【'99年10月某日】

歳三な一日

 多摩のバラガキと言えば、新撰組の土方歳三。
 アタシも八王子千人同心のおヒイ?(自称)なわけだから、たかが150年前か位に歳三が、クスリ屋・石田散薬の行商で、わが生まれ育った八王子は千人町に足を踏み入れたとなると、ただ事ではない。ましてや司馬遼の「燃えよ剣」によると、歳三は八王子へはもっぱら「夜這い」に来てたそうな・・。千人町の寺の娘とかの布団に忍び込んで・・・、足の親指をそっと持ちあげて股を開くのが気づかれないとか何とか。・・・いいっすね。


 何たって歳三は、歴史上唯一のアイドル。あの男前の写真が唯一残ってて、ホントに良かったよな。


 そんなわけで、今日は歳三デ−。町田市の小島記念館から、お隣日野市の歳三生家とま わり、そして歳三が摘んで薬にしていたという「ギュウカクソウ」を、生家近くの多摩川で探索してみた。
近藤勇関連のグッズの多い小島記念館は、やはり男性がほとんど。ヤッパ、男がほれる勇。かわって歳三生家は、本当に若い女子が多かった。さすがトシゾ〜。



夏の歳三Fanは、うちみ・ねんざにきく
牛額草をつみ石田散薬を作らなければならない



女子として歴史にロマンがもてる唯一の人物「歳三」関連の本を読むと、けっこう寝しなもリラックス。ウフ。

アタシのパパ(故人)の本棚にも、歳三関連の本が・・・。
『激録・新撰組』は、昭和52年に発行されたコアな本。
『東スポ』から出ている本とは意外に意外。

〜番外編〜
 秋もめっきり深まった10月下旬、中心市街地商業等活性化基本計画、TMOの勉強のために訪れたのが、福島県、会津若松市。ここは、マイ・アイドル歳三も戦った地。
 多摩から良くここまで来たと八王子のオネーサンも感無量。
 会津若松・鶴ケ城に陳列されてある「近藤勇の落書き」が今まで見た新撰組資料の中で一番リアリティ−って言うか、素顔の部分がかいま見えたって感じで、良かったっス。
 てなわけで翌日、残りのわずかな自由時間は、近藤勇の墓〜白虎隊資料館にいこうとタクシ−に乗りました。おみやげを買わなくてはと、地元の人にリサ−チして駆け込んだ『太郎庵』。ウマゲな「チ−ズまんじゅう」をゲット。すると、小腹がすいてきました。


 早速運転手さんに旨いラ−メン屋を案内してもらいました。「店は汚いけど、喜多方の人もわざわざ食べに来るよ」(ナマリ有)。というわけでナヌカマチ駅近くの三春軒。運転手さんと一緒にズ−ッ、ズ−ッ。
 ガバンの缶コショウではなく、エスビ−の缶コショウが良かった。
「ウマかったっす。じゃあ、運転手さん近藤勇の墓へお願いします」
「もう時間ないよ」
「エ〜ッ、ホントっすか」
って感じで、一番目的の勇の墓には行けずじまい。トホホ。
ラ−メンすすってる場合じゃなかった。
運転手さんとかけ足で白虎隊の飯盛山へいって、帰途につきましたとさ。パチパチ。「近藤勇の墓には髪の毛しかないって言うよ。アソコに行ってくれって言った人は初めてだよ(ナマリ有)」by運転手。



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