可燃物な日々

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8月31日(金)

 ♪ほんとのことしりたいだけなのに〜なつやすみはもうおわり〜♪ byフリッパーズ・ギター (そういや、まだCD返してくれないよTR君!)

 煮詰まっているので、突破口になるかもしれないと「集合」の本読んだりしてみたが、数学の中でもとっつきやすいのかと思ったけど、∪とか∧とかがたくさんでてきて、

 ああ、人生やっぱり山∧∩あり谷∪∀あり

 と別の方向に飛ばされてしまった。⇒

 上司が「シックス・シグマ」の本を購入しているのを知ったので∈
 「なんだそりゃ、シックス・センスの親戚か∠」
 と思って調べてみたら・・・・なんかこりゃギャグだなと思った。なんでこんなもんに興味を持ったのであろうか⇔(うちの会社は製造業ではないので、品質管理とはあまり縁がない)

 φ塔ウふぁい ⇒ 眠くなってきたらしい・・・・

 そういえば、カルロストシキは元気かなあ? ⇒ シグマオメガを思い出し、「かるろすとしきとおめがとらいぶ」はその昔、「これはいったいどう区切ればよいのだろう?」ととても悩んだことを思い出してしまっただけだ。「カルロスと四季とΩとライブ」と最初頭の中で変換していた。



8月30日(木)

 朝から体調が悪く、(いつものように病気ではないのだが)血圧も上がらないようで「もう、休みたい〜〜〜」という気持ちとうだうだ闘い、なんとか会社に行く。
 昼休みに、お弁当を食べていたら、後ろの扉が開き、振り向くとシステム部若手君が立っていて、「あ、お忙しそうですね〜」というので、なんか用なのかと思ったら、彼の足元にある台車にはモニタが載っている。

 「え?それひょっとして私の?」
 「ひょっとして、そうです」

 別に私のモニタは調子悪いわけでもないので、なにかの間違いだと思ったが、「それ、小さいでしょ?」と言われたので、たしかに、私のモニタは隣の席のパートさんのよりも小さい。パートさんは、社内メールくらいしかパソコンを使ってないのだが。
 たぶん、この間、システム古参が私に送ってきた見積書を私のマシンで一緒に見ながらあれこれ支持を受けていたのだが、そのときに「モニタが小さくて見づらいな」と思ったのではないかと推測される。そんで、どっかでまたマシンの入れ替えがあって、余ったモニタが出たので「じゃあ、ミヤノさんのをとっかえてこい」と指令が出たのではないだろうか?

 お弁当を食べ終わってから、システム若手君にまた来てもらって、モニタを交換してもらった。2年間使用した古いモニタが台車に載せられていく。ドナドナ〜
 さあ、なんかふた周りくらいデカくなったモニタで、さっそく立ち上げてみた。
 しかし、まず画面が暗い。画面が悪いのではなくて、それに両面テープで貼り付けてある(ださ〜)フィルターが暗いのだ。うむ、しかし、きっとこれをとると目が疲れるだろうし、そのうち慣れるであろう。それはいいとしても、なんかどうしても画面がゆがんで見える。

 旧モニタはほんとに古いやつだったのだが、新モニタはまあまあ最近のなので、「フラット画面」なのだ。今までは画面のゆがみを自分の頭の中で調整していたらしく、それがフラットになっても、「自動調整モード」はそのまま続行しているので、画面が凸状になっているように感じるのだ。
 その画面を見つめて作業していると、だんだん気分が悪くなってきて、エクセルの罫線がグニョグニョと曲がっているように感じて、胃のあたりがムズムズする。
 とりあえず、モニタにくっついてる画面調節をあれこれいじっていたのだが、どうやっても線がまっすぐにならない。

 ひょっとしたら、ほんとうにモニタもゆがんでいるのかもしれないが、私にはわかっているのだ。

 「この歪みは私の眼球のせいなのよ」
 
 そう、私は強度の乱視である。定規で真っ直ぐ書いた線も、真っ直ぐに見えない。だから「これは、ちゃんと真っ直ぐなのかな?と気になってしまうと、その解決方法がないのである。今までは、旧モニタで慣れていたので、「これを真っ直ぐということにしておこう」と脳の中のどっかの機能が妥協していたのに、モニタが替わっちゃたので、どこで妥協していいのかわからなくなっているのだ。

 ただでさえ、子宮は痛いし、眠いしダルいし、という状態なのに、視神経を撹乱されてしまい、頭痛というか、軽い船酔い状態にまで陥り、仕事は全然はかどらないわけで、「もう早くおうちへ帰りたい」というメッセージが頭の中をグルグルしながら数時間座っているのはとても辛かった。

 気を紛らわすために、「私の目がおかしいのか、貴様(モニタ様)がおかしいのか、白黒つけてやろうじゃねえか」と、モニタに定規をあてて「う〜ん」とうなっていた。ああいうズレは微妙なので、定規あてたくらいでは判別できない。
 しかたないので、少しでもモニタ様とお近づきになろうと、せっせと磨いてみたりもした。グルーミングである。昨日の「動物のマッサージ」のことが頭をよぎる。(嗚呼、グリエルモ先生!ここにもあなたのマッサージをひつよーとしてる哀れな動物がおりますのよ!)

 磨いているうちに、興がのってきたので、キーボードまで磨いていた。ついでにマウスも磨いておこう・・・・・なにしに会社に行ったのだろう?早く新モニタと仲良くならないと、仕事にならない。(←言い訳くさい)



8月29日(水)

 昨晩、日記を書いたあと、電話をくれていた友達に電話したら、久々に話すものだからいろいろ長話になってしまい、3時近くまで電話してた。
 たわいもない噂話だけだったけど、そうやって喋っていると、かなり気が紛れたみたいで、今日はわりと元気だった。
 しかし、元気になると、人間は、というか私はわりと鈍感になるみたいで、あまりアンテナを張り巡らさないので「今日の街で見かけた優しい一こま」を見つけられなかったりする。不思議だな。ここ数日、見るもの見るものが、重大に思えたのに・・・・

 まあ、なんだかんだ言っても、自分はわりと立ち直りは早いらしい。(別に失恋したとか、失業したとかそういうダメージではなかったのですが)



8月28日(火)

 9時間ほど寝たら、かなり機嫌はよくなった。でもあと5時間くらい寝られそうだったが、贅沢は言うまい。
 電話を「おやすみ機能」にして寝ちまった日に限って一ヶ月ぶらいくらいに電話してきた友達。あなたは、アメリカで80億円の宝くじが当たった人の反対側にいます。(笑)

