったので、リフレッシュのために「キル・ビル」をレイトショーで観に行きました。(レイトショーだと1200円だから、許せるお値段)

●キル・ビル

 この題名を見るたびに、心の中で「ファスター・プッシーキャット・キル・ビル」と呟いてしまうのだが、それはいいとしても、先日観た「マトリックス3」では、己の「流血沙汰&傷口が苦手」という気質を改めて確認してしまい、「だから、マトリックスとかチャーリーズ・エンジェルは安心して楽しめたのに・・・・」と、マトリックスの裏切りを恨んでしまったが、「さて、そうなると、キル・ビルは、ちょっとなあ」と覚悟していたのだが、まあそれでも、一時期はユマ・サーマンに入れ込んで、「愛という名の疑惑」という、自分的には今まで観た映画の中でもワースト3に入るであろう、「なんじゃこりゃ映画」まで観てしまったこともあるし、やはり首ちょんぱ、腕ちょんぱ、血液ドピューなことがわかっていても、がんばって観ないといけないだろう。一応、タランティーノだし。

 しかし、やっぱり、青葉屋でのチャンバラシーンはやっぱしキツかった。
 前半の、黒人女性との闘いとかは、私が想定するタランティーノ映画でよかったし、病院でのシーンもよかったんだけど、青葉屋はちょっとなあ。直球すぎで、脱線がないじゃん。

 てゆーか、なぜジュリー・ドレフュスがあんなに重要な役をやっているのかがよくわからん。
 スポーツクラブになぜか置いてある「PREMIERE」の記事には、ジュリーがレポートした撮影日記がけっこうな分量で載っていたので、「なんで?」と思っていたのだが、これほど出演シーンが多いとは思っていなかった。

 「なんだろう?デキてるのか?」とフツーは思うだろうが、デキてるにしても、ずいぶんな厚遇だし、それでも日本の観客には「NHKのフランス語講座からのし上がり、大手銀行のCMギャルにまでなった美人な外人おねーさん」が悪玉キャラを演じているということには、それなりの意味があるけれど、そういう背景がわからない日本人以外の観客にとってはどうなんだろう?

 というわけで、なぜジュリーが厚遇されたかの理由を自分なりに考えてみたのだが、ジュリーが可愛がっているプードルをクエンティンが「ぼく、プードルをプードル刈にするのって一度やってみたかったんだよね。やらせてくれない?」と言うので、刈らせてあげたら、「あ、ごめん、耳切っちゃった」(しっぽでも可)、とクエンティンは血みどろのプードルを抱えてヘラヘラしているが、ジュリーの目が三角に引きつり、慌てたクエンティンが「ごめん、ごめん、お詫びに、今度の映画では君の腕を切ってあげるから」というわけで、「ほら、君の腕を主役のユマがばっさり切って、君がもがき苦しむシーンが5秒もあるんだよ」「・・・・・・」「それだけじゃないよ、ほら、引きの画になっても、君がドタバタともがき苦しんでいるのが映るんだよ」「・・・・・・」「それだけじゃないよ、ほら、ラストのシーンでは、君がずっとアップなんだよ。いやあ、いい役だなあ、これ。ね?機嫌直してよ」

 と、そのくらいすれば、プードルの耳が切られたことも帳消しにしてくれるであろう。

 女優陣の日本語セリフは確かに聞き取りずらかったが、私が一番「字幕ほしい」と思ったのは、ヤクザの親分たちのセリフで、何言ってるのかさっぱりわかんなかった。
 
11月26日(水)

●イルカのジョーンズ リローデッド

 昨日は会社でちょっと不愉快なことがあった。
 今でこそ、経理は私とクララとハイジの3人であるが、クララは昨年入社の2年目社員で、その前任者は、この日記では「ギャル」と呼んでいた女子社員である。
 私が今の会社に契約社員として入る1年前くらいに新卒で入社していたので、職場では彼女のほうが先輩だったし、私は派遣社員のような身分だったので、正社員である彼女のほうが明らかに格上であったが、でも私のほうが年齢が10歳も上だし、明らかに職歴では私のほうが上というパラドクスに彼女はうまく対処できなかったようで、最初からなんか遠慮がちというかギクシャクしたかんじだったのである。

 彼女は専門学校卒だったので、当時まだ22歳になるかならないかで、私もうまく彼女のキャピキャピぶりに順応できなかったのであるが、彼女もそうだったということは想像がつくし、しかたないと思って仕事していた。
 ほんとうに見た目も中身もギャルだったけど、仕事はきちんとこなしていたし、経験不足をヤル気で補っている様子はよくわかったので、それなりに認めていたのだけれども、彼女のほうが私を認めてくれることはとうとうなかった。別次元に存在しているような扱いに、ときどき傷ついていたが、こっちからなんか話し掛けても、あまりノッてくれないし、彼女が仕事のことで困っているときに、「そういう場合はこうしてみたら?」と社会人の先輩としてアドバイスしても、不機嫌になるだけだったので、私も必要以上には話し掛けないようになってしまったのである。

 私は見かけが「真面目で、お堅い」という印象を人に与えるときがあるらしく、うちとけてもらえるまで時間がかかることもあるのだが、2年間一緒に仕事しても、ああいう状態のままだということは今まで無かったので、けっこう悲しかったのだが、友達に愚痴ると「それは完全に向こうが悪い」と一蹴してくれたので、自分を責めるまいと思っていたのだった。

 彼女がなぜ別の部署に異動になったのか、その理由はわからない。
 もしかしたら、彼女のそういうギャル気質が他の人にも評判悪かったのかもしれない。いまどきの若者らしく、「好き・嫌い」というか、「仲間・それ以外」という分類をはっきりする人で、私以外にも、彼女にぶっきらぼうな対応されている人もいるにはいたが、お気に入りの社員相手にはとても楽しげに対応していたので、わりと「人気ものキャラ」というか「明るい女の子」であったから、それほど評判悪かったとは思えない。
 ただ、元々経理を目指していたわけでもないようで、この先、そこで伸びる可能性は低かったし、それに上司が総務部の改革というか、向上を目指したときに、私を経理の主軸にして、自分はもっと会社全般のことを考える仕事をする必要に迫られたときに、彼女がいると、私が彼女に遠慮してしまうので、それを避けるつもりもあったのかもしれない。

 そういうわけで、結果的に私が主任になり、彼女の後任にはバイト時代から社員にも人気があった天然ボケで癒し系の「おっとりとした大人しい女の子」が入ったわけで、経理から足抜けできるのはいいとしても、「自分が排除された」という気持ちがしたのではないかと推測された。
 それに上司は私を主任にしただけではなく、総務課のほうに他部署にいた上司とウマが合うし、仕事もテキパキと有能な女性を総務主任として引っ張ってきたので、鈍い私でも「お気に入りで揃えたな」と思ったわけだから、「お気に入り外」の烙印を押された感はあっただろう。

