可燃物な日々

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11月15日

 昨日はさっさと寝ようと思っていたのに、つけっぱなしにしてあったNHKでカナダのバンクーバー海峡に生きる巨大な海の生き物に釘付けになってしまいました。
 ウニとか、顔くらいあるし、タコは6メートルもあるし、なにやら栄養満点で隠れ家も多い地形ゆえ巨大化しているらしい。しかし、日本人の悲しい性なのか、それとも単に私が食い意地はっているだけなのか、どうしても「あのタコで握ったら、吸盤がすごく大きいんだろうか?」とか「あのウニ一個で立派なウニ丼になるのでは?」などと文字どおり、食い入るように観てしまったが、そんな私の分身のような「オオカミウオ」という、でかい鰻が人面魚化したような、バケモノ度が高い魚は、間抜けな顔に似合わず、オオカミの名にふさわしき立派な牙を持っていて、ひょいと巨大ウニをトゲごとほおばって、ぼりぼりと食っていた。歯が丈夫なのはうらやましいが、頬にトゲが刺さらないのか気になる。

 巨大ダコはよく見ると足がけっこう欠けていて、食われちゃったのかなあ?でも、うちの鍋では、足一本でも茹でられないのではないだろうか?ああ、素敵な海のロマン!(と、日記には書いておこう)

 そんなわけで、泳いで疲れていたのに目をらんらんとさせながら1時くらいまで観てしまったので、今日は眠かった。
 独り言の多い同僚はお休みだし、上司は会議だなんだでほとんど席にいなかったし、社長もお休みだったので、シンとした中眠気と闘う。
 なんだかしらんが、やることがどんどん増えていくんでげすが、それも細かい仕事ばかりで、目がつかれる。
 しかも、決算で備品や切手の在庫を出している人が、ホストのトナーなどがどれがどれだかわからないとか言っていたのはいいとしても、それよりも、期末間近に仕入れて売った小物がどれだけ販売して、見本品がいくつで、在庫がいくつなのかを誰もきちんと把握していないという事実に驚愕。「あのね〜備品なんてどうせ使うものだからいいの少しくらい違ってても、それより仕入れた品物の在庫のほうが重要なの!」と、叫びたくなる気持ちをぐっとこらえ、くどくど説明していた。も〜手を抜くとこは抜いて、ちゃんとやらなきゃいけないことを優先させようよ〜。ぶちぶち。
 そもそも、なぜ棚卸しするのかわかってる人少ないんじゃないかなと心配になる。元々、物を売っていた会社ではないので仕方ないのかもしれないが、でも意外にパートの人はわかってたりするんだよなこれが(笑)他所で働いた経験のある人のほうが話が早い。
 だって文房具の数が合わないからと「これからは毎月末に締めるから」って、いいよそんなことやらなくても。たいした数じゃないし、ポスト・イットの数が10や20合わなくたって誰もそんなもん調べないって・・・・(でも誰も税務調査を経験していないので、そういう事態になったらどういうことがつつかれるのか想定できないようなのであった)

 今日もちょびっと残業して、なんとかヒップホップのクラスに滑り込む。先生に「ここんとこ皆勤賞じゃない?」とすっかり顔憶えられちゃったなあ。でも、さすがに疲れていたので、踊りながらアクビが出そうだった。

 あ、またメールチェックしていたらインスタント・メッセージで友達が待ち構えていた。すごいなあ常時接続は・・・(彼女の実家の環境は彼女の元職場であった世界有数のコンピュータメーカーよりも優れているらしい)
 先週末にチャットで遊んじゃったんで、常時どころかテレホーダイにもなってなくて、しかもそんなに家で接続しないからプロバイダーとの契約も使い放題にはしていないのに・・・・すでに今月の枠はあと1時間くらいしか残っていないのだ。今までそれで済んでたのになあ・・・でもIP接続なんかにしたらとんでもないことになりそうだしなあ。(アディクト体質なので中毒の源からはなるべく遠ざかりたい)



11月14日(火)

 今日は久しぶりにお魚になった私。(人魚というほどの自信がない。シーラカンスかマンボウあたりが妥当。マンボウは魚だったけ?あれ?)
 久しぶりに泳ぐと肩がなんかだるい。肩がこってるんだなきっと。(あまり肩こりに気がつかないタイプ)

 ふと思うと、先月あたりから、週末がけっこう忙しくなっていて、しばらくあんなにゴロゴロしてばかりいたときには「ブルーというよりはブラックな平日」と「その合間の天国のように白く輝く週末」に塗り分けられていて、どちらかというと「黒い平日」をどうやりすごすかがクローズアップされていたが、週末なんじゃかんじゃと予定があると、輝く週末の光度が増して、平日の「黒」が今度は背景色になってくる。(具体的に言うと、週末心置きなく遊ぶために、平日は掃除したり洗濯したり、いろいろ用事済ませておいたりして)

 だから何が違うかというと、何も違わないんだけれどもエッシャーの絵みたいに、どっちを凝視するかで絵が変わってしまうようなかんじ。
 そんなふうに「やることいっぱいあってこまっちゃう〜」というのは幸せな状態なんだろうな。これが、さらに忙しくなると(遊びでね)だんだんなにやってるのかわからなくなってきて、やや崩壊するが、そうなったらそうなったでいいんだけど、あまり度を越すと私は寝込む体質なので(発熱したりする)今まであまり無理をせずにのほほんとやって来れたのでしょう。

 そんなことをふと考えたのも、今日スポーツクラブに行って「そういえば、もう今週の金曜日は鳥肌実の公演だから、パラパラには出られないや、あ、金曜はフラスコもあるんだ。ドルフィンのマジックがあるから行くつもりだったんだ。するってえと、もう来週の金曜は幕張でアンダーワールドだし・・・・」と、アンダーワールドでまたパラパラで笑いをとろうとしていたのに、もう新しい振り付けを習得できないということに思い当たったからで・・・・なんかいいなあ、能天気で。(現時点でも小さな悩みは、来週の金曜日に有給休暇をとりたいのであるが、そのころ請求書を発行しなくてはならないので果たして4連休取れるもんだか疑問。23日に出社して24日休みとろうかなあ)

 というわけで、なかなか「4次元立方体展開図のヌイグルミ」制作が進まず。目標は今世紀中の完成ということにしよう。別に締め切りがあるわけでもないが、早く完成した作品を自分で見たいので。

 ここんとこ、宮澤賢治を読んでいて、動物ものが多いのに「ちっとも泣けない」と不思議。別に泣くために読んでいるのではないので、いいのだが、なんでだろう、たいていの「動物もの」には涙腺が反応するのに・・・と、考えてみると、どうやら「宮澤ワールド」に登場する動物たちはなんかしたたかというか、平然としていて、人間に負けたりしていない。そして、宮澤の視点も「ほお、動物もこんなことやってました」と飄々としていて、下世話な感情移入をさせないようだ。「弱きもの」でも「自然の素晴らしさ/動物の強さ」などの要素が全くなくて、視線が水平なのね。
 狐は学校作ってて感心させられるが、それは「こんな田舎でも立派な教育を」ってかんじだし、ヤマネコは「裁判手伝ってください」と言ってきて、手伝ってやったらギャラくれただけだし(またお手伝いしたいのに、再度の依頼は来なくてがっかり)、蟹の親子はヤマナシがいい酒になるんだよとホクホクだし、鹿は踊っていて、見ている人間が一緒に踊りたくなって飛び出すと、ただ逃げちゃうだけだし、ゴーシュはああしろこうしろという動物たちに振り回されているうちにセロの腕が上がっちゃうし(いいように利用されたが、結果オーライ)、なんでこんなにこの人の視線はフラットなんだろう?
 すごく、ミニマルだ。おんなじBPMで山も谷もない。ただ延々とリズムを刻む。あっけなく死んじゃったり、なんとか生き残ったりもするけど、全てはなにか大きなリズムの刻みの間の出来事でそこに強弱がないのかな。昔はそれをちょと「キモチワルイ」と思ったけど、今だと「なんか変だけどちょっとここちよいかも」と読めるようなので、浸ってしまう。なんかプールでだらだらと泳いでいるときの感覚に近い。(水の中のイメージは宮澤研究でもよく語れていたはずなので・・・)



