パリ土産とヒロシマ土産

エッフェル塔は、当時のプロシアに対して経済的に対抗していくために計画された万国博覧会を画期的にするための構想として、ギュスタブ・エッフェルによって設計されました。石に代る材料として鉄で建造される塔は、産業のシンボルとして採用され、完成した1889年から100年以上の年月を経て、フランスの文化的な遺産の一つとして存在しています。

 

左:シャイヨー宮から見たエッフェル塔  右:ギュスタブ・エッフェルの像

エッフェル塔はアメリカ人にとっても憧れの存在であり、文化人類学者の能登路雅子は、『ディズニーランドという聖地』(岩波新書 1990年)の中で、アメリカのディズニーランドがオープンするときにエッフェル塔がひきあいに出されたことを紹介しています。「今日、ここにお集まりの方々は、ディズニーランドのオープンの席に自分が居合わせたことを、エッフェル塔の落成式に出席した人々と同様、いつの日か誇りにおもうでしょう」と司会者が言ったそうです。

一方、1958(昭和33)年に完成した東京タワーは、エッフェル塔より18メートル高く、鉄材が約半分の3,600トン、工期も18ヶ月で約7割の期間で完成しました。そして、当時、高度成長期における日本人は、高さや設計・施工技術の点でエッフェル塔を凌駕したと思いこみました。しかし、高度情報化社会においては、モノの価値は、機能的な価値よりも、デザインやブランド・イメージなどの象徴的な価値が重要であり、存在価値において東京タワーがエッフェル塔よりも高い評価を得ることはできません。

評論家の倉田康雄は、『エッフェル塔ものがたり』(岩波新書1983年)の中で、エッフェル塔に関するユニークなエピソードを紹介しています。エッフェル塔の改修工事で減量のため不要となった鉄材を全部買い取り、エッフェル塔の鉄材である証明書付きで、おみやげ用に文鎮として高く売る、とういアイデアをジャン・カルダスという人が思いついたという話です。

私は、この話をヒントに、1997年に開催されたグリーンフェスタ’97の準備をしている時、撤去が決まっている広島大学本部跡地の被爆温室の鉄骨を広島のお土産品に加工して、被爆証明書を付けて広島みやげとして販売してはどうかと、何人かに話してみました。しかし、外から来た人間があまりふれてはいけない話題であると感じました。

 グリーンフェスタ’97開催期間中の被爆温室

この温室は、グリーンフェスタ開催の前年に半分が撤去され、開催中にオブジェとして利用された部分も、開催後に撤去されてしまいました。中国新聞が1998年4月7日の朝刊で取り上げましたが、後の祭りで、あまり話題にはならなかったようです。鉄骨は、開発を妨げる老朽化した建築物から出た廃材として、附加価値を生まずに処理されたことでしょう。

私は、「不謹慎」と言われるかもしれませんが、今でも「あの鉄骨が残っていたら一儲けできたかな?」と、思うことがあります。 英国から輸入し、1908(明治41)年に設置され、戦艦「長門」や世界最大の戦艦「大和」の建造にも携わったと言われる呉のクレーンが解体されるという話を聞いたときも、「一儲け」が頭をよぎりました。