可燃物な日々

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9月16日(日)

 先週と同じパターン。昼過ぎまで寝てた。もうダルくてダルくてダルいのだ。
 外に出る気もしないので、イスラム関係のサイトをあさる。私が読みたいのは、やはりそういうところで暮らしている人の日記みたいなものだが、あまりこれと言ったものを見つけられなかった。たぶん、滞在している人の人数も少ないし、ネットに繋ぐ環境もそれほど充実していないからだろうか?なんか写真ばかり載せているサイトが多かった。NGOなどのサイトは「こんなにがんばってます」みたいなかんじで宣伝なわけだから仕方ないけど、文章は貧困。
 やはり本で探したほうがいいのかもしれない。

 あまり関係がないが、昔ユーロスペースで公開した、アッバス・キアロスタミの映画を観にいった。「友だちのうちはどこ?」で、かなり評判になったし、その後NHKなどでも放映されているのでご覧になった方も多いだろう。
 たまたま私の父が、「イランの革命」の前後にイラン出張に行ったことがあって、最初のときは数ヶ月行っていたのだが、そのとき知り合った方が日本に来たときはうちに遊びに来てくれたりして、イランはわりと我家にとっては「近い国」になっている。それでも寡黙な父(つうかほとんど喋らないんですのよ。でもなぜか子供3人は平均以上に皆オシャベラーに育った)はあまり「イラン滞在記」を語ってくれなかったし、来日したイラン人などは、そうとうなブルジョワ階級なのは、あきらかだったので、イランという国について詳しく知っていたわけではない。

 だから、軽い気持ちで見たことも無かったイラン映画を観にいってみたわけだ。
 これが、すごく面白くて、あとで世界的に高い評価を得ている監督だとわかって納得したのだが、そういう映画評論とは別に親孝行な私は「これは、うちのとーちゃん、かーちゃんに教えてあげないと!」と思った。

 父はともかく、母はけっこう映画好きである。昔、映画のタダ券が毎月手に入ったときにはよく母を誘った。母はほんとは「男の友情もの」と「アクション&パニックもの」が大好きだ。「クリフハンガー」とか「スピード」は大喜びで「な〜んの意味もない映画だけど、やっぱり映画はああやって手に汗にぎるのがおもしろいわよね〜ほんとに汗かいちゃった」と言っていた。
 キアロスタミの映画がそんな母にお勧めだと思ったわけは、母と一緒にテレビで「泥の河」を観ていたら、母はずっと、

 「そうそう、昔はこうだったのよ。船の上で生活している人がいてね・・・・」

 と、話の筋よりも、当時の様子をいかに忠実に再現しているかということのチェックに励んでいた。
 そういう意味で「友だちのうちはどこ?」は戦後すぐ生まれの世代には、「わあ、自分の子供時代とおんなじ!」という感慨を持たせる映画なのではないか?と思ったのである。あの世代の人だったら、今の東京の若者よりも、あの映画に出てくる遠い国の人々のほうに感情移入できそうだ。

 母がそういう意味で気に入ったのかどうか知らないが、「ほら!お父さん、イランよ、イランの映画よ!」という使命感に燃えたのかしらないが、この間電話で話していたときも「例のイラン映画がテレビでやるので録画予約しないと」とか言っていたので気に入ってくれたらしい。まあ、夫婦で一緒に観てくれて、「お父さんの行ったところもこんなだった?こんなところ行った?」と話が弾めば夫婦円満でいいのですが・・・・(私ってなんて親孝行)

 映像の力って大きい。西洋諸国はその威力をよく知っているというか上手く利用しているが、今回のテロ事件でも、イスラム諸国からの映像はあまり届かない。現地のプレスや有力者のコメントは「電話の音声」が多い。アメリカからは、喋っている人たちの表情が一緒にくっついてくるので、いやがおうでも感情移入してしまう仕組みになっているが、そういうテレビカメラがあまり入らない国の様子はなかなかわからない。
 
 映画はある程度その助けにはなるかもしれない。と、ちょっと思っただけ。



9月15日(土)


 ∈お詫びと訂正∋

 昨日の日記で「大人君と人気君」と書きましたが、「でも、人気って名前だったかな?なんかもっとシンプルだったような・・・・」と思って今日も出勤だったので調べてみたら、「人気」ではなくて「一人」でした。
 「大人一人」と続いたので、「うわ、すごい!でも、たぶんマサト君とカズト君と読むのだろうし、別々に見たらこんなに感激しなかったが・・・・」と思っていたのが、帰りの電車の中で「大人君とコンビを組んでもらいたい名前」を考えていて、「人気」というのを思いついたら、そっちが本当だと摩り替わってしまったようです。
 人の記憶というか、私の記憶は相当あてにならないということをまた証明してしまいました。

 だから、これを読んでいる知人の中で、私があなたの話を引用して、デタラメを書いていても、「ニワトリ並の記憶力」ということを配慮していただいて、怒らないでくださいね。もちろん、訂正等は謙虚に受け付けます。



 
 アジアなどを旅行すると、タクシーの値段などがメーター制ではなくて交渉制のところがある。けっこう多いだろう。タイのバンコクもそうだった。最初は慣れなくて、疲れたが、バンコクは交通渋滞が常に深刻な街だし、道路も一方通行が多く、メーターで課金すると不都合も多そうなので、そういう環境から生まれた制度なのかもしれないと納得した。
 タクシーは、相場を人に聞いたり、何回か利用すればいいし、それに運転手にしても、それほどじっくり金額交渉するつもりもないだろうし、なにしろ街中にいくらだって走っているのだから交渉が決裂したら次の車を待てばいい。

 問題は買い物である。特に生活必需品ではないお土産ものや贅沢品は、「じっくり金額交渉して買うもの」という風習のある土地はけっこう多いみたいで、「日本人観光客はけっこうボラれている」という話もよく聞く。
 ただ、そういう国や地域で、「定価」が無いのは、そういうお上りさんからふんだくろうとしているのではなくて、「金額交渉もショッピングの楽しみのうち」という考え方もあるのだろう。

 5年くらい前に、大学生だった友人が卒業旅行でエジプトに個人旅行した。
 彼がそういう西洋諸国以外を旅行するのは初めてだったらしく、ガイドブックなどでわかってはいたが、そういう「金額交渉」にはかなり消耗したようだ。どうしても、ピラミッドははずせないので見学に行くと、「ラクダ屋さん」が群がってきて、「乗れ、乗れ!」と煩いので、「いくらだ?」と聞くと、とんでもない値段を言ってくるみたいで、「そんな高いんなら乗らない」と言うと「じゃあ、いくらなら乗るんだ」と言われる。ためしに半額を言ってみると、「じゃあ、それでいい乗れ」とか言われて「もっと安く言えばよかった」なんてこともあったようだ。

 そんな彼も、エジプト商人たちのやり方にもだんだん慣れてきて、
 「なんか買い物しようとして、店の人と交渉してると、野次馬も集まってくるんですよ」
 と、その状況をある程度楽しめるようになってきたようだ。彼もそれほど英語が得意ではないだろうし、つたない英語で一生懸命「まけろ〜」と言っても、店主もなかなかあっさりは負けてくれない。そういうやりとりをその辺でゴロゴロしている人たちが見学に集まるらしい。議論が白熱してくると「そうだそうだ!」と応援団になったりするのだろう。
 
