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ミネソタの化学会社

  さて、歩行者の皆さんや、車を運転する皆さんに、毎日、サービスを提供している3Mの製品がありますが、何だと思いますか。お判りにならないですか。それは標識です。ところで、標識は何でできていると思いますか。標識は鉄板とペンキでできているのではありません。ペンキは昼間はいいのですが、夜は全く見えません。今の標識は夜でもかなり見ますね。昼と夜の視認性が全く同じとはいきませんが、夜にもよく見えます。標識には反射シートが貼られているからです。再帰性反射シートといって 、光が反射シート (微細なガラスビーズが塗布されている )にあたって光源に戻ってくるのです。ペンキを塗った板のように、当たった光が分散・拡散してしまうと、殆ど光は戻ってきません。その上、3Mの反射シートはペンキの何倍もの耐久性があります。日本だけでなく、世界中のあらゆる道路で3Mの反射シートが使われ、交通安全に貢献しています。

  これも現在5万種類以上といわれる3M製品の一つに過ぎません。3Mの製品の中で、何か知っていますか。磁気テープですか、ポストイットですか、家庭用たわしかな、サンドペーパーかな、メンディング・テープだったりして、と結構あるのですが、実際は殆どの製品が工業用資材なのです。これらの製品に共通している技術がありますが、お分かりになりますか。細かく均一に粒子にする技術とそれを接着する技術です。3Mの製品は、基本的にこの2つの技術を使って生まれています。

  リーマン・ショック以来ご他聞に漏れず、3Mも停滞を余儀なくさせられたが、現在、徐々に業績も回復しつつあるようだ。日本でも一時期広く読まれ、評判になったトム・ピーターの 「 エクセレント・カンパニー」(日本語訳題名) でも3Mについて述べられているので、記憶のある人がいるかも知れませんが、もう少し詳しく書いてみましょう。

  3Mは1902年にスペリオル湖の北岸にあるツーハーバーという町で、5人の投資家によって設立された。5人の職業はさまざまだが、一般市民には大変信望が厚かったらしい。会社設立の目的は 『コランダム』 という 鉱石を採掘し、サンドペーパーを作ることでした。しかし、鉱石の知識がなかったために、このコランダムが実際には品質が悪く、役に立たないことを知る由もなかった。そのために、破産の瀬戸際に立たされることになる。

  1903年、会社の株式をE・オーバーとL・オードウエイという事業家に譲り、やっと破産をまのがれた。L・オードウエイは自己資産を投入して、3Mの莫大な負債を返済する羽目になる。

  その後、苦難を乗り越えて、初めて市場で競合できるサンドペーパーを導入できたのは、実に1914年になってからだった。但し、コランダムでなく酸化アルミニュームを使った製品だった。初期の頃コランダムはほんの少量掘られたが、それ以降掘られず、後年、鉱山のあった場所は州政府に寄贈され、州立公園になった。現在でも、3M(Minnesota Mining and Manufacturing Co.)の社名にMining(鉱業)という文字が入っているのは、その時の名残りである。

  1907年、3Mの発展の基礎を築いたマックナイトが入社してくる。入社した時は会計係の助手だった。翌年には営業部門の基礎を作ったブッシュが入社してきて、1921年には技術者のカールトンが入社してきた。他に、オーキーとかドルーなどの技術者が3Mの成長に貢献したが、マックナイト、ブッシュ、カールトンの3人が第一次・第二次世界大戦を通じて3M製品を多様化し、企業組織を柔軟に保ち、企業成長への道筋を築いた。1929年にはマックナイトが社長に就任する。1949年にマックナイトが会長職につくまで、20年間3Mの発展に尽した。そしてマックナイトが会長職につくと同時にカールトンが社長になった。

  1925年にはマスキング・テープを発売する。あまりに高価だったので 「使うのを節約 (スコッチ) するのさ」 という自動車会社の工員が発した言葉を逆手にとって、初めて 『スコッチ』 (節約・ケチの意味) ブランドを採用した。3Mは自動車産業の市場拡大と期を一にして成長してきた。この時期にはサンドペーパーの販売のためイギリスにも進出している。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。