テクニック

 たまには気の滅入らない事でも書こうじゃないか。とかくハナミズが体調を崩してから辛い事ばかり続いているようだが、それでも普通に仕事に出て、普通にメシを食べて、普通に風呂に入っているのだ。生活全体が大きく転換した訳じゃないのだから。そんな中で、ハナミズと接する為の特殊な技能というか、技術が無意識についてきたかもしれない。
 久しぶりに新宿の東急ハンズに出かけた。本当に新宿にできてありがたい話だ。渋谷や池袋に出るのは面倒くさいし、あの人混みはどうにも苦手で、新宿南口の今のところ広々とした開放的な感じならまだガマンができる。買物は針のついてない注射器だ。もちろんハナミズの口にペーストを押し込む為のものだが、これがどこに売っているのか分からず新宿まで出向いたという訳だ。予想通りハンズに売ってはいたが、サイズがよく分からない。ミリリットル単位で数種類あるようだが、病院の好意で戴いたサイズを指の感覚で思い起こしてみた。恐らく3mlだろう。これだと1回分の量が少ない。そこで5mlと10mlを購入した。さらに大きいサイズもあったが、ハナミズの口に突っ込むのに太すぎはしないかと思いとどまった。それにしても何でも揃うこの店はありがたい。是非、家の近くにも出店してほしいものだ。
 さて、持ち帰った注射器を試してみる訳だが、その前にペーストをシリンダーに詰め込まなければならない。注射器が小さいとこれも一苦労だ。もっと流動的なものなら先から吸い込めるのだろう。ワイフはカニスプーンを使って器用に押し込んでいく。他に方法が思い付かなかったのだ。なぜカニスプーンが家にあるのかは謎だ。誰かがこっそり食べているのだろうか。煮沸消毒した注射器に8分目詰め込んでピストンを押し込むと、先から飛び出すロスがもっとも少ない。
 ハナミズを押さえ付けたら体に抱き寄せるように羽交い締めにして、手足を肘や腿で押さえ付ける。左手で、咽を押さえないように気を配りながら顎骨を持ち上げ、口の脇の歯の生えてない部分に注射器をあてがい、少しづつ押し出していく。この時不思議と僕も息を止めている。無意識にだが、なぜか止めてしまうのだ。舌の上に飲み込める量を呼吸にあわせて乗せていく感じが一番効率がいい。焦って大量に出してしまうとこぼれてしまうし、時間を掛け過ぎてもハナミズに抵抗されてしまう。やってみると、あまり注射器の太さは気にならない事が分かった。その後買い足した注射器は30mlにまで大型化した。
 ハナミズは不服だろうが、我ながら器用だと感心する。このテクニックだけで、どこかの動物病院で雇ってくれないものだろうか。

 そんな自画自賛をしていたところに、ワイフから電話がかかってきた。帰りに動物病院に寄ってほしいと言うのだ。何かトラブルがあったようだ。

 

  暖かい雨

 これまでの事を説明すると、ハナミズはこのところ衰弱が激しく1週間ほど入院していた。ワイフが前日見舞った限りでは、だいぶ回復し、翌日には退院という事になっていた。僕は仕事で、帰りに寄ると当然診察時間の後になるからワイフが連れ帰るという段取りになっていた。だが、時間外でも構わないから寄ってくれというのは何か大変な事態が起こっているという事だろう。
 仕事を終えて駅まで走り、よく見もしないで電車に飛び乗って、初めて足がガタガタ震えている事に気付いた。ひょっとして最悪の事態が、そんな嫌な妄想が頭を支配して、乗ったのが病院のある駅に停まらない急行電車だとギリギリまで気付かなかった。一つ手前の駅でワイフに電話を入れると、先生は遅くなると見込んで別の用事を済ましているそうだ。少し時間ができたが、落ち合ったワイフと夕飯をとれるほど気持ちにゆとりはなかった。病院の周りをうろうろしながら、ワイフからハナミズの容体を聞くよりなかったのだ。