 日本でもテレビで「討論番組」はなぜか人気がある。討論の内容の質よりも、熱く議論して怒鳴りあっている様子を見て楽しむらしい。体に触れない格闘技みたいなものだと思う。
 エジプトの街角では、そういう「街角討論会」をみな楽しみにしているのだろう。だから、こちらも余裕を持って、その状況を楽しみ野次馬たちに「この人、こんな金額で売ろうとしているんですよ!」と大げさに訴えて、賛同を得るというテクニックがいる。日本人はそういうのが苦手なので、かなり疲労するらしい。

 そんなある日、彼は自転車に乗りたくなって貸し自転車屋を訪れた。
 自転車屋が彼に提示した金額が、やはり法外だったらしい。いつもだと、そこでじっくり金額交渉になるのだが、そのとき彼は旅疲れもあって、そういう気分になれなくて、自転車に乗る気も失せてしまったらしく、
 「じゃあ、いいや、自転車乗るのやめる」
 と、店先から立ち去ろうとした。
 自転車屋は彼の行動を「金額交渉」と解釈したらしく、
 「待て、日本人!いくらだったらいいんだ?」
 と、彼のことを追ってきた。まあ、よくある光景である。特にエジプトでは珍しくもないだろう。
 「だから、もういいって・・・」
 と、彼がそのまま無視して歩み去ろうとすると、自転車屋が
 「まあ、待てったら」
 と、彼の肩に手をかけて引きとめようとした。

 彼はとっさにその手を振り払ってしまった。それほど強い力ではないだろうし、彼は日本人標準からしても華奢なタイプであるが、彼も苛立っていたし、手を触れられて怖かったということもあるだろうしで、わりと激しく手を払ってしまったようだ。

 「あ、しまった」と思って振り向くと、自転車屋が青ざめた表情で立っており、

 「こいつが、俺を打った!」

 と、大声で周囲に訴えはじめた。
 あっという間に人が集まってきて、自転車屋は早口で皆に状況を訴え始める。成り行きをたまたま見ていた人もああだこうだと言い出す。大勢のエジプト人に囲まれて彼も怖かっただろうが、「いや、最初に向こうが自分の肩に触ったんだ!」となんとか訴えていたようだが、そのうち警察が来て、彼からも事情を聞くと、「ともかく、すぐにこの場を立ち去りなさい」と逃がしてくれたらしい。

 警察が来なかったらどうなっていたのだろう?たぶん、そのまま、喧喧諤諤の中に巻き込まれて、かなり時間がかかっただろう。
 彼もあとで私に話してくれたときに言っていたのだが、この話でわかるのは「エジプト人は口論は好きだが、そこで白熱したからと言って、手を出すということは日本人が考える以上に反則なんだ」ということ。

 イスラム圏がもしわりとそういう文化なら、日本に滞在しているそういう人たちが、テレビで「熱血学園ドラマ」などを観て、「なんでわからないんだ!」と言って教師が生徒をバシっと殴り、生徒が口の中を切って血を流しながら、「先生、殴ってくれてありがとう、俺、目が覚めたよ」なんてやってるシーンを見たらびっくりするだろうなあ・・・・
 よく知らないで言うのもなんだが「イスラム法」ってやつは、ハンムラビ法典みたいに「目には目を」みたいなことになっているらしい。それは、日本のような社会から見たらずいぶん暴力的な法律であるが、「いや、ちょっとカっとなってしまって」という言い訳を認めないくらい、暴力に対して厳密に処分するということなのかもしれない。「報復」の残酷さを先に考えてしまうが、まず原因となる暴力を徹底的に許さないという思想があるのだろうか?

 そういわれて見れば、「アラブ系マフィアの血を血で洗う抗争」みたいな話もあまり聞かないな・・・・あるのでしょうか?
 イラン人が偽造テレカや麻薬を売っているのは、「コーランでは禁止されていない」という抜け道があるのだろうか?お酒には厳しいが、大麻はコーランに「危険物指定」されてないのかも。ましてや「覚せい剤」は・・・・

 華奢な男の子が、パシっとやっただけでその騒ぎなのだから、外国軍の爆撃なんてどんな理由があっても許されないだろう。
 ・・・・と、忘れていたようなお土産話をひょこっと思い出してしまった。

 「絶対に殴ってはいけない。ただし、もしあなたを殴る人がいたら、同じだけ殴ってよし」という発想は、キリスト教の「右頬をぶたれたら左頬も差し出しなさい」という思想とはずいぶん違うような気もするが、でもキリスト教圏も「でも、相手が悪魔だったら戦ってよし」という、どうやってそういう理屈を編み出したのか、日本の憲法の拡大解釈みたいな技を使って「報復」を正当化している。
 あまり、宗教の話を書くと不勉強がバレるので、やめておくけど、言いたいのは「イスラムは過激だから」と考えがちであるが、私も友達も、その自転車屋のエピソードで、「そう思っていたけど、わたしらの思ってきた過激さとはちょっとちがうみたいだね」と思ったのであった。少なくとも「好戦的」な宗教ではないように思う。
 逆に「右頬を殴られたら・・・」というキリスト教圏が、こぞって「報復!」と叫んでいると、「え?キリスト教ってそういうのじゃないのでは・・・ちがうの?」と思う。

 それにしても、こんな根本的なことすら私は知らないでいるというのもなんかやりきれないので、そこんとこイスラム教徒の方とお話して聞いてみたいなとも思う。あまりお知りあいになる機会もないのだが・・・・
 
 先日の日記で「日本人は外国からあまり悪い評価で人括りにされたことがないので、そうされている人の気持ちがわからないのではないか?」と書いたが、あれからふとまた考えたのだけれども、「セックスアニマル」とか呼ばれてた時期はあったな。東南アジアをおっさんたちが荒らしまわっていたときだ。その後、「イエローキャブ」というのもあった。それで迷惑している日本人女性は多いと思うが(友達がLAに行ったときに、「5万で僕を買わない?」と言われ仰天したらしい。そんな高額で買う人いるの?イエローキャブより迷惑度高い)、オバサンはあまり被害に遭わないだろうしな・・・
 でも、「売春ツアー」はちゃんとお金払ってやってるわけだから無理強いしているわけではないし(売春している女性は、無理強いさせられているかもしれないが、日本人がやらせているわけではない。買うほうも悪いが売るほうも悪いという言い逃れが成り立つ。いや、私がそれを認めているという話ではありません。ただ、それが「犯罪である」と言われにくいということ)、「イエローキャブ」な女性たちも、別に自由恋愛なわけだから、それで罪を問われるということはない。どちらもせいぜい「心の病気」というレッテルを貼られるくらいなもんだろう。

 ただ、ひとつだけ「邪悪な日本人」という評価を得ていたものを思い出した。
 「クジラを食べ、イルカを殺す日本人」
 である。

 あの騒動も今の日本人にとってはクジラを常食にしているわけではないので国内の関心は低かったように思うが(私も含まれる)、最初は「クジラは数が減ったので保護しなくてはいけない」という理屈なのかと思っていたら、どうやら「クジラを食べるなんて野蛮である」ということが中心なようで、とある新聞の論説委員も「もう、捕鯨は日本の文化だ。文化の蹂躙だと言っている場合ではない。むこうはダメだったらダメという態度なのだ。世界的にそれが正しいというのならそれに従おう」という論調だったので、「ほええ、そんなこといわれても、捕鯨ってそんなに邪悪な行為?」と思ってしまった。

