可燃物な日々

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7月31日(火)

 出勤。超ダルダル。おまけに田園都市線の朝の「急行運休」は8月13日まで続く予定だという。
 三茶の駅で、フジロックで見かけたリーマンの彼を発見。やはりくたびれていたが、彼のことを覚えていたのは「常にくたびれている」からだったので、特に変わりはないようである。

 さて、今日の私はいつもの私ではなかった。
 なにせ、「サラサラヘア」なのであ〜る。出社したら、さっそく同僚の女の子がびっくりしてくれた。満足満足。
 さらに、切手を貰いに来た子がわざわざ奥にいる同僚のほうに行ってから私の顔を見て「あれ?別の人が座ってるのかと思った!」ふふ。満足満足。

 しかし、私の予想を上回り、来る人来る人皆びっくりするし、廊下ですれ違う人は私の顔を凝視してから「あ、ミヤノさんだったんだ!?」と言うしで、午後になって新たな驚愕者が現れると、
 「どうしたんですか?いつもと違うじゃないですか?」

「変装で〜す」
 
 と、わけのわからない応対をするようになってしまった。

 社長にも「顔まで違って見えるぞ」と声をかけられる。いつもひっつめている髪が頬にかかっているのでかなり印象が違うらしい。

「下ぶくれが隠れますからね〜」

 と、これまたカワユクない返事をしてしまう。いくら外見が美しく(?)なっても内面はそうそう変われないのである。

 とにかく、今日の私は社内の話題をかっさらう人気者であった。ああやはり美しさは罪〜(もう、やめろって・・・・)
 まあ、美しいかどうかはともかく、あれだけ注目を浴びると、さすがにうれしかったりします。女性はたまにああいう注目を浴びないと枯れちゃうからね〜(もうかなり枯れているが)

 それに、私の剛毛は、どんなストレートパーマをかけても、このくらいまっすぐでいられるのはせいぜい一週間。あとは「手入れが楽なくせっ毛」に成り下がりますから、短い我が世を謳歌させてください。



7月30日(月)

 エミネムが観たかったので、MSNのストリーミングをかけっぱなしにして横になったのだが、ふと気が付いたら夜中の12時で放送は終わってた。電気代の無駄。
 パソコンを消してまた寝て、次に目が覚めたら5時。どうも興奮状態が覚めないようで、あまり深く眠れないみたい。その後も3時間おきくらいに目が覚めるが、12時にやっと起きる。腰が痛い。荷物も重かったし、久々に長時間車に乗ったし、なによりも踊りすぎ(笑)

 部屋で一通りストレッチをしてから、ふらふらと下北に向かう。インドカレー屋でマトンカレーを食べてから、美容院へ。
 2時半の予約だったが、30分くらい待たされて、縮毛矯正を受ける。終わったら7時半だった。けっこう疲れたが、私はただぼんやり座っているだけなんで・・・・髪の毛はすっかりサラサラで気分よし。美容師さんは、けっこう豪快にバッサバッサ切ってくれて、あれこれ好みも聞いてこなかったので(多分、原生林のような私の毛髪の状態を見て「この人に細かい指示を仰ぐのは、ブナの森に『どんな公園になりたいですか?』と聞くようなものだ」と理解してくれたのだと思われる)、長さはこのくらいがいいという希望を伝えただけで、ぱっぱとやってくれたので、楽でした。
 腰の痛みは帰りには消えていた。部屋でゴロゴロしているよりも、美容院の椅子に座っていたのがよかったみたいだ。

 はあ、会社行きたくねえっす。
 あと、メールの返事もめんどくさくて書けません。ああ、その前にまた部屋に散乱している荷物をなんとかしないと!



7月29日(日)

 フジロックより無事生還。
 詳細はまたゆっくり書きましょう。

 なかなか素敵なところでした。意外な友達にも数名に会った。もちろんMちゃん&Tさんにも一回だけ会えた。また、これは大ヒットだが、毎朝三茶の駅に向かう道で、通りですれ違う人たちは、この付近で働いている人々なのだろうけど、毎日同じ人とすれ違うのでけっこう顔を覚えている。その中でも、駅から職場までいつもタバコを吸いながら歩いてくるひ弱そうなにいちゃんがいるのだが、会場で彼を発見した。顔に見覚えがあったので、「知り合いだっけ?」と頭の中を検索してみたら・・・・「知ってるけど知らない人」だったのである。あまりにも意外な場所での遭遇に声をかけそびれたのが残念。まあ、彼女連れだったので「毎朝、茶沢通りですれ違ってます!」と話かけるのもちょっと警戒されそうだし。
 今度、朝すれ違ったら、「フジロックに来てましたよね?」と声をかけてみようか・・・・・通報されそうだ(笑)

 あと、特筆すべきはニューオーダーの「予想をかなり下回るショボさ」です。もう、あそこまで行くと、逆に感激するくらいだった。元スマ・パンのビリーは一体どういう弱みをバーニーに握られて、あの場にいたのだろうか?「宝の持ち腐れ」の具体例として後世に語り継ぎたい。



7月27日(金)

 さて、速攻で帰宅して、明日に備えて支度。
 なんかあまり考えている余裕もないので、次々と放りこんでいったらけっこうな荷物になってしまった。備えあれば憂いなし。

 フジロックはMSNでライブ中継しているので、早速観てみたら(ああ、ADSLにしてよかった)、なんかデブな男が歌っていた。「これはどのグループかな?」とタイムテーブルを観てみたら・・・・マニックス?あんなに太ってたか?
 でも会場の場内アナウンスなども流れるので、なかなか参考にはなる。

 公式ファンページでは、会場の様子が次々と写真入りでリポートされている。今日の午前中の入場行列の長さや、キャンプサイトがかなり密集状態であるとか、昼間の客は皆Tシャツを着ていて、日差しも強そうで暑そうだ。でもMちゃんの話だと、
 「たしかに日が差していると暑いんだけど、それでも座り込んでいると、涼しくなってカーディガンがいるくらい。東京とちがって湿度がないしね」
とのことだった。

