可燃物な日々

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1月17日(木)

 台北からの飛行機が1時間以上遅れて出発したので、羽田に到着したのが23時。モノレールに乗って浜松町に着いたら、山の手線の神田駅で人身事故とのアナウンスにビビるが、なんとか渋谷までは運行してた。「行けるところまで行きます」とアナウンスしていたので心配したのだが、終電ギリギリなのでJRもとにかく池袋までは走らせたかっただろう。
 渋谷で田園都市線の最終の一本前の電車に乗れて、家に着いたらもう1時だった。やれやれ。でも明日も休みにしておいたのでよかった。そして思ったほど東京が寒くはなかったので重ねてよかった。私が暖かい国に行っていた間、どうやらずっと暖かかったみたいだなので、ちょっと悔しい。



1月13日(日)

 そういえば、金曜日だったか、ニュースステーションで「藤ノ木古墳」をとりあげていた。久米宏は古代歴史ロマンよりも、大和粥(お茶で煮たお粥。奈良漬と合う味らしい)に興味があるようだったが、私もあまり日本古代史に興味がないので、藤ノ木古墳という名前は知っていたが、その詳細を知らなかった。
 しかし、藤ノ木古墳に葬られていた男性二人というのが、穴穂部王子と宅部の王子なのでは?という説で、いきなり「日出処の天子」の世界が展開されていることに色めき立つ。番組でも紹介されていたが、その二人の王子と、穴穂部王子の弟であった崇峻天皇を殺害したのは蘇我馬子であり、聖徳太子は馬子によって次々と自分の親族が殺められることに心を痛め、政治の中心から離れて斑鳩に宮を建て、仏の道に深く傾倒していったのではないかという説明がされていた。

 そういう「徳の高い人物」としての聖徳太子像が一般的なんだろうか。
 聖徳太子というのは多分、日本史の教科書でも最初に出てくる「キャラのある人物」だったと思う。その前の登場人物としてはには卑弥呼が人気だが、卑弥呼に関する資料はあまりにも少ないし、その人物像については想像するしかないのだが、聖徳太子になると資料も多いし、その資料が多少あてにならないにしても、後世に語り継がれるような人物であったのは確かだろうし、なにしろ法隆寺はいまだに健在なわけだから、想像を膨らませる下地は十分にある。
 それに、私の学生時代には、なんてったって1万円札にその肖像が刷られているくらいだし、日本の仏教文化の下地を創り、初の法律も作り、隋に使者を送り、10人の話をいっぺんに聴けたという「一流の文化人にして、一流の政治家」としてだったということで、とにかく「立派な人だったらしい」という認識だった。

 それが「日出処の天子」では、たしかに天才として描かれているが、歴史書では「ぜんぶ、当時権力を誇っていた蘇我馬子によって殺害されました」という血なまぐさい権力闘争が、「ぜんぶ、聖徳太子の陰謀でした」ということになっているのである。歴史書に書いてある史実や系譜を押さえつつ、そこに強引な解釈をして別のドラマを作ってしまっている。
 この手法って、少女漫画では池田理代子が得意で、「ベルサイユのバラ」も実在の人物と架空の人物を絡ませて、歴史に翻弄される人間ドラマを作ってしまったし、その後に描いた「オルフェウスの窓」も、ロシア革命前後の史実を上手く利用して大河ドラマ仕立てになっていた。だから「日出処・・・」のときにもそれほど違和感はなかったのだが、「徳の高い人物」というのをあそこまで性悪に描いてしまっていいのだろうか?と思いつつも、その強引な設定にすんなり納得してしまって、その後、聖徳太子近辺の歴史上の人物像はあのマンガのキャラにすべて書き換えられてしまったのである。そういう人は私だけではないと思う。

 だから、あの番組でも「ちがうのよ、殺したのは馬子じゃなくて、厩戸王子だったの。わかってないな〜」と心の中で突っ込みを入れてしまう。梅原猛が聖徳太子の生涯を小説化していたが、あれも「日出処・・・」に洗脳された頭だと「ちがう〜〜〜」と思ってしまってまともに読めない。
 ただ、梅原猛が書いた「隠された十字架」から山岸凉子が影響を受けているとも思うのだが、そのあたりの事情はよく知らない。でも、高校の修学旅行で法隆寺に行ったときに美術の先生が、「ここの門は、柱が1本多いんだよ」と説明してくれた。真中に柱があるのは「聖徳太子の霊を封じる目的があったのではないかという説がある」というので、その場にいた「日出処信者」は「やっぱり?」と納得したのであった。

 今になって考えてみると、「日出処の天子」のストーリーがわりと受け入れられていたのは、「荒唐無稽な少女漫画だとしても、これが単なるいきすぎた空想でもないかもしれない」ということがあったように思う。現在、「史実」として語られていることがどこまで真実かよくわからないが、とりあえず日本書紀などの記述を真に受けたにしても、当時が血族結婚と権力争いが激しくて、そこに従来の聖徳太子のイメージを当てはめてもなんとなく不自然である。徳が高いとか、頭が良いとか文化があるとかだけでは、政治権力の世界でやっていけないということは、今の国会議員を見てみたってよくわかるし、他の歴史上の人物だって曲者ばかりだ。
 だから聖徳太子だって、相当な策謀の世界に身を置いていたと考えるほうが自然だろう。ましてや身分的にも能力的にも天皇の器だったのに、その地位につかなかったなんて、なんか変だ。権力闘争から一歩身を引いて、仏の道に専念したにしては、表舞台に立ちすぎであるし、その後の伝説的な語られ方を考えても、相当の影響力があったはずだ。だから単に尊敬されていたわけではなくて、恐れられていたと考えるほうがそのキャラを想像しやすい。