 たしかに、日本で、イギリス人とお喋りしていたときに、いきなり「クジラもイルカも殺してはいけない。なぜなら、彼らは高い知能を持っているんだ」と言われ、「え〜?じゃあ、3歳児の知能を持っているという馬もだめ?馬刺しも食べるんですけどぉ」と言おうと思ったが、彼と議論する英語力も根性もないので、黙ってしまった。
 首狩族に首狩をやめさせたときもこんなだったんだろうな。

 あと、今でもときどきニュースになる、インドの田舎などで「花嫁の持参金が少ないことに怒って、花嫁に火をつけて殺した」という事件。それも、こっち側からすれば「なんて残酷な!」と思うけれども、当事者にとってはそういう意識はないのかもしれない。日本ではわりと容認されてる「子供を道連れにして一家心中」というのが、西洋社会にしてみれば「殺人」でしかないように・・・・

 人々の行動範囲が広くなり、交流も激しくなると、そういう文化の衝突は必ず起こる。そして、「国内ルール」とともにある程度「国際標準なルール」も必要になってくる。
 でも、今の状況だと、クジラの件にしても、なんとなく「あっちの正義」を押し付けられたような不愉快さは感じる。
 そういう展開ではなくて「どうも、あっちではこれは悪とみなされるみたいだけど、どうする?」「そうだね、まあ、この程度なら譲ってあげてもいいか」というかんじで「こっち」も話し合い、あっちも「そっちではそういう文化もあるんだけど、こっちではそれがどうにも理解できなくて困っているんで、外側のみんなと仲良くやっていくためにはがまんしてください」という姿勢で言ってくれれば「ま、じゃあ、こっちもそんなことでケンカしたいわけじゃないし、あっちの人を不快にするのも悪いし、そうしてやるべか」と思うかもしれない。

 そういうふうに話が運ぶほど単純ではないと思うけど、「正義」対「悪」という構図ではなくて、文化圏によって同じ物事でも捉え方が違うのだが、なんとかそれを調整してうまくやろうという姿勢でいたほうが、時間はかかってもしこりは少ないと思うのですが・・・・ 



9月14日(金)

 給料日の花の金曜日であるが、明日も出勤なのであまり関係ない。

 今日は黙々と子供の名前を入力していた。毎年、小学6年生の名前を数百入力するのだが、去年は「翔」の字がやたら目に付いたが、今年は「早織」が多いことに気が付く。IMEをご使用の方がいらしたらわかるだろうけど、この「さおり」は変換してくれないので登録しなくてはならない。そういえば、去年は女の子の名前で「絢」が多く、最初「絢子」というのが「あやこ」と読むのがわからなくて、「絢爛」と出していたりした。いろいろ流行りの字というものがあってめんどう。

 子供の名前も、IMEに挑戦しているとしか思えないものが多くて、読めない字はどうやって出していいのかわからないので、マウスで字を書くと該当の字を探してくれる機能はよく使う。
 でも、私が入力しているのは客に見せる書類ではなくて、入金確認であるので、「嵩」という字を出すのがめんどうで「高」にしてもOKだから、「友理恵」が「友里恵」になっても気にしない。女の子の3文字名前は、わざとIMEで出ない組み合わせを選んでいるとしか思えないようなのが多いのだ。

 今年はけっこういい意味で奇をてらった名前が多く目に付いた。「言葉」というのは「ことは」ちゃんと呼ぶのだろうか、親の「きちんと言葉で人に想いが伝えらるような子になってほしい」という想いがわかってなかなか良い名前だと思った。外国人に自分の名前を説明するときにもよさそう。

 「峻寛」君のことは、一瞬「俊寛」かと思ってびっくりした。たしか平家物語の登場人物で、なにかやらかして島流しに遭い、他の人が一生懸命、卒塔婆に「都が恋しいよ〜寂しいよ〜」という歌を書いて流していたのを傍らでコバカにしていたのだが、その歌が都に届き、歌を書いた公家たちが「恩赦」になったのに、俊寛だけが取り残されちゃって船を追いながら砂浜を這い「ひどい〜〜〜」と泣くという話ではなかったか?歌舞伎でもよくやってるみたいだけど・・・・
 武士の名前などはたまに見るけど、「俊寛」は子供につける名前じゃないだろ?と思ったが、「峻」だったのでセーフか?たぶん「しゅんかん」と読むのではないのだと思うが。

 そんな珍名さん探しをしながら、カタカタ入力していたら・・・・

 「田中(仮名)大人」

 という名前を発見。なんと読むんだろう。「まさと」とか?「大きい人になってほしい」という願いはわかるが、ガキどもが「田中は大人だから、大人料金払わないといけないんだぜ〜」と大人君をからかう光景が浮かぶ。でも、読み方わからないけど、シンプルでいい名前だなと思った。そしたら、

 ・・・・・え?
 次の俊寛、・・・じゃなくて瞬間、指が止まった。伝票の「田中大人」の次が「鈴木(仮名)人気」だったのだ。「人気」ってどう読ませるのだろう?「人気者になってほしい」という願いが込められているのだろうか・・・・
 それはいいとしても、その偶然の連続技は「大人君と人気君。ふたり合わせて大人気?」というしょーもない謳い文句が頭から離れなくなり、「さて、疲れているみたいだし、そろそろ帰ろう」と私を現実逃避させるに充分のインパクトがありました。

 あと、「之」という名前の子もいて、これもどう読むのか不明。
 
 もし、この日記を読んでいる方で該当する名前の方がいらっしゃいましたら、お気を悪くされないよう、お願いいたします。
 言い訳にもなりませんが、私は「ふりがな不要」な名前を戴いており、書類等に記入するときなど「私の名前を読み間違える人はいないよな。でも、この書類を扱う職員の中には外国の人とか帰国子女とかもいるだろうし、しかたないから、ふりがなふってやるよ」とブツブツ言いながらふりがなを書いています。だから「ふりがながないと読めない名前」にかなりあこがれているので、単なる嫉妬心でございます。(ほんとのほんと〜に今まで一度も読み間違えられたことがない)



9月13日(木)

 突然だが、今日になって長いお付き合いをしいたジロー(くどいようだが、近所のハスキー犬。ときどき撫でさせてもらっている。夏は暑苦しいやつだが、冬はささやかな幸せを与えてくれる)が♂だと判明した。判明してみると、「火を見るよりも明らかだ」という慣用句がこれほどふさわしい状況もないだろうと言うくらい、火を見るよりも明らかだった。近眼で乱視だとはいえ、私の頭はどうかしていたのではないか?(いや、♀だと思い込んでいたわけではないのだが、どっちだかわからないままに数年付き合っていたのです)

 というわけで、私の「現実認識能力」なんてこんなもんです。ということをふまえて以下の文章は読んでください。(先に逃げておく)
 台風にテロ事件と、慌しかったのだが、なんとなく気も落ち着いたし、そもそも私はなんの被害も受けていないわけだし、久々にプールに行った。
 スポーツクラブ内では、多くの人たちが仲良くおしゃべりをしているのだが、やはり話題は「すごかったね〜」でテロの話題がお天気の話題と摩り替わってた。掃除のおばちゃんも「戦争になるよ、ほんとにまたイヤな時代になるね」と一席ぶってた。ま、私が会社や友達と喋っていることだって、そういうのとなんらレベルは変わらないわけで・・・・と、自己反省モードになっていたのだが、プールのサウナの中では、皆様が膝をかかえてもっとじっくり討議していた。

