勝負事に強いと人によく言われる。
駆け引きがうまいと。

だが、私の手の内を良く見ればそんな事は無いことに気が付くはずだ。
私は保守的な男だから。

肝心なのは守り。

駒を取られぬよう、自分の手を知られぬよう慎重に進める。
そして相手の手の内がはっきりとしたところで、攻める。
負けを予感したらそれ以上の深追いはしない。
その引き際が駆け引き上手に見えるのかもしれない。

負けるとわかっているゲームに「もしかしたら」ということは滅多にない。
考えてみると保守的な作戦が今までの人生で功を奏して来たおかげで
今の私があるのだろう。





「出なければいけないのか?」

秘書のホートンにそうぼやくと「当たり前です。」と間髪いれずに返事が返ってきた。

慈善事業の資金集めの相談か。
何も半日話し合うこともないだろうに。
馬鹿馬鹿しいとは思うがホートンは「これも商売の一環」などと言って
勝手に出席の返事を出してしまった。
やれやれ。

「だから早くご結婚なさればいいんです。」
「私の結婚とこれが何の関係があるんだ?」

何度も聞き飽きた言葉を聞きつつ、広げたお茶会の招待状を指の裏で弾く。

「結婚されれば、こういった集まりは奥方に代わりに出てもらえるでしょう。」
「なるほどね。・・・だが自分で行きたくないものを人に行かせるのはどうかと思うが。」
「大概の女性はこういった集まりが好きなものです。」

ホートンは私の手から招待状を取り上げた。

「そうかい。―――ところで今日入港する船の予定は?」

これ以上の小言を聞かないため、私は仕事の話に切り替える。
ホートンは自分の話を誤魔化されむっとした顔をしたが、それ以上話は続けなかった。


大概の女性はこういった会合が好き、か。

確かに自分の周りのご婦人方はそういったタイプが多い。
だが―――私はそういった方々に興味をそそられない。
きっと私とは価値観が違うだろうから。

それなら独身を続ける方が気が楽だ。
人生において伴侶とは必要不可欠というわけでもないだろう。

我ながら気難しい人間だ。
これだから婚期が遅くなるというわけだな。



*****


商売をやっている人間として、一通りの話題は知っている。

政治の話や天気の話、話題の舞台、流行の小説、
果てはバッスルはエレガントか否かといった論争まで。

聞かれれば答えるし、話されれば黙って聞く。

しかし、各自の作った詩の朗読が延々と続くのには・・・さすがに辟易した。


給仕をしているこの家の執事に庭を見せてもらってもいいかと聞くと
彼は庭に続く扉をそっと開け、歩いていくと温室がありますからどうぞと囁いた。



きっとこの時間で、仕事が2〜3件は片付けられたはずだ。

庭の小道を歩きながら、私は一つ溜息を付いた。
ホートンめ。
これも商売の一環、とはね。
拷問のような一環だな。

私は周囲を見回した。
広い庭には小川が流れ、小鳥の声が響いている。
よく見ると手入れの行き届いた芝。
無造作に生えたように見えて、配色の揃っている野草。

手入れされていないようで、実はこういった配置に凝っているらしい。
久しぶりに感じる心地よさに、一つ深呼吸をする。
春とはいえまだ冷たい空気が肺を満たす。

まあいい。

少しは休むようにとの、誰かからの命令なのかもしれない。


そろそろ体の冷えてきた私は、温室が見つかるとほっと息をついた。
扉を開けると、屋敷の主の好みなのか白百合が咲き乱れて甘い匂いが漂っている。
そしてそこには先客がいた。


百合の花に囲まれた、本を読んでいる一人の女性。

女性―――というよりそろそろ女性と呼んでもいいかというような年若い娘。

レースをふんだんに使った真っ白なドレス。
組んだ足から流れるようにスカートが地面まで垂れ下がり、
そこから白い脛が覗いている。
読んでいる本に夢中で、肩からショールが落ちているのにも気が付かないらしい。
足元には猫。
彼女の伸ばした指先に時折じゃれ付いている。

