
Premium Interview Series #2 Colin Gilmore by Twangup
“蛙の子は蛙”とは良く言ったものだと本当に思う。彼の歌を最初に聴いた時のことはよく覚えている。もちろん、事前にあのジミー・デイル・ギルモアの息子というのは知っていた。4曲入りのEPで、1曲目こそそれ程でもなかったが、聴くほどに(当たり前ながら)やはり父に声が似ていることを痛感したものだ。しかし、当然ながら曲まで作って貰っている訳ではもちろん無い。また一人、楽しみなミュージシャンの出現だ。以下に、2003年の9月22日、サウス・オースティンのカフェ、フリップノティックスで行ったインタヴューをお届けする。
< Click here for Original English Version > - まず、何歳になるの?。生年月日を教えてもらえるかな?。
「28で、誕生日は1975年の1月19日」
- どこの出身?。また、そこはどんな所なの?。
「コロラド州のデンヴァーで生まれたんだ。両親が、大勢の友達と、インドから来たマハラジ導師.....宗教家の話しを聞きに入ってたから、それで、デンヴァー生まれなんだ。でも、俺の家族は、西テキサスの出身だよ....ラボック(注)ってとこ」
(注)テキサス州北西地域の都市。バイブル・ベルトという特にキリスト教信仰の篤い一帯に位置する。石油と酪農の街、つまりは典型的なテキサスの街で、バディ・ホリーの故郷として知られる。
- オースティンに来たのは何時頃?どうしてここに?。
「1989年だった。親父がここに移ったし、その後、妹も姉貴もここに越したんでね。音楽やるんならオースティンはとても良いとこだよ」
- オースティンには沢山のミュージシャンが集まってるけど、どうしてだと思う?。
「オースティンは、ミュージシャンにとって常にホットな場所なんだ。色んな事がどんどん起きてる。オースティンは、テキサスのちょうど真ん中辺りにあって、ヒューストンやダラスからも近いんで、大勢のテキサスのミュージシャンが居るしね。それにラボックさ。ラボックから沢山の人達がオースティンへ逃げて来るんだ。ここは保守的なテキサスにあって、すごく自由な気風だからね。それと、オースティンは、ニューヨークにカリフォルニア、ナッシュビルとか他のとこから来る人達にとっちゃあ凄く歴史のある場所だからだと思う。その辺りの人達がここに来たがって、実際にそういう歴史に触れると仲間に入りたがるんだ。それがSXSWを始める助けにもなったと思うよ」
- 両親や兄弟について話してくれるかな?。
「親父はミュージシャン、ジミー・デイル・ギルモア(注)だよ。すごく哲学的で、本当に良い男さ。彼が父親だってのは嬉しい。いつも本当に応援してくれてて、常に誰かの真似じゃなく、自分自身のスタイルで演るように奨めてくれるんだ。お袋もまったく同じさ。お袋はシンガー....かなり良いシンガーなんだけど、プロになったことは無いんだ。時々、ラボックのクラブで、ブルースやロックン・ロールとか、カントリーも歌ってたけど、バンドに入ったり抜けたりしてる。今は、テキサスのニューディールの保安官事務所で働いてるけど、今でも音楽好きだよ....俺の家族はみんなそうだけどね。お袋方のばあちゃんは歌うし、親父方のじいちゃんもギター弾いたり歌ったりしてた」
(注)45年、西テキサスの小さな街に生まれ、ラボックで育ったテキサスを代表するシンガー・ソングライターの一人。70年代に入ると、10代の頃からの知り合いだったブッチ・ハンコックとジョー・イーリーらと音楽活動を始め、やがて、テキサス・フラットランダースと名乗る。このテキサスの伝説的なグループを経て、80年代後半からはソロで活動しており、今年は新作のリリースも予定されている。
- 小さい頃とか、10代はどんな子供だった?。
「たくさんトラブル起こしてたよ。10代の頃は悪ガキだったね(苦笑)。もう悪さばかりしてた。音楽も少しはやってたけど、やったりやめたりでさ。だけど、音楽ぐらしかまっとうにやれるような事が無かったんだ。音楽やってないとトラブルばかり起こしてたからね。音楽のおかげで救われたようなもんだ(笑)」
- 子供の頃から親父さんの演奏を聴いてたのかい?
