可燃物な日々

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7月31日(木)

 昨晩はちょっと肩が凝っているような気がしたので(肩こりしてても自覚症状の少ない得な体質)、きょうみちゃんに貰った「百合油」を肩に塗る&ローズマリー・オイルを枕に一滴落として「東西アロマ合戦」により症状を緩和しようと試みたが、効果絶大・・・・・ちゅうか、効き過ぎてしまいました。

 なんとなく目覚まし時計を止めた記憶はあったのだが、次に目が覚めたら、11時半過ぎだった。
 時計見てボーゼン。
 会社はフレックス制なので1時までに出社すればいいのだが、それにしても、12時には家を出ないと間に合わない。
 まあ、多少遅れたからって誰も文句言わないだろうが、でも、あまりの脱力感で、起き上がる気力もない。

 会社に電話したら後輩クララが電話に出たので、「いや〜〜〜ちょっと朝、風邪気味でね、薬飲んだらまた寝ちゃったらしくて、起きたら今だったのよ〜」と嘘800を交えて、「で、たぶん、今日も暇そうだから、休みます〜〜〜」と言って、めでたくお休み。

 たぶん、日月とフジロックに行っていた疲れが出たんだろうな。30歳超えてから、疲れが3日後に出るようになったので、まさにそれだ。それと深層意識で「どうせ仕事暇だし」という甘えが作用したのであろう。人間ってよくできてるわ。ってゆーか、何度も書いているが、私はちょっと疲れが溜まると、こういう状態になって休むハメになるので、おかげさまで大病しないらしいのである。

 さて、昨日のアッテンボロー動物ドキュメンタリーは「木の上の哺乳類」であった。
 ミーア・キャットがアッテンボロー氏の肩にちょこんと乗っていた。あの手の「見張りが背伸びして周囲を警戒する」哺乳類は本能的に手近にある高いところに登りたがる(それが人間でも)ということは前に知人から聞いていたので知っていた。

 この話も、よく友人知人に語りきかせているので、この日記にも書いているかもしれないが、その昔、B君(落選してから未だに連絡無し)がちょくちょく状況していたときに、彼の友達の家に連れて行かれたことがある。
 その友達は、恵比寿に住んでいた。恵比寿には小さな川が流れており、その川沿いにある一軒家だった。かなり古い木造の家で、どうやら「そのうち壊すので、中は自由にいじっていい」という契約だったらしく、ほんとうに改造しまくっていた。

 住んでいたのは男2名と女1名で、それぞれ「華道の家元の息子」「カバンのデザイナー」等(あと、もう一人の肩書きは失念)クリエイティブ系の3人で、2階建ての家の1階部分しか入ったことがないが、かなり大胆にあちこち穴が開いており、西洋人が改装したかのようなセンスだった。あまり詳しく憶えてないけど、和室の真中の掘りごたつ用のスペースの中には巨大な火鉢が置かれていて、その中を金魚が泳ぎ、その上をガラスで覆ってあったりした。

 古い建物とはいっても場所は恵比寿だし、そこそこ家賃は高かったのか、B君の説明では「たぶん、家賃稼ぎでやっている」という週2回のパーティーを開いていた。パーティーと言っても、彼らが食事をつくり、飲み放題食べ放題で3000円で、知人を集めるのである。
 半端な飲み屋で集まるよりは、場所の雰囲気もいいし、食事もそこそこだったので、いつも予約でいっぱいだったようだ。「隠れ家のような店」の究極っていうかんじだった。

 B君がそこに呼んだのは私だけではなく、長髪を後ろに束ねた「イベント・プロデゥーサー」という二人組みも来ていた。彼ら自体も「取り壊す予定の家を一時的にギャラリーにする」なんてことをやっていたらしく、その場所のアートな雰囲気を興味深そうに観察していたが、飲み始めたらただの酒飲み話に終始した。

 で、そのプロデューサー氏が、プレーリー・ドッグを飼っているという。
 「えー、いいないいな、私、ぼのぼのに出てくるプレーリー・ドッグちゃんて理想のタイプ!でも、あれって飼ってもいいの?」
 と、私も初対面ながらノリノリでその話を拝聴したので、彼もごきげんが良くなり、
 「誰も信じてくれないけど、プレーリー・ドッグは布団をかけて寝るんだ」
 という、話が始まった。

 布団に潜るというわけではなく、ちゃんと仰向けになって、両手で布団のヘリを押さえて、人間でいえばちょうど布団をかけたところの「おやすみなさ〜い」というポーズをとるのだそうだ。

 「えーーーー、うっそぉ!」

 と私が言うと、彼は「フっ」と笑いながら、「みんなそう言って信じてくれないんで、証拠写真を持ち歩いている」というわけで、写真を見せてもらったのだが、ほんとうだった。
 バカウケ(死語)してしまったが、そのあと、彼が「プレーリー・ドッグとの愛の日々自慢」として語った話がさらに面白かった。

 彼が外出するときや就寝時には檻にいれているプレーリーであるが、家にいるときにはなるべく放してあげているそうだ。ある夏の暑い夜、彼は企画書の作成で徹夜していた。パソコンに向かい、一心不乱にキーを打っていた。プレーリーのために、エアコンはつけていなくて、ヒートアップしてきた彼は上半身裸になって仕事を続けていた。
 そういうとき、プレーリーは彼の体によくよじ登ってくるらしいのだ。そのときも、背中をつたって彼の長い髪を引っ張りながら登ってきたのはわかっていたが、仕事に集中していたので、そのままにしておいた。

 真夜中になって、一息つきたくなり、タバコを吸いながらふと振り向くと、そこには大きな姿見があった。

 「髪はボサボサだしさ、長時間パソコンに向かってたから目も充血して酷い顔してるわけよ、そんで上半身裸で、下もトランクスいっちょなわけ、そんな自分の頭の上でさ、プレーリーがシュリンクしてたんだよ」

 そりゃー「リング」だったら心臓止まってますよね(笑)。
 彼も思わず「ギャー!オレはいったいなにやってんだ!」と頭をかきむしったそうです。

 もひとつ、昨日の放送でコウモリを観て思い出した話。
 千葉大に行っている友達が、「なんかスズメがたくさん夜に飛んでいるなと思ったら、コウモリだった」と言っていました。
 千葉大は首都圏内では一橋大と並んで「広大な敷地」が自慢の大学なので、コウモリの生存に適した環境になっているのでしょう。でも、その話をきいたときに、私はコウモリがどういうものだか知らなかったので「なんで、コウモリだってわかったの?」ときいたら、「飛び方が違う。空中をユラユラと漂うような飛び方するんだよ」といわれても、「ふーん」てかんじだったのですが、ごく最近になってやっと私にもわかりました。

 多摩川の河原の真上にある二子玉川駅でときどき急行電車を待つために下車するのですが、そこでコウモリらしきものをよく目撃します。最初はやはり鳥かと思っていたのですが、「ユラユラ」した飛び方が鳥ではないことに気がつきました。千葉大の友達からコウモリの飛び方を教わってなければ、私もきっと「変な鳥」だと思っていたことでしょう。

 ところで、番組内では、私が目撃したような「スズメくらいの大きさのコウモリ」ではなく、「オオコウモリ」が紹介されていました。巨大なコロニーを作っているようで、その数「500万匹」。人間界でも、そこそこの都市の人口です。
 で、近所では鷹のような大きな鳥が、コウモリを狙って陣取っています。でも、いくら鷹とはいってもコウモリを捕獲できるのは一日に3匹くらいだとか。
 で、ナレーションによると、「このくらいの犠牲は微々たるもの。」たしかに、500万もいるのですから、一日に数匹づつ犠牲になってもコロニーの大勢に影響はありません。鷹以外にも、水飲み場ではワニが待ち構えていて、ちょっと飛ぶのをしくじったコウモリが犠牲になっていましたが、それも「コロニー全体にとってはたいしたことではない」とのこと。

 どうやら、ああして膨大な数で群れる動物にとっては一日数十匹程度の損失は物の数ではないといいたいのでしょう。犠牲もありますが、それでも集団で群れるほうがメリットがあるからです。

 人間も同じだなー。って言ってみろよ、おい。と、絡みたくなりました。
 一人や二人、殺されたからって、わーわー騒いでいる場合ではありません。それが「自然」というものではないでしょうか。災害はもちろんのこと、変質者だって自然の一部。
 その後紹介された、猿の仲間で、えらく木登りが上手いというか、超高速で木々の間を移動していくのが出てきましたが、ある調査によると、一生に一回くらい木から落ちて骨折しているそうです。それが原因で死んじゃうのもいるでしょう。なーんだ、人間の交通事故と同じじゃん。

 というわけで、ニュースやワイドショーを観ていると、毎日誰かが悲惨な死を遂げているような気がして気が滅入ることもありますが、「動物ニュース」もやってもらって「今日の交通事故死者数」と「オオコウモリの鷹に食われてしまった数」を並べていただければ、「人間に生まれてよかった。文明万歳」と素直によろこべそうです。

 「地中生命の驚異」も、かなり読み進んだ。ダーウィンが晩年は「ミミズのおじいさん」になっていたというのは、全く知らなかったが、ミミズの激しい性行為っていうのは見たいような見たくないような・・・・
 前に映画「ミクロコスモス」の「なめくじのディープ・キス」でかなり懲りているからなあ。

 それにしても、まだ途中であるが、この本は淡々とした記述ではあるのだが(著者は生態学の教授でこういう著書は初めてらしい)、わりとユーモア交じりの文章が多くて、初心者にも読みやすくて好感が持てる。それに、あまり基礎知識が無くても読める内容なので、NHK科学ドキュメンタリー好きの人にはお勧め。

 で、私がこの本に引き込まれるには、数年前のとある経験も大きいと思う。
 伊豆高原のレイブ・パーティーに行った翌朝、友達が草原でピアスを落としたというので、みんなで探してあげた。
 たぶん、半径5メートルくらいの中で落としているはずなので、3人で探せば絶対に見つかると思ったのだが、高さ15センチくらいの短い草ばかりが生い茂るところとはいえ、それをひとつひとつわけ入るのはけっこう大変なことだと気がついた。

 家の周囲の空き地に穴を掘りまくった経験豊富な私であったが、草むらの土をあんなに丹念に探索したことはなかったことに気がついた。手で草を分けて、その生え際の土に顔を近づけると、そこには別の宇宙が存在していることがわかった。
 ノミやダニくらいの大きさの微小な生物が、渋谷の八公前交差点さながらに、びっしりとうごめいていたのである。「うっわ〜、気色わる〜〜〜」と、言いながら私たち3人は落としたピアスのことなんて忘れて、その宇宙探検に夢中になってしまった。
 体長5ミリくらいのゲジゲキもそこら中で這い回っていたが、そのくらいの小ささになると「気色悪い」というよりも、「こんなに小さいのに、やっぱりゲジゲジ!」という感動ものであった。
 けっきょくピアスは発見できず、持ち主が「もう、いいよ」というので諦めたが、でも、あの地表を埋め尽くす生物の世界はピアスよりも貴重だった。

 そして、地中には、私の目には見えないが、電子顕微鏡レベルで、もっとさくさんの微生物が蠢いているのだ。そう考えると、彼らの世界が「ミクロコスモス」ではなく、人間社会や哺乳類のほうが数の上ではよっぽど「ミクロ」である。


 ミクロでもマクロでも、どっちでもいいから、明日はちゃんと会社に行くように。
7月30日(水)

 昨日は飲みに行ってしまったので、今日は真っ直ぐ帰宅し、洗濯機2回まわした。
 「手洗い」表示のついていた防水スーツも面倒だから洗濯機に放り込んでしまったが、干そうとして取り出したら、水がドドドっと流れ出てきたのでびっくり。そりゃそうだよな、防水性なんだから脱水しても水が溜まってしまうのだ。おかげでベランダが水浸しになった。
 今日もけっこう雨が降ったが、明日は大丈夫だろうか?こんなにいっぱい洗濯しちゃって・・・・雨が降ったら「二度洗い」とか「自然の雨でリンス」ということにしよう。

 さて、今週も頑張って観ている動物ドキュメンタリーであるが、さすがにちょっと食傷気味になってきた。
 それに、酔っ払っていたので、あまり真剣に観ていなかったのだが、昨日は「水の中の哺乳類」で、最後のほうでクジラの求愛行動というか交尾の様子が登場。ダイナミックな映像としかいいようがない、というかダイナミックすぎて怖いよ。激しすぎ。

 「こんなのに巻き込まれたら船が沈みそう」と思ったが、しかし、一匹のメスにオス数匹が群がるのはいいんだけど、オスは3メートル半の長さの巨大な性器をメスにぶっこもうとしているのだ。メスはまだ準備できてないらしく、お腹を上にして必死に防御。
 「大自然って素晴らしい」というよりも、「地球最大の哺乳類による水中集団レイプ事件」だった。

 「このクジラはいったいどこの学生だ?」と思っちゃったよ。そんで、メスは「キャー!けだもの!警察に訴えてやる!」とばかりに逃げていたのだが、そのうち抵抗する気力も果てて諦めたのか、それとも「その気」になったのかよくわからないが、水中に沈むとオスを受け入れはじめた。
 なんか、安っぽいアダルトビデオのような展開に茫然となってしまったが、それからが凄い。オスは次々と交尾するのだが、精液をすごい勢いで流し込み、前のオスが注入した精子を押し流してしまうらしいのだ。そんで、最後に交尾したオスの子供が産まれるらしい。

