可燃物な日々

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3月1日(金)

 あ〜もう3月か。
 今週はずっと眠くて日記書いてなかったので、まとめ書き。
 葬儀の手伝いと体調不良が重なって、スポーツクラブにも行けなかったので、今日はやっと行った。
 気候が急に穏やかになってきたせいか、ものすごくぼんやりしてしまって集中力がない。そろそろ冬眠から覚める動物たちと入れ替わって春眠したい気分である。
 しかし、明日も出勤なのであった。だから「明日ちゃんとやろう」と思って今日はあんまし仕事しなかった。
 しかし、弁護士の先生から「支払調書を送ってください」との連絡が入り、「え?そんなもん、1月に出したよ」と慌てて調べたら、思いっきり抜け落ちていた。源泉の預り金にすべき仕訳が間違っていたのだ。あちゃ〜、やっちゃったよ、と会計事務所に電話したら、「この間も訂正したばかりなんですよね」と言われる。海外居住者の分を分けてなかったので修正したらしい。それは私のミスではなかったのだが。
 支払調書の合計表を訂正するのは簡単なのだが、問題は前期の伝票が間違っていたので、今期でどう修正するかなので、相談したら、会計事務所の担当者が早口でなにやらいろいろ質問してくるので、春ボケの頭ではついていけず。でも、よく考えればあの担当者の早口には年間を通してついていけないし、向こうもそれをよくわかっているので「とりあえず、ファックスで送ってください」と言われたので、何をどう間違ったのか文書で送る。これで向こうも文書で送ってくれるといいのだが、いっつもそうしてくれないから、向こうの話していることを理解するのが大変なんだよなあ。
 まあ、間違えた私が悪いんで、仕方ない。


2月28日(木)

 告別式が10時からだったので、9時には集合。昨日よりも冷え込み、外でのご案内の係りは辛そうだった。
 昨日の通夜のときには、ずっと受付に立っていて、最後のほうでバタバタとお焼香したので、あまり実感が湧かなかったが、告別式での最後のお別れの場面ではお手伝いチームも皆、涙ボロボロ状態。私はやはりご遺体と対面するのがいやだったので、お花は入れなかったけど、棺に釘を打つ音からは逃れられなかった。

 以前勤めていた会社関係でも、私が退職したあとも、会社関係の方が亡くなったというお知らせがときどききたのだが、私はあえて葬儀には行かなかった。どうせもう会わない人たちだったから、訃報を知らなければ亡くなったことすら知らないわけで、「疎遠になってしまった人」と同じなわけだから、わざわざ知らせてくれなくてもいいのにとも思った。ましてや、もう何年も会ってない人の葬式にわざわざ行って、亡骸とご対面するのもなんか悪趣味のような気もしたのだった。

 入院なさっていて、「もう、多分ダメだろうからお見舞いに行くなら・・・・」という連絡がきたときもあり、たしかにその方にはいろいろお世話になったのだが、義理がからむようなことでもなく、ただ会社にいらっしゃったときにはよくお喋りしていたし、けっこう可愛がっていただいたのだが、シャキっとしていてダンディーなおじいさんだったから、入院している姿を見たくなかったし、「向こうだって、私にはカッコいいじーさんだったと思われたいだろう」と勝手に判断して行かなかった。

 お昼前には告別式も終わり、皆で会社に戻り、着替えていつもどおり仕事。ほんとは、今日の親会社のイベントの手伝いに行くはずだった。おかげで会社に帰っても派遣やパートさんしか残っていなかった。総務は午前中のお手伝いでくたびれ切っていて、しんみりしていた。夕方になると、皆どんどん帰ってしまったが、6時まで誰かいないと困るからと、そんなところで生真面目さを発揮してしまい、6時過ぎまでぼんやり席に座っていた。

 別に忙しかったわけでもないが、なんだか疲れたので、帰ったらまたすぐに寝てしまった。



2月27日(水)

 昨晩は日記書いてるときまた電話に遮断されてそのまま寝てしまった。
 出血多量で体調不良だったが、夜は通夜の手伝い。腰にカイロを貼って挑んだが、近代的な斎場だったので受付のあるロビーも寒くなくて助かったが、やはり立ちっぱなしは辛かった。8時ごろやっと一通り終了したので、お手伝いチームも精進落としで軽く食事をいただいてから帰宅。10時頃には家に着いたが、眠気がどっと襲ってきてすぐに就寝。



2月26日(火)

 木曜日は親会社のイベントをお手伝いする予定だったが、急遽、明日・明後日はお葬式のお手伝いに行くことになった。
 ずっと喪服として着ていた黒のスーツもずいぶん古くなったので、いい機会だから一着買ってしまおうと思いついて、帰りにフォーマル売り場に寄った。いろいろ試着して、まあまあなものを選んだのだが、帰り道に、「あ、そ〜いや、バックも持ってなかった」と思い出す。そういうものは母のを使ったりしていたし、そもそもちゃんと葬儀に出席する機会も少なかったので、必要もなかったのだ。もう「いい年」なんだから、ちゃんと揃えておかないとなあ・・・と、黒いパンプスを磨きながらしみじみ。

 昨日、またぼんやりテレビをつけていたら、イングリッド・バーグマンの番組をNHKでやっていた。ゲストは渡辺淳一と三輪明宏だったが、普段は他人をピシャリと批判することの多い三輪がバーグマンに関してはベタホメ状態だった。ただ単に要旨が美しかっただけでなく、強い意志で自分の人生を自分で切り開き、失敗してもそれを悔やむことのなかったという彼女の生涯に対して尊敬の念を隠せないという様子だった。ハリウッドを裏切り、そしてなによりも家族を裏切ってロッセリーニの元へ走ったというエピソードからは、見かけの優美さに隠された情熱や奔放さを読み取ることもできるが、それが単なる「とにかくやりたいことをやる」ということではなかったということが、彼女の子供達が「母の死後、母のことを悪く言う子供はいないだろう」と口をそろえて言うことからうかがえる。