 なんだか遠足前の子供みたいにわくわくしてきた。
 でも、今日の帰りはやっと不在者投票に言ってきた。今週になって毎日のように「今日こそ!」と思っていたのだが、投票券を持って出るのをついつい忘れてしまっていたのだ。
 山形さんのトークショーの振込用紙も昨日やっと届いたので、「今日中に振り込んでおくか」と思ったのだが、ふと、「待てよ。フジロックから生きて帰ってからにしよう」と堅実に思いとどまる。
 そんでもって、あとは美容院の予約をして・・・と。月曜は休みをとったので、午後に行こうという、これまた堅実な計画。なかなか平日休めないからね。でも夏休みの平日ってあんまり意味ないか。

 というわけで、明日はMGさんが「ジュノが観たくなった」というわけで、朝の出発になった。でも昼に間に合うだろうか?どのくらい時間に余裕を見たらいいのか見当がつかないのであった。
 私の計画としては、昼頃ついて、観られたらジュノ・リアクターも観てから、会場の片隅で音楽をBGMに昼寝。夕暮れにはステレオフォニックスあたりがいいかもしれない。それともMogwaiかな?アレック・エンパイヤとエコ・バニは悩みどころだ。それから本命のニューオーダーを堪能してから、テクノに突入だ!
 あとは、屋台の食べ物もエスニック系充実でなかなか美味しいそうなので、辛いものをビールでのんびり食事でもしますかねえ。
 で、帰りには温泉に寄れれば完璧。

 さて、どのくらい予定通りに行くでしょうか?無事帰ってきたら、フジロック体験記でも書こうっと。では、行ってきま〜す。(何事もなければ日曜日の夜には帰宅)



7月26日(木)

 朝の電車。急行を待って、2本普通電車を見送った。3本目も普通電車だった。どうやら、昨日の落雷の後遺症で朝は急行の運転をしないらしい。早く教えてよ!
 おかげで、会社に着くのがかなり遅くなった。

 会社にて。同僚がいつも開いている「マクロが含まれるエクセルのファイル」が開けないと騒ぐ。
 その表を作っている人が見に来るが「ほんとだ・・・・」
 彼女はためしに私のパソコンからやってみたのだが、「マクロを含んだファイルだけど、ほんとに開いてもいいんだな?」という脅し文句はちゃんと出てきた。彼女のマシンだとそのダイアログが出なくて、開けないらしい。
 彼女はさらに試しに、上司のマシンからも開いてみた。やはりダイアログは出なくて、開けないらしい。

 「これ、バージョンいくつだ?」「2000だけど・・・2000にしてから、なんか変なことが多くて・・・なんか根本的におかしいのかなあ?」
 「俺のも2000だからなあ・・・」と上司。

 「あのぉ。私のも2000なんですけど・・・・」と私。
 「いや、まだ入れ替えやってないでしょ?」と上司。
 「やりましたけど、もうとっくの昔に・・・・」
 「じゃあ、エクセルだけ違うバージョンとか?」
 
 だから全部2000なんだっちゅうに、信じてくれなくて、私のところまで見に来てやっと「あ、2000だわ」

 というわけで、問題は解決しないので、システム部に内線。システムの部長が出て「う〜ん、調べてみるけど、なんでだろう?」

 賢い私はふと思った。マクロを開くときに「これって、ちゃんとした人からもらったファイル?変なの開くと大変なことになるよ!」と脅しのダイアログは、インターネット・エクスプローラーで「このページは大丈夫なページ?」と煩く聞いて来るダイアログに似ている。IEでページを変えるたびに「ほんとに大丈夫?個人情報が探られちゃうかもしれないのよ?」と毎回聞かれるので、私の超初心者の友達は「インターネットは危険なところらしい。入り込むとマシンを破壊されてしまいそうで怖い」と怯えていた。

 あのダイアログはたしかに初心者をビビらせる以上に何か意味があるのか私にはよくわからないが、ともかく私はあれが出てこないように設定している。そして、あれが出る頻度を調整できる「セキュリティー・レベル」とかいうのがあったはずだ。

 というわけで、エクセルでツール→マクロにしてみたら、セキュリティっつうのが出てきたので、自分のレベルを見たら「中」で、「マクロを含んだファイルを開くときに警告を出す」になってた。「高」だと、怪しいものはすべて「こんなもん開くもんか!」と却下されるらしい。「低」は来るものは拒まずバンバン開く。
 
 なんかこれって、「男という男は不潔だからすべて拒絶」「この人だったらあたしを不幸にはしないかしら?と、一瞬だけ考えてみる。血筋がよければ大丈夫ね」「男だったら誰でもOK。やりまくり」という豪胆な分け方だよな。
 つうか、そうかそのまんま「異性は皆病気持ちであるので一切の交渉を拒否する」「病気持ちじゃないかよく確かめてから開く」「誰でもOK」なのね。うう、なんですぐ話が下ねたになってしまうのだ。

 まあそんなことは、さておいて、皆たぶん私の言うことなんて聞いてくれないだろうけど、
 「あのぉ、マクロのセキュリティ・レベルというのがあるみたいですけど・・・・」
 ファイルを作った張本人が反応してくれて、「どこどこ?」というので教えてみた。
 「で、ちなみに私は中に設定されているから、警告が出て開けるみたいなんですけどぉ」
 「あ、ほんとだ、こいつのは高になってる」
 「俺のも高になってる」と上司。

 そして中に設定したら、マクロのファイルは見事開けた。

 「おお!やった!」
 と、皆さんよろこんでいたが、私は小さな声で「あたしって、天才かも」とつぶやいてみた。

 だってさ、みんな気がついてないだろうけど、あたくし、マクロってなんだかよく知らないんで使ったことないですけど・・・・(つうか今まで使う必要もなかっただけ)



