可燃物な日々

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2月28日(金)

 ここんとこ、規則正しい生活を送っているため、日記ものんびりしているようだ。
 仕事などで忙しくなると、いろいろと頭を回すことになるが、あまり効率のいい頭ではないので、蒸気機関車のように、石炭バスバス入れてスピードを出そうとすると、余分な熱が放出されるので、それを冷ますためにガシガシ書いていると、書いていることによってまたヒートアップしてしまうようだ。

 まあ、こうやってダラダラしているほうがいいのだが、最近とても楽しみにしていることが「今週の土曜日から、ダーマ&グレッグが始まる」ことだったりすると、「なんか他に楽しみないのかよ」と自分に突込みたくなるのであった。ほんと言うと、金曜日の「ホワイトハウス」にも早く終わっていただいて、「ER」が再開しないかなあと思っているのである。でも、「ER」は自分が忙しいときに観たほうが効果的なので、秋まで待っててもらいたいとも思っている。

 「ER」が放映していない間の(地上波では。衛星では放映しているが、それは気が付かなかったことにしている)心の隙間の穴埋めとして、先日「医者が心を開くとき」という本を買ってみた。青木みやさんの書評を読んで、私の涙腺が「これは泣けそうだ」とヒクヒクしたからである。
 予想通りに、かなり泣けた。ハンカチで涙と鼻水を拭いながら読んだ。泣ける本は電車内で読むに限る。部屋で読むとそれほど涙は出なかったりする。我ながら変な趣味である。斎藤美奈子の「趣味は読書。」の「。」は私の真珠のような涙を意味しているのかもしれない。「趣味は読書。。。。。。。。。ハンカチはどこだ!」

 そういえば、昨日は「東京では、フツーの黒人をなかなか見かけない」ということを書いたが、あのあと寝しなに思い出したんだけど、むっか〜しニューヨークに旅行したときに、友達に出した絵葉書にこんなことを書いた記憶がある。
 「街を普通に歩いている黒人の女の子がとにかく可愛くて、なんだか目の保養になります」
 ヨーロッパだってアフリカ系の人は多かったが、なぜかNYの黒人女性はみんな美人に見えた。そんでもって、スーツを着て、ヒール履いて足早に歩いていると、「ほえー、カッコいい」と見とれていたのである。
 この間、とある女友達が「特に自分の容姿に不満を持っているわけでもないけど、なれるんだったらシスターになりたい」と言うので「なんで?」って聞いたら、
 「あの尻になってみたい」
 「たしかに、日本人はお尻がペッタンコだからねえ」
 「そんで、尻の上にペットボトルなんて載せてみたい」
 「え?載るのかな?」
 「載るらしいよ」
 そう考えてみると、彼女たちのスーツ姿に見とれたのは、「ヒップで着こなしている」感じに憧れたからだと思う。下着も進化したので、胸は「寄せて上げて」が当たり前になり、女性の私ですら下着売り場で「これはサギじゃないのかなあ」なんて思うような上げ底がまかり通っているが、お尻は胸よりも矯正が難しいと思われるし、あまり矯正すると苦しくなってしまうので限界があるだろう。

 今日の会社は、みんなイベントのお手伝いに行ってしまったので静かだった。
 仕事も一段落しているので、机の引出しの中に溜まっている書類の整理をした。
 家でも掃除、会社でも掃除・・・・・
 なんかもっと建設的なことをしたい。
 建設的なことってなんだろう?

 これかな?

 アマゾンのゲームコーナーでしばらく「ワンクリックしちゃおうかなあ」とマジで悩んでいた。
 シム・シティを初めてやったのは、今から10年くらい前である。知人の家にあったノートパソコンに載っていた。モノクロ画面で当然のことながら3D画像でもなかったが、2時間ほどドップリ漬かった。知人に言わせると私は市長の才能があるようだった。「あ、すごい支持率いいじゃん、それにお金もあるし、すごいよ」と言われていい気になっていた。「でも、これって意地悪なゲームでさ、調子いいときを狙うように原発が事故ったりするんだよね」とも言われたが、短い時間だけ「市長代理」を務めただけだったので、そんな惨事も起こらなかった。

 そのゲームは、知人の仲間内でもブームになり、あるときその知人Kさんの友人A君が「やりたい」と言ったので、パソコンごと貸してあげたらしい。KさんとA君は、どうやら某大ジャズ研の先輩後輩というつながりだったようだが、A君は数々の「変人伝説」を残していて、Kさんがたまにそれを話してくれているので、会ったことはないが我々にも(Kさんは友達の勤めていた会社の同僚)A君はお馴染のキャラになっていた。

 「へー、A君もこれやったんだ。それで、A君はいい市長になれたの?」
 「それがさあ・・・・」

 シム・シティを貸してからしばらくして、Kさんは用事があってA君に電話した。もしかするとパソコンが必要になったから返してくれという連絡だったのかもしれない。
 ところがA君の様子がおかしくて「病気なのか?」と尋ねると「そういうわけじゃないんですが、しばらく外出していないんで、何も食べてないんです」と言うので、心配になったKさんはA君の部屋を訪ねてみた。そのころ近所に住んでいたらしい。

 大学生の男の子が一人暮らしする薄汚い部屋が、さらにドヨーンと重い雰囲気に包まれていたと、Kさんは語った。
 万年床に大柄なA君が半裸で横たわり、その傍らにはKさんのパソコンが妖しい光を放っていた。

 「どうしたんだよ?」
 とKさんが言うと、A君は「もう、3日もこの状態なんです」とパソコンを指差す。

 市の財政が底を尽き、公共事業が出来ないので市民も増えないし、そうなると税収も上がらないので、成すすべもなく、A君はただ衰退する自分の街を眺めていたようなのである。デフレスパイラルにがんじがらめになって引きこもっちゃったらしい。
 A君の目は完全に虚ろだったとKさんは笑いながら語っていたが、私はその話を聞いて恐ろしくなり、市長を目指すのを断念したのである。

 それから数年後、シム・シティと出会ったのは実家だった。妹の部屋で寝たのだが、そこにはファミコンもあったので、戯れにシム・シティを立ち上げてみたのだが、「どっひゃあ、何、このカラー画面、立体じゃん!ま、まぶしすぎる」と即効でオフにした。そもそも、コントローラーも満足にいじれないので、やろうと思っても出来なかったのだが・・・・

 ちょっと覇気がない今、市長を目指してもいいかな、と思ってみたりした。コントロラーは使えないが、マウス操作だったらなんとかなりそうだ。

 そいうえば、そのA君の姿を一度だけ拝見した。「Aがライブやるよ」とKさんが誘ってくれたのである。渋谷のライブハウスの昼間の公演であった。JAZZ研なだけに「チュニジアの夜」などを演奏している真面目なトリオバンドの後に、A君のバンドが登場。A君はサックスを持っていたが・・・・全裸だった。Kさんから「Aは露出狂」とは聞いてはいたが、まさか真昼間から脱ぐとは思わなかった。あのときはほんとに「近眼でよかった」と思った。同行した友達は並の視力を持っていたので目のやり場に困っていた。
 「ちょっと神経質で天才肌の奇人」というイメージをKさんの話から勝手に描いていたのだが、たしかに奇人だった。

 今日もちゃんと10時前に会社に行くことができたが、昨晩12時ごろ寝る支度をしていたらB君の電話につかまった。
 なんかまた酔っ払っているような口調だったが、花粉症で苦しんでいるようで「花粉症のいいことろは酒が飲めなくなることだな」と言っていたので、どうやらシラフのようだった。
 かなり状態が悪いようで、前にも話したことを何度も繰り返された。
 自分では「でも、もうかなりふっきれたよ」と言っていたが、「もう、ふっきれたよ」という人ほど「全然ふっきれてない」というのが世の常・・・・

 今回の電話で、またムっとしたのはこんな会話。
 「寒くても花粉で辛くても、がんばって戸別訪問してもさ、『まあ、お寒いからお入りなさい』って言ってくれる人もいるけど、ほんどが門前払いだもんなー。せちがらいよ」
 「え?なんで?」
 「なんでって、なにが?」
 「なんで戸別訪問してるの?」
 「なんでって、だからなに?」
 「ちょっと、はぐらかさないでよ。なんで戸別訪問してるの?」
 「なんでって、仕事に決まってんじゃン」
 「だって、この前までやってた○○関係の仕事は?○○省のOBに会ったとか、大手商社から粉がかかったとか言ってたけど、その仕事が戸別訪問するような仕事だったの?」
 「いや、あれじゃなくて別の仕事」
 「あっちはどうなったのよ。親から金借りてやってたんでしょ?」
 「うーん・・・・ちょっと小休止。つーか、あれを推し進めるには、150万くらい資金が必要になった」
 「戸別訪問で何やってんのよ」
 「うーん、秘密」

 ム・・・ムカツク!こっちは心配して言ってんのに!
 しかし、ほんとに彼は根っからの社会的弱者体質だなあ。
 「なんかやりたい」と言う人を食い荒らす人がこの世には多い。昔、友達が「自宅で簡単に副収入」というのをやろうとして、資料請求してみた。それは「宛名書きの内職」であったが、その仕事をするためには、封筒を買わないといけないとその資料に書いてあったので「どうしよう」と相談してきたので、「うちの母も内職していたときがあったが、材料費を買わせることはまずなかった。あなたがもし、宛名書きを仕切る会社を経営していたら、宛名を書く人に封筒を買わせたりする?内職じゃなくたって、ほんとうに働いてほしかったら、従業員にお金を出させたりしないでしょ。バイトに制服買わせたりしないでしょ?そりゃ、スーツを買わせたりするかもしれないが、それはよそで買わせるだけで、その会社にお金を払ったりしないでしょ。」と説得したら、本人も納得してくれたのでやめてくれたが、B君はそれと似たようなものに随分お金を払っているのだと思う。

 昔は「福祉関係の仕事」を目指していた。だが、それをやるためには、様々な講習会や勉強会に行くハメになり、けっこうお金がかかるようだった。
 今はなんだかわからないが、たぶんソフトを作ろうとしているのだと思う。それで人に紹介された「すごい人たち」に会っていたようだが(それで東京にちょくちょく足を運んでいた)、たぶん、「すごい人たち」は出資してくれたりはしない。その代わりに「こういうのやろうとしているんだったら、知り合いに優秀なやつがいるから」と言って、B君がお金を払う先を教えてくれるに違いない。そのお金を稼ぐために彼は化粧品や宝石を売ったりしないとならない仕組み。

 B君にこそ、シム・シティでストレスというか己の欲望を昇華してもらいたいな。
 話していて、なんだか痛々しくなってしまったので、電話は1時半には終了したので、今日もなんとか朝起きられた。

 あんまり友達のことを書くものなんだが・・・・
 でも自分が一番ひっかかった点は・・・・

 B君はかけおち同然で結婚した。夢見る青年実業家の卵と結婚することを田舎のそこそこの資産家である奥さんの実家は当然猛反対。でも、B君は彼女をすでに「悪い友人たち」から引き剥がしたので、なんとか頑張って「悪い親たち」からも引き剥がすことに成功した。彼女も自力では脱出できなかったので、そうやって自分を引き上げてくれるB君を頼もしく思っただろう。
 しかし、いつまでも夢ばかり見ているB君のことが信じられなくなり、そうなると親も「ほら、言ったこっちゃない。だから戻って来なさい」と言うので、実家に逃げ帰る。
 B君は当然、あっちの親のことも憎んでいるし、今になって彼女を取り込んでいた「しょーもない友達グループ」の悪口も言う。
 私はそこで「そりゃー大変だったね、なんなのその人たち?」と言っておけばいいのだが、どうもそれが言えない。ブッシュにとってフセインは悪の首領だが、フセインにとってもそれは同じの法則で、B君の奥さんの両親にしてみれば、「ああ、やっと騙されていた娘を取り戻した」という物語になっているに違いない。友達グループにしたって、彼女を陥れようとして仲間にしていたのではなく、ただ来るもの拒まずで迎え入れていただけだろう。たとえ、両親にせよ友達にせよ「彼女を支配しようとしていた」とするならば、そこから引き剥がそうとしたB君の行為だって立派な「支配」じゃん。なんで、そのことに気が付かないのだ!

