可燃物な日々

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10月31日(木)

 10月も終わりか・・・・
 たまには、仕事の話以外にも何か書きたいな・・・・
 なんかないかな、仕事以外に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





 これじゃ、なんだか「寂しい人」だよな。
 まさか、自分が30代も後半になってから、こんな状態に陥るとは生まれたときには考えもしなかったが、人生とは先が読めないものだ。
 でも、予想外の人生が待っているのだとしたら、60代後半になってから急にくじ運が良くなったりするのかな?
 それで、甘味屋さんであんみつ食べたときに引かせてくれるクジでまず、あんみつがタダになり、お会計のときに引かせてくれるクジで「お土産用のあんみつ」が当たったりするのかな?(←友人の中で最もクジ運がいいと言われていた友達の学生時代の実話。本人はそんなこと忘れているかもしれないが、私はその場に居合わせたのでよく憶えている。ちなみに、彼女は車も当たったことがある。もちろん甘味屋で車が当たったわけではない。)

 あきらめて、今日も淡々と業務日誌を書こう。こういうときもあるさ。
 まず、内容証明であるが、派遣の人にお願いして、一駅先の本局まで行ってもらった。そしたら電話が入って「ダメだったんで戻ります」(ダメなときもあるから、そうなったらキッパリあきらめて、さっさと帰って来てください、とあらかじめ言ってあった)
 何が間違っていたのかと思ったら、「書面の中に相手の住所が書いてなかった」そうである。そうだよ、封筒を書こうとしたら住所がなかったんで、上司に調べてもらったんだもの。「フツー、こういう法律っぽい書類って、相手と自分の住所を書くもんだけどさ」と思ったのだが、でも、契約書でもないし、「もっとソフト」と言っていたので、それは「故意」であると判断して何も言わなかったのだけど、そうか・・・・・
 でも、内容証明がなんでダメかということは、こうやってアルゴリズム的(と言っていいのか?)に憶えていくしかないのよねー。法律事務所などでは、日常的にやっているからノウハウが蓄積されているだろうけど、年に一回出すか出さないかという職場では、こうやって日進月歩じゃなくて、年進世紀歩くらいのペースでやっていくしかないだろう。

 お遣いに行ってくれた人が「私の前に並んでいた人も、ダメだって突っ返されてたんです。内容証明ってキビしいんですね」と言ってくれたので、ちょっと安心した。(We are not alone!)

 決算期末なので、交通費の清算などがドカドカ回ってくる。それはいいのだが(早く出せってメール出したし)、皆、自分の清算しか出していないので、平気で「お金まだですか?」と貰いに来るので、伝票の山というか山脈を展示して「この惨状で、ミヤノさん大変不機嫌になって何もしなくない気分なんです」と追い返す。
 別にそれが仕事なので、それほど不機嫌になっているわけでもないが、プロパガンダとしてそうやっておかないと「まだかまだか」と言われるのが嫌なので、「なんか経理大変なことになっている」と言いふらしてもらえるよう、精一杯不機嫌な顔をしたり「もーヤダこんなの処理すんの!」と叫んでみたり、けっこう大変。

 で、結局、今日回ってきた大量の伝票には手をつけず、今日は休みだった後輩に全部やらせることにした。
 ところが、夕方になって、「このお金がないと家賃が払えない」という営業部員がやってきた。彼女はいつもそう言ってせかすのであるが、それでも懲りずに毎回3か月分くらい平気で溜め込んで来るので、その内容をチェックするだけでも大変なのだが、金額も10数万円になっているので、「そりゃ、家賃支払えないだろう」と同情するが、でも、せめて月に一度は清算すればいいのに、仮払いにしたってなかなか清算してこないのに、やっと出したかと思うと不足分を今すぐくれというは失礼だと思うのだが、本人も一応いつも「また叱られにきました。すいません」と低姿勢なんだが、でも行動自体が傲慢そのものなんですけど、いつになったら学習してくれるのであろう。
 その人のお金を渋々出したら、演技を超えてほんとに「不機嫌」になってしまった。

 というわけで、こんな感じで10月も終了。地獄の11月が始まる。去年の11月もちゃんと休みがとれなくて12月に振り替えたりしたのであった。今年はどうなることやら。 
10月30日(水)

●裸の王様の耳はロバの耳

 という言葉を声に出して読みたいどころか、声が枯れるまで叫びつつけたくなった。ということは、今日もとても忙しく(昨日、休んだからだ)ドタバタと大荒れしていたのである。
 最近なんかいつもこんなかんじで、愚痴愚痴しているし、怒りっぽく(ネット上では。現実には怒りがあまり表面に出ない)なっているようで、この日記もなんだかキリキリと書いているようで、「もう、ちょっとはんなりとした文章が書けないものかな」と反省しようかと思ったが、私は自分が「ぐぉぉぉぉぉお!」と勢いだけで怒りをぶちまけている日記を後で、のんびり読み返し「あー、そーいえば、こんときゃ、なんかこんなかんじだったなあ」と他人事のように鑑賞するのが好きなので、このままでいいのです。

 今日は何にご立腹だったかというと、時々登場するT部長にである。T部長と言えば、私が忙しくなったときに「パート雇えば?」と無神経に言って私を絶望の淵に突き落とした直後に「こんな時間に悪いんだけど、交通費清算してくれる?」とわざわざ金庫締めたあとに伝票を持って来たり、堂々とケミストリーを会社でタレ流したりするという、なかなかの無神経ぶりを発揮しているのだが、たぶん自分では「ボクってフェミニスト」とマジで思っているような人物である。
 まあ、そんなふうに思っているのは私だけではなく、女子社員には、あまねく平等に嫌われているのだが、みんな大人だから、賢いギャルは「スタバ奢って〜」とオヤジ転がしで潤い、そこまで世渡りに長けていない昔のギャル(私を含む)は、T部長が「おやつでも買って来る?」(彼が買って来てくれるわけではなく、お金出すから買って来いという意味らしい)と「奢り」をちらつかせても「今、あんましお腹空いてないし〜」と無視しているのである。
 まあ、それで時々、「女の子」ではなくて「お腹を空かせた男の子」に「え?マジっすか?オレ買ってきますよ!」とたかられてしまう姿を見ると気の毒だとは思うけど「スタバにまた貢いじゃったよ〜」と嬉しそうに愚痴っているので、それでいいらしい。

 で、T部長の人物のおさらいはこれくらいにして、一昨日の話から始まる。
 私の上司であるO総務部長が、T部長に「Tさん、内容証明ってどうするのか知ってる?」と質問していた。
T 「ああ、とりあえず、内容は僕が考えるよ」
O 「それはもちろんなんだけど、内容証明ってどうするの?」
T 「でもさ、送っても多分、受け取られないで戻ってくると思うんだよね」
O 「まあ、いいや、とにかくTさんが作ってくれるんだよね」

 O部長が「どうすんの?」と聞いているのは「内容証明の作成方法」を確認しているのである。と、そのとき思ったのだが、T部長はそれが「受け取り拒否」に遭うという予想をしているだけで、二人の会話が噛み合っていないと思ったのだが、でもそのときにはいったい何のためにどこに内容証明を送るのかわからなかったし、「内容証明なら、以前にも作成しましたよ」と口を挟むのも面倒だったので、黙って聞いていた。どうせ、後になって私がやらされることになるだろうし、運が良ければ他の人に回るだろうから。

 今日になって、また二人の会話が再燃していた。
O 「で、内容証明なんだけどさあ・・・」
T 「ああ、そうだ。それって用紙って用意してあるの?」
O 「用紙なんてあるの?」

 要するにOさんは何にもしていないし「用紙云々」を言うところから、「内容証明の作成方法」を知らないらしい。(たしかに、用紙は市販されているらしいが、ワープロが普及して以降、そんなもん私は見たことない)
 私はその会話を聞いていて、ちょっと心配になったので、O部長に向かって、
 「内容証明送るんですか?あれって本局に行かないとダメなんですよね・・・」と言ってみたら、
 「え?そうなの?あそこの郵便局じゃダメなの?」
 「前に送ろうとしたときに確認したんだけど、一駅先の○○郵便局に行かないとダメらしいんですよ」

 ちょうど、側にいた総務課長は元々不動産会社に勤めていた人なので「内容証明か・・・行数制限とか面倒なんだよな」と呟くので、私が「そうそう、20行だかなんかで・・・」と言うと、すかさず「20行で26列以内」と言うので、「あ、さすが、わかっている人はわかっている」と和やかに会話していたら、T部長はスーっと引っ込んでしまった。

 どうやら、社長から「○○に内容証明送るように」と指示されたのだが、内容証明なんて作ったことないらしいのである。
 私はこの会社で一回だけ作ったやつの控えを大事に保存しておいたので、すぐにそれを出して見せてあげた。
 「こんなんでいいらしいですよ」
 O部長が「じゃあ、これをコピーしてTさんに渡してあげて」と言うので、すぐにお渡ししたのだが、それを見るなり、

 「でも、今回のはこんな堅い文章じゃなくて、もっと柔らかい話なんだけどな」

 だとよ!けっ!
 文章のお手本として出したんじゃないわよ。レイアウトの参考のためだって言ってるじゃん!堅くて悪かったわね。支払いしてくれない会社に宛てた「催促状」だし(決算時で損金にするために出したのよ〜ん)、字数制限内で間に合わせようとすると、シンプルでそっけなくなっちゃうのよ!そんな文章だって、他に誰も作れないらしく「どうしよー、どうするんだ?」と騒ぐから当時契約社員だった私が「給料安いのにさ」とブーたれながら作ってやったのよ。

 T部長が苦手なのは、こういうところだ。彼は「自分がよくわからない」というときに「わからない」とは絶対に言わなくて、こういうわけわからないこと言って逃げるのだ。
 前にも営業が得意先に「こんな契約でどうでしょうか?」と叩き台で持っていく契約書を作成するときに、なぜか社内では「契約書に詳しい」と言われているT部長が指示して、なんでだか知らないけど私がそれを実際に作ることになって(契約書の管理は総務でやっているので、作成も総務の仕事だという理屈らしい。私が選ばれたのは、前から簡単な契約書の作成をさせられていたからだ)、そのときに営業が持ってきた資料が「プレゼン資料」で、「いったいこれを元にどういう契約書を作れっていうわけ?」と呆然となったが、とりあえず「契約書のエキスパート」らしいT部長に「どうすればいいのでしょうか?」とお伺いを立てたら、どこからか古い契約書のデータを取り出してメールしてくれたので、「これだったら、あたしは原本持っているわよ。だから、これをどうアレンジするわけ?」と思ったが、それに対する回答もチンプンカンプンで、

 「合意裁判所は東京裁判所でいいと思うよ。あとはこれを元にして作ればいいから」

 合意裁判所なんてどうでもいいだろう、ブァッカ(バカの最上級)!!!!

 「甲が先方で、乙がうちでいいと思うんだ。あと、日付を直して、甲と乙の捺印する場所を作って・・・・」

 そんなのわかってるって、ドアホ!