 それでもまだ、心の奥深くではややナーバスな部分がくすぶっているらしく、今日は駅の改札付近の雑踏の中で、若い身奇麗な(あまり最近こういう形容はしないな。わりときちんと流行の服装を着こなしていて品のよいかんじ。といっても後ろ姿だけだったけど、姿勢はよかった)女性が、斜め前をのろのろと歩いていた老婦人(でも、それほど年でもなく、60歳前後)の肩に手をかけて、老婦人の歩みを止めた。
 娘が無言で「おかあさん、こっち」と指図するかんじだった。老婦人が一瞬立ち止まると、その前を白い杖をついた人が、通り過ぎていった。
 女性は老婦人の肩から手を離すと、老婦人はまた歩みはじめた。老婦人(老・老と繰り返してごめんなさいです)は、片手に大きな花束というか、生け花の素材を抱えていたので、杖を突いた人が近づいているのに気が付かなかったようだ。それを女性が引きとめたらしい。

 女性は、老婦人の肩から手を離すと、そのまま老婦人を追い越して歩いていってしまった。どうやら、連れではなかったようだ。
 でも、あの肩に手をかけたタイミングとさりげない力加減はただものではない雰囲気であった。だって、あまり勢いよく手をかけたら、老婦人もびっくりしてしまうだろうし、私は少し離れていたので、なにか声をかけたのかもしないけど、なんかその動作が漫画だったら「すっ」という文字で現されるであろう的確さと優雅さ。お茶の席で、お客様に「すっ」とお茶碗を差し出すときのような・・・・

 と、ささやかなことにまた感動してしまっているので、まだちょっと疲れているのかも(笑)

 疲れているときは、「動物もの」に限ると思い、「マッサージ台のセイウチ」を読み始めた。
 ああ、やはり「動物と人間の心のふれあい」の話は読んでるだけで癒される。しかも「動物をマッサージする仕事」などがあるなどと、今まで想像もしなかった。どうやら、馬術馬や競走馬の世界ではわりと知られているらしい。スポーツ選手に専属のマッサージ師がいるように、アスリートな馬にもそういうプロは必要なのか。

 でも、ここで出てくるのは、セイウチやイルカ、ペンギンという、「どうやってマッサージするの?」という動物ばかり。著者は手探り状態でやっているが、それでも「動物の基本構造はかなり似ているし、どんな生き物だって背中をさすられればうれしいのだ」という理屈でやっていて、それの成功例を並べている。自慢話を延々と聞かされているような気がしなくもないが、ときおりあまり上手くいかなかった例も消極的に紹介してバランスはとっている。

 あまりにも劇的に患者(?)が回復した話ばかり出てくるので、「ほんとかよ」と突っ込みを入れたくなるが、これは科学的な話というよりも、「楽しい読み物」なわけで、でも十分伝わってくるのがこの「動物の(マッサージの)お医者さん」が自分の仕事をとても楽しんでいるということだ。いいな〜、そうか「馬のマッサージ師資格」などというものが取得できるのか・・・・そんな資格ならトライしてみたい・・・・履歴書に書いたら、履歴書をあっさり返却される率が下がるかも。私が採用担当者だったら、「これはなんなのか、話を聞いてみたい」と思うもの。

 ま、そんなに理屈をこねる本でもないし、「おもしろかった」でいいみたい。
 家に帰る途中、さっそく、ジロー(仮名:近所のハスキー犬)をつかまえて、「どこか筋肉が萎縮しているところはないかな?」とにわかマッサージ師ごっこに興じてしまった。ジローは途中で寝てしまったので、もしかしたら私には才能があるのかもしれない。



8月27日(月)

 眠い。
 昨晩一睡もできなかった。寝ようとしたのがそもそも4時過ぎだったのに・・・そういう日に限っていつもより1時間早く出社しなければなかなかったのだ。

 遅刻できなかったので、ふうらふらしながらも早めに家を出て駅へ向かう。途中にある太子堂商店街がやはり気になりながら、駅の入り口にさしかかると、向こうから歩いてきた女性の足取りがおかしい。ふらふらというより、もうヨロヨロとしていて、しかも高いヒールのミュールを履いているのに、重心が後ろにかかってしまっているので、頭から倒れそうになるのを必死でバランスをとっていて、バランスとりながら、ヨロヨロと横断歩道に出てしまった。
 「うわ、危ない!車に轢かれるよ」
と、思ったら、幸いにも信号が赤になり、車は止まったのだが、女性は横断歩道の真中でへたり込んでいた。20代後半くらいだろうか?それほど派手なかんじでもなく、手にはスーパー袋とブランド袋が握られていた。なんとなく薄汚れた感じなのは、朝まで飲んでいたからだと思った。出かけたときはもっとピシっときめていたのであろう。

 昨日の事件もあったので「ラリってるのか?」と一瞬戸惑ったが、側に寄ってみて、「大丈夫ですか?」と声を掛けてみたら、無言で下を向いて、すごく苦しそう。ぜいぜい言って、今にも吐きそうだ。しかも酒臭い。
 単なる酔っ払いだと判明して、少しほっとする。でも、眩暈がひどくて立って歩けないみたいなのだ。酩酊状態・・・・って、朝の7時半なのに・・・月曜日なのに・・・・と思ったが、横断歩道の歩道よりになんとか移動させたけど、そこで座り込んでいるのも歩行者の邪魔なので、移動させようとしたら、自分で立ち上がってくれて、背中を押して誘導して、まだ閉まっている店舗の入り口に座らせた。
 
 とりあえず、私にできるのはそこまでだと思ったので、急いでいたし、「ここで座って休んでいたほうがいいよ」と声をかけ、駅へ向かおうとすると、彼女は下を向いたまま、小さな声で「ごめんなさい」と言った。

 別にそれだけなのだが、なんかうれしかったのでした。いいの、いいの、私もそうやってまっすぐ歩けなかったことはよくあるし、それにたいした手間じゃないし、なによりも放っておいて、あなたが車に轢かれたり、歩道の真中で倒れて通行人に白い目に見られたりするのは、夢見が悪いから・・・・
 感謝してもらうようなことはしていないが、「誰かが手を差し伸べてくれた」と思ってくれたなら、あなたにも誰かが歩けなくなっているときに「大丈夫ですか?」と声を掛けられる人になってほしい。だってそのときに倒れているのは私かもしれないから・・・・ 

 でも、そういう「倒れている人」や「具合の悪そうな人」にうかつに声を掛けられない世の中になっていることも確かなんだよな。

 ちょっと感傷的になってしまった寝不足の朝。



8月26日(日)