 などと、友達の敵役の心境を想像してしまうような私は聞き役としては不適当だと思うのだが・・・・・

 今日夕飯を食べたところで聞いた後ろに座っていた女子大生二人組みの会話。
 「だって、病院で焼肉焼いてたんでしょ?そんなことしてて、逆恨みなんてチョー許せない」
 どうやら、ニュースをにぎわせていた「看護師を銃殺した元患者」の話題であるようだった。なんだか知らないけど、とても怒っていた。
 たしかに、病院で拳銃振り回す行為は許しがたいが、でも、そこまでの行為をする心境ってどういうものなんだろうか?
 私自身が興味を持つとしたら、そっちのほうであって、行為自体は否定するが、「ムカツクか?」というと、あまりにも情報が少なすぎてわからない。たしかに被害者やその場に居合わせた人や被害者の遺族は怒りに身を任せるのも当たり前だと思うが、それを二次的に知った他人が怒る気持ちはよくわからない。

 まあ、でも、B君は私に「同調してほしい」とも思ってないんだろうけどね。「今にわからせてみせる」とは思っているかもしれないけど、「ふーん、で?イマイチその説明じゃあ、よくわかんないなあ」なんて言っているのが気に入られているのだろう。
2月27日(木)

 会社がフレックス制なので、ちょっと気がダレるとだんだん出勤時間が遅くなってしまう。
 それでも遅くとも10時半前には行くようにしているので、特に問題もないのだが、一応、世間一般のビジネスアワーに経理担当者が「まだ出社してません」ってゆーのも、なんだかだらしないと思っているのだが、ここんとこダレまくっているので、遅れがちだった。総務部の他の社員も10時半〜12時くらいにバラバラに出勤してくるので、ひどいときには「総務部は午前中不在」ってこともある。そうなると、一人だけちゃんと9時半に来る派遣の人が電話対応などで大変だ。

 朝は7時半に目覚ましをセットしてある。寝起きが悪いが、一応ちゃんと目が覚める。そして目覚ましを消してからテレビをつけて、また布団に入り、芸能ニュースなどを半分寝たまま聴く。これといったニュースがない場合には、ちゃんと目が開くのは「今日のワンコ」のときである。そして、「今日の星占い」を聞き流しているうちに、8時のワイドショーが始まるので、それでやっと布団から抜け出し、ぼんやりとコーヒーを飲みながら支度して、笠井アナのコーナーが始まったあたり(8時40分くらいだが、日によって異なる)で化粧して(所要時間約5分)家を出れば、10時ちょっと前には会社に着く。

 しかし、ここんとこ、二度寝したときに本当に寝てしまい、「きょうのワンコ」のときに意識がなかった。
 これはイカンと思って、今週は「早寝早起き」を心がけ、12時になる前に布団に入るよう心がけている。おかげで昨日も張り切って11時には布団に入ったのだが、電話で起こされる。幸いなことに母上からで、「Nちゃんの初節句」のお知らせであったので用件だけ聞いて、あとは「孫は可愛い」話をちょびっとだけ拝聴しただけで済んだ。

 おかげで今日はすっきりと目が覚め(当社比。布団の中から「きょうのワンコ」をちゃんと観れたという意味)、ちゃんと10時前には会社に着いたので、きっかり6時に逃げるように帰った。今月は日曜出勤してがんばったので、仕事がかなりマイペースに戻ったのだ。そして、久々にスポーツクラブに行った。今月やっと2度目。ここんとこ、サボってばかりいるので、なかなか体が慣れない。

 こういうのは定期的にやらないと、なかなかペースが作れない。ちょっとやるとくたびれてしまうのだ。嬉々として運動している周りの客が低脳に思えてしまうくらい、すぐに飽きてしまう。それに、いくらガシガシ自転車を漕いでも、なかなか汗が出ない。脂肪燃焼もマメにやらないと、燃えにくくなるのかもしれない。シケったバーベキュー用の炭みたいだ。あまり使われてない別荘に置いてあるようなシケった炭。早く肉が食べたいのに、着火するまで大騒ぎである。
 「汚れた部屋」との戦いもまだ途中だが、「中年太り」との戦いも同時進行だ。課題は多い。ずいぶん、シケた課題だ。

 そういえば、本屋に寄ったら、「アホでマヌケなアメリカ白人」が大量に平積みになっていたので驚いた。そこはあまり大きくない書店で、雑誌主体なので、大量に仕入れる書籍といったらハリポタくらいなのだが、それに負けないくらい置いてあった。
 「私が知らないうちに、なんか話題になったんだな」
 と思ったが、どうやら今、恵比寿でやっているマイケル・ムーアの映画も連日大入り状態らしい。ニュースなどで紹介されたんだな、きっと。そんで、今に「チーどこ」みたいに、略称で呼ばれたりするのかもしれない。「アホマヌ」かな?「ホケ白(ハク)」 っていうのもけっこう音がいいかもしれない。

 あの本読んだのは、ちょっと前だし、もうMちゃんに貸してしまったので(飛行機の中やホテルで読んでも疲れないというか、笑えるので息抜きになるだろうと思って)細かい内容は忘れたが、「黒人がオレになんか悪さしたか?」というところが一番笑えた。
 笑えたと同時に、ちょっとだけ反省した。
 私が住んでいるのは、そこそこ家賃が高い地域なので、地元で見かける外人さんは圧倒的に白人が多い。でも、インド人っぽい人や、イスラム系っぽい人もいるけど、世田谷区に住んでいるだけに「ビジネスマン」な方々が多く、ビシっとスーツ着ていて身なりがいいので、私なんかよりも暮らしぶりはずっと良さそうだ。そして、そう思っているから、暗い夜道を歩いていて、ラフな服装の外人さんとすれ違っても警戒することはない。

 でも、一人だけ、どうやらうちのアパートよりも奥に住んでいるらしいアフリカ系の男性がいて、人通りが少ないアパート前の通りで夜に彼と鉢合わせると、申し訳ないけど一瞬ビクっとしてしまうのだ。彼がスーツ姿のところを一度も見たことはなく、いつもTシャツにジーンズというような服装なのだが、それがストリート系でもなくて、ただ地味なだけだ。
 別に近隣で黒人強盗団が活躍しているわけでもなく、そもそもニュース観てても、日本国内においてはアフリカ系はあまり事件を起こしているとも思えない。基地に近いところだったらまた別の悪しきイメージがあるのかもしれないが、東京近辺ではアフリカ系にまつわるネガティブ要素っていうのは「六本木あたりで女をたくさんぶら下げている」くらいだろう。ヤクの売人ってわけでもなく、偽造テレカ作っているわけでもなく、歌舞伎町を裏で仕切っているわけでもなく、ピッキング強盗しているわけでもない。

 かといって別にアフリカ系が珍しいわけでもない。ないんだけど、たとえば「中国人窃盗グループ」なんかがニュースをにぎわせていても、街を歩いていて中国語を喋っている人がいても「強盗団だ」とは思わないし、売人をやっているイラン人が何人検挙されてても「イラン人が全員そうなわけではない」と思っているが、それがアフリカ系になると「すっごいエリートか六本木や本牧でたむろしている不良」という極端なイメージを抱いているようで、「住宅街をフツーに歩いている黒人」というものにあまり馴染みがないのだ。

 うーん、なんでだろう?
 フツーの白人→ ビジネスマン 英語の先生
 フツーの中国人もしくは韓国人 → ビジネスマン 留学生 コックさん
 フツーの東南アジア人 → 出稼ぎ

 というような思い込みがあるようなのだが、そもそも英語学校にはアフリカ系の人が少ないような気がするし、出稼ぎっていっても、アフリカから出稼ぎって話もあまり聞かないし、東京で見かけるアフリカ系といえば「大使館員」か「クラブのドアマン」なわけで、「日本にいるフツーの黒人」というもののイメージが固まっていないので、アメリカ映画やドキュメンタリーで観るようなマイナス・イメージを当てはめたくなってしまうようだ。
 「中流のアフリカ系アメリカ人」というイメージがどうも少ないようなのだ。
 それが本当に少ないのか、それともメディアではそうなっているということなのかよくわかんないけど・・・・ 

 そういえば、そういう「固定観念」をからかう話として「ダンスの下手な黒人だっているだろう」というのがあるが、一度だけほんとに目撃したことがある。表参道にあったスポーツクラブが私が通うクラブと提携していて500円で利用できて、しかも当時、そのあたりで働いていた友達がそこの会員だったので、一緒に行ったことがある。
 そこで、イリヤのヒップホップのクラスをガラスの外から眺めていると、一人だけ若いアフリカ系の男性が混じっていた。外人客はただ一人だった。イリヤのクラスは情け容赦ないので有名で、多くの客は「ヒップホップ」とはほど遠い「エッチラオッチラ」という感じで、ドタバタと手足を動かしているのだが、アフリカ系の彼も「ヘッポコハッポコ」であった。
 その様子を見て、「あー、多分、私だけじゃなく、他の客も彼が本場のヒップホップバリバリで、『日本にいると忘れちゃうから、ちょっと体慣らしに来たのさ』というような華麗なステップを披露してくれると期待していたに違いない」と思った。なにしろ、リズムをちゃんととれないアフリカ系アメリカ人なんて誰も見たことがないのである。(サンコンさんはアフリカ人だから自動的に除外される。ウィッキーさんはどうだったんだろう?ちょっと気になるところだ)
 たぶん、空手なんてやったことない人が、アメリカの片田舎の空手道場に入門してみたら、そんな期待の混じった目で見られて「すいません、日本人全員がニンジャなわけではないんです」という気持ちになるのだろうが、あのときのアフリカ系の彼もそんな気分を味わったのであろうか?ちょっとインタビューしてみたかった。
2月26日(水)

●季節のバロメータ・我が家編

 ガス代が下がり始めると春の訪れを感じる。

 なぜかというと、暖房でガス・ファンヒータを使用しているからです。冷房はエアコンではなく「クーラー」を使用しているので電気代が上がり始めると夏の訪れを感じます。
 表計算ソフトが最初からくっついていたノートPCを買ったときには、月々の公共料金を表にしてみたりしました。そして、バーンとグラフにしてみると、電気とガスのラインが見事に反発していたので感激しましたが、それで満足してしまったので、それ以来そんな遊びはしなかった。あれが今までに作ったグラフの中で一番見栄えがよかった。そもそも仕事でグラフを作成したことがほとんどないんだけど。

 うちの近所では、鉢植えのピンクのチューリップが目立つようになりました。この春のトレンドみたいです。
 そういえば、春の訪れにもれなく付いてくる「花粉症」ですが、会社でも「今日はけっこうすごいみたい」などという会話をチラホラ耳にするようになりました。幸いにも私はいまのところ魔の手を逃れております。たぶん、小学生くらいまでは慢性鼻炎で、「食べるときにフガフガいうね」とか「鼻声だよね」とよく言われて、それなりに傷ついていたので、そんな私を杉が気の毒に思って見逃してくれているのだと思っています。

●他人の会話に口を挟みたくなるとき

 電車内にて。20代前半女性3人組の会話。

 「ええーと、あの人に似てんるんだよ。ええと、ほら『ラスト・エンペラー』に出てる人・・・・」
 「何の役の人?」
 「主役だったと思うけど、ほら、あの中国人の男の人」
 「中国人って・・・・子供だったんじゃない?」
 「いや、だから、子供が大きくなってから・・・・大人になってからの役の人だよ」
 「えー、子供しか覚えてないなあ」
 「あー、私わかった。だから、あの、多分、主役の人っていうか、エンペラーになる人でしょ?」
 「そうそう、なんて名前だっけ?」
 「えー、誰?わかんなーい」
 「ええと、うん、顔はなんとなく思い出した、でも名前忘れたなあ・・・・」

 ジョン・ローンですってば!