 結局、彼が全然役に立たないことがわかり、かと言って営業もどんな契約書を作りたいのかもさっぱりわからないし、とにかく「あれもできます、これもできます」というヤル気満々のプレゼン資料と見積書を契約書にパッケージするなんて、私の想像力を超えたことだったし、それに「こんな面倒なことやる給料貰ってないし、うっかり真剣に取り組んでちゃんと作ってしまったら、次々にこんな仕事が来てしまう」と判断したので、一日中格闘したフリをしてから「やっぱわかりませ〜ん、ここまではできましたけど」と「何かあったときにはちゃんと話し合いましょう」だの「合意裁判所」だの、世間の多くの契約書がただひたすらコピペしている最後の3条文くらいだけ作成して営業に返してしまったのであった。

 今日の話に戻ると、結局T部長は「ベタ打ち」で文章だけ書いたようで(見本見せたがすぐに突っ返してきた。その態度も大変失礼である)、O部長がそれを「20文字、26行」に直していた。そのくらい自分でやれ!(たぶんO部長も私に頼みたかったんだろうけど、T部長に「じゃあ、原稿をミヤノさんにデータで送ってあげてください」と言ったら「君もちゃんと目を通さなくちゃ!」と言われたし、私がドタバタ駆けずり回ってピリピリしていたのがわかったらしく自分でやってた。その後、「じゃあ、明日出しておいてください」って渡されたので「相手の住所は?」と聞いたら慌てて調べていた。郵便は住所がわからないと送れませんって)

 あー、もー、ああいう気取ってカッコつけているばかりで、何にもできないやつが一番嫌いだ。
 そんで私の仕事が増えるわけだし。
 それだけだったらまだ我慢するが、平気で「経理も忙しそうだから、人増やせばいいのにね」と理解あるようなことを言うのだが、「忙しくしてくれているのはあなた様でございましょう」、と声を大にして言いたい。

 しかも「もっと柔らかくしたい」と言うのはいいが、思いっきり2枚分の文章作ってくれたので、綴じて割り印まで押さないといけないじゃないの!
 そもそも受取り拒否必須らしいのに、「あなた様と私どもには深いご縁がございますので、こんなお願いするのは心苦しいのでございますが」というような長ったらしい文章書きやがってさー。電話にも出ないから送るんでしょ?てゆーか、相手の会社がもうそこには存在していない可能性が高いから、わざわざ内容証明で送るんじゃないのかにー。

 あったくバカばっかでやってられんのに、今日は明日の資金繰りでドタバタして、そんな内容証明の作成までやらされたもんだから、うっかり明日支払いをオンラインで振り込み処理するのを忘れてしまったので、残業中にそれに気がつき、頭を掻き毟ったのであった。

 はあ、めいっぱい悪口書いたら、ちょっとすっきりした。
 私の上司は、そういうところ全然カッコつけないから好きなんだけどな。「内容証明?何をどうするんだろう?」と、自分がわかっていないことをちゃんとアピールしてくれて、私がネットで探してあげた「内容証明作成方法」を眺めながら一生懸命作っていたし・・・・。
 「手伝ってあげたくなる人」と「絶対に手伝いたくない人」の違いについて思いをめぐらす秋の一日であった。

 秋といえば、ついこの間まではオフィスで軽く冷房いれたりしていたのに、先週くらいから「涼しい」を通り越してすっかり寒くなってしまった。こんな陽気だから、会社でも咳やクシャミが一日中途絶えることなく「カゼの大合唱」状態で、こうやって冬が近づいてくるんだな。(寒いの嫌いだからちょっとブルー。今日なんて早くも「布団から出たくない」と思ったし)

 しかし、ここんとこ日記が長いのは、スポーツクラブに行ってないからだな・・・・なんとかまた復帰しないと。
 スカートがキツくなってきたので・・・・(切実)

10月29日(火)

 今月の休みがまだ一日余っていたので「長野の祖母大輸送作戦で手が足りなかったら、私が港区の祖父を担当してあげましょう」と申し出て今日休みを確保していたのだが、どうやら長野の老人ホームにいた祖母は、かなり元気だったようで、実家に一日だけ滞在しただけで父に連れられ東京都下の老人ホームに日曜日に無事お引越ししたようで、今日は母と二人で祖父の傍についていることになった。

 どうやら祖父は、また「痛み止め」を増量されたらしく、またラリってしまったようで、医者は「また減らします」と言っていたが、かなり意識は混濁しているものの、私が昼前に到着して「おじいちゃ〜ん、お見舞いに来たよ〜」と言うと、「おお、ミヤノか」とすぐにわかった。
 でも、私の隣にいる女の子が誰だかよくわからないようだったが、それも仕方あるまい。彼女は昨日から祖父の担当になった「看護実習生」なのである。私に向かって「ご親族の方ですか?」「はあ、孫なんです。この人(母)の娘」「そうですか。私は看護実習生のTと申します。よろしくお願いいたします」と、丁寧に挨拶してくれた。

 祖父や祖母が数年前だか十数年前に同じ病院で胃の手術したころは、この病院の「看護婦さん」たちは、「白衣の天使ルック」に身を固めていたはずだが、看護婦→看護師への変更のためか、現在の看護師さんたちは、医者をもっとダボっとさせたような、昔の病院だったら食事配膳担当者とか入浴担当者が着用するような「パンツルック」で、あれが何の役に立っていたのかはわからないが、白いナースキャップをかぶっている人はもういなかったので、「時代も変わった」と、ちょびっとだけ私の中の「おやじマインド」が嘆いていたのだが、この看護実習生さんは、スカートだし提灯袖だし、ナースキャップもかぶっているしで、そのメンソレータムな出で立ちに、心の中では「キャーキャーキャーかっわいい!やっぱ、看護実習生はこのスタイルを替えないのね?でも男の子はいったいどうしているのじゃ?」と思いながらも、そんなこと全然考えてませんよ〜ん、な冷静な笑顔で「我がままな祖父ですが、どうぞよろしくお願いします」と挨拶。我ながら猿芝居である。

 今日の祖父はずっと夢の中だった。医者が診察に来たときには、それが「先生」だとすぐにわかるのに、「ここは雅叙園ですか?」と意味不明の質問するので、医者が苦笑しながら「え?雅叙園は目黒でしょ?ここは三田ですよ」と真面目に対応していたが、その後も祖父は、「ここは池袋か?」などと言うので、「おじいちゃん、勝手に山手線を彷徨わないでくれる?」と律儀な孫は必死の突っ込み。なんで山手線ゲームに突入しているのだ?

 母は祖父が変なことを言うとちょっと心配になるのだが、医者が「ちょっと貧血気味みたいですね」と言っていたので、その後祖父が言った謎の言葉「サンマが泳いでいる、いや、イワシかな?」「え?イワシ?イワシは最近高値らしいよ」「そうみたいだな」(←なぜかまともな受け答え)「ここんとこあまり採れないらしいんだよね。おじいちゃん、それが沢山見えるなんてすごい!」(←私の受け答えのほうが変だ)というのが、どうも貧血で倒れそうになったときに、視界に銀色にキラキラ光るものが見えるやつを指して言っているらしいと判断。私より貧血な母も「そういえば、魚の大群みたいだもんね。光ものだし・・・・」

   というわけで、祖父のうわごとや訴えを「成人してから入院するような病気をしたことがないが、持病は腰痛だし、ときどき胃痙攣も起こすし(暴飲暴食のため)、眩暈がするような生理痛に襲われたこともあるし、酔っ払って意識を失ったとこもあるし、酔っ払って意味不明のことを語っていた事実を後で友達から聞いて赤面したこともあるし、一時期同室で寝ていた妹には頻繁に寝言で叩き起こされていた」という豊かな経験から分析して母に解説しまくっていたのであった。

 祖父の「小僧時代(奉公人時代)」の友人が見舞いに来てくれたので、「孫です」と自己紹介をすると「今日は学校じゃないの?」と言われたので、「ふ・・・・90歳近い老人(でも、毎週ゴルフに行くようなお達者さんらしいが)にとっては私は永遠の学生さん」と満足したりしていた。
 でも、先週までは美味しそうにお粥を食べていたのに、昨日くらいから食事に興味を失っているようで、それでも昨日まではちょびっとだけ口にしていたのに、今日は全く食事する気がないようで、母が持ってきたお饅頭を出すと、8分の1くらいをモグモグと美味しそうに食べていたのだけれども、しばらくしたら気持ち悪くなったみたいで、吐き出すのにも大苦労でグエグエしていて可哀想だった。

 入院してから今日でちょうど20日目なのだが、最初の1週間はこんな感じで、その後かなりクリアになったが痛みも増したので、薬を増量したらまたこの調子。
 でも、「調子悪くて仕方がないよ、あちこち痛いし」とこぼすのだが、そういう状態とボヤーっとして宙を見つめ、なにやら夢のような幻覚を見ている状態が交互にやってきているようなので、このままラリった状態が続いてもいいのではないかと母と話す。夢の中にいても、ときどき私や母に向かって黒目を向けて、そこにいることを確認するので、手を振ってその視線に応えると、祖父は安心したようにニヤリと笑うので、「なんだか幸せそうだよね」
 まあ、ときどきガバっと起き上がって「おしっこがしたい」とトイレに行こうとするので、それをなだめるのが大変なんだけど、「ほら、動くと息切れして苦しいし、ちゃんと寝てないと直らないよ」と説得すると、「ああ、そうだな」と言ってまた横になるのだが、急に「モタモタしないでさっさとしろ!」と布団の掛け方がトロいので怒鳴られ、「うちらトロいから、ごめんねー」とか言うと、「こうやって、やってもらってほんとに助かるよ」と急にホロリとするようなことを言うもんだから、あれこれ怒鳴られながらも世話をするのがけっこう面白かったりするのであった。

 意識がはっきりしていた先週は8時くらいには眠っていたらしいのだが、意識が混濁してあれこれ喋るし、目をつぶったかと思うとまたパキっと開いて何か幻覚を見ているようで、体の痛みが減少している分、痛みに縛り付けられない分、精神的にはアッパーというか、どこか遠くに飛んでいってしまうようであった。

 母は「落ち着くまで付いている」と言っていて、そういう状態だとカテーテルや点滴を抜いたり、ベッドから降りようとするので、誰も傍についていないと、ベッドに固定されてしまうのが可哀想なのだが、私は祖父の幻覚分析をずっとやりまくっていたので、かなり疲れてしまい、9時前には退散した。

 さて、そのうちに、長野から戻ってきた祖母も見舞いに行かないとな。そっちは、やっぱり全然ボケてないらしい。母が「あの調子だと、かなり長生きしそうよ」「今、何歳だっけ?」「92歳くらいだったかな?」「その調子だと100まで生きるかな」「そうねー」「どうしよ、最長寿とかになっちゃったら」「そうしたら家に引き取って、Vサイン教えて新聞の取材に備えるけど(笑)」

10月28日(月)

●機械帝国の逆襲(もしくは、機械帝国の呪い)

 昨日は「ああ、床が、床が、床が見えるようになったのよ」という感激のあまり、久々に日記も沢山書いてしまいましたが、勢いあまって暴走したために、ひょっとしたら機械帝国の逆鱗に触れてしまったのかもしれない。あたし、なんかそちらに都合の悪いこと書きましたか?