 朝の4時までかかって、「模倣犯」(宮部みゆき著)を読破する。
 bk1に載っている書評でも語られているが、とにかく分厚い本で上下巻。たしかに「冗長」と言われても仕方がないかも。
 でも、「理由」でも書かれていた、事件そのものと同時進行する「ワイドショー」で報じられる事件とその関係者、というものが、しつこいほど描かれていて、そのために特に下巻のほうは説教くさくなってしまったかも。ただ、そういう「社会派」なご意見を飛ばして読もうと思えばそれができるようになっているので、私も途中かなり飛ばしてしまった。

 それでも、ここまで丁寧に「被害者の遺族と加害者の親族」が出会ってしまった場合、どういう事態になるのかということを書いたということをきちんと書いてあるあたりはおもしろかった。

 ・・・などと昼下がりに書いていたが、なぜか今日の午後はヘリコプターがやたら飛び回っていて「うるさいな〜、なんかあったのかしら?」と思いつつ、ごろごろしていて、やっと「昼ご飯でも食べよう」と約束していた友人と「夜ご飯にしよう」ということになって、下北沢まで出かけて、食事して、10時ころ帰宅し、日記の続き書こうとパソコン立ち上げて、メールチェックしたら、友達から、

「物騒な事件があったみたいだけど大丈夫?」

というメールが来てた。「な・・・・なんか事件があったんだ!」と慌ててテレビをつけるがニュースやってなかったので、ニュースサイトを見てみたら・・・

「太子堂商店街で巡査が刺されただとおおおおおお!!!!!」

 怒っている。私は今とっても怒っている。私の愛するあの素晴らしい商店街が血で染まったことに対して、顔が真っ赤になるくらい怒っている。
 そして駅前にあるあの交番にいるお巡りさんが亡くなったことに対しても、とても怒っている。顔も知らないが、あの交番の前は、しょっちゅうというか毎日のように通っているのだ。
 この間、フジロックに行く前にあそこの交番のまん前に車を止めて、マックで朝マックを購入してから、車の中で朝ご飯を食べた。交差点に近い場所なのでほんとはあまり長く停車してはいけないのだ。つうか留めてはいけない場所のはず。
 「ここ、交番の前だよね」
 「ま、すぐ戻ってくるからだいじょぶでしょ」
 「ここで食べてて叱られないかな?」
 「ま、人が中に入ってればだいじょぶでしょ。だいたい食ってるのも見えてるから見逃してくれるよ。まだ道も混んでないし」
 実際、交番の前に立っているお巡りさんは、目の前に停車した車には特に注意を払っていなかった。そこにちょっと停めてマックに買出しに行く車も多いのだろう。
 だから甚だ身勝手な意見ではあるが「あそこの交番は話がわかる」と思い、「いい交番だ」と評価していたのである。

 ミステリー小説どころの話ではない。巡査を刺した犯人も拳銃で撃たれて死んだので、いったいなんのために刃物を持ってうろついていたのかわからない。でも亡くなった警察官の遺族や、犯人にもし家族がいれば、そこにまた新たな物語ができる。
 そして、宮部みゆきが小説の中で語るように、「そういう物語にいつ巻き込まれるのかわからない」のである。そして、家族が亡くなった悲しみにくれると同時に、「ワイドショーの出演者」になってしまったりするわけだ。

 不幸は突然やってくる。それを誰も止められない。
 そして、単に「場所が近いから」というだけで、そんな半端な地理的条件だけで、私が「ぐおおおおお」と感情を動かされてしまうのだ。もっと近くにいた方、(その場に居合わせたとか犯人&被害者と親しかったとか)は、どういう思いなのであろうか・・・・

 でも、ニュースや新聞は毎日そんな事件で満ち溢れている。今日こうして生き残っているのはただ「運がよかったから」なのかもしれない。
 そんで、結局私だって、明日になったら、「現場見に行ってよ」と行って、用もないのに商店街に行ってしまうのであろう。事件が人を惹きつける。自分が被害者でなかったことを確認するために・・・・・

 まったくもう、私がそういう本読んだ日にこういう事件が起こるとは・・・・読書運はいいとは思っていたが、こういうのは嬉しくないのでもういいです。無意味に動揺するから私の周囲半径1キロ以内は犯罪厳禁!



8月25日(土)

 昨日は久々にパラパラをやった。11時くらいに帰宅して、そのまままた長電話をしてしまい、気が付いたらもう3時過ぎてた。
 なので、午前中に配達を指定していた荷物が届いたときには、もうヘロヘロでボロボロの寝巻き姿で応対。人間失格。

●お嬢様ごっこ

 私は「ごっこ遊び」が大好きである。
 一時期「お姫様ごっこ」がしたくなり、駒場公園の「旧前田邸」などで一人でやってた。本当は誰か一緒にやってくれるお友達が欲しかったが、そういう優秀な人材(想像力と演技力が駆使できなければならない)にもめぐり合えなかったので、一人でお屋敷に佇んで、「ああ、私は書生の田中に思いを寄せているのだけれども、お父様がお決めになった許婚と結婚しなければならない・・・・」とか、ちょっと廊下を小走りしながら「中村男爵様がお越しですって?欧州からお戻りになったのね?」「お嬢様、走るなんてはしたのうございますよ」「だって婆や、早く異国のお話を伺いたくって、待ちきれないのですもの」などと一人で頭の中で遊んでました。暗い・・・・

 ま、しかし、「お姫様ごっこ」を完璧にするための語彙がどうしても不足しているのは否めない。お育ちが悪くもないけど、良くもなからさっ。
 というわけで、向上心に溢れる私は、このような本を買って勉強してみることにしました。

 お嬢さまことば速修講座

 なるほど、お嬢さまは「すみません」と言ってはいかんらしい。「恐れ入ります」だけ言っていれば、それだけでけっこうなんとかなるようだ。
 あと、語尾は「ことのて」で結ぶと。

 レストランでも「今日のお魚料理はなんですか?」ではなくて「今日のお魚料理はなんですの?」ってなかんじ。
 するってえと、昨日私が友達に書いたメールを「お嬢様ことば」に変換すると、

 「ごきげんよう。昨日、Y様からお電話をいただきましたの。とてもご無沙汰しておりましたので、驚いてしまいましたこと。今度、Y様のお宅をお尋ねすることにいたしましたのよ。よろしかったらK様もご一緒しませんこと?」

 これに対して友達はこう返事しなければならない。

 「ごきげんよう。せっかくのお誘いなのですが、わたくしは風邪を召してしまいましたので、しばらく外出できないと思いますの。Y様にはよろしくお伝えくださいませ」

 ふむふむ。これはなかなか楽しそうだ。
 ただ、私には難易度が高いのは「否定的なことの遠まわしな表現」である。

 たとえば、「あの人、頭悪いんじゃないの?」という表現は当然「お嬢様っぽくない」わけで、「おひとがらはよろしんですけれど」とか「のんびりしていらっしゃるから」とか言い換えなければいけない。、まあ、この程度だと、庶民言葉でも「マイペースだよね〜」という表現もあるのでそれの丁寧語だと思えばいいのだが、「第三者の意見として言う」という手法、