 うーむ、それはいったいどういう戦略なのだろう?その解説はしてくれなかった。

 てゆーか、「こんな凶暴な生き物、さっさとベーコンにしてしまえ」と酔っ払いの私は毒づいていたのであった。先日、スーパーで見かけたクジラのベーコンは松坂牛よりもずっと高価だったな。昔はよく食卓に並んだものだが、あまり美味しかった憶えもなく、でも、なんか駄菓子みたいに「美味しくはなかったはずだが、なんかもう一度食べてみたい」という気持ちをそそる。で、駄菓子もそう思って、大人になってから何回か食べたが、いつも「やっぱ、不味かった」と、がっかりするんだよな。

7月28日(月)

 不肖みやの、ただ今苗場から無事帰還いたしました。
 2001年に行ったときには、車で行ってテント宿泊だったのですが「これだったら新幹線で行って宿泊無しでも大丈夫かな」と思ったので、今回は一人でふらりと行ってみたのです。

 いや〜、しかし、今年のフジロックは雨に祟られたようですが、まあ、日ごろの行いが違うっちゅうか、私が行った日曜日は雨は全く降りませんでしたよ。ワハハハハ。

 さて、どういうスケジュールだったのか書いておきましょう。

 27日(日)

 10:00 起床(「笑っていいとも増刊号」を観ながら支度)
 10:50 出発 
 11:40 ちょうどホームで待っていた上越新幹線に飛び乗る。自由席はほとんどガラガラ。でも、上野、大宮、高崎で乗車してくる客も多く、いつのまにか席は7割くらい埋まっていた。

 というわけで、考えてみれば新幹線に乗るのは弟の結婚式で軽井沢に行って以来。あんときゃ、祖父母も健在だったんだよな(涙)。
 そもそも、私は国内旅行をほとんどしないし、帰省は都内なので、国内線飛行機に乗ったことが無いのが自慢。(あと、ディズニーランドに行ったことないのも)。だから、新幹線もほんとに数えるほどしか乗ったことがない。東海道新幹線だって、たぶん高校の修学旅行以来乗ってないと思う。大学のときは、「青春18きっぷ」専門でしたので。

 しかも、思い起こせば、中学のときに大阪の枚方市に住む、おじさんち(父の叔父)に家族でお邪魔して、甲子園観にいったりしたときには、部活の試合があったので、私だけ後から行くことになり、「初・新幹線&初・ひとりで長距離旅」となり、かなり嬉しかったが、新幹線に一人で乗るのはそれ以来(23年ぶり2度目)かも。

 しかし、私にとっては成田から国際線に乗るくらいドキドキ・ワクワクする新幹線であるが、最近の新幹線ちゅうのは10分おきに出ているんですよね。だから、今回のような「飛び乗り」になることも珍しくないらしいのだが、でも、なんか、それじゃあまるで「あ、来たよ!」と階段走って飛び乗る山手線みたいで、なんか有りがたみが無いな。

 というわけで、
 13:12 越後湯沢着

 まったく・・・・家から2時間ちょっとで着いちゃうんですよね。成田空港と同じくらいかも。ニッポンは狭くなったよほんとに。

 でも、当初の予定では「なるべく夕方くらいに到着する」と思っていたのだが、ついつい張り切ってしまい、思ったより早く着いてしまったようだ。あんまし早く到着すると夜バテてしまいそうなのだが、しかし、駅からのシャトルバス乗り場には長い列ができていて、バスは15分おきくらいにしか来ないわけで、3台目くらいでやっと乗れた。
 日差しが強いので、ネルシャツを頭からかぶって日差しを避ける。日焼け止めも塗りたくった。雨&泥対策は万全だったが、晴天対策はあまりしていなかったので「グラサン持ってくればよかった」と後悔。
 結局、そこで50分くらいバスを待ち、バスで駅から会場までは45分くらい。東京−越後湯沢にかかった時間とほぼ同じくらいの時間を越後湯沢−苗場で費やす。
 距離と時間が滅茶苦茶だ。そーいえば、日本地図を「東京からかかる時間」で作ると、すげーへんちくりんな形になっていたので笑えたが、あれを思い出す。頭の中、ぐにゃぐにゃっすよ、まったくもー。

 というわけで、
 15:00 苗場会場着

 結局、「ほぼ、予定通り」の時間となった。「よーし、じゃあ、ニック・ロウ観にいっちゃうもんね」とゲートに入ると、一番奥のステージを目指して黙々と歩く。
 駅では晴天だったが、苗場はかなり雲がかかっており、雲の隙間にときおり日差しが現れるが、それほど強烈ではなくて快適。しかし、やはり足場は悪い。ただ、「全部、ドロドロ」というわけでもなく、通行路にはウッド・チップを撒いているし、草地はかなり水もはけているようだったので、ほとんどの場所はスニーカーで歩いても問題ないのだが、ところどころ泥んこ道が現れるし、一番手前にある一番大きなステージ、グリーン・ステージの客席部分も半分くらい泥に埋まっているようだ。
 でも、そのためにわざわざ長靴買って、せっかく持ってきたわけだから、「役に立ちそうでよかった」と思った。

 ちょうど、グリーン・ステージでは「ビンセント・ギャロ」がやっていた。「ふ〜ん」と思ったが、あまりギャロに思い入れが無いので通り過ぎる。なんか、おシャレで前衛なフレンチポップみたいだったぞ。セルジュ・ゲーンズブールかっちゅうの。もしくは、なんちゃってローリー・アンダーゾンってかんじ。

 2年前に行ったときには、グリーンステージからさらに歩いて、河原を越えるとホワイトステージがあって、そこを通過すると、アヴァロンとヘブンステージがあったのだが、今年はショートカット道ができていて、ホワイトステージを通らなくてもその奥に行けるようになっていた。尾瀬の歩道みたいな木製の歩道が林の中を蛇行していて、ちょっとしたハイキング気分。しかし、その道がとても長くて、「遠い〜〜〜〜」

 なんとか、15:30くらいには、フィールド・オブ・ヘブン到着。木道で私の前を歩いていた若者男二人組みの会話。

 「やっぱフェスだと出たいってアーチスト多いだろうね」
 「しかも、フジだったらやっぱ出たいと思うよな」
 「でも、RUINSもまさか呼ばれるとは思わなかったろうな〜」
 「そうだよね、なんで呼ばれたのか不思議に思ってんじゃねーの」

 そっかー、ヘブンのさらに奥の、今年から新設されたステージ(オレンジ・コート)では、これらかRUINSやるんだよね。たしかに「青空の下のRUINS」ってちょっと観てみたいかも。

 15:50 ニック・ロウ

 ステージに到着すると早速、生ビールをぐいっと飲んだ。プハー。山で飲むビールは上手いが、でも、トイレの心配があるからガバガバ飲めないのが欠点。男の子はいいよな〜、そこら中で立ちションできるから。私も立ちションできるんだったら、もっとビールが飲めるのに。
 さて、ニック・ロウであるが、ライブを観るのは初めてであった。登場してきた白髪のオヤジを観てもピンと来ない。ってゆーか、ニック・ロウってこんな年寄りだったんだっけ?もっと若い人をイメージしていたが、実物を観てしまうと、私がニック・ロウだと思っていた姿をすっかり忘れてしまった。

 手っ取り早く表現すると「アメリカの老人ホームによくいる、まだまだ気の若い老人」ってかんじだった。
 その銀髪の老人がギター片手に一人で演奏。
 客はニック・ロウのことを知っている人と、「名前だけは聞いたことある」って感じの人の半々という雰囲気だったが、アコギの弾き語りが始まると、もう、そんなことどーでもよくなった。

 すばらしい。
 この人はパフォーマーとして決して優れた資質を持っているとは言えず、ルックスも地味だし、声もそれほど際立っていない。
 どっちかというと、プロデューサーというかソングライティングの才能が際立っていたのだと思っていたが、わたくしが間違っておりました。別に歌が際立って上手いとか、ギターが上手いとかいうわけじゃないんだけど、なんか吸い込まれた。
 それにやっぱり圧倒的に曲がいいのだ。売れっ子シンガーたちが彼の曲を歌いたがったわけもわかる。(キョンキョンも歌ってますよね。あれは非公式コピーだったっけ?)

 山に吹き抜ける風、山の緑、雲を割ってときおり顔を出す太陽。そんな素晴らしいとしかいいようのない環境の中、ニック・ロウの演奏が淡々と流れる。泣けますね。

 つーわけで、「時間が間に合えばニック・ロウも観ちゃお」くらいに思っていたのですが、この演奏を渋谷クワトロあたりでやったら6000円くらいするのではないでしょうか。ちゅうわけで、いきなり「これで6000円。フジロックのチケット代14500円の元がしっかり取れそうな予感」でございました。

 さて、ニック・ロウのライブも終わり、オレンジ・コートにあるトイレに並びました。列は長かったけど、トイレの数もそれなりにありましたので、15分くらいで入れた。並んでいるときにやっていたバンドが「では、次は吉田達也の曲で・・・」とか言っているので、どうやらRUINSだけじゃなくて、このバンドにも吉田達也がいるようです。そーいや、そんなドラムだ。

 トイレが終わってから、ステージに近づいてみました。ちょうど、「渋さ知らず」のメンバーでもある北陽一郎氏がトランペットでその曲だけ参加していて、「北さん、お変わりないようで・・・・司法試験はどうなったのかしらん」(北さんは、友人が弁護士事務所に勤めていたときの同僚で、その縁で自宅に遊びに行ったり、ライブに行ったりしていた)

 で、吉田達也氏を見るのも超久しぶり。彼目当てでライブに行くことはなかったが、ジョン・ゾーンとか山塚アイとか、フレッド・フリスなんかが、高円寺や吉祥寺のライブハウスで「フリー・ジャズでハード・コア」なライブをよくやっていたときに、私は足しげく通っていたので、吉田達也の演奏も何度か「ついで」に観ておりけっこうファンだったのだ。そうだYBO2もやっていたよね。(北村さんは、今は何をやっているのかな。下北沢をフラフラ歩いているのを何回か目撃したけれど)

 で、実は吉田達也はわりと「私の好みのタイプ」なのである。痩せてて色が白くて眼鏡っ子(笑)。それでいて、彼の叩くドラムはかなり狂っている。変拍子バリバリの暴力的なフリージャズ魂が炸裂。
 そんな演奏をいつも狭苦しくてギュウギュウに押し込まれるライブハウスで観たもんだが、こうして広々とした野外ステージっていうのはなかなかいいな。閉鎖感があるはずの音が、伸び伸びと空気を揺らしている。フリー・ジャズって野外のほうが、合うみたいだな。高円寺のライブハウスに行ったら2000円也。

 ちゅうわけで、最前列まで行って「吉田サマ・・・・うるうるうる」と瞳の中に星を散らせておりましたが、さて、またヘブンに戻って次は「G.LOVE」だ。

 17:30 G.LOVE&SPECIAL SOUCE

 まあ、なんかまったりしててよかったけど、ちょっと退屈。しばらく我慢して聞いていたが、「これ聴くだったら、スティーヴ・ウィンウッドの方がいいかな」と想って、またグリーンステージに戻りました。

 さて、周囲にいた「3日間もしくは2日間参加」の人たちのお喋りを盗み聞きしていると、金土曜はかなり混雑していたようですが、日曜日は比較的空いていたようです。トレイの待ち時間も全然短いし、グリーンステージでも敷物敷くところに困りませんでした。たしかに、私も2年前に参加したときには、土曜日だけだったので、あのときに比べると、今回の日曜日は人の量がほどよい感じで、移動の道もそれほど渋滞しないし快適でした。

 さて、グリーンステージの後ろの方の草地に敷物を敷いて、ぼんやりとステージを眺めていました。スティーブ・ウインウッドって名前はメジャーだけど、そのわりに「どの曲の人?」って思います。「たしか、5年に一回くらいCMで使用されるようなヒット曲があったよな」と思っていたら、アンコールでその曲を演奏してました。「未だにこれだけなのか?」と思ったのですが、そーいや、私、彼のライブを観たことあるぞ!
 昔の同僚が、ソウル系が好きで、「ライブ行かない?」と誘ってくれたので行ったような気がする。でも、彼のあまりファンではなかった私は代々木体育館だったと思ったけど、ずっと座って聴いていた。周りの客も座っている人が多かったと思う。「イマイチ盛り上がらねーな」と思っていたら、そのヒット曲が始まって、私も他の客もいきなり立ち上がって踊り出したのだった。

 あれから十数年経っているはずだが、スティーブ・ウインウッドは何も変わっていませんでした。ある意味すごいと言える。

 しかし、ニック・ロウ観て感激し、吉田達也に熱い視線を送り、スティーブ・ウインウッドで昔を懐かしむ・・・・・と、またせっかくロック・フェスに行っているというのに、過去のおさらいばかりしていて、ちっともイマドキ感がありません。途中で「くるり」の演奏も観たけど、あんまし趣味ではなかった。