 黙って聴いているのが死ぬほど辛かった。

●他人の顔をどうしても見たくなるとき

 行き付けの長崎ちゃんぽん屋(別に仲良くしているわけではないが、「こんにちわ」といつのまにか挨拶されるようになったので、やや常連ってかんじだ)にて。店主と客の会話。

客「そういえば、やっと卒業しましたよ」
店「そうなんだ。よかったね〜、それでどうすんの?」
客「え?」
店「仕事は決まったの?」
客「いえ、まあ、今までどおりというか、そのまま ・・・・  モデル  ・・・やるつもりなんですど、知り合いの洋服屋手伝ったりもしようかと・・・・」

 蚊の鳴くような声で「モデル」と言うので、「こ、これは、こんなところで、ちゃんぽん食べているのが見つかったらマズいくらいの売れっ子なのであろうか?」と思い、顔を拝見したくなったが、カウンターのすぐ横に座っているのでそれがちょっと難しい。
 見たい見たい、スゲー見たいが、経験上こういう場合は「たいしたことない」ということもわかっているが、でも気になるではないか!
 結局、顔を拝見することができなかった。

●モデルといえば・・・・

 先週、糖朝に行ったあと、半蔵門線で三越前まで移動したのだが、途中で乗ってきて向かいの席に座ったのが、「身長180センチくらい。体重よくわかんないけど、身長160センチの私よりは絶対に軽い」と思われる金髪白人女性だった。
 その風貌から「モデルさんなのかな?」と思ったのだが、彼女は地下鉄の車内で「いかにもモデルさん」な行動をとりはじめた。
 コンビニで買ったと思しき、プラスチックの容器に入ったサラダを取り出して、食べ始めたのである。それも、ポテト・サラダとかマカロニ・サラダとかゴボウのサラダなどの「それなりに腹にたまりそうなサラダ」ではなく、やや大きめの容器に入っているが中身はスカスカのレタスが主成分の野菜サラダであった。

 そんな水っぽい栄養分もロクになさそうだし、満腹感も得られそうにない食べ物を地下鉄内で食している光景はかなり物悲しいものだったが、しかも彼女は、サラダについているドレッシングをちゃんとかけていたのである。「おいおーい、それかけたら、サラダ食べてる意味がなくなっちゃうじゃん。」と思ったが、彼女はドレッシングがべっとりとついたレタスをバリバリと勢いよく食していた。勢いあまって、野菜クズが床に散らばっていた。もしかしたら、ちゃんと買ったお店で「このドレッシングはノンオイルか?」と確認していたのかもしれない。イスラム教徒の出稼ぎ労働者が「豚肉は入っているか?」と店員に詰め寄っていたように。(って、これは吉野朔美の漫画の一場面だな)

 ほんとに異様な光景であった。モデルさんも大変だ。

 そんで、やっぱりモデルっていうのは実物よりも、雑誌で見るもんだよな、と痛感したのであった。
2月25日(火)

 最近気が付いて、ちょっとだけ愕然としたこと。

 9.11が起きたときには大騒ぎいたしましたが、今ではあのときの記憶もかなり薄れました。
 テレビの生中継で観てしまったので、ショックも大きかったけど、特に心の傷にもなっていないので「しょせん、テレビで観ただけ」だってことの証でしょう。

 しかし、このことだけは、私の心にしっかりと刻みこまれました。

 「東京が夜10時だと、NYは朝の9時だ」

 だから、なんだって話ですが、たぶん私みたいに「全然世界を股にかけて活躍してない人」にとっては時差っていうものがあるのはわかっていても、そう簡単には「今、こっちは何時だから、あっちは何時だろう」などと計算できません。たまに「NYに電話する」なんてハメになったとき(実際、私じゃなくて、私の友達がかけようとしていた)「今電話しても大丈夫な時間かなあ?」なんて言われても、「うーん、そういえば、よくニュースで『NYのマーケットはまだ開いていないので昨日の終わり値です』とか言ってるよな。でも、ありゃあ、朝のニュースか?夜のニュースか?」「どっちなのよ〜!」なんてことになりますし、自分が旅行したときにもたまに「ちゃんと生きてる」」ということを知らせるためと「日本はまだ沈没したりしてないよね?」ということを確認するために、親に電話したりしますが、そのたびにガイドブックの最後のほうに載っている「旅の情報」を開けて、時差を確認して、「プラス11時間ちゅうことは・・・・」と指折り数えてから電話していました。

 そんな時差が苦手な私でも、NYだけはもうバッチリです。でも、夜の10時以外の時間だと、紙に書いて計算しないとならないので、数十秒必要ですけどね。計算ってゆーか、22、23、24、1、2・・・・と書いた下の段に、9、10、11、12・・・って書くのですが。

 というわけで、あんな大事件でも、しばらく経つと心に残るのはそんだけかよ!と思ってがっかりしたのでした。
 テレビといえば、昨日、テレビをつけっぱなしにしていたら、「マイケル・ジャクソンの真実」が始まってしまいました。しばらく前にもワイド・ショーで紹介されてて、イギリスやアメリカで高視聴率をとったインタビュー&ドキュメント映像だそうです。

 しかし、だいたいどんな内容なのかは知っていましたが、実際に観ると、めちゃくちゃ痛い。
 なので、ちゃんと観てなかったし、最後まで観ずに寝てしまったので、その内容についてはなんとも言えませんが、一つだけ「ふーん」と思ったのは、というか、インタビュアーがどうしても引き出したかったのは「幼児虐待」のことでした。
 それがわかっていたのか、全然わかってなかったのか、マイケルは「親友」の12歳の男の子をインタビュアーに会わせて「マイケルのこと大好き。別に嫌なことなんてされたことないよ」と発言させます。
 そこで芸能ニュースでも配信されていた「今でも少年と一緒に寝てんのか?」という発言をその少年がしたので、インタビュアーは鋭く突っ込みますが、マイケルは「だって、ここに泊まる子は僕と一緒に寝たがるんだよ。皆で一緒に寝ると楽しいよ」というようなことを言うのでインタビュアーは唖然。

 しかし、報道とちょっと違うなと思ったのは、マイケルは「一緒のベッドで寝てる」わけではなく、「ベッドを少年に貸して、僕は床に寝た」と言っているところでした。インタビュアーはそれが変態行為であると決め付けているようでしたが、寝室というものに対する考え方が違う日本人である私は「あれ?ここで突っ込むべきは、本当に床で寝たのかってことじゃないの?」と思いました。もっとも、放送は吹き替えでしたので、その辺の言い回しがちょっとわからなかったのですが。

 まあ、でも、マイケルを擁護するわけでもないし、「ほんとはいったいどうなのよ!」と追究する気も起こりませんが、マイケルが本当に子供の心を持っていて、彼を囲む子供たちもマイケルを「子供同士の友達」だと認めているとすると、「たしかに、一緒の部屋で寝たくなるよな」と思いました。
 だって、私も小学生くらいのころは、「友達の家にお泊り」が楽しくて楽しくてしょうがなかったもん。
 今にして思えば、「友達と布団を並べて寝る」という行為になんであれほどハイになったのかよくわかりません。実際、中学生くらいになると、大勢で一つの部屋に寝かされる修学旅行などがウザくなりました。
 だから、マイケルが話せば話すほどドツボにはまっているのにも関わらず、「でも、皆で寝るの楽しいんだよ〜。なんでそれがわからないの?」と言い、インタビュアーが「でも、君は44歳なんだよ!」などと言っているのを観ると、「たしかに、この人、ほんとに子供なのかも」と思い、自分が子供のとき「○○ちゃんちのお母さんが泊まってもいいって、いいでしょ?」と言うと、母親に「だめよ、ご迷惑でしょ」などと言われてがっかりしたときのことを思い出してしまいました。

 しっかしなあ、シンクロできたのはそれだけで、あとはなんだか2流のサイコ・ホラーかSFかっていう展開だったなあ。
 でも、パーツはそれほどぶっ飛んでいるわけでもないんですよね。代理母に子供を産ませてる話とか、マイケルが言うと狂っているようにしか思えませんが、似たようなことをジョディ・フォスターがやっているという噂を聞いても「新しい女性の生き方」というふうに捉える人が多いと思うし、最初に子供を産んでくれた看護婦の女性の行為を「彼女は僕に子供をプレゼントしてくれたんだ」と言うと、インタビュアーがびっくりしてましたが、マドンナなんて最初からその計画で男を種馬扱いしたのに、そっちも「新しい女性の生き方」呼ばわりされているわけだし・・・・

 うーむ。シングル・マザーの地位はかなり向上したとは思うが、シングル・ファザーの旗手がマイケルだと、世のシングル・ファザーも辛いよなあ。そういえば、クイーンのロジャー・テイラーもその昔、シングル・ファザーやってましたが、あの子はちゃんと「いい子」に育ったのでしょうか?
2月24日(月)

 昨日の日記は「男の子はやっぱり地図が好き?」ということよりも、「私って子供嫌いだと思われてるけど、そんなことはないのよ」ということの表明でもあります。
 まあ、しかし、普段あまり子供と接っすることが無いのですが、赤ん坊よりも、ちゃんと喋れるくらいの子供のほうが好きです。というか、会話が成り立つと「人間同士の付き合い」という感じになるので、そのほうが「わー、かわいい、かわいい」と言っているよりも面白いと感じるのです。単なるオシャベラーなだけともいえますが。

 ですから、香港に行ったときにも、お子様たちと数日間同じ屋根の下で過ごしたことはいろいろ興味深い経験になりました。
 数年前、当時北京在住だったきょうみさんちに滞在させてもらいましたが、そのときのご長男は、まだあまり会話できる年齢ではなく、小さな恐竜のように吠えて暴れてましたので、私も彼と遊ぶときには彼の目線に合わせようと、「大きな恐竜」と化して奇声を上げながらせっかく組み立てた鉄道模型セットを破壊したりしてましたが、その彼も、もう11歳。私に口ごたえできるくらいに日本語も上達しました。

 すげー笑ったエピソードとしては、ある日、一緒にビデオを観ることになり、彼が選んだのが「ジャック・フロスト―パパは雪だるま」という映画で、「これ、面白いんだよ」とお勧めしてくれたのです。ロック・ミュージシャンだった父親が事故死したのですが、雪だるまになって復活して息子の成長を見守るというファンタジーです。

 T君はこのビデオを何回か観ているようで、「次が面白いんだよ」などと事細かに解説してくれました。彼が「面白い」というのがどういうシーンか興味があったのですが、冒頭で展開されるアメリカの雪国の子供たちの「かなりマジな雪合戦シーン」などが「面白い」ようでした。たしかに、こんな雪合戦、憧れます。
 しかし、その後T君は「この後、ちょっと気持ち悪いところがあるんだ」と警告してきました。こんな「大人も子供も一緒に楽しめる映画」に「気持ち悪いシーンなんてあるのだろうか?父親が死ぬところがグロいのかな?」と思いましたが、いよいよT君指定の「気持ち悪いシーン」が始まりました。

 「ね?気持ち悪いでしょ?」

 ツアーから帰ってきたミュージシャンの父親が、妻に「ただいまのキス」をぶっちゅぶっちゅと浴びせてました。
 アメリカの子供が観れば、どうってことないシーンだろうけど、日本の子供には「気色悪い」ものなのでしょうか?自分がキス・シーンにそういう反応したことないのでよくわかりませんが、「ぷすっ。男の子って可愛いわね」と思いました。若年層の性の乱れが問題になったりしますが、11歳だとこんなもんなのでしょうか?