11月13日(月)

 今日の掃除(週末ほとんど外出してたらエントロピーが増大しまくっていた。なんとか「荒れ果てた」を「荒れた」に修正)と裁縫のBGM。
 Jim Jiminee 「Welcom To Hawaii」
 87年もののネオアコの聖典のひとつであるが、なぜか99年にVinylJapan(新宿西口にあるレコ屋)がCD化。(多分、ネオアコ時代の知人が苦心してやったお仕事だと思われる。がんばったわね)
 これって隠れた名作だと思うのだが、アズテックあたりが好きな人はぜったいに泣ける。声はあまり癖のないエルビス・コステロなかんじにしゃがれていて、女性コーラスがからみ美しいハーモニーが展開されるあたりが2流のプリファブ・スプラウトってかんじだが、チープな音と不味い録音を味にしているあたりがネオアコの王道である。
 切なく甘酸っぱい青春を送った人もそ、んなもん経験したことない人も、これ一枚で「ああ、若かったあのころのセピア色の想い出」を思い出したり、でっちあげたりできること請け合い。私が運転できたら、これは車ではかけないね。だって涙でフロントガラスが曇りそう。

 さて、昨日は紹興酒(ご指摘ありがとうございます)をガブ飲みして、ベロベロになっていたが、なかなか深い話をしていたのだ。
 以前「寿命が短くなってもお金があったほうがいい」と命売却宣言をして、私を困らせた友人は、今度はそれのバージョン違いなだけだが、
 「結局、生きてるってことは、毎日、起きて、水飲んでご飯食べて、寝ての繰返しなだけじゃん」

 まあ、そりゃそうなんですが、そういうことを真顔で言われると返事に困ります。
 いろいろ聞いてみると、本人ややローになってるらしく、「いろいろ努力したけど、結局はじかれた」とか言うし、でも傍からみればそれほどの努力をしたとも思えないし、この先もうそんな苦労する気も失せたから、もういいやどうだって、と投げやり。

 「でもさ、自分はダメだからもういいって言われても、他人の私からすれば、何がどう具体的にだめだったのか示してくれないと、判断しようがないじゃない?」

 などと、言ってもなかなかこれといった回答が得られない。結局、わかったことは、「ダメな自分で勝負してみて、負けて惨めになるのがいやだ」ということらしい。その気持ちはわかるけど、でもある程度「ダメな自分」を武器にして、「ダメはダメなりにやってるんだ!」とアピールしないとおもしろくないじゃない。
 だって、「バカを晒すのがいやだから何も発言しない人」よりも「己のバカに気がつかずにバカを晒している人」のほうが、絶対に偉いと私は思うし、そうやって「バッカじゃないの?」とボコボコにされながら伸びる可能性もあるわけだし、それに「自分よりレベルの低いもの」に愛情を感じる人も多いから(会社組織などはそうやって腐る場合も多いが)、けっこうからかわれながらも面倒みてもらえてるみたいだし、それに「バカだから黙ってよう」と言うのなら、「でも、いずれ見てろよ。絶対にちゃんと発言してやる」と陰で勉強するとか努力しないと、何も先に進まないではないですか?(発言云々は例え話。ほんとは違う方面の話だったのですが)

 「それに、そう考えると、今の自分らの立ち位置はけっこう有利に使えるんだよ!30半ばの冴えないOLのおねーさんなんだから、何にもできなくても世間ではフツウじゃない。それはそれで悔しいけど、でもバカを晒したときにも『でも、あたしオバサンだし〜バカだし〜』で済むではありませんか!それは甚だ不本意ではあるが、本当なわけだし、そこで自分が納得すればかなり気は済むので、それで気落ちするという無駄はかなりクリアできるので、ある意味、若い子よりも楽にできると思うんだけどなあ」

 友人は「目標がないと何もできない。やる気が起きない。そして、その目標を達成する見込がなくなったので、もうやんない」という考え方のようですが、でもこの世に「目標を達成した」と思ってる人なんてそんなにいないと思うのですが、あとは「小さな目標」をちょこっとづつクリアしていって「小さな自己満足」を積み重ねていくことが幸せなんだと、私はそう思うのだが。(みんなヒデにはなれないのわかってても、やっぱり草サッカーでは相手チームに勝ちたいからがんばって練習してるわけでしょ?)

 100点満点で5点しかとれないのがわかっているからテストは受けないよりも、まず5点という点を付けてもらって「5点か・・・・ふっ」となったあと、じゃあもう辞めるのか、もうちょっと頑張ってせめて20点くらいを目指すのかは本人次第。でも、テスト受けてないのに「あたしはどうせ赤点だから、そんなんじゃ80点の人に笑われるだけだし」と諦らめていては何も進まない。
 さらに私の哲学でいえば「あたしの5点があるから80点とった人の偏差値が出るわけで、必要なんだよ5点は!」
 そして、「80点の人に本当にバカにされてから、やっぱ笑われたから辞めた」って言おうよ!
 「笑われから」と「笑われから」の間には深〜い河が流れているんだよ。

 と、自分が日ごろ「あ〜バカ晒すのって快感!」といいように摩り替えて、心の中で臍を噛みながらも日々精進している「つもり」でいるので、それを否定されちゃうと、自分のアイデンティティが揺らぐので、必死に説教していたのであった。



11月12日

 昼ごろ起きて、図書館に行って、それからエガミさんちに行って、ちょっと画像をスキャンしてもらったりして、それからなんか私がエガミさんに偉そうに説教しながら、秘蔵のショウコウ酒(漢字がわからん)を二人で2本(小さいビンだったのよ!たぶんきっとそうなのよ!)空けてしまい、慌てて帰宅して、画像処理したりしていたら、とっぷり夜中だぜ。



11月11日

 昨晩、11時過ぎにメールチェックしたら、なんだかメールがどわわわと来ているので「なんだなんだ、なにがあったのだ?」と一覧を観てみると、なにやら変な名前の人たちが・・・・でもなんか見覚えあるような・・・・そして、その後は普通の友達のメール。

 「いま、AOLのインスタントメッセンジャーでチャットしてるからおいでよ!」

 金曜日の夜中にふさわしい素敵なお呼び出しだわね(笑)相模原在住A嬢と、現在郷里大阪に一時里帰りしているK嬢から。変な名前は「登録ネーム」だったわけ。
 AOLのIMはたしかあったのだが、そんなもん目障りだったからとっくに削除していたので、仕方なくダウンロード。20分くらいかかって、途中で止めたくなったが(気が短いのでダウンロードは苦手)なんとか我慢して、使い方もよくわかないまま、サインオンしたら、なんかよくわからんお部屋に入っていて、「部屋いっぱいあるのにどーすりゃいいんだよ!」と思うが、あれこれいじっているうちに「呼び出し」がかけられるのがわかり、試しにK嬢を呼び出してみると、「発見したぞ!」と返事。なんかかくれんぼみたいで、楽しくないこともない。
 さすが元SEのK嬢はサクサクと部屋を作ってくれて、そこでやっと三者ご対面。

