「貞操義務」否定論

 貞操は、法定された夫婦間の義務ではない(民法第七五〇条〜第七五四条参照))。民法上、不貞行為は離婚原因になるだけであり(民法第七七〇条)、当然に法的義務違反にならない。婚姻契約において当事者間で貞操義務が定められていた場合には、不貞行為は契約違反となるわけである(これに対して、同居は法定された夫婦間の義務であるが(民法第七五二条)、当事者間の特約によって排除することができるものである)。
 婚姻契約において貞操義務が定められていない場合、不貞行為者の配偶者は、不貞行為者にも、不貞行為の相手方にも、なんら損害賠償を請求することはできない。義務がない以上、債務不履行にはならないし、貞操を要求する権利がないのであるから、権利侵害がなく、不法行為も成立しないからである。
 婚姻契約において貞操義務が定められていた場合、この義務に違反した不貞行為者に対し、その配偶者は、債務不履行の損害賠償を請求しうる(損害があることが前提となる)。しかし、この場合、不貞行為者の配偶者は、不貞行為の相手方に対して、不貞行為に荷担しないことを要求する法的権利はない。逆にいえば、不貞行為の相手方には、不貞行為者の配偶者に対してなんら債務はない。したがって、不貞行為者の配偶者は不貞行為相手方に対して債務不履行損害賠償を求めることはできない。それでは、不法行為損害賠償責任についてはどうだろうか。配偶者間に、互いに貞操を要求する契約上の権利が存在していたとして、この権利を不貞行為の相手方が侵害したとみることができるであろうか。この不法行為損害賠償責任を認めるとすると、この不貞行為者が、不貞行為の相手方とも相互貞操契約をしていた場合、配偶者間で情交があったさいには、不貞行為者の配偶者は、不貞行為の相手方に対してやはり不法行為損害賠償責任を負うという結論にならざるをえない。したがって、契約による貞操要求権を根拠として不法行為損害賠償責任を認めるのは、立法政策論的価値判断の問題として、妥当ではないと筆者は考える。そして、実定法解釈としては、特定の者に対してのみ主張できる権利について、第三者がその実行を妨げたとしても、それは「権利侵害」にあたらないのである。
 なお、不貞行為者の子も不貞行為の相手方に対して損害賠償を求めることはできない。理由は配偶者の場合と同じである。
 ところで、不貞行為の相手方が、不貞行為者が配偶者と離婚し、自分と再婚することを期待していたという場合、それはまさに一夫一婦制の婚姻秩序を前提とした考え方である。なんら婚姻秩序には反する考え方ではない。離婚そのものを否定的に捉えるのであれば、離婚を期待するのは反社会的な考え方かもしれないが、わが国の実定法には離婚を否定的に捉える根拠はないし、筆者の立法政策論価値判断によっても、離婚は一つの正当な選択として認められるべきものである。

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