 どうやら「ラマダン」の話になっていたようだ。話題の中心になっているおじさんは、定年退職して世界中旅行している方のようで、飛行機の中で断食中のイスラム教徒に遭遇したようなのだ。たぶん、イスラム系ゲリラの話題から、そんな話になったのであろう。まあ、それはわかる。
 その話を聞いていた他のおじさんが、
 「でも、断食って結局、貧しいからやってるんだろ?だいたいあいつら、昼間もなんにもしないでダラダラしてて、まあ貧しいから仕事もないんだろうけど、それで断食なんてしたら余計動けないわけだからなあ・・・」
 「イスラム圏はほんとに貧しいよなあ。石油がバンバン出るんだから、もっと真面目にはたらきゃあいいのになあ」
 「その点、ほんとに日本人は勤勉よね」
 「日本だって、ほんの前は同じようなもんだったけどなあ」
 「よく、ここまで頑張ったわよ」
 「パキスタンにも行ったけど、あそこの人たちは大きいんだよ。でも、ネパール人はやっぱり小さいかったな」
 「ネパールなんて高地でなんにもないから栄養失調なんだよ。でもパキスタン人はたしかに、大きくってこわいよなあ。あの目がでかくてさ〜」
 「パキスタンも貧しいんだけどなあ。まあ、アフガニスタンは行ったことないけど、貧しいんだろうなあ」
 「まあ、イスラムってやつは攻撃的だからなあ」
 「怖いよねえ」

 ・・・・・テロリストさん、ここも爆撃していいです。つうか、君らもテロリストの資格あり!
 と、思ったんだけど、私にできたのはガン飛ばすことだけでした。

 今日は、「アメリカでイスラム教徒を狙った暴行事件が多発」というニュースを知って、「ああ、やはり・・・」とまた暗い気持ちになっていたのだが、そんな「アメリカでは」どころか、自分の隣にそういう人たちが大勢いるということに、わかってはいたけれど、気落ちする。

 ある友達もいつもこういうことでは怒っている。
 「なんで、みんな、大きいくくりでしか捉えられないんだろう?イスラム教徒は、とか、アメリカ人は、とか、まずそこで判断して、そこから先の個人というものを見ようともしない。じゃあ、日本人だからってひとくくりにされたら嫌じゃないのかな?」
 私が「でも、日本人に関していえば、たぶん多くの人は『日本人』というものがいいものだと思っているので、そう括られても腹が立つという機会が少ないんじゃないかな?」と言ったのだけれども・・・・「日本人は勤勉だし、真面目だから」と、思っているし、それを覆すほどの外の評価は浴びてこなかった。だから、「全員が偽造テレカを売っているイラン人」や「全員が強盗な中国人」のような目には遭ったことがないので、「そうじゃないんだ!少なくとも私は違う!」と思う機会もない。なにか差別を受けたときには「東洋人差別を受けた」で片付いてしまうだろうし。

 アメリカ政府は「邪悪なテロリストとは断固として戦う」と言っているが、それを広く捉えて、邪悪なテロリストを生み出した「国」とか「宗教」とかまで「邪悪」としてしまったら、「アメリカは悪」と考えているのであろう、テロリストと同じ土俵に立ってしまう。

 昔、知人とその話で言い争って「絶交」してしまったことがある。オウムがサリンを撒いた事件の後だった。まだ捜査中だったが、世間的には「たぶん、オウムの仕業だろう」という雰囲気いのときだった。知人は、「あんなことした麻原は死刑にすべきだよ!」と熱く語ったのだが、私は「まだ、彼らの仕業だとわかっていないわけだから、そういうこと言うのはよくないよ。それに、たとえ彼らの犯罪だったとしても、向こうも、彼らを迫害しようとする外の人間は死刑にしてもいいはずだ、という理屈でやっているわけだから、あいつは悪だから殺せというのは、そういうテロリストと同じことをやっているんだと思う」と言ったら、「なんで庇うんだ!」と言われ、そのあと、ごちゃごちゃ言い合ってお互い嫌な気分で電話を切ってしまい、その後、話をしたことはない。

 サウナの中でこんな言葉も耳にしてしまった。
 「でも、オレ、アメリカのやり方もあんまり好きじゃないし、だから、今回の事件もアメリカの鼻をへし折ったわけだし、ほらみやがれって気持ちもあるんだよ」
 ・・・・貿易センタービルはアメリカの代表的な大都市に建っていた、その都市を象徴していたビルですが、「あのビル=アメリカ」ではありません。
 なんか居たたまれなくなって、サウナを出た。それ以上いたら、私が「サウナで暴れる危ない女」になりそうだったので・・・・

 「平和ボケの日本人」と言ってしまえばそれまでだが、それよりも「Vサインを掲げて大喜びのパレスチナ人」を説得するよりも先に、こういう人たちをなんとかしなくちゃならんのか?と思うと暗い気持ちになってしまう。

 でも、きっとイスラム社会のひとたちだって、テロ事件に心を痛めている人も多いのだと信じたい。そして、そういう人たちが「もし、テロの犯人が自分の近くに住んでいたら、アメリカが報復で空爆をはじめてしまう。怖い」と怯えているかもしれない。
 テレビの報道も少し沈静化したけれど、そういうときこそ、同じように心を痛めていて、そして怯えているそういう立場の人たちのことも報道してくれないかな、と思う。
 ユーゴの空爆のときにも、空爆を受けていた市民の声はなかなか聞けなかった。ユーゴスラビア=ミロシェビッチという括りでしかなかった。
 
 アメリカがふりかざす「正義」とあのときのNATOの「正義」は一緒にしか思えないし、たぶんテロリストの「正義」もあるのだろう。
 
 ただ、それぞれの場面で自分が何をできるかというと、せいぜいがサウナのおじさんたちみたいに「素人コメンテーター」を演じることくらいしかない。
 それに、それ以上を語れるほど情報も得ていないし、勉強もしていない。でも、一人一人が「国際情勢のすべてを把握する」のは不可能だろう。少なくとも私にはそんな能力はない。これは逃げではなくて、ほんとうに無い。
 でも、この先、この事件がどういう展開になるのか予想もできないが、「日本政府がアメリカ政府を全面的に指示する」ということを支持するのか?というような局面はあるだろうし、そいういう細かい「YES?NO?」に対してはきちんと考えなくてはいけないだろう。それをやるためには「痛ましい事件です」ということからもう一歩踏み込んで考えなければいけないはずだ。

 と、偉そうなことを書いてしまったが、もっと単純に言い換えると「もっとちゃんと考えないと、日本だって標的にされる可能性もあるじゃん!」ということである。そうならないように何が出来るか、軍備を増強するのも選択肢のひとつだし、そうしたくないなら、どうするか?う〜ん、難しいなあ・・・・ 

 サウナのおやじはこんなことも言っていた、
 「ヨーロッパはさあ、哲学者が多い国なんだけど、みんな長生きしないらしいんだよね。なぜかっていうと、考えすぎでみんな自殺しちゃうんだよ。だから、あんまり考えないで、とにかく毎日せっせと働いてたほうが人間幸せなんだよ」

 そういうこと言う人が多いことはわかってるけど、でも、私はやっぱり、たとえくだらないことでも、あれこれ考えたい。

 つうか、哲学者はヨーロッパ特産品ではございません。・・・・って誰か教えてやってください(涙)