 そして、元々気が合わなかった私に対しては、もっと「自分を追い出した」という気持ちを持ったに違いない。
 だって、それ以来、社内ですれ違っても、ほぼ無視されるようになってしまったから。
 こっちから挨拶しても、なんかドヨーンとした暗い顔で「〜〜〜」と声にならないようなうめきとも言えるようなことをつぶやくのだが、それで挨拶しているつもりらしいけど、なんか見ているこっちのほうが痛々しいので顔を合わせるのが辛かった。

 それでも、周りに人がいるときには、そんな表情はしなかったので、そういう場面では私もつとめて明かるく話かけるようにしていたのだが、余計なお世話だったらしく、私がなんか言っても返事を返してくれなかったのだが、まあしょうがない。

 というような過去の経緯をふまえての昨日のこと。
 そのギャルと同じ部署というか、すぐ隣に座っている社員のところに書類を持っていったのだが、彼女の姿はなかったし、その島に他の社員もいなかった。ギャルは私が入ってきたので視線を上げたが、すぐに無視してパソコンに目を戻したままこっちを見てくれなかったので、私も声がしどろもどろになり「あれ?○○さんは?」と言ってみたが、完全無視。
 前にも書いたけど、開発系の部署にいる男性社員数名はいつもそんな感じだが、でも、彼らは誰に対してもそうだし、話し掛ければ無視したりすることは無いので、それはそれでいいのだが、ギャルの場合には人によって態度が変わるので嫌なのである。

 ああ、そんなに私のことが嫌いなのか・・・・と悲しい気持ちになった。
 ってゆーか、そんな小学生みたいな態度を会社でやっている自分が嫌にならないだろうか?
 つーか、私だって、学生時代には嫌いな人の一人や二人はいたが(もっと、いたかも)、それでもそんなあからさまな態度とったことないぞ?
 別に自分が万人に好かれるとは思っていないし、大勢の人の中には私が嫌いな人だっているだろうけど、会社内でそういう態度をとられらことはない。もちろん、私が話し掛けると、なんか言われるのかと思って緊張する人はいるけどさ。伝票の書き方が違うとか金額にミスがあるとか、そういう用事で話すことが多いので、それはしょうがないけど。

 つーわけで、低レベルなことで、ちょっとクヨクヨしてしまったのであった。つーか、久々に大変気分が悪かったのであるが、それと、昨晩また大酒を飲んでしまったことには因果関係は無い(笑)。

 以上、思いっきりシカトされて傷ついたという愚痴は終了。
 もう、私にはどうしようもないので、なるべく関わらないようにするしかありません。

 で、酔っ払って帰って(そんなに大量に飲んでないのだが、疲れてたみたい)、なんとか風呂に入って、頭を乾かして、大量に水分を摂取して寝ようとしていたら、電話が鳴ったのである。
 日曜日に食事したS君で、イルカをあげたのだが「イルカ・・・・あげちゃった」とのこと。
 それは予想していたことだったので、「あ、そう。やっぱり」

 私と食事したあと、クラブに踊りに行くと言っていたから「可愛い女の子がいたら、このイルカで引き寄せれば?」と言っていたのである。結局、彼氏と別れたばかりでしょげていた女の子に差し上げてしまったらしい。
 私としては、あのイルカの持ち主が誰でもかまわないのだが、「それはいいんだけど、ちゃんと名前はジョーンズだって言ってくれた?そんで、元海軍で、ジャンキーだって説明してくれた?」と、私が捏造したキャラ設定をちゃんとキープしてくれたのかどうかのほうが気にかかった。「一応、説明したつもりだけど・・・・」「あ、そう。だったらOK」

 ただ単に、イルカにジョーンズという名前をつけたかったので買ったのである。(我ながら、よくわからない理由)
 それに、自分の買ったものが、寂しい女性を慰めているのだということは悪い気しないし、せっかくイルカをあげても、その後たいして進展もせずに、「女の子お持ち帰り」じゃなくて「女の子にイルカを持ち帰られてしまった」S君がそれでいいのかどうかは私が考えることではないので、あげたものをどうしようと勝手である。

 と、寛大な気持ちで「それはいいことをしたね」などと言っていたのだが、S君は「でも、イルカがいなくて寂しい」とボヤく。

 しょーがねーなー、じゃあ、また見つけたら、買ってやるわ。まあ、いろいろ迷惑かけたし、またパソコンの調子が悪くなったらまた迷惑かけるつもりだしよ。

 というわけで、今日の帰りに、もう一匹買ってしまいました。ピンクと黄色もあるのだが、やっぱし男が「ピンクのイルカを抱いて寝ている姿」を想像すると、それなりにブキミなので、前と同じブルーにした。
 なぜ、自分には何の儲けもないのに、イルカの抱き枕の普及に努めているのか、さっぱりわからないが、どうやら「イルカのジョーンズ リローデッド」という名前にしたかったらしい。イルカを抱えて帰り、日記を書き始めたところで気が付いた。
 愛称は「リロちゃん」

 プレゼントするのはこれで最後です。「レボちゃん」が欲しくなったら自分で買うように。


 今日は飲まずにさっさと帰ってきたが、ここんとこ残業こそしてないけど、仕事の密度が高いので、ややお疲れ気味。早寝しよう。
11月24日(月)

●イルカのジョーンズ

 三連休の谷間の日曜日であった昨日、目がさめるとアレになっていて、どよ〜んと体が重かったが、がんばって昼過ぎに起きて、洗濯してから図書館に行って「妻を帽子と間違えた男」を借りてから、家に戻るために駅前の商店街を歩いていたら、ジョーンズ君と出会った。


 絨毯やクッションなどを売っている店の外のワゴンにつっこまれていたのである。
 「きゃー、ジョーンズだ、ジョーンズだ」
 と眺めているうちに、これをどうしても買わないと気がすまないという、一目ぼれ状態になった。

 しかし、これは「抱き枕」なので、けっこうデカい。
 ただでさえ狭い部屋が、さらに狭くなるし、それにイルカを抱いて寝たりしたら、象たちが嫉妬して、踏み潰されるのではないかと思ったのだが「でも、かわいーなー。買いたいなー」とワゴンの前でしばらく悩んでいたのだが、そしたら名案を思いついた。

 昨日はS君と食事する約束をしていたのである。そして、先日S君に「パソコン直してくれ〜」とSOS電話したときに、彼は、「のぽぽんを買ってくれたら直しに行ってもいい」という、わけわからんことを言った。PC操作用抱き枕の「のぽぽん」を愛用していたらしいが、オフィスの引越し時にどこかに消えてしまったらしいので寂しいらしい。

 ジョーンズはPC操作には向かないかもしれないが、イルカだから「癒し系」は確実だし、とにかくいーや、これ買って押し付けてしまおう、もし気に入らなかったらしょうがないから私が飼う、と決めて、買って帰り、家で値札を外したあと、洗濯表示タグのところにマジックで「ジョーンズ」と名前を書いた。どーせ、この名前は却下されるに決まっているから、最初から書いておけば確定だ。