この光景はどこかで見た絵に似ている。
そう、確かあれはあのサロンで見た―――。


彼女は私の気配を感じたのか、本から顔をあげた。

「失礼。」

慌てて出て行こうとする私を「いいんです。」という声が止めた。

「ご遠慮なく。」
「ありがとう―――それにしても、絵のような光景だ。」

頭の中に浮かぶ絵のタイトルが思い出せないまま私は呟いた。

「ええ。気をつけないと花粉が付きますけど。でも本当にここの百合は美しいわ。」
「・・・確かに。」

私は彼女のことを言ったつもりだったが、言い方がまずかったのか。
彼女はその言葉が花のことだと思ったらしい。
女性を褒めるのは本当に難しい。

「お茶会にいらした方?」
「そうですが、あなたも?」
「ええ。―――ではあなたもあれを聞いていられなかった一人ですのね。」
「あれ?」
「詩の朗読!」

彼女はそう言うとくすくすと笑った。

「そうですね。あれは・・・、ひどい。」
「でしょう?」

同意を得られたのが嬉しいのか、私を見上げた彼女の瞳は差し込んだ日の光に輝いている。
膝の上に目をやると、どうやらブラウニングの劇詩集らしい。

「どうせ朗読するなら、本当の詩を朗読した方がいい。その本のような。」
「あら。」

彼女も膝の上に目を落とし、私の顔をもう一度見上げた。

「ブラウニング、お好きですの?」
「ええ。その本なら“時は春、日は朝(あした)・・・”というのが一番好きですね。」
「“ピパの唄”ですね。私も大好き!」

彼女は本を抱きしめた。

破顔一笑。
女神の微笑み。

嬉しげに・・・幸せそうに。
この世界の光がすべて凝縮されて、彼女に降り注いだような微笑み。


それはとても美しいもので。
その時は気が付かなかったが、後からつらつら考えるに。
そしてこの上なく困ったことに。


たった一度のその微笑みで―――私は恋に、落ちた。













「お兄様、ニコルソン卿のお茶会に行かれたんですって?」

屋敷に帰ると妹のバーナデットが出迎えた。

「また来ていたのか。」
「いいでしょう。留守がちな主の代わりよ。それでどうでしたの?」
「どうって?」
「だって若い御令嬢がたくさん集まってらしたんでしょ?」
「それで?」
「どなたかに引き合わされたのではないの?」
「・・・誰がそんな事を。」
「ホートンがスーザンに、スーザンから私に。」

あいつめ。
寄りによっておしゃべり鳥達にそんな事を触れ回るとは。

「でもお兄様が呼ばれたって事は、あちらとしてはそういう考えだったのではないかしら。
一応お兄様だって独身貴族、しかもお金持ち。
見た目は―――見ようによっては魅力的とも言えなくはないわ。」
「・・・少し気にかかる言い方だが。それは考えすぎじゃないか?」
「そうに決まってるわ。ね、スーザン。」
「ええ、そうですわ。」

メイドと共に軽食を運んできたスーザンは私を睨みつける。

「それもこれもいつまでもお一人でいらっしゃるからですよ。」
「出会いが無くてね。」

今までは。

「お好みがうるさいだけですよ。」
「ああ―――そうかもしれないね。
私はスーザンのようにしっかりした女性でなくてはいけないんだろうな。」
「嘘おっしゃい。」
「残念だよ。君があと20歳若かったらね。」
「私が20歳若かったら、あなたのような方は御免こうむります。」
「・・・手厳しいな。」

そのやり取りを聞いて、バーナデットとメイドのセイラが顔を見合わせて笑い出す。
つられて私も笑い出したが、心の中では既に様々な方法を模索していた。

まずホートンにはあの温室のご令嬢のことを調べさせる。
私をあの場に連れて行った責任を取らせる意味も含め、八方手を尽くさせるよう。
彼はたった一日で主義を変えた私に呆れながらも、あの有能さで必ずうまい手を打つ筈だ。


負けを予感している勝負に、真っ向から挑むのは初めてだ。

子供のように胸が高鳴る。

下手な小細工は効かないだろう。
綿密に作戦を練ったところで、うまくいくかなどわからない。
あの微笑みをもう一度見ることができる、それで良しとしよう。
けして満足の行く結果を得られなくても。



その時ふとあの絵のタイトルを思い出して、私は一人苦笑した。
どうやら私の運命は初めから―――彼女に出会った瞬間から決まっていたらしい。





―――Love at First Sight―――


2007.10.21










































独身でいる方が気が楽だと思っていた自分がこんなに変わるとはね・・・・・・
自分でも呆れてしまう。
今私の腕の中には、あんなにも求めた女性がいる。
私の妻として。

私は月の光の中で彼女の顔をつくづくと眺めた。


額には汗が光っているが、すでに穏やかな寝息を立てている。
汗で額にはりついた髪をそっと取り除いてそこに口付ける。
起きる気配は無い。

ここまで来るのに随分長い道のりだったような気がする。
実際はあれからたった1年半で―――いや、結婚してから更に半年近く待ったのだから
本当に彼女を手に入れたのはあれから2年後。

結婚してからの私は以前と同じように、初めは保守的に
嫌われないようにということだけを考えた。

不安そうな顔をして私と目を合わせようとしない彼女に、無理強いはしないように。
それから不安な顔をさせないように。
笑えることが増えるように。
いつも微笑んでいられるように。

そしてついに―――初めて会った時の微笑みを彼女の中に再び見出した。

微笑みを見られればそれで満足、と思っていたというのに
私は段々と貪欲になっていく。

私が彼女を愛していることがわかるように。
―――いつかは彼女が私を愛するように。

「・・・ハワード・・・。」

その時、目を瞑ったままの彼女が私の名前を呼んだ。
起こしてしまったのだろうか。

「何?」

答えは無い。

寝言?
彼女が寝言で私の名前を?


―――私は既に勝利を手に入れたのだろうか?
わからない。
まだ手に入れていないとしても、それはそう遠くは無い未来のような予感がした。


「お休み、ジェニイ。・・・愛してるよ。」


私は愛しい人にもう一度口付けた。