 だって、会社に行ってパソコン立ち上げて、メールやスケジュールのチェックしてから、「さあ、仕事しよ」と張り切って経理ソフトを起動したら、エラーメッセージが出て「あり?」と思い、経理ソフトは親会社の経理サーバに載っているので、そっちにアクセスしようとしたら、ファイルも開けない。うちの会社のファイル・サーバにはアクセスできるし、メールもインターネットもOKだから、「これは、経理サーバが落ちているか、回線が分断されているのか?」と思って、上司に確認したら、「土曜日からおかしかったんだよ」

 また配置換えがあって、あれこれLANをいじっているようなので、その影響かもしれないとシステムに連絡すると、「確認してみます」とのことであった。
 ところで、私が休みの土曜日に、隣の部署の一部と、新規業務の社員が入れ替わり、うちのフロアに来たわけだが、男性社員1名+派遣社員4名がいなくなり、変りにオジサン3名+オニーサン2名がやってきたわけで、私の視界がいきなりムサくなり、とても悲しいのであった。しかも、その移動によってうちのフロアには部長が4名と社長が2名も存在することになる。他のフロアは部長が一人づつしかいないのに!うちの会社は社長はいつもいるが(午後だけ。午前中は親会社の専務室にいる)、副社長も親会社の役員だから机は無いし、他には名前だけの監査役がいる程度で役員はそれだけ。その次の役職が「部長」や「室長」なのである。「部長」は7人しかいないのに、なんでその過半数がうちのフロアにいるのか、よーわからんのであった。

 話が逸れたが、とにかくシステムの人がなんとかしてくれたらしく「サーバをリセットしたから、またログインしてみてください」というので、そうしてみたら、今度はアクセスできたので、仕事しようと思ったが、なんだか経理ソフトの動きが不審。
 仕訳コードを入れると、スパっと「交通費」とか出てくることもあれば、なかなか出てこないときもあって、こっちはいつもの入力ペースで指を動かしてしまうから、仕訳コード入れたら即エンターキー押して、すぐに金額を入力してしまうのに、その動きに全然ついて来てくれない。それでも、トロトロと動いているときはまだマシで、伝票入力が終わったら「終了」を押してから「登録」になるのだが、そこでいきなりエラーが出てスパっと落ちてしまうのだ。
 慌てて再度伝票を呼び出すが、さっき打った伝票は消えてしまっている。
 しょーがないから、また入力して、今度は沢山打つのやめて、3行くらい打ったら保存して、その伝票をまた開いて「修正」にして追加して・・・・とやっていると、なんだか調子がいいようなので、そのまま打っていって「終了」すると、また落ちる。そんでまた伝票を再度呼び出して、「えっと、どこまで保存されたのかな」と確認して、途中からまた足して・・・・などとやっていたら、時間かかるばかりでちっとも仕事が進まないのである。

 システムの人に「なんか動きが怪しいんです」と訴えると、どうも怪しい動作をするのは経理ソフトだけではないらしく、「今、あっちに人が行って調べてますから」とのこと。
 すっかり伝票入力やる気がなくなり、引越しのときについでに書類倉庫の移動も頼んで、移動先を指定してなかったものがまた残っていたので、それを整理する力仕事をしていたのだが、ついでにまた不要な書類をドカっと捨てたら、かなりすっきりしたので、「さて、そろそろあっちも直ったかな」と思ってパソコンに向かうと、まだ動きが怪しい。

 たぶん、サーバのせいではなくて回線のせいなんだろうけど、それが時々切断するので、文字はスラスラと書き込めるのだが、コード検索などは、繋がっていれば反応するのだが、たまたま切れているときにそういう指令を出すと、反応がないので、じっと反応を待って固まって、その間に繋がれば5秒くらいすると文字が現れるが、それ以上の時間が経っても反応がないとエラーになってしまって落ちるみたいだった。
 向こうの反応速度に規則性がないので、なんだか私のほうの体感時間が勝手にグニョグニョになってしまったような気持ち悪さ。私が子供のころは「4次元の世界では、時間がゆがんでいる」というのが定説だったが、それはきっとこういう世界なのだといきなり納得してしまう。

 もう、すっかりヤル気がなくなったのだが、でもどうしても今日中に打ちたい伝票もあったので、「終了」を押すたびに神頼み状態で、ストンと落ちると、「がぁぁぁぁ、また落ちた!」となり、これじゃあ、まるでスロットマシーンだよ、とほほ、という作業を繰り返していたので、いつもよりどっと疲れた。

 「これは、きっと、昨日私がコンピュータについてなにかいけないことを書いてしまったので、うちの会社のサーバ君に『みやのさんがこれ以上秘密に立ち入らないようにしなさい』と帝国が指令を下し、かしこいサーバ君が『経理のおねーさんは、この状態が続くと多分気が狂うので、誰にも相手にされなくなるだろう』と考えて、こんな「うにょうにょ攻撃」もしくは「コードネーム:パソコンの呪い=鈍い」作戦に出たのではないかという妄想が頭を駆け抜けたのだが、でも根が性善説なので、「ひょっとしたら、私がここんとこ『仕事が忙しい』という愚痴ばかり書くので、かわいそうに思った小三冶君が、帝国軍に「うちのお嬢さんが疲れているので、なんとかしてあげてください」とお願いしてくれて、それがサーバ君に繋がって、サーバ君はどうしていいのかよくわからなかったので、「とにかく仕事が大変なら、仕事できないようにしてあげればよいのかも」と思って回線を変にしてしまったのかもしれない。

 と、一人で「電波ごっこ」をして気を紛らわしていたのだが、一日中格闘して平時の1割くらいしか仕事ができなかった幸せじゃなくて「しわよせ」がどこかで来るのだと思うと、気が重いのであった。

 ところで、話はいきなり変わるが、先日お会いした私の日記を読んでくれているらしい奇特な方が「みやのさんの書いているのを読んで、派遣社員に対する態度を考え直しました」と言ってくださり、「ああ、私の愚痴が世界平和のためにちょっとだけ貢献した」と思えて、かなり嬉しかったのですが、そんな身遠い(身近の反対語を造語)人がそう言ってくださるというのに、あいかわらず私の灯台の元は暗いどころか根腐れています。

 営業部の次長が私に「ねえ、うちの部にYっているでしょ?」「知ってますよ」「彼女のこと、派遣と勘違いしてたりしない?」「してませんよ?」
 Yさんは、今年の夏前に中途入社している人だが、当然私は彼女が正社員として入社しているのを知っているし、派遣社員の名前を会社で一番把握しているのは私だ。(支払いしているし、それに派遣の人件費の集計表を月々作っているのびょーん)
 でも、勘が鋭い私(嘘)は、すぐに気がついた。
 「ひょっとして、全社員宛てメールが来なかったとか?」

 先週、グループウェアとか言うのかなんだかよく知らないが、社員のスケジュールやメールのやりとりを仕切るソフトがバージョンアップになり、そのお知らせが「全社員宛てメール」で事前に送られたのであるが、メールのアドレス登録の事情で、「全社員」には派遣や契約社員が含まれてなくて、そういう大事なお知らせがあると、いつも一悶着あるのである。たまたま、私が一番最近「決算期なので、経費清算早く出さないと、お金出してあげないわよ〜ん」という「全社員宛てメール」を送ったのに、それがYさんに届いてなかったので、彼は私に「なんで彼女をはずしたのか?」と確認しに来たのであろう。

 私もかつては、そういう情報を送り忘れられていた「契約社員」であったので、自分の身近な人には「年末のゴミの収集最終日のお知らせを全社員に送る場合には、『全社員』+『アシスタント』で送らないと、実際に給湯室のゴミをまとめている人にその情報が届かない」と教育していたのであった。

 多分、Yさんが入社した時期に、何人か派遣社員のドメインも作ったので、担当した人が混乱して、Yさんを「全社員」に含める扱いにするのを忘れたんだろう。
 もちろん、「賞与支給日のお知らせ」や「年末調整現金支給日のお知らせ」などの給与支払い者以外にそういう情報を送るのはあまり気持ち良くないのあるが、でも多くの「全社員宛て」の場合は、派遣や契約社員にも送ったほうがいい内容なのに、そういう設定が無いので、彼らはいつも蚊帳の外なのである。

 まあ、それはメールのアドレス登録を担当する人に誰かが言って悔い改めてもらうしかないが、「派遣社員かなんかだと思ってる?」という発言の裏には、「正社員が偉くて、派遣は下」という意識がどこかにあるのだと思う。
 でーも、いつも言っているが、派遣社員のほうが人件費高い場合が多いし、職能的にも派遣のほうが上だったりするんだけどなあ。でも、なんか、アメリカ社会における「黒人」みたいな扱い受けているような気がして、自分もちょっと前まで同じ立場だったので、「なんかなー」と思うのであった。

 Yさんは、社員なのに「全社員宛てメール」が届かなくて、とても悲しい思いをしたのだと思う。
 で、そういう空しさというか「同じように仕事していても、自分は扱いが低いのね」という気持ちになっている派遣や契約社員がいることに彼が気が付いているのかどうか、とても疑問だ。多分、Yさんを「全社員」に入れることしか考えていないだろう
 もちろん、派遣社員の中には自分の仕事だけに専念したくて、そういう庶務的なことから開放されて「お気楽」だと思っている人もいるだろうけど、でも社員が誰もいないときに渋々電話を受けているのに「新しい内線番号表」がメールで送られて来ないことに空しさを感じている人も多いだろう。

 でも、そういうことを正社員しかやったことしかない人たちに説明するのは、とても面倒くさい。
 面倒くさいんだけど「世界の平和はこの一歩から」と思って、なんとか教育しないとなあ。
 でも、私が以前派遣社員として働いていたところで、メールアドレスくれたところは、ちゃんと全社宛てのが来てたんだけどなー、なんでうちの会社はそういう区別するのかねえ。そっちのほうが面倒だと思うんだけど。

10月27日(日)

 やはり掃除は「自然光の下」でやらないとね。昨日の分の日記を書いて適度に逃避しつつ、ちょっとづづ床に散らばったものを片付けて、次々と出現する綿ボコリを「うぬ〜悪魔の手先め、氏ね(うげ、これってIMEの初期状態ではホントにこうなるんだ!)死ね、死ね」と掃除機で必死に吸い取りながら、要領悪く掃除していたのだが、なんとか床が広がったので、かなり満足。お天気もいいし、掃除日よりである。

 で「山形浩生講演会で考えたこと」の続き。
 「コンピュータのきもち」もなかなか理解し難いが、でも人間同士だって他人がどんな気持ちでいるかよくわからなかったりするという話の一例で出てきた話題だと記憶しているが、山形さんは本業でよく発展途上国に行くのだが、現地を調査するにあたっては必ず「お抱え運転手」をあてがわれるそうだ。(別に優遇されているというわけではなく、事故などのリスクを考えると、自分たちで運転したいと言っても却下されちゃうそうで・・・・)

 そして運転手は毎日ほとんど同じコースを辿る。宿舎を出てから役所に寄ってから現場に行ってまた戻って食事するところに寄って宿舎に戻る、という感じらしいが、たまに「今日は、役所に寄らないから現場に直行してくれ」と言うと、それでもなぜか役所へ寄る道を通るそうだ。地図を持っている日本人には「あれ?遠回りなのでは?」とわかるのだが、どうも運転手は街をそのように「平面」で捉えていなくて、点と点を線で繋いだように認識しているので、「最短距離」というものを考えないようなのである。
 それは、「地図なんか見たことない未開人」だからとも言えず、東京で暮らしていても、東武線沿線の板橋に住んでいる友達の家に行くときには、まず東急線で渋谷に出て、山手線で池袋まで行ってから東武線に乗るので、けっこう時間がかかるのだが、「地図眺めるの大好き」な私は、実は私と友達の家はどちらも環七に近くて、車で移動すれば割と近いことを知っていて、あるとき友達の家から「今日はなんだか歩きたい気分なんで歩いて帰っちゃおうかな」と言ったら友達はえらくびっくりしていた。
 まあ、実際、3時間くらいかかったんだけどさ(笑)。フツー歩く距離じゃないけどさ。