7月25日(水)

●災難−長い家路編

 横浜地下鉄であざみ野の駅に着いたら、東急田園都市線は長津田−鷺沼間が落雷のため不通になっていた。
 なにやら叫んでいる職員に、群がる人々。なにせ帰宅のピーク時である。殺気だっているオヤジが約一名「なんでそれを早く教えないんだ。バカヤロウ!」と怒鳴り散らしていた。
 たしかに、3時から4時くらいの雷雨(新横浜でも、空爆のように落雷していた)で不通になったのだから、たとえば新横浜でそれをアナウンスしてくれれば、そこからJRで長津田に行けるわけだし、私だってJR横浜線で菊名経由で東横線で帰ることはできたのだ。前もあざみ野に着いたら止まってってムっとしたが、そういう他社との連絡体系のなってなさに怒りを感じるキモチはわかるが、あそこで怒鳴っても・・・・・

 しばらく、あざみ野で腹ごしらえをしてから、鷺沼行きの振り替え輸送バスの様子を見てみたが、行列は長いし、たぶん周辺の道路は立ち往生している家族を迎えに行くマイカーで混雑しているはずだ。バスターミナルにある路線図を眺めていたのだが、2つ先の鷺沼まではそれほどの距離ではないようである。新横浜まで戻って、ぐるりと帰るか、鷺沼まで歩くか・・・・

 健脚自慢の私は迷わず「徒歩で鷺沼」を選んだ。ちょうど、フジロックに備えての足慣らしにもなるし。
 駅を出ると、大勢の人が道を歩いていた。たぶん、鷺沼から歩いて来た人たちだ。まるで花火大会の会場に向かう道のように歩道は混雑していた。縁日が出てないのが不思議なくらい賑わう道をてくてく歩く。案の定、車はかなり渋滞している。輸送バスのことも追い抜く。

 たまプラーザを通り過ぎたところで約20分経過、そこからあざみ野まではさらに20分以上かかったが、雨上がりの道はわりと涼しくて、それほど苦もなく歩けたし、上り方面を歩く人は少なかったが、下り方面は人が途絶えることもなく、背広を腕にかけ、ネクタイを緩めたお父さんたちも黙々と長い家路を目指している。ミュールを履いたギャルも携帯で「電車止まってるよ〜」と愚痴りながらカツカツと歩いている。鷺沼の駅に近づいてくると、道路沿いにたくさんの人がまるでヒッチハイクでもするかのように乗り出している。迎えに来た車を待っているのだ。

 町全体に「も〜しょ〜がねーな〜」という諦めの雰囲気が漂っていて、思ったよりも静かだった。原因が落雷というせいもあって「天災だから文句言ってもはじまらない」
というキモチもあったのだろうか?

 鷺沼駅前は、バスを待つ人の行列や迎えの車やタクシーでごった返していた。駅に到着したのが8時15分くらいだった。そこで折り返しになる電車に乗ったが、なかなか出発してくれないので、結局20分くらい座って待っていただろうか?電車がやっと動き始め、我が家にたどり着いたのは9時過ぎだった。疲れた。

 おかげさまで「スノウ・クラッシュ」が随分読み進みました。(「読み終わったけど、重いから置いていく」「え〜?」「山形さんもお勧めだ」というわけでタダ読み)
 たしかにこれ、単純に面白くて楽しい。公共機関に裏切られた今日の気分をかなり和らげてくれました。(ほんとに私って読書運はいいよな)
 ただ、私のように「こういうのを読むとその気になりやすい」人には冒頭がかなり危険である。

 いや、別に「やっぱ、ハッカーになろう!もしくは、スケーター?」な気分になったのではなくて・・・・・・

 宅配ピザが食べたい食べたい食べたい
 
 だけざんす。ダイエット中の方は部屋に散乱している宅配ピザ屋のチラシ(ポストにいつも入っているので、つい机の上とかに放り置いてしまう)を破り捨ててから読むのをお勧めします。

 そういや、この小説の中に出てくるバーチャ空間の中にある高級会員制クラブ(笑)の中で雑用(警備とか掃除とか)をやってくれるユーティリティ・ソフトたちは、「デーモン」と呼ばれていて、用心棒デーモンとかゲイシャデーモンと呼ばれており、「元はUNIXのジャーゴン」と解説されているが、ときどき送ったメールが「あて先不明」で帰ってくるときに「メーラー・デーモン」君からになっているのですが、あれと同じなんだろうか?

●素人自慢:デーモン編

 デーモン君と私の出会いは、メールが自宅でできるようになってから1年後くらいであった。
 当時、イギリスから帰国していた友達が、外資系のソフト会社で契約社員で働いていて、「メールアドレスも貰ったからメールしてね」とメールを送ってきたので、さっそく返信したのだが、あっけなく「デーモン君」から戻ってきた。しかも、なにやら説明文も書いてあるのだが英語。読む気にもならないが、どうやら「君の送ったメールのあて先は探したけどなかったよ。デーモンより」ってな内容らしい。外資系の会社だから「当社に宛てられたメールアドレスに該当するものはありません」と英語で教えてくれたのだろうか?

