白い手


「ヘラルド、起きているか?」
「ああ。」


今、何時なのだろう。
目を開けていても何も見えない暗闇の中、周囲から聞こえるのは微かな寝息とうめき声。
自分の部隊の人間があと何人残っているのかさえ定かではない。

見えるのはただ闇―――闇だけだ。


「見えるか、ヘラルド?」
「何がだ。」
「手だよ。俺の目の前にずっと手が見えてるんだ。女の、白い手・・・。」


闇の中で、くくっと笑う声が響いた。


「ずっとだよ。2日前の戦闘以来ずっと・・・。」
「そうか。」
「あれは・・・ひどかったな。」
「ああ。」


僅かな休息、本当にたった一息ついた程度の休息だった。
気がついた時には遅かった。
彼らは命からがら逃げることしかできなかった。
大部分の仲間たちを残して。


「これは郷里に残してきた俺の婚約者の手だ。」

だって、ほら俺があげた指輪をしているんだ・・・と彼は呟いた。


「なあ、ヘラルド。俺の田舎は国境沿いの小さな村だ。あそこでも戦闘があった。
俺の家族も友達も、そして・・・婚約者もみんな死んでいるんじゃないかな?」

「・・・・・・。」

「わかってる。
彼女は俺を迎えに来たんだよ。この手をとったら俺はもう行くしかないんだ。
あっちではみんな俺を待っているんだろうな。
この手を取ったら、俺は―――。」

「じゃあ、手を取れよ。」


思いがけないその言葉に、相手はひるんだように口をつぐんだ。
だがヘラルドは更に畳み掛けるよう、低い声で言う。


「行っちまえ。」

「ヘラルド。」

「いいんだ。俺を気にしてこの世にとどまっていることはない。・・・俺は、大丈夫だ。」


「・・・そうか。」

一瞬の間をおいて、長い間共に戦ってきた男の声が遠いところへ移動していくのをヘラルドは聞いていた。
かなり遠く、上の方から。

「じゃ、あ・・・な・・・。」



後に残ったのは、闇。
そう、何も見えない―――自分が生きているのか、死んでいるのかさえわからない、闇。

時に闇は死者の魂さえ惑わせるものらしい。


笑いながら顔に手をやって、自分が泣いているのにようやくヘラルドは気が付いた。


「俺が死ぬ時にも・・・迎えに来てくれる人はいるだろうか?」


一体その時に誰を望んでいるのか、自分でもわからなかった。

行ってしまった友か、昔失った愛しい人か。
それとも―――。


自分の目から流れ続ける暖かいものになぜか安堵を覚えて、ヘラルドは少し眠った。


2006.8.19




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