9月12日(水)

 昨日は、家に帰ってさっそくニュースを観ていた。台風のニュースが観たかったのである。
 テレビをつけっぱなしにしながら「他人の不幸は蜜の味」な「川が氾濫すれば楽しかったのに」発言を調子に乗ってかきまくり、さあ、書きあがった、ちょっとエゲツない内容だが、ま、いいか。と思って、転送しようとしていたら、10時のニュースが始まった。

 NHKだったので、松平アナが出ていて「NYの貿易センタービルに・・・」と言うので「あれま、そんな大事件が起こっちゃったら、台風ニュースはもうやってくれないわね」と、かなり御気楽なことを思いながら、画面がCNNの映像に切り替わるのをぼんやり観ていた。

 「貿易センタービル」と言うのが、私が大好きな「あの双子ビル」だということに、そのとき気が付いた。飛行機が衝突したと言っていたので、てっきりNYは夜なのかと思っていたのだが、映像は昼間である。
 「NYは午前9時を少し過ぎたところです」
 ・・・・昼間に飛行機がビルに衝突するなんて・・・・そんなことって・・・・と、だんだん頭が回転してきた。
 
 松平アナもいったい何がどうなっているのかわからないまま、視聴者と同じような気持ちで映像を見ているらしく、現地の記者に矢継ぎ早に質問を浴びせるが、記者のほうも、まだあまり情報を得ていないようだった。とにかく、朝の9時前に、飛行機がビルに衝突したらしくて、だから煙が上がっているという説明である。
 ・・・これはテロかもな・・・・いや、そうとしか考えられない・・・・と凍った脳の片隅で考えた。でも、なんか、それこそ映画「タワーリング・インフェルノ」を観ているような感じで、「ああ、燃えてる」と思うだけで固まってた。それに、ビルに大穴が開いていても、それがどのくらいのスケールなのかよくわからないのだ。ビルが作り物のように思えてしかたない。

 ぼんやり無感動に画面を眺めていたら、また大きな炎が上がった。私は、ビルの中で二次爆発が起きたのかと思った。そしたら松平アナが、記者に「今、また飛行機が衝突したようですが・・・・」記者は原稿を読むのに必死で、映像を見ていなかったらしく「え?」というかんじだったと思う。私も、爆発は見たけれども、飛行機が近づいているのには気が付かなかった。周囲を旋回しているヘリもあるので、それだと思ったのである。
 すぐに映像が繰り返された。まるで、野球中継で、ホームランの瞬間を再生するように。飛行機がビルに衝突しているのがわかった。

 NHKだから、なんだか淡々としていたので、私はそれを「最初の爆発の映像が今やっと手に入ったのだろうか?」と思ったのだけれど、ほどなくそれが「第2回目の衝突」であることが明らかになった。なんかすごく脱力してしまった。これは「テロ」ではなくて「空爆」だと思った。濛々と煙を上げている映像をそれ以上ひとりで観るのに耐えられなくて(でも、消すこともできなくて)友達に電話した。友達もやはり「今帰ってきて、テレビつけたら、火事だと思ったんだけど、2機目がぶつかって・・・・」と呆然としていた。

 「やはりこれはどう考えてもテロだ」と話ながら、世界情勢の今後を憂う話をして気を紛らわしていたというか、余計に暗い気分になってきたのだが、その後話は他の話題にそれて、事件をBGMにして「普通の長電話モード」に突入していたら・・・・その後も信じられないような光景が次々と繰り広げられていく。
 日曜洋画劇場で「アルマゲドン」でもやっていて、隕石で次々と都市が破壊されている映像をちらりちらりと見ながら電話しているような気分になってきた。
 
 繰り返し映し出される激突の瞬間。
 なんだかどうしても現実に起こっていることに思えない。

 そして私が悔やんでも仕方ないのだけれども、こうなる前になにか手立てがなかったのかと考えてしまう。やはりブッシュにしてしまったのはよくなかったのではないか?ゴアが大統領だったらここまでやらなかったのではないか?日本政府だって、なんかできなかったのか?そして、「なんかできる政府」を選べなかった自分は、それでいいのか?

 それに、やはり「報復」と口にするアメリカ政府。「邪悪なテロリスト」というけど、テロリスト側にとっては「邪悪なアメリカ」なわけで・・・・そうやってまた私には無意味にしか思えない戦争が起こるのだろうか?まだわからない、犯人がイスラム原理主義者かどうかもわからない。いったいどうしてこんな犯行が可能だったのか、それもわからない。ハイジャック防止策はなにが問題だったのか?今後どうすればいいのか?なにもわからない。

 とりあえず、今の時点で私がわかったのは、うちの会社でNY出張中の2名とは連絡がとれたということだ。

 だから今はどう考えていいのか、そして自分になにができるのかもわからないけど、行き場のない悲しみがあることだけはたしかである。
 そして、なんにもできないし、なんにもわからないけど、ただニュースを見つめてしまう自分が情けないけど、ほんとに情けないけど、テレビを消すことができないのだ。

 もっと楽しい話がしたい。それだけなのかもしれない。それも逃げだけど。



9月11日(火)

 昔はよく台風が接近してくると、頭痛がしたもんだ。気圧の急激な変化のためだと信じていたが、ただの気のせいだったのかもしれない。原因はどうでもいいが、「昔はけっこう繊細だったのになあ」と思うだけだ。
 なにしろ、このところ、台風が接近するたびに、なぜか元気になってしまうのだ。自分は低血圧らしいが(健康診断でそう宣告されている)、台風が接近すると気圧が下がるので、相対的に「高血圧」になってテンションが上がっているのだろうか?(すげえデタラメだが、サラっと言うとそれなりに説得力がありそうだ。ホステスさんなどに語って聞かせたら「まあ、ミヤノさんってインテリなのね」とか言ってもらえそうである)

 豪雨が降ると、まず「多摩川がどのくらい増水したか」でドキドキしながら電車に乗る。昨日もかなり濁流だったが、今日はさらなる迫力で、気分は南米アマゾン川。なにせ川幅がいつもの3倍くらいになっちゃってる。あとで聞いたが、多摩川の河川敷の架線下で生活していた「青テント軍団」は早々に退去したそうだ。(逃げ送れた方は救助されたみたい)それどころか、大田区近辺では避難勧告まで出たらしい。わくわく。
 昨日も、中州はほとんど水没していたが、今日はさらに「ニッポン沈没」状態で、一番大きい木の上部がかろうじて顔を出している。根元は水に呑まれてしまっているのだ。でもあの木は再三そういう災難に遭っても、くじけずあそこに居座った根性と運のあるやつなので、きっと大丈夫なんだろう。木は「青テント軍団」と違って避難するわけにもいかないのだ。しびれる。

 護岸に立ってる「多摩川」の看板も看板部分だけを残して足は水没。岸にそった遊歩道も途切れてしまっている。
 すげーぞ多摩川!おまえはやっぱり本物の川だ!幼き私の脳裏に焼きついてしまった、多摩川が沿岸の家を飲み込んでいる映像がフラッシュ・バックする。あのあと、人間は、二度とそんなことにならないように、多摩川を改造してしまっただろうけど、こうやって「俺様はやっぱり怖いんだぞ〜」とたまに凄むわけだ。あの川原は、若者が酔っ払って花火大会をしたりするためにあるわけではないのだ。川の威力から町を守るためにあるんだぜぃ!

