可燃物な日々

表紙に戻る/過去の日記

ご意見・ご感想・誹謗中傷などございましたら、感情廃棄物再利用所までどうそお気軽に書き込んでください

3月14日(土)

 昨日は実はリキッドでやっているアルマーニに行っちゃおうかとも思っていたのであったが、金曜の夜はやはりそれなりにくたびれているし、今週は精神的にドタバタしていたし、寝不足気味だったので、「来週のカジミヤに絞り込もう」と決意して、酒買って帰り、ちびちびやりながら(嘘。グビグビかグイグイが正しい表現)日記書いていたら、猛烈に眠くなり「やっぱ疲れ溜まってんな」と自覚したのであるが「ホワイトハウス」が始まる時間だったので、布団に入り、電気を消してテレビだけつけて、そんでスリープ機能にしていたのだが、ふと気がついたら部屋は真っ暗でテレビはとうに消えており、そして私はなぜか電話で話していた。

 「あ、なんだ、すっかり寝ていたのか、今何時だ?12時くらいか」
 と、じょじょに意識を取り戻していたのだが、どうも電話の相手はハイテンションでまくしたてている。

 うちに定期的に電話をかけてくるのは3人おり、B君が月1くらいで、KM君もムラはあるがそんなもんだが、週2は確実なのがこのS君である。そのわりには日記にあまり登場しないのは、日記読んでる人だからである。S君のことについて書くと、なんかグジャグジャ電話で文句言ってくるし、書かないとそれはそれで面白くないらしいという難しいキャラである。そういうことがあるので、最近はあまり知人友人にこの日記の存在を教えていない。リアルなお友達に日記に書いてあることについてあれこれ言われると、ヘコむことが多いのだ。日記のキャラは現実とは多少別人格しているのでそのへんわかってほしいわけですよ。

 自称「引きこもり社長」であるS君も、しばらくは確定申告でテンパっていたようだが、やっと申告を済ませ、今日は飲みに行っていたらしいが、彼もときどきどこに出しても恥ずかしくない「絡み酒」に変貌する。
 テンションあがっている理由は、来週から海外旅行するようなのだが、「一人だとあまり美味しいもの食べられない」と言っていたので「現地でお食事仲間を調達すればいいじゃん」とアドバイスしていたのだが、なんと事前にネットでお友達募集したところ、数人がメールをくれて「ぜひ、案内します」と言って電話番号まで教えてくれたそうで、大感激しちょるらしい。

 私も正気だったら「あ、そ。よかったじゃん」で済ませるところだったが、酔っ払って寝付いたばかりだったし、寝入りしな叩き起こされた不機嫌さもあって「そんなのにホイホイついていって大丈夫か?だいたい、見知らぬ人にメール書いて電話番号まで教えるようなこと私だったらやらないけど・・・」というような発言をしたら、「だって、あなただってお勧めしていたじゃん」とか「なんで、そんな、人を不安にするようなことを言うのだ」とネチネチ絡んでくるし、しまいには私の過去の旅での悪行を引き合いに出すので、それにはかなりムっとしたので、「こんどこそ、今日こそ、電話を叩き切ってやろうか?」と思ったが、根が善人なので(&気が弱いので)そういう気持ちをグっと抑え、そんでこれから旅行に行く人にそういうことすると旅先から国際電話で「ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません、これからも友達でいてください」などという展開になってさらに閉口することも容易に想像できたので、グっとこらえて眠っていたカウンセラー魂を叩き起こして「あなたは今酔っ払って私に絡んでいるのだが、その自覚があるか?」と問い詰めてみるも、向こうは「絡んでなんかいない!」と言い張るので、しょーがねーなー、それは絡み酒人の常套句なんだよっと思いつつも、しょーがないから、できるだけ平常心で話しをなんとか別の方向に誘導して「それで、今日は誰と飲みにいったの?」「どこで飲んだの?」「どんなお店だったの?」と、形而下なほうに持っていって答えさせているうちに、向こうもすこしテンションさがったみたいだし、そもそも酔いもさめてきたみたいで、落ち着いて話すようになったし、「ペンパル」についても、「たしかに、全員がそうだともいえないけど、数人いたらその中に別の目的の人が混ざっている可能性もあるので、用心するに越したことがない」と言いはじめたので、「ふうー、やっと落ち着いてくれた」と一安心したので、その後は、ダラダラと世間話しをして、やっと2時半に電話終了。

 せっかくスリープしていたのに、無理やり起動させられちゃったので、再びスリープするために、またチビチビと飲んでから再度就寝した。
 昨日、宅配便の「ご不在連絡票」が入っていたので、再配達を今日の12-14時に設定したのだが、一回11時に目が覚めたが、グッタリでまた寝てしまい、「ピンポ〜ン」という呼び鈴で飛び起きて、玄関を開けて荷物を受取ったが、ああ、また宅配便のお兄さんに「寝起きのズタボロ姿」と、それと大変マッチして絶妙なハーモニーをかもし出している「乱雑な玄関兼台所」を見られてしまったわ。宅配便の兄さんたちは「一人暮らし女性の真実」とかいう本を出したら、スマッシュヒット確実かも。いや、ただ単に私がそういうのを読んで「私なんてまだマシなほうね」と安心したいでけなんすけどね。

 てなわけで、少し書いて鬱憤が晴れたので、掃除開始するべ。明日は出勤なんで、今日しかお休みがないのよ。(そのかわり、来週は世間並みに3連休にした)

 そういえば、なかなか集中できない「合田刑事のスニーカー問題」であるが、どんなスニーカーだかあまり描写されてないような気がするので、今度私以上に読み込んでいる友達にも聞いてみよう。
 スーツ姿でスニーカーなサラリマンを私は2名だけ知っている。一人はその昔派遣で勤めていた某組合中央会の社員であった。わりと保守的な職場だったので(女性は制服。お茶当番が決まっているような)、スニーカーがなぜ許されているかは疑問だったが、彼がいつも履いていたのはコンバースタイプっていうのか、白いバスケット・シューズだった。スーツはオジサンと同じようなこれといったこだわりもないようなものを着ていたので、私はその着こなしを観察し、「うーむ、合田刑事もこんなかんじか?」と想像してみたりした。

 そして、今いる会社にも一人だけ「スニーカー社員」がいる。彼もスーツは平凡で、やはりコンバースタイプを愛用。双方とも、あまりハイテクタイプ(エアなんちゃらとか)を履かないところが共通している。地味なスニーカーだとわりと許されるのであろうか?最近は彼もポジションが上がってしまったので親会社との会議などに出席する機会も増え、そういうときには革靴を履いているみたいだけど。

 そんで、その二人に共通するのは「強面」である。目つきが悪く、愛想もないし、口のききかたもぶっきらぼう。(でも、よくよく話しをしてみれば、気立てのいい兄ちゃんだということがわかるというよくいるタイプ)そして、昨今の清潔志向の中では、やや清潔感に劣るような気もするが「不潔っぽい」というほどでもない。そのあたりが、オジサンたちにとっては「自分たちが若いころの雰囲気」を彷彿とさせるので、茶髪やピアスには過剰反応しても、素朴な風貌の彼らがスニーカーを履くのは見逃すのであろうか?

 彼らが「合田刑事っぽい」と認めたくはないが、でも、スーツにスニーカーだと会社員っていうよりも、刑事っぽいのだが、刑事ドラマに登場する刑事もあんなファッションだったのだろうか?
 合田刑事のスニーカーがどんなタイプなのか、あの執拗に風景描写をする高村薫にしては(自分でその現場に行って徹底的に取材してから書くらしい)、そのへんをちゃんと描写してくれないので、そのわりに執拗にスニーカーが登場するので(合田刑事はマメにスニーカーを洗う)、高村薫がわざとスニーカー自体を描写するのを避けているのか、それとも自分の中でそのイメージがあまりにもリアルなので、あえてそれを描写する気にならないのか、たしかに私が実際に見知っている二人のスニーカー会社員の風貌を観察するに、革靴を拒否する彼らが行き着くスニーカーとはああいうものだという固定観念ができあがっているのかもしれない。

 などと、ブツブツ考えているが、ほんとうに言いたいことはこういうことである。

 あ、この人、スーツなのにスニーカー履いてる → 合田刑事もこんなかな → でも、私の合田刑事がこんななはずはない! → まあ首から上は不問にするとしても、こんなかな → ちがうの ちがうの〜〜〜 

 と、一人遊びしてしまうので、あまりスニーカー会社員の存在を快く思ってないのである。
 これを避けるためには、高村薫にきちんと「合田雄一郎の履いているスニーカーはこれこれこんなタイプ」とばっちり指定してもらえれば、「こいつもスニーカー履いてるが、ちがうも〜ん、これじゃないも〜ん、残念でしたっ」ということになる可能性が高くなるので、ぜひ10年後に急に「レディージョーカー」も大幅改訂したくなったときにでも、よろしくお願いしたい。
 
 よし、やっと書こうと思っていたスニーカー問題を書くことができた。

 もひとつ、先日書き逃したこと。

 西友の惣菜売り場で「火曜得の市」の曲を聴いて、ポカンとしてしまったのだが、そのときにかつての記憶がまた走馬灯のように甦ったのである。
 私は海外旅行に行くときには、音楽を持っていかない。なるべく貴重品を持ちたくないし、それにカセットテープを何本か持っていくとけっこう荷物になるので、荷物をなるべく軽くするためにも荷物リストから外すのである。
 ヨーロッパなどでは、それで不自由しなかったし、テレビではMTVが入っていたりするし、そうでなくても街でレコード屋に入れば勝手に音楽鳴っているわけだし、カフェや食堂でも勝手に鳴っているわけだし、日本でも、あまり家でCDかけないこともあるので、「ウォークマン持ってないと不安」にはならない。

 ところがインドだけは違った。
 滞在期間が長かったせいもあるが、とにかくインドではやっとテレビがあっても、安宿では衛星放送が入っている確率は低く、そうなるとローカル放送しかやっていないので、ニュースかインド映画かインドドラマだけである。当然、流れている曲もインド歌謡曲。そして、どこにもタワレコなんかなくて、そもそもレコード屋自体を見かけなかった。カセット・テープが主流なので、街角でカセットが売られていて、そこで流れているのもインド歌謡曲。
 さすがにニューデリーで各国のバックパッカーが集まるパハルガンジーの食堂では、MTVが流れていたり、旅行者が持ち込んだ西洋音楽のカセットが流れていたりしたが、デリーを離れると、インド音楽以外を耳にすることは無くなった。

 ゴアでは旅行者が持ち寄ったカセットが食堂でかかっていたが、趣味が偏りすぎで、トランス系しか流れない。
 「ちくしょー、あたしゃ、ロックが聴きたいのだよ」
 と、そのときになって、音楽テープを持ってこなかったことを後悔した。ギターのカッティングの音が聴きたい、聴きたい、聴きたい、今聴きたい、と悶えていた。ゴアにいる日本人も西洋人もロックのカセットなんて持っていなかった。

 そして、ゴアを出て、わりと経済的には裕福な南インドを周遊してもどこにもロックなんて流れていない。
 ロック禁断症状が静かに私を蝕んでいった。
 しょーがないから、ときどき頭の中で、アズテックカメラことロディ・フレームが軽やかにセブンマイナーコードだかを(コードについてよくわかってない)かき鳴らすのを再生しながら、ぼんやりと海を眺めていたりした。エジプトを旅行した友達は「ピラミッドの上で砂漠に夕日が落ちるのを眺めながら聴いたニール・ヤングが最高だった」と言っていたが、いいなあ、私も持ってくりゃよかったよ。

 などと時々禁断症状に悩まされつつも、インド滞在が2ヶ月くらいになり、やっとバラナシについた。そこで泊まった2軒目の宿には、「テレビ付きの部屋」があったのだが、その部屋は狭くて道路に面しているので騒々しいくせに値段が高かったのでパスしたのだが、あるとき廊下を歩いていると、急に膝がガクガクして、その場で倒れこみそうになった。

 なんと、その部屋のテレビからアンダーワールドのボーン・スリッピーが流れてきたのである。それもかなりの大音量だった。道路の音がうるさいので、自然と大きな音になってしまったのだろう。
 デリーにいるときに食堂にあったテレビでも、ボーン・スリッピーのクリップが流れていたりしたので、その当時、MTVでもときどきローテーションする曲だったのだろうけど、デリーで聴いたときには、まだインドに着いて間もなかったので、そんな衝撃は受けなかった。

 それが2ヶ月後にはこのありさまである。
 ちょうど、廊下には他に人影はなかったので、私は体中が痙攣するのを押さえながら、その部屋のドアの前に立ち尽くし、口をポカンとあけながら、必死にその曲を聴いていたのである。
 砂漠で遭難した人が、水を飲んだときのように、飢えた難民がひさしぶりにご馳走にありついたときのように、貪るようにその音を聞いた。ああ、そうだ、こんな曲だった、そう、ここでリズムが加わって、ここでブレイクして、そんでまたリピートして、ああ、この和音、このリズム・・・・・と、自分の中で再生していた音楽が、ちゃんと現実に外から流れてきた感動は言葉では言い尽くせない。
 「これよ、これよ、これなのよ、私が探し求めていたものは!」
 きっと、なにか大発見をした人が経験する「ゆりいか!」な気分をちょっとだけ体験できたのだと思う。