「あぁ。小さい頃は一緒に暮らしてなかったけど、テープで聴いてた。親父がお袋と歌ってるやつ。録音してたんだ。親父は俺が6つか7つになるまで、アルバム出してなかったけど、ジョー・イーリー(注1)にブッチ・ハンコック(注2)と録音したアルバム(注3)を聴いてた。とても気に入ってて、ずいぶん影響されたと思う。それを聴いて変わったと思うね」
(注1)47年、テキサス州アマリロ出身。フラットランダースのメンバーとしてデビューし、同グループ解散後は、77年にソロとなり、以来実に16枚ものアルバムをリリースしている。イギリスのパンク・バンド、クラッシュとツアーしたこともある。
(注2)45年、ラボック生まれ。フラットランダースのメンバーとして知られるが、グループ解散後にソロとなり、アルバムも多数。他の二人に比べ、インディ・フィールドでの活動が多いが、ソングライターとしての才能は、特にシンガー・ソングライター達の間で広く知られている。
(注3)フラットランダースが72年にアナログ盤でリリースした"One More Road"もしくは、そのセッションの録音と思われる。
Colin Gilmore at SXSW2003 Colin & Jimmie Dale Gilmore
Photo by Richard Rogers
from www.jimmiegilmore.com- ミュージシャンになるって言った時、親父さんは何て言った?
「あー、本当に応援してくれたよ。親父は、いつも俺にミュージシャンになって欲しかったって。親父はプロのミュージシャンとして沢山のトラブルに遭ってきてたんで、俺にはそういう目に遭わせたくないみたいだ。マネージメントのことだとか、レコードの契約には、よく注意しろってね。親父はその手のことでトラブってたから。ずっと色々と問題があったみたいけど、今はだいたい満足してるみたいだし、俺を助けてくれてる。アルバムを作る上でも本当に力になってくれたんだ」
- 凄いシンガー・ソングライターの息子として、何かプレッシャーを感じるかい?。
「そりゃ有るけど、悪い類いのプレッシャーじゃ無いね。親父のように全て上手くやり続けるなんて大変だよ。良い感覚を保ち続けるってのは難しいんだ。自分の新しい方向性は持ちたいけど、親父と離れたくはないな。プレッシャーって何だろうかと考えると、悪いもんじゃ無いんだ。時々、どうしたもんかなって思うことは有るけどさ。今よりもっとたくさん演るようになって、たくさんの色んな人達に観てもらうようになるとね。いくらかの人は、まだ親父のことを知らないから。より多くの人が親父のことを知るようになるだろうけど、そうじゃないとね。人によっては、有名な父や母のことを隠そうとするけど、俺はそうしたく無いんだ。別のやり方で行きたいね」
- 子供の頃や10代は、どんな音楽が好きだった?。
「ロカビリーが好きだった。バディ・ホリー、エルヴィス・プレスリー、ロイ・オービソンとか、エヴァリー・ブラザース。それに、ルシンダ・ウィリアムスや、タウンズ・ヴァン・ザント(注1)みたいな人達もね。8つの頃は、マイケル・ジャクソンに夢中だったな(笑)。“スリラー”がお気に入りだったよ。イギリスのアラームっていうバンドもかなり好きだったね。10代の頃は、ほんとにパンクにハマってた。セックス・ピストルズにクラッシュさ(笑)。アルバム(注2)で、クラッシュの曲やってるんだ。姉貴がパンク好きだったんで、それでさ。その頃、自分の親が彼らと接点があるなんて知らなかったけど、後になってジョー・イーリーがクラッシュとツアーしてたことや、ピストルズの連中がジョーのことを尊敬してるって分かった。子供の頃は、ジョー・イーリーはえらくクールに見えたし(笑)、俺もあんな風になりたいと思ってたんだ(笑)。それで、どういう訳だか、自分の親もクールだと思うようになったよ(笑)」