私 「清明神社にはもう行ったの?」
K 「まだ。だけど、正倉院展に行った」
私 「あたしは明日、日本物理学会」
A 「なにそれ?仕事?」
私 「趣味!」
K 「渋いね〜」
私 「お互いさま」

 その後、私の「理系に弱い」」発言をふまえて、工学部出身のK嬢のお言葉「理学部はインテリだけど、工学部はオタク」そうなんですか?
 チャットでアカデミックな話題(?)をかわす、オシャレな30代女性3人組みだったが、やっぱりその後、話題はパラパラになり、「この間、たまちゃんとハードミニマルでパラパラに挑戦したが、無理があった」などと報告し、バージョン・アップしたらしいY君に私がパラパラで挑戦するとかのバカ話に興じていたら、もう一時。「悪いが私、明日は早起きなんで退散」

 そして、朝は平日と同じ時間に起床。だらだらと支度して、いざ目白。学習院大学へ。
 日本物理学会公開講座「量子ってなに?プランク100年」に参加。

 だって無料だし、「量子ってなに?」って私のために設けられたような題名だし、近いし、土曜日暇だったし、というかなりお気楽な動機であったが、学習院に足を踏み入れるのも早10年ぶり以上だな。一回、サークルの活動でポスターを届けにいったことがあるくらいだ。
 土曜日だけど、けっこう人がいた。そうか授業やってんだもんね。バレーボールしているのは体育の授業らしい。
 定員180名だったけど、けっこう盛況のようで会場はほぼ満席、受付にいた主催者らしきオジサンはニコニコ顔。(あとでそれが学習院の江澤先生だと気がつく)女性の客もちらほらいたが、迷わず制服の女子高生の横に座る(笑)

 開会の挨拶をされた物理学会会長(鈴木増雄)さんの頭はバーコードだった。久しぶりにバーコード見た。でも、あんましくっきりしてなくて「あれじゃあバーコードリーダーにはじかれちゃうよ。もっとくっきりさせないと」と心の中で不謹慎なつぶやき。こんなこと書いたら、物理学会から出入り禁止かしらん。出入りしてないけど。(でもバーコード頭は芸術作品だと思っているので辛くなるのは許してほしい。愛するがゆえの暴言なのよ)

 ところで、受付で渡された資料の中に「分光器」が入っていて、最初「なんじゃこれ?単眼鏡?」と思ったが、スリットが入っていて、光を覗くとスペクトラムが見える。「でも、それと量子となんの関係があるのだろう」と、考えてしまった私は本当にトーシローもいいところだったらしい。そこから「量子力学」の世界が始まっていたのですね。そもそも「プランク」といえば「プランクトン」くらいしか思い浮かばなかったくらいなんで、許してください。

 公演内容は学習院の江澤先生が「量子研究の100年の歩み」みたいなことで、最後には時間がなくなり、(10分前と終了のときにジリリとベルの音がして「わ〜い、『動物のお医者さん』でやってた学会と一緒だあ!」と大喜びした)現在は久米美術館所属で歴史を研究されているらしい、高田誠二氏が「量子の考えを探りあてたプランク」

 まあ、なんだかよ〜わからんが、こうして講義なんか聴くのは、前に東洋大学哲学科主催の講演(ハイデカー研究の早稲田大名誉教授のお話だった。東洋大の卒業生に誘われて行ったのだが、そもそもハイデカーって名前は知ってるけど、なに書いた人だか忘れたというか知らないままに行った。けっこうオモシロかったけど。講演後、懇親会があって飲み食いができるらしいので行ってみたが、他の人は講演した教授を遠巻きにするので、いっちょ話しかけてさしあげようと「先生はハイデカーにもお会いになったそうですが、どんな方だったのですか?」と無謀で無難な会話をした。もちろん先生は嬉しそうに話してくださり、その様子に他の学生さんも寄ってきたので、ただ飯&ただ酒の分、いちおう貢献した)以来だったので、「はあ〜先生の話ってやっぱりちょっと退屈」だと、ちょっと学生時代を思い出し、しばし幸福な気分に浸る。

 お昼休みは軽く食事してから構内をぶらぶら。学生さんたちの姿を眺めながら「ときどき、学生さんですかとか言われることあるけど、やっぱ本物にはかなわんな」と思う。せっかく学習院まで来たのだから名物のピラミッドも見学して、古い学校だけに大きな木が多くて、枯葉をガサガザ踏みしめながら散歩した。

 午後の講演はニコンの飯田匡夫氏の「温度を光で測る」、黒体放射がどうのこうのという内容で、内容はともかく「こういうところで喋るのに慣れていないものですから」とのご本人の弁はご謙遜ではなかったようで、ポツポツとお話になるそのリズムと、ときどき訪れる沈黙が食後の消化にとてもいい波動を送ってくださり、しばしシエスタ状態。
 こうやって、他人様のお話を聴きながら睡魔に抱かれるのも久しぶりだわいと、気持ちよく寝る。幸せな時間をありがとうございました。とお礼をいいたかったくらいだ。

 昼の休憩のときに、下の階のラウンジで、奥様なのか年配の派手なかんじの女性に「高校生もいるみたいだから、難しい用語は使っちゃだめよ」とたしなめられていた方が最後の講演者で、山口東京理科大の清水忠雄先生であった。
 この方が一番話し慣れているようで、内容はともかく(あたしにとってのね)喋りの勢いで聴けてしまった。「原子時計」のお話。レーザーとかメーザーとかイオン化したとかなんらかんたらで、おもしろかった。40分で詰め込むのはあれくらい事前にまとめて、ダーっと話さないと無理なんですね。(多分、他の先生方は50分という時間枠に慣れていないのだと思われる)

 最後に質疑応答になって、ぼんやり聴いていたが、なにやら参加者は高校の先生が多いみたいで(そういう人が主に質問しているだけなのかもしれないが)途中から「高校での理科教育」の話題になり、大幅に時間オーバーしていたが(1時間くらい)終わりが見えなかったので中途退場した。
 でも、おかげでわかったのは「高校の教科書では量子力学についてあまり触れられていなくて、なんとか生徒にそういう授業をしてあげたいのだが、どのようなテーマがいいのか思案中なんでなにか良策はないでしょうか?」という高校の先生の質問で、「そうか、高校ではあまり量子は出てこなかったんだ!だからあたしが『量子ってなに?』で『なんでスペクトラムが量子なの?』とかボンクラなこと思ってても、普通だったんだ!」と、自分の疑問は解決したので、めでたしめでたし。
 私は別にそれでも今まで、なにも困らなかったし、立派な社会人になりましたが、そんな程度じゃいかんとお思いなら頑張ってください!
 なまくら理科教育(私のころは「理科T」でした)の現存する悪しき成果として発言しちゃおうか(そうよ〜がんばんないとこんな風に育っちゃうのよ〜)と思いましたが、皆様のやる気をそいじゃいかんと思い留まりました(笑)。

 学習院大学はなぜかゴミひとつ落ちてなくて感動した。掃除が行き届いているのか、マナーがいいのかわからないが、そのかわりに、枯葉とともにドングリもたくさん落ちていた。
 「マツボックリは松の木だが、ドングリはなんの木だったけ?」
と、これまた「小学校レベルの理科」で立ち往生。次回は「日本植物学会公開講座」かな?