 今日連れ帰ろうと病院にきたワイフは、昨日までの覇気が失せて、グッタリとしているハナミズに面会する事になった。撫でても反応がなく、目は虚ろで瞬膜が出ていて、明らかに悪化しているようだ。ハナミズを退院させるには2つの選択がある事は以前病院とも話し合っていた。1つは回復して通院でも問題ないと判断した場合。もう1つは、回復の見込がなく、せめて自宅で残り少ない時間を過ごさせようというものだった。僕が今日呼ばれたのは、後者の選択をとるかの判断をあおぐ為だったのだ。
 前日も仕事で面会できなかった僕は、実際見てみないと判断はできない。先生が戻る時間が待切れずに、病院の前で待つ事にする。11月も下旬だというのに、南海上を季節外れの台風が通過していて、そのおかげで、東京は久しぶりの雨が降っている。折り畳みの小さな傘では肩や足元がはみ出てしまう。結局先生が戻った9時半近くまで濡れていた。
 檻の中のハナミズは呼吸が粗く、両目の瞬膜が半分くらい出たまま起き上がれずにいた。それでも、夕方に見た時よりいくらかましだとワイフは言う。右手は1週間点滴針を入れられて、倍近くに腫上がっている。この狭い空間に、1週間も身動きがとれずにいるのだ。先生としても僕とワイフに判断を委ねるのは見るに見かねての事なのかも知れない。僕は、自力で拭き取る事も出来ないハナミズの目ヤニを指で拭った。連れて帰ろう。どう見てもそれが最善の選択だ。
 その夜、帰り着いたハナミズは足をふらつかせながらも自力で歩き、お気に入りのクッションの上に陣取った。不思議な事に、目にいつもの精気が戻っている。翌朝には、わずかながら缶詰を食べた。具合が悪かったのは、ホームシックだったのだろうか。
 外は冬らしい乾いた晴天となっていた。

 

  月夜のデート

 病院で先生と指折り数えてハナミズの年令を数えてみた。一緒に暮らしてもう9年が経っている訳だが、それまでにも家の外で面倒をみていた時期が1年ほどあった。しかもその頃には既に妊娠していて、それが初産だったとしても少なくとも11歳ほどだったという事になる。
 これは僕の印象だが、あの当時の鋭い目つきは、相当に世間の荒波にもまれてきたような雰囲気があって、耳の端の小さな裂け目や、折れた牙がそれを物語っていた。高円寺界隈のネコ社会がそんな厳しい状況だったとすると、とても子ネコでは生き残れないだろう。幼少期は多分親ネコか、もしくは人間の手で育てられたのだろうが、それから僕の元に来るまでの期間が一体どれだけのものだったのかは分からない。ただ、これまで僕らが考えていたよりも、ハナミズははるかに年を重ねていた可能性が出てきたのだ。
 動物医療の技術も進み、人間の意識も変わってきて家で人間と暮らすネコの寿命は格段に延びた。15年程度はざらで、20年をも超える長寿だっているのだ。それを考えると、ハナミズのこの数カ月の状態はとても10歳そこそこの老け方とは考えにくいのだ。どの程度サバを読んでたかは分かるはずもないのだが…。

 彼女が僕らと出会う前の事は分からないが、出産後の間もない頃に意外な場面を目撃した事がある。
 それは月明かりに照らされた駐車場でのボーイフレンドとの逢瀬のシーンだった。相手は白黒のスマートなハンサム。それまで見た事もないオスで、その後も見かける事がない相手だった。彼とは一夜限りの相手で、4人の子供たちの親ではなかったのかも知れない。だが、恋多き若き日のハナミズの意外な一面を見た思いだ。そして、そっと寄り添う様は、彼女が僕らが思っている以上にロマンチストである事を示唆していた。秋の夜の美しい出来事だった。そして、この目撃が僕らにハナミズの避妊手術を急がせる切っ掛けとなった。
 今、彼女はやせ細り、点滴を打ち続けた背中は毛が抜けて、そこが醜いカサブタとなっている。さらに、入院中に点滴を打つ為に毛刈りした右腕はまだ生え揃わないでいる。注射器で給餌する時にこぼれた療養食は口の周りにこびり着いて、ガビガビに固まり、それをぬぐい取ろうともしない。骨と皮だけになった足をふらつかせて部屋を歩き回るだけの毎日。そんな満身創痍の、年老いた彼女には、あの月夜の美しい思い出はあるのだろうか。
 少なくとも僕の目には、ハナミズはあの頃の美しさを少しも失っていないように映っている。