 そして、それはテレビの音であるから、曲が進むうちに「ああ、もう終わってしまうんだ」という悲しみが襲ってきた。時間が止まって、永遠にこの瞬間だけ、この数分だけをリピートしてくれればいいのにと願ったが、願いも空しく曲はあっさりと終わった。その後、他の曲が始まったはずだが、それは憶えていない。とにかく、高鳴る心臓を押さえながら(ほんとに死ぬかと思ったほど、バクバクいってた)部屋に戻り、ベッドに突っ伏すと、「ああ、自分ちに帰って、好きなだけ音楽聴きたいよ〜、あたし、なんでこんなところに来ちゃったのかしら」と泣いていたのであった。

 ボーン・スリッピーは、アンダーワールドが「RAINBOW2000」でライブしたときに、アンコールでど〜んとかました曲で、あのときの素晴らしさは死ぬまで忘れない。ペルセウス座流星群が夜空を走り、そして野外ステージの前に終結した1万人だか2万人だかが、ほぼ全員「自分は今日ここで、この曲を聴くために生まれてきたに違いない」と思ったであろう。(おおゲサ)
 余談であるが、そのライブのときにグループからはぐれていた友人がいて、「一人だったのでちょっと寂しかった」と言っていたが、「隣にグッチョングチョンになって踊っている若い男の子がいて、その子が急に『なに、これ、すっげー、ところで、今やってるのって誰?』と話しかけたので、びっくりして『ア、アンダーワールド』って教えてあげたんだけど」と苦笑していたが、そういうライブであった。

 今でもボーン・スリッピーのイントロが始まると、あのときの感激がフラッシュ・バックするが、インド旅行の後は、そのイメージに、薄暗い廊下で立ち尽くしていた自分の姿が加わっているのである。だから、ちょっとだけ切なくなってくるんだけど、せっかくだから久しぶりに聴いてみよう。

 ♪ ぶよヨヨよ〜ん (すいません、音を表現する能力がイマイチです)

 ぐわっ、このイントロがもー クーって感じて、そんで、スチースチーとスネアの音が入ってきたと思ったら急にドンドコドンドコとリズムが入って、もーたまらんのだが、「トレイン・スポッティング」のラストシーンでは、仲間からヤクを奪ってトンズラするときのユアン君の心臓の鼓動を表現するように流れたこの曲・・・・・
 「RAIMBOW2000」のとき絶好調だったダレン・エマーソンは客の様子を全て把握し、空間を自在にコントロールするかのようにあのリズムパターンをいやらしく変化させて、そのたびにこっちはまるで予想もつかないジェットコースターに乗ったようなスリルを味わったが、それでドコドコ鳴らしたあとにまた ♪ ぶよよよ〜ん とイントロの音が挟まって、ググっと息が詰まったと思ったら、またリズムがドコドコ鳴り出して、たぶん、ヒトラーやキング牧師の演説(並べるなって)に感激した大観衆もこういうグルーブを体験したのであろうが・・・・

 と、興奮のあまり饒舌になってしまったが、でも多分、私がこれだけ入れ込んでいるからって、他の人が「そんなに名曲なのか、どれ試しに聴いてみよう」とやっても、同じようにこの曲を好きになるかどうかは疑問。まあ、デジタルロックの名曲の一つであるし、テクノ系で後世に残る数少ない名曲であることは確かだろうけど。

 ま、そんで何が言いたいかと言うと、そういう「突然聴くと腰砕けになるような曲」が他にも何曲かあるが、そういうのって、個人的な状況描写と無縁ではないので、曲自体の素晴らしさとはまた別の次元になるようだが、自分がその指標にしているの「あのバラナシの宿で突然聴いたらポカンとなっていただろう曲リスト」に「火曜日得の市」が加わったであろうことを書き残しておきたかっただけだ。

 そういや、先日レコ屋で「24Hour Party People」のサントラ版を視聴してみたが、「ぐぐ、こりゃ泣けるセレクト」と思ったので、映画の出来はよくわからないが映画観にいってみようかな。「アメリカン・サイコ」も映画としてはつまらなかったけど挿入された80年代ダンスミュージックは堪能したし。
 マンチェスターといえば、今ではすっかり「マンチェスターU」というか「ベッカム」の街になっちまったが、私の心の中では永遠に音楽の聖地なのであります。リバプールがビートルズファンの聖地であるように。またイギリスには大不況になってほしいものである。

 話しが交錯するが、インドでバラナシに滞在したあとは、エロチックな遺跡が有名な(世界遺産だったよな)カジュラホに行ったのですが、そこで泊まった宿の息子が日本語勉強中だったので日本語で会話していたのですが、西洋&日本かぶれらしい彼は自慢ゲに「ぼくは外国の音楽大好きです。ビートルズとマイケル・ジャクソンが好きです」というので、どう反応していいか困ったですよ。
 でも、「いい年した大人が堂々とマイケル好きだっていうのは日本ではすでにビミョー」ということを説明する気もしなかったので放っておきましたが、マイケルと言えば、(今日はゴロゴロしているのでなんか書き止らないね。突っ走っているのも春だからかしらん)これは前にも書いたような気がするが、もう10年くらい前、前の職場で上司のオジサンに「ミヤノはよくレコード屋に行くんだろ?ちょっと探してほしいCDがあるんだ」と頼まれたのが、なんの曲だったか忘れたが、マイケルのシングルCDだった。

 彼は姪っ子に毎年クリスマスプレゼントをあげているのだが(彼には子供がいなかったので近所に住む姪っ子を可愛がっていた)、今年のリクエストを聞いたら、そのCDを挙げたのだそうだ。アルバムだったら、どこのレコ屋にもあるが、12インチシングルみたいな扱いのそのCDを買い逃したらしく、業界な伯父さんにリクエストすればなんとか探してくれると思ったのであろう。
 「まあ、見つかるかどうかわかんないけど、中古屋とかも探してみましょう」
 と、レコ屋での探し物をいいつかり、そういうの大好きな私は張り切って渋谷を歩き回った。ちょうどそのころ、クワトロのWAVEがオープンしたので「大型店がオープンするときには、デッドストックとかもかき集めるだろう」と狙って行ってみたら、案の定ポツネンと一枚だけ発見して私は得意満面であった。

 そして翌日、上司にCDを渡してお金を貰うと(1200円くらいだったが、2000円で釣りはいらないと言われた。^^)、上司が、「去年まではドラえもんのカレンダーだったのに、○子も大人になったよな、もう中学生だもんな」と感慨ふかげに話すので、正直者のあたしは「え?そうなんですか?私にはマイケルのほうがドラえもんよりもお子様アイテムに思えますが」と言ってしまったのであった。ジャクソン5はINなんだけどね。

 あーまたなんかダラダラと書いてしまったことよ。
 どっかおかしいんじゃないですかね?

 そーいや、この間、KM君が「この季節になるとネットもデムパな人が多くて」と言ってましたが、デムパ系の特徴のひとつに「自分は何かに監視されている」という妄想がありますが、電磁波を感じてしまう気持ちはなんとなくわかりますが、でもなんで「監視されてる」とか「頭の中の情報が全て筒抜け」とかいう気持ちになるのかがよくわかりません。だって、たしかに私を監視することは技術的には可能だけれど、でも監視される理由が思いつかないので「たとえ巨大な影の組織が誰かを監視したくなっても、私を監視することはないだろう」と呑気に考えているのですが、そんな話しをKM君としたことをS君に話したら「だって、ミヤノさんは監視される以前に、自分で垂れ流しているじゃないか」と言われたので笑った。

 いや、別に全てオープンにしているわけでもありませんが(自分なりに選別している)、たしかにこんだけ自分がつらつら考えていることを垂れ流しているわけで、そう考えると、ひょっとしたらこういう思考も電磁波としてアナザーワールドを駆け巡っているのかもしれないので、するってえと、春になると私みたいな軽く発狂した人が「♪かようび かようび とくのいっち〜」などの思考でせっせと発電してしまうので、そんな電波が駆け巡り、それを敏感に感じてしまう「デムパ受信型」な人たちが心穏やかではいられなくなるんだとしたら、すいませんね〜

 まあ、どうせデムパになるならバリバリ電磁波を垂れ流すほうが楽しいですよね。電気ウナギになった気分で、ルンルンっ♪ バリバリバリっ(かなり、危ない状態かもしれません。この調子で妊婦な友人を見舞ったら胎教に悪いかも・・・・)

 話し跳びますが(ほんとに止まんないな。ずっと書きつづけているわけではなくて、本読む傍ら書いているんですけどねっ)、私がときどき「ねっ」のように「っ」を乱用するのにはモデルがいて、以前勤めていた芸能関係の会社で扱っていた芸能人によくファンレターが来たのですが、最初は封を開けずにマネージャーに渡していたのですが、けっこう頻繁に来るし、なにか勘が働いたので(そもそも、あまりファンレターが来るような俳優ではなかったし、まともな調査力のある人だったらそこに送らないだろうルートを経てうちの会社に届いていた。そして、そのルートから来る手紙の大半がかなり怪しかった。自分の戦争体験を書き殴った分厚いレポートが入っていたこともある。ある俳優宛てに届いた葉書は旧知の人間が「先日久しぶりにお会いできてうれしかったです」とか達筆な毛筆で綴られていたのだが、そんな知人からの葉書がこのルートで来るわけもなく、暇だった同僚が差出人の住所に書いてあって○○苑というのを調べてみたら「やっぱ精神病院だった」ということもあった)中を開けちゃったんですが、そしたらそれは、20代後半の女性が書いたものだったのですが、便箋5枚くらいにびっしり書いてあって、文章はまあわりと普通のファンレターだったのですが、

 私ももっと仕事も勉強もがんばって、いい女になって○○さんにふさわしい女性になりたいなっと思ってるんですっ
 なーんて、ズーズーしいこと書いちゃってすいませんっ
 でも、本当に○○さんが出演している番組はいつも楽しく観させてもらってますっ

 等々、末尾がとことん「っ」だったのです。
 文章もちょっといにしえのキャピキャピ・ギャルのようでしたが、私もその世代だったので、ファンレター書く照れ臭さもあるだろうとは思ったのですが、「でも、いちおう、これだけ文章書けるのに、なんで 『っ』 なのか?」と不思議に思いましたが、まあ「本物は味わい深いな」というわけで、それにファンレターをこっそり盗み読みしてしまったやましさもあるので、彼女へのお詫びをかねて、私もときどき使用させてもらっているんですっ。

 ふー。久々の「日記フィエスタ状態」に突入してしまったが、疲れてきたのでこれくらいにしておこう。
 最後までちゃんと読んだ方には「ごくろーさまです」と言っておきます。
 そんでもって私は、ここで大いに「春だから〜」を発揮したので、明日は地道に「なんだか合わない預り金の究明」をする予定でございます。ちゃんと仕事はしてますってばっ。
3月13日(金)

 春の嵐のように「♪ とくのいっち〜」が通りすぎ、今日は平和な一日であった。ときどき余韻で「♪ きのこっのこ〜のこげんきなこ」が鳴るが、CD買いに走るほどのものでもない。(「火曜得の市」もCD化して西友で一万円以上買い物すればプレゼントすればいいのに・・・・どうせ、私の衣装費の大半は西友に貢がれているのだ)

 昨日は「動くと出そう」な友達のために、夜中にせっせと漫画を箱詰めしていたのだが、その主力商品であった「動物のお医者さん」(胎教にも問題なさそう)であるが、とうとうドラマ化されるらしい。今日になって「チョビ役の犬がチョビにそっくり」というニュースを知り、どれどれ、と拝見してみると、こりゃたしかにクリソツだ。
 これはぜひ、チェックせねばと思うと同時に「漆原教授は誰がやるんだ?」と番組ホームページを訪れると、いや〜ん、子犬のチョビもか〜わいい!
 と、昨日は「♪ とくのいっち〜」でドーパミンを噴出させていたが、今日の脳内麻薬物質放出アイテムはこれに決まりで、「春になると変な輩が増える」と文句言いつつも、自分も似たようなもんだろう、でもその「春だからモヤモヤ」をぶつけるアイテムがちょっと違うだけで・・・・もし前世で蛍だったら、きっと野外パーティー(人間の)に行っちゃって曲にあわせてピッカピカと点滅して悦にいっているうちに繁殖期を逃し、ウグイスだったらきっと、「あいつ唄うまいな、いっちょハモってやろう」と挑戦するが、あきらかにキーが違うので逃げられやはり繁殖期を逃し・・・・で、きっと全然繁殖しないまま、こうして地道に転生しては同じことを繰り返すのであろう。