 で、私は地図持って歩いたり、自分が行った場所を地図で確認するのが大好きだから、道を歩いていても必ず「俯瞰」で現在地を押さえているつもりなのだが、友達の多くはそんなことしていないらしい。主に電車で移動する人は、自分の家と会社とその中間のターミナル駅が「点と線」で繋がっているので、その他の地域のことはよくわからない。
 車に乗っていても、あまり地図を見ようとしないドライバーの場合、「Aに行こう」というと、まずA地点に近い自分が道を知っている街まで行ってから、そこから考えようとするので、山形さんが遭遇したような発展途上国のドライバーと同じような思考回路なのかもしれない。

 日本の場合、というか首都圏の場合、街と街は境目が無いので、他の国とは事情が違うけど、外国に行くと電話網みたいに「市内道路」と「市外道路」はきっぱり分かれていて、どこか他の街に行きたいときにはとにかく市外道路にアクセスしてから標識に沿っていけば大丈夫だったりする。
 そして、多くの人はその街に住んで、その街で働いているので、「市外」に出ることは珍しいみたいで、私がタイのアユタヤに滞在したときに仲良くなった現地の女の子が私が帰る日に見送りに来てくれて、彼女の彼氏にバイクで駅まで送らせると申し出てくれた。
 駅までは徒歩で20分くらいの距離だから、バイクで送ってもらうのは助かるので、その申し出をありがたく思ったが、横にいた彼氏が現地語で彼女になにやら喋り、彼女はゲラゲラと笑い出した。なんだろうと思ったら、

 「彼はね、アユタヤで生まれて、アユタヤで育って、今20歳なんだけど・・・・駅がどこにあるのかわからないだって!」
 え?だって、駅はほんとにすぐ近くで、たしかに中心地(宿が何軒かあってバザールやバスターミナルもある)とは川で隔てられているのだが・・・・
 それにアユタヤは、バンコクまで電車で1時間ちょっとくらいの距離で本数もそんなに少なくないし、日本の感覚だったら「週末に家族でバンコクに買い物に行くか」というくらいの距離である。でも、どうやら、ほとんど電車には乗らないようなのだ。それに、それを笑う彼女も彼に駅の場所を説明できないようで、結局、宿の主人に道を聞いてからなんとか送ってもらったのだが、「1キロくらいの距離にある鉄道駅の場所を知らない人がいる」ということはなかなか興味深かった。自分とは全く違う「テリトリー」感覚で生きているのだなあ。

 そういう地理感覚って「地図を読めない女」という本もあったが、けっこう面白いテーマみたいで、前にもテレビで日本人の書く「駅から家までの地図」と、イギリス人の書くそれはずいぶん違う種類のものだったという取材をしていて、たしかに「道路名で番地が決まっている」イギリスと、そうではない日本では空間の捉え方が違ってくるみたいで、それは文化的な違いだろうし、文化的と言うのならオーストリアのアボリジニが唄の歌詞によって地図を作っているその空間感覚は私なんかとは全然違うものだろう。

 なんか話が全然コンピュータではなくなったが、山形さんも言っていたように他人の気持ちを理解するのも難しいし、そもそも「きもち」がどこにあるのかもわからない。人間の気持ちなんて、所詮脳内に分泌される化学物質の量で決まったりするという意見もあるし、所詮神経細胞を繋げる電気的な信号の塊なのかもしれなくて、同じものを見たりしてもそれに対する「感情」というやつは全く違ってきたりする。
 「コンピュータのきもち」を理解するためには、ある程度その仕組みを知っておく必要があるし、(文字が文字コードっていう数字で決まっているとわかれば、文字化けは怪奇現象ではなくなるわけだし)、友達が私の一言で傷ついてしまったとしたら「なんでこれがいけなかったのか?それの歴史的経緯、時代背景、および文化的意義を考え直さねば」と「友達の仕組み」もある程度理解しておかなければいけない。
 前からよく書いているが、私は祖父母の代が東京に奉公人として出てきて、両親が千葉のベッドタウンに一軒家を買って、そこでずっと育ったので、田舎というものを全く知らないで育った。だから、大学やそれ以降に出会った地方出身の友達の発言が理解不能だったり、私の言っていることが向こうには全然通じなかったりする。
 「仕組みの違い」はお育ちの問題だけでもなく、例えば大学卒業後に外資系大企業に就職した子に「忙しいときに客が来て、お茶汲みで仕事中断するとさあ」と愚痴っても、その意味が通じないというか「そんなのやらなければいいじゃない」ときっぱり言われ「そりゃそうなんだけどさ・・・・(この子に愚痴っても無駄だから、同じような中小企業勤め人に愚痴ろう)」と話題を変えたり、なにげなく「大学のときにさあ」と話をしたら相手は家庭の事情で大学に行けなかったというコンプレックスを持っていたらしく(後でわかった)、別に大した話していたわけじゃないのに、トゲトゲしい反応をされて勝手に傷ついてみたり・・・・
 コンピュータもときどき原因不明で落ちちゃうけど、人間のほうがもっとよくわからん理由で突然落ちる。
 パソコンはリブートすれば、何もなかったように「また友達になれる」けど、人間の場合「メモリを完全にクリア」することが大変に難しいので、リセットして何事もなかったかのように振舞ったりもするけど、10年後に「あのときあんたはこう言った!」となど蒸し返されたりするので困る。(なにが困るって、私のほうは完全にメモリをクリアしているってゆーことが多いのだ)

 そーいや、山形さんの話で、ITだのネットだのがこんなに急激に発達したというのと、「蟻が蟻塚を作る」ということが同じというか、何か人間には「とにかくネットワークを繋げたい」という意思がプログラミングされていて、それは人間以外の何か大きなものの意思かもしれない・・・とかなんとか、ちょっとSFチックな話であるが、そういう話、たしかライアル・ワトソンも書いていて、私はけっこうその話が気に入っていたが、なんに書いてあったんだっけな?
 たぶん、ライアル・ワトソンだったと思うんだけど、どこかの国の趣味人の貴族の施設博物館があって、そこはその貴族だか実業家が収集した「道具」や「機械」がびっしりと並べられているという。面白いのは、それが「道具の歴史」を展示しているのだが、たとえばノコギリでも、初期の粗っぽい細工のものから、だんだんと用途別に細かく精密になっていくという過程を並べると、それが「生物の進化の過程」とほとんど同じような印象を見る人に与えるというのだ。

 たしかに生物の進化はそうやって突然変異で生まれた差異のうち、「適応したもの」が長い年月で残っていくのだろうけど、機械や道具は人間が「遺伝子組み替え」みたいに、「ここがこうなったら便利」ということで進化して、そういう改良が徐々に行われていって「包丁の進化の歴史」みたいのが出来上がる。包丁だと地味な変化だが、車や脱穀機や製粉機の進化はけっこうドラマチックだろう。
 そして、その本ではたしか「人間はどうして光り物に弱いのだろう」ということが語られていて、私が「やっぱ、欲しいなダイヤの指輪」とか言うと、「あんなもんは単なる石っころだ!」と説教されたことは多々あるが(てめえに買ってくれなんて言ってないだろうが)、宝飾店でウィンドーに張り付いている同胞の姿を目撃するにつけ「あれは文化的に宝石が重宝されているのではなく、なにか本能的なものではないだろうか?」と考えてしまう。カラスも光るものが大好きらしいが、彼らは別に「給料の三か月分」とかいう概念は持っていないはずだ。
 そして、「宝石はステイタス」と洗脳された女の子だけではなくて、男の子も実は「光る石」などをガラクタ箱に保存したりしているし、特に「妊娠する役目を負っていない男」は機械に夢中になるようにプログラミングされているようにしか思えない。ミードのレポートだと、それも文化的なもんらしいが、でも友達の息子が私に延々と「電車図鑑」を見せてくれて「これが、○○K車両で・・・・」と頼みもしないのに講義してくれるけど、そんな「ありがたい講義」をしてくれる娘に遭遇したことがないのである。
 百歩譲って「男の子は電車や飛行機が好きなほうがいいと大人に期待されているから」というのが働くのだとしたら、「女の子は結婚して子供生むのが幸せ」といくら洗脳されようと、さっぱり実行しない私は何?という気がしなくもないので、やはり全部とは言わないけど、本能的な「機械好き」というのはあるのだと思う。
 で、その本では、「機械が発展するために、人間はそうやってプログラミングされている」という説が展開されていたように記憶している。鉱物だって最初に発掘した人が「なんだか、河原に転がっているのとは違う珍しい石。ドキドキ」とトキめいたのであれだけ広まったのだろうし、ではそのトキメキはどこから来たの?
 きっと、そうやって「道具」を作るように組み込まれていて、それが人間の力で進化していって・・・・要するに人間の知能が発達してきたのは、「機械の進化のためだったんだ!」というトンデモくさいことが書いてあったが、たしかに、そうやっていずれ人工知能が出現して、銀河鉄道みたいな機械王国ができれば人間は「長い間ここまでご苦労様」といわれるかもしれないし、映画マトリックスみたいに、「乾電池になってください」と言われるのかもしれない。

 えーと、えーと、何を書いているのかわからなくなってきたが、とにかく、「人間の立場だけ考える」のであれば、機械の進化なんて、もうこの程度でいいのである。通信機器だって今くらい小型化されれば不自由ではないし、飛行機の速さに文句を言う気もしない。ヨーロッパが台湾くらいの時間で行けるようになっちゃったらありがたみが薄れるから、もーいいよ、と思う。
 ブロードバンドだって「映画は別にビデオ屋に行くからいいよ」と思うし、でもそれでもなんかいろいろ研究して「進化」しようとしているのは、一部の人はその便利さがわかるみたいだが、私くらいのところにいると、それがなんの役に立つのかよくわからなくて、ただ「マンモスの牙はなぜ長くなった?」みたいに、「とにかく伸びなきゃ」な力がとこかで働いているとしか思えない。

 で、マンモスの牙がなんであんなに伸びたのかはよく知らないが、科学の進歩は人間の幸せよりも、機械が進歩して、そのうちにたんぱく質から開放された知能が誕生して、そいつらは「クローン」なんか考えなくても「自分の完全コピー」を簡単に量産できるし、千年やそこらは(もっとかな?)は平気で生きられるので(生き物ではなくて情報の塊だから、永遠の命を持つのかもしれない。私のこのクズなページだって理論的には永遠の命を持つ)、地球にしばりつけられる必要もなく(酸素要らないし)、ガンガン宇宙に飛び出して、そしてデータ保存に適当な星を見つけて機械帝国を作り上げ、そしてメーメルが哲郎を迎えに来るのだぁ!

