三鷹寮周辺新川の散策   2011年11月  辰  紘

 三鷹寮出身者との会合で時折訊かれる話だが、三鷹寮はどうなった、未だあるのか?
 次の質問は周りは随分変わったろうな?

 三鷹寮は東京大学国際学生宿舎と名前を変えたが昔の地に健在である。3階建てコンクリート打ちっぱなしの居住棟が6棟、プラス共用棟(集会場)が学生の生活の場となっている。全体で約600名、内女子が約200名、留学生が約200名、一部テューターとして大学院生が居る。

 さて
 写真を解説しながら昔の面影をたどってみたい。
    (画像をダブルクリックすれば拡大画像が表示されます)
吉祥寺通りから新川交差点を右折するあたり
新川交差点から吉祥寺通りをのぞむ。右手角の新川郵便局は昔からあっても不思議ではないが、記憶に無い。
バス停の位置、小清水肉店、カジワラ理髪店は昔からあるが、周囲の建物はすっかり変わった。バス停そばの新川湯ももう無い。
新川交差点から新川通りバス停
人見街道を少し進む
仙川に掛かる橋の脇の中華料理屋、麻雀屋;これなんと焼き鳥屋"いこい"のあった場所。因みに、カジワラ理髪店のオヤジによれば、イコイの女の子(チイチャン?)は新川交差点近くの家に嫁いでいる由。
グラウンドの端を斜めに流れて(澱んで?)いた三鷹寮のセーヌ川、仙川は、見事に改造されてきれいな水が流れている。多摩川からポンプで送り込んだ水を流しているらしい。
人見街道の標識、新川交差点方向
消防署から農協前バス停更には三鷹寮入り口通りへ
ここを左折すると、愈々三鷹寮へのアクセス道路。山口さん(山ちゃん)運転のガタピシのバスが出入りした細い道は完全に舗装されている。フィッシャー幼稚園は昔のまま健在である。あの当時、幾人もの寮生がほのかに憧れた保母さんはもう居ないだろうが。
突き当たりの巨大なイチョウ2本は三鷹寮の入り口。大きくなりすぎて上半分が切り取られている。右手奥には門番小屋のごとき山口さんの家が有った。
ここから向こうは三鷹市の農業公園となっていて、農協の野菜、植木などの売店がある。
農業公園から東八道路越しに三鷹寮居住棟を遠望
農業公園脇から寮入り口のイチョウ
農業公園と東八道路:
寮の敷地の3分の1近く、主にグラウンド跡は売却された。これの代金が新寮建設資金に充当されたとか。反対運動を展開していた30m道路も完成。
三鷹農協の販売所建物
三鷹国際学生宿舎入り口
東八沿いの看板(自動車で走りぬけたら気がつかない)と自転車置き場。
昔の寮バスはとっくに無くて、学生はもっぱら自転車で三鷹台(吉祥寺は自転車置き場確保が難しい)に行き、京王線に乗り換えて通っている。
居住棟
東京大学三鷹国際学生宿舎の銘石
昔のままのイチョウ並木
寮敷地から東八道路方向
あのイチョウ並木は昔と変わらぬ姿を保っている。40年も経つと成長して太く高くなっているのだろうが。両側の東寮、売店、食堂の木造建物はもう影も形も無い。
銀杏並木と共用棟
テニスコート、簗瀬さんのお宅の建物があった辺りか
左側の段差は売店があった場所か?
寮敷地入り口付近
東八通り沿いには二木ゴルフも進出
隣接のテニスコート及び拙宅から臨む三鷹寮
昔の馬術部の馬場が有ったあたりは現在三鷹市営テニスコートになっている。写真左手には三鷹高校。その裏手にあった畑は住宅地として分譲された。偶々この1区画が我家になった次第。
拙宅2階ベランダからは三鷹寮の居住棟が望める。我家からは歩いて3分の至近距離である。