(ボロクソに書いているが、公開講座はホントにけっこう楽しかったのでまた機会があったら行きたいと思っている)
 



11月10日

 支払をまとめていたのに、決算関連の仕事をちょっと手伝ったので、昨日今日とで30分づつ残業。いつもこのくらいちょびっと忙しいといいのにな。親会社の社長の雷が落ちたらしい。まだ生で観たことないので、一度拝見してみたし。

 ここんとこ、金曜日はなにかと多忙であったため、しばらくお休みしていたパラパラ・レッスンに出た。
 一回目のときに、「もうやってられんわ」な笑顔で困っていた、エアロビおたくのムキムキお兄さんがいた。また楽しそうに困った顔で、先生の後ろにぴったりくっついて手をくるくる回していた。彼は多分重度のMなんじゃないかな(笑)

 本日の曲は「ジェラシー」って言われても聴いたことない曲だけど、女性ボーカルものの普通のつまらんユーロビート。サビの最後のジェ〜ラシ〜♪というところで「YMCA」の「C」のポーズをとる。最初は必死でやってたので気がつかなかったが、それって「ジェラシー」の「シー」なんですかね?
 でも、ジェラシーはJealousy(こんな複雑なスペルだということに辞書を引いて気がつく)で、どこにもCなんてないのですが・・・ただでさえ、スペリング苦手なんで(苦手なのはスペルだけじゃないけどさ)変なこと吹き込まないでほしいなあ。

 そういえば、その昔、「ジュラシック・パーク」が流行ったときに、皆「ジェラシック・パーク」と言っていたので、いちいち「あのお、ジュラ紀なんですけどお」と訂正してあげていたが、自分が映画館にいよいよ行ったときは、有楽町パンテオンは大行列で後から来るはずの友人を待ちながら並んでいたら、前にいたカップルがいちゃいちゃしていて、彼氏が彼女の背中や肩や髪をべたべた触りながら、
 「ジェラシック・パーク〜、ジェラ、ジェラ、ジェラシ〜」
 と、わかわからんことを口ずさんでいて、心の中で「だから、ジェラじゃなくてジュラなんです!」と叫んでいたが、下手にカップルに説教なんかすると「ひがんでる」と思われるだろうとぐっとこらえました。(でも、そのうちに友人が来たので、「今日会社の人が『ジェラシック・パーク』っているから、笑っちゃってさあ。それじゃあ『嫉妬公園』だよねえ」と大きな声で話してみましたが、多分、私のお喋りなんて耳に入ってなかったと思われる)

 その後、岡野怜子が「ジェラシック・パーク(嫉妬の園)」という題名の短編漫画を書いていたので、笑った。(なぜか最近それが入った単行本が出たみたい。「陰陽師」ファンの友人が買っていた。)

 さて、明日は休日にしては早起き(というか平日と同じ時間)しなくちゃ。起きられるかしら。



11月9日

 あ、念力効きすぎちゃったかしら。フロリダの票が増えちゃったらしい。なまくら超能力だから、どの票増やすかコントロールが上手くいかないみたい。
 それは冗談としても、やり直すと数字が違っちゃうような開票の仕方って、「一票の重み」についての議論の根底を揺るがしてませんか?それにしても、「ホントはゴアに入れたかったのに投票用紙がわかりにくかったから無効にしろ」とか開票の監視に大物政治家が送り込まれたとか、いろいろな話が出て来て、「これはアメリカの話というよりも、カンボジアとかの国際組織が監視したりするような国での選挙みたいだ」と感慨深い。これで、なんとか大統領が決まっても、どこかで「単に暴れたい奴」が暴動起こしたりしませんかね。

 毎日、お裁縫をしていて思い出すのは、「古きあのころ、あたしが愛した・・・」
 前に、独り暮らしを始めたばかりの友達の部屋に遊びにいったら、灰色のかわいいクマのヌイグルミがいて「あ、なんかこれ年期入ってるねえ」と言ったら「この子は私の一番古いお友達なんだ」20年前は純白だったらしいその毛皮もいまや愛されすぎで灰色になってた。

 私の最古のお友達もたしかクマだった。3歳のころ家族で江ノ島に行ったときの写真には、今とは違ってガランとした春の海岸(建て物が少なかったらしい)の波打ち際を歩くかわいらしい少女の片手にはクマがぶら下がっておりました。なんとなくその時の記憶があるのだが、それは後で写真を見たのと、そのクマが小学生のときまでは健在だったためとも考えられる。
 物心ついたときには、瀕死の状態だった「初代おともだち」に代わって、小学校低学年のころに贈られたクマは「ミーナちゃん」と命名されて寵愛されていたはずだが、やはり愛されすぎてボロボロになり、それでも20歳過ぎまでうちのガラクタ箱(兄弟それぞれのおもちゃが詰め込まれたまま放置されていた)で健在だったのだが、実家が引っ越すときにその箱にも手がつけられ「どうするこれ?」と母が取り出したミーナちゃんは内臓破裂に頚部骨折で多分頚部大動脈は破壊されていて、手足も脱臼状態、耳はチギれ、鼻ももげているという、見るも無残な姿になっていて「修復不能」だったので、捨ててしまった。
 他にもヌイグルミはいろいろ出てきたが、どれも愛されすぎてボロボロになっていた。超合金(弟の)もその時に沢山出てきたが皆捨ててしまったので、母はあとでたいそう悔やんだ。(なんでも鑑定団を欠かさず観ているゆえ)

 その時に唯一「これは一応原形をとどめているのでとっとくか」と捨てなかった小さなクマがあって、そのときに「ああ、それはSちゃん(弟)のクマだよ。」と母に言ったはずなのに、あとで私の漫画などを詰めた箱が部屋に届き開けてみるとそのクマも入っていた。
 「だから〜あれは、あたしのじゃないって!」
 「ちがうわよ〜、あんた忘れたの?あれはあんたのだって!」
 と、母娘で押し問答になったが、私が折れて今うちにある。弟が愛人に産ませた子供を引き取った姉のような所業だが、ホントにあたしのじゃないので、あまり愛情が湧かないのだが、なぜか他人にはとても評判がよく、家に来た友達が「これカワイ〜欲しい〜」と言ったこともあり、あげちゃおうかとも思ったが、弟のものなので勝手にあげてしまうのも・・・・それに弟がなにかの拍子に記憶が戻り「僕のお友達はどこ?」とか言い出したら(臨終の間際とかに)、「あなたのお友達はここよ」と優しく返してあげたいではないですか。
 ちなみに、このクマには名前がついていなかった。でも、ちょうどミーナちゃんの子供といったサイズだったので、よく貸してもらっていた(弟はあまりヌイグルミには執着していなかったし)ので、私が永久保管してても筋違いではないんですがね。

 いつか弟に子供が出来たら返してあげよう。いつになるのかなあ?
 



11月8日

 家に帰ってニュース観てびっくり、アメリカ大統領選挙の結果がまだ出てないの?ヒラリーは当選したんですね。
 そして、重信房子逮捕。って言われても、そんな人、記憶にないですが、うちの母と同じ年かあ・・・元気だなあ。昔の映像を見ると、かなりの美人だが、護送時に見せたあの「親指両方でグー」は、「指圧」してるみたいでカッコ悪いぞー。(でも、よく見れば手入れの悪い三田佳子ってかんじで、化粧してなくてあれは立派)

 と、思わずテレビに釘付けになってしまいました。
 昨日は、久々に母と長電話してしまい、その後お風呂に入ったり、日記書いたり、メール書いてたりしたら、寝るのが遅くなってしまい、起きたらまた寝てしまい、「ラブラブ・ヒロミGO記者会見」を睡眠学習してしまいましたが、なんとか会社に行き、なんか半分寝てたけどたしか天気予報では「冬の気圧配置が」云々と言っていたような気がしたので、今年初めてタートルネックのセーター着ていたんだけど、会社の若い男の子に「あったかそうですね」と言われ、たしかに昼間はなんかいい天気で、役所に寄ってから昼頃出社してきた上司は「あ〜暑い」と窓を開けてウチワでパタパタしているし、「寝ぼけてたのかしら、あたし」と思ったけど、やっぱり夜になったら急に冷えてきて、あの天気予報は夢ではなかったことがわかってよかった。