 ジョーンズを袋に詰めなおして、下北沢で待ち合わせ。
 「のぽぽんの代わりに、この子をあげよう。名前はジョーンズだ」
 と言って渡すと、やはり「そんな名前イヤだ」というので「もう、書いちゃったも〜ん」

 そして、「ジョーンズは『JM』に出てくるイルカで、元海軍にいた凄腕ハッカーで、敵の潜水艦をスキャンしたり、失われたパスワードを探したりできるのだ!でも、海軍にヤク漬けにされちゃった、かわいそうなイルカなのだ」と、クドクド語る。
 しかし、S君は私と食事した後に夜遊びに行く予定だったらしく、ちょっと荷物になるとボヤいていたが、また「とぶさかな」で飲み食いしてから、もう一軒寄ることにしたので、袋から出してそのまま抱えさせると、酔っ払っているせいか、まんざらでもなかったようで、うれしそーにイルカを抱えながら下北の駅前の雑踏を抜けて、時々行くバーに行った。

 バーの店長もジョーンズを見て笑っていたが、後から来た外人客(鶴田真由似の女性連れ)がカタコトの日本語(と、いっても来日2ヶ月であんだけ喋れるなんてエラい)で「なんで、サカナが・・・・」

 外人の「サカナ呼ばわり」に他の日本人客がそろって「イルカはサカナじゃないでしょ〜」と突っ込みを入れていたが、私は「ひー、なんでキアヌと同じことを言う!」
 一応、彼にも説明したが(わかってくれたかどうかわからないが)、映画「JM」の中で私が一番好きなシーンは、キアヌが自分を助けてくれる能力を持つという「ジョーンズっていう凄いヤツ」をやっとの思いで訪ねると、それは水槽の中にいたイルカで、「彼がジョーンズだ」と紹介されたのだが、キアヌはボーゼンとして「でも、これ、サカナじゃん?」と言うのである。

 それは、てっきりギャグなのだとばかり思っていたが、バーにいた若い白人男性が平然と「サカナ」と言うのを目の当たりにして、「ひょっとして、西洋人ってマジにイルカをサカナ呼ばわりするの?」とびっくり。
 クジラを食べ、イルカを虐待する日本人は、イルカをサカナ呼ばわりしないのに・・・・
 たぶん、「サカナ」に対する印象が違うんだろうな。

 それに、これは私だけかもしれないが、西洋人が「イルカやクジラを食べたり、殺したりするのはいかん」と言うのは、きっとイルカやクジラが魚じゃなくて哺乳類だからそう言うんだろう、と思っていたので・・・・だって、似たような形状でもサメを食べるなって言わないじゃん?それは、サメが魚だからなんでしょ?という変な納得の仕方をしていたので、そのイルカをサカナ呼ばわりされると、その認識は間違っているということになるので、どうしていいのかわからない。

 魚=食べもの
 という固定観念が西洋人には無いらしい。
 水族館に行くと「はあ〜、おいしそう」と思ってしまう日本人は野蛮人なのだろう。

 そういや、その昔、知人が友人の結婚式の二次会の話をしていて「なんか、会場がサンシャインの水族館なんだよね」と言うので、「それって、ひょっとして水槽の中のお魚やカニを食べるの?」「普通、そう思うよね。『そのラッコ揚げてください』とか言っていいのかな?」「網でざっば〜んてやってくれるのかね?」「どのラッコにするか選ばせてくれるのかなあ」「ウーパールーパーは美味しいのかなあ?」なんてバカなこと話していたが、あの水族館は今はそういう使い方できないのかな、そのあと、そんな話聞かないけど。(残念ながら水槽の中のものを食わせてくれたりはしなかったらしい。当たり前だが外からケータリングされたようだ)

 話は戻るが、S君はイルカを抱えたまま夜遊びに行った。一緒に踊ってくれるギャルがいなかったらイルカと踊れと励ましつつ送り出してから、家に帰った。なんかやっぱし飲みすぎたようで、家に帰ってから、デジカメで撮影したジョーンズの画像を読み込もうと、デジカメ用のドライバをインストールしたのだが、どうもうまく画像が取り込めない。あれこれ悪戦苦闘していたが「いかん、またこれで壊してしまうかもしれない。ちゃんとシラフのときにやろう」と気が付いたので、あきらめて寝た。

 そんで、今日やってみたら、やっぱりちゃんと出来ました。昨日はいったい何がいけなかったのだろう。

●危うく「生涯 ジャイケル・マクソン」

 マイケル・ジャクソン逮捕の話題が日本のニュースでも頻繁に報道されてますが、それとはなんの関係もないが、マイケル・ジャクソンをジャイケル・マクソンと言ってしまうような現象を説明する言葉を知らないのだが、「ジャイケル・マクソンな話」といえば通用するので便利に使わせていただいております。

 話は逸れるが、「マイケル」とか「ジャクソン」みたいな平凡な名前だったら、すぐにわかるのだが、なじみの無い名前は覚えるのが難しい。話はまた「マトリックス」になるが、あの登場人物の名前も、普通の名前じゃなかったので、覚えるのが大変っていうか、ほとんど覚えられなかった。ネオくらいなら、雪印のネオソフトで育った人間にとっては楽勝だったが、モーフィアスとかトリニティなんていう聞きなれない名前は難易度高かった。
 そういう、目新しい名前を聞くと、馴染みのある何かをとっかかりにする癖がある。

 だから「ナイオビ」という名前に関しては「ナイロビ?」と置き換えるので、わりと覚えやすかったのだが、「セラフ」になるとお手上げだった。「翼の無い天使君」と呼ばれていても、「セラフ」という名前の天使なんて知らないもん。ミカエルとかガブリエルならわかるのに・・・・「セラフ」ってそういう天使の階級らしいのですが、そんなの知らんわ。
 だから「セラフ」を「ゼブラ」と「セレブ」に因数分解してしまったので、分解した因数から元に戻れなくなってしまいました。

 あと、モニカ・ベルッチの横にいた、おフランス人の名前「メロビンジアン」も「ビリジアンみたいな名前」というところで終わってしまいました。「ビリジアン」って絵の具にあって、小学生はあれで森を塗りつぶしていますが(他に緑色がなかった)、中学の美術の先生が「緑だからってビリジアンを使うと絵が死ぬので、決して使ってはいけない」と指導してくれたので、それ以降「ビリジアン」は「禁断の色」=「禁色」となり、三島由紀夫とジャパンのファンとして身悶えするシロモノになりましたが、それはいいとしても、普通の日本人で「メロビンジアン」でピンと来ることが出来る人って、ほとんどいなかったと思うのですが、メロビング朝なんて全然知らないので、せめてハプスブルグとかバロアくらいにしてほしかったです。(「ベルバラ」ファン向けにね)