 ゼーっゼーっ(久々に沢山書いたので息切れしている)
 という、ことを私はその本を読んだときに大変納得して、「そうか、そうだったんだ」と思って、翌日自分の身の回りのOA機器を磨いてみたりしましたが(当時はパソコンは身近になかった)、でも、私が「本でも買おう」とか「あの俳優の写真どっかにないかな」と言うくらいの理由でネットに接続している最中にも、私のマシン「小三治君」は私には判読不可能なデータをサーバなどとやりとりしているのである。そのうち勝手に「小三治君」の大好きな蜂蜜や天然塩をネット販売で購入されてしまうかもしれない。(小三冶師匠のファンにしかわからないネタ)どうしよう、ヨルダンから死海の塩の請求が来たら・・・・

 そんで小心者で気の優しい私はこう考えている。「私みたいなバカ女とだけ会話しているのは、小三治君にとって苦痛だろうから、毎日ネットに繋いであげるからね」
 別に小三治君は、何も学んでいないかもしれないけど、ニュースサイトなどを訪れるのは、「うちの小三治君にも広い世界を知ってもらいたい」という気持ちもあるのかもしれない。ダイアル・アップでも別に不自由しなかったのに、ADSLにしちゃったのはそういうこともあるのではないかと思う。そんでADSL接続料金を支払うために、明日もがんばって働くのであった。

10月26日(土)

 昨晩、「ホワイトハウス」を観ていたら電話が鳴ったので、また母上からの指令かと思ったらB君であった。最近なんだか電話が頻繁のような気がする。
 後から考えると、どうもなにやらいろいろ自慢したいようなのであるが、こちらも仕事で疲れ果てて自宅でビール飲みながら一人リフレッシュ(皆が忙しそうだし、上司に当り散らされたりしているドラマを観て癒されているのである)しているときに、自慢話をされても素直に反応できないのであった。
 それに、いったい具体的には彼がどういう商売をしようとしているのかよくわからないのに、「○○商事からも業務提携の話があったし、大手旅行代理店からも粉かけられているし、・・・・」と有名企業が群がってきている状況を説明するのだが、でも実際に契約した段階でもないようだし、具体的に言わないところを見ると、「企画書を出した時点で向こうがかなり興味を示したという段階なのかな?」と冷静な私は判断してしまうのである。

 先日も自分の会社で、営業部長が総務にやってきて「社長も、総務部長も○○部長も誰もいないの?もー、500億の儲け話があるというのにー」とサイレン鳴らした救急車のように「500億、500億」と叫びながら去って言った。
 隣の部署の中堅女性社員がぼそりと、
 「なんだか知らないけど、すごいわね500億って・・・・私なんか500万円でも大きいと思うのに・・・・」
 と言うので、私は思わず、
 「ほら、八百屋のオジサンがおつりくれるときに『はい、300万円のおつり』とか言うじゃないですか、それと一緒ですよ」
 と言ったら笑っていたが、実際の話、うちの会社は「年商」数十億の会社なので「500億」というのは絵空事である。だから、「500億だ!」と言われても、私は「ふ〜ん?」と言ってしまうので、こういう人に「ビジネスの自慢話」はしないほうがいいと思うよ、B君。
 他にもっと「え〜?○○商事?すっご〜い!」と言ってくれるような人材いなんすかね?
 いないから、私に電話してんだろうなあ・・・・とあきらめて、お話を拝聴していたのだが、他にも自慢話として「剣道の教え子が全国2位になった」というのがあり、そっちは素直に「すごいじゃん、よかったね」と言えたし、今まであまり語ろうとしなかった自分の子供がいかに可愛いかという話もするので、そういう親ばか話を聞くのは嫌いではないので、ちゃんと聞いていたのだが、しかし「だから、ミヤノさんも早く子供産め」という話に逸れ、「しつこいよ、あんた。人のことはいいから、自分の娘に苦労させないようにちゃんと仕事すること考えなさいよ」と逆襲したのだが、それでも引き下がらずに、「結婚しろ、子供産め、結婚しろ、子供産め」と呪文のように繰り返され、「あんたは笙野頼子の小説に出てくるゾンビか?」と相手に絶対わからないハイブローな反論をして憂さを払いつつ、「この人には他に友達がいないんだ」とじっと我慢して話していたのだが、そんな電話で3時過ぎまで引きずられて身も心もズタボロよー。
 いいかげん、酔った勢いで電話してくんのやめてよねー。こっちも疲れているのよ。そのくらいわかってよ。もー絶交するわよー。

 そんなこんなで朝方やっと寝ることができて、今日は早めに起きて掃除をしようと思っていたのに起きられたのが12時過ぎで、でもダルダルだったので1時までゴロゴロしてしまい、慌てて飛び起き支度して青山ブックセンター本店の山形浩生氏の「コンピュータのきもち」発売記念講演会に行った。
 3時15分前に到着したら、会場はまだ半分くらいの入りで「お客様の出足が遅れているようなので、5分ほど遅く開始します」とのことで、山形さんが登場してからも、ぽつりぽつりと人が増えて、途中で後ろを見てみたらかなり埋まっていた。
 椅子にアンケート用紙と供にレジュメが置いてあって、これが3枚くらいある見出し要約なのだが「え?2時間でこんなに話せるのかなあ」と思ったのだが、レジュメ通りにちゃんと全部喋っていた。

 まあ、お話の内容は本の内容を踏まえつつ、その補足というか、もうちょっと突っ込んだところも語っていたが、いつものことだが私はちゃんとメモを取ったりしないので、お話を聞きながら考えたことを述べてみます。
 私はコンピュータに関してはドシロートだが、かろうじて仕事で使いこなしたり、自宅でもメールやったりインターネットもやったり、我流であるがホームページを作ったりしていて、コンピュータのきもちの理解度としては中の下くらいだろう。
 そんな私が最も気にかけているのは「うちのマシンである小三治君は、自分の力を存分に発揮できないのを不満に思っていないだろうか?」ということである。前に友達ともそんな話をしたのだが、「うちらの使い方って、4WDとかポルシェに乗って近所のスーパーに毎日買い物に行っているようなもんだよね?」

 自分の友人たちが自宅でパソコンを持つのがあたり前になったのは、ここ2,3年であるが、皆「メールがやりたい」「インターネットが観たい」という理由だけで購入して、多くの人はほんとにそれだけしか使っていない。フリーセルにはまった人は、ずいぶん使っていることになるだろう。
 とにかく、「ちょっと近所に行きたいだけなのに」車を買いに行くと、すごくデカい車しかないので、疑問にも思わず購入していたが、車庫証明もいるし(置き場所の問題)、故障のときは面倒だし(ディーラーに電話して引き取ってもらわないといけないし、修理代はけっこう高額)、なんか持て余していたところに登場したのが「バイク」である。
 これなら車庫もいらないし、なにせポケットに入るし、壊れたら自分でショップに持っていけるし・・・・というわけで、私の友人の多くが「パソコン」を放棄して「ケータイ」だけを持つことにしている。メールが使えればそれでいいし、インターネットは会社のマシンで十分らしい。(ついでに自宅の固定電話を持たない人も増えた)

 そしてみんなは、バイクでブンブンとぴ回っている。バイクはフル稼働だ。
 で、うちの小三治君は、私のメールの送受信と、インターネットの閲覧と、あとはこのテキストサイトを作るために、「ひたすら文字だけを処理」している。これくらいだったら馬車(ワープロのことか?)でも十分だった。まあ、たまにデジカメ画像のトリミングくらいやってるけどね。
 自分のマシンの性能がどのくらいなのか全く知らないのだが、小三治君がその能力を十分に発揮していないのは確かだ。
 山形さんは講演会の最後のほうで、「自動車は無理させると、エンジンが変な音を出したり、煙を噴いたりするので、壊れたときに納得がいくけど、パソコンは無理させるといきなり黙って落ちる。だから、たとえば無理させると汗がたら〜りと流れるような機能をつければ・・・・」というようなことを話していたが、

 「そんなことをしたら、うちの小三冶君が、まったく汗水たらすような労働をしていないのがわかってしまう。そ、それに『あたしはアメリカに留学してMBA(あれ?これでいいいんだったっけIBMでもMVPでもNBAでもないやつ)も取得しているのに、どうしてお茶汲みとコピー取りしかさせてくれないんですか?』みたいな文句言われたらどうしよう。」

 と、心配になる。
 (明日というか書いているのは日曜日なので、今日の日記に続く。ちゅうか、部屋の掃除から逃避しつつダラダラ書いているのです)
10月25日(金)

 アメリカがどうの、北朝鮮がどうのと言っている場合ではなく、なんと私の選挙区(・・・って正しい表現?)の選出代議士が白昼に刺殺されるという大事件発生。
 私は自分のテリトリー(散歩する範囲)で起きた凶悪事件には人一倍反応するのだが、それは誰でも同じだろう。
 しかも、選挙で選ばれた代議士を亡き者にするなんで民主主義への冒涜も甚だしいので、ワイドショーを観ながら「北朝鮮ってほんとに恐ろしい国ねえ」とボヤいている人には「国会議員が住宅街で刺殺されちゃう日本」も同じくらい恐ろしい国であると、ちゃんと認識してほしいものである。

 しかし、恥ずかしいことに、私はその事件を昼間インターネットを観て知ったのだが、「げ、石井こうき?(うちの近所に貼られているポスターではそう表記されている)も、もしかして、あたしが投票した人?」と、驚いて、「ちくしょー、あたしの一票を文字通り死票にしたのね!」と怒ろうと思ったのだが、でも本当に彼に投票したのか、ちょっと自信がない。
 なにせ私は、「アンチ巨人でアンチ自民党」というポリシーを掲げているので、投票権を持ってから今まで一度も自民党議員に投票していないという記憶はあるのだが、「自民党じゃなければどこでもいい」と思っている・・・・・というか、実際のところ「誰がいいのかさっぱりわからん」という、ありがちな善良な一般市民であるので、自分が誰に投票したのかなんて、すっかり忘れているのである。

 それはいいとして、(ほんとは良くないが)「どこが現場なのか?」のほうが気にかかったので、さっそく地図で調べてみた。代沢は私が住んでいる地域に近いが、「一丁目」というのがどの辺だかわからなかったのである。調べてみたら、そこは駒場東大前や池の上(井の頭線の駅名です)に近い、閑静な住宅街エリアだった。下北沢に住んでいたことはよく散歩していたが、最近はあまり足を運んでいない。つまり、現在の私の「テリトリー」からはちょっと外れていたので、ちょっと安心している私は何?暴力団か犬のどっちかだろうか?