 そう言う子供たちは、イザベラ・ロッセリーニを筆頭になぜかみんな超美人だったが、アメリカに残されてしまった子供ですら、母親の人生に対しては文句のいいようがないらしい。
 「まあ、そりゃ、神秘な美貌の大女優を母に持っていたほうが、君らの仕事にもプラスなのかもしれんがね」と、そういう美貌を受け継いでいない私なんかはついつい意地悪を言いたくなるが、でも、自分の身の回りで考えてみたって、「子供がいたから離婚できなかった」だの「子供やダンナのために仕事を辞めた」だの、ブチブチ愚痴られるよりは、「あなたたちのことは愛しているけど、今は彼と一緒にいたいし、彼と仕事したいの」とか、「やっぱ働きたいから仕事するので、夕飯は自分で作ってね」とか言われたら、そのときには「え〜?マジ?」と思うだろうけど、でもやはり「自分のことを一番大切にする人」を憎むことはできない。

 同じワガママでも「あ〜してくれればいいのに」「こうしてくれればいいのに」と受身なものには抵抗してしまうが、「とにかく、こうしたいので、やる」と行動あるのみな人がたとえ失敗して「あ〜あ、失敗しちゃった」と言っていたら、「またがんばりなよ」と言うしかないだろう。うまく言えないけど、そういう意味で好き勝手やっている人は見ていて気持ちよいし、見ている自分も励まされる。

 バーグマンのように明確な目的意識を持って生きることはなかなか難しいかもしれないけど、自分の日常生活レベルでも、きちんと「こうしたいから、こうする」と行動すると、日々の雑事もずいぶんシンプルで生き生きとしたものになると思うのだ。バレンタインの義理チョコだって、買い物好きの若い同僚が「ね、これかわいいでしょ?」と自分の選んだものを自慢げに堂々と配っている様子を見ると楽しそうで好感が持てる。あれ見て誰も「ぶりッ子して可愛がってもらおうとしている」なんて思わないだろう。そのくらいのオーラがあった。でも、私はそんなの面倒だからやらないけど、それはそれで私の決断。(ずいぶんショボい例だ)

 ショボくない例としては、とある友人が家庭問題で重大な決断をしなければならず、彼女はどちらの道を選択しても辛い選択になることがわかっていたので、断腸の思いで決断した。その決断が、本当にそれでいいのか私には判断ができないが、私に言えたことは「あなたがそれを選んだのなら、私はそれを支持します」ということだけだった。重大な決断というものはたいていとても入り組んでいたりするし、本人だけの問題でもなかったりするのだが、だからと言って周囲のことだけ考えていたら何も進まない。最後にはどんなに辛くとも自分で決めなければならない。そしてそれをきちんとできる人のことを悪く言う人もいるとは思うが、そういう人たちはたいていその問題にはあまり関係の無い人たちであろう。

 結局、ちゃんと決断したことはたとえ後で後悔することになっても「あのときはこうするべきだと思ったから仕方ない」とわりときっぱりと諦められると思う。そうでないと「何もしなかったことに後悔」することになってしまい、そっちのほうが辛いと思う。
 そういえば、自分はあまり後悔しない人間だなあ。まあ、ふつうこんなもんかもしれない。後悔するほど波乱万丈の人生も送っていないし。
 あとわりと「何もしないということを決断」していたフシはある。あんまし勉強しなかったし、それほど学問が好きでもなかったので大学に進学するときちょっと悩んだのだが、「今の学力だとなんとか大学に入れるから、入れるうちに体験しておこう。でないと後で行きたくなったときに後悔しそうだ」という実に消極的な理由で進学したので、「もう、わかったからいいや」ときっぱりやめて退学してしまった。



2月25日(月)

 パっとしない一日。
 まず、お昼にお弁当を買いに行く前に、銀行に寄った。25日の給料日なので覚悟はしていたが、銀行の自動ドアが閉まらないくらいの行列。比較的列が短い「現金引出し専用機」にならんでいたのだが、マシンの不調で列が流れず、二回も「使用停止」の表示が出ていたのであきらめて長蛇の列に参列。
 所持金が100円以下だったため、後で出直すという選択肢もなかった。

 夕方になって、上司が同僚に「フホウの雛型あったっけ?」と言っていて、同僚が「ふほう?」と不思議そうに聞き返す。私もそれを聞いて「不法?」と思ってしまった。やっと「訃報」のことだとわかった同僚がファイルしてあった雛型を出しながら、「え?うちで用意するんですか?誰が亡くなったの?」と聞く。上司が小さな声で「○○さんが亡くなった」
 社員のご家族が亡くなったので会社で取引先などに訃報を流すのかと思いきや、社員が亡くなったのであった。

 彼は、私がこの会社に来た3年前にはすでに長期入院中で、その後、復帰してきたが、その後も入退院を何回か繰り返していた。ちゃんとお喋りしたことはないが、ときおり総務に書類などを取りにきて、引越しの多い職場だったから、そのたびに経費清算の用紙などの場所を聞いてきた。元々なのか病気のためなのか私にはわからなかったが、とにかく痩せたおじさんで、影の薄い印象だったが、私が好印象を持ったのは、彼が総務に何か用事で来るたびに、ちゃんと名前を名乗っていたことだ。たぶん、自分が滅多に姿を現さないので向こうもあまりこちらの名前を覚えていないのだろうから、自分のことも誰だかわからないかもしれないという気遣いだったのだと思っていた。実際、彼が最初に総務にやって来たときには私は彼が誰だかわからなかった。

 そんなかんじで枯れた雰囲気でもニコニコした人で、休みがちだから多分、所属部署でも戦力外になっていたとは思うが、いつもひっそりと机に座っていたのが印象に残っている。今回また入院されたということで「こんなに入退院を繰り返すっていうことは、直る病気ではないのかもしれないな」と思っていたのだが、まさにひっそりと逝ってしまわれたようだ。54歳だったそうです。心よりご冥福をお祈りいたします。

 去年、私とそんなに年の変わらない奥さんを突然の発作で亡くされた総務の課長が、自分のときのことを思い出すのが、心痛な面持ちで枕花の手配などを手伝っていた。
 親しい人ではないとはいえ、やはりついこの間まで元気で会社に来ていた方が亡くなったということにはかなりションボリ。

 ションボリしててもお腹は空くので、前から一度行ってみたかったオシャレ系中華屋に入ってみる。スポーツクラブの客が「行ってみたけど、美味しかった」と喋っているのを小耳にしたので、期待していたのだが、やはり「内装だけ」の店であった。しかも、カンンターの椅子の一部が「昔の事務所でよく使われていた、あのグレーの車輪つき椅子」で、中古オフィス用品屋から買ったのかどうかしらないが、車輪がもうバカになっているので、食べている最中もよろよろ動いて落ち着かない。

 値段もそれほど安くはないので、なんだか損した気分になりつつも、西友の上にある文具店に行って、ペーパークラフト用のボンドを買おうとしたら、私が愛用していたものが無い!前に見つけた、木工用ボンドでお馴染みのコニシの「工作あつがみ用ボンド」が無い!木工用ボンドよりやや高かったが、薄くつくし、乾燥も速かったので愛用してたのに!ショック!