 

  The First blood

 川崎市で市の職員が逮捕された。ノラネコを粘着テープで抑制し、近くの学校に投げ込んだという非道な行為を行なったというのだ。他にも動物虐待の容疑があるらしく、取り調べが進んでいるらしい。ましてや、公の職にある人間の犯行ということで、マスコミも騒いでいる訳だが、ネコやイヌ、野鳥などを狙う虐待は今に始まった事ではない。こんな話が後を絶たないのはなぜだろう。弱い者へのいたわりの心や、慈しむ気持ちは持ち合わせないのだろうか。
 中には畑を荒らすだの、庭を汚すといった理由で虐待に及ぶケースもあるようだ。それでも時には目を覆うような卑劣で、残酷な、明らかな過剰防衛と思える行為に及ぶものも多い。
 それよりも恐ろしいのが、ほとんど戯れに虐待を行ない、欲求を満たしている精神に異常をきたしている輩がいる事だ。矢を背中に刺したカモは痛みを感じないとでも思っているのだろうか。そういう想像力を欠いた人間がいて、そういう人間が容易くクロスボウだのエアガンだの武器と紙一重、いや武器そのものと呼んで差し支えない玩具を入手できる事が問題のような気がする。肉体を傷付けられるその痛みを、現代人は体験するべきだ。その体験がない限り、バーチャル世界との区別がつかないゲーム世代の、精神を病んだ人間は減らないように思えてならない。
 職場で、嫌な話を聞いた。自宅に置いたバイクにノラネコたちが集まって、爪を研いだり粗相をしたりと迷惑しているというのだ。彼は理性のある大人で、ネコを傷つけるような事は思いとどまっている。だが実害の出ているのも現実だ。別にネコはバイクが好きな訳じゃないし、僕の持っていたホンダがそんな被害を受けた事はない。その前に心無い人間の手でカギを壊され、自宅の駐輪場から持ち去られてしまった。よく暖を求めて車に乗ったりと言う事はあるが、彼のバイクを狙ったように集まっているのは、何かカラクリがあるのだろう。恐らく無責任に餌を与えている人間がいる。想像力を欠いた人間である。善かれと思いやっている事だろうが、避妊や去勢を行ない、最後まで面倒をみる覚悟がなければ害ばかりがふえるのだ。そして無意味に数を増やしたノラネコがまた、遊戯的虐待の餌食となってしまう。もっとも、餌を与えた思慮のない人たちの前に、ネコをノラにしてしまった人間がいる訳だ。誰が悪いかなんてもはや分からない状態になっている。
 カモやハトといった野鳥を虐待から守る事は難しいが、ネコを救う事は不可能ではない。誰もが正しい知識を持ち、行政が積極的に動いてくれれば、1つでも多くの命を救う事ができる。そして望まれない命を増やさないで済む事ができるのだ。もっとも、その行政から虐待の当事者がでるようでは、なんとも救いがない話じゃないか。

 

