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大西洋を越えて

  朝の7時前に電話をかけてくる者がいる。電話に出たら、車の広告を見た客だった。直ぐに飛んで来た。奥さんと一緒で、奥さんのセカンド・カーに中古車を捜しているのだという。労働者風のがっちりとした男性だ。
「3Mの工場に勤めているんだよ」
「3Mには友達がいますよ。この車、見かけは悪いが、いい車です。正直いって、冬はエンジンが掛らなかったのは一度だけ。冬に強いんだ。但し、夏場は、雨が数日続くとエンジンが掛らないことがある。電気系統がよくないみたい。ボディは腐食があるが、一つ気がかりなところは、運転席の足元に小さな穴があいたことで、これをどうにか補修できるのなら買い得だと思いますよ。それに、マフラーは新品に取り替えてあるし、スノータイヤもリキャップものだけれど、一緒につけてあげよう」
「250ドルならキャシュで払うが、その前に、試運転してもいかね」
「どうぞ」
5分ばかりで試運転を終えた。
「もう1ヶ所、売りに出ている車を見て来てから決めたいのだが、いいかね」
「いいですよ。但し、それまでに売れていたら勘弁して下さい」
こちらも今日中に売れないと大変だから、正直にそう言った。

  1時間ほどたって8時過ぎになった。まだ、他に電話が入らないうちに、例の3Mの男性からまた電話があり、売れていなかったら買うという。8時半頃やって来た。セント・アンソニー銀行(右の写真)へ行って、ノータリーのサインを貰い、250ドルを貰って自動車の一件は落着した。

 それからが大変だった。自動車買いたしの電話が43回かかってくるのである。朝の9時頃から夕方の6時頃までの9時間で平均1時間に5回くらいだが、集中する時には電話が5分おきにかかる。掃除が手につかない状態だ。雑巾をバケツに入れた途端に電話が鳴る。
「広告で見たのだが、車の・・」
「ああ、残念ながら売れてしまったよ」
簡単な会話だが、中には、実売価格は幾らだったのかとか、車の状態を詳しく聞くやつがいる。簡単な会話で終らない。

  自動車保険に関しては、保険会社に電話をして、車を売却したことを伝える。保険料は日割りにして残金を払い戻ししてくれるのだが、手続きに日数がかかるので、受取人にはブルースになってもらい、後で、ブルースからパリの我々の住所に送ってもらうことにした。電話料金は時間がないので、設置の際に払った預かり金で帳消しにしてもらった。

  夕方までに掃除は済んだ。本や衣類はダンボール箱につめて、コモ通りにあるセント・アンソニー銀行の近くの郵便局(右から2軒目の灰色の建物が郵便局)に行き船便にした。郵便局で手続きをしていると、丁度、隣の棟に住んでいて、獣医学部の大学院に行っているホルヘがやってきた。荷物を航空便で出そうとしている。荷物も大きくなると航空運賃が大変だ。
「ホルヘ、何故船便で出さないんだ。私物だから、急がないだろうに」
「アメリカ国内はいいのだが、ヴェネズエラの役人は信用しないことにしている」
「エッ、どうゆうことなの」
「航空便なら、荷物を空港止めにして、後で取りに行けばいい。船便だと、ヴェネズエラの港を経由して汽車で運ぶだろう。すると、運悪い場合、送った荷物が全部紛失してしまうか、運が良くても中身が抜き取られてしまうのさ。無くなってもヴェネズエラの役人は知りませんと、涼しい顔をしているからね」
国が違えば、考えも異なり、やることも違う。何処の国でも役人は信用されない。個人のものをくすねるか、国民の税金を悪用するかのどちらかだ。

  大切な物やこわれ物などは、ミネアポリスのダウンタウンにある日本通運の代理店に行き手配をした。ここは日本航空の代理店もやっていて便利だった。アメリカに来た時は、生活必需品を西海岸まで船便で、そこから航空便で送ってもらった。12月の初めに隣の棟のルースに車に乗せてもらって空港まで取りに行った記憶があった。

  ベッド、家具、ラジオ、アームチェア、ソファ、テレビなどは、出来るだけ留学生にあげたい。我々もここへ来た当初は、人々から貰ったのものが大いに役立ったのだから。セント・アンソニー地区のコモ通りにチラシを張り出すための小さな広告塔がたっている。ここに 「留学生に生活用具を上げます」 と手書きのチラシを出したのである。最初に電話があったのは台湾からの中国人の留学生だった。出発の朝、彼はやってきて全部貰うと言う。
「だだし、テレビは買ったので、有料にしたいんです。30ドルで買ったので、半分の15ドルでよければ。でなければ、世話になった友人に置いて行くつもりです」
「15ドルでも買います。何も持っていないのですから。これで大助かりです」

  午後は、ブルースの車で空港まで送ってもらった。空港には旭化成のNさん夫妻、政治学を専攻のYさん夫妻など、数人の友人が見送りに来てくれた。

  ウィークス一家はブルースとロイス、夏休みになった子供達のベリーとトレーシーとシェリー。(チャオのウィークスの子供たちに宛てた未投函の手紙)チャオの自転車はウィークスの末娘のシェリーに上げた。みんな楽しい想い出だ。有り難う。ウィークス一家と知り合いにならなければ、ミネソタでの我々の日々も随分変ったものになったであろう。新しい出会いは、また、新しい別れとなり、思い出だけが残る。その後の人生も平穏無事とは行かないだろう。それぞれ違った国で違った生活を切り開いていかなければならないのだから。

  "Sail on, siver girl, sail on by. Your time has come to shine and your dreams are on their way・・・・"(船出しなさい、銀の少女よ。船出して行くのだ。きみが輝く時が来たのだから、そして、きみの夢が叶いつつあるのだから・・・)
 私の不安と希望が交差する心情をサイモンとガーファンクルの『明日にかける橋』が未来に対して明るく歌い上げ、そして鳴り響く。さようなら、また逢う日まで。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。