 (帰ってきてビール飲みながら(会場では一杯しか飲まなかったので)ここまで勢いで書いていたのだが、眠気が襲ってきたので、布団に突っ伏したら、そのまま眠ってしまい、つけっ放しにしていたテレビがやかましくて目が覚めて「このテンション高いドラマは昼ドラか?」と思って起き上がると、もう3時過ぎていた。再放送のドラマだった)

 さーて、また忘れないうちに書いておかないと。

 スティーヴ・ウィンウッドが「ぎみぎみぎみ ら〜ぶ♪」と「ギミ・サム・ラヴィン」でアンコールを終えると(あの一曲で500円也)、次はエルビス・コステロです。セット替えで1時間くらい空くので、敷物の上に寝転んでお昼寝。日も傾いて、かなり涼しくなってきました。

 コステロの開演時間は19:10だったのですが、前の方に陣取るために、30分前にはステージ前に行きました。客席となる平らな部分は半分くらい泥に埋もれていましたが、前半分はちゃんとコンクリが敷いてあるので問題なし。そして、前回行ったときには、一度もこのグリーンステージのステージ前まで行かなかったので気がつかなかったのですが、ステージ前は丈夫そうな私の胸くらいの高さのある鉄柵で囲われていました。人がいっぱいになると、そこを入場制限してしまうようでした。

 そして、鉄柵は2重になっており、間が3メートルくらい空いていて、そこが「堀」の役割をするようでした。私は前の柵の中に入り、開演まで柵に寄りかかって座っていました。
 開演10分くらい前になると、人も続々とやってきて、「座っている方は立ち上がってください」との指示が出たものの、それほどギュウギュウでもありません。これだったら快適。

 ふと、後ろを見ると、後ろの柵のほうにも沢山人が押し寄せていました。最前列にいる人たちは皆、柵に寄りかかっています。前もぎっしり、後ろにもぎっしり人がいるのに、その「堀」はガランとしていて異様でしたが、開演直前になるとそこにセキュリティーが配置されました。フジロックは、「デカくて強そうな黒人」を何人かセキュリティー要員として雇っており、リストバンド・チェック・ポイントで彼らが睨みをきかせていると米軍による国境の警備をかいくぐろうとしているフセインの第5夫人の妹の娘のようなスリルを味わえます。

 さて、私のすぐ後ろに、仁王立ちするセキュリティー氏もそうとうの巨漢でした。身長185センチ以上。迷彩服で身を固め、その広い背中の中には、筋肉がいっぱい詰まっているのでしょう。正気の人間だったら、あんな怖そうな人がいる柵の中に入るとは思えませんが、正気を失った人を相手するのが彼らの仕事なわけで、彼らだって余計な労働はしたくないでしょうから、開演前にうろうろと動き回り、鋭い視線を最前列の客達に投げかけて「おめーら、首の骨折られたくなかったら、そこで大人しくしてろよ」と威嚇しているようでした。

 でも、両側に人がびっしりいる柵の中で、獰猛そうなセキュリティーの黒人にいちゃんがうろうろと動き回るその姿は、「堀」というよりも「動物園」でした。「凶暴な客を押さえる」というよりも、彼らが凶暴だからそこに閉じ込められているみたいだった。「餌をあげないでください」とか「手を入れないでください」などの看板があれば完璧だったのに。

 19:10 エルビス・コステロ

 ニック・ロウは弾き語りだったけど、コステロはちゃんとバンド編成。
 黒いスーツに黒いシャツに黒いネクタイで葬儀屋さんのような衣装でしたが、ドラム氏もキーボード氏も黒い衣装。ベース氏だけが白っぽい服着てました。

 しかし、最後にコステロのライブ行ったのはいつだったかなあ。たしか、日比谷公会堂で観たような気がする。いったい何年前だろう。野音じゃないよ、公会堂だよ。あそこは、客が総立ちになるという習慣が生まれるずっと前に建てられたので、2階席は客が立つと舞台を照らすスポットが客の頭にさえぎられてしまうので「立ち上がらないでくださ〜い」と言われるという、レトロ感あふれる場所でした。

 あのときも、コステロは出だしからガンガン飛ばして、客を熱狂させたが、すっかり体型が丸くなり、生え際も後退しまくった今もその「煽り」は健在だった。とにかく、余計なMCもチューニングもせず、どんどん演奏するのだ。
 でも、やっぱ、コステロの声はいいなあ。決して美声ではないと思うのだが、しわがれ寸前で微妙に音程が揺れるあの声に魅了される人は多いだろう。
 そんで、やっぱ圧倒的に曲がいいんですよね。「エブリデイ・アイ・ライト・ザ・ブック」の出だしなんて、もー泣きそうになりましたもん。

 客は30代っぽい人たちも多かったけど、やはり若者も大勢いるわけで、そいつらが次々と繰り広げられるアップ・テンポの曲にタテノリしている様子を見て、

 「コステロ先生、日本の未来は明るいです!」

 と、おねーさん感激しちゃいました。
 というわけで、コステロのコンサートを東京に観にいくと、今だと7000円くらいなのかな?(10月に東京芸術劇場でライブやるそうだが、それってどこ?)

 というわけで、順当にチケット代を償却しております(笑)。

 さて、次はマッシブ・アタックなのだが、また1時間休憩なのでその間にトイレに行った。すでに、物凄い状態。下を見ないように、息をとめて入る。ほんと、野外はトイレが難点なのよねー。これさえなければねー。

 21:40 マッシブ・アタック

 21:30くらいから、舞台の後ろの壁に液晶文字の時計が現れる。現在時刻を1/100秒まで表示している忙しいやつ。こんな演出をするということは、21:40ジャストに始まるのかと、じっと待っていたのだが、数秒遅れで始まった。
 単なる「現時刻の表示」だったらしい(笑)。
 で、ライブ中もずっと、デジタル文字によるいろいろなメッセージが流れる。どうやら「反戦」を訴えているらすぃ。
 デジタル文字が氾濫している映像は、宮島達男の「MEGA DEATH」を彷彿とさせるが、ちゃんと全部「日本語仕様」になっており、単なる「おシャレ」ではなくて、ちゃんと伝えようという意思があることがわかる。

 わかるんだけどさー、やっぱ「おシャレ反戦&環境保護主義」にしか見えなかったなあ。
 たしかに、映像センスはなかなかで、よかったんだけど「単にカッコイイだけだとなんだから、メッセージ性を盛り込もう」と後からとってつけた「メッセージ」みたいなかんじがした。なんで「カッコイイ」だけじゃ、だめなのか、もっと自信持てよ。「ただひたすらカッコイイだけ」っていうのが一番難しいと思うんだけどな。「チャーリーズ・エンジェル」を観て勉強するように。

 だってさ、たとえば、地球上の出来事をリアルタイムで表現するという映像が流れて、「石油消費量」がバレル単位でデジタル数字表示されると、その数字がドドドドっとカウントアップされていくんですよ。あと「自動車生産数」は一秒に一つずつ増えていくし、「出産」もどんどん増えているし、「アメリカで廃棄されるタイヤの数」もどんどん増えていくし、その数字の増えるスピードは文字で「地球上では何秒に一人生まれていて、何秒に一人死んでいて、何秒に一組離婚していて」なんていうのよりもインパクトはある。

 でも、途中でネタ切れしたのか、「今年経過した秒数」とか(当然のことながら一秒に一個数字が増える)、「地球にそそぐ太陽エネルギー」がジュールで表示されて、それも物凄いスピードで増えていたので、「ひょっとして、ただ単に、増える数字が好きなだけ?」と思った。
 だいたい「人類の糞便の排出量」とか「ゴミの量」なんて、そんな数字で表示してもらわなくても、フェス会場のトイレやゴミ捨て場見れば「これだけの人間がいると一日でこんなになるんだなあ」と誰だってわかるわけで、君たちにわざわざ教えてもらう必要ないって。
 で、それぞれの数字はどれも凄い勢いで増えていくのだが、そのスピードは微妙に違うわけで、その差異を楽しむっていういのは・・・・・ドープな愉しみですな。

 というわけで、ショぼいメッセージは無視することにして、照明と映像のコラボレートを楽しませていただきましたが、演奏は、ほんとにショーアップされていて、ローリー・アンダーソンやトーキング・ヘッズのライブを思い出します。重いビートにあわせて、入れ替わり立ち代り登場するボーカル達やバイオリン奏者。80年代のインテリ・アーチストの世界がこんなところで生き残っていたとは。
 どっちかというとインドア向けの演出だと思いましたが、まあ広々としたところで観るもの乙なもの。

 というわけで、なかなか荘厳でようございました。個人的な恨みも果たせたし、満足なり。5000円ってところ。

 さて、11時にはライブも終了し、レッド・マーキーに移動しました。そこで夜明かしするのだ。
 かなりくたびれていたので、木立の中で寝転がっていたのだが、風が適度に吹き付けてきて寒い。しょうがないから、レッド・マーキーの中で寝転ぶことにする。

 最初はDARTY VEGASのライブをやっていたが、次はDJ。ちょっと単調だったので、また寝転がっていたが、最後の20分くらいで本気出した。踊れました。DJにとっては1時間っていうのは短いのでやりにくいだろうな。やっとフロアが暖まったと思ったら終わり〜ってかんじ。
 その次はSPEARHEADというバンドで、客が集まってきたので、人気あるのかなと思っていたら、これがラスタっぽいファンクバンドで演奏めちゃウマで、「ライブで叩き上げたバンド」のようだった。かなりハッピー系のイケイケな演奏だったが、やっぱ「反戦メッセージ」が・・・・・とほほ。いや、いいんだけどさ、でも「ブッシュはクレイジーだ!」と叫ぶと客も「イエーーー!」っていうやりとりはちょっとなあ。

 なんか、フジロックに集まる若者たちって、ピュアっていうか「せっかく自然の中に来たのだから、ピュアにならないと損」という感じがするんだよな。そういえば、通り道を歩いているときに前を歩いていた20歳そこそこの4人組がこんな会話をしていた。
 「ねえ、この袋って、去年集めたペットボトルで出来てるんだって、知ってた?」
 「そうなんだ〜」
 「なんか、それって、それって、すごくない?」
 「あたしは知ってたよ」
 「え、そうなんだ、知らなかった、なんか、なんか、感激!」

 私が後ろで「なんじゃ、このカマトト女」という視線を送ったのに気がついた男の子がちらちらと私を気にしてしまったので申し訳なかったが(笑)、いや、別にリサイクルするのはいいことだと思うけど、それで全てがオッケーなわけではないとこにも気がついてほしいものである。

 反戦メッセージにしても、別に苦労なくこんな山奥に来れて、食べ物にも飲み物にも不自由しなくて(金さえあれば)、草原でゴロゴロしていると、人気ミュージシャンが次々と演奏してくれて、ぼんやり雲を眺めながら「ああ、しあわせ。平和な国に生まれてよかった」と思えるので、それでいいじゃん。
 世の中のことを真剣に憂いているのなら、こんなところでコンサートやっていることが無駄なわけじゃん。ゴミも大量に出るし、チケット代をみんなが寄付すれば、難民キャンプが3ヶ月くらいもつかもしれない。
 森林保護を訴えるにしても、苗場自体が西武グループが切り開いちゃった森林なわけで、スキーやゴルフやコンサートのために伐採された森の中で「アマゾンの森を守ろう」って言う心境はよくわからない。アマゾンの森を破壊している人たちは、別にスキーやるために伐採しているわけじゃないわけだし、なんだったら、みんなでここに植林でもすれば?