 などと、理屈をこねてしまったが、それだけあの漫画は強烈だったな〜と、いろいろ新たな発掘調査が行われても強引にあのストーリーに押し込もうとしてしまう自分への言い訳でした。

 今日も昼頃起きて、銀行で現金を下ろしたり、買い物(靴下とデジカメのメモリーカード)をして、部屋の掃除をちんたらやりながら、旅支度をする。短い旅行なので荷物もいいかげんだが、なんだかんだ詰めていたらそれなりに重くなったけど、明日は休日なので電車もそれほど混まないから大丈夫だろう。
 前に平日の朝に成田に向かったときには、朝のラッシュに巻き込まれてしまい、重い荷物を持ってもみくちゃになった。荷物が床に着かないくらい混んでいて、周りの人は露骨に迷惑そうな顔するし、成田に着く前に相当消耗してしまった。あのころは働いてなかったのでラッシュのことをすっかり忘れていたので、辛い姿勢に耐えながら「しまった・・・リムジンバスにすべきだった」とえらく後悔いたしました。

 というわけで、明日からしばらく旅行です。たったの4日間ですけどね。
 帰ってこれたら、メルマガもちゃんとやります。メルマガもスポーツクラブも年を越したらすっかり放棄しているから、早いとこ通常モードに戻さねば。



1月12日(土)

 去年の忘年会で、数年ぶりに再会したマミちゃんに誘われるままに、BUZZ NIGHTに行くことになった。場所はClubAsia。そこに行くのも何年ぶりかだ。
 ロック系のイベントなのかと思いきや、メイン・フロアはわりとテクノというかデジタル・ロックというのか、ダンス系がかかっており、バーのある狭いサブ・フロアではロックがかかり、かなり盛り上がっていた。
 
 金曜の夜だったので、疲れもあって、2時過ぎたら猛烈に眠くなり、メインフロアにある舞台の片隅でずっと膝を抱えて寝ていた。音は聴いてたけど。
 テクノのDJと違って、こういう「曲本位」のイベントのDJたちは、繋ぎに命をかけていないので、踊っていても集中力が持続しないのだが、まあいろいろ今風な音を聴けたし、いまどきのロッキンオンの読者がどんななのかもわかったので面白かった。
 4時を過ぎたらマミちゃんも「もう十分堪能した」というので、外に出て開いてるカフェでお茶して始発を待った。

 天気がいいという予報だったのだが、目が覚めるとホントに洗濯日和。なんとか昼過ぎに起きて、布団を干してシーツとベッドカバーを洗濯。
 「旅行前に少しは掃除しておかないと万が一のときに困る」と思ってちんたら部屋を片付けるがあまりはかどらず。
 結局、またイメルダ君と遅い昼ご飯を食べてから、カフェでぼーっとお茶を飲み、そのまま一杯だけ酒も飲み、十分まったりしてから家に帰るが、あまりにもテンション下がりすぎてしまったのか、そのまま寝てしまい、一回目が覚めてダーマとグレッグを観たが、また寝てしまった。 



1月11日(金)

 幸いなことに起きたらわりと暖かかったので、シャワーをざっと浴びてなんとか出勤。昨日も残業するつもりだったのだが、途中で飲み屋に拉致されてしまったので仕事が終っていなかった。残っていた仕事を午前中に片付けようとするが、午後には提出しなくてはならないのに、今日になっても追加がちらほらはいるので、なかなか締められなくて、ドタバタしつつもなんとかその仕事は仕上げて、もうひとつ休み前にやっておかなくてはならなかった親会社への請求書も仕上げ、親会社の担当者のところに持って行って「もし、訂正があったら・・・・わたし、明日からお休みしますので、よろしくお願いいたします」という、なにがよろしくかわかんないご挨拶をした。
 その他、いろいろ残務を片して、今日中にできないことは同僚にお願いしておいて、派遣の人にも留守中にやってもらう仕事を指示したりとてんてこまいだったが、明日からしばらくお休みだと思うと自然とテンションがあがり、7時ごろやっと帰れるようになったので、「では、後はよろしくお願いしまっす」と上司にあっかるく挨拶して帰宅。

 昨晩飲み過ぎたのであまりよく眠れなかったし、仕事の疲れもあったのだが、約束していたので、着替えて軽く食事してから渋谷へGO。
 行く前にテレビをぼんやり観ていたら、たけしの出てる「なんでもピカソ」とかいう番組に玉三郎が出ていた。ストレッチなどを披露してくれたのだが、そのアスリート並の柔軟性に驚愕。そうだよな。あれだけ重い衣装と鬘をつけて踊るのだから、あのくらいの身体能力がないと「表現力」が発揮できないというか、舞踏って芸術というよりもスポーツなんだよな、とか思った。



1月10日(木)

 社長と副社長と飲んでベロベロになる。あんなに日本酒を飲んだのも久しぶり。それでも11時には家についたが、服を着たまましばらく寝てしまい、電話で目が覚めるが電話には出られず、留守電にむかって明日の待ち合わせの話をしている友達の声を聴きながら、「すんません。明日メールします」と反省しつつも、おかげでやっと立ち上がって、着替えてコンタクトレンズを外し、どうしてもやはり風呂に入る余力がなくてそのまま寝る。



1月9日(水)

 予定されてた他部署の仕事で町田へ。行ってみたら、各部署の社員が20名くらい大集合していた。手の空いている部長たちも勢ぞろい。このアルバイトの仕事から社員になって、順当に年を重ねて現在に至っている部長も多いのであった。「バイトあがり」ってやつである。
 ときどき、こういうテスト時期のようにバイトが不足するので、社員が駆り出されるが、私は初めてだった。
 地味な単純作業だが、集中力が必要で、気を抜いてうっかりミスをするとあとで現場の人たちがとても困ることになるので、気をつけないとならないのだが、そうは言っても昼ご飯の後は自然と眠たくなってしまうので、ときどき歩き回って気分転換をしながらなんとか夕方の6時までがんばった。終了時間未定だったが、予定時刻に終ったのでよかったよかった。(後は夜になってやってきたバイトさんたちが朝までやるらしい)

 久々に連続ドラマを観た。「漂流教室」が原作らしいのだが、山下達郎の主題歌が流れるラブ・ストーリーらしいので、原作とはかなり違う雰囲気みたい。原作かなり怖いもんね。あまり憶えていないのだが、たしか誰も戻れなかったのでは?

