【'05年3月某日】

生きては苦界、死しては浄閑寺

 懐かしかったですね。三ノ輪にある浄閑寺。私の家(佐野)の菩提寺なんですね。父親が亡くなった時点でお墓は八王子になりましたが。

 浄閑寺には法事やお彼岸などなどで、小さい頃からよく訪れました。当時から、ただならぬお寺ということはなんとなく認識してました。だって、吉原遊女の「投げ込み寺」だったんですものね。これは小学生の頃でもわかりました。わからなかったのは永井荷風。当時から、荷風という人の碑が建ってることも知ってましたが、すごくまじめで偉いツマラナイどっかの権力オヤジの文言があると思ってたら、大間違い、とんでもない愛すべき下町変わり者オヤジの永井荷風の碑だったのですね。大人になってこれを知った時から、浄閑寺がさらに好きになりましたね。

 でも当時は、浄閑寺が持つ独特の雰囲気と、お墓から見る周囲の老朽化したアパートの裏の風景(今では高層マンションが建ってますが)は、実にインパクトがありすぎで、あのウラブレた感じがなぜかとても悲しかったのです。もし今同じ風景を見たら、味があるとでもいえましょう。

 お寺の中の天井にはすごい手の込んだ彩りのよい絵がショウジの様に一枚一枚組み込まれていたけど、それも当時火事で焼けてしまい、お経で退屈しているときなんかは、眺めてると気がまぎれたのに残念だったことも思い出した。寺の前におせんべい屋さんもあったな。おばあさんがお店番して。白いおひげの住職さんは現在八十歳後半でお元気だそうで。(近所の中華料理屋の店主さんへの聞き込み)

 いろいろ記憶がよみがえってきます。その時の生活、時代が見えてくる町はやはりいいですね。しばらく下町散策にはまりそうです。


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