代われるものなら


ばたん!と大きな音がして玄関のドアが閉まったと思ったら、足音はリビングの前を通り過ぎて
そのまま寝室へと入っていった。

「何だ?」

怪訝そうな顔をして叔父さんが僕に尋ねる。

「さあ・・・?」

僕は叔父さんとしていたチェスのボードに目を落とす。

「知ってんだろ、お前。」
「うーん。」
「言えよ。ほら。」

叔父さんが飲みかけのグラスで僕を小突いた。

「―――今日、デートだって言ってたから。何かあったのかも。」
「デート?ふーん・・・。」
「何?」
「俺に気兼ねしてんのか?それともお前の気分が複雑なのか?」
「うん、複雑だね。・・・母子家庭としては。」
「母子家庭ね。」

にやっと笑って、叔父さんが駒を動かす。
おっと・・・。

「チェックメイト。」
「うわ、負けたー。」

僕はソファーに背を預けて、天を仰いだ。

「ゲームに集中できねえんだろ。」
「・・・・・・。」
「様子見てきてやれ。気になってんなら。」
「僕が?」
「お前以外、あいつの寝室に入って目くじら立てられない男がいるのか?」
「・・・わかりました。」

僕は立ち上がると、母さんの寝室へ行った。

「母さん?」

ノックをしても、返事は無い。

「入るよ。」

僕はドアをそっと開けた。

灯りをつけないままの薄暗い部屋。
母さんは広いベッドの真ん中で、着替えもせずに横になっていた。
赤い髪がブルーのベッドカバーに広がっている。

母さんの寝室は女性としてはシックすぎる。
きっと、死んだ父さんの好みだったんだろう。
最近そんな事を考えるたびに、僕の心は痛む。
僕はとてつもないマザコンって奴なんじゃないか。
死んだ父親に嫉妬する息子なんて―――普通じゃない。

「どうしたの?」

ベッドの端に腰掛けて、母さんの顔を覗き込む。
珍しく化粧していて、少し大人っぽい母さんの顔。アイラインが涙で滲んでる。
僕はそっと髪を撫でた。

「ルシアス・・・。」

母さんは僕の左手を掴むと、頬に当てた。

「うん、僕はここに居るよ。」
「・・・ルシアス、ルシアス!」

僕の手を握り締める力が強くなる。
母さん・・・。
それは、僕を呼んでいるんじゃない。父さんを呼んでいるんだよね。
僕は母さんの横に寝転ぶと、その体を抱きしめた。
細い肩が震えている。

「・・・ルシアス。」

その名前を呼ばれるたびに、胸が―――苦しい。

僕が名前の通りに父さんと同じになれたなら・・・こんなに苦しい思い、しなくていいのかも知れないけれど。
代われるものなら、代わりたい。
あと少しで終わってしまう僕の命と引き換えに。

僕は母さんの髪に顔を埋めた。






「おーい。そろそろ俺、帰るぞ・・・っと。」

戸口に立ったカイは口をつぐんだ。
ベッドの上には手を握り合ったまま、寄り添って眠っている二人。
カイは寝室に入ってくると、並んで眠っている彼らの顔をつくづくと眺めてそっとシーツをかけた。

「仲が良いのにも程があるっての。―――何が親子だよ、まったく。」

寝室を出て行こうとしたカイは、ふと振り返って呟いた。

「代われるもんなら代わりたいぜ。兄貴・・・。」
2006.11.12
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