 「みなさまお困りになっていたわ」(ひどい目に遭っちゃった)
 「みなさまお残しになっていたわ」(料理がまずくてさ〜)
 「あまり評判の良いお方ではないようですわ」(やな奴〜)

 という言い方は、よく庶民が連発してしまう「みんなそうだもん」を連想させて、よく「みんなって誰よ?」ってな言い争いに発展していることをかんがみると、使い方が難しい。ただ、こういう「遠まわしな否定」を使いこなす人同士だと、わりとズムーズに話が運ぶのだろうけど。

 そういえば、話は飛ぶけど、男女問わず「誰かをデートに誘いたい」というときに、たとえば「今度の日曜日に映画に行きませんか?」と言ってみて、相手が「申し訳ないけど、日曜日は都合が悪いので」という返事をしたときに「それは、本当に都合が悪いのか、それとも、私と映画に行きたくないのかどっちなんだろう?」と悩むことがある。
 たいてい、3回くらい誘ってみても「都合が悪い」と言われた場合には諦める人が多いだろうけど、中には「なんか、忙しい人みたいでね〜」と諦めない人もいる。

 それで相談されたときにはこう答えるようにしている。
 「その日は都合が悪くても、あなたと会うのは嫌ではないという場合には、『日曜日は都合が悪いのですが、土曜日なら空いているのでいかがでしょう』とか、『出張でしばらく留守にしてしまうのですが、戻りましたらご連絡しますから、ぜひご一緒しましょう』みたいに、「都合のいい日」を教えてくれるはず。それをしないのだったら、向こうに会う気がないと思ったほうがいい」

 それで、諦めるか、諦めないで別の作戦をとるか、とにかく「押して押して押しまくる」のか決めるのは本人の勝手だろうけど、中でも困るのは
 「最近、彼に電話してもいつも留守電で、忙しいらしくて全然返事くれないの。たまに電話に出ても疲れきっているみたいで、ちゃんと話もできないの」
 「そうなんだ、毎日終電とかいう人もいるからね〜でも、そんなんじゃデートもできないよね」
 「そうなの、だからもう3ヶ月も会ってないの」

 ・・・・・おいおい、それはもう終わりでしょう。
 そりゃ、本当に忙しくて、たまの休みもぐったりで彼女に会うゆとりもないという場合もあるだろう。でも、そこに彼女を想う気持ちが少しでもあれば、電話を一本いれる暇もない人間などいない。彼氏が実は拘置所に入っているとか、カルト教団にはまっているのでもなければ・・・・

 逆にそういう「連絡がない」に過剰に反応する友達もいた。
 「今週末みんなで集まって飲もうよ。都合を教えてくれ」という内容を数名に月曜日に送ったのだが、「なんでみんな返事をくれないの?」という怒りのメールが水曜日に来た。私も慌てて「ごめんごめん、今入ってる予定がまだ土曜日になるか日曜日になるか決まってなかったので調整してたのよ〜」とあやまったが、その後もわりと彼女は「返事がこない」ということにこだわっていたので、そのことで諭したことがあるのだが、「自宅のパソコンでメールやってる人は毎晩メールを開けない人もいるし、パソコンの調子が悪くて使えなくなってる場合もあるんだから、2,3日はがまんして待っててよ。それでも返事がないときには、電話で確認したほうが、あとで揉めないで済むと思うよ」

 彼女は、「返事をくれない」=「自分のことを尊重してない」という連想をしてしまいがちだということを私に説明してくれた。
 たしかに「重要な相手」に対しては、「迅速な返事」をする場合が多いので、それはそれほど見当はずれでもないこともあるが、でも世の中いろいろ不測の事態もあるのだし、皆が皆「自分の思うとおりに反応してくれない」ので苛立つときもあるけれど、皆それぞれ「自分のペース」で生活しているわけだから、そこんところも理解してあげないと・・・・

 話が本当に反れてしまったこと(笑)
 というわけで、「遠まわしな否定」というのはなかなか難しいものでございます。相手を傷つけないように否定したつもりが、相手に「否定したことすら伝わらない」場合も多いということ。
 「否定したつもりもない」のに、「これは遠まわしな否定?」と思われることもあるということ。

 大事なのはたぶん、「相手はどういうつもりで言ったのだろう」ということをきちんと想像することだと思うのだけれども、その想像で生み出したものを「相手が考えていること」と確定してはいけないだろうということ。そうすると単なる「思い込み」になってしまう。

 特に最近感じるのは「メールだと難しい」ということだ。
 「週末の飲み会のお誘い」に対して、「今仕事が忙しいので、行けるかどうかわかりません」と返事するととても冷たい印象になってしまうことがある。そうならないように工夫するのももちろんだが、割と私も含めてみんな忘れているのが「電話する」ということ。
 「ごめ〜ん、同僚がすっごいチョンボやってくれちゃって、今週は最悪土日出勤になっちゃうかもしれないの、でも金曜日までになんとか処理できれば行けるからさ〜」「大変だね〜」「もう、泣きそう!」
 と、やっておけば誤解を受けることもない。ついついメールでくるとメールで返事したくなっちゃうので、変なすれ違いが起きやすくなってしまう。

 友達同士だと電話で済むが、電話番号を知らない人同士だと、そのあたりはなかなか悩みどころだ。

 というわけで、「お嬢さまことば」から遠く離れてしまいましたが、タモリやさんまがテレビで「このコースは外来語禁止」とかいって「ナーイス・ショット!」というと「一打」とカウントされてしまうという遊びをやっているが、そういうノリで「お嬢さまことば以外禁止」とかでやってみたらどうだろう?飲み会でやると盛り上がりそうだ。

 「わたくし、ゲソアゲがいただきたいのですが、よろしいかしら?」
 「もちろん、よろしくってよ。(店員にアイコンタクト。声出して呼ぶのはお嬢さま失格なのだ)恐れ入りますが、ゲソアゲを一皿お願いできますこと?」
 「○○様は、お酒をよくたしなまれますこと」
 「こちらのお店はにぎやかで活気がありますこと」
 「あら、○○様、もう少しお酒をお召し上がりになる?」
 「ありがとう、いただくわ」
 「あまりお過ごしにならないでね」
 「あら、ご心配なく」
 「ゲソアゲまいりましたわよ」
  
(翻訳)