 他の友達からもメールが来て、「彼女から来たメールを返信したのに、デーモンが戻してきた!」とのこと。

 「いったい、デーモンって何者?」
 「なんでそんな男の名前で返ってくるわけ?」

 英国音楽に精通するものが真っ先に思い浮かべたのは、ブラーのデーモン(ボーカル担当)である。でも、あのデーモンがそんな郵便屋さんの手先として働いているわけはないし・・・・
 
 さらに、偶然にも、メールが送れなかった友人の英国時代の彼氏の名前が「デーモン」だったので、「なんでここでデーモンがしゃしゃり出てきて、うちらが彼女にメールを送るのを阻止するのだろう・・・・」とか言って盛り上がっていた。
 結局、彼女のところには同様の苦情が相次ぎ、調べたところ、なんだか知らないが返信するには、サーバ名を足さないといけなかったようで、そのままリプライするとダメだということだった。それって不便だから、なんかやりようがあるのではないかと思ったが、彼女がそういいきるので、めんどうだったけど返信するときにアドレスを書き加えないとならなかった。せっかくのドッココムなアドレスだったのに、@と会社名の間に単語を二つも書き加えていたのであった。

 しかし、そんなことついつい忘れてそのまま返信するたびに「デーモンで〜す」と決まりきったように彼は現れたのであった。「あ、またデーモンのお手を煩わせちゃったなあ・・・へへへ」と、けっこう親しみを持っていたのである。
 ちなみに、メールを送り返してくるデーモンとブラーのデーモンと友達の彼氏のデーモンが皆同じスペルなのかどうか、私は知らない。ちなみにあとの二人がけっこう(というか、かなり)ハンサムだという理由で、メーラー・デーモン君も美男子のような気がしてならないのだが、何の根拠もない妄想である。



7月24日(火)

 Mちゃんのフジロック行きはどうなっただろうと、探りの電話を入れてみたら、彼女はOASISも目当てなので金土2日間の予定なのだが、金曜日に休むことが難しくなり、半休をとって、夕方の新幹線に飛び乗る計画になっているそうだ。たいへんだ〜
 そのほかいろいろ、去年はどうだったかの話を聞いていたのだが、彼女は去年「かつてないくらいの心地よい眠りを堪能した」らしくて、今年も天気がいいらしいので「ああ、早くあの涼しい高原で遠くに鳴り響く音楽に耳を傾けながら昼寝がしたい」とのことだった。

 その話を聞いていたら、すっかりうらやましくなり、Aに「金曜の夜に出発して、土曜の昼は寝ているのもいいみたい」とメールしてみたが、あまり夜に出発したくない様子・・・・。ううむ、せっかく行くんだから、高原で昼寝も楽しそうだぞ〜東京も今日は38度だったらしいし、灼熱の関東を離れて、ゴロゴロしようよ〜

 苗場はけっこう夜に雨が降ったりするところらしい。去年もMちゃんたちが着く前夜に雨が降ったらしく、かなりぬかるんでいる場所もあったそうだ。だからビーチサンダルみたいなのを用意していったほうがいいとアドバイスを受けたので、さっそく買出しに行く。ついでにユニクロで、土曜日に試着してなかなかドライだった「ドライTシャツ」ももう一着買おうと思ったのだが、先週は690円で売っていたのに、今日は1000円になっていた。なんだかすごく悔しかったがしかたがない。

 サンダルはユニクロだとサイズの合うものがなかったので、MUJIが500円の赤札がついていたのでそっちを買い。
 これで、準備ばんたんだろうか?ええと、虫除けはあったかな。あった、あった、去年のだけど。

●今日の大惨事

 会社で契約書のファイルをキャビネットから出して、机にドスンと置いたときに小指をなにかにぶつけた。
 「あ、ぶつけた」
 と、思って、ぶつかった相手を見てみたら・・・・・セロテープ台だった。うわっと思って小指を見ると見事に出血していた。カッター部分で指を擦ったのである。傷口を確認しているうちに、じわじわと痛くなってきた。幸い傷はあまり深くなかったのだが、念のため、救護箱のある部署まで言って、マキロンを吹きかけたらけっこう染みて、ズキズキしてきた。消毒してから念入りにバンドエードを貼っていたら、「どうしたの?」と、声をかけてくる人もいたので、「セロテープのカッターのギザギザで指を切ってしまったんです!」と大声で「私ってけっこうドジなんです」をアピール。

 今日はプールに行こうと思って用意していたのだが、大事をとってパス。というよりも、昨日Mちゃんと2時まで電話してしまったので単に眠いだけかもしれないが。

●物覚えのいい九官鳥

 最近、「〜だにゃ」という語尾が流行っているのだろうか。まさか「ねこぢる」の影響ではないとは思うが・・・・
 若い女の子(会社の同僚たち)も乱発しているのだが、ある友達の派遣先にいる「かっこいいけど35歳独身は怪しい」男性社員もときどき「・・・・だにゃ?」と言うみたいで、友達はそれを「なんか、ときどきそういうオタクっぽい喋りするんだよね」と言っていたが、オタク系なしゃべりなのだろうか?(わからん)

 とにかく、それがなにを元に流行った語尾なのか知らないのだが、問題は私もかなり感染してしまったということである。
 「今日も暑いにゃ〜」とかつい言ってしまう。
 しかし、悔しいことに地声の低い私がにゃあにゃあ言うと「まるでドラネコ」らしい。ふん。まあ、いいか「名古屋のおばちゃん」とか言われるよりは・・・

 まあ、「にゃあ」はいいのだが、私の耳元で「にゃあ、にゃあ」言う人(別に耳元で囁かれているわけではなくて、電話でよくそう言うので)は、「ほげ?」というのも多用するので、けっこうコバカにしていたのだが、昨日、会社のパソコンを立ち上げたら、サーバに入れなくなっていた。土日でサーバの入れ替えをしたのだが、月曜日になっても動かないなんて・・・・

 「ほげ?」

 と、思わず口から飛び出た。

 昔、近所のペットショップにいた九官鳥(売り物だったのか、看板娘だったのか)に、ガキどもが「バカ」とか「ブス」とか教えてしまうので、

 「九官鳥に悪い言葉を教えないでください」

 という張り紙が貼ってあった。私もそういう張り紙を貼っておいたほうがいいのかもしれない。
 ところで、その張り紙を見て、「じゃあ、いい言葉ならいいんだな」と思ったのだが、「いい言葉」がなかなか思い浮かばなかった。九官鳥を目の前にすると人間誰しも「いい言葉」を見失うような気がするんですが・・・・