 その後もT君はキス・シーンには敏感に反応し「気色悪い」を繰り返してましたので、意地悪おねーさんな私は、「フフフ、そんなこと言ってても、あと2年もすりゃ、頼まなくてもこういうのを観たくなるんだよ。むふふ」などとからかうと、「ムカツク!」とムキになって、ヌイグルミで殴られたりしました。ふふふ、自分でも少しだけ気がついているに違いない。

 ぞういう「おねーさんは大人だから、なんでもお見通しなのよ〜ん」な態度が、かなり不興をかっていました。たしかに、私だって自分の行動を大人ぶったやつに「お見通し」と言われたらあまりいい気持ちはしないでしょう。
 しかも、調子にのった私が、「じゃあ、Tちゃんが宿題ちゃんとやらなかったら、チューしちゃおうか」と言うと、T君はかなり本気で嫌がっていました。そんなに嫌がることないじゃないねー。(嫌なオバサンだ。あ、いかん、「オバサンって言うなあ」と自分に突込む)
 まあ、そんなわけで「じゃあ、イルカがチュッチュ」などと絡んで、さらに嫌がられてたんですが・・・・・・。

 あと、T君に文句を言われたのは、飲茶してたときに、彼らはあまり香菜を好まないようだし、子供って複雑は旨みをあまり好まないと思って、そういう微妙な味わいのものを食べながら、
 「うーん、これはけっこう大人の味かな?」
 などと呟いていたら、T君に
 「さっきから、オトナ オトナって、なんだかカツク〜〜〜」
 と言われてしまいました。たしかに、ムカツクよなあ。学習いたしました。(すぐ忘れるんだけどさ)

 こういう「ちょびっとだけオトナになりかけたお子様」の発言もけっこう面白いけど、そいうえば先日、朝の通勤時に電車の中で泣き止まない赤ちゃんがいました。職場のある駅に向かう途中は新築マンションが立ち並ぶニュータウンがあるので、子供連れがけっこう多いのです。
 その赤ん坊のお母さんは、必死にあやしていましたが、サイレンは鳴り止みません。そこに、3歳くらいの子供を連れた中年女性がやってきて、赤ん坊のすぐ隣に座りました。子供はどうやら彼女の孫のようです。
 3歳児が泣いている赤ん坊を覗き込むと、なぜかピタリと泣き止んで、赤ん坊は3歳児の顔をじっと見ています。
 中年女性が赤ん坊の母親に、「不思議ねえ、子供って、子供がわかるのよね」と話し掛けていました。

 私を含め、車内に居合わせた人たちは、黙って見詰め合う赤ん坊と幼児の不思議なテレパシーを観察していました。
 しかし、性格の悪い私は「犬も他の犬と出会うと、なんかこういう特別な雰囲気になったりするよな」と思ってました。動物だからこそ、互いにしかわからないテレパシーがあるのでしょう。

 などと、「まだ喋れない子供」を「犬猫と同じようなもの」と思っていた私にも、去年、やっと姪っ子が誕生して、「そうは言っても赤ちゃんはかわいい」ということを認めなくてはならなくなりました。
 そうなると、赤ちゃんに対して「やっぱ、かーわいーなあ」というテレパシーを自然と送ってしまうようで、最近、なぜか妙に赤ちゃんの視線が気になるのです。この間も、電車の中で、隣にベビーカーが置かれて、ふと視線を感じて目を上げると、ぷっくりとした可愛い赤ちゃんが私のことをじっと凝視してました。
 どうやら、私が本を読んでいる姿が珍しかったようです。よくよく観察すると、私ではなく私が持っている本に目線がありました。

 不振にあえぐ出版業界。特に若者の本離れは深刻です。本に興味を持った乳飲み子にニッコリと微笑むことで「本と優しげなおねーさん」というイメージを刷り込んでおけば、この子が将来、本を読む子に成長する可能性を上げるかもしれない・・・・と思って、ニーっと笑ってみせると、その子は私の顔をじっと見て、やはりニコっとします。
 うおぉぉぉ、かっわいいぃ!

 調子に乗った私が、挨拶代わりに手をバイバイと振ると、赤ん坊ももみじのような手をもどかしげに上げると、私の真似をしてバイバイしてくれました。きゃっわゆーい。i子様が同じように手を振る映像を見たことがありますが「あの家は、あれが家業だから、物心つかないころからこうやって家業を叩き込まれるのね」などと思ってましたが、すいません、私が間違ってました。

 気を良くした私は、さらに調子に乗って(お母さんにはアイ・コンタクトで了承を得た)今度は手を「結んで開いて」して、親愛の情を示しました。すると赤ちゃんもぎこちないながらも、ちゃんと「結んで開いて」してくれました。「未知との遭遇」で「♪ピ・ポ・パ・ポ・パー♪」とあの音程で宇宙人とコミュニケーションとったみたいな感激です。
 一通りご挨拶したあと、私はまた読書に戻りましたが(全身に「私はいい人なんですよ〜」というオーラを噴出したので、ちょっとくたびれた)、ときどき目線を上げると、赤ん坊はまだ、じっと本と私を見比べてます。その瞳は賢さに溢れていました。「なんか、この人、あれをじっと見ている。あれはなんだろう?」
 その気持ちのまま、スクスクと成長してほしい。そして、ちゃんと勉強して、ちゃんと働いて、ちゃんと年金や健康保険を納めてくれれば、私の老後は明るい!

 つーわけで、私にもお子様に通用するテレパシー能力がちょびっとだけあることが判明したので、日本の明るい未来のために頑張りたいと思います。

 子供の話で一人で盛り上がってますが、そういえばちょっと話は違うけど、私が密かに興味を持っているのが「子供は同じビデオを何度も繰り返し観る」ということです。自分が子供だったころはビデオなんて家庭になかったので、そういう経験がありません。ビデオが普及し始めたのは高校生のときだったし、そういう新しいものが導入されるのが遅かった我が家(6年前、千葉の家を売却して引き払うときにやっと「黒電話」から脱却しました)では、私が21歳くらいのときにやっとビデオが買われました。

 それでビデオ屋で借りまくって、沢山鑑賞しましたが、当時の私はとにかく沢山観たかったので、同じ物を繰り返して観ることはしませんでした。気に入ったシーンだけを見直したり、「シックス・センス」みたいに「え?そうだったの?」というような作品だけ、ちょっと早送りしながらもう一度見直したりしましたけど。

 今の子供、というか多分、今20代のひとたちはすでにそうだったんだと思うけど、とにかく気に入ったものは何回も繰り返して観ますよね。お隣の家の幼稚園の女の子は、「となりのトトロ」をとにかく毎日のように観るので、とうとうテープがダメになったらしく「また、買わなきゃ」とその子のお母さんが嘆いていました。

 子供のころの私にとっては、映像作品は「一回しか観られないもの」でした。そうは言っても、映画館で観た映画は、数年後にテレビで放映しますし、テレビ・アニメもそのうち再放送したりするし、「巨人の星」や「エースを狙え」みたいに、再放送だけでも数回繰り返した作品もありましたが、少なくとも自分が観たいときに気軽に観られるものではありませんでした。

 たぶん、レコードが普及したときとか、カセット・テープが普及してラジオが録音できるようになったときなども、そういう変化があったんだろうけど、でも、書いててだんだんわからなくなってきましたが、「何かが変わったような気がする」と思っていても、それが何かよくわからない。それに「イマドキの子供は」と言いつつ、自分だってビデオには随分お世話になっているわけだけれども、ただ、あんなに繰り返しは観ないので、その気分がイマイチわからないのでした。でも、本はめったに再読しないけど、マンガは飽きずに何度も読むしなあ。あんなかんじなのかな。そうだとしたら、別にどうってことないな。
 私にとっては、映像作品は「かつてはとても有難かったもの」だったけど、今の子供にとっては「マンガみたいな気軽なもん」なだけかもしれない。

   そんで、私にとっては今だに映画は「わざわざ映画館に出かけて、トイレ行くのを我慢して観るもの」っていう感覚があるので、「生まれたころから、好きな作品を何度も観てきた世代」に対して、なんとなく複雑な気持ちを持っているだけのようです。
2月23日(日)

 先日のこと、会社でS部長が私の直属の後輩であるT嬢となにやら話していた。
 「Tはやっぱり地図とか苦手だろう?」
 「ええ、けっこう方向音痴です」
 「やっぱりな」

 なんの話なんだろうと思っていたら、S部長は「オレは地図は大丈夫なんだよ。でも、上の階のオバサンがオレも絶対、女だって言うからさー。まあ、多少そうだと思うけどさー」
 たまらず口を挟む私。「なんなんですか?今更『地図が読めない女・・・・』が流行ってるんですか?」
 「だって、あいつ(上の階のオバサンとは、S部長よりやや年上の独身男性社員である)が、急にこれについてるテストやれって言うからさー」

 わが社では、いつのまにか「男性脳か女性脳か」が流行しているようだ。いまさら・・・・
 あの本、私は読んでないのでよくわからないが、診断テストみたいのがついていることは知っていたけど、最近オバサン化が激しいと言われている人が、誰かから「これやってみれば?」と勧められ、やってみたら「かなり女」なのが判明したのが悔しくて、「自分が女性脳だったら、あいつだってそうだろう」というわけで、S部長にやらせてみて、その結果に納得できないS部長が他の人にもやらせているらしいのである。
 小学生みたいだなあ。「少年の心をもった男性」と「小学生みたいな心をもった男性」の違いについて思いを馳せる。

 まあ、それはいいんだけど(ニッポンが平和なことを実感というか錯覚できるし)、そのS部長が「でも、男の子って地図が好きだよな」と話はじめると、他の男性社員も「そういえば、昔はヨーロッパの国名全部言えたな」「そうだろ?なんか、全部暗記するのに執念を燃やしたよな」

 その会話を聞いて、私も最近その実例と接したことを思い出した。
 香港に行ったときに、きょうみさんのご子息たちと「国名挙げゲーム」をやったのである。
 レパスルベイに行くバスの中で、ご長男のT君(11歳)が、「ねえ、ねえ、国の名前どっちがたくさん言えるかやろうよ」と言うので、「ああ、いいよー」と受けてたった。次男のK君(6歳)も「Kたんもやるーーーーー」「わかった、じゃあ3人でやろう」
 T君はそのゲームが得意なようで、次々と国名を挙げていくが、K君はまだ小さいから、知っている国名が片手で数えられるほどしかない。それでも、T君は、「ほら、いまKたんが住んでるところはどこ?」「う〜〜〜〜んと、ホンコン!」「香港ってどこの国?」「う〜〜〜んと、えっと・・・・」「中国でしょ?」「チューゴク!」と、弟のプライドを傷つけない見事な誘導で、ちゃんとゲームに参加させている姿が頼もしい。つーか、兄は大変ね。私も長子だったので、その苦労はよくわかる。

 しかし、そのテンポでやっているとゲームがなかなかスムーズに流れない。「イギリス」「フランス」「ほら、次Kたんだよ」「う〜〜んと・・・・」
 一生懸命、弟を誘導していたT君がちょっとイライラしてきたようなので、助け舟を出すことにした。私がK君の耳元で「イラク」などと囁くのである。K君が嬉しそうに「イラク!」と大声で叫ぶ様子が可愛らしかったので、私はついつい「パプア・ニューギニア」とか「コート・ジボワール」などの子供にとっては呪文のように聴こえるであろう長ったらしい国名を囁いたのであった。しかも、ほんとに小声で囁くので、よく聴き取れないK君は私にピッタリと寄り添ってくる。若い男にベッタリされて、ご満悦であった。

 ちなみに、私は普段あまり子供に人気がない。犬猫でもそうなのだが、私はそういう小動物を構おうとすると「ふへへへ」という怪しい笑みを浮かべて、「ぬふふふ」と近寄っていくので、警戒されるらしい。友達のうちの猫は、私に袋詰にされて暴れてたしな。動物虐待行為だが、ただ、ふと思いついて「♪山寺の和尚さんが 鞠は蹴りたし鞠はなし 猫をかん袋に押し込んで ポンと蹴りゃ ニャンと鳴く」を実演してみようと思っただけである。私の愛情溢れる行為は小動物には理解されない。もっとも大動物もあまりわかってくれないけどよ。