 冷たいビル風が吹きぬける中を早足で歩いていると、なんだかほんとにもう冬なのねってかんじで、「木枯らし」という単語が頭をよぎり、なんだかしらんが急に「失恋がしたい」と思った。こういう陽気の頃には、コートの襟を立て涙を隠して、ブーツの足音も高らかに早足で歩くなんつうのがいいでしょう。今現在、これをやるのにはいろいろ問題がある(失恋する相手がいない。襟を立てるようなコートを持っていない。ブーツもない)ので、残念ですが。
 
 そういえば、最近「独り言」が流行っているのでしょうか?友人が全く別の場所で立て続けに「トイレの個室で独りで怒ってる人」を目撃というか見えないだけに怖いですが、ともかく便器壊さんばかりに「ちくしょー!」てなかんじにお怒りだったようで、その話を聞いたちょっと前に、私が夜の11時ごろ駅に向かって歩いていたら、前方からブツブツ言っている女性が歩いていて、てっきり電話しているのかと思ってたら、ただ独りで怒ってました。半ベそ状態で「ったく、なんだよ、ばかやろー・・・・」とかなりお怒りのご様子。酔っ払っているふうでもなかった。多分、彼氏に突然別れを言い渡されて動転して周りが見えていないのだと思ったが。

 もしかしたら、私の知らない間に、もう若い子の頭の中に携帯電話のチップが埋め込まれていて、気合入れてブツブツ言うと友達の脳に直接メッセージが送れるようになっているのかもしれませんが・・・・

 そんな波乱に満ちた世の中で、現在私の回転のとろい頭を悩ましているのは「どうやら、4次元立方体の開きは4色あれば色が隣合わずに縫えるらしい。でも、果たしてちゃんとそうできるのだろうか?」という、かなり浮世離れしたものだったりするので、もうちょっと現実的に「念力でフロリダの開票結果をひっくり返せないもんかなあ」と頭を悩ませようかなと・・・・



11月7日

 今日は上司もお休みだし、社長は出張と思いきや、昼過ぎにやってきてびっくらしたが、すぐに行ってしまった。静かにチマチマ仕事する。
 パキラの葉っぱがまた黄色くなってきて、「社内でひっそりと落葉を楽しむ会」をひとりで結成していたのに、「あら、黄色くなってるわ」と切られてしまった。苦笑い。私の小さな楽しみが・・・・

 今日もチマチマ裁縫。昨日、おとといはBGMにミニマルなテクノを選んでいたが、それにも飽いたので、「ギター系にしよう」と、そこらへんに放置してあったスミスのベスト盤(Louder Than Bombs。ところで広報部のQ&Aに「スミスはお好きですか?」との質問書いたのは私ではありませんが誰ですか?)かけながらやってみたが、どうもなんか、似合いすぎで、「女工哀史」な気分になってきた。針仕事とスミスは相性が良すぎるようである。マンチェ系でも、もうちっと景気のいいのにしようと、棚をあさって、「プライマル(すくりーむ)でもないしなあ・・・・」と、ふと、808ステイトを発見。通称「やおや」(笑)
 
 関係ないけど、一時期「303号室」が流行した。テクノ専門雑誌LOUD編集部も303号室だったし、友人のDJも303号室に住んでいた。303号室だとなんだかカッコよかった。ビキビキビキって感じかね。(トランス&アシッド系の音に欠かせなかった名機303を使用した代表的な音色)前に友達が私のうちに復刻もの101を置いていって、半年くらい放置されていたが、うちに遊びに来た男の子は皆「うわあ、なんでこんなもんが!なっつかしい!」と、いじり回しておりました。

 閑話休題で808。いやあ、久々に聴いたけど、やっぱいいわ。10年前かあ・・・・懐かしいねえ。と、「やはりテクノの90年ものは味わいがある」と、ついでになぜか売り払われずに(つうか売れねえからか)秘蔵してあったADAMSKIを発掘。自分で埋めて自分で掘り返そう運動推進中。
 これは、またチープで、昔、坂本龍一が作った「失笑ものハウス」をパロったとしか思えないようなチープなピアノ旋律が泣くほど懐かしい。(坂本龍一のストリート系に対する勘の無さはかなり笑えた。本人けっこうそういうのやりたがってた時期があったのにね。その後、テイトウワや富家哲などを巻き込んでやってみたらかなり気が済んだようでよかった。私も武道館にトミイエ君目当てに行ってみて「坂本と楽しそうにピアノ連弾するトミイエ君」が観られてよかった。何年前だ)

 ここんとこ、家にいるとパソコンに向かっているか、本読んでるか、テレビ観てるかで、あまり集中して音楽聴いてなかったんだけど、お裁縫は音楽鑑賞に適した余暇の過ごし方であることよ。冬になったら編み物にしようかな(もう冬か・・・)

 久しぶりに母から電話。明日、桜新町で昼食会だそうで・・・・「私、明日はスポーツクラブだから夜はいないよ」
 母が掃除のパートで働いている某メーカー研究所にいる「妙な人々」の話などを拝聴する。
 社員の男性とエレベータに乗り合わせ、昼食時だったので「一階でいいですか?」相手は無言。一階に着いたので、その社員を先に降ろそうとしたら・・・・壁に向かってへたり込んで丸くなってしまったそうだ。その人はいつもそんならしい。そんなんでちゃんと仕事できているのか疑問だが、「何かきっと研究に欠かせない特別な才能があるんだろうね」そういう人が多いようで・・・・



11月6日

 我ながら充実した3連休を過ごしたためか、たっぷり寝ていたのが効いたのか、いつもよりは苦痛でなかった月曜日。
 仕事も程よく溜まっていて、適度に忙しくて、請求書をせっせとプリントアウトしたり、訂正したり、FAXしたり、送付状書いたり、宛名書いたり・・・ところで、このOA化の進む中で、「手書き」ってほとんどしなくなりました。今の仕事でも、この請求書の郵送やグループ内の場合は社内便で送るので、相手先名だけですが、それくらいしか手書き作業がない。

 なので、毎月思うのだが、「うわ、字が下手になっている!」そして、めげずに一生懸命丁寧に何通か書いているとやっと「なんとなくコツが戻ってきた」と思えてくるともう終了。なので、字は下手になっていく一方のようです。ほんとは宛名書きはパートの人に頼んでもいいし、彼女もそういう仕事頼むと喜ぶのはわかっているのですが、せめて一月に一回くらいは「真面目に手書き」しないと、心配なんで人には任せられん。

 「貝塚の考古学」(鈴木公雄 著:東京大学出版局。これしか図書館で「貝塚」がタイトルになっている本を発見できなかった)を読んでいて、謎が解明した。(謎:貝塚を作った人達は、貝をどうやって食べていたのだどうか?生?焼いて?)