●将棋倒しの恐怖

 大惨事になってしまった神戸の花火大会であるが、私も昔そういう思いをしたことがある。
 4年前のグラストンベリーは泥んこ状態であった。長靴がないと歩けなかった。田んぼの中のようになってしまった会場を歩くのはかなり体力を消耗した。自分のテントから徒歩20分以上かかる離れたところでライブを見たあと、のろのろとテントへと歩いていった。グラストンベリーは農場が会場なので、ライブをする広場を結ぶ道は、トラクターやトラックが通るための狭い道ばかりだった。間を小川が通っていて、何箇所か小さな木の橋がかかっていた。橋の周辺はいつも人でごった返していた。夜中の11時くらいに皆くたびれきって(なにせライブの合間も座れない状態なのボロボロになる)とぼとぼとテントへ戻るのだが、その時は特に混雑がひどくて、なかなか進まないことに苛立ってきたし、前には進めないのだが、後ろには続々と人がやってくるので、だんだん圧迫感を感じてきたし、足場も悪いので立っているのも辛くなってきた。

 そうやって、がんばって立っていたのだが、行列の前のほうが急に騒がしくなった。
 「橋が壊れたぞ!」
 英語でそう言っているのが聞こえた。まっさきに考えたのは、「橋の上にいる人は怪我しなかっただろうか?将棋倒しになるのでは?」だったが、そう思っていると、すぐに前後からものすごい圧力がかかった。
 前への進行が止まったのに、後ろから来る人はそれがわからないから、皆が少しずつ「前に進みたい」という意思がものすごい力になって襲ってきたのである。前のほうの人たちは「Uターンしなくちゃ」と後ろに気持ちが行くので、東京の満員列車で急ブレーキがかかったときのような圧迫感を感じた。電車だったら空間も限られているのだが、その場所はどのくらいの人間が集中しているのか群集の一人一人にはよく把握できない。

 「倒れる」

 と、思った。この弱った状態で将棋倒しに巻き込まれては、生きていられる自信がなかった。

 幸いにも、その人ごみは幅も距離もあまりなかったので(大きな道から脇に入り橋を渡る小道であった)、前のほうの人たちが

 「危ないぞ〜行き止まりだ。バックしてくれ〜!!!」

 と叫び、中間地点の人々も「下がって!橋が壊れたから通れないの!」「バックしないと倒れるぞ!」と、次々に叫んでいたので、圧力はだんだんと和らいでいき、10分くらいしたら、人と人の間に隙間ができて私も後ろを向けるようになり、大きな道に戻ってその先の橋を目指すことができた。

 後ろのほうの人たちが、簡単に針路変更できる状態だったので「橋が落ちて通れなくなったから、あっちの道から行こう」と行ってくれたので大惨事にならなかったが、あの小道がもっと長く続いていたら、どうなっていたのかわからない。とにかく先頭から30メートルくらいにいた人々はほんとに一歩も動けなかったのだ。
 
 「こんな外国のフェスティバルで死んだら・・・・日本のニュースで報道されてしまう」

 と、考えていたのも今となっては笑い話であるが。ほんとにあのときは死ぬかと思いました。



7月23日(月)

 昨日は早くに寝たのだが、起きたらまだまだ眠かった。おまけに、ふくらはぎが筋肉痛(足が激しく攣った後遺症と思われる)で、階段の上り下りが辛い。
 「丸太のような足が棒になってどうする」
 と、自分にむなしい突っ込みを入れてみたりする。

 月曜日が眠いのはいつものことだ。
 お昼には「少しは精をつけないとな」と、奮発して700円のうなぎ弁当を食す。

 帰りにフジ・ロックに備えて、ウェットティッシュなどの必需品を買出し、「夕飯なににしよっかな〜」と考えていたら、「そうだ、まだあれがあった」と思い出す。

 というわけで、今日の夕食は「すいか4分の1」であった。もう、めんどうだから夏の間は家ではすいかしか食べないことにしようかなあ。



7月22日(日)

 リキッドルームにて、Ocean。ジャンキーXLがライブをするというので、まあ来週のフジロックに備えての体慣らしにはちょうどいいかと思って、あまり期待せずに行ったのだが、客の入り具合はちょうどよかった。アエラスさんから昨日のイエロー(ディープ・ディッシュ)はめちゃ混んでいて、始発の動く時間になっても踊る場所がなかったという報告メールが入っていたのだが、こちらはそんなことはなかった。

 1時過ぎに入るとYODAさんが回していた。YODAさんが昔、ロックのDJやっていたころは、私の後輩と一緒にやっていたので、よく遊びにいったものだが、こうやって彼が大箱で回しているのを見るのは初めてだった。
 2時からジャンキーXLのライブ。ジャンキーXLはどちらかというと「おバカ系アッパーテクノ」なイメージがあったが、友達がYODAさんに会ってそう言ったところ「今は、すごくカッコイイ本格テクノなんだ」と言っていたというので「ホントだな!?」という半信半疑であったのだが、たしかにイケイケではあるものの音はしっかりしている。

 中盤以降はほんとにすごくなり、客の煽り方もけっこうえげつないのはわかっているのだが、「ギョエエエエエ〜」と踊らされてしまっていた。フロアもそんなに混んでなかったので、けっこう広々と踊れたので、久々にガシガシ踊る。
 ライブは結局、3時半くらいまでたっぷりそのテンションでやってくれた。大満足。
 その後、DJ19のDJもまあまあだったが、ちょっと音に飽きてきたので、ロビーに行ってみると、ジャズ・ボサ系なものがかかっていたので、しばらくそれに浸っていたら、ふとラウンジDJの顔に見覚えのあることに気がつく。その傍らにいるDJの彼女にも会ったことがある。