 あんなもん買うために、また東急ハンズまで行かないとならないのかなあ・・・・でも、そもそもまだ販売しているのだろうかと気になったので、早速コニシのページを探してみた。やはり「工作あつがみ用ボンド」が無い!速乾木工用ボンドと同じ成分なのだろうか!?こんなことなら、もっと大量に買い占めておくのだった、と後悔することしきり。



2月24日(日)

 久々のマイペースな週末を満喫しようと、昨晩もせっせと「趣味の恐竜制作」をしながらチビチビと酒を飲んでいたのだが、深夜になって「顔なし」イメルダ君の襲撃を受ける。「酒を背負って来ないと入れてあげない」と宣言したら、ちゃんと持ってきた。さすが「顔なし」である。でも「顔なし」は千が湯札が欲しかったときに、両手に一杯持ってきてくれなかったか?(単なるワガママ発言)
 と言っても、ご本人は「千と千尋・・・」をまだ観ていないようだが。(観ると暴れそうだから、観なくてよい。一応「アメリカ人には理解不能らしいけど、ヨーロッパではわかってもらえたみたいよ」とアドバイスはした)

 昼頃起きて、昼ご飯にはまた近所のラーメン屋に行ってから、逗子の銭婆のところにジビエを食べに行くという顔無し君を送り出し、私はそのままプールへ。
 日曜日にプールに行くのも久しぶりだったが、やはり混んでいる。サウナも混んでいて、常連達がまた「掃除の仕方が悪い」とか「温度調節をなぜちゃんとしない」と文句ばっかり言っているのに不愉快になる。それが「改善してほしい」という要望ならいいのだが、なんとなくみんなが愚痴っているのは「自分にとって都合の悪いことは悪」という感じがするので嫌なのだ。いろいろな客がいるので、「全員にとって都合のいい状態」にはならないのは仕方ないと私は思っている。
 サウナも、正式にはサウナではなく、「採暖室」なのでたぶん保健所の取り決めで温度設定の上限が決まっているらしいので、それは皆知っているのだが、「それでも温度を上げてほしいときに、ちゃんと『はーい』って気持ちよくやってくれる子もいるじゃない!それでいいのよ!」とか言っているので、「要するに自分の言うことを素直に聞けっつうことか」と思うとうんざり。

 私は別に施設運営に特に文句もないし、日曜日みたいに大勢の人がサウナルームを出たり入ったりすると温度調整が難しいのもわかるし、そもそも熱いサウナに入りたいなら、近所の風呂屋のサウナに行きます。それにちょっと設備が破損したり故障したりすると、みんな文句をブーブー言うのだが(サウナの中で)、あれだけ毎日酷使してりゃあ、ときどき壊れるだろうし、それを2、3日放置してあって「ちっとも直さない。けしからん」と言っても、修理業者がすぐ来てくれるわけでもないだろうし、特殊な修理の場合には部品取り寄せとかになるのは当たり前だと思うので、少しは我慢しろうよと思ってしまう。

 「修理屋はすぐに飛んでくる」とか「店員に文句を言えばすぐに謝ってホイホイとやってくれるはずだ」ということが、サービスの向上やきめ細かいメンテナンスに繋がり、工業製品でも不良品が少ないというのはこういう心情から来ているのだろうし、それが海外などに行くと全然心構えが違っていたりするので、「ああ、日本だったらこういうときには・・・やっぱり日本はいいなあ」と思ったりするのだが、ときどきそういう「妙な完ぺき主義」がうざいときもある。

 この間、「2千円札は使えないから嫌だ」という人がいて、「でも、別に2千円札で支払ってもどこも嫌な顔しませんでしたよ?」と答えたら、「でも、自動販売機で使えない」と言い張る。
 たしかに2千円札が使用できる自販機は少ないだろうけど、そもそも缶ジュースの自販機が千円札を受け付けるようになったのは、つい最近の話ではないか?元々「お札は自販機では使えない」ものではなかったか?駅の切符販売機だって、ちょっと前までは両替機が別に設置されてたような気がするし、今だって全機種が5千円札や1万円札を受け付けるわけでもない。
 それに、日々の生活の中で「自販機」を利用することはそう多くないと思うので、コンビニでもスーパーでも牛丼屋でも使えるお札なら、別に問題はないと思うし、そもそもそれほど2千円札は流通していないではないか。

 と思ったのであるが、ふと気が付くと、「2千円札には滅多にお目にかからなくなった」のに、「2千円札対応機」だけが増えている。銀行のキャッシュマシーンとか、ろくに出回っていない2千円札を窓口で対処するよりも、機械を2千円札対応にしたほうがコストが安いのだろうか?そう判断したのならいいのだけど、なんか「銀行のマシンは全ての通貨に対応しないといけない」という思い込みだけでやっているのではないかと思ってしまう。まあ多分、2千円札発行という意味のない行為を正当化したい政府の意地も働いたのだろうけど。

 こういう「完璧さ」って、いい意味で働く場合もあるのだろうけど、なんだか無駄な労力という気がしなくもないし、こういうことはよくあるので、「みんなもうちょっと、いい加減に、というかゆとりを持ってやろうよ」とか思ってしまうのであった。

 もちろん、そういう「完璧主義」があるからこそ、日本ではまず「お金を入れてもなにも反応しない自販機」にはお目にかからない。海外ではよくあるので、びっくりするし、腹も立つが、でもそういう間の抜けた感じがいいなと思えるときもある。タイに行ったときにはタクシーがメーターを使わないのは当然だとしても、メーターどころか計器が全て壊れている車も平然と営業していた。車検制度というものがあるのかないのか知らないが、「とにかく動けばいい」という考えなんだろうし、修理代が高いということもあるだろう。でも、日本に帰ってきて、新車同然の車がずらりと道路を埋める光景を見ると、「これはこれでちょっと窮屈なかんじかも」と思った。