 まあ、私はどうせ窪塚君目当てなので、どうでもいいし、連ドラにはまるとスポーツクラブに行けなくなるので(それでなくても今年になって一回も行ってない)、意識的に避けているのだが、今回どうしても確かめたかったのは、窪塚君は去年の後半、マルコメ頭になっていたのに、このドラマでは「ふっさふさ」なのである。番宣を観て「あれ?ズラなの?」と思ったので、「そう思って見ると、なんとなく不自然なボサボサ頭だが・・・・」と気になったので、どの程度不自然なのか確認しようと思ったのである。(言い訳くさいがね)
 
 まあ、あと、常盤貴子と「初競演」ということなので「ちょっと心配」してみたりして・・・・・常盤貴子は、とても危険だと思う。単なる私の個人的な趣味だが、いつも「あの人に間近でパチパチっとまばたきされたら、ちょっと理性を保つ自信がない」と思っているのであった。あ、この書き方だと問題があるか・・・「もし私が男だったら」を付け加えておく。
 ドラマの方はどうなんだろう。イマイチ際だったキャラがいないような気もするが、英単語まじりで喋るまともそうな英語教師がだんだん本性を現すのか、それともかなりキレてる派手派手教師(中島宏海がまたこんな役。あの年齢では数少ない演技派だと思うのだが)があのまま驀進するのかよくわからない。あんまし面白くなりそうなかんじもしないが、脚本というかセリフのやりとりがそれほど気に障らなかったのでよしとしよう。



1月8日(火)

 寝る前に鉄分を補給したのだが、そういうファンケルなお呪いもあまり効果がなく、よく眠れないからやっぱ鎮痛剤にしよっかなと思っていたが、そう思いつつも眠りについてしまったらしいのだが、起きたらやはりダルダル。もう女の子って大変。しかし、これも旅行計画に組み込まれた予定通りになったことには感謝しよう。

 前に1人でタイに行ったときには、そういう体のサイクルを無視して「まあ、旅先だとこんなにダルくならないだろう」とたかをくくっていたのだが、アユタヤからバンコクへ電車で移動するときにピークが来て、しかも電車は座れずに、暑いのに冷や汗出てくるくらい辛くて、「でもバンコクの宿につくまでの辛抱だ。お湯のシャワーが浴びたいよ〜」(アユタヤでは水シャワーな安宿でした)と根性だけで数十分の車中は凌いだものの、駅についたらどうしてもやはり「交換作業」がしたくなり、中央駅だからまだましかなと思い、飛び込んだ。

 たしかに、掃除のおばさんが常駐しているようなトイレで、きれいはきれいであった。だが、掃除したばかりらしく、床は水びたしなのである。アジアにありがちだが、とにかく水まいて掃除するらしいのだ。ほんとは背にしたバックパックを並んでいる人に預けたかったが、荷物を床に置けないので、まさか他人に背負わせるわけにもいかないし、仕方なく背負ったまま個室に入り、生理用品を出したが、それを置くところがなく、がんばって手に持って、重い荷物を背負ってしゃがみ、それだけでも辛いのに、「交換作業」はけっこう時間がかかるので、「ああ、このまま、このビショビショのトイレの床に倒れてしまうかも」と思いながらも最後までなんとかやりとげて、個室から出て、外に出たらしばらくしゃがみこんでしまって動けないほど消耗していた。あのときはほんとに女に生まれたわが身を恨んだな。

 というわけで、それに比べれば、会社に行くことなんて、それほど大儀なことではないのだが、そもそも来週休むから今週はそんなことで休んでいられないし、そもそも仕事も馬車馬のようにやる宣言しているのだから、がんばって出勤したのだが、会社に着くと、なんと上司も同僚も休みだった。ひえええ、私ただでさえ忙しいのに!
 上司は昼頃顔を出して、「この振込みしておいてください」と頼んでからまた帰ってしまった。どうやら明日にその資金移動をしないといけないらしく、無理してやってきたようだ。やはり「明日やれることは今日やらない」とこういうことになるから、先にわかっていることはなるべく先に済ましておいたほうがいいのだな。ちなみに、かくいう私も「これは明日上司に確認をとってからやろう」と思ってた仕事が今日できなくなってしまった。昨日確認をとればよかったものを・・・・

 しかし、こう風邪が流行っていると心配になってくる。こういう体調のときは、抵抗力が下がるので感染しやすいのだ。3泊の短い旅で風邪なんてひいたらおしまいだ。もうひとつ心配なのは、「雪で飛行機が欠航」。成人式付近はよく雪が降ったりするので心配。空の神様にお願いしておかくちゃ・・・・・「晴れるや!」(カビの生えたギャグ)

 自分の旅行計画に専心しているが、そろそろ来年の社員旅行の申し込みが始まっている。日程的に私がなんとか行けるのはサイパンなのだが、去年は渋々グアムに行って、まあそれなりに楽しかったが、わざわざ休みとって会社の人たちと毎日顔つき合わせて毎晩ご飯を食べる旅行っつうのもやはりイマイチ気が乗らないが、年々参加率が落ちているので、「福利厚生」として認められる参加率を下回る勢いなので、総務としては率先して参加しないといけないのだが・・・・どうするかねえ。