  DJ君に声をかけるのもなんだしと思って、彼女のほうに、
 「私のこと覚えてる?」
 と、声をかけたら不思議そうな顔をされたので、「ほら、ゴアで会ったでしょ。私、K子さんと一緒にいたんだけど・・・・」と言ったら「ああ、あのときの!」と盛り上がる。
 DJ君にも同じことを言ったら「ああ、覚えてるけど、何年前よ?」ってなかんじ。97年の2月だったから、もう4年前だ。
 そして、彼女に、「私はO君の大学の先輩なんだよ」と説明したら、彼女のとなりにいた女性を指差して、「この人、O君の奥さんだよ?」

 おお!O君が結婚したというのは風の噂で聞いてはいたのだが・・・・奥さんに話を聞いてみるともう結婚して4年になるという。その間会っていなかったのね。
 「じゃあ、O君にミヤノさんがよろしく言っていたと・・・元気で遊んでますと、伝えておいてください」と言ったら、「でも、もうすぐここに戻ってくると思うけどな」と言った瞬間、O君登場。思わず、奥さんを目の前にして抱きついてしまいました(笑)旧友と感激の再会だ。
 「ミヤノさん、お元気だったですか?・・・・って見れば、いかにも元気そうですが・・・・」と言って笑われた。そりゃそうだよな。こんなところに来てること自体が「元気で〜す」以外のなにものでもないわけで(苦笑)

 そんなわけで、O君の連絡先も知らない関係なのであるが、彼とはなぜか節目節目で会う運命になっている。
 最初の出会いは私が所属していた大学の某サークルに彼が入ってきたとき。当時はパンク少年で、黒のスリムジーンズに身を包み、「好きなバンド?ビデオ・スターリンかな?」などと言っていた。その後彼は、YODAさんも所属していた音楽サークルの活動に重点を置いていたので、あまり交流はなかったのだが、時々日記に登場するやはりサークルの後輩のS君やAKちゃんと「ジーザス&メリー・チェインのコピーバンド」を結成して学園祭で演奏したりしていた。(シーナ&ザ・ロケッツのライブと重なったので私は観ていないのだが)

 そうこうしているうちに、数年たって、私が一人暮らしをはじめ(10年前)、下北のZOOに遊びにいったりするようになった。当時はマンチェスターの全盛期。あるとき、ZOOの狭いフロアでひときわ目立ってマンチェダンス(モンキーダンスの変形。初期のストーンローゼスのイアンの踊りがそれ)を踊っていた男の子がいて、よくよく顔を見るとO君だった。そこで数年ぶりの再開。

 その後、彼はYODAさんとロック系のDJイベントをはじめたので、初回には花束を持って駆けつけたりしたもんだ。O君のおかげでロック系の友達も芋づる式に増えて、楽しいマンチェ時代を過ごしたのであった。
 そういうロック系のDJイベントが下火になり、私はUFOなどのアシッド・ジャズ系に流れていたのだが、友達に誘われるままテクノ系にはまり、そうこうしているうちに野外パーティーなどのトランス系のイベントにまで行くようなコアなクラバーになっていた。
 トランス系のイベントでかつてのO君の周囲にいた人たちをちらほら見かけるようになり、「あの辺も私と同じ道に転んでいるのね。つうことは、O君に会うのも時間の問題かしら」とか思っていたのであった。

 そのころの野外イベントとしてはたぶん「伝説的なパーティー」として語り継がれているであろう、Equinoxの富士宮でのパーティー。
 富士山が遠くにそびえるのが見える見晴らしのよいキャンプ場で開かれた。朝になると、富士山のシルエットがくっきり見えてとても美しかった。なんかやたらと雰囲気のいいパーティーで皆とても楽しそうだったし、ウドンやコーヒーを売る屋台を出していた地元の方もとても感じよくて、私が「富士山が見えて感激です〜」と話し掛けたら「そうだろ〜ここは眺めもいいし、いい場所なんだよ」と自慢気(&暖かい食べ物や飲み物がけっこう売れるのでかなり気をよくしてたみたい)であった。
 
 明るくなって、少し疲れてので、焚き火のあたりで暖をとっていると、東の方から鋭い日が差した。それもなんと、富士山の中腹から太陽がのぞいたのである。あの稜線から放射状に光る太陽は、この世のものとも思えないほど神々しかった。座り込んでいた客たちもびっくりして立ち上がり、皆で走ってフロアに戻って踊り狂ったのであった。
 私も我を忘れて、「ひええ!この世にはやっぱり神様はいるんだ!あまりにも美しすぎる!なんて凄いんだ!」と踊っていたのだが、そのとき、背中をポンっと誰かが叩いた。友達かと思って振り向くとそこには恥ずかしげに微笑むO君の姿があった。

 「いつかは遭遇するとは思っていたけど、なんで今なの〜〜〜〜」

 と二人で「こんなところまでたどり着いてしまった私たち」に照れまくりながら再会を祝った。
 その後、けっこう野外や屋内のトランス系パーティーでよく顔を合わせていたのだが、私もいつのまにかそんなものに行かなくなっていたので、たしかT君から「O君にこの間のパーティーで会ったよ。結婚したんだって」と聞いていたのだが、それっきりになっていた。

 O君とは親しい友達というわけでもないのだが、なんか数年ごとにヒョッコリ会うので、私はいつも「O君とはきっと、老人ホームとかで再会することになるんだよ」などと言っていたのだが、O君は私がそんなことを言うのをいつも静かにニコニコ微笑ながら聞いてくれるのであった。

 ジャンキーXLのライブもよかったし、旧友には会えるしで、期せずして「行ってよかった〜〜〜〜」なパーティーであった。
 S君のことも無理やり連れていってしまったのだが、行く前はなんだか体調が悪そうで心配したが、帰りには調子よさげにしていたので、けっこう楽しんでくれたようだ。よかったよかった。

 けっこう浮かれて踊りすぎたらしく、家に帰ったら未だかつて経験したことのないような激しい「足がつった」状態に見舞われる。若いつもりでいてもやはり・・・・・ふう、やはりストレッチとかしておかないとな。