 で、モニカ演じる「パーセフォニー」ってういうのも意味不明だった。スペル調べて「PERSEPHONE」だとわかったんだけど、それ見て「ボーダーフォンの仲間かな?」と思ってしまったのは私だけではないと信じたいですが、「ペルセポネ」だったとは、とうとう自力ではわからなかった。
 そうなんですよね〜、一応、一般教養程度には、キリスト教のキャラもギリシア神話のキャラも押さえているつもりでも、こうして英語表記されちゃうと、さっぱりわからなくなってしまうのが悲しい。その昔、スクリッティ・ポリッティの大ヒットアルバムの日本題が「キューピット&サイケ」という題名で、原題そのまんまだったのですが、どっかの音楽ライターが「日本題はキューピット&プシケにしたほうがよかったのでは?」と意見したので、「プシケ」は「サイケ」と同じだということがわかったのでした。

 と、また話は逸れまくってますが、とにかく、よくわからんカタカナ名前では苦労するのですが、今日は偶然にも、それで長年ずっと勘違いしていたものを発見しました。

 私はこの十数年間、ずっと、トーヤ ベンソン だとばかり思っていたのです。(堂々と間違っている人が数人いるので救われた)

いや、「ヤンソン」なのはわかっていたのですが、「トーベ ヤンソン」だとは思ってなかった。で、「トーベ」という名前はこの世に存在しないと思っていたらしく、買ってに「トーヤ」だと思っていたので、フルネームで書いたら「トーヤ ヤンソン?あれ、違うか、あ、そうかベンソンだ」ということにしていたみたいです。
 今までその間違いが露呈しなかったのは、「パスカヴィル家の犬」と同じで、誰とも「トーベ ヤンソンについて」口頭で話合ったことがなかったんでしょうね。「ムーミンの人」で済みますもんね。

 まだ他にも、こういう思い込みっていっぱいあるんだろうなあ。
 西洋人が日本人の名前がよくわからないのと同じで、日本人も北欧系の名前に馴染みが無いし、アフリカとか東南アジアになるともっと混乱しますから、勝手に解釈してるのって多そう。「デブリンさん」(前に友達の知り合いの外人がこの名前で大変覚えやすかった)とか「エロマンガ島」とか「スケベニンゲン」とかだと、ちゃんと一発で覚えられるのになあ。
11月22日(土)

 また三連休なんですね。
 ふ〜ん。
 まあ、どうせ、毎年この時期は忙しいので、休めないのはわかっているのですが、でも、もしかしたら今年はそんなに忙しくなさそうだし、休めるかも、と思って、有給休暇をキープしておいたのですが、やっぱし三連休は無理。
 まあ、しかし、残業はほとんどしていないので、休日出勤で消化していると思えばいいのですが、でも、やっぱ連休とれないのは悲しいもんだ。

 会社に向かう電車内は、お子様連れで混んでいて、乳母車(「うばぐるま」っていう語感が好き)が通路のあちこちに置いてあって邪魔でしたが、しかし、あの辺はほんとに子供多いな。ニュータウンなので、「二人目もできたし」という人が大勢移住しているのであろう。そんで、休日ともなれば、皆様張り切ってお出かけになるので、「定休日無しの会社」で働く人をこうして悲しい気分にさせてくれますが、でも、いつも言っているが、あの光景を見ると「どこが少子化なんじゃい?」と思う。
 「不景気」と同じで、「少子化」も何かの陰謀でそういう説が流布しているだけのような気がする。

 小さいお子様連れが電車で移動するときにはウバグルマ(こう書くと、アフリカの国名みたい)が主流であるが、今日は珍しく・・・・・っていうか、何年ぶりかで目撃したような気がするが、赤ちゃんをおぶったお母さんがいた。
 最近、あんな姿を見たことなかったので、絶滅危惧リストに「おぶいひも」をあげていたのだが、生存が確認できて喜ばしい。
 なんで、最近は、赤ちゃんをおぶわなくなったのだろうか?

 あまりにも見かけなくなったので、育児書に「おんぶは危険ですからやめましょう」とか書いてあるのかと思ったくらいだが(「おんぶ」も心にグっとくるなあ)、たぶん、昔みたいに乳母車が巨大ではなくなり、折畳式乳母車が登場して、いつのまにかバギーとかベビーカーという名称が定着したあたりで、「おぶうより、こっちのほうがラク」だし「おしゃれしても大丈夫」ということになったのだろうなあ。

 でも、冬に赤ちゃんをおぶっている人が、上からすっぽり覆えるコートを着ているシルエットって大好きだったんだけどなあ。あのシルエットをこよなく愛していたので、着物着ている人がコートを着ると帯の部分がポッコリと膨らんでいるシルエットもわりと好きだ。

 うちの母も、ずっとそのスタイルで外出していて、私は長子だったために、「母の背中」の座からひきずりおろされてから、ずっと弟や妹が、あのコートの中で母と二人羽織を演じているのが羨ましかったので、よけいに愛着というか執着があるのかもしれない。

 とは言っても、実際におぶわれていたときの記憶があるわけでもない。でも、物心つく前の記憶って、5歳くらいの、やや記憶が定着する時期に「おさらい」しておくと、後々まで残るような気がするのだが、前にも書いていると思うけど、私の最古の記憶は幼稚園入園前で、お散歩しているときに、ある建物の前で親が「そのうち、ここに毎日行くのよ」というようなことを言ったのだが、その建物がヘンゼルとグレーテルのお菓子の家のようなブキミなものに思えて(お菓子の家という概念を当時知っていたのかは不明だが、なんとなく不安なかんじ。その建物の造作よりも「知らないところに通わされる」というのが嫌だったんだろうけど)、「やだな〜」と思っていたのだが、いざ幼稚園の入園のときになったら、その建物が幼稚園だったので、「なーんだ」と思ったので、「やだな〜」と思ったときの感覚が定着したのである。

 だから「おんぶ」についても、「おんぶ」されなくなってからの経験が後押ししているようだ。
 今でも思い出すたびに、涙がじわわんと滲んでくるような記憶の断片がある。
 今でこそ、超健康体を誇っているが、小学生のときまでは体の弱い子で、大病こそしなかったがよく発熱していた。何歳のときだったか忘れたが、ある晩やはり急に高熱が出て、まだそれほど遅い時間ではなかったので、母が近所のかかりつけの小児科医に電話すると、お医者さんも「とりあえず、連れて来れるなら連れてきてください」と言ったらしく、冬だったので、母はパジャマ姿の私に毛糸の帽子やセーターを着せて、なんとか自転車の後ろに載せようとしたが、よっぽど私がグッタリしていたらしく、弟だか妹用のおぶいヒモで私をおぶい、その上にコートを着て早足で医者に向かった。

 近所とはいえ、徒歩10分くらいあるので、その時間がけっこう長くかんじたのだが、頬にあたる風は冷たかったけど、母の背中は温かかったし、寒い冬の夜道を私を背負って、せっせと早足で歩く母の鼓動が伝わってきて、高熱で朦朧としながらも「ああ、お母さん、わたしのために必死だ・・・・」ということが、まさに体温を通して伝わってきたので、とても心強かったのであった。

