JAC


わずかひと夏の栄光

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漣さんの当時のレポートを読む

 これを読んでいる方は日本初のガスガンを知っているだろうか?そう、ひと夏で消えたあのバトルマスター I のことを......
 バトルマスター I は1985年初旬にJACから発売された日本初の本格的フルオートガスガンである(開発はアサヒファイアーアームズ)。このあとウエスタンアームズから初のセミオートガスガンAR−7、MGCからベレッタ93Rが発売されエアソフトガンはガスの時代へと突入していく。まさにガスガンの、そしてフルオートの先駆者だったのである。
 本体価格は3万8千8百円(ブースターなどオプションは全て別売)。いわゆるBV式フルオートという方式で基本的なメカニズムはその後のJAC(アサヒ)の物と同じシステムである。
 ただし、その後のモデルと比べるとサブチャンバーの形状が甘い、材質がほぼ全部ABS、マガジンチェンジに不便なねじ込み式マガジンなどの欠点を持っていた。
 その年の夏は猛暑も手伝い関東はまさに「バトルマスターの夏」であった。
 フロンガスが極限まで暖まり、林の中はあのフルオートの音がこだまし、同時に敵の悲鳴もこだました。


 だが、その栄光も長くは続かない。秋口にバトルマスターの後継機「スターリングL2A3」が発売されたのだ。スターリングはバトルマスター I の最大の弱点だったねじ込み式マガジンからワンタッチマガジンに改良されており、価格も1万9千8百円と2万円近く安かった。また、部品も耐久性のないABSから真鍮に変更されていた。そう、耐久性に欠けるバトルマスターTはこのころからガス漏れ等の故障を続出していたのだった。
 そして冬、当時発射方法がフロンガスしか無かったガスガンガス圧低下のため冬眠時期へと入る。やがて来る春にむけて、、、
 しかし、バトルマスター I は春になっても目覚めなかった。時代はもう完全にスターリングへと移っていたのである。
 日本初のフルオートガスガン「バトルマスター I 」。しかし、その栄光はわずかひと夏しかなかったのだ。



 バトルマスターはFN社のブッシュマスターがベースにしたオリジナルの銃であり、「ブッシュマスターの後ろ半分を取り去った」という感じである。グリップ、マズル部はM−16のような感じであるが改めてみるとグリップ部は思ったより平べったいのが印象深い。。
 2枚目写真のの下部に見えるネジはガスのねじ込み口で、ここにフロンガスの缶を直接つけるか別売ブースターキットでホース式にする。余談だがこのころは最安値のBB弾でも2.5円/発した時代であり、ガスもガスガン専用のガスがなかったため、高価な模型用のエアブラシのガスを使用しなければならなかった。
 だから、この銃で弾をばりばり撃てるひとはかなりのブルジョアであったのだ。
 2枚目の写真にはパテント出願中のシールが貼っているのが確認できる。
 1枚目の上部に見えるパイプのような物が「30連ねじ込み式マガジン」でバトルマスター I の最大の欠点である(どんなに急いでもマガジンチェンジに30〜60秒かかる)。
 当時はブッシュに隠れて弾切れになるのをまち、「ふしゅー」というBV式特有の弾切れ音と同時に突撃していくゲーマーと、あわててマガジンを替えながら逃げ出していくバトルマスターユーザーが結構見られた。

 これは当時のコンバットマガジンを参考にかきおこしたイラスト。上の方が少数販売されたロングバレルモデルである。
わずか1年で戦場から姿を消したバトルマスター I であるがその後に発売されたスターリングがかなり長い間、銃の名前ではなくバトルマスター I の後継機種をあらわす名前といえる「バトルマスターII」とよばれていたことからも私はこの銃が与えた影響は大きかったといえよう。