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六時半過ぎに帰宅した。
着替えて夕食を採りテレビを見てと言った、なんら変わらない日常。
ノートは鞄の中にしまったまま。
十二時に眠りについた。
夜中。
         ふいに目が覚めた。
         ひとけと言うか空気の揺らぎのようなものを感じ、目をあけた。
         それは、暗い部屋の中央にいた。
         天井まで届きそうな灰色の人型のシルエット。
         目が闇に慣れてくるにつれ、その形がはっきりとする。
         灰色のローブに見を包んだ大男。頭部には二本の角のような出っ張りが伸びている。
         俺はただただ驚き、恐怖で声も発する事が出来なかった。
         「お前が拾い主か?」
         大男は静かに言った。
         「……はっ……はっ」
         声は出ない。
         早鐘を打つ心臓と、乱れた呼吸だけが俺の反応だった。
         「どうした……こたえないのか」
         大男は問いかけてくる。
         心臓の動きとは反対に、全身は冷え切っていた。
         落ち着け落ち着け落ち着け。
         答えなくては……
         俺は声を振り絞った。
         「な……何の事だ?」
         「ノートだよ、デスノート。お前、学校で拾っただろう?」
         大男の喋りは、ごく普通だった。脅迫も威圧もない。
         しかしそれが逆に、恐怖をもたらしていた。
         真夜中に人の家の部屋に侵入し、ごく自然に会話するなど有り得ないのだから。
         「デスノート?」
          「そうだ」
         学校?デスノート?ノート?
         廊下で拾った未使用の黒いノートを思い出す。 
         「あ、ああ、拾ったよ。けど別に……」
         慎重に、言葉を選ばねばならなかった。
         相手を刺激せずに追い返さなくては。
         「別になんだ?」
         「別に欲しいわけじゃない。キミが持ち主なら返すよ……」
         帰ってくれ。本当は叫びたかったが、押しこらえた。
         「なんだ、要らないのか」
         しかし、帰ってきた返答は以外に気の抜けたものだった。
         「え……いや、キミのなんだろう?」
         「元は俺の所有物だが、今は拾ったお前のものだ」
         「いや……そもそも、デスノートって何だい?」
         その質問に、大男の口元が歪んだ。
         「文字通り、死のノートさ。名前をかかれた人間は死ぬ、殺しのノート」
         とんでもない事を口走る。
         「……信じろと?」
         言ってはっとした。
         キラ事件。
         一年ちょっと前から前代未聞の出来事として今でも続いている大事件だ。
         名前と顔を知れば心臓麻痺で人を殺せる。
         キラと呼ばれる存在はその力を行使して何百人何千人もの犯罪者を殺していった。
         この殺しはテレビで実際に何度もリアルタイムで報道され、雑誌も新聞もこぞって事件を取り上げた。
         日本の警察どころかアメリカのFBIまでもが、一千人以上の捜査員を派遣して事件解決に当たっているがいまだ解決の糸口さえ見つかってない。
         そのキラの、殺しの力がこのノートだと?
         「信じられないのなら、試してみればいい」
         「殺したい人間の一人や二人ぐらいいろうだろう?なあに簡単だ、名前を書くだけでいい。四十秒後には心臓麻痺で死ぬ」
         大男は気軽に言った。
         「……何が目的だ?」
     汗ばんだ手を握り締めながら、俺は大男に問う。
         「ノートの行く末を見届けるだけさ」
         頭がこんがらがっていた。
         何故こんな事が起きているんだ?
         目の前の大男は何者だ?
         このノートは何なんだ?
         俺はどうしてこんな状況に陥っているんだ?
         俺に人殺しをしろと言っているのか?
         これは夢なのか現実なのか?
         ベッドの感触と全身を伝う汗に実感はあるが、それが現実だと思えなかった。
         いや思いたくなかった。
         理解に苦しむ現実より、夢のほうが何千倍もましだ。
         大男を見上げる。
         頭部に生えた二本の角が、人間に在らざる存在を示しているようだった。
         まるで悪魔だ。思った瞬間、口に出してしまった。
         「お前は……悪魔なのか?」
         「死神だよ」
         大男は相変わらず口元をゆがめたまま佇んでいた。
 

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