(注1)44年、テキサス州フォートワース生まれ。97年死去。テキサスの誇るシンガー・ソングライターに敬愛されるシンガー・ソングライター。その影響は、テキサスを越えて、アメリカじゅうに及び、本人の死後も留まることが無い。
(注2)2004年1月27日に発売されたデビュー作、"The Day The World Stopped And Spun The Other Way"のこと。- 始めて弾いた楽器は何だったの?。
「4つの時に、ほんの少しだけフィドルを弾いてた。お袋がやらせようとしたんだ。そんなに長くやらなかったけど、お袋はただ聴くだけよりも弾くことを奨めたね。その後、6年生の頃に、11か12の頃に小さなオーケストラで、またヴァイオリンを弾くようになったけど、ギターの方がクールだったんでフィドル止めたんだ(笑)。ギターをやってりゃ、いつかマイケル・ジャクソンと一緒に演らせてもらえるんじゃないかと思ってたんで(笑)....フィドルじゃ駄目だろ(笑)。今じゃフィドルを上手くなりたいと思ってるんだけどね(笑)」
- ギターを弾き出した頃の話しを聞かせてくれるかな。
「習いだしたのは12の頃だったけど、いつもやったりやめたりしてたよ。長いこと弾かないこともあったしね。まともに練習したことがないんだ(笑)」
Colin Gilmore
- 幾つの頃から曲を書き始めたの?どうして曲を書くように?。
「うーん....16、7の頃にパンクロック・バンドに入ってたんで、皆で曲を、といったって、大声を張り上げて何か叫んだりするようなヤツ(笑)を書いてたな。そりゃひどいもんだったけど、それが始まりだった。そんな事してたけど、その後、俺は長いこと曲書いてなかったんだ。大学に入ってからはずっと書いてたけど、恥ずかしいようなもんだったから、ボツにしてた。でも、アイルランドに行って.....短い間にいろんなとこに行ったんだ。アイルランド、イングランド、スイスやイタリアに行って、その旅を通じて“グリーン・ヒルズ”っていう曲を書いてね。戻ってきて、親父にそれを弾いて聞かせたら気に入ってくれたんで、それで、まぁ、書き続けてみるかって思ったのさ。その後、“サンセット”(注)って曲を書いて、友達に聞かせたり、親父やジョー・イーリー、ブッチ・ハンコックにも聞かせたけど、みんなが気に入ってくれたんで、それでやってみようって気になったんだ。他の人も気に入ってくれて、初めて本物だと思うんだよ」
(注)2002年に自主制作でリリースした4曲入りのEP、"4 Of No Kind"に収録。
- 曲は、どういう風に書いてる?。ギターで?
「ギター使うけど、時々マンドリンも使うよ。マンドリンは、ギターとは形も弦も違うからね。メロディを作る時、マンドリンはギターとは違った感じになるんだ。時々、紙切れに書き出すこともある。俺の場合、曲を書くには時間がかかるね。そんなに早くは書けないんだ」
- 歌詞を書く時に何かインスパイアされるものはある?。
「.......経験からくるものだと思う。だいたいは子供の頃の思い出だけどね。ほとんど宗教的な体験というか、神と話すようなもんだよ」
- 曲を書く上で心掛けていることはあるかい?。重要だと思うこととか?。
「大切なのは、常に誠実さや事実を持っておくことだろうけど、さらにその上に何かを感じさせないといけないんだ。何らかの良い感じをね。漠然と新聞を読んでいるような感じじゃなくてね、何らかの真実を持ってないと。ほんの僅かな真実でもね。真実を理解してくれなくても、または共感してもらえても、それが俺の暮らしの中から出てきた何らかのものなんだ」
- 音楽を通して、何を表現したい?。
「グッド・フィーリング。聴いてハッピーになれるようなね。みんなを一つにするというか、音楽を通じて繋がりを感じさせるような感覚だよ」
- プロになる前、最初はどんなバンドやってたの?。さっき話してたパンク・バンドかい?