 「ゲソアゲたのんでもいい?」
 「いいよ、あ、すいませーん!ゲソアゲひとつ!」
 「あんた、よく飲むねえ」
 「この店、ちょっと騒がしくない?」
 「あ、もっと飲む?」
 「ありがと」
 「あんまし飲みすぎないでね」
 「大丈夫だよ」
 「ゲソアゲきたよ〜」



8月23日(木)

 「台風一家」は方々で乱発されたようである。「台風一過」の「一過」という言葉にあまりなじみがないのが原因かしら。そもそも「一過」ってどういう意味かと思って調べてみたら「さっと一度に通りすぎること」と書いてあったけど、今回の台風はなにしろ「自転車なみ」だし、時速15キロというのは、マラソン選手くらいだろうか?それも同じように「一過」としてしまってよろしいのでしょうかとも思うけれど、他に「一過」を使用する例も思い浮かばない。

 「台風の目に入れても痛くない」が個人的にバカうけしたので、「台風の目の仇」というのも思い浮かんだが、これを発端に「台風の目にも涙」とか「台風の目の上のたんこぶ」とか「台風の目にものをいわせる」とか、わらわらと浮かんできてしまい、会社で思い出し笑いをする不気味なOLになり果てる。
 そういえば、その昔、高橋幸宏のオールナイトニッポンで「ことわざ変形」のコーナーをやっていて、その中で私が一番気に入っていたのが

 「孝行したいときに親は梨もぎ」

 という作品だった。たまには親の肩でも揉んでやろうかと思い立った休日だったが、両親は「二人で梨狩に行ってきます」と置手紙を残してすでに外出・・・・その脱力感をうまくあらわしている。というか、単に私が駄洒落好きなだけだが。

 「台風一家」みたいな「勘違い」について、メールもいただきましたが、その中で「電車が不通になりました」を「電車が普通になりました」だと勘違いしていて「だったら問題ないじゃん」と思ったという方のことが書いてあったが、私も子供のころ同じことを思っていた。母に尋ねた記憶がある、「電車が普通になったって、全部が各駅電車ってこと?」
 芋づる式に思い出すのは、「快速」という言葉が理解できず、電車に「快速」と書いてあっても読めなかったので、大人が「あら、快速が先に来たわね」とか口にしていたのを聞いていただけなので、なぜか「海賊」と勘違いしていた。子供心にも「海賊電車」は謎だった。ただ、当時の京成電鉄には「行商電車」という特殊なものもあったので(私が中学になるくらいまで運行していたと思う)、そういう特殊なものなのだろうと勝手に解釈していた。

 思い出に残る勘違いというか、これは言い間違いなのであるが、ある冬の寒い日に私は親に向かって

 「コンニャクを出して!」

 と言った。おでん屋で一杯ひっかけていたわけではない。母は、「え?コンニャクが食べたいの?」と聞いたが、私は

 「食べたいんじゃないの!寒いからコンニャクがほしいの!」

 「コンニャクでなにをするの?」と母。私は自分の言いたいことが通じないのでイラだっていた。(幼稚園くらいのときであったと思う)

 「なにって・・・・着るにきまってるでしょ!」

 「え?着るコンニャク?」

 母も困っていたが、私も半べそである。

 「だって、お母さん、いっつもお風呂から出たらコンニャク着なさいって言うじゃない・・・・ズズズ(鼻をすする音。私はハナタラシだった)」

 「ひょっとして、半纏のこと?」

 と、母も自分で言った瞬間に私の頭の中でどのような「パラダイム・シフト」(笑)起こったのか理解したらしく、笑い出した。
 私も自分の間違いに気が付き、照れくさくなり、笑ってしまった。

 「あ・・・・そうだった、ハンペンだった・・・・」

 我が家の「おでん」にはハンペンとコンニャクは欠かせなかったのである。

 「ハンペンじゃなくて、これはハンテンって言うのよ」

 半纏(ハンテン)→ハンペン→コンニャクになっていたのである。お気に入りだったピンク色の半纏をずっと「ハンペン」という名称だと思っていたことが判明してしまい、大笑いされた。
 今から考えると私は今でも「耳で聞いたもの」がちゃんと理解できないことが多い「耳の悪い人」なのだが、子供のときからそうだったんだな。同じように恥をかいたものとして、ずっと「桃踊り(モモオドリ)」だとばかり思っていたものが「盆踊り」だったりしたこともある。「お盆にやるから盆踊り」と親に説明されてやっと納得した。

 今日はプールに行ったのだが、行く前にドトールでベーグルサンドを食べていたら、隣に座っていたのは、灰色の作業着を着た50歳くらいの男性と、ダボダボ短パンにダボTシャツ姿の茶髪の16歳くらいの少年。話は断片的にしか聴こえてこなかったが、どうやらそのお父さんの事業があまりうまく行っていないらしくて、借金もあるようで、お母さんが激怒しているようなのである、その事情の説明をしているみたいだった。でも、その会話の雰囲気がまるで宮部みゆきの小説か、NHKの人情ドラマか?というくらい「美しくまとまって」いたのである。

 「お父さんもな、お母さんに惚れて結婚したわけだから、ホレた女をそんな気持ちにさせたいわけではないんだ。」
 「でも、金にならない仕事だとわかっていても、相手の事情もわかるし、男の付き合いっていうものもあるから、3つきたらひとつくらいは受けてしまうんだよ」
 「まあね、お母さんも本当に怒っているわけじゃないと思うけど、お母さんには言い出したら人の話を聞かないところがあるしね」
 「もちろんお父さんも、もっとちゃんとうまく説明できたらいいんだけど、こうして○○(息子の名前らしい)にも心配かけてしまっているしな」
 「でも、お父さんだって、それほど無茶しているわけでもないし、きっとわかってもらえるよ」

 とまあ、こんな具合。いかにもブルーカラーなお父さんと、あまり成績はよさそうな外見ではない息子であったが、会話はおだやかにそして語尾を濁すことなく二人とも自分の今の気持ちをきちんと素直に語っていて、とても知性が感じられ、そしてそこには「息子には理解してもらいたい」「お父さんのことをわかってあげたい」という気持ちが滲み出ていて、感動してしまった。そして、親が子供に対して常にああやってきちんと物事を説明する能力があれば、子供もそれを理解することができるし、その能力をきちんと受け継ぐのだと思い、その親子の上に

「文部省推薦」

と(今は文部省じゃないんでしたっけ?)と書いて貼っておきたかった。
 「人の話をきちんと聞けて、それをきちんと理解でき、自分の気持ちもきちんと伝えられて人に理解してもらえる能力」この基本があれば、その子は立派にやっていけるであろう、今は苦境に陥っているお父さんだって、そういう息子に育てられた人柄なんだからきっと仕事も上手くいくよ!がんばって!と背中叩きたくなりました。