 と、縁遠いことへの言い訳の思いつきは置いておいて、漆原教授は江守徹だって。それよりも、草刈正雄の菅原教授ってのもなかなかナイスなキャスティングだ。
 草刈正雄って私と同世代の方は記憶にあると思いますが、かつてはほんとに二枚目役だったんですよね。今で言うと誰だろう?竹之内豊くらいのポジションだった。それがいつのまにかあまり見かけなくなり、ふと気が付いたら2時間サスペンスでしょーもない役なんかやっているのに気がつき、同時に「頭が薄くなったのね」ということにも気が付き、「うーむ、難しいお年頃だなあ」と心配していたところ、青春ラブ・コメディ系のドラマが流行ったころに「主人公のアイドルのお父さん役」を与えられたら、そういう二枚目半な役がドンピシャリで、いまやそういう軽いドラマには欠かせない人材になった。
 そういえば、阿部寛も一時期あまり脚光を浴びなかった時期があって、やはり2時間サスペンスでしか見かけなくなったが、コメディ系になったら、また復活しました。正統派美男子の出世街道は、2時間サスペンスで「怪しいけど結局犯人ではない役」を経てから「コメディ系」というのが王道のようです。

 阿部寛に関しては、「メンズ・ノンノ」が創刊したときは話題になったし、その初代専属モデルとして鳴らしたわけだし、私も同世代だったので、周囲の就職活動中の学生たちも「阿部ちゃんはどうするんだろう?」などと話していましたが、就職してモデル業引退しそうなキャラだったのに「俳優を目指す」とのことで「大丈夫なのか?」と心配しましたが、やはり売れっ子モデル→俳優への道はそれなりに険しく、今でこそ、そのコースもすっかり定着しましたが、阿部ちゃんのころはそういうコースは茨の道と認定されていたし、バブル当時は俳優なんて目指すよりも大企業に就職したほうが、稼ぎが安泰という風潮もありましたので、阿部ちゃんの選択を冷たく見守ったのでありますが、やはりパッタリと話題に上らなくなったので「このまま消えていくのかなあ」と思っていたし、ドラマで冴えない役を与えられているのを見て「背が高すぎるからラブ・シーンに向かないしなあ」と分析していたのですが、コメディ俳優に転進したら、あれよあれよという間に売れっ子になりましたから、辛い時期もあっただろうけど、続けてよかったね、と心から思いましたけど、阿部寛の成功は、先輩である草刈正雄の存在抜きには語れないでしょう。

 さて、ずいぶん脱線しましたが、時間を遡って昨日A嬢と話しながら考えを改めたのですが、妊娠の報告を受けたときには「居候の身でどうすんの?」と思いましたが、よくよく考えてみれば、A夫妻は「貯金して自分たちの部屋を借りられるように頑張る」のが目下の目標だったのですが、もし、二人の稼ぎを合わせてやっと部屋が借りられて・・・というときに妊娠が発覚していたら完全にアウトだったわけで、そうなると安い家賃で友達の部屋で住んでいるからこそ、なんとか出産できる経済条件なわけです。

 Aもそのことを自覚しており、「貧乏人の分相応ってことだよ」と笑ってましたが、同居人のMYRさんも「ここで産んでいいよ」と言ってくれているようで、たしかにMYRさんにしても、「赤ちゃんと一緒の生活」には好奇心が沸くだろうし(姉御肌の人だし、そもそもカップルと同居しようと言う人は賑やかなほうが好きに違いない)、こうなったらご好意にとことん甘えるしかないわけです。
 まあ、ただ、ちょっと心配なのは、MYRさんが急にビビっとダーリンを見つけたりしたら、どうなるんだろうと(笑。今はシングルライフを謳歌しているので、余った部屋にA夫妻が転がり込んでいる)

 で、AのダンナであるO君は妻の妊娠に小躍りしているようですが、「男ってそんなもんだよ」と言う月並みなセリフを言わずにはいられないほど典型的なよくわかってないダンナぶりを発揮しているようです。
 経済的にも「しばらくは子供は持てない」と思っていたAとは違い、O君は子供欲しい派だったようですが、O君の計算違いはたぶん、妻は出産間近まで働けて、スッポンと産んだらさっさと職場復帰できるものと思っていたことでしょう。無口なO君ゆえ、私も彼が何考えているかよくわかりませんが、「あまりわかってない」ということは漠然とわかりました。

 そんでAが「身のほど」を痛感しているのに、O君がそれを全く実感していないことに対するAの分析がサイコー。
 「Oはね、勘違いしてるんだよ」

 O君は若い頃グレていたらしく、両親はそこそこ知的な職業に就いているのに本人には学歴がないので、日本人の想像を上回る学歴社会で階級社会であるおフランスでは未来の無い青年であったのに、日本では「先生」呼ばわりされるし、母国では望めなかった高い賃金も貰えるので(労働時間が短いので、高給とりにはなれないが)、自分が日本では「妻子も養えない甲斐性なし」のレベルであることに気が付いてないようなのです。
 それに多分、フランスでは妻も仕事を持つのが当たり前だろうし、育児休暇なども充実しているだろうから、彼の思い描く「子供のいる夫婦」というのがどんなもんだか朧ながら想像できます。
 しかし、実際に妻は派遣で働いているわけで、「切迫流産しそうだから」と言って休めば稼ぎは無いわけだし、それが安定期に入ったとしてもどのくらい職場復帰できるかは疑問だし、そもそも育児に対する行政のフォローは日本はまだまだ後進国なわけで、そのあたりをO君は全然わかっていないはずです。

 だからAが「はー、優雅な妊婦ライフを送りたい」という願いも、O君にとっては理解不能でしょう。
 ま、私も「あんたが、そーゆーダンナ選んだわけだから、それは最初から望めるもんでもないでしょう」と言いましたが。
 でも、なんだかんだ文句言いつつも、幸せそうなんでいいんですけどね。
 「子供産まれたら、自分の時間なんてなくなるんだよね」と言っていても、2年くらい前は無職でありあまるほどの時間があったのに、あのころは焦燥感の塊のようでしたから、Aもそれはわかっているようでダンナや子供に振り回されていたほうが、いいんだと思います。

 そーいや、確定申告の季節なんですよね。ホワイトデー用の売り場はそれなりに賑わっておりましたが、確定申告する人にとってはホワイトデーどころではないでしょう。
 うちの会社では、お子様用のパソコンソフトを通信販売しているのですが、最近になって2件ほど「ソフト代金で領収書をお願いします」という依頼があって「こんな数千円のために、ケチくさいな」と思っていたのですが、この時期は領収書欲しがる人が増えます。

 私はサラリーマン家庭に育ったので、確定申告とは無縁でしたが、私がもしも個人事業主の親を持っていたら、「2月はなんか知らんが父ちゃんがなにか買ってくれる。でも領収書もらわないといけないんだけど・・・・」と思っていたことでしょう。

 さあ、世の中の子供たちよ、クリスマスではなくて、2月におねだりしよう。領収書が出るんだったらかなり脈ありよ。
 「ケーヒでおちるよー」という呪文を唱えてみてはいかが?
3月12日(木)

 頭の中で鳴り響く音楽を「頭音」(あたまおと)と表現されている方もいらっしゃるが、私はそうゆうのを「心のベストテン第一位」と言う。オザケン・リスペクターでしたから(笑)
 昨日は「世界に一つだけの花」の悪口でヒートアップしたが、当然のことながら愛憎表裏一体なわけで、オリコンチャートだけでなく「心のベストテン第一位」の座に「世界に一つだけの花」がランクインしそうな予感がしたので、それを懸命に蹴落とそうとしたのだが、小学生の恋愛(私の時代のね。今はどうだか知らない)のように「あんなやつ大嫌い」と言ってしまったために、かえって意識していることに気が付いてしまい、よけい意識してしまうという悪循環にはまってしまったようだ。押さえこもうとすると、♪ せっかいに ひ〜とつ ♪ と鳴り出す。

 なんとかそれを阻止しようと思って、最近ちょっと気になっていた「あの曲」を無理やりかき鳴らし、♪ せっかいに をかき消そうとした。

 ♪ かようび かようび とくのいっち〜〜〜 ♪

 これ、テレビCMでもお馴染だが、私はあまり意識していなかった。しかし、近所の西友の食料品売り場を歩いていたときに、惣菜売り場の片隅に置いてあったラジカセからこの曲が響いてきたときには、いっしゅんポカンとしてしまったのだ。
 うちの母親が「伊藤家の食卓」だと思うが、ともかくテレビから仕入れてきた「裏技」に「泣き止まない赤ん坊がピタリと泣き止む技」というのが大好きで、たぶん自分の孫でも実験するつもりだろうが、「テレビの砂の嵐」を聴かせるといいらしい。
 私も試しに、友達んちの子供がビーーーっと泣いたときに砂の嵐を聞かせてみたら、子供はきょとんとした顔をして泣き止んだ。赤ん坊だけでなく幼い子供にも効果があるようだ。
 テレビでの解説によると、砂の嵐の「ザッーーーーーー」という音が、胎内で聴こえる音と似ているようで(たぶん、母親の血流とかの音?)それで、安心するのか「あれ?この音は聞いたことがあるな」と意識が集中するののか、ともかく泣きやむらしい。
 ちなみに最近のテレビは砂の嵐が出ないようなので、そういう場合にはスーパーの袋をガサガサと鳴らすと同じ効果があるようだ。今度、姪っ子Nちゃんで試してみます。(たぶん、うちのオカンに先越されると思うが)

 で、何が言いたいかというと、西友の惣菜売り場で「火曜得の市」の曲を聴いた私は別にビーーーーっと泣いたりしていたわけではないが、砂の嵐を聴いた子供のように、ポカンとしてしまったのである。
 それ以来、何度か同じように、同じところでポカンとしてしまうのである。
 テレビだとだめで、あそこのラジカセの音具合が絶妙らしい。たいしたラジカセじゃないんですけどね。

 というわけで、♪せっかいに を打ち砕くのは ♪とくのいっち〜 であると思って、会社で仕事しながら一生懸命かき鳴らしていたら、なんかもう気になって気になって仕方なくなり、「この中毒性の高さは、もしかして、また佐藤雅彦の仕業か?」と思いたち、さっそく便利なインターネットで調査してみると、「パシフィック231」とうサウンドグループ(?)が作った曲らしい。

 「パシフィック231」という名前になんか憶えがあったのだが、あまり深く考えずに彼らのページに飛んでみたら、「あ!思い出した!」
 蓮見ジュニア君ではないですか!

 数年前、細野晴臣のレーベルからレコードを出したりしていて、「蓮見重彦の息子が音楽活動をしているという噂はだいぶ前に聞いていたが、この人かあ」と思ってはいたが、いつのまにか売れっ子になっていたのね。
 ずいぶん前に、たしかパール兄弟のライブで佐伯ケンゾウが「この前、手塚君(真)と真澄君(名作詞家、星野哲郎の息子。当時、ヴァリエテというバンドをやっていた)と盛り上がってたんだけど、蓮見重彦の息子もその辺で活動しているようなんで、彼も率いて「七光りの会」ってゆーのを結成しようと・・・」とMCで話していたのであった。

 そんな彼の曲が、今私の「心のベストテン第一位」である。
 しかし、ずっと ♪ かようび かようび とくのいっち〜 を繰り返していたら、さすがに疲れてきたのだが、ちっとも鳴り止んでくれない。私にも砂の嵐が必要なのかもしれないが、とにかくなんとかしようと、♪そだってきたかんきょおがちがうから〜〜  とか ♪ ・・・・・・文字にするのは不可能だが born Slippy の出だしとか ♪ ちゃらら ちゃらら ちゃらら ぽん オオ ム〜〜〜ン アラバ〜マ〜 の「アラバマ・ソング」とか ♪ひょうたんじーまはどっこへいっく とか 片っ端から再生しているうちにグチャグチャになり、なんだか、せわしないミュージカル映画のようになってしまったのでR。

 疲れた。久々に疲れた。何十曲という曲が「心のベストテン第一位」を目指して自己主張してきたのである。レコード大賞選考委員になったような気分であったが、誰も袖の下をくれなかった。ただ、駆け抜けていっただけである。

 で、家に帰る途中に商店街の歩道にゴミとして出されていたダンボールを物色した。
 頭の中がミュージカルになってしまったので、OLを辞めてダンボールハウスに転職しようとしたわけでもなく、適当な大きさのを一つとりだして持って帰って友達に電話してみた。
 絶対安静中の友達が「暇でしょうがないから、漫画読みたい」とメールを送ってきたのだが、持っていくのも重いから宅配便で送ろうと思ったのである。そんで、「動物のお医者さん」や「天才柳沢教授」でいいのか確認ついでに、様子うかがい。思ったよりも声は元気で、体調は良くはないようだが、すでに心はお母さんになっているようであった。幸せの音色だったので、ほっとした。

 そんで、自分にできることはあまりないので、とりあえず漫画だけでも送ろうと、せっせと箱に詰めて、コンビニに持っていったのでありました。

 と、ここまで駆け足で書き殴りましたが、まだ ♪とくのいっち〜 が鳴り響いてるので、なんだか落ち着かない。
3月11日(水)