「そのパンク・バンドの前に、ロカビリー・バンドに居たんだ。マット・ザ・キャット・アンド・ガッター・ラッツ(笑)ってバンドで、ギター弾いてた。友達と、他のバンドも組もうとしたけど、ヘヴィー・メタルみたいなやつ(笑)。まぁ、それは形にならなかったな。だってそんなに速く(ギターを)弾けなかったからね(笑)」
- 最初にプロとして演奏したのは何時頃?。
「さて、プロとして....分らない(笑)。自分の名前で演奏しだして、2年ぐらいじゃないかな。スレッギルズ(注1)で、コリン・ギルモアって名前でね。そのノース・スレッギルズ.....オリジナル・スレッギルズの前は、オープン・マイクの....ただ、誰でも参加できるそういう場所に行って演るだけだった。あれを続けてもどうにもならなかっただろうね。それで、2年前からスレッギルズで演ってる。初めての晩は、ジャンゴ・ウォーカー(注2)のオープニングで演ったよ。彼が最初のスレッギルズのギグを世話してくれたんだ」
(注1)素朴な南部料理とライヴ・ミュージックで知られるオースティンの老舗レストラン。ダウンタウン北側のオリジナル店鋪と、南側の新しい“スレッギルズ・ヘッドクォーターズ”の二店鋪がある。
(注2)ニューヨーク郊外の出身ながら、70年代にテキサス州オースティンでの活動で広く知られるようになった伝説的なシンガー・ソングライターであるジェリー・ジェフ・ウォーカーの息子。2002年、デビュー・アルバム、"Down The Road"をリリースしている。- じゃあ、プロで最初のスタジオでの仕事というと?。
「それは、“フォー・オブ・ノー・カインド”を作った時だよ。よく一緒に演ってるエリックの家で、エリック・マッキニー、彼のスタジオで、ワンダーランド・スタジオっていうね。9曲入りのデモを作った直ぐ後で“フォー・オブ・ノー・カインド”を作ったんだ」
- あそこに参加してるミュージシャンは自分で選んだの?。
「ラファエル・ガイオールに、ロブ・ジアーソは、二人とも親父と一緒にやってたんで、それでもしかしたらと思って頼んでみたんだ。そんなとこだよ」
- さっきと同じような質問だけど、どんな音楽に影響受けてる?。
「さっき話したのと同じような人達だけど....ジョニー・キャッシュ、バディ・ホリー、それと、特にポーグスのシェイン・マクゴウワンだね。彼はすごく好きな一人だよ。彼の伝統的なルーツの中に、パンクや、ブルーグラス、ケイジャンといったものを取り入れるやり方が好きなんだ」
- 親父さんの音楽についてはどう思う?。
「親父をもの凄く尊敬してるよ。いつも親父をすげえなと思ってる。親父の音楽は人々に何かを感じさせるんだ。多くの色んな人達に影響を与えてる。人格者だよ。同じようになりたいと願ってるし、そこに更にまだ彼が影響されたことのないもの、俺の経験や、聴いてきた音楽によってね。俺の聴いてるものの中には、親父の聴いたことの無いものもたくさん有るんだ」
- 同じく凄いジョー・イーリーやブッチ・ハンコック、その他にも多くのテキサスのソングライターの人達は、あなたにとってどんな存在なんだろう?。影響される?。
「そんな人達は特別で、本当に精力的に活動してるし、今でもクールだ。本当に素晴らしいし、ユニークだよ。枠に囚われないんだ。人を惹きつけるものを持ってるし、それに実際やってみせるからね。だけど、あの人らにとっちゃあ、それは何でも無いことでさ。ジョー・イーリーや、ブッチ・ハンコックは今も一緒にやってるけど、二人ともそんな調子さ。何か始めると、うまい具合にやるんだ。ほとんど魔法みたいなもんだよ。人を夢中にさせるようなものを作るんだよな。ああいう人達には本当にインスパイアされるね」
- 個人的には、あなたはテキサスのシンガー・ソングライターの伝統を受け継いでいく一人だと思うんだけど、自分ではどう?。そんな風に意識したりするかい?。
「そう願うよ(笑)。頑張らないとな。だけど、昔のものにとらわれ過ぎずに、新しいものも創っていかないとね。それが目標だね」
- それじゃ、デビュー作について聞かせてくれるかい?。どれぐらい進んでるの?。
「今週はマスタリングだな。ほとんど出来てるんだ。10月か11月に出せたらいいね」
- プロデューサーは?。
「コングレスハウス・スタジオのマーク・ホールマンだよ。アニー・ディフランコや、イライザ・ギルキィソンをプロデュースしてる人さ。彼にやってもらったんだ。マークと俺とで、スクアーム・レコードっていうレーベルも立ち上げるんだ」
