レポートタイトルを表示しながらいつまでも内容をアップしない訳にもいかないので
掲載します。適当な画像がなく読みにくいです。また、これを読んで不愉快な思いを
された方があったらゴメンナサイ。
第2部 スロット遍歴2
ミルキィウェイサーキットの96年
1. スロットレーシングと再会
96年2月にオートシローでスロットレーシングと再会しました。
現在主流のプラモデルボディーによるスケール指向のスロットレーシグは初めてでした。
こんな1枚板のシャーシでスイングアームもないのに上手く電気拾うのかと思いました。
また、ラビットモーターはいわゆる130サイズでミニ四駆のモーターと外見は変らない。
白金の時の270Sなんかのオドロオドロしい姿が刷り込まれているので、やたらヤワに見えました。原体験としての白金が色濃く意識に残っていました。
サーキットの片隅に綺麗に整理されてプラフィットとサカツウのシャーシや部品が壁面にかけてありました.
パッケージの印象でさかつうのコンペMとホイル、タイヤなどを説明してもらって購入しました。
ボディーはタミヤの911フラットノーズをブラック仕様にして載せました。
今でもですがサカツウのマウントは本当に難しい。段付きビスのガタによってロールを調整しますが取付板とボディーとの間を調整する硬質スポンジのカットには名人芸がいると痛感させられました。
1週間で完成させて翌週の日曜日にはサーキットへ持ち込んでシェイクダウンしました。
コースは1月に第1回の定期戦が開催された後でカバーしていなかったので荒れ放題。
最初の印象はやたら滑るなあと言うものでした。ジッポオイルでタイヤ拭くこともまだ知らなかったし、コースにグルーを塗る事も知りませんでした。
何周かするうちに要領が解ってきましたが、それが速いのか遅いのか全然わかりませんでした。
2.最初のレース 96年3月
3月3日(日)に定期戦が開催されました。
第2戦であり、私にとっては初参戦でした。
小学2年生だった長男も興味があると言うのでいっしょに連れていきました。
参加人数は12〜3人でした。
クラスは幅70_リまでのN1、70_以上のN2、ミニクラスのS、改造殆ど無制限のR、あとその日で結果を出すカップ戦。
車が911、1台だけなのでN2とカップ戦にエントリーする事にしましたが、車検で前輪の浮きを指摘され、ガイドを上げました。
路面は綺麗に拭き取られてグルーが塗られていました。実はグルーが塗られた路面を見るのは初めてでした。こんなトリモチみたいなのを溶かして塗りつけるんだったんだとビックリしました。
走ってみると前にテストした時と全然違うことに驚きました。テストの時はテールが滑っていたので遅いながらバランスがとれていましたが、路面のグリップが高まったのでリヤのグリップがフロントに勝り、コーナーで前から抜けていきました。
シャシーと路面、ガイドと路面のクリアランスの詰めが甘いのが原因でした。
レース直前だったので前輪を削る術も無く(当時はボール盤等はまだ設置されていませんでした)そのままレースに出ました。結果は散々でN2クラス7人中6位、カップ戦は予選落ちでした。
やっぱりな最初から上手くいく筈ないなと重いました。
上位の人がやたら眩しく見えました。
上位の車を観察するとギヤ比が違う。ブレードはほぐしたりしていない。タイヤはかなり削って小径。
911はレギュレーションどおり室内はタミヤのバスダフ内装まで使って再現しましたが、大体みんな黒の厚紙に胸から上だけ、中には頭だけの人も。
レギュレーションの解釈が正直過ぎた訳で、現実のレース車両は結構柔軟な解釈。
悪く言えば出来ない場合は容認されていました。
3. 第2戦目 96年4月
レース結果が余りに悔しかったので、すぐボディーを換えることにしました。
911のボディーは車高があり重心位置が高いので不利と判断。
スーパーカーブーム時代に作ったニチモ365GT4BBのプラモがあったので車高の低さとホイルベースの長さからこれに載せ換え、タイヤも改めて削り直し、ブレードはガイドに両面テープで貼りつけてしまいました。
今ならもっと柔らかいフォーミュラブレードを使いますが、当時はブレードの弾性でガイドが浮いてアンダーステアになると思ったからでした。電気の吸い上げは悪くなったとおもわれますが…
レースの翌週オートシローに息子と出かけていきました。
レースの時に感じた不都合は殆ど解消されていました。