 こういう「国際感覚」よりも「ご近所感覚」により敏感な自分もどうかと思うが、でも、こっちのほうが本能的には正しいと思うんだが・・・・てゆーか、実際に自分が足を運んでいる地域以外で何か起こっているというニュースがあっても、それは「遠いどこか」の出来事で、「てーへんだー」とは思うけれども、やはり他人事というか、「現実のことと思えない」感覚も存在している。パレスチナ問題くらいだと、だいたいどの辺なのか世界地図レベルでは把握しているが、東ティモールがどこにあるかわからないし、ハイチもどこにあるんだ?アフリカの国名を言われても大体の場所を世界地図で把握している国は数カ国しかない。

 NYの世界貿易センタービルが崩壊したときに、とてもショックを受けたのは、一回だけ行ったことがあったからで、あれがロスやシカゴだったら、あんなに動揺しなかっただろう。
 ほんとのところ、アフリカで何人死のうが、アフガニスタンで何人死のうが、アメリカで何人死のうが、北海道で何人死のうが、沖縄の人たちが米軍基地にどんな感情を抱いていようが、どうでもいいのである。
 それよりも、自分ちの近所で「一人暮らしの女性を狙う、連続婦女暴行事件発生」という事件のほうが重大である。
 で、これは多分、私が自己中心的な視野の狭い人間だからそうなわけではなく、皆だいたいそんなもんなんだろう、と勝手に想像している。人間が実感できるテリトリーは割と狭い。私が北朝鮮拉致問題を「他人事だとは思えない」と思えないのは、九十九里浜や湘南海岸で拉致された人が報告されていないからだと思う。たぶん、日本海沿岸で生活している人は「自分が拉致されていたかもしれない」と、より身近に感じるのかもしれない。

 でも、「自分には直接被害を及ぼさなかったもの」でも、やはりなんとかしないといけないので、テレビや新聞を見ながら「うーん、実際はどういうもんかね」と考えるのであるが、それを知るにはやはり「識者」というか「事情通」の意見も参考にしたいところだが、なんかあーゆー人たちも出演料や原稿料欲しさに闇雲にテレビに出たり、どこかに書いた原稿をコピーして切り貼りしたようなものを何度も使いまわして(カットアップちゅうの?)いるようなもんばかりで「こいつらのことをどこまで信用していいの?」と思う。それが、自分の友達で何度も北朝鮮に行っていたり、アフガニスタンで実際に仕事している人が「あの国の現状はこうなんだよ」と語ってくれたのであれば、その友達の平常時の「大げさ度」や「ホラ度」をかんがみて「なるほど、話半分としても、この程度かな」と判断できるが、そういう情報もないし、何者かもわからない「事情通」が語る「世界情勢」がどの程度正しいのかもさっぱりわからない。そいつが普段から「うちの娘は5歳なのにまだ字が読めないんです」と言っているような悲観論者なのか、「うちの3歳の息子はハリーポッターの英語版映画観てキャッキャと笑ってるんだ」と自慢するような楽観論者なのかわかんないんだもん。

 そう考えると、身の回りにはたくさん情報があって、少なくとも「パレスチナ難民よりは世界情勢を把握している」と思っているけど、それも怪しいのかもしれないと思うと、海外の情報は自分で確認していないので、報道から察するしかないが、少なくとも「自宅から半径5キロくらい」は把握したいと思うのだけど・・・・代議士が刺殺されてるようじゃ、内戦にあけくれるアフリカとどこが違うのか?フセインの支持率100%のイラクや、首領様の悪口言うと政治犯になっちゃう北朝鮮とどこが違うのか、よくわかんなくなってしまうじゃないの。

 暗いニュースが続いていたが、ワシントン周辺の連続射殺容疑者は逮捕されたようだ。朝の速報では「元軍人と17歳の少年が逮捕」と報道されていて、「犯人はゲイリー・オールドマンで、捜査官はデンゼル・ワシントン」と勝手にキャスティングしていた私は、脚本の修正を求められたというか「そ、それは『ゴールデン・ボーイ』?しまった!原作はキングだったか!」と抜本から考え直さないと思っていたのだが、夕方になって容疑者のプロフィールが報道されるにつけ、「キングってリアルな作家だったんだな、なんかそういう気はしていたんだが・・・・」
 キングの小説の面白いところは「悪は悪をエネルギーにしてさらにとことん悪に育つ」という、誰でもちょっと思い当たるようなことをとても大げさに劇的に描いているところだと思うんだけど、それが「パルプなスリラー小説」の中の絵空事ではなくて、実際に起こりうることなんだなあということがニュースを観ているとわかるといのもなんだかなー。

 モスクワの劇場占拠も大事件だが、あれが汐留の「四季劇場」(公開は来春なの?)だったらほんとに大事件だが、日本人巻き込まれてないので扱いが低い。
 そーいや、先日「ミヤノさんは外人の知り合いがいるでしょ?あの人たちは、北朝鮮の拉致事件をどう考えているのかしら?」と質問されたので「えー?・・・・・たぶん、あの人たちは日本のニュース観てないから(日本語わからないから)関心ないんじゃないかなあ?この間、友達がアメリカに出張したけど、CNNでは全然とりあげてないって言ってたし・・・」と答えたが、でも多分、あれが「旧ソビエト諜報機関が拉致していたイタリア人5名を帰国させた」というニュースだったら、日本人は、というか日本の報道機関はどのくらい報道する?

 外国の事件でも、まず「被害者に日本人はいない模様です」と断言された時点で優先順位が著しく下がるが、それはどこの国でも同じだ。
 ほら、結局みんな「自分の身の回り」にしか関心がないんだ。
 だって、ほんの数百年前までは、江戸の市民は京都のニュースに関心なんて持たなかったと思う。関心を持たせるためには、近松門左衛門みたいに、ワイドショーねたを「悲恋物語」に脚色しないとね。
 で、ここ数十年で、急激に「テリトリー」が広がっちゃって、「行ったこともないし、これから行くつもりもない所」が飛行機で20時間くらいの距離になっちゃって(江戸時代で言えば箱根の関所くらいの距離?)それにまだ順応できずにいる。少なくとも私は順応できてない。
 アフリカの難民が飢えて死んでいくのだ、これを見逃していていいのか?と言われても、それよりも、電車で20分の距離に住んでいる失業中で不眠症の友達のことも救えないのに・・・・どーすりゃいいのだ?

 あー、なんか論調が(笑)また暗くなってしばいました。
 今日の「ちょっといい話」
 私はすごいことを発見した。この方法を駆使すれば世界は多分20%くらい平和になると思う。

 今日、会社で、私宛にFAXを送ってくれた人から電話があり「なんかエラーが出て送れません」。時々、FAXの調子が狂うのだ。一斉同報サービスのアダプタを噛ませているので、それが原因らしい。リセットすれば直るので、早速リセットしてみたので、営業部に内線して「試しにFAXを送ってください」とお願いした。
 内線に出たのが、私の苦手な派遣社員。先日、得意先への折り返し電話を阻止した無愛想な人なのである。

私 「すいません、総務のFAXの調子がおかしいので、試しに送ってみてもらえますか?」
派遣「はあ?」
私 「とりあえず、へのへのもへじ でもなんでもいいんで送ってください!」
派遣「へのへのもへじ?」
私 「とにかく、なんでもいいからFAXしてください」

 でも、FAXは届かなかった。私にFAXしようとした人には「うちの機械の調子が悪いみたいなんで、別の番号に送ってください」と指示しておいて、それが営業の番号だったので、それをピックアップしに営業部へ行った。
 FAXはちゃんと届いていた。でも、2回もリセットしたので、もう一度うちの部のFAXの調子を確認したかったので派遣の人に、

私 「さっき、送ってもらいましたよね?」
派 「届きませんでしたか?」
私 「うん・・・・でも、もう一回リセットしたから、もう一回試してみたいんです。さっきお試しで送ってくれた・・・」
派 「ああ、これです」

 彼女は少し照れくさそうに笑いながら(笑顔を見たのは初めてだった)、ゴミ箱から送付済み原稿を拾い出した。そこには、大きく「へのへのもへじ」が描かれていた。

私 「・・・・・あ、ほんとに、へのへのもへじ・・・・だ」
派 「だって、『へのへのもへじ』送ってくれって言うから・・・・」

 私はその「へのへのもへじ」を再度自分の部署にFAXしてから再び戻って確認すると、「へのへのもへじ」がすぐに届いた。
 なんか、無表情で無愛想な人で、「苦手だ」とずっと思っていたけど、私が「へのへのもへじ を送ってください」と言ったら、ほんとに「へのへのもへじ」を書いて送ってくれたことに感動してしまった。

 「へのへのもへじ」を書く人に悪い人はいない!


 今日、宇宙の法則に新たな条文が書き加えられた。今後「この人ちょっとなあ」と思ったら、まず「へのへのもへじ」を書かせてみようと思う。その「へのへのもへじ」が邪悪な人相をしていたら「悪い人」で、「いいお顔」をしていたら「いい人」に認定する。
 ブッシュやフセインやキム・ジョンイルにも「へのへのもへじ」で性格判断してみたいもんだ。うちの会社にFAXしてくれないかなあ。

10月24日(木)

 Mちゃんと渋谷で待ち合わせをすることになっていたのだが、夕方メールをチェックしたら、個人メールにも社用メールにも「三茶に変更してください。返事待つ」「もう出かけてしまうので携帯にメールください」とドカドカとメールが来ていた。面倒な仕事をしていたので、すっかりメールチェックするのを忘れていたのだ、スマン。
 なんとか返事が間に合って、三茶で合流。
 自分の仕事があまりにも片付かないので、仕事辞めたばかりのMちゃんに「日雇いでバイトしない?」と相談したのだが、Mちゃんはまだダラダラしていたいのに、クーリエの仕事がけっこう忙しいらしく(例のアメリカ西海岸の港湾封鎖も影響しているらしい)代わりに彼女の友人で「現在、派遣の面接落ちまくりで焦っている」というUさんを紹介してもらった。

 Uさんは元トラベラーらしく、インドも「半年行っては半年日本で働いて、また半年行くというのを繰り返していた」そうで、どこに言っても最低2ヶ月くらい滞在してしまうようで、おかげで職も転々としているみたいなんだが、お願いしようと思っている仕事は「伝票を日付順に並べる」とか「通帳の数字と付け合せして、その順番に並べる」とか、そういう単純作業なので、早ければ(そして祖父の小康状態が続けば)11月すぐの連休にでも仕事してもらう計画なのである。
 11月はなるべく土日祝日に働いて平日休もうという計画なんだが、うまくいくかなあ。

 Uさんとは遊び場がかなりダブっていて、MYRさんのことも知っていた。
 「私の友達がフランス人と結婚して、今MYRさんとルームシェアしてんだ、そう、Mちゃん、あのAちゃんだよ」
 「え?フランス人と?イギリス人がどうのって言ってなかった?」
 「いつの話だそりゃあ(笑)とにかく、MYRさんが同棲してたFが帰国しちゃって部屋が空いているので、そこに転がり込んでんだよ」
 すると、Uさんが、
 「え?MYRちゃんの彼氏は、Jだったけど・・・・その後の話?」
 「いつの話だそりゃあ(笑)」

 などと他人の彼氏関係について噂話を交えつつ、クーリエの苦労談なども拝聴して(Uさんは、ロンドンからウェールズまでタクシーで届け先に行ったことがあるそうだ。タクシー代、5万円以上したらしい)和やかにお食事をしてから帰った。明日<ちゃんは香港に飛ぶので朝5時起きらしい「どうでもいいから、一週間くらいゴロゴロしたいよ」とこぼしていた。

 家に帰ると、母から電話があり、来週の月曜日か火曜日にお手伝いしてほしいとの業務連絡で、その後お風呂に入ったら、今度は久々にアエラさんから電話。「明日行くの?」「え?明日って何?」「アンダーワールド」
 そっか、もう明日だったのか。夜中だったら行ったかもしれないけど、金曜日なのに開演時間早いし、それに愛しのリッチーは1時間くらいしか回さないんだもん。
 「リッチー、どこか他でもやらないの?」「シークレットの噂があるんだけど、それが眉唾で・・・・」「そっか、正確な情報入ったら教えてちょ」