  クリスマスに望むもの

 街はイルミネーションで華やいでいる。街だけじゃない、最近はどの家も庭だのヴェランダだのに電飾を施して、2000年も前の神の御子の誕生を祝っている。この、世界で最も有名な誕生日は、いつの間にかプレゼントを送りあい、愛を確かめあうだけの俗悪な風習となってしまった。僕はもはや信仰も、人間への信頼を捨てたような人間だから、あんなバカ騒ぎに縁などなくなって久しいが、何か貰えるのであれば、とりあえずサンタクロースだけは信じておいても構わない。都合のいい話だが、今クリスマスに浮かれている大方の人間は僕と大差ない筈だ。なぜなら、ブッダの生誕の日は、サンタがいない為に誰も祝おうとはしない。
 遥かベツルヘムの地の馬小屋で産まれた子供は、2000年もの間多くの魂を救済したが、ネコもイヌも、鳥も魚も救わなかった。彼を信仰する人たちにとって、世界は人間たちのものであり、知性のない下等な動物などいてもいなくてもいいものだった。唯一の例外は、肉や毛皮を提供する家畜だけだ。神は人間を救う為にイエスを遣わしたが、動物たちに御子を遣わす事はなかった。だから、彼らの世界観では動物たちは救われる事のない生き物で、魂など持たない、物理的に動いているだけの何かなのかもしれない。その点、イエスより遥か昔に真理を説いたブッダは、この世に生きるすべての命の救ってくれた。
 だがしかし、イエスの説いた愛と慈悲が現代では動物たちへも向けられている事は確かだ。動物愛護の精神は、多くキリスト教徒の間で具現化されているのも事実だ。愛護団体の多くは欧米で主に活動し、日本のそれよりはるかに進んでいて、実績を残しているのだ。彼らの教義にあろうとなかろうと、小さく弱い生き物へ慈悲と敬愛の精神はしっかり受け継がれている。だから、僕が神の御子の誕生日にネコの為に祈っても罰はあたらないだろう。救世主であれば、その程度の寛容さは持ち合わせているのではないか。
 この年の瀬にも、ある大国が異教徒への理不尽な圧力を強めている。少なくとも、僕の目にはそう映っている。神が戦乱を望んでいるとは思えない。むしろ、一握りの人間が利権やプライドの為に押進めているのだろうか。しかも、異教徒の神も、本質的には同一の神に違いないのだ。そんな事で多くの命が奪われ、傷付いていくのは悲しすぎる。クリスマスに祈る事があれば、この悲劇の回避こそが最優先だ。

 だが、目の前で苦しんでいるハナミズの姿は、そういう健康な魂を曇らせている。彼女の回復と、安らぎをこの日に願うのは果たして罪悪なのだろうか。それとも、お祭り騒ぎに便乗した異教徒の戯言としか神の目には映らないのだろうか。

 

  ロン毛とメロンパン

 正直なところ、ハナミズは年を越せないかもしれないと思っていた。既に自力で食事も取れず、注射器で1日1缶のペーストと無理に流し込んでしのいでいたし、2キロは必要と言われていた体重も、いつの間にか1.8キロまで減っていた。だけど一縷の望みはあった。食事の時には酷く暴れるのでバスタオルに巻いて拘束していた程だし、激しい動きこそ出来ないが、足をふらつかせながらも部屋を動き回り、段ボールの爪研ぎで勢い良く爪を研いでいた。また、ミミゾウたちのドライフードの前で物欲しそうにたたずんでいる事も少なくない。
 柄にもなくゲンを担いでいる。と、言うよりも9月にハナミズが体調を崩して以来休みには通院しなければならず、髪を切りに行くのが億劫で、良くなるまでは切らずにおこうと考えるようになったのだ。それが今では肩まで伸びて数年ぶりにゴムで結わくまでになった。こんなネコ中心のヤクザな暮らしをしていても、日々の糧を得る為に一応カタギな仕事をしている。もちろん社会人として相応しいスタイルではない。髭を剃らないとか、爪を切らないという訳にもいかないので、これ以外になにも思い浮かばなかった。僕が髪を切る時は、ハナミズが自力で食事を取って体重を2キロ以上にキープできるようになるか、死ぬ時だ。彼女の状態を考えれば、多少持ち直してももう何年も生きられないだろう。少なくとも髪を床に引きずるような事はないはずだ。

 世間が正月気分も抜けるようになる頃、ハナミズの行動に異変が現れた。寒い風呂場や脱衣所に好んで立ち入るようになり、それがかなわない時は部屋の隅の暗がりや、コンピューターの下の隙間に潜り込むようになったのだ。その度、暖かいヒーターの前に抱き抱えて行くのだが、それでも気が付くと意外な場所にたたずんでいた。何となくこの行動に不安を感じ始めた頃に、ワイフが不思議な事を口にした。このところスピリチュアルな世界に傾倒し、霊的な能力を身につけ始めたワイフには、ハナミズの姿がだぶって見えて、実体ではない側のその姿が宙に浮いているというのだ。死期の近づいた象は、自らその墓場まで歩いて行き、その屍を曝す事はないという。彼女もまた、最後の時が近づいている事を感じているのだろうか。
 僕らにはもはや手だてがない。今まで通り毎日病院で点滴を受けさせて、嫌がるのを押さえ付けて口にペーストを注入するだけだ。それさえも苦しみもがく姿に深い罪悪感を感じている。他にできる事と言えば、ゲンを担いで好物のメロンパンを絶つ事ぐらいだ。それでどうなるものでもないと分かってはいても、もうこんな事しか彼女の為にできる事はなかった。でも、願いが通じたのか、体重が1.95キロまで持直してきたのだ。とにかく奇跡を信じるだけだ。