 別に「外国を見習って、もっとボロい機械でいいじゃない?」と言いたいわけではない。
 ただ、やみくもに「100点満点」を目指す行為と、「サービスの向上」というのはまた別なことなのではないかと思う。それに「優れたサービス」というものを求めるのならば、「自分にとって良いサービスとは何か?」ということがきちんとわかっていないと、ただ「あそこが悪い、ここが悪い」とあら捜しの「減点方式」でやっているだけの態度がいまいちよくわからないと思っただけ。それに闇雲に「サービス向上」を訴えても、たとえば1泊1万円のホテルの設備と一ヶ月1万円のスポーツクラブの設備は違っていて当たり前だと思うのだが、スポーツクラブのアルバイト職員にホテルマン並の接客を求めるほうがどうかしてないか?

 つーか、私はせっかくリラックスしてプールを楽しんでいるのに、職員や設備の悪口ばかり大声で延々と聞かされると、気分台無しなんすけど、それわかってます?(ごちゃごちゃ書いたが、結局、これが言いたいだけ)
 ちなみに、あのお喋りが「不愉快」だと思う人はけっこういるらしく、ときおり苦情が寄せられるようで、一時はサウナ室に「大声でのお喋りは他のお客様のご迷惑になります云々」という張り紙が貼られたりしたが、そうなると悪口常連軍団は「誰か変な人が文句を言っているのよ。誰かしら?きっとあの人よ!」と大いに盛り上がっていたのであった。客にマナー向上を求めると、皆ムキになるようで、「静かにしろって言うのもいいけど、だったらもっとマメにサウナ室の掃除してほしいわよね〜」とか内輪で盛り上がっていた。「他人に厳しく自分に優しい」のもいい加減にしろってかんじ。もちろんそんな人ばかりではなくて、ほんの数人だけなのだが。

 と、ちょっとイラついてしまったが、2時間くらいダラダラして、外に出るとちょうど日の暮れるころで、空気ももうすっかり春。これからどんどんいい季節になると思うとうれしい。うれしいのだが・・・・・衣替えが・・・・・去年の春は私は何を着ていたのだろう。ああ、四季折々の日本を私はとても愛してはいるが、こういうときには「常夏の国で一生コートもセーターも着ないようなことろに生まれたかった」と思うのであった。めんどくさ〜



2月23日(土)

 目が覚めたらすでに午後1時。はあ、よく寝た。週末はこうじゃなくっちゃ。満足満足。
 と悦に入ってる場合ではなくて、今日は掃除するのだ!その前にまた溜まっている洗濯をして、狭い部屋の半分を覆っている「洗濯済み衣服」をかたずけ、やっと掃除機がかけられる。大量の綿埃は生きている証ね。と感心している場合ではなく、生きている証はどんどん降り積もるのでちゃんと掃除せねば。

 掃除が一段落したら、ちょっと昼寝してたらもう外は暗くなってしまった。牛乳が切れたので買出しに行って、テレビを観ながら恐竜制作にとりかかる。
 NHKではフィギュアのエキジビジョンをやっていて、「やっぱ、フィギュア競技って結局、エキジビジョンの予選なんだよな」と思いつつも、女子1位の選手が9・11に捧げるプログラムを始めたら急にウザくなり、12チャンネルの「囲炉裏のある宿」に換える。12chって「どこもおもしろくないけど、なんとなくテレビはつけておきたい気分」のときには実に有効である。2流タレントが「わあ、おいしそう〜」と大げさに演ずるのがそれほど気にならない気分のときには、こういう「旅番組」は安心して観ていられる。

 またNHKにチャンネルを戻すと、「車椅子からの脱却」というのか、脳梗塞で体が麻痺してしまった老人のリハビリの新しい流れが紹介されていた。
 「車椅子を使用しない介護で、歩いて退院できる老人を増やす」という研究の第一人者らしい女性医師が登場し、彼女の眼光の鋭さに、「成果を数字で明確に上げている自信」が満ち溢れている。病棟で車椅子を使い、決められた時間にリハビリをするよりも、日常生活のトイレに行ったり食事に行ったりするときに「車椅子を使用せず、療法士に付き添われて歩く」という方式のほうが、10倍以上の効果をあげているらしい。

 私も歩くことが大好きなので、たとえどこか麻痺してもやっぱり自分で歩きたいと思うし、自分で自分の生活をコントロールするにはたとえ室内や家の周りだけでも歩けるということが大前提なわけだから、こういう看護方式が確立してくれるのは喜ばしいかぎりだ。それに、すでにうちのバーサンも軽い脳梗塞みたいなやつで足が不自由になってしまっているが、なんとか家の中を這ってでも移動できるし、トイレには自分でなんとか行ける状態なので、プライドが高い彼女のためにも(多分、先に寝たきりになるのはじーさんの方だと彼女も信じていたはずだ)その状態をなんとか維持してほしいものだと思っている。

 そういえば、若い人で足の不自由な場合でも車椅子ではなく杖でなんとか歩ける状態の人がいる。友達が前にバリアフリーなオフィスの試験的なプロジェクトで、そういう青年と一緒に仕事したことがあった。オフィス内では車椅子で移動していたようだが、外で食事などに行く際には杖を利用していたらしい。男の子だったので上半身の筋力もあったみたいだけど、道の移動は車でできるし、身障者特典としてわりと駐車できるところが多いので、彼らとデート(会社帰りに一緒にご飯食べに行ったり)すると、お店の前に車が停められて、彼らはそこから杖で移動するので、段差があっても苦労はなく、同行している人が手助けすることもないので、「身障者を補助するために同行」しているという気分はまったく無くて、「わ〜い、○○君の車で食事に行くと、どこにでも車停められるからべんり〜」というかんじだったらしい。