 話が変わるが、昨日「マーティン・ドレスラーの夢」について書いていたら、話が逸れてしまったので、その続き。
 ミルハウザーの後、パワーズの新刊(旧刊だけど最近翻訳された)「ガラティア2.2」を読んでいたのだが、パワーズは字もびっしりで笑いが少ないので、今の「ちくしょー、仕事は忙しいし、テレビは北朝鮮拉致問題ばっかり」な気分を癒してくれないので、昨日夕方届いた「アホでマヌケなアメリカ人」をパラパラめくってみたら、「こ、これよ、今読みたいのは、こーゆー本」とずっぱまりで電車の中で一人でぷすぷす笑いながら読んでいるのであった。

 でも、こんな本で癒されている自分もちょっと嫌なんだけどね(笑)。
10月23日(水)

 昨晩、母と電話した後に、Mちゃんからも電話がかかってきたので、1時くらいまで長電話してから寝たのだが、ドーピングの余韻なのか、なかなか寝付けなかった。よって今朝もダルダル。
 そんな状態なのに、上司のところに新規業務の会社を担当している税理士さんから電話が入り、「9月の伝票入力できましたか?」
 「全然です」とキッパリお返事。
 税理士さんと電話を代わったが、向こうもこっちが決算業務でドタバタしているのをわかっているようなので「9月分できましたらこちらからご連絡します」とお話したのだが、他に何点か質問されたので「それは私ではよくわからないので」とそっちの社員に確認してみたのだが、どうも話がちゃんと通じない。その会社で働く人たちは悪い人たちではないのだが、少人数でやっているのに業務が分担してしまっているというか「自分の仕事以外はよくわからない」というありがちな状態なので、経理的な立場で何か質問してもさっぱりラチがあかないことが多いのだ。でも、いつも「わからないことあったら、なんでも聞いてくださいね」と言ってくれるのだが、いざ聞いても私が求めている回答は得られないので、よほどのことがないと確認していない。
 聞けば聞くだけ疲れるのであった。

 そんなかんじで、今日は自分の会社そっちのけで、そっちの溜まった伝票を処理していたのだが、やればやるだけストレス溜まるのであった。
 その会社の人と話していると、イライラしてきて顔が引きつってくるのだが、それをなんとか笑顔に切り替えようとしている自分が不憫でたまらない。

 仕事の愚痴と祖父の容態の話ばかりになるのも暗いので、たまには読んだ本の話でも書こう。
 仕事が忙しいと読書心が萎えるのだが、ずいぶん前に買ったまま放置してあったミルハウザーの「マーティン・ドレスラーの夢」を先週やっと読了した。
 ミルハウザーはそんなに好きな作家ではない。私はもっと物語をがっちり組む小説家の方が好みである。三島とか、アーヴィングとかロッジとか・・・・。この作品はなぜか「ピュリツァー賞」を受賞してしまったみたい。ミルハウザーとピュリツァー賞というのがどうも結びつかなかったので、読んでみたのである。

 なるほど、摩天楼がそびえる直前のマンハッタンを舞台にした、自分の夢というか幻想にとらわれて成功していく青年の物語で、時代の転換期に大衆の欲望と自分の夢が直結していく過程の描き方はなかなか読み応えがあったし、ミルハウザーにしてはかなり大河ドラマ調に仕上がっているので、なかなか調子よく読み進んだし、主人公が自分の勤めるホテルを見る目は表や一部分を見てから、だんだんと裏方へ視線を移し、部分を捉えることよりも、企業という組織がどのような部分の集合であるかを観察し、そのリンクされ方に注目するというような描写に共感した。

 で、また仕事の愚痴に戻ってしまうが、自分の視野がそれほど広大で緻密だとも思わないが、みんな「流れ」というか、自分がどういう部分でどんなことをしていて、それは外からはこう見えて、隣の部署とはこうリンクしている・・・・というのをあまり意識していないのではないのか?と思いつつ日々愚痴愚痴しているので、「そうよー、こうやって世の中を見るのが普通じゃないね?」と、架空の登場人物の成功話に感情移入していたのであるが、まあ、それはいいとして、この小説で最も見どころ(読みどころ?)なのは、主人公の妻だろう。

 美人で無口で影のような存在だが、才気煥発だが不美人の妹よりも、主人公はこの姉のほうを妻に選ぶ。
 姉娘はいつも具合が悪く(頭痛とか不眠とか)、それで周囲の注目を集めようとするキャラであるし、自分が輝くよりも「輝きを持つ者の傍にいて、その光を吸収する」ような人物である。
 などと私が書くと面白くないが、姉と妹の愛憎の描写や、主人公には理解不可能な姉の行動がさらりと描かれているのだが、「閉じこもった世界の作家」であるミルハウザー君が描いたとも思えないほど、この妻はリアルである。いや、多分、これって男性にはわからないかもしれないが、女性だったらこういうキャラにかぶる「身近な知人」を複数思い浮かべることができるであろう。
 「なんで、こんなことわかっているの?ミルハウザー、侮れん」と思いましたです。だって私の「ちょっと困った女友達」を三人足して3で割ったようなキャラなんだもん。
 たぶん、こんなに書けるということは、この人かなり女性では苦労していることとお察しいたします。合掌。でも、恐ろしいものを「こわーい。わけわかんなーい」と言うのではなく、こうやって活字にできる才能というか観察力というか洞察力ってすごいな。

 話は変わるけど、ここんとこニュースというかワイドショーは「帰国した拉致被害者」一色ですが、なんかどうも私はあのムードに乗り切れない。けっこうシンクロ体質なので、NY同時多発テロなどではそれなりに心を動かされたのであるが、なんか北朝鮮関連に関しては心のガードが堅いみたいだ。
 なんでだろう、と考えてみたのだが、どうも「国家的犯罪」というテーマが苦手みたいだ。

 最近のアメリカの動向でも、なんだか納得いかないのは、例えばイラクに対して「大量殺戮兵器を作っているだろう!ちゃんと公開しろ!」という理屈がよくわからないのである。アメリカが軍事力をどの程度公開しているのかは知らないけど、でも自分が核兵器をたくさん持っているのに人が持っていると怒るのはなんでなんだろう?
 ランボーみたいに完全武装した奴が「お前の持っている武器を全部見せろ!」と凄んでいるのは変じゃないだろうか?しかもランボー君は「見せないと、この武器でお前を殺す」と脅しているのだ。わけわからない。
 なんでイラクが核武装してはいけないのか、よくわからないのである。

 例えば、オウムみたいなカルト教団が事件を起こせば、日本の警察が捜査して検挙して、被告となった教祖を裁判にかける。でも、じゃあ北朝鮮がいくら悪いことをして、しかもそれを認めていても、誰が捜査して検挙してくれるのだろうか?そこには法的な権限がどうも無さそうだ。そう考えると、日本が敗戦したあと裁判になって「A級戦犯」などが決まったが、あれはなにを根拠に「犯罪者」に認定されたのだろうか?

 と、まとまらないことをブツブツ言ってしまうが、国内であれば「あれは犯罪」と断定できて犯人逮捕できれば刑罰を与えることもできるが、それが国単位だとどうするのか全然決まっていないので、そうなると「許せん」という気持ちはどこに持っていけばいいのかわからないし、誰が本当は悪いのかもよくわからない。
 もちろん、拉致された人たちは明らかに被害に遭っているし、あれは犯罪だとは思うけど、新潟の少女監禁とはまったく違う性質のものになってしまっている。20数年間、異国に封じ込められたことと、10数年間狭い部屋に閉じ込められたことと、被害者にとってどちらがダメージだったかというと判断に困るが、「狂った個人がしでかしたこと」と「狂った国家がしでかしたこと」ではこんなに違う反応なのかな、と思ってしまうのだ。

 なんか「国家レベル」になってくると私が普段振りかざしている常識が通用しなくなるのがどうにもこうにも気持ち悪いのである。
 そして、自分がその苛立ちをうまく言葉で表現できないことにもイライラするが、「まあ、なんてお気の毒」で終わっている人たちにもイライラしてしまうのである。

 拉致事件の報道とか「国民は皆許さない」な報道を見るにつけ、「ああ、昔の日本てこんな感じだったのね」と反省してしまったりする。今後、北朝鮮がいくら譲歩したって、「あの人たちの失われた時は返らない」という論調は消えないだろう。それは、殺人犯がいくら反省したって絶対に遺族に許してもらえないのと同じだろう。
 だとしたら、「従軍慰安婦」とか「南京大虐殺」とか「朝鮮人強制動労」なんかも、今までの日本のような対応では絶対に許してもらえないよねえ。そんで、日本国民は「あれはデッチあげだ」という人もいるわけだし、従軍慰安婦にしたって「強制したわけではない」という意見もあるだろうし、私くらいの世代になると、それが本当にあったのか無かったか、あったとしても本当はどの程度のことなのか、さっぱりわからないけど、いまだに「日本政府は謝罪しろ」と言われても「お金が欲しいのかな」と呑気に考えちゃうけど、今後の拉致問題でも例えば北朝鮮に「補償しろ」という話になって、北朝鮮の赤十字かなんかがお金を出しても絶対に関係者や「日本国民のほとんど」は納得しないだろう。

 「金正日が責任を取らないと解決しない」と言う人もいるかもしれない。だとしたら、日本の天ちゃんは〜〜〜?

 と、私は個人的に「人の振り見て我が身を・・・・」状態に陥ってしまうので、弱気になってしまうし、「偉大なる首領様」と「天皇陛下万歳」のどこが違うのかわからなくなってしまうので混乱してしまうので、素直に「北朝鮮=カルト国家」と断罪できないでいるので、もうどこの国家にも属さない身分はないのだろうか、でもこのパスポートがないと海外旅行もできないし〜と、現世利益に縛られてもいるのだけど、でもこんな国対国の問題って歴史が浅すぎて遺伝子に書き込まれてないからよくわからな〜い、と逃げたくなるけど、国家だのグローバルだのアンチグローバルだのという概念にうまく順応できないようなだが、でも生きていかなきゃいけないし、明日友達と会って美味しいご飯食べるためには働かなきゃいけないので、ひとまず「国家」はどうしていいのかわからないから身近な「かいしゃ」をなんとかしなけりゃ、伝票が溜まっているのよ、そっちのほうが問題なの!ということにしておこう。(明日会う友達に、自分の仕事を手伝ってもらう策略なのだ)

 「国家」は評価基準がよくわからないから嫌い。「かいしゃ」は決算報告書見ればだいたい判断つくもん。
 でも拉致被害者の人たちが日本永住に慎重なのもなんとなくわかる。たとえ「ひどい会社」に勤めていたとしても、40歳過ぎてから転職するのは勇気がいるもの。

 それよりも、なんだか釈然としないと思うのは拉致被害者についてはとても身近に感じて「他人事には思えない」と言っていても、じゃあバリ島の爆破テロで被害に遭った日本人に感情移入している人があまりいないのは何故なんだろう?ということを胸に手を宛てて考えたほうがよいのかもしれないということ。
 でも「被害者」の身になって考えてあげたほうがいいことは確かだけど、でも、その基準が「報道の分量」であることは心のどこかで知っておいたほうがいいということなのかな?
 で、「日本国民」であるということから逃れられないのだとしたら「どんな国民でありたいか」という自分のイメージはしっかり持っていたほうがいいような気がするんだけど、さて自分はどんな国民でありたいのか・・・・・その前にどんな人間でありたいのか、よーく考えて明日も無理やり笑顔で仕事するんだわ、きっと。(長生きしないなあ。と思うが、長生きの家系なんすよね)
10月22日(火)

