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ミネソタの企業

  " American business is business " という言葉がある。「 ビジネスこそ、アメリカのビジネスだ」 というゆう意味だ。あらゆるものにビジネスがからんでいる。極端にいうと、他国の人道問題への介入も、暗殺も、戦争もビジネスが裏に潜んでいる。ビジネスが覇権を決める。利権というビジネスだ。そういう意味で国民は体制側に騙されていると思った方がよい。本当は、他国の人道問題などは米国政府にとって、さほど意味をもたない。関心があるのは、その影に隠れている利権だ。その後ろには政権側に組する関連の企業が存在する。だから、利権が絡まない海外の政治問題や人権問題には見向きもしない。更に、軍需産業を維持するためにも戦争は不可欠だ。これも国内の武器産業とビジネスのためだ。

  ところで、本来の意味で、ビジネスを個別企業としてとらえると、ミネソタにはどんな企業があるだろうか。現在、フォーブス誌の 「全米500社」 のうち上位100社を見ると、ミネソタには3Mの他に、銀行グループのUSバンコープとか、ユナイテト・ヘルス・グループなどがあるが、当時の代表的な企業といえば、3Mとノースウエスト航空と小売のターゲット・グループ、製粉業のジェネラル・ミルズなどであった。その他、ミネソタを起源とする企業にはシアーズ・ローバックがあったが、やはりミネソタにある大企業といえばこの3社を挙げるしかない。 アメリカの企業は、日本のように大都市に集中していない。本社機構が地方にあるのが当たり前なのである。アメリカのビジネス雑誌 (フォーブスとフォーチューン) がおこなっている 「全米500社」 の中で何社がニューヨークやシカゴやロスアンゼルスに本社をおいているだろうか。フォーブス誌に掲載の上位100社では15パーセントくらいしかない。自動車産業、鉄鋼業、航空産業、コンピュータ産業、金融業、小売業、製造業など諸々の産業が地域に分散している。産業の構成も時代とともに変化すだろうから、企業が根ざす地域も変ってゆく。

  日本の場合、輸出比率の高い企業の本社機構は、大半が東京・大阪などの大都市に集中している。政府との関わりを重視するから、特に東京に集中せざるを得ない事情がある。

  シアーズ・ローバックは最初シアーズ株式会社としてミネアポリスに誕生した。当時、シアーズは鉄道貨物の集配代理店を営んでいた。1886年シカゴの宝石商がミネアポリスの宝石商に金時計の荷物を鉄道で送った。ところが受取拒否にあってしまった。これをリチャード・シアーズが代わって購入し、代理店仲間に販売した。この成功に気をよくして、同年、R・W・シアーズ時計株式会社をミネアポリスで設立する。しかし、1年後の1887年に本拠地をシカゴに移してしまう。

  1893年、ローバックという男を採用し、社名をシアーズ・ローバック株式会社に変更した。同時に、メール・オーダー事業にも進出する。我々日本人にとって馴染み深いのは、こちらのメール・オーダー商法である。敗戦の日本で物のない頃、米将校の家族から流出したシアーズのカタログが我々に衝撃を与える。5センチほどもある分厚いカタログは、我々に縁のない数々の豪華で便利な生活用品で溢れていた。今の日本人には想像も付かないと思うが、そんな製品の数々にため息をもらし、夢をはせた思い出がある。それからの事業拡大は破竹の勢いで、1933年までに全国で400店舗を有していたという。 この企業のルーツはミネソタにあった。

  ジェネラル・ミルズはミネソタを代表する製粉会社だ。1860年代にミネアポリスを流れるミシシッピのセント・アンソニー・フォールの水力を利用してC・ウオッシュバーンが、後に、ジェネラル・ミルズとなる製粉工場を始めた。その後、ピルスベリー、グリーン・ジャイアンツ、ベッティ・クロッカー等のブランドで、さまざまな食品分野に進出した。売上では3Mの半部以下だが、やはりアメリカでは有数の食品・製粉会社である。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。