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●ダッコン
北ベトナム軍の特殊部隊。北ベトナム版グリーンベレーみたいに思ってもらえればいいかなぁ。今回は時代設定的にまだ迷彩が出てこない年代だったのでダッコンで採用されている迷彩ではなく、北ベトナムとベトコンの混成風な雰囲気できめていました。

●M-16 A1とAK-47
正確にはAKのほうは後から設計されているためユニットバージョンが新しく微妙に性能がよい。とはいってもその差はハンデというほどではない。ベトナム戦争と違ってWWIIなどのゲームでは使用できるエアガンの性能差が激しかったり、モデル化されていなかったりとエアガンでゲームをするには非常に大きな問題を抱えている(2004年現在)。

●ショップの盛り上がり
でも、米軍はちょっとアホカリで装備にプレミアがついちゃった部分もある。

●緑一色
当初は中国人民服改とか現用ベトナム作業服とかがベースでほとんど全員緑だった北ベトナム正規軍だったが、その後のレプリカの発達でカーキ色(ナム戦初期〜中期のころの兵士を再現した服装)の兵士も入り混じり、現在はさまざまな装備や服がそろっている。
大勢でそろったときにはこの装備のごちゃ混ぜさ加減がいい感じになっていてなかなかかっこいいのだ。

●The Ninja
かつて、愛知のショップ「サカエヤ」が運営していたサバイバルゲームチーム。GUN誌に連載もしていた古いゲーマーには忘れられない有名チーム。現在はショップ運営ではない形で運営されている。
かつて、私はASCS95の準決勝で対戦したが、わずか3分半で全滅するというものすごい負け方をした。ASCS95で同じチームだった北ベトナム総司令官安本氏ともども今回のこの編成には苦笑い。今回も強さ健在でした。
ちなみにThe Ninjaのサイトはこちら

●SHOGUN
関西のThe Ninjaに対抗するべく東京のマグナムショップむげんで結成されていたサバイバルゲームチーム。こちらも強烈に強いチームだったりしてよくこてんぱんにされたもんだなぁ...(とおい目)

●最強部隊
第3小隊は北ベトナムのリエナクトメントチーム「北京亭」系のメンバー。これでサバイバルゲームゲーム的、リエナクトメント的にも最強だーッ!っていいかたは冒頭で書いた「自分のところは最高伝説」ってことです(笑)。

●マーカー
もう書くところがないくらい戦死者名ががびっしりと記入されている。これはCP裏に設置されたトンネルのマーカー。オーストラリアと海兵に囲まれ戦死者続出のポイントであった。

●前日設置
北ベトナム軍は前日に米軍基地周辺の偵察を参加者全員で行う。これによって「米軍より地理に詳しい北ベトナム軍」のリエナクトメントを行おうというのである。また、この前日偵察は小隊の顔見せと、前日からリエナクトメントとして雰囲気を盛り上げようという意味合いもある。今回は生き返りポイントの設営作業として米軍にばれないように偵察するという意味もできてなかなか緊張感あふれる作業だった。

●誤射
第三分隊が遊撃隊への誤射で、アンブッシュしていた遊撃隊の居場所がばれてしまう。本当にごめんなさいっ!

●総司令官戦死
総司令官指揮中に米軍偵察部隊の攻撃を受け、いきなり戦死。私の携帯無線に「いやぁ、実は死んじゃったんだ」という本人からの悲しい遺言が入り(笑)、これにて本部との連絡は取れなくなった。総司令官は一度戦死してしまうと生き返れないのである。
このときの詳細は「兵士からの手紙3」を参照のこと。

●激しい攻撃
幸いだったのはトンネルの位置が発覚しなかったこと。生き返りポイントの直前に弾が飛んでくる大ピンチだった。

●小隊長戦死
駆けつけた第三分隊分隊長N同士が第一小隊に向かっていき「小隊長戦死ーっ!」とさけんだのをききつつ私は安らかな眠りについてったいうか戦死者集合ゾーンへ移動したのであった。