 それに、こんなとこで「反戦!」って言ってもさー、想像してみよーよ、ほらジョン・レノンもそう言っているでしょ。
 今、日本が戦争中だとしましょう。毎日、空爆があって、生きるか死ぬかです。食料も医療も満足にありません。で、インターネットを観たら、ベルリンで大規模な反戦集会が開かれ、多くのアーチストも参加しました。10万人の人が、アンダーワールドやプライマル・スクリームで踊り狂い、ビヨークの歌に酔いしれて、「ノーモーワー」と叫んだそうです。
 私だったらそのニュースを知って「ベルリンのみんなもこの戦争に反対してくれているんだ、ありがとー」なんて絶対に思いませんよ。「ちくしょー、こっちの不幸をネタにして楽しみやがって」と思うことでしょう。

 だから、こういうところで「反戦」だの「環境」だのやるよりも、せめてそういう「憂さ」を忘れてゴロゴロしていたいのですが、それは私が自分勝手な人間だからなのでしょうか。もしくは「年とったな〜」ってことか。
 まあでも、長年にわたるリサイクル宣伝のおかげなのか、ゴミやタバコのぽい捨ては驚くほど少ないのはいいことだ。環境汚すという問題以前に、ゴミが転がっているところで寝転がりたくないので、やはりピュアな若者たちはこれくらい脅かさないとちゃんとできないのかもしれない。

 というわけで、レッドマーキーの夜も更け、SPEARHEADが終わった後は、音響系のヒップホップDJが続き、あいつら自分の技見せびらかすばかりで踊らせてくれないので熟睡してしまった。雨対策で防水着の上下セットを買ったのだが、それを着たら防寒対策になったので、長靴と共に投資が役にたってよかった。

 シャトルバスが5時始発なので、4時半には会場を後にしたが、すでにバス乗り場は大行列。しかも、そのときになって小雨がパラついてきた。山の向こうは晴れているのに局地的な雨。山の天気はほんとに難しい。次々とバスが出るので、なんとか5時15分くらいにはバスに乗れて、越後湯沢駅に着いたのが6時ちょうど。6時4分発の新幹線にまた飛び乗る。行きも帰りも新幹線の待ち時間ゼロ。山手線よりも頻繁に走っているような錯覚を覚える。新宿から朝帰りするときには、もっと電車待つからなあ。

 自由席ばかりの新幹線で、席も空席が多くて難なく座れたが、発車すると車内アナウンスが「高崎から通勤客が乗ってきますので大変混雑します。座席には荷物を置かないでください」と言うので、いきなり現実に引き戻された。

 「そーだ、今日は月曜日なんだ、平日だ」

 泥まみれの靴を履いたくたびれきったフジロックの客の隣りにスーツ着たサラリーマンが座るというシュールな光景が展開されていたが、新幹線通勤のみなさまも「なんで今日はこんなに混んでいるんだ?」と思ったことでしょう。
 いつのまにか熟睡していたが、上野で目が覚めて、脱いでいた靴を履いて、東京で降りようと思ったら、あちこちで熟睡中の男の子が身動きもしていない。まあ、そのままにしておいても、係員が起こしてくれるだろうが、おせっかいな私は「東京に着きましたよ〜」と片っ端からユサユサしてあげました。(ちょっと車掌さんゴッコ)
 どいつもこいつも、どよ〜んとした目を開いて「ここはどこ?」ってかんじで、礼も言えない状態で、冬眠ボケのカエルみたいでかわいらしかった。

 さて、東京駅はすでにスーツ姿の人で賑わっています。まだ7時半なのに、みんな早起きなのね。
 行きの東京駅は日曜日だったので、リュック背負った子供が大量発生していて「どこが少子化じゃ。こんなに沢山いるからもういいじゃん」と思いましたが、曜日によってずいぶん雰囲気違います。
 地下鉄も、やっと座席確保できたくらい。でも、よかった、さっさと帰ってきて。これがあと1時間ずれたら、いきなりラッシュに直撃となって、「森林浴でマイナスイオン効果」がラッシュのストレスで3秒で台無しになるところでした。

 というわけで、昨日11時に家を出て、翌日朝8時には帰宅という、「お手軽フジロック」でしたが、でもやっぱ疲れたわ。宿泊無しはやっぱキツイかも。今度行くときには、ちゃんと宿をとって、「朝まで」はやめようと思った。マッシブ終わったときに宿に帰って寝れば気持ち良く布団で寝られて翌朝すっきりで、朝ご飯食べてからゆっくり帰ればいいわけじゃん。

 さて、今回の収支報告。
 チケット代      14500円
 新幹線代       11960円
 東京駅までの交通費    700円
 長靴          1000円
 防水着         2980円
 食費・飲み物代     3000円
-------------------------------------
 支出計        34140円

 ニック・ロウ      6000円
 吉田達也        2000円
 スティーブ・ウィンウッド 500円
 エルビス・コステロ   7000円
 マッシブ・アタック   5000円
 SPEARHEAD   1000円
 山の景色といい空気   5000円
-------------------------------------
 収入計        26500円

 むむ、一万円も赤字か、じゃあ、これでどうだ

 新幹線ってすごい    2000円
 一応生ギャロを観た   1000円
 たくさん歩いて運動した 1000円
-------------------------------------
 収支計        30500円

 うーん、やっぱペイしてないなあ(笑)
 じゃあ、こういうことにしょう。


 夏休みらしいことをした プライスレス(物より思い出!!!!)

 「プライスレス」はいつでもどこでも最強アイテムだ。
7月26日(土)

 アッテンボローの動物ドキュメンタリーに夢中だった今週でした。
 毎日やっている番組を毎日観るのはけっこう大変ですが、でも「あわわ、11時までに帰らなきゃ」と家路を急ぐなんて、ずいぶん久しぶりのことで、子供のころ、毎日やっている再放送アニメ(「巨人の星」とか「エースをねらえ」とか)や「バイオニック・ジェミー」などを楽しみにしていたときのことを思い出しました。

 鈴木クニエさんは「あんまりあのテイスト好きではない」と書いていたが、それはよくわかる。
 修正しまくった見合い写真というか、「日常撮りっぱなし」を装いながらも高度に演出されたプロモーションビデオみたいなのだ。あのスタッフが私の生活を撮影してくれれば、このアタクシだってきっと「すてきな哺乳類」になるだろう。だって、たぶん延々と回したフィルムの中から、数秒のベストショットを選んでくれて、巧妙に編集してくれるはず。

 あと、進行役のアッテンボロー氏が「出すぎ」でちょっとうざい。
 そんで、彼の登場シーンはかなり凝っており、意味もなく動物の側で喋っていて(ほんとに近づいているのか疑問な場面もある。CGや編集で作りこんであるのかも)、「動物に近づいても大丈夫な特殊な能力を持つ人物」という演出がされているようだが、その演出によって、撮影スタッフはいとも簡単に珍しい動物を発見し近づいたり、いい場所にカメラ置けたりして、易々とあの映像を撮影しているかのような錯覚を覚えてしまうのだが、そんなわきゃねーだろう。

 やっぱ、メイキングも見せろ〜〜〜ってかんじだ。
 ちょっと前に話題になった「WATARIDORI」という映画は、その題名通りに渡り鳥たちが渡るところ(って言うのか?)をひたすら追っているだけの映画らしかったが、「ただそれだけなんだけど、感動するんです」と試写会を観た人がテレビで絶賛していた。
 たしかに、予告編観ただけでも「すげーな」という映像だったけど、テレビでちょこっとだけメイキング映像も紹介して、それ観てのけぞった。

 「どうやって、あんな至近距離で渡り鳥といっしょに飛べるんだろう?鳥にカメラをつけちゃったのかな?」なんて思っていたのだが、ちゃんと鳥と一緒に撮影隊も飛行していたのである。でも、いくら軽飛行機だと言っても、鳥はそんな怪しげなものと一緒に飛行するほど心が広くない。じゃあ、どうするかっていうと、卵から育てるのである。要するに、人類全員の憧れである「鳥って刷り込みができて、最初に観たものをお母さんだと思うんでしょ?そんで、それが人間だったら、人間の後をピヨピヨとついてくるんだよね。いいな〜、皇居の堀のカルガモみたいのが、わたしの後をくっついてきて行進できるんだ〜」っていうのを実行していたのである。

 「動物のお医者さん」でも学生たちが「刷り込み」に憧れて、ヒナが孵るのをずっと待っているというエピソードがあったが、そのときに学生たちの脳裏に浮かんだ「ヒナが自分の後をついて歩く、泳ぐ」という妄想のイラストがそのままメイキングでは実写で展開されていて、「ずるい!」と叫びそうになった。
 スタッフたちは、そうやって人間に慣れたヒナを今度は飛行機にも慣らす。幼いときからモーター音を聞かせて、「これも仲間の音だ」と洗脳するのだ。そして、飛行練習も飛行機と一緒にやるのだ。ヒナたちは、軽飛行機のことを「兄弟」だと思って育つので、一緒に飛んでくれるし、渡りに同行するのは当たり前である。

 メイキング映像の中で面白かったのは、ヒマラヤ越えをする鳥を追っているスタッフが、休息地点でキャンプをしているのだが、鳥たちは準備万端で「いざ、ヒマラヤ越え!」と先に飛び立ってしまった。人間は鳥よりも支度に時間がかかるので、バタバタと準備しながら、空に舞い上がった鳥たちに向かって「おーい!置いていくなーーーー!」と叫んでいた。
 鳥たちは、たぶん仲間が揃うまで上空を旋回していたのだが、「あれ、まだ準備できてないやつがいる」と気がついて、また戻ってきてくれたのだ。

 感動的といえば感動的だが「なんか、やっぱ鳥の邪魔しているわけね。それに、大自然の素晴らしさを伝える映像だけど、それを撮るために、ずいぶん自然を荒らしているではないの」と思った。
 たぶん、アッテンボローの撮影隊も似たようなことをやっているのではないかと思う。なんかああいう映像を観ていると、カメラの傲慢さというのを感じてしまう。それは、カメラを持っている人が他の観客を押しのけて最前列に行ってしまうような行動と同じようなもんなのかもしれない。

 と、ハスに構えたようなこと言いながら、毎日楽しみにしていた番組でしたが、だってベスト・ショット満載で飽きないんだもん(笑)。
 それに、アッテンボロー氏が多少うざくても、みの○んたに比べれば数万倍マシだし、民放でよくやっている途中で「では、この動物は次にどんな行動をするのでしょう?」という、無意味なクイズも芸能人のお喋りも挿入されないので、ストレスは少ない。
 まあ「夜にも奇妙な物語」のタモリというか、その元ネタである「ヒッチコック劇場」のヒッチコックのようなもんであるからして、あれは許そう。

 でもさ、「地球を制覇した動物「ほ乳類」の世界」っていう言い回しはあまり賛同できないんだよな。
 番組内でも、こういう言い回しは時々出てくるので、哺乳類こそ地球を制覇した動物で、その頂点に立っているのが人間っていう世界観がちらほら現れるのが気に入らない。

 「ゾウの耳はなぜ大きい」を読んで悔い改めるように。
 そーいえば、この本でも大変珍しい哺乳類として紹介されていた「ハダカデバネズミ」(蜂のようなコロニーを作り、女王ネズミしか出産しない)の映像が「げっ歯類」のときに流れたので感激しちゃいました。やっぱ、イラストや写真よりも映像のほうがインパクトありますね。(誉めたり貶したり、忙しい)

 で、来週あと5本放映される予定で、それも全部見るつもりなので、うっかり「哺乳類こそ進化の勝利者」と洗脳されないよう、「地中生命の驚異」を読んで逆洗脳してバランスをとってます。地球の覇者はやっぱり線虫でしょう。で、私は不勉強だったので全然知らなかったのですが「生命誕生の秘密は粘土?」説っていうのがあるんですね。粘土の結晶化からDNAが生まれたというような説なんですが、まだその章の途中なんですが、けっこうドキドキします。

 NHK様ありがとう、な話でもう一つ。
 NHK特集で「ポスト・シルクロード」な番組「文明の道」っていうのを毎月やっているようですが、火曜日の夜にローマで発掘された少女のミイラを主軸に「ローマ人の東洋の品々への欲望が交易を盛んにした」という話をやっていました。
 「グローバル経済」に疑問を投げかける番組と対で観ると、見事に中和されるであろう内容でした。

 その中で、海の貿易中継点となった南インドの町が登場して、そこから近かったエロードという街は、近所で宝石が採掘されたので、それを加工して輸出して栄えたらしいのです。その郊外では、ローマの神の像も発掘されたり、ローマ金貨も見つかっていました。

 「おおおお!エロード!お懐かしい〜〜〜〜!」

 エロードという街をご存知の日本人は少ないと思いますが、私も全然知りませんでした。だってガイドブックに載ってないもん。でも、インドに行ったときに、偶然そこで一泊することになりました。その時の体験談も書きましたけど、「なんで、この街、こんなに栄えて(インド国内比)いるのだろう?」と思ってましたが、まさかローマ帝国のときに栄えた名残で今だに中途半端に栄えているとは思ってもみませんでした。

 ああ、テレビばっかり観ていると、たまにはいいこともある。と、つくづく思いました。

 そういえば、裏モノ日記(7/20)で紹介されていて、面白そうだから買ってみた「国際シネマ獄門帖」ですが、これがもう面白くって笑いっぱなし。本を読みながらこんなに笑ったのは、「アホでマヌケなアメリカ白人」以来でしょう。

 とにかく、鋭いツッコミ満載で、そのテンポの良さは筆者が盲愛する「おバカな映画」にも通じるところがあるようです。唐沢俊一も「サービス精神旺盛」と評していますが、ほんとに「チャーリーズ・エンジェル」並みのサービス精神です。値段もだいたい同じです。映画の前売り券と同じ、1500円(笑)。つまらない映画観るよか、よっぽど楽しいです。
 この人のすごいところは、「その映画観てない人でも笑える」というところですが、さらにすごいのは「観る気のなかった映画でも、ここまで書かれると観たくなる」というところ。

 圧巻だったのは、最後の方にまとめられている「海外のB級映画」の紹介で、たぶん、普通にはなかなか観ることができない映画ばかりなんでしょうけど、ゲラゲラ笑いながら(本当に一人住まいの部屋で、声出して涙流しながら笑ってしばいばした)、「観てえ〜〜〜〜〜」と悶絶してしまいます。たぶん、この人「大ハズレ」も沢山観ているんでしょうけど。


 さて、やっぱり明日から苗場にフラっとエルビス・コステロを観に行くことにしていたのだが、梅雨明けの遅れの煽りをくって雨模様らしい。くすん。
 実は、マッシブも観たいのだ。なぜかというと、その昔、グラストンベリーで見逃してしまったからである。私はちゃんと時間通りにステージ前にいたのだ。でも、時間が押していて、自分のテントから30分も泥沼をかきわけたどり着いたときには、まだ前のバンドが演奏していた。「せっかく時間配分してきたのに、無駄になった」とがっかり。なぜなら、客席は田んぼのようで、そこで1時間立っているのは修行以外のなにものでもなく、そもそもそこにたどり着くまでに泥の抵抗にあっているから体力消耗しているのだ。しかも、テントまでは片道30分。晴れてりゃ10分くらいなんだろうけど、一歩一歩、泥から足を抜いて歩くのでそのくらいかかるのだ。そして、ライブが終わって、その行程を戻る体力を残しておかないとならない。