物理的に合理的だと思われることは効果が反映されることが解りました。
息子もやってみたいと言うので2台目を調達することにしました。
レースではどうもプラフィットシャーシのほうが走行性能では有利なように見て取れましたので、プラフィットエボリューションUを購入しました。
ボディーは365と一緒の時期に作っていたニチモ・イオタを搭載、ドライバーも胸から上だけとして競技指向になりました。
365と走り比べてみるとその後の路面の荒れからどっちが上か良く解りませんでした。
第3戦が4月21日(日)に開催されました。
外部から参加してもらうことなく開催された大会のなかでは1番参加者数が多かった大会でした。17〜8人も参加者があったと記憶しています。
その為、通常1ヒート3分が2分に短縮されました。直前まで365がいいのかイオタがいいのか解らなかったのですが、レース路面ではイオタが良いことがわかり私がイオタ、息子に365を与えました。
前哨戦のカップ戦の予選で初めてレースをリードできました。
レース中に「今日は引き離されてます。」と同走者に言われたのでリードしていることが解りました。
それまでは何が何やら解っていなかったように記憶しています。
"もしかしたら勝てるかもしれない。"と思った瞬間頭のてっぺんから足元にかけて体を熱いものが降りていきました。
もの凄く興奮しました。
後々、色々勝ったり負けたりしましたが、あんなに興奮したのはその時だけでした。
白金の時もレース形式でしたが、実際にエントリーフィーを払ってリザルトが残るレースで初めての勝利(たかだか予選なのに!)でした。
カップ戦決勝は、1コースで気合が入りすぎて早い周でコースアウトして3位でした。
また、N2クラスでも3分ではなくて2分になったのとまだまだレースでは興奮していたので、トップにはからめず4位でした。
イオタはそれなりに良かったのですが、もっと安定した車両でコースに慣れる必要があると痛感しました。
4.第3戦目 96年6月
レース参加3戦目は6月9日(日)になりましたが、5月の連休前にミツワの936'76を入手しました。
松山市内のK模型店のショーケースの中から発掘しました。
936はタミヤの77と78が有名ですが、ルマン仕様のロングテールでエアインテークが高々と聳え立ってとても不利。
ところが発見した936は76年タイプしかもブラックポルシェなんて製品名。
箱書きの説明を読んで見ると76年のニュルブルでデビューして2戦だけブラックにマルティニストライプだったなんて書いてありました。
76年と言えばニキラウダの大事故の年でオートスポーツの古本など見つけては買っていましたがこんな車があったなんて全然記憶になく、その実在を疑いました。
後日、兵頭さん所有の古いカーグラフィック誌で確認してびっくりしました。
キットにはタイヤがありませんでした。
店主は気付かれる前に売ってしまいたいらしくてビクビクしていました。
こっちもプレミア価格言われないかビクビクしていました。(笑!)
500円で売ってくれました。
後のモデルカーズ誌上で8,000円程の価格で取引されているのを確認しました。
レース車としては理想的な形態であると思いました。
ペッタンコでエアインテークも無く、ショートテール、タミヤのものより幅が前後とも広い。
デカールは完全に風邪を引いていてタミヤカラーのクリアをかけたらチリチリと縮みました。乾燥させて幾分緩和されましたが、"1メートル離れて見て!"モデルになりました。
連休明けにテストするととても安定した走行特性を示しました。
6月のレースは(有)オートシローと友好関係にあるミニ専門ショップ・モーリスガレージがカップ戦の賞品提供者になりモーリスガレージ杯となりました。
モーリスガレージのメンバーが大挙ミニでSクラスに参加しましたが、カップ戦の車両はN1,N2の規程にあっていれば良いということで936'76のデビュー戦になりました。
順当に予選をくぐりぬけて決勝では王者○川さんと直接対決になりました。マッチレースではなかったのですが、私が1コース、○川さんが2コースでした。
○川さんの車はSRのオープン仕様でオーバーフェンダー加工されボディーバランスではグループCかGr.6並であると見て取れました。
レースは一進一退に推移しましたが、早い段階でループ侵入時のブレーキングが遅れバランスを崩して、3メートルほどのリードを許しました。