 ・・・・と、朝からすっかりテンションあがってしまった。
 おかげで、駅についたら、暴風雨まっさかりで、駅から会社までの50メートルの道のりでぐっしょりになる。
 それでも、「ズブ濡れの自分」が楽しくてしょうがない。気のせいか、その後出勤してきた社員たちも、頭までぐっしょり濡れてしまったり、靴下が濡れて履けないから、裸足でサンダル履いていたり・・・・と、なんだか「温泉旅行で湯上り後」のような雰囲気になっており、「いやあ、まいったね」という顔は皆なぜか笑顔。

 羽田空港へのトンネルが高潮で水没したというニュースを知ってまたドキドキ。
 ウォーターフロントな友達の会社の側の運河も「氾濫しそうだ」とのメール。ドキドキ。
 なんだか、私、「氾濫フェチ」のケがあるらしい。また意外な自分発見である。

 窓から見える、暴風雨はこれまた見ごたえがあり、午前中は釘付けだった。夕立の大雨とは格が違う。風が渦巻いていて、力士が土俵で撒く塩のように、白いしぶきがところどころで「ブシっ」と上がる。雨の粒が窓の外で、ナショナルジオグラフィックの記録映像で虫の大群が移動するときみたいに、うねりながら舞う。風の強弱が激しいので、グオっと押しあがった水玉の大群が、ふっと力が抜けて、ぱらぱらと散ったと思ったら、また風に煽られ、ドドっと同じ方向に移動する。
 CGムービーの超すごいやつを見せられているみたいだった。私が映像作家だったら、あの光景の迫力を画面で再現してみたいという野望にかられたことであろう。

 不思議なのは、あんな暴風の中、ときどき鳥が飛んでいるのである。避難所を探して彷徨っているのかもしれないが、鳥だってそんなに馬鹿じゃないはずだし、すでに暴風域に入ってかなりの時間が立っているのだから、もうとっくに避難所を見つけていてもいいはずだ。

 「あいつら・・・・大洗海岸のサーファーみたいな若者なのではないか?」

 と、大胆な仮説を立ち上げる。だって、なんだか、「いえ〜い!風乗り!台風のときの風はたまらん!」「おっし、あいつに負けてらんねーぞ、俺も行く!」ってかんじに、ときおりヒューンと立て続けに飛んでくるのだ。どこかで鳥の大人が「君たち!危険だからやめなさい!」と拡声器で怒鳴ってそうだ。

 昼ごろには暴風はかなりおさまってしまった。会社の女の子が「な〜んだ、つまんない」とつぶやく。やはり、嵐に浮かれるのは私だけではないようだ。
 友達の会社の傍の運河は「あと20センチ」だったそうだ。「残念」と友達も書いていた。(その会社の駐車場は地下にあるので、そこが水没したら、役員連中は明日から電車通勤だ!と期待していたらしい。労働者として正しい心がけである。自分の靴が台無しになるよりも、資本家の車がおじゃんになる方を選ぶのは・・・・)

 3時ごろには雨も止んだ。
 「さて、台風一家の登場だな」
 と、てっきりあっさりと晴天になるのかと思ったのだが、日が傾いてきても灰色の雲が空を覆っていた。そして、だんだんと雲の隙間から「台風一家」の主とも言える、「ぬけるような青い空」が見え隠れしていた。(台風一家の構成はまだ考え中だが、青い空と道路にへばりついた濡れ落ち葉とか折れた枝とかが候補にあがっている)
 「今回は、台風一家は夜に通り過ぎちゃうんだな。星がきれいだったりするのだろう」
 と思っていたら、空がだんだんとオレンジ色に染まってきた。

 灰色の雲に反射する夕焼けと、薄墨色の空、ほどよく混ざって、美しい絵画のようになった。
 まだ雲の動きが早いみたいで、景色は刻々と変化していく。夕焼けの色も、なんとも言えない色になり、それはほんの短い間だけ、「夕張メロンの色」になった。

 「夕張メロン色の夕焼け」

 自分の駄洒落に感動する。嵐の後はみな詩人だ。
 たまらなくなって、ベランダに出てみたら、空の上のほうは、ところどころ、「バラ色」としかいいようのない色に染まっている。自分が死ぬときには、あんな色に染まった光に包まれたいものだ。と、思って一生懸命あの色を憶えてようとした。

 楽しい台風の日であった。
 でも、ほんとに被害に遭った方には、安全なところで浮かれていてすいません。と、謝罪しておこう。
 そう、自分には被害が及ばないと信じていたから、楽しんでいたのでした。

 でも、この「嵐に遭うとなぜかテンションあがる」というのは、本能というか遺伝子に書いてあるのではないだろうか?だって、被害に遭いそうな人や遭った人も「いえ〜い!」とドーパミン出まくりの状態で対処したほうが、生き残れるような気がするのだ。そうじゃないと、落ち着き払って中洲で寝ていたりするわけで、なんか落ち着かなくて「こりゃあ、水がどわわわ〜ときそうだ!」とアッパーに期待(予測とも言う)できれば、すぐに非難できる。

 地震などの災害と違って、嵐はある程度予見できるわけだし、それは気象衛星が無い時代だって、だれかが鼻をフンフン鳴らしながら「嵐が近づいている。風の匂いがちがう」とか言ったら、「キャッホー!じゃあ準備しなくちゃ!」とワラワラと臨戦体勢に突入したのだろう。
 火山の噴火もそうかもしれない。「噴火しそうだ」とわかったら、「できれば噴火してほしくない」と近隣の住民は思うだろうが、でもきっとなんだかワクワクしているのではないか?そして、いい意味で興奮しながら、せっせと避難準備をするのではないだろうか?

 と、また口からでまかせを並べ立てて、子供みたいに浮かれている己を自己弁護しておきます。



9月10日(月)

 また台風だ。今年は当たり年なのだろうか。行きも帰りもそれほど大降りには当たらなかったのだが、明日の朝も気が抜けないらしい。
 それはいいのだが、洗濯物が溜まっているのですけど・・・(ちょっと臭いのですが・・・先週スポーツクラブで着たTシャツか?)

 大雨が降ったときに楽しみにしているのは、毎日通過する多摩川の風景である。いつもは、存在する護岸のすぐ下の「川原」も水没して、川が川らしく流れている。そして、中州も3分の1くらいになっていて、さすがに大きな木があるあたりは水没していないが、その周囲はすっかり水の下になってしまうのだ。ところどころに背の高い草木の頭が覗いていたりする。
 
 大雨が止んで、水位が平常に戻ると、草木はすっかり茶色になっていたりするが、強い雑草の中には、2日間くらい水の下にいても青さを保っていたりして驚く。そして茶色く枯れていたエリアも数日後にはすぐに緑を取り戻すのだ。雑草はほんとうに逞しい。見習いたいものである。

 今朝のワイドショーを見ていたら、夏に起こった「中1少女、高速道路に放置され死亡」事件の犯人が、中学校教師だったというのがトップニュースになっていた。(週末に逮捕されてたみたいだけど、なにせテレビあんまし見ないもんで)
 ワイドショーらしく、「教師というものはストレスの溜まる仕事だ」という話題になってたりしてた。

 もちろん「ストレス」というものも個々のものであり、「教師は大変な仕事だから、そういうストレスがあるのは当然で、だからそんな事件を引き起こしても仕方ない」ということはないし、発言していたコメンテーターもそう言っていたので、それはいいのだが、私も子供のころから「教師というのはかなりのハードワークなのではないか?」と感じていたので、「教師のストレス」ということだけに関しては同感である。