 というわけで、マッシブの前のバンドが終わるのを必死で待ったが、どうもまだ中盤にもさしかかっていなかったらしく、終わったのは1時間後。そして、20分くらいセット替えしている時間も立ちっぱなし。泥の中で立ちつづけていると、スイセンになっちゃたナルシス君みたいに、そのまま稲に変身しそうだった。
 やっと夜の11時半くらいに、マッシブのライブが始まり、ズズーンとした重低音が静かに鳴り始めた。マッシブの曲は「まったり系」であるので、重くて緩い。「ああ、やっと始まった」と思ったが、もう体力の限界。「これ以上立っていられない」と悲しい決断をして、テントに戻ったのである。

 「いいよ、いいよ、そのうち、日本にも来るだろう」と思っていたのだが、来なかった。どうしても観たかったバンドでもなかったのだが、あのとき観そびれた恨みは深い。しかし、先日、ベイNKホールでやったときには「あそこ駅から遠いからヤだな。それにあんな会場じゃ盛り上がらないし」と思ってパスした。そして、お次はなんとフジロック。

 よし、今度こそ、条件のいい場所で観ちゃる。と思ったのだが、個人的な「マッシブの呪い」はまだ解けていなかったらしく、また泥の中かよ〜〜〜〜〜。
 というわけで、今日は長靴を買いに行きました。余計な出費だが、長靴は一足持っていてもいいかな、と前から思っていたし、近所のディスカウント洋品店で1000円で買えたから、まあ保険だと思えば安いものよ。

 つーわけで、明日は起きたとこ勝負で、たぶん昼頃出発して夕方明るいうちに着けばいいという計画。早く着ければ3時からニック・ロウもやってるぞ。パブ・ロック三昧だぜぃ!(苦笑)。


 話は違うが、雑誌の表紙(ターザンだったかな?)に「痩せた香取慎吾」が載っていた。
 どうやら、「ダイエット本」も出版するようである。「15キロ痩せた」そうで、それは凄いけど、でも、いちおう「アイドル」とされている人が、そもそも15キロ痩せられるほど太っていたというほうが問題では?
 そんなに太っていたのかなあ。最近、あまりスマップに興味がなかったのでわからなかった。元々、ぽっちゃり系というか、ゲイ好みの肉体だと思っていたが・・・・・
 でも、慎吾のダイエット本、また売れるんだろうなあ。「ベラベラ・イングリッシュ」もそうだったけど、値段が安いから、軽い気持ちで買えるんだよね。ダイエット本も1000円未満な金額らしい。その値段だとついうっかり買いそうだ。

 他の人はどうだか知らないが、私が本を買うときの基準は映画だ。映画は2時間くらい楽しませてくれて1500円〜1800円。だったら、面白そうな本を買うのに、1500円くらいだとあまり迷わない。たとえ、つまんない本でも、つまんない映画観たと思えばいいからだ。
 でも2000円超すといきなり慎重になるんだよね。
 そんで、「誰か貸してくれないかな」とか「図書館で借りようかな」とか思うんだな。

 話は飛ぶが、さっき書いた「国際シネマ獄門帖」で「少林サッカー」が絶賛されていたが、私は残念ながらまだ観ていない。前にK子さんちで上映会したときも仕事後に到着したので観そびれた。
 そのとき、K子さんに「どうだった?やっぱ面白かった?」と聞いたら、「あのKSさんが画面に向かって『もー、いいかげんにしろ』と突っ込みをいれていた」とのこと。

 KSさんとは何回かK子宅のDVD上映会でご一緒しているが、彼女は元々口数が少ない人だし、他の人が映画観ながら好き勝手に喋っている横で、そういうお喋りを「フフフ」と笑い流しながら黙って観ているタイプの人である。先日「パイレーツによろしく」を観ていたときにも(ハイジの所有物。「絶対泣ける!正座して観ろ!」とハイジが言うので、参考のために拝借したのだが、全然泣けなかった)、私とK子さんはボロクソに突っ込んでいたけど、KSさんは大人しく鑑賞していた。
 その彼女が「少林サッカー」のこれでもか、これでもか、というボケに思わず反応してしまったらしい。
 「岩をも動かす」と言うが、ほんとうに天岩戸を開けるような所業だ。と思った。

 その話を聞いたMG氏(香港映画好きなのかよくわからないが)の解説によると、香港映画というのはそういうもので、とにかくボケしかないらしく、ボケてボケてボケまくり、突っ込みが無いので、「突っ込み」は観客がやらなければならないそうだ。
 なるほど、そのせいで、普段は絶対に「突っ込み」をしないKSさんまでもが、弱々しいながらも「突っ込み」をしてしまったのか。

 で、そういう経緯で、「少林サッカー」の偉大さがわかってしまったので満足してしまった私は、未だに観てないんですが(笑)、それで思ったんだけど、説明が上手い友達の評論(?)を聞くと、それで満足してしまうというか、自分でも観た気になっちゃうので、わざわざ観なかったりするのですが、(友人Mちゃんの「K-19」の説明があまりにも上出来だったので、私は飛行機に乗ったときに別の映画観ちゃいました)、「国際シネマ獄門帖」の中野貴雄の語り口はそういうのを超えていて「もー、だいたいわかっちゃったけど、それでも観たい」と思わせるものだったので、ひたすら感心したのである。

 「デラべっぴん」という私が絶対に読まない雑誌(弟と一緒に実家暮らしだったときには読んだけど)に連載されていたというのが非常に残念である。週刊文春あたりで連載してくれれば、せめて立ち読みくらいするのに。石川三千花の主観と偏見に満ちた映画評が好きな人は、ぜったいに中野貴雄も好きだと思う。ケビン・ベーコンやエドワード・ファーロングにピピピと的確に反応するあたりの本能的に「おいしいものを知っている」体質が同じ。

 で、中野氏は映画監督らしいので(私が絶対に観ないような映画ばっか撮っているようだが)、宝くじが当たったら、この人に1000万円くらい(ケチ)出資したいものである。もちろん、わたくしも出資者の当然の権利として、出演させていただくという条件付き。おばさんキャット・ファイターとして活躍できるように、体鍛えておかないとな。

7月22日(火)

 昨日の8時ごろから観た、アッテンボローの動物ドキュメンタリーは夏休み企画のオープニングだったらしく、夜中にやっていたのが本編1回目のようで、そっちにもまた釘付けだった。
 有袋類を紹介していたのだが、カンガルーの出産や子育てが丁寧に描かれていて、「うーん、有袋類は出産がラクそうでいいなあ」と思った。

 人間も有袋類だったらよかったのに。子育ては同じくらい大変そうだが、でも、子供をお腹のポケットにいれたまま職場復帰できそうじゃん?(笑)
 授乳も袋の中にある乳首でやるみたいで、それならいつでもどこでも授乳できるのでいいぞ。

 しかし、番組の趣味なのか、かなり擬人的な映像が多くて、カンガルーのケンカなんて、両手でバシバシ相手をド突くという、「まるで、人間の小学生同士のケンカ」だと思ったが、哺乳類の特徴っていうのは、子供を養育する期間が長いというのもあるので、「母と子の風景」も盛りだくさんで、ずっと観ていると、「おかあさ〜〜〜ん」と昔の味噌汁のCMのように叫びたくなってくるが、それと同時に「ああ、やはり、子供を産んでこそ女」という気分になってくる。
 もしかして「少子化対策委員会推奨番組」?

 でも、自然界に住む哺乳類には「不妊症」というのは無いのだろうか?
 犬の親戚だというリカオンという群れを作る肉食動物は、群れの上位のカップルしたか子供を産まず(どういう仕組みなんだろう?他の個体は禁欲生活?)子供を持たない成人たちは、甥や姪たちの世話をせっせとやっているらしかった。

 類人猿の群れなどでは、子供を産めないメスなどはいないのだろうか?淘汰されちゃうのだろうか?
 あんまし、そういう話を聞いたことがないが、もしそういう例があるんだったら、どうなっているのか興味深い。

 しかし、クローズアップされるのが「お母さん」ばかりだと「いったいお父さんは何やってるんじゃ」とも思う。
 どうやら、交尾する機会を狙ったり、女を巡ってケンカしていたり、ただ威張っていたりするようだ。もっとお父さんが子育てで活躍する哺乳類いなかったっけ?ペンギンは?(お父さんたちは厳寒の中、数週間飲まず食わずで卵を温めるはず)ああ、あれは鳥だ(笑)
 というわけで、「おかあさ〜ん」な気分と、「男ってやっぱ馬鹿」って気分を同時に味わえるので、ある意味バランスのとれた変な構成だと思った。

 動物ドキュメンタリーが終わったら、オスマン帝国の番組が始まり、トプカプ宮殿のお宝がたくさん出てきて、でっかいエメラルドをあしらった装飾品の数々に釘付け。
 いいなあ、トルコも行きたいなあ。Mちゃんは、クーリエの仕事で行ったときに、ボスボラス海峡を渡るフェリーに乗って、「一人コンスタンチノープル陥落!ごっこ」をして楽しかったと言っていたので羨ましかった。(類は友を呼ぶの法則で、友達も一人遊びが得意だ)

 終わったらもう1時だった。NHKの受信料の元はとったな。動物ドキュメンタリーは毎晩やるらしいので、楽しみ。
 もー、どの動物も可愛くて、テレビの前でブリっ子ポーズをとりながら(両手を軽く握って口の前に添える)、「きゃ〜〜ん、かっわゆ〜〜〜〜〜い!こんなの、飼いた〜〜〜い」とワシントン条約違反発言全開です。

 でも、男も動物もテレビで観るのが一番よね。(軽い気持ちでうっかり飼うと後悔することが多いと思われ)

 さて、今日もコウモリ特集を堪能した。1000万匹のコウモリが、3000メートル上空まで餌の我を求めて舞い上がるのをとらえた映像を見て「通勤距離3000メートルっていうのは、ちょっと羨ましい」と思ったりした。私も目が悪いので、超音波能力が欲しい。想像してみよう。コウモリのジャニーズ系のコンサート。東京ドームを埋め尽くしたギャルたちは、いっせいに「〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と超音波を出して、「タッキーってやっぱ美形!」
 コワイかも。
 
7月21日(月)

 今朝は目覚ましよりも早く目が覚めた。
 なんか、外がうるさかったからだ。
 半覚醒のまま、「なんの音だ?」とボンヤリしていたのだが、それが雨の音だとわかってきたら、「すごい豪雨だ。うちも土石流で流されちゃうのかも」と不安になった。
 しかし、雨の「ゴーーー」といううなりとは別の音も聞こえる。なんだろう?車のエンジンの音?違う。なんだろう?
 どうやら、ベランダの雨どいを水が流れる音のようだった。
 しばらく雨の音に怯えていたが、いつのまにか眠ってしまったようだ。

 会社に行って、気象庁のHPで雨量を調べてみたが、世田谷区は「4mm」であった。1時間の降雨量である。九州の集中豪雨では75mmくらいあったようなので、文字通り「桁が違う」
 でも、そんなもんだったのかな。なんか物凄く降っているような気がしたのだが、寝ぼけていたので自信がない。あと、降っている時間が短かったのかもしれないけど。

 近所のうちの窓にときどきヤモリが張り付いているのがとても気になる。
 その家の居間の窓は雨戸がついていないので、いつもテレビの光がゆらゆらしている。その曇りガラスに、ぴとっとヤモリが張り付いているのだ。もしかしたら、中からはあまり良く見えないのかもしれないけど、外を通る人には、はっきりくっきりシルエットが見える。
 最初発見したときには「こういうシールを貼っているのだろうか?」と思って、立ち止まって観察してしまったくらいだ。

 そのくらい、ヤモリのシルエットはおシャレだ。
 そーいえば、インドに行ったときに、オープン・カフェ(表参道とかにあるのとはかなり趣が違うが)の薄い屋根にもたくさんヤモリがはりついていて、最初に気がついたときには、「うわ!」とびっくりしたが、よくよく眺めてみれば、けっこうかわいいし、「うむ、ここはきっと、アニエスbプロデュースのカフェなんだな」ということで無理やり納得してしまった。
 アニエスの「とかげ柄」はけっこう流行ったもんな(笑)。

 そーいえば、それで思い出したが、先日、下北沢まで歩いている途中で、電信柱の影になにか黒い塊があったので、なんだろうと思って近づいてみたら、なんか生き物の死体みたいだったので、「げ、黒猫の死体か?それとも巨大ドブネズミとか?」と一瞬思ったが、そいつには黒いクチバシがあった。大きなカラスの死体だったのである。
 まだ、死後それほど経過していないようで、それほど荒れていなかったが、それでも近づくのが怖かったので、遠めに観察してみたのだが、なんであんなところで死んでいたのだろうか?車に轢かれたのを誰かが端に寄せたのかもしれないけど、それほど出血している様子もなかった。
 死に顔もちゃんと見えて、ちゃんと目をつぶっていた。大河ドラマかなんかの戦国武将の死に顔みたいだった。ついさっきまで「わしが死んだら、影武者をたてるのじゃ・・・」「お館さまっ!」ってやってたようなかんじがした。カラスの死体を見たのは初めてだったが、あんな顔して死ぬのね。