しかし良く観察するとこちらのほうが最高スピードで勝っており数周で追いつきました。
ループを全く併走して直線に出る鋭角ターンのコーナーでテールを振って中川SRを弾き飛ばしてしまいました。
白金の草レースでは良くやってました。
この時は、殆ど同じ性能で1、2位をテールツーノーズで争っている時の事ですし、意識してやったのではなく自然にテールが流れた結果なので、悪い事したとは全然思いませんでした。
○川SRが弾き出されてガードレールに突き刺さりました。
これで後は悠々トップでゴールしました。
公式なリザルトの残るレースでの最初の勝利でした。
余勢をかってN2と24分耐久レースにも勝利してその日は出たレース全てに勝利しました。
96年9月のレース
7月にEXCELシャーシが発売されました。
従来のプラフィットシャーシに対する優越性を直感しましたが、何故か買ったのは7月の第4戦後になりました。
(有)オートシローは県道沿いに有り、ショールームは南向きで夏場は蒸し風呂状態になります。
「冬はストーブに当たり、話し込むにはいいんですが、夏場はねえ」とは兵頭さん談。
そんな暑さでも何より走らせたかったので毎週通い詰めました。
走行料金も1,000円で半日走り放題にしてもらうようになりました。
第2戦で登場した長嶺さんと殆ど毎週走りました。
土曜日に行って今週は来ないだろうなんて思っていると日曜日に電話がかかってき土日連チャンなんて事もありました。
今は東京で活躍していますが、当時長嶺さんは高松単身赴任でした。
根っからのスロットレーサーで2年目、3年目になると手のつけられない強さを発揮するのですが、96年はミルキィウェイの第3戦から参加し小さなサーキットに慣れるのに時間がかかっているようでした。
8月お盆の後、長嶺さんが兵頭さん宅に泊めてもらいに来て3人で土日、スロット三昧しました。
その中で兵頭さんから「2人で棚晒しになっているコントローラ買って、普及してくださいよ!」と言う事になりました。
今となっては笑い話ですが、何とそれまでの4レース全員マイコントローラを持っていなかったのです。
マジックボックスから譲り受けた15Ωのエコノミータイフ゜を使っておりました。
それはそれでイコールコンディションで公平であったのかもしれません。
長嶺さんが4Ωの完成品、私が組立式で抵抗は7Ω、長嶺さんの完成品を参考にして組立ました。
走らせてみると15Ωのエコノミーとは明らかに直線スピードが違いました。
導線の太さが違い抵抗が少ないためだろうと思われました。
ただ、二人でギャーギャー言いながら走らせても他のメンバーが来ないので宣伝にはなりませんでした。
96年のミルキィウェイ第6戦、私の参戦5戦目のレースが9月16日連休の2日目に開催されました。残暑厳しく良く晴れた1日でした。
今は3分で30周してもどうにもなりませんが、当時はレース状態で30周を超えた事がありませんでした。
エコノミータイプのコントローラ使っていたので今から考えれば当然の結果だったと思われました。
936'76で4コース全てにピッタリ30周してトータルで120周し1位でした。
長嶺さんは1コースだけ31周しました。
ただ、残念な事に他のコースでコースアウトやら何やらで私の記録を超える事は出来ませんでした。
積極的にコントローラの話をして備え付けのコントローラと効率が違うことを強調しました。
次戦の11月までに全員がマイコントローラを持つ事になりました。
96年の結果
96年はこの後11月と12月にレースがありました。
最終結果はN2クラスで○川さんと同ポイント。プレーオフするのが厭だったので賞金!?を山分けして2人1位にしてもらいました。
24分耐久レースは6、7、9、11月のレースに勝利しましたが、年間ポイントではなく1年の内で1レース最多周回数チームが1番と言うことになり、11月のレースの251周で1位と言うことになりました。
後、途中参加のN1と最終戦でのRクラスのエクストラ戦でそこそこ中位でした。
97、98、99、00年も同じようにクラスを増やして定期戦が開催されましたが、印象は96年ほど鮮烈ではありません。
96年は真剣勝負の雰囲気があり、技術レベルが1戦ごとに向上していくのが実感されました。
そう言った意味で、96年シーズンには特別の感慨が今でもあります。
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