 (ビーーーっと鼻をかむ)

 そう考えると、私はいわゆる「おやじの背中」よりも「母の背中」のほうが印象強いな。もっと大きくなってからも、よく病院に連れていってもらったが(扁桃腺肥大だったので、そこが腫れやすく、すぐ熱が出た。医者にもいつも「大きな扁桃腺だねえ」と笑われていた)、そのころはもっぱら自転車の後ろだったので、私を乗せたまま坂道を登り切る母の背中が呼吸のために大きく上下するのをぼんやり(熱で意識が朦朧)眺めていたっけな。

 記憶が芋づる式だが、そういえば、私が近所で密かに注目している親子も、あの記憶があるから心に響くのかもしれない。
 うちの近所に小さい幼稚園があるので、その親子はたぶんそこに通っているのだと思うが、私と同じ年くらいのスーツ着たサラリーマンが自転車の前と後ろに子供を載せて坂道を登っていくのである。それほど急な坂道ではないのだが、通りを曲がるとゆっくりとした傾斜がはじまり、道も狭いのでその角で減速してしまうので、勢いで上れないらしく、若い人でも、その先しばらく傾斜が続くのが見えるあたりであきらめて一旦自転車から降りているのだ。
 でも、そのお父さんは自転車を降りずに、がんばって漕いで行くのである。夏など、出勤前に汗だくになってしまうと思うのだが、あの先100メートルをあのまま上っているのだろうか。最後まで見届けたことはないけど、いつも心の中で「お父さん、がんばって」と応援している。

 話が逸れたが、自分の幼児体験から、「おんぶはサイコー」と思い込んでいるし、「私が母に逆らえないのは、きっと、おんぶされたからだ」と思っているので(結婚しないから、立派に逆らっていると母は思っているらしいが)、今の人たちも、もっとおんぶすればいいのに〜と思う。だっこしているのはよくみかけるけど、おんぶのほうが、親とほぼ同じ視線になるので、いいと思うんだけどな。
 あと、最近流行らないけど、お父さん向けに、子供を後ろ向きにして背負うのがあったが、あれって、すぐ後ろを歩いている人は、赤ちゃんと目が合って面白いけど、赤ちゃんにとっては、なんか疎外されているような心地がするのではないだろうかと思ったが、やはりあっという間に見かけなくなった。

 話題転換。(まだ書くつもり?)
 前からけっこう好きだし、時間もちょうどいいので、ちょくちょく観ているNHKの月−木11時に20分だけやっているドラマ枠であるが、前回の「ロッカーの花子さん」も、わりと観てたけど、先週から始まった「百年の恋」が面白くて、ちゃんと金曜夜中の「今週分の再放送」を観てしまっている。(観そびれた回が観られるので、この方式は良い)

 篠田節子の小説はわりと読んでいるのだが、こんな小説を書いていたなんて知りませんでした。
 売れないライター(筒井道隆)が取材で知り合った、投資銀行の美人エリート(川原亜矢子。東大卒で外国語堪能でモルガンなんちゃらみたいな外資系銀行でM&Aとかやっているような設定)と結婚するというラブコメで、その設定自体には斬新さは無いし、主役二人がはまり役すぎるけど、でも筒井道隆のこういう演技見るのも久しぶりだし(「王様のレストラン」以来かも)、川原亜矢子も、「美人エリート」や「おっちょこちょい」な役はやっていたような気がしたが、それを混ぜたようなのってあんまし観たことないっていうか、と言うよりも、私が最近、全然ドラマ観てないだけなのだけだが、とにかく川原亜矢子が、現実離れしたキャラを楽しそうに演じているのがいいのである。

 で、私はこういう「男女逆転もの」がわりと好きなのである。パトリシア・コーンウェルの「スズメ蜂の巣」と同じ手法で、男性のステレオタイプのキャラを女性に摩り替えてみて、その可笑しさというか、なんか妙なズレを楽しむのだ。
 フェミニズムがどうのこうのとか男女同権でどうのこうのと、眉間に皺を寄せて訴えるよりも、こういうコメディーで「ああ、こういうことか」と、うっすらと感じたほうが効果的だと思うのですが、とにかくこのドラマに出てくるエリート・キャリア・ウーマン(ぷっ)がやることなすこと「普通のエリート・サラリーマン」なわけです。

 料理しない(豪華な台所には包丁もない)、洗濯もしない(下着までクリーニングに出す)、家庭に仕事を持ち込む、精神的にも仕事を持ち込むので、仕事が美味くいかなくて不機嫌なときに妻が話し掛けても「今、仕事で頭いっぱいだから話かけるな」とか言う、夕飯は外食ばかりなのに、たまに電話もせず急に帰ってきて、食事が済んだ妻に食事を作ってくれるようネダる、等々、大げさに描かれていますが、これが「夫・杉本哲太」「妻・薬師丸ひろ子」(昔「ミセス・シンデレラ」というドラマがあって、あれもけっこう面白かった)だったら、妻は「こういうもんかな?」と思って耐えてしまうのでしょうけど、妻役をするハメになった筒井道隆君も「あれ?結婚ってこういうもん?」と疑問を感じるのですが、なんとなく流されてしまう「よき妻な夫」をぼや〜んと演じています。

 エリートな妻が妊娠して大騒ぎの今週でしたが、来週には生まれるんだろうなあ。筒井君がんばれ!
 と、けっこう(かなり)楽しみにしているので、「原作も読んでみようかな。原作のほうがもっとキツいに違いない」と思って調べてみたのですが、どうも原作には男性ライターの実際の「育児日記」が挿入されているらしい。
 それって、前に読んだ篠田節子のエッセイ集に出てきた「仕事場を共有している子連れ作家」のことかな?
 その人のこと全然知らないのだが、どうやら戦闘ものSF小説を書いているらしく、たまに赤ちゃん背負って仕事場に現れて、その外見に似合わない銃撃戦ビシバシな小説書いてるとか書いてあったような・・・・・

 それはいいとしても、アマゾンの書評を読んでも、ちょっと意見がバラけてるというか、なんかあっさりした「あたりまえ」な感じの書評ばかりだったので(まあ、こんなもんだろーけど)、他を探してみたら、ライターさんたちが並んで書評(とは言えないようなシロモノだけど)しているのを発見したんだけど、でもやっぱバラけている

 ドラマと原作はかなり違うだろうし、私がドラマで観たのはまだほんの導入部なので、なんとも言えないんだけど、どうも原作だと、男がもっとダメダメみたいね。「こんな幼稚な男はそこら中にいるのである」と、ドラマではそう思えない。だとすると、ドラマ制作側の勝利というか、やはり筒井君の演技が効いているのだろうか?

