作成:若杉美智子 |
西暦 | 和暦 | 年齢 | 事項 |
1913年 | 大正2年 | 誕生 | 6月9日、愛知県渥美郡福江町(現渥美町)に杉浦太平・よねの長男として生まれる。生家は雑貨商も兼ねる富裕な地主。 |
1920年 | 大正9年 | 7歳 | 渥美郡清田尋常高等小学校に入学。生まれつき心臓が悪いこともあっておとなしい頭の良い生徒だった。 |
1926年 | 大正15年 | 13歳 | 尋常科を卒業し愛知県豊橋中学校(現時習館高等学校)に入学。文学への関心を深め、文学作品を濫読、短歌を作り、回覧雑誌に参加。 |
1930年 | 昭和5年 | 17歳 | 第一高等学校文科甲類(英語)に入学。同級に伊藤律、寮では知里真志帆と同室。 |
1931年 | 昭和6年 | 18歳 | 土屋文明を訪問しアララギに入会。一高短歌会に参加し立原道造と出会う。 |
1932年 | 昭和7年 | 19歳 | 一高文芸部員となり立原道造・三井為友らと「校友会雑誌」を編集。 |
1933年 | 昭和8年 | 20歳 | 東京帝国大学文学部国文学科に入学。 |
1934年 | 昭和9年 | 21歳 | 「帝国大学新聞」の編集委員となる。扇谷正造・田宮虎彦・花森安治・岡倉古志郎・瓜生忠夫らと相知る。 |
1935年 | 昭和10年 | 22歳 | 立原道造・寺田透・猪野謙二らと同人誌「未成年」を創刊。 |
1936年 | 昭和11年 | 23歳 | 東京帝国大学大学院に入学。 |
1938年 | 昭和13年 | 25歳 | ルネサンス研究を志し東京外語学校速成科伊語に入学。 |
1939年 | 昭和14年 | 26歳 | 興亜院嘱託となる。嘱託時代に2度上海に行く。 |
1942年 | 昭和17年 | 29歳 | 日本出版文化協会に書評誌の編集長として採用される。誌名を公募し編集に着手するが、特高の反対に会い未刊に終わる。上司に南條範夫、部下に柴田錬三郎・神田隆がいた。 |
1943年 | 昭和18年 | 30歳 | ダ・ヴィンチの手記の一部を翻訳『科学について』として刊行。 国産軽銀株式会社の社史・月報編集係となる。 |
1944年 | 昭和19年 | 31歳 | 寺島美知子と結婚。 |
1945年 | 昭和20年 | 32歳 | 空襲を逃れ郷里に戻る。終戦後も上京せず故郷に根を下ろして作家活動を行う。 |
1946年 | 昭和21年 | 33歳 | 「アララギ」や「大学新聞」を中心に評論を発表。 地元の青年たちと短歌会など文化サークル活動を始める。 |
1949年 | 昭和24年 | 36歳 | 日本共産党に入党。 |
1950年 | 昭和25年 | 37歳 | ノリソダ代金の不正を暴いた壁新聞・ちらしの製作者として名誉毀損で訴えられる。足掛5年の歳月をかけて高等裁判所で無罪判決を勝ち取る。 戦争中に書き溜めたエッセイをまとめた『暗い夜の記念に』を自費出版。鋭い日本浪漫派批判が注目を浴びる。 |
1952年 | 昭和27年 | 39歳 | 名誉毀損裁判を描いた「ノリソダ騒動記」を「近代文学」に連載。ルポールタージュ文学として脚光を浴びる。 福江町教育委員に当選。 旧伊良湖試射場跡の米軍基地(基地605号)化反対運動を起し住民とともに戦う。 |
1954年 | 昭和29年 | 41歳 | 翻訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上巻』を岩波書店から刊行。 |
1955年 | 昭和30年 | 42歳 | 『ルポルタージュ台風十三号始末記』を岩波書店から刊行。カムチャッカ沖に取材した「オホーツク海鮭鱒船団記」(「中央公論」)などルポルタージュ作品を次々に発表。 福江町は町村合併で渥美町となる。第1回町会選挙で議員に当選。 |
1956年 | 昭和31年 | 43歳 | ラジオ番組「差別を生きている」の制作に参加。以後同和問題に大きな関心を寄せる。 |
1962年 | 昭和37年 | 49歳 | 日本共産党から離れる。 |
1963年 | 昭和38年 | 50歳 | 小説『赤い水』が山本薩夫監督によって映画化される。 町会議員任期満了。これを期に政治活動から引退。 |
1968年 | 昭和43年 | 55歳 | 「朝日ジャーナル」に「小説渡辺崋山」の連載を開始、3年にわたる長期連載となる。 |
1971年 | 昭和46年 | 58歳 | 朝日新聞社から刊行した『小説渡辺崋山』で、毎日出版文化賞を受賞。 読売新聞社から『杉浦明平記録文学選集』全4巻を刊行。 |
1976年 | 昭和51年 | 63歳 | 中部電力渥美火力発電所増設反対運動に参加。 |
1978年 | 昭和53年 | 65歳 | 日中友好協会訪中団の一員として北京・ハルビン・上海を訪問。 |
1981年 | 昭和56年 | 68歳 | 火力発電所増設反対運動の仲間たちと読書会を始める。 |
1984年 | 昭和59年 | 71歳 | 大量吐血。胃の切除手術を受け約1年間療養生活を送る。 |
1989年 | 昭和64年 | 76歳 | 蔵書を渥美町に寄贈。1994年完成の渥美町立図書館に杉浦明平寄贈図書室が設けらる。 |
1995年 | 平成7年 | 82歳 | 翻訳『ミケランジェロの手記』を岩波書店から刊行、翻訳特別功労賞を受賞。 |
2000年 | 平成12年 | 87歳 | 3月14日死去。享年87歳。 |