 小学校のときには、同じ教師(担任)が一日中クラスの面倒を見るわけで、休憩時間は10分だけだし、それすらも満足に取れないし、昼食も教室で一緒に給食を食べ、食後の休み時間も生徒と遊び、そして午後の授業。授業は3時くらいに終わるけれども、普通の会社のOLなどとは比べ物にならないくらいハードだ。デパートの店員なども、勤務中は人目に晒されているので同様のストレスはあるだろうけど、お昼休みとか休憩時間には、それぞれ寛ぐことができるし、だいたい店舗だって、一日中客が大勢来るわけでもないし、午前中などは、商品の出し入れや管理伝票を云々とかいう、それほど気を張らない仕事をしているはずである。
 それに学校はなんてったって、週休1日。その代わりに夏休みなど長期休暇はあるものの、なんだかんだでそれほど休めるものでもないようだ。

 だからか知らないけど、小学校のときの教師は皆あまりゆとりがないような気がした。特に若い教師などは、「緩急のつけかた」が上手くなくて、「日々全力投球」してしまうようで、それが空回りして、生徒を殴っていたりしたように思う。わりと「体罰」が許容されていた学校だったせいもあったけど。
 
 中学になって、「教科ごとに教師が替わる」ことになって、私自身はずいぶん楽になった。教師にゆとりがあるのだ。
 それに一日中一緒に過ごすと息の詰まるキャラでも、週に数回のお付き合いだったらけっこう好きな人というのもいる。ある女性英語教師は、タレントのマリアンみたいな人でけっこう華やかなタイプ。声も甲高く、やたらと「発音」にこだわっていた。あとで、ICU出身だと知ったが、「学生時代は皆で発音比べをよくやったのよ。だれだれのstの発音はすてきだとか、thをすごく軽やかに発音できるとか、競いあったの」と熱く語られても、中学生にはよくわからなかったが、「自分の教えてる教科が大好き」らしいのは理解できたので、私は彼女がけっこう好きだった。(彼女が担任のクラスの女生徒の受けはあまりよくなかったらしい。たしかに毎日顔を合わせてあの甲高い声で騒がれるとうんざりする気持ちもわかった)

 担任クラスを持っていない先生もたくさんいて、私はそういう教師のほうが好きだった。いつも暇そうにしか見えない美術の教師は、卒業制作で居残っていた私たちにファミレスでパフェを奢ってくれたりした。みんなこまっしゃくれていたので、「先生、安月給なのに大丈夫?」と余計なお世話なことを聞いたりしてた。彼はたしか生徒に陰で「サダオ」と呼び捨てにされており、私が授業中に「サダオがさ〜」と大声で喋っていたら、目の前にいた女の子が「しっ!うしろにいるよ!」
 ゲっと思って振り向くと、サダオ先生は、やや顔を引きつらせてそこに立っていた。ヤバ〜と思った私は、何を思ったのか、

「だって、小山せんせいは小山サダオだから、サダオじゃん」

 というしょーもないことを言ってしまった。軽くゲンコでコツンとやられたような記憶がある。その後も私はついうっかり「サダオちゃ〜ん」と呼びかけてしまったりしていた。小山せんせ〜ごめんなさい!お元気ですか?(当時は若造だったが・・・・)

 思い出を羅列するつもりもなかったのだが、中学の時は嫌いな教師もいたけど、好きな教師もたくさんいた。理科の落合せんせーはまだ生きてるかなあ?すごく大好きだった。あの先生がいなければヘナチョコ理科好きにすらなっていないだろう。
 ええと、何が言いたいかというと、小学校の「1クラス、1教師」より、中学のほうが、生徒もいろいろな先生に接するので、ストレスが少なかったし、教師もそうだったのではないかと思うのだ。

 高校に進学すると、そこは「デモシカ教師」の楽園になってた。
 多くの教師が「大学に残りたかったんだけど、放り出されちゃった」みたいで、夏休みともなればいそいそと学会だの発掘だのに行っているみたいだった。
 学生結婚した相手が大学に残れて出世して助教授になっちゃったらしい男性教師もいた。(ハンサムだったので人気があった)
 今じゃ、プロのマラソン・コーチになってる小出先生だって、陸上部の活動のために教師やってんだろうな〜
 家庭科の調理実習の前日には当番が先生から材料費を預かって近所のスーパーに買出しに行く。私が当番だったときに、ダラダラ数人で買い物に行っていたらけっこう遅い時間になってしまった。家庭科室に戻ると、女性教師に「あなたたち遅いわよ。わたし、先生として働いてるけど、家に帰れば主婦なんだから、ダンナの夕食が遅くなっちゃうじゃないの」と叱られた。お説ごもっともだったので、そういう説教は素直に聞いた。(いや、その時は「なによ〜あの言い方ないじゃない!」と怒っていたかも)

 要するに高校の時の教師の多くは「先生」というよりも等身大の人間として存在していた。もちろん嫌な教師もいたけれども、それはそれで彩りだったように思える。今にしてみれば。
 まあ、今よりも生徒も純朴だったし、それにそこそこ進学校だったので、授業以外にそれほど教師が気を揉むこともなかったわけだから、「ぬるい職場」だったのかもしれない。近隣の「荒れた」学校から転任してきた教師などは「ここは天国みたいだ」と言っていた。みんな、きちんと授業に出て、やる気のない生徒はおとなしく寝ていたり、教科書の裏でこそこそ手紙書いてたりという程度。

 でも、生徒だって、やっぱり「余裕のある人」に対しては、わりとゆったりと接することができるし、そういう良い循環があったと思う。
 それは、学校じゃなくたって、会社だってそうだけど、ピリピリした人の下ではいい人材は育たない。
 だから、先生っつうのは、もっと遊ばせておいたほうがいいと思うのですが・・・・「熱血教師」もいいけれども、「生徒に教えよう」とする教師よりも「自分がまだまだ勉強したい」という教師の授業のほうがおもしろかったもん。まあ、小中学校でそれをやるのは難しいと思うんだけど、指導要綱だかをいくら練っても、本なんてロクに読まない体育教師(私の6年生のときの担任は、ほんとは中学の体育教師を目指していたらしいが空きがなくて小学校に赴任していた)に、国語を教わっても、やってる教師も辛いだろうが、聞いてるこっちもかなり辛かったのですよ。

 久々に長々と書いたら、また散漫になってしまった。まあ、いつもこんなもんか。

 高校がいかにのんびりしていたかということのエピソードのひとつに私がとても好きな話がある。昔話なので細部は多少違っているかもしれないが・・・・
 田舎の進学校でも、「不良っぽい」生徒はいた。学内で問題を起こすことは少なかったが、同級生のある男の子が(私は同じクラスになったことがない)わりと外見が当時の「つっぱり風」(リーゼント頭だったかな?)だったのだが、彼がバイクの無免許運転で人身事故を起こしてしまい、大騒ぎになったことがある。(バイクの運転は原則禁止だった。駅も近くにないド田舎の生徒にだけ特別に許可されていて、そのライセンスを取得することは「田舎者の証明」となって、かなり不名誉であった)

 学校としても、めったに無い不祥事で、「退学だ!」と騒ぐ教師もいたらしい。生徒も彼の処分がどうなるかヒソヒソ噂していたと思う。
 彼が事故を起こしてしまったのは、信号待ちしていた老夫婦みたいで、ダンナさんは軽傷だったが、奥様のほうが骨折してしまったらしい。命に関わる事故ではなかったのが不幸中の幸いだったと言えよう。でも、歩道を歩く老夫婦に無免許運転のバイクが突っ込んだわけだから、生徒の罪もそれなりに重くなる。
 後日、彼は結局「停学処分」になった。その理由をたしか自分の担任教師から説明された。(だったかな?)