 と思って、NHKのドラマ紹介を見てみると・・・・・

 ?????なんか違うなあ。と、思って読んでいたら、下のほうのプロディーサーの言葉はまあ納得。

 外資系銀行のバンカーというハードな仕事をこなす一方、家事は全く出来ない梨香子の姿に、男性視聴者はあきれながらも、いつしか、自分の姿を重ね合わせていくことでしょう。そんな梨香子と衝突しながらも家庭を守り、梨香子に安らぎを与える真一の姿に、女性視聴者はたよりなく思いながらも、いつしか不思議な親近感を覚えることでしょう。

 まあ、そういうことなんでしょうけど、でも、なんかな〜
 結局「こんな夫婦もありなんだ」で終わっちゃうのかなあ。
 いや、それでもいいんだけど、えっと、私はこの話にいったい何を求めていたのかな?忘れちゃったよ(笑)

(思い出すためにちょっと休憩)

 そうそう、私が言いたかったのは、このドラマや原作の出来がどうのではなくて、こういう、わりとよくできた(ドラマは、いまのところ)「男女逆転もの」を見ていると、自分の立ち位置がどこにあるのかよくわからなくなってくるので、その感覚が面白いと思うのです。
 だまし絵の部屋みたいに(平らな床のはずなのにボールが転がるような)、三半規管をかく乱されるので、どこが水平(男女平等)なのか、わからなくなってしまうのです。
 だって「男女平等」っていうのは、男女をそのまま逆転させても高さが同じ水平状態なはずですが、両極端を見せられると、どこに水平な線をひいていいのかさっぱりわからなくなる。

 それって要するに、たとえば私が「男性と同じように仕事してるつもり」と思っていたり、どっかの「理解ある男性」が「おれってちゃんと家事も手伝うし」と思っていたりしたとして、じゃあ、どこまでやればいいわけ?と、思った瞬間に「実は自分は男女平等というラインが全然引けてない?」と気が付いてしまう。
 そして、「そもそも男女平等ってなんだ?」と考え込んでしまったりして、なんかヤ〜な感じになってきます。

 その感覚になるのが、ちょっと面白いのです。だから、斜めなのか平らなのかよくわかんない床の上を歩いている感じで、「うにょ〜」っとなるから。
 それはゲームだから、マジになってはいけません。
 だって、ちょっと考えればわかるけど、そもそも「男女平等」という水平線は無いのです。人間はそういう意味では平等じゃないから。仕事にしても家事にしても、その能力には驚くほどバラつきがあります。わりと両方に能力のある人もいますが、でも全部を完璧にこなせる人間はいないのです。少なくとも私は会ったことがない。

 だから、最初から「平等」ではなくて「人として」と考えれば、エリート女性が包丁も持ってないという設定も「人としてダメじゃん」と正しく笑うことができます。私の友人にもいました、そういう人。果物ナイフしかもってなかった。とうとう他の友人が「遊びにきたときに不便だから」と包丁をプレゼントしてました。彼女はエリートでもなんでもなかったけど、料理は苦手のようでした。スーパーの閉店間際の安売り惣菜か、レトルト食品をセールのときにまとめ買いして食費を節約してました。でも、きれい好きで、掃除洗濯は完璧だったな。

 あと、知人の男性は料理好きで、子供のお弁当もすべて彼が作っているそうです。「奥さんが、料理しない人らしい」と言われてたりしますが、そうなんだろうか?役割分担の際に「適材適所」にしているだけのような気がしますが・・・・・そういえば、ある男性は、ずっと料理上手の母親に育てられたので、奥さんが作った料理が不満で、食事の支度は全部自分でするようになったそうです。ダシの取り方を奥さんに教えるよりも自分でやったほうがラクだったからでしょう。

 なにが言いたいのかまたよくわからなくなてきましたが、「男女逆転もの」を見て、みんなが多少混乱したあとに、その「男女逆転もの」というジャンルが存在すること自体のバカバカしさに気が付いて、平等だ同権だにこだわらずに、自分自身や周囲の人の能力をよっく考えて、的確な役割分担をしていただけるといいのになあ、と思ったわけだ。それがよくわかっている、というか自然にできている組織(家族も含む)って、いいよなあ。

 というわけで、先日「ミッション・クレオパトラ」という映画が12月に公開することを知り、「ひええええ〜これは凄い!」とスチール写真見ただけでノックアウトされてしまった自分は「女性として間違っているのではないか」と密かに悩んでいたのですが、それでいいのです。(それが言いたかっただけか?)

 「お尻の割れ目も魅力的」って・・・・・鼻血出そうです。
 というのはいいとしても、このお腹のムッチリ感はなかなか参考になります。この程度だったら、なんとかなりそうという淡い希望を胸に・・・・・来週からちゃんとスポーツクラブで脂肪燃焼いたしましょう。
11月21日(金)

 飲みすぎた。
 ちゃんと6時に帰ればいいのだが、最近、ちょっと忙しいので(去年の地獄に比べたら極楽だけど)6時半くらいまで残っているから捕まってしまうのだ。
 とは言っても、帰りたけりゃ、きっぱりとそう言えば済むわけで、単なる、「酒の誘いを断れない弱いワタシ」なだけ。
11月20日(木)

 結局、昨日は、渋谷まで歩いて、普通のキーボードを買い、電車で家に戻り、それを繋いでみたが、やっぱりうんともすんとも言ってくれないので、「また、再インストールかしらん」と思っていたら、評議会から電話があり「これって直るの?」と相談したが、たぶん、なんかやりようがあるのだろうけど、それを電話越しに私に説明するのが難しいようだったので、結局、再インストールするのがてっとり早いということになり、再インストールしたら当然のことながら、マウスもキーボードも無事復活。

 LANのドライバとかをインストールしてから、ルータを接続し、その設定の方法を評議会に確認するが、どうも私が購入したルータは超初心者向けであるようで、あまり細かく設定するようなもんでもないみたいで、結局「またダメだったら、また再インストールすればいいし」ということになり、インターネットに繋いでから、ウィンドウズ・アップデートを延々とやり(ほんとにこれって、電話線接続ではとてもじゃないけどやってられないね)、それから、メールの設定や画面の設定などをちまちまとやっていたら、また評議会から電話があり、確認してみたら、どうやら前みたいに、勝手に他所を攻撃したりはしていないようだった。

 ふー、いったい何がどうなったのかよくわかっていないのだが、とりあえず一件落着のようである。
 しかし、キーボードも変わって感触が変わってしまったし、設定もデフォルトに戻ってしまったので、文字の大きさなど、細かい設定に違和感があるなあ。
 まあ、こういうのも、すぐに慣れるんだろうけど。

 さて、昨日休んだので、書類は山積みであったが、なんとなく片付けてから、今日の予定であった「在庫の計上」にとりかかる。
 しかし、とある部署にお願いした「在庫の一覧表」の意味がよくわからん。
 その部署の在庫処理は、いつも手間どるので、今年からその解決策として、受注発注番号の整理をしてもらったのだが、それでてっきりOKだと思っていたのだけれど、やっぱしその担当者は「在庫」の概念がよくわかってないみたいだった。
 もちろん、何か倉庫があってほんとに在庫しているわけではないので、毎年「だから、10月中にうちが仕入先に発注したのに、その仕入れに対する売上が11月以降になるもの」と何度も説明しているのだが、どうもすっきりと進んだことがない。
 しょーがないので、例年どおり、担当者が作った在庫一覧を元に、私がいちいち確認して、「これも、これも、これも抜けてるじゃんかよー。そんで、これは仕入れが11月になってるじゃないよー」とこまごま抜き出していたら、夕方になってしまった。