 昨日は日記をサボったので、今日書くネタを何個かボンヤリ思い浮かべていたのだが、ときどきこうして何か小さな出来事や事件があると「これは日記に書いておこう」と思っても、それをよく忘れて、3週間後くらいに「そういえば・・・・」と書き始めたりする整理整頓のまったくなっていない脳みそではあるが、なんか、また文章へたっぴだが、それは置いておくとして、そんなわけで、今日はちょっと仕事が立てこんでいたのだが、夕方になったら目処がついたので、私用メールのほうを開いてみると、そこには「なんちゃら blue」という英題のメールがあって、英単語がすぐに心に染みない体質だし、それに英語だと「また、F君か?」と警戒したのであったが、なんでF君のメールに警戒警報が鳴るかというと、この間はカタカナで「ハッピ?」とだけ書かれたメールが届いたからであり、「いったいこれにどういう反応すればいいのだ?」と悩んだ末にゴミ箱送りしたという出来事があり、そういう行いをする自分も嫌いだが、そういうコギャルでケータイなメールを一月に一度くらい送ってくる向こうに罪はないのかというと断然そうではないと思うのだけど、そんなことを考えつつ、その「なんちゃら blue」という文字をちゃんと読んでみると、それは「マタニティー ブルー」と書いてあったので、あわてて差出人を確認すると、女友達からであった。

 「うぉ?先週書いてよこしたメールには、そんなことには触れてなかったじゃん」

 と思いつつ、「これはメデタいのだろうか?」と思いつつ、中を読んでみると、「切迫流産しそうと言われて、絶対安静中」だって。
 う〜〜〜〜〜〜〜ん、そうかあ、まあ体弱い子だし、最近あんまし栄養状態良くなさそうだったし、大丈夫かなあ、と普通に心配したが、でも、ちゃんと出産できたとしても、今の彼女の生活環境だと子育てはかなりハードだよなあ。どうするんだろう?友達の部屋に居候しているわけだし、ダンナも本人もそれほど稼ぎもないようだが、夫婦共稼ぎでなんとか貯金をしてアパートを借りたいと言っていたが、その計画がどの程度着実に進行していたのかよく知らないけれど、水平飛行になる前の妊娠ってどういうことよ?

 と、友達の今後のことを考えると、他人事ながら深いため息が出るが、まあ、あの人はそうやって常に「トレンディドラマ」な脚本を現実に行動していて、それで私といえば、ここ数日は「合田刑事の履いているスニーカーはどういうタイプなんだろう」ということを真剣に考えていたわけで、それが「切迫流産」という文字によって、私の中の物語はズバっと他の物語に飛ばされてしまったのですが、以上のグダグダ書いたことは、

 友達から、メールが来て「切迫流産しそう」って書いてあってビックリ!

 の一行で済むことであったと思いつき、なんかこれ以上書く気なくしたが、そうそう、それで順番が逆になってしまったが、今朝の通勤電車での小さな出来事。
 私は下り通勤だし、時間もラッシュ時とはズレているので、いつも座席に座れるのだが、今日はいつもより30分ほど遅い電車に乗ったので、座席も半分程度にしか埋まっていなかった。三軒茶屋で下車する人も多いので、ちょうど一番端っこの席が空いていたので座ると、すぐ隣に座った男性がいた。

 「なんでこんなに席が空いているのに、ぴったりと横に座るのよ」

 と思ったが、でも座席が半分くらい埋まっているときって、皆微妙に不規則な間隔で座ってしまったりするので、わりとちゃんと空いているところは無かったりするし、最近の電車はそういう隙間をなくすために、仕切りがついていたりするので、こういうこともあるんだろうと自分に言い聞かせたが、でも、その電車は仕切りのあるタイプではなかったのだ。
 なんとなく落ち着かない気分になったのだが、しかも、その隣に座った男性(若い男でもなかったが、オヤジというほどでもないように思えた)は、なんか微妙な匂いを放っていたのであった。臭いというのとは違う、ちょっとすえたような、そうだな、徹夜明けの若者がよく放っているような、テンション上がった後の人が疲れきって眠いときに放つ匂いのようなかんじであった。

 その匂いがなんとなく「逆フェロモン」というか、私の鈍い警戒心を呼び覚まさせたのである。
 敏感な子だったら、すぐに席を替えそうなもんだが、私は変な博愛主義者であるので、そういう場合に行動を起こすのがとても苦手なのだ。単に気が弱いだけだが、なんかこれといった迷惑を受けていないのに、席を替わったりすることができないのである。あと、自分の「女の勘」に自信がないので、「考えすぎかな、それに私ってオバサンだし」と思いつつ、そのままじっと身を固くしていたのだが、でも、でも、なんかおかしい。なんで、肘がこんなにぴったり張り付いてくるわけ?

 座席が満席のときだって、こんなに他人の腕の感触を感じることはない。でも、自分が今とても過敏になっているせいかもしれない。まあ、たしかに、前にも友達と話していたのだが、腕を組んだり、足を広げたりして、隣の女性を嫌な気持ちにさせているのに それに全然気が付いていないオジサンは多い。それについて友達は「あれは意識してやっている」と言い、私は「意識してないんじゃないかな。で、なぜか隣に座っているのが男だと意識するから足閉じるんじゃないかな」と話していたのだが、でも、私が今現在、見知らぬ男性の腕の感触に怯えていても、相手はそんなこと考えもしないのだろうと思うと、やはり不愉快であるし、それを相手に教えるためにも、ここは走行中であってもきっぱり席を立ったほうがいいだろうと思ったが、そう思った瞬間、腕にゾワワと来た。腕組むと脇の下から指が覗きますよね。その指がどうも私の二の腕に触れているのです。

 こいつ、ぜったい確信犯だ。こんなことして何が楽しいかわからないが、とにかくわかってやっている。
 と思ったので、次の駅で停まったときに席を移ろうと決意したが、それだと相手にダメージを与えないので、せめてもの抵抗として、ドアが閉まって電車が動き出してから立ち上がって場所を移しました。立ってみてわかったんだけど、その男の向こう側はやはり空いていた。

 という些細な出来事で朝からすっかり不機嫌になる。
 もー、春は待ち遠しいが、ああいう輩の出現も多くなるので勘弁してほしい。

 しかも、今朝はただでさえ眠くて寝坊していたのである。眠くてボーっとして、しかも清楚な髪型をしていたから狙われたのかと思うととても悔しいのであった。こういうことがあるとまだ妙齢らしい我が身を嘆いて「さっさとオバサンになりたい」と思うのだが、でもやはり「オバサンってゆーなー」という悪あがきもあるわけで、そのあたりの微妙なオネーサン心が、なんともいえないんですがね。(警告 「いーじゃん、モテモテじゃん」などと決して言わないこと)

 で、なんで眠かったのかといと、また時間を遡るが、昨日も激ネムだったので早く寝ようと支度していたら10時ごろに電話が鳴った。「B君かな?」と身構えたのだが、そう思ったのも、月曜の夜「マークスの山」をあともう少しで読み終わるというころに電話が鳴り、それがB君からだったのだ。用件は、「これから友達に会うんだけど、そいつがやっている仕事について、ちょっと意見を聞きたくて」ということだった。一応、自分が持っていた基礎知識と知人がその仕事をしていたので、その苦労話などを2、3聞かせたところで、その友達がB君宅に到着したので、こちらがせかすこともなく電話は終了した。

 ところで、「いつも意見が合わないし、喧嘩腰に電話で語り合うB君との会話」であるが、今回もこんなかんじだった。

B「ごめん、寝るとこだった?」
私「いや、まだ寝てないよ。てゆーか、本読んでた」
B「さすが、文学少女だね」(減点1)
私「いや、ただの推理小説だよ。昔読んだのが文庫本になったんで読み返してんの」
B「さすがだね」(意味不明なので 減点1)
私「本読んでるからエラいって言うのは、自分があまり読まないからじゃないの?」
B「そうでるか?オレって本なんて読まないように見えるけど、これでも月に10冊くらい読むんだぜ」

私 (だから読んだ量を言うあたりが・・・・)と思うが言わない減点3なだけ

B「まあ、でも、その内訳は、小説が1冊、歴史小説が・・・・最近、オヤジくさいけど司馬リョウにハマちゃってさ、ハハっ、それが2冊くらい、あとは経済本が2冊かな、あとはなんだろ?仕事関係の本が何冊か・・・・ってそんなかんじで自慢にもならないけどな」

私 (だから、何読もうと自慢にもならんだろう。「フィネガンス・ウェイク」を3回音読したので暗誦できるというのなら、それはそれなりに自慢してもいいかもしれないが・・・・)と思うがそんなこと言うとまたドツボなので言わない 減点2

B「だから、なんかいいのあったら教えてほしいよ。こっちにいるとそういう情報もないしさ、本屋なんて、ほんとに品揃えが最低だしさ」
私「あのさー、東京だって、都心の大型書店は別として、うちの近所の本屋なんて雑誌とハリポタしか置いてないよ。私だって、最近は本はほとんどインターネットで買ってるし、情報だってネットで仕入れてるんだもん、田舎だからってゆーのやめてくれる?」

 最近ちょっとショックだったのは、近所の西友の上にあるリブロの書籍の棚に漫画本が置かれるようになったことだ。それはたぶん、漫画の棚をあまりじっくり見ないような主に歴史小説を読むような人たち(であり、本屋で本をちゃんと買う層)に「バガボンド」などの話題の作品ををちらつかせようという戦略なのかもしれないけど、でも書籍が平積みにされていた場所に漫画が並べてあるのを見て、なんとなく複雑な気分になったのであった。
 それが、もっと小さな街角書店だったら気にもならないが、なぜか「たかがバロウズ本。」を3冊も置いてあるような「腐ってもリブロ」の意地が見え隠れするというのに。
 小さいながらも存在する「海外文学」の棚に置いてあるのは「白い犬・・・」とか「なんちゃらの天使」とかいうのばっかりである。(その隙間を縫ってバロウズ先生のご真影が表紙のご本がちょこんと置いてあると、増刷というのもうなずけるけど。物悲しいものがある)
 サイエンス系書籍の棚は、その横のメンタル系にどんどん侵食されている。

 「だからさー、田舎の本屋はって言われても、うちの近所とB君ちの近所でなんの違いがあるってんだって、ついつい噛み付いちゃったわけなんですよ」

 と、火曜の夜に電話してきたのはKM君だったので、彼に愚痴った。
 KM君のところに、先日YM君から電話があったのだという。
私「おお、それは珍しい、というかここ数年噂も聞いてないな。で、どうだった?相変わらず?」
K「それが、去年大学生になったらしいですよ」
私「え?ほんと?あの子、あのまま一生大学生にはならないんじゃないかと、そう決め付けてたんだけどな」

 そしてKM君の近況なども聞いていたのであるが、それでなんとなく音楽の話になって、いろいろ話しているうちに、ふと「そういえば、スマップの新しい曲が今年初のミリオンになるらしいよ」と言ったら、KM君は「最近あまりテレビ見てないから、どの曲だかわからない」と言うので「でも、きっと耳に入っているはず」

 私も最初はあの曲をスマップの曲だと思っていなかった。発売されてからテレビで知ったのであった。その前からちょくちょく耳にしていたので聞き覚えがあったので「えー、これってスマップだったのか、なんかユルい曲だな。あんま好きくない」と思っていたのに、どうやら大ヒットしているらしいので、「どうして自分は世間と趣味が違うのだろう」と、また自慢とも嘆きともつかないことを思っていたのだ。

 あの曲が気に入らないのは、どことなく「平たい」かんじがするからである。スマップの曲はそこそこのセールスが見込めるので、それなりにお金かけられるだろうし、作詞作曲者もいいの揃えられるわけだし、いい曲歌わしてもらっていると思う。
 そして、私がスマップのCDを何枚か買ってみて思ったのだが、私がもし音楽の仕事をしていて、そしてもし、プロデューサーだったら、スマップのアルバム制作を一度はやってみたくなるだろう。
 自分には具体的な音楽的素養がないので、これは単なるリスナーの雑感であるが、彼らのCDアルバムは、ミニチュアの家みたいに巧妙に繊細に組み立てられていた。5人のキャラがかなり立っているので、そのピースをどうはめ込んでいくかがまず腕の見せ所だ。ソロのための楽曲を選び、5人で唄うための曲は「どういう順番でどこをどう歌わせるか」というのが決め手になる。普通だったら、プロにバックコーラスを歌わせて誤魔化すところをメンバー複数の声をかぶせたり(もちろんプロのコーラスも多用されてはいるが)、そうだな、ミニチュア・ハウスというよりも、切り絵細工というか、モザイクといか、そんな工芸作品っぽいのだ。
 ホルベインの絵の具を使わなくても、安っぽい色の素材を重ねたり、混ぜたりして上手く発色させることが勝負ってかんじ。

 だから、スマップのシングル曲もいつもかなり作りこんでいるように思っていたのだが、今度の新曲「世界に一つだけの花」は、わりと直球勝負というか、なんか昔流行ってウザかった「人生応援歌系」っぽいぞ。ほら ♪最後に愛は勝つ〜 とか ♪負け ない事 投げ出さない事 逃げ出さない事 ・・・・(中略)それが一番大事〜 とかいうやつよ。あれ系の匂いがプンプンする曲だったので、「ああ、これは、高校野球で行進されたり、チャリティー長時間ぶち抜き番組でのテーマソングになっちゃうんだろうな」という、悪い予感がしていたのだが、そんな話を延々とKM君に語り聞かせていたのが昨晩であって、そんな演説で1時近くまでかかってしまい、「いかん、私は昨日も寝不足だった」と慌てて寝たのだが、やはり今朝はなかなか起きられず、やっと起きて、ダルダルで電車に乗ったら、微妙なハラスメントに遭遇し、そんで、そういうことを日記に書こうと思っていたら「切迫流産」という言葉の切迫さかげんに圧倒されつつも、清く正しく逞しく生きていこうと決意したのに(嘘)、朝日新聞のサイトに載っていた記事が私をズンドコに叩き落としました。

 いやーん、あの曲ったら、マッキーの曲だったんだ。知らなかった・・・・・
 http://www.asahi.com/culture/update/0312/006.html

 マッキー・・・・逮捕されたときには見直したのに。(それ以前にも定説だったらしいが、ゲイってだけでポイント急上昇した)
 いつのまにか、こんなことに・・・・
 これで儲けた印税をそっち系に寄付でもすればすべて帳消しか?
 だったら、この曲はイッセイ君にでも歌わせてやればよかったのに・・・・

 というわけで、「世の中ちっとも自分の思い通りにならない」ことに腹をたてたので、私はまた「合田刑事のスニーカーはどのタイプか?」というマイ・ワールドに閉じこもることにします。

3月10日(月)


助役  市長、市民から「あの山をなんとかしてくれ」って苦情が来てますけど・・・・・市長?市長ったら、市長?