 黒つながりで、私から愛憎乱れ飛ぶ仕打ちを受けているゴキちゃんであるが、飼っているゴキはまだ健在です。いつのまにか2匹になってしまった。1匹だけ脱皮したらしく、一日くらい真っ白だったが、だんだん斑に色がついていく様子が観察できた。でも、それ以来、あんまり大きくならない。「動物のお医者さん」の菱沼さんも、細菌の培養に苦労していて「人間の体の中でなら、どんどん増えるのにぃ〜〜〜〜〜〜」と言っていたが、ゴキもシャーレ(じゃなくて、ペットボトルだけど)で培養するのは難しいらしい。
 でも、せっかく捕獲したのだから、死ぬまで面倒見ようと思う。

 NHKで、アッテンボローの動物ドキュメンタリーをやっていた。BBCの映像ってほんとにいつも凄い。肉食動物と草食動物の闘いは、ほんとうに美しい。物凄くレベルの高いアスリートたちの競技みたいだが、命かかっているし、せこいルールもないわけだから、ほんとうに無駄がない。インパラに襲い掛かるライオンの肩の筋肉の動きを観て、思わず「だ、抱かれてみたい・・・」とか思っちゃったもん。

 全速力で走る動物の動きはなんてキレイなんだろう。そんで、そういうベストショットばかりを編集して作った番組は、まばたきする暇も惜しいような素晴らしい映像満載だった。
 人間の脳味噌がこれだけ進化したのはきっと、身体能力がドンくさかったからに違いない。
 あんなに美しく速く走れたら、自動車も自転車も電車も要らない。
 あんなに美しく速く泳げるのなら、船も浮き輪もサーフフボードも要らない。
 あんなに美しくジャンプできるのだったら、飛行機もトランポリンも要らない。

 しかし、野生の動物が毎日がエクササイズなわけで、あれだけの鍛えぬかれたナイス・バティを維持しているのだろうけど、動物園の動物なんて、生まれてから死ぬまで一度も全力疾走したことなかったりするのではないか?
 だから、こういう番組を観て、「ああ、ライオンさんの筋肉ってス・テ・キ」と思って、動物園に行くと、自分よりも運動不足で堕落しきっている姿を観てショックを受けてしまうかもしれない。

 うーむ、しかし、私がもし生まれ変わるとして、神様に「きみは次はライオンね」っていわれて、まあ肉好きだし、生肉もけっこう好んでいたので、それはいいんだけど「で、生まれる場所は選ばせてあげるけど、どっちがいい?」と言われてたらどうしよう。
 サバンナで生まれるか、それとも「♪ほんとにほんとにほんとにほんとにラ〜イオンだ〜」な所で生まれるか・・・・
 うーん、悩むなあ。
 そりゃ、食べる心配はしたくないが、たまにストレス解消に、車から降りて写真撮影なんてしちゃうお馬鹿な人間襲っても、あいつら逃げ足も遅いから「食料を手に入れる喜び」は少なそうだ。

7月20日(日)

 昨晩は「ER」を観ながら、ワインを飲んでいたのだが、おかげで「コバッチ先生の不幸な体験談」(戦争による爆撃で妻と子を亡くす)で号泣してしまいました。
 そんで、そのあと、「ダーマとグレッグ」が始まるまで、日記の後半部分(胸の谷間自慢)を書いてからアップしたのですが、かなり酔っ払っていたらしく、しばらく布団に突っ伏してしまった。「ダーマとグレッグ」が始まったときには微かに意識があったのですが、次に意識が戻ったら、テレビも電気もつけっ放し&窓開けっ放しでした。かろうじて、パソコンの電源はオフになっていたし、コンタクトレンズも外してあった。

 しかし、晩酌で潰れるのも久しぶりだ。最近は飲み始めるとノンストップ状態になるので、我ながら恐ろしい。
 朝目が覚めたのが何時だかわからなかったが、次に目が覚めたら10時だった。また寝なおして、12時に起きたが、やっぱダルくてゴロゴロする。それに、酔いつぶれて寝たために、うつぶせ姿勢を長時間とっていたため、腰が痛くなってしまった。

 ゴロゴロしながら、残りわずかだった「環境危機をあおってはいけない」を読み終わる。

 私はわりとイケイケな環境保護論には懐疑的であるが、それでもこの本を読み始めたときには、細かい揚げ足とりのように思えて、なんとなく馴染めなかったのだが、でも、読んでいくうちにだんだんコツをつかんできた。各章の最後には「総論」のようなものがあって、そこでざっとまとめてあるのである。データやグラフを読むのが苦手な人(私)は、まず目次を見て自分が一番興味のある「環境問題」を選んでみて、まず総論を読んで、そこに書いてあることに興味を持ったら、細かい説明を読んでみると読みやすい。
 なにしろ、範囲が広いので、全部読もうとすると大変だし、最初の方の「人口増加」は私のような「平和な国ニッポンでぬくぬくと生活している人」にはあまりインパクトのある話題ではないので「公害」とか「化学物質」とかのほうが身近な問題なのでとっつきやすいと思った。

 ロンボルグもこの本の中で何回か繰り返し述べているけど、「ニュースは悪いことしか報道しない」ということは、たいへん納得できる。最近また話題になっている「少年犯罪」だって、まるで、そこらへん歩いている中学生が今にも私のことを殺そうとするのではないかと思いたくなるような「解説」が多いが、でも、あんだけ少年少女がいても、凶悪犯罪を起こすのはほんのわずかなのである。「少女4人監禁事件」もセンセーショナルに報道されて、まるで渋谷が「犯罪渦巻く凶悪都市」のように言われているが、フツーの人(私)にとって渋谷はただの「人が多くて歩きにくい街」でしかない。

 それはわかっていても、新聞やニュースで「通り魔」とか「女性一人暮らしのアパートに侵入して強盗殺人」というニュースが並ぶと、夜道を歩いていてもついつい緊張してしまう。もちろん、そうやって警告してもらえれば、ある程度自衛できるし(戸締りはちゃんとするとか、夜道を携帯で喋りながら歩かないとか)、子供のころだって、誘拐事件があるたびに親から「知らない人についていっちゃだめ」と教育されたが、実際に自分と同じ年くらいの子が誘拐されて殺されたなんてニュースを観ながらそう言われると、かなり説得力はあった。まあ、自分ちの生活レベルを考えると、身代金誘拐される可能性は低そうだとは思ったが、ニュースによると貧乏人の子女でも「いたずら目的」で誘拐されたりするらしいが、でも「いたずらって何?」と思ったっけなあ。

 で、それと同じように、「一般人向けのわかりやすいニュース」だけを観ていると、たとえば、ダイオキシン問題なんかも、ダイオキシンが実際どう危険だか私はわかっていない。でも、どうやら水銀と同じような有毒物質らしいと思っている。
 そんで、「遺伝子組み替え食品」っていうのも、なんか恐ろしいものだと思っている。食品を買うときに「遺伝子組換の原料を使ってません」とデカデカと大きく書いてあるのを見ると、それをわざわざ宣伝するってことは、こっちのほうがいいですよってことなのかと思ってしまう。たぶん、「遺伝子組換」のなにがどう悪いのか、ある程度説明できる人はほとんどいないと思う。

 最近の子供にアトピーやアレルギーが多いのも、それが統計的にほんとに多くなったのか誰も知らないけど、でも、それも「環境が悪くなって、有害物質が母体に溜まるから」だと信じている人は多いと思うが、ほんとにそうなのか誰も説明できないし、環境ホルモンにしたって、テレビのドキュメンタリーでそういう特集を観ると、「ああ、人類はそのうち滅ぶなあ」と思ってしまう。

 そうやって、ロンボルグが指摘するように、私だって「暗い未来」に怯えていたりするし、「自分にできることがあれば、なにかやるのに」と思って、缶ビールの空き缶をリサイクルに出したり、会社のエアコンを弱くしたり、誰もいない会議室の電気を消したり、エアコンを消したりしているけれど、そんなことをしたって焼け石に水かもしれないし、地球を食いものにする人間はどんどん増えているし、それを止めることはできないが、あー、印刷する書類にミスが見つかって、また大量出力してしまった、これでまた森が減る〜〜〜〜すいません、すいません、すいません、と自分を責めてしまうが、でも実際のところ、上質紙をどのくらい無駄にすると、どのくらい環境に影響を与えるのか全然知らなかったりする。

 というような、「地球さん、生まれてきてごめんなさい。私のせいで大変ですよね」、中途半端な環境保護論者にとっては、自分が怯えていたものの正体を暴いてくれる素敵な本である。

 たしかに、冷静になって考えれば、環境問題は日々改善している。北京に行ったときに、きょうみさんが話してくれたが、北京っていうのはついこの間まで石炭暖房が主流だったので「冬の青空」とは無縁の町だったそうだ。それが、灯油や電化のおかげで空がクリアになったらしい。ちょっと前のロンドンだってそうだったらしいけど、技術の進歩のおかげで、都市はきれいな空気を手にいれたというのは、わりと有名な話だ。
 川がきれいになったことだって、みんな知っている。下水道の整備で、排水が直接河川に流れることが少なくなったので、都市部の川は急激にきれいになった。タマちゃんが住める程度には(笑)

 だから日々改善しているということは、知っているはずなのだが、でも、よくなったことを誉める報道は少なくて、一箇所改善されると、みなすぐに別の問題を探し出してきて「体に悪い、環境に悪い」と言い出す。
 もちろん、悪いところに光をあてる行為こそが「改善」の第一歩なわけで、ある程度の危機感をもたないと進歩もないから、それはいいんだけれども、でもどうせそれでなにか行動するのだったら、効率のいい方法をとりたいとは思う。

 カナダでは牛乳がポリエチレンの袋入りで売られていると、赤星たみこが言っていた。彼女はそれを見て「カナダって遅れてる〜」と思ったそうだが、実は、紙パックをリサイクルするよりも、そっちのほうが「環境への負担が少ない」ということがわかり、「リサイクルすれば全てOKではないのだな」ということを彼女も知ったそうなのだが、じゃあ、ビールを瓶で買うのと缶で買うのの、どっちが環境にやさしいの?

 この本では「京都議定書」のところを一番楽しみにしていたのだが、でも、あんましよくわからなかった。
 てゆーか、「京都議定書」について、自分は何を知っているのだろうか?アメリカが反対したということしか知らない。そんで、それが何故かっていうこともよくわかってない。ただ「アメリカって我がまま〜」ってだけだ。
 そもそも、二酸化炭素排出規制っていうのが、実際どのように運用されるのか、さっぱりわからない。騒音感知装置みたいな、二酸化炭素濃度感知機を街角において監視するの?(そうじゃないことはわかっているが)

 で、地球温暖化についても、前にネットサイエンス・インタビュー・メールで「プルーム・テクトニクス」を研究している丸山茂徳氏の発言で、彼は氷河期の再来による寒冷化を心配しているので、温暖化については「ところが、いまみんなが問題にしているのは温暖化です。僕は、狂っていると思いますね。いいですか、暖かくなるっていうのは「良い」んですよ。」っていうのを読んで、私は大笑いしてしまいました。

 そっか、氷河期の心配している学者さんからすれば、「温暖化」なんて問題じゃないんだ。
 実際、そのしばらく後に、ニュースサイトでこっそりと温暖化の影響で砂漠化した地域もあるが、逆に緑化した地域もあるという研究結果が載っていて、「地球って、わりと逞しいな」と思いました。

 たしかに、温暖化により北極圏の氷がとけて、海面が上昇すると水没する地域があるでしょうけど、でも、千葉県育ちの私は 、つい最近の石器時代には、千葉県のほとんどが水没していたことを知っています。(だから内陸部に貝塚が残っている)
 それは別に、人類が化石燃料を燃やした結果じゃないんですよね。

 えーと、また何を言いたいのかわからなくなってきました。
 そういえば、昔、母親が私が怪我したときに、赤チンを塗りながら「赤チンは製造過程で有害物質を排出するから、もう製造中止になったのよ」と教えてくれました。ところが、赤チンは絶滅しなかった。なぜなら、公害基準が甘い発展途上国で製造されて、それが先進国である日本に輸出されたからです。
 わたしゃ、子供心にも「それって変」だと思いましたけど、でも同じようなことはたくさんあるんだと思います。
 先進国で禁止されたものが、後進国で作られて、そのうち、その後進国もそれなりにリッチになってくれば、やはり禁止されて・・・・・もっと貧乏な国で生産されて、また禁止されて・・・・。

 で、先進国は、公害についてのノウハウ持ってますから、そういうのを後進国に押し付けないという選択ができるはずです。ヨーロッパは原生林をほとんと伐採して成り立った地域ですが、その経験を生かして、南アメリカやアフリカには森林と共存できる繁栄の道を示唆できるはず。

 実際にそれができれば、後進国のほうがラッキーです。先進国が多大なリスクを伴ってやっと手にいれた「クリーンな環境」のノウハウをいきなり享受できるのですから。

 で、この本は、それがちゃんとできれば、地球の未来は明るいということを書いた本だと思いました。
 で、私はその「明るい未来」のために何をすればいいのかな?

