沢田 峰樹 Mineki Sawada/Singer-songwriter(vocalist)

本名:澤田峰樹 1965年5月6日 東京都府中市生まれ。血液型:A型 星座:牡牛座

歌との出会い

小学校の時、音楽の授業でクラシックの合唱曲に合わせて、みんなで歌っていた。 まったく興味が無かったのでふざけてやろうと思い、レコードで歌ってる少年の歌声を真似して大声で歌って笑わせようとした。 合唱が終わると先生が「さわだ君!」と指差されたので怒られると思ったら、あなたはすごく歌が上手でしたよ! みんなも、さわだ君みたいに歌いましょう!と言われてしまった。 その時は真面目っ子に思われるのが嫌だったので後悔した。

修学旅行で優勝

高校3年生の修学旅行で北海道に行った時、夜にリクリエーションがありグループで何か芸を競い合うというイベントを行いました。 我々のグループは自分がボーカルになり他のメンバーはホウキやハタキをギターのように持って歌を披露しました。 その時歌ったのが「沢田研二 with EXOTICS」の「晴れのちBLUE BOY」でした。 優勝を狙うとかまったく考えず好きな歌を好きなように歌ったら何故か我々が優勝してしまった。

初めてのバンド活動

同じく高校3年生の文化祭ではじめてロックバンドをやる事になった。 自分はボーカルとエレキベースを担当したのですがその時演奏した曲はアイアン・メイデンやブラック・サバスやオジー・オズボーンといった完全なヘビーメタルでした。 当時はがむしゃらだったのでベースで16ビートを刻んで歌っていたのが今でも信じられない。 ライブが終わってふと指を見てみると血だらけになっていた。 それからしばらくバンドとは縁が無かったがこれをきっかけとしてバンド活動の楽しさを覚える事になった。

バンド活動開始

会社で楽器の販売をしていた関係で営業の方とバンド活動を行うようになった。 ライブハウスのブッキング用にデモテープを作ったのだが多摩市が主催する 「'90 TAMA KIDSコンテスト」というオーディションにふざけて応募してみたら見事に準決勝まで選ばれた。 当日はオリジナルのメンバーが揃わなかったので会社の楽器が弾けるアルバイトさんなどと参加したがリハも行っていなかったので悲惨な結果で終わりました。 しばらくして売場用サンプルビデオをもらったらデビュー前のGLAYも同じステージで競演していた事がわかりました。

バンド活動全盛期

バンド「アモルファス」を結成し今は閉店してしまったが吉祥寺の「Be-Point」というライブハウスで数年にわたり何度かライブを行い大変多くのお客様を動員する事が出来ました。 アモルファスのメンバーはボーカルの沢田峰樹とギターの三永敏浩氏以外はだいぶ変わったが現在も解散はしていません。

ゴスペルとの出会い

アモルファスも活動を停止してすぐにヤマハ・ポピュラー・ミュージック・スクールの講師をメンバーとした「サティスファクトリー」というバンドを結成した。 相変わらず派手な衣装を着てメイクもしカバー曲を中心にライブを2回ほど行い大変盛り上がっていたのですが、これで良いのか?という疑問を持ちはじめた。 衣装やメイクがポリシーではなくブラックミュージックなどのもっとハイエンドな歌に挑戦し歌唱力を前に出したくなりました。 課題曲がなかなか上手に歌えなかったのでバンドのコーラスを担当した現在はAVEXボイス・トレーナーに黒人のボイス・トレーナーを紹介してもらった。 その方はゴスペル日本支部長の「ラニー・ラッカー」氏というボイストレーナーだった。 4年間の個人レッスンとラニーラッカー氏がプロデュースするゴスペル・コーラス・グループ「ブライト・ライツ・クワイヤ」で11年活動し2枚のCDを発売、 アメリカのミシガン州でコンサートツアーを行った。

アモルファスの再結成

2015年2月28日、沢田が2000年に結成したメンバーに声をかけロックバンド「アモルファス」を復活させ、 沼袋サンクスチュアリーでライブを行った。 2016~2017年まで秋葉原 CLUB GOODMANでライブを行い3年間の再結成ライブを終えて改めて活動休止となりました。

2018年以降の音楽活動

息子の受験勉強によりバンド活動をお休みさせて頂いた時期にHPを観られたスナックの中国人ママさんからオファーを頂き、 スナック内でライブを行う事になった。その時、ママさんの紹介でギタリスト渡辺和寿氏を紹介頂いた。 ボーカルとエレキギターだけのライブは初めての経験でかなり勉強になりました。 本番は集客も少なかったのですが、後からキャスト(女性スタッフ)の方がお客様に好評だったと教えていただき安心しました。 ギタリストの渡辺和寿氏とはコロナウイルスが落ち着いた段階で改めてライブを行いたいと打ち合わせ中です。

琵琶とボーカルによる日中コラボ作品

2019年以降は誰もがやらない音楽制作をコンセプトにまずは中国人の琵琶奏者 张婉静氏とコラボを企画した。 琵琶の祈りというタイトルで、作詞が沢田峰樹で作曲が张婉静氏が担当した。 琵琶の演奏は张婉静氏で私がそのメロディーに詩を乗せてお陰様でYoutubeでは回覧数が増えてます。

シンガーソングライターとして配信を開始
2019年からDAWで曲の制作を開始し誰も行かない方向であるシュール、アバンギャルドをテーマに現在も新曲を作り続けてます。 今まではロックボーカリストを名乗ってましたが、この段階でシンガーソングライターとしての活動を集中する事になりました。


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