 助役、市長が手にしている「マークスの山・下」を目にして、浅いため息をつく

助役  わかりました。私が市民を説得しておきます。市長は今、マークスの山と格闘しているので、センタクモーノの山の案件はその後に処理すると・・・・

 助役、執務室のドアに向かって歩き、ドアを開けながら市長のほうに振り返る

助役  聞こえてないかもしれないけど、いちおう市長のことを心配して申し上げておきますが、明日も会社なんですからね
    もー、だからその山に登るのは週末にしてくださいって、あれだけ申し上げたのに・・・・


 ちなみに市長は、「どうもこの山は、10年前に登った山とはかなり違うような気もするので、昔の山も再読しないといけないのかもしれない・・・・」とブツブツ呟いているのであった。


3月9日(日)

 昨晩は役職問題で逃避したあと、ついに「マークスの山」に突入して、久しぶりに再読したためなのか、それとも作者がほんとに大改訂やらかしたのかは不明だが、「こういう出だしだったっけ?」と思いながら、そんでいつのまにか合田刑事の年齢(33歳)をはるか超えてしまったことに一抹の悲しさをおぼえつつ、上巻の半分くらい一気に読んでから、先週から始まった「ダーマとグレッグ」をやっと観たのだが、なんだかすごくつまんなかったのでがっかりしてしまい、日記をアップせずに寝てしまったのであった。

 目が覚めたのが12時。お天気良かったので、すぐに布団を抜け出して、布団を干し、洗濯。
 洗濯機が回っている間に、靴を磨いて、洗濯物の山を崩す。やっと平地になった。これでまた次の山が築けますね。ほほほ。うーむ、しかし、棚からはみ出たCDとかどうしよう。

 そういえば、(部屋の行政も大変だ→行政といえば という飛躍)最近ニュースでもよく耳にする「行政改革特区」であるが、この「特区」という言葉の響きが気に入っている。とっく とっく ちゃっぷ ちゃっぷ らん らん らん ♪ と唄い出したいくらいだ。
 「行革 ギョウカク」ってなんかあまり上手く行かなそうな響きだし、「牛角 ギュウカク」って焼肉チェーン店は「行革」をおちょくってつけた名前なのでは、と勘ぐってしまうくらいだが、「ギョウカク トック」になると、なんだか美味しそうなかんじがするし、より軽やかに進みそうな気がする。

 「平成」にももうすっかり慣れたけど、最初に聞いたときには、「ヤル気の無いラッパーの掛け声みたい」と思ったが、「ギョウカク15年」とかのほうが、まだ重みがあっていいかもしれんが、どうせ軽くするのなら「トック8年」のほうがいいなあ。
 「今年ってヘーセー何年だっけ?」というよりも 「今年ってトック何年だっけ?」と言うほうが、なんだか心が弾むような気がする。次に年号を考えるときには候補に入れてほしい。そう考えると、2ちゃん用語もけっこう年号向きかも。「ワラタ3年」とか「チュウボウ35年」とか「キボンヌ64年」とか、なかなかよいではないか。漢字なんて適当に当てればいいし。

 ところで、ずいぶん前に「日本」の正式名称は「ニホン」か「ニッポン」か?ということが話し合われて、「ニッポン」になったようだが、それってやっぱ「ニッポン チャ チャ チャ」のためなんだろうかとも思ったが、語感だけで決定したわけではないだろうけど、「ニッポン」のほうがでかい声で言うときには言いやすいだろう。
 などと思うのも、最近も反戦デモが流行しているが、どうしても日本のデモってあのシュプレヒコールが難点だ。日比谷公園で集会を開いた団体がそのままデモ行進するに何回が出くわしたことがあるが、スピーカーを持った先導者が「ろーどーしゃのけんりをまもれーーーー」と言うと、ゾロゾロ歩いている人たちも「ろーどーしゃのけんりをまもれー」と反復するのだけれども、どうもイマイチ覇気がない。覇気がないのは行進している人たちが組合に強要されて渋々参加しているせいもあるだろうけど、たとえヤル気満々でも「せーふはふくしよさんをけずるなー」という言葉を威勢良く発声するのはなかなか難しいと思った。

 そんで、テレビなんかで、たとえばブッシュを非難するイラク人のデモなんかを見ていると、「ブッシュは悪魔だ」みたいなフレーズをリズミカルに繰り返して、バリ島のケチャみたいなトランス状態に近いような、なんか大勢で叫んでいるとハイになるんだろうな、と思うような勢いがある。
 「声に出して読みたい日本語」もけっこうだが、「デモで叫びたい日本語」も考えてあげたほうがいいと思う。

 夕飯は久々に下北の「麻」に行ってみた。少しメニューが変わったみたい。あいかわらず味は美味しいが、ボリュームが無いので、腹八分目というかんじ。麻料理をポピュラーにするためには、み○○んた氏に「体にいいんです」と言ってもらわないと、なかなか難しいだろうな。でも、麻丼は健康&美容指向のOLのランチにはいいかんじだった。女性一人客もいたけど、私もあの店がもっと近所にあったら、ときどき一人で夕飯食べたくなるかもしれない。
3月8日(土)

 啓蟄も過ぎたというのに寒い日が続くので、憂鬱な気分になってしまうではありませんか、と訴えた翌日がこのような晴天というのは、「わたくしの願いがお空の神様に届いたのね」と喜んでもいいようなことなのですが、わたくし「土曜日は出勤」とはっきり書いたはずなんですが、ちゃんと読んでくださらなかったのかしら?

 最近、またふと「どうも日記に書き殴っている文章が美しくない」と思い、声に出して読みたくなるような文章を書きたくなったが、やっぱダメだ。ストレス溜まるし、そもそもそのストレスをさらに増長させるのが「がんばって美しい日本語を書こうと思っても、ちっとも美しくならない」という事実である。がんばって化粧したのに、ちっとも効果があがらないときの苛立ちに似ている。

 てなわけで、今日は会社の窓から外を眺めながら「ちくしょー、天気いいじゃんかよー」とフテクサれていたのだった。
 でも、けっこう風が強くて体感温度は低かったので、お昼に外に出たときには「ざまーみやがれ」と思ったのだが、中にいると風が吹いて来ないので、明るい屋外ばかりが目に入り「ちくしょー」と思いながら、せっせと仕事をこなしたのであった。

 また原因不明の「エク○ルのノロい」にかかってしまい、ガガガっとコピーしようとすると、フリーズしてしまい、えらく時間がかかってしまったのでイライラ。
 ときどきこうなるのだが、どうも「VLOOKUP」が重いらしい。でも、重くないときもあるので、何が原因だかよくわからないのだ。

 そんなこんなで、御機嫌ななめのまま帰宅。
 今日こそ「シム・シティ」じゃなくて「リアル・ルーム」で遊ぼうと決意して、「私は市長」とセルフ・マインド・コントロールしながら帰宅したのだが、まず、神様モードになって丘を削ったりしないとならない。
 丘=洗濯物の山

 洗濯物たたんで引き出しに入れるのをめんどくさがるので、小山になってしまう。そういえば、5人家族だった生家では、毎日小山が出来ていた。小山はテレビの前にあったので、テレビをぼんやり観ていると「ほら、自分の分くらい自分で片付けなさい」と神様(私のじゃないけど父にとっては山の神らしい)に言われ、渋々片付けたものだが、そうやって激を飛ばしてくれる怖い神様がいないと、治安が乱れるらしい。

 などと、つらつら書いているということは、「市長」は市の行政をほっぽらかして執務室(パソコンデスクのある一画)に篭って、パソコンに向かい仕事しているフリしているのである。リコールされそうだ。

 ところで、このボンクラ市長は、4月から「主任」になるらしい。という内示を受けたのだが(あれ?内辞だったっけ?)「主任」って言っても別に役職手当が出るわけでもないし、だからなんだった話だ。世の中には試用期間終了後全員「主任」になるような会社はたくさんある。

 私は「主任」とか「課長代理」とか「課長補佐」というのは「役職」ではないと思っているのだが、前の同僚はそうは思ってなかったようで、出入業者の営業マンが「主任」だったので、「すごいね、あの人、私と同じくらいの年なのに主任なんだって」と言っていたので、「そうか、主任ってゆーのが効力を発揮する場合もあるんだな」とマジに感心したのだが、彼女はその営業マンに電話するときには、いつもきちんと「主任の○○さんお願いします」と言っていたので、「世間ズレしてない子ってすごい」とほんとに感心していました。(まあ、ちょびっとはバカにしておりましたが)

 でも、電話受けてても、「○○課長代理をお願いします」なんてよく言われるんですよね。
 OLやっている友達にその話題をふって、「どのくらいの役職だったら、電話するときや手紙の宛名に役職名入れる?」と言ったら、「まあ、ケースバイケースだよね」と言われたけど、私だったら「課長以上」が基準かな。最近「係長」って見なくなったな、そういえば。

 だいたい「主任」とか「課長代理」とかいうのを名刺に入れることすら恥ずかしいと思うのだが、そういえば銀行なんかは今は知らんが(直接銀行の担当者と話をすることがないから)、昔は外周りの男の銀行員は、ほぼ全員「支店長代理」という名刺を持っていて、それって単なる「新入社員ではありません」って意味にしか思えなかったが、でも部下(窓口担当の女性など)は彼らを「○○代理」と呼んでいて、「お内裏様かよ」と思ったりしていた。

 そーゆー形式だけの肩書きのことをいつもバカにしていたが、前の会社でお世話になっていた税理士事務所でうちの担当だった男性社員が急に退職して、どうもあまりいい辞め方ではなかったようで、そこの税理士先生もがっかりしていたのだが、どうも彼は友達の会社に引き抜かれてたらしいのだが、その理由のひとつが「税理士試験にもさんざん落ちたし、この事務所ではいつまでも名刺になんの肩書きもつかないけど、友達の会社に入ったら部長になれる」というものだったらしい。
 本人から聞いたわけではないので本当かどうかわからないが、確かに一般的な会計事務所っていうのは「税理士の先生が一人いて、その補佐として税理士になれない中堅どころが何人かいて、そしてアシスタントが数人」というような構成で、部長とか課長とかいう世界ではないわけで、30代半ばになった彼が、「一生平社員」な我が身を愁いたということはなんとなく想像できるが、先生としては、「あの年代としては一流企業にもひけをとらない給料を払っていた」という自信もあったし、顧客からも「先生同然」の扱いを受けていたのだけれども、それでもやっぱりあの業界では資格試験に通らなければ「先生」になれないわけで、それを諦めたときに「せめて課長とか部長とか書いてある名刺が欲しい」と本気で思ったのだろうか?

 まあ、たしかに、仕事の場ではなくてもプライベートな飲み会でもよく名刺交換しているので、そういう場で「無冠の名刺」を出すことを苦痛に思う人もいるかもしれないな。そもそも「無冠」だとカッコつかないから「主任」とか「課長代理」とかが流通しているわけでしょ?

