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ミネソタの航空会社

  ミネソタには何かでっかいことをやり遂げる男がいる。チャールズ・リンドバーグ。名前が示すように、彼はスウェーデンからの移民の子としてミシガン州に生まれ、ミネソタで育った。父は後に国会議員にもなった名門の出であった。それからの青年期については「翼よ、あれがパリの灯りだ」の映画にくわしい。1927年彼は”スピリト・オブ・セントルイス号”に乗って大西洋単独無着陸飛行に成功する。ニューヨークのルーズベルト飛行場からパリのブルジェ空港までの5千8百キロを32時間半で飛んだ。パリに着いた時に出迎えたフランス人は映画では2万人といっているが、実際は10万人だたであろうといわれている。ニューヨークに凱旋したときは400万人の人達に紙吹雪とともに迎えられた。その後、有名な誘拐事件がおこる。その真相は複雑な人間関係もあっていまだに闇の中である。

  規制緩和後の航空会社の浮き沈みは激しい。航空運賃の自由化と過当競争のあおりを受けて西のウエスタン航空から東のイースタン航空まで多くの航空会社が消えていった。イースタン航空はシャトル便をボストン、ニューヨーク、ワシントンDC間に就航させていた。競争激化のあおりで、70年代には既にクルーを削減していた。飛行機に搭乗してから、切符を購入するのだ。

  72年にワシントンDCにノッコとチャオの3人で行った帰り、飛行機に乗り遅れ、もう、ニューヨークへ戻る最後の便はイースタン航空のシャトル便しかなかった。慌てて飛行機に乗ったら、ストライプの青い制服を着た太った女の子が通路をかきわけながら切符を売りに来た。首から小さなバッグをつるし、まるで昔のバスの車掌の格好である。女の子の後姿を見て驚いた。なんと、はちきれそうなお尻のジッパーが半分まで開いていたのだ。もう既に、花のスチュワーデスの時代ではなかった。

  航空輸送産業といえば、中西部ではノースウエスト航空が大手だ。全米でも設立当初の社名をいまだにそのまま使っている航空会社としては一番古い。国際線は東アジア方面が中心だから、日本とアメリカをつなぐ航空会社として、昔から日本人にも馴染み深い。

  現在ノースウエスト航空はミネアポリスを本拠地としているが、設立当初はミシガン州で登記された会社なのだ。1926年、当時の航空関係者のL・H・ブリットンとW・A・キッダーの2人が資金集めのためヘンリー・フォードに会ったのがきっかけだった。そこでノースウエスト航空を設立した。まもなくツィンシティとシカゴ間の郵便空輸が認可される。1928年には14人乗りの 「フォード・トライモーター=ティングース」 機を導入し、旅客輸送に乗り出した。現在のミネアポリスの空港がある場所に、1927年空港建設が始まっていた。

  1930年、本社をツィンシティに移す。1939年にはDC3を導入し、初めてステュワーデスを採用している。1947年には太平洋航路を開設し、1960年にはDC8をこのルートに投入した。1968年にはノースウエスト航空は全米7位の航空会社に成長し、1979年には大西洋路線を開設している。航空輸送産業は政府の規制や景気の影響をまともに受ける。政府の助成金などでしのぐこともあった。1980年代前半のノースウエスト航空のサービスは最低だった。ステュワーデスはぶっきらぼうで愛想がなかったし、機内食もお粗末で不味かった。西へ向う便では、偏西風が強いと燃料不足で太平洋の真ん中のウエーキ島に燃料補給に着陸しなければならいという信じられない事態が時たま起こっていた。例えば、ミネソタに出張した時など、「帰りの飛行機は他の航空会社を薦めるよ」といって、親会社の海外担当者がタイ航空のチケットを取ってくれたりした。確かに、タイ航空はステュワーデスも美人で、サービスもよく、食事も抜群だった。

  そうゆう時代を乗り越えて、今ではKLMと手を組み、更に、最近ではアリタリアとも提携している。現在のサービスは随分改善されている。アメリカでは有名な航空会社が幾つも消えていった。会社設立以来、同じ社名の航空会社は数少ない。但し、航空業界の浮き沈みは激しい。最近、デルタ航空とも提携を行った。

  ターゲットは米国で生活している間、よく利用したスーパーである。今日では、小売業なども日本に進出するようになったが、当時小売業は、どんなに大きくてもローカルな業種で、日本人には企業名などは馴染みのない業種であった。

  今でこそ、ターゲットは売上が全米32位で、アメリカ42州で1,100以上の店舗を有する大企業に成長したが、そもそもは1962年にセントポールのローズヴィルに一号店を開設したのが始まりである。

  ターゲットはもともとミネアポリスにあるデパートのデイトンが母体であった。1902年にデイトンはミネアポリスのニコレット・モルに店を開業している。1956年、ミネアポリスのサウスデールに、2階建としては全米一広いショッピングセンターを開業する。更に、1962年に「ターゲット」を創設し、ディスカウント・スーパー業界への進出を開始した。

  1969年、デトロイトの大手小売業のハドソンと合併し、デイトン・ハドソン社として、飛躍的に成長する。今では、ターゲット・ストアがグループの最大の売上を締める。日本では知られていない企業だが、アメリカにいるとターゲットは結構目につけき、どこにでもある馴染み深いスーパーだ。

  今年のシーズンからミネソタ・ツインズの本拠地がメトロ・ドームからミネアポリスの街に建設中であったターゲット・フィールズドに移る。 ここは東京ドームのお手本にもなったメトロドームと違って、オープン・フィールドなので青空の下でプレーを観戦できるということで、大人気らしい。但し、秋の試合はどうするのだろうか。よく、ワールド・シリーズ直前の消化試合には霙が降ったり小雪がちらついたりするからだ。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。