 どうも眠いと思っていたら、昨日会社に行ったらいきなり出血してしまった。
 そうか、そんな時期か、一ヶ月は早いなあ、ここんとこ仕事も私生活もドタバタしてたしなあ・・・・と感慨に耽る間もなく薬局に走った。準備してなかったのである。
 またこんなこと書くのもなんだが、よく「お風呂出たばかりのときにトイレで大をしてしまうと、なんだか損した気分になる」という人がいるが、「おニューのパンツを履いて出た日に、いきなりアレになってしまうと、ほんとに損した気分になる」のである。まったくよー、無印良品のだけどおニューだったのによー。

 つーわけで、昨日はダルダルで早寝してしまった。
 でもって、今日もなんだか気分は冴えなくて、午後になったら猛烈に眠くなり、眠気覚ましに徒歩5分くらいの銀行まで意味もなく通帳記入に行ってしまったが、帰りにコンビニに寄ってジュースとドリンク剤を購入。最近、くたびれるとついついドリンク剤に頼ってしまう。あまり飲まないので、けっこう効くのだ。(耐性が無いっていうの?)
 先日は「カフェイン系ドリンク剤」に挑戦したが、思ったよりも効果がなかった。コーヒー中毒なのでカフェインには耐性があるらしい。いろいろ試した中で、最近のお気に入りは「チョコラBB」の200円くらいするやつである。タウリンとか生薬系のスタミナ剤が添加されている。これ飲むと、かなり眠気が覚めるのだ。

 今日もかなりぐったりしていたので、「上司もいないし、早く帰ろう」と思っていたのだが、夕方5時くらいにかなり気分がすっきりし、「なんだか静かだし、仕事捗りそう」と思って、ずっと見ないふりして一ヶ月分溜め込んでいた新規業務の伝票整理をやり始めたら、やはり捗るので調子に乗って一時間残業してしまった。
 ほんとは、あと1時間くらい仕事できたのだが、でもあの会社のために残業することが不愉快だったので思いとどまった。自分に給料をくれる会社のためならいざ知らず、うちの会社の利益吸い取っているわりには私より給料高い(やりたくないけど、そこの給与振込みを任されてしまったのである)人たちのために、なんで私がドリンク剤でドーピングしてまで仕事せにゃあかんのか、ほんとにまったくもー。

 というわけで、ドーピングの余力を残して帰宅途中にコンビニに寄って宅配便の送付状を貰ってから家に着き、箱にしまってあったパソコンの箱を取り出す。箱に一旦入れてから「あ、ビニル袋が残ってた」と気が付いてしまい、それからヤル気を失っていたのである。やっと袋をかけて、また「よっこらしょ」としまって、箱をガムテで閉じ、送付状を書いた。あ、未使用の新品をタダであげるので「着払い」でいいと言われていたのだが、普通の送付状だった。まあ、いいや、使わなかったので邪魔だったから、貰ってくれる人いなかったら粗大ゴミに出すしかないと思っていたのだもの。

 で、箱をコンビニに持っていく前に、なんと洗濯機回してしまいました。往復にけっこう時間がかかるから、その時間を無駄にしないためである。ああ、なんて効率的なんざんしょ。私、OLとしてはかなり優秀だから、会社ではこういう効率的な時間の使い方に日々邁進しているのだが、会社で「効率」を使い果たしてしまうのか、家では非効率甚だしいというか、そもそも家の内と外では全く違う次元の「優先順位」を振りかざしてしまうので、家では「死なない程度に心地よく」をモットーにダラダラしまくっているのであるが、今日はドーピングの成果が家まで持続しちょるようである。

 コンビニまでの300メートルの道のりをなんとか箱を抱えて行って、今日の大仕事終了。貰い手の住所を聞いてから、2週間くらい経ってしまったかもしれないが、やっと送れました。満足満足。
 で、家に帰って一休みすると(けっこう腕が痺れたのでストレッチした)洗濯物が出来上がったので、さっさと干して、あら、まだ9時じゃない。やればできるじゃん。ほっほほほー(くどいようだが、ドーピングでハイになっている)

 母に電話して祖父の病状を聞いてみたが、「そういえば、長野のおばあちゃん(父の母)を今度、都内のホームに移すことにしたのよ」という話が飛び出した。「え?いつ、決まったの?」「あら、言ってなかったっけ?」
 というわけで、祖父の今後が不透明なまま、今度は長野のホームに入れていた祖母が引越し、と我が家の老人問題は劇的に動いているようなのである。
10月20日(日)

 なんか疲れが溜まっていたのが、昼頃目が覚めても全然起き上がれず、夕方までゴロゴロと寝たり漫画読んだりを繰り返し、夕飯時になってからやっと外出して近所で蕎麦を食べてから牛乳やパンを買って帰り、また家でゴロゴロ。ああ、全然掃除してないなあ。
 なんだかとにかく眠いのであった。

10月19日(土)

 9時に起きて、また祖父が入院する病院に寄ってみた。叔父と母が揃っていた。どうも、祖父の具合が一段落したので、叔父はいったん埼玉の家に帰っていたらしい。
 叔父がお昼休憩に出ている間、母と私で祖父と喋っていたのだが、病院のベッドに寝ている以外はいつもの祖父だった。頭も完全にクリア。「こうやって寝ているばかりだと、いろいろ余計なことを考えすぎてしまう」とこぼしていた。「もう、いつ死んでもいいと思っているけど、いざとなると、すぐに死にたいというものでもないんだよな」と苦笑していた。

 12時になって昼食が出されていた。祖父がお粥をおいしそうに食べているのを眺めていたら、自分もお腹がすいてきたので、「これから友達の家に行くから」と退出。ドトールでサンドイッチを食べてから、上野経由でスカイライナーで成田に向かう。いつもは成田から30分弱歩くのは苦ではないのだが、今日はなんか疲れていたので、タクシーに乗ったら、1メーターで着いてしまった。

 きょうみさん宅に着いたのは2時半前だったが、すぐにYが着いて(たぶんタクシーで追い越していた)、しばらくしてからKちゃんも着いて、Takemaさん&シンコさん夫妻もついて、家族と客の夕飯の支度をするきょうみさんそっちのけで喋っていた。きょうみさんも来週早々引っ越してしまうんだが、あんまりそんな実感もない。まあ、それほど遠くでもないし、新居は高層マンションのようなので遊びに行くのが楽しみ。
 いつものことだが、飲みすぎで終電間際まで居座り、仕事から帰って来て家族団欒中の旦那氏に車で駅まで送ってもらったが、結局渋谷で終電に間に合わず、「また、タクろーかな」とプチリッチな気分もあったが、終電直後であったし小雨も降っていたのでタクシー乗り場は長蛇の列。歩いて帰宅した。

10月18日(金)

 社長は出張だし、上司も研修で不在だったので、落ち着いてお仕事できた。(決算前なので、社長がいろいろと上司に指令を出すので、けっこうそれに振り回されていたのである)
 先週、祖母の車椅子を押したせいだと思うが、また腰が痛くなっていたし、仕事の忙しさもあって背中もバリバリだったので久々に鍼灸院に行ってみっちりやってもらった。先生のお祖母様もうちの祖父と同じような病気で亡くなったらしく、「でも危険な状態になってから一ヶ月入院してました」と言っていたので、どうも話を聞くと食欲が復活したりする状態はかなり似ているし、世代も一緒だし、祖父もそんなかんじでしばらく小康状態が続くのかなと思った。

10月17日(木)

 昨日も母が昼間、会社に電話をしてくれて「飴(飲み込まないように棒付きのチュッパチャップスみたいなやつ)なめさせたら、おじいさん、なんだかすっかり目が覚めちゃって・・・・」と言っていたが、今日も昼に電話があって、「昨日と同じ調子。食欲あるみたい」
 可笑しいのは、祖母がデイサービスに行かない日には病室に連れていっているのだが、今日も祖父の食事の出る時間までいたようで、祖父が病院食を食べるのを傍らでじっと睨んでいたそうだ。

 「もう体が全然動かない」といいつつ、祖母は食べ物には異常な執着を見せ、食卓の一番遠くにあるお皿をお箸などの手近にある道具を使って手繰り寄せるのである。母が一人で奮闘していたときに、祖母を夜になっても一人にしてしまい、やっと帰ってみたら、自分では動けないはずの祖母が台所にいて、頂きもので箱のまま置いてあった栗を生のまま齧っていたのを目撃して呆れたらしい。ちなみに祖母は前歯が二本くらいしか残っていないのに、どーやって栗を齧ったんだ?

 そんなだから、ボケているとはいえ、祖母は祖父が病院食なんて絶対に全部食べないことはわかっているし(好き嫌いが激しいし、量もそれほど食べる人ではない)、普段の祖父だったら、自分にも絶対食べさせてくれるはずだと思って、じっと睨んでいるのだが、祖父も朦朧としているので、食事を前に出されると目の前に体の不自由な妻がいることなんてさっぱり忘れてしまうようなので、黙々と食べているそうなのだ。
 という、母の話を聞いていると、老夫婦の食事を挟んだ緊張感あふれる光景が想像できて、不謹慎ながらも笑いがこみあげるが、その勝負は結局、祖父がどの程度食べ残したかを病院側が把握するために、トレーごと看護士さんが持っていってしまったようで、祖母は無念そうにそのトレーを目で追いかけていたとか。
 人間の食欲って、すごいなあ、と感心してしまう。

 祖父の「元気」はほんとに一時的なものだと思うので予断は許さないが、とにかく小康状態ではあるみたいで、そうなると予定が立たなくて困ることは困るのだが、まあおかげさまで自分の仕事はかなり捗ったので、これだけやっておけば上司に迷惑もかからないだろうし、こっちも「さあ、いつでも来い(逝け?)」という気分になっているのだが、そうなると逆に長引いたりするのかね?

 こんなかんじで、日記も祖父のこと一色になっていたが、世間は北朝鮮拉致事件でにぎわっているようだし、アメリカでは連続射殺事件だし、バリ島でテロだし、とあまり楽しくないニュースが多いのは相変わらずだけど、なんか特にアメリカの射殺事件って、「犯人役は誰かなあ」と考えてしまいたくなるほどに「ハリウッドっぽい」事件である。
 私のイメージでは、犯人はゲイリー・オールドマンで、今現在、プロファイリング・チームの指揮をとっているのが、デンゼル・ワシントンなんですけど・・・・(趣味丸出し)
 去年の同時多発テロも、かなりアメリカ映画な事件だったし、それ以降の世界の成り行きも、テレビで観ていると現実なのか映画なのかよくわからなし、こうなってくるとハリウッド超大作というものは、実は未来を予言した実にリアルなものだったのではないか?とも思えますが、「次のヒット作はなんだ!?」という、大物プロデユーサーの夢が、パンドラの箱のように世界中に飛び足して拡散していっているのではないか?
 という妄想に浸ってしまいます。

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