 べつにきょうみさんちのご子息を袋詰にしたりはしなかったが、イルカのぬいぐるみでツンツン突付いて「ほーら、Tちゃん、イルカがチュッチュ」などと絡む私を子供たちは「なに、この人?」という冷静な目で観察していたのだが、「山手線ゲーム・世界のお国編」が開始するやいなや、その距離があっという間に縮まり、二人は私にビッタリと張り付いて、私の一言一句を真剣に聞いているようだった。

 しかし、T君はなかなか手ごわく、アフリカや南米の国名もけっこう知っていた。ふだんから世界地図を広げて備えているのだろう。私も世界地図を眺めるのが大好きだったが、最近は現役を退いているので、国名がパッパと出てこない。それに私は、K君の分も考えなければいけないので、T君の倍挙げないといけないのである。ときどき「う〜んと・・・」と考えると、T君は嬉しそうに「早く、早く〜〜〜。時間切れだよ〜〜」と急かす。
 だんだん、くたびれてきた。
 そしたらやっと浜についたので、ゲーム中断。
 ところが、浜から引き上げるときに、またT君が「続きをやろうよ」と言い出す。子供ってけっこう粘着質なのよね。
 しかも「また最初からやり直そう」と言う。先ほどのゲームでは、さすがのT君もかなり重複が多くなり、大人の余裕をかまして「ミャンマーはさっき言ったよ」とジャッジしていたのであった。T君は自分で国名を挙げるので精一杯で私の挙げた国を記憶することが苦手のようだった。
 リセットするのはいいのだが、そうなると「中断前に挙げた国名」もアリになってしまうので、選手兼審判員の私にとってはナマクラな記憶力全開の厳しい勝負になってしまうじゃないか!・・・・などと、マジになっている自分もなんだが、子供と遊ぶときにはマジでやらないと失礼だろう。

 審判としての仕事は「重複の指摘」だけではなく、T君が「台湾」と言うと「うーん、それは国連的にはどうなっているのだろう?でも、中国政府はぜったいに許さないかもしれないが、国際社会の慣習としてはアリかもしれないからOK」とか、「スコットランド」と言うと(英国人が教師の学校に通っているので、こういう渋いことを言うと推測された)「うーん、それはねえ。まあ、FIFAだったらアリなんだけど、国連としてはどうなんだろう?微妙だが、スコットランドを認めるとややこしいことになるからそれはNGにしよう」などと、クドクドとジャッジしていたので、審判はけっこう消耗するのである。

 さて、再びゲームが始まった。またK君をサポートしなければならないので、かなり疲れる。それでシンキング・タイムが長引くと、T君が急かすし、すでに浜辺でビールを飲んでいた私はほどよく酔っ払っていたし、マジで砂遊びしていた(香港日記はまだ未完成。ファイル移動させたらリンクが崩壊して収拾つかなくなって放置している)ので肉体的にもかなり疲れていたのだが、元気なお子様たちは、私が「電池切れ」なのがわかってない。

 T君は「はやく、はやく」と言うし、私からの指令を待っているK君も「はやく、はやく」と急かすので、二人の男の子が私の顔をキラキラとした・・・・・というか、あのときの私の心境としてはギラギラと輝く4つの瞳にさらされて、「えーい!お前らヤカマしい!もう、わたしゃ疲れた。ゲームはお終い!」と暴れたくなる心境に追い詰められたが、その気持ちを一応ちゃんと説明しようと思って、

 「ちょっとぉ、あんまり急かさないでくれる?のんちゃん、今、頭の中で地球儀がグルグル回ってるんだから・・・・」

 と、言ったら、なぜか二人のお子さんはその言い回しが気に入ったようで、
「え?なにが回ってんの?」
「地球儀がグルグル回ってて、もうヘロヘロなの・・・ええと、じゃあ、コスタリカ」
「ベトナム!で、のんちゃん、頭の中どうなってるの?」
「だから、地球儀がグルグル回ってんの!ええと、ジンバブエ
「ジンバブエ! のんちゃん、グルグルしてんの?なにがグルグルしてんの?」
「だから、地球儀がグルグルしてんの!もー、火吹きそうだわ、あたし」
「火がでるの?」
「そう、地球が回転しすぎて、火がでちゃうのっ!うう、赤道ギニア・・・・」
「アルゼンチン!」
「うーんと、えっと・・・」
「まだグルグルしてる?」
「ガンガン回ってるね。サウジアラビア
「サウジャラビア!のんちゃん、なにがグルグルしてんの?」
「だから地球儀がグルグル回ってんの!」

 ほんとにヘロヘロになったが、やっとパパとの待ち合わせ場所につき、ゲーム中断。やれやれ。と思っていたのだが、K君はほんとに「地球儀グルグル」が気に入ったらしく、ときどき思い出したように、「のんちゃん、なにがまわってんの?」と唐突に聞いてくるので、そうなるとまたグルグル回りはじめるのであった。子供はその「純粋な心」とやらで、私の頭の中でほんとうになにかが暴走しているのを見抜いたのであろう。
 だって、その言い回しが気に入っただけなら、自分たちでリフレインすればいいだけなのに、わざわざ私に言わせるところを観ると、それを言う私の様子が楽しかったとしか思えない。こ、この子悪魔ども!
 でも、一晩寝るときっぱり忘れるというのも子供に許された武器である。翌日には私をボロボロにして遊んだことなど忘れてしまったようだ。

 だが、私はちょびっとだけ期待している。そのうち、彼らは「それでも地球は回っている」という歴史に残る名ゼリフと接する機会があるだろう。そのときに、白目むいて地球を回していたらしいママの友達のことが漠然としたイメージでも脳裏によぎってくれれば、私の勝ちである。

 勝ち負けの問題ではないかもしれないが、私は負けず嫌いなのである。
2月22日(土)

 出勤。
 前は印刷室だった会社の1階部分を一昨年全フロア大改装したときに、ガランとしたエントランス・スペースにしていて「1階はそのうち有効利用する」とのことだったが、いよいよそれが始動して、ミーティング・スペースにすることになった。
 とは言っても、大改装するわけでもなく、仕切りを作ったり、塗装をし直したりするくらいだった。

 先日、私がエレベーターを待っていたら、塗装のおにーさんが同僚に、「今年最高の出来だ!」と自慢していた。「今年」はまだ2ヶ月半しかないのでは?という突込み心を押さえる。せめて「今世紀最高」くらい言ってほしい。
 どうやら、天井を塗っていたようだが、仕切りの位置を動かしたので、前になにかあった跡を消していたようなのである。

 「ふふふ・・・・これは絶対にオレにしかわからないね。ここだって説明しないと誰もわかんないね。いや、指差して教えても、わからないかもしれない・・・・ふふふ」

 にーさんは満足そうに呟いていた。
 なんだか羨ましかった。

 という経過を経て、塗装も終了し、今日はいよいよ家具が搬入されていた。
 「なんか、蛍光色でけっこう派手」
 と、同僚が言うので、見にいったら、淡い蛍光グリーンの半透明なプラスチックでできたチェストや、やはりプラスチックっぽい椅子などが納入されていた。私は家具に詳しくないので、ああいうのをどう表現すればいいのかよくわからないが、表参道あたりのオシャレなカフェに並ぶようなのばかり。
 うちの会社に事務用品を納入している顔見知りの業者が梱包をほどいていたので、「す、すごいっすね」と話し掛けると、彼も「なんか、オシャレですよね」と言うので、
 「家具がおシャレでも、この椅子に座るのって、うちの社員なわけですよね?すっごいギャップじゃないでしょうか?」
 と言ったら、彼も一瞬その光景を思い浮かべたようで、プスっと笑っていた。

 帰るときには、家具もちゃんと配置されていて、ほんとうにおシャレなカフェのようになっていた。無人だとカッコいいが、人がいるとどんな様子になるんだろうか?見てみたいような、見たくないような。まあ、そのうち慣れるであろう。設計&デザインの先生は昔はわりと鋼鉄剥き出しでちょっとギーガー入ったようなデザインを好んだようだが(意味のないデコボコが好きだったらしい)最近はこういう「東京に憧れて上京したデザイン系専門学校生が夢見るお部屋」みたいな趣味に走っているので、私のいるフロアに作られたミーティング・スペースも淡い珊瑚色の椅子などが並んでいて、そこに背広着たオジサンたちがぎっしりと座っていると不気味なのだが、最近は目が慣れたのであまり違和感を覚えなくなった。

 などと考えながら、ドタバタと会社を出て、夜は飲み会。鍋が美味しかった。
2月21日(金)

 日記を書いてしまうと、掃除から逃避しようという強い力が働くようなので、パソコン立ち上げずに掃除。
 しかし、掃除の前に洗濯してアイロンがけしていたら、タイム・オーバー。「ホワイト・ハウス」が始まってしまったので、観ながらビール飲んで、さっさと寝た。
2月20日(木)

 前号までのあらすじ

 薄汚い世の中に嫌気がさした私は、抜本的な構造改革に挑むことにした。
 世界を汚すクズどもを徹底に抹殺することにしたのである。
 容赦ない粛清の結果、6tsgものクズを結界に閉じ込めることに成功した。
 そのうちの3tsgは、すでにガス室に送った。
 しかし、TCGの陰謀により、残りの3tsgを木曜日までホールドする羽目に陥ったのである。

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 夜明けとともに、3tsgを外に放りださなければならない。
 結界はうまく作ったつもりだ。
 だが、気をつけろ。TCGが指定した結界は脆い。クズどもの処理に追われるTCGは、結界を破れやすくして、ガス室送りになるクズどもの数を調整しているのだ。

 そして、TCGがクローン増殖させている、あの黒い鳥にも気をつけろ。やつらは、結界を突付いて破るようプログラミングされてるんだ。
 結界には黒い鳥に破られないようなコードを貼ったていう噂もあるが、あんなちんけなコードが役立たずだってことは誰でも知ってる。そもそも、このコードに何の意味があるのかい?「東京都推奨ゴミ袋」ってどんな意味だい?

 とにかく、クズどもは全部外に出した。あとは、なんとかなるだろう。クズどもは、もう戻ってくることはできない。
 エントロピーが減少したぞ。
 エントロピーは減少しない?誰がそんなことを決めたんだ?
 ここは私の宇宙である。私の宇宙なんだから、私の法則に従ってもらおう。

 ほーら、御覧なさい!