 そうかあ、縄文土器は飾りじゃなくて実用品だったんだもんねえ。忘れてました。ははっはは〜(笑ってごまかす)
 茹でて食べてたみたいですね。なぜなら「貝をこじ開けた跡の無い貝殻が発掘される。ということは生ではなく、茹でて開いたものも食べていたということである」そうで、あと、昆布も採れたわけだし、魚醤も作っていたとなると、「土鍋に昆布に醤油・・・・あとはあとは、酒さえあれば、かなり豪華な鍋になるのでは!」(お酒は飲むのではなくて、鍋の中に入れる用。もちろん飲んでもよし)

 カキもハマグリもけっこう食べてたみたいだし、シジミもアサリもあるとくれば、もう全部入れたらいいダシでるよなあ・・・・ああ、早く弥生時代になって、お米が入れられるようになれば、すごい雑炊ができる・・・・(縄文後期もけっこう農耕してたみたいだし)
 あとハマグリは、やはり貝殻を火であぶった跡のあるものが発見されているらしく「最古の焼きハマグリ」とか・・・それに醤油をかけて食ってたんでしょうねえ。まあ、海の塩気だけで食べても充分うまかっただろうなあ・・・・

 と、会社帰りにいきなり「貝塚で貝鍋大会の夢」にぼーっとなってしまいましたが、手芸店に寄ってチャコペンを購入。なにやら高校生男子が一名、店のおばさんとお話している「どう?できそう?最近は男の人でもけっこう流行ってるらしいからねえ?」「ええ、でも、ちょっとめんどくさくなってきたかも・・・・」どうやら編み物に挑戦しているらしい。カリスマ編み物先生もいるしね。

 家に帰り、男子高校生に負けてはならぬと、またチクチク裁縫。これは色の組み合わせがなかなか難しいなあ、となり合わせる色は変えたいし・・・・4色あるから大丈夫か・・・・あ、でも十字架になるところは4枚接ぐことになるんだよな・・・計画建ててからやったほうがいいんだろうけど、めんどくさいからテキトーにやってみよう!
 だって、下手に図面書いて色の計画建てても、これっていったいどこを縫っているのかわけわかんなくなるから、そんなことして気合をそぐよりも、ひたすらがむしゃらに縫っていたほうが、なんとか完成まで漕ぎ着けるような気がするという、ズボラなのに綿密な作戦なのだ!



11月5日(日)

 あっという間に3連休も最終日。今日こそ早起きしようと思ったが、昨晩なかなか寝付けなくて、寝たのが3時ごろだったので、やっと昼頃起き上がる。天気良し。久々に薄着して外に出る。昨日は何も食べていなかったので、近所の韓国焼肉屋「満堂」でビビンバ定食を食べてから図書館へ。
 貝塚関係の本などを借りて、また家に戻り、洗濯。夏物のスカートやブラウスを一挙に洗った。
 夕方になって、やっと部屋が片付いたので、フリース作品に挑戦。スポンジの厚みが4センチだったので、8×8センチに切って、それを2個重ねて8センチ辺の立方体にすることにした。さっそくフリースに8×8センチの線を引こうと思ったが「あ、チャコがないや」そんなもん使わなかったから家になかった。買いにいくのもめんどくさいから鉛筆で代用。正方形に切った生地をひたすら縫いあわせる。
 
 地味な作業だ。これは、ミニマルな音楽が合うだろうと、ダレン・エマーソンのミックスCD(2枚組み)をかけると、なるほど音にも集中できていいかんじ。結局、2時間かかって立方体を完成させた。なかなか丸っこくてかわいい。(写真が載せられないのが残念だ)こんな子供向けのおもちゃあったよなと思うが、(布でできたサイコロとか、たしか中に鈴が入っていて転がすと音がした)手作りのややブサイクでナチュラルな歪み(笑)が微妙な味わいを醸し出しているではないかと自画自賛。
 よし、これで感じはつかんだ。四次元立方体を作り上げるのにはかなり時間がかかりそうだが、技術的には難しくはないということがわかった。ついでに、シーチング生地をテキトウに切って、アンモナイトっぽく縫いあわせてみた。なるほど、普通に裁断しただけだとどうしても中心に向けてシワになってしまうので、そこにタッグをとれば、きれいに丸まるかもしれない。布を無駄にするつもりで気合でグシグシ縫えばなんとかなりそうだ。どうせメーター580円。だめだったらまた買いに行くさ!(おおざっぱな性格が出るなあ)

 しかし、2時間も夢中で手縫いしていたので、目が疲れた。実は肘も痛い。これは多分、オカダヤで買い出ししたときに布を抱えていたからだろう。踊りのせいではないと思うが・・・
 でも、ちまちま縫っていると、肩が凝りそうなので、ときどきBGMに合わせて腕をぶるんぶるんして踊ってみたりした。

 そういえば、私はあまり親しくなかったのだが、昔のテクノ仲間が現在、某ギャル箱でパラパラDJとして名を成しているらしい。そのため、彼がDJする日は割り引き料金(無料にしろよ!)で入れるらしく、「モノホンのパラパラを見学に行こう」と一部で盛り上がっていて、私もちょっと行ってみたいかも。

 ロンドンから帰ってきたばかりの友人から聞いた「最新ロンドン、アンダーグランド事情(笑)」
 いろいろクラブには行ったようだが、彼がどうしても行きたかったらしいのが「スクワット・パーティー」
 「なにそれ?皆で一晩中スクワットするの?超ヘヴィじゃん」と私が思わず天然ボケをしてしまったが、そういや、ロンドンでは景気悪いころ「スクワット=不法占拠」が流行っていたし、80年代後半のレイブが流行する前夜には、そういう集団がいて、不定期に秘密パーティーを開いていたなんて話は伝説だが、「まだやってたの〜?」

 ずっとやってたんだか、最近また復活したのか知らないが、とにかく2000年になって好景気にわくロンドンでは、まだやっているようで、しかも「毎週」やってるんだそうだ。
 場所は毎回違う。(不法侵入だから当たり前か)それも、当日の夜に「パーティーホットライン」の電話番号が開通し、そこに電話してはじめて場所がわかるという、さすが「スパイの国、英国」な風情があるが、情報誌などには決して載らない違法パーティーなのに、毎回数千人集まるらしく、場所広大でフロアもたくさんあるらしい。放置された工場跡や研究所跡などに忍びこむようなのである。しかも、誰でもDJしていいらしく、DJブースにはDJ志願が行列するとか。なので、「ショバ代無料。DJのギャラも不要。機材代のみ」で殆ど経費かからにのに、大量の客が来るため、入場料も1000円くらいとバカ安らしい。
 しかし、当局ももちろんそんなもん見逃すわけもなく、友人が行った日に「警察いっぱい来ちゃってさあ。パトカーがずらーっと並んでて怖かったよ〜」とやむなく中止。しかし、彼を案内したロンドン在住の人によると「こんなことはじめて」だそうで、今までよくやれていたなと感心。
 でも、よくそんなに場所があったよな。100人くらいのプライベートならともかく、数千人収容できるところで毎週場所替えるなんて東京では考えられない。ロンドンにはそれだけ、「空き工場や倉庫」が多いということなんだろうか?
 しかし、当然、水回りなどはなくて、トイレはその辺で適当にで、「来るときには身ひとつで来るように」といわれるほど、ひどい有り様になるらしい。入り口の門などは破壊しちゃうわけだし。友人が行ったところは、「門の鉄格子が、アニメで怪力の人が脱獄した後みたいに曲がってて、その隙間から入場した」ということで、そういうのを楽しいと思うか、バカバカしいと思うか、けしからんと思うかは人それぞれだろうね。



11月4日(土)

 朝7時に、かみちゃんの車でなぜかタマちゃんの運転(8月免許取得したばかり)で送られて帰った。
 ひざびさに会ったタマちゃんだったが、「前に比べると黒くなった」と評判(笑)。どれどれと話しを聞いてみると、たしかに以前に比べると、やや物言いがキツくなったが、「一般の普通の人」に比べると別にたいしたことはない。
 「タマちゃんが黒くなったのではなくて、元々灰色だったのだが、回りが真っ黒だったので、皆、白いと誤解していたのでは?それで最近は、まわりが白くなってきたので、なにやら黒く見えるとか?」
 