 そんなかんじで活発な男の子たちだったらしく、さぞかし友達も多かろう。変な言い方だが、「誰か車持っているやつが必要」な局面になると、同条件であったら「あいつのほうが、駐車場に困らないからいいぞ」ということになってお誘いも多そうだし、そういうハンデから来る特典を本人が大らかに認めて享受していれば、周りの人も「あいつんちは金持ちだからベンツ」というのと同じレベルで「あいつは足が悪いから駐車フリー」という程度の認識で付き合うと思うので、「へえ、そういうのはいいな」と思ったのだが、やはり体を腕だけで支えるということには限界があるらしい。若いうちは体力あるからなんとかなるし、実際、彼らの上半身はアスリート並に鍛えられているようだが、一生そうやって自由に動けるわけでもなく、いずれ車椅子に乗ることになるということを彼らもよく承知していたらしい。
 
 まあ、要するに「自由に楽しくお散歩ができる今を大事にしよう」と思ったわけであります。そんだけ。



2月22日(金)

 一日おきに書いていたので、日にちがずれていた。訂正。
 火曜日にやった「筋トレ」の筋肉痛が早くも水曜日に出現したと自慢げに書いたが、水曜日の夜は妙に体が冷えて、布団に入っても悪寒がするので「もしや、インフルエンザ?」と不安に思いつつ、暖かくして寝た。

 木曜日の朝起きたら、風邪の症候は何もなかった。ただ、太ももというか内ももに全く力が入らないくらいの、もの凄い筋肉痛だった。立ち上がるのも辛かったが、なんとか30分くらいかけて騙し騙し起き上がり、体が温まってきたら「動けない」ほどではなかったが、駅への道のりが異常に長い。いつもの歩幅の6割くらいで、歩調も6割くらいしか出ないのだ。早く歩こうと思っても歩けない老人の気持ちがいきなりわかった。

 会社でもそんなかんじでノロノロ歩いていたが、どうせ籠の鳥なので狭いフロア内を給湯室やトイレに移動するだけなので、怪しいかんじはしなかったとは思うが、少し気取った感じには見えたかもしれない。そんな状態で、夕方から近所のホテルで開かれた会合の受付のお手伝い。出席者50名くらいの会合で、受付で会費集めるだけなので、体には響かなかったし、立っているのはそう辛くもないので大丈夫だと思ったのだが、やはりそれなりに緊張していたらしいので、帰りの電車でグッタリする。
 そして駅から自宅までの道のりをまるで失恋でもしたか、急にリストラされた人のように、ヨロヨロと歩いていると、体がちっとも温まらないので、そんなに寒くないはずなのにとても寒く感じる。「ああ、脂肪の少ない人って寒がりが多いが、こういうことか」と納得する。いつもなら、それなりの速度で歩くので、脂肪が燃焼されてもっと温まるはずだ。

 長い道のりをやっと歩ききって部屋につき、「もう今日はとにかく休養だ。寝よう」と思っていたら電話につかまってしまい、それがなかなか切れなくて、結局寝られたのは11時くらいだった。
 それでも8時間は寝られたわけで、今朝起きたら、うそのように筋肉痛は解消されていた。ああ、人間の体ってよくできている。

 というわけで、今日も調子に乗ってスポーツクラブに行く。一山超えて、去年のペースに戻したみたいだ。
 帰りに「週末だし〜久々に家でビールでも飲もうっと」と、遅くまで開いているスーパーに酒を買いに寄って、ついでに週末の食糧に確保してあるお餅を紫蘇で巻いて食べようと思って野菜売り場で佇んでいたら、横にいた男性に「すいません」と声をかけられたので顔を上げると外人さんだった。(おっさんに見えたが、多分同じ年くらいの白人男性)

 「これ・・・・同じ?」(日本語)
 彼の手には、真空パックの「水煮大豆」と「水煮済みでむいてある枝豆」が握られていた。
 うう・・・・んと。急にそんなこと聞かれても・・・・・同じといえば同じなのだが、その違いをどう説明すれば・・・・・彼はカタコトの日本語は話すようだが、それほど喋れるようでもなく、どうやら英語で「これはそのまま食べられるか?」と聞いてくるので、「大豆は普通は料理用」と答えたら、「え?でもこの間、このまま食べてしまった」と言うので、別に食べても問題はないのだが「普通はこれを醤油とか砂糖を入れてクックするのだ」と教えた。「こっちは?」と枝豆を指すので、「そっちはそのまま食べるのが普通。ビールと一緒に食べるのを日本人は好む」と言ったら、

 「Do you drink beer?」

 と言うので、なんでそんなことを聞いてくるのだろう、といぶかりながらも「イエス」と答えると、なにやらポケットの中に手を入れてもぞもぞするので、「なんだろう?ビール会社の人で、今度日本で販売する母国のビールのモニターになってくれとか言われちゃうのかしら」と思っていたら、渡されたのは手書きの名刺だった。カタカナで彼の名前と携帯の番号とメールアドレスが書いてある。

 「ビール飲むときは連絡してくれ。一緒に飲もう」

 ・・・・・・なんだ。ナンパなのか・・・・モニターかと期待したのにがっかり。(真性酒飲みだな>私)
 英語の先生だと言っていたが、こんなところで釣ってないで生徒に手出せよ!(フランス語の先生やってるフランス人は生徒がアタックしてくるので辟易しているらしい。彼がハンサムだということもあるだろうが、そういう目的で英会話学校に通う人はわりといるらしい)

 それにしても、スポーツクラブの帰りで思いっきりスッピンでボサボサ頭なのにナンパされてもちっとも嬉しくないという乙女心をわかっていただきたい。
 それに、ここんとこ三茶近辺で外人に話し掛けれると毎回ナンパなのには閉口してしまう。こっちはいつも海外旅行に行ったときには親切にいろいろ教えてもらっているので「情けは人のためならず」の精神で、つたない英語で一生懸命説明したのに〜〜〜〜
 まあ、英語で話し掛けると逃げる人が多いみたいだから、カタコト以下なだけについつい熱心に喋ってしまう態度が好印象になってしまうのかもしれないなあ。

 なんだかイマイチ釈然としないが、また「被ナンパ記録」の記録は記録だろう。ただ、いかにも、女なら誰でもよさそうな雰囲気だったので(あの名刺を大量に持ってそうだったし)、ソルトレークの審判員には認めてもらえないかもしれない。そしたら「日本被ナンパ連盟」として公式クレームを出さないとな。ロシアを見習って「ボイコット」をちらつかせるとか。