 「あの人、主任なんだって、すごいね」と言っていた、うちの会社の純粋培養の彼女も、その後も半年周期で変わった担当者(定着率が異常に悪かった)が全員「主任」なのを目の当たりにして、さすがに学習したらしく、その後、電話するときにも「○○さんお願いいたします」と言うようになった。
 そういえば「主査」っていうのは「主任」と同じようなものなのだろうか?前に知人の某電話会社の友人が「主査」だったので、それがどういう役職かよくわからなかったのだが、最近になって、某役所関係の組織に書類を郵送するときに渡された名刺が「主査」だったので、「役所関係で使われる役職なのかな?」と思ったのだ。某電話会社は、ついこの間まで(私がまだ少女Aだったころまで)「公社」だったから、その名残だったのかな。

 昔、ホイチョイ・プロがスピリッツに連載している「きまぐれコンセプト」で、「部長代理」「副部長」「次長」の「どの順番で偉いのか?」というネタを書いていて、それは会社ごとに違っていたりするという落ちだったが、そういえば、私は少女Aだったときに、箪笥の上に放置されていた父親の名刺を発見し、それが見事に「課長代理」だったので、「うちのお父さん、ほとんどヒラだってことね」ということがわかってしまった可愛くない少女であった。「主任なんだって、すごい!」と言い放った元同僚の爪の垢でも・・・・
 でも、当時はそれなりに世間知らずだったはずの少女Aはなぜ瞬時に「課長代理」のからくりを見破ったのだろうか?
 なんだか知らんが、すでに「課長」っていうものが「大したことない」ということがわかっていた。本を沢山読んでいたからかもしれない。娘にはあまり本を読ませないようがいーですぜ。だって「主任ってすごい」って言ってた子は、教科書以外の本を読んだことがないと豪語していたもん。
 でも、本読まなくなって、漫画や映画やテレビドラマをちゃんと見てりゃ、わかるよな。
 とにかく少女Aは、すでに「課長」ってもんが大した役職ではないことを知っていた。そんで、それに「代理」ってつくことがさらに意味がないことがわかっていたのである。

 そんで、そのまま大人になっちゃったので、名刺の役職名にほとんど意味がないと今だに思っているのであった。
 それに、実際いろんな会社で働いてみると、「課長」ってゆーのが大した権限持ってないのがわかってしまったし、今まで観察したかぎりでは課長っていうのが本当は主任で、部長っていうのを課長くらいにしたほうが、名実がちゃんと合致するような気がした。
 そんな役職せせら笑い体質なので、その昔「最高顧問」なんて書いてある名刺見て笑いそうになっちゃったのである。(某テレビ局の名刺。それがどの程度効力のある役職だかとうとうわからない)
 昔、どっかの会社が「名刺の肩書きは社員が好き勝手に決めていい」ということをやったという憶えがある。あれなんて最高に面白いと思った。それでいいじゃん。今ではやってないのだろうか?

 役職とは関係ないが、郵便の宛名書きをするときに「○○株式会社 ○○支店 ○○部 ○○課 ○○グループ」などと、長々と書いてある名刺を見ると、「この担当者に届くためには、どこまで省略しても大丈夫なんだろうか?○○部っていうのは、そもそも何人いるんだ?」と思ってしまう。でも、それがよくわからないから全部書くんだけどね。時間の無駄ってかんじ。

 ま、でも、会社の代表電話を受ける身としては、「○○部の○○部長様をお願いします」なんて電話はほとんどセールス電話だってわかるから便利なんですけどね。
 電話といえば、私は代表電話にかかってくる役員宛ての電話には冷たいのだが(代表取締役=社長以外は会社にいないから)、他の子は真面目というか、生真面目というか、そういう電話でも、しっかり居場所を教えてしまうのだが、そもそも役員その人を知っている人だったらうちの会社に電話してくるないわけで、日常の居場所を知っているわけだから、そういう電話には「こちらには来ておりませんが、戻りましたら折り返しお電話いたします」と言うと、ほとんどが「いえ、けっこうです」と言うわけだし、私なんかの何倍も給料もらっている人たちにそういうセールス電話がいかないようにするのが、低い賃金で働いている社員の勤めだと思っているんだけど、そう言っても他の子なかなか聞いてくれんのよ。

 もしかしたら大事な用件かもしれない・・・・わけないって。

 前に勤めていた会社では、社長の苗字が普通と違う読み方をしたので、普通な読み方で電話してくるのは「セールスだ」と見分けがついたので便利だった。
 それでもたまに気のきかない奴が電話受けて、社長に回しちゃうこともあったけど、社長は「そんな奴知らない」と出ないことも多かったが(代表者宛てのセールス電話の90パーセントが「田中です」とか個人名で電話してくる)、たまに暇なときには電話に出て「え?手形?手形って、お相撲さんが色紙にやってくれるやつですかね?あれでお金が借りられるの?」と、からかったりしていた。

 あー、ちょっと掃除から逃避しようと思っただけなのに、かなりしっかり逃避してしばったじゃないですか。話引きずるのが上手いなあ。

3月7日(金)

 くすん・・・・みんな夜遊びに行っちゃったのね。
 私は昨日休んでしまったので、土曜日は出勤の予定にしてしまったのです。
 でも、休んじゃおっかな、と思ったのですが、明日現金出せという指令が出てしまい、他の現金出せる人が休みなので、どうしても出勤しなければならなくなったのでした。くすん。

 というわけで、魔女が「あんたもパーティーに行きたいのかい?だったらカボチャを持っておいで」と言われたのに、どうしてもカボチャが発見できず、ジャガイモを抱えながら泣いています。ネズミも見つけられません、あれ?トカゲだったっけ?とにかく、どっちも見つかりません。ゴキブリは御者にはなりませんか?シクシク・・・・・

 まあ、いいや。まだまだ寒いし、もっと暖かくなってから夜の街に繰り出しましょう。3月は、アルマーニも来るし、カジミヤも来るんですから。

 しかしっすねー
 なんかここんとこ、寒い日が続いておりますからに、「3月かぁ、そろそろ春だな〜」と思って、胎児のように縮こまっていた心というか、体というか、その中間点にあるような何かが、手足をググっと伸ばそうと思ったら、押しつぶされるような感じというか、サンショウウオが「さて、穴から出るかな」と思ったのに、「げ、頭がつっかえてる」と、一気にヤル気を失ったような、そんな気分なんでございます。
 そんな気分に陥っているのは私だけではないようで、会社でも、どことなくドヨーンとしたユルい雰囲気になっているのは、花粉がオフィスに充満して雲っているような様子でございます。春眠とは違うこのダルさ。桜が咲く前に戦争が始まって、日本にもの凄い爆弾が投下され、一瞬にして国土が崩壊してしまうことを予感したかのに、どこにも逃げることろがないようなこのヤル気のなさ。

 こういう覇気の無いときに書く話題でもないんだけど、「戦争」と書いたら急に思い出した話。テレビでは毎日のようにイラク情勢だの北朝鮮情勢をやっているので、「戦争」は今一番ホットな話題ですし、今朝のテレビでもイラクを訪問した民間人を取材していて、劣化ウラン爆弾で被害にあった子供を見てショックを受ける現役保育士の様子が流れていましたが、「皆、なにか訴えようとしている」と保育士の女性が語っていて、たしかに戦争が起こったあとの街では傷ついた民間人たちが「こんなだった、あんなだった」と、戦争の悲惨さを語ります。
 日本が敗戦した先の戦争でも、そういう体験談はたくさん残っていますし、本や映像でそういうものに触れることは簡単です。

 で、最近ふと気が付いて、確かめようと思ったんだけど、ちょっとそれが難しくなってきたので、「うーん、どういうことだったんだろう」と思っているのが、私はそういう本や映像で「戦争の悲惨話」をたくさん知っておりますが、直接そういうのを拝聴した記憶がないのです。
 うちの祖父母は二組とも戦時中は東京にいたし、母方の祖父は戦地に行ったし、しかも私が物心ついてからもそのうちの3人は健在でした。それなりに戦争体験を語ってくれてもよさそうなもんですが、あまりちゃんと聞いた憶えがない。そもそも、今気が付いたのですが、父方の祖父は戦時中は何してたんでしょうか?聞いたことないなあ。

 私が語り聞かされた戦争体験はかなりやんわりとしたものでした。
 父は戦時中は石川県の伯父のところに疎開していたそうですが、そこの伯父に大変可愛がられたようで、数年前までその伯父(私にとっては大伯父か)も生きていたのですが、何回か危篤になり、そのたびに大伯母から電話がかかってきたようで、父も何度か石川まで行ったようです。その度に大伯父は危篤状態から回復し「石川のおじさんは、お父さんが行くと元気になっちゃうのよ」と母が笑っていました。
 東京の下町育ちの一人っ子だった父にとっては、疎開暮らしは「優しい伯父さんや従兄弟たちに囲まれて過ごした長い夏休み」のようなものだったのではないかと推測されます。もともと無口で自分の少年時代ことなど語らない父ですので、戦争体験談を聞いたことありません。
 ただ、ひとつだけ聞いたことあるのは、終戦記念日でよく放送しているような番組を観ていたときに、母が「そういえば、下町は空襲で焼かれたけど、お父さんちはなんともなかったの?」と聞いたら、「いや、川向こうは燃えてたよ」
 父の実家はエア・ターミナルのある箱崎で、そこは大空襲の日に被害に遭わなかったようです。「でも、空が真っ赤になって、外にむしろを敷いて座ってずっと観てた」

 鑑賞してたんですか?

 そんで、戦争でフィリピンに行っていた祖父は、運良く米軍機に遭遇しなくて、「もう少し敗戦が長引いていたら、たぶん全滅していただろう」というギリギリのロケーションだったようですが、そんなわけで祖父が所属していた部隊はほぼ全員無事で帰ってこれたのですが、「でも、終戦の伝えを聞いてから、日本に帰って、寄港地でハメを外した隊員がいて、車の事故で亡くなったが、彼らのことも書類上は名誉の戦死ってことにしておいた」

 「名誉の戦死」か「帰国後の事故死」かで遺族年金の金額が違うとかいう話でした。
 そして、祖父はその後もマメに「戦友会」に出席してました。ほとんど毎年のように温泉旅館などで集合していたようです。南洋の島で一緒に生活していたので、同窓生よりも仲良くなっちゃったんですね。マメだし印刷屋だった祖父は、戦友会の名簿をせっせと作っていました。
 そんな祖父の様子を見ていた私は、戦争っていうのは高校野球の合宿みたいなものなのか?でも、テレビでやっているのとずいぶん違うぞノリが。と思っていたように記憶しています。

 父方の祖母はたまに戦時中の話をしてくれましたが、それは「すいとんの作り方」だったり「洗剤がなかったので灰で洗った」とか、かなり婦人雑誌系でした。
 母方の祖母は昔話が大好きでしたが、主に拝聴したのは「田舎での生活」と「女中奉公に行ったお屋敷の話」でした。そのほとんどが自慢話で、「おしん」が始まってからは、それとごっちゃになってしまったので、どこまでほんとだかさっぱりわかりませんでしたが、戦争に関しては、母の兄がまだ幼いときに祖父が徴兵されて外地に行ったので、それなりに不安はあったようで、「もう、お爺さんは帰ってこないと思ってたのよ。だから今生きているだけでも幸せもんよ」などという程度には語りましたが、それ以上のリアルな話は聞いたことないなあ。

 というわけで、誰も戦死せず、誰も焼け出されなかったうちの一族の「戦争話」はどうも悲惨さに欠けてました。
 でも、ほんとうに全然悲惨な目に遭わなかったのかというと、そうでもないような気がするので、可愛い孫にそんな話をしたくなかったのか、それとも嫌なことを封印してしまったのかわかりませんが、ともかく家族内での「戦争体験者」の話には「あんな思いは二度としたくない」という気迫が感じられませんでした。
 たぶん、彼らにとっては戦中のことよりも戦後の復興のほうが印象に残っているのでしょう。祖父がよく感慨深げに語ったのは「あのころはインフレが凄かったから、だから私はそこそこ商売ができた」ということでした。奉公先の親方に出資してもらって独立したのですが、インフレのおかげですぐに借金を返せたし、無理して土地を買って家を建てても、それほど苦労せずに済んだ自分は運がよかったというよりも、そういう時代だった、と何度も語っていました。死ぬ間際に意識が朦朧としていても、「インフレだったからよかった」と言ってました。そして、ぶっ飛んだ意識の中でも、せっせと倉庫にストックした紙を数えてました。

 これが、広島出身の一族だったら全然違う話を聞けたかもしれませんが、東京だって焼け野原になったはずだし、東京空襲の悲惨な話だってテレビでしょっちゅう観ますが、うちの祖父母が単にラッキーなだけなんでしょうか?それとも、「今でも語らずにはいられない」という人たちがアン・ラッキーなだけなんでしょうか?
 いや、でも、もしかしたら「戦争体験話収集ボランティア」みたいな人が来て、じっくり話しを聞き出せば、うちの祖父母からも「出るわ、出るわ、悲惨な話」なことになったのかもしれない。もう祖父は亡くなってしまったし、その妻はボケちゃったので、ちょっと手遅れです。今度、老人ホームにいる、まだ頭がクリアな祖母に聞いてみよう。