 職員室が彼の処分で揉めているときに、事故に遭った男性が学校を訪ねてきたそうだ。もちろん、彼の妻を重症にした生徒には憤りを感じているだろうが、生徒が地元でも名門(なにせ元藩校だしね)高校の生徒であることを知り、「将来のあるお子さんが、こういう事故で学校を辞める事態になってしまうことは心苦しい」というご意見だったそうである。
 
 そして、「それよりも、私どもはとても困っています。夫婦で梨園をやっているのだが(千葉名産)、収穫時期だというのに妻は骨折して入院。私ひとりではとても収穫をすることはできません。ですからご相談なのですが、事故を起こした生徒さんに収穫を手伝っていただけないでしょうか?」

 というわけで、職員室満場一致だったかどうかしらないが、彼は「停学」になってその間、梨園の収穫作業に従事したようなのである。
 私はその生徒とクラスも別だったし、共通の友人もいなかったので、その後彼がきちんと「お勤め」を果たして無事復学したのかどうか、まったく記憶にないし、もしかしたら、この話自体が私が勝手に作り上げてしまった物語なのかもしれないが、でも、「自分のいた学校はいい学校だったな〜」と思えるエピソードの一つになっている。

 もうちょっと私に文才があれば「一杯のかけそば」になれそうな話だ。 



9月9日(日)

バルタンのハサミ 
 やっと、ハサミ完成。
 しかし、なぜかこれを作りながら三島由紀夫の「音楽」を思い出すのだけれど、「音楽」にハサミは登場したのだろうか?あらすじを探したのだが、マイナーらしくて見つかりませんでした。たしか、すごく薄い本で私も美容院で読みきってしまったような記憶がある。
 読んだのがもう10数年前なので、記憶がおぼろなのだが、あれはたしか精神分析の話だったはず。よくわからんが、フロイト派っぽい話だったから、「ハサミ」くらい出てきてもおかしくないけど・・・・
 あ・・・やっぱ「ハサミ」は重要な登場人物になってるみたいだ。

 ま、しかし、バルタン星人のハサミを作りながら、三島作品に想いを馳せるというのも、風流な秋の夜長であることよ。(自嘲気味)

 それにしても、ペーパークラフト逃げは、前にもやったので、我ながら自分の進歩の無さにあきれ返るが、考え方を変えて、

 「進歩がなくて同じことを繰り返しているのではなく、完成したものだから、繰り返しやっているのだ」

 ううう・・・我ながらなんて素晴らしい言い訳だろう!セ・ラ・ヴィ!(?)
 しかし、こうして「ささやかな逃げ道」を作っておくのは、けっこう上手いやり方なのかもしれない。
 
 先週は、日曜日〜土曜日まで出勤してヘトヘト。女工哀史。
 会社の新規事業の書類的な仕事が全部降りかかってきた。しかも、そんなのまったく知らなくて、それが8月半ばに始まったのだが、8月の締めになってから、その書類処理が彷徨ってまた私のところに流れ着いてきた。しかも、まだ金額が決まっていないという恐ろしい状態で、「いったいどうすりゃいいの?責任者どこだ〜〜〜!」と叫んでも仕方ないから、地道に「この仕事でこれだけ経費がかかって、たぶんこれだけ利益が出ると思うんですけど、下請けはこの金額出してきてますが、これでいいんですかねえ」という表を作った。
 でも、そういうのって、普通、仕事が動き始まる前にやることじゃないのかしらん。もう知らん。
 それに、その仕事は、下請けが数社入っていたのを我が社が間に入ってとりまとめて、親会社にとっては経費削減になり、うちの会社は利益を得るという仕組みらしいのだが、「みんな得しますよ〜」の根拠がどういうところから算出されているのかわたしゃ知らん。
 動き始めてから「祭日の運送費は割増なんですが」とか言われたって、わたしゃ知らん。そういうのは事前に協議しちくれ。
 
 しっかし、こんなんでいいのだろうか?いいみたいだから、いいんだろう。そんで「これじゃ、あまりにも泥縄だ〜」と気が付いてしまった人が損をしてしまうのね・・・だからって、テキパキ切りさばく能力もなし。(それに、そんな給料もらってないも〜〜〜ん)

 と、仕事の愚痴を炸裂させる。これも逃げ。
 今週も、この調子で月〜土、お仕事なのだ。週休1日が続くと、休みの日は一日寝ているだけで終わってしまう。



9月7日(金)

 日記が中断していてご心配おかけして申し訳ございません。
 精神的に骨折してしまったので、現在リハビリ中です。

 というのは嘘で、ほんとうの理由は、

 「夏休みの宿題のバルタン星人がまだ完成してないので、引きこもっている」

 やっとハサミにとりかかっております。



9月2日(日)

 朝の5時に起きて、6時前には家を出て、勤務地には6時50分集合。
 終了したのが午後5時。10時間労働、しかもほとんど立ち仕事。足がパンパンになり、肩もパンパンになってしまったので、帰宅して、速攻で洗濯を済ませて、久しぶりに銭湯に行って熱いお湯にたっぷり漬かって、パンパンだった筋肉をほどよく茹でた。最後に冷水をぶっかけてビシっとしめて、これで血行はよくなったであろう。
 は〜疲れた。当分この仕事やりたくないっす。(今年あと3、4回あるんだよな。何回割り当てられるか・・・・)



9月1日(土)

 みんな(みんなって誰よ?)メタモルに行っちゃたかな?
 それにしても、みんなの中には「スタッフ」も含まれているので、「雨だと辛そうだよな」と思っていたのだが、「週末は雨」の予報が少し早まったので、今日明日は晴れるようだ。野外イベントの成功は90パーセント天候に左右されるから、天気さえよければなんとかなるものだ。
 メタモルもストリーミング中継やるらしい・・・・だいじょぶかあ?

 いろいろと精神的にきついことが多かった今週であったので、昨日もわりと早くに寝てしまったのだが、今日は昼過ぎまでぐっすり寝てしまった。首とか腰とか痛くて、心の疲れが体に一気に噴出したというかんじである。
 でも、こういうふうに、噴出すことができるうちは、たいしたことないのだろう。

 などとつらつら書いているうちに、ストリーミング中継がはじまったみたいだ。MAYURIさんのプレイをパソコンで聴くというのもなんかおもしろいな。

 メタモルには行こうかどうしようか迷っていたのだが、明日が出勤になってしまったので仕方ない。また、5時起きしないといけないのだ。今の時期だと、早起きもあまり苦痛ではないのだが、その「日曜出勤の早朝からのお仕事」は12月まで毎月あるので、寒い日に当たると(順繰りに割り当てられる)なかなかしんどそうだ。
 だらだらしているうちに貴重な休みが終わってしまう。明日から出勤で次の休みは日曜日なので、「連続7日出勤」になってしまうのよ(涙)月月火水木金金ってかんじ。 

 ひさびさに、バルタン君に手を出してみたら、埃まみれになっていた。


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