走り続ける被爆車両

広島電鉄は1912(大正元)年に開業してから、90年以上の年月が立ち、市民の身近な足として欠くことのできない存在になっています。広島に原爆が落ちた後も、懸命の努力によって3日後には己斐−西天満間で運行を再開しました。電車に乗るために人々が列をつくる写真が残されています。

国内初の路面電車は1895(明治28)年に京都で開業しました。最盛期の1956(昭和31)年ころ、全国の67都市で計83業者が路面電車を運行していたと言われます。その後、1960年代(昭和40年代)のモータリゼーションによって、多くの路面電車が姿を消しました。広島の路面電車も廃止論が高まり、存続の危機をむかえました。しかし最近では、「環境や高齢者に優しい路面電車」として見直されています。欧米でも再評価の機運が高まり、路面電車が復活する都市もあります。

現在、広島の路面電車は、「動く電車の博物館」または「動く交通博物館」とも称されています。大正ロマン漂う100形復元車両、京都や大阪、神戸、福岡などで活躍していた車両など、いろいろな車両に出会えることも広島の魅力の一つです。200両余りが走り、年間4,000万人を超える利用者は日本一です。広島駅、横川駅、宇品、江波、そして厳島神社のある宮島への渡り口である宮島口を結ぶ35.1キロの営業距離を誇っています。

ユニバーサルデザインに配慮したドイツのシーメンス製の超低床車「グリーンムーバー」が1999年から運行しています。床の高さが33センチで、ホームとの段差がほとんどなく、お年寄りにも講評です。

私は、運転手さんが目の不自由な方の手を引いて、プラットホームに降りるのを手伝う姿を見たことがありますが、市民が助け合って広島を復興させたのでしょう。今でも原爆で被爆した650形路面車両が走りつづけていることには驚かされました。1942(昭和17)年に製造された651から654までの4台です。651号は1946年3月に復旧され、広島市民の足として広島の復興を支えました。広島電鉄に電話すると、被爆車両が何時にどの駅を通るか親切に教えてくれました。

 広電652号