 そういえば、旅行話ばかりだが、台湾旅行はたったの4日間なのに、リコンファームを現地でしなければならないらしい。こんなに短い個人旅行もしたことないので、こんなに短くても予約再確認がいるなんて知らなかったが、あの作業は苦手である。そもそも英語で電話するのが苦手なので、電話かける前は毎回ドキドキするのだが、北京のきょうみさん宅に滞在していたときも、電話をかりて、きょうみさんがいないときを見計らって航空会社に電話した。友達につたない英語を聴かれたくなかったのである。こういうときには人並みに「恥」という観念が働くらしい。
 電話の横には「リコンファームの際の英語」のパンペ(旅行会社が毎回くれる)を置いて、カンペどおりに「アイドライクトゥ リコンファーム プリーズ」と言ったら、いきなり相手が「日本語で大丈夫ですよ」と言ったので、「へ?」と虚をつかれたかんじになり、一瞬、その後何を喋っていいのかわからなくなり、真っ白になってしまった。そうなると動揺のあまり、相手が「現地駐在の日本人スタッフ」なのか「日本語が流暢な現地スタッフ」なのかわからなくなり、よけいにしどろもどろになってしまったのだ。

 なんとかリコンファームを済ませ、電話を切ると、今度は腹が立ってきた。こっちがせっかく英語で話しているのだから、そしらぬ顔で英語で対応してくれればよかったのに・・・・それがサービスというものだろう・・・・しかし、相手は日本人だったのか中国人だったのか他の国の人だったのかもよくわからない。欧米系の航空会社だったのだ。それに、なんとなく相手が日本人ではなかったような気もしたので、そうなると「なんで私が日本人だって即座にわかるの?顔も見えないし、一言も日本語話してないし・・・・まあ、たぶん、その番号は日本人専用で、日本の旅行会社にはその番号を教えているのかもしれないけど、それにしたって日本に住んでる外人かもしれないじゃん!」と、しばらくクヨクヨしていたのであった。
 そのときに、ふと、「よし、だったらもう一度そ知らぬ顔で電話してみて、『アロー?リコンファーム、 シル ヴ プレ?』と言ってみてやろうか?え?」と思ったのだが、そこまでやる勇気とフランス語能力がなかったのであった。数字が4までしか数えられないので日付と便名が言えないことが明らかだったのである。 



1月7日(月)

 やはり今日も寒い。
 昨晩はすっかり心が「たいわ〜〜〜ん」になってしまったので、いろいろ役に立ちそうなページを探すが、普通の旅行記が多く、しかもパックツアーで2泊3日などの旅行記だと、「朝、ホテルで朝食を食べて、どこどこに行って」という記述と写真だけだったりするのでつまらない。
 その中でもなかなか読めたのが「ばふたんin台湾」というサイトで、なんでここが気に入ったかというと、「足裏マッサージ」についてのページがちゃんとしていたからだ。(普通のツアー客だと「マッサージに行った」とは書いてあっても、お店に関する情報がなかったりするので役に立たない)

 ぜったいにやるぞ、足裏マッサージ。テレビで女子アナが悶えているのを観るたびに、「一度やってみたい」と思っていたのだが、日本でやる機会がなかったのだが、本場に行ったらやるしかないだろう。ばふたんによると「日本で一度うけてから台北でやったほうがいい」というとても親切なアドバイスが書いてあるが、私は一度もまともなジェットコースターに乗ったことがないのに30歳過ぎてから「フジヤマ」に挑戦した人間である。「フジヤマ」で絶叫して死ぬほど後悔して号泣してから、「あれに比べれば、これだったら大丈夫だろう」と思って、「花やしき」のジェットコースターにも乗れたのであった。次に死ぬほど後悔したい気分になったら迷わず「ドドンパ」に乗るつもりである。そう決意すると、死ぬほど後悔したい気分にならないような平穏な人生を歩もうと決意できるのであった。

 こんなこと書くと「嫌だ嫌だといいながらも、ジェットコースターが好きなのでは?」と思われてしまうが、子供のころから「三半規管直撃系」の乗り物が苦手で、公園のブランコでラリっていたし、科学博物館にあった「斜めの家」みたいな、ビミョーに気持ち悪いのも苦手である。
 ブランコやメリーゴーラウンドのような反復する動きがだめみたいで、一度、小さな「フライング・パイレーツ」みたいなのに乗ってみたときには、1人で天を仰いで「神様、お願いですから、もう止めてください」と声に出してお祈りしていたので、一緒に乗っていた友達に笑われた。

 時間や空間や重力がなんちゃらな話も頭の中が「ぐにょ〜ん」となるので、とても気持ち悪い。
 でも、ときどき、ふと魔がさしたように「ぐにょ〜ん」としたくなるのである。
 というわけで、よせばいいのにまた「エレガントな宇宙」などという本を読んでいるのであった。まだ「ひも理論」のところにたどり着いたばかりだが、最初の方は相対性理論とかのおさらいで、電車の中で「遠ざかっている二人の持っている時計は、相手から見るとどちらも自分よりも遅れて進んでいる」などという話を読んでいるときに、電車がビューンとすれ違ったりすると、「ぐにょ〜ん」となってしばらく呆けてしまうので、なかなかパッパと読めないのだが、私と向かい合わせに座っている人は、電車の中で分厚い本を開いたまま膝に置いて、白目剥いて口が半開きな女性を見て不気味がっているかもしれないが許してほしい。

