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ミネソタの美術館

  セントポールのダウンタウンにライス・パークという公園が有る。周りは市立図書館とか、セントポール・ホテルとか、ランドマーク・センターという歴史的な建物に囲まれた小さな芝生の公園だ。ここに面してオードウエイ・センターという素晴らしい音楽センターが80年代にできて、ここを拠点にして年間150回以上の演奏を続けている。一種の多目的ホールに使われているから、ここで上演されるのはクラッシクだけではない。セントポール・ホテルに泊まると、日によっては食事の時間を予約しておかなければ、夜の8時頃までホテルのレストランで食事が出来ない。こんな時は決まって向のオードウエイ・センターで音楽会があり、開演は8時だから、音楽会に行く前にホテルのレストランで夕食をとって行く人が多いのだ。ホテルの隣には市営の駐車場があり、こなんな日に巡り合せたら、駐車場の8階くらいまで行かないと空きがない。

  10月から5月までが音楽シーズンである。モーツアルトの書簡集を読むと、当時ウイーンでは貴族や金持ちが夏の間は街を離れていて、11月も終わり頃にならないとウイーンの街に戻って来ないと、父親のレオポルドが歎いている所がある。ミネソタに来るとそうゆうことがよく判る。夏は屋外ですることが沢山あり、夜も十時過ぎないと日が暮れないありさまだから、夜に音楽会どころではない。このシーズンという意味が北国では重みがある。アメリカにはシーズンを守る風習がる。テレビ番組もそうである。夏の間はみんな屋外に出て、テレビを見る人が少なくなる。だから夏の間はリバイバル番組のオンパレードとなる。特に、プロ・スポーツの世界では種目別にシーズンを割り振っているのだ。ミネソタの音楽活動にもシーズンがあって、ミネソタ・オーケストラもセントポール室内管弦楽団にも決まったシーズンがあり、当然の事ながら、日程も事前に決められている。

  ジャンルは異なるが、ミネソタ出身の有名なシンガー・ソングライターがいる。ボブ・ディランだ。1960年代にベトナム戦争と公民権運動のさなか、プロテスト・ソングを歌って一世を風靡した。ギターとハモニカで歌った『風に吹かれて』だ。ボブ・ディランは本名ツィンマーマンといって、ミネソタの北部にあるヒビングという町でユダヤ系の移民の子として生まれた。一時期、ミネソタ大学で大学新聞の音楽欄を担当していたこともある。

  美術の展示に関しては、ミネアポリス美術館(ミネアポリス・インスティトュート・オブ・アート)が素晴らしい。ニコレット・モルの商店街を過ぎて更に南に一キロほど行くとある。美術館の前は小さな公園になっており、緑の多い美しい所だ。1914年に開館した総合美術館だが、東洋美術、特に中国の文物・美術が揃っている。旧館は見事な石柱の並ぶ立派な建物だが、1974年にモダンな新館が追加された。アメリカの美術館は裕福なコレクターの寄贈によるところが多い。ここでも製粉業で財をなしたピルスベリーなどのコレクションを見ることが出来る。これも税制の違いで、公共施設に寄付すると控除される仕組みになっている。日本も税制を変えなければ、役人や政治家が勝手に税金を浪費してしまう。また、アメリカの女性で、フランスで活躍したメアリー・カサットなどや、ヨーロッパの古典や印象派などいいものが見られる。

  現代美術ではウォーカー・アート・センターがある。ミネアポリスの市街地の南西に小さくて素適な湖と公園がある。ロリング・パークという公園で、その一角に近代的な美術館の建物が建っている。1879年と創設は古いが、現在の建物は1983年に建てられた。フランク・ステラなど、現代作家の作品を見ることが出来るし、ピカソやミロなどのフランスのものなども展示されている。現在の建物が建築された後の1988年に、彫刻庭園を併設してヘンリー・ムアーなど、現代作家のものを展示している。

  また、音楽とはジャンルが異なるが、文学の領域ではセントポール生まれのスコット・フィジェラルド(Scott Fitzgerald)が "Lost Generation" の旗手として、ヘミングウエィと共に20世紀初頭のアメリカ文学史に燦然と輝いている。映画化された『グレート・ギャツビー』とか、『テンダー・イズ・ザ・ナイト』など代表作だ。短編の『バビロン・リヴィジテッド』はリズ・テーラーとバン・ジョンソンでパリを舞台に映画化された。へミングウェィは最初の奥さんには逃げられてしまったが、フィツジェラルドの妻のゼルダは精神を病んで気が狂ってしまった。まさに第一次大戦後のアメリカの馬鹿騒ぎとジャズ・エイジを代表する作家である。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。