 というのはどーでもいいが、帰り道で「大豆の水煮」をそのまま食べないことの説明として「チリ・ビーンンズをチリ・ソーズ抜きで食べるのと同じ」と言えば、私の英語力ではまあまあの説明ができたのではないかと気が付き、元々たいしたことない英会話力の低下に嘆くことしきり。年末の忘年会のくじ引きで当たってしまった「ネイティブ教師による個人英会話レッスン3時間」(すごい景品だ。私以外の社員が当たってしまったらどうするつもりだったのだろう?英会話スクールをやっているグループ会社の役員が招かれていて、彼がなにも賞品を用意してこなったので、酔っ払ったうちの社員になじられて慌てて出した景品。もちろんその役員もかなり酔っていた)を控えているので、よさそうな先生だったら「上手なナンパのかわし方」でも教わろう。「おととい来い」をエレガントに表現するような。しかし、そもそも「ナンパ」って英語でなんて言うんだ?ネイティブの先生にそれを説明するのが大変そうだ。

 話は変わるが、先週、東京都写真美術館で、サンダーバード2号のぬいぐるみの実物を見たので、「やはりこれは自分で作るしかない!これを枕にするのだ!」と思いつめているのだが、なにせそれほど裁縫の腕がないので型紙がないと作れないから「ペーパークラフトはないだろうか?」と探したのだが見つからない。1号と3号は発見したが、2号は紙で作るのには粗雑なフォルムなのだろうか?
 昔、ビックリハウスに付録としてついていたのだけどなあ(あのころハウサーだった。自分のが掲載された号は家宝として実家に保存してある)。「サンバーダード」の模型としてだけど。(箸が転がっても可笑しかったあのころ・・・個人的にはめちゃウけた)あれは、切り抜いて作っちゃったし、もう作品も残っていないだろう。高校の自習時間に作り上げてクラスメイトにちゃんと「♪サンバーダード〜」と唄いながら見せびらかしたからなあ。(変な女子高生。でもクラスメイトはたぶん私のことを害のない変人だと認めてくれていたはずなので、暖かく見守ってくれていたのだろう)



2月20日(水)

 昨日、スポーツクラブで2ヶ月ぶりくらいに、筋トレのクラスに参加して、スクワットをガシガシやったら、今日は見事に筋肉痛だった。あ、でも、翌日筋肉痛って早くないか?年とると、筋肉痛になるのが遅くなり、前も水曜日の朝、アパートの階段を降りるときに足が痛いので「なんだろう?」と思ってよく考えたら、日曜日に慣れない運動したからだった。今みたいに自分でスポーツクラブに通っていなかったころ、友達に誘われてスカッシュをやってみたのが、水曜日になって足にキたのであった。

 痛むお尻と太ももを癒すため、今日はプールでまったりするつもりだったが、プールが空いていたので、ついうっかりガシガシ泳いでしまい、家に帰ったらもうぐったりだが、洗濯物が山積みになっていたので、がんばって洗濯中。
 
 なんか体が冷えてしまった。風邪かしら。



2月19日(火)

 昨日は会社の「鍵開け当番」だったので、8時半前には会社に着いたのだが、やはり誰かに先を越された。正社員になって数回目の鍵当番なのだが、1回もセキュリティーの解除をしたことがいのでとても空しい。だったら「一番早く出社した人が開錠」すればいいのだが、もしも誰も早く来ないと、掃除のおばさんが入れなかったりするのだろうか?オフィス・ビルだったらこんな面倒ないのになあ。親会社所有の小さな建物だからセルフ管理でめんどくさい。

 でも、鍵当番で早く出社すれば早く帰っていいので、5時には会社を出て、港北ショッピングセンターでブラブラして、服屋なども久々に見て回ったが、見て回っただけだった。軽く食事をしてから、映画館に「地獄の黙示録」を観に行く。
 中に入って上映を待ったが、私の他には客はたったの3名。初老の夫婦(こういう映画に連れ立って来る不倫のカップルなどいないだろう)と、初中年男性(つまり私と同じくらいっつうことだ)だけ。ちょっと淋しい。

 しかも、客が少ないせいなのか、暖房の効きが悪く、膝にコートをかけていたのだが、それでも冷えた。私はあんまし足元冷えないほうなのに!

 さて、映画は、やはり覚悟はしていたが、3時間半は長かった。疲れた。冷えたせいもあって途中で1回トイレに立った。
 私がこの映画を観たのは多分、高校生か大学生のときで、テレビ放映された最初のときだったと思う。「ついにあの大作がテレビで登場!」とか宣伝していたので観たんだと思う。当時の私はヨーロッパ映画にぞっこんだったし、戦争映画は今も昔もあまり好んで観ない。
 それでも、あの当時、「ワルキューレ」を鳴らしながらヘリがドドドっと飛んでいくシーンは「すげえ」と自宅の大して大きくもないテレビで、音響設備も整ってない環境で見ても充分堪能したし、とにかくあの「サーフィン大好き司令官」が大好きだった。

 そこで、あのシーンだけでも映画館で観てみたいと思っていたのである。それでもけっこう記憶に残っているシーンは多くて、たぶん全然憶えていないシーンは、今回付け足されたものなんだろうと思ったが、調べてみたらやはりそうみたいだった。

 しかし、映画の内容よりも私が衝撃を受けたのが・・・・・・
 自分の恥を晒すのもよい趣味とはいえないが、実はずっと映画を観ながら、「この人って誰かに似てるな」と考えていたのだ。
 「えっと誰だっけ?」と思いつつも、それは映画自体とはあまり関係ないので、それほど真面目に考えていたわけではなかったのだが、映画が終って、タイトルロールというのか、監督の名前などに続いて、出演者の名前が上がってきたところで気がついた。

 キャーッ!なんてこったい!
 主人公が誰かに似てると思ったら!
 チャーリー・シーンに似てると思ってたんだ!
 