 電車に乗っててこの始末だから、こんな本を持って飛行機に乗ったら、どんなひどい目に遭うかは想像がつくので、旅行用に本を探す。やはりこういう楽しそうな本を持って現地に行くというのが正しいだろう。そういえばインドの古本屋でも「河童が覗いたインド」とか「深い河」はよく見かけた。皆、同じようなことを考えているのだな。

 すっかり旅行計画で浮かれているが、今日になってやっと上司に休暇申請をした。うちの会社では、有休とは別に年に連続6日間の休暇がとれる。休暇申請用紙にハンコを貰うときに、上司が「こっちもちゃんと消化しないとね」と言った。
 同じ用紙で有休も申請するので、私の有休がまだ20日も残っているのがバレた。別にケチケチしてたからではない。入社したのが2月で、半年後の8月から有休がもらえるようになった。社員だと4月に有休計算の年次が切り替わるのを知っていたので、「社員になったら有休つかわないと土日休めないから残しておこう」と思って契約社員時代にはケチケチと風邪ひいて休んだときと年末年始くらいにしかつかわなかったし、どうせ休んでも遊ぶ金もなかったのだが、去年の4月で社員になったときには、めでたく23日の有休をもらうことができた。

 夏のころまでは、それを我慢して残していて、後半になったらゆっくり消化してラクしようと、好きなおかずを最後までとっておく作戦にしたのだが、秋になったらいきなり仕事が増えて、そうこうしているうちに決算を迎えてしまったので、有休どころか規定の休暇もとれない状態で、翌月に繰り越したりしていたので、まだ3日しか有休消化できてないのである。

 ふと考えた。
 このまま有休を地道にためたら、来年はさらに有休が増える。そしたら、イギリスに行っちゃおっかなあ?
 だって、6月はW杯だし、それの直後になるのか、W杯の決勝のころ始まるのかよくわからないが、ウィンブルドンはもしかして今年が狙い目?金も根性もあるスポーツ好きは日本と韓国に大集合なわけだし・・・・・・ううむ、いい計画かもしれない。チケットが手に入らないといかんともしがたいW杯に比べると、あっちは行列に並べば中には入れて普通のコートの試合は観られるし、運がいいと前半一週間の試合ならセンターコートの当日券が手に入るということは、前回行って学んだ。
 まあ、台湾に行ってからまた考えよっと。今現在ちょっとテンションあがりすぎである。(賞与がまだ手付かずで置いてあるので・・・・この旅行でかなり目減りするはずである)



1月6日(日)

 夜中にMちゃんに電話したら、またコードレス電話の電池が切れるまで喋ってしまった。朝の6時。後半2時間は、W杯話になって、MちゃんとTさんが韓国に行こうとしているとか、札幌でやるアルゼンチンVSイングランドの試合はほんとに大丈夫なのかとか、そんな話ばかりしていた。

 昼頃、電話で目が覚めて、天気が素晴らしく良いことを知るが、起きる気力なし。それでも、がんばって起き上がって、旅行会社に電話して、台北行きのチケットを確保。あとは、ホテルの予約と旅行傷害保険の申し込みだが、それは航空券の予約が確定する夕方以降にすることにしたが、家にいながら全部インターネットでできるので便利な世の中になったもんだ。
 
 さて、どうすっかな、さっき電話をかけてきた下北で買い物と風邪の病み上がりでリハビリ中のイメルダ君から「ご飯でも食べない?」と電話があったのだが、外出できる状態でもなかったのではぐらかしていたが、そうこうしているうちにまた、「今、豪徳寺。三茶に行ってもいいけど・・・」とはっきりしない電話がかかってきたので、結局押しに負けて三茶で待ち合わせ、そのまま図書館に行って、本のリスクエストをしてから、クスクスを出す小さなカフェに入って食事して、イメルダ君はまだ体調があまりよくないのか、もうくたびれていたみたいだったので、そのまま帰り、私はスーパーに寄って買い物してから家に帰る。

 旅行会社から留守電が入っているかしらと電話を見ると、メッセージが入っていたので再生したら某友人であった。「電話ください」って3時半のメッセージだったが、どこか近所にいるのだろうか?でも、うっかり電話して長電話になってしまうと、旅行会社の電話が受けられないので、そういえば彼女に他の友達から来た夜遊びのお誘いメールをそのまま転送したのでその返事かなと思ってメールを開いたら・・・・・・「突然ですが、この忙しい時期に春が来てしまいました」と書いてある。

 なんだ、なんだ、なにがあったんだ〜相手は誰、誰?私の知ってる人?
 とっても気になるが、電話待ちの身。こういうときキャッチが入っていないと不便だとまた反省する。
 6時に旅行会社から電話が入って万事OKあとは金を明日振りこめばいいだけとなったので、すぐさま友人に電話すると・・・・・・

 向こうのコードレスの電池が切れるまで話した。電話の長さはお互いの持つコードレス電話のどちらか短いほうの寿命にかかっているようだ。今回はたったの2時間の寿命であったのでよかった。
 話の内容はまあ、他人ごとだから書かないが、今の時点ではなんともいえない微妙な状況だ。でも、彼女がちょっと人生立ち直りに前向いていこうとしている雰囲気は伝わってきたので、それは応援したいのだが、果たして「大ハッピー」になるのかはわからないけど、今のところ「幸せの予感」はあるようなので、「とにかく、また経過報告を待つ。いい報告をしてくれるよう心から願う」ということにしておいた。

 さて、これで旅行の計画もやっと整ったし、最初は5日間滞在しようと思っていたのだが、午前便が当初予定していた日にとれず、やむなく3泊4日に縮小したけど、そのくらいが疲れなくていいのかもしれない。一日ゆっくり故宮博物館見学ができればいいわけだし、とにかく暖かいところに行きたいのよ〜
 国内旅行をほとんどしないので、羽田から飛行機に乗ったことがなかったのである。今回、羽田発にしたので楽しみ。個人旅行は5年ぶりだ!