 ・・・と、書いていたら「インドに行ったらしい」という噂だったが「実は行ってないらしい」という噂もあったY君から突然の電話。元気そうだった。長電話になってしまった。寝よう。



8月22日(水)

 朝起きたら雨がザーザー降っていて、ニュースを観ると台風が首都圏を直撃するのは夕方だというし、完全武装しておいたほうがいいと思って、レインコート(というよりも雨合羽)を着て、スニーカーを履いて出社。
 かなり足元はずぶ濡れになり、レインコートからはみ出てしまったスカートの裾はぐっちょり濡れて、スニーカーも「ガッポガッポ」と音が鳴る。

 ところが会社に着くころには雨も上がっていて、拍子抜け。でも、これは嵐の前の静けさなんだ、これから本格的な暴風雨になるんだと思って、ずっと窓の外と「台風情報」にくぎ付けになっていたのに、雨は「霧雨」と「にわか雨」をいったりきたりという状態で、待てども待てども「暴風雨」は来ない。

 午後3時ごろの「台風情報」では、「横浜市付近を通過中」となっていたが、「どこの横浜市だ〜〜〜」と思っているうちに雨もやんでしまい、夕日が差してきた。
 台風はどうやら過ぎ去っていってしまったらしい。
 別に楽しみにしていたわけでもないけど「上陸」「関東直撃」ということなので、それなりに覚悟は決めていたのに、押し入ってきた強盗が1000円だけ盗んで逃げてしまったような脱力感である。

 そういえば、子供のころ「たいふういっか」というのを「台風一家」だと思っていたな(ありがち)。どんな一家なのだろうと思ったものだ。ニュース言葉でやはり変換ミスしていたのは「あくまでも」という表現。「悪魔でも」だと思い込んでいたので、世の中は悪魔が多いのだと信じていた。

 話は戻るが今回の台風は時速15キロくらいで進んでいたりして「自転車なみのスピード」といわれていたが、それを聞いて、夏休みで体力ありあまった学生さんたちの中には「台風と勝負」したくなった人も少なくなかったと思う。ロマンだ。



8月21日(火)

 映画「テルミン」のおかげで、すっかり涙腺が開放(じゃんじゃんばりばりってかんじ)されてしまったらしく、電車の中で「模倣犯」読みながらまた涙。電車の中で涙をこらえるのはなんて気持ちいいのだろう。

 台風が近づいている。明日の朝から昼にかけて関東地方が暴風雨って・・・・・会社に行けるのだろうか?台風の日に欠勤して貴重な有給休暇を浪費してしまうのも悲しいのでなんとかしてほしい。

 ところで、「テルミン」で素晴らしい演奏を披露してくれたクララさんは、元々バイオリン奏者であったことが判明した。なるほど、そりゃあ素養が他の人とちがうわけだ。

 友だちからの電話を待っている。ちょっと深刻な話をしなくてはならない。やや緊張気味である。私は口が軽いし悪いので、余計なことを言ってぐちゃぐちゃにしたくないわけで・・・

 台風の目が見られるかなあ・・・・

 あと、首都圏の水がめは、台風通過後にどのように変化するのだろうか? 



8月20日(月)

 先週AIRのライブでも前座がテルミンだったし、渋谷駅にもポスターがたくさん貼ってあって、「背筋をぴんと伸ばして演奏するテルミン博士」の絵柄がどうも気になったので、軽い気持ちで観にいった「テルミン」(恵比寿ガーデンシネマで上映中)。

 これが・・・・これが・・・これが・・・まったく期待はしていなかったのだが・・・・やられた。

 つうか号泣してしまいました(笑)

 ひとことで言えば「よくできたドキュメンタリー」なわけで、よくNHKでもやっているような、この間もウォーホールのなんかけっこう見入ってしまったし、プラハで流行した「ヘイ・ジュード」のやつなんかもなかなか感激ものであったが、ああいう、「当時を知る人々」のインタビューに当時の映像などをからめて作ったという、手法としては平凡で映画にするほどのものでもないのであるが、なんというか、編集の上手さと、出演者たちのキャラが、圧倒的にどうのとか、超すごいわけでもないのだけれど、いぶし銀のようにそれぞれがバランスよく絡み、そして、けっこうストーリーとしては泣きが入るという・・・・

 「テルミンって何?」とか「テルミンって人の名前だったんだ」という人でも十分楽しめる内容。ちなみに私は「テルミンって人の名前だったんだ」という人でした。
 
 そういう「テルミン博士」について何も知らない人には「サスペンスの要素」も楽しめるので、筋についてはあまり語れないけど、とにかく、テルミン博士はかっこいい!あの流し目!キャーキャーキャー!
 また、天才テルミン奏者というクララば〜さんの演奏は素晴らしい!あれだけでも観る価値がある。あの指の動き。すごすぎ。
 途中で挿入される、なんたら博士という、やはり名演奏者らしきおじさんの、「いつか王子様が」の演奏も素晴らしかった。まるで、一流の女性ジャズシンガーのように歌う演奏。わたしゃそれだけで泣けました。

 ビーチ・ボーイズの「グッド・バイブレーション」も挿入されている。
 初期のテルミンに関わった人たちが、「渋い芸術家肌」なのに比べて、その後の人々代表なのがブライアン・ウィルソンつうのも・・・・ブライアンの話はさっぱりわけわかんなかった、時期的には彼が「奇跡の復活」とげた直後なんだろうけど、あの人と5分以上会話してたら殴りたくなるだろう。
 でも、その「グッド・バイブレーション」は、その後のシーンでも、効果的に使用されていて、それでまた号泣だ。「トレイン・スポッティング」で「ボーン・スリッピー」(アンダーワールド)が使用されたときには「いまいちだにゃあ」と思った私であるが、こっちはグっときた。

 要するに、テルミンというのは色物楽器であったかもしれないが、そこからかもし出される音色が本物だったら、それはまぎれもない「優れた音楽」なわけで、なんの楽器使おうがいいものはいい。ビーチボーイズだってアッパラパーだが、その楽曲の素晴らしさは、とにかくなんだかしらんが胸を打つのだ。
 
 とにかうく「テルミン」は必見の映画だと思う。
 それは私が「ソフト帽かぶったジジイに弱い」ということを差し引いても、いい映画だと思う。まあ、バロウズみたいな爺さんが大好きな人は観にいったほうがいいと思います。泣けます。だって、冷蔵庫の上にペプシコーラがずらりと・・・(なぜか泣く)、だって眼鏡がテープで直してあるんですよ(号泣)、クララばーさんの弾くテルミンもガムテみたいなので修繕してあった。(そんなまた枝葉末節ばかり観ている私)