 「表計算ソフトで、数字入れる升目のことをセルって言いますよね」
 「ああ、言いますね。そういえば、ソフト・セルっていうバンドがいましたね」
 「マーク・アーモンドって今何やってんでしょうね。それはいいとして、セルcellって、細胞って意味でしょ?」
 「デュラセルっていう電池がなかったっけ?電池じゃないの?」
 「それもあるけど、細胞のほうが、表計算ソフトのビジュアル・イメージには合ってるでしょう。独房って意味もあるらしいけど、たしかにお部屋に数字を閉じ込めているようなかんじもするけど・・・・」
 「まあいいでしょう、細胞で。それで?」
 「世界中のオフィスで、あのセルに皆が淡々と数字を打ち込んでいるんですよ。数字じゃない場合もあるんだけど、とにかくなにか情報をセルに入れているんですよ」
 「そうですねえ。私もそういう仕事したことがあります」
 「セルに何かいれて、それをドドドっとコピーしたりすると、なんかアレって細胞分裂みたいじゃありませんか?」
 「そうですかあ?」
 「真っ白なセルしかなかったのに、それは多分、細胞膜しかない状態だったのに、私が情報を入れると、セルがまさに細胞になるんですよ。あの作業は細胞核を入れているんです実は」
 「そうだったんですか。なんだかバイオな話ですねえ」
 「だから、実はバイオなんです。毎日、そりゃあ大量の細胞が増殖しているのです。人の手を借りて」
 「なるほど、人の体に寄生して増えるウィルスみたいなもんですね。でも、ウィルスだったら、コンピュータ・ウィルスっていうのがいるじゃないですか」
 「あれは、自動で分裂しているので格が低いのです。やはり、手づくりで丹精こめて作らないといけないのです。機会で編んだ絨毯よりも、手作り絨毯のほうが高級でしょ?」
 「じゃあ、我々は、共同作業でなにか巨大なタペストリーを作っていると?」
 「そうなんです。ほら、やっぱりそう思うでしょ?会社のファイル・サーバには5年前くらいのあまり意味のないファイルがたくさん残っています。皆、それを消そうとしないのです。だから、細胞は増える一方で全然減ってないのです」
 「増えるだけ増えて、どうするんですか?」
 「恐ろしいことが起こるのです」

 あれだけクズどもを粛清したのに、この世界はまだ美しさを取り戻していない。
 クズどもの繁殖力を甘くみていたようだ。
 あいつらは、運の悪いクズがいなくなった隙間を見つけてはそこにもぐりこみ、いつのまにか隙間を埋めている。
 エントロピーの法則は闇に葬ったが、毛細管現象については認めねばならない。

 香港って街は、通販家具の理想都市だった。
 隙間家具のようなアパートでできていた。
 香港の守護神はきっと私みたいな奴だったんだろう。気が付いたら、九龍城が出来上がっていて、掃除機でホコリを吸えなくなって喘息にかかり、思い切って九龍城をぶっ壊すことにした。
 でも、ぶっ壊すだけだと、床が埋まっちゃってトイレ行くのにも大儀だと考えたので、「通販生活・神様用」をさっそく取り寄せて、「あなたの街もすっきり収納」という触れ込みの高層アパートをいっぱい買って整理整頓した。

 「すっごーい、香港ちゃんて収納上手」
 と他の神様から誉められてごきげんだ。
 でも、やっと床が見えるようになったと思ったのに、すぐに物が溢れるので、また「通販生活」を熟読してドッグ・イヤーを沢山つくり、「山の斜面でもOKな優れもの。デッド・スペースを賢く活用しましょう」という触れ込みの隙間家具を大量ゲット。これで、しばらくはなんとかなりそうだ。

 でも、いいなあ。広い部屋に住んでる人は、こんなにチマチマと収納に命掛けなくたっていいんだもんな。でも、北京に遊びにいったら、あそこは広くて平らなのに、北京の守護神はやっぱり「通販生活」で買った家具が好きみたいだった。
 隙間収納家具は、守護神たちに人気があるらしい。

 私は捻くれ者の守護神なので、隙間家具導入に反発している。
 クズどもが増えないように調整したほうがいいと思っている。「一人っ子政策」なんか効果的だ。「洗剤もトイレット・ペーパーもシャンプーも無闇にストックしないで、無くなってから買いましょう」

 ポケット・ティシュって不思議。
 たくさん貰うときもあるので、置き場に困るけど、ときどき鼻炎になるので、そうなるとあっという間に減る。
 コメ政策の縮図みたいだ。
 みんなそうみたいだから、路上でティッシュが配られていると、とりあえず受取ってしまう。
 それに、インフルエンザ及び花粉症とティッシュはかなり相互依存しているように思える。
 ティッシュを効率よくバラ撒くために、インフルエンザ及び花粉症が存在しているかのようだ。
 インフルエンザは置いておいて、花粉症とティッシュの関係を深く考えると、ティッシュの分散のために、杉花粉も分散しているとしたら、

 杉が花粉を撒く→ティッシュが大量消費される→ティッシュが大量清算される→大量のパルプが必要→大量の木材が必要

 というわけで「木」全体のことを考えたら杉の戦略は間違っているが、杉がティッシュの原料になっていないとすれば、「みんながビービー鼻かんでくれたら、そのうち世界の森の覇権は俺様のもの」になるのだろうか?

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 あー、もう、ゴミをやっと全部出したのに、(tsg=Tokyo-to Suisho Gomi-bukuro)全然片付いてないじゃない。
 これって、絶対何かの陰謀!

 と、陰謀説を展開しようとしたらこんなことになってしまいました。
 陰謀説は証明できませんでしたが、逃避にはなった。 
2月19日(水)

 昨日は、とりとめのないことをダラダラ書いていたのだが、途中で酔っ払ってしまい断筆。
 今日になって読み直してみたが、何が言いたいのかよくわからないぞー。(ありがち)

 今日は会社をお休み。
 また6日間連続出勤するのが辛いと思ったので、真中で休む作戦をたて、「平日だから美容院にでも行こう」と計画していたのだが、いつも(と、言っても年に一回だが)行っている美容院に予約を入れようとしたら、お休みだったんで断念して、急遽「平日に休みだったら行きたいところ」として、香港でも行った「糖朝」の青山店に行ってみることにした。同行者S君。

 2時過ぎに店につくと、やはり並んでいた。10人以上並んでいた。行列のできる店に行くのなんて久しぶりだ。
 香港店に比べると、こっちのほうが格段にオシャレな内装。トレンディなレストランかくあるべしという感じである。
 お粥と麺とデザート2品をオーダー。お粥は、魚介類が入っていないものを頼んだので、香港で食べたものよりもダシがあまり効いてなかったが、まあ、このくらいのお味でこの値段だったらいいいでしょう。麺もまあまあ。豆腐花は香港では冷たいのを選んだのだが、こっちでは暖かいのをオーダーしてみた。暖かいと、「甘い湯豆腐」というかんじになってしまうようだ。私は冷たいほうが「豆腐っぽい杏仁豆腐」みたいで好きかも。
 でも、この内装で、この料理で腹八分目になって一人1500円で、メニューはヘルシーというのは、それなりにニーズがありそうだ。また行きたいかっていうと考えるが、行列がなければちょっと小腹が空いたときにふらりと一人で入ってもいいお店かもしれない。3月には日本橋高島屋でも開店するようだ。そっちも行列必須だろう。
 まあ、この店が繁盛してくれれば、他にもいろいろ中国系のデザート屋ができそうだから期待しよう。亀ゼリーの店も進出してこないかなあ。あと雪蛙のカキ氷とか。

 食事の後は、買い物。三越の商品券を親から貰ったので、日本橋三越に行ってみる。いろいろ見たけど、私の欲しかった春秋用コートはいいのがなかった。値段が高いか、デザインがイマイチかどっちかだった。
 その後、銀座まで歩いて三越銀座店へ。もう6時になっていたので、三越は会社帰りの女性でごった返していた。どこが不況なんだまったく。結局、こっちでも気に入るとサイズが合わなかったりして、何も買わなかった。

 次は渋谷に行って、S君のお気に入りの服屋に行ってみると、そこで綺麗な紫色の春用コートがあって、Aラインでとても素敵だったが、消費税入れるとオーバー5万円。あれが3万円以内だったか買ってしまったかもしれないが・・・・
 というわけで、一日中、洋服屋を見てまわったのでクタクタ。
 お腹は空いたし、喉も渇いた。
 ネパール料理屋に入り、ビールをぐいっと飲み干してからバクバクと食べた。お腹いっぱいになったら今度は眠くなった。

 そんで、昨日書きかけた話だが、これがなかなか文章にするのが難しいというか全然よくわからなくなってしまった。
 要するに「死んでいるはずのものがまだ生きている」というのが重要だったらしい。
 だから、たぶん、バロウズの死後、今現在私が20歳くらいで、バロウズの小説を読んでも、あまりピンと来なかったかもしれない。あの目もうつろな、だけどスーツ着て帽子かぶったダンディな無表情なバロウズの写真があったからこそ、あれがなんとか読めたんだと思う。
 そんで、たぶん、私のバロウズ好きは、己の「ジジ・コン」とも繋がるような気がする。帽子の似合う祖父を私は大変尊敬していたのであった。単なる帽子フェチだったのかもしれない。

 とにかく「こんなブッ飛んだ小説書いても、まだ健在」というのがポイントだったとしたら、今現在ブッ飛んだ活躍をしている人たちも(最近は個人的にそういう思い入れのあるアーチストいませんが、あの当時は沢山アイドルがいた)、将来こんなかんじで生き残れるかもしれないという希望を私に与えたのかもしれない。

2月18日(火)

 昨日の夜からコソコソとゴミ出しをして、今朝も3袋抱えて家を出て、なんとか可燃ゴミ出し終了。
 これでやっと玄関の出入りがスムーズにできるようになった。モーゼがエイヤっと海に道をつけたようなカタルシス。でもまだ、不燃物ゴミがベランダに2袋と台所に2袋もあるが、それは木曜日までおあずけ。約束の地は遠いのだ。

 しかし、これだけ大量の「膿」を出したというのに、我が家の構造改革はこれと言って目に見える成果をあげていない。あいかわらず雑然としている。不良債権を処理しても、ちっとも経営が改善しない銀行のようだ。不良債権処理には当然痛みも伴う。ほんとうは捨てたくないものも、ドカドカとゴミ袋に放りこんでしまったので、その心の痛みは大きい。
 日本政府も私を見習って頑張ってほしいものである。
 と、言っても、まだ構造改革は第一段階なので、今後まだまだ膿を出さないとならないなあ。

 ところで、昨日、布団の中で気がついた。ジョニー・マーのライブに行こうと思った理由が「まだ、生ジョニーを観たことないから」だったが、「そういえば、ザ・ザが初来日したときに行ったじゃん」と急に思い出したのである。スミス解散後にジョニー・マーはザ・ザのゲストメンバーとして演奏していたのだった。
 なんで忘れたのだろう・・・・そういえば、あのときどうだったのか、さっぱり憶えていない。地味だったからかな。

 モリッシーの武道館公演はよく憶えている。
 グラジオラスを手にした観客は、開演前から大盛り上がりして、椅子に立ち上がり「も〜りし〜 も〜りし〜」と英国でのモリッシーのライブビデオをお手本にした掛け声も高らかに大騒ぎしていた。「あー、なんか盛り上がってる人たちがいるなあ。あーあ、警備員に注意されてるよ」と眺めていたら、それは知り合いの集団だった。
 ライブ終了後に、出口から門のところまで歩いていると、あちこちで友達や知り合いが立っていた。小さなライブハウスでは顔見知りに合うことはよくあるが、武道館のライブ帰りに「あっち見ても、こっち見ても知ってる人ばかり」だったのは後にも先にもあれっきりだった。

 なんでそんなに「顔見知り」が多かったかというと、あの頃、月に2回くらいのペースで英国ロック系のライブに通っていて、月に2回くらい、英国ロック系のクラブイベントに行っていたので、自然と集まる人たちと知り合いになってしまったのである。東京といえども、そういう場所に足しげく通うコアなファンは多くないので、どこに行っても同じメンツなわけで、自然と顔見知りになってしまったのである。
 そういえば、フリッパーズが解散したあと、小山田君は暇だったのか、どのライブに行っても必ず姿を見かけた。あまりにも遭遇するので「たまには、小山田が来てないライブにも行きたい」と贅沢なこと(?)を思ったものだ。

 ジョニー・マーに話を戻すと、あのころザ・ザにも参加していたが、モリッシーという強烈な呪縛から離れた開放感からか、彼はけっこういろいろなところに参加していた。音楽雑誌のレコード・レビュー欄には「ジョニー・マーが一曲だけ参加」という情報も載っていたが、私の友人の中には「前情報が無くても、マーのギターを聞き分けられる」と豪語する人が何人かいた。
 私はそんな能力なかったが、たしかにマーのギターはちょっと特色があるかもしれないなと思っていた。落ち着きの無い、躁っぽいリズムと、ややズレた感じのするコード感覚。それは、あのモリッシーの横でギターを弾いているうちに、自然と身についた処世術のようであったが、モリッシーと袂を分かったあとのマーのギターの音はだんだんと跳ねなくなっていったように思う。

 そんなことを考えつつ、また今日も「たかがバロウズ本。」を読んでいたのだが、山形氏がクドいほど繰り返し指摘しているように、私もバロウズの本をほとんど読みきったことがない。でもバロウズが大好きだった。(と思っていた)
 なんでだろう?
 元々、バロウズの存在を知ったのは、「フールズ・メイトが持ち上げていたから」だと記憶している。アングラ音楽をこよなく愛している友達の少ない少年少女のための雑誌であったフールズ・メイトは他にもいろいろ「これがわかんないとアングラ失格でっせ」というアイテムを紹介していた。デレク・ジャーマンなんかもその中に含まれるだろう。実験的な映像を次々と出していた。

 なんかアレを観ないといけないのかと思って、せっせと観にいったが、はっきり言ってどれも面白くなかった。一番納得いかなかった点は「どうも、こいつとは男の趣味が合わない」というものだった。でも「女と子供の趣味はいいんだよな」とも思った。ティルダ・スウィントンなんかモロ趣味だったんだけど・・・・「エドワードU」のティルダは絶品であった。ふわふわの羽のついたミュールが素敵だった。最近あの手のミュールが流行したが、おかげでかなり許せなかった。あれは渋谷の雑踏を歩くための靴ではない。ミュール履くのが許されるのは、「エドワードU」のティルダか、「天使」のマレーネ・デートリッヒだ!