7月21日(土)

 暑くて目が覚めたのが午前11時だった。いつもだと、もっと早い時間に目が覚めて冷房を入れるのだが、疲れていたのかぐっすり眠っていたらしい。
 寝なおして、また目が覚めたら1時になっていた。銀行に行かなくてはと思ったが、うだうだと部屋の中でバルタン作製に励む。結局、外に出たのが銀行のATMが閉まる5時ぎりぎり。
 お金を下ろしてからレコファンに言ったら、サマーセールで、スクエアプッシャーの新譜が1480円になっていたので買い。残念ながらダレンエマーソンの「シンガポール」は売り切れていた。

 来週のフジロックに履いていくパンツが欲しかったので、目をつけてあったジーンズ屋に寄る。最近の若い男の子がよく履いている、ダボっとしてて、ポケットがいっぱいある膝丈のパンツをなん着か試着して、結局カーキ色のものを選ぶ。3900円。

 着心地を試さなくてはと、今日行くリキッドルームに履いていくことにする。先日ユニクロで買ったドライTシャツ(690円)がほんとにドライかどうかも試さねばならない。
 ついでに帰りにスイカを丸ごと買った。夕飯はそれの6分の1で終了。家でまたごろごろしながら、バルタンを作ったりして、久々に夜中に出動した。



7月20日(金)

 今日は海の日で祝日らしいが、私には関係がないのであった。ふんっ
 しかも今日から夏休みなのか?むかつく〜(会社のギャル同僚の弁)

 というわけで、あいかわらずちんたらと仕事してたら、得意先との約束がキャンセルになった営業の人も手持ち無沙汰だったらしく、フロアで出勤していた数名とあずきアイスバーを食べながら、「夏が来れば思い出す〜」な昔話にふけっていた。

 話題:カブトムシとクワガタの違い、ネットオークションでヴィトンのストラップ(偽というかヴィトンはそういうものを出してない)をついつい熱くなって2万円で落札したが、その数ヵ月後母親が韓国に旅行して「タダでもらったからお土産」と同じものをくれた、昔流行ったブランド―MCMとかハンティングワールドとか、昔飼っていたがとうとうなつかなかったインコ、等々。

 というわけで、なにしに会社に行ったのかよくわからなかったが、とにかく出勤日数は稼いだ。休みをとってもよかったのだが、来週はフジロックなので、その翌日あたりに有給とろうかなあ、と私らしくとても堅実な計画をたてているのであった。

 昨日はやっとこのページをニューマシンで作成して転送できるように設定した。あとはメールの設定とか、諸々。いまのところ、すぐそばに旧マシンを置いて、アドレスとかを書き写したりしている状態。ほんとはもっとなんかいい方法があるのだろうけれど、なんでもかんでも移していてもしかたないので必要なものだけもってきている。
 めるまがは用意してあったものをフロッピーで移して、配信手配完了。なんだか、鳥のお母さんになったみたいな気分だ。

 さて、ADSLも開通したし、次なる目標は「携帯電話」ですかね。
 これがなかなかいろいろ種類があって、何回か携帯電話屋は覗いているのだが、なにがなんだかよくわからないし、店員はたいてい、いまどきのにーちゃんなので相談しづらいし・・・ぐちぐち。
 しかし、私がそうやってモタモタしているうちに、なんと母に先を越されてしまったのだ。
 妹の使用している機種がもう古くなったので買い換えることになったようで、それを母がもらってプリペイド式に書き換えてもらったらしい。
 しかも、持っていった電話があまりにもボロだったので、店員が同じ機種でもっときれいなやつ(多分、機種変更でゴミになったやつなんだろう)と取り替えてくれたそうだ。

 親に出し抜かれたとなると、私も心中穏やかでないのであった。しかし、ADSLの月々の代金に携帯電話料金まで加算されると家計がかなり圧迫されるのも事実である。う〜ん。
 とりあえず、光熱費をケチるのと、健康のために、ここんとこ家ではなるべくエアコンを使わないようにしている。今もご飯を食べたら滝のような汗が・・・・サウナ行かなくても汗がかけて経済的だ。



7月19日(木)

 つうわけで晴れて常時接続。さっそく、ここでBukemを堪能していたりする。他にやりたいことないのか?>私 



7月18日(水)

 ADSL無事開通。



7月17日(火)

 ふう・・・5日分もまとめ書きだ。別に飛ばしてもいいんだけれども、ついつい書いてしまった。

 日曜日のきょうみさん宅で、泥酔していた私はかなり記憶が断片的であることが判明した。
 まず、お子様チーム(4〜23歳)に水鉄砲攻撃を受けて、キャーキャー言ってよろこんでたらしいのだが、全く記憶にございません。
 あと、今日になって、きょうみさんが送ってくれた写真には、ソファで寝ている私の上にワニ(のヌイグルミ。全長1メートルくらいある)が乗っかっていたのだが、「だ、誰が、私の上にワニを〜〜〜〜」とか叫びそうになってしまった。
 あと、どうやら寝ている間に、

 「かものはし〜、かものはし〜」

 と、うわごとを言っていたらしい。
 きょうみさんちにはカモノハシのヌイグルミもあって、やはり全長が80センチくらいあり、超プリチーなのだが、どうやらそれがかなりお気に入りだったようである。

 それにしても、寝言でうっかり昔付合っていた男の名前を言ってしまったとかなら、まあそれはそれで問題だが、ありそうな話だし、「大人の女にはいろいろあるのよ、ウフっ」とか言っておけば済むと思うのであるが、「かものはし」はどう処理していいのか迷う。
 でも、日本のどこかには「カモノハシ」という名字の人がいるのではないか?「カモノハシ」さん、もしいらっしゃったら、私と昔付合っていたことにしておいてください。

 「カモノハシ君が忘れられないの。いい男だったわ」
 と、言いふらす以外にはご迷惑はかからないと思います。

 などと考えながら家路についていたのだが、ふと「そういえば、猪俣って名前はメジャーだけど、猫マタって名前は聞いたことないな」と、突然思い付いた。ネコマタさんもいませんか?