 泣きはらした目で、1000円もするパンフまで買って、恵比寿の駅に着いたら、階段のところで、辻バイオリン弾き(古臭い表現)がモーツァルトを引いていた。あまり上手くなかったが、その音色を聴いたらまた泣けてしまい、ボロボロ泣きながら深夜の恵比寿を歩いていると、まるでガーデンプレイスで男に別れを告げられた女みたいでちょっといやだった。すぐに電車に乗りたくなくて、渋谷まで歩いてしまったことよ。

 う・・・しかし、よく考えるとそんなに泣ける映画だったのかな?まあいいや、もし泣けた人がいたらご連絡ください。お友達になりましょう。



8月19日(日)

 昨日、羊を食べたあと、バングラデシュ食材店に連れていってもらった。いろいろ欲しくなったが、どうせそんなに料理もしないので、無難なものにしようと、マンゴージュースを買おうとしたら、店員さんが「小さいのが100円。大きいほうが450円だけど、おまけして400円」とおっしゃるので、大きいほうを買った。
 飲んでみたけど、けっこうドロっとしたネクター風で美味しい。「ヨーグルトとシェイクすれば、マンゴーラッシーになる」とアドバイスされたが、ウォッカたらすとそれだけでトロピカルカクテルだ。
 持ち帰りの袋のかわりに、米袋を手提げにしたのをくれた。これがなかなか素敵な頭陀袋で、皆で奪いあってました。(いろいろなデザインがあった)                     
 ところで、昨日の食事会でお会いした人が、なんでそんな話題になったかは忘れたが「ビーチボーイズのコンサートを観にいったことがある。オリジナル・メンバーも皆観たことがある」と自慢なさってて、私も「それはすごい!」と思った。でも、ビーチボーイズのメンバーで誰が生き残ってて、誰がいないのかよくわかっていないが、ブライアン・ウィルソンがちゃんとやっていた(?)ころのビーチボーイズを観たことがあるのならそりゃすごい。

 どんなに金を積んでも、「お亡くなりになった人」に会うことはできないので、そういう自慢は「金で買えない貴重な体験」として、一般に認められていると思う。
 昔、学生時代の飲み会でそういう話題になって、「誰の自慢が一番すごいか?」ということになった。

 3位  山下清画伯(本物)に会ったことがある。
 
 これは体験した人がけっこう多いらしい。山下清の個展は地方の百貨店などでひっぱりだこだったらしいのだ。
 ただ、私の世代の人たちには山下清=芦屋雁之助と認識されている場合が多いので、この自慢はなかなか理解されないらしい。

 2位  ジョン・レノンに会ったことがある。

 これも、2名ほどいた。どちらも軽井沢での遭遇だったらしい。ジョンはそれほど頻繁に軽井沢にいたのだろうか?あと、私の世代だと、当時は物心つかない子供だったので、親がジョンに寄っていくと、ジョンは子供と握手してくれたりしたらしい。

 1位  昭和天皇に会ったことがある。

 この話、詳細を覚えていないのだが、その場で大ウケして文句なしに第1位になった。
 高校生のころ、ボランティアなのか強制奉仕活動なのかバイトだかで、とある会館の掃除をしていたのだそうだ。彼が割り当てられたのは、トイレ掃除。しかも、一般人は使用できないという「皇族専用トイレ」だったらしい。
 一人でポツネンと掃除していたら、誰かが入ってきたので、振り向くと、そこには昭和天皇が立っていたそうだ。天皇陛下は、彼に「ごくろうさま」と声をかけて、個室に入ってしまったらしい。彼はどうしていいかわからずに、ドアの外で立ち尽くしていたそうだ。

 これは「会ったことがある」というよりも、「ごくろうさま」とお言葉をかけていただいたという貴重な体験である。しかも、トイレで(笑) 

 そういえば、これは「物故系」の話ではないが、高校生の時、クラスメートの女の子が上野駅のホームで現秋篠宮とのツーショット写真を皆に自慢したことがあった。どうやら那須の御用邸に向かう途中だったらしく、宮様は電車の中にいて、彼女がホームに立ってニッコリしていた写真だった。「護衛の人に、写真をとってもよろしいでしょうかと言ったら、許してくれたの〜すっごくかっこよかった〜」と本人はノリノリだったが、その写真を見せられた私たちはどう反応していいのやら途方に暮れた。

 昨日、いきなり図書館から電話があり「図書館なんて最近行ってないんだけど、なにか返却忘れている本があったっけ?」と一瞬おろおろしてしまったが、どうやらリクエストした本が届いたらしい、なんと宮部みゆきの「模倣犯」上下巻。いったい何ヶ月たったのだろうか?さすが人気作家。
 しかし、ここんとこ、買った本や人から借りた本をの〜んびり読んでいたので、2週間でこの厚みのものが読破できるか心配だ。

 家に帰ってまたぼんやりフジロックの再放送ストリーミング聴いてたら、Coldcutが異常にかっこよいのに驚く。このスピーカーで聴いてもこれだけ凄いのだ、生はいかに凄かったことか!客席(?)もときどき映されるのだが、皆踊り狂いってかんじでウラヤマシ。いいないいな〜
 ところでサマーソニックはどうだったのかな?            



8月18日(土)

 羊をたらふく食べた。お腹いっぱい。あまりに満腹だったので、久々に渋谷から徒歩で帰宅した。
 それにしても、いっきに涼しくなったものだ。今日など、半そででは寒いくらい。今日は二子玉川の花火大会だったので、浴衣姿の女の子も多かったけど、「寒い〜」と縮こまって歩いていた。少し前までは「暑い」と文句ばかり言っていたが、こうあっさりと涼しくなると、なんか寂しくなってくる。



8月17日(金)

●彷徨う廃棄物

 いつもと同じ時間に起床したのであるが、イマイチ血圧が上がらなかったようで、うだうだしているうちに、いつもより30分ほど家を出るのが遅くなってしまった。まあしかし、今週は夏休み中の社員も多いので、全体的にだらけているのだから、私がだらけているのもそれほど目立たないであろうと、呑気に構えていたのだが、玄関にてまたゴミ袋に目がとまる。
 スーパー袋一個なので、そのまま来週まで放置しておいてもかまわないのだが、でも、おととい、安売りしていたので大量に買ってしまった茄子を処分するために、「油地獄の刑」にしたのであるが、そのために油を吸わせたキッチンペーパーがその袋の中に詰まっているのだ。自然発火されても困るので、ビニル袋で2重包装してあるのだが、そんなもんを家に置いたまま週末を迎えるのもなんなので、「まだ、間に合うだろう」と持ち出した。