 

  季節外れの黄色いタンポポPart1

 テレビは朝から阪神淡路大震災の祈念式典のニュースが流れている。給餌の為に6時前に起きるのがすっかり習慣になってしまった。ハナミズもいつも通り、同じ布団で僕らの隣で寝ていたが、気配を感じて起きたようだ。昨日の夜、食後不意にグッタリとなって慌てたが、今朝は調子がよさそうだ。この数日の投薬で、鼻の通りも小康状態と言った感じだ。
 いつも通り彼女をバスタオルに包み、薬を混ぜたペーストを注入した。やはり苦しいのだろう。うまく腕を出して注射器をたたき落す。体力が落ちている筈なのに驚くほど力強い。だが、透明な目やにが目を潤ませて、必死の形相は泣きながら訴えているようで、僕らはそれに負けそうになる。やられる方も苦しいが、やる側も心が痛むのだ。
 1缶の3分の1、注射器で2本分を注入し終え、ハナミズが拘束を逃れ出ると、こちらもホッとする。仕事の支度にかかるかと思った途端、ワイフがいつもとは違う異変に気付いた。足元をふらつかせながら、ヒーターを置いたいつも日向ぼっこしている窓際へと歩み寄って、そのまま首をうなだれて倒れた。昨夜と同じ状態だが、嫌な予感が僕にもワイフにもよぎった。鼓動が早い。苦しそうに胃の内容物を吐き出そうと一端体を起した。吐け、吐いてしまえ!。僕とワイフは苦労して注射器で食べさせた事も忘れて声を上げていた。それ以外にできる事は体を優しく撫でる事ぐらいしかない。吐き出す事ができず、ハナミズがまたしゃがみ込んだ。頑張れと声を上げながら、どれだけの間彼女の背中を撫でたのだろう。うつむいたワイフが落とす大粒の涙が床を濡らしている。ハナミズはウーという微かな唸り声を漏らして、動かなくなった。嫌だ、死なせたくない。さっきまで元気に部屋を歩き回っていたじゃないか。テレビで見た心臓マッサージを真似て胸をさすってみた。息をしていない。登山用に買った酸素ボンベを口元にあてがった。まだ間に合うと信じていた。だが、抱き上げてみても首をささえられず、手足はブラリと下がったまま動かなかった。何が起こったのか分からなかったが、背中でワイフが号泣している。そして、僕のせいじゃないと、何度も繰り替えしていた。僕の腕に抱かれたハナミズは目を軽く開いていたので、閉じさせようと瞼に指を掛けたが、それはもう動かなかった。小さくなった顔に真っ黒にした目で遠くを見つめているような、妙に愛らしい表情だった。

 ほんの数分の出来事だったに違いない。悪夢を見ているような、現実感の薄い時間だった。だが、間違いなくただの肉塊となったハナミズがいて、疲れ果て呆然としている僕と、泣き崩れるワイフがいた。窓の外はそろそろ山に陽が射し始め、赤く染まった富士山がぼんやりと見えていた。

 