 そういえば、先日、斎藤美奈子の「戦時の食卓」という本を読んで、それでちょっと「祖母たちがあまり戦争体験を語らない理由」がちょっとわかりました。戦時中は食糧難だったというのは定説ですが、その期間が私が考えていたよりも短かったんですね。もちろん、配給制で苦労したようですが、「戦時の食卓」によると、最初に姿を消したものは「米」で、当時の日本人は「食料=米」だったらしく、他の食材を米っぽく調理することに心血を注いだ時期がけっこう長かったようです。
 その騒動は、つい数年前の「米が凶作」だった年のヘナチョコさを鑑みれば、ちょこっとだけ想像できます。私みたいに、あまり米に執着しない人間にとっては「別にうどんでもパスタでもいいじゃん。それに私、アジア産の長粒米大好きだから、もっと輸入しようよ」という騒動でしたが、そいういう人がほとんどいなかった戦時中で「米が手に入らない」ということがどんなことだったかは想像に難くない。
 で、米が姿を消し、代用の穀物も手に入らなくなって、それこそ路傍の草をお粥にして・・・という、よく聞かされる「戦争体験」ですが、そういう時期は数年続いたわけでもなく、ほんとに敗戦間近の数ヶ月くらいだったようで、そのときの空腹の恨みは根深いだろうし、その後も食料がちゃんと流通するまでは時間がかかっただろうけど、そういう戦争体験話って、結局は「だから、食べ物を粗末にしてはいけません」っていう説教と直結しているので、あまり根深いもんでもないような気もするんですが・・・・

 そういえば、学生時代に金に窮した友人がいて、「バイト代が入金するまでほんとに金がない」と嘆いていて、「でも、今日は家にカタクリ粉があるんだ」と言うので、どうやらカタクリ粉をお湯で溶いて砂糖を混ぜて「クズ湯もどき」を作って空腹を紛らわしていたようです。「戦時中の話みたい」と皆で笑いましたが、でも、その彼はそう話ながらタバコ吸ってんですよね。「タバコ代で飯食えばいいじゃん」と指摘すると、「これで空腹を紛らわしてたんだ」と反論してました。

 ええと、だんだんまた話が逸れてしまいましたが、要するに、私が直々に拝聴した戦争体験話って、「学生時代の貧乏自慢」とあまり変わらなかったということです。
 だからと言って「戦争は悲惨なものだ」ということを否定したいわけではありませんが、自分の中でのこのアンバランスさはどうにも払拭できない。

 ま、単にうちの祖父母が運がよかったという話なら、それでいいんですけどね。私にもその運気が受け継がれていれば、天寿をまっとうできることでしょう。
3月6日(木)

 昨日は、親会社が主催したイベントを見学しに行った。親会社の代表取締役と叔父会社の代表取締役が講演をして、別のスペースでは展示ブースを作っていた。都心の一等地会場での、かなり金かかっているだろうイベント。毎年恒例なのだが、私は一度も足を運んだことがなかった。昨年は武道館でやったのだが、そのときには「誘導スタッフ」としてエントリーされていたので、「わーい、もしかして武道館の楽屋とか覗けるのかなあ?」とわりと楽しみにしていたのだが、その直前に社員が亡くなり、総務部社員として葬儀の手伝いに行くことになったのでイベントには行けなくなった。

 講演会場は5千人が収容できるというホールだったが、「立ち見必須くらい整理券が出ている」とのことで、最初から1階席の後ろのほうの壁にもたれて立っていたのだが、開演直後に2階席まで本当に埋まってしまったらしく、私が確保していたスペースにも立ち見客がドワドワと誘導されてきて、舞台がよく見えなくなってしまった。
 客席をびっしり埋めているのは、ほぼ全員「お母さん」である。ごくまれにお父さんの姿も見かけたが、平日だからその数は少ない。今までの人生の中でこんな大量の「お母さん」に囲まれたことがなかったので、すっかり「お母さん酔い」してしまい、30分くらいでロビーに退散したら、音声はロビーにも流れていたので、ロビーにある椅子に座って拝聴することにした。

 実は、代表者の話をちゃんと聞くのは初めてだったのだが、どっちもイマイチだった。私がお母さんでもお父さんでもなかったからかもしれない。自分の親会社の仕事にはあまり興味がないのである。でも、あの大量のお母さんたちがお金をドブに捨てているからこそ、私がちゃんとお給料を貰えているのはわかっているので、感謝の念を送っておきました。
 しかし、無料イベントとはいえ、よくあれだけ集まるよな。
 でも、そういう意地悪な目で観察していると、お母さんたちはイベントに参加するのがメインではなく、「とにかくどこかに出かけたい」ように思えた。それがコンサートとか観劇よりも「○○の○○の役にたつ情報収集」という名目のほうが、出かけやすいよな。しかも、場所は近隣にデパートが立ち並ぶ一等地。午前中に講演を聴いてから、お友達とランチして、ちょこっとだけ展示も見てから、ショッピングにGOっていうコース設定なのかもしれない。
 じゃないと、あんなに人数集まらんだろう。と思うのだが、皆さん「○○熱心」なので、本気で参加しているのかもしれないが、試しに近所に何もないような場所でやってみれば真実が明らかにされるだろう。
 ま、でも都心を親会社のロゴ入りの紙袋(資料がたくさん入っている)をぶら下げて闊歩してもらうのが、イベントの本当の目的だろうから、辺鄙なところ(たとえば、親会社の本社所在地)でやるはずないんだけどね。

 講演を聴いてから、ブースを冷やかして、うちの会社のスタッフに挨拶してから、お昼はカレースタンドで軽く済ませて会社に戻る。3時ごろ会社に着いたが、別になにもしてないのに、どっぷり疲れていた。「どうだった?」と先週の横浜会場を見学した社員に言われたので「お母さん酔いして疲れた」と答えた。

 上司も夕方には帰ってきて、やはり「なにもしてないのに疲れた」と言っていた。
 社長が夕方になって飲みに行こうと言い出したので、仕事は切り上げてとっとと飲みに行ってしまった。

 さて、今日はお休みだった。
 やっと美容院に行くのである。担当美容師に「ちょうど10ヶ月間隔ですね」と言われた。ほんとうは、年末くらいに「美容院いきてー」と思ったのであるが、仕事が忙しかったので我慢していたのだが、年が明けてからも1月は休暇で香港に行ったりしていたので、やっと2月に行こうと思って平日に休みをとったら美容院が休暇に入ってしまったのであった。
 そういうわけで、いつものことだが、すっかり原生林と化した私の頭上の森を美容師は鮮やかな手つきで「手入れされた公園」に変身させてくれました。ストレートパーマかけたので、2万円也。10ヶ月で割ると1ヶ月2千円となり、マメに格安床屋に通うサラリーマンと同じくらいの出費になる。
 美容院はやはり平日に行くのがいい。空いててのんびりできる。今日も夕方4時くらいまでは他に客がいなかった。  店を出るときに美容師に「今度は10ヶ月以内に来ます。秋にはまた来れるようにがんばります」と宣言したが、ちゃんと行けるかな?10月までに行かないと、また怒涛の決算地獄に突入してしまうので、「文化の日までに美容院に行く」ということを今年の目標にしよう。(ずいぶん情けない目標である)
 でも、今年からもう一社決算を抱えるんだよな。あっちが8月決算か・・・・・ということは、10月にドタバタするってゆーことか・・・・むう。
 今から半年後の予約でも入れておくか?(笑)

 予約といえば、何年か前、友達に「予約がなかなかとれないレストラン」の話を聞いた。
 友達の同僚が「なかなか予約がとれないレストランにやっと予約して今日行くんだけど、一人行けなくなっちゃったんで替わりに行かないか?」と誘われたので、行ってみたのだという。京橋あたりのこじんまりしたイタリアン・レストランで、ディナー・コースが3500円くらいで、前菜とメインとデザートが、かなりの数のメニューから選べて、味も雰囲気も申し分なく、「あれだったら流行るのわかる」と友達も言っていたが、それだけだと単なる「安いし美味しい人気の店」だが、一緒に食事していた人が「これだったら友達も誘いたいな。でも予約がなかなかとれないんでしょ?」と言い出したので、「じゃあ、今、店員に確認してみよう」ということになり「予約入れたいんですが」と言ってみると、「年内はもう一杯で、来年になってしまいます」とのこと。

 「え?来年?」と、みんなで絶句したようだ。だって、まだ春だったから、年賀状をやりとりした記憶も新しいが、やっと今年の干支がなんだったか忘れたころである。来年のことを言うと鬼が笑うと言うが、鬼じゃなくても春先に「来年」と言われたら笑うだろう。
 予約を入れようとした人も戸惑っていたそうだが「まあ、キャンセルすればいいわけだし、とりあえず取れる日を押さえておこう」という気持ちで予約を入れたそうだ。他のテーブルでも平然と来年の予約を入れている客がいたようで、私の友達もなんか予約しておいたほうがいいかな、と一瞬思ったそうだが、彼女はそのとき派遣社員だったので「来年自分がどこで何をしているかもわからない」ということに思い当たり、思いとどまったらしい。
 でも、そんな感じで、一度足を運んだ客が次々と遠い未来の予約を入れてしまうので、「なかなか予約がとれないレストラン」ということになるようなのだ。なんでそんなことになってしまったんだろう?と不思議に思う。そもそも、「来年の予約」するのはいいが、店はちゃんと記録しているだろうけど、自分が忘れそうだ。芸能人や長期間に渡るプロジェクトの仕事している人ならともかく、普通の人は「来年の予約」を書き留める場所がない。もっとも会社のグループウェアのスケジュール管理だと数年後まで予定入力を受け付けてくれるので、そういうのに入れておいて、直前になって「なかなか予約がとれないレストランに行くんだけど」と友達を誘えば、けっこうホイホイのってくれるだろうし、そうしてその予約にまつわる顛末を聞いた友人も「じゃあ、私も予約してみよっかな」と来年の予約を入れる確立が高いだろうし、そう考えると「来年のことを決めて笑いたい」ために成り立っている状況なのかもしれない。

 ただ友達の報告によると「7時半くらいになっても予約した人が現れないと、キャンセルと見なすみたいで、予約無しのお客さんも何組か入れてた」とのこと。やはり予約したことを忘れてしまう客は多いらしい。だから予約は難しいが、ダメ元で行ってみると当日でも大丈夫らしい。そのあたりが微妙なバランスというか、なんか「上手くやりやがって」な感じがして微笑ましいと思った。
 昨日と今日で「デッド・ゾーン」を読み終わってしまった。最近、ミステリー系ばかり読んでいるが、さて次はいよいよ「マークスの山・文庫版」ですかね?これ読み出すと、睡眠時間削られそうだから週末に取り組みたいのだが・・・・
 ここんとこ、別に落ち込んでいるわけでもないが「こわいほどの平常モード」に少し戸惑っているし、比較的時間に余裕があるのにこれといったこともしたくないので、サラサラと読み進んでしまうミステリー小説を読んで気を紛らわしているかのようだ。
 頭の表面がすっきりしたので、頭の中も少しすっきりしてくれればいいのだが、このくらいボンヤリしていたほうが幸せなのかもしれない。もうちょっとピリピリしていたほうが、自分としては面白いのだが、あれも疲れるしな。
 そういえば、4月にまた人事異動があるので、それでまたピリピリするかも。
 まあ、どっちにしろ人生はそう平坦ではないはずなので、新たなる危機に向けて充電中ということで。
3月4日(火)

 なんかイマイチ調子が悪い、眠くて眠くてたまらないと思ったら、今日から体調不良だった。
 それにしても、今日は寒かった。暗くなってから、さらに風も強さを増し、体感温度が零下に感じた。今年の冬もそこそこ寒かったが、こんな木枯らしが吹いたことはなかっと思う。会社でも「春一番か、それとも単なる木枯らしか」と話している人がいた。

 寒さのため耳が痛くなってきたので、マフラーをマチコ巻きにしようかと思ったが、風でマフラーが固定しないと思ったので、コートのフードをかぶった。冬の朝帰り時にはときどき活用するフードだが、人通りの多い時間帯にフードをかぶるのはちょっと大げさっぽくて恥ずかしかったが、フードを下げて、首元にマフラーをしっかりと結わえ付けると寒さがかなり緩んだ。
 しかし、丸いフードに黒いフリンジのついたマフラーを結んでいると、フリンジがちょうど首のあたりから左右に垂れ下がり、「自分ではよくわからないが、向かい側から眺めると、このシルエットはヒゲが垂れ下がったタマちゃんのようなアザラシみたいなのでは?あるいは、『火の鳥』のなんかの話で登場した人類滅亡のあとに進化したナメクジみたいなのでは?」と思った。

 などと考えて気を紛らわしつつ、家路を急ぐが、この寒さの中でも愛犬家はちゃんと散歩しているから偉い。
 私が飼い主だったら、こんな寒い日は絶対に散歩なんか行かない。犬には一人で散歩できるようになってもらいたいと思う。・・・・ということがわかっているから、たぶん犬を飼うことはないだろう。お天気のいい日に他人のうちの犬を撫でているほうがやっぱりいい。