 よくわからないので、やっぱ冷房の温度設定を28度にしたり、ミスプリントした書類の裏紙を再利用したり、ちまちまやるしかないのかな。
7月19日(土)

 少し前に、ニュースサイトに「道路公団は資産超過」という記事が載っていて、「資産超過」という言葉に馴染みがなかった私はさっそく調べてみたのだが、どうやら「債務超過」の対になる言葉だったらしい。でも、「債務超過」っていうのは「借金だらけの赤字経営」とほとんど同じように使われているし、ニュースでもお馴染の言葉だが、わざわざ「資産超過」をニュースにするってことは、「借金だらけのはずなのに、おっかしいぞ」という意味の報道なのかどうか、その短い文章からはわからなかった。

 そしたら、今度は「債務超過」というニュース。しかし、私が考えていた「粉飾決算で資産超過にしたんだろ」という話ではないようで、新聞サイトを読んでいても、いったい何が問題になっているのかよくわからない。
 しかし、どうやら「民間基準による正式な財務諸表」ってゆーのを公団側が作成したが、その資産評価基準とやらが適正かどうかで揉めているらしいということはわかった。

 今日は出勤だったので、朝は日テレの「ウェイク・アップ」を観ていた。土曜日はいつもなんとなくこれを観ている。文珍がズラリと並ぶ、政治家や評論家や文化人の意見をテキトーに受け流す様子が楽しいからかもしれない。
 そしたらその、道路公団の話題も出たのだけれども、やはりテレビの解説でもよく意味がわからない。
 そう思っていたら、ご意見番の一人である樋口恵子も怒っていた。(この人が石原慎太郎の対抗馬として都知事選に出馬したっていうのもずいぶん昔のことのように思える)

 「わたし、財務諸表なんて言葉、はじめてききましたけど、そんなこと言われてもさっぱりわかりません」

 たしか、そんな意味のことを言った。要するに、そんな難しい説明されてもわかんないから、道路公団が健全な団体かどうか、市民に判断できるようにもっと簡単に説明しろ、ということらしい。
 でも、「財務諸表」ってそんなに聞きなれない難しい言葉なんだろうか?
 そりゃ、私は財務系部署で働いているから、「財務諸表」も作成しているので、わりかし身近な言葉なのであるが、でも、普通のサラリーマンだって財務諸表くらいわかるだろう。

 「財務諸表なんて知らない」と言い切るのは、いわゆる「主婦感覚」をアピールするためのポーズなのかもしれないけど、でも、主婦代表を気取るのなら「主婦にはそんなのわからないわよっ」(とは本人は発言していないが)と怒るよりも、そのくらいはちゃんと自分で説明できるようじゃないと、いけないんじゃないかなあ。
 たしかに、専門用語を並べられてもよくわかんないかもしれないし、私にしたって「財務諸表」や「資産評価」のからくりというか難しさは漠然と知っているが、しょせん「会社の帳簿なんて家計簿と同じようなもんだもん」で済むような中小企業しか扱ったことないので、あれだけ膨大な資産を持つ組織の評価のややこしさはよくわからない。

 でも、どうやら、道路公団の問題の本質は「債務超過なのか資産超過なのか、はっきりしろ!」という、たとえば先日破綻した、りそな銀行のような、「内部で評価したらOKでしたが、監査法人が厳しい基準を適用したらOUTでした」というだけの話でもないようなので(民営化云々が絡んできているらしいから)、新聞読んでもさっぱりわからないのである。てゆーか、新聞記者もちゃんとわかってないまま書いているような記事ばっか。

 話がまとまらなくなってきたが、樋口恵子はあの番組ではいつもそういう「もっと市民にわかる政治を」みたいなことを言うが、市民だって「財務諸表」くらいわからないと、しょーがないじゃん。たまたま私が「財務諸表」を難しい言葉だとは思わなかったから、そう思っただけかもしれないけど、でも、どの業界にもその程度の専門用語はあるわけだし、「わかんない」と文句言う前に、ちょっとは自分で調べろと思う。

 それは置いておいて、こういうニュースを観るにつけ、いつも空しくなってしまう。経理の仕事って他の仕事に比べると、「曖昧さ」が少ないので好きなのだが、それってたぶん、「お金で客観視する」という作業がわかりやすいからだと思う。お金は嘘をつかない。無いものは無いのである。
 でも、こういう財務諸表とかいう話になってくると、お金だけでは判断つかないところが多くて、たしかに私の仕事でも、ある費用を「修繕費」にするか「資産」にするかで、決算内容がかなり違ってくるので難しい。それが巨大な組織になれば、ちょっとした評価の差でもの凄い巨額な差が出るのだろう。私がいるような会社では、たとえ多少粉飾したとしても(してないけど)実務に携わっている人間には本当の状態がある程度判断できるが、組織が巨大になれば内部の人間でもその判断は難しくなるのではないかと思う。ましてや、そういう財務諸表を外部の人間が精査するのは一苦労だし、それで本当の状態がわかるかというと、そうでもないような気がしてきた。

 要するにそれって、「健康診断」みたいなもん?
 この間、γ-GTPの話を書いたけど、あれも、「本当」の基準はもっと低いけど、その厳しい基準値で診断すると、「不合格者続出」になってしまうので、やや高い数値に設定しているということだった。まあ、γ-GTP値が多少高くても即なにかの病気といういうわけでもないようなので、甘い基準にしても問題ないんだろうけど、でもひょっとしたら会計基準ってやつも、そんなもんなもかもしれないぞ。まあ、最近はいろいろ改善されてきているようだけど、公認会計士がOK出した「儲かっているはずの会社」が翌日倒産しちまったなんて話はバブル崩壊直後にはよくあったみたいで、それって医者がB判定出した患者が翌日心臓発作で死にました、っていうのと同じだよな。

 企業が健全経営かっていうのを診断するのは、思ったよりも難しいのかもしれない。私は中小企業の財務諸表や決算書はだいたい読めると自負しているので(10億の単位を超えると、数字が意味を成さなくなるので大企業はダメ)、友達が中小企業診断士の資格をとるために勉強していたのをちょっぴりバカにしていたのだが、(その資格があっても経理経験が無いとダメだと思ったんだけど)、企業というのも人間と同じように「生きている」ので、その健康状態を判断するのは難しいのかも。

 それって、たとえば、A家とB家の2ファミリーがいて「どっちが金持ちか」を判断するのと同じくらい難しい。
 AさんちとBさんちの年収だけ比較してもだめだ。まず資産の算定だけど、都心のマンションに住んでいるAさん宅と、郊外の一軒家に住んでいるBさん宅の資産は何を基準にして評価する?取得価格?それとも路線価?今売ったら、どっちが高いのか?そうなると築年数も考えないといけないし・・・・そんで、貯金はAさんちの方が多いけど、Aさんの奥さんは実は元々バイリンガルの秘書で、子供が大きくなったら働くつもりで、そうなったら年収数百万稼ぐだろうけど、Bさんちの奥さんはせいぜいパートで扶養控除限度額内だろう。そんで、子供はAさんちに2人いて、Bさんちには3人いて、でもBさんちの上の子はもう国立大学に通っているが、Aさんちの子供はまだ二人とも私立の中高に通っていて、そのまま私立大学に入るつもりで、まだまだ学費がかかりそうだが、Aさんちの子はサラリーマンになりそうだが、Bさんちの子は親の仕事の跡を継ぐ予定で、しかもかなり商売の才覚がありそうなので、ひょっとしたら父親の店をフランチャイズ展開してボロ儲けするかもしれない。
 なーんてのを評価するのは大変難しいが、企業の評価だって結局これと似たりよったりじゃん。

 なんかやってらんないわ。
 と、自分の仕事に疑問を持ってしまったが、でも、待てよ、私は公認会計士でもないし、私の仕事はもっと現実的なのよね。
 で、道路公団の問題はいったい何が問題なんでしょ?ちゃんとわかっている人がいたら教えてください。

 というわけで、色気のない話でクヨクヨしてしまったので、たまには色気のあるお話しでも。

●色気のある話

 以下は私の主観に基づく「私個人の私個人による私個人のための話」であるので、早い話が「妄想100%」ですから、鵜呑みにして萌え〜たりしないように。

 ボーナスが出たので、先日のお休みは買出しにでかけた。下着を買いに行ったのである。最近、着古したキャミソール(シミーズみたいなもん)がどれも生地の自然疲労により「穴あき」になってしまったので「そろそろガツンと買わねば」と思いつつも、数ヶ月が経過していた。
 穴の開いた下着を着るほど貧乏なわけでもないが、私は肌に近いものは新しい布地よりも、洗濯機に苛めぬかれたくたびれきった布地のほうが好きで、シーツも穴が開く直前がいいと思っている。だから、ホテルの糊のきいたシーツや枕カバーはあまり好きではないので寝つきが悪いし、新しく下ろしたバスタオルも好きじゃないので、どうしも古いほうを使ってしまうので、現在使用しているバスタオルもボロいのばかりである。

 だから、普段着るのには、別に見せびらかすわけでもないので、穴の開きかかった下着のほうがいいのだが、スポーツクラブに行くと、「あ、しまった」と思うことが多くなってきた。でも、「あの人、穴の開いたの着てる」と思われても、他人ばかりだし、それでエンガチョになるわけでもないので構わないのだが、でも、やはり「なんとかしなくちゃ」と思うときもあるわけで、ボーナス入ったから思い切って「まとめ買い」することにしたのだ。

 ああ、全然「色気」ないっすね。待っててください、これからです。

 さらに色気が無いことに、ここ数年、私のお気に入りの下着屋さんは「MUJI」である。だって安いし、丈夫だし、着心地がいいんだもん。レースがついたやつとか、レースのとこでカブれるんですよね。男性の方も一度レース付きパンツ履いてみてください。股ズレ起こしますから。
 そんで、私はいわゆる「ヌードカラー」の下着が好きだ。「ヌードカラー」とは、肌色に近い色のことである。要するに「肌色」。白いシャツを着たときに、上に響かないからいいんだけど、多分、男性には評判悪いと思う。実際、サンプル数は少ないが評判悪かった。しかし、私は自分では男性の下着なんてどうでもいいので、男性が女性の下着に難癖つける気持ちが理解できないので、「嫌ならやめれば」という態度を貫いてきた。だって、男性に下着姿を見せる機会は少ないが、下着は毎日着けるからして、「着用感の悪いものなど着てらっか」ということである。

 勝負パンツ?
 ああ、そういうのも10年くらい前は通販で買ってしまったりしたが、あまり役に立たないままゴミになってしまったような気がする。

 というわけで、前置きが長くなったが、その日はMUJIでキャミソールやパンツを数枚づつ選んでいた。お金を気にせず、どしどし買い物カゴに入れられるので気分上々。ついでに、ブラも買おうかな、今使っているのはそろそろ肩紐が緩んできたし、と思ってブラを観ると、綿素材の黒いのが目に入った。しかも、説明付き「3/4カップ・ブラ。胸の形がきれいに見えます」

 ほー、そうですか。
 きれいにね。
 ふーん。

 ブラの種類がよくわからない人は、ワコールのサイトで勉強しておきましょう。(警告:職場や家族の前では控えたほうがいいかも)
 余談ではありますが、私はイエローキャブの面々には及ばないけれど、いちおー「Dカップ」なのでそれなりに質量があるため、「ハーフカップ」は苦手で、何個が買ったけどロクに着用しなかったので、30歳すぎて「身のほど」がわかってからは、「フルカップ」専門でした。

 そのときは、ちょっと魔が差して「金あるんだし、ダメだったらまたゴミ箱行きだが」と思いつつも、その黒い3/4カップブラを買ってしまったのでした。黒いのだと、紐が見えてもOKだったりするので、一個持っていてもいいかなと思ったのです。

 さて、今朝、ふと、それを着けてみました。
 女性の方はおわかりだと思いますが、贅肉もカップの中にグイグイ押し込むのが着用のコツです。
 贅肉が少ない方はお気の毒さま。あたしは、た〜くさんあるんです。詰め甲斐があります。

 さて、脇の贅肉も全部詰めました。
 鏡を見て、確認すると・・・・・
 おお!すげえ!胸の谷間が!