 しかし、来週休みをとるので、今週は馬車馬のように仕事しなければならない。ヒヒヒン。午年の年女、休暇に向かって入れ込む!の図。しかし、水曜日には他の部署の応援(バイトが休みをとる時期なので人手不足らしい)に駆り出されるし、風邪をひかないように気をつけねば。



1月5日(土)

 やはり昨日の疲れが出たのか、朝なかなか起きられず、文珍が司会やっている「Wake Up」が沖縄ロケで風は強そうだったが「いいなあ」と思いながらぼんやり観ていて、それが終ってからやっと支度しはじめて、10時前にはなんとか家を出た。

 12時過ぎにお昼ごはんを買いに行こうと、外に出たら雨が降っていたので、傘をとりに戻ろうかと躊躇していたら、雨が急に雪に変わったので、「いいや、このまま外に出ちゃお」とフードをかぶって外に出たが、あまり遠くに行く気分にもなれず、お向かいの道端で土曜日なのにお弁当を売っているおばさんがいて、あまり売れてないようだったので、寒そうで気の毒だったので買ってあげたら、えらく感謝されて「お味噌汁は好きですか?」と聞かれたので、「はあ、まあ・・・・」と生返事していたら、なんと味噌汁を二つもくれた。二つもらっても・・・・

 私が事務所に戻るとすぐに雪も雨も止んだ。なんだか今年はつかの間の雪に降られる運命らしい。
 しかし、午後になると寒さも増してきたようで、外に出ないのになぜそれがわかるかというと、トイレが異常に寒いからだ。小さいビルはこれだから困るけど、自然とのふれあいは大切である。(負け惜しみ)

 お弁当を開けて食べていたら、社内便が来て、今年初めての便だったので、書類が山ほどやってきたのでミーティング用のテーブルで仕分けしてフロアの人たちに配ろうとして、大きなA3封筒を数通抱えて歩き出したら、足元が見えなかったので机の横においてあった箱(あれはなんという名前なんだろう?プラスティックでできていて、カラのときは畳める優れもの)に思いきり弁慶の泣き所を激打。打った瞬間は、それほど痛みを感じなかったのだが、当たった相手が固いプラスティックでしかもカドに的中したのがわかった途端に脳天を痛みが駆け抜け、3歩くらいよろよろ歩いたあと、「いてて」と座り込む。弁慶の泣き所だったので、足に電流が走ったように痺れ、動けなくなってしまった。
 周りのひとたちが「大丈夫?」と声をかけてくれている中、すぐ側にいたS部長が「なんか、こういうの前にも見たような・・・・」
 
 そうだ・・・・この会社に入って1年目くらいに、廊下に置いてあった同じ箱に躓いて転倒し、あのときは床に頭まで打ち付けてしまい、部屋の中の人たちがその音を聞いて「なんだなんだ」と廊下に出てくるような騒ぎになった。あのときもS部長はたまたま廊下にいて、その場面を目撃しており、「ミヤノさんって、そういう人だったんだ」と嬉しそうに言われ、それまでどうやらかなりスクエアな人物だと思われていたのがその転倒劇後、「かなりドジらしい」という称号をいただいて、やや打ち解けてくれたという、よかったんだか悪かったんだか(大痣できたし)よくわからない出来事があったのだが、またさらに「転びやすい人」という認識に追い討ちをかけてしまったらしき悲しさよ。
 
 救急箱に湿布があったので、トイレでストッキングを下ろしてみたら、傷はなかったが、足は腫れていた。また痣になるんだろうな。なかなか痣が消えないんだよね。でも直りかけたころにサウナに入ると黄色い部分が増えて直りが早いような気もするのだが。そういえば、昔TさんとNYに行ったときに、フィラデルフィア行きの電車を待って駅の広くて綺麗なロビーの隅で床にべたりと座っていたら(ジベタリアン先取りだったな)、通りがかった紳士風の男性が、膝出しパンツを履いていたTさんの膝に目を留めて立ち止まった。彼女の膝にもそのとき「どうしたの?」ってくらいの大痣ができていたのだ。

 紳士は英語で(当たり前か)「その痣はどうしたんだ」とか話し掛けてきて、「それを直すのには、暖めたステーキを痣にあてるといい」とアドバイスしてくれたのだが、あんまし英語もわからなかったので、あとで2人で「なに?肉で湿布しろっていうこと?」「なんで肉なの?ステーキって・・・牛肉じゃないといけないのかなあ?」と話たが、たぶん「温湿布しろ」ということなんだろうけど、温湿布をステーキでやるという発想がよくわからなかった。
 日本だと、「きゅうりでパック」とか「こんにゃくで温湿布」とかいうことになるんだろうけど、さすが牛肉大国アメリカだと思った。でも、「湿布したあとの肉は食べてもいいのだろうか」とか思ってしまった、牛肉=高級品の生粋日本育ちのわたしらだった。

 7時には会社を出たが、こりゃほんとに寒い。耳が冷たい。これはほんとの冬の寒さだ。そうだ、冬の寒さはこれなんだ。こうでなくっちゃ。と、気持ちを鼓舞しないと悲しくなるような寒さである。思わず、家の近所のラーメン屋に飛び込んで、やっと悲願のラーメンをすする。うう、これぞ真冬の喜び。 



1月4日(金)

 初出勤。
 でも、「おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」が上手に言えない内気な私。(本当)
 なんでこういうフツーのご挨拶が苦手なんだろう。