 すんません。マーティン・シーンが主演だということをすっかり忘れてました。自分の間抜けさにボーゼンとなった。
 「チャーリー・シーンはマーティン・シーンの息子」であって、「チャーリー・シーンの父がマーティン・シーン」ではないということはよ〜くわかっているのに・・・・・反省

 もひとつ、すっかり忘れ去っていたのは、最後の「マーロン・ブラントの帝国」に、デニス・ホッパーが出てくること。「あ、そっか、この役だったんだっけ。若い!」とか思ってしまった。20年近く前に観たときにはデニス・ホッパーのファン(サイン会の前日に整理券をもらいに行った程度に)ではなかったので仕方ないか。デニス・ホッパーが再評価されたのは、「ブルー・ベルベット」とか「アメリカの友人」ですもんね。
 ハリソン・フォードも出ていることに気が付いたが、それはどうでもいい。

 しっかし、映画の本筋とは違うところばかり書いているが、この映画って字幕ないと誰がなに喋ってるかさっぱりわからない。フランス人入植者が登場してやっと「字幕とセリフが連動できる」という状態でござんした。
 オリジナル版をよく憶えていないので比較ができないけど、「戦争において、敵を裁いてはいけない」ということが語られたいたのは、今のアメリカの状態を鑑みると皮肉に聞こえますが、そもそもベトナム戦争もそういう戦争だったわけだから、アメリカはあの当時から何も変わっていないということか。

 それにしても、2時間くらいは退屈することもなく観ていたが、やはりマーロン・ブラントが登場するとタルい。しかも今回の「完全版」では、そこがずいぶん長くなっているらしいので余計に長くかんじられた。「さっさと殺れよ」と思ってしまう。
 それに、ベトナム人だかカンボジア人だか知らないが、アジア人の群集シーンの退屈さはなんなんだろう?もうちっとなんとかならなかったのだろうか?アメリカ映画は群集シーンが下手くそなのが多いけど。ヨーロッパ映画では役名もつかないような役者の使い方が上手い監督が比較的多い。
 死体がぶら下ってたり、生首が転がっているのもいいが、もうちょっと演出できんのか、と20年前にも思ったことを思い出した。ジャングル奥地の王国の終焉を暗示しているのはわかるが、もっとそれを行間で匂わせるような演出してほしかったなあ。あまりにも薄っぺらかったのが残念。だって遊園地のお化け屋敷みたいなんだもん。

 ところで、最後に主人公が王国を船で離れたところで、プチンと終っていたが「あれ?もっと派手なラストでは?」と記憶していたのだが、オリジナル版ではタイトル・バックが炎の映像だったらしい。でも、今回のバージョンの終り方のほうが好きだな。などと余韻に浸っている間もなく、他の3名の客が席を立ってしまったので「待ってぇ〜ここに1人で置いていかないで〜生首出てきそうで怖いじゃない!」と慌てて外に一緒に出る。

 家に着いたらもう12時。早起きしてたし、濃い映画観てぐったりしたのでとっとと寝た。

 というわけで、嫌いな映画ではないということがわかったので、また20年くらいしたら観てみましょう。
 それにしても早く「ET」やらないかな。ETのセリフは字幕無しでもわかるから好き。(もちろん大人たちやNASA職員が何言ってるかはわからないけどさっ)



2月17日(日)

 午後12時半に起床して、窓を開けてみると空はどんよりしていたが、空気もどんよりと生暖かい。夕方から雨だという予報だが、散歩日よりだと思い、ウォークマンをお供にして外出。近所の小学校でマラソン大会が開かれているらしく、小さな子供が走っていたが、もう最終ランナーに近いようで、くたびれきってすっかり走る気をなくして、うつろな目で歩いている子をブーツを履いたオシャレなお母さんが必死で励ましながら伴走している。その後ろからは、走る気は充分なのだが、足の不自由な子が、ええと、あれはなんていう名称だっけ・・・・金属製の松葉杖で、グリップがついているやつ、を地面から45度の角度に突っ張って、鈍いことは鈍いが、遠目に観ると、スローモーションのアルペンスキーみたいでカッコよかった。

 「これから4年生がスタートしますので、歩行者は歩道を歩いてください」とアナウンスされている歩行者天国の三茶商店街を抜けたのが、丁度1時半。子供に負けじと私も「1人徒競争」をスタート。
 246を渋谷方面にのんびり歩き、20分くらいで旧山の手通り。体もだいぶ温まってきたので、そこからペースを上げて代官山の通りを疾走(歩)。モンスーン・カフェを通りすぎ、オシャれな通りを黙々と歩く。ここの通り、恥ずかしいくらいシャレた店ばかりなので、磁石のNとSのように私の体と通りが反発しあうようか気がして、体感的には「磁力で浮かぶリニアモーターカー」のような気分で、シャカシャカ歩く。

 本日のお散歩は、副交感神経への刺激とともに「昨日の食事は昼はマックで夜がラーメン」だったので、「脂肪燃焼」も狙っているため、食事ヌキで「バーム」飲みながらのエクササイズである。あっとう間に、代官山を通り抜け、槍ヶ崎の信号を左折して恵比寿方面に坂を降り、恵比寿駅は通らずに右折して恵比寿ガーデンプレイスに着いたら、丁度2時半だった。いい運動した。

 お目当ては、写真美術館のサンダーダード展だったが、先に「馬へのオマージュ」という展示を見る。丁度、今読んでいる小説が、19世紀後半のニューヨーク社交界が舞台の「エイジ・オブ・イノセンス」。映画は観たが(ダニエル・ルイス主演だったから。でも、会社帰りに食事しないで寄ったら、すごいムカついた。だって、食事シーンが豪華ですごいんだもん。いきなり空腹を感じて悶絶する。だからあまり映画の内容には集中できなかった)、小説をあらためて読んでみると、「これと、『アメリカン・サイコ』を交互に読むと、『ニューヨークの上流社会にちょっと疑問を持っちゃってジタバタしている青年の今昔比較』になっていいかもしんない」と思った。
 話が逸れたが、「馬へのオマージュ」は「馬のある風景」がたくさん並んでいて、19世紀の馬車のある光景もたくさんあったので、「エイジ・オブ・イノセンス」を読む際のイメージ作りの助けになると思い、フムフムとうなずきながら観ていた。
 
 さて、地階の「サンダーバード展に」行くと、なんだか混んでいる。今日が最終日。子供も多い。展示室に入る前に、プラモデルやおもちゃのコレクションがガラスケースに入って展示されており、私と同世代の父親と小学生の息子がかじりつくように見ている光景が微笑ましい。私のサンダーバード好きも、テレビで放映されていると必ず観ようとしていた母の影響があるだろう。
 展示のほうは、どうってことなくて、写真が並んでいて、あと人形も数点あったが、実際に撮影で動いていた人形は、ボロボロの操り人形の一部というかんじで、相当酷使された様子がしのばれる。