●4つのトンネル
東海自然道の下に確実なポイントを決め、あとは周辺にCPを取り巻くようにトンネルを設置した。

●パイロット
イベントのひとつでゲーム開始直後に撃墜された米軍パイロットがゲームフィールドに配置された。北ベトナム側が見つければお楽しみプレイ(笑)。米軍が見つければ本部につれて帰って感動のドラマというイベント。

●ひろったもの
第一分隊の兵士が使用していたグローブ。いきなり隠れたので置き忘れてしまった。このとき、藪の中ではものすげー緊張感のひと時だったのだ。

●歩哨
完全に油断していた我々は歩哨を立てずに大休止していたため、えらい目にあってしまった。

●緑の顔をした男
グリーンベレーのこと。緑の顔はフェイスペイントの意味。


●敵の機関銃班
今回、北ベトナム軍第四小隊には軽機関銃および重機関銃をフルスクラッチして持ち込んだグループがあり、主に防御で大活躍をしていた。第二ステージではマンジュヒルからの見下ろしでこれまた大活躍をしたのだが、そこに米軍の火力が集中。丘にうまく配置された重機には被弾しなかったものの、流れ弾で私を含めて多数の戦死者が出た。被弾しながら私は来年は重機に近づくのはやめようと思ったのでした。

●知っている
この2人はヒストリカルゲーム設定的にはまったくの他人ですが、リアルワールドでは思いっきり知り合いだったりします。

●司令官戦死
常に前線指揮を基本とするヤスモト司令は結構前線で危ない目にあっており、1998年にもこれまたオーストラリア軍に狙撃されて命からがら逃げ出している(兵士からの手紙1998参照)。
ちなみに暗殺されたときの感想は「しまった、やられたと思った。だがしかし、これで戦線から離脱なのでとろうと思っていた映像資料がたっぷりととれるのでちょっとうれしかった(本人談)」とのこと。

●言葉の壁
捕虜をとったとき、この言語の違いをどう表現するかはプレイヤーの演技力の見せ所である。私は昔、文法を逆にしたりして片言英語という表現をしてみた(2002年の手記参照)。そのほかにももう一人「英語ができる兵士」を通じて通訳を立てる(もちろんこの場合通訳にも日本語を話し、それをもっともらしくもう一度訳者が話すわけだが)なというプレイもある。

●戦死の復活
米軍系ユニットは第一ステージでは基本的に戦死しない。弾にあたった場合は負傷し、CPまで後退してから部隊単位で再編成されて復活する。まぁ、どっちもサバゲー的に考えるとただのヒットなんですが、リアナクトメント的には設定が違うということで....

●朝からの攻撃
米軍に対して第1小隊が行った第一次攻撃のことと思われる。人数的には1小隊+遊撃隊の少数攻撃だったがタイミング的によかったため総攻撃と思われたようだ。

●どんどん増える敵
実は我々第1小隊はCP攻撃に進むには人数不足、そして退路はオーストラリア軍に阻まれてどうにもならない状態であった。幸いだったのがこちらの第4トンネルの位置はオーストラリア軍にはばれていなかったことだった。第4トンネルのすぐ脇にもBB弾が飛んでくるという状況で、いつ全滅してもおかしくなかった。

●近在の米軍部隊
私の知っているのは海兵隊と思われるガッツのある叫び声。明らかにオーストラリア兵とは毛色の違う叫び声を聞き、米軍に着実に囲まれていることを知った私たちはさすがに死を覚悟した。このときの戦闘がどれくらい激戦だったかというとあまりの激戦のため、ぶつけたショックで私の安物腕時計のベルトが飛んだくらいだ。

●CPの陥落
このような激戦で強力な米軍兵力をひきつけ、CP陥落にかげながら貢献した第1小隊の活躍もわすれてはいけないのだーっ!