 などと考えてさらに気を紛らわしつつ、家路を急いでいると、スケボーに乗った青年を目撃。スケボー自体が、最近あまり目にしなくなったが、彼はこの寒さの中、黙々と練習していた。
 今まで一度も見かけたことないのに、なんでわざわざこんな寒い日に練習しているのか?
 私がスケボーを持っていても、こんな寒い日に練習したりしない。スケボーにも一人で散歩できるようになってもらいたいと思う。

 などと考えつつ、やっと家について、「洗濯物はまだご健在かしら」とベランダにあった洗濯物をとりこんでいたら「あれ?風がいつのまにかやんでいる」
 ピタリと凪いでいた。フードをかぶって「寒い寒い」と縮こまって歩いていたので、風が止まっていたことに気が付かなかったらしい。

 人生も同じだよな。寒がって下を向いて歩いているとダメなんだよな。あのスケボー野郎を見習わないといけないな、とも思ったが、それよりも天気の神様に「北風と太陽」を見習ってもらったほうが早いと、寒いのが大嫌いな不精ものは他人任せなのであった。
3月3日(月)

 土曜日。カニが食べ尽くされた後、鍋にはハマグリが入れられた。私には鍋にハマグリを入れるという発想がなかったのだが、鍋奉行が関西人だからかな?と思いつつ、カニ&ハマグリのリッチなスープで雑炊をいただきました。

 日曜日。お赤飯と菜の花の漬物とハマグリのお吸い物が「初節句」の食卓を飾っていた。「初節句」と「お食いぞめ」は一緒にやるものなのかどうかもよく知らないのだが、菜の花とハマグリが供されるしきたりなんだろうか?「夜中に買い物したので、菜の花がなかった」そうなので、わざわざ菜の花の漬物を買ったと弟が話していた。
 それで「そうか、この時期はハマグリが大量に入荷するんだ。だから、昨日の鍋もハマグリだったんだな」と納得。

 今日。お昼にお弁当を買いにいったら、そのお店では「ひな祭りスペシャルちらし寿司」を出していた。それを買うと、もれなくハマグリのお吸い物がついてきた。「今日は特別だよ!」と店主は言っていたが、「また、ハマグリか・・・・・」

 ハマグリが3連ちゃんするのも珍しい。
 てゆーか、私、この季節にあまりハマグリのお吸い物を召し上がった記憶がないんですけど・・・・(と、今度会ったら母を遠まわしに問い詰めてみよう)

 昨日、眠かったので、日記に書きそびれたこと。
 リキッドの非情階段をヨタヨタと登って、頭がグルグルしながら、「車椅子の友達が欲しい」と思った。クラブでは時々見かけるのだ。でも車イサーに同行すれば、一緒にエレベーターに乗れるのか定かではない。あの車イサーには同じように「階段を登りたくない」という利己的な理由から取り巻きになっている私のような悪い人間もいるかもしれない。(タマちゃんが友達だということを土曜日に聞いたので、今度会ったら遠まわしに問い詰めてみよう)

 やはり、自分が車椅子に乗るのが絶対に確実だが、リキッドまで車椅子を持ち運ぶのと階段8階分登るのと、どちらが大変だろう?そうだ、別に車椅子ではなくても「歩くの難儀」という状態ならいいわけだし、松葉杖だったら持ち運びにも便利だ。作戦名「ジャッカルの日」で決定。と、思った瞬間に、まんまとエレベーターに乗って最上階にたどりつき、エレベーターを使用禁止にしているスタッフを仕込んだライフルで撃ち殺し・・・・・などと物騒なことを考えて、テンションを上げようとしたが、ふと階数表示を見ると、「5」という数字が目に入り、またゼーゼーと息しながら休んでいたのだった。
 「年寄りに来てもらいたくない流行の店は坂の上に作れ」というマーケティング理論があるそうだが、リキッドはやり過ぎだ。ベンチャーズがライブするときはどうするんだ?マジで死人が出るぞ!

 と、文句言っててもしょーがないので、がんばって心肺機能を鍛えよう。8階くらい一気に駆け上れなくてどーする!
3月2日(日)

 昨日はリキッド・ルームにショニー・マー&ザ・ヒーラーズを観にいった。
 雨の中、やっとリキッド・ルームに着くと、やはりそこには非情の「階段登り」が待っていた。
 そうか、あれは「非常階段」じゃなくて「非情階段」なんだな。
 8階まで登るのは毎回のことながら非情に辛いのだ。
 35歳以上の身分証明書を提示したらエレベーター使わせてくれればいいのに・・・・
 と、文句言ってても始まらないので、黙々と上がる。途中で息が切れたので、何回かゼーゼーと休みつつ、やっと到着。6時開演だったが、5時40分には中に入れた。フロアは3分の1くらいしか埋まっていない。
 奥のほうに荷物を置いてから床に腰をおろし、呼吸を整える。

 「あまり客入っていないな」と思ったが、6時になるとフロアも程よく埋まって丁度よい感じになった。とりあえず、前のほうににじり寄ってみる。客層はサマソニと同じようなわりと地味なかんじのロック系。私と同世代の人も多いようだが、20代の客もけっこういる。そして外人客が目についた。

 6時を少し過ぎたところでジョニー登場。
 ギターの人が「なんか、クーラ・シェイカーっぽい」と思ったのだが、「そういえばこのバンドって、リンゴ・スターの息子と、元クーラ・シェイカーの人がメンバーらしいが、きっとこのギターが元クーラ・シェイカーなんだな」と思ったが、後で調べたら、元クーラ・シェイカーは、ベースの人でした(笑)。

 予想はしていたが、地味めのロックだな。
 ジョニー・マーがボーカルだということにちょこっとだけ違和感を憶えた。でも、わりと聴けるかも。
 でも、ジョニーが歌うと、ギターが二の次になるので、やはりジョニーにはギターに専念してもらいたいかも。

 客の反応もおっとりとしていたが、その中でもやはりノリノリなのは30代後半と思しき、すでに現役からは一歩退いているような男性客であった。
 1時間くらい演奏したところで最後の曲。すごく盛り上がっているわけでもないが、じわじわと、ほんわかと盛り上がっているあたりが「大人?」
 アンコール2曲やって、あっさりと客電がついた。粘っている客もいたが、多くがあっさりと出口を目指す。うん、こんなかんじでいいや。妙にノスタルジックな盛り上がり方するわけでもなく、淡々としたかんじ。演奏時間は長くはなかったが、このくらいのほうが疲れなくていいや。フジ・ロックで観た友達が「普通に良かった」と言っていた意味がよくわかった。

 K子さんちで誕生会を開いているのだが、「ライブ行くので、それ終わってから襲撃します」と返事していたのだが、思っていたようりも早く終了したので、「この時間だったら、まだ鍋が残っているかも」と足早に向かう。8時には到着した。
 今まではK子さんの部屋が「友達んちの中で一番天国に近」かったのだが、香港のきょうみさんちがあっさりとその記録を抜いたので、「天国に2番目に近い」K子さんち。でも、悪天候のため、夜景は雨に濁っていた。
 丁度鍋が煮えたところで、カニがど〜んと入っていた。カミちゃん、タマちゃん、MKちゃん、KSさんが黙々とカニをつついていた。

 「ミヤノちゃん、会うの久しぶりだね」とK子さん。
 「そうだね、前にここに来たのは、タマちゃんの誕生会だったよね。あれっていつだったっけ?」
 「いつだったっけ?」と、タマちゃん。

 「おいおーい、自分の誕生日でしょ?そんなこと言うと、身分偽装しているってバレちゃうじゃない(笑)」
 本日のメンバーは女性ばかりだが、「タマちゃんが黒一点かな?でも、タマちゃんは人間としてはカウントしないか」と言われていたのだが、やはり宇宙人なのかもしれない。

 というわけで、皆でわらわらと鍋をつつき、そのあとケーキも食べた。タマちゃんは終電で帰ったが、他のメンバーはその後もダラダラしていた。「ファンタスティック・プラネット」のDVDを観たりしたが、KSさんが持ってきたのが「カリキュラマシーン」のビデオ。
 私やK子さんはこの番組をリアルタイムで観た記憶があるけど、他のもう少し年少の人たちは「名前は知っていたが、ちゃんと観たことなかった」そうだ。たしかに、あまり長期間やっていた番組じゃないかも。変な子供番組だったが、「ウゴウゴ・ルーガ」が流行ったときには同世代の友達とは「今風のカリキュラ・マシーンみたい」と話していたが、しかし、あらためてちゃんと観てみると、なかなかエグい番組であったようだ。藤村俊二や吉田日出子が出演していたとは憶えてなかった。フォーリーブスも出てる。当時とすれば豪華キャストだったんだろう。

 そんなこんなで、結局3時くらいまでダラダラと飲んでしまい(1時すぎに雷雲が活躍していたので、高いところから稲妻鑑賞していたら帰るタイミングを見失う)、タクシーで帰宅。やっと布団に入ったのが4時くらい。

 10時に目覚ましを鳴らしていたが、起きてテレビをつけて「笑っていいとも」を観ていたら電話。「今日、来るのか?」「行きます」「じゃあ、12時半に」と父親と話したあと、がんばって布団から抜け出て支度して、11時には家を出たが「ねむー」

 すっかりぼんやりしてしまったが、姪っ子Nちゃんの「初節句」なのである。
 よくわからないが「お食い初め」もやるらしく、Nちゃんはまだ母乳だけで生計を立てているのに、無理やり「お食い初め」な食物を口につけられていた。
 まだ人見知りするところまで育っていないが、ときどき「フエエエ」とか声を発する。まだ自己主張の方法が固まっていないようだ。そして、ときどきニヤっと微笑む。
 お昼ご飯食べて、ビール飲んでしまったので、寝不足の私はときどき意識が遠くなってきたが、がんばってNちゃんに自己アピール。握力はけっこう強いようで、私の小指をぎゅっと握るしぐさが超プリチーで「もう、こんな小指、握り潰してちょうだい」と伯母様は眠いの我慢しながら懸命に姪っ子をいじくりまわしていたのであった。

 やっと家に帰ってきたが、眠いっす。
 なんか久々に予定がびっしり詰まった週末であった。

 眠い。もう限界。今日も早寝だ。
3月1日(土)

 会社にコミュニケーションをとても苦手にしている人がいる。
 彼はいつも、得意先と懇親会をした交際費伝票に「○○社とのコミニュケーション」と書いている。何度かそっと指摘したのだが、どうしてもコミニュケーションしてしまうらしい。

 しかし、私も時々どっちかわからなくなるので、他人事ではない。コミニュティなのかコミュニティなのか、時々混乱するし。
 この手の混乱で「コミュニケーション」と双璧を成しているのが「シミュレーション」であろう。私も堂々と「シュミレーション」と書いてしまうことが多い。
 それを解決する方法として実は「シム・シティ」が活躍しているのだ。

 シ      ム・シティだから、    ム    ゅ   レーション

 だから、私が「シミュレーション」という言葉を発するときには、「シ」と「ム」と「ゅ」の間に微細ながらも隙間が生じているのだが、たぶん、それを知らない人が聞いても「ミュが言いにくいんだな」と単なる舌足らずだと思っているかもしれない。「ム ゅ」となってしまうのを無理やり「ミュ」にしようとするので、くちびるにかなり負荷がかかるのであった。

 発音は問題ないが、入力が苦手なのが「インターナショナル」である。

 いんてれ (あれ?) いんたーなち (おっと)いんたーなしょなl(う・・・)

 パソコンを本格的に使用したときに派遣で働いていた会社が「○○インターナショナル」という会社で、そこの海外送金の用紙をタイピングする仕事をしていたために、international を指でおぼえてしまったために、ローマ字入力で「インターナショナル」と打とうとすると、ついつい英語のスペルを綴ってしまうのだ。
 あまり英文を打たない私でもそうなんだから、もっと英文に慣れ親しんだ人はもっと苦労なさっているのだろうか?
 それとも、完璧に別ものとして分離されているのだろうか?

 それとは関係ないが、私は食べ物に関しては日本語表記のほうが美味しそうに感じる。
 自分ではあまり意識していなかったのだが、あるとき友達と喫茶店でケーキを食べることになり、注文を取りに来たウェイトレスに向かって「この、カボチャのパイ」と言ったら、友達に「パンプキン・パイって書いてあるのに、なんでわざわざ言い換えるの?」と笑われた。
 「マロン」よりも「栗」のほうが食欲をそそるし、「キャロット・ジュース」というよりも「にんじんのジュース」のほうが体に良さそうだし、「ビーフ・ジャーキー」よりも「牛の乾燥肉」のほうが、「牛」ってかんじがして味わいがありそうではないか。
 友達にも「マクドナルドの芋がときどき発作的に食べたくなる」などと言う人がいて、たしかに「急にフライドポテトが食べたくなった」と言うよりも、「芋の揚げたやつが食べたい」と言うほうが、その衝動の深さを表現しているように思える。

 さて・・・と、そろそろ支度して、マー兄さん観に行くかね。(外出するまでの暇潰しだったらしい)
表紙に戻る / 過去の日記を読む