 そういうディテール以外にはデレク・ジャーマンをどうしても面白いと思えなかったので、自分が納得がいかないと、他の人はなんであんなものを褒め称えるのか不思議に思う私は、散々友達を追究したが、誰もあれの面白さを私に説明してくれなかった。

 だから、雑誌がどう持ち上げようと、自分が楽しめなければ絶対に納得しないという自信があるのだけど、じゃあ、なんでバロウズはアリだったのかな?
 山形氏はバロウスが持ち上げられた理由として「時代背景」を挙げていて、デュシャンが便器を展示して「レディ・メイド」と銘うたのと似たようなものだと述べている。たしかに、あれと同じものを今観たって「ただの便器」でしかない。今でもときどき、レディ・メイド作品は美術館に展示されるが(私は西洋美術館の企画展で「西洋美術の流れ」とかいうのの最後に車輪が展示されてるのを見て大笑いした。同行した友達は現代美術系に疎かったので、その意味がわからず、「なにこれ?」と言ったので、私が偉そうに説明してあげました)、それを観て「うーん、すばらしい」とか言う人はいないだろう。「なにこれ?」と言うか、もしくはその歴史の流れを知っていて、「これを観た当時の人は困っただろうなあ」と想像して楽しむかだと思う。

 だが、バロウズが日本で流行したときには、そういう「歴史的建造物」としては語られていなかった。たしかに、「ちょっと昔に書いた変な小説でブレイクした人」という説明はあったが、彼はその当時まだ生きていて一応現役であったのである。「昔、やんちゃだったけど、今だにかなりやんちゃな老人」というような感じだった。

 「ちょっと前衛的すぎて、よくわかんないけど、とにかくカッコいい爺さん」というものである。
 自分の頭の中を整理して、記憶の場所を確認すると、私の中ではバロウズはシド・バレットとかブライアン・ジョーンズなどと近いところにいるような気がする。シド・バレットはピンク・フロイドの、ブライアン・ジョーンズはローリング・ストーンズのオリジナル・メンバーである。両者に共通するのは「在籍したバンドが世界的にビッグになる前にリタイアしてしまった」ということだ。シドは精神病で(クスリのせいだと言われている)、ブライアンは薬でラリっているときに事故死。

 ロッキング・オンだったか忘れたが、ピンク・フロイドのライブ評にこんなことが書いてあったことがある。「シド・バレット脱退後のピンク・フロイドはちょっとなあ、とボヤいていたあなたに捧ぐ、ロジャー・ウォーターズもいないピンク・フロイド」
 滅茶苦茶笑った。
 普通に流通している「ロック名盤」としてのピンク・フロイドっていうのは、主にロジャー・ウェーターズのピンク・フロイドだ。だが、本当のプログレ通は「たしかに、ピンク・フロイドはいいけど、でもシドがいなくなってからはなあ」とか薀蓄を傾けないとならない。そんで、シド・バレットのソロアルバムを持ってないといけないのだ。私もそういうプログレ・ファンにそう言われて、シドのアルバムを聴いてみたが、それは暗くて重くてあまり楽しいレコードではなかった。まあ、あーゆーの好きな人は好きなんだろうけど。
 そんで、10年前くらいにロジャー・ウォーターズが脱退しちゃって、ピンク・フロイドは「往年の有名ロック・バンド」として、金儲けツアーを敢行した。その行為によって、シドにすがっていた「通」たちの立場が崩壊してしまったのである。ロジャーが「おれが抜けた抜け殻をピンク・フロイドって言うな〜」と訴えたもんだから、事態はさらに複雑になってしまった。

 そのシド・バレット脱退にまつわるエピソードは、ブライアン・ジョーンズの死とよく並べられる。どっちの場合も、「伝説」が抜けてから、バンドが大ブレイクして、商業主義に魂を売り渡してしまったというあたりがポイント。しかも、シドはよく知らないが、ブライアンは「おシャレさん」だったのだ。(映画「ロンドン・キルズ・ミー」で主人公の友達役がブライアンを意識したファッションを披露している。今も健在だか知らないが六本木に店を構えていた「ルナ・マティーノ」もブライアンっぽいデザインを展開したシーズンがあった。日本人の誰が着れるんだ、こんなもん?と思ったけど)ブラインアの死後、ストーンズがファッション・リーダーになったことは無いと思う。

 ファッション・リーダーとして有名な「伝説のロッカー」としては、シド・ヴィシャスを忘れてはいけないだろう。
 ゼックス・ピストルズ自体が、巧妙にプロデュースされたバンドとされているが、その中でシドがなにかやったかというと、これと言って何もやってない。ただその存在自体がパンクそのものだっただけだ。

 ブライアンとシドとシド。
 共通するのは「ヤクでダメになった」ことである。そして、その死後(シド・バレットはその後どうなったんだ?)バンドが売れてしまった。そーゆーものに思春期の若者はすぐ感化されちゃうんですね。特に日本では「酒でダメになった人」は大勢いても、「ヤクでダメになった人」という例があまりないので(逮捕されてダメになった人はいるが)、よけいにありがたみがあったのだと思う。

 ところが、このバロウズという人は、本当なら、「裸のランチ」を書いたところでヤク中で死んでいるのが普通のヒストリーなはずなのに、今だに(当時ね)ピンピンしているらしい。すごい。と思ったわけです。
 なんか変な理屈だが、バロウズは80歳まで生きたから人気があったのだと思うのです。
 そこに私は「生きていたら、もしかしたらこんなふうに持ち上げられてたかもしれない、シド・ビシャス」を見たような気がする。パンク崩れの映画監督に頼まれて「ジャンキー大御所老人役」で映画のチョイ役で出演したり、マテリアルやYMOがバロウズの声をサンプリングしたように、世界中のハードコアバンドがシドのお声を欲しがったことでしょう。

 一番バロウズに近いところまで行くと目されていた(私の個人的意見ですが)ウォーホールもあっけなく死んでしまったし、ストーンズは今だに現役バリバリで伝説の付け入る隙がないし、かと言って伝説を背負ったアーチストはバッタバッタと死んでしまう中で、バロウズの水平飛行ぶりは目をみはるものがありました。

2月17日(月)

 昨晩は「私が出会った中で最悪の絡み酒人」について、まくしたててしまったが、かく言う私も酒癖についてはあまり自信が無い。
 絡み酒というのかわからないが、私は「男の子の髪の毛を結わく」のが大好きだった。コンパの席で男子の背後に忍び寄り、「○○君、かわいくしてあげる〜〜〜」と、自分の髪を結わいていた輪ゴムを外して、お下げ髪にしちゃったものである。「なにするんですか?」「いいじゃん、いいじゃん」とか言いながら・・・・うう、おやじくさい。
 でも酔っ払いつつも、ターゲットはちゃんと選んでいた。私は天然パーマの剛毛なので、サラサラヘアに憧れているので、当然狙うのは「サラサラ髪の男子」である。しかも、私に逆らわないような従順な性格の後輩が専らの標的にされた。

 そして、相手がされるがままになっているのを嗅ぎ付け、女の友人がさらに悪乗りして「じゃあ、化粧もしてあげるよ〜〜」と、自分の化粧ポーチを取り出す。「ほら、シャネルの口紅だよ〜〜〜〜」「や、やめてください」「だって、シャネルだよ?」
 「だから、なんなんですかっ!」
 と、抵抗する後輩君の横で、先輩の男子が「いいなあ、○○。オレの別れた彼女も、シャネルの口紅を愛用しててだな、オレはシャネルの味をまだ憶えてんだぞ。うーん、この匂い、たまらんなあ」とか、わけわかんないことを言う。

 そんなことばっかやっていた学生時代であった。
 そういや、犠牲になった後輩君たちが、どう思っていたか知らないが、ある時、私が標的にしなかった後輩男子に「どうして、僕には化粧してくれないんですか?」と、絡まれたことがある。女性の先輩が数人で寄ってたかって「かわいくしてあげてる」光景を見て、「どうして、僕のことは無視するんだ」とひがんでいたらしい。人の心は複雑である。

 まあ、しかし「お化粧大会」をやっているときの私は実はそんなに酔っ払っていなかった。
 ほんとうに酔っ払うと寝てしまったからだ。1次会の途中で潰れて、抱えられるように2次会の飲み屋に行ったものの、そこのお座敷で座布団を枕にしてずっと寝ていて、2次会もお開きになるころ、ムクっと起き上がり、「大丈夫?なんか飲む?」と言われて「ウーロン・ハイ」と即答して「まだ飲むつもりなのか?」と大笑いされたりした。

 あと、前にも書いたと思うが、酔っ払うと顔が火照るので、冷たい床などに顔を押し付ける癖があった。友達のうちの台所の床に寝そべっているくらいならいいが、飲み屋のトイレの床のタイルにへばりついているところを発見され、その姿はどう見ても「トイレでぶっ倒れている」ようにしか見えないので、友達が慌てて駆け寄り「大丈夫?」と声をかけると「うーん、大丈夫」「なんで、そんなところで潰れてんの?」「だって、タイルが気持ちいいーから」「でも、ここ、トイレだよ?汚いよ〜〜」「うーん、大丈夫」

 というわけで、自らが他人に相当迷惑をかけているので、酔っ払いには寛大なのである。
 でも、大人になってからは、それほど迷惑な行為はしていないと思う。たぶん・・・・
 寝てしまうときもあるが、起きている間はわりと記憶も残っている。

 友達でもなかなか立派な「絡み酒」がいて、彼女はとにかくクドクドと絡む。でも、彼女は美人だったので、絡まれたのが男性の場合、あまり不愉快な気分にならないようで、ニヤニヤしながら楽しそうに絡まれているので放っておくのだが、翌日彼女に「昨日、○○君にそうとう絡んでたよ」とか言うと「え?全然憶えてない。私、何話してたの?」
 付き合っていくうちに、だんだんわかってきたのだが、彼女の目がギラギラ輝いているときには、相当酔いがまわっているらしく、何も憶えていないようだった。おかしかったのは、彼女の家で宴会をしていたときに、彼女がイギリスに置いてきた彼氏に急に電話をかけると言い出し、国際電話で話しはじめたのだが、7年間もイギリスにいて英語ペラペラのはずなのに、なぜか日本語で喋っているので、「彼氏も多少は日本語できるのかな?日本人と付き合ってるわけだし」と思っていたのだが、翌朝そのことを彼女に言うと、「いや、彼は全く日本語はわからないよ」「でも、昨日、ずっと日本語でまくしたてたよ。しかも30分くらい話してたんだけど」「ええ?私、そんなことしてたの?」