  季節外れの黄色いタンポポPart2

 僕が出掛けていた間、ポンちゃんは悲しい鳴き声を上げてハナミズの亡骸に寄り添っていたそうだ。ミミゾウ君にも最後の別れをさせたがった、彼は抱かれる事をやけに嫌がっていた。タオルに包まれてキャリーバッグに収まったハナミズは、ワイフがきれいにしてくれて、死ぬ間際のペーストに汚れた惨めな感じはなく、生まれ立ての子ネコのように愛らしかった。だが、触れてみると既に冷たく、硬くなって、これが夢でない事を思い知らされた。
 火葬の手配はすぐにできたが、他所のネコたちと一緒に焼き、骨も返してもらえないような合同葬儀は避けたかったので、厚木まで出向かなければならなくなったのだ。車の中では僕もワイフも口数が少なかったが、無理に話題を作ろうとすると、やけに空々しかった。そのうち、高速の出口に差し掛かった頃、車が不意に白煙を上げた。この車も連日の病院通いにかり出されて、ロクにメンテナンスをしていなかった。ハナミズの為に今日まで頑張ってくれたような、そんな気がした。たとえ無機物でも、魂が宿るのかもしれない。
 交通量の多い道路沿いの、まるで小さな工場のような火葬場で、10年ほど生活を共にした愛猫を送るには寂しい場所だ。火葬の間待つように言われた待合室はいかにも辛気くさく、絶えきれずに外に出てみると、今日は1月とは思えない暖かな日で、庭にオオイヌノフグリがポツポツと小さな花をつけていた。振り向けば白い綿毛が散らばり、その中に季節外れのタンポポが黄色い花を咲かせていた。まるで春のような情景だ。トビが舞っている青空に伸びた煙突からは煙こそ見えないが、熱気に空気が揺らいで立ち上っていくのがよく分かる。文字通り天に召されていた。

 彼女の遺骨は意外にもきちんとした形をしていた。この斎場を管理しているおじさんは、骨を見せるなり解説を始めた。頭のピンクに変色していた部分は患った跡だの、足腰が弱っている骨だと言ったが、まさしくその通りだった。腫瘍のような特別悪い部分は見当たらないが、全体に弱っていたそうだ。このおじさんの突然の講釈に僕もワイフも一瞬と惑ったが、不思議と冷静に話を聞いていた。下手な慰めの言葉で感情を逆撫でられるよりも、情報として死を受け入れる事ができたのかも知れない。恐らく長い間この仕事をやってきたのだろう。ハナミズの骨がもろいながらも形を残していたのは、このおじさんの技術によるものだ。プロの中のプロだ。その淡々とした言葉にも、遺族への感情を和らげる巧みなテクニックが隠されているに違いない。暫し悲しいという感情を忘れていた。
 だが、ワイフが精算してる間に遺骨を車に載せようと手にとった瞬間、あまりに軽いその手ごたえのなさに、こみ上げるものがあった。あの瞳も、鋭い爪も、顎の下と手足の先が白い枯れ草色の三毛柄も、二つに折れ曲がったカギ尻尾も、乾草のようないい匂いもすべて戻らない、かけがえのない物を失った実感が沸き上がった。目頭が熱くなるのが押さえきれない。白い骨壷を手にしたまま、人目もはばからず大泣きした。

 