 パソコン画面を食い入るようにして見ていたので、目が疲れて肩も凝ってきた。
 自分ちのパソコンの不調で大騒ぎした疲れも出ているのであろう。
 そしたら、ときどき親会社に出張してきてくれる整体の先生がいるのだが、予約していた社員が風邪で休んでしまったので、代わりに誰か受けないかという連絡が総務に入った。同僚がその電話を受けたので、いつも受けている人たちに「どうですか?」と内線してみたけど「うーん、急すぎて誰もダメみたい」というので「じゃあ、私が受けてみよーかな」

 というわけで、噂には聞いていたが、受けるのは初めてだった。整体というより、気功に近いヤツらしい。気功系(なんいでも「系」をつけたがる悪い癖)は受けたことがないので、ちょっと興味があったのだ。それにけっこう売れっ子で、治療費も高い先生らしいのだが、会社でまとめて受けると、割引+会社が福利厚生費で少し負担してくれるので、普通よりやや安いのである。

 話に聞いていたよりも、若いかんじの先生だった。もっとオジサンかと思ったが、オジサンはオジサンでも、スポーツマンタイプであった。どうやら、スポーツ選手のトレーナーもやっているらしい。
 そんで、ありがちなことだが、治療ががどうという前に異常なほど「聞き上手」である。
 向こうが私が書いた問診表を元に、ちょこっと質問してきて、それに私がなんか答えると、「ほお、すごいね〜」と大したことでもないのに、サラリと持ち上げてくれるのである。

 この人は、整体師よりも、刑事になったほうが世のためだったのでは?と思った。
 つーか、あのトークをしながら、治療されたら、某ショーコー氏だってオチるかもよ?

 そりゃ、たしかに技術もあるのだろうけど、それ以上に、プレゼン能力の技術に感心した。ああいう治療には、そういう技は不可欠で、いわば、テレビ・ショッピングで「こんな汚い汚れも、このスプレーをシュッシュとやると、ほら、このとおり!」というやりとりがあるのだが、まず、最初に先生がちょこっと押したりさすったりすると、「ほら、こんなに負担がかかってるでしょ?」という個所があるのだが、「じゃあ、これをこうして、ああして・・・・」としばらくなんかやってから、もう一度触ると「ほら、さっきとぜんぜん違うでしょ?」

 私は大変疑り深いので「さっきと、ちょっと違う筋なのではないか?」「さっきと触り方が違うのではないか?」と思ってしまうのだが、こういう治療で、そんなインチキ探ししても意味がないのである。宗教と同じで信じるものは救われるのだ。それに、たしかに感触がかなり違うのである。
 先生もそういうことを知り尽くしているはずで、まず、けっこう押したり足をひっぱたりする「なんかやりました」というような、客がわかりやすい所から入って、「ここは手を当てるだけです。気功ってこういうもんなんです」と気功に入ると、こっちもその「手抜きとしか思えない作業」にもなんかきっとあるのだろう、と心を許しやすいのだ。

   まず、「掴み」として、客が「違和感」をもっている個所をそうして緩めていって、「あ、なんかいいみたい」と思ったあたりで、鍼灸とはちょっと違うけど、手や足のポイントをただ指を置いただけでツボを刺激するわけでもなく、「気を送って」なんかやっているようであった。
 その「手当て」時間がとても長いので、その時間を持たせるだけのトークが必要みたい。

 それで、他の人にはどうしているのかわからないが、彼は私が「わりと健康自慢」であることを見破ったみたいで、「かなり丈夫で強いですね。普通、女性だと、この体勢では足にこんなに脈が来ないんですよ。それって、たぶん、胃腸や内臓には問題がないということです」
 「やっぱし〜?じゃあ、長生きしそうですね。うちって長生きの家系らしいんです」と私が反応すると、すかさずうちの老人の話を聞き出し、「ふーん、いい環境で育ったんですね」だってさ(笑)

 で、最後にこの健康体を維持するコツというか、とても当たり前のこと(毎日、軽いストレッチをして腰のずれを調整する。運動をする。家で床に腰を丸めて座らない等。早寝早起腹八分目みたいなもんです)を言われて、「腰のゆがみは直したので、それを注意すれば、そんなに頻繁に腰痛になるわけがない」と太鼓判を押された。
 わかってるけどねー。

 普通、この手(西洋医では無いという意味)の先生は「またなんか悪くなったら、いつでも私が治してさしあげます」というようなことを言うのだが、この先生は言わなかった。まあ、そのセリフも受け手の趣味にもよるけどね。
 でも、「この程度だったら、ぜんぜん深刻ではないので、日常的な注意で大丈夫なはず」と言われると、それはそれでハゲまされる。
 だいたい、すごく具合が悪くて行ったわけではなくて、たまたま空いてたから興味本位で行っただけだし。
 でも、わたし、こういうのって好きなんですよ。

 前にも鍼灸師の兼平先生とおしゃべりしていて、「たいして調子悪いわけでもないお客様でも、マメに通ってくださる人がいるんですよ」というので「ああ、それ、わかるな〜」

 なんか、1時間くらいみっちりと治療してもらって、こっちはただゴロンと横になっている状態って、美容院みたいなんですよね。美容院でも、なにがいいって、「人にシャンプーしてもらっているとき」って極楽です。マッサージでも、なんでもいいけど、とにかく、他人が私だけのためにせっせと仕事してくれるのって、とても気分がいいのです。それも、たまにね。王侯貴族のように毎日だと、それも当たり前になっちゃうだろうけど、数千円で、プロが私のために、あーでもない、こーでもないといろいろやってくれるのが心地いいのです。
 もちろん、寿司屋で「おまかせで」というのも同じでしょうけど、そっちだと財布の心配でドキドキしそうだし(笑)。

 そういや、美容院でも、昔行っていたとこで最初にやってくれたのが店長らしき男性でしたが、ざっと切ったあと鏡を見せてくれて、「どうですか?」と言われても、私も「うーん」としか返事できなかったのですが(髪型に不満があったのではなく、どんな髪型にしても自分の顔は同じなので「うーん」としか言いようがない)、そうすると、彼は勝手に「ここをもうちょっと軽くしたほうがいいかな」と言って、片方だけハサミを入れてしばらくして「ほら、このほうがいいかんじでしょ?」
 たしかに、そうやって見比べると、ハサミを入れたほうが断然いいように思えるので「そうですね〜」と言うと、「じゃあ、これで」という作業を2回ほど繰り返したのだが、最初から黙って勝手にいいようにしても同じなのに、いちいち確認させるのは、整体師の技と似ているな。