 そもそも「黒い/白い」という言い方も抽象的であるが、でもタマちゃん、昔は人の話を「うん、うん、そうだね〜」と一生懸命うなずきながら聞く人で、その雰囲気が「なんだか人間じゃないみたいで、どっちかというとペットみたいな感じなんだけど、犬猫ではなくて、でも爬虫類でもなくてなんなんだろう?」と思っていたところ、そういう「人物判断」でときどき「超するどい」ことを言うY氏が「タマちゃんは、宇宙人なんですよね。ときどき一般人の振りをして混じっているらしいから」とすごいことを言って、私などは爆笑してしまったが、当のタマちゃんはこれといって反論もしない。「ふ〜ん?」おいおい、図星なんで困ってるのか?とか突っ込んで皆で笑っていたら、「ふふふ」と笑っていたが・・・・

 あのころのタマちゃんには、人の脳波をα波にするなにかを持っていて、恵比寿のガーデンホールでのオールナイトのイベントで、絨毯敷のロビーがアンビエントスペースになっていたので、皆寝転がっていた。タマちゃんもそこで大の字に転がっていたのだが、ふと気がつくと、タマちゃんに会うのは2回目の年若の友人が、その横で丸くなって熟睡していた。その子はけっこう神経質で、普段はあまりそんなところで横になることはないし、寂しがりやなので周りに親しい人がいないと落ち着かないようなタイプなのに・・・・・さすがタマちゃん。やはり人間ではないのかもしれない。やっぱET?と二人の寝顔を観察しながら思ったものである。

 そのタマちゃんも、もう28歳だそうで、「う〜ん、やはり大人になると汚れてしまうのだねえ」と納得。タマちゃんにだけ「無垢の魂」を求めるのも酷というものであろう。それにしても、かみちゃんにしろ、タマちゃんにしろ、新潟県人はなんかマイペースでおっとりしていて、あまり自己主張強くないけどちゃんと存在感があって、なんかいいな〜と思う。癒し系なんだよな(笑)
 私の祖父も新潟出身であるが、別にそういう感じではないし、他の親戚にあまり会ったことがないのでよくわからないが。

 さて、朝方、日記を書いて眠り、昼には強制的に起きてみて、一応目が覚めたので、「さて、洗濯かな。図書館にも行かなくちゃ」と思っていたのだが、なんか体がだるくて、夕方までマンガ読んだり、フリーセルやって無為に過ごす。5時になって薄暗くなってきたらまた眠気につかまり、そのまま布団に入ったらすっと眠れて、目が覚めたら夜の10時。はあ、ダメだこりゃ。予告通りに寝潰してしまった。だから私は言ったことはやる!(威張ってどうする)



11月3日(文化の日)

 文化の日だ。というわけで、文化とは関係ないかもしれないが、「手芸の殿堂」吉祥寺のユザワヤに行く。行こうと思って支度していたら、かみちゃんから電話。
 「仕事片付いたから、今日のインダストリアルに行こうよ」

 夜に別件でかみちゃんちに友達が2名ほど来るらしいので、「ぢゃあ、買い物終わったら、かみちゃんちに行くよ。そんで一緒に渋谷に行こう」と、今週末はおっとりと過ごすつもりだったが、なんか忙しいぞ。
 そして3時過ぎにはユザワヤに到着。最初、立方体のスポンジを探すが、平べったいクッションの中身しかなくて、「ううむ。またハンズに行かねばならないのか?」と思いつつ、生地売り場に行くと、やはりフリースは目立つところに売っていて、しかもバーゲン価格で幅140センチのものがメーター580円。渋目の色をみつくろい、4本かかえて「裁断カウンター」に並ぶ。腰が抜けそうだった。

 そのあと、同色の糸を物色して、あと、試し縫い用のシーチング地も買い、またクッションの中身売り場へ。よくよく考えてみれば、平べったいやつを切って組み合わせれば、立方体になるわけだしと、そいつを2枚と(なにしろ4次元立方体の開きを作るのには、3次元立方体が8個も必要なのだ)、あとアンモナイト用に手芸用のわたも二つほど。
 合計で7000円くらいの出費。はてさて、これだけ投資して、どんなものができるやら・・・・ミシンないから手縫いだしな。(10年前に帽子に夢中になり、学校に通ったが、そのとき以来、裾直しとかボタン付け以外に裁縫道具を手にすることは皆無であった)

 さて、それまで昼に起きてから何も食べていなかったので、くたびれ果てて、マックで食事して、「う〜ん、かみちゃんちに直行するにはこの荷物・・・・」紙袋3つ。重さはそれほどでもないが、人込みでかさばってしょうがない。まだ6時にもなってなかったし、一旦家までもどった。

 そしてバスでかみちゃん宅。すでに、たまちゃんとエミちゃんがくつろいでいた。二人とも久しぶり。そしたらまた、マガラさんも来るというので待っていたら、なぜか村上くんまできた。村上くんは相変わらず、とっても痩せていて、とっても色が白くて「不健康」というのを形にしたら、こういうものですという見本のようだった。
 6人でデニーズで食事をしていると、マガラさんの携帯に「呼び出し」が・・・せっかく岡山から来た恩田くんがDJしてるのに皆来てないから寂しがってるぞ〜とのこと。

 慌てて渋谷に向かう。今夜は遊ばないつもりだった、たまちゃんとエミちゃんも結果的に終電がなくなり引きずりこまれた。
 中に入ると、やはり久しぶりにミカちゃんに会う。元気そう。今週も先週に引き続き「めったに会わない人に会う」になってしまった。ミッティご夫妻までいたし。なんだか同窓会のよう。

 フロアで踊っていたら、またタカミに会い、先週会ったばかりだったのでちょっと気まずかったが「タカミがさあ、あんまり来ないと石になっちゃうっていうから、それが心配でまた来ちゃったのよ」といい訳すると、「そうっすね。来ないとい石になっちゃうけど、あんまり来すぎてもダメになっちゃいますよ」と、しごく真っ当なことを言われる。そのと〜りよね〜。あんた若いくせ(23歳)に、よくわかってんじゃない。

 結局、店に1時ごろ入り、朝の6時半までいた。
 こんなにダラダラとクラブに居残ったのも久しぶりだ。

 Q-Hey氏の彼女のカナちゃんとも話しをした。「あたし、Qさんと同じ年なんだあ」「え?もっと若いかと思った。自分と同じくらいかと・・・・」
 かなちゃん(24歳)は、たいへんいい子である。おね〜さん、そういうセリフに弱いんで、気に入りました。
 Qさんに「私もカナちゃんみたいに、超ミニに赤いブーツという格好してみたいよ」と言ったら「い〜んじゃな〜い?」「なに、その投げやりな返事は!あんたきっと『でもおれの見えないところでやってね』とか思ってるでしょ!!!」

 と、かみついたりして遊んだ。
 はあ・・・夜なべして、クッション作るつもりが、夜通し踊ってしまってダメダメだったのであった。
 ああ、せっかく天気いいのに寝潰してしまいそうでこわい。

 週末にはアップしようと思ってた話を今載せておこう。軽いのと重いの
 なんかね、書いてるとね、自分ってつくづくイジワルだなあと反省。



11月2日(木)