 さすが、3/4カップです。谷間くっきりはっきり。もー、絵に描いたよう、というか、叶姉妹クラスです。
 服着るのが、もったいなかったな(笑)。
 それよりも、この谷間のまんま、宅配便とか受取らないように気をつけなくちゃね。

 まあ、しかし、谷間を昼間は見せびらかすわけでもなく、外に出しているのは、イケてない顔と、大根足だったりするわけですから、まったく持ち腐れてますが、埋蔵したお宝というわけで、埋めた本人だけ楽しんでおります。ぐふっ。
 しかも、このブラはパットが入るスペースがあるので、これでパットいれたらどんなことになるか・・・・・。

 つーわけで、胸だけ「デュバリー夫人ごっこ」(ベルバラ1巻参照。ルイ15世の愛人)で遊んでいるのでありました。
 でも、この一人遊びには「お腹の贅肉は見て見ぬふりをする」という高度な技が必要です。お腹もDカップなのでありました。

 贅肉にだまされませんように。
7月18日(金)

 今年はまだエアコンをつけていないことに気がついた。それほど寝苦しい日がまだないようだ。それどころか、朝はけっこう冷え込んだりしている。でも、梅雨が明けたら、あっという間に真夏なんだろうな。

 冷房といえば、会社で私がいるフロアは女性社員が多いので、冷房温度はいつも低めに設定してある。たまに、オジサン社員が冷房をガっとあげたりするが、いつのまにか誰かが下げているようだ。私もときどき冷房を下げる(温度を上げる)。
 先日、ほとんどオフィスにはいないH部長が珍しくずっと社内にいて、「あ〜、暑いから、冷房あげたよ」と言っていたのだが、なんと、彼は18度に設定していた。冷気が私のところにも、吹き付けてきた。「ちょっと寒すぎじゃないですか?」と言ったら「オレは、家でもずっと18度だ!」だって。電力不足が予想されているこのご時世・・・東京電力推奨温度は「28度」じゃなかったですか?

 いや、別にいいんだけどさ、でも、他の暑がりなオジサンでもせいぜい「25度」なのにな・・・・まあ、ずっと18度にしたいわけでもなく、サーっと冷やしたいんだろうけど、でもさ、あんた「沈黙の春」をテキストにセミナーやってたりしてませんでしたっけ?
 いや、いいんだけどさ、冷房温度を10度くらい上げたからって、それが即環境破壊に繋がるとは思ってないけど、でもさ、ちょっと周囲を見回せば、ブランケット腰にまきつけながらコピーとりしている女子社員とか目にはいるわけじゃない。そりゃ、あの子は体が弱いし、異常に冷え性だとは思うけど、でも冷え性の人と、暑がりの人が双方がちょっとだけ我慢して妥協点をさぐりながら共同生活していかないとさ・・・・・

 まあ、他のいつも会社にいるオジサマ達は、地道な教育をしているのだが、彼はいつもいるわけじゃなし、本人もそれをわかっているからしょうがない。しょうがないけど、一言嫌味を言わずにはいられなかった。

 「環境保護団体に射殺されますよ」

 ううう・・・もっと気のきいた嫌味を言いたかったが、とっさにそれしか思いつかなかったのである。

 今年は電力不足という後ろ盾があるから、いつもより冷房で体を壊す人が減るのではないかと期待しているのだが、こうなったら見せしめのためにガツンと停電してほしい。

 それにしても、来週はフジ・ロックだが、私が行った2年前はもっと暑かったはずで「早く涼しいとこに行きたい」と思った記憶があるが、今年はまだそういう避暑地願望が芽生えて来ない。たまに暑いときがあっても、朝晩はそれほどでもないような気がする。だから休みの日は、窓を閉めたまま昼まで寝てられるんだけど、ひょっとして自分が年とって「冷え性」に近づいてきたからかしら。

 ところで、そのフジ・ロックであるが、やっぱコステロとマッシブだけ観たいんだよな〜。どーしよっかな。友達は前に「ヤフオクで安いのが出たら行ってみる?」なんて言ってたけど、それっきりだし、ふらりと一人で行っちゃおうかな。金はあるんだが、気力がね〜。

 関係ないが、この間、夏の賞与が支給されて、朝エレベータで会った社員は「今日だね」なんて嬉しそうだったが、私は「資金繰りに問題がなかっただろうか?」とドキドキしていた。あちこちの口座からお金を移動させたので、一箇所でもミスがあったら大変なことになる。袋叩きではすまないだろう。
 というわけで、賞与支給日は出勤するとすぐに銀行を駆け回って通帳記帳して、「よかった、ちゃんと賞与が引き落とされた」と一安心したのだが、会社の預金からゴソっとお金が引き落とされたことに寂しさを覚えたわりには、自分の口座に振り込まれた金額は微々たるもの(総額よりも0が2つ少ない)で、なんかあんまり得した気にならなかった。

 毎月、給与資金を確保するのに神経を使うので、給料日が好きではないのであった。自分の金じゃないのに、どうしても「みんな、こんなに貰いやがって・・・・貰う分より沢山稼いでこい!」と思っちゃうのである。
7月17日(木)

 昨晩は、ずっとぼんやり漫画を読んでいた。
 ここんとこ、ずっと古い漫画を読み直していて、森脇真末味の双子シリーズ「ブルー・ムーン」を読んでいたら「これって、『ポーの一族』の現代&ドメス版だったんだな」と今更ながら気がつく。
 そんで、その後に、萩尾都望の「メッシュ」を読んでみたら、こっちも「ブルー・ムーン」と同じく「親に愛されなかった不幸な生い立ちの不良少年」のお話であり、「アダルト・チルドレンを先取りしていたなあ」なんて思った。

 で、テレビをつけっ放しにしていたら、NHKで「困った地域をなんとかしよう」という番組が始まり、それが「抜け道問題」であったので、先日訪問したA嬢の住むエリアも狭い住宅街の道路を明らかに制限速度(20キロ)をオーバーした車がガンガン走っていたし、うちの近所の通りも抜け道になっていて、夜中にはけっこうなスピードで走り抜けるので(でも、夜中でも交通量がそこそこあるので治安の面ではいいことだと思っているが)、ついつい観てしまった。

 結局、「抜け道問題」を解消した地域の施策とは、道路をデコボコにしてスピードを落とさせたり、一方通行にしてしまったり、住民一丸となって進入禁止時間(通学時間等)をパトロールしたりというものだったが、やっぱり大阪のおっちゃんたちの喋りはおもろかったな。通行量が減ると、商店は売上が減少したりするので、規制に反対したのだが、でも住民からの説得もあり、「そりゃ、商売あがったりだけど、でも、子供の命と商売のどっちが大事やねんいわれたら、しゃーないがな」と大阪弁で言っていたが、同じ話でも東京語で言われると「偽善」っぽくなるが、関西弁だと嫌味にならないとこが不思議。

 国会答弁や裁判などは、関西弁を使うことにしたらどうだろう。
 それよりも、私も関西弁をちゃんと習得すれば、他人に注意するときには使えそうだ。「おっちゃん、ここは禁煙やでぇ」とか、「ズル込みはあかんでぇ」とか言ったほうが、カドが立たないような気がする。東京弁は押し付けがましいというか、「私が正義である」という雰囲気になってしまうので、そういうときに使いにくいのだ。

 そのままNHKをつけっ放しにしていたら、アクターズ・スタジオのアンソニー・ホプキンスの公開インタビューが始まったので「この人が、素で喋っているのってあんまし観たことないな」と思って、ついつい観てしまった。
 素のホプキンス氏の英語はさっぱり聴き取れない。さすが英国人であるが、いわゆるクイーンズ・イングリッシュとも違うゴニュゴニョした発音だった。
 でも、あらかじめ台本があるのか知らないが、司会者との絶妙な駆け引きには夜中に大笑いしてしまった。ユーモアたっぷりのオジサマだった。観客は俳優志望の若い人ばかりなので、当然のことながら演劇論というか演技論にも話が及んだが、レクター博士役との出会いや、その役作りをきちんと話してくれて、すごく知的なのに気取らず、サービス精神に溢れた魅力的な役者さんだと思ったが、疑り深い私は「これも、演技かも」と思ってしまったけど、でも、人前に出るときって誰でも演技するもんじゃん。

 で、特にこういう「成功した西洋人」っていうのは、そういう演技がとても上手いので、自己アピールが苦手な国民の中で育った私は、「にゅーるほど、こういうふうにすると魅力的な人物に見えるわけね」と学習するわけです。実践するのはまた別の話だけど。
 でも、こういうハリウッドでも成功した役者さんのインタビューを観ると、彼らは演じた役とは全然違う人物なんだってことを過剰にアピールするような気がする。ホプキンスの場合はレクター博士のイメージが強いので、「素の私は、もっとフランクな人間で表情豊かです。あれは演技なんですよ」という雰囲気になる。それを観ると「はー、すごいなあ。役者なんだなあ」と感激するが、他の俳優さんたちも、たとえばあのボンクラなキアヌだって(悪口言うのは愛している証拠なの)、プロモ来日してるんだから、もっとシャッキリすりゃあいいもを「ネオ」とは全く遠いドンくさい雰囲気(ネオもドンくさいキャラなんですが)を晒すし、逆にドンくさい役を演じた役者は、バシっと洗練された雰囲気で来日プロモーションをこなしたりする。

 日本だと、田村正和みたいな、なにやってもマサカズな役者が多いし、「北の国から」のキャストだって、インタビューすると役と役者が相当かぶっているし、せめて吉岡君くらい役を裏切って機関銃のようなハイテンションで喋るとかやればいいのに、と思うのだが(役者だったらそのくらいできるだろう)、やらないよね。
 私が知る限りでは、唯一、それをやるのが(とういよりも「やろうとしている」のが)SMAPの香取慎吾である。

 さて、今日はまた平日だけどお休み。
 昼過ぎに起きて、洗濯して、軽く掃除してから、図書館に本を返しに行った。

 最近、三軒茶屋の商店街に、変な絵描き青年が出没している。私がいつも会社に行く時間(9時ごろ)に出勤してきて、商店街にあるマンションの入り口に陣取って、スケッチブックを広げているのである。今日、その前を通りががかったら彼は留守で、でも道ばたにスケッチブックと彼のカバンが放置されていた。

 描きかけの絵を見てみたら、なんと「水着ギャル」の絵であった。クレヨンだか、パステルでグリグリと塗りこめてある。なんで商店街の真中で絵を描いているのかわからないが、前に勤めていた六本木でも自分で描いた絵を展示している浮浪者がいた。ときどき麻布警察署の前でもお店を広げていたが、なんか意味不明の球体の絵で、たぶん、彼の心の中にある世界を描いたのだろうけど、中途半端にスペイシーな絵で、「気が狂った人が、全員ゴッホになれるわけではない」ということを私に思い知らせてくれた。

 絵描き青年がどれほど狂っているかわからないけど(見かけは普通の大学生風)、商店街の真中で水着ギャルの絵を描いているというのは、やはりちょっとおかしい。しかも、その絵の後ろには、なんと雑誌「sabra」が置いてあった。「おい、おい、これ観て描いてるのか?」
 前にも書いたが、私は「sabra」の中吊り広告というか表紙の写真のファンである。どうも街頭絵描き青年も私と同じ趣味らしい。でも、「sabra」のグラビアをモデルに絵を描く様子を人前で公開する気持ちはあまりよくわからない。それよりも、あそこの住民が彼を追い出さないのは何故だろう?てっきり風景画のつもりのようなものを描いているのかと思ったが、あんな絵を描いていたら、近隣住民はかなり不安に思うだろう。もしかしたら、あのマンションのオーナーの息子さんなのかも(笑)。

 でも、六本木にいた浮浪者画家もそうだったけど、描いている絵もくだらないし、本人も黙々と描いているだけで、害がありそうにも見えないで容認されているのだろうか?
 たしかに、なんの生産性もないことだけど、それに打ち込んでいる人は概ね「害がない」と見なされる。インターネットでも「便所の落書き」と言われるよなところはあるが、そこに落書きする人の多くは無害だ。それよりも「落書き」することで発散しているので、家族や通りすがりの人を殴らないで済んでいるという可能性も高い。私だって、ここにダラダラと不平不満をぶちまけると、かなり気が済むので、リアルな世界では「いい人」になれるもん。友達に電話して不平不満をぶちまける回数は明らかに減った。

 そうか、三茶の商店街の真中でサブラ片手に水着ギャルの絵を描く行為と、私が日記を公開している行為は、同じなわけだ。
 みんなたぶん、それぞれに狂気を抱えていて、それが「芸術」と称される人もいるけど、そういえば平沢進も、あんまり辛いので医者に行ったら「治療しちゃうと創作活動に弊害がある場合もあります」と言われたけど、「自分で辛いから、それでかまいません。治療してください」と言ったとか。

 でも、繰り返すけど、「まともじゃない」と判断されても、なんの価値もない人がこの世には多い。「天才」が一握りなのと同じように、「狂気の天才」もまた、「狂っている人」の中のごく少数なのだ。凡人が麻薬に溺れてもジョン・レノンにはなれない。凡人がヒロポンを飲んでも「ヒロポン作家」にはなれない。

 でも、街頭画家がグリグリと画用紙を色の洪水で埋める様を観察すると「ああ、ゴッホもこんなかんじて、キャンバスを絵の具で埋めていったのだろうな」と想像することはできる。ゴッホは自分の目に見えるものを徹底的に描いた。それは、今でも観るものの心をひきつける。
 でも、一人のゴッホがいるのなら、999人の(9999人かも、999999人かもしれない)ゴッホになれなかった人もいるわけで、彼らもせっせと絵を描いているが、それは凡人の心をひきつけない。「なんか、たくさん描いてるな〜」ってだけである。

 でも、それでも「絵が描きたい」という気持ちは尊重してあげたいとは思う。だって、私がここに日記を公開していいられるのも、そういうことだから。だから、あの三茶の公開絵描きさんも迫害を受けずに、あのまま自分が飽きるまで、あそこで絵を描ければいいなと、思う。

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