 年末も実家で母より先にお風呂に入ったのだが、風呂からあがり、タオルで頭をゴシゴシしながら、
 「で・・・・あたし、どこに寝るの?」(妹の部屋か客間かどっち?の意)
 と言ったら、
 「そうじゃなくて、そういうときにはまず、『お風呂お先にいただきました』でしょ?よそでもちゃんとそう言うのよ。しつけがなってないと思われるじゃない」
 と叱られた。中学生以下の扱い。うう、今から喘息とかになってやるぅ(「母原病」のことがまだ心に引っかかっている)と思った。

 久々に早起きしたので、昼過ぎにはかなりダルくなったが、やはり月末には請求書がドカドカ届いており、仕事は溜まっていたのでウダウダ片付け、帰宅したらほんとに眠くなったので10時には就寝してしまった。

 ●怒りの矛先の訂正

 昨日、開封して、思いっきり脱力した「ポテチなパズル」であるが、あまりにがっかりしたので写真まで撮って日記にも載せてしまったが、その後イメルダ君から電話があり、「やーい、だまされた」と言うので、「え?なんで?あんた知ってたの?」
 近所の酒屋で買ったとばかり記憶していたのだが、なんとイメルダ君のアメリカ土産だったことが判明した。たしかに、そういえばそうだ。渡されたときには「なんでこんなスナック菓子をわざわざアメリカから買ってくるんだろう、変な奴」と思ったが、前にもイギリスに行って「むこうのポテチが変な味だったからみんなにも味見してもらおうと思って」と沢山買ってきた会社の同僚もいたから、それほど詮索もせず、「でも、こんなの開けても今は全部食べられない・・・・非常食としてとっておこう」と台所の片隅に2ヶ月も放置してあったのである。
 
 買ってきた本人は、その場で「ほら、開けて食べようよ」と言って、「ほ〜ら、パズルなんだよ。おもしろいでしょ?」「や〜ん、だまされた〜、も〜バカ、バカ!」とかいう光景を想像していたのかもしれない。ちなみに、東京では、女性が男性に「バカ、バカ」と言いながらこぶしをゆるく握ってポコポコと叩くというのは「かわいいしぐさ」として認められているが、関西でこれをやると、彼氏がマジギレしたりすることもあると聞いた。関西では同じケースでは「アホ、アホ」と言わないと、カドがたつそうなので気をつけようと思ったが、そういう局面に立たされたことはない。でも関東育ちの女性は男性に向かって「バッカじゃな〜い」といいがちなので気をつけたほうがいいと関西育ちに指導された。

 話がまた逸れたが、とにかく昨日の私は、夕方から祖父母宅で酒のつまみを食べながら飲んでいたので、帰りにはほんとにお腹が空いていたのだ。めったにないのだが「飲んだ後ってラーメン食べたくなるよね」という状態になり、ほんとはラーメンが食べたかったのだが、近所のラーメン屋は休みだったので、あきらめてカップ・ラーメンでも買おうかと思ったが、コンビニの棚を見ていたら、「そうだ、あのでっかいポテチがあったじゃないか。あれでもいいや。あれにしよう。」と思って、牛乳だけ買って帰ってきたのである。
 それで、「やっと食べられる」と思って封を開けたら・・・・・・
 
 なので「なんであの酒屋がこんなもん売っているのじゃあ!」という怒りの矛先はやはり間違っていたようで、「なんでそんな紛らわしいもの買ってくるんじゃあ!」とイメルダ君にぶつけることになったのでありました。

 食い物の恨みは深いので、こういうお土産は気をつけたほうがいいと思います。



1月3日(木)

 新年あけましておめでとうございます。
 
 大晦日夕方に実家に帰ろうと支度(着替え)してたら、Y君から久々に電話があり「今日ってどっか行かないの?」「実家に帰るよ」
 失業中のY君はcubeに行くつもりらしい。先日はモリスにも行ったみたいで、「ここんとこいろいろ新しいハコができてるよね」とか言っていて元気そうだが、いいから働けってかんじ。理系さらりまんなので、その気になって働けば、私の3倍くらい軽く稼ぐらしいが、いかんせん長続きせず、すぐに溜めた金で遊ぼうとするのでしょーもないなまったく。

 そんなこんなで実家に帰ったら、もう8時で、すでに始まった紅白を見ながら、親子3人(弟は嫁の実家で年越し。妹は友達と飲み会で年越し)でスーパーで買った刺身と寿司をつついていたが、母は「マスク・マジシャン」について熱く語っていた。どうして手品の種明かしがそんなに楽しいのかわからないので、「劇団四季のライオン・キングに出てくるキリンが本物ではなくて人が中で操っているからと言って、芝居の面白さが損なわれるわけではないと同じで、カッパーフィールドが双子だからってあのショーがインチキだということにはならないだろう」とか説教していたのだが、紅白も面白くないのでテレビ欄を観ていたら、テレ朝では「超能力バスター」というのがやっていたので「お母さん、紅白よりこっちでしょ」とチャンネルを変えると、スプーン曲げのネタ明かしなどをやっていて、母大喜び。(その後、その話を正月に会った親戚にしまくることになる)

 母が風邪気味だったので、年末恒例の初詣には行かず、風呂に入って寝た。
 元旦の昼頃起きると、すでに妹もいつのまにか帰ってきていて、おせち料理を食べる。「今年で最後だ」という「お年玉」をいただく。父ももうそろそろ年金生活突入なのだ。「まあ、そういわずにお父さんもがんばって、来年もお年玉くださいよ」と励ます。(?)