 やはり、家の付近は9時を過ぎるときれいさっぱり。そして、いつもは遅めの、一区画先もすでに集配済み。それでも、遊歩道のあたりはけっこう遅いし・・・・・あ、終わってる!
 「どうしよう、このままやはり駅で捨てるか、それとも会社まで持っていくか・・・」
 いつもは通らない駅までの裏道を廃棄物を持って彷徨う私はまるで、ブルマーサル(いつもこう読んでしまう)かなんかで核燃料を搭載しているために、どこの港も停泊させてくれない船のよう。うっかりどこかに停泊しようものなら、緑豆な人々ではなくて、そこを守る近所の方々に抗議の雨あられを浴びてしまうし。
 
 しかし、かなりあきらめたころに、ギリギリ駅の近くの一帯がまだ収集されていなくて、なんとかそこに潜り込ませた。ただのゴマ油なのでよろしく。

●男の子・女の子

 女性社員を「女の子」と呼ぶのには賛否両論があるけど、私はわりと容認派である。だって私は「女の子な仕事」のプロなので別にいいのです。ただ、ここ10年くらいで、そいういう「女の子の仕事」を派遣社員などに任せる傾向があって、それには疑問を持っている。古株の「女の子」がいると、仕事がスムーズなのだが、派遣だとあまり長期でやってくれないので、けっこう
不都合が多いのだ。お局にしたって、威張ってばかりの輩はたしかに困るが、「ステージが上がった女の子」である場合には、小さな会社だとその人中心に回っていることが多かった。特に以前勤めていた零細企業(社員30名くらい)では、同じような規模の事務所との付き合いが多く、優秀な女の子を抱えられるかどうかで、仕事の能率がずいぶん違ったし、そういう「女の子ネットワーク」も確立していたので、社内外でそれを活用して、かなり自由にやっていた。

 今の会社は、「女の子」のいる部署といない部署があって、いない部署がどうにもてこずる。頼んだ見積もり(つうか、請求書の発行を彼から依頼されたのだが、それには見積書を添付しなければならないのだ)をなかなかよこさない社員とかに、毎日「まだですか〜」と言いにいかなくてはならない。そういう場合には、その部署にいるアシスタントと仲良くなっておいて、「暇そうにしているときに思い出させてね」と言っておけば済むのだが・・・・

 最近のオフィスは「自分でできることは自分でやろう」ということになっているので、それはそれでいい心がけなのだが、それで皺寄せをくっているのは、「女の子な仕事の元締め」である「総務部」なのです。

 「女の子」の話はいいとして、お盆休みを利用して我が社では、親会社の物流を担っている部署が倉庫のほうに移動してしまった。電車で20分くらいの距離。それで、いろいろと不都合が生じるということは予想していた。まず、その部署には学生アルバイトが常駐していたので、電球が切れたときには内線すれば、バイト君が踏み台を持ってきて、取り替えてくれたのである。自社ビルのために、オフィスビルみたいな管理会社がついていないので、そういうメンテはバイト君たちの仕事だった。エアコンのフィルター掃除とかも。

 バイトがいなくなってしまったので、今後は電球が切れた場合、自分たちでやらなければならない。
 というわけで、今日の給湯室での二人の女の子(私と営業事務アシスタントの契約社員。34歳&4?歳)でいろいろと、その件について話合っていたのだが、彼女の部署は男性が外出しがちなので、電球を換えてもらうにしても、いったい誰に頼めばいいのか?とこぼしていた。彼女は背が低いので、天上まで踏み台に乗っても届かないだろうということ。
 それにその部署は若い女の子がなぜか多く、あとは30代男性ばかりで、皆忙しそうだし、頼みづらい。

 「やっぱ、こういうときは、『男の子』がいたほうがいいですよね〜」

 あと、その部署は、受け取った品物のダンボールを溜めている。皆が彼女のところに、「これを送りたいんだけど、適当な大きさの箱ない?」とよくききに来るので、できるだけ色々なサイズを取り揃えておくように苦心しているようだ。でも、あまりにも溜まってしまうと置き場がないので、たまにまとめて処分しているのは知っていた。
 ダンボールはリサイクル業者が引き取りに来るので、所定の場所に畳んで、紐などでまとめておかなければならない。けっこう重労働だし、私も経験があるが、素手でやっていると怪我をしたりする。いうなれば「女の子の仕事」ではないのである。

 彼女はいつも、一階にいる物流の社員に、「ダンボールを処分したいんですけど」とお願いしていたらしい。そうすると、「あ、じゃあ、そこに置いておいてください。あとでバイトにやってもらうから」というわけで、バイトの「男の子」が鮮やかに分解して、梱包用のマシンでテキパキとまとめてくれたらしい。
 私もそういえば、そういう「男の子の仕事」で困ったときには、そこの部署のプリティなオジサンに「どうしましょ?」と相談すると、バイトを貸してくれたり、ご本人がわざわざ力仕事をしてくれたので、とても頼りにしていたのだ。

 そういう「男の子」ないなくなり、女の子(34歳と40ン歳だけど)はとても困っている。
 「やっぱ、女の子がいないと不便だね」というのと同時に「男の子もいてくれなきゃ困る〜」と声を大にして言いたい。

 バリバリ仕事ができる社員だけでは会社は回らない。
 「女の子の仕事のプロ」と「男の子の仕事のプロ」がきちんと誇りを持って働いている職場でこそ、「切れ者社員」も能力を発揮できるのだと思いますが・・・・ 



8月16日(木)

 AIR(と書いてエールと読む)@新宿リキッドに行ってきた。
 AIRのメンバーが美形だったのに驚き、慌てて前のほうに移動。同じ料金を払うのならやはり美しいものは近寄って観たいものである。
 けっこう、意外と盛り上がっていました。

 前座でやってた男女二人のユニットはなんだったんだろう?男性がギターとボーカルで女性が「テルミン」(だと思う)を演奏していて、なかなかよかったというか、懐古趣味音響系且前衛プログレサイケデリックであった。

 AIRも「DOORS2001」ってかんじの、ハモンドオルガン鳴り〜の、ファルセットなボーカルでサイケなビーチボーイズ(笑)っつうのか、サージェントペパーズというべきか、それでルックスはややモンキーズで全員黒い服装で、古いといえば古いが、それが「新しさ」なのかよ〜わからんが、AIRというけど、どっちかというと水の中(しかも南アルプス天然水ではなくて、もっと温度が高い)ってかんじでゆるゆるとしてた。そして、客はそれにあわせてユラユラ。

 でも、それほど混んでもなくて、客の雰囲気もよかったので、なかなか気持ちのよいライブであった。でも、ずっとつったっていたので、やや腰が痛くなってしまったことよ。


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