 猫叉って、障子を開けられるようになった猫への称号なのかとずっと思っていたが、「猫がすごく年をとると、しっぽの先が二つに割れて、それが股みたいなんで、ネコマタっていうんだ」と誰かから教わったような気がするんだけれども、またかつがれているのだろうか?

 そういえば、その昔、NHK・FMで夜の11時にやっていた「クロス・オーバー・イレブン」という番組(東京FMでは12時から「ジェット・ストリーム」をやってたと記憶しているが、とても似た番組だった)では、曲の合間にツガヤマ(字がわからん)マサタネがいろいろな文章を朗読するのだが、よく出てくるシリーズの登場人物は「ネコマタギ君とモヤシ君」という二人の少年だった。

 カモノハシからネコマタギまで・・・・・わけわからなくなってきました。いかん、こういう回路を作ってしまうと、次回泥酔したときには

「ねこまたぎ〜、ねこまたぎ〜」

 と、また意味不明のうわごとを言ってしまうかもしれない。

 でも、結婚式場の看板に「鴨乃橋家 猫俣家」なんて書いてあったらいいなあ。呼ばれてなくても御祝儀置きたくなっちゃうだろうなあ〜



7月16日(月)

 二日酔い寝不足太陽がいっぱいブルーマンデー症候群ボロボロ

 ここんとこ、晴天が続くが、今日の「青い空」は尋常ではなかった。なんかよく、「雪の日は雪が音を吸収するから静か」というけれども、今日は「紫外線が音を吸収してんじゃないの?」というかんじであった。
 自分がボケボケだったせいもあるけれども、この世の全てものが太陽光線に焼かれて消滅してしまったのではないか?目に見える映像は太陽が乾いた空気に焼き付けたものなのではないか?いや、きっと私の網膜に太陽光線でプリントされてるんだ・・・とか、二日酔いにしてはやけに詩的(?)な妄想に浸る。

 どこの建物もエアコン全開にしてるみたいで、町中がモーターの唸りに支配されているようだったし、道行く人も「暑いですね」以外の言葉を話す気力もないようなので、いつもより「街が静かだ」と思ったのかもしれない。
 とにかく、あの太陽光線のもとでは、「なにもかも蜃気楼」に見えてもしかたないだろう。

 こういう日に限って同僚が熱を出して休んでしまったので、代わりに銀行に行ったりと、外出の用事がちょこちょこあって、さすがの私も頭痛がしてきたので、頭痛薬を久々に飲んでしたまった。頭痛用に置いてあるわけでもないのに。

 そんな状態だったが、かみちゃんと食事する約束だったので、また渋谷に行く。ほんとはパスしようと思ったのだが、彼女が今やっている短期の派遣の仕事がほんとに忙しいらしくて、土日も出勤していて、やっととれた休みみたいだったから、今日を逃すといつになるのかわからなかったのだ。
 
 それでも、焼き肉屋で辛いスープを飲んだら、少し気分がすっきりして、そこそこに肉も食べられ、いろいろ話もできたのでよかった。

 待ち合わせている間に試聴したダレン・エマーソンのミックスCD(2枚組み)が最高だった。「シンガポール」というタイトルで、どうやら去年だかにシンガポールでプレイしたものをCD化したらしい。
 ダレ〜ン、シンガポールまで来ていながら、なぜに日本に来てくれないの〜こういうプレイが聴きたいのよ、あたしゃ。



7月15日(日)

 久々のきょうみさん宅。
 成田に11時半に来れば車で迎えに来てくれるというので、8時半には起床して、9時半には家を出た。まるで、これから海外旅行にでも行くような気分である。

 成田に着くと、Kちゃんがいた。Kちゃんは昔きょうみちゃんが北京にいたときに同じマンションにいた人で、北京滞在時には遊んでもらったのだが、去年やっと数年ぶりに再会して、日本で会うのはよく考えると今回で2回目なのかもしれないが、「Kちゃ〜ん」「ミヤノちゃ〜ん」とキャーキャーしてしまった。

 きょうみさんが迎えに来てくれて、12時前にはおうちに着く。私がお中元で贈ったのだが、「私も飲むから全部飲むな」と無茶な指令を出しておいたビアライゼの八千代ブロイをさっそく飲む。ほんとにおいしかった。今度は自分にも贈ろう(笑)
 そんなこんなで、美味しいピスタチオと枝豆をバカスカ食べながら、ガンガン飲んでいるうちに、後続部隊約1名も到着したので、暑いけれど屋上でバーベキュー大会。屋上には子供用プール(ビニル製のやつ)もあったが、片足を突っ込んでみたらお湯だった。

 お子様が水遊びをするのを眺めながら、その後もハイペースで飲んでいた(らしい)ので、いつのまにかすっかり酔っ払ってしまい、ブランコで寝ていたようだ。気がついたらすっかりあたりは暗くなっていた。
 なんできょうみさんちに行くと、いつも泥酔してしまうのであろうか?
 今回は女性陣が全員30代半ばなのに、男性陣は4〜27歳という豪華なメンバーだったので、「若い男に囲まれて、ついつい浮かれて飲みすぎてしまいました」ということになってしまったようだ。

 早く帰るつもりが、結局9時過ぎになんとか、ボディーガードに抱えられて、「うう、まっすぐあるけない」とか言いながら、成田駅までてくてく歩き、また長い家路に着いたのであった。
 ほんとなら、ADSLの接続をしてもらうはずであったが時間切れ。ボディガード君(この方もいろいろな名称で呼ばれている)は、「ごめんね」と謝ってくれたが、どう考えても飲み過ぎた私が悪いんでございます。あ〜あ。


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