 観たいもんは観たので、外に出ると、雨が降りだしていたが、それほど強い雨でもないので、調子に乗ってまた歩いて帰ることにする。今度は槍ヶ崎信号を直進して、中目黒経由。中目黒も再開発で高いビルが建っているが、まだ最終仕上げ段階のようだ。
 さすがにエネルギー不足を実感してきたので、ドトールでココアを飲んで糖分チャージ。カセットをそこで出掛けに「たまにはこういうので歩いてみるのもいいかも」と思って持ってきた「クイーン・ベスト・ヒット」にしてみる。

 「ボヘミアン・ラプソディ」聴いたら、細胞がいきなり活性化するような心地よさに包まれ、また「ママー!ルルルルー♪」とか「♪きら〜くい〜ん、がんばれタブチ♪」とか鼻歌唄いながら元気に歩き出す。裏道を通って、世田谷公園周りで三茶に向かう。ああ、クイーンはやっぱりすごいなあ。300年にはモーツァルトと同じ扱いになっているのではないだろうか?うまく説明できないけど、これは「外に向かって開かれた音」だ。もちろん故フレディー・マーキュリーは相当のナルシストだったろうけど、彼は「鏡見てうっとり」系のナルちゃんではなく、聴衆が自分を見つめることによって自分を見つめるようなタイプのナルちゃんだったのではないかと思う。デヴィッド・ボウイと一緒に唄っている「アンダー・プレッシャー」を聴くと、閉じた魅力(暗い部屋で鏡見てうっとり系)のボウイと開いた魅力のフレディーが比較できておもしろい。

 そういや、昔の職場の同僚は最初は「フレディーの墓参りに行く」と言ってイギリスを旅行していたが、そのときとても楽しかったみたいで、その数年後に長期滞在するために退職してほんとにイギリスに行ってしまった。彼女の送別会のときに2次会でカラオケに行って、彼女が歌いたがらないので(カラオケはあまり好きではないようだった)、酔っ払った私が「○○さん、フレディーの墓のそばに住みたい一心でイギリスに行くわけだから」と、「ボヘミアン・ラプソディ」を入れてみたら、案の定、とりつかれたように唄いだした。しかも、その通信カラオケでは、コーラス部分の歌詞が表示されなかったのにも関わらず、歌詞がなくてもコーラス部分まで完璧に唄っていたので「こりゃ本物だ」と一同納得してしまった。

 とにもかくにも、クイーンは落ちこんでいるときに聴くとどうなのかわからないが、自分でがんばろうと思っているときにはかなり効果的な音楽だ。と思いながら、フレディーに励まされるようにして歩き、無事三茶に戻る。

 イメルダ君に夕食に誘われたので豪徳寺へ。なぜか沢山チョコレートを貰う。よしよし。教育がゆきとどいたようだ。
 「なんで僕にはくれないの?」と言われた。野郎ばかりの職場にいたので義理チョコすら貰ったことがないらしい。「沢山もらえる人に、これからなればいいじゃん」と答えた。余ったらおすそ分けしてね。

 さて、明日は早起きしなくてはならない。でっきるっかな?



2月16日(土)

 出勤。ちょっとトラブルがあったので、往復2時間かけてブツの受け取りにお出かけ。帰ってきたらもう1時半。その後、FAX送ったりして、ご飯を食べてからまったりしてたら3時。すっかり仕事する気がなかったが、あまりサボるとまた来週泣きをみるので、ポチポチと仕事した。
 ほんとは今日の帰りに「地獄の黙示録」を観に行こうかと思っていたのだが、気が乗らなかったのでパス。長編なので気合が入らないと観にいけそうにもない。

 先日、フランス人と英語で会話していたときに、なぜか映画の話になり、そういうときって原題がすぐに思い浮かばなかったり、そもそも原題なんて知らなかったりもするのだが、「地獄の黙示録」は予告編を観たときに「ああ、やっぱ地獄はつかないんだな」と思ったので「黙示録」はそのまんまだということを確認していたのだが、えっとあの単語苦手なんだよな・・・「ア・・・・アポ・・・・・アポぷ・・・・」

 その時に気が付いたのだが、APOCALYPSEという単語は私の頭の中では、「ポカリスエット」「ヒポポタマス」「ポカホンタス」と同じ引出しの中に入っているらしい。やっとの思いで、「あ・・・ぽかり?・・・プ?」と言ったら、フランス人がわかってくれて「アポカリプス ナウ」と静かに助けてくれた。一応その前に、「ええと、ほら、コッポラの映画・・・なんだっけ?ベリー・フェイマスでベトナムなやつ」とか言っていたので、だいたいあたりはついてたみたいだが。

 それにしても、「黙示録」と「清涼飲料水」と「カバ」と「ディズニー映画の題名であるネイティブ・アメリカンの名前」を単に「」だけで一括りにして、同じ引出しにしまっているというのは、洋服の整理の仕方で言えば、「この引出しは青の引き出し。青いTシャツ、青いパンツ、青い靴下、青いハンカチ」とやっているようなもんで、色別仕訳はコーディネート上、役に立つかもしれないが、「アポカリプス」を「ポ」の引き出しにしまっていると、取り出すときに「ポ、ポ、ポ・・・・・」と呟いてしまうので、そうなると「鳩ぽっぽ」と言いたくなる衝動を押えるのに貴重な脳細胞をフル回転させたりしているので、効率悪いこと甚だしい。

 いろいろ観たい映画はあって、「がんばれリアム」も主人公の男の子が「ねーさん、これは泣けまっせ」と私を誘うし、「アメリ」もレイトショーになったら観に行ってみよう。
 でも、ほんとに楽しみにしているのは、「何回観ても生き返るシーンで気持ちよく落涙」できる「ET」の最新版である。別に手を加えなくても、そのままでいいんだが、テレビでは何回も観たが、やはり劇場でハンカチを握り締めたい。

 「映画館で映画観たいな」モードになっているが、この気持ちが持続するかどうかは不明。 


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