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表玄関は、それはもう賑わっていた。
何かイベントでも催されているかと思うほどに人が集まり、黄色い歓声が飛び交っていた。
まだ10歳の子供から、わたしと同じぐらいの年齢、17〜18の者まで一緒になって騒いでいる。
その人だかりの中心に、それは居た。
黒いスーツに黒い髪。表情は冷静なまま。
その顔もスタイルも、確かにモデル雑誌から抜け出したかのような洗練された格好だった。
「みんな、お昼はどうしたの。いまは昼食時間のはずよ?」
「あ、おねえちゃん。この人がー」
「エーデルから話は聞いてるわ」
わたしは数名の者と共に、まずは、その人だかりを食堂へと誘導させた。
この建物に住まうほぼ全員、200名余りを食堂へ一度に移動させるのに5分はかかった。
が、その間も、男は冷静にこちらを見ているだけだった。

「さて」
全員を食堂に押し込め(とは言っても、多くの者が窓にへばりついてこちらを見ている)彼の方へ向き直る。
「おひさしぶりですね」
「ご無沙汰しております」
わたしの挨拶に、男は仰々しくお辞儀をした。
「あの、客室が空いていますが…」
背後にいた女の子がおずおずと提案する。
彼女はわたしより一つ下で他の子供達を面倒を良く見る娘だった。
「大丈夫よ、ちょっとその辺を散歩してくるわね」
彼女に手を振り、わたしは砂利道を歩き出す。
男も静かに歩き出す。
わたしは決して後ろを振り返らなかった。

砂利道はすぐに舗装されたアスファルトの道へと変わり、無人の寂れた街へと続いていた。
わたしも男も、無言で歩を進める。
「今日が、約束の日です」
男は静かに言葉を口にした。
「……あれからもう十年も経ったのね」
「一目でわかりました」
「貴方がわかるのは、”わたしの寿命と名前が見えない”と言う事だけでしょう?死神ハイン」
わたしの皮肉に、死神は押し黙る。
「約束は守るわ。でもその前に、質問に答えて頂戴」
「はい」
わたしも死神も、歩調は変わらない。
「デスノートを確保した後、多くの人類を殺す必要は無かったんじゃないの?デスノートの情報ぐらいじゃあ誰も殺せはしないわ」
ハインは首を振る。
「正直にお答えします。実は、全てのデスノートを回収できたわけではありません」
「夜神ライトは13冊のノートの他に、死神リュークを殺し彼のデスノートも所持していました。そのリュークのノートだけはどうしても見つからなかったのです」
彼の日記帳には書かれていない内容だった。
いや、それは当然なのかもしれない。
あの日記帳ですら、後から読んだ人間を情報操作するかのように所々ぼかした表現しかされていなかったのだから。
「じゃあ、今でも地上には一冊のデスノートが眠っているの?」
「そうです」
「でも、だからってー」
「いえ、デスノートの力は強大です。あれを使えば人間だって、人類と貴女を区別する事が可能なのですから」
死神ハインは必死だった。
いや、顔は冷静そのものだったが、口調が切羽詰ったような印象を与えた。
それもそうだろう。
死神にとっては”それ”が責務だったのだから。
「……死神の目による”観測”と、デスノートによる”保護”ね」
「おっしゃる通りです。デスノートも死神も、全ては貴女を見つけ出し保護するために神によって作られた存在なのです」
そう、これが真実だった。

かつて神がいた。
神は大地を創り、海と空を鏡映しに創り、森を創り、海に魚を、大地に動物を住まわせた。
そして最後に人類を創り上げた。
自身を模して創ったそれはしかし、ひどく欠陥だらけで神は嘆き悲しんだ。
神はいちるの望みを託して、死神とノートを創り出した。
死神に人類を監視させ、突出した能力の持ち主を保護させる。
妨害するものはノートで始末していく。
長い年月をかけて極わずかな可能性を育み、成長を見守り続ける。
そしていつの日か、その可能性が開花し、人類の中から人類に在らざる者を生み出す。
そういうシステムを神は創り上げたのだ。
しかし、数百万年という長い年月が死神の記憶を風化させ、その使命は忘却の海へと沈んでしまった。
死神たちはいつしか、死神の目とデスノートを使い、自分達が生き長らえる事しか考えなくなってしまっていた。
人間と同じように彼らもまた、欠陥だらけだったのだ。

「結局、貴女を見つけ出したのは人間……我々死神は長い怠惰の末に責務を果せませんでした」
ハインは自嘲気味にそう言った。
「しかし、最後の責務だけは全うしたい。貴女を保護し神の元へ届けるその責務を」
「………………」
彼のまなざしは真っ直ぐにわたしを捕らえている。
夜神ライトと出会ってから10年。
わたしはこの地で8歳以下の生き延びた子供たちと共に生活を営んできた。
わたしの齢も17歳。
両親の喪失を嘆きながらも、生の喜びを謳歌してきたつもりだ。
悔いが無い、と言えば嘘になるが、十分に満足はしていた。
「死神ハイン、約束は守るわ。わたしを連れて行って頂戴」
「そう申されるのを心よりお待ちしておりました」
彼は、肩膝をつき、うやうやしく頭をたれた。
「最後に一つ」
彼の背中に赤い翼が生えた。黒いスーツの上から、生地が破ける事も無く素通りしてその翼は2度3度羽ばたいた。
「この地上から離れるって事は、わたしは死ぬのかしら?」
ハインが差し出してきた手に手を重ねた。
「便宜上はそうなります」
すっと彼は立ち上がる。
「そう……」
翼がはためき、髪が踊る。
「それでは」
ふいに身体が軽くなった。
重力もさほど感じず、重ねる手に力を込める必要も無い。
わたしは宙に浮いていた。
そんな特異な体験も、わたしはとくに気にしなかった。
ただ、かすかに笑みがこぼれる。
「わたしにとっての死神は、夜神ライトだったのかも」
自分でも聞き取れないほどの小さな声で、口に出してみた。

透き通る青空が地平線の向こう側まで、ただひらすらに続いていた。

-End-

 

 

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