- どんな顔ぶれが参加してるの?。
「マークがヴォーカルとギター、ロブ・ジアーソがギター、クリス・ネルソンがベースとヴォーカル、エリック・マッキニーもヴォーカルを少しやってる。ジョン・ゴウディもいくらか歌ってくれた。オーストラリアのオードリー・オウルドも何曲かでバック・ヴォーカルをやってくれて、テリー・アレンのカヴァー曲ではデュエットもしてる。テリー・アレンの息子のブッカ・アレンもアコーディオンとキーボードを弾いてるね。ドラムは、ロブ・フーパーで、彼も昔親父のバンドで叩いてたんだ。今は、ローカルで、セス・ウォーカーと一緒に演ってるんだけどね」
- どんな音になりそうだい?。何かコンセプトとかは有るの?。
「ロックン・ロールだけど、いくらかカントリーの感じもあるんだ。それに、クラッシュの曲もやってて、パンクとかレゲエみたいなのもね。色んなスタイルでやってる」
- 録音中のちょっとしたエピソードみたいなものは有る?。
「ロブにギターケースをドラム代わりに叩いてもらったんだ。"Every Tear"って曲で、みんなで一斉に演って、いっぺんに録音した。一つの部屋で、ロブは床に座って叩き出したんだけど、マークが“うん、これでいこう”って言ってね。ちょうど何もかも上手くいったんだよ」
- 最近はどんな音楽聴いてるの?。
「シンガー・ソングライターものを沢山聴いてるよ。ジョン・プラインとか、アイリス・デメントとかね。シェイン・マクゴウワンやクラッシュも、今だによく聴いてる。ビル・チェンバースも大好きなんだ。オードリー・オウルドとか.....」
- ケイシー(・チェンバース。ビル・チェンバースの娘)もかい?。
「あぁ、そうそう。従兄弟の結婚式で、彼女の"This Flower"って曲を演ったよ」
- 日本のテキサス音楽のファンに何かメッセージをもらえるかな?。
「有難うということと、これからも聴き続けて、というところかな。応援してくれることで、みんなのために演奏し続けられるからね。」
Huge thanks to Colin Gilmore
Colin Gilmore / The Day The World Stopped And Spun The Other Way (Squirm SQR 001) 2004
テキサスの伝説的ミュージシャンを父に持つ、若きシンガー・ソングライターのデビュー作。テリー・アレンの息子ブッカによるアコーディオンに続き、歯切れの良いドラムに導かれて始るオープニング。ロブ・ジアーソのエレクトリック・ギターもトワンギーで切れ味のある演奏を聞かせる。アコーディオンをキーとして、アイルランド、テックス-メックスのフィーリングが微妙に混ざっているような曲も面白い。また、早いテンポのエッジを効かせたロックン・ロールには疾走感がある。ただ、明るい溌溂としたアレンジは、ちょっと軽めに聞こえる感じがした。先に発表したEP"4 Of No Kinds"には、そういう印象は無かったのだが、難しいものだ。プロデューサーは定評あるマーク・ホールマンだが、幾つかの曲では、要求されるものがまだ現在の彼には高過ぎたかもしれない。この辺りは好みの問題も大きいし、若者らしい初々しさが有るとも言えるのだが。
スローのテキサス・カントリー・ワルツというべき"The Beautiful Waitress"では、オーストラリアの若手有望株オードリー・オールドが参加し、コリンとデュエットしている。これなどは程よくリラックスした仕上がりで、諸々の事が上手い具合に噛み合っている。レゲエのリズムと、「楽しいことを探してるだけさ」という、クラッシュのカヴァー"White Man In Hammersmith Palais"も、普段着という感じがして好感を持った。前述のEPにも収められていた"The You That I Knew"は別ヴァージョンだが、シンプルな方向性という点は同じ。ロカビリー・テイストの"Every Tear"も、等身大の彼の姿をよく伝える。半数の曲は、どこか突き放した素っ気無さが有ったEPに近い感触あり、現時点では、そちらの方がしっくりくるように思う。期待が大きいだけに辛口になったが、眩しいほどの若さ溢れるものになったのは間違い無い。10年後に、「あの頃は....」と懐かしく振り返る1作になるのかもしれない。Twangup Will on sale at Cafe Goatee