 午後になって退屈してきたので、「初詣はいいから、午詣に行こうよ〜」と両親をいざなって、食後の腹ごなしを兼ねて、農工大に散歩に行った
 夜になったら、長野から車で弟夫妻が帰ってきたので、家族でまた食卓を囲み、12月にやっと新婚旅行に行ってきた写真を見せてもらう。ちゃんとコアラを抱いていて、弟はそういう王道を外さないなあ、なんかちゃんとしてるなあと感心する。お土産の「カンガルー・ジャーキー」が気に入って、酒のつまみにくちゃくちゃ食べていた。

 明けて、2日の日は恒例の「祖父母宅集合」なので、昼ごろ家を出たのだが、私は実家に眼鏡とコンタクトケア用品一式を忘れたのに新宿で気が付き、また国分寺まで1人で戻ったので、麻布に着いたら4時くらいになってしまった。途中、ずっと電車から黒い雲が見えたのだが、麻布十番駅を出ると雨が降り出し、コートのフードをかぶって早足で歩いていたら一瞬だけ雪になった。あれは初雪と呼んでよかったのだろうか?

 祖母が歩けなくなってしまったので、家はそこらじゅう手すりだらけになっていた。自分で這ってなんとか1人でトイレには行ける状態らしい。祖父は工作魂に溢れているので(母がその血を濃く受け継いでいる)、家中、手すり用のロープなどもぶら下っていた。祖母の世話でテンション上がっているのか祖父はなんとなく以前よりも元気になったような気がしなくもない。

 弟のオージー土産の金箔入りワインなどを飲み、だらだら飲んで喋っていた。
 弟の嫁さんのMさんは、そういう中でもひょうひょうとした人で、ちょこまか気を遣うわけでもなく、わりとどっしりと落ち着いていて、後で母曰く「ほんとに気を遣わないいい人でよかった」で、私もほんとにそう思う。仲良さそうでなによりである。それに他人がいると母のいつもの「あんたはどうするの?結婚」系のお説教が少なくなるのでとても助かる。「ああ、孫がいたらいいのに」系も、お嫁さんへのプレッシャーになると思っているのかあまり話題にならないので、とっても助かる。

 祖母は相変わらず、10年以上、壊れたレコードのように繰り返す「印刷屋の跡取息子が独身で・・・・」を今年も始めたが、体の調子が悪いのでパワーが半減しているのか、いつもよりループしないのはうれしいが、少し心配でもある。そして、今年になって従姉妹が大学を卒業したのだが、まだ無職らしいので、「ループ攻撃」はその従姉妹にも向けられたので、私のダメージは半減した。みなさんありがとう(涙)
 しかも、今ごろになって新事実が判明したのだが、その「独身の息子」には、鉄道会社に勤務する弟がいるそうなのだ。そんなの初めて聞いた。なので、兄は私に、弟は従姉妹に割り振られることになったようだが、誰もその兄弟に最近会ったことだないので、ほんとに兄弟揃ってハンサムで独身なのか真実は不明なのであった。

 いつも変なことを喋る伯父が、今年も変なうんちくを垂れた。育ちがいいとか悪いとかの話のときだったと思う。

伯父「そういう、上下があるのは人間だけなんだよ。動物はそんなこと気にしないんだ」
一同「どういうこと?」

伯父「イギリスのとある公爵夫人が、パーティーの席でおならをしちゃったんだ。そしたらその公爵夫人は、家に帰ってからピストル自殺しちゃったんだよ。そんなことするのは人間だけだ」

私 「えー?でも、サル山のボスだって、みんなの見てる前でうっかり木から落ちちゃって、そこにピストルがあったら自殺すると思うなあ」
伯父「サルはそんなことしないぞ」
私 「じゃあ、オジサンも一度サル山に混ざってみれば?あそこだって上下関係やプライドの維持は大変なんだから」

 人間の公爵夫人はおならをしたからって公爵夫人の称号を剥奪されはしないが、サルのボスが木から落ちるような醜態を群れに見せてしまったら、あっという間に若いやつにその地位を奪われてしまうはずだ。動物の世界のほうが厳しいと思うんだけどなあ。とか、どうでもいいことを議論していたような気がしなくもないが、そうやって新年の親戚の集まりも和やかに終わり、7時くらいには解散して、皆自宅へと帰り始めた。

 帰宅途中に小腹が空いてきて、なにか塩気があるものが食べたくなったが、ラーメン屋なども正月休で営業してなくて、コンビニで牛乳だけ買って帰った。
 家に帰っても、やはり空腹が収まらないので、「そうだ、去年おやつに買ったけど、まだ食べてないポテチがあったな」と思い出した。

  
 
 近所の酒屋で買った輸入お菓子。
 パズル型のチップスらしく、ジグソーの形になっているようだ。
 まあ、これでもつまんでみようと思って、袋を開けてみた。

 中身はさらに透明なビニル袋に入っていたし、なんだか重みがあった。

 

 「わあ、ほんとにジグソーもどきのお菓子なんだ」
 と思って、袋の外から触ってみたら・・・・・ゴワゴワしていた。

 あれ?と思って、1ピースを折ってみたらゴワっとした感触とともに折れた。

 ほんとに厚紙でできた、パズルだった・・・・・・

 「パスルみたいなポテチ」ではなく「ポテチを装ったパズル」だったのだ・・・・・

 だまされた。

 だって、ほんとに酒屋のお菓子コーナーに並んでいて、何の説明もなかったのだ・・・・・酒屋もこれは「パズル」ではなくて「お菓子」だと思って置いていたのではないのか?

 かなり落胆した。こんなにがっかりするようなこともめったにないくらいがっかりしていた。「一切れのパン」の話が頭の中を貨物列車のようにけたたましくよぎる。

 「開けてしまった私がバカだったのですか?」

 ムカついたから、昨年貰ったハムを分厚く切って、むしゃむしゃ食べてしまいました。

 というわけで、今年もこんな私ですが、どうぞよろしく。


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