 そうやって、客に判断させて「なんか、よくしてもらった」と実感させる技術って、ほんとの技術とは別ものだけれども、でも、それをサラリと嫌味なく上手にこなせる人が「売れっ子」になるんだろーね。

 それとはちょっと違うのかもしれないけど、私が働き始めたときに気が付いたことも同じことだったのかもしれない。

 それは、「頼まれた仕事(特に目上の人から)は、完成形で渡してはいけない」ということだった。
 それでOKな人もいるのだが、部下が完成形をすぐに持っていくと、そこでなんか自分のアイディアを押し込もうとする上司がいるのである。そうしないと、自分の存在意義が薄くなってしまうのを心配しているのかどうかわからないが、それをされると、こっちが「よっし完璧」と思っていたのに、訂正することになりちょっとヘコむし、ひどいときには、最初に提出したときよりも悪くなってしまったりするので、何回か繰り返しているうちにコツを覚えたのであった。

 要するに、最後の仕上げに近いあたりで、自分でも「こうしようかな、ああしようかな」と迷った時点で上司に相談しておくのだ。ささいなことでいい。「この表の項目の順番はこれでいいですかね」とか「かなり大きい表になっちゃうんですけど、無理して1枚にしたほうがいいのか、それとも2枚にしちゃったほうがいいですかね?」なんてかんじ。

 とりあえず、重要なのは、過程を見せておくことと、そこに上司の意見を多少なりとも入れておくことなのだが、上司によっては何回も確認するのを面倒くさがる人もいるので、けっこう難しいのであるが、そこが腕の見せ所である。

 まあ、整体師にしても美容師にしても、サラリーマンと同じように、そうやって失敗を繰り返しながら「こうしたほうが、お客さんが納得して喜んでくれる」っていう技を習得していったんでしょうね。どんな仕事でも同じなんだろうな。 
11月19日(水)

 昨日、インターネット・カフェに飛び込んで書いた、一昨日の顛末。

 なにげに「マトリックス 404 Not Found」になってきました。

 (前回までのあらすじ)
 ザイオンのゲートから、センティネル(イカ軍団らしいが、私には火星人=タコに見える)に襲撃されて、私の船「コサンジ号」が故障して誰彼かまわず攻撃するようになってしまった。
 修理してからゲートを開けたら、すでにエージェント・スミスが待ち構えていたらしく、また攻撃されてしまった。
 評議会との話し合いの末に「ルータ」という防御装置を導入することになった。

 というわけで、ザイオンを救うために、私は別のゲート(玄関ね)から脱出し、「ルータ」を探しに行ったのですが、なにしろ「買い物恐怖症」という心の病気を抱えているので、 「ビッ○ピー館」をさまよう私はまるで、ザイオンを援護するために、狭い非常通路を通る船を 操縦するナイオビさんのように緊張しちょりました。

 「ぎょえええ、広い〜、人がいっぱいいる〜、なんだか物がいっぱいある〜 そんで、ルータはどこにあるのぉぉぉぉぉ〜」

 店員さんが恐いので、エネルギーの出力を最低限に押さえ(店員さんは教育が行き届いているので、決して向こうから声をかけてきたりしなかったのですが) 人や動きまわる台車にぶつからないように用心深く奥へと進入し、やっとルータを発見。

 しっかし、ルータといっても、いろいろ種類があるので、「いち、に、さん、いっぱい・・・」 な私はそこですでに嫌になってしまったが、幸いにも評議会が廉価なものを2つほど選んでくれていたので、なんとかそのうちの一つを発見。
そんであとは、やはり故障したキーボードも買って、ザイオンへ戻りました。

 まんず、キーボードを新しいのに繋ごうとしたら、なんかそれがWIN2000と相性が悪いらしく、「もしかして、変だったら自分で設定してね」という説明書が中に入っていたので、なんかヤーな予感がしたのですが、やっぱりおかしかった。

 そんで、説明書のとおりに設定(デバイスなんちゃら)を直そうとしたら説明書に書いてあるデバイスが現れない。
 どーすりゃいいのだ?
ここで。あっさりとギブアップしておけばよかったのですが 「そんなハズはない!」 とムキになって、バシバシといじくっていたら、なんとなくOKになった。

 「あたしってやっぱ天才?」
 と思っていたのですが、さて、お次はルータを接続してから再起動して 基本設定をしてから評議会に電話でどうすればいいのか聞けばいいや、と思ったのですが、なんと、マウスポインタが消滅。

 キーボードを無理矢理ねじ込んだので、マウスが消えたらしい。
 よくわかんないけど、マウスを再度認識させればいいのかな?
 でも、マウスがないと操作できねーじゃん。
 でも、マウスなくてもできないわけじゃないんだよな。

 というわけで、タブと矢印キーだけで、苦心してマウス設定の画面までたどりついたのだが、 どうしてもマウスのデバイスなんとかが元に戻らない。

 何度が挑戦したが、23時ごろくたびれ果て、 評議会に相談しようとした。

 しかし・・・・・・通信不能?

 キャーキャーキャー!
 電話が、うんともツーとも言っていない!
 ナイオビの操縦する船もたしか、アンテナが破壊されてザイオンと通信不能になっていたが うちの電話機まで攻撃されたのか?

ってゆーか、あたし、なんかやっちゃった?

 30秒間ほど、「ザイオンは全滅だ・・・・」と呆然としていましたが 「そんなはずはない」と気を取り直して、電話線の確認作業。
 そしたら、電話機と東京電話のアダプター(その昔、Aさんが職場のノルマで困っていたので、付き合いで加入してそのまんま)の接続が外れていた。
 ジャックの爪が壊れていたので、抜けやすくなっていたらしく、ルータの接続のためにあっちこっち引っ張っていたら抜けてしまったらしい。

 つーわけで、やっと評議会につながりました。
 「キーボードを替えたら、マウスが消えたけど、なんで?」
 「あー、ひょっとして、USB接続のを買っちゃった?」
 その通りでした。だって一番安かったんだもん。そんで、ちゃんと対応OSはOKだったし。

 世の中には、私の知らない罠がたくさんあるのね。
 ってゆーか、もう機械帝国なんてきらい。

 ハンマー振り回して家中の機械という機械(電話も冷蔵庫もトースターも炊飯器も)を全部破壊してやろーかと思いました。

 とても悲しくなったので、酒飲んで寝てしまいました。

 さて、今日はお休みをとったので(パソコン設定のためではなく、決算で忙しいので土曜出勤するという計画)朝起きてコーヒー飲みながら故障してエンターキーがバカになったキーボードをつないで、また起動してみた。
 これでOKだったら、今日また普通のキーボードを買えばよいわけだ。
(USBのやつも返品きくのかどうかわからないが1480円のためにまた出向くの億劫)

 そしたら、キーボードもきかなくなっていました。

 頭真っ白になったので、寝直すことにしました。

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