 どんどん寒くなるが、私の貧しいワードローブは季節の移り変わりに完全不対応で、毎朝「何着ればいいんだ?」と悩ましいひとときを送っていて、なんとかしなくてはと思い、ここんとこ暇なときにマメに服屋さんを覗いていたが、あまり食指は動かず、何着か試着してみても、帯に短したすきに長しで、また標準体型ではない恨みが噴出していた今日このごろ、今日も帰りにTSUTAYAの下の服屋街で物色。
 なんとか、サイズの合うスカートを発見したら、ちょっと機嫌がよくなり「これの上に着られるものを買えばいいのだ」と上着も数着ためしてみているうちに、「そうだ、せっかくスカートが気に入ったのだから、これと同じものを色違いで買おう」ということになり、だんだん抱えている服が多くなってきて、普通ならここで「いらないものをけずる」作業をしなくてはならないのだが、「も〜いいや、たいした金額ではないだろう。めったにこういう投げやりな気分にならないから、全部買っちゃえ!」と総額もわからないままレジに持ち込む。どうせ支払いはカードだし。

 スカート2着に、カーディガン2着と、ブラウス2着に薄手のセーター2着で計8店。総額約28000円。私としては散財だが、最後に服を買ったのがいつなのか思い出せないくらい、めったに洋服買わないので、3月分と考えれば、バカみたいに安い。
 これで来週から会社に行く服のローテーションで悩まなくて済む。いいかげん、夏物の薄手のスカートはしまおう。

 そして、洋服買いでラリッてしまったので、今日もトイレットペーパーを買うのを忘れた。

 家に帰って、着せ替えごっこ。ああ、そうだ、靴もそろそろ買わないといけないのだった。寿命が近いのだ。あ〜もう買い物やだ。でも通販で間に合うような体型でも足型でもないのである。大富豪の嫁になったら、服屋と靴屋には勝手に毎シーズン作ってもらおっと。

 でも、服には興味なくても、キムチにはとても興味があるので、また上野にキムチ買い出しに行こうかと計画中である。
 あと、フリース生地ね。今週の課題買い物メモ。
 今日は張り切って、銀行でお金も下ろしてきたし。ついでにカード決済用の口座にお金を移しに、ちょっと離れた銀行(みっひーちゃんの銀行)まで行く途中の駐車場で、セイタカアワダチソウが猛威を振るっているのを確認。やはり千葉だけではなくて、神奈川でも健在だったのだ。世田谷あたりで見かけないのは、そういう「放置された空き地」が無いからなのか?

 なんかここんとこ外出が多いので、預金残高が少ない。今週来週は、「無料の楽しみ」に興じようと画策していたのだが、かみちゃんから電話があって「行かない?」とまた夜遊びのお誘いが・・・・誘われるとまたついフラフラと・・・



11月1日(水)

 いつの間にか、表紙のカウンターが1万台になっていました。
 毎日読んでくださる方々、ごくろうさまでございます。こういうのって、やはり癖というか習慣になっちゃうんでしょうね。私も毎日読んでいる人様の日記がありますが、別に特に何が面白いってもんでもないけど、「そうかあ、今日は元気がないのねえ」とか「今日は怒っているのねえ」とか「あ、なんか調子に乗っている」とか思いながら読んでいますが、私の日記もきっとそのようにダラダラと読まれているものと思われます。

 先日、会社のある部署の部長が、そこの部署で作っているサイトが「最近やっと順調になってきて、月に1000アクセスくらいになった。もっともそのうち3分の1は社内の人間が見ているのだけど」と、言っていたので「勝った!」と思いました。給料上げてくれるならリンクしてあげてもよくってよ。(傲慢)

 今年になって、Eコマース系ベンチャーで働いていて、なにかと憶えることが多くて大変な友人(FTPってどうやるの?というメールが来た。その彼女がサーバの設定などをやらされているらしく、毎日が勉強だそうだ)が、そこの部門の収益がイマイチなので、小銭かせぎにバナー広告を貰いに行った話を聞いたのですが、
 「ミヤノさんも、広告入れればいいのに」
と、言われ、
 「やだあ、そんなの、めんどくさ〜」と答えたら、「簡単だよ」とのこと。でも、詳しく聞いてみたら、大した金にはなりそうにもなくて、そんな昼ご飯も食べられないような小銭でバナーなんて貼ってられるかと思った。めんどくさ〜

 そもそも、こんな個人的な愚痴を垂れ流して、かなりストレス解消しているので「カラオケボックスよりも安価で手早いストレス発散」だと思っているので、バナー広告貼るっていう発想は、
 「こんなにカラオケで唄っているのだから、道行く人にもこの歌を聴かせてあげよう。そして私の歌が気に入ったら投げ銭してもらおう」
 と、外部スピーカーで垂れ流すような所業だと思うのですが・・・・

 小金を溜めたくなったら酒断ちすればよろしい。
 だいたい小金には困っていないのですよ。実はまだ貯金もあるのですが(過去に地道に貯蓄した名残)、ここんとこ全く貯蓄するゆとりがないので、使えない貧乏性なだけで、小金を稼いでも「将来のため。またいつ失業するかわからないし」と溜め込んでしまうのが、よ〜〜〜〜く、わかっているので、いいんです。

 ときどき、「世の中の人が全員私のクローンなら、かなり住みやすい世界になるだろう」と思いますが(酒飲んでも暴れないで寝るだけだし、環境には優しい貧乏性だし)、間違いなくまず1年以内に資本主義経済は破綻して、世界的な大恐慌になってしまうので、やめたほうがいいと思います。(古い家電製品をだましだまし使ってしまうし、携帯電話も持っていないし、ディスニーランドも行ったことないし、シーズンごとに新しい洋服も買わないし、家は借りて住めばいいと思っているし、忙しい仕事で高給を貰うより、暇な仕事で週末は寝て過ごすほうがいいと思っているし)

 そういえば、反応が遅いですが、1000年生きるとどうなるのかなあと、ふと思った。
 先週末に、小学4年のときからの付き合いで、今でも年に2回以上会う友人の中では「最古の友人」と会ったのですが、彼女とはすでに「約四半世紀の付き合い」になっているわけです。25年前だよ二人が会ったのは・・・・あっという間に「半世紀の付き合い」になりそうで、空恐ろしいものがありますが、寿命が千年になると、
 「ケイちゃんと知合ってから、750年だね」
とか、しみじみ語り合うのでしょうか?なんか想い出話を語るにも「暗算能力」が重要になりそうです。

 今でも、昔話をするときに「あれは何年前だったけ?」「私が浦安に住んでたときじゃない?」「じゃあ、7年前くらい?」とか「あのころ仲良かった友達は大学時代の友達だから10年前かあ」などと、年数を確認するのに色々と周辺情報を思い出さないとならないのに、それが500年前なのか300年前なのか、どうやって思い出せばいいのか・・・・

 1000年つうと、今から1000年前のファッションは十二単ですかい。
 「あんとき付合ってた男と別れたけど、何年前だったけ?」
 「たしか、『お前の十二単の色の重ね方は変だ』って言われて、ムカツいて別れたって言ってなかった?」
 「そうかも、だったら平安時代かあ・・・・あんときの男は歌ばっか詠んでたよねえ」
 「そういや、あのころ、返歌代筆させてた女房にこの間ばったり渋谷で会ってさあ、全身プラダだったよ」
 「へえ、時代も変わるもんだねえ。今なんの仕事してるって?」
 「なんか、ラブレターの翻訳ソフトの開発してるって」
 「へえ、時代が変わっても、同じなんだねえ」

 う〜む。そういえば、友達があるとき真顔で「私がこの先長生きしても、あまりいいことないと思う。なので寿命はあと10年で40歳くらいでいいから、そのかわりに今3000万円欲しい」と言って「やめてよ〜、その考えコワイよ〜」と言ったことがありますが・・・・彼女はホントに寿命が売買できる世の中になったら、売ってしまうのだろうか?
 売らないと思うけど・・・・顔がマジだったんでホントに怖かった。
 



 
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