 あの時イギリスでは何時だったのか知らないが、彼は彼女が日本語でまくしたてるのをどんな気持ちで拝聴していたのだろうか。もしかすると、そういうことはしょっちゅうあったのかもしれない。
 その彼女の家では、よく飲み会をしていたのだが、あるとき「○ちゃん、酔っ払ってるときに話したこといつも忘れちゃうんだから」と言ったら、「わかった、じゃあ、メモを書いておこう」と、ポストイットを取り出してメモを書き、テレビの画面に貼り始めた。その様子を見て「あ、もうかなり酔っ払ってる」と思ったのだが、案の定、翌日「ほら、昨日一生懸命メモを貼ったでしょ?」とテレビを指差すと、「あ!そうだったんだ!朝起きたら、なんかゴチャゴチャ貼ってあるんで、誰がこんなことしたのかと思ってたのよ。自分でやったんだ。アハハハハ」

 話は変わるが、先週「たかがバロウズ本。」が届いたので、さっそくボツボツと読んでいるのだが、この本はなんで「。」がついているのだろう?斎藤美奈子の新刊も「趣味は読書。」で「。」がついている。なにかの流行なんだろうか?そういえば「モーニング娘。」も「。」がつくのが正しいらしい。
 
2月16日(日)

 日曜だけど出勤。
 いつもだと、土日に出勤するときには、いつもより遅い時間に出社しているのだが、総務課長が私が日曜日に出勤する予定であることを知り「工事が入ってるから、9時には出てきてよ」と言うので、仕方なくいつもより1時間早くに出社。
 しかし、他のフロアでもっと早く出社した社員がいたようで、私が早起きした意味が無くなってしまった。

 無駄な早起きをして、がっかりしたが、「でも、早く来たんだから、早く帰れるじゃん」というわけで、5時には会社を出て、途中駅で下車してデパートへGO!
 風邪に倒れる前に、ちょくちょく下見していたので、「やっぱアレを買っておこうかな」と思ったものがいろいろあったのだ。
 まず、靴屋で靴を試して、即購入。今履いている同じメーカーの靴は、すでに5年近く履いているので、そろそろ交換時期だろう。14000円と、私としては高価な靴だったが、最低でも3年履くと思えば安いもんだ。
 そして、服屋もうろうろしたが、デパート内の服屋はやはり怖い。だって「ゆっくりご覧くださいね。ぜひ鏡で合わせてみてください。春物も沢山入荷しております」なんて声かけてくるんだもん。デパートの服屋はやはり一人では試着できないので、今度護衛をつけて挑もう。スポンサーだと尚可だが、それは高望みですね。

 そんで結局、前から目をつけていたスカートを試着しに、コムサISMに入る。ここは、ファミリーアイテム主体だし、お値段もお手ごろ。スカートと対になっているジャケットも試着してみたら、なかなかいい感じだったので、思い切って両方買うことにした。ついてくれた店員がなかなか感じのよい人だったので、ついでにシャツも選ぶ。値段を確認したら2900円だったので、思い切って2着買う。買う気のときに買っておかないと、またいつ買い物衝動が訪れるかわからないからである。
 スーツとシャツ2枚で、合計27000円ちょっと。アニエスbで春物コートの可愛いのがあったが、値段を見たら「げ、42000円?」だったので、あれを買うことを考えれば安いものだ。
 なにしろ、この春の服飾費として私が用意した予算は10万円なのである。(自分では清水の舞台から飛び降りるような金額であるが、普通のOLとしてはかなり貧弱な予算だと思う)今日でやっと4万円ほど遣ったわけだ。

 慣れない買物をしたせいで、脇の下にどっぷり汗をかいていて、外に出ると寒かった。買い物依存症の人は、この興奮状態が心地よいのだろうけど、私は買い物で出る脳内分泌物の刺激が苦手らしい。
 でも、洋服一揃いと靴も買ったので、家に帰るとさっそく鏡の前でファッションショー。部屋の中で靴も履いて鏡みてうっとり。買い物で楽しいのはこの瞬間で、あとは別にどうってことない。鼠や雀を狩っても、すぐに興味を失う猫の気持ちがよくわかる。でかいブランド袋をぶら下げて歩くときが一番充実しているのである。

 さて、今日買ったのは洋服だけではなくて、マー兄さんのコンサートのチケットも買いました。モリッシーは2度実物を拝んだが(初来日の武道館と去年のサマソニ)、考えてみれば、ジョニー・マーは観たことなかった。友達がフジロックで観たときに、感想を聴いたら「まあ、それなりに良かったけど、すごく感激したわけでもない」という評価だったので、それほど観たいとも思わなかったのだが、ジョー・ストラマーが突然死んじゃったこともあり、「今のうちに観ておかないと死んだら後悔するかも」と思ったのである。かなり後ろ向きな理由だが、最近はあまりコンサートに行ってないので、たまには行きたいなぁと思っただけだ。そういえば、マッシブ・アタックも来るのだが、ベイNKホールはやだなあ。もっと他の場所だったら行くのによー。ベイNKホールは舞浜の駅からバスなので面倒だ。

 はー、なんか今日はお金遣ったなあ。
 ちょっと内需拡大ハイってかんじだ。

 内需拡大に貢献自慢はさておいて、稲本さんの日記を読んでいたら「全日本絡み酒選手権」という話が書いてあったが、それで急に思い出した「私が知っている中で最悪だった絡み酒人」の話を掲示板に書こうと思ったが、ちょっとヤバいネタなので 他人のところに書きにくいので、自分のところに書いておこう。

 もしかすると前にも書いたかもしれないが、大学時代のサークルの友人Y君のことである。
 Y君は、格闘技の心得があった。少林寺だかなんかだったと思う。ガタイも良くて、甘いマスクの好青年。ケインコスギみたいなキャラを思い浮かべてくれればいいと思う。
 しかし、Y君は酒癖がめちゃくちゃ悪かった。
 どう悪かったかというと、通りすがりの全くの他人に突然「てめえー」とか言って向かっていくのである。私も何度か現場に立ち会ったが、なんの罪もない相手の人はとてもビビっていた。コンパ帰りで、周りの学生たちも皆ベロンベロンだったが、Y君が見知らぬ人に絡んでいくと、すぐに酔いも覚めて、真っ青になって止めに入るのだが、格闘技の心得のあるガタイのいい青年が酔っ払った勢いで暴れているのを阻止するのは大変な作業だった。なにしろ、Y君と私が所属していたサークルは「美術研究会」なのである、もっとも酒飲んでばかりいるサークルであったし、一部の部員は麻雀に闘志を燃やしていたが、腕っぷしに自信のある人はY君の他にはいなかった。だから酔っ払ったY君を他の部員では止められなかったのである。
 Y君がどんな人物を標的にするのか、まったく予想がつかなかったが、私の観察によると「自分より明らかに弱そうな人」に向かっていくようであった。ガンつけたとかそういう理由ではなかった。
 ある年の文化祭のとき、展示場で酒盛りをしたあと、皆で帰ることになって大学の廊下を歩いていたら、廊下の出口近くの公衆電話で電話をしている男性がいた。20代中ばの人で学生ではないような普通の人だった。その人にY君は向かって行ったのである。
 電話をしていた男性は最初何が起こったのかわからなかったようだが、Y君の拳が自分に向かっているのがわかって慌てて逃げようとしたが、なにせ電話中である、オロオロしていると、Y君は公衆電話に一撃を加え、多分通話が切れたと思う。
 相手の男性も、かなりムっとしたようで、「なにするんだ!」と言うと、「てめー、こんなとこで電話してんじゃねーよ」とY君が吼える。慌てて止めに入る私たち。しかし、「美術研究会」の会員たちは、横綱に挑んだ子供のようにバッタバッタとなぎ倒されていく。見かねて私も「Y君、ダメだよ!」とY君の肩をつかむが、あっけなく床に放り投げられた。
 床に這いつくばりながら私は決意した。こいつの結婚式があったら乗り込んでいって「この人は、私を床になぎ倒しました。そーゆー男です」とスピーチしてやる、絶対にやってやる。

 しばらく暴れたあと、なんとか男性4人くらいでY君を押さえ込むことができた。相手の男性も怒り心頭である。「ちゃんと出ること出てもいいんだけど、僕もこの大学のOBだし、せっかくの学祭をこんなことで台無しにしたくないし・・・」と大人の対応をしてくれたので、女性陣で「すいません、ほんとーにすいませんでした」と平謝りに謝ってなんとか許してもらった。

 そんな場面に私も何回か立ち会っている。私が参加しなかった飲み会のときに、Y君は先輩を殴ったこともあるそうだ。そのG先輩は、色白美男子で性格もフニャっとした女性好みのキャラクターだったので、Y君はずっと気に入らなかったらしいのだが、「つかみかかった理由」がなんとなく推測できたのはその件だけで、あとはほんとにただの通りがかりのサラリーマンなどに挑んでいた。

 これだけだと、「単なる酒乱」であるが、たしか3年生くらいになったとき、Y君は突然、酒癖を変えた。
 あるときの飲み会で、突然こんなことを喋り始めたのである。

 「ねえ、もしも、ハゲとサリド○イド、どっちかになるとしたら、どっちが嫌?」

 私の横にいた男子が「お前、またその話かよ」と呟いたので、Y君の最近のお気に入りの話題らしいことがわかった。
 そもそも、酒の席でサリド○イドについてそういう風に語ることに嫌悪感を覚えた。
 「そんな話・・・やめようよ」と言うと、「あれ?僕はサリド○イドについて悪く言う気はないよ。だた、ハゲとどっちがいいかなって聞いてるだけじゃん」
 「どう考えたってハゲのほうがいいに決まってるじゃない」
 と、うっかり言うと、ここからY君の「絡み酒」の本領が発揮される。「オレは、ぜったいにハゲだね。ハゲるくらいなら、サリド○イドになったほうがいいね」

 詳細は不快だったので忘れたが、とにかく彼はこの議論に相当な自信を持っており、かなり場数を踏んでいるようで、やり方を心得ていた。「サリド○イドよりハゲのほうがいい」と言ってしまった瞬間、「サリド○イドについて偏見を持っている」という自責の念を相手に喚起させつつ、それをハゲと並べることによって、相手をかなり霍乱するのである。そして彼は「ハゲのほうがヤダ」」という理論武装をしており、酒の席ゆえ、誰もそれを論破できなかった。てゆーか、論破しようとすると、自分の中の「適切な表現」と闘わなくてはならなくなるのである。

 もう、とにかく酒の席でそういう話をすることが嫌だった。
 そもそも居酒屋で「ハゲ」とか「サリド○イド」と大声で連呼されるのが嫌だったが、それは自分の中にある差別感情が露わになってしまう不快さでもあった。そこがY君が目をつけたところだと考えると、ほんとに嫌だった。
 特に真面目な人がそれに引っかかりやすく、かなりやり込められていたが、Y君は「ハゲとサリド○イドを並べると、皆なぜかすっごく困るみたい」ということを熟知しているようで、話題を切り替えてくれないのだ。
 まだY君が暴れてくれれば、体力勝負で阻止できるのだが、彼はいつのまにか「言葉の暴力」に変身していたのである。そのほうが、効果が大きいと思ったのだろうか?

 とにかく、Y君があのとき、どのくらいネチっこい理論展開をしたのかは忘れてしまったけど、不愉快だった気分はいつまでも忘れない。そして、不愉快な表情をしていた私の様子をY君が楽しんでいたということも忘れない。
 酒を飲んでいないときの、昼間のY君は、ほんとうに好青年だった。「この人を両親に合わせたら、親は大喜びするだろうな。」と思ったものだ。そして、たまにY君が彼女を連れているのを目撃すると、「この彼女は、Y君の酒の席での姿を知っているのだろうか?」と思ったものだ。

 Y君で散々懲りた経験があるので、私はそんじょそこらの「酒癖の悪さ」にはビビらなくなった。あれほど人を物理的にも精神的にも傷つける酒飲みにはあれ以来会ったことがない。
 ただ、「好青年」や「スポーツ青年」に異常に警戒心を抱くという心の傷は残ったような気がする。

 そうか、縁遠くなってしまったのはY君のせいかもしれないな。(飛躍)
 今はどこで何やっているのか知らないが、「優しくて逞しいマイホームパパ」などを平然としてやっていることを知ったら、ちょっと破壊しに行きたくなるかもしれない。

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