  宿命のメザシ

 騙し騙し車を走らせて、動物病院へお礼を兼ねて報告に行くと、先生もまた涙を流して悲しんでくれた。ハナミズは診察の度に咽を鳴らして機嫌がよかった。正確な年令こそ分からないが、きっと大往生だったのだろう、それが幸いだと先生は泣きながら応じてくれたのだ。正月も返上で治療にあたってくれたこの優しい先生に診てもらった事が、ハナミズにとって最期の幸福だったに違いない。
 家に帰り着いて、2人とも強烈な脱力感におそわれていた。朝からロクに食事を取っていない事に気付いたが、たいして食欲もわかない。サイドテーブルの上に、小さくなった彼女を置いて、溜息と涙ばかりが出た。そして、彼女が息を引き取った窓際には、口からこぼれ落ちたペーストが生々しく残っている。
 確かに食べなければ、衰弱していったろう。だが、あそこで無理に食べさせたのは正しい事だったのか。食べさせ方は間違っていなかったのか。出勤前の慌ただしさから、いい加減に注入していなかったのか。後悔ばかりが頭をよぎる。火葬場のおじさんが言ったように、全身が弱っていたとしても、僕次第でまだ生き長らえたかもしれない。先生が言うように、本当に大往生だったのか。眠るように安らかに最期の時を迎えさせる事はできなかったのか。思えば思うほどに悔しさが込み上げてきて、それでどれだけもがき苦しんだところで、失われたものが戻らないこのどうしようもない現実に、自分の無力を感じた。 
 妙に部屋が広く、静かに思えた。近年は寝ている時間が長く、元々声を上げて鳴いたりしないネコだったのに、その存在がどれだけ大きかったのか今になって知らされた。だが、今こうして魂が抜けたようになっている僕らの足元に、柔らかく暖かい、二つの皮毛の塊が寄り添った。ミミゾウとポンちゃんの2人が、時々不安そうに見上げている。元気を出せよ、僕らがいるじゃないか。そうとでも言っているのだろうか。
 この日が来ると言う事は、覚悟はしていた筈だ。それはいつの頃からだったろうか、けして最近の事じゃなかった。そうだ、網戸に飛び散ったキラキラと輝くあのハナ水。やつれて汚れた汚らしいノラネコ。ネコエイズに違いない、きっと長くは生きられない。彼女が高円寺のアパートに初めてやってきた時から、死を覚悟していた筈だ。僕とワイフとハナミズは、この日を迎える為に、10数年の歳月を共に過ごしてきたのかも知れない。悲しいけど、それは彼女にメザシを上げたその時から宿命付けられていた事なのだ。
 ただ一つ救いがあるとすれば、彼女は最後まで自力で歩き、前のめりに死んでいった。安らかな最期を僕らは望んでいたが、プライドの高い彼女に相応しい最期だったと言えよう。

 

  南風

 それは、丸木船だったかも知れない。それは、帆を備えた双胴体カヌーだったかも知れない。それは、奴隷に漕がせる大型の木造船だったかも知れない。いずれにしても、彼らは船でやってきた。立派なセイラーマンだ。仕事は積み荷を守る事。大平洋沿岸の島々の生活基盤を支える穀物だったかも知れない。
 この島の公的な記録で伝えられているのもまた、その後のこの島国の歴史を大きく左右する物だった。これをネズミにかじられていたら、今のこの国の歴史は大きく変わっていたろう。時代にして10世紀、中国を出た船に積まれた仏教の教典を守る重責を彼らは担っていた。
 当時の航海技術では大海原を渡る事がそもそも命がけだった。彼らの船旅も大半が往路だけで、生まれ育った大陸に戻る事はなかった筈だ。彼らの多くは文明の立ち遅れた極東の後進国に取り残され、そこで生きていく事を余儀無くされたのだ。だが、そうやって彼らが数を増やしていく事で、その存在は極めて身近なものとなり、彼らの仕事の対象も船の積み荷から、収穫した穀物などに変わっていった。なくてはならない家畜となったのだ。

 やがてこの島国も、文明が発達していく過程で都市生活者にも余裕ができると、家畜を飼う必要のない人たちの間で愛玩動物として共に暮らす風習がうまれた。こうして彼らは都市に流出するようになり、その数を増やす事となる。だがしかし、すべての人たちが彼らを愛した訳じゃない。そんな人たちの為に彼らの一部は路頭に迷う事となり、ノラという存在が誕生した。このノラたちを取り巻く環境は劣悪で、食料の安定供給はなく、雨風しのぐ場所さえ定まってない。適応力のない者は淘汰されていく筈なのだが、遺伝子を残す本能は消せないので、必然と多産となり、報われない子孫ばかりが増えていくという悪循環が続くのだった。
 彼らの子孫である彼女もまた、ノラに身を落としていたが、その出生は分からない。高円寺近くの住宅地をテリトリーとしていた訳だが、白地に茶の斑、スラッと長い尻尾で愛らしい丸顔。食料を与える人間も少なくない。だが、このアパートに住むケチなカップルは最低だ。働き者の雌と、それに寄生するようなナマケモノの雄は一度として、メザシ一匹くれた事がない。
 今、彼女は身重で休息の場を求めていた。真っ昼間から窓も明け放してだらしなくゴロゴロしているこの雄の部屋でも構わないから、少し体を休めたかった。雄の寝ているベッドのに上がり込んで横たわると、お腹の子供たちが動くのが分かった。暖かい春の陽が差し込み、爽やかに風が吹き込んできた。幸福なひとときがここにあった。 

おわり
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